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5 1酪農場における牛のサルモネラ症発生事例
5 1酪農場における牛のサルモネラ症発生事例 南波ともみ 吉崎 浩 ○鈴木 博 大野元雄※ 磯田加奈子 三宅結子 長田典子 藤森英雄 岩倉健一 要 約 2012 年 10 月、1酪農場において下痢、発熱、泌乳量の低下を主徴とする伝染性疾病が発生し、搾乳牛 32 頭中 22 頭、哺乳子牛 2 頭中 2 頭が発症し、このうち搾乳牛と哺乳子牛各 1 頭が死亡した。死亡牛の主 要臓器、消化管内容物及び発症牛直腸便から Salmonella Typhimurium (ST) が分離されたことから牛 のサルモネラ症と診断した。分離 ST は多剤耐性を示した。発生及び伝搬要因として、変敗したサイレー ジの給与、老朽化した畜舎設備、特に飼槽及びウォーターカップ等の消毒の徹底の困難さが考えられた。 防疫対策として変敗サイレージの給与中止、抗菌剤及び生菌剤投与及び補液並びに消石灰、逆性石けん 液及び熱湯による畜舎消毒を反復実施した。牛群の発病期間は 21 日間、泌乳量の回復までには 35 日間 を要し、経済的損失額は約 120 万円と推定された。症状回復後も飼養牛全頭の直腸便及び畜舎環境材料 中の ST を継続的に検査した結果、環境材料からは 11 月 30 日の検査まで、直腸便からは 31 頭中1頭は 翌年 3 月 12 日の検査まで ST が分離された。 成牛 3 頭及び哺乳子牛 2 頭を飼養する酪農場で はじめに ある。飼養形態は対頭式つなぎ飼いで、哺乳子牛 牛のサルモネラ症は、我が国では 1970 年頃から 2 頭は、牛舎北側通路につながれていた(図1) 。 子牛における発生が多く見られたが、1990 年以 当該農場では育成牛を北海道に預託しているが、 降においては搾乳牛での発生が多数を占めるよう 発生前 1 ヵ月以内に牛の移出入はなかった。 になっている。近年は毎年、全国で十数件の発生 飼料は、市販配合飼料、乾草、自家製サイレージ 報告があり、 特に Salmonella Typhimurium(ST) およびサプリメントを給与していた。 に起因する症例が最も多く報告されている 2,4,7,8)。 稟告では、発生前にロールベールラップサイ 東京都における近年の搾乳牛のサルモネラ症の発 レージのラップが野鳥により穴が開けられたた 生は、2008 年 2 月に1戸、13 頭(内 2 頭死亡) め、一部変敗したサイレージを給与したとのこと の発生例 1) がある。 であった。また、発生約1週間前に子牛1頭に下 2012 年 10 月、東京都内の1酪農場において搾 痢の発生があり抗生剤により治癒したとの稟告が 乳牛群に下痢、発熱、泌乳量の低下を主徴とする あった。 伝染性疾病が発生し、病性鑑定を実施した結果、 細菌学的検査:発症牛および同居牛全頭の直腸便 ST による牛のサルモネラ症と診断したのでその および環境材料(畜舎塵埃、 飼槽、 ウォーターカッ 発生状況と防疫措置の概要を報告する。 プ、敷料(オガクズ) )とサイレージからのサル モネラの分離を試みた。 材料と方法 死亡牛 2 頭については、主要臓器、血液、腸内 発生農場の概要:発生農場は、乳用牛 32 頭、育 容物等を材料にDHL、食塩卵黄寒天培地および 血液寒天培地で好気培養、 チョコレート寒天培地、 ※ 大野獣医科(東京都羽村市) 平成25年度東京都家畜保健衛生業績発表会集録(2015) - 19 - 第2病日(10/17 初診時) 発症牛3頭 育成牛3 哺乳子牛2 32 16 牛№1 15 :農場敷地 発生牛舎 図1 発生農場の配置図 血液寒天培地を用いCO 2 培養、GAM、CW培 発症牛 2 頭から採材した鼻腔ぬぐい液、糞便およ 地を用い嫌気培養を行った。さらに主要臓器等を び血液を材料として、市販簡易キットを用いてア 緩衝ペプトン水で 41℃ 6 時間増菌培養後、ハー デノウイルス ( キャピラリアアデノ )、RSウイ ナーテトラチオン酸塩培地で 37℃、1夜増菌培 ルス(RSV エクザマン) 、 ロタウイルス(イムノカー 養後、DHL寒天培地を用い好気培養した。腸内 ド ST ロタおよび Bio-X) 、 コロナウイルス(Bio-X) 容物等については、ハーナーテトラチオン酸塩培 について検査した。 