Comments
Description
Transcript
中国と日本の行政指導の比較研究 - 横浜国立大学教育人間科学部紀要
中国と日本の行政指導の比較研究 ──行政指導から見る日中モデルの相違── 王 昕 序 導についての研究の多くは日本の学者の研究を まとめているもので,主な関心は中国で行政指 日本では戦後から高度成長期にかけて,繊維 導をいかに適用するかということである.行政 産業や電子産業など幅広い範囲において,生産 指導がなぜ日本社会に多用されるか,また,行 量と価格を制限する行政指導や,合理化カルテ 政指導を中国に適用する際に注意すべき問題点 ル・不況カルテルを組織するための行政指導な などという問題意識から研究しているものは極 どが行われていた. これらを実現するためには, めて少ない.ここでは中国で行政指導について 当時通産省が持つ外貨割当権限や日本独特の緊 の具体的議論と主な研究を取り上げたい. 密たる官民関係,ボトムアップ型の行政方式な 1) まず,毛桂荣(2005) は日本の行政指導の概 どが大きな役割を果たした.自由化の進展につ 念,分類,性質などをまとめた上で,行政指導 れて,通産省の外貨割当権限が喪失しつつ,生 2) の機能と問題点を取り上げた.闫尔宝(2011) 産制限・価格制限の行政指導は段々行いがたく は日本の行政指導の背景,定義と性質,種類と なった.他方,法制の健全化に伴い,行政指導 形式,行われた原因,実効性の保障,行政指導 の不透明性などの欠点が段々と自覚されるよう と法治主義の視角から日本の行政指導について になり,1993 年に公布された行政手続法にお まとめている. いては,行政指導について明確に規定し,世界 行政指導の日中比較に関する研究は少ないが, 初の行政指導手続法とも呼ばれるようになっ 3) 4) 主とするのは陳斯彬(2008) と陳斯彬(2009) た.行政指導は日本社会の独特な土壌から芽を の研究である.陳(2008)は日中の行政指導に 出し,近代化の流れの中で,その非近代的特質 ついて歴史的な視点から比較を行い,その異な が自覚されるようになり,今日の日本では如何 る背景を指摘した.第 1 に文化の面から,日中 に法律上で不当な行政指導を制限するかという は共通する国民文化心理を有し,政府に対する ことこそが課題であるようになっている. 一方, 日本と一衣帯水の隣国である中国では, 行政指導を巡って行政研究者の中で,近年様々 な議論が起こっている.その論調の多くは行政 指導を非強制的でソフトな行政手段として認識 し,行政指導が官僚制に対するメリットを重要 視し,その不透明性などのデメリットを重んじ ていないと感じられる.また,中国での行政指 1)毛桂荣「行政指导在日本─新近变化的研究」 『东南学术』 (2005 年第 1 期) . 2)闫尔宝「日本的行政指导:理论,规范与救济」 『清华法学』第 5 巻 2 号(2011 年) . 3)陈斯彬「日中行政指导的历史之维」『华侨大 学学报』 (2008 年第 4 期) . 4)陈斯彬「作为行为和制度的行政指导─日中 行政指导比较研究」『环球法律评论』 (2009 年第 6 期). 74 (516) 横浜国際社会科学研究 第 19 巻第 6 号(2015 年 2 月) 国民の態度は西洋文明と違い,服従的な傾向が 第 4 に,発展レベルにおいて,70 年代以前, 強い.一方,日本の行政文化は伝統文化からも 日本の経済高度成長期に,官と民の経済活動の 制度上からも支持されているのに対し,中国は 空間がわりと大きかったため行政指導のデメ 伝統文化からの支持しかなく,制度上の技術権 リット は 深刻 で は な かった が,70 年代以降特 限体系が存在しないという. に 90 年代の金融危機を経て,そのデメリット 第 2 に,社会の面から見れば,日本の行政指 が明らかになった.中国では行政指導の歴史は 導は特有の官民協調体制から生まれたが,中国 まだ短い.産業政策において,80 年代から多 の 場合,1978 年改革開放以前 は 計画体制 の 下 くの企業技術改造への指導,機械電力,石油化 で,官と民と一体になり,官は至上の権力を持 学,自動車と建築の四大産業への傾斜的政策, ち, 民は官に依存して独立な法人格はなかった. 1993 年 に は「中西部地域郷鎮企業 の 発展 を 加 当時の政府は命令などの行政手段を多用し,企 速する決定」,1994 年「貧困緩和ための国家計 業は受身の立場で,あくまで不平等な関係で 画」,1995 年に外資を中西部の農業,交通,エ あった.改革開放以降,政と官の分離が始まり, ネルギー発展に優先的に誘導する決定などが出 政府の企業に対するコントロールが弱まった. された.中国の行政指導は国家と市場,政府と 改革開放当初,市場経済体制下の法律はまだ不 企業の間の関係を協調させ,有効かつ良性的な 健全であり,政と官の行為を規定する法も不十 ものであり,日本の行政指導と比べて比較的に 分であった.1994 年に制定された「90 年代国 単純なものだと指摘している. 家産業政策綱要」は日本の審議会制度を模倣し, 陳(2009)は 行政指導 が 機能 す る 領域,形 政府,産業界,学界と消費者の意見調整の場と 式,実効性などの角度から日中比較を行い,日 して産業政策審議会を作り出した. 本の行政指導はひとつの制度として存在してい 第 3 に,行政指導の起源について,日本の場 るが,中国の行政指導はひとつの行政行為とし 合,統制経済と深い関係がある.特に戦後復興 て存在するという結論を得た.日中の行政指導 期に通産省が為替割当権限を失い,多くの産業 の類似するところについて,まず,経済行政領 政策が行政指導という手段で行われた.中国で 域特に産業政策において行政指導の運用は早く は,1952 年政府 は 多様 な 経済構成要素 を 単一 て,実例も多い.第 2 に,行政指導は日中行政 の公有制へと誘導するため多くのデモンスト の各領域に広げられ,伝統的な警察行政でも現 レーションや誘導政策が実施された.これらは 代的な給付行政でも行政指導の影が見える.こ 中国における最初の行政指導の試行であると れは東アジアの法の伝統的な特質でもあり,現 いわれた.1978 年以降の計画経済から市場経 代行政と近代行政の分岐点でもある.行政指導 済への移行の過程で,行政指導という行政手段 の現代行政との相性は,近代行政との相性より が段々と重視されるようになり,よく使われる もよいところがある.日中の行政指導の相違点 ようになった.陳は日本の行政指導の誕生と応 について,日本の行政指導の発展は実践の産物 用は国家権力の拡張の象徴である一方,中国の であり,行政法理論はその現実を認めざるを得 行政指導は国家権力の自己抑制の象徴であると ない.行政指導が行われた理由は市場経済への 指摘した.その原因は 1950~60 年代日本の市 移行によって,国家が経済へ介入する権力は弱 場経済法体制は比較的に発展していて,政と官 くなってからである.一方,中国の行政指導の の関係は法律で明確に規定されているが,中国 発展は実践からではなく,1982 年憲法に政府が の改革は経験したことがない試験的なものであ 指導する職能が明確に規定され,それに基づい り,政府は権力を慎重にリリースするわけで, て政府部門が日本の経験を学び,行政指導の実 行政指導はその試金石の役割を果たした. 践へと繋がったのである.中国の行政指導は抽 中国と日本の行政指導の比較研究(王昕) (517) 75 象的なものが多く,内容としてもマクロ的なも で生まれたものとしている.第 2 に,行政指導 のが多い.例えばマクロ経済に対する指導的な の性質について,多くの学者の共通認識と同じ 計画がそうである.また,日本の行政機関が行 く,行政指導は非権力的,非強制的,ソフトな 政指導を行う際,制度的保障や法的保障を見つ 行政手段 で あ る と 考 え て い る.ま た,莫于川 けなければならない,一方,法的責任を問われ (2005)に よって,行政指導 の 過程 に お い て, ないようにできる限り不明瞭な形で行政指導が 行政機関と行政相手方の関係は平等的,公平的 済むのである.中国では計画体制時代から残さ であり,相手方の同意を得た上で,行政目的を れた行政機関の権威性がありながら,憲法に政 達成する手段として,伝統の強制的行政手段よ 府が指導する権利が規定されているから,中国 りは民主的であると主張している. の行政機関はその苦労を知らず,正々堂々と行 筆者はこのような数多くの先行研究に基づい 政指導を行っている.更に,中国の上級行政機 て,日本と中国の行政指導についての比較研究 関がある生産目標を設定し,下級行政機関にこ を 行 う.本稿 で は,日本 の 行政指導 に 関 し て の生産目標を完成するよう任務付け,下級行政 は,戦後高度成長期に行政法学者と官僚の間の 機関が更にその下の行政機関に任務付け,結果 論戦及び日本社会の特徴を論じたうえで,日本 的に任務完成できない行政機関の長官が免職さ の行政指導の特徴,及び行政透明化に向かって れたりするケースも少なくない.このように, その発展を述べる.それに対して,中国の行政 指導的な措置が強制的な命令になり,行政機関 指導に関しては,先ずは 1978 年前後における の業務評価の一種の基準にもなっていて,官僚 中国社会の変化,及び 1978 年以降その発展の の昇進や左遷にも関係付けていると主張する. 特徴について論じる.そして,それに基づいて 中国で行われてきた行政指導についての先行 中国の行政指導が生まれた社会的基盤──本稿 研究のうち,莫于川が 2005 年に発表した『法 は「官」と「民」夫々の視角──から分析を行 治視野の中の行政指導』という文献が中国で行 う.最後の結論の部分では,行政指導が近年中 政指導についての研究の扉を開いたといわれて 国で議論される原因を述べたうえで,それらの いる5).