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32 号 - 桐朋学園 同窓会

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32 号 - 桐朋学園 同窓会
桐朋学園同窓会
32 号
2009 年12月25日発行
桐 朋 学 園 同 窓 会
題字 片岡 哲郎 校長
目
次
▪ 同窓会会長に就任して(中村芳夫会長)…… 2 p
▪ 新校舎建設………………………………………18 p
▪ 校長就任にあたって(片岡哲郎校長)……… 3 p
▪ クラブ活動報告…………………………………19 p
▪ 校長退任にあたって(小柳敏志前校長)…… 4 p
▪ 大学入試報告……………………………………20 p
▪ 桐朋を去るにあたって………………………… 5 p
▪ 桐朋学園入学試験の現状………………………21 p
▪ 追悼……………………………………………… 6 p
▪ 事業報告・会計報告……………………………22 p
▪ 同期会 ………………………………………… 10 p
▪ 同窓会役員・評議員・幹事……………………23 p
▪ ゴルフ大会・囲碁大会 ……………………… 17 p
▪ コラム他…………………………………………24 p
Compliance, Contribution, Challengeの
つの
C
見事合格でした�現在�インドにありま
ります�桐朋の生徒も国際的にな�たも
生き抜くために
入 れ た 連 結 経 営 を 行 い� 激 し い 競 争 を
構 成 員 が 互 い に 助 け 合 う 気 持 ち� こ の
設の計画中という大変重要な時期に�同
前会長から要請されましたが�新校舎建
るとは想像もしていませんでした�並木
卒業して半世紀近く経ち�このような
形で�母校桐朋学園との関係が再びでき
学力の必要性では参加者の考えは一致し
時期については賛否相半ばでしたが�語
イントでした�議論は英語教育を始める
本格的に導入すべきかどうかが議論のポ
組がありました�英語教育を小学校から
丁 度 年 前 の 月 に NHK BS で
﹁どうする小学校の英語教育﹂という番
に希望を抱いて努力する
は
Incentive
なくなります�同時に�い�たん負けた
が正当に報われる社会でなければ�将来
にあるいは生き残るために�努力した者
者と敗者は生まれます�しかし勝つため
も出ています�確かに�競争により�勝
た言葉や﹁格差社会﹂になるという批判
ちで�昨年来の﹁勝ち組�負け組﹂とい�
たとえば�紛争�災害�飢餓�貧困な
どに苦しむ国々に対して�先進国による
が見えてくると思います�
な努力を続けることで�解消への明かり
の課題も�世界の人々が協力して�地道
き な い Global Issues
といわれる困難
な課題が山積しています�しかしこれら
の精神が大切です�
Contribution
を 通 じ て� 真の意味で豊かになるためには�社会の
Innovation
勝利の他は�何も生まれません�社会が�
のだと�嬉しく感じた次第です�これか
を磨く絶え間ない
Competitive Edge
努力をしています�メデ�アでは�競争
すマヒンドラ・カレ�ジに派遣されてお
らも黒沢君に続く生徒を数多く送り出し
世界には�貧困や環境問題など�一国
では解決できない�市場原理では解決で
窓会をお預かりすることには大きな躊躇
ていました�しかし�語学力だけが国際
てほしいものです�
社会のマイナス面がことさら強調されが
て い き ま す� 企 業 も 世 界 市 場 を 視 野 に
の 黒 沢 聖 覇 君 が 応 募 し ま し た� 結 果 は� 国 際 的 に 開 か れ た 自 由 主 義 経 済 で は� ます�
活発な流通を通じて�経済が活性化され
お互いに蹴落とすだけを考えるような�
無味乾燥な競争万能主義からは�空虚な
3
がありましたが�中学高校と 年にわた
中村 芳夫(15期)
お受けすることにいたしました�微力で
りお世話にな�た恩返しと�思い切�て
学力は�必要条件ではありますが�十分
的に通用する人材の要件でし�うか�語
者でも�次のチ�ンスが与えられ�新た
代化�社会の安定化�環境への対応に対
ODA で� 社 会 の イ ン フ ラ や 経 済 の 近
するサポ�トの手が差し伸べられていま
な競争で勝者となりうる社会でなければ
なりません�敗者への配慮も大事で�再
条件ではないと思います�
す� ま た�NGO な ど に よ る 物 的・ 人
のような人材を多く輩出する環境の整備
ると感じます�桐朋学園においても�そ
が 行 わ れ� そ の ル � ル を 遵 守 す る こ
開 か れ� ル � ル に 則 � た 公 正 な 競 争
このような健全な競争社会が成立す
る 基 盤 と し て� 誰 に で も 平 等 に 機 会 が
助が�愛情から�感謝から�友情と尊敬
の援助を必要としている�その必要な援
市場原理の重要性を解いたアダム・ス
ミ ス も ﹁ 人 間 社 会 の 全 構 成 員 は� 相 互
的サポ�トも広がりをみせています�
は
Safety Net
UWC (United World College)
日本
協 会 が あ り ま す�UWC は�1962
を期待しております�
欠かせません�
年に英国で始ま�た民間の国際教育機関
切です�
しており�こうした互いに対する思いや
から�相互に提供される場合は�その社
で�世界各国から選抜された生徒︵日本
会 は 繁 栄 し� そ し て 幸 福 で あ る�﹂ と 記
は� Contribution
だと思い
︶が確保されてい
そのためには�語学力の強化に加えて� と︵ Compliance
な け れ ば な ら な い と 考 え ま す� こ の
次の つの を備えた若者を�次の世代
の場合は高校生︶を中等教育期間終了前
■第一の
は� Compliance
の醸成だ
に送り出すことが不可欠だと思います�
3
と思います�
■第二の
りの心�社会に貢献しようとする心が大
年間受け入れ�国際感覚豊かな人材
C
C
の
年︵ 当 時 ︶
を育成することを使命としています�昨
年 そ の 奨 学 金 に� 桐 朋 高 校
C
の精神を早いうちから醸
Compliance
成していく必要があります�
の 経 験 か ら お 話 を し ま す� 私
ます�国際的に活躍できる多くの人材を
最近
が 勤 務 し て お り ま す 日 本 経 団 連 に は� 育てていくことが�日本に求められてい
重責を果たしたく存じます�
はありますが�各期評議員の方々�学年
8
挑戦の機会を作るための
3
幹 事 の 方 々 の ご 協 力 を い た だ き な が ら� グロ�バル化の時代といわれ�日本の
さら
経済社会も厳しい国際競争に晒されてい
6
1
2
同窓会会長に就任して
2
積極的に取り組んでいます�従来は�外
るための研究開発や技術開発に�企業は
よる砂漠の緑化など�環境問題を解決す
生エネルギ�を利用した海水の淡水化に
素を忘れないでいただきたく思います�
育者である先生方も�心の隅にこの
でし�うか�桐朋に学ぶ後輩も�また教
活躍できる人間にな�ていくのではない
いと思います�
います�桐朋においても薬物教育につい
︶プログラム
Resistance Education
を小学校から行い�薬物の怖さを教えて
アメリカでは
の気持ちです�
Challenge
先進国では少子高齢化が進み�地球全
体を覆う環境問題も深刻とな�ておりま
部不経済として�政府による対策に頼�
さ ら に� お 願 い し た い こ と が 一 つ あ
り ま す� そ れ は� 薬 物 に つ い て の 教 育
■第三の は
技 術 は� 世 界 の 最 先 端 を い � て い ま す�
e C o n t r i b u t i o�
n で す� 最 近 の ニ � � ス で も お 分 か り の
C o m p l i a n c�
よ う に� 薬 物 の 有 害 性 へ の 高 い 意 識 を�
という つの に裏打ちさ
Challenge
低 学 年 か ら つ け て お く こ と が 必 要 で す�
れた価値観を持つことにより�国際的に
す�しかし�悲観や諦観からは何も生ま
ていたものが�民間主導の自律的な挑戦
ハイブリ�ド車の活用や省エネ家電�再
れません�現実を直視しながらも�プラ
が解決への道を開きます�
に端を発する﹁百年に一度の﹂世界同時
人間になるため﹄と答えます�数学の問
不 況 か ら 一 年 が 経 と う と し て い ま す が� するのかと問われれば�私は﹃注意深い
に減少しています�リ�マン・シ��ク
月 日 に PTA 講 演 会 で 来 校 さ れ
た 大 江 健 三 郎 先 生 が�﹁ 何 の た め に 勉 強
て�早い段階から取り組んでいただきた
︵ Drug Abuse
DARE
ス思考で課題に立ち向かえば�必ず道は
種 田 山 頭 火 に�﹁ ほ ろ ほ ろ 酔 う て 木 の
葉ふる﹂という一句があります�十一月
題に対する注意深さ・古文の文章に対す
要
精神が大切です�
半ばを過ぎ�大学通りは桜紅葉が日に日
少子化の波と�長期化する不況の影響は
する
Challenge
例えば環境問題でも�日本の誇る環境
にその数を減らし�やがて黄金色の銀杏
な学校間競争に拍車がかか�ております� る注意深さは�そのまま自分の心に対す
じるものです�注意深くあることが最も
を担当される浦島洋紀理事をはじめ�教
心許ないのですが�財務・環境整備の面
職という重責に堪え得るかどうか�甚だ
学菲才にして人生の経験も乏しく�校長
この四月より�小柳敏志前校長の後を
引き継ぎました�片岡でございます�浅
にある﹂ということです�
年の育成を目指す�そうした教育的姿勢
身の未来をたくましく切り拓いていく青
にも自主的・自発的に取り組み�自分自
カデミ�クな教育を展開しながら�何事
自由で民主的な校風のもとで�上質でア
員も例外なく�一人ひとりを大切にする
ま す� 桐 朋 教 育 の 基 本 は�﹁ 生 徒 も 教 職
と何ら変わ�たところはないと考えてい
では�私たちの桐朋は�変わ�たでし�
うか�桐朋の内側にいる私たちは�以前
ように�桐朋が�単なるエリ�ト教育で
校長が﹁最高の普通教育﹂と表現された
ことを願�ております�かつて山下明元
間性をも�て世代の基軸とな�てくれる
私は�桐朋を卒業する若者たちが�堂々
と彼らの世代のど真ん中を歩き�その人
とくくられるのかも知れません�
う 若 者 の 世 代 は�﹁ 新 し い 貧 困 の 世 代 ﹂
世代︶と呼ばれたように�次の時代を担
代が�ロストジ�ネレ�シ�ン︵迷子の
てバブル崩壊後の 年代に社会に出た世
現状を報告して話題となりました�かつ
を�よろしくお願い致します�
育にも今までと変わらぬご理解とご支援
申し上げるとともに�これからの桐朋教
て参りました�この場をお借りして御礼
これまで�同窓会の皆様には�桐朋教
育に対して様々な形で応援と協力を頂い
ても他者に対しても﹁敏感な﹂心を持つ�
とに取り組む体験を通じて�自分に対し
きをかけ�仲間と力を合わせて一つのこ
と思�ています�学問を通じて知性に磨
は�桐朋生にと�て�良い言葉を頂いた
大 切 で す ﹂ と 述 べ て お ら れ ま し た� 私
職員の方々�同窓会・保護者の皆様にい
はなく�普遍的な人間教育にこだわ�て
年前と比較して現在は 割ほど
18
6
90
験された通りです�
もらいたいと�強く願�ています�
大人としての人間性を身につけてい�て
ろいろと支えていただきながら�そして
いるのは�皆様も在学中に身をも�て体
口は�
しかし一方�桐朋の外側では�様々な
変化が生じ�そのことが桐朋のあり方に
敏感な心と人間性を
身につける桐朋教育
開 か れ る と 思 い ま す�
校長就任にあたって
並 木 の 見 頃 を 迎 え よ う と し て お り ま す� 私学への強い逆風となり�公私立の熾烈
私は�一年のうちで�今が最も国立らし
ま た� 今 年
%に達し� 人
7
日 に は 厚 生 労 働 省 が� る注意深さ・他者に対する注意深さに通
い季節と言えるだろうと思います�その
日本の相対的貧困率が
20
人の子どもが貧困状態にあるという
15
月
風情は�以前と比べて少しも変わ�てお
19
C
に
9
3
3
りません�
10
何より�溌剌とした児童生徒の後押しを
1
も影響を与えております�日本の 歳人
片岡 哲郎校長
受けて�桐朋教育の発展のために微力を
尽して参りたいと存じます�
20
3
C
校長退任にあたって
普遍的なものを目指して
ズム�真の意味での個人主義が求められ
方でもありまし�う�新たなヒ��マニ
ために�環境と人間を真に尊重する生き
な条件の異なる人々と手を携えて生きる
であり�地球的視野に立�て�さまざま
己を生かすとともに他者を生かす生き方
す�
いくことを大事にしている学校でありま
そしてそのことを可能とする力をつけて
あ い な が ら� そ の 答 え を 模 索 し て い く� しい状況の中�片岡哲郎新校長以下全員
学ぶなかで�友人と切磋琢磨し�刺激し
ものに積極的に取り組み�体験し�深く
も得意とするか﹂について�さまざまな
張�てくれると信じています�
