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イギリスの日本コレクション

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イギリスの日本コレクション
Ⅱ部 欧米(ドイツ語圏を除く)における日本関連コレクションの現状と課題
イギリスの日本コレクション
三木 美裕
1.イギリスの日本コレクション
今回の調査では、イギリス西部にあるウエールズ国内各地に広がるミュージアム、城や
邸宅が所有し、現在展示して一般に公開されている日本コレクションを対象にした。各館
が所蔵する資料点数は決して多くはないが、そのほとんどが展示されている。つまりその
一点一点が、ウエールズ各地で来館者の目に留まり、日本文化を代表する役割を果たして
いる。その一方で、調査した各館には日本の専門家がいないのと、何年にもわたり展示替
えや、解説内容の更新がなされていない点も共通していた。後述するが、イギリスでの事
業は、資料の調査にかけると同じ労力を、日本資料の展示の充実と、教育普及活動に費や
した。
日本資料は、その特色から、大きく「ミュージアム」と「城や邸宅」のコレクションに
分けられる。先ず城や邸宅であるが、例えば多くの城の始まりは戦のためであった。それ
がやがて居城へと遷り、17世紀以降数世紀をかけて、徐々に内装に工夫が凝らされるよう
になった。邸宅でもアジアの陶器や漆器で部屋を飾るのが流行した。イギリスの日本コレ
クションの始まりは17世紀初頭である。現代ではその大多数は「家族の住まい」ではなく
なり、ナショナルトラスト財団やイングリシュ・ヘリテイジ財団の手に渡っている。財団
のスタッフが常駐して管理し、一般に向けて公開する時代となった。建物は家族の居城か
ら公的施設へと性格を変えた。
展示方法も特色がある。城や邸宅では、内部を家族が住んでいた当時の姿に部屋を再現
し、資料の場所も極力動かさず、保存しながら公開している。各館で販売する案内カタロ
グでは、部屋ごとに置かれた家具や装飾品を解説するのが主流である。そのため資料を移
動することが少ない。一方ミュージアムでは、コレクションを定期的に替えながら展示し
ていく。ミュージアムの学芸員からすると、集めたものを見せる狙いは同じでも、城や邸
宅での資料の見せ方は新鮮で、わたし自身、展示ケース中心の考え方を見なおす機会と
なった。我われも時代背景を再現したレプリカの部屋の中に資料を展示するが、こちらは
本物であるから、迫力満点で時代の説明も要らない。そこで百年、二百年と西洋家具に囲
まれて過ごしたアジアの陶器や漆器は、すっかり周囲に溶け込んでみえる。この展示手法
は、来館者の資料との対話の幅を広げるのに有効であると思われた。 ウエールズ国内を
見渡せば、これら城と邸宅を訪れる人の数は、各地のミュージアムの入館者総数を凌駕し
ている。来館者が日本の文化に触れる機会は、ミュージアムよりも城や邸宅でのほうがは
るかに高い。ミュージアムでは展示ケースに入っているのもが、ここでは露出で、しかも
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手で触れられるところに置いてある。今回は資料調査を踏まえて、その解説方法を具体的
に現地のスタッフと開発するのを心がけた。来館者とも対話を重ねた。資料調査は一度の
訪問でし終えても、教育普及活動の開発や、試行を重ねるのに2度、3度と訪ねた。それ
を当事業のパートナーである、現地のスタッフから強く希望されたのが大きい。
一方のミュージアムは、1683年にオックスフォード大学のアシュモリン美術館が開
館し、大英博物館の開館は1753年である。万国博覧会が盛んになった19世紀後半から、
ミュージアムはそのコレクションを急速に増やした。個人コレクションも、次第にミュー
ジアムの手に渡った。19世紀後半には、欧州各地の万国博覧会の影響で、日本の工芸品が
ロンドンでも販売され手に入りやすくなった。リージェント・ストリートのリバティ百貨
