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アメ リ カ南北戦争=再建に関する最近の研究

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アメ リ カ南北戦争=再建に関する最近の研究
く 研究ノートノ
アメリカ
南ゴヒ
単式事,再建に関する 最ミ丘の研究
一一「南部」からみたアメリカ 資本主義一一
柄
井
敏
朗
ついては,かつて論じたことがあ
Ⅰ
は
じ
め
る・
( 柄井敏朗「ア
メリカ南北戦争の 経済史的意義」① (2),『横浜経営研
(1985 年 ), XVII1/2 (1987 年 ). この論文
は大幅に加筆訂正の 上, R. P. シャーキー 著 楠井 敏
に
究』 XVI/3
19 世紀のアメリカ 資本主義発達 史を 「南部」の側か
ら振り返ってみるとき ,
・
朗 訳厄貨 幣・階級および 政党
どのような歴史 像が 画き出さ
的 研究
南北戦争Ⅰ再建の 経済
] ( 多賀出版, 1988 年 ) の解説論文として 収
れてくるのか.最近このような 問題意識から 進められ
た内外の二つの 研究に接した・ 一つは, hurence
Sh0re,S0 ぴ肪。Ⅰ 免 Cb が古刀is s, T 鹿侮 。㎡雙 ic㎡ L Ⅰ㎡・
録されている .
行妨 砂が
業革命と巨大企業発達史を 媒介する歴史的事件であ っ
と
囲 Ezite,J882%885,Unive,
由 yofNo,th
Carolina Press, ChapellH 田 , 1986, であ り,いま一つ
は , 辻 円鏡人の一連の 労作 ( 「解放氏 銀行の破産
メリカ南部「再建」に 関する一考察
究
凹
」
№ 533, 1984 年 (以下第一論文と 呼ぶ )
局の成立過程」
論文と呼ぶ )
;
了
歴史評論 ] № 4%,
「南部再建の 一局面
新から廃止まで
丁
ア
歴史学研
;
「解放氏
1987 年 (以下第二
解放氏 局 法の更
」『アメリカ 史 研究
コ
№ 10, 1987
年 (以下第三論文と 呼ぶ );「南北戦争後の 解放黒人をめ
ぐる 法
『
労働法体系としてのブラック・コード
桜 美称論集』
№ 15, 19 ㏄ 年 (以下第四論文と 呼ぶ刀
本稿はこれら 二つの研究の 主要な論点を 紹介しなが
ら, それらの研究史上の 位置づけを試みることを 意図
している
「南部」からみたアメリカ 資本主義発達 史
そこで,筆者は, 可能なかぎり 研究
史を踏まえて ,南北戦争吉 再建がどのような 意味で産
たかの歴史的因果連関を 問うた.だがそこでは・ 南部
更 に関する研究成果が 十分に受けとめられ 展開された
ものとは必ずしも 云い難かった.重点を「北部」にお
いた南北戦争 吉 再建 更 に関する「解説」であ ったとい
った方が正しい.
ローレンス・ショアの 上記の研究は ,南北戦争双後
の 「南部」の経済構造とそれを 支える指導的社会層の
思想と行動が 豊富な原資料に 基づいてみごとに 整序さ
れていること , 辻 内の研究は・
」
であ る.
11
コ
ー
白人の人種差別 観 をべ
スにこれまでのわが 国研究 史 の一般的傾向とは 別の
視角から再建史を 整理しようとした 研究であ ること
で,前稿における 筆者の欠陥を 補足する大切な 事実を
いくつか提供している.
以下, 両 研究の主要な 論点を整理し 紹介しながら ,
研究史の新しい 方向性を探ってゆくことにしたい.
C1) 口一 レンス・ シ 27 の研究方法
ローレンス・ショアの 研究の特徴は ,
ジャクソン 期
19 世紀前半のアメリカ 産業革命と後半の 巨大企業の
成立.産業史および金融史の領域でひときわ 目につく
これらの出来事の 中間に位するのが , 19 世紀アメリカ
の画期的事件,南北戦争および 再建であ る. これがア
後期からポピュリズム 拮頭期 に至るかなり 長い時期
㏄832 Ⅱ 885 年 ) のアメリカ合衆国「南部」の 指導的
社会層の思想と 行動の研究であ ることであ る. この種
の 研究は,筆者の管見にすぎないが ,これまで殆ど皆
メリカ史においてどのような 歴史的意義を 有したかに
無に近い状態にあ ったから,研究史上とくに 大きな 重
56 (136)
横浜経営研究
要 性をもつ研究であ ったといってよい.
Ⅰ
- .
ア
第Ⅸ 巻
-.
ラ
Taoke M ノ Stcm初に対するドナルド・デイヴィドス
アウス
、ンコ アは,奴隷制「南部」を 大きく「 低 南部」と
Ⅰ ゾメ
第 2 号 (1988)
ン,
ジョン
サウス
,
ク
ウ
ンソム , 等の用語解説のなか
高 南部」に区別し「 低 南部」では 綿作 プランテー
ションが急速に 展開を見たのに 対し, 高 南部」では
地形上その発展が 十分でなかったという ,これまでの
研究でも確認されて 来た事実認識を 踏襲している.
だが,ショアの研究の特徴はこの 事実確認に留まら
ず,さらに一歩進めて ,両地域のこのような 経済的差
異を基盤にして 生み出される 階級対立を,指導的社会
層の思想と行動を 通じて描き出していることであ る.
すなわち,
低 南部」の 綿作 プランテーションを 支え
た奴隷所有資本家 (slaveholdingcapitaliSts)
と「 高 南
部」で独立農業を 営む非奴隷所有者 (nonslaveholders)
見通して方向転換をする.かつては 南部の特徴だと 定
義されていた 者価値は以双ほど 強調されなくなった・
このような方向転換は 生き残りのために 必要だと彼ら
「
「
「
では,ほめそやされるようになっている.そして
南部
の指導者たちが 戦後期に採択したかの 経済的方向づけ
は,かかる産業文明に
対して魂を売り
渡した適応だと
非難されるようになっている・
南北戦争期の 指導者た
ちが公然と放棄した 余暇の価値が ,そこで再度強調さ
れていることは ,何よりも大切なことであ る.
……旧来の無定見な
諸外観をかなぐり 捨てて,南部
の 支配的上層社会層に 属する人たちは
,南部の将来を
との階級対立が ,南北戦争を挟むこの時期に「南部」
は信じるようになる.自分たちの 支配権 の継統を正当
の指導的社会層の 思想と行動をどのように 決定づける
ことになったかの 分析であ る.
化するためには ,彼らは国家が公式に定めた 文法書を
全面的に採択しなければならない.戦前期の 指導者た
ここで「奴隷所有資本家」とは ,ショアの独自の ,し
かもかれの立論の 基本的概念であ るので,いくらか 説
ちは,変化してしまった 社会的コンテキストの 中で,
自分が相変らず 成功の道へ向かっていることを 示そう
明しておか ぬぼ ならないなる
と試みるのであ
ぅ
・
ここには,彼の「 南
る・
部 史観」が明確に 反映されている.序文からの 次の引
用文が参考となろう.
