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正義の門よ 扉を開け - カトリック長崎大司教区
年 日(王 である浦上教会で行われた。 創立150周年を記念 た。 み、喜 び を 分 か ち 合 っ 人 教皇フランシスコは1月 日、神 の しもべユスト高山右近を殉教者とし て 正 式 に 認 定 し、福 者 の 列 に 加 え る 日発表。列福式の時期・場所・ ことを承認する教令に署名した。1 月 月 日(火)教区顧問会 が 大 司 教 館 で 開 催 さ れ、次 の 議題が審議、 承認された。 館」 (仮)について、 前回提 ①「日本キリシタン歴史博物 出された案より大幅に予算 う 」) が、こ の 特 別 聖 年 の モ ッ ②世界遺産登録を間近に見据 れ、 おおむね了承された。 を抑えた計画案が提出さ ト ー「 御 父 の よ う に、い つ く し 成資産に含まれている教会 え、教 会 守 の 人 件 費 な ど を 6・ へ の 来 訪 者 か ら、維 持 協 力 捻 出 す る た め、世 界 遺 産 構 を「神様の摂理以外の何もので )に適うものであること も な い 」 と 語 っ た。 ま た、 「神 金を求める。 る の は、民 全 体 あ る い は 個 人 の 罪 の 赦 し 」「 キ リ ス ト の す べ て が 神 の い つ く し み で あ り、こ れ はイエスの十字架上の死によっ て 最 も 強 く 示 さ れ、神 の い つ く な ん こ し 奈留・南越教会が閉鎖 年にわたる祈りの家に感謝 を せ ん ご と な っ た と?」 「最近、 何で西坂ではミサ カトリック信者でない知 ⑦ドリームカムホームとの土 堂とする。 用 す る た め、五 輪 教 会 の 司 ⑥奈留小教区の南越教会を閉 祭館の一部を五島市に賃貸 する契約を結ぶ。 人から問われた。長崎駅 近 く で 働 く 彼 は、二 十 六 地建物使用貸借契約をさら 聖人殉教記念ミサに集ま に1年間の継続とする。 として認可していただくよ 機 を 設 置 す る た め、コ カ・ ⑧国宝大浦天主堂をバジリカ 支援へ寄付できる自動販売 ④売り上げの一部を世界遺産 コーラウエストと基本協定 る 人 た ち を 見 る た び に、 求 め る べ き か 否 か、教 区 の く な っ た 際、教 会 維 持 費 を 改修工事に関する議案が提 ⑨教会から離れている人が亡 わると坂を下って家路に 登 っ て 集 ま る、ミ サ が 終 くさんの信者たちが坂を ようになったという。た 「2月5日」を意識する う、教 皇 庁 典 礼 秘 跡 省 に 申 出 さ れ た が、個 々 に 判 断 す 統一した見解を検討する。 請する。 書を結ぶ。 る の で は な く、ま ず は 教 区 ⑤放虎原殉教地・首塚跡地の 内にある殉教地などの関連 を感じていたそうだ。現 就く……。その姿に祈り 次回は 予定。 月 日(月)開催 施 設 を 把 握 し、全 体 的 な 要 綱案を審議する。 いこに通 ミサやけ の教会に 会 で、や む な く 車 を 利 用 1年 月の小教区評議 も浮上したため、201 めぐっては土地の問題 た。 そ れ に 加 え、順 路 を げ ら れ て い る。 し か し、 日にわたって祈りがささ も聖フィリッポ教会で1 に変更され、2月5日に て西坂でのミサは日曜日 在、参 加 者 の 便 宜 を 考 え いました。 段 は 急 勾 配 の た め、時 代 念 願 の 教 会 は、天 理 教 の教会を解体した資材を とにしておりました。 して奈留教会へ通うこ 5日」を意識することは 日曜日休みの彼が「2月 が御礼山と呼ぶ場所があ 譲り受けて1927(昭 る。信仰を守るために逃 奈留小教区の巡回教 会・ 南 越 教 会 が、昨 年 域住民とのトラブルを 月、教 区 顧 問 会 の 承 認 を 避 け る た め に、残 念 な が いつくしみのしるしとならなけ で担ぎ上げるという困難 く し み と ゆ る し を い た だ こ う 」 し み 深 い 神 の 似 姿 で あ り、神 の と 呼 び 掛 け た。「 い つ く し み の な作業でした。その後老 れてきた人々や子孫たち 世 界 遺 産 登 録 に 向 け、 もうないのかもしれない 増 え 続 け る 観 光 客 と 地 ▲ 上 五 島 に、地 元 の 信 者 たします。 は、そ こ に 立 っ て 故 郷 の 葛島を経て南越地区にも れました。 現在の教会に建て替えら た 信 徒 に は、大 変 困 難 な 無事に渡ることができた 外 海 の 方 角 を 向 き、海 を ら正式に閉堂という決 )年に一回り小さい 住みつきました。南越は こ と、信 仰 と 子 ど も を 守 の特別聖年」開年を祝っ の ミ サ で「 い つ く し み ター・信徒約500人で なかった。「御礼山の話は 覆 わ れ、行 く こ と は 叶 わ う と 道 を 探 し た が、薮 に 年 前、父 が 御 礼 山 へ 登 ろ に感謝してきた。二十数 辻原達也 た。 参 加 者 は、神 の い つ 忘 れ ら れ て し ま う。 」父 ることができることを神 くしみを実生活の中で具 道のりともなっていまし 奈留小教区主任 定に至った次第です。 和 2) 年 に 完 成 し ま す。 こ の 日、浦 上 教 会 の ほ か 6 つ の地区長教会(中町・滑石・相 浦・平戸・青方・福江)と大浦 教 会、聖 フ ィ リ ッ ポ 教 会( 日 本 の「いつくしみの扉」も開かれ 昭 和 に な っ て も 長 い 間、 現する必要性を頭と心に 朽 化 に と も な い、 ( 昭 人 力 で 陸 揚 げ し、高 台 ま 扉 」 が 開 か れ た 教 会 で、約 5 0 0人の信者が祈りをささげた。 大 司 教 は 説 教 の 始 め に、「 日 本の信徒発見150周年を記念 し開催した教区代表者会議(教 た。計9つの教会は長崎教区の 車両の通行ができない地 迫害と戦争による苦しみ 高台の教会へと通う階 巡 礼 指 定 教 会 と さ れ、聖 年 期 間 を負った人々やその子孫 はそう感じたそうだ▲出 中、こ れ ら の 聖 な る 扉 か ら 入 っ 区 シ ノ ド ス ) で 決 め た 提 言 は、 カ ト リ ッ ク 長 崎・ 西 坂 巡 礼 所 ) 灘 を 渡 っ た 先 祖 た ち は、 和 2016年4月から教区全体が 一丸となって実行していくこと に な る 」 と 触 れ、提 言 の 副 題 に ある「神のいつくしみを共に生 か つ て の 神 学 生 た ち は、 月 日(日) 時か ら 佐 々 教 会 に お い て、平 来 事 の 意 味 は、確 か に 時 くれている。神学校で した。 平和と神のいつくしみを胸に 久しぶりの再会を喜びな 刻 み、実 践 す る 恵 み を 願 こ 域 で、信 徒 た ち は 櫓 漕 ぎ なったということでは がら、「同じ釜の飯によっ いながら集いを終えた。 を去ったとしても意味 うな絆〟 があるはずだ」 の 伝 馬 船 で、葛 島 や 江 上 ない。私の出身の出津 に励ましのメッセージを ろ て 恵 み を 受 け、派 遣 さ れ る よ う の現状を見ると危機感 教 会 で も そ う だ が、今 送った聖ヨハネ・パウロ 招かれている。 を覚える。これは神か 年記念行事と 戸・佐世保地区共催によ めた。 があること。同じ釜の の 家 に 帰 ろ う、そ し て 出 か け よ 意 を 表 し、司 祭 召 命 の 豊 ら私たちへの問い掛け て育まれた絆」を再確認 ミ サ 後、午 後 6 時 か らは会場を浦上教会信 飯 を 食 っ た 仲 間 に は、 で大切な役割を担って 徒 会 館 に 移 し、祝 賀 会 決して切れることのな 入学した私の学年は とあいさつした。 る戦後 ある深堀繁美さん(浦上 た。 続 い て、被 爆 者 で も めに祈りがささげられ まず浦上教会の被爆マ リ ア 像 を 迎 え、平 和 の た た。 場となった。 よらない平和」の確認の 解 説 も 行 わ れ、 「武力に 実現する人は幸い』 」の 教団メッセージ『平和を 長)による「戦後 う 促 し た。 ま た、岩 村 知 めに働く使命を果たすよ 教 会 信 徒 ) が、迫 害 や 原 年司 彦師(教区平和推進委員 爆を受けても復活した教 開年記念ミサが行われ 「いつくしみの特別聖年」 2 世 に も 触 れ、平 和 の た 年と聖年開年を記念 かな実りを神に願い求め で も あ る 」 と 説 教 し、 でもそれぞれの小教区 が開かれた。来賓を代 人 だ っ た が、司 祭 に 叙 平戸・佐世保地区、 戦後 るよう招いた。また、「1 一層の祈りと努力を求 表して壇上に立った浜 い〝結婚の不解消のよ の 生 活 は、途 中 で そ こ 口司教は「小神学校に 階されたのは私と前田 考える。 (F・O) 宣教と信仰伝達について 日 」 と「 西 坂 」 を 前 に、 ちが大事にした「2月5 パリ外国宣教会の司祭た ものを抱く人の直感だ▲ い は、伝 え る べ き 大 切 な れられてしまう」との思 て伝わることもある。「忘 を大切にする人々を通し し、記 念 す べ き 時 と 場 所 と場所を超越する。