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吸坂飴物語(PDF
‐ 3 ‐ │ ‐ ‐ 1‐ ││'「 │ 諄 … 猾 Ⅲ 蒙 藝 I 弯 坂 簑 文 物 鞣 守1晰 1響 … 由晰 鰺 語 作 監 修 北 陸先端科学技術大学院大学 小林俊哉 北陸先端科学技術大学院大学 緒方三郎 眸 機鵞 桑菫 . ・ 一 一 一 藝 一一 一 ・ 一 ・ ・ . 蝙鑽 購 洟■巫 一 ● 註■ 命● 製 加賀市立図書館 オー ラルヒス トリー勉強会 中 一 餃瞼蜃■ ● 摯 瑣台 恣骰 ● ■ 一 ■● ● 鰊 加 賀 市 立 図書 館 オ ー ラ ル ヒ スト リ ー文 庫 吸 徊 饉縣 匁蟷 緩 ム回 含属 義鴫 物 昔 と あ ま り 変 わ っ て は いま せ ん 。 □ に 入 れ た と き に 盛 じ る 自 然 な 廿 さ t 、 製 法 七 、 米 と 麦 芽 の 廿 み を 生 か し て つく り ま す 。 原 料 に 砂 糖 な ど の 糖 類 は 一切 使 わ ず 、 3 0 0 年 余 り に わ た っ て つく り 続 け ら れ て き た 伝 統 的 な 食 品 で す 。 ロ賀 市 大 聖 今 町 の 南 東 に あ る 吸 坂 地 区 で 吸 坂 飴 は 、 カ Ю 年 間 従 事 さ れ た 辻 妙 子 さ ん に イ ン タ ビ ュー を 行 い ま し た 。 私 達 は、 2 0 0 8年 Ю 月 6 日吸 坂 飴 製 造 販 売 に 2 坂 辻 製 全 く に奔 走 し、 地 区 の議 会 の議 長 も 務 めるな ど 社 会 的 な 活 動 に多 忙 を 極 め、 実 際 に飴 を つ 2 年 ︵1 9 3 7 年 ︶、 辻 妙 子 さ んは 昭 和 1 0年 代 の初 め、 0 山 代 温 泉 の生 ま れ。 昭 和 3 2 歳 のと き に飴 の製 造 ・販 売 を 業 と す る吸 坂 の辻 家 に嫁 ぎ 、 以 来 、 2年 ほど 前 に作 業 場 を 閉 じるま で、 0 5年 間 にわたって吸 坂 飴 の仕 事 に携 わってき ま した。 夫 の順 治 さんは辻 製 るよう な 日々が続 き ま す 。 当 時 は、 手 を とっ 業 場 を 新 築 し た り と、 活 気 のあ る毎 日 でし た。 生 ま れた子供 を おぶって夜 中 ま で飴 を煮 く る のは お 母 さ んと 妙 子 さ ん、 女 性 2人 だ け の作 業 でした。 飴 所 の次 男 坊 で、 結 婚 当 時 は国 鉄 の電 車 の て仕 事 を 教 え ても ら う よう な こと は 一 切な お り しも 高 度 経 済 成 長 の時 代 に入 り 、 吸 運 転 士 と し て山 代 に勤 務 し ており 、 妙 子 さ く な って、 飴 を 煮 る釜 を 大 き く し た り、 作 も ふえ 、 保 健 所 から の衛 生 面 の指 導 も 厳 し 坂 飴 の売 れ 行 き も 伸 び ていき ま す 。 取 引 先 んは、 いわば サラリーマンの妻 にな るつも り で 仕 事 を さ り げ なく 見 て覚 え る。 見 よう 見 ま だ ったこと でしま つ。 順 治 さんは勤 務 が あ る 嫁 いで間 も な い妙 子 さ んには相 当 き ついも の 外 が暗 で つち から 始 ま る飴 づく り の作 業 は、 う 状 態 でし た から 、 力 仕 事 でも あ り 、 ま だ いう よう に ﹁ 何 も かも 本 当 の手 づく り ﹂ と い た薪 を 使 い、火 力 が強 く なり 過 ぎ ると筵 ︵ む し ろ︶ を 水 に浸 したも のを 焚 き ロヘ入 れると た時 代 には、飴 を 煮 るのにも 裏 山 の木 でつく つ 妙 子 さ んが飴 の製 造 にかかわ るよう にな っ みたいにダラーッとなつてね、 き れいな のにな つ 徐 々に炊 き 上 げ ていく 。 