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昨日のアズナヴール

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昨日のアズナヴール
10
2015
石 鎚 山
須賀忠男
呼称 いしづちさん
標高 1,932 m
石鎚の登山の土産肉桂水
筒井圭子朗
石鎚の風来て乾く掛大根
宮尾直美
石鎚山の峰より晴るる秋祭
啓蟄の石鎚山なほも雲の中
霧雨に挑む鎖場石鎚山 蜩や役小角に石の下駄 梅雨茸役小角の吐息とも
空海の山の梵字の涼しかり
山本浪子
石本秋翠
藤井久仁子
浅 川 正
北村淳子
岩 木 茂
十 月
茄子の鉢
父明治母は大正われは春
東京
佐 藤 喜 孝
夕刊に時閒空けをく茄子の鉢
夏銀河混聲四部はひろごれり
けふ見たるくらげいまごろ靑銀河
迯げるこゑ逐ふこゑ風の芒原
葦原に喊聲あがる人を容れ
こゑにせずわたしも呼べり魂迎
家の階段の下が物置になってゐる。
容れて以来数十年そのままのものもあ
る。先日探しものの序でにどんなもの
が入ってゐるのかみてみた。全く記憶
にないわたしの句控がひとまとめに
なって黴てゐた。ちょっと覗いたら知
らないわたしがゐた。そのまま捨てる
のも不憫なので供養してあげたいもの
だ。他にも黴びて捨てざるを得ないも
のもあったが、置場所によっては保存
時の侭のやうなものもあった。まるで
タイムカプセルを開けた気分だ。半分
ほどで又元に戻したので奥の方は何を
仕舞ひこんだのであらうか不明の侭で
ある。
高島茂に『草の花』といふ文庫版の
句集がある。『軍鷄』以降の句集に漏
れた初期の作品である。タイムカプセ
ルから出てきたわたしの句控のなかか
らこの様に遺したくなる句があるのだ
らうか………
5
道
埼玉
竹 内 弘 子
あしびきの不二につづけり青田道
あぢさゐの白が目じるし書道塾
葉桜の径あとになり先になり
郵便夫ルーランが来る麦穂道
誰も持つ片道きっぷ天の川
紫陽花の角を曲って夫の帰路
道ならぬ恋にかも似し凌霄花
6
風 の 音
父の村唐黍畑の風の音
東京
田 中 藤 穂
父の忍母の慈玉音放送きく
空蝉は風毀るるまで祷る
蝉の声日々のニュースが酷すぎて
盆提灯仕舞ひて部屋の広くなる
裏道のおしろい花も種となる
人の名をするする忘れ鳳仙花
今年の夏は夜中まで気温の下らな
い日が何日も続き異常だった。
アメリカでは数箇所で山火事が発
生し鎮火の気配もない。
中国は薬品の貯蔵庫で爆発があり
流れ出した毒物が大河へ流れこんだ
らしく、川の魚が大量に死んで川べ
りに打ち上げられた光景がニュース
で報じられた。ロシヤも異常気象だ
そうだ。日本では熱中症で亡くなっ
た人は殆ど高齢者で、この暑さの中
を高校野球の熱戦も滞りなく行われ
観客も満員、また各地の祭なども賑
やかに開催されそのエネルギーには
つくづく感心する。暑さはなかなか
衰えないが昨日今日は夜風がようや
く涼しくなって、虫の音も夜毎に繁
くなってきた。秋ももうすぐ近くま
二千十五・八・二三記
で来ているようだ。
7
極
暑
北窓に盛上り立つ雲の峰
朝より眩暈の日差黒揚羽
瑞瑞し草に親しむ黒揚羽
三重
長 崎 桂 子
今日も又日の出でてより極暑なり
大いなる蒸器に居る如き極暑
熱気まだ覚遣らぬ夏の望月
片陰を選び選びて役こなす
今まで体験した事もなかったと思
う猛暑。七月中旬からの過激な気候
に慣れるのに新聞や雑誌の記事を読
む、ラジオを聞く、テレビを見て此
等を参考にして、いろいろ実行しな
がらの毎日は大変大変で、挫けそう
になりました。更に八月に入っても
朝早くから暑くて、気温はせめて一
度だけでもと思いますが下がりませ
ん、空恐ろしい気持ちになったりも
しました。雨はもう十六日間も降っ
ておりません。そして立秋です。
すっかり暑さに完敗し、だらけ
てごろごろとした日暮しです。なん
とか前向きにならなくてはと思いつ
つ、今はひたすら例年のような残暑
になって下さいと祈って居ります。
