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アメ リ カ南北戦争=再建に関する最近の研究
く 研究ノートノ アメリカ 南ゴヒ 単式事,再建に関する 最ミ丘の研究 一一「南部」からみたアメリカ 資本主義一一 柄 井 敏 朗 ついては,かつて論じたことがあ Ⅰ は じ め る・ ( 柄井敏朗「ア メリカ南北戦争の 経済史的意義」① (2),『横浜経営研 (1985 年 ), XVII1/2 (1987 年 ). この論文 は大幅に加筆訂正の 上, R. P. シャーキー 著 楠井 敏 に 究』 XVI/3 19 世紀のアメリカ 資本主義発達 史を 「南部」の側か ら振り返ってみるとき , ・ 朗 訳厄貨 幣・階級および 政党 どのような歴史 像が 画き出さ 的 研究 南北戦争Ⅰ再建の 経済 ] ( 多賀出版, 1988 年 ) の解説論文として 収 れてくるのか.最近このような 問題意識から 進められ た内外の二つの 研究に接した・ 一つは, hurence Sh0re,S0 ぴ肪。Ⅰ 免 Cb が古刀is s, T 鹿侮 。㎡雙 ic㎡ L Ⅰ㎡・ 録されている . 行妨 砂が 業革命と巨大企業発達史を 媒介する歴史的事件であ っ と 囲 Ezite,J882%885,Unive, 由 yofNo,th Carolina Press, ChapellH 田 , 1986, であ り,いま一つ は , 辻 円鏡人の一連の 労作 ( 「解放氏 銀行の破産 メリカ南部「再建」に 関する一考察 究 凹 」 № 533, 1984 年 (以下第一論文と 呼ぶ ) 局の成立過程」 論文と呼ぶ ) ; 了 歴史評論 ] № 4%, 「南部再建の 一局面 新から廃止まで 丁 ア 歴史学研 ; 「解放氏 1987 年 (以下第二 解放氏 局 法の更 」『アメリカ 史 研究 コ № 10, 1987 年 (以下第三論文と 呼ぶ );「南北戦争後の 解放黒人をめ ぐる 法 『 労働法体系としてのブラック・コード 桜 美称論集』 № 15, 19 ㏄ 年 (以下第四論文と 呼ぶ刀 本稿はこれら 二つの研究の 主要な論点を 紹介しなが ら, それらの研究史上の 位置づけを試みることを 意図 している 「南部」からみたアメリカ 資本主義発達 史 そこで,筆者は, 可能なかぎり 研究 史を踏まえて ,南北戦争吉 再建がどのような 意味で産 たかの歴史的因果連関を 問うた.だがそこでは・ 南部 更 に関する研究成果が 十分に受けとめられ 展開された ものとは必ずしも 云い難かった.重点を「北部」にお いた南北戦争 吉 再建 更 に関する「解説」であ ったとい った方が正しい. ローレンス・ショアの 上記の研究は ,南北戦争双後 の 「南部」の経済構造とそれを 支える指導的社会層の 思想と行動が 豊富な原資料に 基づいてみごとに 整序さ れていること , 辻 内の研究は・ 」 であ る. 11 コ ー 白人の人種差別 観 をべ スにこれまでのわが 国研究 史 の一般的傾向とは 別の 視角から再建史を 整理しようとした 研究であ ること で,前稿における 筆者の欠陥を 補足する大切な 事実を いくつか提供している. 以下, 両 研究の主要な 論点を整理し 紹介しながら , 研究史の新しい 方向性を探ってゆくことにしたい. C1) 口一 レンス・ シ 27 の研究方法 ローレンス・ショアの 研究の特徴は , ジャクソン 期 19 世紀前半のアメリカ 産業革命と後半の 巨大企業の 成立.産業史および金融史の領域でひときわ 目につく これらの出来事の 中間に位するのが , 19 世紀アメリカ の画期的事件,南北戦争および 再建であ る. これがア 後期からポピュリズム 拮頭期 に至るかなり 長い時期 ㏄832 Ⅱ 885 年 ) のアメリカ合衆国「南部」の 指導的 社会層の思想と 行動の研究であ ることであ る. この種 の 研究は,筆者の管見にすぎないが ,これまで殆ど皆 メリカ史においてどのような 歴史的意義を 有したかに 無に近い状態にあ ったから,研究史上とくに 大きな 重 56 (136) 横浜経営研究 要 性をもつ研究であ ったといってよい. Ⅰ - . ア 第Ⅸ 巻 -. ラ Taoke M ノ Stcm初に対するドナルド・デイヴィドス アウス 、ンコ アは,奴隷制「南部」を 大きく「 低 南部」と Ⅰ ゾメ 第 2 号 (1988) ン, ジョン サウス , ク ウ ンソム , 等の用語解説のなか 高 南部」に区別し「 低 南部」では 綿作 プランテー ションが急速に 展開を見たのに 対し, 高 南部」では 地形上その発展が 十分でなかったという ,これまでの 研究でも確認されて 来た事実認識を 踏襲している. だが,ショアの研究の特徴はこの 事実確認に留まら ず,さらに一歩進めて ,両地域のこのような 経済的差 異を基盤にして 生み出される 階級対立を,指導的社会 層の思想と行動を 通じて描き出していることであ る. すなわち, 低 南部」の 綿作 プランテーションを 支え た奴隷所有資本家 (slaveholdingcapitaliSts) と「 高 南 部」で独立農業を 営む非奴隷所有者 (nonslaveholders) 見通して方向転換をする.かつては 南部の特徴だと 定 義されていた 者価値は以双ほど 強調されなくなった・ このような方向転換は 生き残りのために 必要だと彼ら 「 「 「 では,ほめそやされるようになっている.そして 南部 の指導者たちが 戦後期に採択したかの 経済的方向づけ は,かかる産業文明に 対して魂を売り 渡した適応だと 非難されるようになっている・ 南北戦争期の 指導者た ちが公然と放棄した 余暇の価値が ,そこで再度強調さ れていることは ,何よりも大切なことであ る. ……旧来の無定見な 諸外観をかなぐり 捨てて,南部 の 支配的上層社会層に 属する人たちは ,南部の将来を との階級対立が ,南北戦争を挟むこの時期に「南部」 は信じるようになる.自分たちの 支配権 の継統を正当 の指導的社会層の 思想と行動をどのように 決定づける ことになったかの 分析であ る. 化するためには ,彼らは国家が公式に定めた 文法書を 全面的に採択しなければならない.戦前期の 指導者た ここで「奴隷所有資本家」とは ,ショアの独自の ,し かもかれの立論の 基本的概念であ るので,いくらか 説 ちは,変化してしまった 社会的コンテキストの 中で, 自分が相変らず 成功の道へ向かっていることを 示そう 明しておか ぬぼ ならないなる と試みるのであ ぅ ・ ここには,彼の「 南 る・ 部 史観」が明確に 反映されている.序文からの 次の引 用文が参考となろう. 「これまで悲劇 史 としての南部 史 が長い間上演され て来た・・…‥しかし ,連邦脱退から 再建に至る全期間 南部の白人がどのようなリーダーシップをとったかを の意味で反動的な『双近代的な 資本家』 (Precapital. ists) であ ったなら,戦前期の 指導者たちがかくも 短期 考察する時,このドラマの 悲劇的筋書きは 蔭をひそめ 間 に自らの性格を 変えることほ , 極めて困難であ った てしまい,むしろ 喜 的ともいえる 筋書きの方がより 適切なものにみえてくる.