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幼児の歌唱教材論ノート - 愛知教育大学学術情報リポジトリ

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幼児の歌唱教材論ノート - 愛知教育大学学術情報リポジトリ
幼児の歌唱教材論ノート巾
一保育者への実態調査をてがかりにー
幼児教育教室 梅
洋
由紀子
本稿の目的は次の2つである。1つは、幼稚園、保育所の実態調査から、現在の幼稚園保育
所(3才以上)で歌われているうたについて、その特徴を概観することである。また、最近の
レパートリーの変化や傾向を明らかにする。さらにうたの魅力を、わらべうたをてがかりをう
たわれる詩という観点から吟味することを提起したい。
2つめは、うたから視点を転じて、実際子どもたちはどのように歌を楽しんでいるのか、そ
れについて保育者は、日々の保育の中でどのような感想をもっているか、アンケートの記述か
ら明らかすることである。歌う活動の様態をどう捉え、どのような側面を重視しているのかと
共に、歌う活動のもつ問題性を探ってみたい。
1
幼稚園でのうたのレパートリー
保育者にむけてのアンケートによる実態調査(注1)の結果から、うたわれているレパート
リーの特徴とその変化について、以下のように要約される。
1)多くのクラスで歌われているうたは、幼稚園、保育所でのこどもの生活において多様に
機能するものでありー一一殊にうたわれている詩の内容から(注2)-、共通教材のようにス
タンダードなものである。(表参照
47
49頁)多少の変化はあるものの、それらのうたはよ
く知られたもので10年、20年以上の単位で一定している。また、これらのうたは「幼児のうた
200」等のタイトルの曲集のどれにも共通してのせられている。
そのように集中的にうたわれる共通教材的なうたの一方、あまり知られていない一クラスで
うたわれている曲の数もまた、非常に多い。
2)スタンダードなこれらのうたは、構造が単純で短く、うたうにも、また、うかを覚える
点においてもエネルギーのいらない性格(省エネ的)もので、いかにも「幼児のため」のうた
である。また、いくつかの外国曲や外国の民謡も同様の特徴でスタンダードである。年少の幼
児のうたのレパートリーが決まってきていることにも関連している。
また、井目らにより既に指摘されていることであるが(注3)、これらのうたの多くは簡潔さ
共に、音韻の明確な律動性を特徴としている。(例えば「小鳥のうた」「どんぐりころころ」「ブ
ンブンブン」「おばけなんてないさ」等)
3)以前うたわれれていて(注4)
1991、1994年の調査ではうたわれる頻度がおちたうたも、
39
いくつか指摘できる。例えば、「めだかの学校」「菊のはな」「もみじ」「さっちゃん」「雨」等
は、曲の特徴も静的で、幼児の生活や感覚にある意味で直結しにくい。これらのうたは少しづ
つ減少傾向にある。
4)しかし、リリカルな性格のうたは、種類は多くないが、表が示すように「あめふりくま
のこ」や、極端に頻度が高いわけではないが「海の底には青いうち」(湯山昭作曲
立原えり
か作詞)のように、よくうたわれていることが注目される。
5)遊びとうたうことについては、後でふれることになるが、幼児のうたに大きいウェイト
を占めている。「やきいもグーチーパー」「バスごっこ」等やよく知られた遊びうた以外に、多
くの動物のうたも、そのものになってからだを動かしながら歌われている。また、声の掛け合
い等明確なポイントで成り立っているうたも、そのゲーム的雰囲気から受け入れられている。
(「アイアイ」「森の熊さん」等)
上記の特徴は一面では、幼児の音楽の枠の狭さを暗示しているかもしれない。また、明らか
な幼児のうたの情報源の定まりを示すものである。そして、これらは経験的に、さらにいうな
ら習慣的に、幼児にふさわしいうたと認知されてきたものであろう。うたを媒介するのは保育