8
浜 日 傘
森
理 和
東京
急雨来る大きな飛蝗部屋の中
浜日傘並ぶ賑はひガラス越し
染まらない青白緑夏模様
伸び過ぎの若竹一本頼りなげ
白木槿花弁雌蕊雄蕊白
浜木綿の花咲く駅に家族連れ
合歓の花僅かに揺れて葉を開く
9
☆
東京
吉成美代子
アカンサス物置の戸は開いてゐる
階段は暗きところに夏館
木下闇ベンチのわきに箸袋
廃屋の蔦屋根よりも茂るかな
白砂に喚声あがる西瓜割り
回廊に静かな時間風涼し
かたことの日本語交る夜店かな
10
☆
秋初め喜び事の二つあり
高架下家庭菜園秋旱
東京
赤 座 典 子
心なしか息も絶え絶え法師蝉
西武球場 四句
鰯雲家族揃ひの背番号
少子化の世とも思へず衣被
枝豆や山場ありしが負戦
夜半の秋首位と三位の違ひかな
「 あ を 」 の 句 会 で 題 詠 の 提 案 が
あり「橋三十句」とのことであった。
初めてなので 広辞苑の逆引きを引
いてみたりしたが、三十句はとても
無理に思われた。
なにしろ猛暑の時で、何も考えら
れず十句から全然増えなかった。
〆切近くの下旬に一気に涼しくな
り突然に橋の名前が思い出された。
句はうまく出来なかったが、須賀
敦 子 さ ん の 本 で 知 っ た ベ ニ ス の
ザッテレ河岸の夕焼けは本当に素晴
らしかった。
茜色ではない薄紫色が空をいつま
でも染めていた。つきあってくれた
夫に「もういいだろう」と言われる
まで 桟橋に座り込んでいた。彩雲
のような あの色は折にふれ思い出
す。
この橋が浮かぶと 次々に訪れた
橋を思い出し 三十句作ることが出
来た。
作 っ て い た だ い た 冊 子 は 私 に
とって記念のアルバムです。
有難うございました。
11
盂蘭盆会
秋 川
泉
埼玉
生御魂まづはお毒味にぎやかに
施餓鬼会の僧の衣に汗にじみ
ミソハギのはらはらと散る墓参り
日暮れまで迎火焚くを待ちきれず
父母乗せて傾きみゆる茄子の馬
送り火の消えて余韻の香を焚く
法話済み人帰りゆく盆の月
昔、不思議な出来事があった。私
の 生 ま れ た 村 は、 そ の 昔「 鎌 倉 郡 」
その後「横浜市」になった。まるで
物語の「ごんぎつね」にある様な村
であった。初春頃、村の中学の校長
が病んでいるとの話があった。私の
家 は 山 寺 で、 そ の 日 家 族 が 昼 食 を
とっていた。と、その時、本堂の建
物に何かがぶつかる「ドン」と云う
にぶい大きな物音がした。住職の父
は「今何時か覚えておきなさい」と
云った。暫くすると二人連れの男性
が来院した。村では人が亡くなると
必ず菩提寺に二人連れで行く事が慣
わしになっていた。話によると校長
の亡くなった時間は本堂に物がぶつ
かる「ドン」と云う音がした時間で
あった。父は「あの時、魂が菩提寺
に戻って来た。その音なのだ」と云っ
た。魂が真実あると感じた不思議な
出来事であった。
12
☆
山梨
井 上 石 動
川音におゐど涼しき料理かな
13
どんと花火ベランダの夏盛りなり
麦茶ひと息よくぞ日本に生まれたる
釣師龍太首手ぬぐひに山女釣り
何日君再来とろろあふひは開けども
忍冬を飾らう妻のバースデイ
木の股に止められ蝮諦めた
只今、シャンソン勉強中
勉強と言っても、歌詩中心。なるべ
くゆっくり歌ってくれ、難しい詩でな
いものを。ご存知シャルル・トレネは、
良き仏蘭西、良き市民の代表。 年代
中頃、TBSドラマの主題歌となった
「♪私の孤独」のムスタキは、異邦人
の代表。この中にアズナブールも含ま
れるか。
今、肩入れ中が、ジョルジュ・ブラッ
サンス。まあ、歌詞の内容がけたたま
しい。一筋縄では括れない(?)存在。
過日、アズナブールの「ラ・ボエー
ム」を、他人様の直訳で勉強。そして
美輪明宏・加藤登紀子・なかにし礼な
どの訳詞と較べてみた。原詩の「乾い
た」内容が、甘ったるい日本的情緒に
変貌していた。
訳詞で見事なのが、金子由香利の「再
会 」。 立 派 な 発 音 な ら、 加 藤 登 紀 子・
美輪明宏そして岸洋子。
原曲をイヤホーンで聴きながら、ボ
