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﹁万家訴訟﹂から﹃秋菊打官司﹄へ

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﹁万家訴訟﹂から﹃秋菊打官司﹄へ
-
衆を﹃秋菊の物語﹄の世界へ、ひきずりこんでしまう。
自分も、そばに翠俐がいるのに気づかない人びとと一緒
に、町を歩いているような気がしてくる。
映画﹃紅いコーリャン﹄でデビューしてから、﹃菊豆﹄、
﹃紅夢﹄と張芸謀︵チャンーイーモウ︶監督の手がけるす
べての作品でヒロインを演じてきた輦俐は、今や現代中
ターウォリア 泰俑﹄では、秦の始皇帝の宮廷に仕える
国映画界のスターであり、香港・中国合作の﹃テラコッ
-
阿頼耶 順 宏
﹁万家訴訟﹂から﹃秋菊打官司﹄へ
−中国映画﹃秋菊の物語﹄−
︼
本の現代女性という三人の美女を演じていた。その翠俐
娘と、一九三〇年代の中国映画女優、一九九〇年代の日
町の大通りは、行き交う人で大変な混雑である。子ど
るのである。
が、この映画では、薄ぎたない田舎女として登場して来
をさげたじいさんもいる。誰ひとりとして急ごうとする
﹃紅燈﹄の撮影が終ると、九一年八月に彼女は香港に
もを連れたおばさんや、自転車を押す若者、大きな荷物
者はいない。この人波の中では、どうしようもないのだ。
行く。香港の監督王晶︵ワンーチン︶による﹃上海灘賭
︵﹃夢から醒めて﹄︶でインテリ女性に扮した。香港でのこ
市のたつ日なのだろうか、田舎から出て来たらしい服装
頬被りのようにして首にまきつけ、赤と黒のチェックの
の二本の撮影が完了した十一月下旬には、あわただしく
聖﹄︵﹃上海バンドの大博徒﹄︶で双生児の姉妹を演じ、ま
綿入れの上着を着こんだ女が現れる。着膨れたこの女は、
陳西省にもどる。そこには香港と合作の映画﹃秋菊の物
の、きまじめな人びとの表情を、カメラは正面から撮り
あごを上げ気味にして近づいてくるIこれが常俐︵グ
語﹄を制作しようとする張芸謀が待っていたからである。
た台湾の張莫嘉︵チャンーアイチア︶監督の﹃夢醒9 分﹄
ンーリー︶なのだ。
﹃秋菊の物語﹄の中国での題名は﹃秋菊打官司﹄で、
つづける。と、その中から、緑色の毛糸のマフラーを、
映画は最初のこのタイトルーバックの場面からもう観
54
られている。中国のある農村に起こったこの物語の時代
訴
家
訟
﹂
︵
﹁
万
ワ家
ンの
訴
訟
﹂
︶
︵で
︱、
︶映画はこれらを改編して作
身の作家、陳源斌︵チェンーユアンピン︶の中編小説﹁万
自分も一緒になって夜の山道を秋菊をかついで町の病
見物に隣村まで出かけていた村人たちを呼びもどし、
旧暦の大晦日の夜、秋菊は陣痛で苦しむ。村長は祭
ことかわからない。
て判決した可否を問われているのだが、秋菊には何の
が、今までの張芸謀監督作品では初めての現代であるこ
院まで運ぶ。秋菊は無事に出産し、退院すると、村長
﹁秋菊、訴訟を起こす﹂の意味である。原作は安徽省出
とに注意すべきだが、ストーリーそのものは、あまり複
の家へお礼に行く。が、診断書によって傷害罪と判定
中国では、法制の整備が国の重要課題としてとり上げ
ばれる。あとを追って、茫然と立ちつくす秋菊⋮⋮⋮
された村長は、十五日の拘留となって、警察の車で運
雑なものではない。
村長が夫の万慶来︵ワンーチンライ︶の大事な所を
蹴って怪我をさせたのに腹を立てた秋菊︵チューヂュ
イ︶は、きちんと謝ってほしいと要求するが、強情な
られるようになってきている。国家の裁判機関としては
で出かけて不当を訴えるが、納得できる判決はもらえ
地面に札をまいて、拾えという。秋菊は県の公安局ま
けようとするだけだ。しかも村長は金を手渡しせず、
てよいという啓蒙活動が行なわれており、特に囚襲のつ
に対して、不満があればたとえ相手が党の幹部でも訴え
今まで、上部からのいうままになっていた中国の庶民
人という報告かおる。
えた秋菊は、まず郷︵県の下の行政区画︶に訴えたが、
村長はいうことを聞いてくれない。大きなお腹をかか
ず、さらに遠い市の公安局まで足を運ぶが、その結果
よく残っている農村でさえも、断固として﹁公民の権
七年末で三千四百三十五、要員は十九万五千四百六十九
は秋菊自身が予想もしなかった裁判にまで発展してし
利﹂を行使しようとする秋菊のような人物が出てくるよ
﹁人民法院﹂の組織かおり、全国の人民法院の数は、八
まう。被告は村長ではなく、秋菊に親切に手続きの方
うになったというわけである。
警官が調停にはいって、村長に金を払わせて力夕をつ
法を教えてくれた市の公安局の局長で、一審を支持し
-
55
一一
れて、臨月近い妊婦で、ぐずに近い性格の秋菊が誕生す
は変りばえがしないと、不満を表明したため、書き直さ