そ れ で、べ? ﹂う 飴 い釜 へ、 す い? つで何べんでも 漉 し ては徐 々に んだら、 徐 々に絞 り ながら大 き い釜 から小 さ 麦芽と 一 緒 に4時 間 寝 かせるんや。 4時 間 済 私 は朝 4時 半 に起 き て、 米 を 洗 う て蒸 して、 私 が し て、 最 後 は じ ゅう と め さ ん と 交 代 。 け ど、嫁 にはなかなかよう は教 え んの。 それ ﹁ 飴 のつく り 方 はし? つとめさんに教 わった あ った のでしょう 。 た め、 飴 づく り は 順 治 さ んの両 親 と 妙 子 さ た時 分 におば あ さんとかわ るん。 おば あ さん は昔 から のあ れ でね。 炊 き 上 げ の寸 前 ま で ん の仕 事 です 。 し か し、 お 父 さ んは 近 所 に とは思 っても みなかつたと言 いま す 。 く 、 製 法 を 記 した 文 書 な ども あ り ま せんで し た。 自 分 の仕 事 を し な が ら、 お 母 さ ん の 0 嫁 いでき た のでした。 結 婚 前 にも 、 も ち ろん く り ね です が、 そ こには 一 種 の勘 のよう な も のも ` 吸 坂 飴 のこと は知 ってお り 、 口にし ては いま し た が、自 身 が そ れ を 製 造 す ること にな る つ が 最 後 のか た さ 加 減 を 決 め て、 私 は そ れを 吸坂飴 妙子 さん 辻 資料 の説 明 をす る辻 妙子 さん の 強台 素 所 人 の か ,家 ら と の し 瑣台 て 現 在 の南 郷 小 学 校 ︶ を つく るた め 小学校 ︵ □ 」 語 物 飴 坂 啜 「 今 は幸 せ 。 盛 謝 して い る 桶 に詰 め る な り 、 あ く る 日 に加 工 す る。 そ つら かつた のではな いかと 思 わ れ ま す が 、 ま ず 嫁 の妙 子 を呼 んでほしい、と で ユ 言葉 だっ う と め さ んが 病 院 の担 当 医 に言 い残 し た の は、自 分 が息 を 引 き 取 ったら、 ︵ 息 子 よりも ︶ を メモに書 いてく れた のだ そう です 。 お し ゆ ﹁や っぱ り 私 、 体 を 動 か す こと が 好 き や っ たと か。 女 の子 のいな かった御 両 親 にと って、 う で 2 ﹂と を ず つと 、 何 十 年 し てき ま し た ﹂ た のか も し れ ん のや。 そ や さ か い、 こう で つ 教 え ても ら わ な く ても 、 自 分 が見 と って、 そ いる﹂ と言 う 妙 子 さんです 。 妙 子 さんは実 の娘 同 様 の存 在 でも あ った ので し ま つ。 ﹁そ やさ か い、今 は幸 せ。 感 謝 し て と き はこう し な あ か んと で つ、 そ んな ん全 然 れ で自 分 な り にや つてき た んです ﹂ と い つ答 え が返 つてき ま す 。 そ のころは ど こ の家 でも 、 お 嫁 さ ん であ つ て も 飴 づ く り の肝 腎 な と こと は 教 え ても ら え ず 、 作 業 に追 わ れ ていた と か。 この仕 事 が 好 き だ つた か ら 、 そ し て家 族 への深 い思 いが 木 と 日 だ つた そ う です 。 