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近年における安全保障概念の多義化と - Kyushu University Library

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近年における安全保障概念の多義化と - Kyushu University Library
 『比較社会文化』第4巻(1998)1∼11頁
Bulletin of the Graduate School of Social and
Cultural Studies, Kyushza University
vol. 4 (1998), pp. !n−rll
近年における安全保障概念の多義化と
入間の安全保障
Securitization and the CeRcept of }luman Security
栗 栖 薫 子*
Kaeru KuRusu
キーワード:人間の安全保障,社会の安全保障,地球規模の安全保障
はじめに
近年,一国性,国家中心性,軍事性を柱とする伝統的な
従来の国際関係論や安全保障論の枠組みに束縛されない見
安全保障を超えて,様々な視点から安全保障を捉え直そう
方が生み出されている軌
とする動きが盛んである。このような模索の中には,よく
本稿では,特に「安全が保障されるべき対象は何か」,ひ
知られているように「協調的安全保障」など多国間の安全
いては研究者にとっては,「安全保障研究の妥当な分析レベ
保障の枠組みの理念化や実現化の動きが含まれる(1)。こう
ルとは何か」,という問いを軸に最近たたかわされている三
し:た動向の背景には,米ソ問の核戦争の脅威が消滅し,か
論の中から,人間の安全保障(human security)論と社会
わって民族紛争・国際テロ・移民問題などが不安定要因と
の安全保障(societal security)論を取り上げる(その論
してクU一ズアップされるようになった国際状況の変化が
点をまとめたものが表1である).これらの新しい安全保障
あった。冷戦期には軍事中心の安全保障研究が余儀なくさ
論の論点を明確にし,その中でUNDP(国連開発計画)
れ:たが,近年になって社会,経済,文化など様々な側面か
が提起した「人間の安全保障」に焦点をあてて評価を行う
ら安全保障を捉えようとする動きが活発化した。例えば,
ことにしたい(3)e
ポストモダン派,フェミニズム,社会学などの立場から,
表ヨ 安全保障の諸概念の比較(著者作成)
安全保障の主体
客体
脅威の源泉
手段
目的
伝統的
国家安全保障
国家
国家
国外/軍事的
軍事力
生存
「人間の安全保障」
国家/
個人
構造的社会問題
人間中心の開発
①個人の生存
平和の配当
ケイパビリティ
国際社会
ex.貧困,人権抑圧,
(国連など)
環境破壊,犯罪,軍
事化のコスト
内戦
②地域の安定
(予防開発)
社会の安全保障
国家,社会
社会
社会内外の集団
社会統合政策
多文化主義政策
社会のアイデンティ
地球規模の安全保障
国家/
人々
紛争・戦争
予防外交(早期警
人類の生存
国際社会
地球
ティーの維持
報・調査)
介入
(国連など)
自然・文明
*国際社会文化専攻・欧米社会講座
!
栗 栖 薫 子
噺 人間の安全保障
しょうとするのに対して,個人が直面する高度近代化社会
の様々なリスクや不安に対応するための「生の政治(life
(V 誰のための安全保障か
politics)」(生活様式の政治)が,より重大性を帯びるよう
安全保障の客体,ないしは安全保障の分析レベルを,個
になる(12)。
人(ミクW・レベル)におく考え方を総称して,人間の安
人間の安全と国家の安全保障論
全保障④と呼ぶ.主権国家システムにおける国家や同盟問
個々の人間を中心に安全保障を捉えることについては,
の権力政治と戦略ゲームを普遍の原理として考える従来の
B・ブザン(Barry Buzan)は国家中心主義の立場から否
安全保障観に対して,平和研究や開発経済学,社会学,イ
定的である。彼はPeoPle, States and Fear vこおいて「個
ギリス学派など様々な方面からの影響を受け,個々の人間
人の安全保障」「ナショナルな安全保障」「国際安全保障」と
を中心に据えた安全保障研究の必要性が主張されるように
いう三つのンベルを提示したが,個人が安全保障の重要な
なった軌人間の安全保障論の多くは,人権や開発における
分析レベルであることは認めるものの,国家の安全保障を
包括的アプローチや社会学のアプローチと,安全保障研究
個人の安全保障にまで還元することはできないと主張す
の統合化をはかるものであり,国家や軍事力への過度の偏
る(13).確かに,国家の安全は一定程度,個々の人間の安全
りを修正し,個々の人爵の生活や尊厳という視点から安全
の延長上にある.その一方で,国家の国内秩序維持政策や
保障問題を捉え直そうとするものである。
対外安全保障政策を通じて市民の生活や自由が犠牲にされ
例えば,個々の人間を安全保障研究の中心とすべきであ
るなど,国家の安全保障上の必要性と個人の安全は互いに
るという主張を最も強く展開するK・ブース(Ken Booth)
矛盾を抱える。国家は単なる個人の総和ではなく集合的組
は,安全保障を「人間の解放」(emancipation),すなわ
織としての力学を持つので,国家や国際システムの安全を
ち,人が自由に選択を行い,それを自由に実行することを
単に個人の安全保障の延長線上に考えることは出来ないし,
妨げる物理的ないし人為的な障害(戦争,貧困,政治的抑
個人の安全を守るだけで国家や国民全体の安全が保障され
圧など)からの解放,として定義する軌これは,第三節で
るわけではない.したがって,この議論によれば,集合体
述べるUNDPの「人間の安全保障」論の基礎となり,人
にとっての安全,特に主権国家の安全保障を理論的には第
間の選択の幅の拡大,社会参加や人間の発展の機会の拡大
一に優先するべきということになる.もちろん,道徳的見
を求める,A・セン(Arnartya Sen)の「ケイパビリティー
地から最終的な目標としては,様々な分野で個々の人間の
(capability)」論とも共通の方向性を持つ概念である(7)eま
安全が保障されることは望ましい。また,テロや反体制運
た,国際人権研究の立場からJ・ドネリー(Jack Donnelly)
動など個人による安全の追求が,国家の安全に対して影響
は,国家を集合的な組織体ではなくむしろ個々の人間の総
を与える場合には,個人は安全保障研究の準拠枠として意
体として見るならば,個人の人権の保障状況がまさにその
味を持ちうる.
国の安全保障の基本的な尺度となる,とも述べている(8>.
人間の安全と社会の安全保障論
M・ショー(Martin Shaw)もまたブースと同様に,個々
1993年の0・ウェーバー(Ole Weever)とブザンの共著
の人間が安全保障の基本的な準拠枠であると考えるものの,
ldentily, Migration and the New Secblrity Agenda in
個人と国家の二項的な対置の上に成り立つブースの理論に
EuroPeでは,研究の焦点が国家の安全保障から,とくに第
疑問を呈する。そして社会学の知見を導入し,社会集団に
二節で取り上げる社会の安全保障論へと移行したが,安全
影響を及ぼす安全保障問題や,社会集団や国家が個人の安
保障は集合体にとっての現象であり,個々の応問の安全を
全へ与える影響にも注目すべきであると考える軌ショー
基準にしても社会にとっての安全保障の問題はなくなうな
は,A・ギデンズ(Anthony Giddens)の著書に多くを依
いという同様の理由から,個人の安全保障論には懐疑的な
拠しつつ,近代の社会生活において個人が直面する様々な
見解を示している(14).