た。菊豆”に似ていて、時代が違うだけで、個性その他
い女性となっていて、輦俐はこういうタイプは前に演じ
あった。輦俐が初めてみた脚本では、秋菊は感情の激し
の物語﹄の第一稿を書きあげたのは、九一年十一月で
り、﹃菊豆﹄のシナリオも彼自身が手がけている。﹃秋菊
芸謀監督の﹃菊豆﹄の原作小説﹁伏義伏蔵﹂の作者であ
この映画の脚本を担当した劉恒︵リュー・ホン︶は張
現場まで車で出かけ、時期の設定が冬なので、大雪の降
施設︶におかれた。毎朝早くから、何手口も離れた撮影
われ、撮影本部は朧県招待所︵招待所は官公庁などの宿泊
撮影は主として映西省宝鶏市の朧県、鳳翔一帯で行な
笑ましい話もある。
婦生活の注意や、出産の知識を伝授してくれたという微
などとはまったく知らずに、この。妊婦”に、親切に妊
めくスターであり、映画のために大きなお腹をしている
したようで、ロケ地の純朴な人びとは、彼女が今をとき
たとも伝えられるが、張芸謀もこのことで細心の構想を
りしきる中での野外撮影もあった。しかも。張芸謀組”
ることになったのだという。
常俐が、いわゆる﹁スター﹂の意識をもたぬ女優であ
し、人物について討論するのが例で、輦俐はその上、内
は、夜おそく宿舎に帰ってからも、皆でシナリオを研究
外記者のインタビューを受けることもあって、睡眠時間
り、与えられた役柄の人物になりきるために、非常な努
力をすることはよく知られているが、今度の﹃秋菊の物
かったため、とうとう風邪で倒れた。しかし、彼女は一
は連日四、五時間、その上、招待所の暖房が十分でな
日も休もうとせず、発熱をおして、撮影がスケジュール
は、撮影開始前の約一か月を、ある農家に泊りこんで、
一緒に野菜を洗い、水を汲み、飯をたいて生活を体験し
どおり進むためにがんばり続けて、スタ″フを感動させ
語﹄でも、スタ。フと一緒に映西省農村にはいった輦俐
ている。この間、特に妊婦の動作の特徴や、日常の暮ら
た。
こうして完成した﹃秋菊の物語﹄ は、一九九二年の
たくましく、土のにおいを発散する北方農村の妊婦を、
どのようにして表現するかに苦心している。
ヴェネチャ映画祭に出品され、グランプリ金獅子賞と主
しの様子、さらにその心理状態までを観察して、素朴で
主人公を妊婦とするというのは、輦俐自身の発想だっ
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-
製作、中国電影合作製片公司の製作協力という形をとっ
港の銀都機構有限公司と北京電影学院青年電影製片廠の
で映画製作の陰路打開を図っているが、この映画も、香
待に応えた。近時、中国映画は国際的な合作という方法
芸謀監督は、またもやその受賞記録を加え、国内外の期
︵映画界の受賞専門家︶と呼ばれる中国映画界の奇才、張
演女優賞のダブル受賞となった。。電影界得奨専業戸”
のためじゃない。わしは村長だで、政府がわしの肩を
村長は笑って、﹁わしがあいつを殴ったのは、わし
答える。
と、何碧秋は﹁政府にお裁きをつけてもらうよ。﹂と
村長が﹁わしをどうしようというんかな?﹂という
があるんじゃないの?﹂
蹴ったんだ。これは命にかかわるよ。何とか言いかた
のはともかく、その上、あそこ ︵原文﹁下身﹂︶まで
﹁あんたは、うちの人を殴って、みぞおちを蹴った
こうして何碧秋は渡し場に急ぐのだが、噂はここまで
それも仕方ないというても、わしが訪ねていって聞いて
はせん。じゃが、命をとるとなると、これや話が違う。
-
ている。欧米各国でも公開され、パリでも多数の観客を
もたんで、これから誰がこの村の指図をするんじゃ
?﹂といい、﹁よかろう。郷へ行く道は知っとるじゃ
ろ。渡し場から、あと十里か二十里︵五牛口から十手
成した作品となるまでに、大きな改変が加えられている。
は答える。﹁村長は村の大将じゃから、大きな家と一緒
広まっており、なんて訴えるのかと船頭に聞かれて彼女
口︶行ったらよい。ご苦労さんなこっちゃて。﹂とい
張芸謀の映画づくりの本質に触れる問題でもあるので、
家訴訟﹂であるが、劉恒によるシナリオ執筆を経て、完
以下、この点について考察してみたい。
﹁万家訴訟﹂の女主人公の名は、秋菊ではなく何碧秋
も、あの人は謝ろうともせんのじゃ。﹂それを聞くと、
で、家の主人が家の者を殴ろうが、どなろうが、かまい
彼女は村長の家に行って、いう。
︵ホー・ピーチュー︶である。夫が村長に殴られたあと、
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-
動員したという。
-
この映画の原作は、前述のように、陳源斌の小説﹁万
-
あまりにも道理から外れているためであり、彼女の怒り
ここで、彼女が訴えようとするのは、村長の態度が、
いう。