が 力 を 合 わ せ て� 期 待 に 応 え る べ く 頑
の文教政策など�私学桐朋を取り巻く厳
く不況�少子化�公立校の攻勢や新政権
す大きくな�ていくと思われます�長引
私が校長に就任して 年間�桐朋教育
に対して並木敏孝前会長を始め�同窓会
ていると言えます�
2001 年 月� 私 は 校 長 就 任 に 当
た � て� 次 の よ う な 文 章 を﹁ 学 校 案 内 ﹂
派な仕事をしてくれると信じています�﹂
れぞれの分野で 世紀を担う先駆的で立
ことを目指していきます�
性豊かな文化の担い手を創りだしていく
教育の上に立ち�普遍的にしてしかも個
世紀の桐朋教育は�これまで培�て
きた一人ひとりの生徒を大切にする人間
あります�
されていることはよく知られたところで
いに発揮して�それぞれの分野で大活躍
いう点です�
思考﹂﹁本物志向﹂﹁他の為に尽くす﹂と
があるように思います�それは﹁柔軟な
二万人になんなんとする桐朋の卒業生
には�どこか共通のキ�ラクタ�や匂い
る発展を祈念申し上げます�
援をお願いするとともに�同窓会の更な
力添えを賜りました�心からお礼申し上
への取り組みではさまざまなご支援�お
きました�特に隣接高層マンシ�ン問題
の皆様には�終始温かく応援していただ
私
業生の皆様が�こうした志向� げます�
たちは�桐朋を巣立�た若者たちが� 多くの卒
スピリ�ツ
内に大きな夢と高い志を育み�必ずやそ
仮に桐朋精神と呼ぶなら�桐朋精神を大
中村芳夫新会長を始め�同窓会の皆様
方の桐朋教育への変わらぬご理解とご支
と﹁ホ�ムペ�ジ﹂に掲載しました�
桐朋は�中学・高校時代という�人間
を創り上げる大事な時期を�昔から若者
21
8
﹁ 世 紀 を 生 き る 若 者 に は� 個 人 の 価
値と尊厳を重んじるとともに真に有為な
小柳 敏志前校長
意義と桐朋卒業生に対する期待はますま
先行きが不透明な中�大きく激しく時
代が揺れ動く現代にあ�て�桐朋教育の
長い間ありがとうございました�これ
からもよろしくお願い致します�
21
人生いかに生くべきか﹂と﹁何をも�と
期 ︶ で 広 島 修 学 旅 行︵ ク ラ ス 行 動 ︶
と�
期では学年の企画で千羽鶴を折�
期で堀越新人君が卒業後に急逝したこ
に 取 り 組 み 被 爆 者 の お 話 を 伺 � た こ と�
︵
34
38
したこと� 期ではアジアの留学生との
たり山田洋次監督の講演会を実現したり
48
間スピ�チのあと�それをめぐ�て話し
と� 討 論 や 発 表 授 業� 三 分 間 ス ピ � チ�
デ�ベ�トなどを試みてきました�三分
定年退職を迎え� 年間の学年や授業
の資料�桐朋平和問題研究会の資料など
社会科の授業では�社会や世界の現実
に目を向け�考える力を獲得してほしい
とが思い出されます�
交流会を行�たことなど�いろいろなこ
53
授業の機会がなく寂しいこの頃
1972 年 4 月より
2009 年 3 月勤務
沖村 民雄先生
を整理していると�初めて担任した学年
37
それは�自立した一人の人間として�自
桐朋を
去る
にあたって
4
4
良 き 社 会 人 と な る こ と が 求 め ら れ ま す� が 抱 え る 二 大 テ � マ� す な わ ち�﹁ わ が
21
先日 月 日に行われた 期の同窓会
に出席させていただきました�その二次
に 近 い の で す が ︶� と く に 男 子 部 門 の 財
ながら︵校長に補佐されていたのが実態
年間は�藤田先生の後を引き
最後の
継いで�理事として�小柳校長を補佐し
も強く印象に残る出来事でした�いろい
なさんに多くのご支援をいただいたこと
士や並木敏孝会長をはじめ�同窓会のみ
哲也さん�橋本浩史弁護士�葭原敬弁護
会でも﹁普天間基地の問題をどう考える
と恥ずかしくなります�
たいのだ﹂と激しく怒�たこともありま
とができました�本当に有り難うござい
務と施設設備の管理を担当してきました� ろな方々と出会い�多くのことを学ぶこ
合 い が 続 い た こ と も あ り ま し た�
﹁そん
した�どうすればも�と考える授業がで
のよ﹂と提起してしまいました�授業を
ました�
ないい加減な発表じ�駄目だ�何が言い
きるかと模索し続けてきたような気がし
そのなかで�隣地高層マンシ�ン建築問
いたのです�自分ひとりで頑張�ていた
は学園紛争が収束した翌年であり�学校
ことになりました�着任をした昭和 年
最
後に 年間の勤務内容についての紹
介させて頂き退職の弁を終えたいと思い
います�
教員生活を生徒と一緒に楽しみたいと思
す� こ れ か ら も 桐 朋 教 育 に 情 熱 を 持 ち�
再び働ける喜びを身にしみて感じていま
ています�また来年度からは講師として
職を迎えられたことに対して深く感謝し
このように良好な校風・環境の中で長
い間働くことができ�そして無事定年退
朋の良い教育環境です�
徒と触れ合う教員室�これはそのまま桐
く変�ていません�教室を出ると外�生
きました�この時感じた印象は今でも全
間という認識しかなか�たのでとても驚
題では�池田計彦弁護士�建築家の榎本
外気に触れられる校舎と
生徒の出入りの多い教員室
する機会がなくな�てしまい�とても寂
な 素 敵 な 質 問 を し た�B 君 が あ ん な に
ことを授業で話をしていたのではないか� しく思�ているこの頃です�
簡単ではなかった、邯鄲一炊の夢
美 し い 別 解 を 示 し た�C 君 が あ ん な と
ころでつまずいていた⋮⋮�教えている
と�走馬燈のように湧いてきて�私を助
けてくれます�
学問を好む生徒�正義感あふれる生徒�
友 達 を い た わ る 生 徒� 逆 境 を 克 服 し て
い�た生徒�またクラブや生徒会�桐朋
祭でエネルギ�を発揮する生徒⋮⋮�素
木から葉�ぱが落ちるように�自分も桐
生 活 が ま だ 落 ち 着 い て い ま せ ん で し た� ます�
ような気にな�ていましたが�実は皆さ
﹁ 長 い こ と お 世 話 に な り ま し た� あ り が
借りして�改めてお礼を申しあげます�
道︵未知︶が待ち受けているのでし�う� んに支えられていたのです�この場をお
月�中一から担当してきた 期の生
徒たちと無事卒業� 月からは講師とし
◦担任 期︵高 �︶� 期︵中 �︶�
この時期に桐朋に来た私に強く印象付け
たことが二つあります�
期︵ 中 �︶� 期︵ 学 年 主 任 中
�︶◦クラブ指導 サイクリング部�ス
ひとつは校舎の構造です�教室から一
歩 外 に 出 れ ば 外 気 に 触 れ ら れ る 校 舎 で� キ�部︵高校体育連盟に初加盟し 部で
私はこれを大変気に入りました�中学生
より�通信課程で免許を取得し�授業を
団体優勝�柔道部◦教科指導 保健体育
科�家庭科︵男女共修のカリキ�ラムに
とうございます�﹂
がわずかな休み時間を利用して教室から
はいじん
えた写生の
落ちた葉�ぱは�写真で鍛
はいかい
目を生かし�俳句に挑み�俳諧の道を歩
中庭へ飛び出し手打ち野球に熱狂してい
の場は生徒が呼び出されて説教される空
和やかに会話をしている�私には教員室
﹁準指導員﹂の資格を取る�
年︶ ※中 体育科スキ�教室の指導のため
4
月�やはり講師として 期の生徒と一
ろです�
1
み�俳人になるべく�努力を始めたとこ
回�中一�高一�高二の授業を
1
2
緒に入学しました�中一�高一の授業を
36
持ちました�当時から�授業の準備はと
57 1
晴らしいものを見せてもらいました�
和賀 一先生
ます�いまから思えば�かなり一面的な
5
朋を離れていかなくては�その先どんな
46
5
48
学校に教えに行�ていたのは一炊の夢�
2008 年� 晩 秋 の 朝� 南 門 を 入 り
小 学 校 と 中 学 校 の 間 の 道 を 歩 き な が ら� 情けないかな�毎日毎日�生徒達︵皆さ
年前�桐朋の体育で柔道の授業を始
めることになり�その専門として勤める
1971 年 4 月より
2009 年 3 月勤務
15
紅葉する木々を自分にたとえていました� ん︶にいろいろのことを教えてもら�て
38
11
担当︶◦校務分掌として 図書館長︵
ても大変でした�何を聞かれても答えら
今 で は 違 い ま す� あ の 時 A 君 が こ ん
れなくてはならないと�
2
33
持つようになりました�思えば 年前の
38
1 29
1974 年 4 月より
2009 年 3 月勤務
た� もうひとつは教員室への生徒の出
入りの多いことです�先生と生徒が実に
て�週
4
また皆さんにお会いできることを楽し
みにしております�皆さんもお元気で�
48
佐藤 洋先生
63
36
4
3
4
追
悼
遠藤光貞先生を偲ぶ
生徒たちを兄のような目で
育んでくれた先生
年間にわたって、
回を数え継続してい
しむクラス会を始めました�因みにこの
2009 年 月 日に数学の遠藤光貞先生が他界された。
そして残暑の残る 月 日に、泉隆弐先生も旅立たれてしまった。
長く桐朋に奉仕され、多くの桐朋生の指導にあたられてきた両先生を偲び、
教え子から追悼文をお寄せいただいた。
さらに残念なことに、養護の小作ミヨ子さんが、 月 日に亡くなられた。
小作さんは、1952 年に桐朋に赴任されてから 年に退職されるまで、じつに
桐朋の悪ガキたちの保健指導に当たってこられた。怪我や病気だけでなく、
心の癒しを求めて保健室を訪れたことのある桐朋生は数え切れないだろう。
今も、小作さんの笑顔を、瞼に思い浮かべることができる。
小作さんへの追悼も 期の内藤さんからお寄せいただいた。合掌。
月か
ます�
会は今日に至るも
生も東京高師を卒業されると�同
ら桐朋高等学校・中学校に体育科担当教
遠藤先生もお元気なころは都合のつく
限りご出席され私達と酒食を楽しまれま
諭として奉職され体操部も部として正式
に発足しました� した�私のアルバムには平成 年 月東
育館にお見えにな�て�私達と一緒に熱
想像も出来ないでし�うが遠藤先生も体
とになりました�当時�数学の先生がと
部部長だ�た奥村君の組織するトレ�キ
しまれていたのです�さらに同級の山岳
も最初期の遠藤学級の生徒達との旅を楽
ている記念写真があります�先生は何回
海岸の温泉に浸かり皆と楽しそうに写�
海汽船を利用して式根島へ行き�先生が
心に体操競技の練習をなさ�ていまし
年卒業まで面倒をみて下さるこ
た�平行棒で落下して手首を骨折される
迎えられたばかりのことでした�
事情から記してみます�
桐朋高等学校・中学校に数学科担当教諭
年から 年にかけて�しばしばチロ
ングの会﹁アルペンロ�ズ﹂にも入り平
体操部に所属しましたが体操部顧問の金
運動会に金子主将の率いる東京高師体操
にな�た年�遠藤先生の依頼により秋の
など生活が一応安定し�桐朋時代を懐か
昭和
年秋� 歳近くになり就職・結婚
と 思 い ま す が� 私 達 は 卒 業 し て
年 後�
て卒業しました�どのクラスも皆そうだ
命�意識に異常はなく軽い麻痺が残る状
医として診て下さ�たそうです�幸い生
輩の遠藤先生が担任された卒業生が専門
血で倒れられました�私達より何期か後
しかし平成 年 月�日課とされてい
た朝の散歩からお帰りにな�たあと脳溢
48
40
20
年
子明友先生の桐朋への奉職が�遠藤先生
部の招待演技会が行われました�それも
されました�
ル地方を歩き同会の記録係としても活躍
成
9
一つの機縁とな�て翌 年 月に金子先
組の皆は遠藤先生から兄のような目で
5
先生は昭和 年 月東京高等師範学校
︵ 以 下� 東 京 高 師 ︶ を 卒 業 さ れ� 同 月
年の 年間と高校の 年間�合
るものの東京高師在学中は同郷︵福島県
年
須賀川市︶の誼もあ�て一緒に下宿して
の翌
たクラスの一員で�卒業後もクラス会の
訓育された記憶があります�昭和 年春�
年間ではありましたが私達 期
企画�実施�病後のお見舞い等で先生に
いたというお話です�そのような関係か
クラスメ�トはそれぞれの進路に向か�
中学
計して
しばしばお付き合いさせて頂いた関係も
月遠藤先生が桐朋にお勤め
7
との関係なくしてはあり得なか�た事情
3
28
B
もあり�少し横道に逸れますがその辺の
24
23
4
11
12
6
41
ということもありました�
12
金子先生は昭和 年のお生まれですか
ら遠藤先生の一年後輩になります�金子
れ高校
5
期 田川 利賢
4
前述のように�その昭和 年 月�遠
藤先生が私達中学 年 組の担任になら
24
3
3
ら昭和
1
日生まれですから 歳のお誕生日を
4
8
B
34
4
93 6
3
25
21
8
として奉職されました�私はたまたまそ
2
先生︵体育科︶によると専門教科は異な
3
4 3
23
あ�て筆をとりました�また私は在学中�
4
2
月
遠藤光貞先生は平成 年 月 日�こ
の世を去られました�先生は大正 年
1
月から先生が初めて担任され
2
7
21
83
21
15
4
9
24
友を誘い何度かそのお宅にお見舞いに行
の馬事公苑のそばに転居されました�級
がリハビリの通院に都合の良い世田谷区
した�翌年秋�八王子にお住まいでした
態でリハビリに専念されることになりま
ラスの担任をしてくださ�ていた四人の
めていた矢先でした�卒業時の四つのク
いう節目を皆で祝おうと�会の準備を進
いたことを思い出しながら�また 年と
いただき�懐かしくご懇談させていただ
ければなりません�安らかにお過ごしく