夫 や 子 供 の世 話 を し な が 仕 事 には 休 日 が な く 、 正 月 も 仕 事 に励 む 毎 ていると 、 妙 子 さ んは 言 いま す 。 飴 づく り の 今 にな ってみ る と 、 叱 ら れ た こと にも 感 謝 し で覆 い、 時 ど き 水 を か け な が ら 数 日 置 き 、 芽 は、 大 麦 を 水 に浸 し てか ら 筵 ︵ む し ろ︶ そ れに水 だ け と で ?ンンプルな も のです 。 麦 飯 と し て食 べるう る ち 米 ︶ と 大 麦 の麦 芽 、 吸 坂 飴 の原 料 は、前 述 し た と お り 米 ︵ 白 法 で ら 飴 の仕 事 に精 を 出 す 妙 子 さ んを 、 日 ご ろ 発 芽 したら芽 と根 を 取 って乾 燥 させ、挽 いて あ つた から こそ 、 続 け てこら れ た のでし ょう 。 口 には 出 さ な く と も 、 父 母 は 深 く 信 頼 し 、 粉 状 にしま す 。 と 言 いま す 。 家 族 の一 員 と し て責 任 感 を 強 く 感 じ て戻 った 畳 の上 で 見 送 ら な いか ん﹂ と 、 嫁 と し て、 と 言 わ れ 、 ﹁私 は こ の人 ら 夫 婦 を 、 や つぱ り ら な いけ れ ど 、 お 前 に は 帰 って き て ほ し い﹂ と 煮 詰 めていく と褐 色 のあ めが でき ま す が、 これを ﹁赤 飴 ﹂と言 いま す 。 赤 飴 を 一 晩置き、 絞 り 取 って釜 に入 れ、煮 詰 めま す 。 ゆっく り て 4 時 間 ほど 寝 か せ て発 酵 さ せ、 この汁 を ら 桶 に入 れ、 麦 芽 と ひた ひた の温 湯 を 加 え 朝 に蒸 す ことから始 ま りま す 。 蒸 し上 がった 毎 日 の作 業 は、前 日 に洗 ってお いた 米 を 早 そ ん な 日 々が 積 み 重 ね ら れ て、 亡 く な る 電 気 コンロで温 めたり して程 よいかたさ にし、 け んか し て実 家 に帰 った と き も 、 ﹁息 子 は 要 後 継 者 と し て認 め ていた のです 。 順 治 さ んと つ 人 く 麦 る と °フ ト か ら 前 に、 お し ? つと さ んは 、 お 米 と 麦 芽 の割 合 辻製餡所 の看板 イ ンタビュー に応 える辻妙子 さん 伝 吸 統 坂 白 勾 倉台 ま な ↓ ` 製 □ 「 啜 坂 飴 物 語 」 固めた ﹁ 般 的 でした。 桶 飴 は ﹁ 起 桶 飴 ﹂が 一 ろ飴 ﹂ や、 ﹁ 赤 飴 ﹂や ﹁ 白 飴 ﹂ を 桶 に流 して ず つ包 装 した 袋 入 り で市 販 され ていま す が、 れている吸 坂 飴 です 。 これは粒 状 の飴 を 1個 般 に売 ら 切 った ﹁た んき り 飴 ﹂ が、 現 在 、 一 棒 状 に伸 ば し て固 め た 飴 を は さ みで粒 状 に 入 って白 く な り、 ﹁ 白 飴 ﹂ になり ま す 。 細 く 機 械 でた ぐ って伸 ば し ていく と、 飴 に空 気 が す が、 時 代 が移 って世 の中 にいろいろな菓 子 7件 ほどが飴 の製 造 販 売 を 行 っていた そう で り ま す 。 飴 を つく る家 は多 く 、 最 盛 期 には 、 0 0 2数 戸 あ る いは 3 戸 の飴 屋 が 軒 を 並 べて いたと 言 いま す 。 