船頭もうなずいて、﹁そいつは村長の方が悪いのう﹂と
このあとも、原作にはみられない多くの場面が重釣ら
断書をみせることになっているだけである。
りたあと、ひとりで郷政府をさがしあて、李公安員に診
オにはあるが、原作には、ない。原作では碧秋は舟をお
配そうに待っている秋菊−という場面なども、シナリ
出身地である安徽省の、ある農村ということになってい
は、村人たちからも共感を呼ぶものであったことがわか
るのを、遥か遠くの映西省の山村に移されていることで
が、原作では渡し場のあるこの村が、原作者、㈱源斌の
近い道を歩く三人の姿が現れることになっている。前を
ある。映西省は張芸謀監督にとっては深いなじみの土地
れていくのだが、特に大きな改変としては、物語の舞台
歩くのが腰まわりの太い二十数歳の女、秋菊で、妊娠六
であって、父親と二人の伯父が、国民党の黄坤軍官学校
る。
か月くらい。そのあとに続くのが二人の男で、背の高い
劉恒のシナリオでは、山の秋の情景の中から、山頂に
のが彼女の夫の万慶来で三十歳になっていない。背の低
している。夫はリヤカーに乗せられているが、やがて通
ぐずで鈍な娘の役を、それが地のままであるように好演
いるのも、若い男ではなく、夫の妹である田舎娘であり、
なり、町の大通りの場面となる。秋菊と夫に付き添って
ところが映画では、山道も渡し場もカットされ、いき
いるからだ。
い方が大きい方に肩を貸している。万慶来が怪我をして
製作所に呼んだのは、所長の呉天明︵ウー・ティエンミ
をかけ、映画﹃古井戸﹄製作の際に、陳西省の西安映画
北京電影学院を卒業して、広西映画製作所にいた彼に目
いたあと、紡績工場で運搬工として七年間働いている。
農村に。ド放”され、芸謀自身も陳西省の農村で三年働
は映西省南部に送られて羊飼いをし、医者だった母親は
ならなかったのだが、﹁文革﹂が始まると、芸謀の父親
革命”のレッテルをはられて三十数年を過ごさなければ
の卒業生であったため、父親は。歴史反革命” 。現行反
りに面した獣医の所にかつぎこまれる。木を割って薪ス
ン︶であり、カメラマンとしての彼に、主演男優の役を
いのが、彼のまたいとこになる十八、九歳の男で、小さ
トーブに入れていた獣医が、診察室で夫を見るのを、心
-
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-
知り尽くしており、しかもその村夫子然とした風貌から、
映西省の土地に長く住み、その土地の人びとの生活も
呉天明であった。
与えて、以後の張芸謀に栄光の道を開いてくれたのも、
という。冒頭の大通りの人ごみの中に輦俐が出てきても、
張芸謀と若いスタッフだちとの話し合いから決められた
い、全編を十六ミリカメラの撮影にするといった方針も、
街頭ロケーションでは、隠しカメラと隠しマイクを使
られている張芸謀が、ここに舞台を変えたことは、この
親切で人がよい。翌日には自転車で村まで来てくれて、
原作で碧秋が最初に訴えた郷の巡査︵李公安員︶も、
-
北京電影学院での同級生で同じく第五世代の映画監督と
ラの功績だったのである。
周囲の誰もが彼女を意識していない自然さも、隠しカメ
映画の成功の重大な要素となった。村人たちの会話の映
村長にかけあってくれ、医療費は村から出し、養生のた
げろ﹂といい、この銭はみな村のものだという。李公安
-
して活躍する陳凱歌︵チェンーカイゴ︶に 。秦人”︵秦は
西方言は、一般中国人にも苦手らしく、中国での公開
めの費用と、仕事を休んだための補助金は村長も半分も
現在の映西中部、甘粛東部あたりにあった国︶と紳名をつけ
フィルムには、普通話の字幕が付けられたらしいが、映
どがその上地の人びとであり、村長の母親役の老婆や、
員が、村長と一緒に酒を飲んだことがあるといっていた
つことになる。
村長の、下が双生児の四人の女の子もそうだという。秋
のを思い出して、二人がぐるになっているかもしれぬと
西省の風土とそこに生きる人びとの土のにおいが、この
菊の夫の父親役が、ロケ地の村の元村長というのも嬉し
考えた碧秋は、バスで県の公安局まで行く。告訴状が必
映画の大きな魅力となっていることは確かである。その
い。しかも、撮影前から現場にはいって違和感がなく
要と知って、道端の代書屋に三十五元で書いてもらうが、
の札を地面にばらまき、﹁一枚ひろうごとに一回頭を下
なっているために、秋菊が村長の家を訪ねるとき、は
これではだめで、弁護土に頼めといわれる。弁護士の所
碧秋が受取をもって村長の家に行くと、村長は三十元
しゃいで騒ぐ子供たちも全くカメラを意識せぬ自然のま
へ行くと、代理人を要請するかといわれて驚くが、告訴
ためにプロの俳優は少数にしぼられ、村人たちのほとん
まの動きをしている。