者(多くは若い)であり、保育者のうたいかけによる。保育者の選ぶ原則が、これらのレパー
トリーとは少し別の特徴を備えたうたの一群についてみたい。
6)上記のいわゆる幼児のうたの範躊と別に、比較的最近の傾向として、一定の長さと形式
をもっうたが位置づけられるだろう。様式的にも幅があり一律ではないが、うたの性格は、き
わめて集団的である。一人でうたうことを前提にしていない。保育者と数人から10人位のこど
もが顔を見合い輪になってうたうというより、うたってみせる性格や儀式性を指摘できるだろ
う。
リズムは㈲面にでる拍感に支えられて軽快で、ある場合はマーチ風あり、うたうスタイルの
モデルはかっての少年少女合唱団(小学校中学年くらいまで)に重なるだろうか。曲は二部分
構成であったり、後半に転調やリフレイン部をもち「演奏効果」もある。もちろん、幼児たち
の実際のうたい方は、そのような効果を決して実現しているわけではないが。例えば「ともだ
ち讃歌」「うたえパンパン」に代表されるうたである。
7)これらのうたのテーマは、ともだちになることであったり、声を合わしてうたうという
ことであったり、内容は一様ではないが、上記のスタンダードとの性格のちがいは明らかであ
る。音楽と詩にこめられたモチーフは閥違さ、元気さを理想とし、-まさに「うたうたえバン
バンバンバンバン」坂田寛夫作詞一一それを幼児のうたう世界に重ねている。調査から、殊
に年長幼児のうたとして定着していることが明らかであった。
友だちをたくさんつくること、ずっと友だちでいること等「友だち強調イデオロギー」とい
う点で、「一年生になったら」「ずっと友だち」から学童期の子ども向けの合唱曲(注5)まで、
このテーマはニュアンスのちがいはあっても、一定の連続性をみることができるだろう。
40
8)何をうたっているのかという視点から、もう一つの傾向をを指摘できる。自分たちが子
どもであることであったり、子どもの世界というものを表明し肯定するうたである。このよう
な子ども賛歌的なうたは、軽快さとポップス風の衣装にもよって、近年一定うたわれている。
「やんちゃりんか」「ぼくのミックスジュース」「世界中のこどもたちが」「子ども(小さな)の
世界」等うたの調子に、共通のものが感じられる。
「ヤンチャリンカボーズヤンチャリカ(繰り返し)いうこときかないヤンチャリカ
をたべないヤンチャリカ
らきらのおひさまと
勉強やらないヤンチャリカ→「おはようさんの大声と
それにゆうべのこわいゆめ
クスジュースミックスジュース(繰り返し)
きらき
みんなミキサーにぶちこんで
こいつをググッとのみほせば
あるかもね」「世界中のこどもたちが、一度に笑ったら
げようぼくらの夢を
ごはん
とどけようぼくらの声を
あさはミッ
今日はいいこと
空も笑うだろうラララ(中略)ひろ
さかせようぼくらの花を
世界の虹をかけよ
う」無垢の理想化された子ども、あるいはハイブローな雰囲気を伝えるのではない。が、子ど
も性や子どもの世界をあるポジションからとりたててうたう在り方や、「子どもの世界」を額
縁にいれてみせる方向に、調子の良いすりよりを感じるのは筆者だけであろうか。
幼児のうたや子どものうたについて考えるうえで、私たちがたち還る指標の一つは、わらべ
たである。そこには、当然、「ともだち」のうたも、上記のようなポジションでの「子どもの
世界」をうたううたもない。「ずいずいずっころばし」のように、そっけなく、しかし変化に
富んで、時にドキつとする「ことばの音の万華鏡」(コダーイ)がある。
幼児の歌唱教材として第一に、どのような音楽様式が望ましいのかという観点がクローズア
ップし、わらべうたは歴史的にも、主として、日本語を母語にした音構成、音組織という音楽
理論面(西洋音楽対伝統的日本の音楽という図式)で論じられ続けてきた。また、遊びを伴う
うたとしての特性singing gameのgameの面も、強調されつづけ、一定共通認識を得ている。わ
らべうたの特性としてこれらのことは否定できないことであるが、しかし、「うた」の成立と