「これまで悲劇 史 としての南部 史 が長い間上演され
て来た・・…‥しかし ,連邦脱退から 再建に至る全期間
南部の白人がどのようなリーダーシップをとったかを
の意味で反動的な『双近代的な 資本家』 (Precapital.
ists)
であ ったなら,戦前期の 指導者たちがかくも 短期
考察する時,このドラマの 悲劇的筋書きは 蔭をひそめ
間 に自らの性格を 変えることほ , 極めて困難であ った
てしまい,むしろ 喜 的ともいえる 筋書きの方がより
適切なものにみえてくる.・…‥この
喜劇 は 殆ど完全と
いってよいほど 陰気であ る・奴隷所有資本家,われわ
れにとっては 主役でも何でもないそれが ,このドラマ
で 主役を演じている・ 奴隷所有者の 没落には殆どとい
ってよいほど 同情の念が喚起されていない. 旧 奴隷所
有者の政治の 舞台への 再 登場は,南部社会の 道義上の
再編成を反映するものではない・むしろ 北部と南部の
あ いだに資本家的レトリックの 協調が見られたことを
ろう. しかし,戦前期の 支配的上層社会層は ,前近代
反映している ,
決定的に重要なことは ,変化を被らねばならなかっ
たこれらの指導者たちの 変更しなければならない 事柄
が,いかに少ししかなかったかであ る・もし彼らが 真
的な資本家ではなかった・
自由労働に反対しながらも
そのレトリックは ,気持が悪くなるほど 資本家の態度
や習慣に合致していた.彼ら ほ 自分たちとそっくりな
北部の片割れとそれほどの 相違点をもっていなかっ
た.だからこそ ,戦前期の上層社会層に 属する人たち
は,戦後期のアメリカにおいて ,北部のレトリック と
諸価値を採択するのであ る・ 1 ㏄0 年に南部の一編集者
が論評したように ,奴隷制を正当化していた 指導者た
ちが奴隷解放を 受容 し,『奴隷解放に向かうことを 熱
しかし決定的ともいうべき 皮肉な巡り合せは ,こ
の主役が犠牲を 強いられたことであ る・南北戦争後に
望さえ』
勝利をかちとろうとして ,この主役は,旧くからもっ
アイ テ
テイ ナイ ていた自分自身の 特性を失ってしまった・ 20 世紀の南
部の知識人が , 新しい形で崇高な 意味を賦与したその
しかしながら ,南北戦争双にみられた 若干の価値の
うちで犠牲にされないまま 残ったものがあ った.人種
差別政策がこれであ る・南部 史 およびアメリカ 史にみ
特性をであ る・ 19 世紀の指導者にとってはまさしく 呪
誼の言葉であ った "agra,ian" という言葉が , 「産業
たことはなかった・
文明」に反対する 1930 年の叫び声ともいうべき
させ 得 ,かつ多くの問題で南部白人の 態度を変えよう
ソ
, グ ZZ
し 得たことに誰一人驚きを 感じなかったので
あ った.
られるこの基本的な 連続性は,ただの 一度も軽じられ
南部の指導者たちは ,
自らを変革
アメリカ南北戦争臣再建に
関する最近の 研究 (柄井敏朗 )
試みることも 出来た・しかし ,たった一つの問題,す
なわち,黒人種と 白人種のために 生活領域と労働領域
を区別するという 問題に関しては ,ただの一度も変更
を試みてみようとはしなかった・・…‥」
(Shore,S0 仮ん
e%
G 砂 italists,pp. xi-xii) L 割線……は 楠井コ
と
引用文から明らかなように ,ショアは戦前期の「南
部」で政治的・ 経済的に重要な 役割を果たした 奴隷制
(137) 57
る 点で, ショアの独自性があ る.
ショアは,かかる理論的枠組の 中で,戦前期の「南部」
経済の基本的な 発展構造と,戦中期および 再建期の混
乱から再編までのプロセスを ,その全過程を意識的主
体的に担った 支配的上層社会層の 思想と行動を 解明し
ながら分析するのであ る.
ここで,いま少し,かかるショアのユニークな 方法
栽植農園経営者を ,奴隷所有資本家 (slaveholdingcap. を理解する上で 必要とされる 若干の補足説明を 試みて
italists)
と概念づけているのであ る,なぜか.戦前期の おこう.
栽植農園経営者をかつてビアード 夫妻が理解したよう
に ,「前 近代」的性格のものとは 考えず,むしろ「ゴヒ部
の近代的資本家の 片 割 (counterpans)だと見ているか
」
らであ る・しかも大切なことは
,ショアによって , こ
した考え方がマルクスの 次の理解 (Ma
㏄。
Ⅰ
5MrpZ
ぴs
は姥 , Bd.XXV[
づ,
12, Mor
T 穣 ori-
ヱ
「最も有力な 白人指導者」
「同時代人の 眼および歴
史家の眼から 見て影響力をもったそれ」
う
Co クizdZ, part 2, chap. l2; T レ orig れ
妨 er ノみ M 妨 rtUgrt,ZweiterTeil,
W
Ⅸ, K.,
まず第一に,ショアが 分析の対象とした 支配的上層
社会層 は ついて・ショアはこれを「南部」地域内の
E れ geZ$
ている
と理解し
(Sho,e, 紡仮 。 p.13). 著書, " ンフレット,
定期刊行物,新聞,演説
集 ,大会議事録,書簡集およ
び 日記等,要するに 南部問題および 経済学に関して 著
わされた一連の 著作において 強力な影響を 及ぼした思
S.518 千 24) によって補強されて
いることであ る・「奴隷が 用いられているビジネスは ,
想形成者がこれであ る.
資本家によって 行なわれている.彼らが 導入している
生産方法は奴隷制から 生じたものではなく ,その木に
接木されたものであ る・ この意味で同じ 人間が資本家
であ り土地所有者であ る」・ (Shore,の・。it.,p.14)一一
われわれがこれから 取上げようとしているローレン
ス・ショアの「奴隷所有資本家」なる 概念がかかるも
第二に,原著に現われる「指導者」 (leaders), 支
配者 (rulers), 「支配的上層社会層」㏄ uling e ℡ e)
のであ ることに, まず留意さるべきであ る.
方 ,先にもみたように,戦前期の「南部」では 奴隷制
生産様式が双資本主義的イデオロギーを 形成するとい
つぎに大切なことは ,ローレンス・ショアのかかる
「
」
なる用語について. これらの用語はショアにあ って
は,マルクスのいう 意味での「支配者階級」㏄ uling
class) ではない・
ショアは「権 力はつねに富の 所有の
結果として生じる」という 金言を受容しているが , 他
する際の産業資本家と 独立自営農民との 類別に対応し
う考え方を拒否している ,そして「指導者」,「支配的
上層社会層」なる 用語を,いずれも ,「世論の形成者」
(shapers of the public mind) や「イデオロギー 創出
ていることであ
者
「理俳型」的類別
奴隷所有資本家と 非奴隷所有者の
類別が,ショアにあ って,「北部」の 資本主義発展を 分析
る・
もう少し数行すればこうであ る.
」
(ideologists)と,交換可能なものとして 使用して
いるのであ る.
「北部」における 資本主義の成立・ 展開の基本路線
は, ローレンス・ショアにあ っても独立自営農民層の
こうしてみてくると ,ショアには,カール・マルク
外
に 議所
ど
土
み両
はの
っ解
資本主義の成立・ 展
達者
発育
奴
井
ほろ
﹂ た
(奴隷所有資本家と
部属
路,
独
0 ナ︵
Ⅱ
ヒ農民
、営
いることが知られよう・
線,
は
上
エ目
た ・これに対して「南部」における
木ど
墓れ
スの影響が,批判的にではあ るが,色濃くあらわれて
開た
両極分解 (産業資本家と 賃金労働者への 分解 ) であ っ
零細な非奴隷所有者 ( 貧農 への分
コ
解 ) であ った.一一
だが「南部」における 独立自営農民二非奴隷所有者
層の両極分解から 生み出される 白人社会の上記の 階級
対立に,人種差別という 非経済的要因からもたらされ
る 別の階級対立が 加味されてくるところに ,「北部」社
会と区別される「南部」社会の 独得な性格を 認めてい
さらに,われわれ 日本人研究
者にとって興味ぶかいことは ,アダム・スミスの 経済学
や,マックス・ヴェーバ 一の社会学,とくに「宗教社会学
論集』に収録されている「プロテスタンティズムの
倫
理と資本主義の 精神」との深いかかわりであ る,
社会科学の形成・ 展開に重要な 影響力を及ぼして 来
たこれらの人々の 理論に独自な 解釈を施しながら ,こ
れらを経糸と 緯糸に用いて 織りなしつつ ,先に見た理
論的枠組みを 構築したところに ,
ローレンス・ショア
の方法的独自性があ るよさに思われる.