期一同�両先生には厚く御礼申し上げな
貢献してくれたことと思�ています�同
でどうやらや�てこられたことに大いに
われわれが社会人としてさまざまな分野
もお世話をおかけした事態でした�今や
道路一つ隔てた向かいが馬事公苑で簡単
お連れした日のことです�先生のお宅は
加にな�てしまい�寂しい会にな�てし
生も欠けて�音楽の田沢先生のみのご参
の体調が思わしくないということで泉先
人の先生方をお迎えするつもりが�当日
もにご指導くださり�泉先生には﹁こく
数学を�高島先生や宮本大典先生らとと
の小学生を代数や微・積分�幾何までの
だろうと思�ています� いして�お互いに懐かしが�ていること
にな�ています�天国で�先生方とお会
われわれも間もなく 歳になるところ
で�残念ながら同期生の訃報も聞くよう
年 月に亡くなられており�他の三
に行け�しかも一般に開放され自由に出
まいましたが�参加者で遠藤先生に黙祷
ださることをお祈りしております�
先生方のうち�化学の高橋慶一先生が平
入り出来ます�先生を車椅子にお乗せし�
の形で弔意を表させていただきました�
成
コンビニで�のり巻き�お稲荷さんなど
日�満開の桜咲く馬事公苑へ
を買い込み�お花見をしながらお昼をと
遠藤先生を偲ぶ
い�ぱいになりました�
てのご恩です�しかし�同期生での話題
子供のわれわれの成長に不可欠の知識
を与えていただいたことが�何にも増し
ました�
られた︵中
れ�中
衣姿だろう�中 から中 まで担任をさ
期生が﹁桐朋の数学の先生﹂と言わ
れて�まず思い出すのは�遠藤先生の白
ご﹂のレベルを�現代文・古文・漢文を
桐朋数学の原点
期 中村 元(桐朋数学科)
年の四つうちのどれか二つのクラスを
遠藤・泉両先生には�昭和 年の 月
の入学式以来�高校卒業まで 年間�学
は�どうしても授業とクラブ活動でのご
のです�
市高月町﹁圓通寺﹂での納骨に立ち会わ
教示外のことに偏りがちです�かつての
月末に遠藤先生の訃
3
では兼任だ�た︶
�
から高 までは学年主任を務め
3 1
ただいたところでした�
遠藤先生からは独特の口調でお叱りの言
の 証 左 で し � う�﹁ わ る さ ﹂ の 後 に は�
悪童達がどれほどご負担をおかけしたか
採用されてからは数学科の長老
それに加え�僕個人にと�ては�母校
での教育実習の指導教員であり�桐朋に
大先輩
葉を厳しくいただき�泉先生からは出席
多摩湖線事件や�高校の修学旅行の管理
拝察しています�校内マラソンのときの
は�さぞご苦労ばかりだ�たであろうと
集までやられて集ま�た学年への対応
桐朋の門をくぐり�中学の入試は三次募
で�品のよい訓練など受けていないまま�
大部分の同期生が東京の西部の田舎育ち
が 忘 れ な い 事 態 で し た � 一 部 を 除 い て�
簿での罰を頭にいただいたことが�誰も
両先生の思い出は�あだ名から始ま�
て�今でも仲間での会話にはよく出てき
31
ています�授業では�遠藤先生は﹁算数﹂
3
・
つい
せて頂き� 終のお別れをいたしました�
ず�とご担任いただき�授業はもとより�
準備を進めてきた
報が飛び込んできてしまいました� 年
にご不自由であられたのを押してご参加
前の会合にご参加いただいたとき�すで
3
3
本年 月 日�私は幸いにも先生が生
前ご自身で選ばれたという名刹�八王子
70
心から先生のご冥福をお祈りいたしたい
31
たしました�掲載した写真はその時のも
含めた﹁国語﹂へと�宮川先生�鈴村先
年 月
きましたが�中でも記憶に残るのは平成
50
日常生活でのご指導も六年間お世話をい
山下
した� 月に卒業 年を迎えることから�
私達桐朋 期卒業組にと�て�今年平
成 年は残念至極の年にな�てしまいま
遠藤光貞、泉隆弐 両先生を偲ぶ
期
弘文
13
記 念 パ � テ � 会 を 開 催 し よ う と 計 画 し�
50
2
4
8
と思います�
5
13
6 28
これに加えて� 月には�なんと泉先
生のご逝去の報が届き�愕然といたしま
4
りました�その時は本当に楽しく歓談い
16
生�水沢先生などとともにお世話になり
9
した�まさかという信じられない思いで
4
4
3
7
15
21
本人
は仕事もあ�て�上京することはかなわ
ングリストで配信してもら�た�
なか�たが�お通夜に行�た
通�た�福島なまりの独特のアクセント
で�﹁ハイ�そこ何や�てますか!﹂﹁だ
から後で
め じ � な い か ﹂﹁ 立 � て お れ ﹂ な ど の 特
I
﹁お前の分も祈�といたぞ﹂と言われて�
のことも のこともよくご存知の先生
ん な 話 を ぜ ひ 先 生 に お 伝 え し た か � た�
も し ろ が � た し� 今 で も 耳 に 鳴 り 響 く� ﹁ 涙 が 出 そ う だ � た ﹂ と 語 � て い た� こ
徴あるお言葉は�皆でよくまねをしてお
O
期 会長 横田 浩介
それがそのまま教科書にな�てしまうよ
が な い� む し ろ 板 書 を ノ � ト に 写 せ ば�
きちんと聴いていれば教科書は開く必要
すく�理解を促す例題や問いが挿入され�
遠藤先生の授業スタイルは実に整然と
されていた�板書はていねいで分かりや
お世話になり�ぱなしだ�た�
ついつい飲み過ぎてしま�た�おし�べ
桐朋数学科は皆お酒好きだが�遠藤先
生はつぎ上手だ�た�先生の横に座ると�
出す�
身のこなしが一番軽やかだ�たのを思い
お�し��ていたが�一行の中で先生の
あの岩場は一人じ�無理だ�たから�と
な が ら� 連 れ て 来 て も ら � て よ か � た�
年 月に乾徳山に登�たときは�下
山後塩山温泉でご機嫌にビ�ルを飲まれ
ても活躍されました�当日は�奥様�ご
で教鞭をとられるなど日韓の架け橋とし
きました�桐朋退職後は韓国の延世大学
泉先生は昭和 年桐朋に赴任され�退
職される昭和 年まで教鞭をとられ�野
ぶ会を野球部
”チンさん
“で親しまれた泉隆弐先生の偲
さ れ た 漢 文 の 先 生 で 元 野 球 部 長� 愛 称
韓国から教え子たちも来日し�現役の田
子息�野球部
脳梗塞を起こされ�世田谷に引�越さ
れて以降�二度ほどお目にかかりに行�
8
25
11
8
会主催で行いました�
帽 と 運 動 靴 姿 で� 薄 汚 れ た 部 員 の ユ ニ
つ先生はいつも白い開襟シ�ツに野球
した�また先生について�グランドに立
席の皆様方への御礼の挨拶を申しあげま
ら�冒頭に主催者を代表し小生よりご列
26
27
58
L
球部部長としても永きにわたりお世話頂
名の列席者が先生の往事を偲び
偲 ぶ 会 は� 期 良 原 氏 司 会 進 行 に て�
最初に列席者全員で黙祷をささげてか
ました�
き�約
中先生�体育の和中先生にも出席いただ
中先生�原口先生�退職された数学の山
に加え�
うな授業だ�た�僕もそれを見習�て来
り好きな楽しいお酒で�興に乗られると
る者には名指しで注意が飛ぶし�卒業後
た�言葉が思うように操れず�つらそう
�桐朋一般
ているが�むろん遠藤先生の域には及ば
﹁祇園恋しや�だらりの帯よ﹂と粋に﹃祇
もあいさつが名指しで返�て来た�多く
ではあ�たが�顔色はよくお元気だ�た�
40
園小唄﹄を歌われたこともあ�た�
の同期生が同じ驚きを語�ている�
の�大事とは知らず�訃報が届いたとき
昨年夏から体調を崩されたと伺�たもの
1925 年 生 ま れ の 先 生 は� 期 が
高 のときには 歳だ�た�現在の 期
は本当にび�くりした�
期の仲間への訃報は�パソコン操作
にまめな仙台在住の を通じて�メ�リ
I
ことである�授業中おし�べりをしてい
ない�
好天に恵まれた� 月 日︵日︶国分
寺 サロンにて�去る 月 日にご逝去
桐朋高校野球部 OB 会
泉先生を偲ぶ
は�一体どんな笑顔をされただろう�
O
期は﹁エンド�テ�チ��﹂と呼んで
いたが� 期はより親しみを込めて﹁エ
ンち�ん﹂と言�ていた�
先生は山歩きがお好きだ�たので�あ
る時は桐朋数学科の先生たちと�ある時
は個人的にご一緒させてもら�た�西沢
渓谷�富士山�鳥海山�伯耆大山などに
行�た�
I
遠藤先生にかなわないもう一つの重要
点は�生徒の名前をよく覚えておられた
てくださり�そのまま定年を迎えられた�
から中 まで学年所属の副担任を続け
であり�初めて担任に就いた 期では中
43
の年齢が同じにな�ているというのは驚
31
31
先生のお声は�教室でも講堂でもよく
くべきことである�
31
51
8
15
43
5
3
31
94
1
3
と� 時 に 興 じ る と ノ � ク を 駆 � て 出 て
フ��ムの中にあ�て一際輝いていたこ
時のたつのを忘れ�閉会に名残を惜し
みながら泉先生のご冥福をお祈りしたひ
の御礼の挨拶を述べられました�
市長となられ多くの成果を市長として残
内科検診のときの状況です�その後三鷹
と記憶にあるのが�その直後に行われた
私事ですが�私は高校 年生のときに
学校で意識不明になるような急病を体験
い出話で楽しませてくださいました�
てくださり�われわれの子ども時代の思
部 員 に 語 り か け て い た 優 し い ま な ざ し�
がねの奥からに�こり笑�て一人一人の
員に野次られむきにな�ていた先生�め
ただいた方のみならず�この偲ぶ会に賛
から生花を頂戴するなど�当日ご列席い
くとともに�文末ながら�東京都高野連
と時であ�たことを御報告させていただ
か の 小 作 さ ん だ � た の で す � も ち ろ ん�
当時未だや�と二十歳になられたかどう
を 見 て お ら れ た 若 々 し い 看 護 婦 さ ん が�
されました�その側で�われわれの面倒
された鈴木平三郎医師が校医として担当
な�て聞かされました�何についても心
るまで待�ていてくださ�たとか�後に
乗してくださり�しかも病院で両親が来
てくださり�立川の病院まで救急車に同
しました�そのときも�的確な対応をし
バ�トにボ�ルがうまく当たらないと部
教壇に立つ先生は常に厳しく野球部員で
同しご協力いただいた関係各位に感謝申
あ�ても甘えを許さず�文武両道の教え
しあげます� の思い出の一端を述べさせていただきま
護婦さんであられたのですが�今から考
年ほど前にたまたま平日に学校を尋
ねることがありました�その折に保健室
優しい対応をされる方でした�
順番に先生の思い出を語�ていただきま
ご家族や列席者が和やかに歓談しながら
京都高野連副会長︶による献杯発声の後�
は変わらないと思いますが�男子生徒だ
を見守�てくださいました�今でも状況
それから私たちが卒業するまでの 年
間�いつも保健室でわれわれの健康状態
張のことであられたと想像されます�
自身体験されることすべてが初めてで緊
任されたばかりであ�たとのこと�彼女
いたします�
今とな�ては素敵な記憶ばかりの小作
ミヨ子さんです�心からご冥福をお祈り
した�
い思い出話のひと時を過ごさせて頂きま
のご予定だ�たのでし�うか�若い看護
に寄らせていただいた時には�もう退職
期森田
山
中先生や和中先生は泉先生に教師と
し て の イ ロ ハ を 教 え て い た だ い た こ と�
けの学校とのことで�怪我をしたり捻挫
していたときの対抗試合において 対
な�たものです�未だ時代が今ほどでは
では�拉致問題遺族会の事務局
輝 か し い 戦 績 に 聞 き 入 り ま し た� ま た�
進出した話など�後輩
居 ら れ た 数 少 な い 若 い 女 性 で し た の で�
間は居たようでした�もちろん�校内に
て小作さんの元を訪ねて気休めをする仲
か�たと思いますが�何かと理由をつけ
室にこも�てしまう様な子どもは居な
なか�たからでし�う�登校しても保健
長で活躍された 期荒木氏や�韓国の教
る方が居られたのは�子どもながらの直
若い先生方の中にも想いを寄せておられ
一般
え子で現在は大学教授になられた朴氏か
小 作さんを偲ぶ
私たち 期の同期会にはいつもお誘い
い た し ま し た が� 大 方 は 夜 の 集 ま り で
感で分か�たものです�
ら�﹁ 先 生 と 野 球 が ど う し て も 結 び つ か
でもある泉好修さんが
何かと理由をつけて小作さんの元を
諸氏は先輩の
6
ない﹂との印象や思い出をお聞きしまし
期
期 は 1952 年 月 に 桐 朋
私たち
中学に入学しました�今でも�は�きり
12
が�何回かは昼間に開いたときに出席し
あ�たもので�実現は叶いませんでした
12
婦さんとご一緒に居られ�やはり懐かし
期原氏� 期清水氏からは�泉先生や
をしたり風邪を引いたり�あるいは腹痛
した�
阿部元監督とともに第一期野球部黄金時
を起こしたりで多くの仲間がお世話に
15
代を築いたときの逸話として�当時�王
2
貞治ダイエ�前監督が早稲田実業に在籍
した�続いて
えれば�小作さんはその 月に桐朋に赴
を貫かれた先生であ�た事など�泉先生
歳の新入生徒にと�てはもう立派な看
2
会副会長︵東
12
た�最後にご遺族を代表し�ご子息であ
り桐朋の
学校では見せることのなか�た先生の家
庭 で の 素 顔 や 子 供 教 育 に つ い て 語 ら れ�
4
訪ねて気休めをする仲間も
期 内藤 紘
29
時折笑いを誘う話を交えながら列席者へ
12
26
9
20
14
で惜敗したこと�東京大会でベスト に
7
8
8
13
同期会
五期生「ごきのき じ ゅ を 祝 う 会 」
盛大に開催!