その生命である魅力を見る時、「何をどのような韻律でうたっているのか」という、うたわれ
唱えられる詩の側面を看過できない。
瀬田貞二氏は「幼い子の文学」(注6)の中、で日本や英語圏等のわらべうたやナーサリーラ
イムの例をあげつつ、magic
and music (H.リード)の観点から詩の魅力豊かさに注目している。
わらべうたにおいて、古びないのは、遊びでも、単なる調子の良きではなく、簡潔でイメージ
の換起力の強いことば、意外で不思議な展開、サンセンスさ、そして呼応する音韻で構成され
ているうたの世界のありようだろう。このことについては、別に考察しなければならないこと
であるが、「わらべうた一日本の伝承童謡→(注7)より、二例揚げておこう。
41
お月さん
お月さん
お月さん
清水の観音さまに
お月さん
清水の観音様に
なしや星ア出さっさん
その
雀が三匹とまった
雀が蜂にさされて
十五夜さんから憎まれ坊で
あいただ
プンプン
そーこで星ア出さっさん
あいただ
プンプン
なんやろ
まずまず一貫
かやろ
池の端の子ふくろう
後へおんもん
チリン
カラン
子ふくろう
貸し申した
(栃木)
だあいよ
ポテッ
(イ左賀)
うたは、例えば「おはよう」とか、「ガンバルゾ」とか、ありふれた日常のことばを旋律に
のせることではないだろう。わかりやすきと親しみやすさを身上とするあまり、小気味良い、
magic and music に(特に幼児教育や音楽教育の側からは一羽仁協子氏の仕事は例外であるが)
目をむけてこなかったのではないか。
ところで、幼稚園、保育所でうたわれるうたにアニメソングが入ってきたのはいつ頃か正確
にわからないが、幼児のうたの変化にきわだっている、アニメソングの影響についてやはりふ
れておかねばならない。
フ)多くのアニメソングが幼稚園、保育所で非常に短いスパンでうたわれ消えていった。か
っての「音楽リズム」のテキストに「宇宙戦艦ヤマト」(宮川泰作曲)が載っていても驚いて
はいけない。圧倒的な流行現象「おどるポンポコリン」はまだ記憶に新しいものである。(今
回の調査では一クラスのみでうたわれていた。
1991年の井口による調査では57位、1位はトト
ロのさんぽであった。音楽的に幼児もうたいやすい特徴をそなえていたが、アニメ放映とメデ
イアによる繰り返しという強力なバックアップが、ストレートに幼稚園現場に流人していたと
見たほうが適切である。アニメソングではないが、先にふれたデズニーランドのテーマソング
「小さな「ニ」!どもの)世界」(作曲は1963年)も強力なメデイアにのった音楽の消長を示してい
る。この傾向はこれからも繰り返されるのであろう。
戸苅によると、様式的に子どもの大衆音楽であるアニメソングと大人の大衆音楽(ポップス)
の境界がなくなったのは1970年代からであるが(注8)、こどものうた全般にも、ポップス化現
象は特別のことでなく、意識されていないほどである。和声進行のパターン、7度の多用、マ
イナーコードの入り方、後半の用意された「サビ」、先取りシンコペーションのフレーズ形等
のポップス的語法は、作曲者の間口のひろがりとともに、森田光一曲「南の島のハメハメハ大
王」
小林亜星曲「ヤッホッホ夏休み」
越部信義曲「ホ・ホ・ホ」等、少からずみることが
できる。
9)アニメのテーマソングであるが連続TV放映でない、トトロ(1987放映)の「さんぽ」(楽
譜参照)が現在かなりの幼稚園保育所でうたわれている。また、子どもたちが好きな歌である
という回答結果をえている。先の「おどるポンポコリン」と同じ運命をたどるかはわからない。
42
さ
March
F
Tempo
ん
ぽ
中川季枝子
久石
譲
作詞
作曲
(あかるく、げんきに)刀.yJ
晋
Em7
G7
Dm7
G
Dm7
Am7
C
Em
C
G7
Am
Dm7
Dm?
G7
C
G7
こ
Fm
C
C
C6卜nehI
19Sr
6v了そ)K・UMA
M(f5IC
PUflUSHER
アニメ
CO,.l・D.