「リスク」を安全保障概念と密接に結び付ける(10).核戦争,
人間の安全と地球規模の安全保障論
地球温暖化,通貨危機などは,モダニティーの制度的特性
他方で,グローバル・ガバナンス委員会の報告書(1995
から生み出され,グローバルに拡大して個人の生存条件を
年)は,人間の安全保障論の意図には理解を示しつつも,
支配するリスクである.個人はこうした経験的な脅威に対
安全保障概念としては「人々と地球の安全保障」(security
峙するだけでなく,ポスト伝統社会に由来する,自己のア
of people and the planet),すなわちグローバルな安全保
イデンティテd 一一の喪失という,より抽象化された脅威に
障(global security)に重点を置くことがより適切である
も直面する(軌ブースや開発派が,社会的不平等や抑圧に
と主張するく軌同報告書では,国連ないし国際社会が取り
焦点をあてた生活機会のための「解放の政治(eman−
組むべき安全保障の第一の目的は,武力紛争や戦争の予防
cipatory politics)」という観点から安全保障概念を再構築
であると定義される.貧困や環境破壊はその儀性となる一
2
近年における安全保障概念の多義化と人間の安全保障
人一人にとっては確かに重要な問題ではある。しかし,多
発政策や福祉政策の目的と手段が個人の安全保障の範囲と
くの紛争の根底にある原因には貧困や低開発が含まれるも
一致する限りにおいては,あるいは,人間の安全保障とい
のの,全ての貧困や環境破壊が武力紛争や戦争の危機を招
う概念を用いる必要はそれほどないのかもしれない。しか
くわけではない。したがって,長期的に見れば不安定化に
し,政府(公的権力)が現実に機能していないために,国
もつながりうる貧困や環境の悪化などの一般的条件と,武
民ひとりひとりの生命や生活が十分に保障されない場合,
力紛争の直接的な原因となりかねない特定の脅威とを区別
すなわち貧困や飢餓,内戦,難民の流出といった状況にお
するべきことが強調される㈹。
いては,人間の安全保障という概念が重要となる。
公的権力の介入と人間の安全
② 人間の安全にとっての脅威/危険
国家や社会の安全という名目のもとに行われる反体制者
安全(security)は,「実際に危険から保護されているこ
に対する政治的弾圧を通じて,国家自身が個人の安全に
と」と「安全であると感じること」という客観的,主観的
とっての脅威となることもある。H・ラズウェル(Harold
二つの側面を持つ。そして,個人の安全を脅かすものには,
Lasswe11)は1950年の著書の中で,冷戦型の国家安全保障
意図的な「脅威」(threat),自然災害や社会・経済構造に起
政策が,国内的には市民一人一人の安全と自由を制約する
因する非意図的な「危険」(danger),それ以外に,自己の
危険性を指摘した(17).その他にも国家がテロや犯罪から社
アイデンティティの連続性にとっての「リスク」が考えら
会を保護するために,個人の政治的権利や自由を制約する
れよう。国家の安全保障にとっては,主権や領土に対する
こともある。兵役や軍事基地の偏在など,通常の多外的安
(軍事的)脅威が中心的な関心であるが,個々の人間の安全
全保障政策を通じて,生活や生命が脅かされる場合もある。
に対する脅威/危険には,戦争,暴力,飢餓など生存に関
この点を,「自由と安全保障のパラドックス」という概念
わるもの,怪我や病気などの身体的なもの,失業などの経
を用いて個人の安全と公的権力の関係から論じているのが,
済的なもの,差別や抑圧などの社会的・政治的なものが含
R・N・バーキ(R.N。Berki)である(18).個人は,国外に
まれる。おそらく,戦争,内戦などの大規模な組織的暴力
存するものも一国内に存するものも含めて,外界の脅威か
は,個人の安全保障にとっての最大の直i接的な脅威である。
らの安全の保障を国家に求める。そして,安全は個人の生
グローバルな景気後退,環境の劣悪化などによる貧困や飢
活や自由を可能にする条件であるが,自由が極度に制約さ
餓など個人の生活水準の低下も,当然脅威として含まれる.
れれぽ安全自体の意味が薄れる。個人は安全を求めて国家
個人による暴力や犯罪は,最も直接的で普遍的な暴力の形
に依存すれぼするほど,こうした外界の脅威からは「安全」
態である。人間の安全保障について様々な論者が指摘した
になるが,公的権力の介入が過剰になるにしたがって,そ
脅威/危険をまとめたものが表2である。
のぶん自由が制約されるようになり,もはや安全であるこ
政府の能力の欠如
との意味がなくなっていく。これは特に強権的な「最大国
この中で経済面,社会面,環境面での安全を保障するこ
家」モデルにおいて発生しやすい,個人にとって敵対的な
とは,いわゆる第二世代,第三世代の人権を政策的に実現
「安全」(独房における「安全」)である。逆に,個人が公的
することに,ほとんど等しい。したがって,通常の社会開
権力にはまったく依存せず,完全な「自由」の状況に生き
表2 人間の安全にとっての脅威
所在
国内
国外
グローバル
生存そのものへの
暴力的犯罪,民族紛争,内戦,
武力攻撃,国際テロ
核の冬
脅威/危険
ジェノサイド
種類
オゾン層破壊
死にいたる病気や事故,飢餓
健康に対する
他のヒュー
危険
マン。ニー
経済的脅威/
危険
ズへの脅
威/危険
政治的権利に
対する脅威/
危険
麻薬,公害,水質汚濁
越境公害,酸性雨
失業,経済恐慌
経済封鎖
難民の流入
軍事化のコスト
軍事クーデター,独裁,弾圧
情報統制,拷問
人ロ過剰,資源の枯渇
対外的従属
アイデンティティにとって
文化や宗教の否定
のリスク
他の文化や生活様式の流入
モダニティーに伴う自己の意味の喪失
3
栗 栖 薫 子
ることを選択した場合には,確かに「自由」ではあるもの
表3 脆弱性とステイFのタイプ
社会一政治的凝集力
え続けなければならない(絶海の孤島における「自由」)。こ
Nozick)の言葉を用いるならぼ「極小国家」における安全
ワ
れは,無政府状態,あるいはwバート・ノージッタ(Robert
弓ム虫
§
野
の,他者や他の社会集団から攻撃される恐怖に絶えずおび
パ 弱
全ての脅威に非常に脆弱
軍事的脅威に対して脆弱
1 強
政治的脅威に対して脆弱
全ての脅威に比較的非脆弱
の不在,として特徴づけられる状況である(耽夜警さえも
行わない「極小国家」における完全な「自由」をコインの
任されているように,個人の安全の保障もまた本来は国家
表側とするならぼ,その裏を返せば,人々が公権力による
の役割ということになろう。そして,様々な問題領域それ
保護を必要とするのに,まったく保護を与えることができ
自体においての改善策や,教育と低開発など複数の問題領
ない状況,つまり「破綻国家」(failed state)的な状況が
域の相互の連関性を考慮した政策が必要となる。しかし,
ここで見えてくるのであるe
国家が政権や国内秩序の安定のために意図的に個人の安全
を侵害する場合や,国家が個人の安全を守る能力を持たな
㈲ 人間の安全保障の手段
い場合(例えば破綻国家)には,個人の安全保障論の視角
大部分の論者は,人間の安全がいかなる手段によって確
