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敬 逸

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敬 逸
アルフレッド●フェルドロッス
一、﹃國際法王書論﹄︵濁逸軽羅法學會報告第+號一一九三〇年︶
二、﹃法の一般原則論i實謹上際法の根本規範の問題について﹄
し
が
き
瞳
﹂
上
敬
︵肚會・國家及法!一九ご=年︶
は
逸
一般的には一前世紀の自然法論につビく十九世紀の歴史主義・實設主義の法律理論、特殊的には1心理學的肚
會學の強い影響の下に集大成されたイェリネックの實誰的・経験的法律理論は、人の知るごとく、薪理想主義的傾
向の下に次の二つの立場から批判される。それは一方に於ては、デュギーによって當時のフランス哲學及び特に
フランス肚會學の立場から薪自然法論へ展開ぜられ、他方に曾ては、ケルゼンによってカント的批判主義の立場
から規範論理的實誰法論へと展開せられる。更にケルゼンの純粋法學は、特にその國際法理論の方面に於て
は、 フェルドロッス教授によって、・十九世紀の歴史主義や實設主義によってそれが國際法に早してなした諸々
アルフレッド・フェルドロヅス﹃國際法々源論﹄ ︵川上︶ ︵第四巻第一號 二六一︶ 一
アルフレッド・フェルドロヅス﹃國際垂々源論﹄ ︵川上︶ ︵第四巻第一號 二六二︶ 二
り
の功績までも湊腫せむれてみた自然法論への回顧として現はれ、ルネッサンスとして現はれる。果して然らば、
フエルドロッスに於ける自然法的傾向は、人の言ふごとく、彼の依って立つ純粋法認の要請とは互に相容れぬ程の
の
ものであるか。私は否と答へるのに何の躊躇も出來ない。むしろ、私はこ玉に於てこそ、かの純粋法長の地位が
最もよく現はされてみるものと考へさせられる。かくて入は、純粋法學の自然法的思辮への極めて強い反封にも
か曳はらす、既に其の中に必然的に包装せられてるる自然法的な契.機のあるものを看取せざるを得ないであらう。
の
蓋、その方法を呼んで自ら批判的賞讃主義と尽する純粋法學は、法の巷ぽユをoQ&窪としての實定法の基礎
に探めてこれを根本規範9ロ包8二目と呼び、而もこの﹁根本規範の内容は⋮:・實定法として理解せらるべき素
の
材によって決定される﹂と詮いてるるからである。他方、特に鳶職後の諸種の空際雪平や立法事業は、明かにこ
の間の沿息をもの語るものとして注意せらるべきであらう。まことに、富津法にも自然法再生の日が來た。蕾自
然法論によってその基礎と原則とを與へられた初期の近世國際法が、今叉自然法の再生によって、國際的な諸會
議や諸立法事業と玉もに異常の磯展を途げてるる吉野は、何人もこれを否定することを得ない。
しかし敢てヘーゲル流の表現を以てすれば、正に今日の立際法學は、十八世紀の自然法論、十九世紀の實誰法
論に越してQQ巻爵。の・の國際法論であると言へるであらう。果して然らば、ω巻夢8。としての今日の國際法學は、
如何なる明日の州際法學をその中に契機として包署してみるのであるか。今日の國際肚會は、如何なる明日の野
際砒會を発望してみるのであるか。甚だ興味の多い、しかし謡歌な問題ではある。
ラ ラ
ら 以上の見地から私は、フェルドロッス教授の等量轟々源論︵就中文明國民によりて認められたる法の一般原則論︶
とOo。。o誇。ゲ9。津..︵O⑦。。o諄。ゲ瑞計ω富暮⊆口亀男ooげ⇔の略、以下之に從ふ︶QQ.ωひO.ωひQ占何ごく。篭帥ωω⇔昌σq.、ω・αM参照。
を、主として前賢レフェラートを中心に殆んどその翻誰に近い形式で、適宜前掲論文を照鷹しながら紹介して見
たい。
1
2 例へば横田喜三郎−大澤章﹁國際法秩序論﹂︵法律時報四ノ四・三八頁︶樹、立作太郎﹁李時勢際法論﹂一一〇頁参照。
3 所謂批判的實詮主議が﹁宮号主議の固有の基礎に關⋮する省察﹂にあることは句門坤Nωoゲ﹁臥。さU冷≦麟。昌霞器。び窃℃ゲ自。の。−
bぼ9。oずoQQoゲ巳。︵ピooqoωbコぴ●着●一℃卜﹂足Nω”国、叶こO.qO●ωOO︶によっても亦説かれてみる。
5
とOOωO口ooOゲ薗津・ω欝90け=口鮎幻OOゲ蛭ゲ﹁σq・︿.︾一白O飢ぐσ装置吋Oω9一℃ω一.、掲一載のもの。
︾”言津仲¢自口昌ゆqO昌α①隔UO百叶ωOびO昌OOo。O房Oゲ薗津田岸く窪目⑦霞ゆOゲ♂=津.一ρ一℃ωO.^楓叩載のもの。
4 丙。﹃oP2ゴ葺罧8ぼ巴。ずお訂昌亀”g寓。。唱。ω達鼠。。ヨロωの・ひ9
6
圏
る原則に從って創られるか﹂の問題である。これによって、私がこ玉に彼の前揚二者を併せて紹介する所以の決