名曲にチャレンヂ
松山祐士編著
1993ドレミ出版
より
一点異なるのは、「おどるポンポコリン」ほど斬新なうたではなく、毒もないことである。素
直でシンプルな曲想と幾分ノスタルジックな味付けであり、しかも、さんぽという幼児の生活
経験につらなるテーマをうたっていることである。先述のスタンダードなうたと共通面があり、
これまで、アニメソングで「幼児のうた」に残った例は皆無であるが、一定うたいつがれる可
能性もありそうである。いずれにせよ、少し新しい感じが若い保育者に受け入れられているこ
とがうかがえる。
本稿では、全体的な表現特徴(特に何をうたっているか)やうたの果す総体的な機能という
切り口で、幼児のうたの最近の傾向と変化を概観的に述べてみた。あくまで大多数の園という、
最大公約数をみたものである。幼児はうたをうたうことで何を実現し、何を味わい、また、何
を自らのうちに育んでいるのだろうか。幼児たちがうたうことは、それまでの彼らの経験とイ
メージが確かにたちのぼることであろう。
43
「詩に曲がつくとき、ことばは音楽の中に溶けこみ、のりうつる。二つは一つで切り離せな
い」(注9)どんな詩がどんな曲想や調子で音になるのか。確かに、例えば、「誰が風をみたで
しょう」(ロセッティ詩
西条八十訳)ということばは、「だあれがかーぜーみいたーでしょう」
(ミソラーソ、ミソドーラ、ソミレードレ)という旋律とリズムで歌われるとき、全く別の内容になる。(注10)
うたは比喩的にいうなら、ことばと音楽が一体になっだ装置"である。子どもたちが、Aの
うた(Aという装置)とBのうた(Bという装置)をうたって経験される内容、そこでひろげ
られる感覚は、自ずと異なる。
論証できにくいことであるが、筆者も、歌うこと、うたを教えていくことは「音楽という良
質の種を播く仕事」であり、「専門的な音楽教育ということではなく、音楽を通して、例えば
情操教育とかということでなく、(音楽そのもので)こどもが育っていくこと」(注11)である
ことを疑わない。また、価値意識を離れたどのような教育も子どもの表現を保障することはな
いだろう。うたはどのようにうたわれているのかということとセットである。
2
保育者の子どものうたう活動についての捉えと課題
幼稚園教育要領の改訂とりわけ、領域の「表現」への位置づけが、歌う活動への捉え方やと
りくみに微妙に影響を及ぼしていることが推測される。それが、うたの選び方にストレートに
関連しているとはいえないと思うが、保育者のこれまで持っていた音楽的活動についての価値
観の見直し(注10)を論じたり、他方、とまどいや一面的理解に対する疑問も提起されている。
(注11)
ところで、うたうこと、うたっている状態を保育者はどのように考えているのだろうか。先
のアンケートで「子どもたちみんなで歌っていて、困ったことや良かったこと、楽しかったこ
とはありますか」という質問で、子どもたちとうたうことで感じていることがらの記述を求め
た。結果は具体的に、保育者が子どもだちとうたうことに、どのような感慨や喜びをもってい
るか、子どもの様子をどう受けとめているかをかいま見ることができたように思う。記述全体
から、筆者が一番印象をうけ、また、傾向として指摘できることは「うたう子どもの楽しそう
な様子に対して、保育者自身、とても嬉しいし良かったと思う」と受けとめていることである。
何より、うたっている状態のこどもを肯定的に、そのこと自体大切なことと感じていることが
文面に表れていた。
具体的にその内容はちがうが、ひとつは一人ひとりの子どものうたうことの達成に、子ども
の成長や充実が認められるということであり、もうひとつは、子どもたち自身、いろんな場面
で、覚えたうたを自然に口ずさんだり、子どもからの要求でうたが自然にうたいつがれていた
ことについて良かったとしている。例をあげてみよう。
・夏休みがあけて2学期が始まった時、子どもたちが「先生、みんなで歌がうたいたい」と
一人が言い出す。するとみんなもあの歌この歌とリクエストが出てきて大合唱となり、楽
しんだ。
44
-
・徒歩での遠足の時、思わず「さんぽ」の歌をうたいだすA子。次々に歌いだしていき、お