58@ (138)
横浜経営研究
第 Ⅸ巻
第 2 号 (1988)
(2) 職 前期の「帝都」の 階板対立
で 奴隷制反対論者であ ったセント・ジョージ・タッ ;
一一その 二 文杖進一一
一の思想 (奴隷制は自然法および 市民社会の法律に 反
するだけでなく ,すべての人が平等だとする 政府の最
ローレンス・ショアは 戦前期の「南部」の 階級対立
を, まったく性格の 異なった二種類の「対立」の 複合
と捉えている.一つは ,競争的市場経済の基盤の上に
成立して来る「 低 南部」の奴隷所有資本家と「
高南
部」の非奴隷所有者の ( 白人種間の ) 階級対立であ
る・いまひとっは ,白人の黒人に対する人種差別に 起
因する非経済的な 階級対立であ る.かかる二重の 階級
状況のなかで ,輸出向け綿花生産に 特化し,致富を進
める奴隷所有資本家は ,
どのような論理構成を 施して
自らの政治的,経済的,社会的存立の
正当化を企てた
のか. 「南部」の支配的上層社会層の 思想と行動に 関
するローレンス・ショアの 研究は,まさしくこの 問題
意識に支えられて 進められたものであ った.
まずショアは , 1830 年代から始まったクウェーカー
教徒その他による 奴隷解放運動に 対して,奴隷所有資
本家がどのような 形で「奴隷制擁護論」を 展開したか
を論じる,
彼が取上げた 主な思想家
「奴隷制擁護論者」として
良の形態
民主主義や合衆国憲法の 精神
にも反
するという思想 ) や ,労働価値観に基礎づけられた ア
ダム・スミスの「奴隷労働批判」
(生産力の増強は 自
由労働に立脚するものがあ って,奴隷労働はコストも
高く , 富の基本的双提条件を 侵害するという 思想 ) に
対する反論であ った.
ラフィンもバレッバも ,黒人と白人が労働に対して
異なった諸条件のもとにおかれていること ,黒人ほ太
陽の下での単調ではあ るが厳しい農作業に 適している
が,白人は屋内の知的な労働に 適していること ,この
ため,絶えざる 肉体労働から 逃れ出ることのできない
「北部」の農民と
異なって,「南部」の白人は余暇をも
つことができることを 自明の原理のごとく 肯定し
「劣等人種の 奴隷化は南部を 北部の身の毛もよだつ 運
命から救っている」 (Shore, め材 。 p.17) と誼い 上げ
た・彼ら ほ ,分業こそ生産力増進の 基礎で富を形成す
る 前提条件だとした A
.
スミスの分業論を 受け入れな
は,ヴァジニア刈 良案協会 (State Ag,icultu,alSoci,
がらも, これを白人種と 黒人種のあ いだの人種間分業
ety) の会長 ェ ドマンド・ラフィン (Ru 伍n, Edmund,
A ルかeJ5toz 庇 yirgi 穏材 Szate 且gric ひ Zzurん 5ociezノ,
Richmond, P.D.Bem 盤d,1853;d 血 o, T ル Dior ノ 0/
E メ梯ぴれ こ R ぴ節れ, edited by William K.Sc 虹borough,
2 vols., Baton Rouge, Lou ㎞ ana State University
Press, 1972; ditto, T 俺 召oZigic援 Ec0no 笏ノ 0/
S 屋ヮer ノ, Washington, Lemuel Towers, ㏄ 8) であ
にみごとにすりかえて , 白人優位の奴隷制生産こそ 神
Ⅰ
工
り,ウィリアム・アンド・メアリ 一大学の歴史学・ 哲
学 ・法律学教授, トマス・ R . デュ ウ (Dew,Thom
俺
R 。 "Review of the Debate in the VirginiaLegisla.
ture",in五加e Ⅰ ゐ囲 Q ぬ Ⅰサダ 奴 穴印化竹口 Sept. 832
Ⅰ
コ
・
穣尹ro パ肋 叱り A Ⅰざぴ屋㎝Ⅰの中に
も収録きれている ) であ り,ウィリアム・グレッバ
同論文は dMo,
(Gregg,
T
WilliaIIl, Es5 ゆ s on
ぬる , rep.ed., Grmitev
Do
屋 gst
ゎ肋d%szrノ,
Ⅲ e, S.C., Graniteville㏄・,
1941) であ った・また 1840 年代に発刊された「南部」
の代表的定期刊行物, Thg
ひ ieW
苫。緩 ぬれりぬれ㏄ り熊 -
(Chdston, S.C,) や DeBo 援㌧火の化 W
0,leans) に掲載された 論文にも注目している・
要点だけを紹介すれ
(New
ば ,これら「奴隷制擁護論」
ほ ,黒人に対する白人の人種差別を 正当化した理論で
あ ったということが 出来る.これは,建国期の思想家
が人間に与え 結 うた恩寵だと 擁護したのであ った.か
くて彼らは, 例えぼ グレッバにみられるように ,
「
南
部 」にみられた 商工業の相対的無視を 一方で修正しょ
うと努力しながらも ,基本的なところは,農耕地と黒
人労働力と利潤と 余暇を不断に 拡張でしつつあ った,
奴隷制を擁護し 続けたのであ った.
「南部」の奴隷制とは , したがって, ショアによれ
ば ,前近代的な生産方法などではなく ,人種差別とい
う経済覚的条件から 生み出された「南部」特有の 階級
対立を前提とした 生産方法であ った・ この点で「南部」
は,辛労働こそが無条件に尊重された ,小農場と無数
の商工業中心地から 構成きれた人ロ 穂 密な「北部」の
農業社会と決定的に 違っていた・
「北部」では , 「南
部」の支配的上層的社会 典 が反論し続けたセント・ジ
ョージ,タッカ 一や A
.
スミスの思想が ,当然のこと
として実行に 移されていた.
「北部」における 人口の
増大と生産力の 急激な発展は ,まさにかかる 条件から
もたらされたものであ った.
だが「南部」においても ,かかる「北部」型の 発展
高 南部」に
の道がまったくなかったわけではない.
「
民 たる数百万人もの 白人非奴隷所有者
アメリカ南北戦争 キ 再建に関する 最近の研究
がいて,
「北部」の農民と 同様,単調で厳しい農業労
働に従事していたのであ る. ショアはこの 無視しえな
い重要な事実に 注目し
「南部」社会におけるいま
一
つの階級対立 ( 白人間の階級対立 ) と , これに立脚した
支配的上層社会層のいま 一つの思想と 行動を分析した
のであ った. そこでは,現実に 可能な二つの 道が深刻
に対立し合っていた
,
第一は,白人種間の階級対立を回避し
一体となっ
(楠井
敏朗 )
て ,厳しい階級対立状況が 進展していたからであ った
(Sho,e, め村・,p.49).
かつて「南部」諸州で 開催された商業会議 (com.
mercial convention) では,「南部」経済を活気づける
方法として,国内開発計画,南部農産物のヨーロッパ
向け直接輸送,通商・ 作付 ・製造業に関する 統計的情
報の普及が取上げられていた. しかし 1856-59 年の
時期には「奴隷貿易再開」が 重要な関心事となってい
て黒人種に当たらせよ うと ,非奴隷所有者を 不断に奴
隷所有資本家に 上昇させようとした 思想と政策の 提出
であ る. 1850 年代の「南部」で 提唱された「奴隷貿易
た (Shore, め材 ・, P. 52).