・…‥この 喜劇 は 殆ど完全と いってよいほど 陰気であ る・奴隷所有資本家,われわ れにとっては 主役でも何でもないそれが ,このドラマ で 主役を演じている・ 奴隷所有者の 没落には殆どとい ってよいほど 同情の念が喚起されていない. 旧 奴隷所 有者の政治の 舞台への 再 登場は,南部社会の 道義上の 再編成を反映するものではない・むしろ 北部と南部の あ いだに資本家的レトリックの 協調が見られたことを ろう. しかし,戦前期の 支配的上層社会層は ,前近代 反映している , 決定的に重要なことは ,変化を被らねばならなかっ たこれらの指導者たちの 変更しなければならない 事柄 が,いかに少ししかなかったかであ る・もし彼らが 真 的な資本家ではなかった・ 自由労働に反対しながらも そのレトリックは ,気持が悪くなるほど 資本家の態度 や習慣に合致していた.彼ら ほ 自分たちとそっくりな 北部の片割れとそれほどの 相違点をもっていなかっ た.だからこそ ,戦前期の上層社会層に 属する人たち は,戦後期のアメリカにおいて ,北部のレトリック と 諸価値を採択するのであ る・ 1 ㏄0 年に南部の一編集者 が論評したように ,奴隷制を正当化していた 指導者た ちが奴隷解放を 受容 し,『奴隷解放に向かうことを 熱 しかし決定的ともいうべき 皮肉な巡り合せは ,こ の主役が犠牲を 強いられたことであ る・南北戦争後に 望さえ』 勝利をかちとろうとして ,この主役は,旧くからもっ アイ テ テイ ナイ ていた自分自身の 特性を失ってしまった・ 20 世紀の南 部の知識人が , 新しい形で崇高な 意味を賦与したその しかしながら ,南北戦争双にみられた 若干の価値の うちで犠牲にされないまま 残ったものがあ った.人種 差別政策がこれであ る・南部 史 およびアメリカ 史にみ 特性をであ る・ 19 世紀の指導者にとってはまさしく 呪 誼の言葉であ った "agra,ian" という言葉が , 「産業 たことはなかった・ 文明」に反対する 1930 年の叫び声ともいうべき させ 得 ,かつ多くの問題で南部白人の 態度を変えよう ソ , グ ZZ し 得たことに誰一人驚きを 感じなかったので あ った. られるこの基本的な 連続性は,ただの 一度も軽じられ 南部の指導者たちは , 自らを変革 アメリカ南北戦争臣再建に 関する最近の 研究 (柄井敏朗 ) 試みることも 出来た・しかし ,たった一つの問題,す なわち,黒人種と 白人種のために 生活領域と労働領域 を区別するという 問題に関しては ,ただの一度も変更 を試みてみようとはしなかった・・…‥」 (Shore,S0 仮ん e% G 砂 italists,pp. xi-xii) L 割線……は 楠井コ と 引用文から明らかなように ,ショアは戦前期の「南 部」で政治的・ 経済的に重要な 役割を果たした 奴隷制 (137) 57 る 点で, ショアの独自性があ る. ショアは,かかる理論的枠組の 中で,戦前期の「南部」 経済の基本的な 発展構造と,戦中期および 再建期の混 乱から再編までのプロセスを ,その全過程を意識的主 体的に担った 支配的上層社会層の 思想と行動を 解明し ながら分析するのであ る. ここで,いま少し,かかるショアのユニークな 方法 栽植農園経営者を ,奴隷所有資本家 (slaveholdingcap. を理解する上で 必要とされる 若干の補足説明を 試みて italists) と概念づけているのであ る,なぜか.戦前期の おこう. 栽植農園経営者をかつてビアード 夫妻が理解したよう に ,「前 近代」的性格のものとは 考えず,むしろ「ゴヒ部 の近代的資本家の 片 割 (counterpans)だと見ているか 」 らであ る・しかも大切なことは ,ショアによって , こ した考え方がマルクスの 次の理解 (Ma ㏄。 Ⅰ 5MrpZ ぴs は姥 , Bd.XXV[ づ, 12, Mor T 穣 ori- ヱ 「最も有力な 白人指導者」 「同時代人の 眼および歴 史家の眼から 見て影響力をもったそれ」 う Co クizdZ, part 2, chap. l2; T レ orig れ 妨 er ノみ M 妨 rtUgrt,ZweiterTeil, W Ⅸ, K., まず第一に,ショアが 分析の対象とした 支配的上層 社会層 は ついて・ショアはこれを「南部」地域内の E れ geZ$ ている と理解し (Sho,e, 紡仮 。 p.13). 著書, " ンフレット, 定期刊行物,新聞,演説 集 ,大会議事録,書簡集およ び 日記等,要するに 南部問題および 経済学に関して 著 わされた一連の 著作において 強力な影響を 及ぼした思 S.518 千 24) によって補強されて いることであ る・「奴隷が 用いられているビジネスは , 想形成者がこれであ る. 資本家によって 行なわれている.彼らが 導入している 生産方法は奴隷制から 生じたものではなく ,その木に 接木されたものであ る・ この意味で同じ 人間が資本家 であ り土地所有者であ る」・ (Shore,の・。it.,p.14)一一 われわれがこれから 取上げようとしているローレン ス・ショアの「奴隷所有資本家」なる 概念がかかるも 第二に,原著に現われる「指導者」 (leaders), 支 配者 (rulers), 「支配的上層社会層」㏄ uling e ℡ e) のであ ることに, まず留意さるべきであ る. 方 ,先にもみたように,戦前期の「南部」では 奴隷制 生産様式が双資本主義的イデオロギーを 形成するとい つぎに大切なことは ,ローレンス・ショアのかかる 「 」 なる用語について. これらの用語はショアにあ って は,マルクスのいう 意味での「支配者階級」㏄ uling class) ではない・ ショアは「権 力はつねに富の 所有の 結果として生じる」という 金言を受容しているが , 他 する際の産業資本家と 独立自営農民との 類別に対応し う考え方を拒否している ,そして「指導者」,「支配的 上層社会層」なる 用語を,いずれも ,「世論の形成者」 (shapers of the public mind) や「イデオロギー 創出 ていることであ 者 「理俳型」的類別 奴隷所有資本家と 非奴隷所有者の 類別が,ショアにあ って,「北部」の 資本主義発展を 分析 る・ もう少し数行すればこうであ る. 」 (ideologists)と,交換可能なものとして 使用して いるのであ る. 「北部」における 資本主義の成立・ 展開の基本路線 は, ローレンス・ショアにあ っても独立自営農民層の こうしてみてくると ,ショアには,カール・マルク 外 に 議所 ど 土 み両 はの っ解 資本主義の成立・ 展 達者 発育 奴 井 ほろ ﹂ た (奴隷所有資本家と 部属 路, 独 0 ナ︵ Ⅱ ヒ農民 、営 いることが知られよう・ 線, は 上 エ目 た ・これに対して「南部」における 木ど 墓れ スの影響が,批判的にではあ るが,色濃くあらわれて 開た 両極分解 (産業資本家と 賃金労働者への 分解 ) であ っ 零細な非奴隷所有者 ( 貧農 への分 コ 解 ) であ った.