となしくで口数の少ないB子までも大きな声で歌いだし、嬉しかった教師である。
・自然にともだちと手をつなぎはじめ、それが輪になって歌が始まった。一緒が楽しいとい
うことのここち良さを感じ始めていることに成長を感じた。
・保育者のピアノの回りに10人くらい集まり、子どもと一緒に弾きうたいをしていると、保
育者のまねをしてたくさんのうたを覚えることができる。とても楽しくできる。
更に、子どものうたっている状態に、子どもたちの自然な発想やだのしみ方を認めていこと
も、特徴的である。
・歌いながら自然に友だちと肩を組んだり、手拍子やまわりのもの(積み木、机)をたたい
てリズムをとったり、友だちと向き合って手を打ったりして、うたを楽しんでうたってい
たこと。
・ふりつけや踊りなど子どもたちが自然に曲にあわせて踊りだす動きをそのままつけて、楽
しく行なっています。そうすると、ふだんあまり歌に対して積極的でない子も気分的にの
ってきて、全員で元気一杯歌えます。
このように、何かになって、あるいは、踊りや身体を動かし、空間移動しながらうたうこと、
替え歌的に歌詞を思いつきでかえてうたったり、2番3番とうたをつくってうたう等など、幼児
の歌う活動がウアライテイのあること、保育者も臨機応変に楽しみ方を知っていることがうか
がえる。
特別の設定された場面でなく、また、遊びや捉えやすいシンボル的な動き等の発散効果を伴
わず、うたを素朴にうたいあう関係は微妙のものである。淡々と、ただうたうことに向うこと
は美的な様態をつくることであり、一定、関係的なことである。
ある保育者は、自身うたうことが好きでとても楽しいし、家庭で子どもとうたうことも楽し
いが、同じ様な質の楽しさをクラスの幼児だちと自然につくることのむつかしさを述懐してい
た。これは、保育技術云々の問題ではなく、うたいあうという関係の親密さと、多勢のさまざ
まな幼児がうたうという行為で向き合うことのむつかしさも示している。(筆者らの子どもリ
ズム実験教室の実践一条件のちがいはあるもののーでも痛感したことである。)支えとな
る補助手段なしでうたうことは、保育者にも子どもにとっても、ある課題性をもった集中を要
することであることが認められる。
・手遊び、身体表現をしながら歌うので、全員が楽しく参加できる。
・うたうをうたう時かわいいふりをつけて歌う機会を多くします。ふりをつけるとすごく喜
んでさらに楽しく歌えるようです。
・手遊びだとすごく喜ぶが、普通のうたは盛り上がるのに時間がかかる。
これらの似た数多くの記述から、幼児たちのうたの楽しみ方を理解できる。が、反面、のり
の良さを求め、とり敢えずの発散や即座に子どもたちに受け入れられることが何より先にある
としたら、うたうことを狭め、こどもとの関係を貧しくしてしまうことになるのではないか。
45
林は、うたで「高まる」のと「昂ぶる」のとは異なることを区別している(注13)。これは、
幼児を想定してのはなしではないが、うたや音楽で経験することの内容の異なりを「複眼的に
きく」ことを示していて示唆的である。幼児のエネルギーの開放とうたう表現のありようにつ
いても、この2つの違いに近いことがあるだろう。「昂ぶり」(?)力のままに発散すること(は
しゃぐこと)に走ることと、うたからイメージをもって表現することとのちがいをみとるのは
むつかしいと、3歳クラスの保育者は述べていた。「幼児らしい」と一律にみなしがちな表現
にも、力任せの発散やただ興奮してのことになりがちな事実に注目している。
うたで遊び、うたで表現すると一言でまとめられる活動も、こどものエネルギーにかたちと
方向を与えることにちがいない。
まとめ
幼稚園、保育所でうたわれているうたは、そのレパートリーは数多く分散しつつも、一定の
傾向を示している。単純でよく知られている「幼児のための」うた、遊び的要素によるうたの
一方、年長幼児には別のスタンダードや、最近の風潮もみられた。いずれも、園での生活や子
どもの経験のなかで現実に機能するもの、生かされるものとして、殊に歌われるテーマや曲想
に、粋がかなり定まっていることが指摘できる。