に立つならば,諸外国や国際機欄,NGOなどの関与が必
保されうるのかという点までは論を進めていない。K・ブL・・一一・・
要とされる。そのため,個人の安全保障論の提起する政策
スは「現実」であると信じられていることを批判的,規範
手段には多くの場合,地域的多国間組織やグローバルな国
的に再評価し,それに基づいて具体的な行動目標を設定す
際組織を通したアプローチが含まれる(22).そして,この問
る「ユートピア現実主義」(20)を主張するが,彼の議論は安全
題の解決方法に関する一つの見方を提示したものが,第三
保障研究における人士中心性の提起で終わっている。また,
節に詳しく述べるUNDPの「人間の安全保障」という枠
A・ギデンズの主たる関心は個人にとってのモダニティー
組みである。過度の軍事支出や国家安全保障政策のために
の帰結にあり,またM・ショーの主旨は安全保障研究への
市民の生活や自由が制約される,つまり国家の政策が個人
社会学的見地の導入に限られていた。
の安全の脅威となる場合には,「人間の安全保障」という基
ブザンは,PeoPle, States and Feαrにおいて個人の安
準から安全保障政策を見直し,国内的ないしはグW一バル
全と国家の安全との間の永遠の矛盾を指摘しつつも,この
な資源の再分配政策を通じて「最適の厚生・安全保障」と
問題についての部分的な解決法を取り上げている。彼は,
いう大枠の下に再統合をはかるものである。
ネオ・リアリズムの「ユニタリーな国家」の仮定を緩和し,
国家の内的な多様性によって安全保障の意味が異なると考
える。表3に示したとおり,軍事的・経済的能力から算出
2 社会の安全保障(s◎cletai security)
される伝統的なパワーとは別に,政治的権威の不在,ナショ
(1)社会の安全保障論
ナル・アイデンティテdの欠如,政治的暴力などを基準に
第一節でも述べたが,ブザンらは,個人レベルやグW一
国家の社会的政治的凝集度を測り,それに基づいて国内的
バルなレベルの安全保障に焦点をあてることによって,安
に脆弱な「ウィーク・ステイト」と国内的には非脆弱な「ス
全保障研究にとって本来最も重要な,国際システムにおい
トロング・ステイト」という観点から国家の安全保障問題
て集団的な単位(社会と国家)が相互に作用し合うことに
が分析される(21).発展途上国の多くに見られるように,政
よって生み出されるダイナミクスが過小評価されることを
府の正統性が欠如し政治的社会的凝集力が弱い「ウィー
批判する。以前の研究におけるブザンの主たる関心は7.国
ク・ステイト」では,国内の経済的・政治的混乱,内戦,
家(と国際システム)であり,その中で「ウィーク・ステ
軍事クーデター,他国からの介入などによって,しぼしぼ
イト」の脆弱性を規定するものとして社会にも目が向けら
個人の安全が脅かされる.したがって,政治的・経済的基
れたが,0・ウェ・・一バーらとの前掲の共著では,ヨーロッ
盤の強化による「ストロング・ステイト」への発展によっ
パの安全保障にとっての最も重要な準拠枠として社会に焦
て,ある程度の個人の安全は保障されることになる。もち
点があてられる(23)。これは,旧社会主義諸国における民族
ろん,この移行過程において,国家による強制を通じて個
紛争などの社会的分断や,西ヨーnッパにおける統合の動
人の安全が脅かされることもあろうし,すでに述べたよう
き,そこで移民が社会的な問題となっていることなど,ヨー
に,先進諸国でも個人の安全が必ずしも守られているとは
ロッパの現状がつきつける実際的な政策課題であると同時
いえない。
に,ヨーロッパが直面するこうした新たな脅威を,安全保
人間の安全保障はしぼしば人権と同置にされるが,今日
障研究の中でどのように位置づけるべきか,という理論的
の国際社会において個人の人権の保障が基本的には国家に
な必要性でもあった(24).
4
近年における安全保障概念の多義化と人間の安全保障
彼らは分析上安全保障へのアプローチとして,社会に存
ナショナル・ミニマムを最低基準とした社会権の制度的な
在するその他の小さな諸集団を中心に安全保障を捉えるの
保障であり,社会福祉は貧困層や重度の身障者など特別の
ではなく,あくまでも社会全体を準拠枠とすべきであると
サービスを必要とする人々を対象とする公的な政策として
考える。社会とは,他の社会集団とは明らかに異なる高度
もともとは誕生したeしたがって,むしろこの考え方は次
の社会としての慣性,何世代にもわたる継続性,規範や価
節でとりあげる「人間の安全保障」論の基盤となった,ベ
値や制度という強力な構造基盤によって特色付けられるも
イシック・ヒューマン・ニーズ(以下B:HNと略記)との
のとして理解される(25).したがって中心的な分析単位は,
共通性が強い。
ドイツ人,フランス人,ヨーWッパ人,ムスリム,カトリッ
クといった,政治的に意味をなすエスノ・ナショナルな,
(3)社会の安全保障論への批罰
あるいは宗教的なアイデンティティである。今日の国際シ
ブザンとウェーバー一の社会の安全保障論に対する批判の
ステムにおける状況の変化や,潜在的ないし現実の脅威に
一つは,社会学的見地に基づくものである(30)。ブザンら
対して,社会が本来持っている性格を維持する能力,言い
が,文化,宗教,ナショナルなアイデンティテKと慣習の
換えれば,ある程度の変容を受入れつつも,言語,文化,
伝統的なパターンの維持能力として社会の安全保障を定義
宗教,あるいはナショナルなアイデンテdティと慣習の伝
するために,安全保障の理論的準拠枠が依然としてネイ
統的なパターンを持続する能力が,社会の安全保障論に
ション・ステイトの基本原理に近いものに限られているこ
とっての主たる研究対象となる(26>。国家の安全保障が主権
と,ジェンダー,階級,共同体などそれ以外の軸が安全保
と領土の維持を最終的な目標とするのに対して,社会の生
障を見る枠としては妥当でないとされていることを,M・
存にとってはアイデンティティの維持と保護が最終的な目
ショーらは批判する(31).安全保障は国家やエスノ・ナショ
標とされる。
ナルな文脈によってのみ決定されるのではない,そして,
全体としての社会へのこだわりが,結局は個人や集団の安
(2)社会の安全にとっての脅威と安全保障の手段
全への関心をより狭めることになっている,というもので
「我々3というアイデンティティを脅かすものが社会の安
ある。こうした批判に対して,ブザンとウェーバーの最近
全にとっての脅威である。例えば,大量の移民の流入によっ
の論文は,個人レベルのアプローチは,社会や国家という
て,ある社会がそれまで維持してきた伝統や慣習が脅かさ
集団の安全保障の動態を捉えることができないが,逆に,
れるとき,安全保障上の脅威として認識される。民主主義
社会レベルのアプローチでは,周辺化された人や集団が現
の諸制度は,様々なエスノ・ナショナルな共同体の間で,
実に直面する脅威に対する解決策を提示することができな
あるいは国家間,個人や共同体問で,こうした脅威の認識
いとして,双方のアブU一チが相互に補完し合う必要性を
を削減し社会的な安全を醸成する方策の一つとしてあげら
提起している(32).