店、ニューオックスフォード・ストリートのカトウ商会、ボンド・ストリートのヤマカナ
商会、パリのアート・ディーラーも商品をイギリスへ向けに送り出した。調査では、ウ
エールズのアベリストウイス大学美術学部のコレクションに、リバティ百貨店のシールが
多く残っているのが確認できた。個人コレクターから一括して寄贈されたものである。20
世紀以降に新たに開設した日本ギャラリーは少ないが、各地のミュージアムは、資料の購
入のみならず、個人コレクションの寄贈や買取りにより、日本コレクションを充実させ
た。
個人の日本コレクションで、初期に一般公開されたのは1890年代のリバプールのボウズ
卿が集めたものである。自宅の展示室を一般公開している。日本へ行ったことはないが、
国内で大量に買い集め、リバプールに日本ブームを興した。コレクションは死後に売却さ
れ散逸してしまった。19世紀末から20世紀の初頭には、日本へ旅して収集する人が出てき
た。1885年に日本へ行ったモートン・ラッセルーコーツ氏は、後にバーンマスのホテル内
に日本展示室を開設した。現在は彼の名を冠した博物館にその展示室が再現されている。
また、ケント州メイドストーンの市立博物館には、1905年に京都へ出かけたヘンリー・
マーシャム氏が買い集めたものが、彼の死後寄贈されて日本展示室ができた。今も続いて
いて、2012年の開設百周年を機にリニューアルされた。今回の事業の一環として、その準
備をわずかだが手伝うことができた。
2.ウエールズの日本コレクション
ウエールズ国内の城や邸宅は、ナショナルトラスト財団の管理下にあり、財団の学芸員
の協力が欠かせなかった。財団はコレクションを管理し一般公開するが、その中に今も建
物所有者に資料の権利が帰属するものが含まれていて、画像公開が認められない場合も
あった。毎回の調査旅行ではウエールズ国立博物館を拠点にした。調査地の城や邸宅に赴
くには、レンタカーを長時間運転し、周囲には羊と牛しかいない道をひたすら走る。これ
まで7箇所を調査した。特に城は人里離れたところに建てられていて、回るのに時間を要
する。しかしそれが魅力となり、多くの人を惹きつけるのも事実である。年間30万人が訪
れる城もある。その数は地元のミュージアムの入館者数を凌駕している。以下に代表的な
ものを紹介する。
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国際シンポジウム報告書「シーボルトが紹介したかった日本」
2-1)ウエールズ国立博物館
ウエールズの首都カーディフにある国立博物館には、日本の茶道文化を紹介する一式の
コレクションがある。1915年に一括して購入された。1907年の設立時に初代館長となった
ホイル博士の甥で、当時日本に滞在していたバーナード・リーチ氏が収集した52点の資料
である。彼の考案した展示方法も、図面を添えて残されている。リーチ氏は後に日本とイ
ギリスの陶芸に貢献をしたが、当時は28歳で日本で陶芸を学んでいた。日本文化を紹介す
るために、ホイル館長とリーチ氏が手紙のやり取りをして集めた一群のコレクションであ
る。リーチ氏は、日本から陶芸家で茶人でもある人物を送り込み、イベントまで催した。
今の学芸員も顔負けの企画力である。リーチ氏の陶芸作品の収集コレクションは各地にあ
るが、日本を紹介するための資料として、茶道具を収集したのが特徴である。
その後も博物館は、彼や彼につながる弟子や、日本人陶芸家の作品の収集を続けてい
る。ほかに、1901年に日本の大学で教鞭を取ったエリザベス・ヒューズが持ち帰った各種
の資料、版画コレクションを含め、総点数は700点余である。なお国立博物館はカーディ
フ郊外に広大な野外歴史建物博物館を運営している。敷地内には城があり、非常に保存状
態のよい漆のキャビネットがある。17世紀初頭のチャールズ一世の所有であった記録が
残っている。
2-2)チャーク城
1310年に建てられたチャーク城は戦のための城であった。1595年にロンドンの富商トー
マス・ミドルトンの所有となって以降、その子孫が居城として受け継ぎ、内部の改装を
