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JEAP留学・交換留学
JEAP留学・交換留学 交換留学 韓国留学を経験してみて思うこと 留学先 韓国 韓南大学校 国際文化学科2年 中村 早希 私は2月 25 日から 12 月 24 日までの間,韓国の韓南大学に留学をしていました。この時期に城西 国際大学から韓南大学に留学するのは私一人だったし,分からないことだらけで初めは不安でした。 しかし,韓南大学の交流チームの日本人担当の先生がよくしてくれたので困ったことは特になく,ま た,他の大学から来た日本人もたくさんいたため,すぐに馴染むことが出来ました。 韓南大学での授業は午前中に語学堂という韓国語を学ぶところで他の国の人達と一緒に勉強し,月 曜日と火曜日だけ大学の授業を受けていました。日本にいるときはテスト勉強をせずにテストを受 けたり,授業中でも友達とお喋りしたり,たまには居眠りをしたりなど,あまり勉強をしませんでし た。しかし,韓国では周りの人達に影響されてなのか,授業中はノートが付箋だらけになるほど勉強 に集中していたり,学校が終わってもカフェで勉強したり,テスト期間中には6時間以上勉強したり と,勉強することに楽しみを覚えました。また,語学堂では少人数クラスでの授業だったので,分か らないことがあればすぐに聞くことが出来て先生と生徒の距離が近いようにも思えました。またそれ だけではなく,授業の代わりに文化体験をしたり,フィールドトリップに参加したりと楽しんで韓国 について学ぶことが出来ました。また, 時間がある時には他の国の人達と一緒に外に出かけたり,パー ティーをしたりと楽しく過ごしました。 私はこの留学で語学力やコミュニケーション力を伸ばすことも出来ましたが,それ以上に外国人の 友人と他人への思いやりの心を得た気がします。私は元々,たくさんの国の人々と交流をするのが夢 でした。日本にいる時も外国人と何回か交流したことはありますが,頻繁に連絡を取らなかったため, ただの知り合い程度に終わっていました。しかし,留学先では毎日顔を合わせ一緒に勉強していたの で,近い距離で交流することが出来ました。お互いの国の文化の違いで何度かぶつかることもありま したが,それを理解し学ぶことで,さらに関係が良くなったのではないかと思います。また,日本に いる時は一人暮らしだったので何事も自由に自分の好きなように過ごしていましたが,韓国では寮で 共同生活をしていたので自分の好きなように出来ない時が多々あり,たまに不便に感じる時もありま した。しかしそれで,他人に合わせることも大事なのだということを学びました。またそれだけでは なく,友人と一緒に暮らしていると毎日が賑やかで日本恋しさも忘れるほど楽しいということが分か ─ 26 ─ りました。 私にとってこの留学は色々なことを学ぶことができ,大きく成長した 1 年でした。また,留学をし たからこそ,日本の良さが改めてわかったし,自分が日本について全然知らないのだということも痛 感させられました。それなので,今後は日本の文化や歴史だけでなく日本語もきちんと勉強し,外国 人に日本の良さを伝えきれたらいいなと思っています。そして,日本でも外国人の友人を作り,たく さんの人と交流したいと思っています。 ポーランドへの留学を経験して 留学先 ポーランド ワルシャワ大学 国際交流学科3年 木村 由比子 この長期留学は私の人生の宝物となりました。色々な出会いがあり,国を越えた人と人とのつなが りを再確認することとなった約5ヶ月間でした。 私は中欧,もしくは東欧と呼ばれる地域にあるポーランド共和国の首都ワルシャワにあるワルシャ ワ大学に昨年2月から6月末まで留学させていただきました。ポーランドと言うと,主だった欧州の 国々の中ではあまり日本では馴染みない国と思われる事が多々ありますが,ポーランド出身の音楽家 フレデリック・ショパン,地動説を唱えたニコラウス・コペルニクスなど様々な分野の著名人がいま す。