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あるかいど 第五十号 記念号 目次 五十号記念メッセージ 樹木が見たい
あるかいど 第五十号 記念号 目次 五十号記念メッセージ 樹木が見たい ﹁あるかいど﹂五十号記念号に寄せて 初めて手にした﹁あるかいど﹂ ﹁あるかいど﹂五十号記念 巻頭言 [小説] 蘇芳 KとK 空色のぷにぷに 光の射す方へ 花奪い祭り 女ともだち 犬 シークレットゾーン 昭和の景色 清水 信 小島 義徳 樋脇由利子 佐伯 晋 小畠 千佳 木村 誠子 髙原あふち 赤井 晋一 池戸 亮太 奥田 寿子 多紀 祥子 向井 幸 田中美代子 4 7 9 11 28 40 66 80 101 122 139 143 158 ―特別寄稿― とどかぬ願いと知りながら パートナー うす紫の傘 別れのときになく 占い師 クラウド エア・メール 私 山田 泰成 池 誠 奥畑 信子 楠本 一功 折合総一郎 細見 牧代 亀谷 美子 善積 健司 小泉 舜 和田ヒロミ 慎さぶろう 166 177 189 198 207 215 227 236 267 268 [エッセー] 電子書籍 ゴッホ展 ││空白のパリを追う││に行く バガンのスキャット 49 269 276 275 270 表紙・扉絵 髙原颯時 デザイン 村尾雄太 あるかいど ・ 号の反響他 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 同人名簿 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 編集後記 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 48 ︻あるかいど ・ 号の反響︼ 49 の引揚に気づかなかったら春江さんおよ び彼女の娘の妙子と一緒に暮らしていた 僕は辰平達と工事用のトロッコを勝手 すが、それがなくなりそうです。 娘の妙子と奈津美の陰湿な関係あるいは 家族は出雲の村を離れます。春江さんの 話になっていて、何十年も務めた仕事が んは七十歳ぐらいで、キワおばさんの世 み砕いており、異様な顔立ちです。権や 村の人はだれも食べないアカテガニを噛 方から妙な唸り声がしてきて、権やんが 鰹漁に沸く地元の漁師のさわやかな男ぶ なくなり、生きがいを失くし、気が触れ に動かして遊んでいると、権やんの家の りなど、変化に満ちた人間模様が描かれ、 たのでしょう。土間に額を打ち付けて死 でしょう。父は串本で時計の修理屋をは この書き手の重心の低い技倆が生きてい じめ、やがて大阪に店を構え、奈津美の 奈津美は祖母と弟そして二人の妹の五 ます。地味な作風ですが、読み応えがあ ﹃あるかいど﹄第四十九号 人で満州から引き揚げ、佐世保港に着き にますが、身寄りがなく、その数日後に 田中美代子﹁潮岬﹂ ます。母は途中で亡くなり、とりあえず ります。 す。 前をラジオが伝え、父が迎えに来て、お の大池の間に堤防があり、その堤防の端 大村湾の奥まった入り江に海側と内側 かな基調は読み手を安心させてくれま せんが、文章がしっかりしていて、穏や 取り立てて目新しいテーマではありま 世話になっている串本から山の方に入っ たお寺に帰りますが、書き手の感傷に流 に水門があって、権やんと呼ばれている の立場で農作業をし、野菜などを奈津美 国で戦死しています。清江さんは小作人 を押し切って漁師と結婚し、その夫は中 江さんは大地主の森家の娘で、親の反対 をかけてくれる清江さんの配慮です。清 お寺から一軒家に移り、父に何かと気 魚やウナギが取れ、退屈しない遊び場で ます。