の
彼によれば、 ﹁文明國二依り認メラレタル法ノ一般原則﹂の問題は、實に﹁實誰的國際法の眞の内容が如何な
の
して偶然にあらざることが明かにされるであらう。まことにこの問題は則ち、彼の雨期事々源論の出襲黙たると
鋤 の
﹂もに、叉その露着窯でもある。彼がヴヰーン學派に屡してみながら、その地位が飴程特色あるものとされてゐ
る 所 以 も 全 く こ 玉 に あ る と 言 っ て よ い 。 彼 の 法 源 論 . に 於 け る か く の 如 き 特 色 は 、 既に彼の以前の他の郵亭に於て
國ア・ルフレッ・ド・フェルドロッス﹃國際法門源論﹄ ︵川上︶ ︵第四巷第一號 二六三︶ 三
アルフレッド・フェルドロッス﹃鷺宮翌々源論﹄ ︵川上︶ ︵第四盤第一號 二六四︶ 四
も近著ではあるが、就申その完成せられた姿に於て而も彼の學読のその後の喪展と玉もに窺ひ得るものとしては、
ヤ
楓糖揚論文、に如くものはない。然しこ玉で私は、主として上揚レフェラートによって、彼の國際法々源論一般に
ついて述べること製する。
瓦葺尊きσqo口揚載の男亀2貌は、三段に分って叙述せられてるる。そして彼の叙述の全べてを通じて一貫する
ところのものは、その所謂批判的實誰主義の態度である。第一段に於ては、問題の解明がなされ、第二段に於て
は、第一段に於て設定せられたる問題の解決は、所詮胃内慣習の分杯によってのみ可能であると遠野せられ、
シユタ テンロプラクシス
所謂法の一般原則にまで論及せられる。最後に第三段に於ては、法の一般原則の國際野々源としての性質が極め
1
嵩Ωoωo嵐ωoゲ9。津.、ω・叙弁滲照。
こい8肩ぎ。甘8αq伽昌母僧qNα¢今。搾器8昌ロ9唱闇闇⑦。。昌9︷o昌ω9︿罠。自伽8、.
て高調せられてるる。前二段は、ともに第三段の結論への言は璽厳重の道行に外ならない。
2
嵩U剛09。嵩σqo§o写①菊8洋のoq機離口亀。。葺No9。尻くα節。霞ooび什。。ρg亀ゆ鋤.。
nρω・α﹃題・
とU画。首巻酎。三面。ω器。ゲ紳一8ず。鐸﹂毛。#び臨伍。。。..這NO℃ψおO角●及とU凶。<o臥器ω鎧ρσq鮎⑦旨く。穿。屋ooゲ8αQ⑦営。宣ψoず四h什..這
3 例へば、大澤・野見山共諜﹁國際法の基本問題﹂諜者序一〇頁及横田氏一大澤章﹁國際法難序論﹂︵法律時報四ノ四。三八頁︶
4
5
二
︵剛︶成文憲法を有せざる法律脱髄に於ては、そこに於て如何なる種類の規範が法として愛具してみるかについ
て、これを指示するところの成文法規が存在しない。從って一般規範の中の如何なるものが法としての拘束力を
レヒップラクシス
獲得するやとの問題は、そこに於ては先づ法の適用即ち、法の執行機關の慣習によって推論される外はない。問
題は、法慣習によって前提された規範群が、法慣習の意味分析によって明かになるといふことである。一般國
際團艘も亦成文憲法を有しないから、國際法源の問題は即ち、執行々爲の基礎となれる諸規範が、如何にして國
り
内慣習を母家間の交通に期して法律上拘束力を有するものとして創めて解するに至るか、といふことである。
然るに通詮に於ては、墨筆法の淵源の定義はその研究の最糊におかれる。それはおそらく、諸國家の共通の意
レアリステイツシユ
思に基ける規則が國際法であると主張せられることによってなされる。實際これらの定義も亦聖訓慣習の分析に
の
よって穫られたものである。併しながらそれは、常に法の経験上に鞭て測定せられ吟味せられて來たのでなく、
の 却って舞々に學論と化したものである。從って實謹的な法律観としては、とれらの學訟を検討し且上述の如き
の
批判的質問によって、新らしい批判的法源論を打建てなければならない。
これに先立って、就中國際法々源の概念が限定せらるべきである。この貼に覧て先づ明かにせらるべきは、即
ち國家禽の交通に於て予々することを要する規範のすべてが決して國際法規範ではないと言ふことである。特に
國際法と道徳規範とは匿別されねばならない。しかしそれにもか玉はらす、嚴密な二元的見解には同意出來ない。
法と道徳との匠別は、決してこれらの規範領域が互に絶野鶴に分離されたものであることを意味しない。淺薄な
アルフレッド・フェルドロッス﹃國際幽々源論﹄ ︵川上︶ ︵第四巻第一號 二六五︶ 五
アルフレッド・フェルー3ロッス﹃國際法々源論﹄ へ川上︶ ︵第四巻第一號 二六六︶ 六
一元論はこれを拒否せねばならないが、法と道徳とを識別せる一元論は、聖者を脅慣の所産として把握しやうと