その基本論調として,第 1 に,行政指 理由と異なる見方と提言をする. 導の普遍性について,行政指導は日本的なもの ではなく(著書の中では行政指導はただの「日 1.日本の行政指導とその社会的基盤 本料理」ではないと述べている) ,特に第 2 次 1―1 日本の行政指導についての議論 世界大戦後,その利点が認識され,世界中に利 日本の行政指導がよく論じられていたのは戦 用されるようになっていると主張し,行政指導 後の高度成長期のことである.特に,1980 年 は現代行政の特徴を有し,現代行政の流れの中 と 1985 年の石油ヤミカルテル事件判決から通 5)莫于川は中国人民大学教授,中国人民大学憲 政と行政法治研究センター主任であり,中国行政法 研究所所長,中国法学行政法学研究会副会長,政府 法制専門委員会副主任である.専門は中国行政法治 の理論と実践問題である.行政指導の研究につい て,2005 年にその集大成となる著書『法治視野中的 行政指導』 (中国人民大学出版)が 出版 さ れ た.莫 于川(2005)は 9 つの章から成り立つ.第 1 章は行 政指導の基本理念についてである.第 2 章は行政指 導が行う歴史的背景について,行政指導は市場経済 と行政方式発展の産物であり,民主化潮流の産物で もあると述べている.第 3 章は行政指導の域外経験 について,日本のみならず,韓国,アメリカ,イギ リス,フランス,ドイツ,EU の行政指導について の法律規定,特徴,背景などを述べている.第 4 章 は理論分析,つまり行政指導の法学的理論根拠を述 べている.第 5 章行政指導の法治的基礎について, 行政指導が中国での発展を述べている.第 6 章は行 政指導の手続法上の問題を巡って述べられている. 第 7 章は行政指導の監督救済について,第 8 章は行 政指導の実際運用について,最後は行政指導の制度 的建設についてである. 76 (518) 横浜国際社会科学研究 第 19 巻第 6 号(2015 年 2 月) 産省の石油業界に対する行政指導の実態が明ら さらに,一部の外国学者は高度成長期の日本 かになるにつれて,行政指導の実態についての の成功を行政指導に帰している.例えば,代 関心も強くなった.また,行政指導と関連する 表的 な の は Chalmers Johnson(1982)の 有名 リクルート事件など一連の腐敗事件から言う な『通産省と日本の奇跡』である.Johnson は と,通産省が戦後経済復興期から行ってきた生 当時の日本の通産省は水先案内人として発展指 産調整の行政指導が,業界の贈賄工作の対象と 向という面で最も積極的な影響力を行使し,産 されたことになる. こうした相次ぐ汚職事件は, 業政策の策定かつ実施をしていたと評価し,戦 行政指導の蔓延が,行政の腐敗のみならず政治 後日本の高度成長は通産省の主導による産業政 の腐敗に直結しがちである事を教えている.行 策を通して達成されたと主張し,日本成功の 政指導は,従来から言われている産官癒着問題 秘密を政府の指導に帰している9).また,E. F. を超えて,産官政の癒着を下にした政治の限り ヴォーゲル(1980)の『ジャパン・アズ・ナン 6) ない腐敗を生み出しかねない . バーワン』においては,通産省の役人はどんな このような一連の事件の発覚によって,行政 問題に対しても,杓子定規的なアプローチの仕 指導に関する議論が呼び起こされていった.そ 方はせず,めまぐるしく情勢の変わる時代にお の主な論調は二つに分けられる.一つは行政指 いては,法律や慣行に従って行動するよりも, 導の利便性を主張し,その正当性を弁護する論 個人の感覚や状況の特殊性に応じて臨機応変に 調である.例えば,山内(1984)の研究によれば, 行動したほうがよいと彼らは考えていると,日 行政指導には 5 つの効用がある.第 1 に,行政 本の行政指導を論じている10). 指導の応急性,第 2 に,行政指導の簡便性,第 一方,もう一つの意見として,行政指導の欠 3 に,行政指導 の 温情性,第 4 に,行政指導 の 点を中心として論じる.先ずは,法治主義の立 穏便性と第 5 に,行政指導の隠密性が挙げられ 場から見れば,行政指導は法治主義の空洞化を る7).これらは全て官僚側にとっての便利性であ 引き起こす恐れがある.田中(1976)は行政指 る.ま た,小野(1999)に よ る と,行政指導 と 導の法的根拠を巡り,「行政組織法は,各行政 法律は車の両輪を形成し,行政指導は「産業政 機関相互間の権限の配分 ・ 帰属とか,権限行使 策の神髄」ともいえるものであると評価してい の指揮 ・ 監督とかに関する定めであり,各省設 る.産業政策の方法論的側面から見ると,その 置法等の定めはその省の所管権限の内容及び各 多くは法的手段よりも「行政指導」に依存してい 部局間の権限の分配・帰属を明らかにしたもの る.即ち,通産省が対象とする業界の広汎さから に過ぎない.ところが,いわゆる法治主義とか すれば,同省所管の法律がカバーする分野は極 法律による行政といわれる場合の法律というの めて限られたものとなっている.又,その数少な は,行政作用そのものの根拠又は基準を定める い法律そのものにしても,いわゆる「法律事項」 ものを指すことはいうまでもない.若し,それ はほとんど存在しないと認められ,まさに,その が行政組織法上の根拠があれば足りるというの ことが,産業政策の「ソフト・時限性」という性 であれば,各省設置法等の定めるところによ 8) 格を担保してきたのであると主張する . 6)新藤宗幸『行政指導─官庁と業界のあいだ─』 岩波新書,1992,pp. 161─162 . 7)山内一夫『行政指導の理論と実際』ぎょうせい, 1984. 8)小野五郎『現代日本 の 産業政策─段階別政策 決定のメカニズム─』日本経済新聞社,1999,p. 29. り,そこに掲げられている所管事項の全てにつ いて,行政権の発動が許されることになり,法 9)Johnson, C., Miti and the Japanese Miracle: The Growth of Industrial Policy: 1925─1975 (Stanford University Press, 1982) , pp. 18─34. 10)Vogel, Ezra F., Japan as No. 1, Harpercollins College Div.(1980) . 中国と日本の行政指導の比較研究(王昕) (519) 77 治主義とか法律による行政の原理は,完全に空 義的,旧憲法的理念と慣行の残滓を認めたうえ 洞化せざるを得ないこととなる.行政指導につ で,日本で真の民主主義理念の浸透と成熟を期 いて,その法律上の根拠を各省設置法等の行政 待していると述べる15). 組織法に求める考え方は,以上の区別を理解し また,新藤(1992)は行政指導と官僚の腐敗 ない誤りを犯しているものといわなければなら は深く関係していると指摘する.前述したリク ぬ」11)と論述している. ルート事件等のように,行政指導は広い範囲に そして,山内(1984)においては,行政指導 おいて腐敗を生み出す可能性がある.外見的に に服するかどうかは建前上は相手方の任意であ 見れば,産業政策における行政指導は価格や生 るが,この建前を前提とすれば,法律的根拠を 産量の調整などの個々の問題への対処として実 設けることなく,行政指導を行っても法治主義 施されているが,それらは業界丸抱えの上で指 に違反しないと論じている12).しかし,行政運 示や指導・助言となっている.この丸抱え指向 営の実際を見るに,行政機関は所与の行政権限 とそれに基づく「行政制度としての行政指導」 を利用して相手方の服従を事実上強要しようと にメスを入れない限り,日本の行政は国内的に する.この意味において行政指導は法治主義を も国際的にも,環境変化への弾力性を失ってい 空洞化する危険を有するといわなくてはならな くと指摘している16). い.その危険が最も大きいのは応急的行政指導 その他,多くの行政法学者が指摘しているよ であると指摘している13). うに,行政指導は不透明性や評価システムの欠 更に,村上(1971)は,行政指導は相手方の 如,行政責任の不明確,公共福祉の軽視,行政 主体的意思を前提としてなされるが故にそう厳 の膨張,行政の密室化,行政の不公平などとい 密に考える必要はないという主張もあるが,国 う問題を伴っている.このような議論に基づい 民生活の中における行政作用の活動範囲が広ま て,1993 年に制定された行政手続法17)は,そ れば広まるほど,従わない場合,その後に行政 から受けるかもしれない不利益に対する懸念は 大きく, 簡単に, 国民の自由な主体的意思によっ て服従,不服従を決定できるものでないと主張 する.そして,彼はアメリカのタフト大統領の 言葉14)を 引用 し,行政指導 の よ う な 非民主主 18. 11)田中二郎『司法権の限界』弘文堂,1976,p. 12)山内一夫(1984),p. 112. 13)同上,p. 113. 14)William H. Taft, Our Chief Magistrate and His Powers, Columbia University Press, 1916, p. 193.「私の信ずるところでは,執行能力に関する正 しい考え方は,大統領は公正な立場で合理的にあ る明白な権限の授与を指摘できないか若しくはそ の行使のために正当であり必要であると明白に認 められる範囲内にないようないかなる権限も行使 することができないことである.それが大統領の 目には公益に合致すると見えるが故に彼が行使で きるというような不明確な残余的権限は何もない. 執行的権限の授与は執行部にはっきりと示された 活動領域内でそれが活動するのに困難を感じさせ ないために通常概括的文言なされる.しかし,そ の権限はそれを肯定する憲法若しくは制定法規定 によって正当化され,しかもその正当さは立証さ れなければならない.