ソボソ・トツトツ、小声で歌ってもみ
るが、
「 あ あ、 発 音 も 音 程 も、 ど う し よ う
もねえ」と、いつも・・・。
70
ひるがへる
埼玉
大日向幸江
熱帯魚ひるがへる時世紀末
共演す古いギターーと蜩と
あやかしの潜んでいそを曼珠沙華
故里は何処かと尋ね吾亦紅
古着屋に風の遊びし青薄
北向観音お布施で食す栗ご飯
古女房声も出さずに油虫
今年程、先の読めない年は無い。
長い冬突然の桜開花、信じられない
程の暑かった夏、夏休みの終わらな
い内にすっかりと秋模様、残された
のは、泣き足りない蝉と蚊そして油
虫だ。
「コンチキショー」誰にぶつけれ
ば良いのヨー。だから油虫を見ると、
スリッパを投げ、ストレス解消だ。
14
☆
東京
斉 藤 裕 子
見通せぬあのビル憎し大花火
見通せる空を求めて大花火
街角にあがる喚声大花火
笊かぶせ湯気立ち上る玉蜀黍
膨よかに葯裏返る百合の花
ゆらゆらと蕊粉零すや百合の花
かけっこはあの子花形青蜜柑
15
☆
さま
万緑は速足忍び足様に
東京
佐 藤 恭 子
夜あがりのあぢさゐ珠をもちしまま
戯るる猫の両の手夏柳
うつ そみ
現人の世の腸は四葩いろ
歩成りてあばれ兆すや終戦日
線香花火闇がながいぞ百日紅
空よりも青青とます濃紫陽花
吾が家にまたしても野良猫ちゃん
が来るようになった。吾が家の中に
は一匹居るのだが、大怪我から外に
出していない。もう一匹は前の家の
縁の下で生まれた?猫、この猫は絶
対家の中には入らないが、餌の時間
近くになると、にゃーという声が聞
こえる。この二匹はもう十年以上に
なる。そして何が気になったのか、
もう一匹来るようになった。この猫
はうるさい程鳴く。あまり鳴きすぎ
るので我が家では不評、私は皆んな
が嫌がって追い払われた猫がすぐ来
るのを見て気持ちを察して、わから
ないように餌をあげてしまう。人間
の勝手で野良になってしまったのに
ね。人間に置き換えてふと思ったり
もする。
16
☆
東京
篠 田 純 子
仰向けの落蟬にある虫の息
生身魂の歳にうっかりなりにけり
つくつくし老蟬といふ節まはし
怪談に泣き出す男子林間学校
頭を撫でられ銀座デビューや夜の秋
涙ともお辞儀とも見ゆ終花火
二リットル入りペットボトル枕に三尺寝
八月四日は、我が家恒例となった
銀座ライオンビアホールに家族で出
掛けた。娘も孫二人を連れ六名で乾
杯!サンバのリズムとホイッスルが
なって踊り子さん登場。孫二人はお
姐さん達に絡まれニタニタ。踊り足
りないと言うことで、銀座ケントス
へ。途中でお客様お出迎えらしきク
ラブのママさんに「アラ、銀座デ
ビュー?」と四才児の孫は頭を撫で
られた。将来が楽しみになってきた。
この四才児「俺、音楽好きなの」と
か言って、ワンステージ汗だくに
なり踊りきる。店のお姉さんが冷た
いおしぼりをサービスしてくれたり、
モテモテだ。黒革の手帖に出てくる
「カルネ」みたいな高級クラブに、
通える程、孫たちは出世するかなぁ
〜。
17
四
つ
辻
石川
定梶じょう
船虫の年齢おほかたは不詳
山中に大いなる音滴れり
鵜の息の永きを案ず浮かぶまで
啞蝉の殻かも縋るけなげなり
弔ひを出すかもしれぬ蚊遣香
蝉しぐれ納棺目をさましはせぬか
四つ辻の片かげの濃いはうへ曲る
「 小 さ い 」 の 反 対 語 は「 大 き い 」
だが、「小さし」はあっても「大きし」
は な か っ た。「 小 さ し 」 に は「 大 き
なり」という形容動詞が対応してい
たという。やがて中世以降の口語と
して「小さい」という言い方ができ
てくると「大きい」の語が出てきた、
という。あるいは「大きなる」の形
が口語化して「大きな」という連体
詞ができてきて、それに対応して「小
さな」という連体詞が生まれた。だ
から現代俳句では、「大きなる」も「大
きな」も、「大き」も「大きい」も遣っ
ていいわけだ。
学校文法に拘る俳人は、「小さな」
誓子
とか「大きな」とかの言い方を遣っ
ていないのだろうか。
巨き船造られてあり労働祭
