Comments
Description
Transcript
戦前の幼稚園における空間意識の検討―写真の分析
戦前の幼稚園における空間意識の検討―写真の分析を通して― ○ 濵田彩希(蒲田保育専門学校) 福田篤子(大妻女子大学大学院) 金玟志(浦和大学) 宮里暁美(十文字学園女子大学) 柴崎正行(大妻女子大学) 【はじめに】 これまで、附属幼稚園(東京女子師範学校附属幼稚 に着目し、上履きに代表される室内空間がどのように 意識され利用されてきたのかを明らかにしていきたい。 園)および愛珠幼稚園の設立時から明治中期までを対 象に保育課程表と実践記録から保育時間や保育空間が どのように意識されてきたのかを明らかにしてきた 【方法】 明治期に創設された3つの幼稚園(東京女子師範学 (柴崎正行ほか 日本保育学会 第67・68 回大会発表) 。 校附属幼稚園、愛珠幼稚園および頌栄幼稚園)の記念 附属幼稚園の設立当時の保育課程(M10 年)では、保育 誌に掲載されている写真から保育空間がどのように利 者主体で活動を展開させる時間が保育であり、子ども 用されているのか分析し、保育室内空間に対する意識 たちが主体となって自由に遊ぶ時間は保育活動である について考察する。 とは意識されていなかった。さらに保育者が意図した 課題に取り組む空間(開誘室)が保育の場と意識され、 【結果及び考察】 室外で自然や生き物に触れて過ごす時間は保育項目に まず3園の創立当時の写真を比較してみると、附属 入っておらず、当初園庭は保育空間ではないと意識さ 幼稚園は板敷の保育室内を靴のままで使用していた。 れていたのではないかと考えられた。小学校との接続 愛珠幼稚園では作法室は靴を脱ぎ、遊戯室は靴を履い を重視していた時期(M14~17 年)もあったが、明治 ていた。頌栄幼稚園では板敷の上に茣蓙のような物を 24 年の保育課程より保育時間は保育者の意図した課題 敷き、靴を履いて生活をしていることが分かった。こ に取り組む時間だけを指すのではなく、子どもたちが の3園の生活様式の違いは、各園が設立された経緯や 自由に遊ぶ時間も保育時間の一部として確実に意識さ 園舎の成り立ちの違いが大きく影響していると思われ れるようになったと分かった。さらに遊戯が室内外で る。①附属幼稚園は官立の擬洋風建築を新設し幼児教 行われるものと明記されていることからも、保育空間 育界を牽引するモデル校としての役割をもっていた は開誘室だけではなく、自然や生き物に触れて過ごす ②愛珠幼稚園は商家の屋敷を転用した園舎で、地域の 室外も含めて意識されたことが分かった。一方、愛珠 有力者たちによって立ち上げられ附属幼稚園を模範と 幼稚園の保育課程(M13 年)では、 「耕作」や「自由遊」 しながらも民意を大事にしていた ③頌栄幼稚園は AL. の時間が保育項目に設けられていた。子どもたちの一 ハウの意向から、園舎は新設の武家屋敷でありながら 日の活動のリズムが考えられ始めていて、子どもの実 室内を西洋風に活用していた。また当時ハウは日本の 態に即していきたいという保育者の思いとともに、室 気候風土と蚤対策に気を揉んでいたようで、ただ西洋 内外ともに保育空間であるという意識を持ち始めてい の生活様式を導入しただけではなく、衛生上の観点か たことが分かった。こうした保育の時空間意識が継続 ら板敷の上に茣蓙を敷き、靴を履いて生活していたの されていたことも明治 26 年の保育課程から分かった。 だと推察された。 それでは保育の時空間意識は、園環境に起因するも のなのだろうか。たとえば今日ではごく当たり前のこ 【参考文献】 ととして定着している『幼稚園や小学校以上の学校環 お茶の水女子大学付属幼稚園 境において室内で上履きに履き替えるという行為』は、 館, 2006 幼稚園設立当時(明治期)から行われてきたものなの 大阪市立愛珠幼稚園創立 130 周年記念事業委員会 愛 だろうか。日本特有の住環境と生活様式から考えてみ 珠幼稚園百年史 130 年史 大阪市立愛珠幼稚園, 2010 れば、学校環境においては室内で上履きに履き替える 頌栄保育学院, み翼のかげ という行為は意図的に取り入れられたように思われる。 年の歩み 頌栄保育学院 1989 そこで、本研究では戦前の幼稚園における生活様式 時の標 フレーベル 写真で見る頌栄 100