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国木田独歩の風景の発見 ―佐伯時代に着目して

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国木田独歩の風景の発見 ―佐伯時代に着目して
国木田独歩の風景の発見
―佐伯時代に着目して―
A study on the “discovery” of landscape by Doppo Kunikida
-Focusing on Saeki period時空間デザインプログラム
13_10091 中川嵩章 Takaaki NAKAGAWA
指導教員 齋藤潮 Adviser Ushio SAITO
第1章 序論
1-1, 研究の背景と目的
1900 年前後の明治後期は西欧文明の受容がなされ、古代か
ら中世の意味をもった「歌枕的風景」から、眼に映じる景観
つまり視覚の風景に転換する1。この転換期を代表する文豪国
木田独歩(以下、独歩)は、1898 年(28 歳)
(以下、数え年)
の『武蔵野』や『忘れえぬ人々』において、ありふれた風景
を描く2。『忘れえぬ人々』で「アノニマスな(無名の)人」
を発見することは、
『武蔵野』で名所や旧跡と切り離された「風
景の発見」をすることと同じ様に語ることが出来る。
独歩は 23 歳から 24 歳にかけての 10 ヶ月間、大分県佐伯
に滞在する(以下、佐伯時代)
。このときカーライル、ワーズ
ワースの書を読み、山野を歩き回ってその自然に親しむ。日
記『欺かざるの記』
(以下、日記)でも明瞭なように、佐伯は
独歩の文学の出発点とも云える所である3。
以上より、日記の佐伯時代の部分と佐伯時代に関する文学
作品を分析対象として、独歩がアノニマスな人をまなざす要
因とその実態を明らかにすることを、本研究の目的とする。
1-2, 研究の位置付け
本研究に関連する研究は、独歩作品における風景を分析し
たものとして岡島4の研究、独歩の佐伯時代を対象としたもの
として小野5の研究がある。本研究は、風景の発見という観点
からアノニマスな人をまなざすことに着目し、その要因と実
態を、佐伯時代に基づいて明らかにする点で独自性がある。
1-3, 研究の構成
第 2 章では「風景の発見」と佐伯時代についての既に得ら
れている知見を把握し、分析と考察の土台とする。第 3 章で
は日記の頻出語分析から西欧の影響を、第 4 章では文学作品
の描写分析から独歩の着眼点を明らかにする。第 5 章でそれ
らを総合して佐伯時代にみる「風景の発見」を考察し、第 6
章を結論とする。
佐伯は江戸時代から佐伯藩の城下町として栄えた歴史を持
つ。佐伯時代の独歩は、鶴谷学館という学校で、有識者を生
徒に英語と数学を教える。10 ヶ月の滞在の内 8 ヶ月間を坂本
永年邸で下宿し、裏山にあたる城山へよく散歩する。
第3章 日記の頻出語分析にみる西欧の影響
3-1, 分析方法
本分析における対象を、日記の佐伯時代の部分(10 ヶ月分、
約 12 万 5,000 文字)とする。日記には当時の素直な興味・関
心・情熱・苦悶などが綴られている。膨大な文量であるため、
頻出語の分析によって、独歩が佐伯時代に受ける影響を明ら
かにする。その際に以下の 3 つの方法を用いる《図表 2》
。
方法①
強い影響を示す単語に焦点を絞るために、単純に単語の記載の総数を
カウントする。
単語の記載数の月ごとの変化を追う。ただし、月ごとの日記の文量自体
方法②
に差があるため、まず、月ごとに(単語の記載数)をカウントし、次に、(単
語の記載数)に(月平均の日記の文量/その月の日記の文量)をかけた
値を用いる。
方法③
ある単語と結びつきの強い単語を分析するために、ある単語が含まれる
パラグラフを抜き出し、その中で単語の記載の総数をカウントする。
図表 2 頻出語分析の方法
3-2, 頻出語分析
通常の単語については、上から「自然」
、
「人間」
、
「事実」
が多く《図表 3》、「事実」は 11 月の記載数が突出して多い。
方法③を用いると、11 月の独歩は、特に「人間」を「事実」
として観ていたことが分かる《図表 4》。これは、独歩のアノ
ニマスな人の発見が 11 月に集中していることを裏付ける。
図表 3 単語の記載の総数
横文字の人物名については、
「ワーズワース」と「カーライ
ル」からの影響が強い。
「カーライル」と結びつきが強く、
《図