れる(27)。異文化に対する社会の寛容さと多文化主義を促進
また,こうした批判の他に,西ヨーロッパの政治家によっ
すると同時に,社会的な一体性を生み出すような文化政策
て,移民や難民が社会にとっての安全保障問題として取り
によって社会としてのアイデンテ/ティを強化すること,
上げられる機会が増加し,その際にこうした問題が麻薬や
特定の集団の言語的・文化的・宗教的な特徴を維持しつつ
テロなどの犯罪とともll・一括りにされる傾向にあること,
社会へ組み込むこともまた,社会の安全保障にとっての防
またアカデミックな議論の中で移民や難民が集団のアイデ
御策となる(28).
ンティティの問題と結び付けられる傾向にあることを懸念
その他に,資本主義のグU一バルな拡大に伴う,コカコー
する論者もある(33).安全保障の言説において安全保障化
ラやテレビなどの商品や,消費主義・個人主義など精神文
(securitize)という行為は,保護される対象を作り出すと
化の流入や,英語の氾濫などもまた,社会の伝統的な生活
ともに,脅威ないしは敵となる対象をも作り出す。移民を
様式やアイデンティティが直面するリスクであるeこうし
安全保障問題として提示することによって,移民に対する
た資本主義の浸透による社会の危機は,自由な経済行為へ
暴力が増長されるなど,リスクが増加する危険性もある。
の政府の介入によって,ある程度くいとめることができる
のかもしれない(29).これまでの議論で明らかなように,ブ
ザンやウェーバーの主張する社会の安全保障は,社会の特
3 UNDPの「人間の安全保障」概念
定の集団にとっての脅威の削減ともいえる社会保障
第一節で述べた様に,安全保障の客体(守るべき対象)
(social security)や社会福祉(social welfare)とは異な
として最も重要なのは個人(人間)であると主張する論者
る概念であるe社会保障とは,病気,事故,失業,老齢な
は,これまでも少なくなかった。UNDPが!994年に公刊
どに応じて,これらの人々に所得保障や医療保障を行う,
した『人間開発報告書』㈹で特集されて以来注目を浴びる
5
栗 栖 薫 子
ようになった「人間の安全保障」もまた個人レベルの安全
人問開発は,経済学者A・センによって提起された「ケ
保障の中に含まれる.その中でUNDPが提起した概念が
イパビリテi 一」(37)アプローチを根幹とする。このアプ
特徴的であるのは,社会開発の議論の発展過程で誕i生し,
ローチによれば,社会開発の目的は,個々人が何か価値あ
社会・経済・環境・政治など複数の分野に結びついている
る行動を行う能力,あるいは,何か価値ある状況に到達す
点である。すなわち,第一に,戦争や地域紛争はもちろん
る能力を獲得することにある。BHNが救済や福祉という
のこと,環境の劣悪化,飢饒,人口増加など非軍事的な問
財やサービスの分配や,個人を受益者とする政策に力点を
題もまた安全に対する脅威/危険として認識されており,
置くのに対して,人間開発はBHNから出発しつつも,も
そうした脅威は集団,社会,グローバルにわたる複合的な
ちろん個々の人間の生存を確保した上で,さらに人間の選
レベルに所在する。第二に,脅威/危険への対処の手段は,
択の幅の拡大,社会参加や人間の発展の可能性を高めると
様々な社会経済的政策の領域を包括的に含むべきものであ
いう主体的側面を強調したものといえる(38).訊問開発を促
り,第三に,安全保障の主体として国家や国際社会が何ら
進するためには,貧困,環境,保健,雇用,教育などの多
かの具体的な政策手段をとることを提起している(表1を
くの分野にまたがった社会環境の整備が必要となるが,そ
参照)。以下では,最近の人間の安全保障への関心の高まり
のために各問題領域についての達成度を数値化し指標とし
の火付け役となったUNDPによる概念と,それが生み出
て設定したのが「人間開発指標」(H:uman Development
された経緯:を述べる.
Index, H:D I)である(39)e
1989年春,パキスタンの経済学者(元大蔵大臣)マーブ
(1)人間開発と「人品の安全保障」
ブ・ウル・バク(Mahbub ul H:aq)が中心となって『人間
「試問の安全保障」という概念が生み出された背景には,
開発報告書』の作成が始まり,彼を特別顧問とし,A・セ
一方では,経済開発概念において,また他方では,安全保
ンら経済学者を諮問委員とし,UNDPスタッフを含めて
障概念において,そのカバーする問題領域が包括化・複合
構成された作成チームが,U寅Dpからは独立した組織と
化したこと,そして,双方ともその対象に関して,国家中
して設置された。1990年に『人間開発報告書』の刊行が開
心から人間中心への移行が見られるようになったことがあ
始された後,初めて「人間の安全保障」という概念が明確
げられる。経済開発(特に社会開発)と安全保障の両分野
化されたのは,1993年5月に発表された『人間開発報告書』
が拡大し,その結果,重なりあった部分が「人間の安全保
であった。この号では「持続可能な人間開発」とともに「人
障」あるいは予防開発といった概念で呼ばれるようになっ
間の安全保障」が,人間中心の世界秩序を支える5つの柱
た。「人間の安全保障」を安全保障論の立場から見れば,本
の一つとして位置づけられた(40)。そして,この「人間の安
稿のテーマである安全保障概念の多元化・包括化の流れに
全保障」という概念に焦点をあてて特集し,世界中の関心
位置づけられるわけであるが,ここでは,経済成長重視か
を集めたのが1994年の『人間開発報告書』であった(銑
ら社会開発へ,さらには人間開発へという開発概念の変遷
人間開発自体は,本来80年代に社会開発分野から発展し
の中で「人間の安全保障」の位置づけを行う(35).
た概念であったが,開発における人間中心主義と,国家で
1960年代から70年代にわたって,社会開発の主たる役割
はなく人間一人一人の安全が守られるべきである,という
とは,インフラなどハード面を整備し経済開発を補完する
考えとが,バクらによって結びつけられ,「人間の安全保障」
ことであると考えられていた。UNDPでは,60年代に人
という概念が誕生した。言い換えれば,経済開発によって
的資本論が議論されたが,これもまた,一国の経済成長を
人間が生存するために必要な環境が破壊されては意味がな
促すことが主眼にあって,そのために人的資本や教育への
いという持続的開発の人間中心主義と,国家の安全保障の
投資を行い,労働力としての人間の生産性を高めることが
名の下に人間が犠牲になるべきではないという,安全保障
必要であるという意味で用いられていた。周知の通り,こ
における人間中心主義である。同報告書の作成チームには,
の時期にはILO(国際労働機関)やWHO(世界保健機i
広く経済学のなかでも,センやバクを含めてポール・スト
関)などを中心として,貧困層や弱者を対象として,生き
リーテン(Paul Streeten)やハンス・シンガー(Hans
るために最低限必要な人問の基本的ニーズを充足するため
Singer)ら開発経済分野で著名な人物の他に,エドワード・
の所得の再分配政策が模索され始めたが,BHNは70年代
ローレンス (Edward Laurance)やハーバート・ウルフ
半ばに至って国際機関の戦略の根幹となる。BNH戦略は,
(Herbert Wulf)ら平和・軍縮研究に関心を持つ学者達が
国連において主に人道主義,すなわち救済や福祉の観点に
含まれていたこともあって,人間開発は,新たに安全保障
たって推進されたが,次第にこのBHNが基盤となって人
という観点から息吹を与えられることになった(42).
権や人問の能力開発に対する関心が高まり,それが人間開
過去IO年足らずの問に起こった,ソ連・東欧の共産主義
発という概念を生み出すきっかけとなった㈹.