地で 37℃、1夜増菌培養後、DHL寒天培地を パラインフルエンザウイルス、RSウイルス、 用い好気培養した。 コロナウイルスおよび牛ウイルス性下痢ウイルス 同居牛全頭の直腸便については、ハーナーテト についてはPCR検査を実施した。 ラチオン酸塩培地で 37℃、1夜増菌培養後、D ウイルス分離は、HmLu1、MDBK-SY および Vero HL寒天培地を用い好気培養、環境材料は緩衝ペ 細胞に鼻腔ぬぐい液、糞便および血液由来材料を プトン水で 41℃ 6 時間増菌培養後、直腸便材料 接種し、2代継代した。 と同様に培養した。サルモネラの同定は定法に従 病理学的検査:10 月 26 日死亡した搾乳牛1頭及 い分離菌の同定を行った。 び哺乳子牛 1 頭について病理解剖検査及び病理組 薬剤感受性検査は、7 頭の直腸便由来のST7 織学的検査を実施した。組織学的検査は主要臓器 株について 1 濃度ディスク法により 18 薬剤につ を 10%ホルマリン固定後、定法によりHE染色 いて検査した。 し、鏡検した。一部の組織標本については、グラ ウイルス学的検査:10 月 18 日、発症牛 5 頭、未 ム染色及びサルモネラO 4 群免疫血清を用いた免 平成25年度東京都家畜保健衛生業績発表会集録(2015) - 20 - 総額 120 万円以上 表1 発生経過と S. Typhimurium の分離状況 疫組織染色を実施した。 ブドウ糖、リンゲル液の補液をあわせて行った。 さらに生菌製剤を全頭に投与した。 結 果 この間、帯黄白色水様ないし灰白色泥状の下痢 発生状況:2012 年 10 月 16 日、飼養者が数頭の を呈していた哺乳子牛1頭 (11 日齢 ) が 10 月 26 搾乳牛に水様性下痢を認めたため、翌 17 日獣医 日死亡した。また、搾乳牛1頭が悪臭ある水様下 師の往診を求めた。獣医師は、10 月 18 日時点で 痢、偽膜様血便、食欲廃絶、起立不能を呈し同日 発症牛が5頭となったことや秋から冬に見られる 死亡した(表1) 。 ウイルス性下痢とは様子が異なることから当所に 初発生から牛群全体の臨床症状が回復するまで 病性鑑定依頼があった。 に 21 日間を要した。この間、発生農場の出荷乳 臨床症状は、40℃前後の発熱と泌乳量の低下及 量は、泌乳量の低下および抗生剤治療にともなう び悪臭ある水様性下痢、一部の牛の粘血便を主徴 廃棄乳をあわせて発生前に比べ最大 57%減少し、 とし、11 月 25 日頃までに牛舎全域に伝搬し、搾 発生期間中の出荷乳量の総減少量は 3,841kg(平 乳牛 32 頭中 22 頭と哺乳牛 2 頭が発症した。大 均減少量 110kg /日)と推定された。出荷乳量 部分の牛は抗菌剤、補液及び生菌製剤による治療 の回復までには 35 日間を要した(図2) 。 で回復したが搾乳牛及び哺乳子牛各 1 頭が敗血症 このほか、死亡牛損失額、獣医衛生費等を合わ により死亡した(表1) 。 せて本症例の経済的損失額は 120 万円以上と推計 治療は、オキシテトラサイクリンまたはカナマ された(表2) 。 イシンの筋注または静注、重症牛については 5% 細菌学的検査:10 月 18 日採材した 7 頭の直腸便 平成25年度東京都家畜保健衛生業績発表会集録(2015) - 21 - 表2 牛サルモネラ症による経済的損失額 ○出荷乳量の減少: 発病前 15 日間の平均出荷乳量=583 ㎏/日 出荷乳量の最大減少量=△333 ㎏/日(57%減) 出荷乳量の総減少量=3,841 ㎏/35 日間(平均 110 ㎏/日) 損失乳代=3,841 ㎏×@99.18 円/㎏=380,950 円 ○死亡牛:搾乳牛(妊娠牛)1頭、 哺乳子牛♂1 頭 計 650,000 円 ○獣医衛生費:治療費 計 135,000 円 生菌製剤及び消毒薬購入費 ○その他:子牛の出荷遅延 ふれあい事業(子牛の貸与)自粛 糞尿の外部委託処理自粛 出荷月日 総額 120 万円以上 図2 牛のサルモネラ発症牛群の出荷乳量の推移 については、その時点では未発症の 2 頭を含め7 頭全頭からSTが分離された。10 月 23 日実施し た飼養牛全頭検査では 37 頭中 31 頭の直腸便から STが分離された。