表 3》にない特徴的な単語として、
「英雄」と「不思議」が得
られる《図表 5》。カーライル『英雄論』で、「事実」は重要
なキーワードとして使われている。
第2章 独歩に関する既往知見の整理
2-1, 風景の発見に関する知見
本研究では李の文献6を参考に用語を《図表 1》のように定
義する。柄谷は、
「風景の発見」がなされた理由を、
「ある内
的な転倒」
(
「内面の発見」による価値転倒)であると述べた7。
歌枕的風景
伝統的な名所旧跡の類を描いた風景
アノニマスな風景
近代以前はことさら風景鑑賞の対象ではなかっ
た、どこかにありどこにでもあるような風景
風景の発見
1900 年前後に先進的に「アノニマスな風景」をま
なざす現象
アノニマスな人
特定の繋がり(家族、知り合いなど)のない平凡人
図表 1 用語の定義
2-2, 独歩の佐伯時代に関する知見
独歩は 1871 年に千葉県銚子に生まれ、少年時代を山口県
で過ごす。18 歳で上京し東京専門学校(現在の早稲田大学)
英学部に入学すると、在学中に受洗する。
図表 4 11 月の「事実」を含む
パラグラフにみる単語の記載の総数
図表 5 「カーライル」を含む
パラグラフにみる単語の記載の総数
3-4, 小結
独歩が初めてカーライルの書を読んだのは 20 歳の夏であ
るが、佐伯に来た 10 月に初めて『英雄論』の本旨を悟り、自
らが「英雄」となって、人を教え導くという使命感を抱く。
独歩はカーライルの云う「事実」を追究しようと、あえて世
間から一歩引いた場所に身を置き、観察をする。独歩にとっ
て「事実」とは、天地間に(天の下に地の上に)
「人間」が営
む生活のことであり、その「生活」とは、自然と調和したも
のである。その結果、11 月の独歩は、カーライル『英雄論』
から影響を受けた「事実」というキーワードを通して、
「自然」
と密着した生活を営む「人間」
(アノニマスな人)をまなざす。
ワーズワースの影響は、自然と密着した生活を営む人間を「事
実」と捉える所に見ることが出来ると考える。
第4章 文学作品の描写分析にみる独歩のまなざし
4-1, 分析方法
本章では、独歩がアノニマスな人に向けたまなざしの実態
を明らかにする。本分析における対象を、独歩が生前に発表
した文学作品の内、佐伯が舞台となっている 5 つのものとす
る《図表 6》。まず、対象作品から主要登場人物以外の人物描
写が含まれるパラグラフを抜き出す。次に、そこから着眼点
を抽出し、枠組みを分析する。
出版年月
タイトル
主要登場人物
1895 年 5 月
豊後の国佐伯
紀州乞食
1897 年 8 月
源叔父
1898 年 8 月
鹿狩
源をぢ、妻百合、子幸助、
紀州乞食、女乞食、宿の主人夫婦
鹿狩の同行人、猟師、
おとっさん、おっかさん、兄さん
1900 年 12 月
小春
小山
1904 年 3 月
春の鳥
六蔵(白痴少年)、六蔵の母、田口
図表 6 描写分析の対象作品
4-2, 描写分析
27 のパラグ
ラフから抽出さ
れた 81 の着眼
点を分類し、相
互関係と大きな
枠組みを分析し
たものが《図表
7》である。
まず、独歩の
着眼点の大きな
枠組みは、Ⅰ,Ⅱ,
Ⅲの 3 つに分け
られる。次に、
色で塗りつぶさ
図表 7 アノニマスな人を取り巻く描写にみる
れた枠組みはフ
独歩の着眼点の枠組み
ィールドを表す。
多くのフィールドで、自然と生活が密着している。その境界
にまとめられるのが、破線で囲まれたアノニマスな人の描写
である。アノニマスな人を介して、自然と切っては切り離せ
ない生活の実際が描かれている。
4-3, 独歩の足跡と佐伯の環境
本節では、独歩の足跡と、当時の佐伯の環境との関係を考
察し、
《図表 7》のⅢ,「生活」をまなざす動機を検証する。
4-3-1,【動機①】まちが寂然としている
【例】月の光、夕の香をこめて僅に照りそめし頃河岸に出づ。村々浦々の人、既に舟と共に散じて昼間の
喧しきに似ず最と寂びたり。白馬一匹繋ぎあり、忽ち馬子来り、牽て石級を降り渡船に乗らんとす。馬懼
れて乗らず。二、三の人、船と岸とに在って黙してこれを見る。馬漸く船に乗りて船、河の中流に出づれ
ば、灘山の端を離れて冴え冴えと照る月の光、鮮かに映りて馬白く人黒く舟危し。何心なく眺めて在りし
吾は幾百年の昔を眼前に見る心地して一種の哀情を惹きぬ。(
『小春』
)
船頭町界隈では、河岸が賑わって
日常的に小舟を使うような、川と密
接した暮らしが江戸時代から続い
ていた。そこは鶴谷学館などの独歩