重ねた。日本とのつながりは、初代ミドルトンがイギリス東インド会社の創設者の一人
だったことによる。ロンドン市長も務めた名士であった。漆のキャビネット(Lacquer
Cabinet)が2点、それに連なるイギリス製ジャパニングの手法によるキャビネットがあ
る。現在はロングギャラリーとよぶ回廊に置かれた、鮫皮貼りの装飾の漆の洋櫃(Coffer)
は、初代ミドルトンに直接つながると考えられる。南蛮様式につながる外側の密な装飾
と、上蓋の裏に描かれた優雅な獅子との対照が際立つ資料で、多くの来館者の注目を惹い
ている。イギリス東インド会社が日本で短期間活動の拠点(1613−1623)とした平戸や、
有田の陶磁器も飾られている。
2-3)アバリストウイス大学美術部美術館
日本コレクションは、美術学部の学生用アトリエがならぶ建物の中にある。19世紀の日
本コレクションは、1882年に亡くなったジョージ・アーネスト・パウエルのコレクション
で、絵画から工芸まで多種に及ぶ。それが様々な国の資料と混在して、学部長や学芸員の
オフィスの棚に収まっている。それらを俯瞰すると、1880年代の現代美術の様子を伝えて
いる。19世紀後半の日本ブームにより、イギリスへもたらされた薩摩、備前、伊万里の陶
磁器には、購入先のリバティ百貨店のシールが残っている。万国博覧会にあわせて、1910
年に日本から派遣された版画家の漆原由次郎は、アバリストウイス大学にも滞在して版画
を教えた。イギリス版画に影響を与えた人物で、彼の作品も残っている。日本コレクショ
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ンは125点。調査した資料の情報は、今後美術系の学生が創作活動に活用できるようにし
て提供するのが課題である。
2-4)ポウイス城
この城の歴史は1200年代に遡る。現在のコレクションは、18世紀末から19世紀前半にか
けてイギリス領インドの基礎を築いた、ローバート・クライブとその子エドワードが、こ
の城を所有した時代に築かれた。18世紀の輸出伊万里の大型の壷を含めた十数点の陶磁器
と、1775年の在庫目録に記載がある2つの漆のナイフ箱、キャビネットの天板を用いたコ
モドーと、テーブルが室内を飾っている。個々の資料の情報を提供して、展示解説の内容
更新と、資料の紹介方法を検討するのに役立てたいと考えている。
3.現場で学んだこと
今回は日本コレクションを調査し、そこから得た情報を各館のスタッフと共有すること
に力を入れた。提供した資料情報を、具体的に利用するところまで、現地スタッフにつ
き合った。資料解説や、教育普及プログラムの開発に一緒に取り組んだ。そうすること
で、どのような情報が求められているかがわかる。例えば、ポウイス城には年間30万人、
チャーク城には10万人が訪れる。ふつうミュージアムは定期的に展示替えをするが、城や
邸宅では、資料は何十年も同じ場所に置かれている。日本コレクションも同じで、資料を
通した日本文化の紹介が常時行える、安定した環境にある。来館者と資料との距離も近
い。近隣住民が解説ボランティアとしてギャラリーで活躍している。彼らをフロアスタッ
フとよぶ。資料を前にして、来館者(Visitor)と熱心に話し込んでいる。日々、資料を通
して日本文化を紹介する絶好の機会が目の前にある。しかし現状は、フロアスタッフが持
つ日本資料の情報は極く限られている。これは多くの館に共通していた。グレッグ・アー
バイン氏の著書『イギリスの日本美術コレクション』に拠ると、イギリス各地には日本コ
レクションを一般公開する施設が150館ある。その3分の1以上は城や邸宅である。
城や邸宅での調査は、一般公開前の朝の早い時間に行う。たいていはその時間内に終わ
らず、開館後も部屋の中で続ける。来館者とは、資料の前に張られたロープ一本で隔てら
れている。フロアスタッフも来館者も、作業に興味津々で、わたしの背後からひっきりな
しに質問を投げてくる。作業や資料について始まり、やがて日本文化、ウエールズやこの