堤防付近は僕の釣り場であり、小 門が設置され、権やんの仕事がなくなり 入り江側と大池側に水位を調整できる水 同時に手動式の水門の代わりに自動的に ろ ぼ ろ に な り、 改 修 さ れ る こ と に な り、 権蔵が管理しています。堤防の石垣がぼ 明らかに書き急いでいます。とくに郷土 ﹁権やんの水門﹂に比べると、﹁鳴石﹂は しょうか。 す。このような書き手は同人誌の財産で 田代美代子の﹁潮岬﹂また楠本一功の 池戸亮太﹁鳴石﹂ の家族に届けています。父が子供と祖母 けます。 されぬ密度のある文章は読み手を惹きつ キワおばさんは水門近くに身を投げま 大阪駅の避難所に入ります。引揚者の名 楠本一功﹁権やんの水門﹂ 投稿者 東谷貞夫 ■﹁全国同人雑誌振興会掲示板﹂ 48 270 がつづきます。 きでしょう。鳴石の象徴化までは茨の道 てきたのであり、その時期まで辛抱すべ が、芳醇な香りが漂いはじめ、熟成され 添加し︱︱何時になるかはわかりません 体のしれない大釜に入れ、薬草や香料を 郎浄土また郡上踊りなどは時間という得 ち、メールの件はマンガです。香奈や吉 民芸館の香奈が登場して文章の質が落 伊藤 石膏のアグリッパが砕かれてしま うところはよかった。 勝又 それは日本語の曖昧さでもあるん だけど、作者にその自覚がない。 ですね。後になってから安定したけれど。 伊藤 回 想 に 入 る 前 の シ ー ン の と こ ろ、 誰の目から書いているのか、視点が曖昧 的ですね。 す。読み直してみると、少女ストーリー すんなり要約できてしまうような話で ス ケ ッ チ を 近 く の 本 屋 に 預 け て い た と、 ホスピスに入ろうとしていて、昔描いた ■樹林︵二〇一三年夏号︶ 伊藤 そういう甘えが、むしろ小説とし ての材料になるんじゃないでしょ ど、人生そう甘くないよって思っちゃう。 度は三日間の休みがもらえるんだけれ いのか、時代が甘いのか、考えてしまう。 いけれど、主人公が甘いのか、作者が甘 日間の休暇をくれるというのが非常に甘 る、なんていう経過もある。工務店が五 は托鉢をやってみろといわれて托鉢をや 約者に子供ができたものだから、諦めて の少女と一緒になりたかったけれど、婚 験を控えた女生徒と親しくなる。彼はそ やってみると結局続かず、元の工務店に れていた仕事だったけれど、本職として その五日間の事が克明に描いてある。憧 み を も ら っ て、 大 道 具 方 と し て 働 い た、 う内情が面白いですね。職場に五日間休 道具方が張り合ったりしている、そうい に就職した男が主人公で、大道具方と小 さんが訪ねてきてようやく元気回復、繁 に罹り、岡山県、兵庫県へと転々、安井 は友田さんに買い取られたのだが熱射病 エトワール︵星︶と名づけられた、一旦 れ、安井さんという指導員に預けられて 海道から大阪の乗馬クラブに引き取ら ︵﹃あるかいど﹄第 号 ︶ ﹁私﹂の母はサラブレッドの乗用馬で北 向井 幸﹁エトワール﹂ 小説同人誌評 佐々木国広 托鉢すれば人生がわかるといわれて、今 ■﹁三田文学﹂︵二〇一三年春季号︶ ﹁新同人雑誌評﹂勝又浩、伊藤氏貴 結 婚 す る。 そ れ か ら 何 十 年 か 経 っ た 今、 戻る。その後、好きな女性に振られた痛 勝又 同じ雑誌から、池誠﹁舞台はまわ る﹂︵﹁同上﹂︶。京都の歌舞伎の大道具方 家 庭 は 冷 え 切 っ て い る。 そ こ で あ る 日、 みを菩提寺の坊さんに相談したら、今度 就職してすぐの青年が下宿して、芸大受 昔のアパートの場所にきたら、あの少女 勝又 木村誠子﹁坂の上のアグリッパ﹂ ︵﹁あるかいど﹂ 号︶にいきましょう。 がその後絵の先生になったものの、今は 271 48 48 殖牝馬として福島県の牧場に落ち着いて 結 末 部 分 で は﹁ 精 一 杯 生 き よ う と す る、 奥畑信子﹁うすばかかげろう﹂ 核をなしているとみました。 