...

トムソンの『自由』とブリタニアの図像 - 宇都宮大学 学術情報リポジトリ

by user

on
Category: Documents
18

views

Report

Comments

Transcript

トムソンの『自由』とブリタニアの図像 - 宇都宮大学 学術情報リポジトリ
1
宇都宮大学国際学部研究論集 2015 第39号, 1−14
トムソンの『自由』とブリタニアの図像
出 羽 尚
はじめに 期の段 階で自 由は失われてしまうのである[ 第 3
本稿は、スコットランド生まれの詩人ジェイム
部]。しかしながら、ローマを離れた自由は、その
ズ・トムソンが 1735 年から 36 年に出版した無韻詩
後北進して各地にその息吹を吹き込みつつ、中世
『自由』の主題と、ブリテンを象徴する女性寓意
には「長い間、野蛮な心の中で埋もれながらも、自
像ブリタニアの図像について考察するものである。
由の縁は冬の時代を静かに過ごし」4、来るべき復
具体的には、トムソンが歌ったブリテンにおけ
活に備えていた。
る自 由の確 立という 18 世 紀の言 説の常 套 的 主 題
ルネサンスの時代になると、自由は学問と技芸
が、同様にブリタニアの図像においても視覚化さ
の支えを受けて、イタリアを始めとしたヨーロッパ
れていたことを確認する。
中に再び「新たな光と優美を注」ぎ 5、ブリテンへ
と向かう[第 4 部]
。歓待された自由は女神ブリタニ
I トムソンの
『自由』
アの協力のもとブリテンで発展し、名誉革命によっ
1 梗概
て完璧な姿となる。ブリタニアも自由の影響を受
この詩は、古代ギリシアとローマから近世のヨー
けて、ブリテンの国民に資する守護者となった。
ロッパに至るまでの、複数の国家における自由の
盛衰をたどる。全 5 部を通じ、擬人化された自由
おお、ブリタニアよ。神聖なる汝の御前でこそ、
の寓意像を中心に据え、1688 年の名誉革命によっ
人類の守護者たる汝がおられるからこそ、
て自由がブリテンにおいて最高の形で成就された
全ての人の威厳、
幸福、
名声はもたらされたのだ6。
歴史的系譜を追う構成となっている。
第 1 部では、
「古代と現代のイタリアの比較」を
しかし、 ギリシアやイタリアの状 況を見ても分
行う。自由によって、かつてのイタリアには栄華を
かる通り、自由がひとたび失われると、国家は崩
誇る共和政時代やルネサンスの優れた遺産がある一
壊する。警告すべきは、同様にブリテンでも豪奢
方で、現代のイタリアの状況はその対極にある「覇
と腐敗が国家を破たんさせる可能性があるという
「政府、技芸、徳、天才、そし
気のない有様」で、
ことである[第 5 部]。そのためにも自由崩壊の元
て世の中全てが転換してしまった」状態にある 。
凶を断ち、「ブリテンの自由の構造を維持する」美
1
ギリシアの状況もこれと大差ない[第 2 部]。古
徳が必要となるのである 7。
代のギリシアでは自 由の確 立によりスパルタやア
テネが繁栄の時代を迎え、優れた哲学、雄弁術、
王国の成立の基礎は美徳、
詩、音楽、彫刻、絵画が生み出される。ところが、
あらゆる徳が結び付いた公徳である。
度重なる諍いと豪奢により、
「ギリシアを彩った奇
なにしろ、人間のこの社会的紐帯が失われると、
跡」
も今では失われてしまった。
「女神よ、
何処に」。
偉大な帝国であっても、いつの間にか、
2
その「共和政の偉大な母たるギリシアが、その燃
え盛る若さを周囲に次々と注ぎ込んだ」 結果、古
3
静かに崩れ落ち、終には結びつきを欠き、
瞬く間に完全なる廃墟と化してしまうのだから8。
代ローマにも自由が根付き、ローマはルキウス・
ユニウス・ブルートゥスによる共和政で帝国の盛
故に、自由の女神の「偉大な御業を守護者とし
期を迎えるも、やはり社会の豪奢によって、帝政
て支えてくれるだろう」9 王太子フレデリックの庇
2
出 羽 尚
護のもと、自由を維持することが必要になるので
地へ連れて来られたとしたら、おそらくそこが
ある。というのも、ブリテンにおける自由は、時
どこなのかは分からないだろう14。
のウォルポール政権と国王ジョージ 2 世によって危
機にさらされているとトムソンは理解しており 10、
トムソンの帰国直後にタルボットは亡くなる。
第 1 部冒頭でのフレデリック王太子への献辞は、
しかし『自由』執筆の最中にあった彼は、その後も
自由の再興への希望が込められている。
その父チャールズ・タルボットからの庇護を受け
ている。この父チャールズ・タルボットは、元々
以下、古代に始まりグレート・ブリテンにて素晴
ロバート・ウォルポールのもとで大法官を務めた
らしい形で確立された自由をたどる試みであり
人 物であったが、 すでにこの時にはウォルポール
ますが、いやしくもこれが殿下の称賛に値し、お
との関係には亀裂が入っていた。また、別のパト
楽しみ頂けるものとなりますれば[中略]、これ
ロンであった政治家ジョージ・ドディントンは、
に勝る褒賜はございません 。
ウォルポールのホイッグ政権、及び国王ジョージ 2
11
世と対立していたフレデリック王太子と近い関係
こうしてトムソンは様々な国家における自由の
にあった。 トムソンが国 外に出ていた間のイギリ
経過をたどることによって、現代のブリテン、と
ス国内の政治腐敗や、フレデリックがジョージ 2
りわけウォルポール政権と国王ジョージ 2 世による
世よりも文 芸に対する理 解を示していたことなど
治世の危うさに警告を与えている。
により、トムソンはウォルポールやジョージ 2 世で
2 出版状況と背景 はなく、王太子フレデリック派の姿勢を取るよう
トムソンは 1730 年から 33 年にかけて、チャール
になった。こうして『自由』はフレデリック王太子
ズ・リチャード・タルボットに伴ってグランド・
に献呈する長編の無韻詩として発表されたのであ
ツアーに出かけている。 イタリアでは優れた彫 刻