一一 だが「南部」における 独立自営農民二非奴隷所有者 層の両極分解から 生み出される 白人社会の上記の 階級 対立に,人種差別という 非経済的要因からもたらされ る 別の階級対立が 加味されてくるところに ,「北部」社 会と区別される「南部」社会の 独得な性格を 認めてい さらに,われわれ 日本人研究 者にとって興味ぶかいことは ,アダム・スミスの 経済学 や,マックス・ヴェーバ 一の社会学,とくに「宗教社会学 論集』に収録されている「プロテスタンティズムの 倫 理と資本主義の 精神」との深いかかわりであ る, 社会科学の形成・ 展開に重要な 影響力を及ぼして 来 たこれらの人々の 理論に独自な 解釈を施しながら ,こ れらを経糸と 緯糸に用いて 織りなしつつ ,先に見た理 論的枠組みを 構築したところに , ローレンス・ショア の方法的独自性があ るよさに思われる. 58@ (138) 横浜経営研究 第 Ⅸ巻 第 2 号 (1988) (2) 職 前期の「帝都」の 階板対立 で 奴隷制反対論者であ ったセント・ジョージ・タッ ; 一一その 二 文杖進一一 一の思想 (奴隷制は自然法および 市民社会の法律に 反 するだけでなく ,すべての人が平等だとする 政府の最 ローレンス・ショアは 戦前期の「南部」の 階級対立 を, まったく性格の 異なった二種類の「対立」の 複合 と捉えている.一つは ,競争的市場経済の基盤の上に 成立して来る「 低 南部」の奴隷所有資本家と「 高南 部」の非奴隷所有者の ( 白人種間の ) 階級対立であ る・いまひとっは ,白人の黒人に対する人種差別に 起 因する非経済的な 階級対立であ る.かかる二重の 階級 状況のなかで ,輸出向け綿花生産に 特化し,致富を進 める奴隷所有資本家は , どのような論理構成を 施して 自らの政治的,経済的,社会的存立の 正当化を企てた のか. 「南部」の支配的上層社会層の 思想と行動に 関 するローレンス・ショアの 研究は,まさしくこの 問題 意識に支えられて 進められたものであ った. まずショアは , 1830 年代から始まったクウェーカー 教徒その他による 奴隷解放運動に 対して,奴隷所有資 本家がどのような 形で「奴隷制擁護論」を 展開したか を論じる, 彼が取上げた 主な思想家 「奴隷制擁護論者」として 良の形態 民主主義や合衆国憲法の 精神 にも反 するという思想 ) や ,労働価値観に基礎づけられた ア ダム・スミスの「奴隷労働批判」 (生産力の増強は 自 由労働に立脚するものがあ って,奴隷労働はコストも 高く , 富の基本的双提条件を 侵害するという 思想 ) に 対する反論であ った. ラフィンもバレッバも ,黒人と白人が労働に対して 異なった諸条件のもとにおかれていること ,黒人ほ太 陽の下での単調ではあ るが厳しい農作業に 適している が,白人は屋内の知的な労働に 適していること ,この ため,絶えざる 肉体労働から 逃れ出ることのできない 「北部」の農民と 異なって,「南部」の白人は余暇をも つことができることを 自明の原理のごとく 肯定し 「劣等人種の 奴隷化は南部を 北部の身の毛もよだつ 運 命から救っている」 (Shore, め材 。 p.17) と誼い 上げ た・彼ら ほ ,分業こそ生産力増進の 基礎で富を形成す る 前提条件だとした A . スミスの分業論を 受け入れな は,ヴァジニア刈 良案協会 (State Ag,icultu,alSoci, がらも, これを白人種と 黒人種のあ いだの人種間分業 ety) の会長 ェ ドマンド・ラフィン (Ru 伍n, Edmund, A ルかeJ5toz 庇 yirgi 穏材 Szate 且gric ひ Zzurん 5ociezノ, Richmond, P.D.Bem 盤d,1853;d 血 o, T ル Dior ノ 0/ E メ梯ぴれ こ R ぴ節れ, edited by William K.Sc 虹borough, 2 vols., Baton Rouge, Lou ㎞ ana State University Press, 1972; ditto, T 俺 召oZigic援 Ec0no 笏ノ 0/ S 屋ヮer ノ, Washington, Lemuel Towers, ㏄ 8) であ にみごとにすりかえて , 白人優位の奴隷制生産こそ 神 Ⅰ 工 り,ウィリアム・アンド・メアリ 一大学の歴史学・ 哲 学 ・法律学教授, トマス・ R . デュ ウ (Dew,Thom 俺 R 。 "Review of the Debate in the VirginiaLegisla. ture",in五加e Ⅰ ゐ囲 Q ぬ Ⅰサダ 奴 穴印化竹口 Sept. 832 Ⅰ コ ・ 穣尹ro パ肋 叱り A Ⅰざぴ屋㎝Ⅰの中に も収録きれている ) であ り,ウィリアム・グレッバ 同論文は dMo, (Gregg, T WilliaIIl, Es5 ゆ s on ぬる , rep.ed., Grmitev Do 屋 gst ゎ肋d%szrノ, Ⅲ e, S.C., Graniteville㏄・, 1941) であ った・また 1840 年代に発刊された「南部」 の代表的定期刊行物, Thg ひ ieW 苫。緩 ぬれりぬれ㏄ り熊 - (Chdston, S.C,) や DeBo 援㌧火の化 W 0,leans) に掲載された 論文にも注目している・ 要点だけを紹介すれ (New ば ,これら「奴隷制擁護論」 ほ ,黒人に対する白人の人種差別を 正当化した理論で あ ったということが 出来る.これは,建国期の思想家 が人間に与え 結 うた恩寵だと 擁護したのであ った.か くて彼らは, 例えぼ グレッバにみられるように , 「 南 部 」にみられた 商工業の相対的無視を 一方で修正しょ うと努力しながらも ,基本的なところは,農耕地と黒 人労働力と利潤と 余暇を不断に 拡張でしつつあ った, 奴隷制を擁護し 続けたのであ った. 「南部」の奴隷制とは , したがって, ショアによれ ば ,前近代的な生産方法などではなく ,人種差別とい う経済覚的条件から 生み出された「南部」特有の 階級 対立を前提とした 生産方法であ った・ この点で「南部」 は,辛労働こそが無条件に尊重された ,小農場と無数 の商工業中心地から 構成きれた人ロ 穂 密な「北部」の 農業社会と決定的に 違っていた・ 「北部」では , 「南 部」の支配的上層的社会 典 が反論し続けたセント・ジ ョージ,タッカ 一や A . スミスの思想が ,当然のこと として実行に 移されていた. 「北部」における 人口の 増大と生産力の 急激な発展は ,まさにかかる 条件から もたらされたものであ った. だが「南部」においても ,かかる「北部」型の 発展 高 南部」に の道がまったくなかったわけではない. 「 民 たる数百万人もの 白人非奴隷所有者 アメリカ南北戦争 キ 再建に関する 最近の研究 がいて, 「北部」の農民と 同様,単調で厳しい農業労 働に従事していたのであ る. ショアはこの 無視しえな い重要な事実に 注目し 「南部」社会におけるいま 一 つの階級対立 ( 白人間の階級対立 ) と , これに立脚した 支配的上層社会層のいま 一つの思想と 行動を分析した のであ った. そこでは,現実に 可能な二つの 道が深刻 に対立し合っていた , 第一は,白人種間の階級対立を回避し 一体となっ (楠井 敏朗 ) て ,厳しい階級対立状況が 進展していたからであ った (Sho,e, め村・,p.49). かつて「南部」諸州で 開催された商業会議 (com. mercial convention) では,「南部」経済を活気づける 方法として,国内開発計画,南部農産物のヨーロッパ 向け直接輸送,通商・ 作付 ・製造業に関する 統計的情 報の普及が取上げられていた. しかし 1856-59 年の 時期には「奴隷貿易再開」が 重要な関心事となってい て黒人種に当たらせよ うと ,非奴隷所有者を 不断に奴 隷所有資本家に 上昇させようとした 思想と政策の 提出 であ る. 1850 年代の「南部」で 提唱された「奴隷貿易 た (Shore, め材 ・, P. 52). 