の生活空間のすぐ近くにある《図表
8》
。独歩は、昼間は賑わう船頭町界
隈を夜に散歩することで、哀れを感
じ、その対照で「人々の声」に象徴
される生活の賑わいをまなざす。
図表 8 船頭町界隈
4-3-2,【動機②】人寰から離れて寂しい
【例】この時自分の端なく想出したのは佐伯にいる時分、元越山の絶頂から遠く天外を望んだ時の光景で
ある。山の上に山が重り、秋の日の水の如く澄んだ空気に映じて紫色に染り、その天末に糸をひくが如き
連峯の夢よりも淡きを見て自分は一種の哀情(メランコリー)を催し、これら相重なる山々の谷間に住む
生民を懐わざるを得なかった。
(『小春』)
独歩は佐伯時代を通して近郊の村々や山々に遠行する。そ
の足跡は、佐伯を中心に南海部群の広域に及んでいる。この
人寰を離れる寂しさに起因して、人々の生活している姿を想
起して懐かしむ心持に至る。
4-3-3,【動機③】近代化によって環境が変わった
【例】かくて、二年過ぎぬ。この港の工事半ば成りしころ、我ら夫婦島よりここに移りて、この家を建て、
今の業を始めぬ。山の端削りて道開かれ、源をぢが家の前には今の車道出来、朝夕二度に、汽船の笛鳴り
つ。昔は網だに干さぬ荒磯はたちまち今の様と変はりぬ。されど、源をぢが渡船の業は昔のままなり。浦
人・島人乗せて城下に行き来すること前に変はらず、港開けて車道出来、人通り繁くなりて、昔に比ぶれ
ばここも浮世の仲間入りせしを、彼はうれしともはた悲しとも思はぬさまなりし。(
『源叔父』)
佐伯は明治に入り、徐々に近代化の道を辿る側面がある。
これとの対照で、独歩は「昔と変わらない生活」をまなざす。
第5章 考察
5-1, 『忘れえぬ人々』への応用
【動機①】と【動機②】は『忘れえぬ人々』の中でも確認
できる。独歩は佐伯時代を通して佐伯の環境の中でかまえを
獲得したと考察できる。かまえとは、体験者の環境に対する
構え方のことで、風景とは眺める対象として「対象化」され
てはじめて成立するものであるという考え方に基づく8。
5-2, 佐伯時代にみる「風景の発見」
独歩はカーライル『英雄論』の影響を受け、世間から一歩
距離を置くように、町、村々、山々を歩く。これは、カーラ
イル云う「事実」を追究する過程と言える。独歩は哀れ・寂
しさを催し、その対照で自然と密着した生活の実際を営むア
ノニマスな人をまなざす。このまなざしは、今までの歌枕的
風景を描くまなざしとは違う点で、
「風景の発見」として取り
上げられるが、ありふれた自然や人を描くという、現象の表
面的なところしか残らない。この点で「風景の発見」は形骸
化していると言える。それに対し、アノニマスな人をまなざ
す「風景の発見」という現象を佐伯時代にみると、独歩の中
で劇的な変化(内的な転倒)があったのではなく、むしろ西
洋の視点を自分に取り込もうと追究する過程において風景が
生成されたと言うべきだろう。
第6章 結論
6-1, 結論
・独歩がアノニマスな人をまなざす要因として、カーライル
『英雄論』の影響を明らかにした。
・独歩がアノニマスな人をまなざす実態を以下のように明ら
かにした。カーライルの云う「事実」を追究するために、独
歩は世間から一歩引いた場所に身を置くが、そこで哀れ・寂
しさを催し、その対照でアノニマスな人をまなざす。
・
「風景の発見」を佐伯時代にみると、西洋の視点を自分に取
り込もうとがむしゃらに追究する過程において、独歩の無意
識のうちに風景が生成されたという考察を得た。
6-2, 今後の課題
・本研究は独歩という一文豪の一時代のみを分析対象として
いる。今後、佐伯時代以外、独歩以外についても同様に「風
景の発見」を分析する必要がある。
参考文献
1 西田正憲(2008):自然風景へのまなざしの変遷と新たな風景視
点、ランドスケープ研究 68(2) / 2 柄谷行人(2008):定本 日本近代文学の起源:
岩波書店 / 3 小野茂樹(1959):若き日の国木田独歩 佐伯時代の研究:アポロ
ン社 / 4 岡島直方(2012):国木田独歩『忘れえぬ人々』に描かれた「風景」の性
質、南九州大学研究報告(42) / 5 前掲書 3 / 6 李孝徳(1996):表象空間の近
代 明治「日本」のメディア編制:新曜社 / 7 前掲書 2 / 8 吉村晶子(2004):原風
景の生成に関する研究:ランドスケープ研究 67(5)
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