再開論」がこれであ った
め仮 ・, pp.49-50).
と
ショアほい
う
「再開」 ほ
・
奴隷価格の低落をもたらし ,勤労によって 致富した非
奴隷所有者に 奴隷所有資本家になる 道を提供すると 考
えられたからであ る.
第二は,白人種間の階級対立を基本的対立とおさ
え,非奴隷所有者を ヨ ーマンとして 仕置づけ,「ゴヒ部
型の道をたどらせようとした 思想と政策の 提出であ
」
、(139)@ 59
ェ
ィ
ムズ, H
,
サウスカロライナ 州知事ジ
アダムズは, 1856 年 ml 月 , 州 議会に対
して「奴隷貿易再開」を 訴える教書を 送った (Shore,
だが,かかる訴えは,奴隷所有者のなかの 別 利害 (奴
隷飼育 州 となっていた「 高 南部」の奴隷所有者 ) から
猛烈な反撃にあ って実現されなかった (Shore, め仮 。
p.51). 「再開」によってもたらされる 奴隷価格の低落
が , 彼らを窮地に 追い込むことになったからであ った・
ノースカロライナ 州の非奴隷所有者, ヒルトン・ R.
る. 1854 年に結成された 共和党の基本原則が ,合衆国
にとってもっとも 必要とされるものこそ 完全に自由な
ヘルパーは, 1857年,有名な [ さし迫る南部の 危機
労働者の国の 実現であ り,「労働の 尊厳」 (dignityof
1血 or) に対する無条件な 信仰であ ることを 誼い 上げた
SOMt ん , H 。W zo M ㏄Ⅰ ん , 1857, rep. ed., Cam.
bridge, Mass., H 虹 vard Universjty Press, 1968) を
原則であ ったことは よ く知られている・
この共和党の
発表した. この著作は,「南部」の非奴隷所有者に 対
デオロギ一に 染
して,「北部」型の 発展の道を訴えた 共和党理俳の 表明
基本原則がいま ,
「奴隷制擁護」の
ィ
の 上げられていた「 高 南部」の非奴隷所有者に 対して
(HeIper, Hinton
山
R., T 鹿エれタ ㎝ 荻 ng Cris;5 0/ 妨 9
(奴隷制反対論 ) であ った (Shore, めid., pp.6%67)
革命的な警鐘となった (Shore, あ㍊・, pp.42 ヰ 8)
ローレンス・ショア は , 1850 年代の「 高 南部」にお
けるこの相対立する 二つの思想と 政策の提出こそ ,
「南部」の奴隷制解体を 告示する決定的指標であ った
と 正しく分析している.
奴隷制「南部」社会は ,すでにこの時期,解体の危
機に瀕していた. 「南部」は,まさにこの時期,奴隷
所有資本家と 非奴隷所有者のあ いなで決定的な 階級対
立に入っていた.非奴隷所有者は 勤労によって 富を蓄
メ ﹂
ア話
神
た ﹁
れて
ソ
,
者
﹂
の
い
昇か
上た
へけ
家づ
てり
絶た
,
・
独,
行,
を ハ丈
道め独
る ﹁
す め
しても,黒人奴隷価格の 高騰という現実にぶつかっ
本徴
賀持
有を
折金
隷社
奴カ
横
の 南部 版は ,もはや現実に可能な道でなくなっていた
のであ る.これを救う 唯一の解決可能な 方法は,「奴
隷貿易再開」でしかなかった・「 高 南部」への共和党
の 働きかけは,まさにこの 危機状況の中で 展開した
ものであ った. 1850 年代の「南部」では ,奴隷所有資
本家が集中する 一方,数多くの自由労働も存在してい
(3) 旧 「南部」社会の 解体と「再建」
接 本家の「対応」の 輪 理一一
奴隷所有
南北戦争から「再建」期のすべての 時期,南部社会
は,いままで見て来た二重の 階級対立を基盤にして
きく揺れ動くことになった・
大
戦争はかかる「対立」を
強めた.敗戦はかかる「対立」を 再編成した・その 過
程はど
う
だったのか・
ローレンス・ショアはこの 過程
を 冷静に 跡 づけている
非奴隷所有者 は 「金持連中の 奴隷保持のために 闘い
たくない」としばしば 宣言した・「奴隷所有者に 反対
する激しい感情が 再燃していた」 (Shore,ib仮 ・, p.81).
非奴隷所有者は ,この戦争が自分たちを解放するため
の戦争だと考えていた (Shore, ゐAd.,p.81). これに
対して奴隷所有者は ,戦争の目的は 奴隷制の維持だと
考えていた (Shore, めid.,pp.81-82). 彼らにとって
独立 (連邦からの脱退 ) ほ ,南部連合が真先に選択すべ
き事柄であ ったし,戦争は ,奴隷制の維持,財産の
維
60@ (140)
横浜経営研究
第Ⅸ巻
持 ,余暇を有する生活の維持のための 最大の目標であ
った・
彼ら ほ 「奴隷貿易の 再開」を拒否した
(乃 id.,
p.85).
第 2 号 (19㏄ )
けしようと目論んだものであ り,反動的世界観の 表明
(Ibょぱ ・, p.
105). ミシシッピ州議会は ,さらに「浮浪者取締法」
以外の何ものでもなかつた
と
ショアはいう
(vagrant act) を制定して,浮浪者たることの認定を
戦争末期になってその 軍隊がほとんど 無に帰してし
まうだろうという 局面に追い込まれた 時 ,奴隷制維持
白人に与えることによって 解放氏 が 栽植農園から 離れ
を 大義に掲げたこの
て 別の職業機会を 求め歩くことを 規制しようとした
戦争は自家撞着に 陥った. デイヴ
ス 政権 は,黒人軍の利用だけでなく ,黒人の最終的
解放を認める 提案の審議を 開始した. だが, 旧 「南
部」のアイデンティティ 一の完全な崩壊を 意味したこ
の提案は,終局的には 承認されなかった. もちろんこ
ィ
の 「解放」提案を 支持する人々もいた.彼らは 奴隷制
の存続を犠牲にしても ,南部連合の「独立」の 達成を
望んだ人々であ った (Shore, ゐ仮 ・, pp,82-94).
戦時中のかかる 利害状況を受けて「南部」ほどのよ
う
一
な形で「再建」を 達成したのか.
ここでローレンス・ショアは ,『風と共に 去りぬ
(Ib&id.,
p.105).
しかし「プラバマティック 保守主義者」がこのこ
と以上に重視したのは ,奴隷制の廃止を幸運を抽むた
めの新しい機会として 利用しようとした ,変化した条
件へのみごとな 転成の道であ った.すなわち,「南部」
は今後,「コヒ 部 」の物質的エネルギーや 機械技術や移
民政策を採用しなければならないという 考え方の積極
的受入れであ る, ショアは, Z,B. ヴァンス (Vance,
ZebuIon
コ
B 。 T 稜且砕け so/ Z めぬ 0 れ B . Ⅱdnce,
by F. W.
Johnston, Raleigh,
の女主人公, スカレット・ オ ウハ チ の生きざまから 分
Archives and
析を始める.そして彼女の生きざまこそ「南部」の
Hon.