町の歴史にまで話題は広がっていく。わたしは、この直接対話からその館や町の歴史を学
んだ。作業は遅々として進まない。しかし、彼らが日本資料について何を知りたいか、日
本やウエールズとの交流の歴史について、何に興味を持っているかがわかるようになっ
た。会話から様々なキーワードが得られた。日本への関心を高めるのに役立つキーワード
といえる。それを資料解説や、教育普及プログラムに生かすため、現地スタッフと共有す
るようにした。ギャラリーで来館者と接するフロアスタッフの数は、どこでも百人を越
す。毎回現地に出かけるたびに、20人前後のグループにしてスタッフ向けのセミナーを数
回開く。人数は少ないほど、個人的な疑問や意見が飛び出してよい議論になる。特に関心
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国際シンポジウム報告書「シーボルトが紹介したかった日本」
が高いのは、個々の資料についてはもちろんだが、それらがいつ、どのようにしてここま
で運ばれてきたか、である。質問に答え、彼らの来館者との対話の体験を披露し合い、一
緒に日本資料についての関心を深めていく。その先には何十万人という来館者がいる。
その結果、チャーク城ではスタッフと一緒に日本資料だけを見て回る特別ツアーが、年
会員向けに行われるようになった。ウエールズの各館は多くの日本資料を所蔵しているわ
けではない。数が少ないがうえに、その1点1点が日本を代表している。来館者はその資
料を見て、日本に出会う。展示資料は一つとしておろそかにしたくない。それを目の前に
すると、誰しもが何かを感じ、もっと知りたいと思うことがあるはずだ。類似の資料が展
示されていても、館によって話題になることは微妙に違う。それぞれの館で、スタッフや
来館者の会話に耳を傾けると、日本資料との対話をうながすキーワードがわかってくる。
一方、ミュージアムにある日本コレクションはどうか。日本資料の収集が盛んに行われ
われ、それに学芸員が直接関わる時代は遠くに過ぎ去った感がある。今では、それを管理
するが日本以外の専門を持つ学芸員であるのがふつうである。景気の波にさらされて、予
算や人員の削減が進む中、彼らは多様なコレクションを一手に担当している。特定のコレ
クションに時間を割くのが難しい。問題は、ここでも個々の日本資料の情報が少ないこと
である。多様なコレクションを一手に扱う現代の学芸員は、個々の資料について十分な情
報がなければ、展示や教育普及活動への活用も容易ではない。現代文化に関心を寄せる人
は多くても、近世美術が多いイギリスの日本コレクションに目を向けてもらうには、担当
学芸員に関心を持ってもらわない限り、それが活用されない。活用されなければ、コレク
ションの認知度は下がり、スタッフも、来館者からもその存在を忘れられてしまう。少数
の研究者だけがその存在を知るでは、イギリスではその保存と維持すら難しくなる。地方
では公立博物館が主体であるが、コレクション全体の価値を高めるのに、利用価値の低い
資料を売却し、必要とするのものを購入するとしたら、日本コレクションはその対象にな
りかねない。イギリスでは、財政の厳しい折り、所有するミュージアムのコレクションを
売却して、資金調達に役立てようと実際に計画している地方公共団体の数は驚くほど多い。
4.クロイドン特別区の事例
2013年9月、ロンドンのクロイドン特別区は、区の博物館が管理する陶磁器コレクショ
ンから、主な24点を香港のオークションに出して売却し、既存の区民センターの建物の改
装費に充てると発表した。このコレクションはあまり知られておらず、存在を知るのは研
究者などわずかであった。売却益を博物館のコレクションの質の向上以外の目的に使うと
いうこともあり、イギリス博物館協会は、クロイドン区の博物館を協会から除名し、今後
は公的助成金などを受けられなくすると警告した。区民の有志らは、「コレクションを売
らせるな」と名づけた団体を結成して、反対運動を始めた。しかし陶磁器コレクションの
知名度の低さも相まって、運動は低調なままに終わった。クロイドン区は博物館協会を脱