政権の崩壊,南アフリカ共和国でのアパルトヘイトの廃止,
6
近年における安全保障概念の多義化と人闇の安全保障
あるいは旧ユーゴにおける民族紛争の激化など国際環境の
べき予防外交の「ガバナンス・アプローチ」ないしは予防
変化㈹,そして,人権宣言や国際人権規約の実施を通した
開発という側面をもつ点である。すなわち,人権の保障や
個人の権利やニーズを強調する世界的な人権意識の拡大の
貧困の緩和それ自体を目的とするだけでなく,これらがひ
動き㈹もまた,こうした考えが受入れられた背景となった
いては紛争の予防につながるという考え方である。通常,
ことは言うまでもない。まさにUNDPの「人間の安全保
予防外交とは,紛争を防止する解決方法がまだ残されてい
障」が目的とする範囲には,経済権,生存権,平和に生き
る段階に適用される事実調査,信頼醸成,早期警戒などの
る権利,環境権を始めとする,いわゆる第二,第三世代の
いわゆる「早期予防」と,放置されることにより短期間で
人権を中心にして,それに第一世代の政治的権利を加えた
紛争が発生するであろう危機的段階に適用される調停,仲
もの全体がカバーされているということもできる(45).
介などの後期予防(平和創造)を指す。しかし広義には,
紛争の予防・地域の安定のために市民的自由の保障,少数:
(2>「人間開発報告書」の「人間の安全保障」概念
者の権利の保障,開発,環境保全の必要を強調する「ガヴァ
人間中心主義
ナンス・アプローチ」が含まれる(so).
U:NDPの「人間の安全保障」の内容(46)については,こ
『人聞開発報告書』では予防開発の手段として,一つに
こでは概観するにとどめる。言うまでもなく,第一点とし
は,早期警報指標の策定が提起されている(51)。前述した人
て,安全保障の対象が,国家ではなく人間であることが「人
間開発指標(HDI)のような方式で食糧危機・失業率・
間の安全保障」の明らかな特徴である。前段で述べたよう
所得格差・人権侵害・軍事支出・民族紛争など国家崩壊の
に,UNDPではA・センの考え方を採用して,人間開発
危険信号となる問題について数値化し,危機的な状況に陥
を「人々の選択の幅を拡大する過程」として定義している
る前に,国際的な経済援助などを通して予防的行動に出る
が,『人間開発報告書1994』によれぽ,「人間の安全保障」
というものである。例えば,通常HDIは国単位で算出さ
とはその選択権を妨害されずに自由に行使でき,将来も選
れるが,地域や集団ごとに分割した指標をとり,もし地域
択の機会が失われないと安心できることであるく47).そし
問の数値の格差が大きければ紛争の懸念が高いということ
て,個々人が日常生活において家庭内や集団や国家間の戦
になろう(52)。また,国内的には,民族的差別の撤廃,教育
争による暴力,政治的抑圧,失業,環境破壊などの恐怖に
や保健サービスを通じた能力開発の機会,均等な経済的な
さらされず,安心して暮らせることが安全保障の目的とし
参入機会の提供などの政策を通じて,社会統合を実現して
て強調される。
いくことの必要性が強調されている㈹.グローバルな政策
同報告書によれば,おおむね次にあげる七つの分野にお
ける脅威からの人間の保護すなわち,(1雇用と収入が確保
されていること(経済面での保障),(2>基本的な食料が保障
人間が日常生活を行い、自己
の能力を開発して行く上で障
害がないと安心できる状態
されていること,(3>疾病など健康面での不安がないこと,
(4)環境破壊からの安全,(5>物理的暴力(女性や弱者に対す
る暴力,戦争,民族紛争など)がないこと,(6)地域的・民
政治的抑圧
からの安全
族的社会における安全,そして,(7)人権侵害や抑圧からの
(政治的)保障である(図1参照)(48).このように,人間に
とっての脅威/危険は軍事的なものに限定されず,むしろ,
社会からの
脅威が不在
経済面での
安全
各人の置かれた状況によって多様で,かつ複合的なものと
して定義されており,したがって,安全を保障する手段は
軍事力ではなく,教育や雇用などの分野での,国内的ある
いは国際社会による社会開発政策ということになる。加え
病気や死の
恐締からの
安全
環境破壊に
よる脅威が
不在
て,世界規模の人口増加,人口移動,環境の悪化,麻薬取
り引き,国際テUなどのように,「人間の安全保障」にとっ
ての脅威であって,かつその脅威の源泉がグU一バルに所
物理的暴力の
不在(集団的
基本的食料
の確保
暴力、戦争)
在しており,国際社会による対処を必要とする問題もあり,
これは「地球規模の人間の安全保障3と呼ばれる(49)。
「人間の安全保障」と予防開発
生存
(mir直m㎜
existence)
UNDPの「人間の安全保障」の第二の特徴は,最終的
には紛争の予防を目的とした,広義の予防外交に含まれる
図1 「人間の安全保障」
7
栗 栖 薫 子
手段としては,先進国の対外援助の20パーセントと途上国
の国家予算の20パーセントを,「平和の配当」(peace divi−
dend)として人間開発の優先項目に配分する「人意開発に
4 人間の安全保障論の評価
UNDPの「人間の安全保障」を政策論として見た場合
関する20:20協定」が提言されており,これは予防開発の
に生じる若干の問題点を指摘したい。第一に,一方では,
ための財政的基盤としても位置づけられている鰍また,
人間の尊厳を重視し,一人一人に対する脅威があってはな
国内紛争への国連の介入基準を定めた国連憲章第7章の解
らない,という人間重視主義他方では,長期的に紛争や
釈を見直し,大量殺鐵,飢謹,環境破壊などの条件でも国
集団的暴力の原因を除去することを目的とする予防開発論
際的な予防的介入を可能にすべきことが提起されてい
が漢画と一体になって語られているが,まずは,この二つ
る(5概
の概念的相違を明確化することが求められよう。個人の人
「人間の安全保障」に見られる人権や開発問題と安全保障
権や開発それ自体を安全保障の目標として設定した場合に
のリンケーージは,国連における安全保障の重点の移行とも
とられる外交政策と,戦争や紛争の予防を第一の目標にお
一致するものであった(表4)。以前から予防外交について
いた場合にとられる人権・開発政策とは必ずしも一致しな
は,例えば入間の大規模移動の監視と早期警報のために,
い。安全保障上の理由から,不安定な地域の民主制度の定
85年に国連人権センターが,87年には情報研究収集局(O
着や民族的少数者の問題の安定化に対して重点的に資源が
RCI)がデクエヤル前事務総長によって設置されている。
配分されれば,開発や人権それ自体の必要性から外交政策
特に92年のガリ事務総長による『平和のための課題』で
を考える立場との間で鋭い意見の相違を生み出すこともあ
は,冷戦終結後の国際的な安全保障の手段として,平和維
るeあるいは,地域的・民族的な格差は紛争の原因となり
持活動とともに予防外交の重要性が強調された(56).その一
うるため予防開発政策の対象となるが,常識的にはジェン
方で,平和維持活動の件数の増加に伴って支出が急増し,
ダー問の格差(それ自体は重要な問題であるが)が地域的
中でもソマリアやボスニアの例が示すとおり,ガリの提起
な武力紛争の主要因となるわけではない。さらにはグロー
した平和強制は莫大な資金を要しその効果も限定的である
バル・ガバナンス委員会の指摘するように,長期的に見れ
ことから,すぐに行き詰まりを見せた。このことが大きな
ば不安定化にもつながりうる貧困や環境の悪化といった一
要因となって,紛争が発生した後に対処するのではなく,
般的条件と,武力紛争の直接的な原因となりかねない特定
むしろ紛争の発生自体の予防に力を入れると同時に,紛争
の危険についても区別されるべきであろう。
が発生しないような国内的・国際的な体質作りが必要であ
第二に,「人間の安全保障」のための資金源の大部分は,