気に中学・高校時代へとタイムスリ�プ
した�
非常に記憶力のある人とそうでもない
人との会話がかみ合わなか�たり�思わ
ず時間の経過を忘れてしまうような有様
胸に散会した�
全体の同期会としては ⋮
中村 憲之助
期 の 我 々� 約 220 名 が 桐
年
立駅から桐朋まで�桜並木が美しく華や
︵1948 年︶の春�今と同じように国
びられたなという感慨は誰もが持�てい
かな季節であ�た�
朋 に 入 学 し た の は� 昭 和
敗
戦直後の荒れた校舎�食糧不足によ
る腹ぺこの毎日�それでも皆明るく平和
であ�た�
を堪能した時代�よくぞここまで生きの
るようであ�た�
とが懐かしい�
る小マラソンが�体育の時間にあ�たこ
その砂利道を駅前のロ�タリ�を一周す
ただ駅から桐朋までは�今の車道を含
め て 砂 利 道 で� 車 の 往 来 も た ま で あ り�
タンゴの名曲﹁ラ・クンパルシ�タ﹂を
宴半ばで�三枝直砥君がわざわざ自宅
よ り ハ モ ン ド・ ア コ � デ オ ン を 持 参 し�
はじめ�名曲をつぎつぎに披露し�拍手
が畑だ�た当時�サツマイモを育てて一
食糧難の時代で�北村先生が担当され
た農業の時間は�今の野球部グラウンド
部は自宅に持ち帰�たこと�時折�幾人
喝采の大受けであ�た�
今回の�喜寿を祝う会の開催にあたり�
皆さんからの近況報告を寄せてもら�た
かの級友は弁当を用意できず欠食してい
貝守 玄三・熊谷 一昭
ところ� 名以上の人達から返信をいた
たこと等々⋮⋮�食べる物が不足すると
年 月 日 午 後�
去る平成
素晴らしい秋晴れの中�私達
だき�中村齋君がパソコンを駆使し小冊
いうことは�どんなに辛いことか経験し
期生は﹁ごきのきじ�を祝う会﹂を国立
市の﹁あんず亭﹂で開催した�
子を作成�出席者に配布した�いろいろ
当初� 名の参加申し込みがあ�たが�
直前のキ�ンセル等で�総勢 名が参加�
盛大な盛り上がりをみせた�︵ 期生は�
多くの人達が�年相応に身体のどこか
に不具合があるのは仕方がないことであ
な�た�
が
・ ・ ・ の 組で 年間を過ご
してきたわけだが�現在亡くなられた方
たものである�
名おり�訃報が届くたび
悲しんだ時もあ�た級友たちの﹁在りし
年 間 同 じ 場 所 で 同 じ 時 間� 笑 い�
知識が豊富となり�貴重な情報を得る場
上げてくるものがある�
日 ﹂ の 学 生 服 姿 を 思 い 出 す と�” 天 の 摂
に�
が�終戦時の寄宿舎生の転居�新制高校
でもあ�た�
名であ�た�現在の準会員を入
最後に私達 期生は平成 年をも�て解
先生�林先生はすでに他界され�他の
開催した�担任の 名の先生のうち西村
散することを宣言�
本 年 月 日 に 級 友 名 が 参 加 し て�
第 回目の 期同期会を�桐朋の校舎で
次回まで健康に留意し�でき得る限り
出席することを目標に�しぶとく生き続
今回特筆すべきことは� 年ぶりに福
岡県から福沢禮冶君が� 年ぶりに村瀬
もな�た︶
れての会員数のうち参加者は %以上に
は僅か
発足のときの大量転校者のため�卒業生
組に �
6
けようを合言葉に�名残惜しい気持ちを
53
4
芳正君が名古屋から駆けつけてくれたこ
2
50
4
10
23
るが�お互いに話し合うことで�医学的
4
理とはいえ�やりきれない感情がこみ
ク ラ ス 221 名 で あ � た も の
D
16
8 4
50
60
とである�お二人との再会で�会場は一
10
24
59
6
4
5
時間の経つのも忘れ�飲み・食い・だ
べ り� よ う や く 時 半 に お 開 き と し た�
入学時
C
24
8
B
15
9
31
5
A
1
34
4
50
21
08
期
な事情が詰ま�ており�話題の材料とも
5
私達の恩師は既に他界され�招くべき
師がいないのは寂しい限りである�
05
期
平成 21年10月4日 於母校食堂前
8 期同期会 A 組
8 期同期会 B 組
8 期同期会 C 組
8 期同期会 D 組
11
名の先生方︵宮川先生�田村先生︶も体
ているうちに開会�はじめに
た仲間それぞれで懐かしそうに話し合�
私に開会の辞を�という幹事からの命令
なられた遠藤先生へ黙祷をささげ�突然
当日は�桐朋学園小学校の運動会も校
庭で行われており�若々しい歓声を聞き
で 慌 て て 挨 拶 を す る�︵ お そ ら く
月に亡く
調が優れないとのことで欠席された�
ながらの同期会とな�た�前段で� 期
年前�桐朋の PTA 会長をや�たので�
いるだろうというのが理由では?︶
期の中では学校のことを少しは知�て
�
卒業のおざき内科循環器科クリニ�ク院
期卒
長・尾崎治夫氏の﹁人生の仕上げを楽し
み な が ら 過 ご す た め に ﹂� 続 い て
皆それぞれが気持ちよく過ごせる場所に
ん な 生 徒 で あ � て も� い つ も 集 ま る と�
な�ているのだと思う�先ほどのゴルフ
の桐友会は�今年の春� 年・ 回を迎
え�ピリオドを打�た�これも
期らし
こんな 期の 年記念の同級会は�い
つもの雰囲気の中で�あ�という間に
いと思�ている�
13 50
年から高校卒業まで一貫して担任してい
涙 を 浮 か べ て 話 を し て い る 仲 間 も あ り�
そんな話の輪を見渡してみると�中には
桐 朋 時 代 の 懐 か し い 話 に 移 � て い � た�
先生�多くの仲間に恵まれたからであり�
分があるのは�桐朋という学舎で�よき
いで一杯であ�たと思う�私も今日の自
た�皆�心の中にふるさと桐朋という想
時間が過ぎ�名残尽きない思いで散会し
て行われ�感銘を与えて終了した�
ただいた遠藤先生は既になく�大変なご
みんな本当に桐朋に誇りと愛着を持�て
回は癌�今でも癌と仲
いうゴルフ会をつくり�石井光夫会長の
れ�皆は聞き入�ていた�先生は締めく
良く付き合�ていることを淡々と話さ
もとに毎年
期の私たちに﹁天
平成 年 月 日︵土︶に
年ぶりとなる 期同期会を開催
真船 隆二
桐朋 期会及び
中村芳夫君を励ます会開催
路についたのであ�た�
ほのぼのとした幸せを噛みしめながら帰
苦労をおかけした泉先生も体調が優れず
いるのだと改めて強く感じた�
田沢先生からは�ご自身の長い病気と
の闘いとその後の病との付き合いについ
日にお亡
ご冥福をお祈り申し上げたい�︶
され�そのうち
てお話があ�た�今までに 回の手術を
我ら 期は卒業概ね 年ごとに同級会
を行�ており�かつ 年前には桐友会と
9
回コンペを行い�多いとき
7
に大勢の仲間を集めた同級会が我ら 期
卒業してから半世紀�大きな区切りの年
に恵まれていたので�今回も会場のあち
うな関係で�同級生が顔を合わせる機会
ごせ�病気にな�ても病人になるな﹂と
寿を全うするまで�体を大事に元気で過
今年 月に同窓会会長に同期の中村芳
夫君が�また副会長に和中信男君が就任
した�
くりに古希を迎える
5
月
その後�学生食堂に席を移して懇談会
とな�た�級友たちの年齢もあり�たぶ
期
欠 席 さ れ た�︵ そ の 後�
心のふるさと桐朋
くなりにな�たとの報に接した�心から
らに盛り上がり�いつものように話題は
開会挨拶 田辺 隆一郎さん
んこれが最後の全体同期会になるだろう
業の﹁自分史研究会会長﹂前田義寛氏の
そして開宴�この日は田沢先生が出席
されたので�総勢 名の参加者�中学
3
23
名をこえる参加者があ�た�このよ
21
11
され�同期の両君が両輪とな�て同窓会
は
15
15
期
8
5
25
時間�映像を駆使し
50
24
1
25
14
田辺 隆一郎
昭和 年桐朋高校を卒業した
我 ら 期 は 今 年 年 を 迎 え た�
2
励ましの言葉をくださ�た�いつまでも
13
11
15
13
講演が�それぞれ
13
2
との思いから�感慨深い会合であ�た�
46
24
8
らこちらで大いに話に花を咲かせてい
50
の 万 年 幹 事 で あ る 山 下 弘 文 君 を は じ め�
となり�勉強が不得意で�今で言う悪ガ
く真面目な連中が後ろに回�ての支え役
今日まで全体で何かやるとき�成績がよ
を私なりに考えると�桐朋生の時代から
それは少しも変わ�ていない�その要因
ところで我ら 期は桐朋在学中から大
変 に 仲 が よ く� 卒 業 し て か ら の 年 間�
激�
介があ�た�また会費の事前払い込みに
者から連絡のあ�た方々の手紙内容の紹
大場君からまず挨拶と今回の同期会欠席
を得た�横田浩介君の司会進行で始まり�
は あ い に く の 雨 模 様 と な � た が�
当日
同期会会長の大場君をはじめ 名の参加
の開催である�
両君の就任を祝し�併せて今後の活躍
を願い激励する趣旨を含めて�久しぶり
を牽引することにな�た�
50
た�
月 日新宿中村屋で行われた�
キの面々を常に前に立ててや�てきた事
13
い つ も の 世 話 焼 き メ ン バ � の 骨 折 り で�
3
祝辞 田沢 茂先生
4
だと思�ている�その事が桐朋時代�ど
48
やがて�出席者全員の一人ずつからの
近況報告があり�これによ�て会場はさ
司会 山下 弘文さん
13
当日中村屋 階に三々五々集ま�てき
26
12
13
30
13
1
34
13
我々の恩師だなと有難いお話に一同感
13
期
3
ついて幹事の不手際から若干の混乱とご
迷 惑 を か け た こ と の お 詫 び が あ � た が�
同期の仲間の寛大さから強い文句も出な
か�たことは幹事の一員として心から感
期の会に参加して
山下 明 先生
量もだいぶ増え�かなりにぎやかな会に
なりました�
やがて�五日市線組︵石井�近藤�鈴
木�山崎︶の終電近くの時刻にな�てし
ながらの挨拶があ�た�
の政治・経済事情を交えた苦労を偲ばせ
とな�たことのお詫びから始まり�現況
ンバ�としての行事があり�若干の遅参
とで経団連事務総長として歓迎式典のメ
今回の主賓である中村君からは�当日
は米国オバマ大統領の来日と重な�たこ
て話が弾んでいると感じた�
気持ちが強く�皆在学時の気持ちに戻�
況であ�た�やはり同期の仲間としての
皆久方ぶりの再会で�そこかしこに近
況を報告しあうグル�プが出来上がり盛
いただいた�
先生からは悠々自適の近況等のご挨拶を
生からは桐朋の現状等�また水沢・熊谷
ゲストとして小柳前校長先生�水沢・
熊谷両先生のご出席をいただき�小柳先
しいことも多々あるのだが�お互い�初
の 中 で は 変 わ ら ず に�﹁ 少 年 達 と 若 い 教
埋ま�たような感じなのだが�思い出話
期生は�私にと�ては最初に担任し
た学年で�今や 歳の年齢差もほとんど
ことができる�
照夫か!﹂と言�て�生徒を感激させる
村です﹂と言われれば�すかさず﹁中村
る�だから�すぐに出てこなくても﹁中
から名へひとつながりで覚え込んでい
愉快だ�私は�教員の習性か�名前を姓
がて﹁あの頃﹂の笑顔が現れてくるから
出てくるというわけにもいかないが�や
た風貌にな�ているので�すぐに名前が
ろそろ
歳近く�いろんな人生経験を経
さん話ができて楽しか�た�みんなもそ
おかわりして�風に吹かれながら�たく
に世話をしてくれて�生ビ�ルを何杯も
よか�た�地元立川の田中訓君らがまめ
間柄をこれからも大切にしていきたい�
温かい眼で見ているだけで繋が�ている
ではない熱い温もりであろう�お互いに
情は�何かを期待しているから抱く感情
友人�そして母校に対して抱いている愛
識するようにな�てきている�家族や町�
いく中で�その言葉の持つ意味を深く認
が�以来頭に残�ている�人生を重ねて
で演ずる小山明子が佐藤慶に言�た台詞
﹁ 愛 情 は 無 償 の 行 為 よ!﹂ 桐 朋 生 時 代
観た大島渚監督の﹁白昼の通り魔﹂の中
B 組 相馬 次郎
してお開きとなりました�
まい�最後は北爪君の音頭で校歌斉唱を
もう一人の主賓である和中君は長い教
職経験から�談笑中の会場を諭しながら
めて出会�た﹁あの頃﹂のように�いつ
夏の夕暮れ�デパ�ト屋上の
ビアガ�デンというのが気楽で
ユ�モアあふれる挨拶があり�参加者か
までも若々しく生きていこう�
謝したい�
らは今後の両君の活躍を心からねが�て
訓
師﹂であるようだ�若気の至りで恥ずか
代表幹事 田中
し た� 先 生 方 は 体 調 を 崩 さ れ て い た り�
ジ � � キ 片 手 に 盛 大 な 会 に な り ま し た�
もがいて生きていても�家族も町も友
の暖かい拍手で労�た�
期恩師を囲む会
月 日�立川高島屋�屋上ビアガ�
デンにて﹁ 期恩師を囲む会﹂を行いま
昭和 年の卒業以来 年と約半世紀近
い年月を経て�皆それぞれに顔はふけた
ものの充実した良い表情を感じさせた�
奥山先生のお二人だけでしたが�夏の夜�
24
26
また�二次会もほぼ全員出席し�お酒の
山下先生と奥山先生 24 期会に出席いただいた
11
60
ご 都 合 が つ か な か � た り で� 山 下 先 生�
2
13
24
24
期
24
7 24
懐かしさに 時間余りの時間もあ�と
いう間に過ぎてしま�たが�次回の再会
48
を約して三々五々に散会した�
36
は�中学生�高校生の頃を思い出し�そ
ていただいた山下先生�奥山先生を始め�
F 組 明神 久恵
しまし�う�
ビアガ�デンとあ�て�わいわいがや
が や� あ � と い う 間 の ひ と と き で し た�
恩師の先生方�当日出席して楽しんだ皆
これからのますますのご発展をお祈りい