さもなければ何も存在しな い……不明確な残余的権限を大統領に帰するのは 危険な教義であって,それは緊急事態において私 権に対して回復しがたい不正義をなす,専制的性 格の結果に導くのであろう」と. 15)村上義弘「行政指導 と 法律 の 根拠」大阪府 立大学経済研究 16 巻 2 号,1971, pp. 42─43. 16)新藤(1992) ,p. 164 17)日本 の 行政手続法制定 の 経緯 に 関 し て, 1948 年 に 臨時行政機構改革審議会 が 行政運営法 制定の準備の必要性を認め,1950 年 10 月に GHQ の示唆に基づいて法制審議会に行政手続法部会が 設けられ,草案が検討されている.しかし,当時 GHQ は行政手続法の制定にさほど熱心ではなく, また,日本においては事前の行政手続の重要性が 学者の間では広く認識されていなかった.1962 年 2 月に発足した第一臨調第三専門部会第二分科会は 168 か条からなる詳細な行政手続法草案を作成し, 1964 年 2 月に公表し,同年 9 月には第一臨調もこ 78 (520) 横浜国際社会科学研究 第 19 巻第 6 号(2015 年 2 月) の第 4 章で行政指導について明確に規定し,世 ていた.岡本清(1998)は紡績産業において明 界初の行政指導手続法ともいわれている.ま 治時代から戦前にかけて合計 11 回の操業短縮 た今日ではほぼ全ての地方自治体が行政手続 の歴史をまとめ,その実態を日本資本主義の特 条例 を 制定 し,情報公開条例 と 併 せ て 行政活 殊性として捉えている18).王(2013)は繊維産 動の透明化が図られている. 業を事例として,戦後から高度成長期にかけて, 行政指導は便利な行政手段として産業構造の調 1―2 日本の行政指導が生まれた社会的基盤 整などにおいて多用されている実態をまとめて 日本の行政指導は戦前の日本社会にも存在し いる19).このように,行政指導は日本で頻繁に 行われていたことは,国内的には日本の独特な れに基づき,行政手続に関する改善意見を答申し ている.行政管理庁はこの答申を受けて,1965 年 に 臨時行政手続法調査会設置 の た め の 予算要求 を 行っているが,この要求は入れられることなく終 わってしまったのである.ダグラス・グラマン事件 の発生を背景として,行政管理庁行政管理局長の私 的諮問機関として,行政手続法研究会が設けられ, この第一次研究会においては,比較法的研究をし, 各省庁から行政手続の制度・実態についてのヒアリ ングを行い,1983 年 11 月に行政手続法法律案要綱 案を公表した.1983 年 3 月の第 2 臨調最終答申に おいて,行政手続法を制定する準備のための臨時の 専門的調査審議機関を設置することとされ,同年 5 月と翌年 1 月の閣議決定においてもこの方針が確 認されている.これを受け 1985 年に第二次研究会 が設けられ第一次研究会要綱案の見直し作業を実 施 し た.1990 年 4 月 の 第二次行革審最終答申 に お いては,行政手続法制の統一的な整備へ向けて,専 門的な調査審議機関を設置して検討すると共に,早 期に結論を得て実施に移すものとすることが提言 され,同年 10 月に発足した第三次行革審は 1991 年 1 月に公正・透明な行政手続部会を設け,同年 7 月 に行政手続法要綱案が公表されている(第一次部会 案) .これに対しては各省庁からのみならず,経団 連行政改革推進委員会,日本行政書士会連合会,税 経新人会全国業議会からも意見書が提出され,また アメリカ政府も行政立法手続を設けること,行政指 導への事後救済について規定することなどの意見 書を出している.同部会の最終報告は 1991 年 12 月 に行政手続法案を国会に提出するようにという閣 議決定が行われている.1992 年日米構造問題協議 のフォローアップ会合の場では,アメリカ政府から 行政手続法の早期制定を促されている.また,同年 6 月には室井力などの行政法学者が第三次行革審要 綱案に対する対案を発表している.1993 年 5 月に 法案が閣議決定され,第 126 回国会に提出された が,衆議院の解散に伴い廃案となり,同年 9 月,第 128 回国会 に 再提出 さ れ,衆参両院 の 内閣委員会, 本会議ともに,全会一致で成立している.宇賀克也 『行政手続法の解説』 (学陽書房,2013)を参照. 官民関係にあると思われる.この独特な官民関 係は稟議制に基づいて,伊藤大一氏がいう「不 完全主義」と「底の抜けた開放的な組織」,大 森彌氏がいう「大部屋主義」等の官僚制的特徴, そして新藤宗幸氏がいう「役所の『片割れ機関』」 として業界・業界団体の組み合わせであると思 われる.他方,国際的には米国をはじめとして, 新自由主義諸国から自由化の圧力の下で,国内 の幼稚産業を保護するためにできる限りの自由 化延期策を実施している.例えば,電子産業に おいて,特にパソコンや半導体産業に関して, 日本政府は行政指導などを通じて大企業の寡占 状態を作り上げ,米国の IBM 等の大手企業と 対抗するようになっている. このような日本の行政指導は戦後の開発主義 の影響の下で産業の育成と構造転換において大 きな役割を果たしていた.この時期に日本の政 治や社会の特徴について,渡辺(2004)は以下 のように指摘した20).第 1 に,政権交代もなく, 自民党一党政権が長く続いてきたということで ある.第 2 に,その裏返しであるが,労働組合 運動やそれをバックにした労働者政党の政治的 影響力が非常に小さいことである.第 3 に,財 18)岡本清「日本紡績操業短縮史論─綿業独占 資本の創成過程」 『秋田経済法科大学経済学部紀要』 (28) ,1998.09. 19)王昕「日本の行政指導─繊維産業を事例と し て」 『横 浜 国 際 社 会 科 学 研 究』第 18 巻 第 3 号, 2013. 20)渡辺治「高度成長と企業社会」渡辺治編『日 本の時代史 27 高度成長と企業社会』吉川弘文館, 2004,pp. 8─14. 中国と日本の行政指導の比較研究(王昕) (521) 79 表 1 日本における制度の進展 制度の移行 中央集権的支配を意図した 戦時デザイン 戦後民主改革 水平的ヒエラルキーを伴う 補完的関係の進化 株主構造 財閥株主の権利に対する制度 財閥解体と株式民主化 乗っ取りからの隔絶手段として経営者 が作り出した株式相互持合 銀行及びガバナンス 構造 指定銀行制度 不良財務問題の一掃における 銀行の関与 メインバンク ・ システム 状態依存型ガバナンス 業界団体 産業統制会 業界団体 官僚制多元主義 中小企業 技術援助のための大企業への 割当 関係の維持 系列 労働者組織 産業報国会 工場管理運動 企業別組合 出所:青木昌彦「意図せざる適合─日本における組織進化と政府による制度設計」青木昌彦等編『東アジアの経済発展と政府 の役割』 (日本経済新聞社,1997 年). 政の構造から見ると,アメリカの「軍事」と西 あった福田赳夫に代表される権威派であり,彼 ヨーロッパの福祉国家の「福祉」と比べて,経 らは岸信介の国家構想を受け継いで,安保闘争 済成長のための社会資本投資,とりわけ公共事 で自民党政治が脅かされた原因は革新勢力の組 業に振り向けてきた経済成長優先の特徴であ 織的な力のせいだと捉えていた.2 つ目は労相 る.第 4 に,外交と安保政策において「小国主 として三池争議の収拾に当たった石田博英,三 義」とでもいうべき極めて独特の特徴を持って 木武夫らに代表される福祉国家派である.彼ら いる.また,社会において,日本経済成長の原 は党の路線を転換して福祉国家路線を採用する 動力となったのは企業社会であると指摘し,正 ことにより,労働運動に組織されている労働者 社員,終身雇用,年功序列,サービス残業,過 を保守勢力が獲得することを主張していた.3 労死など,こうした労使関係の特徴は「日本的 つ目は池田勇人のブレーンであった宮沢喜一や 経営」と言われていた.教育の面では,小学校 大平正芳らからなる経済成長優先派である.こ から大学までの競争教育もこの時期で形ができ れらの 3 つの潮流の中で,60 年代以降の保守 ていた.青木(1997)は,戦時中から戦後にか 政治を導いたのは第 3 グループの経済成長派で けて日本における組織進化と政府による制度設 あった.その理由について,渡辺(2004)は 2 計の具体像を表 1 のように表している. つにまとめている.第 1 に,企業支配の形成の この戦後の日本の歴史において,ひとつの転 下 で,本来福祉国家政策 の 採用 を 求 め る 最大 換点として言われるのは 1960 年の安保闘争21) の勢力としての労働組合勢力は,福祉よりも で あ る.安保闘争 を 経 て,自民党内 に は 3 つ 経済成長 を 志向 し 要求 し た.第 2 に,企業社 の潮流が現れた.1 つ目は岸信介の秘蔵っ子で 会の形成と企業の社会的権力の増大を背景と 21)日本 で は 1960 年 と 1970 年 の 2 度 に 渡 り, 安保闘争があった.安保というのは 1952 年にサン フランシスコ講和条約と同時に締結された,米軍の 極東戦略の拠点として使用していた日本の基地を占 領終了後も引き続き維持することを目的とする旧日 米安全保障条約のことである.日本にとって不平等 なこの条約に対し,日本の大国としての復権を図る 岸信介政権はその改定を目指した.しかし,戦後民 主主義を破壊する危機感を持つ日本国民がそれに反 対し,総評労働組合運動と社会党,共産党などの政 党,知識人などと連携し安保闘争運動を呼び起こし ていた.だが,60 年の安保闘争の高揚は保守政治を 交替させる力まで持たず,保守政治に自己転換の余 裕を与えた.70 年の安保闘争は 10 年間の期限を迎 えた日米安全条約が自動延長するに当たり,これを 阻止するために起きた運動である. 