18
八
月
よ
埼玉
須 賀 敏 子
特攻と呼ばれし父よ夕端居
サンダルの紐の形の日焼かな
冷奴もう登れない岳ばかり
新盆の御飾りの間の雑魚寝かな
通り雨屁屎葛の花散らし
ゴンドラで入笠山ヘお花畑
生きるため生まれてきたの八月よ
ヨガを三十年間週一回のペース
で続けてきた。一時間半ヨガに集中
すると心身共にスッキリと軽くなり、
生活の一部になっていたが、変形
性膝関節症のため正座が困難になり、
止むを得ず辞めた。
一年前からスポーツジムの太極拳
教室へ通っている。立ったままゆっ
くりと中国風の音楽に合わせて動く。
かなり難しい動きもあって、身体が
ふらふらとして、まだまだ初心者で
あるが、一時間終わると壮快な気分
になる。歩ける限りは続けて行けそ
うな気がしている。
19
恙 な く 夕 餉 の 支 度 日 雷
合 歓 の 花 小 舟 い つ し か 闇 の 中
辺り一面青あをあをの早苗かな
夏 燕 友 の 墓 あ る 海 の 街
落 雷 や 箴 言 石 に 刻 み た る
山 形 の 西 瓜 ざ つ く り 地 球 喰 ひ
朝 顏 や 春 蚓 秋 蛇 た の し め る
秋 川 泉
赤座典子
森 理 和
長崎桂子
田中藤穂
竹内弘子
須賀敏子
佐藤喜孝
前月抄
夏の夜明け深深とした気の流れ
ででむしや義をみてせざること多く
西瓜の種もノンポリでゐられない
ヤブデマリの赤い実葉の上水の上
板 の 間 に 猫 裏 返 る 扇 風 機
ほのぼのと漏れる灯影の蔦青し
ひぐらしの一啼けふの終りたり
佐藤喜孝
定梶じょう
篠田純子
佐 藤 恭 子
斉藤裕子
王
井上石動
岩
繩文人の步いた起伏バッタ飛ぶ
喜孝 抄
九月作品より
ポケットがぶるぶるぶるぶる夏野原 佐 藤 喜 孝
旅先でしょうか?ポケットの携帯電話がぶる
ぶる震えて着信を知らせている。携帯電話のな
い時代には考えられないような場所にいても電
斉藤裕子・佐藤喜孝
な心地よさを感じました。 (裕子)
炎暑の日「生き延びましょ」とジムの友 須 賀 敏 子
年々夏の暑さが激しさを増してきている。今
年も 度を越す日が続き、正に炎暑の日の連続
原」という季語の効果で、ぶるぶるぶると震え
しくなる事もありま す。しかしこの句は「夏野
るようです。一方、その便利さが、時には煩わ
は、災害の時など大いにその威力を発揮してい
た。 今 年 の 夏 は、 本 当 に そ う 言 い た く な る 暑
捉えていて、楽しくて思わず笑ってしまいまし
だったのでしょう。ジム仲間との面白い会話を
時 の お 友 達 か ら 出 た 言 葉 が「 生 き 延 び ま し ょ」
でした。スポーツジムで汗を掻いた後、別れる
話で話せる 便利な時代になりました。携帯電話
る着信音がとても好意的に響いているように感
さでした。(裕子)
竹 内 弘 子
夕立ちに遭うと、大抵、人間はどこか雨宿り
石仏の頬ゆるみたる夕立ちかな じます。街の雑踏の中や、電車 の中だとこんな
感 じ は 受 け な い と 思 い ま す。 ま る で、「 ぶ る ぶ
るぶるぶる」が作者のポケットを放れ、広い夏
野原いっぱいに、風のように伝わっていく よう
22
35
人間達を見ながら、石仏は激し い雨にも雷にも
持ちが表れていて、心安らぐ句だと思いました。
ゆるんでしまう。作者の石仏によせる優しい気
冷やしてくれる心地よ い雨。石仏の頬も思わず
れた石仏にとっては、夕立ちは熱くなった体を
たら尚更の事です。しかし、夏の太陽に照らさ
暫く様子を 見ようとする。雷が激しかったりし
を持っていても、小止みになるまで雨宿りして
する場所はないかと慌てふためいてしまう。傘
プロを駆使して打込んだデータをわたしが袋綴
したことはしてゐない。友人が覚えたてのワー
ず「石」の中の一句である。発刊といっても大
してゐた。掲句は一九八七年発刊の題詠しりい
詠しりいず」と称し五十句づつ作り一冊の本に
葉を使へるやうになった)高島茂を中心に「題
は 出 ら れ る が 句 数 が 揃 は な い。 昔、( こ ん な 言