支
Z.B.
edited
State Depa 丘ment of
Histo り , 1963, d モ o, Sp ㏄ 妨
ア律 ce. …‥ delivered on
ダ坊 e
。
l6 March
Ⅰ
860 ,
配的 上層社会層のこの 期に臨んでの「対応」の 仕方で
あ ったと明言する (Shore, ゐ仮 ・, pp.ggP124). 奴隷解
Washington, Lemuel Towers, 1860) や, J.D.B.
ドゥ ボ ー (DeBoW し R 傑セ功, New
Orleans の戦後シ
放を揺がぬ既成事実として 承認した上で , 生き残りの
リーズに 掲乾 された諸論文 ) の主張のなかに ,そうし
ために旧思想のすべてをかなぐり
た動きを認めている (Shore, i&iは・, pp.l1 缶 118,
捨て , 自ら進んで
17 社
「北部」型の 資本家 (産業資本家 ) へ 転成してゆこうと
するその生きざまであ る. このことを彼らに 可能にさ
180).
せたものは,「戦双期の 指導者たちが 資本家の倫理
て ,ショアは , 旧 「南部」を崩壊に 導いた次の二つの
(capitaIisticeth ⑥ と結びつけられた 基本的な価値観
原因を挙げている・
をかつて拒否したことがなかった」からだとショアは
云う (Shore, め仮 ・, p.l51). ショアは,このような 生
素として考えられている ,豊かな人口,多様化した
産
き方をする人を「プラバマティック 保守主義者」と 呼
んだ (Shore, ibiは・, p. l01). かれらはいまや 次のよう
に宣言した.「奴隷解放はわれかれにとって 災害では
ない. 旧制度の誤りを 修正する新しい 機会であ る」と
{Ibid , , p , 151) ,
彼らの取組んだ 最初の仕事は ,労働の再編成であっ
た .彼らはこの目的のために 1865-66年に「黒人取締
ブ ラ
を 制定した・これは
-
ツⅠ
ソ
めに制定された 州法であ ったが,解放民を 栽植農園と
白人監督者に 縛りつけ,同時に,非奴隷所有者に対し
て,奴隷解放後もいままで 通り黒人と白人とのあ いだ
の経済的活動領域の 区別を保証しようとした 法律であ
った (Shore, ibid., p.102). なかでもミシシッピ 州,
(1865年 12 月
制定 ) は,解放民を永続的に農業労働者の 地位に鉢付
サウスカロライナ 州での「黒人取締法」
第一は,社会的富 増進の基本的要
業,家族経営の農場の「南部」における 未発展であ
る.第二は ,「南部」社会の 頂点に位する 栽植農園経営
者に対する非奴隷所有者の 嫉妬と憎悪であ る 佛材 ・,
p.119). われわれは,これを,奴隷制の普及によって
ステロ化された 社会的分業の 歪みと,それによっても
たらされた生産力の 停滞,および奴隷制分解によって
生じた二重の 階級対立と云い 換えることができる・「プ
ツク
分離諸州で黒人を 取り締るた
プチンテ
かかる転成の 道を彼らに強制した 決定的動機とし
ラグマティック 保守主義者」は , 旧 「南部」のかかえ
たかかる欠陥を ,「北部」のビジネス・エリートの 労
働倫理 (dignity-of-laborethic) を借用することで 除去
しようとした (Shore, あ材 。 pp.l19-120).
「再建」期の「南部」でいま
一つ無視できないものは
共和党指導者の 役割であ った・彼らは 旧 非奴隷所有者
と何奴隷という 二つの集団に 関心を集中した・ 彼ら
は,奴隷制が, 自分の手で働く「南部」の 全ての人々
の地位を堕して 来たと訴えた・そして ,白人貧民と解
アメリカ南北戦争 二 再建に関する 最近の研究
放 民は共和党の 原理を実践することで 価値あ る地位を
かちとることが 出来ると主張したのであ った (Shore,
め材 ・, p.125).
かかる希望と 期待を粉砕してしまった・
これによって
(141)@61
敏朗 )
実現するものとなった. 「南部」におけるシェアクロ
ッパー制度の 成立と確立であ る.
、ンコ
だが,ジョンソン 大統領の「再建計画」は , 彼らの
(楠井
アは次のように 叙 べる. 「解放民は出来るだけ
白人から独立したものであ りたいと望んだ.現金で 支
払われる賃金制度とちがって ,収穫された作物のうち
旧 指導者の復権 と「黒人取締法」の 制定が達成された ,
から一部を現物で 支払われるシェア・システムは , 年
黒人奴隷の解放は ,いまや名目的なものになってしま
々職場を変える 賃金縁侍者の 機会を維持出来,
った. ショアは云
注意深い監督から 逃れることが 出来たシステムであ
う
.
「黒人の解放が 名目的ならば ,
白人の解放など 起こりえようもない」
(Shore, め仮 ・,
p.130).
1867 年共和党急進派によって 実施された「議会によ
る再建」 (CongressionalReconstruction). これは,
戦前期および 戦中期の「南部」における 白人間の階級
対立が,奴隷解放後にもそのままの 形で残っていると
想定して打ち 出されたものであ った. しかし,「黒人
取締法」の諸規定が 示しているように ,この階級対立
は,「再建」期に ,かならずしも 共和党の路線を 定着す
っ
たからであ る.解放民も 栽植農園主も , 土地が豊富
で ,労働力が不足しており ,かつ綿花に対する需要が
最優先課題であ ったところでは ,小作人や労働者を 求
める地主間の 競争が,不可避であ ることを十分なほど
理解していた」.「多くの 栽植農園主は ,
自由な黒人労
働とシェア・システムの 効果に満足を 表明した. 多く
の人は現物支払の 方が現金で支払われる 賃金よりも
一
層 勤勉に導く誘因だと 信じて疑わなかつた ,労働も賃
金も不足していたから ,多くの栽植農園主は ,熱心に
・ンエアク
るものに は ならなかった. 「黒人取締法」の 制定は,
黒人解放氏との 競争を軽減したいと 望んでいた自ら 労
倒 する白人に, 自分たちのかかる 要求が,共和党でな
く民主党の支配によってこそ 実現されうるものだと 理
解させた (Shore, ibid.,p.131).
白人の
ヰクピソバ
ウソ トヲ
クト
現物小作契約に
入っていった」
(Shore,ibid., p
158).
かくて奴隷解放そのものが「南部」の 階級状況を変
化させてしまっていた.独立自営農民の 奴隷制からの
解放という共和党の 原理と政策 は ,黒人抜きの「北
「南部」でほ 民主党が復権 した.同党は「プラバマ
ティック保守主義者」を 中心に,共和党の 敷いた経済
成長政策を推進した.「プラバマティック 保守主義者」
は,白人優位の支配体制を残したままで 戦前の「奴隷
制擁護論」をかなぐり 捨てることが 出来た.彼らほか
って非奴隷所有者に 対して提示した 共和党の階級的訴
部」的条件のもとでは 解放政策ではあ りえても,黒人
えを無断で借用し ,共和党と「南部」の 非奴隷所有者
が現実に自由をかち ぇ , 白人と身近かに 競争し合
非奴隷所有者を 解放せしめる 政策にはなりえなかった
の間で結ばれていた 命綱を切断し ,共和党を非難し
た.かくて彼らは 自ら変化した 経済的環境にみごとに
順応し戦前期と 同様,人種差別主義者のままで 資本
のであ る.
家であ り続けた.そして 南部 更 に新しいぺ ー ジを開こ
う
よ
うになった新しい「南部」的条件のもとでは ,決して
かくて奴隷解放は ,
「南部」で,かつての二重の階
級対立を次のような 形で一元化してしまった.戦前期
から戦中期に 対立し合っていた 奴隷所有資本家と 非奴
隷所有者は,解放民の 出現によって 白人として一体化
うとした共和党の 力 を圧倒し去った
(Sho,e, あid.,
pp.147, 173-176).