しか 50周年という節目にあ き、伝えるために」(表題は「父 とともに減少し高齢化し か つ て、外 海 地 方 か ら 信仰の自由を求めて五島 りましたことをご報告い る 」「 わ た し た ち 人 間 は い つ く ③旧五輪天主堂の教会守が使 のいつくしみが最もよく示され み深い者となりなさい」 (ルカ 司式者は未定。 12 ればならない」 ことを強調した。 もって閉堂することとな こ の 門 を 通 っ て 中 に 入 り、い つ 開 き( 写 真 )、「 こ れ は 神 の 門。 し み は 常 に あ ら ゆ る 罪 を 超 え 感謝しよう」と言って扉を押し よ、扉 を 開 け。 中 に 入 っ て 神 に 教 は 扉 の 前 に 立 ち、「 正 義 の 門 た。 聖 堂 入 り 口 に 到 着 後、大 司 巡礼の旅を表す行列へと続い 徒 ら が 参 加 し、カ テ ド ラ ル へ の 「いつくしみの特別聖年」始まる 月 ル し、午 後 4 時 か ら ミ サ が 髙見三明大司教はミ サ の 始 め に、神 学 校 を 21 長 崎 教 区 司 祭、他 教 区で働く司祭、 修道者、 70 月8日(無原罪 正義の門よ 扉を開け 〒 852‐8113 長崎市上野町 10‐34 カトリックセンター内 TEL 095‐843‐3869 FAX 095‐843‐3417 振替口座 01880‐5‐2699 る に も か か わ ら ず、召 命 余の共同司式のもと修道者・信 ささげられた。 前 田 万 葉 創立したパリ外国宣教 右近の列福承認 大司教様の2人。しか 13 2015年 の聖母)から ラ 時、ミ サ に 先 立 ち 教 会 下 の 信 徒 会 館 で 入 堂 式 が あ り、髙 見 ド 三 明 大 司 教 主 司 式、司 祭 団 テ くしみの特別聖年」の開年ミサが カ 日(日) 、 司 教 座聖 堂 大司教(大阪)、宮原良治 57 であるキリスト)までの、 「いつ 月 パリ外国宣教会の司祭たちは信徒発見からわずか 9カ月後、司祭館の屋根裏に少年たちを住まわせ、教 理とラテン語を教えた。この隠れ家を利用し始めた のが無原罪の祝日の8日間だったことから、この場 所 を「 無 原 罪 の 御 宿 り の 間 」 と 呼 ぶ よ う に な っ た。 これが長崎神学校の創立であり、無原罪の聖母を守 護の聖人として仰ぐようになった経緯である。 司教(福岡)、浜口末男司 会とこれまで養成に関 世界遺産登録を見据え審議 最 後 に、平 戸・ 佐 世 保 会の姿にスポットを当て ながら講話。 長崎を訪れ、 地区司祭団 人余とシス 70 昨年 印刷所 株式会社 藤木博英社 別の召命の道を進んだ 20 月 日(日 ) 浦 上 教 ( 旧 ・ 長 崎 公 教 神 学 校 ) 会 に お い て、長 崎 神 学 校 の卒業生らが祭壇を囲 教(大分)をは じ め と す 14 発行人 大 水 文 隆 しあとの 人がだめに 13 70 15 わったすべての人に謝 3 10 カトリック長崎大司教区 広報委員会 30 教区顧問会 32 12 20 る長崎カトリッ ク 神 学 院 12 11 15 60 16 12 20 36 21 13 12 昭和27年1月12日 昭和27年1月12日 第三種郵便物認可 第三種郵便物認可 2 月1日(毎月1日発行) 22 19 12 長崎神学校創立 150 周年 1036 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可) 1カ月140 1カ月140 円 年間1,500円( 円 年間1,500円( ) ) 第 カトリック教報 (1)2016年(平成28年) 淀 み な く、か つ 弁 舌 爽 や か で あ っ た の スの事について話すときは実に流暢で タン教界全体の柱となった。彼はデウ ぐれた徳によってみやこ地方のキリシ は 訓 練 を 積 ん だ 説 教 家 と な り、彼 の す の 知 識 も い ち じ る し く 進 歩 し、後 に 彼 た の で、デ ウ ス の 事 に 対 す る 嗜 み も そ 疑問に対して与えられる答を聴いてい き、彼 等 か ら も ち だ さ れ る い ろ い ろ な なわれたカテキスモの説教を続けて聴 た若者であった。彼は異教徒たちに行 もたらすといった理由が挙げられる。 て正義に反することになる、また不信感を 的な争いに参加することによって結果とし らぬ方法について」に、教会関係者が政治 る我々の義務を遂行するために取らねばな かもなおキリスト教界の利益と保持に対す えず行われている戦争問題に介入せず、し た。 そ の 諮 問 第 三、 「日本人領主の間に絶 一六輯の 頁)でもこの問題が話題になっ が多かったようである。協議するために加 参照) 。右近は倫理的な判断に迫られる場 タン文化研究会会報』 号、2010年を 生きたキリシタン大名、 高山右近」 『キリシ 念 を 通 し た 人 生 を 送 っ た( 拙 稿、 「識別に 師に対しても、 外国に追放されたときも、 理 ンがいなかったと私は評価する。父や宣教 難問に対して明白な答えを出したキリシタ こ と が 想 像 で き よ う。 な お、高 山 右 近 ほ ど ス会第二回総協議会」 ( 『キリシタン研究』 心的に自分で判断しなければならなかった 津佐で1590年に開かれた「日本イエズ 面 を 体 験 し た。 青 年 時 代 か ら、和 田 惟 政 と の信念を貫いたと解釈できよう。歴史を通 当時の権力者と家臣のみならず、先輩と宣 解があり得ないということであろう。彼は 右近が残してくれた大事な教えの一つ は、どの時代にも対話なしに人間同士の理 の手を認めることになる。 を持った人を通して素晴らしい姿を現す神 る こ と で は な い。 む し ろ、そ の よ う な 限 界 右近を福者に認定することは、彼が限界 を持った人間、罪人であった事実を否定す 方相互からも尊敬される指導者になった。 戦争のみならず、犯罪者処分も、自分の良心 で、彼 の 話 を 聴 く 者 は 彼 の 家 臣 た ち も 具体的な問題のために「相談委員会」が の関係では命に関わる乱世を体験し、辛う 立ち上げられ、 神父3人が選ばれた。また、 じて生き残ったことを神からの使命として わるようにしていたことが分かる。宣教の この箇所にあるように、右近は要理を学 んだ後、その内容を深め、自分と他人にも伝 ついて」という史料が現存する(川村信三 1604)宛の「日本の倫理上の諸問題に 門 家、ガ ブ リ エ ル・ バ ス ケ ス( 1 5 5 1 ~ 当時ヨーロッパで尊敬されていた倫理の専 珍しく1カ月の霊操をし、マニラに改易さ ら教会の発展を支え、当時の信徒にしては 放されてからも、加賀の前田氏に仕えなが 会を守りながら信長から誉れを受けた。追 捨てて隠居するという判断をし、身内と教 際、 宣教師から回答が得られない中、 全部を 談 す る こ と に し た。 こ の 史 料 が 現 存 す る。 いた荒木村重とその上に立つ信長の対立の 受けとったようである。右近は直接仕えて 勢が求められている。 人一人にしかできない生き方を見いだす姿 たように、彼の模範を仰ぎながら現代の一 がら自分にしかできない生き方を見いだし 近はそれに止まらず、その対話を基にしな る こ と が 最 初 の 一 歩 で あ ろ う。 し か し、右 きるとすれば、その人についての資料を知 して右近のような人物と対話することがで 教師とも積極的に対話したからこそ、自分 正しく、 良心的に用いたことが確認できる。 右近はその時代に与えられた識別の要素を に 従 っ て 処 分 す る ほ か な か っ た。 な お、右 縁もゆかりもない異教徒たちも皆それ このように、自分の下に多くの人間が置 かれた右近にも難解な倫理問題が迫り、良 近にキリシタン大名としての行動に特徴が に驚いた。(『日本史』5、 頁) 高山右近、良心に生きた キリシタンの証し あ っ た こ と は 間 違 い な い。 一 例 と し て、社 イエズス会司祭 デ・ルカ・レンゾ 会福祉的な活動を促したのみならず、自分 責任者だったヴァリニャーノは目上と相談 翻 訳、ガ ブ リ エ ル・ バ ス ケ ス 著「 日 本 の 倫 それを補うため、ヨーロッパの専門家に相 して、日本の一般の統治に関わる問題につ 理上の諸問題について」 、 中世思想原典集成 でもその模範を示した。フロイスはその一 そ う し て、新 し い キ リ シ タ ン た ち に この信心深い習慣がいつまでも取り入 いて、またその対策として教皇特権を依頼 面を、以下のように記した。 れ ら れ て ゆ く よ う に、軽 蔑 さ れ て い る した。史料から確認できるところをまとめ 般統治と宗教との葛藤を感じていた。 えを見よう。 について疑問がある場合、どう答えるべき たちは大名の戦いにおいての正戦か不正戦 なるまで修道者に似た生活を送り 守った。マニラに着いてから亡く .この人々〔家臣たち〕に対して〔正 戦の是非〕断言する必要がない。とい 自分が去った後への準備をさせる など、キリシタンとして、人間とし ての模範を残した。 いことが明らかになった。