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とづけた、ということがわかる。
で事情を知らなかったため、たまたま出会った村長にこ
-
状を書いてもらうだけにしたところ、非常に安い値段で、
厳局長は不服があれば、法院に起訴すればよい、これ
-
その日は旅館に泊ることにするが、受付のじいさんに、
代書屋にだまされたことがわかる。
はあなたの権利だからと、司法局の弁護士を紹介してく
れる。この前のときと同じ呉弁護士だったが、﹁この法
﹁領収書が要るなら、一晩四元で、六元の領収書を出す
から、帰って清算すれば二元のもうけになる。領収書な
やがて裁判開廷の呼び出しが来る。旅館の主人から、
律は公布されたばかりなのに、すぐにやってみようとい
告訴状を提出しなおしてから何日か経って、届いた県
これは昨年公布された行政訴訟法の裁判で、一般人が役
うのは、大したものだ﹂とほめられて、碧秋はまごつく。
公安局の裁定書は、郷の判決と同様のもので、碧秋は納
ていたのだが、さすがは厳筒長だ、堂々と出廷して告訴
人を告訴するものだが、実際には行なわれないと思われ
ど現今の中国の世相がうかがえておもしろい。
得できない。市の公安局へ再審の申し立てができると
しなら、一泊三元でよい。﹂といわれて、驚くところな
知って、届けを済ませる。
に応じなさることになったIと聞かされた碧秋は、た
それから二か月、中院からの車が来て、再調査が行な
旅館の主人から、直接、市の公安局長を訪ねて、あい
われる。町でもう一度レントゲン写真をとった結果、肋
まげてしまう。ものものしい裁判の判決は、原案に誤り
がやってくる。県の裁定を支持するという内容だが、被
骨に損揚があることが発見される。町に退職した漢方医
さつした方がよいだろうといわれて、自宅をさがしあて、
告であるはずの村長から裁定書が届けられたことを聞く
がいて、肋骨の治療にかけては、何代にもわたって伝え
なしと認めるというものだった。碧秋は、上訴すること
と、碧秋は降りしきる雪の中を、市の公安局に向かう。
に決める。
市公安局の厳局長に調査を頼むと、裁定1 は李公安員が
られた方法で直す名医だということを聞いて、夫婦で半
一、二か月して、市公安局の再審裁定書を持って村長
受取り、自分で碧秋に届けようと思ったが、牛が盗まれ
月、旅館に泊って治療を受けると、肋骨をもとのように
市場で買った魚四匹を提げて届けたりする。
た事件のために、文書係に頼んだところ、文書係は新任
60
いだと、碧秋はまた頭にくるのだった。
長は伝えてなかったのか、といわれる。これも村長のせ
にというと、全郷村の幹部会で何回も注意したのに、村
いあわせた農業技術員に、教えられたとおりにやったの
かかったらしい、と言われてあわてて畑へ行ってみる。
の者が、あんたの畑の麦に黒い花が出ている。黒穂病に
は考えるのだが、どうしたらよいのかわからない。親戚
う。そんなことをしてもらうつもりじゃないのにと碧秋
察の車が来て、村長に手錠をかけて連れていった、とい
なる。家に帰ると、留守を頼んでいた親戚が、午前に賢
直してくれたばかりか、夫の胸のつかえもすっかりなく
胸を打たれるのだが、これも原作にはない場面である。
をなごませ、村の暮らしでの村人たちの心のつながりに、
を迎える村長一家の、暖かい応対の場面も、見る者の心
生まれた赤ん坊を見せに村長の家をたずねた秋菊夫婦
村長の拘留という非情な事実の衝撃も深まるのである。
気持も変わり、めでたく大団円というところになっての
無事に出産を済ませることができた秋菊の村長に対する
の持主であったことを際立たせ、村長の助けのおかげて、
かった村長が、実は村人たちのことを思うやさしい心情
のが道理ではないか、という訴えを聞き入れようとしな
うことにこだわり、秋菊の再三の願いトト謝ってくれる
市の公安局長を訪ねるのに、提げていくのは、映画で
は魚ではなくて、あまり喜ばれそうにない貝細工か何か
思われるのに、秋菊が陣痛に苦しんでいると聞いた村長
な盛り上がりもない退屈なものになった可能性もあると
いもので、映画としてはこれを入れていなければ、劇的
てみると、変えられている所は少なくないが、原作にな
原作のストーリーをたどってみて、シナリオと対照し
画を見ながら、静かにひたひたと押しよせてくる感動に、
間っぽい姿を、張芸謀はさりげなく描いてゆく。この映
直に、まともに生きている秋菊たちの、おおらかで人
うIというのも、おかしく、そして悲しい。至って正
タクを見つけて追いかけようとしてガラスを割ってしま
来たとき田舎者と見てわざと回り道をして金をとった輪
三
が、村人を呼び集め、たいまつの火を頼りに、町の病院
涙がこぼれそうになったとき、わたしは、これと同じ気