して來た。國内慣脅も軽忽の颪別をしてみる。この鮎については、明瞭に國際法による裁判と源平によるそれと
を匠別してみる常設國際司法裁判所規程第三十八條を指示すれば足りる。更に若干の仲裁々判條約は、國際法に
の
よる裁判と正法によるそれとを庭別してみる。故に國際法に忙しても亦、パウルスの次の格言が安里する。曰く
お
﹁認められたることがすべて正しいのではない﹂と。
右の愚慮に關する問題のすべてが、條約の範園だけでは取扱はれ得ない。從って條約については、慣習につい
てと同様に孚はれてるる問題を摘出することを以て満足しなければならぬ。か興る見地からは、條約法は條約法
としては看過される。蓋、邸内慣習の統一的論讃によれば、國家間の自慰で締結された規範は、條約常事者に呈
しては原則として法的拘束力を有してみるからである。そこで問題は慣習,法に在ることが明かとなる。國際法上
の慣習法が國家を羅臆するといふことも下歯はれない。即ち法を適用し、又は、最初の實際事件に於て法を設定
せんがための主位的意識と結びついてみる慣習法を基礎づけんがたあ忙、 o豆巳。昌。8。。。・勘雷け剛g。によって、慣習法
が軍純な慣行と匝別されてるることは議論の意地なきところである。けれども如何なる前提の下に、一般的慣習
法規範が現存するものとして認められ得るかについては、何ら明瞭にされてみない。進んで國内慣習が、條約法
並に慣脅法の外に術諸他の規範群を、法的拘束力を有するものとして観るか否かを検討せねばならない。
1 故に實定法規範の設定は前提せられたる根本規範に基くとされるならば、この問題は皮相的に解決されたに過ぎない。
何となれば根本規範の内容は、法規の素材が既に知られてみる場合に初めて定式化されるからである。即ち根本朗範は
特定の法的所課に醸して意義を有するに過ぎない。散に實定法が、根本規範によつてその盤系の載冠式が行はれる前に.
諸種の規範の中の如何なる範圃に存するかを知らねばならない。問題は常にこの根本問題に再認する。他のすべての事
柄は其の解決に懸ってみる。かくて批判的實誰主義は、諸藁家をその絹互關係に干て方向づける規範は何であるかとの
問題を軍純に提出せねばならぬ。そこで課内慣言上規則的に行はるる諸々の規範は如何にして創られるかを問題とする
ことによって、間接にまた實誰臓器際法源に進むことが出青る。故に賓誰的國際法源に關するこの問題は、融會離的分
析によって解決され得ることが朋になる。けれども實誰法的姜器性は債値論的要害性とは全然異る。前者は肚會醸的概
念であり、後者は規範的概念である。
實定法の最高段階としての憲法の餐従性又は全盤としての費定法秩序の黒歯性には、二重の意義がある。即ち超實謹
的︵薗然法的︶秩序による要當性の委任であるか、然らずんばその雪意性即ち事實性であるかの何れかである。前者は贋
値哲學の問題てあり、後者は肚會學の問題である。從って例へば、屡々或秩序の現實性たる肚會的事實から、この規範
的要當性が演繹されるかと云ふことは.かくの如き秩序に嘗試すべしと命ずる規範を前提しない限り無意義となる。こ
しに根本規範によって法話誰主義の必然的限界を指示したケルゼンの,不朽の功績がある。實誰的國際法の規範的要當性
は、 一方に於ては、多数の諸國家に分たれてみる統一的な人類の神に基く道徳的諸念にその墓礎を有してみるが、他方
に継ては、か蕊る観念は諸々の國家の行器となる場合に於て且そめ範園に湿て現實化され得るのである。鞭って實誰的
窓際法を全濫費に把握するには、國際法の事實の基礎たる諸観念を探究するとともに、これらの観念を構成する諸々の
照、法の一般的原則と根本規範との關係については色こく①ヰ2。・・ω風月oq..◎D●$及ω.Oωム滲照︶。
行爲を探究することが必要である。,これらの綜合によって初めて實誰的國際法が出來る︵ごOo器房。叢叢..ω●ωα?c◎参
アルフレッド・フェルドロッス﹃國際蓬々源論﹄ ︵川上︶ ︵第四巻第一號 二六七︶ 七
アルフレッド・フェルドロッス﹃國際法々源論﹄ ︵川上︶ ︵第四谷第一號 二六八︶ 八
、.O⑦ωo房。ず鑑け、.o◎・ω0ひt縛参照︶。
て、その國家容認説を反駁してみる。
2 通説の吟昧分析については、ごOの器房。び龍け..ω・ω研α心参照。彼はそこで特に通説の代表者囚9。匡ω需ロ℃℃の撃説を暴げ
3
4 彼自身の所謂批判的實謹主義は、 特に彼の所謂紹瞼書蹟誰主義たる通説の意思設に封録せしめられてるる ︵ヒOo。。。嵩一
。。
盾ク9。津 . . o Q ● ω U ひ 一 q 墾 照 ︶ 。
“も。昌。︼β昌Φ心口。匹鵠8澄ゲob8嘗言8け..