なはない。作者は今年に入り体調不良で句会に
とを諫める」意もあるが「落雷」の重みにはか
海に迫り出した丘一面にあじさいが咲いてい
る。陽が海に落ちていく夕刻の情景。夕陽に照
あぢさゐの丘煌めかせ海へ陽は 田 中 藤 穂
登場する。(喜孝)
しばらくこのしりいずの中から竹内弘子作品は
じにホッチキスで止めただけの簡単なものであ
竹 内 弘 子
動じず、でんと構えて、濡れな がら微笑んでい
る。がいまにしておもへば大事な宝物になった。
たのかもしれません。(裕子)
落雷や箴言石に刻みたる
どのやうな箴言であったのであらう。石にま
で刻まれた箴言とは恐れ入る。この句は〝落雷〟
が働いてゐる。まさに箴言に力を加へ天のお言
葉 の や う に 響 い て く る。「 雷 を 落 す 」 に は「 ひ
23
らされた海もきらきらと輝いて美しい。その夕
陽があぢさ いの咲いている丘を煌めかせなが
ら、海に沈んでいく。なんと美しい、絵心があ
田 中 藤 穂
れば、きっと絵に、それも油絵に描きたい光景
だと思いました。(裕子)
〝友〟とはわたしには不思議な存在である。
(喜孝)
カフェに這ふ蜥蜴を外へ浜へ出す 森 理 和
海辺の洒落たカフェ。這っているところを見
つ け ら れ 外 へ 出 さ れ た 蜥 蜴。「 外 へ 浜 へ 」 で、
すぐには逃げて行きそうもない蜥蜴を、作者が
す。蜥蜴はちょろちょろと浜辺に向かって走り
夏燕友の墓ある海の街 俳句の上では〝友〟といふコトバは使ふのが
難しいとよく言はれる。大方の句が説明、報告
出したのでしょうか?作者は蜥蜴が苦手なのか
浜辺の方へ 誘導している様子が目に浮かびま
に堕してしまふからなのでせう。
じさせる句だと思いました。(裕子)
観客の声無く帰る路灼くる 赤 座 典 子
もしれませんが、生き物 に対する深い愛情を感
友の墓参りをするといふのは親友中の親友な
のでせう。作者の人生に深く関はった人だと思
ふ。たまたま友人の眠る街に来たのではありま
作者の随想にドキュメンタリー映画「うりず
んの雨」を見たとある。沖縄の基地問題を取り
せん。墓参のために街へ来た。何度も来たこと
明るい海の街で作者は友と自己と過ぎ来し日を
上げた映画に、「自分が如何に何も知らないか、
の あ る 見 知 っ た 街、 燕 が 爽 快 に 飛 交 っ て ゐ る。
回想してゐるのでせう。
24
沖縄の 人々の犠牲を踏み台にして 如何に呑気
に暮らしているかを思い知らされた」と。きっ
と他の観客も同じ気持ちだったのでしょう。
「声
無く帰る」で観 客の重たい気持ちが手に取るよ
う に 伝 わ っ て き ま す。 ま た、「 路 灼 く る 」 と い
う季語が観客の気持ちも表しているようで、と
秋 川 泉
ても巧いと思いました。(裕子)
蛇の眼とみまごう蛍闇夜かな いているような闇夜を詠んでいるのだと思いま
す。ちょっと怖い句ですが、作者の歩 いている
佐 藤 恭 子
夜の闇の深さが伝わってきました。 (裕子)
蜘蛛の巣の七色八いろ雨の露 読んでいてとてもリズムを感じる魅力的な句
だ と 思 い ま し た。「 七 色 八 い ろ 」 が、 雨 の 露 を
のせて輝く蜘蛛の巣の、多彩な光の動きを見事
に表してい ると思います。七色と言えば虹の色、
感 じ て、「 八 い ろ 」 と 表 現 し た の だ な あ と 思 い
作者は虹の色よりもっと美しい豊かな色の光を
夏 の 夜、 明 滅 し な が ら 飛 び 交 う 蛍 は 風 情 が
あって親しみを覚えるものです。しかし,この
篠 田 純 子
ました。(裕子)
句は全く違う捉え方の句です。作者が歩いてい
る 足 元 の 叢 か 藪 の 中 で 光 る 蛍。 そ れ が ま る で
もも色の提灯連ね涼舟 涼舟を思い浮かべる時、確かに連なって吊り
下げられた提灯が眼に浮かびます。そして、何
蛇の眼にみえるというのです。闇夜に光る蛇の
面に出遭ったら怖くて腰を 抜かしてしまいそう