るとの認識が強まった。
平和の配当などを通じて先進国の拠出に頼ることになって
すでに述べたように,1993年5月にはUNDPの『人間
いるが,これらの諸国の理解を得ることは容易ではないと
開発報告書』が「人間の安全保障」という概念を用いて,
いう批判もあろう。実際,国連の予算の膨大化と非効率性
社会(人間)開発と安全保障の関連性を指摘したが,94年
を理由に分担金の支払いを拒否してきたアメリカでは,国
のガリ事務総長の『開発のための課題』(57)もまた紛争の
連による「人間の安全保障」確立の動きを牽制する保守派
ルーツに着目し,平和の基礎作りのために新しい開発戦略
が大きな発言力を持ち,彼らは,自由貿易と世銀などの国
が必要であることを強調している。また94年及び95年の国
際機関さえ機能すれば十分であると主張する(61).国家間の
連年次報告書(58)においても,紛争予防の観点に基づき社
関係の平等化を求めた新国際経済秩序(NIEO)の失敗
会・開発問題への重点の移行が見られる。1995年にコペン
の原因についての,実際の国際関係においてはパワーを持
ハーゲンで開催された「世界社会開発サミット」もまたこ
つ国が中心となるのであり,国家に対する慈善の考えなど
の延長線上にあり,社会開発サミットに向けた準備過程で
存在しない,したがってパワーの裏付けのない秩序は持続
93年9月に開かれた国連広報局/NGO年次会議では,「社
しないというR・タッカー(Robert Tucker)の指摘は示
会開発:安全のための新しい定義」と題して,UNDPの
唆にとむ(62).単に人道的視点からだけでなく,例えば広義
「人間の安全保障」概念について様々な側面から議論が行わ
の予防外交など戦略的見地からの重要性を強調するなどし
れた(59).社会開発サミットの場では,「人間の安全保障」の
て大国の支持をえることが要求される。「国家に対する慈
障害となる貧困,失業,社会の分断が,世界的にとりくむ
善」よりは,人々のための人道主義や人権という動機の方
べき社会開発の課題として強調され,そのための中心的な
が比較的受入れられやすいかもしれないが,人道目的であ
戦略となるべき「人聞中心型の発展」としての「人間開発」
る以上は戦略的利害を無視して敵対的国家にも資金を援助
が打ち出された㈹。
するのか,また,相手国に提供された資金が軍事目的に使
用されないようにいかにして管理できるのか,といった具
体的な課題もある。また,途上国自身において国内予算の
8
近年における安全保障概念の多義化と人間の安全保障
表4 国連における予防外交・予防開発の動きと「人間の安全保障」
1987
情報研究収集局(ORCD設置(SGデクエヤル)
1990
第4次開発の10年(GA)
1990.5
『人間開発報告書1990』(第一号,UNDP)
1992
第47回国連総会
『開発のための課題』の審議を開始
拷?決議47/92
拷?決議47/120
ミ会開発サミットの開催を要請
♀卲x報メカニズム設置を要請
1992.6
『平和のための課題』(SG)
予防外交
1993
人々の安全保障に関する議員会議(ボン,国際開発協会)
1993.5
『人間開発報告書1993』(UNDP)
「人間の安全保障」概念の提起
1993.9
「社会開発:安全のための新しい定義」(DPI/NGO会議)
「人間の安全保障」について討議
1994.5
欄発のための課題』
予防開発
1994.6
『人間開発報告書!994』(UNDP)
人間の安全保障について特集
1994
Building Peace and Developmen之(SG)
予防開発
1995
『新たな挑戦に向かって』(SG)
予防開発
1995.1
『平和のための課題一追補』(SG)
1995.3
社会開発サミット
予防開発
1995.6
『地球リーダーシップ』
地球規模の安全保障
「人問開発」
¥防開発/予防的介入
@(グローバル・ガバナンス委員会報告書)
F入々の安全保障,
@地球の安全保障
20パーーセントというかなりの部分を人間開発に割り当てる
脅かすものは安全保障問題として扱うべきであるが,それ
という『人聞開発報告書1994』の提言も,確かに,国内の
以外は経済ないし環境問題として解決すべきである,とす
富の偏在が大きい国では,国内的な資金の再配分によって
る立場からの巻き返しが見られる(65).
問題の解決に寄与する部分もあろうが,内政問題である以
とはいえ,人間の安全保障であろうと,人間の「安全保
上,当事国の政府にその意志がなけれぼ実現は難しい。
障」であろうと,これまで国家の安全保障の名分の下に抑
理論的には,そもそも人間の安全保障を安全保障論の範
圧されてきた人々や,戦争や内戦の犠牲者たちの安全に目
躊に入れるべきなのか,という批判がある。!983年にR・
を向けさせたことは意義があろうe社会全体や国家の安全
ウルマン(Richard UUman)は安全保障にとっての脅威を
のしわ寄せとして,個人ないしは特定の集団の生命や生活
軍事的なものに限らず,第一に,比較的短期問に国民の生
や人権が犠牲にされてきたことを問題視したものであり,
活水準を大幅に悪化させる行為や事件,・第二に,政府ある
近代的合理性や功利主義への重要な批判原理となっている
いは,個人や集団や企業が選択できる政策の幅を深刻に脅
ことは顯できない。隙ば,弁識こ集中する輝勤
かす行為や事件,として広く定義することが有用であると
問題については様々な立場があり一概には言えないが,人
提起したが(63),その後安全保障の目的として複数をとり上
間の安全保障論は沖縄からの基地削減を求める人々の主張
げ人権の保障や環境の保全それ自体を安全保障と呼ぶ傾向
を支援する原理ともなりうる。また,人権,開発,環境と
が生まれた。安全保障概念が多義化する中,何を基準に安
いった個々の問題領域を,人間の安全保障というより広い
全保障問題であるかどうかを見極めるべきか,という議論
包括的な概念で捉え直すことによって,それらを相互に関
が行われてきたが,そのうち有力なものが,武力紛争や戦
連する問題として対処すべき処方箋を考えはじめたことは
争につながる問題や,あるいは,大規模に人間の生存が脅
評価に値するであろう’■
かされる場合に限定すべきという主張である。1995年の
国家の安全保障が,人々の安全にとっての最大の脅威で
Glo bal Dangers(64>は環境,移民,ナショナリズムという三
あり長期的被害をもたらす戦争から,人々の生命や生活や
つの問題領域を安全保障への脅威としてとりあげているが,
人権を守るための最終的な手段であること,そして,個人
おさめられた諸論文のうち大部分は,直接的にあるいは長
の安全にとっての最も強固な基盤であることは否定できな
期的に見て武力紛争を誘発するという観点から議論を行う
い。また,ブザンらが強調するように人問の安全保障によっ
ものである。また,環境は安全保障問題か,という諸論の
て,社会全体や,それ以上に国家間の安全保障問題が解決
中でも,例えばオゾン層の破壊など大規模に人間の生存を
されるのではない。人間の安全保障は,国家や国民の大多
9
栗 栖 薫 忌
数の安全を保障するナショナル・セキュリテa一を代替す
るというよりは,むしろ国家の安全を介しても強化される
という関係にある1今後は,「戦争・貧困・抑圧からの人間
の解放」という定義を基盤として,さらに,現在の人間の
安全保障論に欠落:している,人間の安全という観点から国
家の安全保障の役割の重要性とそれにともなう負の側面を
研究し,議論にくみこむ視点が必要となろう。
Dimensions of Security−The lnteraction of Globalizing
and Localizlng Dynamics,” Secuve’ly Dialogue, Vol.25, No.