80 横浜国際社会科学研究 第 19 巻第 6 号(2015 年 2 月) (522) し た 財界 の 確立 が,保守政治 に 経済成長路線 り,政調の部会などを舞台にして,官僚と自民 の採択を強く要請したという点があげられる. 党の連携が確立するようになった.また,官僚 そ の 後誕生 し た 池田政権 は所得倍増計画を政 から政治家への転身も盛んになったが,次第に 策 の 中心 に 据 え,開発主義政策 を 保守政治 の その転身は若い段階で行われるようになった. 22) 中心としていた . 他方,財界と官僚の関係にも変化が現れた.50 企業社会の形成を社会的基盤として,自民党 年代までは,経済成長の枠組み作りは官僚が独 政治は安定期に入った.それを象徴したのが, 占的に行い,その規制権を駆使して業界を指導 4 年 3 ヶ月に及んだ池田政権,それに続き 7 年 していたが,60 年代に入り,企業社会が確立す 半に及んだ佐藤政権の存続であった.この時代 る時代になると,次第に枠組みの形成自体が財 に,池田政権で始まった戦後政治の転換は一層 界との協議を通じて行われるようになった24). 推進され,現代日本の保守政治の特徴を成す構 池田,佐藤政権と続く自民党政治はまれに見 造が形成された.佐藤政権の下で一層注目され る安定を作り出した.しかし,運動や自民党政 るのは,自民党がその安定のための制度作りに 治に対する抗議はこの時代にもなくならなかっ 取り組んだことであった.また,こうした取り たばかりか,かえって,1960 年代後半から 70 組 み の 中 で 派閥,政務調査会,族議員 な ど と 年代前半には,さまざまな形で顕在化し,自民 言った自民党政治の枠組みが形成された.自民 党政権を揺るがせたのである.それは革新自治 党政治が安定し,国会議員の陳情処理活動が拡 体の登場と拡大,大学紛争や学生運動の高揚, 大するにつれて,議員の地元や後援会に利益を 公害反対運動の全国的拡大,そして自民党の経 持ち込むため,それまで官僚に任されていた政 済成長路線に対する批判の噴出である.その煽 策の決定や調整に対しても党や議員の介入が始 りを受けて,佐藤政権の後,田中角栄政権,三 まり,かつそのための調整措置が発達した.そ 木武夫政権,福田赳夫政権,大平正芳政権は佐 れは党の政務調査会であった.こうした成長の 藤政権とは打って変わって短命政権が続くこと 発展の中から,次第に各省庁の政策に対応し, になった.こういった周辺の反乱に対し,自民 官僚との密接な関係を持つ中堅議員が育ってき 党 は 利益誘導政治25)の 展開 に よって,自民党 た.それが「族議員」と呼ばれる集団であった. から離れつつあった農村部や都市部の自営業者 族議員が注目され, 「党高政低」や「党高官低」 や零細企業などの周辺層の再組織化をはかり, などが叫ばれた 1980 年代を頂点として,当時 70 年代後半 に なって,派閥─族議員─利益政 の自民党の利益誘導政治は個々の政治家を単位 治という自民党利益政治網が形成された. としてのものが中心であり,そのメカニズムは ここで重要なことは,政権主体の勢力が交代 「ボ ト ム アップ」型 で あった .官僚機構 と 政 する政権交代では,単に政党などの政治勢力が 治との関係を見ると,1950 年代には政策形成の 代表する社会的利益が政策として実現するか否 23) 主体はもっぱら官僚機構に委ねられていたが, 60 年代に入ると,次第に自民党の介入が強ま 22)渡辺治「高度成長と企業社会」渡辺治編『日 本の時代史 27 高度成長と企業社会』吉川弘文館, 2004,pp. 8─14. 23)岩井奉信「政権交代 と 利益誘導政治─民主 党政権における利益誘導をめぐる党内ガバナンス ─」秋山和宏・岩崎正洋編『国家 を め ぐ る ガ バ ナ ンス論の現在』勁草書房,2012. 24)渡辺治「高度成長と企業社会」渡辺治編『日 本の時代史 27 高度成長と企業社会』吉川弘文館, 2004,pp. 82─87. 25)利益誘導政治とは選挙での得票の最大化を 目指す政党や政治家と自己の利益実現或いは拡大 を目指す有権者や利益集団との間に成立する相互 良化 の た め の「政治的交換関係」を 指 す.河野武 司「利益誘導政治 の メ カ ニ ズ ム」河野武司・岩崎 正洋編『利益誘導政治』 (芦書房 2004, p. 12)を参照. 中国と日本の行政指導の比較研究(王昕) (523) 81 かという問題と同時に,政党などの政権主体の 治の特質は,官僚制との「相互依存」関係を前 あり方によっては,利益誘導政治のメカニズム 提としている.一般に日本の政治経済体制は「官 全体に,その根幹に関わる転換をもたらす可能 僚主導」と言われるが,実際には官僚制と自民 性が否定できない点である.例えば,西欧先進 党との関係は,一定の役割分担と相互依存によ 諸国のように政権交代がある程度頻繁に行われ るイコール・パートナー的な側面もあった28). る政治体制においては,利益誘導政治のメカニ こうした政治家と官僚との間の関係は,2009 ズムそれ自体が政権交代を織り込むため,それ 年から 2012 年までの民主党政権の下で大きく がメカニズムそのものに与える影響は極めて限 変わることが予想されたが,結局自民党が政権 定的だと考えることができる.これに対し,日 に復帰したため,現状においても大きく変わっ 本の場合は自民党による一党優位体制が長年に てはいない. わたり継続したことで,これまで利益誘導政治 1980 年代 の 中曽根政権 が「戦後政治 の 総決 の主体が自民党に限定され,そのメカニズムは 算」を言い出し,特に第二臨調の行政改革から 政官財の「鉄のトライアングル」と言われてき 日本で新自由主義改革が始まったといわれてい たように,極めて強固に制度化されたものとし る.アメリカとイギリスと比べてみれば,日本 て捉えられてきた.例えば,経済界からの政治 の新自由主義改革は遅れている.その原因につ 献金は,そのほとんどすべてが政権政党であっ いて,渡辺治は上記の開発主義国家の下で,安 た自民党に提供されてきたが,政権交代の可能 定した資本蓄積と小さな階級妥協によるもので 性が以前に比べて高まって以降,日本経団連は あると述べている.日本の資本が開発主義体制 政党 に 対 す る 政策評価に基づき,政治献金を に守られて,輸出主導型成長を遂げた結果,日 行うとした.しかし,実際には,その 95% が 本資本のグローバリゼーションが遅れたのであ 依然として自民党に対して続けられたことは, る.この体制は企業支配+企業主義的労働組合 それを如実に表すものと言えよう26).2014 年 9 運動+下請け制+自民党による企業優位の税財 月 8 日に朝日新聞の報道によって,経団連の榊 政体系を柱として,日本経済の無類の競争力を 原会長は会員の 1300 社に対し,5 年ぶりに政 誇って い た.し か し,80 年代後半 に 入 り,円 治献金をするよう「呼びかけ」を再開する方針 高や経済貿易摩擦の結果,日本資本のグローバ を正式に表明し,強制ではない形だが,事実上 リゼーションが本格化すると,こうした競争力 は経団連が主導し,カネの面で安倍政権への支 の優位は減殺され,冷戦終焉による経済グロー 援を強める. バル競争に巻き込まれるに及んで,その競争力 自民党政権下における利益誘導政治は,一党 は喪失し始めた. 優位体制の下で,政党組織の制度化と軌を一に する形で進化してきた.そのメカニズムを明ら 2.中国の行政指導とその社会的基盤 か に す る た め の キーワード は, 「政治家主導」 2―1 中国の行政指導についての議論 と「内化」である27).自民党による利益誘導政 2004 年,中国国務院は 1999 年に公布した『国 26)岩井奉信「日本経団連政治献金関与再開 の 経緯と論理」 『政経研究』42 巻 3 号,2006,pp. 457─ 503. 27)猪口孝『現代日本政治経済 の 構図』(東洋 経済新報社,1983 年)第 4 章を参照.佐藤誠三郎・ 松崎哲久『自民党政権』(中央公論社,1981 年)第 5 章を参照. 務院は全面的に法律に基づいての行政活動を推 進 す る 決定』(中国語 は《国务院关于全面推进 依法行政的决定》国発〔1999〕23 号)に 続 い て,法律に基づいての行政活動の具体的実施策 28)岩 井 奉 信『立 法 過 程』(東 京 大 学 出 版 社, 1988 年)第 7 章を参照. 82 横浜国際社会科学研究 第 19 巻第 6 号(2015 年 2 月) (524) 表 2 莫による行政指導の分類 類 型 性 質 狭義の行政指導 個別的, 非強制的 行為の主体 適用対象 行政機関 特定の行政 相手方 方 式 法的効果 指導,勧告,提示,調停, 直接な効果は 説得など ない 個別的と 広義の行政指導 一般的調整手段, 行政機関 非強制的 上記以外に,指導的行政 特定或いは 計画,産業政策なども含 非特定相手方 まれる 最も広義の行政 指導 特定或いは 上記のものを全部含め, 直接な効果は 非特定相手方 全ての非強制的調整手段 ない 一種の行政体 制として 行政機関 直接な効果は ない 説 明 広い範囲で大量に 利用される 個別手段を除いて, 一般的な調整手段も 使われる 行政の実務は このような状態に なりはじめている 出所:莫(2005) ,pp. 11─12. を『全面的に法律に基づいての行政活動の実施 2 のように分類している.この中の狭義の行政 綱要 を 推進 す る』 (中国語は《全面推进依法行 指導は個別調整に利用され,直接法的効果が発 政实施纲要》国発 [2004]10 号)と発表した.こ 生しない,非権力的非強制的行政手段を指す. の綱要は 2002 年に胡錦濤政権が始まって以来, 広義の行政指導は個別調整だけではなく,より その統治理念である「和諧社会(調和の取れた 広範囲に一般的に利用され,直接法的効果が発 社会) 」や「以民為本(民を根本としたサービ 生しない,非権力的非強制的行政手段を指す. ス指向型社会) 」などが行政分野での体現であ 最も広義の行政指導はその施行を政府の職責と る.