故かその提灯の色はもも色なのです。花見の時
眼に出遭った事はありませんが、もしそんな場
です。この句は、蛍より、びくびくしながら歩
25
人々の気持ちを高揚させてくれる幸せの色なの
気がします。もも色は、楽しい祭りや、催しの
期、目黒川 に連なる提灯ももも色だったような
たしの出来る事でなにかあるのだらうか。
啖呵を切られさうだ。さういはれないやうにわ
祭果てたり潮さいがよみがへる 定 梶 じ ょ う
政治がらみの句でこの明るさは大切にしたい。
(喜孝)
だと思います。LEDが普及したとはいえ、あ
の提灯の灯りが青いLEDだったら、ちょっと
祭りが終わってしまった。大勢で賑やかだっ
た人々も家路につき、あたりは静けさを取り戻
浮かれた気分にはなれません。心和むには、温
いという気がします。浮世絵を見ているような
した。祭りの余韻を楽しみながら耳を澄ますと、
かい裸電球の灯ったもも色の提灯 が一番相応し
雰囲気の句でした。(裕子)
今まで祭 りの賑わいでかき消されていた潮騒の
ノンポリとは、のんびりポーとしてゐるわた
しのやうな者のことかと思ってゐた。政治に無
りも消えて、静けさを取り戻した街を歩きなが
見事に表現されてい ると思いました。祭りの灯
音 が、 ま た よ み が え っ て 来 た。「 潮 さ い が よ み
関心な人のことを指すとある。関心があっても
ら、ちょっとほっとしている作者が浮かんでき
西瓜の種もノンポリでゐられない 篠 田 純 子
行動を起さない人は作者には〝ノンポリ〟なの
ました。(裕子)
がへる」で、祭りの最中と,後の情景の違いが
であらう。頑張ってノンポリでゐると作者に「西
瓜の種野郎!」いや「西瓜の種以下野郎!」と
26
降誕祭
竹内 弘子
山荘 慶子
木村茂登子
後藤 志づ
木村茂登子
キーワード俳句辞典(こうーこう)
ひとり居の鍋の焦げぐせ降誕祭
仏殿に座を賜りて降誕祭
高知
お國振り土佐は高知の塩かつを
紅茶
東 亜 未
鈴木多枝子
飴玉や口中細り片時雨 八寸は鱧口中に消えにけり 柔肌の河馬の口中天高し
口中に麦芽の香る秋一日
口中に初夏の息吹ぞ花山葵 花ぐもり河馬の口中ももいろに
校長
校長先生机上に榠樝長く置く
山笑ふ校長先生新任で
交通
交通整理の紅白の旗櫨紅葉
校庭の蛇口節水赤とんぼ
休日の校庭静かに落椿 校庭をプールのやうに鯉のぼり
敬老日交通安全マスメディア
春塵の校庭に居る献血車
校庭
校庭に子らと並びて螢待つ
芝宮須磨子
鈴木多枝子
大雪の校庭の子ら柔道着
篠田 純子
芝 尚子
長崎 桂子
田中 藤穂
レモンの種紅茶にうかび夫の留守
朝涼の紅茶の香り犬走る 初夢はおぼろ紅茶を濃く甘く
ばらの花ハーブ一滴紅茶に入れ
ことさらに紅茶芳し今朝の秋
紅茶には塩ひとつまみ冬に入る
秋の蝉紅茶待つ間の砂時計
風花や熱き紅茶の紙コップ
口中
口中に甘露のまろぶさくらんぼ
口中の火事になつたる唐辛子
定梶じょう
東 亜 未
森 理和
吉成美代子
定梶じょう
定梶じょう
井上 石動
竹内 弘子
田中 藤穂
早崎 泰江
長崎 桂子
藤野 寿子
赤座 典子
芝宮須磨子
東 亜 未
芝 尚子
27
ホトトギス 九月号
コスモスに心置くとき旅の晴 蜩の隙間を縫うてゆく水音 馬醉木 九月号
干物屋も床屋も休み在祭
春潮 九月号
敦忌と日記一行梅雨さむし
こだま 八月号
声荒げる宰相映りてうそ寒し 稲畑 汀子
稲畑廣太郎
徳田千鶴子
向日葵の正面に出る径がない 風土 九月号
珍客に這つて四五尺茗荷の子 末黒野 九月号
実桜や手話の弾むは恋ならん
卵生む鶏締め祝ふ敗戦日 萱 十月号
安
立 公彦
口下手の口を閉ざせる敗戦日 手花火や年嵩の子の頼もしく 松林 尚志
雲の峰 九月号
臑齧り盛りが寄りて生身魂 神蔵 器
大崎 紀夫
小島 良子
木村 嘉男
亀田虎童子
松
本三千夫
朝妻 力
大
崎 紀夫
虻の昼
花屑ののこり少なくなりにけり めくれては浮葉のぴたと水に着く
高
橋 将夫
布 川 直 幸
蓴池より道濡れて続きけり
号
能村 研三