國際法﹂の意味構造をなせるは軍に前者のみである︵とO①ω亀ωo冨津..ω’ω駅。。参照︶。
最後に強制的制裁と結合するところの規範と、軍に相互の保護の下にある規範とは匿直せられねばならない。 ﹁實謹的
基礎観念から導き出された諸々の規範も需要害してみるといふことが解る。そして、これらの無念に基ける規範の中で、
5 國家問の行爲の分析によって、國際法團鐙に於ては、軍に商家の承認を糎て作られた規範のみならず、画報法の事實の
6
D
︵二︶國際法上の慣習法に熱する學読の根祇的な分裂は、意思説と法律確信訟との封立になって現はれてるる。
慣習法的規範は、多分グロチユースに迄遡るであらう意思読に從へば、問題となれるその規範の償行に参浮した
國家によって﹁意欲﹂されたが故に、これらの國家に封してのみ拘束力を有し得ること玉なる。しかしながらそ
の場合に、協約による規範の如きも亦拘束力あるものと観ることは、諸姻家の一般的な意思をも亦認め得ること
セ セ わ も ら セ
玉なるから、右の見解に産しては異論なきを得ない。同様に法律確信読に於ても亦、次のやうに互に異る二個の
の
主張が可能であり得る。即ち、か玉る内容の法律確信がそこに於て作髭上げられた國家のみが慣習法の規範によ
つて拘束せられるといふことも主張され得るし、之と反封に優勢な号2惹・σq⑦巳・法律確信に基ける慣行が、一
切の國家を拘束してみるといふことも主張され得る。,從ってこの問題については、右の何つれによっても解決さ
れ得ない。かくて問題の解決は、次の批判的亡帝的な疑問の提出によってなされる國内慣習の分析によってのみ
も り も コ
企てられ得る。即ちそれは、國内慣習は、すべての國家が遜守してみるところの慣習法規範のみを法律上の拘束
力を有するものとしてみるか、或は其他の規範にも亦一般的な拘束力を附澄してみるか、といふ疑問である。
けれども右のやうな検討をなすに先立って、面内慣習の把握は如何なるd時巷山窪から演繹せられるかにつ
いて論明されねばならない。この鮎については、先づ第一に國家の野外保護の衝に當れる倉皇の職櫃上の解繹、
次に國内裁判所の判決、最後に國際法上の仲裁並に司法爾裁判所の判決が問題とせらるべきである。面内裁判所は、
原則として國内法のみを適用せねばならない。しかし國内法は屡々國際法を指示してみるために、鼠走法も亦先
決問題となり得る。それ故國内裁判所は、國際法上の問題に下してその態度を決定してその國の法律確信を表示
する機會を有ってみる。童舞法上の爾裁判所の判決は、もとより係墨刺事者並に當該事件のみを鵬束する。しか
し諸國が、これらの判決中に述べられた法律上の見解に違背しないならば、その見解は他の諸判決文によっても
受縫がれ、叉その間に於て國家の一般法律意識にまで徹底することが期待される。かくて國内慣習上の見解は、
野外關係に於て護表された國家の聲明によって明示的となるのみならす、亦協約によって新に一般成丈國際法規
範を制定する外交機關が裁判官の法律上の見解に服することによって獄示的にも推論され得る。
アルフ〃ッー3・フェルドロヅス﹃國際適々源論﹄ ︵川上︶ ︵第四谷第一號 二六九︶ 九
アルフレッド・フェルドロッス﹃國際騒々源論﹄ ︵川上︶ ︵第四巻第一號 ご七〇︶ 嵐○
ロ の
ヘアぼンメン
外交文書に關する贈呈では、ヨハン・ヤコブ・モーゼルは暗示して日ふ、即ち問題とされてみる態容が﹁他の
む じ
数多の欧洲諸國に於て慣行されてるる﹂場合には、諸國は慣 例に基ける國際法規に越して一般的拘束性を認め
てるるのであると。 一般慣習法規の謎明に關しては、外交機關は屡々他の諸國に於て磯生した諸先例を引合に出
む
してみる。およそ國再婚の紛争事件はすべて、それについて誰明してみる。これらの事件に封ずる判決によって
の
認められた學論は、次の如く制限されることを要する。即ち﹁或國が、かくの如き規期が形成せられるに撃って
反封の意見を述べた場合には、たとへ優勢な慣行と難直ちに一般國際法を作り得ない﹂と。この黙に關しては、
の
三内法上の明丈規定に反する國際法規は、何ら一般に認められたものでないとの注目せらるべき見解がある。
受配法上の司法・仲裁爾裁判所の判決を分析することによって、以上の如き堤内判決の結果が同様に認められ
の
てるることが判る。即ち一方に於ては、或一瞬の反封によって一般慣習法規範はその形成を阻止せられる。他方
の
に於ては、か玉る規範の多書にはそれが係争當事國によっても悪行はれたことを必要としない。
叙上によって、或大きな國家團罷間の協約によって締結された規範が、同時に爾絵の等々に封しても亦法的拘
の
撃力を有し得ることが同様に明にされる。こ玉で問題となる規範は、他の諸國の、矛盾せる法律上の見解がそれ