彼の生 高山右近の政治倫理を注目した と こ ろ、当 時 の 社 会 と 分 離 で き な 終わりに 尋ねられたら曖昧な返事をせずに真実 き 方 が そ の ま ま と い う よ り も、現 その答えがここに 教会が受けた遺産とは何か 信仰はどのように伝わるのか 賎 し い ヒ ジ リ た ち の 代 り に、彼 と 彼 の ら 得 ら れ る と 思 っ て 約 束 し た の で、日 れるまでキリシタンと神父たちを 息子である城将右近殿とがその棺を肩 頁) 。宣教師 と、後 で そ の こ と を 聞 い た 異 教 徒 た ち 本での対策が必要だと認めていた。 ~ の心を大きな驚嘆をもって満たし呆 可 能 性 を 残 し た い ほ ど、当 時 の 日 本 社 う の は、彼 ら は 正 戦 で あ る か ど う か 調 べられる立場にないからである。しか を 述 べ る べ き で あ る。 な お、そ の 戦 い し、そ の 戦 い の 正 し さ に 対 し て 意 見 を の利益や便利さのみについて相談を受 キリシタンの教えを日本の文化に のみ顔』を読み深める 平凡社 2000年 教皇フランシスコは1月 日、ジュスト 高山右近(1552〜 1 6 1 5 ) を 殉 教 者 然 と さ せ た。( 略 ) そ れ か ら は、貴 人 た ③ 殺人経歴をもった人にも修道会入会の が あ る と 認 め た 上 で、例 外 的 な 対 策 が 導入しようとした。右近はフィリ 紀後半の日本で「武力 に 頼 る 秩 序 」 が 続 い 教区本部事務局主催 ると、 として正式に認定し、福者の列に加えるこ ちがこの埋葬に手伝うことが彼等には ① 宣教師もキリシタン権力者も当時の一 とを承認する教令に署 名 さ れ た 。 殺 害 は さ ずっと風習になった。(フロイス・ルイ 要求された。 高山右近自身が宣教師に相談したとすれ ば、上 述 の よ う な 返 事 を 受 け た だ ろ う。 バ キリシタン、 父親、 大名であり続け にキリスト教の倫理が適用可能であれば、 ピ ン に 改 易 さ れ て か ら も 日 本 人、 スケス師の返事を解釈すれば、日本の状況 た。 右 近 も 日 本 的 な キ リ ス ト 教 される。右近は自分の国や文化を けた場合、 上述通り述べるべきである。 代に通用する部分があると気付か ヨーロッパの中世でも、 城主間の戦争、 あ るいは十字軍のように外国の遠征などに それを促し、 適用可能でなければ、 相談する しい理念を生み出すことができた と 思 う。 彼 は、統 合 す る 能 力 を 示 したと解釈できよう。順応化がそ れ ぞ れ の 文 化、人 に 神 が 既 に 働 い ておられる事実の確認であるとす ②大勅書『イエス・キリスト、 父のいつくしみ 遜 に し て は め っ た に 見 ら れ な い 例 で、 れなかったが、殉教者あつかいされる右近 会で殺害が珍しくなかった。 知られるべ ④ 右近と宗麟の例が、適切な、 き法的処置として出された。 このように、右近は学んだキリスト教を 当時の社会に通じる形で創造的に活用して ⑤ キリスト教の教えに反する日本の現状 いた。それより難解な問題であった処刑に 関しても深く考えたに違いない。以下にそ 対 す る 倫 理 問 題 が 研 究 さ れ て い た。 一 例 人の良心の呵責を避けるような内容であ の考察をしたい。 な が ら 家 族 の メ ン バ ー を 励 ま し、 の列福は、新しい福者の姿を示すことにな ス、『日本史』5、柳谷武夫訳、平凡社、 その場に居あわせたすべての人びと る。ここでよく出される問題、つまり、武士 1995年7月、 頁) ② 総長がヴァリニャーノの要求が教皇か かについての問いに対するバスケス師の答 として生きた右近は人 を 殺 害 し た と 思 わ れ る中、果たして現代のキリシタンの模範と してふさわしいかとい う こ と に 集 中 し て 述 べたい。 1.右近の時代背景 と し て、ヴ ィ ト リ ア 師( 1 4 9 2 頃 ~ 1 5 たようである。殉教す る 前 に 京 都 滞 在 の ペ 入れ、その教えと共同体に関わりながら初 捨てようとしなかった。 それより、 4 6) は、 1 5 5 7 年 の『 神 学 考 察 』 に が 必 要 だ と 気 付 い た か ら こ そ、新 3.倫理基準が不明な場合とその適用 日本の統治が宣教師たちにとって受け入 れにくかったように、宣教師たちが伝えた る。言うまでもなく、 相談できない場合、 あ 右近は400年前を生きた人であり、現 代の基準や概念で批判 す る こ と は 妥 当 で は キリスト教も日本人に受け入れにくかった 「 家 臣 は 不 正 な 戦 争 で あ る と 確 信 し て い れ めてキリスト教の本質と付属的なものの分 ていた。 れ ば、右 近 こ そ 順 応 化 の 先 駆 者 で あったといえよう。右近は識別的 監督・脚本 古巣 馨/ 出演 司祭・長崎中地区信徒 主催 カトリック長崎大司教区 上五島地区司祭団/ 協賛 上五島地区評議会 TEL 095 - 842 - 4450 FAX 095 - 842 - 4460 ▪整理券は上五島地区の各教会で (無料) 申込・問合先 教区本部事務局 21 日 日 開演 12:00 *黙想ノートと大勅書は各自でご用意く 2016 年 2 月 20 日 土 開演 18:30 ③ 『教会の社会教説綱要』の解説 ▪新上五島町 石油備蓄記念会館 ださい(講座当日に購入可) 2.日本での処刑、 トロ・バウチスタ神父 ( 1 5 4 5 ~ 1 5 9 は ず で あ る。 多 く の 場 合、そ の 宗 教 を 受 け ロッパでも処刑が行われていたが、バウチ 別がつき、キリスト者としての生き方を選 ヨーロッパの権力者との比較 7) は、京 都 で 磔 刑 さ れ た 1 0 0 人 余 り の ない。長い戦国時代が 過 ぎ よ う と し た 世 姿を見たと記したほど で あ る 。 当 時 の ヨ ー スタ神父は、日本で簡単な理由でも処刑さ ぶ こ と に な る。 フ ロ イ ス の『 日 本 史 』 は、 順から離脱していた倫理を現している。し ば、そ れ に 参 加 し て は な ら な い 」 ( Vitoria, るいは宣教師の相談なしに行われた戦いの RELECTIONES THEOLOGICAE, XII, De 方が多々あったに違いない。結論として、 より拙訳) ① キリシタンになった日本人は多くの繊 Iure Belli, prop. 22, Lyon, 1557 れる人数に圧倒された 。 ヴ ァ リ ニ ャ ー ノ 神 相談するほどに難解な状況があった。 ① 『黙想ノート』を使って聖書を分かち合う 995 ② 日本の宣教師はヨーロッパの専門家に な 信 仰 を 育 み、自 分 に し か で き な い 使 命 を 見 ぬ い た か ら こ そ、敵 味 内 容 965 心的な生活をしようとした。 いつくしみの特別聖年「特別講座」 に担いだ。このことは日本人の倣慢不 135 259 ③ 日本のキリシタンはその宗教に適う良 参加費 1回 100 円 20 細な倫理問題について宣教師に相談し 父(1539~160 6 ) も 当 時 の 日 本 に ここで、「正戦」の是非問題を考察したい。 これに関して宣教師たちは相談されること き、さまざまな倫理問題が生じた。 かし、日本にそのような法律を適用したと 右近の学ぶ姿勢を伝えている。 15 は殿の決定以外、決まった法律がないと述 ジュスト右近殿はたいそう敏活明噺 な才智ときわめて稀な天分とをそなえ 場 所 カトリックセンター はじめに 116 と書き、当時でも戦争に関して盲目的な従 16 べている(長崎より、 1 5 8 0 年 8 月 日 付総長宛 ヴァリニャーノ書簡)。 日 時 毎週火曜日 19 時~ 20 時 21 結論として、この時代に生きた右近には、 (2/2 ~ 11/15 まで全 32 回) 120 25 2 月1日(毎月1日発行) (2) 2016年(平成28年) カトリック教報 1036 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可) 第 2015年 月8日(火)~ フランシスコ教皇様は、2015年4 月 日( 土 ) 、 「神のいつくしみの主日」 の「前晩の祈り」の折に、2015年 日 (王であるキリストの主日) 月8日(無原罪の聖母の祭日)~201 月 亡 くなった方々のため めに、また死者のために、 教会の奉仕職を 復 活 の 神 秘 の う ち に、痛 み と 孤 独 に 意 助けとなるでしょう。主は受難と死と 聖年の免償は亡くなった方々のため にも受けることができます。わたした に 耐 え る こ と は、彼 ら に と っ て 大 き な これらの教会を 通 し て 獲 得 し ま す( 『カトリック教会の ち は、死 者 が 残 し た 信 仰 と 愛 の あ か し りです。同時に、 定 の 条 件 を 果 た す と き、こ れ を 自 分 の た 巡礼指定教会と 味を与える崇高な道を示しておられる に よ っ て、彼 ら と つ な が っ て い ま す。 日(日) か ら で す。 