3(1994),pp.255−28ユ.開発派が抑圧された入山に注目するの
に対して,ロズノーは個人を高度の問題の理解力と対処能力
を身につけた能動的な主体として捉える.
(6) Booth, oP. cit. p.319.
(7) Amartya Sen, ”Capability and Weil−BeiRg,” in Martha C.
Nussbaum and Amartya Sen eds., The Qualily of Lzfe,
Oxford: Clarendon Press,1993, pp.30−53.
(8) Jack Donneily, ”Rethinking Kuman Rights,” Current
llisto7 y (Special lssue olt Global Security: The HumaR
注
(!)協調的安全保障については,山本吉宣「協調的安全保障の可
能二一基礎的な考察」『国際問題』1995年8月目220買。
(2)例えば,ポストモダン派では,Richard K.Ashley,”Living on
Border Lines: Man, Poststructuralism, and War,” in
James Der Derian and Michael Shapiro eds., lnter
Dimension)November 1996, pp,387−9しその他に,個人の
安全保障論として,Bill McSweeney,”Identity and Secu−
rity: Buzan and the Copenhagen School,” Review of
In ternational Studies, N o.22 (1996), pp.81−93.
(9) Martin Shaw, ”There is No Such Thing as Society:
Beyond lndividualism and Statism in lnternational Secu−
rity Studies,”Review (;ゾInternational Stzadies, No.19
(1993), pp.165−73.
−national / ln tertextual Relations: Postnzodern Readings
(10) Shaw, loc. cit.
of 17Vorld Politics, NY: Lexington Books, 1989, pp.
259−322. フェミニズムでは,Ann Tickner, Gender in
fn lernational Relations−Femin ist PersPectives on A chiev−
ing Globa/ Security, NY: Columbia University Press, 1992.
書説分析では,PaUl A. Chilton, Seczarity!晩妙勿欝一Cold
War Discoblrse from Conimnment to Common Hozase, NY:
Peter Lang,1996.また,社会学ではAntho職y Giddens, The
Conseqblences of Modernity, Cambridge: Politity Press,
1990.(アンソニー・ギデンズ著(松尾精文・小幡正敏訳)『近
代とはいかなる疇代か? モダニテ/一の帰結』而立書房,
1993年)など参照。
(3) Barry Buzan, People, States and Fear An Agenda for
(11)ギデンズ『前掲書』129,155頁.
(12)「生の政治」は,途上国よりも先進諸国において重要となる。
Shaw,(:φ. cit., pユ72.
(13) Buzan oP. cit., pp.35−54
(14) Ole WEever, Barry Buzan, Morton Keistrup and Pierre
Lemaitre. ldentity, Migration and the.IVew S60%吻
Agenda in EuroPe, London: Pinter Publishers, 1993, pp.
20−27.
(15) The Commission on Global Governance, Our Global
Neighbourhood. Oxford: Oxford University Press, 1995, p.
80.(『地球リーダーシップ』NHK出版,1995年)
(16) lbid, p.97.
in ternationa/ Securlly Stzadies in the Post−Co/d War Eva,
London:Harvester Wheatsheaf,1991伽d ed),pp.14−18に
は様々な安全保障の定義がリストアップされている。
(4)individual securityやpersonal securityという用法もあ
る、”individual security”を用いている例として, Buzan,
PeoP le, States and Fear; Ken Booth, ”Secur1ty and Eman−
cipation,” Review of lnternational Studies, No.17 (1991),
(17) Lasswell, National Security and lndividual Freedom.
(18) Berki, op. cit., pp.20−22.
(19) Robert N ozick, A narchy, State and UtoPia, Oxford:
Blackwell, 1974.
(20) Ken Booth, ”Security in Anarchy: Utopian Realism in
Theory and Practice,” lnternational Affairs, Vol.67, No.3
(1991), pp.527−45.
pp. 313−26; Dietrich Fischer, IVonmilita7 y AsPects of Secu−
(21) Buzan, op. cit., pp.57−llO.
rily: A Systems APProach, Adlershot: Dartmouth, 1993;
(22) Fischer, oP. cit., pp.167−96.
Caroiyn M. Stepheltson, ”New Approaches to lnterna−
tional Peace−mal〈ing in the Post−Cold War World,” in
Michael Klare T. ed., Peace and 1}Vorld Securidy Studies:
/1 Curriczalzam Guide, London: Lynne Rienner Publlshers,
1994,pp.14−28。”personal security”壱こついては, Harold
D. Lasswell, National Security and lndividual Freedom,
NY: Da Capo Press, 1950; Lasswell, World Politics and
Persona/ fnsecurity, N Y: Free Press, 1965; R.N. Berki,
(23) Waever et al., ldentily, Migration and the New Seczanty
Agenda in Ezarope.他に,0. Weever,”European Security
Identities,”ノbzarnal of Common Market Studies, Vol.34,
No.1 (March 1996), pp.103−132; Ole Weever, ”Securitiza−
tion and DesecurltlzatloR,” Ronnie D.Lipschutz ed., On
Secunty, NY: Columbia University Pres, 1995, pp.46−86; B.
Buzan, ”New Patterns of Global Security in the Twenty
−first Century,” international Affairs, Vol.67, No.3 (1991),
Security and Soo飽砂一R解60房。ηs on Lazv,0鷹εプand Po li−
tics, London:J.M. Denlt and Sons Ltd.,1986など.
(5)Mahbub u田:aq, Reflections on Human Z)eveloPment, NY:
pp.431−52.移民を安全保障問題として扱う中に, Myron
Weiner, ”Security, Stability and lnternational Migration,”
international Security, Vol.17, No.3 (Winter 1992/3), pp.
Oxford University Press, 1995; Caroline Thomas, ”New
DirectioR in Thinking about Security in the Third World,”
ifi Ken Boeth ed., New Thinking about Strategy and
international Seczarity, London: Harper Collins, 1991, pp.
267−89;ギデンズ『前掲書』;Hedley Bull, The Anarchical
Society: A Stzady of Order in YVorld Po litics, London:
Macmillan,!977.その他に, James N. Rosenau,”New
91−126.
(24) Barry Buzan and Ole Waever,”Slippery? Contradictory?
Sociologically Untenable? The Copenhagen School
Repiies,” Revie’w of lnternational Studies, N o.23 (1997),p.
242.
(25) Weever et al., op. cit., pp.20−21.
(26) lbid., p.23
10
近年における安全保障概念の多義化と人間の安全保障
(27) Jbid., p.50.