再開論」がこれであ った め仮 ・, pp.49-50). と ショアほい う 「再開」 ほ ・ 奴隷価格の低落をもたらし ,勤労によって 致富した非 奴隷所有者に 奴隷所有資本家になる 道を提供すると 考 えられたからであ る. 第二は,白人種間の階級対立を基本的対立とおさ え,非奴隷所有者を ヨ ーマンとして 仕置づけ,「ゴヒ部 型の道をたどらせようとした 思想と政策の 提出であ 」 、(139)@ 59 ェ ィ ムズ, H , サウスカロライナ 州知事ジ アダムズは, 1856 年 ml 月 , 州 議会に対 して「奴隷貿易再開」を 訴える教書を 送った (Shore, だが,かかる訴えは,奴隷所有者のなかの 別 利害 (奴 隷飼育 州 となっていた「 高 南部」の奴隷所有者 ) から 猛烈な反撃にあ って実現されなかった (Shore, め仮 。 p.51). 「再開」によってもたらされる 奴隷価格の低落 が , 彼らを窮地に 追い込むことになったからであ った・ ノースカロライナ 州の非奴隷所有者, ヒルトン・ R. る. 1854 年に結成された 共和党の基本原則が ,合衆国 にとってもっとも 必要とされるものこそ 完全に自由な ヘルパーは, 1857年,有名な [ さし迫る南部の 危機 労働者の国の 実現であ り,「労働の 尊厳」 (dignityof 1血 or) に対する無条件な 信仰であ ることを 誼い 上げた SOMt ん , H 。W zo M ㏄Ⅰ ん , 1857, rep. ed., Cam. bridge, Mass., H 虹 vard Universjty Press, 1968) を 原則であ ったことは よ く知られている・ この共和党の 発表した. この著作は,「南部」の非奴隷所有者に 対 デオロギ一に 染 して,「北部」型の 発展の道を訴えた 共和党理俳の 表明 基本原則がいま , 「奴隷制擁護」の ィ の 上げられていた「 高 南部」の非奴隷所有者に 対して (HeIper, Hinton 山 R., T 鹿エれタ ㎝ 荻 ng Cris;5 0/ 妨 9 (奴隷制反対論 ) であ った (Shore, めid., pp.6%67) 革命的な警鐘となった (Shore, あ㍊・, pp.42 ヰ 8) ローレンス・ショア は , 1850 年代の「 高 南部」にお けるこの相対立する 二つの思想と 政策の提出こそ , 「南部」の奴隷制解体を 告示する決定的指標であ った と 正しく分析している. 奴隷制「南部」社会は ,すでにこの時期,解体の危 機に瀕していた. 「南部」は,まさにこの時期,奴隷 所有資本家と 非奴隷所有者のあ いなで決定的な 階級対 立に入っていた.非奴隷所有者は 勤労によって 富を蓄 メ ﹂ ア話 神 た ﹁ れて ソ , 者 ﹂ の い 昇か 上た へけ 家づ てり 絶た , ・ 独, 行, を ハ丈 道め独 る ﹁ す め しても,黒人奴隷価格の 高騰という現実にぶつかっ 本徴 賀持 有を 折金 隷社 奴カ 横 の 南部 版は ,もはや現実に可能な道でなくなっていた のであ る.これを救う 唯一の解決可能な 方法は,「奴 隷貿易再開」でしかなかった・「 高 南部」への共和党 の 働きかけは,まさにこの 危機状況の中で 展開した ものであ った. 1850 年代の「南部」では ,奴隷所有資 本家が集中する 一方,数多くの自由労働も存在してい (3) 旧 「南部」社会の 解体と「再建」 接 本家の「対応」の 輪 理一一 奴隷所有 南北戦争から「再建」期のすべての 時期,南部社会 は,いままで見て来た二重の 階級対立を基盤にして きく揺れ動くことになった・ 大 戦争はかかる「対立」を 強めた.敗戦はかかる「対立」を 再編成した・その 過 程はど う だったのか・ ローレンス・ショアはこの 過程 を 冷静に 跡 づけている 非奴隷所有者 は 「金持連中の 奴隷保持のために 闘い たくない」としばしば 宣言した・「奴隷所有者に 反対 する激しい感情が 再燃していた」 (Shore,ib仮 ・, p.81). 非奴隷所有者は ,この戦争が自分たちを解放するため の戦争だと考えていた (Shore, ゐAd.,p.81). これに 対して奴隷所有者は ,戦争の目的は 奴隷制の維持だと 考えていた (Shore, めid.,pp.81-82). 彼らにとって 独立 (連邦からの脱退 ) ほ ,南部連合が真先に選択すべ き事柄であ ったし,戦争は ,奴隷制の維持,財産の 維 60@ (140) 横浜経営研究 第Ⅸ巻 持 ,余暇を有する生活の維持のための 最大の目標であ った・ 彼ら ほ 「奴隷貿易の 再開」を拒否した (乃 id., p.85). 第 2 号 (19㏄ ) けしようと目論んだものであ り,反動的世界観の 表明 (Ibょぱ ・, p. 105). ミシシッピ州議会は ,さらに「浮浪者取締法」 以外の何ものでもなかつた と ショアはいう (vagrant act) を制定して,浮浪者たることの認定を 戦争末期になってその 軍隊がほとんど 無に帰してし まうだろうという 局面に追い込まれた 時 ,奴隷制維持 白人に与えることによって 解放氏 が 栽植農園から 離れ を 大義に掲げたこの て 別の職業機会を 求め歩くことを 規制しようとした 戦争は自家撞着に 陥った. デイヴ ス 政権 は,黒人軍の利用だけでなく ,黒人の最終的 解放を認める 提案の審議を 開始した. だが, 旧 「南 部」のアイデンティティ 一の完全な崩壊を 意味したこ の提案は,終局的には 承認されなかった. もちろんこ ィ の 「解放」提案を 支持する人々もいた.彼らは 奴隷制 の存続を犠牲にしても ,南部連合の「独立」の 達成を 望んだ人々であ った (Shore, ゐ仮 ・, pp,82-94). 戦時中のかかる 利害状況を受けて「南部」ほどのよ う 一 な形で「再建」を 達成したのか. ここでローレンス・ショアは ,『風と共に 去りぬ (Ib&id., p.105). しかし「プラバマティック 保守主義者」がこのこ と以上に重視したのは ,奴隷制の廃止を幸運を抽むた めの新しい機会として 利用しようとした ,変化した条 件へのみごとな 転成の道であ った.すなわち,「南部」 は今後,「コヒ 部 」の物質的エネルギーや 機械技術や移 民政策を採用しなければならないという 考え方の積極 的受入れであ る, ショアは, Z,B. ヴァンス (Vance, ZebuIon コ B 。 T 稜且砕け so/ Z めぬ 0 れ B . Ⅱdnce, by F. W. Johnston, Raleigh, の女主人公, スカレット・ オ ウハ チ の生きざまから 分 Archives and 析を始める.そして彼女の生きざまこそ「南部」の Hon. 支 Z.B. edited State Depa 丘ment of Histo り , 1963, d モ o, Sp ㏄ 妨 ア律 ce. …‥ delivered on ダ坊 e 。 