る。
や絵画などの美術に感化されただけではなく 、行
5 部のうち、
「古代と現代のイタリアの比較」「ギ
政府や教会による悪政が原因で引き起こされた貧
リシア」「ローマ」の最初の 3 部が 1735 年に、残
困の有様に衝撃を受け、この時の印象が『自由』の
りの「ブリテン」「展望」の 2 部が翌 1736 年に出版
制作の背景となっている 13。
された 15。出版直後には、同時代の社会を批判的
12
トムソンがグランド・ツアーの間にパリからハー
に捉えたこの詩の精神を好意的に評価する批評も
トフォード夫 人に宛てた 1732 年 10 月 10 日 付の手
出されている 16。例えば、アーロン・ヒルが『プロ
紙は、
『自由』第 1 部の主題となるイタリアの衰退
ンプター』誌に、トムソンは「堕落した人間性を回
が既に構想されていたことを想起させる。
復するために不道徳なこの時代に生まれ、かつて
の人の有 様の見 本を示してくれた 」17 と評してい
イタリアの悪政、
とりわけ司祭らによる政治は、
る。また、同じ 1735 年に発表されたモンクリーフ
人間の技芸と勤勉とをほとんど根絶させてし
による詩『寛大』の序文も、「実のところ、トムソ
まった。
さらにとどまるところを知らず、
自然ま
ン氏も私も告 白せざるを得ないのだ。 あまりに多
でをも傷つけてしまっている。
確かに司祭らは、
くの我が同胞スコットランド人が、近年、寛大さ
便利な快や生命の壮大さに関わるものなら何で
を示さず、 自 由を愛することもしていないという
も意のままに支配できるのだろう。
しかし、彼ら
ことを」18 と、当時の社会への視点を共有してい
はある意味では何をも持っていない状態にあ
る。また、マールボロ公爵夫人への献辞で始まる
る。
恵みに満ちた太陽は、
その力強い微笑みをそ
詩『41 年 カルメン・セキュラーレ』の詩行には、
れでもなお彼らに降り注いでくれるのに、司祭
トムソンと同様、失われた自由を嘆く部分がある。
たちは太陽を恐れているのだ。イタリアはもは
「 ブリタニアは叫んだ。『 全てが失われてしまっ
や生者の地ではなく、死者の地と考えた方が良
た。我が帝国は最早存在しない。崩壊した我が国
さそうだ。古代の詩人や歴史家を完璧に理解し
は、自由からも名声からも見捨てられたのだ』」。
た者でも、
突然、どこの国とは知らされずにかの
しかし再来を願って祈るブリタニアのもとに、自
トムソンの『自由』とブリタニアの図像
由は再び降り立つ。「美しき自由よ、ブリタニアは
3
この記述に対応する図版では左手で杖を、右手
でフリギア帽を持つ自由が描かれる[図 2]。フリ
再び汝のものとなったのだ」 。
19
後半 2 部が出版された 2 年後の 1738 年、『自由』
ギア帽の付いた杖をアトリビュートとするこの伝
は若干の改訂がなされるが、トムソンの代表作『四
統的な自由の寓意像の定型は、イギリス 18 世紀に
季』の大規模な改訂に比べると、変更は第 1 部と
も利用され、トムソンの肖像を描いた版画にも登
第 2 部の一部に限られている 20。
場する[図 3]。トムソンが持つ「LIBERTY by J.T.」
3 同時代の言説・趣味との関係
と記された書物に、フリギア帽の杖を持つ自由の
『自由』を含めた 1730 年代以降のトムソンの作
寓意像が描かれている 27。
品では、とりわけ反ウォルポールの姿勢に基づい
第 2 部でギリシアが中心に取り上げられた点につ
た教訓の提示が主眼とされた。政治的動機が創作
いては、18 世紀中頃にイギリスで広がるギリシア
を支えていた点で、
『自由』は芸術性に欠けると
趣味の最初の萌芽と指摘される 28。古代の美徳を
いう指摘もなされてきた 21。とは言え、同時代と
再興させるためには、ギリシア美術の形態が有す
古代のイタリアの対比、そして双方の政治の相違
る道徳的美の模倣が必要になることや、古代の彫
の考察、及び、ブリテンの自由を讃える言説は、
像の有する自然美に対する賛辞などが、同時代的
17 世紀末からホイッグ寄りの詩人たちによって
なギリシア趣味と合致する 29。
1721 年出版のアディ
繰り返されていた 22。例えば、
全体を通じて説かれることになる主題、つまり、
ソンによる『イタリアからの手紙』には以下の詩
道徳を欠いた贅沢が国家を弱体化させ崩壊を導く
行がある。
という考えは、すでにトムソン自身が発表してい
た他の作品にも確認できる。擬人化した寓意像を
自由こそがブリタニアの島に冠を授け、
使って、自由、豪奢、公徳、腐敗と言った国家の
その痩せた岩々と荒涼な山々を微笑ませる 。
23
存立に関わる政治的主題は、1729 年に出版された
『ブリタニア』のなかでもすでに扱われていた 30。
この詩行は、
『イタリアからの手紙』の 18 世紀
また彼の代表作である『四季』のなかでも、国家
末の版では挿絵の主題となっている[図 1] 。自
の盛衰が扱われているほか 31、自由の概念について
由を象徴する寓意像がブリテンの地を鼓舞するよ
は、とりわけブリテン特有の資質として捉えられ、
うに両手を広げ立っている。フリギア帽を先端に
愛国的な意識によって自由な国家ブリテンが讃え
付けた杖を持つ姿は、寓意図像集の表現などに見
られていることが、例えば以下の複数の詩行に確
られる伝統的な自由の寓意像の定型を引き継いで
認できる。
24
いる 。楕円構図の枠外上部には、ブリテンを象
25
徴する動物ライオンと豊穣の角が描かれている。
自由の寓意像については、同じくアディソンが
麗しのブリタニアよ。活力と、自由を
我々に鼓舞する、技術の女王が、
1726 年出版の『古代のメダルの有用性について』
汝の最果ての地にまで際限無く行き渡り、
で、古代のテクストを引用して言及している。
豊かな恵みを惜しみなく振り撒き給う 32。
左手にはラテン語でルディスとかウィンディク
賢く、精力的で、不撓不屈の精神の主、