そ の 試 練 の 時 を、信 仰 と 喜 し た が っ て、ミ サ で 死 者 を 思 い 起 こ す 月 カ テ キ ズ ム 要 約( コ ン ペ ン デ ィ ウ ム )』 び に 満 ち た 希 望 の う ち に 生 き、た と え た び に、聖 徒 の 交 わ り の 神 秘 の う ち に 年 します。 さまざまなメディアを通してであって 死者のために祈ります。御父のいつく 頁 参照)。 も、霊的聖体を拝領し、ミサや共同体の し み 深 い み 顔 が、あ ら ゆ る 過 ち の 残 存 ~ また、聖書を読 んで神のことば 神のいつくしみは、 人間を受け入れ、 赦 し、犯 し た 罪 を 完 全 に 忘 れ て く だ さ る 御 祈 り に 参 加 す る こ と は、彼 ら が 免 償 を か ら 彼 ら を 解 放 し、永 遠 の 祝 福 で 包 ん でくださいますように。 受けるための方法となります。 は、真 の 回 心 を 心 の 底 か ら 望 ん で い る こ との表れとして、すべての司教座聖堂、教 聖 年 に は、つね に 恩 赦 を 受 け る 機 会 が制定されてきましたが、 その中には、 教皇様は、この聖年の間、堕胎の罪に つ い て も、心 か ら 悔 い 改 め、ゆ る し を ることができます。自室の入り口を通 堕 胎を行った人 ローマの4大聖堂(バジリカ)の中で開 刑 罰 を 受 け るに 値 し な が ら も、自 ら が 願 っ て い る 人 の 罪 を ゆ る す 権 限 を、い 区 司 教 に よ っ て 指 定 さ れ た 教 会、そ し て かれる「聖なる扉」を小巡礼するよう招 犯 し た 不 正 義 を 認 め、心 か ら 社 会 に 復 か な る 状 況 に お い て も、す べ て の 司 祭 かれています(大勅書3、 )。 帰 す る こ と を 望 み、そ の た め に 熱 心 に に与えます。 だれが? 免 償を受けたいと望むすべてのカ トリック信者 受刑者は刑務所の礼拝堂で免償を受け 努 め ている 多 く の 人 々が 含 ま れ ま す。 受 刑者 れます。免償を体験し、 得るために、 信者 、『 カ ト リ ッ ク 教 会 の 教 え 』 の秘跡をより頻繁に受けるように努めま 父 の み 顔 の う ち に、人 間 一 人 ひ と り に 訪 に親しみ、ゆるし の趣旨や目的を述べておられます。です しょう。 大司教 ヨセフ 髙見三明 から、 まずこの冊子を繰り返しよく読むこ ① とをお勧めします。個人的に読むだけで なく、 小教区内の地区や班、 あるいは修道 ② 浦 上司教座教会(カテドラル) 中 町教会 滑 石教会 相 浦教会 平 戸ザビエル記念教会 青 方教会 福 江教会 大 浦教会 ⑨ 聖 フ ィ リ ッ ポ 教 会( 日 本 カ ト リ ッ ⑧ ⑦ ⑥ ⑤ ④ ③ 院や会や団体ごとに一緒に読んで分かち 互いによく理解し、 確認し合うためです。 2 いつくしみの扉(門)を通って 出入りする を「 い つ く し み の 特 別 聖 年 合いをすることをお勧めします。分かち Jubilaeus 」と定め 合うのは、 内容を取り違えたりしないで、 Extraordinarius Misericordiae くしみの特別聖年公布の大勅書『イエス・ キリスト、 父のいつくしみのみ顔』(カト リック中央協議会、 2015年7月発行。 以下「大勅書」 )が公布されました。 ク長崎・西坂巡礼所) るたびに自らの思いと祈りを御父に向 ける姿勢が、彼らにとって、聖なる扉を 聖 ピオ十世会の司祭からゆるしの 秘跡を受けた信者 移民や難民を数多く受け入れて連帯を示している国々が、 その努力にふさわしい支援を見いだすことができますよ うに。 教 皇 様 は、い つ く し み の 特 別 聖 年 の 間に聖ピオ十世会の司祭からゆるしの 11 月 難民を受け入れる国々 くぐることを意味するものとなります 「聖なる扉」をくぐることができな ジャーナリストが、 仕事をするうえで常に真実を尊重し、 倫理に忠実な姿勢を保つことができますように。 い人々 10 月 ジャーナリスト 4 免償を受ける(大勅書 ) 私たち一人ひとりが、 共通善のために、 また人が常に大切 にされる社会の建設のために、 尽くすことができますよう に。 秘 跡 を 受 け た 信 者 の 罪 の ゆ る し を、有 9 月 人間中心の社会 ように。神のいつくしみは、 人々の心を スポーツが友情を育むよい機会となり、 世界平和に貢献す ることができますように。 効かつ合法なものとすることを認めま 8 月 スポーツ 変 え ること も、ま た 服 役 期 間 を 自 由 な アイデンティティばかりか、 その存在自体までもが脅かさ れている先住民族の人々に、 尊敬の念が向けられますよう に。 と り わ け 病 者 や、自 宅 に こ も り が ち な 独 り 暮 ら し の 高 齢 者 に と っ て、主 に 7 月 先住民族 聖な る 扉 を 開 き、 日 に は ロ ー マ 教 区 の 司 教 座 聖 c たとえ世界の巨大都市にあっても、 高齢となった人々、 軽 んじられている人々、 孤独な人々が、 出会いと連帯の機会 に恵まれますように。 免償とは 221 6 月 連帯 教皇様 は 、 2 0 1 5 年 月 8 日 に 聖 ペ と 復 活 を 準 備 す る ために、神 はマリア を 堂である ラ テ ラ ノ の 洗 礼 者 聖 ヨ ハ ネ 大 聖 220 いずれの国においても、 女性が尊敬され、 尊重され、 そのか けがえのない社会貢献が高く評価されますように。 備えてくださいました。ある意味で、 神の 堂 の 聖 な る 門 を 開 か れ ま す。 同 じ 日 に、 5 月 女性への尊重 す。 困難な状況にある家庭に必要な援助の手が差しのべられ、 子どもたちが健全で平和な環境のうちに育ちますように。 月8日は「無原罪の聖マリア」の祭 日です。神のいつくしみが最も力強く効 d e f 14 小規模農家の人々が、 貴重な労働に対する正当な報酬を得 ることができますように。 体験に変えることもできるからです。 4 月 小規模農家の人々 近づく体験として自らの病気と苦しみ 3 月 困難な状況にある家庭 免 償 と は、す で に 赦 さ れ た 罪 に 伴 う 有 限 の 罰 の 免 除( 軽 減 ) で す。 信 者 は、一 312 (2) a b 無償の贈り物として神から与えられた被造物を、 のちの世 代のために適切に守り育てていくことができますように。 果的に示されるキリストの誕生および死 いつくしみの計画の出発点にある、 この祭 城壁外の 聖 パ ウ ロ 大 聖 堂 と 聖 マ リ ア 大 聖 長 崎 教 区 に お い て も、浦 上 教 会 と 他 の 6 つ の 地 区 長 教 会、大 浦 教 会 と 聖 フ ィ Porta て、 わたしたちキリスト信者は、 特 権や 厳 リッポ教 会 ( 日 本 カ ト リ ッ ク 長 崎 ・ 西 坂 2 月 被造物への配慮 ト ロ 大 聖 堂 の 聖 な る 門( Porta Sancta ) 日が、 いつくしみの特別聖年の出発点とな いつ く し み の 扉 日 に「 い つ く し み の 扉 全 世 界 の す べ て の 司 教 座 教 会 で は、 月 格さをいつくしみに転換し、 現代の人々に 巡礼所) で 「 い つ く し み の 扉 」 が 開 か れ 13 「子ども兵士」という不正な実態が、 一刻も早くこの世界 からなくなりますように。 堂の聖な る 扉 が 開 か れ ま す 。 神のいつくしみを実際に伝えるようにな ます。 」が開かれます。 Misericordiae らなければならないのです(大勅書4) 。 こ れ か ら の お よ そ 1 年 間、こ の い つ く し み の 扉 を 通 っ て 出 入 り し な が ら、い つ 12 月「子ども兵士」の撲滅 るよう祈りたいと思います(大勅書3) 。 2015 年 月 8 日 は、第 2バチ カン 公 会 議が 閉 幕 してちょう ど 年 目に当 半世紀たってもまだ道半ばの観がありま すし、 むしろ問題がますます増え、 複 雑に わ た し た ち の 教 区 に お い て は、教 区 シ ノ ド ス の 提 言 の 実 施 と 合 わ せ て、こ の 特 く し み の 恵 み を い た だ き、教 区 シ ノ ド ス なってきています。このような時代にあっ 別 聖 年 を よ り 有 意 義 に 過 ご す た め に、以 を 実 施 し、他 の 人 々 と 分 か ち 合 う こ と に よって霊 的 刷 新 を 行 い た い も の で す 。 3 巡礼指定教会を巡礼して祈る 信仰を異にする人々の誠実な対話が、 正義と平和をもたら しますように。 6年 20 12 22 1 月 諸宗教対話 12 る と 公 表 さ れ ま し た。 同 じ 日 付 で、い つ 11 下のような要領で過ごすよう努めていき 1 特別聖年公布の大勅書を 熟読玩味する 2016 年 12 たります。公会議で打ち出された刷新は 50 13 13 長 崎 教 区 で、 月 日( 日 ) に「 い つ くしみの 扉 」 が 開 か れ る 教 会 は 下 記 の 通 ゆるされた体験のない人々が、 神のいつくしみに触れるこ とができますように。 