奥 山 先 生 は 健 康 管 理 上� 水 分 摂 取 は
さん�そして出席できなか�た皆さんの�
私が山下先生について今でも印象が強
いのは�チ��クの後ろを使い黒板に点
たします�
La Vie en Rose の頃の気分になりました�
人も母校も温かく見てくれているはずで
あ る� そ ん な 人 生 は B 組 石井 杉生
乾杯
線 を 描 く こ と で す� 私 達 が マ ネ を し て
リ � ト ル に 制 限 さ れ て い る 関 係 で�
た�特に中学に入�た時の教室や廊下・
ことがつい最近のように思い出されまし
でも�山下・奥山両先生を始め�同窓
の皆さんと会�た瞬間�昔の楽しか�た
つのも忘れ� 年昔の時空を彷徨いまし
稿を披露していただくなどして�時の経
き�我が校校歌の作詞者�佐藤春夫の草
かわらず�二次会までお付き合いいただ
長として相変わらずお忙しいお体にもか
が�途中退席までにこやかにお付き合い
ビ�ルはち��とつらか�たと思います
日
ださ�た先生です�中二の頃�いろいろ
講堂の様子や休み時間の卓球�週末の山
た�
D 組 飯島 巌
という高い出席率で�二次会の終了は最
な定理を覚えました�当然今はほとんど
登りと�どんどんと思い出が甦�てきま
も�なかなか先生みたいにきれいに描け
月 日の夕方� 期の同窓会が立川
高島屋の屋上ビアガ�デンで開かれまし
終電車ぎりぎりでした�幹事の田中君が�
覚えていませんけれど⋮�
した�あ�という間の時間でしたが�今
なか�たことを覚えています�奥山先生
より多くの同級生に参加してもらえるよ
二次会は�奥山先生は病気のため欠席
され�山下先生と我々とで�立川北口の
た�当日は�お忙しい中�山下先生�奥
うにと�細かな情報を丹念にたどり�音
居酒屋へ�そこで山下先生から佐藤春夫
先 生 方 と は 約 一 回 り の 年 齢 差 が あ り�
精神的な年齢差は卒業以来�い�こうに
康�旅行の話など�むしろ話題が豊かに
最近は�第二の人生に向けて�趣味や健
自分の仕事の終わりも視野に入�てきた
の話が多か�たのですが�還暦に近づき�
の日の仕事のこともあり�午後 時半に
懐かしく楽しい時間を過ごしました�次
校の時の相手のことを思い出し�非常に
わいと騒いで話していると�中学校�高
問題かと�身を引いてしまいます�わい
ということになりました�
からもら�たビデオでは�そのコピ�を
私は退席しました�あとで�中村照夫君
来年は桐朋高等学校を卒業して 年に
なります�盛大なイベントが開かれるこ
いただきました�山下先生は�学園理事
信不通の同級生に�同窓会の連絡をして
後もできるだけ参加して�皆さんと楽し
みんな大分変わ�ているだろうなと想
像して参加しました�
くれていますが�この日も北爪君や中村
氏の桐朋の校歌の詞を推敲中の原稿のコ
い時間を過ごしたいと思います�
は�中二のときの担任で�私に数学︵特
君など�卒業後初めて会えた同級生がい
ピ � を い た だ き ま し た� 今 に な � て も�
れなりに年を加え�人生の荒波に揉まれ
周 年 を 名 目 に ま た 集 ま り ま し � う�
D 組 伊東 薫
見て�みんなで校歌を斉唱して�午後
とと思います�今まで同期会に出席した
前のことをみんなで話し合いまし�う�
川高島屋の屋上のビアガ�デンで� 期
生 の 恩 師 を 囲 む 会 が 執 り 行 わ れ ま し た�
ことがない
の年になると�先生より老けて見える仲
40
間もおり�周りの連中から何処かのおじ
期の皆さん�集ま�て 年
奥山先生のお二人だけでした�我々もこ
10
出 席 し て い た だ い た 先 生 は� 山 下 先 生�
時に解散したそうです�
平 成 年 月 日� あ れ は 暑 い 暑 い
ビ�ル日和の日でした�夕方 時から立
業
な�てきた気がします�来年の夏は�卒
市線組は
るサプライズの会でした�今までは仕事
先生からコピ�を渡されると�何か試験
山先生にもご参加いただきました�五日
1
埋まる気がしないのですが�生徒達もそ
たせいか�中には渋みを加えて先生と見
先生方とは近いあるいは同じ時代の中に
分 け が た い 風 貌 の 持 ち 主 も い た り し て�
いたんだなあと改めて感じた次第です�
先
生方にはいつまでもお元気でいただ
き�またこうして同窓会にご出席いただ
けるのを楽しみにしています�最後に幹
事殿�ご苦労様でした�
比留間 伸一
桐朋高等学校 期同期会
5年後に 歳を迎える会
歳を祝う同期会を開催して
からはや 年�その時から 年
5
期同期会を去る
月
日︵ 土 ︶� 新
ごとに同期会を開催しようとの要望に応
え
6
9
40
最後になりましたが�今回の囲む会を
企画していただいた幹事の田中訓君のご
5
6
4
苦労に感謝いたしますとともに�出席し
27
6
40
60
50
26
さん達のグル�プと見られたのではない
27
期
27
24
24
7
かと思います�しかし我々は先生の前で
すっかりできあがった熊沢さん、山崎さん、桑原さん(左から)
最後に残念ですが�何人か亡くな�て
おられます�皆さん�健康には十分注意
に幾何︶に興味を持たせるき�かけをく
24
人のうち 人までが参加する
1
!!
26
5
21
14
7
40
大変控えめながら
事 予 定 の お 話 と�
言葉少なく同窓生
へのご寄付のお願
いをされておりま
した�
思い起こせば昭
和 年我々が�高
しも無い姿にその後の人生が垣間見ら
理科の中田先生は�あいにく体調を崩さ
護施設に入所されておられる様です�物
英語科の勝浦先生は�現在ご夫婦で�介
鈴木先生は�ご連絡が取れませんでした�
念ながら�英語科の山崎先生�数学科の
術科の大塩先生をお招き致しました�残
桐朋学園理事長�社会科の高田先生�芸
集まりました�当日ご来賓として�山下
前日までの梅雨空とはう�て変わり晴
天 に 恵 ま れ 110 名 あ ま り の 同 期 生 が
京で盛大に開催されました�
した�
ふけ�てしまいま
な�などと考えに
ド�ムは残るのか
まうのかな�高岡
が取り壊されてし
詰ま�た中庭の池
た�思い出の沢山
る思いがしまし
の 速い こ と を 感 じ
がたち�時の流れ
移�てから
デトロイトからは当日着で�本多技研
工業主席研究委員杉本富史君が時差ぼけ
し�うか?
インフルエンザ
ぶ ま れ て い た こ と が 思 い 出 さ れ ま し た�
な話題に上�ていて�山田君の出欠が危
の時も鳥インフルエンザで京都府が大き
一段落ついた頃でした� 年前の同期会
ザ の 患 者 さ ん が 発 生 し て 対 応 に 追 わ れ�
た�折しも京都では�新型インフルエン
ジ��ルを調整して出席してくれまし
知 事 の 山 田 啓 二 君 も 多 忙 な� 政 治 ス ケ
司会者の指名で 組の荻原裕之君のス
ピ�チに始まり�京都からは�現京都府
れ�時のながれの残酷さを感じえません
学期か
れ療養中との事でした�恩師を全員お招
引き続き高田先
生のウイ�トにと
これからの自動車の安全と環境への取り
の 体 に む ち 打 ち 挨 拶 を し て く れ ま し た�
でした�
きするのは�だんだん難しくな�てきま
んだ乾杯の音頭で
が始まると�あ�という間に
� 年前
だ き� ま た 大 切 な お 知 ら せ と し て 来 る
て山下理事長の心温まるご祝辞をいた
宮修君も元気に出席�当時の面影は�少
れぬ当時の思い出話に必ず上る 組の高
加できなか�た同級生とも再会�忘れら
A
現在京都府知事の山田 啓二さん
年流行説など有るので
5
年
した�
宴会が始まりまし
生� 伊 藤 先 生� 宮 本 先 生� ま た 同 級 生
にタイムスリ�プ�
8
年前の同期会に参
の 物 故 者 に 黙 と う を 捧 げ ま し た� 続 い
囲み同級生と歓談
れた円テ�ブルを
た�クラス毎に別
今回も司会�進行は塚田彰君で�まず
始めに近年お亡くなりにな�た�鈴村先
ら現在の天体ド�
校一年の
大塩先生
ムの有る新校舎へ
2
37
F
5
39
宿のホテルハイア�トリ�ジ�ンシ�東
45
2016 年 に 中 学� 高 校 校 舎 の 新 築 工
5
15
挨拶をされる山下先生
高田先生
とコラボレ�トした展覧会を開き精力的
に活動されていら�し�います�
名 司 会 者 に よ り 滞 り な く 式 が 進 行 し�
年後の 歳還暦を祝う会は今以上に盛
名と
桐朋の学生時代のことなど和やかにご歓
ろを快くご出席くださり�参加者
した�他にも遠方から泊まりがけで駆け
ユ�モア�にあふれたスピ�チを頂きま
徹君�田倉敏雄君�渡辺哲哉君などから
田栄一君�高橋真君�吉野明雄君�石黒
その後も�中谷光基君�大塚正人君�森
組 み に 関 し て 貴 重 な お 話 が 聞 け ま し た�
えして頂き�とてもお世話になりました�
先輩の武藤さんには�色々な要望にお応
ジ�ンシ�東京の副総支配人で桐朋高校
し て く だ さ い� ホ テ ル ハ イ ア � ト リ �
今回参加出来なか�た先生方や�同期
生の皆さん�是非次回の同期会には出席
します�
れた同期生の皆さんにも心から感謝いた
でした�ご来賓の先生方や�集ま�てく
てい�たそうです�山下理事長お疲れ様
山下理事長をお誘いし�三次会へ突入し
友達が各集い�その後赤坂�麻布方面へ
か�たので�同ホテルのバ�に親しい級
ま し た� 二 次 会 会 場 は 特 別 に 決 め て な
大に開催しようと約束してお開きとなり
生︵桐朋学園理事
朋会を発足させる
これを機に北里桐
赴 任 さ れ ま し た�
科主任教授として
︵
学から望月秀樹君
ます�さらに今年
子高
︵男子校
生合わせて
だけでも医師�学
に増えてきました�現在�わか�ている
北里大学医学部も創立 周年をむか
え�桐朋男子校・女子高の出身者が徐々
います�
育講演会を併せて毎年の開催を計画して
談いただき楽しい発会式を開催させてい
る思いがしました�
また
長︶と小柳敏志先
名� 女
名︶がおり
32
月には順天堂大
23
期︶が神経内
日に山下明先
こ と と な り�
月
記念会を開催しま
した�桐朋という
同じ精神的土壌に
育�た者が卒業年
度を超えて親交を
深 め る と と も に�
診療や研究�勉強
のうえでも交流す
ることを主旨とし
て い ま す� 両 先 生
にはお忙しいとこ
ただきました�今後は医学の各分野の教
暫く歓談の後シ�ウタイムに 組の
平賀誠吾君がパントマイムとマジ�ク
伝�てくれた発起人︵幹事︶や�各クラ
生︵男子校前校長︶
名
シ��を披露してくれました�彼は�わ
ス幹事の皆さんの協力で�思い出に残る
55
11
つけてくれた同期生には感謝で頭の下が
が国ではパントマイムの草分け的な存在
楽しい同期会を開催することが出来まし
年前から同期会の準備を一緒に手
﹁ ヨ ネ ヤ マ マ マ コ さ ん ﹂ の 番 弟 子 と
して長年師事し技を磨いており�今では�
北里桐朋会 発会記念会
北里桐朋会 会長 渋谷明隆 ( 期)
19
各地のホ�ルや施設を回り演技を披露し
27
をお迎えして発会
60
た�ご苦労様でした�
5
ています�人の誕生から亡くなる間での
人生をパントマイムで見事に表現し�年
期の入�たマジ�クシ��では杉本君を
ネタ元にして私達を大いに楽しませてく
れました�
予定の 時間半を大幅に超え�中締め
の ご 挨 拶 を 大 塩 先 生 に お 願 い し ま し た�
に金属を使�た造形芸術を中心に国立の
7
33
14
16
高宮さん
ギ�ラリ�や昭和記念公園緑の文化セン
1
D
赴任され�昨年退官されました�現在主
3
タ��都内数カ所のギ�ラリ�でお嬢様
パントマイムを演じる千賀さんと杉本さん
1
大塩先生は�僕たちが高校 年生の時に
2
40
21
第
回
ゴルフ大会
春のゴルフ大会成績表
順位
優 勝
準 優 勝
1
2
3
シニア優勝 4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
告知
氏名
真鍋 典夫
二子石信介
池田 哲夫
酒井 博
良原 海平
南條 幸紀
渡辺 真男
金山あきら
馬場 信明
下田 雅大
塩崎 国夫
渡辺 一訓
木津川迪洽
中本 隆久
中村 芳夫
滝 健
大西 一雄
丸山 和博
久木田 隆
平野 英夫
石井 光夫
太田 昌保
門下 和夫
浅野 利徳
今井 衛
島野 浩二
古川 晴海
横田 浩介
河西 吾郎
周防 光成
飯塚 博久
塚田 彰
竹沢 信雄
巣守 俊輔
期
9
26
34
21
26
21
20
10
27
26
26
27
19
20
15
17
26
20
26
13
13
13
31
26
30
20
20
15
26
17
26
27
20
15
グロス
94
81
87
82
74
83
82
86
104
85
77
77
83
89
93
92
91
90
88
94
98
104
97
84
84
96
108
95
92
91
97
109
102
94
平成 21 年(2009)5 月 5 日 東京バーディクラブにて
順位
氏名
期
グロス
ネット
35 森田 郁朗
20
94
77.2
36 岩崎 茂
19
105
77.4
37 河野 啓
13
104
77.6
38 和中 信男
15
104
77.6
39 齋藤 旦伸
20
110
77.6
40 関山 龍一
17
91
77.8
41 北村 育雄
21
91
77.8