タとか呼ばれる細い杖を、右手には自由の帽子
ハムデンも又、優れた国家、汝の英傑だ。
を持っている。詩人たちはこれに類似した喩え
彼は、専制主義に傾いた、政治の流れを
を使って自由を表現してきた。
くい止めて、汝を古き良き自由の世界に、
[中略]
勇敢にも、再び立ち返らせたのである 33。
私は全財産を使って、
彼[ウィリアム・ラッセル]と共に、
自由の帽子を買ったのだ。
マールティアーリス
『エピグランマタ』
26
彼の友、英国版カシアスも潔く死んで行った。
高き決然たる信念を持ち、勇猛果敢に、
4
出 羽 尚
古代の自由に対し思慕を抱く程、古代の
まった」のである 43。
文化に感化されていた 34。
5 挿絵
実際、1735 年と 36 年の当初の出版後に、
『自由』
このようにして『自由』で取り上げられたのは、
が単独で出版されることは、限られた事例を除い
政治的権力の干渉を免れた状態を意味する自由で
てはほとんどなかった。それでも、トムソンの『詩
ある 35。トムソンが警告するのは、自由は政治的
集』のなかに収められる形で、18 世紀を通じ、ま
権 力が一カ所に集 中することによって失われてし
た 19 世紀に入っても『自由』の出版は継続され、
まうということである。故に、複合政体を採るブ
『四季』
その中には挿絵の入ったものが存在する44。
リテンこそが、自由を受け入れる仕組みを備えた
の場合と比較すると圧倒的に作例は少ないが、以
国家として称揚されるのである 。
下のような版画を確認できる。
36
18 世紀後半に制作された版画[図 4]は、版面
4 低評価
時代の政治や思潮との関係を持って制作された
下部の情報から G・V・ニーストによる下絵と版刻
『自由』であったが、1735 年に出版された最初の
によるものである。この版画家は『四季』の挿絵と
3 部に比べて 36 年に出 版された残りの 2 部は発 行
なったウィリアム・ケント下絵による版画を版刻
部数が減らされている 。当時頻繁に議論されて
しているが、それ以外の情報については確認でき
きた主題を繰り返していた点で、評判を呼ばなかっ
ていない 45。また、この版画がどの出版物に挿入
た面もあるのだろう。 サミュエル・ ジョンソンも
されたものかについても不明である 46。作品の中央
不評の原因に触れて、「
『自由』が最初に出版され
で右向きに立つのが連合国旗の意匠が施された盾
た時、 読もうとしたのだが、 すぐに止めてしまっ
を右手で支えて立つブリタニアである。左肩には
た。それ以来もう一度読もうとはしていないので、
長い槍を立てかけている。彼女のアトリビュート
あえて評 価はしない 」 と述べている 。 キャンベ
でもあるライオンが左手に見えるほか、天秤を持っ
ルは、後世における『自由』の低評価の一因は、
た正義の寓意像も彼女の後ろに控えている。ブリ
頻繁に登場する寓意像の存在にあると指摘してい
タニアは右手から雲に乗って降臨した女性像の右
る。つまり、抽象的な概念を主題としたことによっ
手を取っている。 フリギア帽の掛かった杖を持つ
て、
『四季』で歌われた自然のように視覚的なイメー
自由の寓意像である。ブリテンに自由が舞い降り、
ジを喚 起することができなかった点に問 題があっ
ブリタニアと出会う場面が描かれている。一方で
たという指摘である 。
は、左手にはブリテンに伴う複数の寓意像がいる
37
38
39
しかし 1790 年代になると『自由』が一部で注目
を集める。かつては批判の対象となった政治性が、
ことから、正義などの特質はすでにこの段階でブ
リテンには備わったものとして捉えられている。
フランス革命の勃発に刺激されて政治変革を唱え
次に 1800 年に出版された版画[図 5]がある 47。
る 18 世紀末の論者たちの興味を引いたのである。
版面下部の情報から、リチャード・コーボールド
その一人がエディンバラ生まれの改革派、バカン
と R・W・サッチウェルの下絵に基づきチャールズ・
伯爵(デイヴィッド・スチュアート・アースキン)
ターナー・ ウォレンが版 刻したものである 48。 絵
である 40。彼はトムソンをして未来を見通した「も
画面を楕円の枠で取り囲む石の台座には、『自由』
う一人のピスガ山の預言者」
、つまりモーセに準え
の一節が引用されている。
られる「自由の詩人」 として崇めている。バカン
41
伯爵はトムソンを称揚することで当時のウィリア
しばしの間、彼女は辺りを見回し、
ム・ピット首相(小ピット)政権に対する批判を展
悲しげな視線で、かの有名な廃墟を示してから、
開したが、
1790年代後半にフランスの脅威が増し、
彼女の吐息を抑え始めた 49。
バークら反フランス革命の立場をとる陣営によっ
て変革の動きが抑えられると、『自由』は急激にそ
画面の左手には、自由が失われ崩壊したイタリ
の重要性を失ってしまった 。そして 19 世紀にな
アの廃墟に腰かける男性がいる。その右には月桂
ると、
「自由とブリタニアの著者は忘れ去られてし
冠を被ったニンフがいて、男性に廃墟となった現
42
トムソンの『自由』とブリタニアの図像
5
場を指示している。絵画面を取り囲む台座の上に
た思想の背景、つまり自由とブリタニアを関係づ
は、ライオンやフリギア帽などがある。
けるテーマを視覚化した表現が、18 世紀の諸図像
同じ下絵に基づいた版画は、1804 年にフィラデ
の中にも確認できる。『自由』の挿絵にブリタニア
ルフィアで出版されたトムソンの『詩集』の扉絵[図
と自由の出会いを描いたものがあることは確認し
6]にも確認できる 。ただし版刻者はアメリカの
たが、これに類するイメージの系譜が 18 世紀を通
ウィリアム・ ヘインズである 51。 構 図の枠 取りの
じて存在していたのである。
違いはもちろんだが、男性の顔の輪郭、ニンフの
1 ブリタニアの図像伝統
50
衣装の衣紋、廃墟の建築の細部、前景の植物など