さらに、牛群全体の症状の回 復後についても定期的に3回、全頭の直腸便検査 を実施した結果、経過とともに保菌牛は大幅に減 少したが、3 月 12 日の検査時でも 1 頭が陽性で あった(表3) 。 環境材料からの ST 分離検査では、畜舎床塵埃、 飼槽、ウォーターカップ、オガクズからSTが分 離された。しかし、ラップ内の変敗したサイレー ジからは分離されなかった(表4) 。 薬剤感受性検査成績は、7 頭由来の 7 株全てが 同一の性状を示し、ペニシリン系 (ABPC, PCG, MDIPC, MCIPC, AMPC)、テトラサイクリン系 (OTC, DOXY)、エリスロマイシンおよびストレプトマイ シンに耐性を示した。なお、獣医師によると、治 療に用いたテトラサイクリンは、薬剤感受性試験 で耐性と判定されたことから、一部の発症牛には カナマイシン製剤を投与したが、治療効果はテト ラサイクリンの方が認められたとのことであっ た。 死亡した搾乳牛および子牛各1頭の細菌検査で は、主要臓器、消化管内容等の広範な部位からS Tが分離された(表5) 。 表3 飼養牛直腸便からのS. Typhimurium分離成績 検査月日 発症中 回復後 備考 * - - + - + ・ + 廃用 + ・ ・ - - - ・ - - + - ・ * - - - - ・ - - + - ・ - * + + + ・ + * - + - ・ - * - + - + - * + + - ・ - - + - ・ - * - + - ・ - * + + + ・ + * + - + ・ + - + - + - * - + - ・ - - + - ・ - * - + - + - * * - 廃用 + - ・ - - 廃用 - - ・ - - + - ・ - * - + - ・ - * - + - + - * + + - ・ - * - + - ・ - * - + - ・ - * ・ 死亡 + ・ + ・ * - + - ・ - - + - ・ - - + - ・ - * - + - ・ - - + - + - * * ・ 死亡 + ・ ・ ・ 哺乳 - 出荷 + ・ ・ ・ 哺乳* ・ 出荷 - ・ ・ ・ 育成 ・ 出荷 - ・ ・ ・ 育成 ・ 出荷 + ・ ・ ・ 育成 ・ 出荷 ・ ・ ・ - 哺乳 ・ 預託帰還 ・ - ・ - 導入 ・ 預託帰還 ・ - ・ ・ 導入 ・ ・ - ・ ・ 哺乳 計 *:発症牛、牛№~は牛群が回復後に出生または導入した牛 +:陽性、-:陰性、・:未検査 牛№ 病理学的検査:死亡した搾乳牛の解剖所見は、心 筋の出血斑、十二指腸から結腸までの消化管粘膜 平成25年度東京都家畜保健衛生業績発表会集録(2015) - 22 - - 平成 1 - 年度東京都家畜保健衛生業績発表会集録 表4 環境材料からのS. Typhimurium分離成績 表5 死亡牛のS. Typhimurium 検査成績 の充出血、膀胱粘膜の充出血等が認められ(写真 考 察 表5 1) 、死亡哺乳子牛では、回腸は広範に漿膜およ び粘膜の充うっ血が見られ、腸間膜リンパ節の腫 本症例は、40℃前後の発熱と悪臭ある水様性 大、暗赤色化、肝の軽度腫大、脳膜の充血が認め 下痢および一部粘血便を主徴とする臨床症状を呈 られた。 し、短期間で牛群全体に伝搬した。大部分の牛は 病理組織学的検査では、肝細胞の広範な変性、 抗菌剤及び生菌製剤による治療で回復したが重症 壊死、リンパ球等の細胞浸潤、胆汁栓等がみられ、 例では敗血症により死亡した。このような臨床所 壊死巣の中にグラム陰性の菌塊が認められた。同 見と発症牛の直腸便から高率にSTが分離され、 部位はサルモネラO4群抗血清による免疫組織学 さらに、死亡牛2頭の細菌学的および病理学的検 的染色で陽性を示した(写真2) 。 査結果から、STによる牛のサルモネラ症と診断 ウイルス学的検査:簡易キットによる検査では、 した。 鼻腔ぬぐい液でアデノウイルスが2頭、RSウイ 今回の感染源のSTの侵入経路としては、ST ルスが1頭で陽性反応を示した。糞便由来材料で に汚染した変敗サイレージの給与が疑われたが、 はすべて陰性であった。PCR検査はすべて陰性 飼槽残渣のサイレージからはSTが分離されたも であった。培養細胞を用いたウイルス分離検査で のの給与前の変敗サイレージからは分離されな もすべて陰性であった。 