20 教皇様は、 大勅書の中で、 この特別聖年 2015 年 11 16 (1) (2) 12 12 (1) 教皇様の意向のために祈りましょう 12 11 「いつくしみの特別聖年」の過ごし方 2 月1日(毎月1日発行) 12 たいと思います。 12 月 神のいつくしみの体験 1036 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可) 第 カトリック教報 (3)2016年(平成28年) の 祈 り を 伴 う 必 要 が あ り ま す( 前 頁表参照)。 新年の集い りました。 6人が終生誓願宣立 にして、修道 会と教会、そ して本人と マリア修道会本部聖堂で 成人式の祝いで賑わう 1月 日(月) 、 お告げの のテーブルには笑顔の花 ま っ た 家 族 も 多 く、満 員 合 っ た。 久 し ぶ り に 集 家族にいた る 中 で、 「神のいつくし 終生誓願式が髙見三明大 が咲いていた。また修道 お告げのマリア修道会 み」をどのように受け止 を 囲 み、誓 願 宣 立 者 た ち ことができます。 どんな条件で? ゆ るしの秘跡とミサに参加する してくださ い 。 会の恩人たちもテーブル 愛 どこで? 長 崎教区の場合、大司教が指定 続いて髙見大司教様 の 講 話 が あ り、結 婚 や 家庭についての教会の めるべきかを話されまし 司教主司式で行われた。 の成長を喜んだ。ミサの 修道女会在俗会連盟 た。「 人 を 愛 す る と は、そ 福岡教区の宮原良治司 教 を は じ め、教 区 内 外 か 中で侍者を務めた長崎カ な お、「 教 区 シ ノ ド ス の 実 り の た め の 祈 り 」 も 週 日 の ミ サ、で き れ ば マリア江口しの(桐) 、 フ 信徒夫妻 した、 上記の巡礼教会です。 の人を条件なく大切にし らの 余人の司祭による トリック神学院の神学生 ランシスカ岩崎香須美 26 日 だいた大きな恵みを喜び たいと思うこと。それは 共 同 司 式 の 中 で、終 生 誓 と 」 を、聖 書 や 聖 人 た ち 4 かい り 具体的な行動が伴わなけ 願を宣立した6人は以下 の 模 範 を 示 し な が ら、分 カップル間に豊かな対話を 教えと現実が乖離してい ればならない。 」また「愛 たちもこの喜びの席に着 が、1月2日(土)カト 子(三井楽) 。 、マ リ ア 山 崎 裕 かりやすく説明してくだ ( 神 ノ 島 ) 信 徒 5「い つく し み の 特 別 聖 年 の た めの祈 り 」 を 唱 え る は日々の出来事の中で積 き、教 会 の 霊 的 な 絆 を 体 リックセンターで行われ さいました。 それぞれの家族、 恩人、 友 人 は、奉 献 生 活 を 生 涯 19 日 ? 3 巡 礼教会に行くことができな 主 日 の ミ サ、あ る い は 他 の 機 会 に 唱 の通り。マリア・コルベ ました。指導司祭の松村 にわたって生きる誓いを 創立 周年記念感謝ミサ 夫婦愛を育てる新婚時代 い 人 も、そ れ ぞ れ の 場 で 受 け る いつくしみに関する振り返りの もとに行われるゆるしの秘跡とミ え続けるよ う に い た し ま し ょ う 。 岩田真里亜(湯江) 、 マリ 信也師(イエズス会)か 講 話 の 後、大 司 教 様 司 式ミサで110人余の参 立てる姉妹たちを見守 がささげられた(写真) 。 心ゆかりの作家・長崎ゆ テーマ 個人で、家庭で、また小教区の主日 のミサの時 な ど に 皆 で 唱 え る よ う に サと結びついていることが何より み重ねられていくもので 験していた。 ら は、「 奉 献 生 活 の 年 」 加者は奉献の誓いを新た ミ サ 終 了 後、学 園 創 立 周年記念コンテストの ア永田亜希(紐差) 、 マリ はこれで終わりではな にして出発の日といたし ア藤原真都華(上神崎) 、 く、奉 献 生 活 が 宣 教 生 活 り、聖 堂 は 熱 心 な 祈 り と 教区修道女会在俗会連 そ の 人 に 触 れ、そ の 人 の 盟 恒 例 の「 新 年 の 集 い 」 必要を満たしてあげるこ と な る よ う に、こ れ か ら ました。 書記 深堀光子 感謝で満たされた。式後 (聖マリア在俗会) は 会 場 を 移 し、食 事 を 共 もますます積極的に使命 を果たしていきましょう との励ましのことばがあ 被爆 年を 【感謝ミサ】 月8日 記 念 し て (火)無原罪の聖マリア 賞 状・ 賞 品 授 与、ク ラ ブ 中学・高校・同窓会のコー 8 31 日 信 徒 2人で歩む道の価値観 ❖申 込 先 〒 852 - 8113 長崎市上野町 10 - 34 カトリックセンター内「家庭委員会」 9 6月 7日 司 祭 結ばれた2人の道 14 日 司 祭 カトリック教会における異宗婚 修了式 めざして いのちの誕生の神秘とその喜びを学び、 より良き 妻、 夫となることの素晴らしさを学んでいきます。 よりよき夫と妻、 父と母を あ り、イ エ ス 様 の よ う に 6「い つく し み の わ ざ 」 を 行 う 教皇様は、大勅書の中で、次のこと を強調して お ら れ ま す 。 人 を裁いたり、罪に定めたりし ないこ と ( 、 、 ) さ まざまな傷を負いながら生 き て い る 人 々 に 心 を 開 き、耳 を 傾 け、近 づ く こ と。 具 体 的 な 例 と し て、キ リ シ タ ン 時 代 の 信 徒 の 自 発 的 な 信 心 会「 ミ ゼ リ コ マリアを教育の理想に 活動・ボランティア活動 ラス部200人余が大合 かりの作家』展」を開催。 長崎純心大学博物館所蔵 信 徒 愛を育てる家庭経済 もまず重要です。 ゆるしの秘跡とミサへの参加 は、で き れ ば 巡 礼 指 定 教 会 で 行 わ れ る こ と が 望 ま し い が、そ れ が で き な い と き は 自 分 の 小 教 区 な ど、 他の教会でも可能です。大切なこ とは実際に参加することです。 こ れらの秘跡は、信仰告白(「使 徒 信 条 」 あ る い は「 ニ ケ ア・ コ ン ス タ ン チ ノ ー プ ル 信 条 」)、 教皇様のための祈りを伴う必 ル ヂ ヤ の 組 」「 サ ン タ・ マ リ ア の 組 」 な ど の〝 慈 悲 の 所 作 〟 があります( )。 の祭日は学園創立記念 し て 髙 見 三 明 大 司 教、冨 唱、会 場 を 包 む 感 動 の う ❖申込方法「申込書」に必要事項をご記入の上、 郵送で 下記へお申し込みください。詳細は主任司 祭にお尋ねください。 10 要があります。 教 皇の意向のために祈る 日。浦上教会に学生・生 中・高校は午前8時 分 岡 勉文部科学副大臣、中 ちに終了した。 信徒夫妻 ❖連 絡 先 Tel 095 - 842 - 4450 Fax 095 - 842 - 4460 (担当:辻) 純心女子学園創立 周年 「 平 和 を 讃 え る 歌〈 燔 山田耕筰作曲) 、 創立記念 から久志利津男師(浦上 村 法 道 長 崎 県 知 事、田 上 品の中から学園とゆかり の 深 い 画 伯、長 崎 で 活 躍 した画家の作品と工芸品 に 加 え、同 館 所 蔵 の 清 島 省三コレクションの一部 を 初 公 開、内 容 の 濃 い 展 24 日 員 40 名(20 組になり次第、 締め切ります) )。 祭 の 〉」( 永 井 隆 作 詞・ 徒、 教職員が一堂に会し、 などの表彰を行って日頃 月8日の無原罪の聖 富久長崎市長が原爆の焦 長崎新聞文化ホールア ストピアで開かれた祝賀 軒 両 隣 り、構 内 を 横 断 す 覧会となっていた。併設 の「純心造形展」では学 7 ❖受 講 費 1 人 8,000 円(当日受付にて) 他 の宗教の人々と対話するこ 【記念式典】昨年 月 5日(土)長崎ブリック 日 土の中からの学園の再建 大学ブランドの一つ」と 園の活発な創作活動が紹 介されていた。 「ビリングス・メソッド」排卵法を学び、 生まれて 17 日 医療関係者 2人で迎える新しい《いのち》 くる新しいいのちを育む大切さを学んでいきます。 所 カトリックセンター2階講堂 12 日 対話を通して2人の関わりを深め 「神は人を男と女とに造られた」という、 そのいのちの 神秘を味わいつつ、 互いのいのちを尊重していきます。 ❖場 対話の大切さを学びつつ、 互いに感情を言葉で言 い表すことを学んでいきます。 2 幸せな結婚生活をめざして 5 月 10 日 医療関係者 素晴らしい性といのち 時 4 月 5 日~ 6 月 14 日 午後 7 時~ 9 時 *毎週火曜日の連続 10 回(5/3 を除く) 「対話の道しるべ」を使って、 互いに対話の実習・ 作業などを通して学んでいきます。 カトリック教会の結婚観と愛 開講式 意味を学びながら 5 ❖日 「あなたはかけがえのない」人であることを学び、 互いに愛を分かち合っていきます。 心の準備をしていきます 内 容 司 祭 カトリック教会で結婚することの と( ホール(長崎市)大ホー 職 員、関 係 者 約 2 0 0 0 の歴史とカトリックミッ の「 純 心 と は 向 こ う 三 会は、片峰 茂長崎大学長 立 周年記念展覧会『純 ション校としての 年の 人 が 出 席。 