この綱要では,行政の基本的原則をまとめ して,全ての非強制的手段,或いは一種の行政 ている.第 1 には,行政の合法性である.つま 制度ともいえるものを指す. り,行政機関は行政活動をする際に,法律や法 莫は行政指導を行政命令,行政立法,行政許 規などによって実行しなければならないとされ 可,行政処罰などの権力的行政手段と比較し, た.第 2 には,行政の合理性である.この中で 行政指導が行政相手方の同意に基づいた上での は公正と公平の原則を強調している. 第 3 には, 行為であり,その非権力,非強制的性質を強調 プロセスの適正性である.第 4 には,行政の効 している.しかし,莫は政府が行政指導の実効 率性である.第 5 には,行政の信用性である. 性を保つ条件と仕組みを考えていなかった. 第 6 には,権限と責任の統一である. 行政指導への認識について,莫は以下のよう これらの原則に基づいて, 綱要の第 9 条の 「行 にまとめた.まず,行政指導の概念について, 政方式の改革」においては,行政機関の行政活 莫は多くの日本学者の研究に基づいて,行政 動の効率を高め,行政コストを減らすために, 指導をこう定義付けた.すなわち,「行政指導 または,一方的,強制的な伝統的行政方式をか は行政機関がその職能,管轄範囲以内に,複雑 えるために,行政指導,行政合同などの方式が かつ多様化している経済と社会管理需要に応じ 提唱されている. て,法律精神,原則,規則或いは政府の政策な この綱要の公布につれて,中国の行政法,行 どと一致し,国家強制力を具えない方法であり, 政学学界において,行政指導への研究が流行り ある行政目的を実現するために,行政客体の同 始めた.その中で,2005 年に出版された莫于 意と協力を求める行為である」.つまり,第 1 に, 川の研究は代表的である29).莫は行政指導を表 行政機関の職能の範囲以内であれば,行政指導 29)莫于川『法治視野中的行政指導』中国人民 大学出版,2005. を実施することができる.第 2 に,社会発展に 伴う多様化している行政管理の需要,特に経済 における行政管理の需要を満たすのは行政指導 中国と日本の行政指導の比較研究(王昕) (525) 83 を実施する目的である.行政指導の実施には正 対する予防と抑制を指している. 統な行政目的が必要である.第 3 に,行政指導 また,行政指導の普遍性について,莫は行政 の法的根拠について,一部の行政指導は行政作 指導の歴史的背景として,20 世紀の 30~40 年 用法に依拠しているが,多くの行政指導は法的 代の経験,特に第 2 次世界大戦後,経済活動へ 精神,原則,行政組織法,或いは政策に依拠し の政府の介入に対する態度が完全排斥から強硬 ている.つまり,行政指導は必ず法的根拠を持 な政府介入,次いで柔軟な政府加入へと変わっ つものではない.第 4 に,行政指導は一般的に てきたことを挙げている.行政指導はこのよう は行政機関から実施する積極的行為であるが, な背景の下で出てきたのである.行政指導につ 行政客体の要求に応じて実施するものもある. いての概念は,第 2 次世界大戦後に出現し,国 行政指導は事実行為であり,法律関係の変化, 家強制力を伴わず,直接的な法律効果のない柔 法律効果などを直接生じるものではない.第 5 軟かつ弾力性のある行政方式であるものを指す に,行政機関と行政客体の関係から言えば,行 と考えられている.行政指導は市場経済発展に 政機関は行政指導に当たって強制力を持たず, つ れ て,人々は 市場 と 政府 の 機能,制限及 び 行政客体は行政指導を受ける受けないの自由が 相互関係認識 の 進化 に よって 生 ま れ た 産物 で あり,受けない場合は法的責任を負わない.こ あり,ただの日本的なものではないと強調して れは行政命令や行政許可などの強制力がある行 いる.さらに,行政指導が強制性を伴わず,行 政行為とは異なる.第 6 に,行政指導のメリッ 政客体の自主的合意によって実施されているた トは臨機応変と多様性を持つ性格である.同時 め,行政客体への傷害が他の強制的行政手段よ に,行政指導の社会効果を考慮すべき,費用便 り少ない.日本においては,これが戦後民主化 益の原理と一致する必要がある. の要求にも適合していた.伝統的な行政理論と 次に,莫は行政指導の機能を以下のように論 実践の中,行政機関は一方的支配行為を行い, じている.第 1 に,補足代替機能である.つま 行政客体は受身の立場である.行政客体の意見 り,社会経済生活の中の「法律空域」を補うこ 表明などの制度が欠如する一方,行政客体も意 とができる.また,強制手段が不必要或いはコ 見表明の熱意,創造性と責任感が欠如している. ストが高すぎるなどの場合, 「弱行為前置」の 行政指導はこの行政客体に行政への参与のチャ 意味で「弱行為」である行政指導を強制手段な ンネルを提供するので,行政民主化の重要なメ どの「強行為」を優先して採用することによっ カニズムであると莫は評価している. て行政目標をより効果的に実施することができ 行政指導の性質について,莫は行政指導が伝 る.例えば,親が子供の義務教育を受ける権利 統的行政手段とは異なり,その非権力性が行政 を侵害する場合,政府部門が裁判所に訴訟を提 機関と行政相手方の間の関係をより衡平的にし 起する前,親に対して勧告などを行うといった ていると評価する.伝統的行政法においては行 行為である.第 2 に,カウンセリングのような 政機関と行政相手方の関係は命令と服従の関係 作用である.政府機関が情報など様々な優位性 である.しかし,行政権力の強制的実施は常に を持つため,行政指導を通じて行政機関が社会 万能ではなく,相手方の抵抗などによって効果 経済や技術の発展を促進することができる.第 が低くなる可能性がある.したがって,行政機 3 に,意思疎通を図る機能である.行政指導は 関は常に強制的手段で行政目的を実現するわけ 利益の多元化によって生ずる社会の利益の矛盾 にはいかず,弱い或いは柔らかい行政手段を と衝突を調和することができる.第 4 に,予防 もって行政相手の自主的な受入を求めるのも重 と抑制作用である.ここでは企業などの反社会 要である.つまり,行政機関が指導意見を提供 的傾向,経済秩序や社会公益を妨害する行為に し,行政相手方が自主的に受け入れることであ 84 (526) 横浜国際社会科学研究 第 19 巻第 6 号(2015 年 2 月) る.行政指導こそが,この非権力的行政手段の る.山内の研究と同じように,行政指導は応急 中の重要な手段の一つであると述べている. 性,簡便性,温情性,穏便性,そして隠密性と 行政指導の中国での運用について,莫は以下 いう特徴があるからである30). の 3 つの面での運用を挙げている.第 1 には, この莫の意見の中には,本末転倒の部分があ 産業政策における行政指導である.第 2 には, ると思われる.行政指導はソフトで非強制的な 企業を管理する工商部門が行政指導によって, 行政手段として,勿論以上のような利点がある 企業への情報提供などの事例がとりあげられて ことは否定できないが,それが如何に社会でそ いる.第 3 には,教育と就職における行政指導 の特徴を活かせるのかはその社会によるもので である.例えば,大学卒業生を西部の貧困地域 あると思われる.つまり,日本で行政指導が成 に働かせるために様々な奨励政策が採られてい 功したのは日本社会の独特な官民関係に理由が る.本文は産業政策における行政指導を中心と あるのである.この行政指導はどこの国でも通 するので,莫が中国の産業政策における行政指 用するわけではない.中国で行政指導を提唱す 導への叙述を重要視する.産業政策における行 る前,これらの特徴を把握し,行政指導の社会 政指導について,莫は以下のように述べる. 環境を十分理解しなければならない.また,行 産業政策における行政指導は抽象的であり, 政指導の不透明性などの欠点によって,それに この措置の実施側は中央政府であり,これらの 対する法的規制を強化する指向が強まっている. 指導策は全国範囲に及んでいると述べる.具体 そのため,中国で行政指導を提唱するに当たっ 的な例として,第 1 に,1994 年 2 月 19 日に国 て,それが多用され,成功されていたといわれ 家計画委員会が国務院の同意を経て, 『自動車 る日本の経験を全面的に研究し,行政指導が日 工業産業政策』を公布した.第 2 に,1994 年 3 本で生まれた社会的背景を理解する必要が在る 月 25 日に国務院の第 16 回常務委員会で通過し と思われる.また,高度成長期以降,行政指導 た『90 年代国家産業政策綱要』である.第 3 に, という手段が徐々に放棄され,それが法律への 1997 年 9 月 4 日 に 国務院 が 制定 し た『水利産 統合の過程も理解する必要があると思われる. 業政策』である.そして, 『1999 年綿花購入政 中国で行政指導を論じるコンテキストは,日 府指導価格』や『外資投資産業指導目録』など 本で論じる行政指導のコンテキストと比べてみ があげられている. れば,以下のような相違点があると思われる. 莫は行政指導を中国での適用を提唱する理由 日本の行政指導が最も利用されていた高度成長 として,以下のようなものがあると思われる. 期に,その実効性を保っていたのは当時通産省 ま ず,中国 は「管理行政」か ら「サービ ス 行 が 自由化前 に 持って い た 外貨割当権限 で あっ 政」へと行政方式の改革を長い間,中央から実 た.自由化の進展につれて,この権限が喪失し, 施させようとしている.