会し、コレクションをオークションに出す道を選んだ。
クロイドン区の管理者は、反対運動が起こると予測したうえで、それを押さえられると
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踏んでいた。これまで有数の陶磁器コレクションを持ちながら、展示や教育普及に十分に
活用されず、知名度が低いのが幸いした。ふだんから区民に知られ、活用されていればそ
の扱いは違ったと思われる。研究者だけが知っていても、その間にコレクションは、一般
の人の目には触れることなく忘れられていく。潤沢な資金があった時代には、それでもコ
レクションを維持できた。いかし今はどうか。今日現在調べただけで、イギリス内の地方
公共団体で、所蔵の美術コレクションを売却や競売にかけると公表しているのは5例を下
らない。クロイドン区の事例からは、現代ではコレクションの認知度を上げるのは高い優
先度があると教えらる。
5.コレクションの認知度をあげる
そのためには、研究者のため資料情報を充実させるだけでなく、同時にそれが誰にでも
わかるように、現地で一般公開する手助けをすることだ。調査に赴く現地では、多様な受
け手を想定した情報提供への道筋をつけるサポートをしたい。現代の利用者は一通りでは
なくなった。一つは展示室で目の前の資料を見る来館者であり、もう一つはオンライン上
でデジタルアーカイブを見る、二通りの利用者を考える時代である。展示室の利用者に対
して、これまで我われは解説の字数を制限して、目の前の資料をしっかりと見ることをう
ながしてきた。一方のオンラインの利用者は、多くの情報の中から自ら選ぶことを好んで
いる。調査から資料情報を提供する際に、この二通りの受け手を考えるようにしたい。
同時に、調査によって得た資料情報は、日本文化の専門家だけでなく、その資料を所蔵
する館にいる、全てのスタッフに伝わるようにしたい。日本コレクションの担当者だけと
共有するのでは不十分である。前述したが、イギリスでは日本コレクションを所蔵する館
で、それを管理するが日本以外の専門を持つ学芸員であるのがふつうになっている。彼ら
は多様なコレクションを一手に担当している。特定のコレクションに時間を割くのが難し
い。そこで、その館のスタッフすべてに情報を共有してもらうことで、担当学芸員でなく
ても、例えば他の文化との比較展示などに日本資料を活用してもらえる機会を促す。その
ためには、日本コレクションの担当者だけでなく、他の専門の学芸員、ミュージアム・エ
デュケーター、ギャラリーで来館者と直接向き合うフロアスタッフなどに、積極的に声を
かけて、情報を共有する術を探った。ウエールズ国立博物館では、多くの学芸員に会い、
調査の内容を話す機会をつくった。ギャラリーにいる常駐のフロアスタッフとも、出かけ
るたびに対話の機会を持つように心がけた。
ウエールズでは、多くの館がフロアスタッフを擁している。国立博物館には常勤のフロ
アスタッフが、城や邸宅には地元のボランティアのフロアスタッフがいて、資料を前に来
館者と話し込んでいる。城や邸宅では、各資料ごとに解説が置かれるのは稀れである。来
館者は対話を通して、資料について知ることになる。それは「目の前にある資料をしっか
りと見ることで、関心を抱き、もっと知りたいと思う」に通じる。また、「感じたことを、
その場で誰かと分かち合えたら、展示体験がしっかりと記憶に残る」ことにもなる。資料
調査と並行して、現場スタッフに聞き取りをし、彼らが求める情報を提供するのが大切だ
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と感じた。もっと知りたいと思う人が、より深い情報に出会えるように、オンラインのデ
ジタルアーカイブの充実も課題である。
6.日本特別展覧会の開催
これまで2年間余の活動で、先ず各館のスタッフに日本コレクションへの認知度が高
まった。ウエールズでは、2016年にウエールズ国立博物館で日本特別展の開催が決まっ
た。ウエールズ各地から、今回調査した日本資料を集め、日本の国立博物館から送られて