に樹立せざる限りに着て、それが書展せしめられた原則に基いて一般拘束性を有する場合に、或有力な法的確信
、によって支持せられてるるところの規範である。從って協約上の規範は非協約國を、その協約上の確謹に基いて
の
心はないが、しかしこれと同檬に拘束してみる。
! 彼は意患読を﹁一切の法を人間の恣意に還元せんとする形而上學的濡濡主義に苦る﹂として警黒してるる︵..Q畠。=一
。。o豊津.犠ψω㎝ひ︶。術法的確信説も十九世紀の超叢薄實誰主義の所産であるが、意思説が特に其の後の心理學的肚會學
の影響を暫く受けてみるのに謝して、これは歴史法派固有の十八世紀患想への反動として9の特徴を有してみる︵法律哲
學書一般滲照︶。
2 原註 ﹁この鮎については、ハイルボルン﹂一九二五年のハーグの講演集参照。
3 彼は.上蓮の國家間の紛璽事件の書例として、弐の如きものを暴げてるる。
a 一九二八・七・七濁逸農事裁量所判決︵趣旨一嵩事雪間の交通上の慣行は軍に當該國家問に於てのみ法として要當す
るといふにある︶。
b 一九二七・六・一八同裁判所判決︵趣旨一つまり、國際法上の一般則の忌明については.一切の三家がかエる規則を
慣行せることを求めないで、却而か直る問題にりいて態度を鮮明せる数ケ.國がかくの如き規範を承認せる事κよって
有敷となったといふ詮明である︶。
も の う も も
c 右︵b︶によって燈用せられたる一九〇〇曇日ゲ。豊凶ρ⊆08国四び9。昌Ω。弩匙紳ず。ピ。冨號事件に引する合衆早大簿院の見
解︵即ち、道明諸國の優勢な慣行によって支持せられた一般慣習法規範を所與のものとして認める︶。
d 一九〇五、弓ぴ。∩8㌶9。一〇〇達]≦ぎ幽750QOoヨ冨昌団。剛臣②囚ぎαQ事件の英國最高司法省剣所意見︵國際法規範は、條
約上の規定がないために類似の事件に於ける諸藩家の態容によって讃明され得る︶。 これによって、この規則が當然
に大ブリテンによっても亦適用されなければならなかったのではなくて、却って爾飴の玉吟に於けるか隔る優勢な潰
習は、か義る規剣を領髪明國によって否定されるであらうとは認め得ないといふことで足りるといふことが明となる。
e 一九二七・一一・三、0内調商船の治外法櫨問題に零する上海クール・プロヴィゾワールの見解︵一般的削際法規範の内容
アルフレッド9フェルドロッス﹃國際法々源論﹄ ︵川上︶ ︵第四巻第一號 二七一︶ 一一
アルフレッド・フェルドロッス﹃國際誰々源論﹄ ︵川上︶ ︵第四巻第一號 二七二︶ 一二
倣他の諸國の先例によって推論され得る︶。
a彼は、ワイマール濁逸憲法委員會の見解及O冨匙。㎝野饗#大尉の職時裁判上の銃殺事件に亡し、猜逸側の捕虜のた
4 彼は、O巴くPU$b9。gq昌⑦♂吊︻oぽ。昌畠。搬鉾≦﹁oω二口笛。及Ob噂¢ロゲ。一ヨ等の名を塞・げてるる。
5
めの訴訟硯究委員會の見解を暴げ、<σQ一二u凪ぎゲ。津、晒OQ二一ωと附記してみる。
b伺一九二八・七・六ローマ裁判所の判決を禍げてるる。
6 原註﹁参照O㌫oぽ號事件﹂。
7 彼倣、この鮎について常設國際司法裁判所規程第三十八條並に同裁判所判決︵ピ02ω號事件−横田教授﹁國際判例研
究﹂ 八二頁以下に竜詳し一川上︶も亦同檬に明かに匪別してみることを述べてみる。樹ごOo。。亀。。o冨津..ω●ω$及
と︿o馬器g。ロ昌σq..Q◎・燈α参照。 ︵とO$亀ωoず9。津..ロ◎●ω$に於て彼が引用してみるハーグ法典評議エヂプト代表﹀び侮。一
国薗§達切歯8鼠℃器。冨氏の一、量感。亀。置8ロ葺ヨ。に号する意見は甚だ示唆に富んでみるし、巻く2曾。ωωはこの
見解は委員會に於ても貫徹されたと蓮べてるる︶。
8 彼は明かに、協約そのもの、覇絆力が、協約の議事國のみに限ることを蓮べてるる。
9 彼は、﹁故に諸事は、それを批准しなかった國家に封しても亦繰返して協約を謹採として塞・げてるる﹂、と違べてるる。
D
︵三︶通読によれば、密約法並に慣習法の爾規範群は國際法を論じ幽してみるとせられる。しかし批判的實三主
も セ リ サ リ の ね セ リ カ セ カ の セ も の り め も も カ ね い も し り わ し カ
義的法律観に於ては、諸主家は即ち、文明諸國によってその國内法上共通に認められてみるところの他の種類の
規範によっても亦拘束されると考へられ窃。そしてこの見解は、十九世紀初頭來の仲裁々判所の裁判によっても
一貫して行はれて來た棚細砂聯盟も亦・國寝間の交通に關して面内法上共通に認められたか玉る諸原則を反覆適
ラ ラ
る ゐ
冷した。從ってこの原則は古代の萬民法を回想させる。常設壁際司法裁判所規程第三十八條三は、裁判所は﹁文
の
明國により認められたる法の一般原則﹂を適用すべしと規定した。そしてこの規定は叉、多くの仲裁々判所條約
の中にも現はれてるる。
の