俳句通信 佐藤喜孝抄
28
槐 九月号
何にでも名人はをり茄子漬
峰 九月号
灯火親しいつより失せし座り胼胝
沖 九月号
打水の上懇ろに歩くなり
京鹿子 九月号
蠅生る天使のやうな翅をもち 竹散るや川の端までよく流れ 水飲んで春の夕燒身に流す
わし摑み脱ぐ春愁のベレー帽
寒さ云ふきつかけとして水たまり
蟇目 良雨
岡本 眸
大
坪 景章
ががんぼよ向かう岸までおれもゆく 豊 田 都 峰
万象 九月号
みるくよがやゆらと唱ふ沖縄忌
みるくよがやゆら=平和でしょうかの意
やぶれ傘 九月号
87
比来披見
よ し き り の ぷ い と 飛 ん だ る 後 の 揺 れ 波 戸 岡 旭
雨月 九月号
火箱 ひろ
柴田佐知子
井上 信子
紫 陽 花 を 愛 で つ つ 墓 地 を 巡 り け り 大橋 晄
鴫 九月号
号
夏落葉弟二人在りしかど 空 通されて深山のごとき夏座敷 団扇もて男を打ちて行き過ぐる
竹を編む奥に立てある竹婦人
瓔 九月号
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号泣は驟雨の通り過ぎるまで 比来披見
俳境流連
く、 お 昼 過 ぎ に 近 鉄 に 乗 り 外 宮 さ ん へ 出 掛 け ま し
た。伊勢市駅の駅前からは大変な人出で混雑してい
ます。参拝の方かたがお若い人が多いのには少々驚
きました。
私の生まれ育った土地の伊勢国四日市富田町で
は、伊勢神宮を外宮さん内宮さんと親しみを込めて
ろしました。
正宮にお参りをすませ、鳥居の方にやや戻り、正
面の左手に広がる、勾玉池の前の木の椅子に腰を下
波押へ勾玉池の鴨の聲
言い、初詣には、当時の国鉄か近鉄での一日がかり
やがて新年を迎える時季なのに殆どの方はコート
を腕にかけ「暑いあつい」の声が聞こえて来ます。
で、外宮さんと内宮さんへ参拝し「お伊勢参りをし
春かと思われるような午後で、風はなく漣すらな
い勾玉池は鏡のように照映えています。池全体に浮
桂 子
て来た」と大方はおっしゃって、隣近所は賑やかで
かんでいる鴨の聲が、たまに聞こえてくるととても
した。
恭 子
穏やかな一時でした。
春月の道をひとりで帰る猫 苦界へと帰ってしまふ恋の猫
私も物心ついた頃より父に連れられて何十回も、
結婚してからは夫と一緒に、二十数回は初詣をいた
しました。
外宮さん、正式には衣食住の守り神であり豊受大
御神を祀る豊受大神宮です。
平成二十四年十二月の下旬の日曜日は朝から暖か
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がある、猫も人間も同じ生き物である。待ってくれ
い目いいものだ。苦界とわかりつつも帰ってくる家
猫にとって春は厳しい季節にあたるのだろうか、
ふと思ってしまった。ひとりで帰ってきた猫の優し
は目の保養になる。いいものだ。
春の月は私の勝手な思いかもしれないが、ふんわ
りと照らしてくれている。薄い雲にかかった月など
の陰だろう。と諦めるしかない。
る場所が悪いと視界から消えてしまっている。ビル
いる月を見ると、頑張ろうと意欲が湧いてくる。見
ようだ。外出先から帰宅する途中の空に煌々として
水茎のやうに雨中のつばくらめ
少し経て藤棚の下濡れはじむ
投函の手紙を胸に春の雨
てみる。
作ってゐた。掲句はその中の一句。春の句だけ拾っ
詠しりいず の「雨」であった。松崎豊 高
・ 島茂を
筆頭に七名の名前が見える。わたしは頑張って 句
に手にした手作りの冊子が一九九一年五月発行の題
と潤滑油に「雨」の句を考へる。先日、何の気なし
雨は好かれない。いま句作の歯車が回りにくくなる
雨は嫌いな方ではない。好きな方かも知れない。
しかし今年の雨は度を超してゐた。あれでは誰にも
春 の 月 は な ぜ か 穏 や か に 見 え る。 秋 の 月 は 元 気
いっぱいに輝き私にエネルギーを与えてくれている
ているという事が一番の想いであろう。人も猫もま
卵抱く雉の背中に雨のこる
喜 孝
た明日の月を楽しみに!