かかる結果をもたらした 決定的要因は 何であ ったの
か. ローレンス・ショアはこの 問いに対する 回答とし
し ,すべての黒人に相対するものとなった.そして ,
て ,いままでに繰り返し 叙 べて来たように ,白人の黒
かつては個々の 奴隷所有資本家に 個別的に隷属してい
た黒人が,いまや全体として白人に 従属するものとな
人に対する人種差別を 挙げている. 白人と黒人との 生
活領域と経済領域の 区別を求める 人種差別の要求が 全
ったのであ る. 「北部」の独立自営農民と「南部」の
てであ った・ ポピュリズムが 拾顕 し始める 1880 年代
非奴隷所有者を 奴隷所有資本家から 解放するという 意
味 をもっていた 南北戦争 (Shore, め仮 ・, p.134) は,か
末 ,「再版奴隷制」ともいわるべきシェアクロ
くて,また,黒人奴隷解放という
現実に直面して 本来
の意味を失い ,かつて「南部」を 支配した奴隷所有資
本家を復権 させ,非奴隷所有者と 解放民の小作農化を
,パー
制度は確立していた.同時に 戦前期の非奴隷所有者も
また,没落して 貧農化してしまっており ,黒人小作農
と 変らない経済的条件の 下に堕ちていた.
1880 年代の白人貧民の 状態について , ショアはつぎ
62@ (142)
横浜経営研究
第Ⅸ巻
のように要約している.
「工場労働者は……破滅的に
安い賃金で働いていた.
日雇農場労働者は 殆どといってよいほど 仕事を失って
いた.彼らは自分たちの生活のきびしさを ニ 以前にも
ましてつましい 地主山の政策のせいにした.商人たち
は, 主として人造窒素肥料や 食料品を取扱う 代理商で
あ った.彼らはとうの 音 ,楽な生活を求めて『梨を 使
うことを棄て ] 去っていた.・…‥小土地所有者は ,
自分の手作業で 綿花を生産していた 山が , 年々貧し
くなっていた.青年は 町に出て事務員となった・
彼ら
の母親 は 亭主と一緒に 野良に出て 綿 作りをしたため ,
子供に適切な 教育などやろうにも 出来なかった. この
F
々両親とともに 野良に出た」.「かっ
第 2 号 (19%)
以下 辻 内の四篇の論文を 出来るだけ体系的に 理解す
るよう努め,論点を 整理し紹介しながら ,両者の研究
を土台に今後の 研究の方向性を 探ってみたいと 思、う .
(1) 奴隷制廃止と 解放長銀行の 投 立
社内の研究は 大きくみて三つの 領域にわたってい
る.第一は,解放
氏 銀行 (正確にほ解放氏貯蓄・ 信託
会社 Freedman,s Savings and Trust Compmy) の成
立と破産に関する 研究
(第一論文 )
であ る.第二は解
放 民同に関する 研究 (第二・第三論文 ) であ る.第三
は 「黒人取締法」に 関する研究 (第三・第四論文 ) で
あ る.
解放氏銀行とはその 正確な名称から 明らかなよ
う
て黒人奴隷制の 擁護者であ った王者たる 綿花そのもの
に,
「かって奴隷制のもとにっながれていた」解放 氏
が ,今や,南部の
白人貧民を奴隷化するものとなって
いた」 (Shore, あ仮 ・, pp.176-177). ( 割線…… 楠井コ
のために彼らの 小額な資金を 受け入れ利殖を 促す貯蓄
金融機関であ った. これが普通の 貯蓄銀行 (mutu 杣
savings bmks) や信託会社 (trustcompany) と異なっ
しかも大切なことは ,古典派経済学がかって 教えた
「労働倫理」 (dign吋 , of-Iaborethic) が,いまや独立
, 自営農民のものでなく
ヰ
,
,ビジネス・ニ
% リ 一下が自らの
ていた点は,第一に 連邦議会の制定した 法律で設立認
可された機関であ ったこと,第二に 支店を有したこと
確立した経済的地位を 正当化する倫理に 変ってしまっ
であ る.
ていたことであ った.
辻内は ,わが国の金融史 研究でも,南北戦争 テ 「再
史 研究でも, これまでまったく 顧みられることの
なかったこの 特殊な貯蓄金融機関にスポット・ライト
建」
I11 「奴隷解放」の 意味したもの
一一 辻内鏡 人の研究を中心に
ローレンス・ショアの 研究がジャクソン 期 後期から
を 当て,奴隷解放後の
黒人の「経済的自立のための 資
金」の行方を 追っている.黒人奴隷が経済的独立を 達
成するためには , 自立のために 必要な最小限の 土地ま
ポピュリズム 拍頭期 に至る約半世紀の「南部」の 諸変
たは貸金がどうしても 必要だったからであ る・かの有
革の歴史的意味を 問う思想史的研究であ るとすれば,
辻 円鏡人の研究 は , 「再建」期の 対解放民政策に 焦点
を 絞って考究された「奴隷解放」に 関する政治史・ 経
済史・社会史的研究であ るといえる.
名な「 40 エーカ一の土地と 一頭の螺 馬 」という政策
相互にかかわりなく 進められた両者の 研究には驚く
ほど共通した 音調が流れているから ,読者は不協和音
を 感じることなく ,相互に補いながら 同時併行的に 読
み進むことが 出来る. ここで共通の 音調と述べたの
は ,共和党急進派が奴隷制廃止後に 解放 氏の 「自立」
のために打ち 出した政策 (「南部自営農地法」 ) であ っ
た.ここで辻 内によって取上げられた 解放氏銀行は ,
同様に共和党急進派の 一人, チャールズ・サムナー
(Charles SunUie,) によって提案され ,修正の上,
連
邦 議会で設立認可された
解放民の資金的「自立」をめ
ざす公的機関であ った・
,結局,法案段階で
は,第一に,「再建」史が「南部」の 旧 奴隷所有者の
側から問題にされ ,彼らの企図した戦後の統治体制の
葬り去られたように ,解放氏 に対して「自立」のため
方向性が,「北部」との 対抗のなかで 画き出されてい
0 基金を増殖させようとする「解放氏銀行」も
ること,第二に,南北戦争Ⅰ「再建」の 歴史的意義が ,
白人の黒人に 対する人種差別 観 をべ ー スにして整序さ
年恐慌後あ えなく崩壊してしまう・それほどうしてで
れている点であ
「再建」の経済史的意味を「南部」の 側から問い直そ
る・
この二つの点で 両者の研究は , こ
れまでの南北戦争Ⅰ「再建」 史 研究と著しく 異なった新
しい視座を提供しているものと 評価されてよい.
しかし,
「南部自営農地法」が
あ ったか.
, 1873
辻内 はこのように 問題を設定して ,
うとしている.
辻内は ,まず,奴隷であ
った解放氏がいかにして 貯
アメリカ南北戦争Ⅰ再建に
関する最近の 研究
著 するほどの「資金」を 入手したかを 問う・それは ,
他でもなく,第二次叛乱者没収 法 (1862年 ) 以来連邦軍
の兵士として 解放氏が戦争に 参加したことによってで
あ った.軍務についた 黒人兵士は,その代償として 給
与 や執賞金を受けとったのであ った. この給与や報 賞
金 が自立のための 経済的「基金」として 解放氏銀行に
預け入れられることになったのであ る.解放氏銀行の
設立は 1865 年のことであ った.
ところでここに 一つ大切な問題が 残る.解放氏銀行
が貯蓄・信託会社であ ったことであ る・すなわち , そ
れは解放氏のための 貯蓄金融機関ではあ ったけれど,
受け入れた基金を 用いて信用創造を 行ないうる語の 厳
密な意味での 銀行ではなかった.