右規程の意昧は、その禮系中に於ける位罎からも、亦その獲生の由來からも全く明白である。即ち裁判所は、
一定の場合に断機法難は慣脅法に於けとは異る法原則を適用すべきもの老せられ、他方叉裁判所を或客観的に確
定せる法源によって張制せんがために、裁判所は丈明國の國内法上共通に認められたる法源則を適用すべ七と指
示せられた︵規程原案作事に肥する法律委員會の記録︶。而して規程第三十八條一及二は、各々雄藩法並に慣過法につ
いて規定してみるから、これら爾法源の外に存する法の諸原則が問題でなければならない︵騰系的地位︶。これに
よって、本來國際法の中で出來た法源則と、初めは國内法の中で現はれ、而もた璽、それより後に國際法へ韓化
の
せられたそれとは充分匿別せられることが必要である。
、故に同條三の規定は個々の薪な壁際法を創るのではなく、軍に現存せる一、般的國際法を法典化したに渦ぎざる
ととは、常設司法裁判所以外に、其後の裁判所も亦これを誰明してみる。同様に委員會も亦國家の責任について、
の
國際法の淵源として同條の諸法源が安隣してみると述べてみる。從って壁際法の内容を專ら條約法と慣習法とに
の
依って認定せんとする﹁法源浮化﹂論は、國内慣脅の経験上断然否定されること玉なる。この國内慣習論は、た
とへ充分に實設主義を主張し得ないとしても、國内慣習上の最も永き反覆によって一度建られた猫断論の上に、
アルフレッド・フエルドロッス﹃國際巌々源論﹄ ︵川上︶ ︵第四谷第一號 二七三︶ 一三
アルフレッド・フ出ルドロッス﹃國際法々源論﹄ ︵川上︶ ︵第四巻雪山號 二七四︶ 一四
特別の基礎を有たざるを得ざるに至った。更に詳細に検討すれば、この憶詮の正書性が論讃される。同署三が本
來意味せるものを問題にすることによって、こ玉では問題が法的類推の手事以外の何ものでもないことが明かと
なる。’即ち第三十八條の意味は、條約法並に慣習法σ所謂欠訣の場合に、他の諸法律秩序の中に現存してみる法
ヨ ま
エ リユツケン エ
原則を適用せねばならないといふことである。從って先づ第一に、國内交通上安當せる法原則が類推によって國、
家間の關係にも移されねばならない。條約法並に慣習法のか遷る一般的永綾的な補充は、共通の國内法によって
次の場合に於てのみ可能である。それは國際法と國内法とが完全に分離されてみる場合に於て讐はなく、そのあ
らゆる差異にもか玉はらす意味聯關を有する場合、換言すれば確にその遜け難き相違にもか玉はらす統一的罷系
の中へ互に織り込まれてみる場合にのみ可能なのである。蓋これは、一切の類推がよって基く前提たるが故であ
る。そこで通読の二元的法律論は、國際法と國内法とが完全絶謝に分離してみるとの思想に基いてみるから、二
元的な根本學論と一致し難い右三十八條三の規定を、その前提を放棄してはならないやうに薪解繹を加へんとし
てみることは明白である。︵”b。ω亀。。。冨津..ω御。ひα滲照︶。しかしか要る見解を反駁することは極めて容易である。
め も り も ヵ カ つ
就中﹁不明瞭﹂ごp。づ♂錯9..の場合は極めて稀である。故に、眞に法が欠絶せる場合にのみ不明瞭となる。し
かしこれは適用せられ得るために、從て所謂不明瞭の際に適用すべき法規が疑はしき場合にのみ可能なのである。
も し も
しかし判決は通常、常に可能である。不断に主張せられた訴訟請求権は、予言法に根擦を有するものとして認め
㊧
ちれるか、然らすんぱ州際法の中に雲叢を有せざるものとして却下され得るからである。かくの如き判決は勿論、
條約法並に慣習法とは異れる第三法源の存在が否定せられるやうな場合には可能となるであらう。蓋この場合に
カ リ カ も も セ り
於ては、右の爾法源の何れの規定にも基いてみない樫利の主張は、すべて却下されねばならないであらうからで
ある。從てそれは、極めて稀な場合であるとは決して言ひ得ない。かくて第三十八條は專ら、極めて稀な、不明
ゆ
具な場合について先慮をなさうとしてるるといふことは實際あり偲べからざることである。加之右の學読からは
次の結論に達することになる。即ち司法裁判所は事件を、起訴以前に支配したとは異る他の原則によって判決せ
ねばならないこと玉なるであらう。從て亦伸裁々判所は、紛璽を司法裁判所がなぜるものとは異れる原則によっ
て判決せねばならないであらう。實際或仲裁々判條約に於て、常設國際司法裁判所が上訴審級として指定される
と上灘するならば、司法裁判所は仲裁條約が第三十八條の法源をも亦適用する権利を附難しない限り、初審級とは
も カ セ も
異れる法原則によって紛孚を判決しなければならないことであらう。かくも不合理な、通詮による三十八條の解
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繹は、強制的な根擦なくしては行はれ得るところではない。