にいたる主人公の内奥の変化が作品の中 力の溢れた姿⋮﹂となる。いわば、そこ ﹁あるかいど﹂四九号掲載の御作﹁うす ■福本武久様からのメッセージ レーニングが始まり、乗用馬として大阪 ばかげろう﹂を拝読しました。 から﹁私﹂が産まれた。子分けとされト の乗馬クラブヘ行くことになった。名前 品。飼育法とか訓練法など専門的に触れ 馬を語り手で主人公にした、珍しい作 ではと⋮⋮。 たので、今にすずさんにも捨てられるの 処、落馬してしまい殺入馬などと呼ばれ 暴れるようになった。夏美さんを乗せた ボスに強引な扶助をされたので反抗して い う 新 体 験 も。 や が て 安 井 さ ん が 辞 め、 障害物なら跳べるようになり、調馬索と や娘の亜紀ちゃんの相手をしたり、低い きます。ウスバカゲロウの寿命はせいぜ せてやるのです。思いだすたび涙が出て きたかれを背負って砂浜に立ち、海を見 て一緒に行こうとする。最後は生命のつ 知る。それでもハッチはなんども励まし とうてい生きて海までたどり着けないと ろ う と し ま す が、 か れ の 寿 命 か ら み て、 いうウスバカゲロウの願いをかなえてや チは﹁いちどでいいから海がみたい﹂と ハッチ﹂にこんな話がありました。ハッ ウ ス バ カ ゲ ロ ウ と い え ば﹁ み な し ご ります。しかし会話の部分は少し冗長か 文章も随所にキラリとひかる部分があ 応援したくなりますね。 いささか唐突の感ありですが、なんだか と い う 決 意 表 明、 こ れ は 流 れ か ら み て、 れ て い ま す。 最 後 の﹁ こ の 家 を 出 よ う ﹂ めて揺れ惑う微妙な心情がうまく抽出さ もからんで素直になれない。出口をもと 娘としては思い複雑。父に甘える気持ち そ ん な と き に 父 親 の 再 婚 話 が か ら ん で、 く、だらだらと結論を引き延ばしている。 合い、勢いで婚約。うまくゆくわけがな れ、その疵をかかえたまま、智也と付き 三年前に主人公は婚約した靖彦と別 は母と同じエトワール。会貝のすずさん られているのだが、エトワール二世が例 い一週間と短い。けれども与えられた時 もう少し作為があっていいような気がし 間を懸命に生き、交尾、産卵、つまり子 ます。それとタイトルです。ウスバカゲ えばレースに出場するなり、もう少しド なんだか作品のなかみと関係ないとこ ロウがキイになっていますが、それだっ ラマティックに展開してほしかった。 ろから入ってしまいましたが、作中、ウ たら、むしろ別のタイトルにしたほうが な。うまく言えないけど、小説の会話は ス バ カ ゲ ロ ウ が 二 度 出 て き ま す。 最 初、 孫を残してゆくのです。 主人公は﹁儚げな姿⋮﹂とみていますが、 272 るとわずらわしくうとましいのに、離れ か か る。﹁ 身 内 っ て 不 思 議 だ。 近 く に い のように、何かあるとちゃっかりと寄り しかし、それがわかっていても﹁あぐり﹂ のは煩わしく、時にはおぞましくもある。 オニ﹂的な世界でしょうか。家族という 父母や身内の者とのドタバタ、いわば﹁渡 た主人公﹁あぐり﹂の周囲でまきおこる ちょっとワケありで実家にもどってき を読ませてもらいました。 ﹁ 浮 き 雲 ﹂︵﹁ あ る か い ど ﹂ 四 九 号 所 収 ︶ 奥田寿子作﹁浮き雲﹂ たままを⋮。 効果的な気がしました。とりいそぎ感じ たのかとその顔は⋮⋮﹂ た、あの顔だ。/また家を飛び出してき 相好で夫の淳平のことを優男だと言っ が浮かんだ。苦味を我慢しているような を押されて実家の玄関に立つと、父の顔 あ ま り で 明 ら か で す。﹁ セ ミ の 声 に 背 中 ではないとみました。