の額であり、それを持たせておいた夫の妹が、前に町に
まで運ぶ場面がある。これによって、強情で、面子を失
61−
のひとつに、侯孝賢との出会いによって得たものもある
がすがしい人間たちの営みを、みごとに映像化した要素
抑圧された暗い閉塞状況とは、がらりと変った明るくす
﹃菊豆﹄のどろどろとした愛欲と憎悪の世界、﹃紅夢﹄の
菊の物語﹄が、﹃紅いコーリャン﹄の荒々しい野性味や、
とを教えられたと語っている張芸謀であるが、この﹃秋
受けた侯孝賢から、映画づくりについて、さまざまなこ
のことを、ふと思った。﹃紅夢﹄でプロデューサーを引
持にさせる台湾の映画監督侯孝賢︵ホウーシアオシエン︶
がないのです﹂
ることはできません。わたしは、侯孝賢になれるわけ
⋮⋮︵中略︶⋮⋮我々の歩んできた道を完全に捨て去
ろなこだわり︶というものを捨てることはできません。
つことはできません。自分の使命感や、怒り︵いろい
﹁それに比べて私は、彼のような超越した立場に立
それにふさわしい作品を作っているI
面は静かで、のびのびとして、しかも包容力があるので、
孝賢は、まるで深い池にたたえた静かな水のように、表
だが、映画は結局、それを作る人間次第であって、侯
そんな感じがします。﹂
八十歳になる母親のことを思い出させます。侯孝賢は
﹁⋮⋮彼の映画は私に幼い頃のことを思い出させ。
る。
映画を見た時に、強烈なショックを受けた、と語ってい
そんなむずかしいことばかり言ってきたので、侯孝賢の
これまで、中華民族だとか、歴史だとか、文化だとか、
鈍感さまでがいとしい。李公安員が自分で菓子折りを
ぼんやりしていて気のきかない義妹の妹子︵メイツ︶の
らかんとした自然な行動は、実にほほえましいものだし、
秋菊に、思いつめたような執拗さは感じられず、あっけ
ぜだろうか。自分に納得のいかない限り、上訴を続ける
映画を見たあと、いいようもなく懐しく思われるのはな
それにしても、この映画に出てくるさまざまの人物が、
-
に違いない。
のびのびと自由に映画を作っています。彼の手にかか
買って、村長からだと秋菊の所に届けたが、ばれて突き
-
張芸謀自身も、台湾の焦雄屏︵チャオーシュンピン︶の
ると、誰でも皆平等になり、くだらないことにこだわ
返されるのも、人の良さからであり、安宿を経営する老
インタビューの際に、いわゆる第五世代の監督たちは、
らず、みんなひとつにとけあい、自然な関係になる、
62
かったので、秋菊の夫が﹁メンドリ﹂ということばを口
を建てようとしたのに、村長が規則をたてに許可しな
怒も、唐辛子を作っている秋菊夫婦が、畑の一部に納屋
じている。そもそも、この物語の発端となった村長の激
人も、秋菊に親切で、事の成行きをわがことのように案
げ、深めたといえよう。
げた張芸謀は、この作品でまた彼の映像芸術の世界を広
ものに肉付けし、豊かな寓意をもつ映画にまでまとめあ
の女の物語という、単純な原作を、軽い人間喜劇でない
で、道理を明らかにしてもらおうと、上訴を続ける農村
走ったのが、娘ばかり四人で息子のいない村長の劣等感
をひどく刺激したからとわかると、村長に同情したくも
いずれにせよ、夫に怪我をさせておきながら、謝ろう
の世界に、われわれを浸してしまうのである。
とどいた画面の構成で、息もっかせぬように流れる物語
の映画にかける情熱は、隅々にまでこまかく配慮の行き
に積んだ唐辛子の赤さに眼をうばわれたり、−張芸謀
せられたり、雪で白くなった道を、旅費を作るために車
らう耕転機の揺れのひどさで、妊婦のためにパラパラさ
凸凹の多い山道を、町へ出るのに秋菊が便乗させても
りだ。
担架で運んでくれる村人たちも、心根のやさしい人ばか
とをよく聞いてくれるし、村長に呼ばれて、夜の山道を
市の公安局長も、紹介された弁護士も、秋菊のいうこ
るのではないか。激情に駆られ、理性や知恵を軽視した
もいうべきもの、たとえば理性とか知恵というものかお
かに、われわれには先祖から受けついできた別の天性と
をがぶ飲みし、肉塊にくらいつくこと、激情と欲望のほ
るのかIというような、悪罵に類する感情論から、酒
らない。これでもこの監督に中国人らしさかおるといえ
てもめちゃくちゃに負かされ、あとには二人しか生き残
された女を高梁畑に引きずっていったり、日本軍と戦っ
ばらしい映画だとする意見に対して、一頭のラバと交換
きた時代の、あの生命力をとりもどそうと呼びかけるす
中華民族の精神を高らかにうたいあげ、祖母や祖父の生
中国ではこの映画をめぐって論争がくりひろげられた。
﹃紅いコーリャン﹄が国際的に高い評価を得たあと、
なる。
ともしない村長の態度に腹を立て、。裁判” というもの
-
63
-
四
というような批判まで、﹁紅いコーリャン現象﹂という
まりを無視してはばからぬ人物を描く必要かおるのか、