第三法源は、國家聞の交通に於ては軍に補助的に安渇してみるのである、故にそれは、前爾法源によって明.白
の
に否定もされす叉保護されもしない事件にのみ適用され翫。即ちこの場合に於ては、裁判所は尊墨の︸般原則を
紛争事件の解決に適用せねばならない。
肋 も 、 、 、 、 、 D
第三十八條は完全に、その第四貼に於て、 ﹁裁判上の判決及最優秀の公法學者の學説﹂を法の一般原則とは砥
別してみる。蓋これらは、前三個の法源群の申の疑問のある法規を定義するために適用されるであらうからであ
アルフレッド・フニルドロッス﹃國際語々源論﹄ ︵川上︶ ︵第四巻第一號 二七五︶ ︸五
アルフレッド.フェルドロッス﹃濫悪誰々源論﹄ ︵川上︶ ︵第四巷第一號 二七六︶ 一六
る。調て判決は軍に條約法か、慣習法か叉は法の一般原則のみを基礎としてみるが、決して輩に裁判上の判決叉
も り う わ お も セ し じ ヵ カ
ね カ も
は悪寒のみを基礎としてみない。故に第四顯の淵源は、前述の淵源群の猫型せる法規との樹立に於ては、軍なる補
助法規を形成する。それ故裁判所は、その主張が上記三個の淵源の中の何の支持をも有しないことを護憲したな
らば、面前求を却下すべきである。かくてた穿原則としては、文明國によって一般に認められた法原則は、條約
恥
法並に慣習法の補充のために適用され得る。しかしこれらの法原則は、條約法雨は慣習法の規定がこれに封立し
てみない時には何時でも現はれる。即ちこの場合には右の法の一般原則は、國際法秩序がそれによって一貫して
照され、從て叉常に嚢展させられるやうに國際法秩序の全氣孔にまで徹底するのである。
b 彼は以上︵1及2a︶に於て、國家容認説を完虜なき迄に排除してみる。容認説について、我國の立博士の見解は
a とOo。。o崖。。oげ鑑6、.◎D.ωUU崩己ぴ80β亀。おω.ω$⋮と国言ゲ9肱.oD.這O自・と”<o篤器。。信昌σq..ω●㎝出自・参照。
1 通設についてはこOoの。旨。冨h嘆、QQ・ωαU南・滲照。
2
異色あるものではあるが、不徹底の娠がある︵立作太郎﹁李時空際法論﹂三五頁参照︶。
支彿等の原期、共有。舞濟の遅延。逓延利息等に關する原則、不可抗力の原則及其他等々。
3 a 彼は、かくの如き諸原則として認められ來つた例として次のものを基げてるる。法律上の敷力・損害賠償義務・利息
b 樹、近世國際法の史的獲展とこの原則との關係についてはと08巴。・o冨津、、Go●⇔ひOl⇔謬照。
したことを遮べてるる︵同事件については、横田氏前掲にも詳し︶。
4 彼は≦一日ぼ。画。昌號事件に於ける濁逸興事國裁剣官ω。びβo寄σq教授が國際地役の問題に ””oぞ慶8周9︷..の原則を移
5
6
a 彼は、この℃︼甘ωσqo韓貯営..と法の一般原則との關係について後者を︾昌N出9島が ﹁宛も萬民がその法を違奉ずる
が如くに、といふ古典的意昧に於ける萬民法の一種目と蓮ぺてるるのに同意を表し、今日の國際法が﹁古代に於て
萬民法の一部門として観られた國際法話器一嵐岳ぼ8機αqo馨。ω..は又.今日も樹それから完全にな分離してみない﹂
と言ってみる。︵巴Oo器庁。冨津、、ω●ωひ轟頃●参照︶。
b か泊る諸判決を総覧するにはと団寛げ。袴.Q◎.一NO角・及篭く。塊器ω日露oq.、QQ.αM勘●口●ω・BO題●参照。禽ごOoω亀ωo冨津..
ω・叙α参照ゆ
とい9。Ooξ掌。℃℃鵠ρg軸⋮.:ω。ピ⑦ω窟言6な。。。σqσ出鼻碧図αo臼。隷器8口⇔自薦﹃げ。。β帰一〇房。ぞ良器ω..
一ひメ及第三八條四に所謂剣決並に學読に幽してはω●ひ団−$に詳し。
7 由來並に位置については.ヒぐ需貯ω。。百ロoq、.9ひO一ひ9熟慮法並に慣習法に封ずる法の一般原則の關係についてはω・ひ望
とOo器籏。冨津..ψωひ一及とく。篤器ω口昌σQ..qQ●α℃参照。
である。︵﹁國際聯盟規約論﹂二〇六頁参照︶。
者を以て、第三十八條四に所謂﹁學設と同じく國際法の法則決定の補助手段と思惟する﹂とせられてるるのは一暦疑問
共通する法理及原則の有し得べきを認めて、初めて實際に於て認め得べき所﹂のものであるとせられる。更に博士は後
る原則﹂であり、所謂第二種は量感法と國内法とが﹁等しく法の・一部を組織すると考へ、而して或鮎に於て是等の法に
論誰と照心して甚だ疑を存する。博士に從へば、所謂第一種は﹁初より三家問に限りて行はる蕊ものとして認められた
セ し も も セ セ も
8 此貼に吝して﹁丈明上脇依リ認メタレタル法ノ一般原則﹂を分って二種とせられる立傅士の見解は、フエルドロッスの
9
11 と釦口h幽巽団 器σq窪囚。らh涛暮δ口。・犀。昌h①器旨N臣βH≦母NおωO..