42 田中 皖司
13
97
77.8
43 牛久保政宏
15
97
77.8
44 渡辺 邦祐
17
103
77.8
45 小池 満也
17
90
78.0
46 山本 克
17
96
78.0
47 関谷 巌
27
102
78.0
48 荻田 博司
9
95
78.2
49 熊井 直人
20
95
78.2
50 安西 敬夫
20
99
78.6
51 黒沢 純夫
31
98
78.8
52 橋本 宏
13
103
79.0
53 久志 実
26
103
79.0
54 斉藤 進一
26
109
79.0
55 阿部 秀道
26
113
79.4
56 園田 龍一
25
98
80.0
57 桜井 一
26
110
80.0
58 泉 好修
26
116
80.0
59 灘波 重徳
21
103
80.2
60 中村 勇
17
107
80.6
61 藤本 勲
15
104
81.2
62 岡 伸二
26
103
82.6
63 竹縄 秀夫
27
109
83.8
64
南口 誠直 26
121
85.0
65 細谷 充愛
13
105
85.8
66 田和 健次
26
123
87.0
67 飛岡 文人
13
108
87.6
68 藤田 曜久
31
128
92.0
ネット
70.0
70.2
70.2
71.2
71.6
72.2
72.4
72.8
72.8
73.0
73.4
73.4
73.4
73.4
73.8
74.0
74.2
74.4
74.8
74.8
75.2
75.2
75.4
75.6
75.6
75.6
75.6
75.8
76.4
76.6
76.6
76.6
76.8
77.2
囲碁大会
2010 年
第 19 回囲碁大会開催予定
■ 日 程:2 月 7 日 ( 日 )
■ 会 場:吉祥寺 秀哉
第 22 回年ゴルフ大会開催予定
■ 日 程:5 月 4 日 ( 火 ) みどりの日
■ コース:東京バーディクラブ
上記のように、囲碁大会、ゴルフ大会は例年通り
開催します。参加希望、または詳しいことをお知
りになりたい方は、同窓会事務局までお問い合わ
せ下さい。
同窓会事務局 Tel : 042-576-6162
Fax: 042-580-5152
Mail: [email protected]
17
18
第
平成 21 年(2009)2 月 1 日 於:秀哉
順位
氏名
期
段・級
鈴木信一郎
2 4 段
中村 齋
5 4 段
浜田 省三
5 2 級
山北 徹
5 初 段
中川 秀明
5 初 段
山縣 文雄
6 6 段
天正 明
6 6 段
中館 克俊
8 2 級
片田江恭輝
10 4 段
高崎 昇一
10 3 段
小俣 光夫
10 8 段
大貫 英隆
10 9 段
高村 靖夫
10 6 段
永井 清嗣
11 4 段
遠山 国彦
11 5 段
浜田 博
11 3 段
小島 浩
16 初 段
池上 顕一
18 初 段
2 位
梨羽 道夫
18 8 段(次回 9 段)
岡本 一彦
19 3 段
福嶋 常光
21 5 段
1優 勝
新藤 孝敏
26 5段(次回6段)
細谷 和宏
41 7 段
3 位
山根 敬弘
52 3 段
回
存の校舎は�古いものは 1963
②
③
④
算︶の概算
総事業費︵建築に関わるすべての予
本計画の策定
ら�今しばらくの間�継続して使用する
して十分な耐震強度を有していることか
耐震診断の結果においても学校の校舎と
工期等を含めたスケジ��ルの検討� ことといたしました�
今は�配棟計画︵どこにどのような建
物を建てるのか︶や施設規模︵どのよう
策定
設計者の選定方法についての検討と
な教室や施設をどれくらいつくるのか︶
などを中心とした基本計画の策定段階に
設計者の選定
し�今後の建築の進め方について協議を
三井不動産にアドバイザ�役をお願い
わ れ わ れ 教 職 員 が� 建 築 に 関 し て 素
人 で あ る こ と か ら�2007 年 度 か ら
高騰により�想定していた事業費が大幅
す�その一方で�数年前からの建築費の
施設の増設が希望されることになりま
とする教育展開を追い求めると�様々な
は悩まされることが多々あります�理想
あります�とりわけ�施設規模の検討に
重 ね て き ま し た� わ れ わ れ の 希 望 と し
などが行われてきました�
て�建築全般にかかわるマネ�ジメント
ア ド バ イ ス の も と�2008 年 に プ ロ
たいとい�たことがあり�三井不動産の
確に分けた形で�これらの業務を依頼し
以 下 PM 業 務 ︶ と 設 計・ 監 理 業 務 を 明
昨年の 月には�当時の同窓会長に新
校舎建築についての協力を依頼いたしま
工を目指しております�
事 業 費 を 確 保 し�2016 年 度 中 の 竣
な苦しい状況ではありますが�なんとか
ればならない現状にあります�このよう
に 確 認 し ま し た� そ の 後�2005・
2005 年 月 に は�2016 年 度
を目途に新校舎建築を行うことを正式
した�
すが�本校の場合には�敷地的にもゆと
近年の私立中高では�新校舎建築を期
に�郊外へ移転するケ�スが多いようで
の基本計画策定にあた�ております�
選 定 後 は�PM と 相 談 し な が ら� 現 在
計にお願いすることになりました�PM
い申し上げます�
ることになるかと思います�ご協力お願
の方々に様々な形でお力添えをお願いす
し�了承を頂いております�今後�OB
始めとする幹事の方々に�ご協力を依頼
棟︶の順に竣工いたしました�これらの
B
棟です�中
棟は�まだ
3 5
耐用年数が十分にあること�近年行�た
高体育館�小学校新館や高
館�管理棟�理科芸術棟の
える校舎は�高校棟�中学棟�小学校本
小・中高の校舎建築の概要�校地全
体の利用・配棟など新校舎建築の基
①
周 年 記 念 事 業 の 一 環 と し て� 会が設置され�
校舎建築を計画いたしました�
桐朋教育の一層の充実をはかるために新
り� 創 立
度に第二次・第三次マスタ�プラン委員
1
︵2016 年︶の時期にあたることもあ
その時期が�桐朋学園男子部創立
50
75
18
業務︵プロジ�クトマネ�ジメント業務� にオ�バ�し�施設規模を極力抑えなけ
ポ � ザ ル 方 式 に よ � て�PM 業 務 と 設
計・監理業務を依頼する会社を選定いた
校舎は 年間使用することを前提として
2006 年 度 に 第 一 次 マ ス タ � プ ラ ン
りがあることなどから�現在の敷地内に
しました�めずらしい形ではありますが� した�今年も同窓会長ならびに副会長を
建てられました�この数年の間に幾度と
委員会が発足し�新校舎建築に向けての
おける建て替えを選択しました�建て替
PM 業 務� 設 計 監 理 業 務 と も に 山 下 設
なく耐震補強工事を始めとした改修を
基本的な考え方や条件についての検討が
棟 ︶� 理 科 芸 術 棟︵ 特 別 管 理
行�て参りましたが�まもなく 年間の
な さ れ ま し た�2007 � 2009 年
別管理
周年
2002 年 度 頃 か ら� 理 事 を 中 心 と
し建て替え計画が具体化され�建て替え
4
に関わる様々な情報収集が行われてきま
マスタープラン委員会委員長 鈴木正義
年 か ら 1970 年 に か け て� 高
校舎建築に向けて
校棟�中学棟�小学校本館�管理棟︵特
新
役割を終えようとしています�ち�うど
A
50
75
200 9 年 主 な ク ラ ブ 活 動報告 (2009 年 11 月 11 日現在)
≪高校≫
水泳
関東大会(水球)
▶ ベスト 8
関東大会+インターハイ
▶ 1-E 野崎雄大 背泳
サッカー
都大会 2 回戦進出
▶ ベスト 32
体操
都夏季大会
▶ 2-E 高梨翔太 2 位(鞍馬 3 位 吊輪 2 位)
都種目別大会
▶ 2-G 太田邦彦 床優勝
▶ 2-E 安田崇人 跳馬 2 位
▶ 2-C 石川綜吾 鞍馬 3 位
陸上競技
関東大会 14 名出場
インターハイ
▶ 3-B 丸山弘樹 三段跳 6 位
▶ 3-B 飯島靖成 走幅跳 ▶ 2-G 佐伯祐樹 400m
▶ 2-A 和泉理久 三段跳
テニス
都私学個人大会
▶ 1-D 西村翼
▶ 2-D 齋藤克幸 組 ベスト 32
柔道
都大会出場
空手
都下男子組手有級の部
▶ 1-G 長岡高広 2 位
▶ 1-F 福田和也 ベスト 4
オリエンテーリング 全国大会
• 選手権団体クラス
▶ 2-A 太田晶久 ▶ 2-A 二見浩司
▶ 2-B 平木達也 2 位
• 併設団体クラス ▶ 1-A 伊藤陽介 ▶ 1-A 佐藤雄太郎 ▶ 3-2 澤口弘樹 2 位
囲碁
全国大会
▶ 3-D 島田豪
▶ 2-F 和田歩
▶ 2-A 齋藤蕗生 準優勝
将棋
関東高校リーグ戦 A 級個人賞
▶ 1-B 乙田泰志(4勝 1 敗)
ESS
都ユニオン主催ドラマフェスティバル ▶桐朋女子との合同チームで優勝
▶優良男優賞 2-F 添田樹紀 ≪中学≫
バレー
第 10 ブロック
陸上
秋季都大会
テニス
都大会出場
体操
夏季都大会
地学
モデルロケット定点着地競技
将棋
東日本大会
3 位
▶ 3 位 → 都大会出場
▶ 2-1 新川将弘 走高跳 2 位 1m65
▶ 2-1 塔下剛至 走幅跳 6 位 5m76
▶ 2-5 奥平拓海 棒高跳 6 位 2m90
▶ 2-1 中野秀俊 110mH 5 位 17 秒 30
▶中 2 八重樫 ・ 中野・塔下 ・ 片岡組 400m リレー 4 位
▶ 2-5 浦野夏輝 ▶ 2-5 篠崎太一組(地区大会ベスト 8)
▶団体総合 4 位
▶ 2-1 濱屋直志
▶ 2-3 小山敦史 ▶ 2-3 野口知哉
▶ 2-3 橋本和樹
▶全国 3 位 1-5 中込航
▶ 3-6 菊池和平 ▶ 3-6 竹林勇太
▶ 2-5 渡邉航平
19
三 本校入試結果
本年度の結果は上表の通りで�東北大・
京都大・横浜国立大・早稲田大・国公立�
セ
ンタ�試験の平均点が昨年度よりも
下が�たことや後期試験縮小の影響のた
状況になりつつある�
試問題の出題内容や難易度も�安定した
現役生による入試も二度目とな�た�入
浦工大などが志願者を増やした�
願者を減らし�青山学院大・中央大・芝
田大・慶應大などの難関私大がともに志
した結果と思われる�主な大学では早稲
安全志向になり�私大受験の機会を増や
試験の平均点が下が�たことで受験生が
入試を実施する私立大は増加を続け�現
注意が必要である�また�センタ�利用
然として続いていて�今後もその動向に
科目入試を行うなど科目数増の流れは依
にあたる�但し�一部の医学部で理科
多 く の 国 公 立 大 で は﹁ 教 科 科 目 ﹂
を課す入試形式が定着し�全体の約 割
期の生徒諸君は晴れやかな笑顔で卒
業してい�た�充実した高校生活を送�
約
現役生の合格体験率は約 %�進学率は
私立大医学部等�昨年度よりも数字が伸
め か� 国 公 立 大 の 出 願 者 数 は や や 減 少
%であ�た�
な ど が 伸 び 悩 み� 今 後 の 課 題 も 残 � た�
び�良く健闘した�一方で東大・一橋大
し︵後期で約 7000 人減︶�全体的に
安全志向の出願とな�た�一橋大で前年
てくれたのだと思う� 期以降の生徒諸
57
持していくものと思われる�
わ�たとはいえず�今後も高い人気を維
しているが�難易度そのものは大きく変
もやや減少した�三校とも志願者を減ら
縮小の影響とみられる�東京大・東工大
れは商学部を始めとする後期試験廃止・
受験機会はより限られたものとなるだろ
がり�理系で ・ 点上昇した�全国平
来年度も�今年度同様�国公立難関校
の前期試験への一本化の流れは変わらず� 均が文系・理系とも約 点下が�たこと
昨今の世相を反映してか減少に転じた�
ここ数年人気が高か�た経済・商学系は
を考えれば�全体としてよく健闘したと
の学部は前年並み�乃至はやや減少した� 684・
業で理解を深めておくことが肝要である�
りとした学習基盤を作り�高二までの授
ることは言うまでもない�まずはし�か
点 で� いたい�
君も�様々な事柄に真剣に取り組みなが
64
いえる�特に理系は昨年度よりセンタ�
点� 文 系 は 688・
63 44
3
7
5
う�そのような中で医師不足解消のため
・ %の大きな減少とな�たが�こ
8
の医学部定員の増加は朗報といえようか� 試験にうまく対応できた者が多か�たと
比
63
国公立大全体としては�一部の難関校
に全国から優秀な受験生が集まる傾向が
7
難関であることに変わりはないが�医学
文科省所轄外大学校
部志望の者には好機となるだろう�
歯学�薬学系が大きく減少した�その他
らも各自が志望する進路を実現してもら
7
大 学 入 試報告
(校報より転載)
二 センター試験
一方�私立大の出願者数は�一般入試・
センタ�利用入試共に僅かだが増加した� 本 年 度 の 志 願 者 数 は 万 3981 人
一 全国の動向
昨秋以来の未曾有の経済不況の中で志願
で�前年度より 596 人の増加とな�た�
本年度は新指導要領の 年目にあたり�
者の減少が予想されたものの�センタ�
新カリキ�ラムで全ての学習をしてきた
54
5
また�学部系統別に志願者数を見ると� 在�私立大全体の約 割に達する�
看 護・ 保 健 系� 農・ 水 産 学 系 が 増 加 し�
本校現役生︵ 期︶の平均点は� 教
科 科 目 型︵900 点 満 点 ︶ で 理 系 は
4
より強くなり�地方の大学との人気の二
4.