l6 March Ⅰ 860 , 配的 上層社会層のこの 期に臨んでの「対応」の 仕方で あ ったと明言する (Shore, ゐ仮 ・, pp.ggP124). 奴隷解 Washington, Lemuel Towers, 1860) や, J.D.B. ドゥ ボ ー (DeBoW し R 傑セ功, New Orleans の戦後シ 放を揺がぬ既成事実として 承認した上で , 生き残りの リーズに 掲乾 された諸論文 ) の主張のなかに ,そうし ために旧思想のすべてをかなぐり た動きを認めている (Shore, i&iは・, pp.l1 缶 118, 捨て , 自ら進んで 17 社 「北部」型の 資本家 (産業資本家 ) へ 転成してゆこうと するその生きざまであ る. このことを彼らに 可能にさ 180). せたものは,「戦双期の 指導者たちが 資本家の倫理 て ,ショアは , 旧 「南部」を崩壊に 導いた次の二つの (capitaIisticeth ⑥ と結びつけられた 基本的な価値観 原因を挙げている・ をかつて拒否したことがなかった」からだとショアは 云う (Shore, め仮 ・, p.l51). ショアは,このような 生 素として考えられている ,豊かな人口,多様化した 産 き方をする人を「プラバマティック 保守主義者」と 呼 んだ (Shore, ibiは・, p. l01). かれらはいまや 次のよう に宣言した.「奴隷解放はわれかれにとって 災害では ない. 旧制度の誤りを 修正する新しい 機会であ る」と {Ibid , , p , 151) , 彼らの取組んだ 最初の仕事は ,労働の再編成であっ た .彼らはこの目的のために 1865-66年に「黒人取締 ブ ラ を 制定した・これは - ツⅠ ソ めに制定された 州法であ ったが,解放民を 栽植農園と 白人監督者に 縛りつけ,同時に,非奴隷所有者に対し て,奴隷解放後もいままで 通り黒人と白人とのあ いだ の経済的活動領域の 区別を保証しようとした 法律であ った (Shore, ibid., p.102). なかでもミシシッピ 州, (1865年 12 月 制定 ) は,解放民を永続的に農業労働者の 地位に鉢付 サウスカロライナ 州での「黒人取締法」 第一は,社会的富 増進の基本的要 業,家族経営の農場の「南部」における 未発展であ る.第二は ,「南部」社会の 頂点に位する 栽植農園経営 者に対する非奴隷所有者の 嫉妬と憎悪であ る 佛材 ・, p.119). われわれは,これを,奴隷制の普及によって ステロ化された 社会的分業の 歪みと,それによっても たらされた生産力の 停滞,および奴隷制分解によって 生じた二重の 階級対立と云い 換えることができる・「プ ツク 分離諸州で黒人を 取り締るた プチンテ かかる転成の 道を彼らに強制した 決定的動機とし ラグマティック 保守主義者」は , 旧 「南部」のかかえ たかかる欠陥を ,「北部」のビジネス・エリートの 労 働倫理 (dignity-of-laborethic) を借用することで 除去 しようとした (Shore, あ材 。 pp.l19-120). 「再建」期の「南部」でいま 一つ無視できないものは 共和党指導者の 役割であ った・彼らは 旧 非奴隷所有者 と何奴隷という 二つの集団に 関心を集中した・ 彼ら は,奴隷制が, 自分の手で働く「南部」の 全ての人々 の地位を堕して 来たと訴えた・そして ,白人貧民と解 アメリカ南北戦争 二 再建に関する 最近の研究 放 民は共和党の 原理を実践することで 価値あ る地位を かちとることが 出来ると主張したのであ った (Shore, め材 ・, p.125). かかる希望と 期待を粉砕してしまった・ これによって (141)@61 敏朗 ) 実現するものとなった. 「南部」におけるシェアクロ ッパー制度の 成立と確立であ る. 、ンコ だが,ジョンソン 大統領の「再建計画」は , 彼らの (楠井 アは次のように 叙 べる. 「解放民は出来るだけ 白人から独立したものであ りたいと望んだ.現金で 支 払われる賃金制度とちがって ,収穫された作物のうち 旧 指導者の復権 と「黒人取締法」の 制定が達成された , から一部を現物で 支払われるシェア・システムは , 年 黒人奴隷の解放は ,いまや名目的なものになってしま 々職場を変える 賃金縁侍者の 機会を維持出来, った. ショアは云 注意深い監督から 逃れることが 出来たシステムであ う . 「黒人の解放が 名目的ならば , 白人の解放など 起こりえようもない」 (Shore, め仮 ・, p.130). 1867 年共和党急進派によって 実施された「議会によ る再建」 (CongressionalReconstruction). これは, 戦前期および 戦中期の「南部」における 白人間の階級 対立が,奴隷解放後にもそのままの 形で残っていると 想定して打ち 出されたものであ った. しかし,「黒人 取締法」の諸規定が 示しているように ,この階級対立 は,「再建」期に ,かならずしも 共和党の路線を 定着す っ たからであ る.解放民も 栽植農園主も , 土地が豊富 で ,労働力が不足しており ,かつ綿花に対する需要が 最優先課題であ ったところでは ,小作人や労働者を 求 める地主間の 競争が,不可避であ ることを十分なほど 理解していた」.「多くの 栽植農園主は , 自由な黒人労 働とシェア・システムの 効果に満足を 表明した. 多く の人は現物支払の 方が現金で支払われる 賃金よりも 一 層 勤勉に導く誘因だと 信じて疑わなかつた ,労働も賃 金も不足していたから ,多くの栽植農園主は ,熱心に ・ンエアク るものに は ならなかった. 「黒人取締法」の 制定は, 黒人解放氏との 競争を軽減したいと 望んでいた自ら 労 倒 する白人に, 自分たちのかかる 要求が,共和党でな く民主党の支配によってこそ 実現されうるものだと 理 解させた (Shore, ibid.,p.131). 白人の ヰクピソバ ウソ トヲ クト 現物小作契約に 入っていった」 (Shore,ibid., p 158). かくて奴隷解放そのものが「南部」の 階級状況を変 化させてしまっていた.独立自営農民の 奴隷制からの 解放という共和党の 原理と政策 は ,黒人抜きの「北 「南部」でほ 民主党が復権 した.同党は「プラバマ ティック保守主義者」を 中心に,共和党の 敷いた経済 成長政策を推進した.「プラバマティック 保守主義者」 は,白人優位の支配体制を残したままで 戦前の「奴隷 制擁護論」をかなぐり 捨てることが 出来た.彼らほか って非奴隷所有者に 対して提示した 共和党の階級的訴 部」的条件のもとでは 解放政策ではあ りえても,黒人 えを無断で借用し ,共和党と「南部」の 非奴隷所有者 が現実に自由をかち ぇ , 白人と身近かに 競争し合 非奴隷所有者を 解放せしめる 政策にはなりえなかった の間で結ばれていた 命綱を切断し ,共和党を非難し た.かくて彼らは 自ら変化した 経済的環境にみごとに 順応し戦前期と 同様,人種差別主義者のままで 資本 のであ る. 家であ り続けた.そして 南部 更 に新しいぺ ー ジを開こ う よ うになった新しい「南部」的条件のもとでは ,決して かくて奴隷解放は , 「南部」で,かつての二重の階 級対立を次のような 形で一元化してしまった.