妙 子 さんが嫁 いだ ころにも く る飴 の製 法 を 伝 授 し た、 と で つ伝 説 も あ 実 は弘 法 大 師 が、 そ のお いし い水 を 使 ってつ 水 のき れ いな 土 地 で、 茶 店 で休 んだ 旅 人 、 う にな った のか は 明 ら か では あ り ま せ んが、 計 を 立 てていま した。 なぜ飴 がつく られ るよ 以前 は煮 詰 める前 のやわらかい水 飴 状 の ﹁じ こし飴 ﹂ とも 言 って、 桶 に入 れた飴 を 添 付 の が出 回 るよう にな るにつれ て次 第 に減 ってい ヽ 幅 広 い 用 途 を 持 つ滋 養 強 壮 食 品 。 飴所 一 軒 のみになっていま す 。 き 、 辻 製 飴 所 が仕 事 を やめた 現 在 は谷 国製 ノミ状 の道 具 で割 って食べるも のでした。 飴 星 の材 、 吸 坂 。 吸 坂 と で つ土 地 は、 古 く は旧 山 代 道 の峠 道 に位 置 す る交 通 の要 衝 でし た。 現 在 は大 スリ坂 が な ま った と か、 陶 器 を 焼 く 窯 場 が の辺 に旅 人 を ね ら つた スリが横 行 し た た め、 地 だ ったと 言 いま す 。 吸 坂 と で つ地 名 は、 こ た 荒 地 な ので田 畑 を つく るのには適 さな い土 人 が 必 ず 通 る道 で交 通 量 も 多 く 、 坂 にな っ そ れ ま では 大 聖 寺 、 山 代 、 山 中 な ど へ行 く 杯 食べるだ け で効 き 目 があ り 、 食 べ過 ぎ ると 増 強 にす す めら れま した。 スプーンに2、 3 養 が あ ると 言 われ、 出 産 前 後 の女 性 の体 力 マムシの粉 と黒 ゴマを 入 れた マムシ飴 は特 に栄 需 要 がふえ ま し た。 ま た、 じ ろ飴 に干 し た に夏が ア防 止 に効 果 があ るとされ、 夏 期 には 年 寄 り ま で広 く 食 べら れ てき ま し た が、特 吸 坂 飴 は滋 養 強 壮 食 品 と し て子 供 から お あ った ために陶 坂 ︵ す え さか︶ と呼 ば れてい 鼻 血 が出 ることも あ ったと言 いま す 。 聖 寺 や山 中 に 通 じ る 県 道 が でき ま し た が、 た な ど 諸 説 が あ り ま す が、 いず れも 確 か で 飴 を 食 べて血 糖 値 が 下 がった と 言 って、 大 学 辻 さんには、 重 い糖 尿 病 の患 者 さんが吸 坂 土 地 の人 々は 川 魚 を と って売 った り 、 茶 店 病 院 のお 医 者 さ んが訪 ね てき た と い つ経 験 はあ り ません。 を 構 え て旅 人 を も てな し た り す ること で生 日 飴 を煮 る釜 (右 上がノミ状の道具) 桶飴 辻製餡所 の裏 山 昔 は この 山で燃料 の新 を集 めた も あ り ま す 。 奈 良 と 青 森 の病 院 で同 様 の データが出 たと で つこと です が、 あ るいは自 然 食 品 な ら では の効 果 な のでし ま つか。 ﹁こ れは本 当 に体 にいい。 滋 養 にな る飴 だ﹂ と 言 わ れ、意 を 強 く し た と 言 いま す 。 ま た、 手 術 後 の患 者 さ ん に 辻 製 飴 所 のじ ろ飴 を す す め る 加 賀 市 のお 医 者 さ んも いて、 先 生 に 言 われたからと 辻 さんの店 を 訪 ね る人 も あ つ た そ う です 。 ﹁米 でつく つた 飴 だ か ら、 これ を食 べれば米 を食 べるのと同 じ﹂と言 われた、 と で つのは、 少 し乱 暴 な理 屈 かも しれま せん が。 