彼は例として濁葡仲裁々判所の最迂の判決を暴げてるる。
10
アルフレッド。フェルドロッス﹃國際法門源論﹄ ︵川上︶ ︵第四巻第一號、ご七七︶ 一七
アルフレッド・フェルドロッス﹃濫悪法門源論﹄ ︵川上︶
12ご08亀ωo冨津..ω・ωα頓参照。
13㌶Oo。。o昌ωo冨h喋.ω●QひO謬照。
に1詳
謡し。
14レOoω亀。。o冨津、.ω・叙N参照。禽ごく。匡9。ω吻口止①q..qα.ひ℃
15旨Qoω⑦庁。冨⇒..ω・ωひN参照。
16ピO⑦。。亀ωoぴ薗摩。、ω・ωひω参照。
17とQ$亀。。oぴ自。管、、ψO絵及ごく。篇器。・‘昌αq..ω.ひ一参照。
18とOoωo房。げ騎。津、、の霞ωひω及u”<o眺器ω鵡δoq..o◎.αq参照。
19嵩く①臥錺。。=昌σq..QQ・ひN参照Q
す
び
判決並に墨∴説についてはごく。臨9。。。。。離コσq..O白’ひM一ゆに詳し。
20
む
︵第四巻第一號 二七八︶ 一八
も し も も セ も
以上によっても窺ひ得るが如く、法源の用語は彼に起ては所詮通論たる﹁法規形成の形式﹂の意味に於て用ひ
も リ セ セ リ ち
られてるる。ケルゼンに於るが如く﹁根本規範﹂の意味に於て穿はない。しかし彼も亦法の一般原則の愛當性は、
慣習法も亦由って生するところの根本規範に直接に由下してみると蓮べ、條約法は之に反して一部はそれが限界
と玉もに法の一般原則に、一部は國際法上の慣習法に華墨するやうであると述べてみる ︵前出8二一及ごO⑦鴇F
。。
D豊津、、9まト﹂滲照︶。從って根本規範の内容はおそらく次の如くであるであらうと論じて、法の一般原則が有敷な特
別法一。×。。℃9延δ︵解約法号は慣習法︶によりて制限されぬ限りその馬込で適用せらるべき一般法一舞σq窪・量房
となると言ってみる。即ちそれは﹁主権的及︸国主霊的法律團鯉はその相互關係に於ては、國際交通に於て特別
な、即ち法の一般原則に反するやうな有敷な規範が斎砂出されない範團に於て、法の一般原則に從って行動すべ
し﹂との内容である︵ヒO霧⑦嵌。冨籍.。o◎・ωひN参照︶。まことに示唆に富むものと評さねぼならない。問題はた黛彼
が今も術”も9。9帥。。膚馨。。Φ讐き量..の原則を以て國際法の根本規範と解してみるか否かである。少くとも上玉に於
ては明かでない。果してなぼ從來の如くならば︵とく量器ωのきσQ..の・Q。b。1。。。。︶、その如何なる五車にもか玉はらす私
.には深い疑を有たすにはみられない。蓋彼が根本規範を假設として解するケルゼンの見解を採る以上は、如何に
して右の原則は謎謎的出際法秩序の境土としての機能を適當且充分に果し得るか。卒直に言ふならば右の原則を
實誰的國際法秩序の根本規範として導入することは、昂奮一方に於ては意思読の攣形となり、他方に於ては實誰
法秩序を不當に他の規範と混同せしめること玉なって、却て純詩法學の受講に悼るとの批難を冤れ難いのではな
からうか。か凝る批難は、ひとり彼に謝してのみ言はれ得るのではない。我國に予ても、横田教授の最近の快著
﹁國際法上巷﹂は、右の原則に基いて避退法の立法形式を條約法及慣習法のみに臨きるとさる製鮎に於て、一貫
して難色を藏してみるやうに思はれる︵此鮎については大澤博士の批評−漁家學會維誌四七ノ八・一五三頁参照︶。
いつれにしても彼が國際法源の問題の核心を法の一般原則に置き、これと直接に關臆して常設國際司法裁判所
規程第三十八條を以て、キリスト教的就會から焚展せるところの乃至はこれが指導的法律思想を騰受せるところ
アルフレッド・フェルドロッス﹃國際法々源論﹄ ︵川上︶ ︵第四巻第一號 ご七九︶ 一九
アルフレッド。フェルドロッス﹃國際駄々源論﹄ ︵川上︶ ︵第四巷第一號 二八○︶ 二〇
の近代諸國が原財.的な法規に於て.は一.致してみると、の思想に.基礎を有すると論bてるるとζうに・今日に於け
乃彼の地位が最もよく示されてみると評することは不當ではないであらう。のみならすこのζとは、大漁後.に於
て洪水のやうにしてなされた國際諸會議並に國際諸立法と照無して、その學詮史的意義を一式鮮明ならしめるも
のとして張く私の注意を惹く。︵をはり︶
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¥●㎝曽ζ辱剛。・凶。三巴・o。母昌、・・け。¢幽α・きぎ書唱ε・野醤尋8臣α・。。凱・房ぎ轟・。・且’・鑑悉譲●
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