戦前期 から戦中期に 対立し合っていた 奴隷所有資本家と 非奴 隷所有者は,解放民の 出現によって 白人として一体化 うとした共和党の 力 を圧倒し去った (Sho,e, あid., pp.147, 173-176). かかる結果をもたらした 決定的要因は 何であ ったの か. ローレンス・ショアはこの 問いに対する 回答とし し ,すべての黒人に相対するものとなった.そして , て ,いままでに繰り返し 叙 べて来たように ,白人の黒 かつては個々の 奴隷所有資本家に 個別的に隷属してい た黒人が,いまや全体として白人に 従属するものとな 人に対する人種差別を 挙げている. 白人と黒人との 生 活領域と経済領域の 区別を求める 人種差別の要求が 全 ったのであ る. 「北部」の独立自営農民と「南部」の てであ った・ ポピュリズムが 拾顕 し始める 1880 年代 非奴隷所有者を 奴隷所有資本家から 解放するという 意 味 をもっていた 南北戦争 (Shore, め仮 ・, p.134) は,か 末 ,「再版奴隷制」ともいわるべきシェアクロ くて,また,黒人奴隷解放という 現実に直面して 本来 の意味を失い ,かつて「南部」を 支配した奴隷所有資 本家を復権 させ,非奴隷所有者と 解放民の小作農化を ,パー 制度は確立していた.同時に 戦前期の非奴隷所有者も また,没落して 貧農化してしまっており ,黒人小作農 と 変らない経済的条件の 下に堕ちていた. 1880 年代の白人貧民の 状態について , ショアはつぎ 62@ (142) 横浜経営研究 第Ⅸ巻 のように要約している. 「工場労働者は……破滅的に 安い賃金で働いていた. 日雇農場労働者は 殆どといってよいほど 仕事を失って いた.彼らは自分たちの生活のきびしさを ニ 以前にも ましてつましい 地主山の政策のせいにした.商人たち は, 主として人造窒素肥料や 食料品を取扱う 代理商で あ った.彼らはとうの 音 ,楽な生活を求めて『梨を 使 うことを棄て ] 去っていた.・…‥小土地所有者は , 自分の手作業で 綿花を生産していた 山が , 年々貧し くなっていた.青年は 町に出て事務員となった・ 彼ら の母親 は 亭主と一緒に 野良に出て 綿 作りをしたため , 子供に適切な 教育などやろうにも 出来なかった. この F 々両親とともに 野良に出た」.「かっ 第 2 号 (19%) 以下 辻 内の四篇の論文を 出来るだけ体系的に 理解す るよう努め,論点を 整理し紹介しながら ,両者の研究 を土台に今後の 研究の方向性を 探ってみたいと 思、う . (1) 奴隷制廃止と 解放長銀行の 投 立 社内の研究は 大きくみて三つの 領域にわたってい る.第一は,解放 氏 銀行 (正確にほ解放氏貯蓄・ 信託 会社 Freedman,s Savings and Trust Compmy) の成 立と破産に関する 研究 (第一論文 ) であ る.第二は解 放 民同に関する 研究 (第二・第三論文 ) であ る.第三 は 「黒人取締法」に 関する研究 (第三・第四論文 ) で あ る. 解放氏銀行とはその 正確な名称から 明らかなよ う て黒人奴隷制の 擁護者であ った王者たる 綿花そのもの に, 「かって奴隷制のもとにっながれていた」解放 氏 が ,今や,南部の 白人貧民を奴隷化するものとなって いた」 (Shore, あ仮 ・, pp.176-177). ( 割線…… 楠井コ のために彼らの 小額な資金を 受け入れ利殖を 促す貯蓄 金融機関であ った. これが普通の 貯蓄銀行 (mutu 杣 savings bmks) や信託会社 (trustcompany) と異なっ しかも大切なことは ,古典派経済学がかって 教えた 「労働倫理」 (dign吋 , of-Iaborethic) が,いまや独立 , 自営農民のものでなく ヰ , ,ビジネス・ニ % リ 一下が自らの ていた点は,第一に 連邦議会の制定した 法律で設立認 可された機関であ ったこと,第二に 支店を有したこと 確立した経済的地位を 正当化する倫理に 変ってしまっ であ る. ていたことであ った. 辻内は ,わが国の金融史 研究でも,南北戦争 テ 「再 史 研究でも, これまでまったく 顧みられることの なかったこの 特殊な貯蓄金融機関にスポット・ライト 建」 I11 「奴隷解放」の 意味したもの 一一 辻内鏡 人の研究を中心に ローレンス・ショアの 研究がジャクソン 期 後期から を 当て,奴隷解放後の 黒人の「経済的自立のための 資 金」の行方を 追っている.黒人奴隷が経済的独立を 達 成するためには , 自立のために 必要な最小限の 土地ま ポピュリズム 拍頭期 に至る約半世紀の「南部」の 諸変 たは貸金がどうしても 必要だったからであ る・かの有 革の歴史的意味を 問う思想史的研究であ るとすれば, 辻 円鏡人の研究 は , 「再建」期の 対解放民政策に 焦点 を 絞って考究された「奴隷解放」に 関する政治史・ 経 済史・社会史的研究であ るといえる. 名な「 40 エーカ一の土地と 一頭の螺 馬 」という政策 相互にかかわりなく 進められた両者の 研究には驚く ほど共通した 音調が流れているから ,読者は不協和音 を 感じることなく ,相互に補いながら 同時併行的に 読 み進むことが 出来る. ここで共通の 音調と述べたの は ,共和党急進派が奴隷制廃止後に 解放 氏の 「自立」 のために打ち 出した政策 (「南部自営農地法」 ) であ っ た.ここで辻 内によって取上げられた 解放氏銀行は , 同様に共和党急進派の 一人, チャールズ・サムナー (Charles SunUie,) によって提案され ,修正の上, 連 邦 議会で設立認可された 解放民の資金的「自立」をめ ざす公的機関であ った・ ,結局,法案段階で は,第一に,「再建」史が「南部」の 旧 奴隷所有者の 側から問題にされ ,彼らの企図した戦後の統治体制の 葬り去られたように ,解放氏 に対して「自立」のため 方向性が,「北部」との 対抗のなかで 画き出されてい 0 基金を増殖させようとする「解放氏銀行」も ること,第二に,南北戦争Ⅰ「再建」の 歴史的意義が , 白人の黒人に 対する人種差別 観 をべ ー スにして整序さ 年恐慌後あ えなく崩壊してしまう・それほどうしてで れている点であ 「再建」の経済史的意味を「南部」の 側から問い直そ る・ この二つの点で 両者の研究は , こ れまでの南北戦争Ⅰ「再建」 史 研究と著しく 異なった新 しい視座を提供しているものと 評価されてよい. しかし, 「南部自営農地法」が あ ったか. , 1873 辻内 はこのように 問題を設定して , うとしている. 辻内は ,まず,奴隷であ った解放氏がいかにして 貯 アメリカ南北戦争Ⅰ再建に 関する最近の 研究 著 するほどの「資金」を 入手したかを 問う・それは , 他でもなく,第二次叛乱者没収 法 (1862年 ) 以来連邦軍 の兵士として 解放氏が戦争に 参加したことによってで あ った.軍務についた 黒人兵士は,その代償として 給 与 や執賞金を受けとったのであ った. この給与や報 賞 金 が自立のための 経済的「基金」として 解放氏銀行に 預け入れられることになったのであ る.解放氏銀行の 設立は 1865 年のことであ った. ところでここに 一つ大切な問題が 残る.