体 にやさ し い健 康 食 品 、 時 間 を か け て 丁 寧 につく るスローフードが見 直 されている昨 今 、 吸 坂 飴 を 食 べた いと 思う 人 は多 いのでは な いでしま つか。 吸 坂 飴 は ま た 、 飴 と し て食 べるだ け でな く 、 小 魚 の煮 つけや大 学 イモなど、 料 理 の甘 みづけ に砂 糖 のかわ り に使 われたり 、 菓 子 の 材 料 としても 使 われたり とい つことで、 飴 を ツ﹄ 、 に経 え ら れ た 民 坂 飴 。 吸 坂 飴 は、 県 の特 産 品 と し て、 明 治 神 宮 に届 け ら れ た こと も あ り ま し た。 全 国 から 銘 品 の集 ま る中 、 石 川 県 代 表 と し て展 示 さ れ た 我 が飴 を 見 たと き 、 妙 子 さ んは誇 ら し い気 持 ち を 感 じ た と 言 いま す 。 辻 製 飴 所 に はま た、び つく り す るよう な 訪 問 者 も あ り ま した。皇 太 子 妃 であ ったころの美 智 子皇 后 様 に召 し上 がっていただき たいと、 マムシ飴 を 買 いに来 た方 も あ り 、 そ し てインドネ シアの スカルノ大 統 領 にも 、赤 飴 、自 飴 が届 けられ た と か。 吸 坂 飴 の評 判 は、 石 川 県 内 にと ど まらず 、 世 界 へと伝 わつていき ま した。 売 り 歩 く 行 商 人 も いま し た。 空 き びんや粉 ミルクの缶 を 持 って買 いに来 る人 も 多 く 、 近 順 治 さんも 国 鉄 を 退 職 後 、 家 業 を 継 いで一 れる、 と い つ売 り方 も していたとか。 桶 を 返 す とき には、 残 っている飴 を き れいにさらえ 、 さん夫 婦 が妙 子 さんと 一 緒 に製 飴 所 の仕 事 を し、 いった んは跡 を 継 ぐ 形 にな り ま し た が、 0年 ほ 家 の飴 づく り の中 心 と な り ま す が、 1 ど前 に亡 く な り ま した。息 子 さ ん夫 婦 や娘 妙 子 さ ん の これ か ら 。 隣 の農 家 な ど には桶 の中 に飴 を 入 れて届 け 、 空 にな ると 戻 し ても ら つてま た新 し い飴 を 入 桶 に湯 を さして飲 んだ などと、 中 高 年 の人 々 の中 には、 丸 に辻 の字 が 入 った専 用 の桶 の思 い出 を 語 る人 も 多 く いま す 。 結 局 は離 れてしま つたと言 いま す 。 熱 源 が薪 からガスに代わったり、飴 の包 装 に機械 を取 り 飴 を包装す る装置 乾燥 マ ム シ 誉 全 界 国 そ 吸 じ 坂 て 倉台 ` え 量 二 □ え 、 吸 坂 飴 の製 造 は合 理 化 のでき な い伝 統 き び き びと 働 いてき たせ いでしょう か。 そ れ 、 0 7歳 を 過 ぎ ても 体 も ど こも 痛 む と ころは なく 、薬 も 何 も 要 らないのだ そう です 。長年 、 入 れた り と、 部 分 的 に機 械 化 さ れた と は言 的 な 仕 事 です 。 一 日 の大 半 を 飴 と向 き 合 って とも 、 香 ば しく て好 き 、 と よく 食 べていた マ こと に心 を 痛 めていた ので、 飴 の製 造 のお話 過 ごさ な け れ ば な り ま せん。 飴 づく り を 教 後 継 者 の問 題 と と も に、飴 を 入 れ る特 注 の後 に、 ﹁ 命 を 大 事 にし てほし い﹂ ﹁ 今 、 この ムシ飴 の効 果 でしま つか。