くる資料と合わせて特別展覧会を構成する。ロンドン以外では、初めての大がかりな日本
特別展となる。これから、国立歴史民俗博物館(以下、歴博と略す)とウエールズ国立博
物館とのあいだで、展示構成案の作成を協力して行っていく。
ウエールズ国立博物館が作成した、特別展覧会の趣意書には、
「歴博の調査により、ウ
エールズ国内の日本資料が明らかにされ、日本とウエールズが経済的、文化的に古くから
結びついていることが認識された。チャーク城やセント・ファガンズ城に残る貴重な日本
資料が明らかになったことで、日本美術がウエールズの美術に与えた影響も確認され、ウ
エールズを国際的な文化交流の中に位置づけることが可能となった。」と書かれている。
7.ロンドンで開催したセミナー
2013年11月、ウエールズでの活動を紹介するセミナーをロンドンで開催した。大学共同
利用機関法人人間文化研究機構と国際交流基金の共催で実現した。参加申込者は百名近く
にのぼった。大学やミュージアムの関係者から、一般の日本文化の愛好者まで幅広い層の
人が集まり盛況であった。同機構から金田機構長、小野理事、栗城理事、歴博からは三木
が参加した。金田機構長が在外日本資料調査の概要を紹介し、三木はウエールズ国内での
調査について、その資料情報の共有方法や、現地スタッフと共同で行っている日本資料を
用いた教育普及プログラムの開発について紹介した。また、スコットランド国立博物館の
学芸員を招き、スコットランド国内の日本コレクションの紹介をいただいた。
最後にイギリス博物館協会のアンダーソン会長の司会で、パネルディスカッションを
行った。ディスカッションには、イングランドのダラム大学東洋美術館の学芸員に参加い
ただいた。機構の事業により、個々の資料情報を豊かにして、資料の展示や教育普及活動
を活発化させ、日本コレクションの現地での認知度を上げる大切さが議論された。それが
資料の散逸を防ぐ有効な手段であることも確認できた。
このセミナーに合わせて、イギリスで日本コレクションを所蔵する86館に質問状を送
り、資料のデジタル化の進捗状況や、活用にあたって直面している問題点など尋ねた。そ
の大半がオンラインで資料を公開しているが、画像と題名程度であることが多い。問題は
予算化が難しいことであるが、日本コレクションについては、資料情報の欠如が、その理
由として強く上げられてた。続いて、スタッフからは日本専門家による資料調査、資料情
報の提供、解説文の翻訳などを求める声が高かった。資料情報の活用については、日本文
化の愛好家だけでなく、特に一般の家族連れの来館者に向けて活用したいという声が突出
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していた。
コレクションは現地に留まって、地元の人に愛されてこそ日本文化紹介の役目を果たせ
る。展示や教育普及に活用されることで市民から認知される。展示室では、先入観なしに
ものを見てもらう。何かを感じて、もっと知りたいと思ったとき、我われはどれだけの情
報を提供できるか。個々の館のオンライン情報の程度では物足りない。それらをまとめ
て、イギリス全体の日本コレクションの情報が得られるようになるのを、研究者も、来館
者に接する現場のスタッフも期待していると思う。大学共同利用機関法人人間文化研究機
構による在外日本資料の調査研究では、ドイツやアメリカの調査情報にもつながる。その
先には、日本のミュージアムのデジタルアーカイブもある。翻訳作業が進み、英語やドイ
ツ語でも読めるようになってほしい。イギリス国内でも、当事業を核にして横へのつなが
りを広げ、日本コレクションの認知度を上げるのに貢献できればと考える。
(みき よしひろ・国立歴史民俗博物館)
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国際シンポジウム報告書「シーボルトが紹介したかった日本」
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