来 賓 を 代 表 の研さんをたたえた。 ルに来賓、学生・生徒、教 母を称えて M. A. Melvil 主 任 ) の 司 式 に よ り、大 【展覧会】 月1~ 作 曲「 Tota Pulchra es 学・大学院は午前 時か 日、長 崎 県 美 術 館 県 民 」の3曲が選ばれ、 ら髙見大司教司式による ギャラリーを会場に、「創 Maria 堅実な歩みに祝意を述べ た。 ユーモアに溢れたお祝い 九、無知なる人に道理を教える。 13 4月 5日 教区家庭委員会 教皇様が教会と全世界の幸せの ために心に抱いている意向のため 十二、 恥 辱 を堪忍する。 ち じょく かんにん 慈悲の所作、 すなわち「第一肝要の事」 《身体に関する所作》 十三、隣人のいたらぬ事を赦す。 りん じゅう じ 一、飢えたる者に食を与える。 十四、自身に仇をなす者と臨 終 時 1 5 9 2 年、天 草。 H・ チ ー (『 ド チ リ ナ・ キ リ シ タ ン 』 あだ 二、 渇 したる者に飲 物 を 飲 ま す 。 の人のために神に祈る。 かっ 三、裸の者に衣類を与える。 四、病人をいたわり見舞う。 五、旅人に宿を貸す。 六、囚人の身元引受人になる。 七、無縁の死骸を納骨する。 スリク監修 太田淑子編『日 本史小百科 キリシタン』 東京堂出版、平成 年、 頁) 続く第2部の記念賛歌 で は、信 徒 発 見 1 5 0 周 《精神に関する所作》 年を記念する「まことの ( 石 川 和 子 作 詞・ 作 曲 )、 な懇談の時間となった。 る制服姿の純高生は長崎 で始 まり、その後ポルトガルのリスボ な お、 「 ミ ゼ リ コル ヂ ヤ の 組 」 は、 1240年頃、 イタリアのフィレンツェ ンに本 部が置かれ、そこからイエズス 教え〈信徒発見のうた〉」 の 言 葉 に 始 ま り、和 や か 八、人に良き意見を加える。 十、悲しみの者をなだめる。 会宣教師によって日本に導入された。 せっかん 12 15 十一、 折檻すべき者を折檻する。 6 ❖定 30 1 は 結婚講座のご案内 と 80 80 と 12 11 講 師 2016 年〈春〉 70 a b c 60 80 月 日 ? 80 12 23 回 は 141 12 80 14 20 21 11 家庭 とは? そして幸 せ な 結婚 11 (3) a b (4) a b c 2 月1日(毎月1日発行) (4) 2016年(平成28年) カトリック教報 1036 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可) 第 いのちの叫びと生まれてくることの喜びを心から 受け止め、2人で分かち合っていきます。 「神が結び合わせたものを人が離してはならない」と いう教えを心に留めて、 最後まで歩み続けましょう。 し み も た ち に 食 事 を 作 り、人 え 続 け、食 卓 の な い 子 ど 捨てた青少年に希望を与 を 運 び、未 来 が 捨 て ら れ 上生活者に温かい味噌汁 ル地区としてボランティ 福音化推進部は、20 11年から下五島をモデ 父のみ顔です。 の姿が見えてきます。御 れみ) 」を注ぐキリスト となると考えている からです。 紙﨑新一師 福音化推進部 れみ)構想」を進めてい つ く し み も と へ「 出 向 い て 行 く 」 い 和推進委員会主催。 記入・提出していただき、電話確認後受け付け〉 く 権が無視され奪われてい ア・ネットワークづくり、 本質へと立ち帰る時が来 ▼召命祈願ミサ 2月 日㈭ 時、 滑石教会。 3 時、 浦上教会。 ▼司祭・助祭叙階式 月 日㈰ ▼信徒発見ミサ 3月 日㈭ 時、 大浦天主堂。 ▼聖香油ミサ 3月 日 ㈫ 時 分、 浦上教会。 感 謝 申 込 カトリック滑石教会 婚活支援部 〈滑石教会の申込書に つ る 人 の 友 と な り、声 な き り組みについて3人の部長に語っていただいた。 召命への意識と関心を ず、1日1回は唱えてく デ れています。教会にそん ▼西坂・聖フィリッポ教 時、 時。 9 時 か ら ― 香典返し ― 人 数 男女各 20 名(定員) 締 切 3/27(日)17 時 い 「教会の歴史は新しい段 命 に 耳 を 傾 け、キ リ ス ト 「 ミ ゼ リ コ ル デ ィ ア( 憐 み 階へと移りました。…… の平和こそ真の平和だと し あまりに長い間教会を特 訴え続け、 諸教会の一致、 ます。教会から「この最 く 権のとりでに閉じ込めて 諸 宗 教 の 対 話 に 向 け て、 も 小 さ い 者 の 一 人 」 の つ い た 壁 が 崩 れ、新 た な 方 と、 「共に生きているキ い 神様から与えられ た 召 命 の 恵 み は、本 人 や 法で福音を告げる時が到 奉 仕 活 動 は、教 会 の 中 で 来していたのです」 (4) 成果も満足もない地道な リ ス ト と 出 会 い ま す。 」 ま す。 で も、寒 い 夜 の 路 「 ミ ゼ リ コ ル デ ィ ア( 憐 その家族だけの問題では と第2バチカン公会議を は信仰生活の背景にすぎ 福 祉 を 超 え た 福 音 化、 「ミゼリコルディア(憐れみ) 」を ろんな可能性の なく、小教区の、教区の大 回想しながら、 教会は 「た ないようです。 教会奉 仕 者 等 養 成 部 眞浦健吾師 す。これからは青年 ある神の呼びか て て い く た め に も、教 区 を 向 け な が ら、 切な宝物です。大切に育 け(召命)に目 のすべての信徒の皆さん だ正義のみを要求したい 「 聖 体 」 を 仰 ぎ 見 て 「 ミ ゼ リ コ ル デ ィ ア( 憐 」を生きる教会づ 聖 書 を 開 き「 み こ と れ み ) の司祭・修道者への 小学生から青 にお願いいたします。「召 と い う 欲 求 が、 (いつく くりです。2016年か 第5期 各 部の取り組み 年までの召命のお手伝い 命を求める祈り」を必 左に立派なカリスの絵 があります。少し視点を しみを生きることを)忘 らはあなたの地区にも! ル ス 生きる「出向いて行く教会」 をさせていただくためで 変 え る と、カ リ ス の 左 右 と、い つ も 人 々 の 中 で 召 命 は、重 要 な も の 長崎神学 す。 ださい。亡くなられた島 に人々の顔が見えてくる ……「兄弟の弱さと苦し れさせていました」 ( ) ば」に目を留めてみる コ ル み 院の創立 本大司教様が言っておら で し ょ う。 今、教 会 は 信 リ テ し 記念日に そ の た め に、召 命 祈 願 ミサは、今までは、学期中 れました。「大工は大工を 仰の視点を変える大切な ゼ ー たち福音化推進部の活 く なってい に 1 度、大 浦 天 主 堂 で 行 し な が ら、一 人 前 の 大 工 み を 引 き 受 け る た め に、 ミ パ いたします。 つ ます。昨年、150周年 わ れ て い ま し た が、こ れ になる」と。神学生も神 トキを迎えています。 にもあげられているよう に計画しています。また 修 道 院 に 入 っ て、志 願 者 シ ー ク ト ゥ ある召命を意識させるも 同体づくり」を目指した 既存の講座の内容を 時 [email protected] 090 - 6293 - 2408(畑原) い を迎えました。 か ら は、ま ず 長 崎 3 地 区 学 校 に 入 っ て、一 日 一 日 に、召命促進のために、部 す。それぞれの召命の芽 くしみ深く 御父のよう に)と呼びかけておられ め た と い わ れ て い ま す。 を 統 合 し て、召 命 委 員 会 の へ と、少 し ず つ 変 更 し ま ず「 聖 書 を 読 み、分 か いと思います。 時 秘跡」 2月5日㈮ 9 ▪ 生涯 養 成 委 員 会 で は、 時、 時、 時、 時、 ち合う」機会づくりを呼 までゆるしの秘跡。 分 の 2 回、 見 直 し、さ ら に 小 教 区 時 の主任司祭の助けと 分と ▪ 信仰 教 育 委 員 会 で は、 告を申し上げます。 「われ世に勝てり」特別 長崎カトリック神学院 上映。長崎南地区司祭団 竹 ⃝田一弘様(浦上) 主催。 故マグダレナ竹田幸子様 ▼日本二十六聖人殉教記 橋 ⃝本テイ様(浦上) 念ミサ 2月7日㈰ 故フランシスコ 時、西 坂 公 園( 雨 天 時 は 橋本政人様 中町教会) 。 下 ⃝山國光様(大浦) ▼教皇フランシスコ平和 故マリア下山マシ様 メッセージ&神父さんと 深 ⃝堀義幸様(浦上) ともに歌うコンサート 故カタリナ深堀ヨシヱ様 2 月 日 ㈭ 時、カ ト 右の方々からご芳志を リックセンター・ホール。 賜りました。お礼とご報 講 師・ 西 経 一 師( 長 崎 南山中高校長) 。教区平 カトリック婚活支援パーティー 年 間 購 読 料 6,300 円 (年 11 回/ 8・9 月合併号) 教区シノドス提言の実現に向け、 その土台作りとなる第5期 (2015~ 年度)も1年を過ぎようとしている。今期の取 祭・修道者の召命の促進」 の 教 会 の ど こ か で、主 日 第1回教区シノドスを う け て、特 に 提 言 7「 司 の ミ サ の 中 で、行 う よ う ています」 (同)と語り 他の地区においても開催 が出ている小教区も一日 お知らせ 神 学 生 と し て、志 願 者 も 「いつくしみの特別聖 年 」。 