当時貯蓄銀行の 主要な業務 は ,小額の資金を貯蓄の
形で民衆から 集めて,最も 健全だと考えられた 投資 口
であ る商業銀行へ 預金するか,または国債や州 債へ 投
資するかして ,預金に対する利息と運用によって 得ら
れる利益の差額から ,利潤を得るところにあ った・解
放 氏 銀行も貯蓄銀行としてその 例外ではなかった・ 解
放 氏 銀行はまさにこの 貯蓄銀行としての 資格で,連邦
通貨監督官の 管理のもと, これを商業銀行に 預金する
か,合衆国公債または財務省手形へ 投資するか,さら
にコール貸付をおこなうか ,そのいずれかを義務づけ
られたのであ った. もちろん解放氏に 対して融資を 行
なうことなどできなかった ,解放民の貯蓄によって 集
められた資金が 解放民の居住する 地域内で循環しなか
ったこと,解放氏銀行が 解放民の自立のために 十分な
機能を果しうる 機関でなかったことに 留意されねばな
(楠井 敏朗 )
(143) 63
第一は,「南部」の 治安の安定とともに 黒人連隊が漸
次解散して小規模化し ,従軍報賞金が減少したこと・
第
二 は ,一店舗当りの営業コストが 諸 他の貯蓄銀行に 比
べて大きかったこと.第三は ,そして,このことが
決
定的に重要なことであ ったのだが,本店をニュー ョ一
ク からワシントン D. C. に移すことに 伴う組織改革
(1867年 ) によって,同行の理事を務めたファースト・
ナショナル・バンクの 頭取でジェイ・クックの 弟であ
ったへン リー
・
D . クックの影響力が 強化されたこ
と.そして,その
結果,第四に,解放氏銀行の資金運用
計画に大きな 変化が認められるに 至ったことであ る.
まず巨額な運用資金が ,当時利回りが低下しつつあ っ
た国債から収益率の 高い鉄道 償 へ投資先を変更し 始め
たこと.次いで,運用資金に回してほならない 手許 資
今 までがコール 市場で運用されるに 至ったこと. さら
に, 1870 年の設立条例の 修正で運用資金の 1/2 までが
不動産を担保とした 債券ないし証書貸付に 向けられる
に至ったこと.加えて 多額の現金が ジエイ ,クック商
会のワシントン 店に預託されたこと.
かくて解放 氏 銀行は,最終的に1873 年恐慌によって
崩壊し去る 1870 年代初頭の,鉄道投資に 導かれた投機
熱 に深く関与するに 至り, ジェ ィ ・クック商会の 倒産
と運命を共にするに 至るのであ った.
(2) 解放氏 局投置 の 惹 接
近内の研究は ,奴隷制廃止に伴って生じる「南部」
の政治的,経済的,社会的混乱が
,最終的にはどの利
害によってどんな 形で収拾され ,いわゆる「再建」が
導き出されることになったかを 明らかにするものであ
しかし,それはともあ れ,この貯蓄銀行は,当初, った .政治史家がこれまで試みて来たような「共和党
かなりの業績を 挙げた. 辻内 が明らかにしているよ う
急進派内部の 路線闘争史観」がここでは 退けられてお
に,解放民の預け入れた貯金に 対して平均して 年利
り, 「南部」の 旧 奴隷所有者が 戦後の統治体制をど う
5 ∼ 6% の利息を支払った.解放 氏は , この元利合計
方向づ けよう としたかという 問題関心から , 「北部」
とで
を元手に土地,建物を 購入し,種子・ 農具の代価を 支
と「南部」の 支配階級相互間の 対立あ るいは妥協の 現
実状況が考察されている. したがって, ここでは,解
払い,教育費や機械の改良費としても 使用した. この
意味で解放 氏 銀行ほ解放氏に 対する融資機会を 持ち得
放 氏を 「北部」側の 利害に沿って 把握しようとする 意
なかったけれど ,彼らの零細資金の蓄積に多大の 機会
思と「南部」の 旧 支配者側の利害に 沿って掌握しよう
とする意思が 衝突したさまが 明快に描写されている.
を与え , 彼らの経済的「自立」に 大いなる便宜を 供し
たのであ った.
解放氏銀行や 後に見る解放氏局の 設置は双者の 意思の
だが崩壊は間もなくやって 来た.最も安全確実な 運
表明であ り, 「黒人取締法」の 制定は,後者の意思の
用によって始めて 存立を保証される 貯蓄銀行が,本来 表明であ った. 辻内 がここで両者を 対立させ,対抗関
の運用方法から 脇道に逸れてしまったからであ った・
係で捉えている 点注目されてよい.
らない.
も
崩壊の原因は 次のところにあ った.
共和党急進派は 解放氏に対して ,最低限必要とされ
64 (144)
横浜経営研究
る 基金を保証するか
第Ⅸ巻
第 2 号 (1988)
(3) 「長人取締法」の 意接
,土地 (40エーカ一の土地と 一頭
の螺 馬 )
を保証して, 「自立」のための 経済的基盤を
提供しようとした. 旧 「南部」の支配者は「黒人取締
解放氏銀行および 解放氏局の設置が 解放民を自らの
支配下に掌握しようとした「北部」の 資本家的利害の
法 」を制定して ,急進派のこのような 動きに対抗し ,
意思であ ったとすれば ,
利益に沿って 達成しようとした・ 基
金の保証手段が 解放氏銀行の 設立であ り,土地の保証
旧 支配者層が解放民を 自らの利益に 即して把握しよう
手段が解放氏局の 設置であ ったことは改めて 述べるま
しておそらく 誤りでなかろう.
「再建」を自らの
「黒人取締法」は「南部」の
とした政策であ った. 辻 内の結論は, このように要約
「黒人取締法」に 関わる 辻 内の理解は , 先に見た口
でもな い .
ここで解放氏 局 (Freedmen,s Bureau) とは,「解放
南部において ,解放氏に対する医療,生活扶助,職業
紹介,教育,
旧 プランタ一の 放棄した土地の 管理から
司法にいたるまでの 様々な事業に 擦 った」「再建行政
のいわば中心的役割を 担った」行政機関であ る (辻内 ,
第 _ 論文, p.l). その設立までの 経緯,本来なら一年
で廃止される 予定の同機関が ,さらに 2 ヵ年存続を延
長された事情については , 辻内 ,第三論文が詳しい・
ここで は 簡単に次のことだけを 確認しておこう・
まず第一に , 僅か 3 ケ 年間の限定つきであ ったが,
一レンス・ショアの 理解と酷似しているので ,ここで
は, 辻 内の独自性にかかわるところだけを 要約するに
留めよう,
まず第一に指摘されね ば ならないことは ,わが国の
研究でこれほど 深くこれほど 明快に「黒人取締法」の
研究が進められたことが ,かつてなかったということ
であ る・ 辻内 はこの研究を 各関連諸州 (13州 ) の法典
の 徹底的分析を 通して果している.
第二は,その歴史的性格にかかわることであ るが,
二つに要約される・ひとつはその 一般的性格にかかわ
40 ェ一ヵ 一 を超えない範囲で ,忠実な難民にれは戦
るものであ
中に逃亡した 白人 )
な法体系と規定している.すなわち ,解放氏 に対して
と
解放 氏に ,連邦政府から土地が
る・
辻内 ほこれを白人の 黒人差別のみごと
貸与される規定が 盛り込まれたことであ る・しかも 3
一定の「市民的権
ヵ年内に代金を 支払えばその 所有権 さえ認められた・
および契約の 締結,労働の成果を亨ける 権 利,法の保
しかし,第二に ,解放氏 局の設置には ,
「北部」の
利」 (財産の取得,所有,処分の
権利
護を受ける権 利 ) を保証しながらも , これにそぐわぬ
なかでさえ全面的な 合意が得られなかったことであ
者に対しては ,遠慮会釈なくこれを「不適格者」とし
る , その設置にはさまざまな 利害と思惑が 対立し合
て 排除することを「正当化」した 差別立法であ った ,
い,交錯し 合うことになった. なかでも大切なこと
は,その設置に対してもっとも 急進的な擁護者でさ
え,解放民を完全な意味での「北部」型の 自営農民に
と .