行政指導は「サービス 行政指導は徐々にアウトライン方式型に取って 行政」の理念に相容れ,行政指導の定義からみ 代わられ,その効果も薄まっていた.ただ,そ れば,その非強制的な性格はこの行政改革に非 の後も行政指導によって自主規制などが実現で 常に似合う.第 2 に,行政指導は伝統的な官民 きたのは日本の官民協調という緊密たる独特 関係を改善することに有利であり,官民協力に な官民関係に理由があると思われる.中国にお 役立てると莫は主張している.第 3 に,小野な いては,行政指導はもともと中国社会から生ま どの日本人研究者が述べたものと同様に,行政 れてきたものとしてではなく,緊張した官民関 指導は法律がカバーできない部分,あるいは法 係を和らげるために舶来品として提唱されてき 律で解決できない部分に素早く対応できるから である.第 4 に,官僚側にとっての利便性であ 30)詳しくは山内一夫(1984)を参照. 中国と日本の行政指導の比較研究(王昕) (527) 85 た.行政指導の非強制的な名を借りているが, う順に沿って農民の地位が下がり,厳格なヒ 実際には行政の影響力が日本の高度成長期より エラルキーが存在していた.都市部では官僚 もはるかに超えている.官民関係においても, 買弁資本家階級37),民族資本家階級38),労働 政府は常に上位にあり,民間は下位にあるので 者階級,インテリなどの階級が存在していた. ある.このような社会環境において,官民関係 社会の上層には政府,政府と結託した官僚買 を改善する意図で,行政指導に好意的な態度を 弁資本家,地主階級 が 君臨 し て,一般民衆 は 示す莫らの学者の考えは理解できないわけでは 基本的には政治への直接参加を許されていな ない.しかし,行政指導は決して平等な官民関 かった.一般民衆の間では血縁で結ばれた宗 係に繋がる民主的な行政手段ではないと思われ 族組織が存在していた.例えば,1933 年の調 る.逆に,村上が日本の行政指導を研究する際 査によれば,広東には当時最低 4200 万ムーの に述べたように,「行政指導のような非民主主 耕地があったが,その 35% 以上が宗族関連の 義的,旧憲法的理念と慣行の残滓を認めたうえ も の だった39).こ う し て,中国 の 社会底辺 に で,日本で真の民主主義理念の浸透と成熟を期 おいて閉鎖的な伝統組織によって分散されて 31) 待している」 と同様に,中国でも行政の強い いる民衆の意思をある程度代表し,しかも公 権力の解体こそが問題であって,決してその強 権力に対してその意思の反映を求めることの 化が今日の課題ではないと思われる. できる中間集団は合法的に存在することが難 しく,したがって,暴力が要請されざるを得 2―2 中国の行政指導が生まれた社会的基盤 な かった と い え る40).農民 の 間 に 宗族組織 は 中華人民共和国 が 成立 す る 前 の 中国社会 に 存在するものの,それは決してかたい組織で おいて,社会構造から見れば,農村部では地 は な く,全体的 に 言 え ば,B.ムーア(1966) 32) 33) 34) 主 ,富農 ,中農 ,貧農 35) と 雇農 36) とい 31)同上. 32)地主とは自ら直接に肉体労働に従事しない, もっぱら小作農に土地を貸すか,或いは雇農を入 れて生計を立てるものである.数が少ないが所有 する土地は多い.調査によれば,民国期,全国人 口 の 3% 未満 の 地主 が 全国 6 割以上 の 土地 を 所有 していた. 33)富農とは豊富な資金や優れた労働道具,雇 用労働力を所有する.土地は自分で所有する場合 も あ る し,借 り 入 れ る 場合 も あ る.調査 に よっ て,民国期に富農は前農戸戸数の 6% 前後であっ たが,経営面積は全耕地の 2 割前後と推測されて いる. 34)中農とはある程度の労働道具を有し,一般 的に一定の土地を有する自作農である.調査によっ て,中農は民国期に全農業人口の 2 割程度を占め ていた. 35)貧農とは粗末な労働道具を有し,少量の土 地を所有する場合もあるが,基本的に自分の労働 力を売って生計を立てるものである.民国期には, 雇農も含めて全国農業人口の 7 割を占めていた. 36)雇農とは主に自らの労働力を売って生計を 立てるものである. が独裁と民主の社会的由来を分析する際に中 国民国時代の農村の例を挙げて述べたように, 民国期の中国農村では農民間の連帯が欠如し, それが結果的に共産党の動員を可能ならしめ て社会主義体制へと繋がったと指摘できる41). 当時中国社会の大部分を占める農民をうまく 動員することによって,共産党は国民党との対 決で勝利を収め,1949 年 10 月 1 日に中華人民 共和国が成立した.新中国が建国されて間もな 37)官僚買弁資本家階級とは政府と結託して外 国資本や輸入商品等の事業を展開する大資本家階 級を指す. 38)民族資本家階級とは外国資本にあまり依拠 しない中小資本家階級を指す. 39)陳翰笙『解放前的地主与农民』中国社会科 学出版社,1984,p. 38. 40)李明伍『現代中国 の 支配 と 官僚制─体制変 容の文化的ダイナミックス』有信堂,2001,p. 13. 41)Moore, B. Social Origins of Dictatorship and Democracy: Lord and Peasant in the Making of the Modern World, Beacon Press, 1966. 86 横浜国際社会科学研究 第 19 巻第 6 号(2015 年 2 月) (528) く,農民への承諾を果たすため,土地改革が全 請負責任制が実施され,集団所有の土地は農民 国で行われた.1950 年 6 月 28 日中央人民政府 が借りて耕作することとなった.今になっても 委員会第 8 次会議で『中華人民共和国土地改革 中国における公有制は人民所有(所謂国家所有) 法』 (1987 年に失効した)が通過され,30 日に と集団所有の 2 種類がある.公有制は社会主義 公布された.この法律には土地改革の目的とし 国家の基礎として,憲法上で主導的な地位にあ て,地主階級が全ての土地を所有する封建的土 ることは変化がないが,改革開放政策が執行さ 地所有制を廃止し,土地所有権を全ての農民に れてから,1982 年に制定された現行の憲法が 4 配分し,また,工業化のために農村の生産力を 回に渡る改正を経て,そのなか,所有制につい 解放させ,発展させることと規定している.こ て規定の文言が次々と変わり,公有制以外の所 の法律によって地主の土地が没収され,建国前 有制つまり非公有制への重視の程度が段々と上 に農民間にあった階級を全部取り壊し,全ての がっている.農村部においても,1990 年 12 月, 農民に土地を平等的に分配するようになった. 中国農業部から出された「農民の株式合作企業 その後,中国共産党中央が 1951 年 12 月に「農 に つ い て の 暫定規定」で は,農民株式合作企 業生産互助合作 に 関 す る 決議」を 公布 し,53 業46)の成立も承認し,積極的に導入する姿勢 年 12 月に「農業生産合作社を発展させること を示した.これらの政策から分かるように,計 に関する決議」を施した.55 年 11 月には全人 画経済から市場経済への移行の過程において, 代常務委員会の決定によって「農業生産合作社 政策も従来の組織的利益指向型から個人的利益 示範章程草案」 ,56 年 6 月には全人代の決定に 指向型に転換せざるを得なくなっている. よって「高級農業生産合作社示範章程」 ,58 年 都市部は前述した農村部と同じようなコース 8 月には中央政府の決定によって「農村に人民 を経てきた.改革開放政策を実施する前に,政 公社を設立することに関する決議」が夫々公布 府が私営業を対象とする「社会主義的改造」は され,同時に実行に移った.つまり,中国共産 ほぼ農村部の人民公社化と同じ時期に完成し 党は「互助組」 の設立から, 「初級合作社」 , た.その代表は大量の国有企業の成立である. 42) 43) 「高級合作社」44),さ ら に「人民公社」45)の 設立 後に改革開放政策の実施によって,生産責任制 など一連の政策制定を経て,土地改革法で決め が導入され,国有企業における不効率などの問 られた全てが農民に分配する土地は徐々に集団 題が重視され,国有企業改革が日程に上がって が所有するものへと変化させたのである. きた. 1970 年代末から実施された改革開放政策に また,社会組織の面から見れば,建国前の中 よって,人民公社が解体となった.農業生産の 国社会において,個人の主体性が家や宗族など の伝統的集団の中に埋められたと言われる.建 42)互助組とは土地の所有権及び使用権が戸に 帰属されたままの状態で数戸が自主的に労働力を 出し合って交互に農作業を手伝う組織である. 43)初級合作社とは土地の所有権は戸に属する が,使用権は集団に属するという形の組織である. 44)高級合作社とは土地の所有権も使用権もと もに集団に渡して,自らも集団労働に参加すると いう組織である. 45)人民公社とは高級合作社が大規模化したも のであり,しかも国家の行政組織と集団の経済組 織とが合体した,いわゆる「政社が合一」の組織 である. 国から改革開放政策が実施され,個人生産責任 制が導入されるまで,中国社会における個人の 46)法に基づいた批准によって設立された経済 組織で,3 戸以上の農民の協議により,資金,実物, 技術,労働などを株に換算し,自主的に組織され て 生産経営活動 を 行 い,国家 の 計画指導 を 受 け, 民主的管理を行い,労働に応じた分配を主な形式 とし,一定比率の配当が行われ,公益金が蓄積され, 独自で民事責任を負うような経済体は農民株式合 作企業と規定している. 中国と日本の行政指導の比較研究(王昕) 主体性が「単位」という組織に埋められた. 47) 計画経済体制下の「単位」 は国家の政治的, (529) 87 3.