Amerlcan Approaches to Preventive Diplomacy: A Pro−
(28) lbid., pp.!91−6.
file,” A Paper’prepared for NIRA Conference on Preven−
(29) loid., p.53.
tive Diplomacy in the Asia Pacific Region, Tokyo, Decem−
(30) lbid., p.21.
ber 9−10,1994を参照。早期予防,後期予防についてはGareth
(31)Shaw, op. cit., p.162.マーチン・ショー著(高屋定国・松尾
Evans, CooPerating for Peace, Allen and Unwin, 1993, pp.
真訳〉『グm一バル社会と国際政治』ミネルヴァ書房,1997
65−70。予防外交全般については,森本敏・横田洋三編著『予
年,135−9頁。
防外交』国際書院,1996年;『NIRA政策研究(国連シン
(32) Buzan and Wa2ver, oP. cit., p.245
ポジウムー国際平和のための国連の役割)』1993年,VoL6,
(33) Jef Huysrnans, ”Migrants as a Security Problem: Dangers
of ’Securltizing’ Societal lssues,” in Robert Miles and
No.6;『NIRA政策研究(予防外交一紛争の平和的解決を
闘指して)』1994年,VoL7, No.5;『NIRA政策研究(予
Dietrich Thranhardt eds., Migration and EuroPean lnte−
防外交一和解の世紀を目賦して)』1997年,VoL10, No.1な
gration−The Dynamics of inclblsion and Exclusion. Lon−
ど。
don: Pinter,1995, pp.53−72.
(51)『人間開発報告書1994』38頁。
(34)UNDP, Human DeveloPment∫∼の。鴎1994.(『人間開発報告
(52) UNDP, ffuman Developnzent RePort, 1993, pp.17−18.
書1994』国際協力出版会,1995年)。
(53)『人間開発報告書1994』38頁。
(35)社会開発論については,西川潤編『社会開発一経済成長から
(54)その他に,軍縮,武器貿易及び軍事援助の規制などが挙げれ
人間中心型発展へ』有斐閣,1997年。
ている。『人間開発報告書1994』,47−77頁。H:aq, op. cit., p.
(36) Haq, op. cit., p.vil.
42.
(37)センのケイパビリティー論は,貧困と福祉,開発,社会的不
(55)『人間開発報告書199郵57頁。
平等など様々な社会問題との関連から精緻化されているので,
(56) Boutros Boutros−Ghali, An Agendo for Peace, NY: UN,
詳しくは以下を参照。Amartya Sen, Choice, We/fare and
1992.
Measzarement, Oxfoyd: Blackwell, 1982. Sen, Resources,
(57) Boutros−Ghali, An Agendo for DeveloPment, NY: UN,
Values and DeveloPmen4 Cambridge, Mass.: }{arvard
1994.
University Press, 1984.
(58) Boutros−Ghali, Building Peace and DeveloPmen4 Report
(38) Haq, oP. cit., pp.20−23.
on the Work of the Organization from tke Forty−eight to
(39>HDIの算出方法については, UNDP, lleeman Deve/opnzent
the Forty−ninth Session of the General Assembly, NY:
RePort,1993, pp.100−114を参照。 H D Iが導入された経緯に
United Nations, 1994; Boutros−Ghali, Confronting New
ついては,Haq,oρ,6鉱, pp.47−65,また,アマーティア・セン
Challenges, Report on tke Work of the Forty−ninth to the
「『人間開発報告書』とその研究対象」服部三編『来世紀への
Fiftieth Session of the General Assembly, NY: United
軍縮と安全保障のプwグラム=ECAAR第三回シンポジウ
Nations Department of Public lnformation,1995 (ブトm
ム議事録』多賀出版,1996年,136−46頁,を参照。
ス・ブトロス篇ガーリ『新たな挑戦に向かって』国連年次活
(40)UNDP, Human Development Report,1993.特にpp.2−3を参
動報告書第睡9回総会から第50回総会へ,国連広報局,1995年。)
照。「人間の安全保障」を強調したものに,UNDP側のスタッ
(59) Socia/ Deve/oPment一 A New Definition for Secunty, Final
フ責任者魚ge Kaulによる書評,”Bookrevlew on A Bar−
Report of the 46th Annual DPI/NGO Conference, Sep−
gain for Kumanity: Global Security by 2000,” DeveloP−
tember 8−IO 1993 New York, NY: UNDPI, May 1994.
ment, No.3 (1993), pp.81−2.
(60) The Copenhagen Declaration and Programme of A ction 一
(41)『人間開発報告書1994』
World Summit for Socia/ DeveloPnzent. N Y: Unlted
(42)人間中心主義だけではなく,マクロの視点から社会経済的な
Nations Department of Public lnformation,1995.国連広報
問題と安全保障問題を統合し,安全保障政策を社会経済政策
局(UNDPDによって発行された資料を編集し,社会開発サ
へと内部化しようとする「最適な厚生・安全保障」論からの
ミット開催までの過程を明らかにしたものとして,『社会開発
影響もあった。
サミット』国連広報センター,1994年。
(43) Haq, oP. cit., p.43.
(61)武者小路公秀「人間の安全保障を求めて一安全保障の回しい評
(44) Stephenson, oP. cit., p.19.
価基準を」『RCNZA』1997年9−10月号, pp34−37。
(45)D・フィッシャーによれぽ,1990年5月にタシケントで開催
(62) Robert Tucker, The lnequality of 2Vations, N Y: Basic
された安全保障の非軍事的側面についての國連の専門家会議
Books, 1977, pp92−112.
は,「個人の安全保障と共同体の安全保障が国家の安全保障を
(63)前者には,戦争・内戦,経済封鎖,大規模な干ぼっなど,後
構成する」と定義した上で,「個入と共同体の安全は,個人の
者には敵対的国家からの威嚇やテロの脅威などが含まれる。
自由や政治的,社会的,経済的権利の有効な実施と,現在と
Richard Ullrnan, ”Redefining Security,” lnternationa/
将来の世代にわたる環境の保全によって保障される」,また個
Security, Vol.8, N o.1 (1983), pp.129−53.
人の安全保障には「教育,保健などベイシック・ヒューマン・
(64) Sean M. Lynn−Jones and Steven E. Miller eds., Global
ニーズ」の充足が必要であることを指摘している。Fischer,
Dangers−Changing Dimensions of ln ternational Security,
0P. cit., p.10
Cambridge, Massachusetts: MIT Press, 1995.
(46>94年版の同報告書の内容については,宮脇昇「冷戦後の安全
(65) Barry Buzan, ”New Patterns of Global Security in the
保障概念の多元化」『冷戦後のアジアの安全保障』日本学術協
Twenty−first Century,” lnternational Affairs, Vol.67, N o.3
力財団,1997年,34−56頁;Haq, op. cit., pp.115−125.
(1991) pp.431−52; Daniel Deudney, ”The Case against
(47>『人間開発報告書1994』,23頁。
Linking Environmental Degradation and National Secu−
(48)『前掲書』,24−34頁。
rity,” Mil/ennizam, Vol.19,’No.3 (1990),pp.461−76; Mark A.
(49)『前掲書』,34−37頁。
Levy, ”ls the Environment a National Securlty lssue,”
(50)「ガバナンス・アプローチ」という用語は,Michael Lund,”
lnternational Security, Vol.20, No.1 (Fall 1995), pp.35−62.
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