解放氏銀行 が貯蓄・信託会社であ ったことであ る・すなわち , そ れは解放氏のための 貯蓄金融機関ではあ ったけれど, 受け入れた基金を 用いて信用創造を 行ないうる語の 厳 密な意味での 銀行ではなかった. 当時貯蓄銀行の 主要な業務 は ,小額の資金を貯蓄の 形で民衆から 集めて,最も 健全だと考えられた 投資 口 であ る商業銀行へ 預金するか,または国債や州 債へ 投 資するかして ,預金に対する利息と運用によって 得ら れる利益の差額から ,利潤を得るところにあ った・解 放 氏 銀行も貯蓄銀行としてその 例外ではなかった・ 解 放 氏 銀行はまさにこの 貯蓄銀行としての 資格で,連邦 通貨監督官の 管理のもと, これを商業銀行に 預金する か,合衆国公債または財務省手形へ 投資するか,さら にコール貸付をおこなうか ,そのいずれかを義務づけ られたのであ った. もちろん解放氏に 対して融資を 行 なうことなどできなかった ,解放民の貯蓄によって 集 められた資金が 解放民の居住する 地域内で循環しなか ったこと,解放氏銀行が 解放民の自立のために 十分な 機能を果しうる 機関でなかったことに 留意されねばな (楠井 敏朗 ) (143) 63 第一は,「南部」の 治安の安定とともに 黒人連隊が漸 次解散して小規模化し ,従軍報賞金が減少したこと・ 第 二 は ,一店舗当りの営業コストが 諸 他の貯蓄銀行に 比 べて大きかったこと.第三は ,そして,このことが 決 定的に重要なことであ ったのだが,本店をニュー ョ一 ク からワシントン D. C. に移すことに 伴う組織改革 (1867年 ) によって,同行の理事を務めたファースト・ ナショナル・バンクの 頭取でジェイ・クックの 弟であ ったへン リー ・ D . クックの影響力が 強化されたこ と.そして,その 結果,第四に,解放氏銀行の資金運用 計画に大きな 変化が認められるに 至ったことであ る. まず巨額な運用資金が ,当時利回りが低下しつつあ っ た国債から収益率の 高い鉄道 償 へ投資先を変更し 始め たこと.次いで,運用資金に回してほならない 手許 資 今 までがコール 市場で運用されるに 至ったこと. さら に, 1870 年の設立条例の 修正で運用資金の 1/2 までが 不動産を担保とした 債券ないし証書貸付に 向けられる に至ったこと.加えて 多額の現金が ジエイ ,クック商 会のワシントン 店に預託されたこと. かくて解放 氏 銀行は,最終的に1873 年恐慌によって 崩壊し去る 1870 年代初頭の,鉄道投資に 導かれた投機 熱 に深く関与するに 至り, ジェ ィ ・クック商会の 倒産 と運命を共にするに 至るのであ った. (2) 解放氏 局投置 の 惹 接 近内の研究は ,奴隷制廃止に伴って生じる「南部」 の政治的,経済的,社会的混乱が ,最終的にはどの利 害によってどんな 形で収拾され ,いわゆる「再建」が 導き出されることになったかを 明らかにするものであ しかし,それはともあ れ,この貯蓄銀行は,当初, った .政治史家がこれまで試みて来たような「共和党 かなりの業績を 挙げた. 辻内 が明らかにしているよ う 急進派内部の 路線闘争史観」がここでは 退けられてお に,解放民の預け入れた貯金に 対して平均して 年利 り, 「南部」の 旧 奴隷所有者が 戦後の統治体制をど う 5 ∼ 6% の利息を支払った.解放 氏は , この元利合計 方向づ けよう としたかという 問題関心から , 「北部」 とで を元手に土地,建物を 購入し,種子・ 農具の代価を 支 と「南部」の 支配階級相互間の 対立あ るいは妥協の 現 実状況が考察されている. したがって, ここでは,解 払い,教育費や機械の改良費としても 使用した. この 意味で解放 氏 銀行ほ解放氏に 対する融資機会を 持ち得 放 氏を 「北部」側の 利害に沿って 把握しようとする 意 なかったけれど ,彼らの零細資金の蓄積に多大の 機会 思と「南部」の 旧 支配者側の利害に 沿って掌握しよう とする意思が 衝突したさまが 明快に描写されている. を与え , 彼らの経済的「自立」に 大いなる便宜を 供し たのであ った. 解放氏銀行や 後に見る解放氏局の 設置は双者の 意思の だが崩壊は間もなくやって 来た.最も安全確実な 運 表明であ り, 「黒人取締法」の 制定は,後者の意思の 用によって始めて 存立を保証される 貯蓄銀行が,本来 表明であ った. 辻内 がここで両者を 対立させ,対抗関 の運用方法から 脇道に逸れてしまったからであ った・ 係で捉えている 点注目されてよい. らない. も 崩壊の原因は 次のところにあ った. 共和党急進派は 解放氏に対して ,最低限必要とされ 64 (144) 横浜経営研究 る 基金を保証するか 第Ⅸ巻 第 2 号 (1988) (3) 「長人取締法」の 意接 ,土地 (40エーカ一の土地と 一頭 の螺 馬 ) を保証して, 「自立」のための 経済的基盤を 提供しようとした. 旧 「南部」の支配者は「黒人取締 解放氏銀行および 解放氏局の設置が 解放民を自らの 支配下に掌握しようとした「北部」の 資本家的利害の 法 」を制定して ,急進派のこのような 動きに対抗し , 意思であ ったとすれば , 利益に沿って 達成しようとした・ 基 金の保証手段が 解放氏銀行の 設立であ り,土地の保証 旧 支配者層が解放民を 自らの利益に 即して把握しよう 手段が解放氏局の 設置であ ったことは改めて 述べるま しておそらく 誤りでなかろう. 「再建」を自らの 「黒人取締法」は「南部」の とした政策であ った. 辻 内の結論は, このように要約 「黒人取締法」に 関わる 辻 内の理解は , 先に見た口 でもな い . ここで解放氏 局 (Freedmen,s Bureau) とは,「解放 南部において ,解放氏に対する医療,生活扶助,職業 紹介,教育, 旧 プランタ一の 放棄した土地の 管理から 司法にいたるまでの 様々な事業に 擦 った」「再建行政 のいわば中心的役割を 担った」行政機関であ る (辻内 , 第 _ 論文, p.l). その設立までの 経緯,本来なら一年 で廃止される 予定の同機関が ,さらに 2 ヵ年存続を延 長された事情については , 辻内 ,第三論文が詳しい・ ここで は 簡単に次のことだけを 確認しておこう・ まず第一に , 僅か 3 ケ 年間の限定つきであ ったが, 一レンス・ショアの 理解と酷似しているので ,ここで は, 辻 内の独自性にかかわるところだけを 要約するに 留めよう, まず第一に指摘されね ば ならないことは ,わが国の 研究でこれほど 深くこれほど 明快に「黒人取締法」の 研究が進められたことが ,かつてなかったということ であ る・ 辻内 はこの研究を 各関連諸州 (13州 ) の法典 の 徹底的分析を 通して果している. 第二は,その歴史的性格にかかわることであ るが, 二つに要約される・ひとつはその 一般的性格にかかわ 40 ェ一ヵ 一 を超えない範囲で ,忠実な難民にれは戦 るものであ 中に逃亡した 白人 ) な法体系と規定している.