日中の行政指導から見る発展モデルの相違 行政的,経済的機能を持った組織である. 「単位」 以上の分析から分かるように,中国における は単なる勤務先ではなく,生活の場でもある. 行政指導を論じる背景は日本のそれとは幾つか 多くの場合,一つの「単位」には職場以外に, の点において異なる.第 1 には,中国の行政指 住宅,教育施設,娯楽施設,医療施設などが含 導は深く計画経済体制の烙印があることである. まれている.昇給,昇進,留学,外国訪問,勤 50) 例えば,王(2014) からわかるように,繊維 務先異動など,ありとあらゆる面で「単位」の 産業において,中国政府は 1980 年代から 90 年 責任者に頼らなければならなかった.司法に関 代にかけて,国有企業を発展させるため,綿花 する面でも「単位」の責任者の意見が重みを 価格を管理する政策を採っていた.90 年代に 持っていた.このように中国社会を組織してい 入って綿紡績企業の産能過剰を抑えるために減 た「単位」は包括性の故に,家父長制的性格を 産によって生産量をコントロールしようと行政 強く帯びていた48). 指導を利用していたが,結果として,其れは予 このように,中国社会の一つの構成要素とし 定通りに進まなかった.なぜなら,一度開放さ て, 「単位」は様々な分野に存在し,影響して れた市場は計画経済を行った頃のように政府の い る. 「単位」が 構成 さ れ る 場 に よって, 「単 指導どおりになるのが難しいからである.1978 位」は国家政府機関,事業機関,そして企業な 年改革開放政策が実施され,かつての計画経済 どのところに組織されている.例えば,国家政 路線が捨てられ,段々市場経済路線に転換して 府機関の「単位」の中には,民主党派などを含 きた.この中,戦略的敏感度が低いかつ創業す める党機関,人民代表大会という権力機関,行 るコストが低い繊維産業は真先に自由化され, 政機関,司法機関などがある.また, 「事業単 民間の中小企業が参入するようになった.政府 位」のなか,新聞出版,医療,教育などのよう が直轄する国有企業は,依然として政府の価 な組織で,営利を目的としないものが多い.そ 格や生産量を管理するための行政指導に従う して,企業,農村の農民集団,軍隊組織なども が,民間企業にとっては市場で利益を得るのが 全て一つ一つの「単位」である.1980 年代以 一番優先されるべきことであり,政府の減産指 降中国政府は市場経済化を推進することによっ 令などに民間の中小企業は従おうとしない.ま て,民間部門の規模が急速に拡大し,職業選択 た,半導体産業においても,自由化の進行かつ の幅が広がるようになっている. それによって, WTO への加盟によって,数多くの外国投資家 国家に対する人々の経済的自立性は徐々に向上 が中国にやってきて,半導体産業において未だ し,民間部門における「単位」が持つ社会統制 に外資系企業が主導している状況である.この の機能も低下してきた49). 状況の中,中国政府が 2000 年に公布した「18 号文書」のように,半導体産業において政策と 行政指導を通じて産業を管理し,育成するのは 47)「単位」は 中国語 で よ く 使 う 単語 で あ り, 政府機関単位,事業単位 な ど が あ る.事業単位 と いうのは企業のような完全に民営化されたもので はなく,政府の財政などに頼ることがあるもので ある.例えば,中国の国立学校や病院などである. 48)李明伍(2001),p. 49. 49)唐亮『現代中国 の 政治─「開発独裁」と そ のゆくえ』岩波書店,2012,p. 17. 他国の批判を呼び起こしかねない. いまひとつは社会及び政治システムの相違 から生じる行政方式の相違にある.前述した 50)王昕「産業政策から見る中国型行政指導」 『横 浜国際社会科学研究』第 19 巻第 1・2 号,2014 年. 88 (530) 横浜国際社会科学研究 第 19 巻第 6 号(2015 年 2 月) ように,日本はボトムアップ型の行政方式で 打ちできない53). あり,つまり,行政指導が日本で行われたの そして, 「民」の視角から見れば,日本の多 は政府から民間へと言うトップダウンの意思 く の 研究者 は 日本 の 行政指導 に つ い て,「民」 決定過程においてではなく,民間から政府へ が主導的な役割を果たしていると主張する.民 と言うボトムアップの下意上達の過程におい 間側が行政手段を利用して,自らある望ましい てである51).中国は日本と正反対であり,行政 状態を作り出す作用であるという一面が備わっ 方式はトップダウン型であると思われる.日 ていると認識される.民間側との「話し合いに 本のように強い業界や企業間の連携体制が中 よって,規制の内容を決定しうる余地が大き 国ではまだ成熟しておらず,政府が産業政策 い」事実が指摘されている点からも,確かめる を制定,或いは実施する際に,基本的には政 ことが出来るのである54).行政指導の契機とし 府内部の人間で完結させ,業界の声が上にあ て,実は実務官僚自身の発意に基づいて指導す がらない,若しくは上がるチャンネルがない るというより,むしろ,彼らの背後にあって, という現状であると言えよう. 或いは彼らと結託して,その発動を期待し,指 このような硬直性のある官民関係には幾つ 示する民間人の明示的ないし黙示的要請に基づ か の 構造的 な 原因 が あ る と 思 わ れ る.ま ず, いて始動するものであるという55).経済行政を 中国共産党 に よ る 基層社会 へ の 権力 の 浸透, 中心に,個別の行政分野において重要な役割を 団体形成 へ の 規制 な ど の 統制52)に よって 民 演じつつある行政指導について,民間人が行政 間にはある程度の自立性が欠けている.中兼 の単なる客体にとどまらず,ある程度,主体と (2012)は政府と市場との関係について以下の しての地位を占めつつある事実は,逆に言えば, ように中国と国民党時代の台湾とを比較して それだけ行政機能が実務官僚の手を離れて拡散 いる.中国と台湾の最大の違いはイデオロギー し,民間人によって分有されているということ の 差(共産主義 か 三民主義か)にあるのでは を示す56). ない.或いは国有企業の支配力の差とか,重 日本の民間企業は主動的に行動を行い,業界 工業優先発展政策 と いった 産業政策 の 性格 の や財界の力を借りて政策に影響を及ぼすのに反 違いに在るのではない.そうではなく,社会 して,中国の民間企業は政府に対して受身の立 の隅々まで党権力を張り巡らし,国家,社会, 場に立っているといわれる.その主な原因は中 党を一体化させ,政治統制を完璧なものに仕立 国人の権利意識にあると思われる.高鴻均氏は て上げているかどうかにあると思われる. また, 中国人の権利意識について以下のようにまとめ 政府と市場との関係についても,現代の中国と ている57).第 1 に,中国人は政治権利より財産 以前の台湾ではかなり違う.中国では政府が鉄 権利に意欲的である.第 2 は,受身的な特徴が 鋼業や自動車工業のような戦略的に重要な部門 ある.国民は自らの権利に対する認識が欠け, を国有大企業を使って押さえており,近年では 「国進民退」と言われるように,民間部門を国 家=国有企業が吸収し拡大する傾向さえ一部 では見られるが,国民党時代の台湾では経済 の 主軸 は 民間中小企業 で あって,当時 の 台湾 国有企業 は 到底現代 の 中国 の 国有企業 に 大刀 51)王昕(2013). 52)唐亮(2012),pp. 14─17 を参照. 53)中兼和津次『開発経済学 と 現代中国』名古 屋大学出版会,2012,第十章を参照. 54)山内一夫『行政指導』弘文堂,1977,p. 113. 55)成田頼明「行政指導」雄川一郎他編『現代 の行政』岩波書店,1966. 56)西尾勝「行政 と 計画」日本行政学界編『行 政計画の理論と実際』勁草書房,1972, p. 37. 57)高鴻均「中国公民権利意識的演進」『走向 権利的時代─中国公民権利発展研究』中国政法大 学,1995. 中国と日本の行政指導の比較研究(王昕) (531) 89 その権利が侵害される時,国民は救済を求める の権威の場合,それは必ずしも血縁理論と結び イニ シ ア ティブ が 欠けている.第 3 に,集団 つくとは限らないため,権威者と服従者との間 的権利意識が弱い.この点に関して,Mancur には最初から双務関係が成り立つ.それに対し Olson がその名作である『集団行為論』58)の中 伝統中国における公は権威を指し,公平・平分 で強調したように,大規模な集団や潜在的な集 を指し,そして絶対的な権威の中における共同 団より,組織された小規模の集団の方がより効 を指す.中国の権威の場合は,宗教や儒教の影 率よく行動することができ,生命力が強い.し 響の下で血縁理論と結びついているので,服従 かし,中国では共通の利益を持つ人々は集団行 者との間は原初的に或いは建前上は片務関係に 動をとり,互いに協力し合ってその利益を主張 あるがために,権威への忠誠(孝を基調とした する観念が欠けていると指摘されている.第 4 忠孝)が心の救済に繋がるものでも,見返りと に,異なる経済レベルと教育レベルの人間や地 して現世利益が約束されるものでもないからこ 域の間に権利意識の格差がある. そ,権威への忠誠に怠慢が生じる.従って権威 また,中国における公と私の間の関係は決し としての公は結局,その正当化の一環として服 て日本や西欧とは同じものではない.この相違 従者に公平・平分を提供しなければならない60). 点からも中国型行政指導が日本型行政指導との 更に,李氏は世俗的絶対的権力が存続する限 相違の原因を探ることができる.李明伍(2001) り,中国は西洋のような空間への実質的な転換 は西欧,日本と中国における公と私の関係の比 は不可能であり,しかも,このような権力は今 較から,中国人が公に対する認識を以下のよう 日の中国において一種の社会統合の役割を果た 59) にまとめた .