それは冒頭の四行 止 め て い る よ う だ が、﹁ あ ぐ り ﹂ は そ う なのか。母親は自分の地位を宿命と受け 族なかで女性のおかれている立場はどう ことに変わりはない。そうなるとこの家 あるものの、やはり能天気な人物である しても、発言にもっともらしいところが いうか能天気⋮。さらに、父親、淳平に クスター的存在で、なんとも天真爛漫と 華されています。 す。うまく作品の中にイメージとして昇 が読み手の脳裏にも残像となって残りま ね。マレビト伝説につながる﹁エビス様﹂ ども相変わらず情報量の多い作品です となって静かに響いています。短いけれ 何なのか⋮についての問いかけが低音部 ものなのでしょう。ほんとうの復興とは 品、それゆえに震災復興を強く意識した 二 〇 一 一 年 九 月、 ⋮ で 幕 あ け る こ の 作 佐伯 晋﹁エビス様﹂ ﹁ エ ビ ス 様 ﹂ や っ と 読 み 終 え ま し た。 浮き立っています。 藤 や す 子﹁ 弟 ﹂︶ な ん て 歌 の 文 句 に あ り る / あ な た を 棄 て た わ け じ ゃ な い ﹂︵ 内 れて暮らす程/ささいなことが気にかか です。しかし、クールな文体と批判精神 者である小生の独り相撲に終わったよう ましたが、これは肩すかし。どうやら読 ことをやらかしてくれる⋮とワクワクし まるという予感十分です。何か破天荒な かなり挑戦的で、これから何かがはじ れ ま せ ん。 医 師 の 白 石 は い わ ば 大 海 に してぎらぎらした野心がないからかもし き合う姿勢が良い。それは白石に医師と をひらき恢復してゆく。白石の患者と向 ね。彼が︿私﹀と出会って、しだいに心 ういうケースこそやっかいなのでしょう 二次被災者ともいうべきでしょうか。こ という心を病んだ大学生、いわば震災の 科医の白石︵=私︶のもとを訪れた濱口 まるで世捨て人のように欲のない精神 てしまうといとおしくなる⋮⋮﹂と作者 ます。まさにその通りです。そういう世 はなかなかのもので、それらが相まって が言っています。たとえば﹁遠く遠く離 界が、概念的ではなくたいへん具体的に ﹁あぐり﹂という女性の相貌がくっきり 作品に登場するヨシ坊はいわばトリッ 描かれていてリアリティがあります。 273 の、そして濱口は疲弊した一羽の渡り鳥 ぽっかり浮かぶ巨大な流木のようなも 東谷貞夫さんの死を悼む ︻追 悼︼ ﹁表現とはみずから創り出す文体の妙で 約されるように思われる。 し 翼 を 休 め て 元 気 を 回 復 し て 飛 び 立 ち、 かいど﹂の多くの作品に懇篤な評をお 佐伯 晋 全 国 同 人 雑 誌 振 興 会 掲 示 板 で、﹁ あ る 情や思想あるいは社会や政治などは無意 ﹁ モ ー ツ ア ル ト の 音 楽 を 前 に す る と、 感 ており、読者に向っているのではない﹂、 の内面を言葉の力で表出するかに凝縮し ある︿中略﹀その文体はいかにみずから もとの現実社会にもどってゆく。死と復 くって下さった東谷貞夫さんが亡くなら という構図か。病んだ鳥は、そこでしば 活のものがたりです。 ﹁いい書き手に巡り合うとうれしいもの さんの言葉を紹介したい。 う。 あり、解く前に聴け、ということであろ 品の価値は︿意味﹀ではなく︿旋律﹀に 味な虚妄になります﹂と語った。文藝作 齢差というものでしょう。若い濱口の人 ﹁あるかいど﹂をお届けしていた﹃風の 何通かいただいた葉書の中から、東谷 れた。残念でならない。 末尾に﹁なぜか不意にさみしさがこみ 生 は な が く、 手 つ か ぬ ま ま の 未 来 が の です。実力がありながら注目されない書 上 げ た ﹂ と あ る の は、︿ 私 ﹀ と 濱 口 の 年 こっている。