ブリタニアの図 像は座る女 性 像として 2 世 紀に
にも、版刻者の違いによって生じる細かな表現の
登場し、ローマ時代の硬貨のデザインとしても利
相違が確認できる。
用される 59。 盾と槍を備えて座るこの図 像の特 徴
次に 1830 年に出版されたトムソンの『詩集』の
は、1667 年にオランダと締結したブレダの和約に
第 2 巻に挿入された「自由」第 1 部の冒頭部の挿絵
際して、国王チャールズ 2 世が後のリッチモンド公
[図 7]がある 52。ただし、これと同じ挿絵が、同
爵夫人をモデルとして制作させたメダルと銅貨の
じ詩集の第 1 巻『四季』の「秋」の冒頭にも用いら
意 匠としても用いられている。 このときには盾に
れており、詩行の内容との直接的な関係を考えた
イングランドとスコットランドの連合国旗の紋様
ものではないと思われる 。なお、この『詩集』が
が入り、ブリタニアのアトリビュートとして彼女
出版社を変え 1860 年に出た際にも、同じ挿絵版画
の傍らに立て掛けられるのが定型となる。
53
が「秋」と「自由」の冒頭に同時に用いられている
。
この定型を基本として、18 世紀に登場するブリ
タニアは、個々の作品の文脈に応じて様々な古代
54
下絵画家、版刻者とも記銘がないが、この挿絵
の神々や寓意像の要素を加えた形で表現される。
の下絵[図 8]が大英博物館に所蔵され、作者はト
その代表的なものは、羽飾りのついた兜をかぶり
マス・ストザードだとされる 。浅浮彫りのフリー
知恵を象徴するミネルウァ[図 10]60、二匹の蛇
ズ状に配された構図には、座る男女が中央に配さ
が巻きつき頂に翼の付いた杖を持ち商 業を象 徴す
れる。女の上半身に優しく手をまわす男の姿勢か
るヘルメス[図 11]61、三叉槍を持ち海の支配を象
ら想起される親密な印象の二人は、右側で壺から
徴するポセイドン[図 12]62、黄金の角を抱く豊穣
皿にワインを注ぎ入れる子どもの方に視 線を向け
の寓意像[図 13]63 などである。それぞれに、ブ
微笑んでいる。画面左には別に二人の子供がいて、
リテンという国家の特質を示唆する寓意が加えら
積んだブドウを籠に集めている。
れている。また、複数の神々や寓意像の要素を一
55
最後に、1853 年版のトムソンらの作品を収めた
人の女性像として描く上記の作例だけでなく、ブ
詩集に挿入された挿絵[図 9]
がある 。制作はバー
リタニアのそばに様々な寓意像を配置することに
ケット・フォスターである 57。版面下部には「マラ
よって、 それらの特 質がブリテンに備わっている
トンの平野」の文字があり、この挿絵が挿入され
ことを表現する場合もあり、ブリタニアは時々の
た対 面の 207 頁に記 述されるギリシアの風 景を背
国家の有様を様々な寓意によって表象する媒体と
景に、以下の詩行が絵画化されている。
して機能した。
56
2 自由の要素
長期の戦いのなかマラトンの平野で、
こうして取り入れられた寓 意の一つの事 例が、
我が熱きアテナイ人は、奴隷の集団を
自由の寓意である。国家と自由の関連付けという
自らの猛々しき軍勢の前に追い立てた 58。
同時代の思潮を踏まえて、数多くのブリタニアの
表現において、自由の寓意像との関連付けが行わ
II ブリタニアの図像
前述の通り、アディソンによる『イタリアからの
れている。その方法は、他の寓意像の事例におい
てと同様、二つの類型に分けることが出来る。
手紙』など、18 世紀前半にブリテンを自由の国家
第一が自由の寓意像を伴う形でブリタニアが描
だと唱える言説が存在していた。一方で、そうし
かれる類型である。『自由』の挿絵[図 4]の作例
6
出 羽 尚
と同様、ブリタニアが自由に引き合わされる形、
れている。というのも、見張り役として描かれて
あるいは二人がすでに知己を得たものとして表現
いる国 王ジョージ 3 世が、 義 務を怠り眠りこけて
される形があり、両者が関係を持っていることを
いるからである。[図 26]では、ブリテンの自由
表現する
[図 14-20] 。
とフランスの自由を対比している。ブリテンはフ
64
例えば、1763 年の版画[図 18]では、二人の関
リギア帽のほかにも「マグナ・カルタ」と書かれた
係が国王ジョージ 3 世の誹謗の罪で逮捕されたジョ
紙片や正義の天秤といった寓意的意味を持つアト
ン・ウィルクスの風刺のために利用されている。
リビュートを持つ。
ここではブリタニアが自 由の仲 介でウィルクスに
この二類型のほかには、ブリタニアの描かれた
紹介されている。フリギア帽の矛には、ウィルク
構図の枠外にフリギア帽を意匠として配置するこ
スが逮 捕されるきっかけとなった論が掲 載された
とで、自由との関係を示唆させるものや[図 32]
誌名『ノース・ブリトン 45 号』という書き込みが
66
ある。自由はウィルクスを「私の養子です」とブリ
右上の意匠に使われたトムソンの肖像画もある[図
タニアに紹介すると、ブリタニアは「ようこそ」と
33]67。
、ブリタニアとともに三叉槍とフリギア帽の杖が
声をかけ、ウィルクスはブリタニアに対して「力の
限りお守りいたします」と返す。すでにブリタニ
おわりに
アと自由は知己を得ていることが前提となってい
以上のように、トムソンが『自由』の主題として
ることが確認できる。同じように[図 19]でも二
取り上げ、18 世紀に意識されていたブリテンにお
人はすでに知り合いとして描かれている。 ブリタ
ける自由の概念は、テクスト上だけで言及された
ニアは自由と名声に手を引かれたデヴォンシャー
ものではなかった。個々の作例における細かな表
公爵夫人に月桂冠を授けようとしている。さらに、
現の意味は様々であり、ここでは個別の作品解釈
[図 20]では、16 世紀の護国卿エドワード・シー
にまでは踏み込まないが、擬人化されたブリタニ
モアによって自 由とブリタニアが引き合わされて
アと自由の寓意像の伝統を利用した数多くの図像