保育者は幼児のうたっている状態、触発されて自ら口ずさむことに非常に共感をよせ、肯定
している。また、うたうことがいろんな方法で楽しまれ、遊びや幼児らしい表現の楽しみ方の
一つの核であると認識しているようである。一方それが、とりあえずの発散の助長へとパター
ン化、手段化することもあり、うたう幼児の在り方を限定することになっていると考えられる。
何をどううたっているかを見ることで、わたくしたちの文化や保育に関わる大人が、幼児に
何を望み、何をし(何をしないで)ているのかが浮き彫りにされる。やさしさや、わかりやす
さ、受け入れられやすさ(省エネにはちがいないが)が、吟味なしに原則になりルーティンと
なると、うたうこと本来の魅力から離れるのかもしれない。
幼児のうたについて、うたっている状態についての、複眼的で柔らかな見方が必要であろう。
ひとつには、詩がうたわれるという観点での個々のクリティクが課題であると考えている。
注
注1
愛知県三重県の公立私立の幼稚園、保育所(3才児以上)のクラス担当の保育者
のアンケート調査
亀島典子
うち幼稚園139
216人を対象にして
保育所77人
保育の現場における歌を歌う活動についての一考察
平成6年度愛知教育大学幼児教育教室卒業研究
レパートリーはクラスでうたったうた(1994、4-11月の間に)をすべてあげてもらう形で回答をえている。H
月以降恐らく歌われるだろう季節や行事の曲(クリスマスやひなまつり)は表れていない。また、伴奏によらな
い遊びのための歌、手あそびうたの回答は(質問のうけとり方から)少なかった。が、全体の傾向は、ほぼこれ
46
で把握できる。
注2
井口太
笠井かおる
音楽教育学会編
井口太
宮脇長谷子
幼児の歌唱教材の分析
音楽教育学の展望
1991
幼児歌唱教材の分析一歌詞の特徴の数量化による分析の試み
PP,53-58
II PP.176-185日本
1993
東京学芸大学紀要
第一部門
第44集
「特定のキーワードをもっものは、何らかの活動や話題に関連して教材を扱うという」実態の
反映であると述べている。
注3
清水美代子
幼児と音楽
市邨学園短期大学
幼稚園教育内容と方法の再検討
人文科学論集8、9
千葉県国公立幼稚園協会紀要
1971
No. 17
1983
この資料は井口氏の提
供による
注4
59号
村尾忠廣
pp.124-134
子どもに媚びた昭和の教育音楽その甘ったれてクサイ歌への告別
音楽の友社
瀬田貞二
幼い子の文学
注6
町田嘉章
浅野健二編
注フ
戸苅恭紀
子どもとマスコミ音楽-一一アニメのテーマソングから
(1985.4)
第
1989
注5
pp.98-104
季刊音楽教育研究
pp.57-102 中央公論社
1980
わらべうた一日本の伝承童謡
岩波書店
幼児と音楽
pp. 100-105 (1985.3)
クレヨンハウス
注8
林光
音楽の学校
注9
注5
P126
P181
-つ橋書房
1990
瀬田は童謡だけで子どもの詩を考えると、実に変則なことになると述べている。F詩その
ものを一つの独立した世界として感じたり考えたりすることが、なかなかできない。ただ、音楽の調子だけが残
っちゃて、詩がよびきますイマジネーションのほうは遠く置き去りにされちゃっている。そういう意味で、日本
の童謡というのはひどく遅れているんじゃないか」童謡の詩として独立性の弱さを指摘していると同時に、作曲
の問題(音楽の調子だけが残る旋律性)も示唆していよう。
注10
丸山亜季
音楽教育
2・3合俳号
1992
注H
武藤遵子
子どもの表現と保育者の価値観
注12
梁島章子
乳幼児のための音楽教育に求められること
注13
うたや音楽に対するやわらかさについて述べ、昂ぶるのは「日常生活のひとこまとしては、感動的で
保育研究
15-1 pp.17-32
音楽教育学
建帛社
PP.65-68
1994
音楽教育学会
もあるが、音楽をするという面からいうと、自然でないこわばった状態」であると考えている。
幼稚園
曲名
アイスクリーム
回答数
113998177
32134131
アイアイ
保育所でよ<歌われているうた
(1994年