いまひとつは , ショアも明らかにしたように ,
これ
しようとしなかったことであ る. チャールズ・サム ナ
を重要な労働立法と 規定していることであ る.すなわ
ち, 「黒人取締法」にほ , ①年少者を生産につかせる
一の主張に明白に 表明されているよ
ための「奉公条項」,②農業覚に 仕事を右するものを
「
う
に , 彼ら ほ ,
40 ェ一力一の土地」の 貸与によって 黒人を「南部」
の土地に緊縛し ,綿花の生産に専業化させ,
「北部」
への原綿の安定供給を 確保しょうとした ぼ かりか,解
放氏 の 「北部」への 移住を阻止し 白人労働者との 競
争を回避しようとさえした.
辻 内によりながらこのように 叙 べてくれば,読者
は ,解放氏 局の設置が解放 氏 銀行の設立とまったく 同
様 ,解放氏 に対して完全な「自立」を 与える政策など
ではなく,
ゴヒ部」の資本の利害に 沿って彼らを 完全
に 自らの支配下に 掌握しようとした 政策であ ったこと
を知るだろう.
「
そこで,最後に,
「黒人取締法」の 意義について 辻
内の明らかにしたところを 見ておこう.
浮浪者として 認定し農業労働力を 確保しょうとした
「浮浪者取締り 条項」,③職業選択の 自由を認めない
「職業規制条項」が 含まれていた 上, ④労働報酬 (貨幣
賃金でなく「作物に 対する留置権 lien)」を設定した )
や 労働期限を取決めた「労働契約条項」,⑤労働力の
引抜きによって 生じる房主間の 紛争を回避するための
「労働力引抜き 禁止条項」が 備えられていた.一層重
要なことは,その「労働力保全法」としての 性格であ
る,⑥「婚姻条項」との「黒人教育条項」とが 含まれ
ていた.前者は ,黒人の父親に一定の年会に 達しない
子供の養育を 義務づけ,父権を軸にした黒人家庭の 創
出をはかる一方,人種間の 雑婚を禁止し 人種の混血
を回避しょうとしたもので ,労働力の保全と人種間の
アメリカ南北戦争Ⅰ再建に
関する最近の 研究
(楠井 敏朗 )
て
Ⅰ
45) 65
職業領域の相違を 維持しょうとしたものであ った.後
「差別観 」が「南部」の 支配者に固有なものであ
者は,黒人労働力の「質 」的向上 (労働倫理や市民道
徳や社会秩序といった 規範の黒人の 意識の中への 内面
化 ) を目ざすものであ った.
だけでなく,「南部」の 白人貧民にも「北部」の 資本
家や独立自営農民にも 共通して抱かれた 偏見であ った
ローレンス・ショアが 明らかにしているように , 辻
われに教えている 基本的に重要な 事柄は , 改めて述べ
った
という事実であ る.したがって,この二つの研究がわれ
内も ,奴隷解放がすでに動かし難い歴史的双提として
るまでもないことだが , アメリカ 史 研究に占める「人
旧 支配者の意識を 捉えていることを 確認している・そ
してショア と 同様,かかる歴史的条件のなかで 旧 支配
種問題」のきわめて 重要な地位であ った.
われわれは「人種問題」を ネバ レクトして「南部」
を語ることは 出来ないし, その生産 仕 組を語ることは
者が「北部」からの 強力な圧力に 抗して自らの 支配権
力の維持を確立しようと 努めていたことを 確認してい
た.
「北部」と「南部」の 対立抗争は,
しかし
これ
出来ない.
「南部」を「北部」と
に 駆りたてたものは ,
異なって奴隷制生産
「南部」がもともと 非合理立前
までの研究でも 明らかなように ,決定的な理念対立で
はなかった.「南部」の 旧 支配者 (栽植農園経営者 ) が
近代的生産を 残していたからではなく ,
望んでいたように ,「北部」の 平均的支配者 (資本家別
害 ) もまた「再建」に 対して穏健な 方向を希求した・
彼らもまた解放民の 完全なる自由化 (独立自営農民化 )
を望んではいなかった.両者とも 黒人に対して 白人優
った. 「北部」に典型的な 形で現われた 独立自営農民
層の両極分解 (産業資本家と 賃金労働者とへの 両極分
解 ) が, 「南部」では 黒人に対する 人種差別観を 基礎
に,奴隷制分解 (奴隷所有者と 貧農たる非奴隷所有者
位の地位をかちとろ
への両極分解
う
としていた.
「再建」期のかかる 状況のなかで ,
結局, 解放氏 を
ショアが明ら
かにしたように ,黒人に対する白人の人種差別 額 であ
)
へ 帰結したことが ,そのことを何より
も明確に示しているであ ろう.
いずれの利害が 掴むかが基本的に 重要な争点となっ
た.解放氏銀行の破産,解放氏局の解散は「北部」に
とって決定的なダメージであ った. 「南部」の 旧 支配
者は「黒人取締法」を 軸に着実に解放氏に 対する支配
読者のなかには ,あるいは, 「北部」と「南部」の
信仰上の相違を 問題にする人があ るかも知れない・だ
が建国後の「南部」で 西漸運動を指導した 人々の多く
は,驚くことなかれ/ プロテスダントであ った・彼
を回復した.かくて , 1870 年代の末,
らの勤労倫理が , 他でもなく,蓄積をもたらし 奴隷
たのであ
「再建」は終っ
る
IV
$吉
五
所有者への道を 歩ませた.黒人の大量の存在が ,そし
て黒人を人間と 認めなかった「南部」の 州 憲法が, 人
種偏見を温存し ,増幅し,白人種と
黒人種のあ いだに
カスト化された 階級関係を作り 出し 固定化し, これ
以上,われわれは,ローレンス・ショア と辻 円鏡人
を「南部」の 基本的な階級関係たらしめたのであ っ
の研究を通じて ,アメリカ資本主義の発達は「南部」
から見たときどのような 歴史像を浮かび 上がらせるか
た . そしてこのカスト 化された階級関係を 温存する形
という,近年の 新しい研究動向を
アメリカ白人市民にとって 最も好都合なことであ った
検討して来た・
そこに描き出されてくる 世界は,巨大企業の成立を
導き出してくる「北部」の 企業家の意志的な 創造的世
どのような状況のもとにおかれてもそれ
に実に巧みに 順応してゆこうとする「南部」の 支配的
界ではない・
な社会層の 還 しい対応の世界であ
る・
さらにわれわれは 次のことを知った・すなわち , 彼
らのこうした 還しい「対応」を 実行可能にしているも
のが,他でもなく 白人の黒人に 対する人種差別 観 であ
ったという事実であ る. しかも,大切なことは ,この
で「再建」が 達成されたのであ った. それがすべての
からであ る.
ここまで議論を 進めて来たとき ,われわれはさらに
次の問題を提起して 本稿の「結語」としなければなら
ない.すなわち,アメリカ資本主義発展を 特色づけた
かのいわゆる「内部成長型」的発展とは ,そもそも何
を意味したものであ ったのかという 問題がこれであ
る .われわれは,近いう ちに, この大問題に 正面から
取組まねばならない.
( くすいとしろう
横浜国立大学経営学部教授
コ
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