おり、すでにこの時代から自由がブリテンに到達
によって、ブリテンという国家が自由を備えたも
していることが表されている。
のとして認識されていたことが確認できた。
第 二の類 型は、 自 由の寓 意 像のアトリビュ ー
トとなるフリギア帽を掛けた杖を持つことによっ
て、ブリタニアに自由の要素を取り込む方法であ
る。これにより、ブリタニアには自由が備わって
いることが表現される[図 21-31]65。
例えば、
[図 21][図 22]
[図 23]においては、
複数の寓意像を伴った姿でブリタニアが描かれる
一方、自由のアトリビュートをブリタニア自身が
持つことで、自由がすでに彼女に身についたもの
として捉えられている。同じことは[図 24]につ
いても言える。ここでは平和と豊穣の寓意像とと
もに、足元のフランスとの同盟条約の紙片に示唆
されるように、 フランスの傀 儡となったブリタニ
アの子孫アメリカの左側に迫る軍勢から逃れよう
とする場面である。高々とフリギア帽を掲げるこ
とで、ブリテンの特質としての自由が強調されて
いる。
また[図 25]では、自由の備わったブリタニア
が、
「私はこんな風に守られているのかしら」と呆
Liberty, I, 107-09. 以降、『自由』の詩行は以下を参照。
Thomson (1986).
2
Liberty, II, 391, 93.
3
Liberty, III, 11-12.
4
Liberty, III, 539-40.
5
Liberty, IV, 226.
6
Liberty, V, 2-4.
7
ト ム ソ ン は こ こ で は、‘Independent Life’, ‘Integrity in
Office’, ‘A Passion for the Common-Weal’ の三つの美徳を
挙げる。Liberty, V, 120-23.
8
Liberty, V, 93-98.
9
Liberty, I, 370-71.
10
第 5 部 99-109 行で国家の崩壊に言及している部分は、
ウォルポール支持者たちの 1734 年の総選挙での行動を
指していると指摘される。以下を参照。Thomson, (1986),
p.39. キャンベルは、
『自由』においてブリテンに自由
が到達した際の記述が、1738 年の改訂版で変更された
点に注目している。1735 年の初版ではブリテンの王が
自由を「招いた (invite)」のに対し、改訂版では自由が
王に「近づいた (accost)」と変更され、国王に対する敬
意が失われているという。これは、初版が出版された
後の 1735 年末以降、反ウォルポールの立場の新聞『ク
ラフツマン』において、フレデリック王太子が自由の
1
トムソンの『自由』とブリタニアの図像
擁護者として声高に称揚されるようになった状況とも
呼応する。以下を参照。Campbell (1979), p.107.
11
Thomson (1986), p.40.
12
トムソンの詩作に対する美術作品の影響についての先
行研究は、以下を参照。出羽 (2013), p.14, n.3. 美術作品
に言及した『自由』の詩行については、以下を参照。
Campbell (1979), pp.105-06.
13
以下本項の出版状況に関わる記述は、断りがない限り
以下を参照。DNB (2004), LIV, pp.518-19.
14
McKillop (1958), pp.81-82.
15
書誌情報は、以下を参照。Foxon (1975), pp.795-96.
16
McKillop (1953), pp.112-13.
17
Hill (1736), n.p. 演劇評を中心とした同誌については、以
下を参照。DNB (2004), XXVII, p.102. ヒルは、詩人と
して活動するためロンドンに出てきたトムソンに最初
に目をかけた一人である。以下を参照。Johnson (1781),
pp.254-55.
18
Moncrieff (1735), p.viii.
19
Anon. (1741), pp.21, 24. ロンドンやエディンバラ版もあ
るが、ここで参照したのはダブリン版。この詩は 18 世
紀を通じて年ごとに発表された風刺詩のひとつである。
これらの風刺詩にはポウプの影響もある。以下を参照。
Weinbrot (1982), p.310.
20
Thomson (1986), p.35.
21
Campbell (1979), pp.99-101.
22
Thomson (1986), p.37; Gerrard (1994), pp.71-76.
23
Addison (1721), p.53.
24
British Museum, 1863.0214.381.
25
自由の寓意像については、以下を参照。水之江 (1991),
pp.166-67; Okayama (1992), p.159.
26
Addison (1726), p.66. 18 世紀のフランスの図像学事典に
も、同様のメダルの図像についての記述がある。以下
を参照。Prezel (1779), I, pp.41-43.
27
この版画については、以下を参照。Freeman (1914), IV,
p.274, no.15; McKillop (1958), p.xi.
28
Thomson (1986), pp.37-38.
29
Liberty, II, 291-349; IV, 134-206.
30
『ブリタニア』においては、とりわけ同時代の対スペイ
ンとの関係を踏まえた政治性が指摘されるが、この段
階ではトムソンはウォルポール政権寄りの立場から制
『自由』において見られた反ウォルポー
作を行っており、
ルの政治性は、その後のグランド・ツアーを経たトム
ソンの思想的変化による。以下を参照。Thomson (1986),
pp.18-19.