のに、どうして今また欲望のままに人を殺し、社会のき
ために、あの狂った十年を過ごすことになったばかりな
さを描き、。民”自身の多くの限界を表現している。﹂と
道程をくりひろげることになり、民が官を告発する難し
のことが逆に中国社会の、人治から法治に向かう困難な
殴ったことを秋菊が告発した経過を述べたものだが、そ
熱っぽくはないようだ。中国の代表的な映画雑誌﹃大衆
中国でのこの映画への関心は、外の世界でみるほど
画は、こうした論争をひきおこす可能性をもつものが多
電影﹄でも、九二年九月、十月号に、新しい映画紹介の
述べている。
い。彼らは、さまざまな形で、時には自虐的とも思える
張芸謀ら、中国のいわゆる第五世代監督たちの作る映
ほどの激しさで、現代中国の現実を、人びとの眼の前に
かに九三年四月号に楊国華の﹁秋菊、おまえにこの裁判
欄で、それぞれ半ページ分の紹介をしているだけで、ほ
ことばが生まれるほどに過熱した論争が続いた。
突き付ける。資金と検閲の両面からの締めつけに抵抗し
﹃菊豆﹄、﹃紅夢﹄も海外での高い評価に反発するように、
というものである。夫が被害者である以上、夫自身が告
はこの映画が観衆に誤った法律観念を与える恐れかおる、
をする権利はない﹂という一文を掲載しているが、これ
何の説明もないままに国内では上映禁止となっていた。
発すべきで、怪我のためできないのならば、秋菊は夫の
て、外国資本導入という方法によって張芸謀が監督した
︵国内上映の解禁は、九二年九月︶
代理人という身分であるべきだ。夫が村長との間のいざ
局が秋菊の申請を受理し、弁護士までがこの代理人の権
﹃秋菊の物語﹄の中国での公開は、上海では九二年十
利ももたぬ秋菊の委託を受け、区の裁判所が起訴を受理
て来るな﹂とまで言っている状況なのに、県や市の公安
画は、以前の誇張した構成や過度の感情表現を改め、俳
し、市の裁判所が上訴を受理するなど、誤りもはなはだ
こざが、続くことを喜ばず、﹁まだ行くのならもう帰っ
優を実際の場面にはいらせて、大量の実地での。隠し力
しい。裁判の際、裁判所が夫に出廷を通知せず、夫が姿
ることを﹃文匯報﹄は報道しており、﹁張芸謀のこの映
ごアで、魅力的な性格をもつ映西省北部の婦人の姿を
二月一日、市内二十四の映画館で同時上映という形をと
描き出した。映画の内容は非常に簡単で、村長が人を
64
ないのは、顔がっぶれるのを恐れるからだ。上部機関
﹁面子は重要なものだ。村長が弱味を見せようとし
いるのはおもしろい。
の宝光が、この映画を﹁特に。中国”的﹂なものと見て
しかし前述の﹃大衆電影﹄九月号の紹介記事で、筆者
論に終始している。
を見せないままなのも、法律違反である。−と、法律
表現、ここに作者のねらいがある。﹂
会の縦断面と横断面、中国文化と中国人の生活状態の
まな姿をJ浮世絵”のようにくり広げ、今日の中国社
﹁中国の都会や田舎のいろいろな面、人物のさまざ
というのである。結局この映画は。
な重い荷を背負っている。﹂
原動力となっている。女権主義の色彩かおり、伝統的
﹁その唐がらしのような性格が、ストーリー展開の
でない敏感さによって、戸県の農民画のような稚拙素朴
そして、日常の暮らしの中から、ユーモアの要素を機知
さによって、﹁使大俗達到了大雅﹂−鼻もちならない
が調停でなんとか糊塗しようとするのも、村長の顔を
からであり、秋菊が村長を告訴した主要な原因も、夫
俗っぽさを、非常に洗練されたスマートなものにした
立てるためだ。秋菊にしても、面子を考えてないわけ
の大事なところを蹴られたからであって、この裁判の
Iと賞賛している。
的にとらえ、本来厳粛な題材なのに、絶えず強烈な喜劇
事の起こりは、実は後継ぎのための考えなのである。
﹃秋菊の物語﹄の中国での反応はどうだったのか。上
ではないのである。⋮⋮村長が慶来を殴った主要な原
村長が秋菊親子の命を救ったことで、双方の和解は成
海﹃新民晩報﹄は次のように報道しているが、見出しは、
的効果を発揮している。民間の習俗に対してもなみなみ
立している。法律など余計なもののようにみえる。﹂
因は、自分を跡取りなし︵原文﹁断子絶孫﹂︶と罵った
また、登場人物がそれぞれ独特の性格を生き生きと表
﹁善良で穏やかだが、筋は通す、そして勇敢で、き
開後十日間の統計によれば、観客の入場者は三十五八I
上海の二十五︵﹃文瀧報﹄では二十四︶の映画館での公
官司﹄の入場者三十五パーセント﹂である。
﹁国際大賞を獲得しても大衆の反応はよくない ﹃秋菊打
つくて、強情﹂
現しており、とりわけ輦俐の演ずる秋菊は、
であって、
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三、方言や土語︵いなかことば︶の使用がこの映画
させる要素に欠けていること。