すなわち ,解放氏 に対して と 解放 氏に ,連邦政府から土地が る・ 辻内 ほこれを白人の 黒人差別のみごと 貸与される規定が 盛り込まれたことであ る・しかも 3 一定の「市民的権 ヵ年内に代金を 支払えばその 所有権 さえ認められた・ および契約の 締結,労働の成果を亨ける 権 利,法の保 しかし,第二に ,解放氏 局の設置には , 「北部」の 利」 (財産の取得,所有,処分の 権利 護を受ける権 利 ) を保証しながらも , これにそぐわぬ なかでさえ全面的な 合意が得られなかったことであ 者に対しては ,遠慮会釈なくこれを「不適格者」とし る , その設置にはさまざまな 利害と思惑が 対立し合 て 排除することを「正当化」した 差別立法であ った , い,交錯し 合うことになった. なかでも大切なこと は,その設置に対してもっとも 急進的な擁護者でさ え,解放民を完全な意味での「北部」型の 自営農民に と . いまひとつは , ショアも明らかにしたように , これ しようとしなかったことであ る. チャールズ・サム ナ を重要な労働立法と 規定していることであ る.すなわ ち, 「黒人取締法」にほ , ①年少者を生産につかせる 一の主張に明白に 表明されているよ ための「奉公条項」,②農業覚に 仕事を右するものを 「 う に , 彼ら ほ , 40 ェ一力一の土地」の 貸与によって 黒人を「南部」 の土地に緊縛し ,綿花の生産に専業化させ, 「北部」 への原綿の安定供給を 確保しょうとした ぼ かりか,解 放氏 の 「北部」への 移住を阻止し 白人労働者との 競 争を回避しようとさえした. 辻 内によりながらこのように 叙 べてくれば,読者 は ,解放氏 局の設置が解放 氏 銀行の設立とまったく 同 様 ,解放氏 に対して完全な「自立」を 与える政策など ではなく, ゴヒ部」の資本の利害に 沿って彼らを 完全 に 自らの支配下に 掌握しようとした 政策であ ったこと を知るだろう. 「 そこで,最後に, 「黒人取締法」の 意義について 辻 内の明らかにしたところを 見ておこう. 浮浪者として 認定し農業労働力を 確保しょうとした 「浮浪者取締り 条項」,③職業選択の 自由を認めない 「職業規制条項」が 含まれていた 上, ④労働報酬 (貨幣 賃金でなく「作物に 対する留置権 lien)」を設定した ) や 労働期限を取決めた「労働契約条項」,⑤労働力の 引抜きによって 生じる房主間の 紛争を回避するための 「労働力引抜き 禁止条項」が 備えられていた.一層重 要なことは,その「労働力保全法」としての 性格であ る,⑥「婚姻条項」との「黒人教育条項」とが 含まれ ていた.前者は ,黒人の父親に一定の年会に 達しない 子供の養育を 義務づけ,父権を軸にした黒人家庭の 創 出をはかる一方,人種間の 雑婚を禁止し 人種の混血 を回避しょうとしたもので ,労働力の保全と人種間の アメリカ南北戦争Ⅰ再建に 関する最近の 研究 (楠井 敏朗 ) て Ⅰ 45) 65 職業領域の相違を 維持しょうとしたものであ った.後 「差別観 」が「南部」の 支配者に固有なものであ 者は,黒人労働力の「質 」的向上 (労働倫理や市民道 徳や社会秩序といった 規範の黒人の 意識の中への 内面 化 ) を目ざすものであ った. だけでなく,「南部」の 白人貧民にも「北部」の 資本 家や独立自営農民にも 共通して抱かれた 偏見であ った ローレンス・ショアが 明らかにしているように , 辻 われに教えている 基本的に重要な 事柄は , 改めて述べ った という事実であ る.したがって,この二つの研究がわれ 内も ,奴隷解放がすでに動かし難い歴史的双提として るまでもないことだが , アメリカ 史 研究に占める「人 旧 支配者の意識を 捉えていることを 確認している・そ してショア と 同様,かかる歴史的条件のなかで 旧 支配 種問題」のきわめて 重要な地位であ った. われわれは「人種問題」を ネバ レクトして「南部」 を語ることは 出来ないし, その生産 仕 組を語ることは 者が「北部」からの 強力な圧力に 抗して自らの 支配権 力の維持を確立しようと 努めていたことを 確認してい た. 「北部」と「南部」の 対立抗争は, しかし これ 出来ない. 「南部」を「北部」と に 駆りたてたものは , 異なって奴隷制生産 「南部」がもともと 非合理立前 までの研究でも 明らかなように ,決定的な理念対立で はなかった.「南部」の 旧 支配者 (栽植農園経営者 ) が 近代的生産を 残していたからではなく , 望んでいたように ,「北部」の 平均的支配者 (資本家別 害 ) もまた「再建」に 対して穏健な 方向を希求した・ 彼らもまた解放民の 完全なる自由化 (独立自営農民化 ) を望んではいなかった.両者とも 黒人に対して 白人優 った. 「北部」に典型的な 形で現われた 独立自営農民 層の両極分解 (産業資本家と 賃金労働者とへの 両極分 解 ) が, 「南部」では 黒人に対する 人種差別観を 基礎 に,奴隷制分解 (奴隷所有者と 貧農たる非奴隷所有者 位の地位をかちとろ への両極分解 う としていた. 「再建」期のかかる 状況のなかで , 結局, 解放氏 を ショアが明ら かにしたように ,黒人に対する白人の人種差別 額 であ ) へ 帰結したことが ,そのことを何より も明確に示しているであ ろう. いずれの利害が 掴むかが基本的に 重要な争点となっ た.解放氏銀行の破産,解放氏局の解散は「北部」に とって決定的なダメージであ った. 「南部」の 旧 支配 者は「黒人取締法」を 軸に着実に解放氏に 対する支配 読者のなかには ,あるいは, 「北部」と「南部」の 信仰上の相違を 問題にする人があ るかも知れない・だ が建国後の「南部」で 西漸運動を指導した 人々の多く は,驚くことなかれ/ プロテスダントであ った・彼 を回復した.かくて , 1870 年代の末, らの勤労倫理が , 他でもなく,蓄積をもたらし 奴隷 たのであ 「再建」は終っ る IV $吉 五 所有者への道を 歩ませた.黒人の大量の存在が ,そし て黒人を人間と 認めなかった「南部」の 州 憲法が, 人 種偏見を温存し ,増幅し,白人種と 黒人種のあ いだに カスト化された 階級関係を作り 出し 固定化し, これ 以上,われわれは,ローレンス・ショア と辻 円鏡人 を「南部」の 基本的な階級関係たらしめたのであ っ の研究を通じて ,アメリカ資本主義の発達は「南部」 から見たときどのような 歴史像を浮かび 上がらせるか た . そしてこのカスト 化された階級関係を 温存する形 という,近年の 新しい研究動向を アメリカ白人市民にとって 最も好都合なことであ った 検討して来た・ そこに描き出されてくる 世界は,巨大企業の成立を 導き出してくる「北部」の 企業家の意志的な 創造的世 どのような状況のもとにおかれてもそれ に実に巧みに 順応してゆこうとする「南部」の 支配的 界ではない・ な社会層の 還 しい対応の世界であ る・ さらにわれわれは 次のことを知った・すなわち , 彼 らのこうした 還しい「対応」を 実行可能にしているも のが,他でもなく 白人の黒人に 対する人種差別 観 であ ったという事実であ る. しかも,大切なことは ,この で「再建」が 達成されたのであ った. それがすべての からであ る. ここまで議論を 進めて来たとき ,われわれはさらに 次の問題を提起して 本稿の「結語」としなければなら ない.すなわち,アメリカ資本主義発展を 特色づけた かのいわゆる「内部成長型」的発展とは ,そもそも何 を意味したものであ ったのかという 問題がこれであ る .われわれは,近いう ちに, この大問題に 正面から 取組まねばならない. ( くすいとしろう 横浜国立大学経営学部教授 コ