31
‘Winter’, 589ff. 以下、『四季』の詩行は Thomson (1981)
を参照、邦訳はトムソン (2002) より引用。ただし、表
記を統一するため引用文を修正した個所もある。
32
‘Summer’, 1442-45.
33
‘Summer’, 1514-18. ここで歌われるジョン・ハムデンら
17 世紀にチャールズ 1 世に対抗した議会派議員たちは、
「生来の自由 (native freedom)」
、すなわち古代サクソン
の人民が有していながらノルマン人の侵攻によって失
われてしまった自由の復興を主張した。以下を参照。
Thomson (1981), p.360.
34
‘Summer’, 1527-31. ここで登場する英国版カシアスとは、
アルジャーノン・シドニー (1622-83) を指す。チャール
ズ 2 世の暗殺を計画したライハウス事件に関わった廉
で処刑された人物で、カエサルを暗殺したカシアスに
準えられている。以下を参照。Thomson (1981), p.361.
7
ジョンソンの辞書では、この意味での自由を「隷属の
対義語」と規定している。以下を参照。Johnson (1755),
II, n.p. これはバーリンが論じる「消極的」自由に該当
するものと考えてよいだろう。以下を参照。バーリン
(1971), pp.304-18. 一方で、チェンバーズの『サイクロぺ
ディア』には、バーリンが「積極的」と規定した自由
についてしか記述がない。以下を参照。Chambers (1728),
II, pp.450-51. また、トムソンは ‘liberty’ と ‘freedom’ を
同時に用いているが、権力の干渉を免れた状態を意味
する語として、両語は 18 世紀にもほぼ同義で用いられ
ている。以下を参照。OED (1989), VIII, p.886; VI, p.164.
36
トムソンは複合政体が国家の自由を維持する基盤であ
ると考えた。この時代の反ウォルポールの著述家たち
は、権力の集中が国家の崩壊を招くと繰り返し説いて
いた。以下を参照。Dix (2000), pp.120-24.
37
出版部数については、各部とも上質紙版 250 部を含めて、
第 1 部が 3250 部、第 2 部と第 3 部が 2250 部、第 4 部
と第 5 部が 1250 部。以下を参照。Sambrook (1991), p.141.
38
Johnson (1781), pp.261, 274.
39
Campbell (1979), pp.108-09.
40
バ カ ン 伯 爵 の 政 治 的 姿 勢 に つ い て は、 以 下 を 参 照。
DNB (2004), XVIII, pp.524-27.
41
Erskine (1792), p.xxvii.
42
Barrell & Guest (2000), p.217.
43
Strachan (2000), p.249.
44
初版の計 5 部にも、それぞれ冒頭にエンブレム的意匠
を含んだ図版が挿入されている。第 3 部と第 4 部は
同じ意匠なので、合計四種類。以下を参照。Thomson
(1735a); Thomson (1735b); Thomson (1735c); Thomson
(1736a); Thomson (1736b). 他に『自由』が単独で出版さ
れた 18 世紀の例としては、グラスゴーで出版された以
下の二点のみしか確認できていない。これらは出版年
が異なるだけで、出版社、内容とも同じもので、図版
はない。Thomson (1774); Thomson (1776).
45
例えば、以下の『四季』各版に挿入された四点の扉絵
がニーストによる版刻。Thomson (1762); Thomson (1767).
46
British Museum, 1873,0809.1499.
47
British Museum, 1848,0708.448. 大英博物館のウェブサイ
トによれば、この版画はチャールズ・クックが出版し
た『英国詩人選』の叢書の一冊のために制作された扉
絵だとされるが、トムソンを扱った巻はこの版画より
前の 1794 年に出版されていて、その巻には別の版画が
挿入されている。以下を参照。Thomson (1794).
48
コーボールドについては、以下を参照。Williamson (1903),
I, p.328; Thieme & Becker (1907-50), VII, pp.396-97. サッ
チ ウ ェ ル に つ い て は、 以 下 を 参 照。Thieme & Becker
(1907-50), XXIX, p.486. ウォレンについては、以下を参
照。
Williamson (1903), V, p.336; Thieme & Becker (1907-50),
XXXV, p.167.
49
Liberty, I, 37-39.
50
Thomson (1804).
51
ヘインズについては、以下を参照。Stauffer (1907), II,
p.205, no.1218.
52
Thomson (1830), II, p.79.
53
Thomson (1830), I, p.129.
54
Thomson (1860), I, p.103; II, p.7.
55
British Museum, 1900,0824.390. 以 下 を 参 照。Binyon
(1907), p.157, no.114(d).
56
Thomson, et al. (1853).
35
8
出 羽 尚
フォスターについては、以下を参照。Williamson (1903),
II, pp.182-83; Thieme & Becker (1907-50), XII, pp.242-43.
58
Liberty, II, 183-85.
59
ブ リ タ ニ ア の 図 像 作 例 に つ い て は、 以 下 を 参 照。
Cannon (2002), p.126; 飯田 (2005); コリー (2000), pp.25760.
60
British Museum, 1876,1209.665.
61
British Museum, 1872,0511.1031.
62
British Museum, 1915,0327.24.
63
British Museum, 1868,0808.3914. 黄 金 の 角 に つ い て は、
寛大の寓意像などとの関連もある。1709 年のロンド
ン版のリーパ『イコノロジーア』にも黄金の角を持つ
寛大が描かれている。以下を参照。Ripa (1709), p.49,
fig.196.
64
順 に 以 下。British Museum, 1883,0512.195; British
Museum, 1873,0809.338; British Museum, 1886,0808.1653;
British Museum, 1868,0808.10325; British Museum,
1868,0808.4320; British Museum, 1868,0808.5320; British
Museum, 1868,0808.9857.
65
順に以下。British Museum, 1872,1109.66; British Museum,
1868,0822.1249; British Museum, 1871,1209.89; British
Museum, 1852,1116.422; British Museum, 1857,0901.55;
British Museum, J,4.50; British Museum, 1870,1008.2253;
British Museum, Banks,132.256; British Museum,
1882,0114.131; British Museum, 1867,0309.1308; British
Museum, 1978,U.1692.