6
極化が顕著にな�てきている�
16
国 公 立 大 学
5
1
1
7
20
岩 手 医 科 大 学
埼 玉 医 科 大 学
青 山 学 院 大 学
学
習
院
大
学
北
里
大
学
杏
林
大
学
慶 應 義 塾 大 学
國
學
院
大
学
国 際 基 督 教 大 学
駒
澤
大
学
芝 浦 工 業 大 学
順
天
堂
大
学
上
智
大
学
昭
和
大
学
成
蹊
大
学
成
城
大
学
専
修
大
学
玉
川
大
学
中
央
大
学
東
海
大
学
東 京 医 科 大 学
東京慈恵会医科大学
東 京 農 業 大 学
東 京 薬 科 大 学
東 京 理 科 大 学
東
邦
大
学
東
洋
大
学
日
本
大
学
日 本 医 科 大 学
法
政
大
学
明
治
大
学
明 治 学 院 大 学
立
教
大
学
早
稲
田
大
学
金 沢 医 科 大 学
愛 知 医 科 大 学
同
志
社
大
学
立
命
館
大
学
そ の 他 の 私 立 大 学
私立大合計
(私立大医学部)
0
0
6
5
7
0
47
1
5
2
5
4
11
1
2
0
3
1
24
1
3
3
7
2
29
2
1
9
0
8
26
0
9
63
0
0
0
1
19
307
14
1
1
8
4
7
4
36
2
4
4
10
3
18
5
1
1
4
2
41
2
3
3
4
0
39
0
5
19
7
8
42
11
26
76
1
1
3
6
28
440
33
1
1
14
9
14
4
83
3
9
6
15
7
29
6
3
1
7
3
65
3
6
6
11
2
68
2
6
28
7
16
68
11
35
139
1
1
3
7
47
747
47
ポ�トしていきたい�
い�そんな桐朋生を我々教員も全力でサ
何事にもひたむきな桐朋生であ�てほし
階で身につけた生徒ほど志望が叶�てい
全体的には約 ・ %の得点率であ�た� ﹃ 日 々� 課 題 を 明 確 に し� 着 実 に 消 化
していく﹄こうい�た学習習慣を早い段
2
3
0
0
3
15
8
5
2
1
1
4
22
防 衛 医 科 大 学 校
防
衛
大
学
校
航 空 保 安 大 学 校
大学校合計
(国公立医学部合計)
20
期︶よりも文系で ・ 点下
2
5
1
6
2
2
3
2
5
22
5
1
8
10
6
16
12
1
1
2
7
3
2
1
2
1
1
8
3
138
3
昨年度︵
76
2
1
2
1
2
1
1
3
9
1
0
1
1
5
8
7
1
1
1
3
0
2
1
2
1
1
5
0
63
16
3
0
4
1
0
2
1
2
13
4
1
7
9
1
8
5
0
0
1
4
3
0
0
0
0
0
3
3
75
いえる�
62
学
学
学
学
学
学
学
学
学
学
学
学
学
学
学
学
学
学
学
学
学
学
学
学
学
学
京
学
計
北
海
道
大
弘
前
大
東
北
大
秋
田
大
山
形
大
筑
波
大
埼
玉
大
千
葉
大
東
京
大
東 京 外 国 語 大
東 京 学 芸 大
東 京 農 工 大
東 京 工 業 大
電 気 通 信 大
一
橋
大
横 浜 国 立 大
新
潟
大
福
井
大
信
州
大
京
都
大
大
阪
大
神
戸
大
島
根
大
九
州
大
長
崎
大
高 崎 経 済 大
首 都 大 学 東
横 浜 市 立 大
国 公 立 大 合
4 月 11 日現在
合格者数
現役
浪人
合計
大 学 名
私 立 大 学
20
2009
大学合格者数
688
2008
約 72
753
約 190
657
2009
約 72
629
約 190
522
入学試験の現状
約 190
桐朋学園
791
(校報より転載)
約 72
%︵ %︶です�神奈川県
2007
%︵ %︶�埼玉県 %︵ %︶�他
674
県
約 190
小 学校
825
が減少し�区部が増加しました�
約 72
府県・外国
2006
村野 英治
757
中 学校
約 190
後藤 恭子
と比べて減少率が大きくな�てしまいま
2004 年
今 年 度 の 高 校 入 試 で は�
度より一般入試と推薦入試の二つの入学
830
多摩地区︵府中�八王子︶の減少が目立
試験を実施してまいりましたが�推薦入
約 72
校
いう�例年通りの日程で行いました�
ちました�ある塾の方から�桐朋の良さ�
試を廃止し�学力試験を中心とした一般
2005
高
試験の内容は今回も教員全員で時間を
かけて検討しました�就学前の子どもた
魅力が十分に伝わ�ていないからではな
入試に一本化して実施いたしました�こ
695
今 年 度 の 応 募 者 数 は 522 名� 昨 年
比 135 名� % の 減 少 と な り� 他 校
ちが身につけている生活習慣や�経験し
いかと言われました�桐朋教育の魅力を
約 190
入試期間は 月 日から 日までの
日間�受験生はそのうち 日間の考査と
てきた活動などが自然に無理なく表現さ
多くの方にお伝えできるよう�これから
試験は例年通り国語�英語�数学の筆
記試験を中心に�面接と調査書を加えた
受験数が昨年と比べ減少しました�
%︵ %︶�埼玉 %︵ %︶�他
814
小島 智之
れ得るものを考えています�また�子ど
の変更に伴い�一般入試の募集人員を約
ると思います�
総合判定で選抜しました�今年の応募者
予定通りに終えることができました�問
奈川
府県 ・ %︵ %︶�海外 ・ %︵ %︶
約 72
した�地域別では�神奈川︵川崎�相模原︶�
もたちが課題に興味を持ち�楽しく取り
は広報活動にも力を入れていく必要があ
す�
入試当日は�直前のインフルエンザの
流行により�欠席者や体調不良を訴える
数 は�232 名� 当 日 の 欠 席 者 は
名から約 名に変更いたしました�
組める形にすることも大切にしていま
考査の最中は子どもたちを慣れない環
境の中でお預かりするので�怪我などの
受験生が増えるのではないかと心配しま
題作成に当たる姿勢や出題内容は例年通
国語�英語�数学とも思考力を要するバ
合格最低点は 300 点満中 160 点
で�昨年の 177 点より下がりました�
でした�地区別では�多摩地区�区部の
名
ないように問題作成の段階から考慮して
したが�欠席者は 名�保健室受験者は
調に終了しました�
り で す� 合 格 者 最 低 点 は 211 点� 得
%︵昨年 %︶�区部 %︵ %︶�神
合 格 者 の 地 区 別 分 布 は� 多 摩 地 区 が
しております�
ランスのとれた問題を出題できたと自負
小学校では児童の通学時間を 分以内
と定めています�通学による体力的およ
%︵ 昨 年 は 208 点�
点�理
なお�昨年度より�教科別の受験者平
均点を公表し始め�今年度は�国語 ・
%︶で�昨年度とほぼ同じでした�
・
・
この点についても教員全員で話し合いを
点�算数 ・ 点�社会 ・
・ 点でした�
です�
21
応募数
239
37
272
28
208
20
224
21
282
13
232
般
薦
般
薦
般
薦
般
薦
般
薦
募集数
約40
約10
約40
約10
約40
約10
約40
約10
約40
約10
約 5 0
応募数
3
7
2 15
重ねて決定しました�保護者の皆様がそ
科
合格者の地区別分布は多摩地区 %
︵ 昨 年 %︶� 区 部 %︵ %︶� 神 奈 川
0 15
5
15 66
1
65
57
の 趣 旨 を 理 解 さ れ た 上 で 出 願 く だ さ り�
入学後も協力してくださ�ていることに
感謝しています�
3
高校
中学校
25
1
50
点率
名と�例年並みでした�遅刻者はなく�
11
8
17
最近 6 ヶ年の応募状況
14
40
70
9
60
一
推
一
推
一
推
一
推
一
推
21
います�また�交通機関の乱れや悪天候
を毎年憂慮していますが� 日間とも順
22
1
2004
4
び精神的な負担を考慮し�学校生活にエ
4
募集数
5
ネ ル ギ � を 注 げ る よ う に す る た め で す�
50
応募数
2
11
2 12
0
5
44
11
57
65
4
募集数
年度
1
7
40
小学校
11
0
53
区分
8
2009
1 会議
総務部
事業部
名簿委員会
広報委員会
4 月 20 日
①代表総会
②理事会
4 月 15 日
10 月 23 日 21 年 1 月 30 日
2 月 26 日
3 月 7 日
③評議員会 10 月 23 日 21 年 1 月 30 日
3月 7日
2 慶弔 5件
1 学園への援助 ① 桐朋祭実行委員会への援助
② クラブ活動支援
陸
上
部 関東大会出場
ス キ ー 部 関東大会出場
テ ニ ス 部 全国大会出場
水
泳
部 全国大会、関東大会出場
卓
球
部 全国大会出場
音
楽
部 定期演奏会
将 棋 部 囲 碁 班 全国大会、関東大会出場
地
学
部 モデルロケット全国大会出場
コンピュータ部 全国大会出場
2 桐朋祭への参加 20 年 6 月 7 日(土)〜 9 日(月) ① 同窓会休憩室の設置
② ホームカミングデー 6 月 8 日(日)36 期〜 40 期 • 56 期〜 60 期 参加者 185 名(但し記帳した方のみ)
③ 餅つき大会
① 第 20 回大会 20 年 5 月 5 日 コース 東京バーディクラブ 参加者 64 名
3 ゴルフ大会
優勝 良原海平(26 期)シニアの部 優勝 厚東健彦(8 期)
4 囲碁大会(第 18 回) 21 年 2 月 1 日(日) 囲碁クラブ 秀哉 参加者 24 名 優勝 新藤孝敏(26 期)
5 新入会員歓迎会 21 年 3 月 7 日
6 同期会援助
期
日
場 所
期
日
場 所
2 期 20 年 12 月 9 日 新宿 日本海庄や
22 期 20 年 12 月 13 日 新宿 ハイアットリージェンシー東京
4 期 20 年 10 月 24 日 新宿 京王プラザホテル 30 期 20 年 6 月 8 日 ビストロルイード
9 期 20 年 10 月 1 日 新宿 三井クラブ
32 期 20 年 3 月 1 日 吉祥寺 第一ホテル
12 期 20 年 10 月 16 日 国立 せきやホール
42 期 20 年 10 月 25 日 桐朋学園食堂
会報 31 号に動向調査(訂正はがき、シール)を封入
ご連絡先不明者リストを封入
会報 31 号の発行 ホームページ改修の検討
平成 21(2009)年度事業計画案
総務部
事業部
名簿委員会
広報委員会
1 会議 ①代表総会 ②理事会 ③評議員会 評議員会予定(4 月下旬・7 月中旬・10 月中旬・1 月中旬・3 月 6 日)
1 学園への援助 ① 桐朋祭実行委員会への援助 ② クラブ活動支援
2 桐朋祭への参加 21 年 6 月 6 日(土)〜 8 日(月)
① 同窓会休憩室の設置
② ホームカミングデー 6 月 7 日(日)1 期〜 5 期 • 41 期〜 45 期 ③ 餅つき大会
3 ゴルフ大会 ① 第 21 回大会 21 年 5 月 5 日(こどもの日) 4 囲碁大会(第 19 回) 22 年 2 月 1 日(日)
5 新入会員歓迎会 22 年 3 月 6 日(土)
6 同期会援助
会員動向調査の整理
会報 32 号の発行 ホームページの改修
平成 20 年度 桐朋学園同窓会収支決算報告
(平成 20 年 4 月 1 日 至平成 21 年 3 月 31 日)
【収入の部】
項 目
20 年度予算 20 年度決算
(A)
入
会
金
会
費
60周年記念大会より返済
雑
収
入
当期収入合計①
前
期
繰
越
収 入 合 計 ②
【支出の部】
項 目
1,896,000
5,056,000
400,015
0
7,352,015
2,270,404
9,622,419
(B)
基 金 積 立 金
大 会 積 立 金
名 簿 積 立 金
小
計
事
業
部
総
務
部
会 報 発 行 費
会
議
費
I T・ 関 連 費
雑
費
名 簿 会 計 へ
予
備
費
当期支出合計③
当期収支差額①-③ △
次期繰越②-③
(平成 21 年 4 月 1 日 至平成 22 年 3 月 31 日)
【収入の部】
[単位:円]
比較
(B)
(A)-(B)
(A)
入
会
金
会
費
60周年記念大会より返済
雑
収
入
当 期 収 入 合 計
前
期
繰
越
収 入 合 計 ①
【支出の部】
[単位:円]
比較
基 金 積 立
大 会 積 立
名 簿 積 立
小
事
業
総
務
会 報 発 行
会
議
I T・ 関 連
雑
名 簿 管 理 会
予
備
当期支出合計
次期繰越①-
22
1,914,000
5,104,000
400,015
0
7,418,015
1,201,065
8,619,080
(B)
金
金
金
計
部
部
費
費
費
費
計
費
②
②
[単位:円]
比較
(A)-(B)
1,896,000
18,000
5,056,000
48,000
400,015
0
0
0
7,352,015
66,000
2,270,404 △ 1,069,339
9,622,419 △ 1,003,339
入会金 6,000 円× 319 人
会 費 16,000 円× 319 人
21 年度予算 20 年度予算
項 目
(A)-(B)
300,000
300,000
0
500,000
500,000
0
500,000
500,000
0
1,300,000
1,300,000
0
1,200,000
1,281,466
△ 81,466
1,800,000
1,569,388
230,612
2,000,000
1,890,035
109,965
400,000
468,921
△ 68,921
600,000
465,066
134,934
200,000
53,954
146,046
1,000,000
1,000,000
0
1,122,419
0
1,122,419
9,622,419
8,028,830
1,593,589
2,270,404 △ 1,069,339 △ 1,201,065
0
1,201,065 △ 1,201,065
21 年度予算 20 年度予算
項 目
1,896,000
0
5,056,000
0
0
400,015
7,491
△ 7,491
6,959,491
392,524
2,270,404
0
9,229,895
392,524
入会金 6,000 円× 316 人
会 費 16,000 円× 316 人
20 年度予算 20 年度決算
(A)
平成 21 年度 桐朋学園同窓会収支予算報告
[単位:円]
比較
(A)
(B)
(A)-(B)
300,000
500,000
500,000
1,300,000
1,300,000
2,400,000
2,000,000
600,000
200,000
200,000
500,000
119,080
8,619,080
0
300,000
0
500,000
0
500,000
0
1,300,000
0
1,200,000
100,000
1,800,000
600,000