また,日本語教育も盛んな国であり,私が学んでいたワルシャワ大学の日本学科の学生は日本語 や日本文化に対する見識が広く,驚くことが多々ありました。日本語学科の友人のプレゼンテーショ ンや日本語スピーチコンテストを見に行きましたが,とても流暢にそして堂々と発表していて衝撃を 受けました。 さて,私が何故ポーランドを留学先に選んだのか?それは私の入学年度から新しく開講された第二 外国語の中にポーランド語があり,私は第一期受講生であったのと,元々バレエを習っていて,民族 舞踊に触れる機会が多く,自ずとその国々にも興味があったからです。入学時にアドバイザーからの 勧めもあり,第二外国語として,ポーランド語を習い始めました。 留学生活の中ではポーランドの建国から民主化までの歴史,ポーランド出身の著名人や映画監督, ポーランドの文化について大学の講義で細かく学びました。ワルシャワの中には数々の美術館や博物 館があり,講義で聞いた事をさらに深めるのにはとても有効的でした。特にワルシャワで 1944 年に 起こった蜂起の 66 日間の中で,何が起こったのか見ていく事ができるワルシャワ蜂起博物館とユダ ヤ人の文化や背景を 1000 年の歴史を通して紹介しているポーランド・ユダヤ人歴史博物館は豊富な 写真や資料が展示されていて,とてもわかり易く,当時の様子が想像できる場所でした。 滞在期間中,私はワルシャワ大学の寮に住んでいました。二人部屋でルームメイトはウクライナ人 でワルシャワ大学大学院 1 年生でした。彼女は料理好きだったり,歴史が好きだったりと,とても趣 ─ 27 ─ 味が合い,意気投合しました。そして,時間があれば互いの出身地や国について,たくさん互いに語 り合いました。土日は大学の講義がなかったのもあり,交替で自国の料理を作り合いました。ポーラ ンドでもウクライナでも蕎麦がよく食べられていることには驚きました。しかし,日本のように麺に するのではなく,蕎麦の実をそのまま茹でるという調理法で,同じ食材でも文化が違うと食べ方も違 うのだと再確認しました。 ポーランド国内では沢山の場所を見てまわりました。ワルシャワ市内は勿論のこと,中世の都市ト ルン,第二次世界大戦開戦の土地グダニスク,旧首都のクラコフなどそれぞれの地域に特色が見られ ました。しかし,1 番強く心に残っているのはアウシュヴィッツ強制収容所を訪れた時の事です。収 容されていた人々の当時の日々の暮らしや,強制労働の様子が写真や資料からわかり,とても心が痛 みました。同時に平和の大切さを強く感じました。 帰国してからも大学に教えにいらしているネイティブスピーカーの先生やキャンパスにいるポーラ ンドからの留学生と話して,ポーランド語の勉強を続けています。日本の大学キャンパスに居ながら も環境が整っているので勉強が続けられています。来年度にはV4 国と学生会議があるので楽しみに しています。 アイルランドに留学して思うこと 留学先 アイルランド・リムリック大学 国際交流学科2年 船山 燿 私は 2015 年9月から 12 月までの4ヶ月間,アイルランドのリムリック大学に交換留学生の第1期 生として留学させていただきました。すべてのことが初めてとなるので,多くの不安,心配などと葛 藤していました。でもその気持ちと同時に,自分の周りの環境を変え,さらに学ぶことができること への期待も抱いていました。 留学は大学に入学する前からの夢でしたが,アメリカやカナダなどへの留学の一次応募のときは, 成績が優秀な友達をみていて諦めてしまっていました。しかし,あるとき先生からアイルランド留学 を薦めていただいたことをきっかけに,夢である留学,そして,今まで見たことのない世界を学ぶこ とができるため,挑戦したいと思い,留学することを決意しました。 私が留学していたアイルランドのリムリックは,首都ダブリンから車で3時間ほどのところに位置 しています。緑が多く雄大な自然で,とても住みやすいところでした。ですが,1日の間に晴れ,曇 り,雨が入れ替わるような忙しいお天気で,冬になるにつれて雨風が激しくなっていたことを覚えて います。