から、その奥にある深い内容を味わえず、観衆を興奮
この簡単なストーリーで、これといった山もない映画
二、この映画の水準が比較的高くて、一般の観衆は、
ないこと。
あり、都会の観衆は喜ばないし、農民自身も見だから
一、農村を題材とする映画それ自体に一定の限界が
いて、次のように分析しているのは注目される。
この報道で、中国の観衆の興味を呼ばなかった原因につ
セントにしか達せず、予想を大きく下回ったIという
うっむいてうどんをすすらせている。彼女が大写しにな
秋菊が若い嫁だとわかるのだが、監督はここでも彼女に
マフラーははずしており、二本のお下げもみえていて、
くしている。二回めに李公安員が、彼女の家に来たとき、
対面して話すときでさえ、緑のマフラーが顔の大半をか
彼女はいつも顔をマフラーでおおっており、李公安員と
からだ。映画の始めから、三回告訴をする長い過程でも、
う。彼は意図的に常俐を美しく見せないようにしている
という件については、張芸謀自身も困惑することであろ
﹁美しい常俐﹂を見たいと思った観衆を失望させた、
ている。
そして、とらえにくい映画マーケットのこうした状況
くの観衆を、ひどくがっかりさせたこと。
どころでなく、映画で美しい彼女を見たいと思った多
その他、スターの常俐が、この映画ではきれいな役
中で退場した。
て来たものの、﹁聞いてもわからない﹂といって、途
賛意を表明し、これこそ張芸謀がその芸術的構想の上で、
幕形象﹂︶を創り出そうとした張芸謀の試みに、全面的な
までに全くなかった新しい映像︵原文﹁蚕面出新”的銀
にして客を呼ぼうとするのでなく、むしろ、輦俐の、今
に点晴せず﹂という題で述べており、スターを売りもの
ことについては、﹃解放日報﹄に湯帽という人が﹁画竜
つときの、後悔と中訳なさの表情だけなのである。この
るのは最後の場面の、警察の車を追いかけて坂の上に立
に対して、たとえ名監督、有名俳優の名画であっても、
常にみせるなみすぐれた聡明さなのだといっている。
の観賞にかなり影響した。多くの観衆が名前にひかれ
観衆はやはりそれぞれ独自の選択をするのだから、多く
の観衆を満足させる映画の上映を考えるべきだ、と述べ
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bb
-
今まで第五世代の者は、具体的な人物の描写からス
タートすることを軽視してきました。原作には、中国
うになっている。映画界でも、合作や、関係者の協力関
湾でも従来の中国敵視政策を変えた柔軟な対応をするよ
で﹁歓迎台湾同胞﹂の文字を見ることも多いのだが、台
近来、台湾からの﹁祖国﹂訪問を歓迎し、駅やホテル
と答えている。また、劉恒のシナリオで、人物が原作
の基本的な角度から芸術を見たいのです。
したが、わたしは芸術を政治から引きはなして、人間
中国映画は長年の間、政治のメガホンの役をしてきま
人はみな善人なのに、よい結果が生まれてきません。
社会の強烈な野放図さ︵原文﹁荒唐感﹂︶が現れていて、
係が進んでいるが、﹃秋菊打官司﹄についても、台湾で
とは変えてあることについて、
それに、真実性を求めるために、われわれは農村に近
添いに不便だというので、劉恒が女に変えたのです。
そうなりました。秋菊がお腹が大きいので、男では付
初めはそうではなかったのですが、製作の要求から
の報道は、本土を上回るのではないかと思われるほど
だった。
台湾の新聞﹃中央日報﹄は、いち早く、九二年九月二
十六日から、﹁副刊﹂の紙面に劉恒の﹃秋菊打官司﹄の
シナリオ全部を、連載しはじめた。また台湾の映画雑誌
決めました。また慶来の母親を、父親に変えたのは、
づきたいと思ったので、輦俐のそばには正真正銘︵原
たまたま村でみた老人が顔も慶来役の俳優と似ていた
文﹁貨真價実﹂︶の農民がいるようにし、常俐をそちら
事で、その中から、いくつかを抜き出してみたい。
し、おむしろい人で、ぴったりだと思ったからです。
﹃影響﹄も九二年九月号に中国映画を特集し、張芸謀と
この映画が、十六ミリの隠しカメラでの撮影で、ド
という。シナリオの中の秋菊は、歯切よくものをいう女
に引っぱりこんで、同じように見えるようにしようと
キュメンタリー・タッチの強いものとなっており、従来
している。それはすべて張芸謀に対するインタビュー記
の映画の作風とはずいぶん変わったものになっているが、
なのに、輦俐はどちらかというと、無口で口べたのよう
﹃秋菊打官司﹄についても八ページにわたる記事を掲載
という問いかけに、張芸謀は、
-
67
-
五
ない。われわれは彼女を﹁三句半﹂︵三言半︶と呼びま
の演技の支点をとらえさせました。誰の前でもあわて
えたのは﹁慢﹂の一字だけです。この﹁慢﹂が、彼女
なり、話も休み休みにやるのです。わたしが輦俐に教