それを︿私=人生半ばをす 名を借用したもので、彼が越田氏とゴー 森﹄は東京・新宿ゴールデン街の酒場の ルデン街をひそかに楽しんだことは知ら ない同人誌は新鮮です。期待しています﹂ ﹁﹃ あ る か い ど ﹄ は セ ン ス の い い 書 き 手 なかった。同人の木村さんと﹁一度、東 き手は多くいます。旧来の枠にとらわれ がいて、これからが楽しみです。時流に きでしょうか。 ︿私﹀をたずねてくる濱口の女友達の登 乗ったテーマを選ぶのではなく、みずか ぎている﹀はちょっと嫉妬したというべ 場のしかたも鮮やかです。短いながらも 東谷貞夫さんの霊よ安かれ 彼女の心遣い、彼との間にどんなやりと 掲示板には、全国から追悼の言葉が寄 谷さんを新宿ゴールデン街に誘い出して せられた。なかでも東谷さんの親友であ 飲もう﹂と目論んでいたが遅きに失した。 のように心に残った﹂とありますが、こ る越田秀男さんの投稿が胸を衝いた。許 らの内面から発するものが大切だと思い れ は ち ょ っ と 優 し す ぎ る の で は ⋮⋮ と。 可を得て引用させていただく。 ます﹂ 書きすぎ⋮なんてイチャモンつけるのは ︱︱東谷の文学観は次のような言葉で集 りがあったのか。それらが過不足なく読 小生も実作者だからでしょうが、悪いク み と れ ま す。﹁ そ の 日 の こ と は 美 し い 絵 セですね。平にご容赦を⋮⋮。 274 た。 リ ア リ ズ ム の 作 品 で は な く、 それを見ている者の感性に対応す るもののようなのだ。■私はこう いう教育のあり方をどう考えてい いのか分らなかった。私たちが最 初に世界を認識するそのあり方に 対してである。何年か前に、スペ インのバルセロナのピカソ美術館 に行って来た。見事に具象であり、 リアリズムであった。もちろんピ カソの若い頃のものだが、ピカソ が抽象画を書きはじめるのは年を 取ってからである。ゴッホを見て もよく分る。彼は長い間オランダ の 百 姓 女 な ど の 絵 を 書 い て き た。 晩年にはじめて燃えるような絵を 書いた。二人ともリアリズムから 出発している。キュビスムや印象 派等、書く必然があって書いたの だ。 ■ 今 号 か ら 表 紙 の 絵 を 思 い きって変えることにした。若い同 人が二人入ってきて、最初から四 番目と﹁トリ﹂を占めている。編 集員にも四十代の若者を加えた。 ︵寛︶ 発行人 編集人 編集委員 高畠寛 佐伯晋 木村誠子 山田泰成 小西九嶺 多紀祥子 池戸亮太 発行所 〒 545-0042 大阪市阿倍野区丸山通 2-4-10-203 高畠方 Tel:06-6654-1750 制 作 ㈱セイエイ印刷 Tel:06-6933-0521 E-mail:[email protected] 編集後記 ■先週、孫の小学校の絵画展を見 に行って驚いた。孫は小学校四年 生であり、当然そこへ第一に入っ たのだが、勝手が違うのだ。後の 壁 い っ ぱ い に 貼 ら れ て い る 絵 が、 全部抽象画なのである。タイトル は﹁百万年前の種子がどんな花を 咲かせるか﹂であり、それに対応 している。孫のは﹁ドラゴンフラ ワー﹂とタイトルがあるが、私に はさっぱり分らない。元小学校の 先生であったワイフはそれなりの 批評をしているが、私にはなんの ことかよく分らない。■四年生は 同じテーマであり、三年生は学校 の近くの、聖天山公園の上の聖天 さ ん を 写 生 に 行 っ た 時 の も の で、 ここは一応、具象だが、それぞれ のサイズが極端にちがうのであ る。 木 の 大 き さ、 建 物 の 大 き さ、 人間の大きさが、まるでちぐはぐ。 写生してきた絵とは思えなかっ あるかいど 50 号 発行日 2013 年 7 月 20 日 頒 価 1000 円(送料別) 276