教 皇 フ ラ ン シ ス コ 内 の 改 革 と し て、教 会 奉 す。 そ の ミ サ 自 体 が、神 ます。 としました。2つの委員 ながら開催する予定で 純心聖母会ベタニア修 ▼助祭・司祭候補者認定 道 院 の 新 F A X 番 号 は、 式 2 月 日 ㈰ 時、浦 上教会。 〈FAX番号の変更〉 されるように考えていま と し て、成 長 し て い き ま は 、 ます。 "M ISERICORDES 確 か に 長 崎 教 区 で、私 (いつ SICUT PATER" 学生と志願者たちの召命 一 日、祈 り を さ さ げ る こ 会 が 1 つ に な り、そ れ ぞ 中で、教会の中で、社会の び か け、次 に キ リ ス ト と なるようなカリキュ ラムやテキストの検 討 を 進 め、特 に 信 徒 の 10 を始めることを念頭にお と に よ り、神 の 民 と し て れの委員たちが幅広くい 日常の中に繰り広げられ 共に生きるために「秘跡」 堅信クラスの要理に ついての検討を始め る。 信仰生活の手引き書 を作成したい。 13 17 22 教 皇 は そ の 大 勅 書 で、 れら地道な活動は忘れら とカテキ る出来事や人々との関わ への積極的参加(お客様 力 者 と し て、主 と 共 に 捧 ▪ 青少 年 委 員 会 で は、各 15 30 信 徒 発 見 の 年 か ら、当 仕者養成委員会は教区内 時の宣教師たちは、将来、 の 必 要 性 に 応 じ て、活 動 必ず邦人司祭による司 牧 成長していくのかもしれ ▼祭壇奉仕者・朗読奉仕 在を見た信徒の皆さんの いて行動すること。次に、 への意識の向上とその存 ま せ ん。 微 力 で す が、教 スタの養 りの中に復活の主との出 として秘跡に与るのでは 地区の青年活動には 13 19 10 ぶどう園 です。電話番号は変更あ 召命への関心につなげて な活動が必要なのかと問 成」に焦 会いとその導きを体験し 温 度 差 が あ る の で、そ 関 し て は、教 区 シ ノ ド ▪ カテ キ ス タ の 養 成 に ス提言推進会議との 今後の動向と諸委員 会や各地区との連携 を 図 り な が ら、信 仰 養 成部で取り組むべき 事柄を精査していく。 17 10 20 14 信仰養成部 095‐894‐5331 委員たちの共通理解と一 いくためのものです。 われます。 点を置い ま す。 で も、十 分 に そ の れぞれの活動の充実 中濱敬司師 動、 福祉、 人権、 平和、 教会 が日本の教会を支える こ 致協力体制を強固にする 会奉仕者等養成部の一員 て、今 期 の 活 動 計 画 を 立 な く、救 い の み わ ざ の 協 を 図 り な が ら、信 仰 18 一致促進、 諸宗教対話、 こ とになると判断し、即、そ ために、まず、神学生養成 と し て 全 委 員、頑 張 り ま てるように取り組んでい 恵みを受け取る信仰の力 げる存在として集う意識 教育の在り方を見つ 15 者選任式 3月 日㈭ 時、 浦上教会。 の年の暮れに3名の神 学 また青年対象の活動も きちんとしたそれぞれに きます。 を育てる)を促すことを め る 必 要 が あ る。 た 28 りません。 生を司祭館の屋根裏部 屋 委員会と召命促進委員会 キリスト教は神との出 を 身 に つ け、さ ら に 成 長 会いの宗教です。しかも、 さ せ る た め に は、生 涯 か 目指しながら、3つの委 だ、来 年 度 は ワ ー ル ド に 住 ま わ せ、神 学 校 を 始 神 の 方 か ら 人 と な っ て、 けての養成が欠かせませ いと考えています。これ な い 」 こ と を 嘆 く よ り、 員会は足並みをそろえた ん。今まさに「できてい は、教 区 評 議 会 が 今 年 度 ユースデイに全力を 15 14 問合せ TEL 095 - 856 - 8623 FAX 095 - 856 - 8603(滑石教会) *カトリック書店でも購入可(1 部 500 円+税) 会での日本二十六聖人殉 現実の中で苦しみ疲れ果 の活動方針としていると 19 11 対 象 カトリック信者で初婚の方 参加費 1,000 円 問 合 せ オリエンス宗教研究所 〒 156 - 0043 東京都世田谷区松原 2 - 28 - 5 Tel 03 - 3322 - 7601 Fax 03 - 3325 - 5322 http://www.oriens.or.jp/ 殉教祭には多勢が集 い、典 礼 や 信 仰 に つ い て そ の 時 が、聖 母 マ リ ア の へ、父 な る 神 の い つ く し 「 で は ど の よ う に 養 成 し てている私たちのもと ていくか」が問われてい ころでもあります。こう 傾ける。 ■新連載 菊地 功 神谷秀樹 坂野正則 森 裕子 す の で、よ ろ し く お 願 い 無原罪の御宿りの祝日 みの心を携えて積極的に ます。 し て、提 言 2 の「 キ リ ス レンゾ・デ・ルカ=五野井隆史/髙橋敏夫/前田万葉 教「記念ミサとゆるしの 頃 で し た の で、そ の 日 が 近づいてこられる主・イ ず つ 理 解 す る た め に も、 トの福音に支えられた共 証しの人 ユスト高山右近 ― 列聖列福へ向けて 学ぶ人たちはたくさんい 信 仰 養 成 部 で は、『 教 区シノドス提言書』に 基 エス・キリストと出会う 宗教です。洗礼の恵みに 30 救いのわざの協力者に づ き、基 本 方 針 Ⅱ キ リ ストとの出会いを求め て 今 期 は 特 に、キ リ ス ト と 出 会 い、そ の 心 を 少 し よ っ て、私 た ち は 家 庭 の ■年間特別対談 19 10 17 ―祈りと信仰教育の 再 興― 提言6「信仰教 育 テーマ 神の国の幸い ― 「真の喜び」に出会う シノドス提言を受けて 2 月1日(毎月1日発行) 2016 年 4 月 3 日(日)13 時から滑石教会信徒会館にて 振 替 口 座 00170 - 2 - 84745 13 14 11 石 碑 文字彫刻 墓地工事 リフォーム 墓地分譲 『福音宣教』2016 年のご案内 カトリック 月 刊 誌 み 郵便振替用紙で購読料を振り込み 込 申 30 1036 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可) 第 カトリック教報 (5)2016年(平成28年) ステンドグラスを設置 真手ノ浦小教 区 設 立 周 年 に ― 神 マは「宇宙 万物 の 計 画 」。 ガラスに熱 を 加 え、重 ね 合 わ せ た り 曲げたりして加工する立 体フュージングという技 法 を 用 い、函 館 市 在 住 の ス テ ン ド グ ラ ス 製 作 者、 藤井絹子さん(元町教会 信徒)が手掛けた。 主任の山内 実師は「神 は 宇 宙 万 物 を 創 り、愛 の 営みに参加するようにさ 日㈭~ 日㈬ 3 ⃝月 日㈭~ 日㈬ (2/ 締切) 4 ⃝月 日㈭~ 日㈬ (3/ 締切) (4/ 締切) 5 ⃝月 大槌ベースボランティア募集 申し込みは所属小教区へ。問い合わせは教区本 部事務局(松尾)まで。 曲の演奏が終わるたびに 堂内は拍手に包まれた。 で聖堂はいっぱいになり、 プの演奏者 この企画は新上五島町 民がクラシック演奏に触 産協会が共 が2日間ず れるまたとない機会であ 催。3グルー つ 演 奏 し、教 会 巡 り を し 教会に親しむ機会に ながら3通りの演奏を鑑 上五島の6教会でコンサート 月8日から 日にか け て、上 五 島 地 区 の 6 つ 人々に親しんでもらう機 り、教 会 を 初 め て 訪 れ る 今年は最終グループが 賞することができる。 上五島 教 会でもある。参加者の一 の教会を会場に「チャー チウィーク 人は「聖堂で演奏するこ れ て い て、じ っ く り 演 奏 とを意識した曲目が選ば 095‐842‐4450 日に青方教会を訪問 日に浜串教会(写真) 、 し、 第一部では本格的なク 会コンサート」が開催さ ラ シ ッ ク 演 奏 を、第 二 部 れた。 主催は「探訪~四季を 味わう上五島実行委員 に 及 び、こ れ か ら も 続 き (下山盛朗師の母) 下山マシさん マリア 大きな喜びで で す が、初 代 場としてふさわしくなっ ていくよう共に祈りなが 歳。 マリア (坂本 要師の母) 坂本テイ子さん な が ら、 「母は一言でい 者 と 共 に、永 遠 の 安 息 を 聖堂を埋める多くの参列 働いていました」 と語り、 の身を削り身を粉にして も た ち の た め だ け に、そ 生前良くしていただいた 崎 教 区 で 働 く 司 祭、修 道 司教が主司式。大分・長 れ、大 分 教 区 の 浜 口 末 男 葬儀ミサ・告別式が行わ 母の働く姿を思い浮かべ 様のために生きた」と 割を果たすことでイエス 会のために祈るという役 なかったが、 私や家族、 教 立ったことは何もしてこ 述べた。 語った。 Ⅰコリントの信徒への手 を 紹 介 し、母 親 と の 約 束 の遺言を受けていたこと せる話をしてほしい」と からずっと病気がちで目 を果たしていた。 紙 章の言葉を引用しな 月 日に出津教会で 月 日に逝去。 歳。 