春雨や途中はぶいて海に降る 春山にとどまる雨と流るる雨
はるさめを見るにもあきてみてをりぬ
木移りに雨に出あるく雀の子
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チューリップのどれにも雨の溜らざり
地蔵堂埃くさくて花の雨
骨拾ってゐる間に春の雨止みぬ
春の雨郵便ポストへ指のさき
た友人の「どっちもどっち」のひとことがあって、
るや問ひ詰められてゐたるかも〉と。句を見せられ
りに問ひ詰められてゐたりけり〉、それをさらに〈滴
ら「如し俳句」にしなかったはず。で、のちに〈滴
じて俳になっているが、上り調子の時の句作だった
じょう
因みに文語では、「かも」の第一義を「詠嘆」と
説明しています。
やれやれと思ったことでした。
天気雨子の誕生日三鬼の忌
書き写し並べたてみたが覚えてゐない句が多い。
ひとの句を見てゐるやうだ。五風十雨と云ふが風も
雨もほどほどにしてほしい。
滴るや一問一答するやうに
無論人にもよることですが私の場合、句作に勢い
のある時はいわゆる「取合せ」の句が出来るのです
が、ひとつ調子が落ちてくると説明しがちな句ばか
りになってしまう。
掲句もそうでしょう。「一問一答」の措辞が辛う
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我家の田圃も水に 浸かりそうなのを確認した。帰
目に飛び込んできたのだ。古い石橋を急いで渡り、
にある筈の田圃は見えず、海のような広い濁流が
は、そこに広 がる光景に息を飲んだ。うんと下
他家の田圃を見ようと懐中電灯を照らした父と私
から坂を下り、橋までの道路を通る時、川沿いの
すぐの川 岸のちょっと高い場所ににあった。我家
中電灯を持ってついて行った。田圃は橋を渡って
が田圃を見に行くというので、私も傘をさし、懐
激し い雨が散々降って、小止みにになった時、父
高校三年の夏休み、鹿児島を集中豪雨が襲った。
異常気象で自然災害のニュースが次々飛び込
んで来る。私にも怖い思い出がある。1971年、
あちこちの山や崖が削られて地層をむきだしにし
の真ん中を深く大きく削り、新しい川ができたり、
新しい橋以外の全部を流 してしまった。広い田圃
る橋を、上流から河口に至るまで、私達が渡った
で経験したことのない大災害で、五反田川にかか
が亡くなった。その 時の集中豪雨は父母もそれま
町の方でも、浸水や川沿いの崖崩れで何人かの人
防災の見回りの男性が流されて亡くなったりした。
姉を先頭に弟妹が 皆、土砂崩れで亡くなったり、
次の日、明らかになる被害は想像を絶するもの
だった。私の住む村でも山の方で、小学6年生の
家に帰った。
の姿はなかったのだ。身 震いする思いで、私達は
斉藤裕子
る時、父が「古い橋は危ないから、こっちの橋を
た。自然の力の恐ろしさを 思い知らされた経験で
集中豪雨 渡ろう。」と言った。ダム工事の為に新しく作ら
ある。
古い橋を灯りで照らした時、そこにはもう古い橋
れた、古い橋より少 し高い位置にある新しい大き
な橋を渡り、引き返して来た。そして、石造りの
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橋 春の風邪橋を仰いでゐるやうな
箱庭の橋をわたりぬ手をつなぎ
みみづく
耳蟬をさがしに一本橋ゆるる
夕燒を見たく相生橋に來し
あやとりの橋もどりこずかくひ鳥
佐藤喜孝 34
袂などほしくなりたり橋すゞみ
浮橋の大きくたはむ欠氷
吊橋のつなぐものとて蟬の山
橋の上橋の下とて川びらき
名月や橋を渡ると橋消ゆる
星月夜行けぬところへ行ける橋
石橋の影の中なるうす氷
橋本多佳子三橋敏雄高橋龍
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あとがき
きする事が肝要。今は分らなくとも、後で振
返ってみた時分る事である。
東亜未さんからカットを潤沢に預ってゐ
る。 の だ が 今 月 は 時 間 に 追 は れ 一 度 使 っ た
夏が過ぎると年末に向ってまっしぐらの感
がある。わたしだけの事だらうがなんとも落
着かないこのごろである。
する。
(喜孝)
カットを使はせていただいた。申訳ない気が
「あを」は時折気分一新にとレイアウトを
変へてきた。来月号は又新レイアウトでお目
印刷・製本・レイアウト 竹僊房
カット/須賀忠男・松村美智子・ティリ エ
イマ
表紙・佐藤喜孝
会費 一〇〇〇〇円(送料共)/一年
郵便振替 00130 6
- 5
- 5526(あを発行所)
乱丁・落丁お取替えします。
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見えする。それにふさはしい内容にとは思ふ
二〇一五年十月号
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発行日 十月十二日
発行所 東京都中野区中央
電 話 090 9828 4244
ファックス 03 3371 4623
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がそれは又別の話。
特別作品は旅吟に限った事ではない。テー
マを定めじっくり作るのもあってよい。政治
に対する生の声も大切だが、じっくりと時空
を見据えて臭くするのも大切。時流に流され
るのが一番の羞じとでも思って俳句作品にし
たいものである。休稿がちの方もおられるが、
開き直りもありかと思ふ。自己の才能を見限
るところからの出発。これが楽になる秘訣で
ある。苦しんでは俳句は長続きしない。長続
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