西欧におけるパブリックは独立 していると述べる.これは中国社会の自立性が した個と個との自主的な参加によって形成され 未だ弱いことを物語っている.この自立性の弱 る共同ルールの空間である.パブリックは各成 さも中国型行政指導の一つ重要な形成要因であ 員が同意の下で参加することにより成り立つの ると思われる.このような社会及び政治システ で,その中の成員は互いに権利と義務とを持ち ムの相違によって,行政指導においても夫々独 合わせることとなる.しかし,中国の公の場合, 特な特徴を現し,決して同様に扱うことはでき 権威によって予め与えられたルールの空間に居 ないと思われる. 合わせることによって成り立つので,各成員は 互いに権利は主張しあうが,義務は権威に対し 結 中国の行政指導への提言 て負うこととなる. 中国で行政指導が議論されるようになってい 他方,日本の伝統的なオオヤケは日本的入れ るのは主に二つの原因があると思われる.一つ 子型の社会関係において包摂する側,即ち権威 は,近年中国に多くの学者が日本との類似点, を指し,包摂される側はワタクシとなる.日本 又は行政指導の利便性から,日本の高度成長期 58)Mancur Olson, The logic of collective action: public goods and the theory of groups, Harvard University Press, 1971. 59)李明伍(2001) ,pp. 72─74.公と私については, 李のほか,さまざまな研究で詳しく論じられている. 例えば,ハーバマス,J.(1973)の『公共性の構造転 換』 ,R. Sennett(1976)の『公共性の喪失』 ,有賀喜 左衛門(1974)の「公と私─義理と人情」 ,安永寿延 (1976)の『日本における「公」と「私」 』などがあげら れる. で多用されていた行政指導という行政手段は官 民関係を調整する上で便利でソフトな行政手段 として移行期の中国にも適用できるのではない かという主張を示している.つまり,法文化の 視点から見れば,中国と日本は同じく儒教文化 圏に所属し,法は社会統制の第 1 次的な手段で はなく,社会道徳規範や礼によって規律される 60)同上 . 90 横浜国際社会科学研究 第 19 巻第 6 号(2015 年 2 月) (532) べきであるとされる.ここから紛争の解決手段 放任主義を基本とした司法的国家の形態によっ として,一刀両断的に黒白を決める裁判ではな ては,その後に発生した社会経済的諸問題を解 く,互いに譲り合って結論を導き出す和解や調 決し難くなったために,行政的国家の形態への 停が好まれる.したがって,訴訟はそれほど大 転換が問題となっているのに反し,わが国(日 きな役割を果たさず,それよりも官僚指導によ 本)では,もともと官僚的行政国家として,統 るコンセンサスや調停などの方法が利用され, 制権力の過剰に悩んでいた.……わが国では, 法に対する行政の優位が伺われる. 行政的権力の解体こそ問題であって,決してそ もう一つの原因は現在中国の社会にあると思 の強化が,今日の課題ではありえない.……わ われる.北京「陳情村」の報道で知られるように, が国においては,問題が全く反対であることに, 中国では各政府機関への陳情によるトラブルが 何よりも注意する必要がある」63)と述べている. 61) 頻発している .中国社会の底辺にある人々が この点において,中国は当時の日本と同様に, 政府や司法機関の裁判に対する不満を伝えるた 若しくは当時の日本よりも一層行政の統制権力 めに,様々な陳情活動を行っている.政府側か が過剰であるから,過剰の行政権を制限するこ らみれば,これらの陳情活動が社会安定,特に とこそが現在の課題であると思われる. 共産党の統治に悪い影響を及ぼしているため, 政府と司法の調停が益々重視されるようになっ た62).この社会状況の下で,行政指導をソフト で便利な行政手段として利用することを大いに 賛成し,主張する学者が後を絶たない. しかし,本稿は異なる視点から,主として中 国と日本の社会的政治的相違点から中国と日本 の行政指導の夫々の特徴を論じている.中国の 現実から見れば,先進諸国特に日本と比較して 明らかなように,行政権が立法権と司法権の拘 束から一部が逃げ出して,様々な社会問題を引 き起こしている.このような中国法の背景の下 で,行政指導を論じるには,更なる注意が必要 ではなかろうか.鵜飼信成が日本法と米国法を 比較する際, 「彼の国(米国)では,本来自由 61)毛里和子・松戸庸子『陳情─中国社会の底辺 から』 ,東方書店,2012. 62)2002 年 11 月に行われた中国共産党第 16 回 6 中総会において,人民内部で日増しに先鋭化して いる矛盾に対して,『中国共産党中央が調和を保つ 社会を創りあげるための重大決定』(中国語は『中 共中央关于构建社会主义和谐社会若干重大问题的 决定』である)を発表し,調停によって内部の矛 盾を初期の芽生え状態で解決すると強調している. それから,今になっても中央から地方まで,行政 から司法まで,対立を激化させず,調停を重視す る姿勢を崩していない(中国語では「大調解体制」 とも呼ばれている). 参考文献 日本語文献: 青木昌彦「意図せざる適合─日本における組織進 化と政府による制度設計」青木昌彦等編『東 アジアの経済発展と政府の役割』 (日本経済 新聞社,1997 年) . 岩井奉信「政権交代と利益誘導政治─民主党政権 における利益誘導をめぐる党内ガバナンス」 秋山和宏・岩崎正洋編『国家をめぐるガバナ ンス論の現在』勁草書房,2012. 岩井奉信「日本経団連政治献金関与再開の経緯と 論理」 『政経研究』42 巻 3 号,2006. 岩井奉信『立法過程』東京大学出版社,1988. 猪口孝『現代日本政治経済の構図』東洋経済新報 社,1983. 鵜飼信成『行政法の歴史的展開』有斐閣,1952. 宇賀克也『行政手続法の解説』学陽書房,2013. 岡本清「日本紡績操業短縮史論─綿業独占資本の 創成過程」 『秋田経済法科大学経済学部紀要』 (28) ,1998.09. 小野五郎『現代日本の産業政策─段階別政策決定 のメカニズム』日本経済新聞社,1999. 王昕「日本の行政指導─繊維産業を事例として」 『横 浜 国 際 社 会 科 学 研 究』 第 18 巻 第 3 号, 2013. 王昕「産業政策 か ら 見 る 中国型行政指導」 『横浜 国際社会科学研究』第 19 巻第 1・2 号,2014. 63)鵜飼信成『行政法 の 歴史的展開』有斐閣, 1952,pp. 264─265. 中国と日本の行政指導の比較研究(王昕) 河野武司「利益誘導政治のメカニズム」河野武司・ 岩崎正洋編『利益誘導政治』芦書房,2004. 佐藤誠三郎・松崎哲久『自民党政権』中央公論社, 1981. 新藤宗幸『行政指導─官庁と業界のあいだ』岩波 新書,1992. 田中二郎『司法権の限界』弘文堂,1976. デ ヴィッド・ハーヴェイ 著,渡 辺 治 監 訳『新 自 由主義─ そ の 歴史的展開 と 現在』作品社, 2007. 唐亮『現代中国の政治─「開発独裁」とそのゆく え』岩波書店,2012. 中兼和津次『開発経済学と現代中国』名古屋大学 出版会,2012. 成田頼明「行政指導」雄川一郎他編『現代の行政』 岩波書店,1966. 西尾勝「行政と計画」日本行政学界編『行政計画 の理論と実際』勁草書房,1972. 村上義弘「行政指導と法律の根拠」大阪府立大学 経済研究 16 巻 2 号,1971. 毛里和子・松戸庸子『陳情─中国社会の底辺から』, 東方書店,2012. 山内一夫『行政指導』弘文堂,1977. 山内一夫『行政指導の理論と実際』ぎょうせい, 1984. 李明伍『現代中国の支配と官僚制─体制変容の文 化的ダイナミックス』有信堂,2001. 渡辺治「高度成長と企業社会」渡辺治編『日本の 時代史 27 高度成長 と 企業社会』吉川弘文 館,2004. (533) 91 中国語文献: 陈斯彬 「日中行政指导的历史之维」 『华侨大学学报』 (2008 年第 4 期) . 陈斯彬「作为行为和制度的行政指导─日中行政指 导 比 较 研 究」『环 球 法 律 评 论』 (2009 年 第 6 期). 陳翰笙『解放前的地主与农民』中国社会科学出版 社,1984. 高鴻均「中国公民権利意識的演進」『走向権利的 時代─中国公民権利発展研究』 中国政法大学, 1995. 毛桂荣「行政指导在日本─新近变化的研究」『东 南学术』 (2005 年第 1 期) . 莫于川『法治視野中的行政指導』中国人民大学出 版,2005. 闫尔宝「日本的行政指导:理论,规范与救济」 『清 华法学』第 5 巻 2 号(2011 年) . 英語文献: Johnson, C., MITI and the Japanese Miracle: The Growth of IndustrialPolicy :1925─1975, Stanford University Press, 1982. Olson,Mancur, The Logic of Collective Action: Public Goods and the Theory of Groups, Harvard University Press, 1971. Moore, B. Social Origins of Dictatorship and Democracy: Lord and Peasant in the Making of the Modern World, Beacon Press, 1966. Vogel, Ezra F., Japan as No.1, Harpercollins College Div., 1980. [オ ウ キ ン 横浜国立大学大学院国際社会科学 研究科博士課程後期]