が ら、 「母は私が幼い頃 ま た 生 前、 「自分の葬 葬儀ミサの説教で坂 本 要師(大分教区)は、 式に集まった方々を笑わ さげた。 者、信 徒 が 共 に 祈 り を さ 月 7 日、脳 出 血 の た 説 教 の 中 で 下 山 師 は、 大浦教会の信徒の皆さん め 長 崎 市 民 病 院 で 逝 去。 子どもの頃から見ていた と多くの参列者に感謝を た。 願う祈りがささげられ 余 の 司 祭 が 共 同 司 式 し、 の た め で な く、た だ 子 ど われた。葬儀ミサは う と、大 変 働 き 者 の 母 で に耳を傾けることができ 095‐842‐4460 よりよい祈りの場へ 献堂 周年を迎えた古 からの歴史は110余年 江教会(平戸小教区)は、 ら、建 設 に 携 わ っ た 方 々 のために感謝をこめてこ した。5人の子どもを育 た」と話していた。 献堂日の前日に当たる 日(日)に記念のミ 通 夜 は 8 日、葬 儀・ 告 別 式 は 9 日、い ず れ も 大 会では300人の参加者 た。 そ こ で、父 な る 神 は 月 浦教会で次男の下山盛朗 された。最終日の青方教 イエスをこの世に遣わさ サを行った。 てるため必死で働いてい だ親しみのある曲が披露 れたのです。キリストの の御ミサをささげましょ う」と語った。 たのだと思います。自分 ではクリスマスにちなん 昨年 月8日(日)、真 手ノ浦教会のステンド グ ご受難・ご死去・ご復活 主任の山田 聡師は説 教 の 中 で、「 か つ て 浦 上 かつて 世帯200人 いた信徒も現在は7世帯 い」と言われたイエス様も、 きっ 人 会」で新上五島町観光物 ラスが髙見三明大司教 に を 通 し て、再 び 人 類 は 神 の 信 徒 た ち は、配 流 先 か 周年 よって祝別された。ス テ の愛の交わりに参加する ら 帰 っ て 来 た 時 に、自 分 人 と な っ て い る が、同 教会出身の4人のシス ターが教区内外の修道会 で奉仕している。 と子どもたちのことが大好き 師の主司式のもと執り行 す。 こ の 聖 堂 ンドグラスの設置は信 徒 ことができるようになり の家よりもまず教会を建 平戸・古江教会が献堂 周年 は献堂 がかねてより希望して い ました。ステンドグラス てました。教会の中でミ ま す。 よ り よ い 祈 り の た も の で、現 在 の 3 代 目 はこの救いの計画を十字 れ ま し た が、人 類 は 神 の 教会堂の建立から5年 を 架像と共に示していま サや祈りがささげられ 愛から離れてしまいまし 周年にもあたる節 目 迎えるとともに小教区 設 立 す。まさに信仰の原型を れ は 賑 や か。「 す ご ー い! よ かったね。給食いっぱい食べて だったに違いありません。福音 示すもの」と話している。 る こ と は、信 者 に と っ て ね!」 と 手 を 振 っ て 別 れ、子 ス 宣教や弟子たちの教育で疲れて ステンドグラスのテ ー の年に実現した。 ズメたちの笑顔を思い出しにん イエスは幼子たち を 呼 び 寄 い な 花 が さ い て る よ ! 」 と で せ な が ら こ う 仰 せ に な っ た。 も言っているのでしょうか。 まりとしているとそこへ「シス とに来るままにしておきなさ ろしたのも束の間、「チッター 「幼子たちをわたしのもとに し ば し の 間、天 使 た ち の 不 来 る ま ま に し て お き な さ い。 思 議 な 会 話 を 楽 し み、腰 を お ていたことでしょう。イエス様 止めてはいけない。 神 の 国 は は 案 外、保 育 士 に 向 い て い た か 思 い 悩 む 日 も、子 ど も た ち の 清 んの爆風のような声。やり らかな笑顔で心身共に癒やされ かけた仕事もそこそこに もしれませんね。 タ ー、た だ 今 帰 り ま し た ぁ」 と 窓から「お帰りー」と顔を イエス様だったらどんな保育 をしただろう。どんな言葉を子 お散歩から帰ってきた以上児さ 出 し、子 ど も た ち の 無 事 を どもたちにかけただろう。この 」 と ま た ま た 声 が。 戸 確認。思わず話し込んでし ~ ルカ 章 節 外 遊 び か ら 帰 っ て き た 子 ど も まうことも度々です。これ このような人たちの も の だ か らである。」 保育園の職員室で 仕 事 を し て い る と、毎 日 か わ い い お 客 時半 かつとし 特別養護老人ホームで働 通 夜 は 月 日、井 持 浦 教 会 で 熊 川 師 に よ り、 人、信 仰 の 人 で あ っ た。 葬儀ミサ・告別式は 日、 熊川幸徳師によると 「 忍 耐 の 人、ユ ー モ ア の 。 き一男一女を養い育てた。 喜んで行った」 と の 思 い で、教 会 奉 仕 も 事。 歳を過ぎてからは、 た。 ま た、教 会 も 我 が 家 年は深い祈りの姿を示し き 合 う 私 に と っ て、自 分 自 身 へ は 私 の 毎 日 の 日 課 で あ り、 問 い か け は、毎 日 小 さ な 命 と 向 深い慈しみの心で子どもたちを 幸せを感じるひとときで 思 い 出 さ れ ま す。 そ し て、私 も 1942年1月 日生 しませた。子どもが神学 ミカエル まれ。井持浦小教区の立 校 に 行 き 始 め る と、祈 る 熊川捷利さん (熊川幸徳師の父) 谷教会出身。中学卒業後、 姿 勢 も 徐 々 に 変 わ り、 晩 みんないい顔をしています。 神様から託された一人ひとりの 父親の始めた運送業に従 た ち が 窓 の 外 に 集 結 し、手 を 仕事の忙しさで心が疲れ笑顔 を 忘 れ そ う に な る と き も、子 ど 子 ど も た ち を、愛 を も っ て 育 ん の問いかけでもあります。この 振っています。窓から顔を出 もたちの何にも替え難いこの笑 でいこうと心を新たにする毎日 み こ と ば を 読 む た び に、い つ も きで満面の笑みを浮 か べ な が し「たのしかった?」と尋ね 顔 に 出 会 う と、晴 れ わ た る 青 空 もあります。遊びを満喫し ら、も み じ の よ う な 手 を 振 っ ると「砂場した」 「三輪車のっ のように心も体もスカーッとな た 子 ど も た ち は、ど の 子 も て自分の存在をアピ ー ル 。 そ た よ 」「 す べ り 台、お も し ろ 法人を問いません。詳しくは、NPO 法人世界遺産 の記録DVDを、 ご希望の方に貸し出します。詳細 会群の維持保存に有益と認められる活動で、 個人、 催公開典礼講座(ミサ総則の一部変更に備えて) 般寄付 ②売上寄付 ③清掃美化活動など、 その他教 昨年 11 月 15 日に開催された教区典礼委員会主 したものです。サポーターによる協力内容は、 ①一 公開典礼講座 DVD の貸出 教会群の整備・保存や周辺地域の活性化を目的と 問合先 教区生涯養成委員会(℡ 095 - 841 - 7731) http://www5.cncm.ne.jp/~ngs-ch 様 が 訪 れ ま す。 そ れ も 窓 か ら ……。 時 計 が 午 前 を 回 る こ ろ、た ど た ど し い 発 」と呼 」と窓から 音 で「 チ ッ タ ー ~ ぶ 声。「 ハ ー イ 顔 を 出 す と、天 使 の よ う な お してプランターの花 を 指 さ し かった」と、まるで庭に集まっ 受け入れられたイエス様の姿が な が ら、「 × △ ○ □ ……」 と 福江教会で髙見三明大司 教により執り行われた。 る寄付や活動を的確に活用することにより長崎の 問合先 教区家庭委員会 Tel 095 - 842 - 4450(担当 辻) に協力していただける方を広く募り、 その方々によ 13 宇宙人さながらのこ と ば で 夢 月 日、 肺炎のため五 人 が 大 勢 集 ま る と、歌 っ 島中央病院で逝去。 歳。 たり踊ったりして皆を楽 21 価 格 1,000 円(税込・送料別) 遺産登録が見込まれる長崎の教会群の維持・保存 25 です。 30 ◆ 通夜葬儀などのリクエストを意思表示するために 記制度をこの 1 月創設しました。この制度は、 世界 18 20 16 ります。「幼子たちをわたしのも 73 いを家族や友に伝えるために NPO 法人世界遺産長崎チャーチトラストでは、 標 13 16 24 25 FAX TEL 12 ◆ 秘跡の豊かな恵みのうちに人生を見つめ、 その思 「長崎の教会群保存サポーター制度」の創設について 30 12 14 10 た子スズメのようにそれはそ 20 ちびちゃんたちがヨ チ ヨ チ 歩 92 45 『感謝のうちに ― 私のエンディングノート』 長崎の教会群インフォメーションセンターニュース〔第 4 号〕 12 85 11 中で話しかけてきます。「きれ 12 Sr. 平田知恵美 は下記まで。 長崎チャーチトラストまで。 12 50 (お告げのマリア修道会) 13 12 in 12 18 20 25 40 16 !! 125 みことばにふれて 18 10 !! 19 17 18 !! 12 12 12 40 2 月1日(毎月1日発行) (6) 2016年(平成28年) カトリック教報 1036 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可) 第