そして,アイルランドの人々はみんなとても優しく接してくれ,右も左も分からなかった私 にとってとても大きな助けとなりました。 大学生活では,自分の興味のある授業を5つまで履修することができたので,私は,アイルラン ─ 28 ─ ドの伝統的なことについて,文化について,文学,日本語学習者のファシリテーターとして活動す る授業,そして,英語のクラスの5つ(①Irish traditional music and dance, ②Introduction to new media and cultural studies, ③Academic reading and writing, ④English as a foreign language, ⑤ Peer-Tutoring for languages)を履修しました。授業で大変だったのは,Lecture の後に行われて, サポートのような役割を果たすTutorial でのグループ・ディスカッションでした。授業についていく のも大変でしたが,それ以上に,グループ内で友達の話を聞き,考え,意見を述べるということは, 日頃行っていなかったので,慣れるまでとても大変でした。その一方,プレゼンテーションはとても 楽しく感じていました。留学する前にはプレゼンテーションは苦手で,身構える気持ちが大きかった のですが,実際に授業の中でプレゼンテーションをする機会が多く,そのお陰でいつの間にか楽しく 感じるようになっていました。特に準備をするときには,グループの中でたくさん話し合いをするこ とから友達を作ることができたり,さらにお互いに仲を深めたりすることができました。この際は, 多くの人々とコミュニケーションをとる上でとても充実した時間になったと思います。 授業の他にも友達の寮でパーティーが開かれたり,休みの日には街に出て友達とショッピングに行 くなど,授業の他の時間にもたくさんコミュニケーションをとったり,交流を深めたりすることがで き,毎時間とても有意義に過ごすことができたと思います。 4ヶ月というとても短い期間でしたが,たくさん学び,たくさん友達との仲を深め,授業から自分 の興味をさらに広げることができました。これらの貴重な経験をこれからの学校生活やキャリア形成 に大いに生かしていきたいと思います。 リトアニア共和国に留学して思うこと 留学先 リトアニア共和国 ミコラスロメリス大学 国際交流学科2年 渡邊 卓矢 私は交換留学生として約 5 か月の間,リトアニア共和国にあるミコラスロメリス大学で学んできま した。リトアニアはロシアに隣接したバルト三国の一つで,まだ日本人にとっては馴染みの薄い国の 一つだと思います。しかし,リトアニアは長い歴史を持つ国であり,首都ヴィリニュスの旧市街は世 界遺産に登録されており,その規模は中欧,東欧地域で一番の大きさだと言われています。そんな魅 力的な街並みに囲まれながら留学生活を送っていました。 私が生活していた寮はヴィリニュスの中心街からバスで約 30 分の所にありますが,大学まではと ても近く徒歩で 5 分もかからない距離でした。寮の部屋は二人部屋で,ルームメイトは韓国人でした。 同じフロアにはトルコ,イタリア,スペイン,フランスなど様々な国の人たちがおり,その人たちと 共同生活を送っていました。もちろん日々の生活では英語でやりとりするので初めの頃は自分の言い たいことが上手く伝えられない,相手の言っていることが理解できない,など四苦八苦していました。 ─ 29 ─ でも最後の方では,そう言ったことも少なくなっていました。炊事,洗濯,買いもの,部屋の掃除な どはルームメイトと協力しながら行っていました。また寮から一歩外に出れば公用語であるリトアニ ア語が溢れているので,初めの内は食材を買うにしてもリトアニア表記のため見分けがつかず苦労し ました。物価に関して,リトアニアは 2015 年からそれまで使っていた通貨リタスがなくなりユーロ が導入されましたが,同じユーロ圏の国々に比べれば比較的安いと感じました。とはいえ衣類は日本 とそこまで違いがないようなので,向こうで衣類を揃えようとするとお金がかかってしまうと思いま す。 