66
British Museum, 1874,0711.696.
67
British Museum, 1863,0808.75.
57
引用文献
Usefulness of Ancient Medals , Publisher
unidentified.
Anon. (1741): The Year Forty-One. Carmen Seculare,
Dublin, Publisher unidentified.
Barrell, John & Guest, Harriet (2000): ‘Thomson in
the 1790s’, in Richard Terry, ed., James Thomson:
Essay for the Tercentenary, Liverpool, Liverpool
University Press, pp.217-46.
Binyon, Laurence (1907): Catalogue of Drawings
by British Artists and Artists of Foreign Origin
Working in Great Britain, Preserved in the
Department of Prints and Drawings in the British
Museum, IV, London, The British Museum et al.
Campbell, Hilbert H. (1979): James Thomson, Boston,
Twayne Publishers.
Cannon, John, ed. (2002): The Oxford Companion
to British History, rev. ed, Oxford, Oxford
University Press.
Chambers, Ephraim (1728): Cyclopaedia: or An
Universal Dictionary of Arts and Sciences,
London, James and John Knapton, et al., 2vols.
Dix, Robin (2000): ‘James Thomson and the Progress
飯田操 (2005):『イギリスの表象―ブリタニアと
of the Progress Poem: From Liberty to The
ジョン・ブルを中心として』京都 , ミネルヴァ
Castle of Indolence’, in Richard Terry, ed., James
書房 .
Thomson: Essays for the Tercentenary, Liverpool,
出羽尚 (2013):「挿絵から見る『四季』―落穂拾
いのラヴィーニアの表現を中心に」
『イギリ
ス・ロマン派研究』第 37 号 , 1-18 頁 .
リンダ・コリー ( 川北稔監訳 )(2000):『イギリス
国民の誕生』名古屋 , 名古屋大学出版会 .
ジェームズ・トムソン ( 林瑛二訳 )(2002):『ジェー
ムズ・トムソン詩集』東京 , 慶應義塾大学出
版会 .
アイザィア・バーリン ( 小川晃一ほか訳 )(1971):
『自由論』東京 , みすず書房 .
水之江有一 (1991):『図像学事典―リーパとその
系譜』東京 , 岩崎美術社 .
Liverpool University Press, pp.117-39.
DNB (2004): The Oxford Dictionary of National
Biography, Oxford, Oxford University Press,
60vols.
Erskine, David Stewart (1792): Essays on the Lives
and Writings of Fletcher of Saltoun and the Poet
Thomson, London, J. Debrett.
Foxon, David F. (1975): English Verse, 1701-1750:
A Catalogue of Separately Printed Poems with
Notes on Contemporary Collected Editions,
London, Cambridge University Press.
Freeman, O’Donoghue (1914): Catalogue of Engraved
Addison, Joseph (1721): ‘A Letter from Italy to
British Portraits Preserved in the Department of
the Right Honourable Charles Lord Halifax in
Prints and Drawings in the British Museum, IV,
the Year MDCCI’, in The Works of the Right
London, British Museum, et al.
Honourable Joseph Addison, Esq, I, London,
Jacob Tonson, pp.43-55.
Addison, Joseph (1726): Dialogues upon the
Gerrard, Christine (1994): The Patriot Opposition to
Walpole: Politics, Poetry and National Myth,
1725-1742, Oxford, Oxford University Press.
トムソンの『自由』とブリタニアの図像
Hill, Aaron (1736): The Prompter, CXXXV, London, T.
Cooper.
9
Part of Liberty, A Poem, London, A. Millar.
Thomson, James (1736b): The Prospect: Being the
Johnson, Samuel (1755): A Dictionary of the English
Language, London, J. and P. Knapton, et al,
2vols.
Fifth Part of Liberty, A Poem, London, A. Millar.
Thomson, James (1762): The Seasons, London, A.
Millar.
Johnson, Samuel (1781): The Lives of the Most
Eminent English Poets, IV, London, C. Bathurst,
et al.
Thomson, James (1767): The Seasons, London, T.
Cadell for A. Millar.
Thomson, James (1774): Liberty, A Poem, Glasgow,
McKillop, Alan D. (1953): ‘The Reception of
Thomson’s “Liberty”’, Notes and Queries,
March, pp.112-13.
Robert & Andrew Foulis.
Thomson, James (1776): Liberty, A Poem, Glasgow,
Andrew Foulis.
McKillop, Alan Dugald, ed. (1958): James Thomson
(1700-1748): Letters and Documents, Lawrence,
University of Kansas Press.
Thomson, James (1794): The Poetical Works of James
Thomson, London, C. Cooke.
Thomson, James (1804): The Poetical Works of James
Moncrieff, Robert (1735): Magnanimity. A Poem,
London, Printed for the Author.
Thomson, II, Philadelphia, B. Johnson, et al.
Thomson, James (1830): Poetical Works of James
nd
OED (1989): The Oxford English Dictionary, 2 ed.,
Oxford, Clarendon Press, 20vols.
O k a y a m a , Ya s s u ( 1 9 9 2 ) : T h e R i p a I n d e x :
Personifications and Their Attributes in Five
Editions of the Iconologia, Doornspijk, Davaco.
Prezel, H. Lacombe De (1779): Dictionnaire
icolonogique, Paris, Hardouin, 2vols.
Ripa, Caesar (1709): Iconologia: or Moral Emblems,
London, Benj. Motte.
Sambrook, James (1991): James Thomson 1700-1748:
A Life, Oxford, Oxford University Press.
Thomson, London, William Pickering, 2vols.
Thomson, James, et al. (1853): The Poetical Works of
James Thomson, James Beattie, Gilbert West, and
John Bampfylde, London, George Routledge.
Thomson, James (1860): Poetical Works of James
Thomson, London, Bell and Daldy, 2vols.
Thomson, James (1981): The Seasons, ed. by James
Sambrook, Oxford, Clarendon Press.