4-11月)
作詞者
作曲者
相田裕美
宇野誠一郎
不詳
アイスクリームの歌
佐藤義美
服部公一
あめふりくまの子
鶴見正夫
湯山昭
ありさんのお話
都築益世
渡辺茂
犬のおまわりさん
佐藤義美
大中恩
歌え
坂田寛夫
山本直純
いとまき
パンパン
47
注8
1994
P173
11
13
42
16
43
93
01
34
73
84
38
62
91
21
71
61
03
93
26
03
19
2
宇宙船のうた
うみ
大きな栗の本の下で
大きな古時計
お母さん
おたまじゃくし
おつかいありさん
ともろぎゅきお
峯
林柳波
井上武志
陽
きたひろし
保富康午
ワーク
田中ナナ
中田喜直
ともろぎゅきお
峯
関根栄一
団伊玖麿
陽
保富康午
湯山昭
槙みのり
峯
野坂昭如
越部信義
かえるのうた
岡本敏明
ドイツ民謡
かたつむり
文部省唱歌
ガンバリマンのうた
ともろぎゅきお
峯
きくの花
立野勇
本田鉄麿
きらきら星
武鹿悦子
フランス民謡
こいのぼり
近藤
音楽教育協会
こおろぎ
関根栄一
小鳥の歌
与田準一
芥川也寸志
ゴリラのうた
上坪マヤ
峯
中川季枝子
久石譲
野口雨情
中山晋平
前田恵子
前田恵子
新沢としひこ
中川ひろたか
セーラームーン(セーラームーン伝説より)
小田佳奈子
小諸鉄矢
先生とおともだち
越部信義
おはながわらった
おばけなんてないさ
おもちゃのチャチャチャ
*
さんぽ(トトロより)
72
しゃぼん玉
素敵なパパ
世界中の子どもたちが
*
25
子
陽
陽
芥川也寸志
陽
線路は続くよどこまでも
12
左木敏
アメリカ民謡
そうだったらいいのにな
22
井出隆夫
福田和か子
まどみちお
団伊玖麿
林柳波
下総院一
近藤美那子
井上武志
不詳
外国曲
酒田冨治
酒田冨治
小林純一
不明
でぶいもちゃんちびいもちゃん13
まどみちお
湯山昭
動物園へ行こう
17
海野洋司
T.バックストン
時計のうた
50
筒井敬介
村上太朗
坂田寛夫
アメリカ民謡・
29皿36心522434
58
吉岡治
ぞうさん
七夕さま
七夕祭り
チューリップ
ちょうちょ
つばめになって
手をたたきましょう
ともだち賛歌
*
12
とんでったバナナ
25
片岡輝
桜井順
とんぼのメガネ
136
額賀誠志
平井康三郎
34
ペギー葉山
R.ロジャーズ
ドレミのうた
どんぐり
どんぐりころころ
*
39
58
人間っていいな旧本昔ばなしより)
36*
青木存義
梁田貞
山口あかり
小林亜星
ポーランド民謡
畑のポルカ
23
峰
バスごっこ
78
香山美子
湯山昭
ひげじいさん
12
ふしぎなポケット
12
まどみちお
渡辺茂
ぶんぶんぶん
26
村野四郎
ボヘミア曲
ホ●ホ●ホ
ぽくのミックスジュース
27
18
伊藤アキラ
越部信義
五味太郎
渋谷毅
19
薩摩忠
小林秀雄
まっかな秋
48
陽
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4914831
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まつぽっくり
水遊び
南の島のハメハメハ大王
廣田孝夫
小林つや江
東クメ
滝廉太郎
伊藤アキラ
森田公一
不詳
めだかの学校
茶木滋
もみじ
絵本唱歌
森の熊さん
馬場祥弘
アメリカ曲
坂田寛夫
山本直純
水田詩仙
ドイツ曲
やきいもグーチーパー
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﹃j
山の音楽家
*
むすんでひらいて
中田喜直
表(*は子どもたちが今一番好きなうたは何ですかという質問に比較的回答の多かったうた
である。具体的にひとつあげにくいことと、今歌っているうたが一番好きという回答が多かっ
た。ここでは、歌う場面に直結した、運動会のうた、誕生日を祝ううた、お昼や降園のうた等
は省いた。)
<付記>
お忙しい中、アンケートにご協力下さった幼稚園、保育所の先生方に、記して感謝いたします。
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