留学中履修していたものはリトアニア語,教育心理学などでした。人数が少なく開講されなかった ものがあり,当初選択していたものよりも少なくなってしまいましたが,難易度的に丁度良かったか なと思いました。リトアニア語に関しては日本ではテキストがほとんど無く,リトアニアで本格的に 学習を始めました。難しい言語ではあるのですが,学習を進めれば進めるほど日常生活での視野が広 がってきます。看板の意味が分かってきたり,店員さんと簡単な会話ができるようになったり,みる みる生活範囲が広がっていく感覚は,英語圏ではないからこそ味わえるものではないかと思います。 最後に留学してよかったと感じたことは,様々な国の人たちと英語を使ってコミュニケーションを とることの大切さや面白さを改めて知ったことです。英語圏の国ではないからこそ,英語をコミュニ ケーションの道具として使うことの難しさを身をもって実感できたのは一番の成果だと感じていま す。一方で,留学前にリトアニアと言う国について詳しく調べなかったことは,少し悔やまれること でした。リトアニアはとても歴史の長い国であり,町の至る所に名所旧跡があるのに,調べてから理 解するという段階を踏まねばならず後悔しています。リトアニアはとても雰囲気の良い国でありもっ と多くの人に知ってもらい訪れてほしいと感じました。 JEAP留学 留学生して得た一生の宝物 留学先:カリフォルニア大学リバーサイド校 国際交流学科3年 幸地 顕成 私は昨年の9月から1年間アメリカのカリフォルニア大学リバーサイド校(UCR)に留学してい ました。この1年間は私にとって挑戦と成長の1年でした。1年間という限られた期間を内容の濃い ものにするということを常に意識していたので私としては充実した生活を送ることができたと思いま す。私は語学留学を目的として留学しました。しかし,1年間の生活の中で英語だけを学んでも留学 した意味がないと思い,習った英語を活かし何か面白い活動をしたいと思いました。その中,出会っ た活動がUCR の柔道部でした。ある日,リバーサイド内にある聾唖学校のアメリカンフットボール ─ 30 ─ の試合を見に行った時に,柔道をしている日本人の方にお会いしました。彼は聴覚障害者で,私は手 話ができる友人に通訳をしてもらい,彼と話しました。私は中学から柔道をしていて黒帯を持ってい ると彼に伝えると彼は, 是非彼の道場にきて柔道を教えてほしいと私に言ってくれました。これをきっ かけにUCR の柔道部に選手兼指導者として入部しました。初めてUCR の柔道部を訪れた時,部員の 人数が多く,喜びと驚きの気持ちでいっぱいでした。日本の伝統武道を好きな人がたくさんいると思 うと,私は自分が日本人であることに誇りを感じました。部員は皆,技や練習だけでなく日本の礼儀 や目上の人を敬う姿勢をきちんと理解し行動していました。アメリカで日本人ではない人が日本の礼 義を正しく理解しているのを見ることで私自身の礼儀や日本人としてのあり方を見直す良いきっかけ にもなりました。 私は選手兼指導者だったので試合に出ることもありました。ロサンゼルスで行われた国際柔道大会 にも出場したのです。日本の柔道の試合の雰囲気とは違った感じで,6試合中5試合勝利し,準優勝 することができました。決勝戦ではフランス人の選手と戦いました。彼は試合後に私のところにきて, 日本にいって本場の柔道を見たいと言っていました。彼と話していると,ある男性が私のところにき て私の試合を全部見ていたと言っていました。そして,是非,彼の子供柔道クラブの指導者としてき てほしいと言いました。彼は私の実力を認めてくれたのです。そして,試合後の翌週から私は子供柔 道クラブに通い始めました。 子供柔道クラブにメキシカンレストランを経営している親御さんがいて, 無料でメキシカン料理をごちそうしてくれたりしました。 柔道を通して多くの人との出会いもたくさんあり,とても素晴らしい経験となり,最高の人脈を築 けたと思います。私はこの出会いを一生の宝にしていきたいと思います。 ─ 31 ─