Thomson, James (1986): Liberty, The Castle of
Indolence and Other Poems, ed. by James
Sambrook, Oxford, Clarendon Press.
Stauffer, David McNeely (1907): American Engravers
Th i e m e , U l ri c h & Be c ke r, F e l i x , (1 9 0 7 -50) :
upon Copper and Steel, New York, The Grolier
Allgemeines Lexikon der Bildenden Künstler,
Club, 2vols.
Leipzig, E. A. Seemann, 37vols.
Strachan, John (2000): ‘‘That is True Fame’: A Few
Weinbrot, Howard D. (1982): Alexander Pope and
Words about Thomson’s Romantic Period
the Traditions of Formal Verse Satire, Princeton,
Popularity’, in Richard Terry, ed., James
Princeton University Press.
Thomson: Essay for the Tercentenary, Liverpool,
Liverpool University Press, pp.247-70.
Thomson, James (1735a): Antient and Modern Italy
Compared: Being the First Part of Liberty, A
Poem, London, A. Millar.
Thomson, James (1735b): Greece: Being the Second
Part of Liberty, A Poem, London, A. Millar.
Thomson, James (1735c): Rome: Being the Third Part
of Liberty, A Poem, London, A. Millar.
Thomson, James (1736a): Britain: Being the Fourth
Williamson, George C., ed. (1903): Bryan’s Dictionary
of Painters and Engravers, London, George Bell
and Sons, 5vols.
10
出 羽 尚
図 3 作者不詳 18 世紀,凹版(技法不明)
図 1 R. コーボールド下絵,R. ウッドマン版刻
1798 年,エッチング,エングレーヴィング
図 2 作者不詳 1726 年,凹版(技法不明)
図 4 G.V. ニースト下絵・版刻 1763-1804 年頃,
エッチング,エングレーヴィング
図 5 R. コーボールド,R.W. サッチウェル下絵, 図 6 R. コーボールド,R.W. サッチウェル下絵,
W. ヘインズ 版 刻 1804 年,エッチング,
C.T. ウォレン版刻 1800 年,エッチング,
エングレーヴィング
エングレーヴィング
図 7 T. ストザード下絵 1830 年,凹版(技法不明)
図 8 T. ストザード 1755-1834 年,ペン,インク,ウォッシュ
11
トムソンの『自由』とブリタニアの図像
図 9 B. フォスター版刻 1853 年,凹版(技法不明)
図 10 G. グリゾーニ下絵,J. パイン版刻 1710-50 年,
エッチング
図 13 T. フォックス版刻 1751 年,エッチング,
エングレーヴィング
図 11 C. モズリー版刻 1720-56 年頃, 図 12 R. ウェストル下 絵,J. ヒース版
エッチング,エングレーヴィング
刻 1799-1800 年,エッチング,エ
ングレーヴィング
図 14 M. ロウ 下 絵,G. グレアム 版 刻
1793 年,メゾチント
図 15 J.S. ミュラー版刻
1750-60 年頃,エッチング
12
出 羽 尚
図 16 H.J. リクター下絵,F. バルトロッツィ版
刻 1795 年,スティップル,エッチング
図 17 作者不詳 1789 年,エッチング,彩色
図 19 T. ローランドソン版刻 1784 年,エッチング
図 22 G.B. シプリアーニ下絵,F. バルトロッツィ版刻
1775 年,エッチング,エングレーヴィング
図 18 作 者 不 詳 1763 年, エッチング,
エングレーヴィング
図 20 S. ウェイル下絵,C. グリニョン版刻 1770 年, 図 21 C.M. メツ下絵,C. グリニョ
エッチング,エングレーヴィング
ン版刻 1770-1800 年,エッチ
ング,エングレーヴィング
図 23 T. ストザード下絵,T. トロッター版刻
1780 年,エッチング,エングレーヴィング
図 24 作者不詳 1780 年,エッチング,
エングレーヴィング
13
トムソンの『自由』とブリタニアの図像
図 25 T. ローランドソン版 刻 1781 年,
エッチング,彩色
図 28 オリバー版刻 1780-1820 年,エッチング
図 26 T. ローランドソン版 刻 1792 年,
エッチング,彩色
図 29 W. リドリー版刻 1797 年,スティップル, 図 30 J.C. バロウ下絵,J. コーナー版刻
エッチング
1793 年,エッチング,エングレーヴィ
ング
図 31 E.F. バーニー下絵,A. カードン版刻 1800 年,
スティップル,エッチング
図 27 G.B. シプリアーニ下絵,F. バルト
ロッツィ版刻 1775 年,エッチング,
エングレーヴィング
図 32 J. サーストン下絵・版刻
1789-1822 年,木口木版
図 33 J. パトゥン下絵,J. バザイア版刻
1761 年,エッチング,エングレーヴィ
ング
14
出 羽 尚
Liberty by James Thomson and Iconography of Britannia
IZUHA Takashi
Abstract
Liberty, a blank-verse poem by James Thomson was published in 1735 and 1736. It was dedicated to Frederick,
Prince of Wales and traces historical rise and fall of liberty from its prosperity in ancient Greek and Rome to what
he believes is liberty’s perfect realization in the seventeenth century Britain. However, Thomson mentions that
autocracy without liberty as supported by public virtues results in corruptions of a nation and warns that a lack of
virtues might ruin modern Britain. That is why in this poem Thomson exaggerates the good relationship between the
female allegorical figures of liberty and Britannia. However, this subject of liberty in Britain was not only Thomson’s
subject but also frequently mentioned by other British poets and writers in the eighteenth century.
On the other hand, the allegorical figure of Britannia was represented visually in many different prints in
the eighteenth century. Looking at these different pictorial representations, we can notice that Britannia is often
associated with liberty. Britannia is often accompanied by the allegorical figure of liberty and she often carries a
symbol of liberty, the Phrygian cap. In this way, the much discussed topic of the British nature of liberty can be
traced to not only literary texts but also visual images as well.
(2014 年 10 月 31 日受理)
Fly UP