若 い ﹂ろから 子 供 の桶 を つく る職 人 さ んがも う いな く な った、 年 代 でな け れば頭 に入 らないこと があ る﹂ と え てほしいとよそ から訪 れた 人 も 何 人 かいた 起 こし飴 のへらも 、 も う つく っても らえ な い、 訓 示 を した のです 。 大 事 なことを伝 え たいと が大 好 き だ ったとで つ妙 子 さんは、 中 学 校 で と いった事 情 も 加 わ って、 2年 ほど前 に妙 子 いう 妙 子 さんの真 剣 な 思 いが、 中 学 生 たち の の講 演 で、 ま るで芸 能 人 のよう な 大 歓 迎 を さんは代 々続 いた製 飴 所 を 閉 じ ま した。 今 、 心 に届 いた こと でしま つ。 これま での経 験 を そう です が、 仕 事 のき つさに驚 いて退 散 し て し ま った と 言 いま す 。 ﹁ついていけ な い﹂ と い 吸 坂 で飴 を つく っているのは谷 回数 雄 さ んと 生 かし、 辻 妙 子 さんは、 これからも き つと活 受 け た と 言 いま す 。 小 中 学 生 の自 殺 が多 い 息 子 さんが営 む谷 口製 飴 所 一軒 だ けとなつて 躍 を 続 けられるでしま つ。 う 言 葉 は、 正 直 なところだった のでしょう 。 いま す 。 妙 子 さ ん の飴 を 惜 し む 人 も 大 勢 い ます が、残念 ながら再開 の予定 はありません。 現 在 、 妙 子 さ んは学 校 から 招 かれ て中 学 石川県加賀市 の位置 生 に講 演 を したり 、 これま での歩 みを ま とめ た ﹁ 女 の一 生 ﹂ を ぜ ひ本 にし た いと い つお 話 があ つたり と、 充 実 した日 々を 送 っていま す 。 □ 」 語 物 飴 坂 吸 「 勢 篠 ヽ ■響 ‐ ‐ 1:::│::::i:11111 跛 痰 オ ー ラル ヒス トリー とは ? オーラルヒストリーとは口述記録 の作成 ・編集による知 的資産 の一 形態です。米 国コロンビア大 学 では1948年 に Columbia University Oral HistOry Research omceと ぃぅ、世界初のオーラルヒストリー専門研究図書 館を設立しています。またハーバード大学では、オーラル ヒストリーのアーカイプを歴史研究 (政 治、外交、文化等) に活用していることでも知られています。加賀市は北陸 先端科学技術大学院大学の支援を得て、平成 20年 度 ●顆 翁 から 「加賀市立図書館オーラルヒストリー図書館構想」 活者の皆さんにインタビューを行い、皆さんからオーラル ヒストリーを採集し、地域の図書館 の知的資産化してい こうという取り組みです。地域連携のためのオーラルヒス トリーアーカイプの設立は、国内でも余り例がありません 颯 でした。そのような意味でも加賀市における「オーラルヒ ストリー図書館」構築の取り組みは、我が国でも極めて 画期的な取り組みと言えましょう。平成 20年 10月 から実 際に、南加賀地域の伝統 的な和菓子である「吸坂飴」 蝙■● 蟷 螂 本舗 の前経営者である辻 妙子氏 へ のインタビューを 「オーラルヒストリー図書館」構想に賛同する市民ボラン テイアの皆さんと協働で実施しています。 鶴 加 賀市 立 図書館 〒922-0861石 川県加賀市大聖寺地方町1-10‐ 4 ■■│■ 、 TEL 0761(73)0888 匝 コ 0761(72)5025 http://www.kagalib.jp/ 2009年 (平 成 21年 )3月 30日 発行 ● ヽ をスタートさせました。この取り組みは地域に根付 いた生