かった。また、同一サイレージを給与している他 防疫対策:発症牛の治療のほか、防疫対策として 農場での発生がなかったことから、感染源は特定 飼養牛全頭のST保菌状況調査及び畜舎環境材料 できなかった。 からのST分離検査と平行して逆性石けん液およ 発生およびまん延の要因としては、変敗サイ び石灰乳による畜舎床面、腰壁等の消毒、さらに レージ給与による飼養牛のルーメン機能が低下 施設の老朽化により消毒が不完全と思われた飼 し、感染し易い状態となっていたこと、老朽化し 槽、ウォーターカップの清掃と熱湯消毒を実施し た飼槽およびウォーターカップの清掃、 消毒不良、 た。このほか、変敗サイレージの給与中止、糞尿 敷料と糞尿の運搬にバケットローダーを共用して 処理の外部委託の一時中止、ふれあい事業への参 いたこと等が考えられた。 加自粛を指導した(表6,写真3) 。 搾乳牛のサルモネラ症は、泌乳量の低下と抗菌 剤投与に伴う生乳の廃棄等による経済的損失が非 常に大きく問題となっている 1 ~ 3,6 ~ 8)。本症例に 平成25年度東京都家畜保健衛生業績発表会集録(2015) - 23 - HE染色 O4群抗血清による免疫組織染色 写真1 高度に削痩した死亡牛と解剖所見 HE染色 グラム染色 写真2 死亡搾乳牛の肝の病理組織所見 上段右:消化管の出血、 下段左:膀胱粘膜の出血、下段右:心筋の出血斑 上段:HE染色、 下段左:O4群抗血清による免疫組織染色、 下段右:グラム染色 表6 実施した主な防疫対応 項 目(実施者) 1.発症牛の治療 (獣医師・飼養者) 2.飼養牛の保菌状況調査 (家保) 3.環境材料のサルモネラ 検査(家保) 4.畜舎等の消毒 (飼養者・家保) 5.その他(飼養者) 防疫措置 ・OTC、カナマイシン 筋注 or 静注 ・重症例 5%ブドウ糖、 リンゲル輸液 ・生菌製剤の投与 ・5回 (10/18, 23, 30, 1/17, 3/12) ・4回 (10/23, 11/2, 30, 1/17) ・石灰散布、出入口石灰帯設置 ・塩化ベンザルコニウム (10/23) ・石灰乳塗布 (10/23, 11/2, 30 ) ・飼槽熱湯消毒 (1/17) ・変敗サイレージ給与中止 ・糞尿処理の外部委託中止 ・ふれあい事業への参加自粛 写真3 老朽化した飼槽、 ウオーターカップ(左上下) と石灰乳と熱湯による消毒 ( 右上下 ) おいても出荷乳量の大幅な減少、死亡牛2頭、獣 2) 佐藤静夫:わが国における牛のサルモネラ 医衛生費の増加等から少なくとも 120 万円以上の 症 の 発 生 状 況 と 対 策, 臨 床 獣 医,24(3) , 損失額となった。 10-15(2006) そのため、本症は予防対策が重要であることか 3) 髙田 陽,荒木尚登,池田暁史,竹前愛子, ら、定期的な畜舎施設の清掃、消毒や野生鳥獣の 太田和彦,福岡静男,小菅千恵子,安藤正樹: 侵入防止対策、濃厚飼料多給や不良な飼料給与を 管内一酪農家における牛サルモネラ症の発生 さけルーメン機能を正常に維持することなど、継 と対応,平成 21 年度神奈川県家畜保健衛生 続的に酪農家に対するサルモネラ症予防対策への 業績発表会集録,8 (2009) 注意喚起の必要がある。 4) 玉村雪乃,内田郁夫:牛サルモネラ症由来株 の分子疫学的解析,北獣会誌,56, 257-162 引用文献 (2012) 1) 磯田加奈子,内田 茂:一酪農場で発生した 5) 橋本和典:サルモネラ症,清水悠紀臣ほか編, サルモネラ症への対応、平成 20 年度東京都 獣医伝染病学,第5版,122-123,近代出版, 家畜保健衛生業績発表会集録,27-31 (2009) 東京(1999) 平成25年度東京都家畜保健衛生業績発表会集録(2015) - 24 - 6) 細字晴仁,仲澤浩江,松尾綾子ほか:管内酪 農家で発生したサルモネラ症への迅速な対応 と成果,平成 24 年度神奈川県家畜保健衛生 業績発表会集録,1-6 (2013) 7) 中村政幸:牛のサルモネラ症~子牛から搾乳 牛へ~,臨床獣医,30(2),10-14 (2012) 8) 中岡祐司,立花 智:北海道における牛サル モネラ症の現状と対策,家畜診療,57(5), 279-285 (2010) 平成25年度東京都家畜保健衛生業績発表会集録(2015) - 25 -