2,000,000
0
400,000
200,000
600,000
△ 400,000
200,000
0
1,000,000
△ 500,000
1,122,419 △ 1,003,339
9,622,419 △ 1,003,339
0
0
事業・会計報告
平成 20(2008)年度事業報告
2010年度 桐朋学園同窓会役員
名誉会長
名誉顧問
〃
〃
顧 問
〃
〃
〃
〃
〃
参 与
〃
〃
桐朋学園男子部小中高校校長
片 岡 哲 郎
学校法人桐朋学園名誉理事長
千 葉 元校長・学校法人桐朋学園理事長
山 下 明
前校長・学校法人桐朋学園理事
小 柳 敏 志
阿 部 昭 三(1期 )0426-21-5589
大 田 和 明(1期 )03-3316-7575
来 住 野 和 也(8期 )042-551-1815
内 田 勇 夫(4期 )047-399-8040
畑 中 孝 晴(6期 )042-383-0762
並 木 敏 孝(14期)042-368-5155
尾 川 宏 之(2期 )0424-62-5003
大 場 俊 賢(15期)03-3361-3405
佐 藤 潔(11期)03-3793-9576
(就任順)
期
1
2
3
4
5
6
7
桐朋学園同窓会評 議 員
氏 名
電 話
村 田 雄 一 0 3 - 3 3 0 9 - 0 0 9 7
山 本 達 郎 0 3 - 3 3 3 3 - 6 2 9 4
大 谷 親 茂 0 3 - 3 4 1 6 - 5 7 6 8
山 口 良 二 0 4 2 - 3 8 3 - 9 4 1 4
貝 守 玄 三 0 4 2 - 5 7 5 - 2 0 6 3
多 嶋 晧 二 0 3 - 3 3 9 8 - 7 0 9 9
木 島 常 明 0 4 2 - 5 7 2 - 1 7 7 0
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
35
36
37
38
39
40
41
42
43
44
45
46
47
48
府 川 峰
大 野 徹
小 尾 欣
森 田 真
加 藤 裕
柴 山 村 越 政
矢 嶋 道
明 浦 克
杉 本 興
梅 田 常
岩 崎 加 藤 金 田 橋 本 良
浅 野 忠
田 中 小 俣 弘
吉 富 祐
比 留 間 伸
岩 井 秀
荒 木 和
四 宮 正
山 田 長 橋 秀
出 縄 栄
森 森 利
川 合 俊
安 井 昌
國 友 史
木 村 幹
丹 羽 史
大 野 孝
栗 原 裕
金 本 浩
山 本 武
大 森 琢
前 田 小 内 邦
倉 智
夫
也
一
生
二
功
雄
男
夫
治
和
茂
宏
洌
司
克
訓
幸
一
一
樹
博
憲
整
之
治
広
明
弘
之
郎
夫
泰
幸
幸
二
史
磨
仁
敬
巳
042-571-0576
042-536-6996
0422-22-5282
042-583-6298
042-323-3590
042-575-2779
042-381-4407
045-754-4610
0427-27-7028
042-365-4307
03-3391-7994
0422-55-5885
042-524-3710
0426-51-6426
048-462-2196
042-522-4926
03-3707-7113
042-332-5771
0422-33-0995
042-527-2328
042-397-2383
03-5994-0004
0422-21-3735
0422-41-6123
042-315-1539
03-3300-7478
042-571-2460
042-383-7244
042-361-8706
042-502-7433
03-3699-5889
03-3316-8214
042-575-5822
045-592-1556
042-523-6370
03-3774-5177
042-577-5316
0422-42-2407
03-3309-6090
03-5976-1808
49
50
51
52
53
54
55
56
57
58
59
60
61
62
63
野
羽
船
萩
田
田
伊
浅
細
鷲
村
里
大
小
小
村 生 真
橋 良
原 中 雅
巻 光
藤 憲
野 昌
田 知
澤 田 祥 太
村 英
塚 卓
森 谷 有
田 部 健
人
太
純
規
隆
児
孝
宏
圭
郎
章
弥
生
仁
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
桐朋学園同窓会学年幹事
枝 川 昇
尾 川 宏 之 0 4 2 4 - 6 2 - 5 0 0 3
長 屋 晃 0 4 2 2 - 5 5 - 2 7 6 7
近 藤 昇 0 4 2 - 3 3 8 - 9 8 8 2
熊 谷 一 昭 0 3 - 3 3 3 1 - 3 1 9 7
佐 々 木 孝 0 4 2 - 3 8 1 - 5 1 3 5
田 川 利 賢 0 4 2 2 - 4 4 - 7 9 8 7
前 田 義 寛 0 4 5 - 3 5 1 - 2 5 6 4
高 橋 晃 0 4 2 - 5 2 3 - 5 4 0 0
鈴 木 信 雄 0 4 5 - 9 0 2 - 1 9 1 6
中 村 治 0 4 2 4 - 8 5 - 1 5 0 1
内 藤 紘 0 4 2 2 - 4 2 - 5 8 6 1
山 下 弘 文 0 4 2 6 - 6 9 - 1 6 2 3
佐 藤 収 一 0 4 2 - 5 7 6 - 8 1 5 8
横 田 浩 介 0 3 - 3 4 8 3 - 8 0 5 4
平 塚 直 樹 0 3 - 3 3 0 1 - 4 1 6 3
小 池 満 也 0 4 2 - 5 4 1 - 0 3 5 0
伴 義 明 0 4 2 2 - 4 4 - 1 9 6 8
市 橋 邦 彦 0 3 - 3 3 8 0 - 8 5 2 6
松 本 淳 一 郎 03-3399-3329
柏 木 春 生 0 3 - 3 3 1 0 - 2 3 8 9
長 島 修 一 0 4 - 7 1 5 3 - 6 8 4 0
児 玉 俊 雄 0 4 2 - 5 2 5 - 5 2 6 3
岩 越 良 介 0 4 2 2 - 4 6 - 5 0 4 0
五 島 幸 生 0 4 2 4 - 8 6 - 3 5 3 5
長 岡 誠 0 4 2 4 - 9 3 - 1 8 8 3
鰺 坂 亮 0 4 2 - 5 7 3 - 5 4 5 2
雨 宮 健 0 4 2 - 5 0 2 - 8 7 7 7
黒 竹 光 弘 0 4 2 2 - 4 1 - 0 0 0 1
小 野 打 真 0 4 2 - 5 4 3 - 2 0 5 2
福 井 巌 0 4 2 - 5 7 2 - 7 8 8 6
小 林 昌 志 0 4 5 - 9 5 5 - 3 6 0 8
森 島 茂 雄 0 4 - 7 1 4 7 - 1 5 0 5
23
03-5397-3884
045-782-0595
03-3868-0038
0426-25-7120
0424-88-0844
042-583-4471
0426-63-6133
042-560-2190
042-576-2259
045-591-5500
048-886-1789
03-3425-1704
03-3309-1309
042-480-7850
会 長
副 会 長
〃
〃
理
事
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
監
事
〃
34
35
36
37
38
39
40
41
42
43
44
45
46
47
48
49
50
51
52
53
54
55
56
57
58
59
60
61
62
63
中 村 芳 夫(15期)
和 中 信 男(15期)
大 西 一 雄(26期)
関 谷 巌(27期)
河 合 弘 之(17期)
齋 藤 旦 伸(20期)
生 江 隆 之(20期)
濱 谷 秀 樹(30期)
中 村 元(31期)
小 坂 義 生(32期)
曽 根 真 人(33期)
原 口 大 助(39期)
淺谷 学(41期)
塙 貴士(48期)
浅 田 卓(19期)
鈴 木 政 之(事務長)
伊
中
深
坪
安
廣
中
安
堀
平
伊
八
寺
波
外
阿
三
津
磯
山
栗
法
武
内
坂
河
川
吉
河
元
藤 六
村 信
谷 敏
谷 藤 瀬 一
田 達 大
部 敏
井 秀
藤 暢
田 卓
沼 太
羅 山 尚
部 哲
宅 徹
田 健
邉 雷
内 雄
田 元 田 貴
田 啓
本 拓
井 健 之
村 洋
田 匠 太
野 洋
吉 晃 太
一
也
久
浩
孝
郎
勇
輔
男
明
厚
也
郎
仁
吾
也
朗
司
太
介
亮
隆
裕
太
郎
助
介
郎
人
郎
03-5481-2162
042-361-3136
0424-89-3331
03-3758-1343
03-3359-5178
042-535-1188
03-3300-3458
0463-33-1295
048-886-9231
0422-53-6971
0426-64-5339
042-301-0062
044-911-2240
03-5976-1808
042-324-6095
042-536-4916
0424-89-8662
042-366-8425
0298-76-3973
03-3570-9219
0422-23-1989
0463-36-8788
03-3994-5321
042-363-5310
03-3392-7098
042-543-2518
042-541-0003
0422-44-5020
042-374-1933
042-323-8644
0422-22-1510
03-3489-7487
044-988-9987
0426-76-1550
042-573-9340
042-337-4675
042-365-2674
090-8304-1412
042-324-8150
0489-64-6173
042-575-8019
03-3331-5482
042-527-5985
03-3815-7673
042-573-2856
042-362-7765
小林寿雄先生の近況
〜毎日数学の勉強を続ける〜
11 月の評議員会で、11 期の評議員・森田真生さん、学年幹事
先にお見舞いに上がったのですが、驚く
の中村治さんから、小林寿雄先生の近況報告をいただきました。
ほどのお元気で、逆にその元気をもらっ
先生は、来年には白寿となる 98 歳になられます。お歳から多
たほどだったと言います。さらに小林先
少、お体に不自由があり、秋には大事を取って入院もされました
生は、今も毎日数学の勉強を続けている
が、お元気に過ごしておられるとのことです。
とのこと。終生勉強をモットーにする先
先生は 1971 年に桐朋を退官されていますが、その後も卒業
生から、若いときに教えをいただけたことに、改めて感じ入り
生との交流を深く続けられており、先生自らが筆を執って、手
ます。
紙を教え子たちに送られることもあるそうです。
小林先生が健やかに白寿、そして紀寿を迎えられますことを、
今回も先生からのお手紙を森田さんが受け取り、早速、入院
卒業生一同、願っています。
「学ぶこと、未来へ 〜 いまを生きる中学生・高校生へ」
2 ヶ 月 に 1 回 の
評議員会
同窓会では、評議員会
小柳前校長の講話が本に
を2ヶ月に1度、学校の
小柳敏志前校長が、卒業式、始業式、終業式の折々に、生徒
食 堂 に て 50 名 以 上 の 出
たちに語ってこられた話しが、一冊のブックレットとなって、
席を得ながら開催してい
平和文化という出版社から発行されました。表題はこの記事
ます。同会では、業務の
のタイトルにあるとおりです。生徒た
進捗状況の報告や、同窓
ちに向けられた言葉ですが、学ぶ姿勢、
会として取り組むべき問
時代への視点、教育、社会とどう向き
題が出た場合に、その方向性などが検討されます。
合うのかなど、我々卒業生にも示唆に
たとえば、
「新校舎建築計画」について、学校側から進捗状
富んだ内容です。購読をご希望の方は、
況について報告をいただき、それを受けて同窓会としてどのよ
国立の増田書店、または出版社にお問
うな協力ができるのかといった意見交換が行われています。詳
い合わせ下さい。
細については、来年以降の会報で報告します。
■ 価格 600 円
また、当会報についても、もう少し早めに発行できないかと
■ 発行元 平和文化
いう指摘も、出ています。毎号、発行の遅れに関してはお詫び
■ 住所 〒 113-0033 東京都文京区本郷 2-23-3
申し上げているところですが、同窓会の会計報告、学校の入学
■ 電話 03-3812-8618 FAX 03-3812-7105
試験状況などの情報は、同窓生の皆様としては夏には知りたい
ことであります。改めて、来年以降の発行スケジュール管理に
勝浦先生逝去
ついて、整えていく所存です。
皆様からも、同窓会への要望、意見、検討してもらいたい課
去る 12 月 11 日、勝浦豊先生が逝去されました。享年 84 歳。
題などがありましたら、同期評議委員を通じて、お寄せいただ
勝浦先生は1953年から桐朋で奉職にあたられ、86 年に退
ければと思っております。
官されるまでの 33 年間にわたり、英語の授業を持たれていま
ご注 意!
した。その間、担任として 10 期、16 期、18 期、21 期、24 期、
日頃、同窓会とは全く関係のない業者が、職業別名簿等の各種案
内を行っています。当同窓会では代行業者に委託して動向調査や
名簿発行を行うことは一切ありません。十分にご注意ください。
不審の場合は必ず事務局にお問い合わせください。
校舎を建て直すという計画が発表され
た�いよいよ来たのか�というのが正直
な感想だ�耐震構造や百年住宅などの言
葉が最近�賑やかだが�今の桐朋の校舎
はいつまで持つのだろうかと思�ていた�
災害対応や教育環境の変化から�校舎と
して新しい受け皿が求められるのは仕方
がないことなのだろう�
開放感のあるレイアウト�ゆとりを感
じさせる中庭�誰もが気軽に入れる教員
室�今思うと�ずいぶんと斬新な設計だ�
たと思う�何よりも�6年間の思い出が
24
63
つま�た学舎が消えていくのは�寂しい
70
年にかけても�その前の木造校舎を知
(同窓会報は、再生紙を使用しています)
て掲載する予定です。)
限りだ�今の校舎が建てられた 年から
印刷所 (有)
キョーワ工芸
祈り申し上げます。(なお、先生への追悼文は来年度の会報に
る諸先輩方は同じような感慨を持たれた
発行人 桐朋学園同窓会
会長 中村 芳夫
に違いない�
〒186-0004
東京都国立市中 3-1-10
042-576-6162
042-580-5152
http://www.toho-dousoukai.jp
百年校舎になるのかどうかわからない
が�これからの新校舎には�建て直しな
T E L
F A X
WEB
どという寂しさは�できるだけ先延ばし
発行者 桐朋学園同窓会
にな�てもらいたいものである�
桐朋学園同窓会 会報 第32 号
27 期、34 期の卒業生を送り出しています。謹んでご冥福をお
編
集
後
記
Fly UP