のろのろとした歩き方になるだけでなく、呼吸も短く
に七年いて、そこは女の巣ですが、女性は妊娠すると、
大かたは口べたなんです。それに、わたしは紡績工場
は、故郷の農村の女性をわたしはよく知っているが、
原作は南方の農民だから違うのだけれども、一つに
に演じているのは、どうしてか、という質問には
いる。
という質問に対しては、次のように、きっぱりと答えて
要求や、個人主義の意識の拾頭と関係があると思うか﹂
乏するが、こうした自我の目覚めは、現今の経済改革の
と述べ、﹁社会主義のもとでは、大衆に自我の意識が欠
から出発しないからだ。
為を判断するが、それはすべて最も基本となる人間性
われわれ中国人はよく、他人の価値判断で自分の行
と答えている。さらに張芸謀は、
男性よりも天分があります。
こんで、発音もうまくまねました。女性はことばには、
です。変らないことで、あらゆる変化に対応するのが、
に成り立ちます。﹃秋菊の物語﹄で、やりたかったの
術作品はすべて﹁人の心は死なない﹂ということの上
彼女はわれわれよりも一か月おそくやって来ました。
示されている。彼の﹁中国﹂という巨象への体当たりは、
ここには張芸謀の﹃秋菊の物語﹄製作の意図が明確に
-
した。いつもしゃべるのは、﹁何とか言いかたがある
中国婦人の大変なねばり強さです。
も、さらに多くの個性を、と提唱することで、ほかの
あります。人の心は死にません。実際、あらゆる芸
常俐が、その格好から、しゃべり方、動作まで、映西
人がみな、もうそれでよいといっても、秋菊だけは、
でしょう﹂﹁大事なところを蹴るなんて!﹂だけなの
の農民そっくりに見事に演じているのは、とたずねられ
香港の華やかな世界からもどったばかりで、農民の暮
どうしてもそれではすませないのです。
らしの中に、とけこめないのではないかとみんな心配
の強靭な精神力に期待を寄せる人は多いのである。
今後も続けられていくことであろう。﹁秦人﹂らしい彼
て、
していたのですが、彼女は帰るなり、すぐ中にはいり
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軍官学校。のち中央軍事政治学校、国民革命軍軍官学
︵5︶ 一九二四年、孫文により創立、原名は中国国民党陸軍
-
二九九二・六・二八︶
官学校﹂が通称となった。北伐の際には総司令蒋介石
校と改名されたが、広州黄墟にあったため、﹁黄坤軍
︹注︺
躍するなど、多くの人材を養成した。
のもとに国民革命軍第一軍を編成、基幹部隊として活
に発表された。のち﹃小説月報﹄︵九一年第八期︶に
︵I︶ 陳源斌﹁万家訴訟﹂は﹃中国作家﹄︵九一年第三期︶
屏によるインタビュー︵戸張東夫︶を転載した試写会
︵6︶ 台湾︿電影・中国名作選12 秋菊打官司﹀所載 焦雄
パンフレット﹁秋菊の物語 秋菊打官司﹂︵株式会社
転載、﹃一九九一年中編小説選 第二輯﹄︵人民文学出
フランス映画社︶による。
版社、九二年十月刊︶にも収められている。陳源斌は
一九五五年生れ、中国作家協会会員で現在、安徽文聯
二年九月号︶
︵12︶ ﹁中国導演﹃後五代﹄的変局﹂︵電影雑誌﹃影響﹄、九
二年十二月八日︶
︵H︶ 湯媚﹁画竜不点晴−談常俐演秋菊﹂︵﹃解放日報﹄九
成半﹂︵﹃新民晩報﹄九二年乍二月二十一日︶
︵10︶ ﹁雖獲国際大奨 観衆反応欠佳 ︽秋菊打官司︾上座三
年四月号︶
︵9︶ 楊国華﹁秋菊・称無権打這個官司﹂︵﹃大衆電影﹄九三
日︶
︵8︶ ﹁下月影壇精彩紛呈﹂︵﹃文艇報﹄九二年十一月二十九
参照。
科年報第4号﹄、八九年十一月刊︶十三、十四ページ
︵7︶ 阿頼耶順宏﹁張芸謀−人と作品−﹂︵﹃東洋文化学
で仕事をしている。著書に﹃美的飢餓者﹄等がある。
︵2︶ ﹃中国総覧 一九九二年版﹄︵霞山会、九二年七月刊︶
の﹁司法・検察・公安﹂︵岡田昭︶の項︵三九ページ︶
の八八年四月二日に行われた第七期全国人民代表大会
第一回会議での最高人民法院活動報告。
︵3︶ 劉恒は本名、劉冠軍。一九五四年の北京生まれ。外語
学院附属小学校、中学校に学んだが、六六年、﹁文革﹂
で父母の故郷の北京西部の山間地帯に行く。六九年、
海軍の部隊で無線兵をし、七五年退役後は北京自動車
工場機械組立工員となり、七七年に処女作﹁小石磨﹂
を発表。七九年から北京市文聯の﹃北京文学﹄編集部
に移り、﹁狗日的糧食﹂、﹁伏截伏堰﹂、﹁黒的雪﹂など
の作品を発表、映画シナリオも書き、全国や国際的な
賞をとった映画もある。
九二年十一月刊︶によった。こIの本は台湾万盛出版有
︵4︶ 常俐については、王戈﹃細説常俐﹄︵江蘇文芸出版社、
限公司、九二年八月刊の同書によって刊行されたもの。
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