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世紀末イギリスにおける「社会進化」論の諸類型 (1)市場・効率・環境への

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世紀末イギリスにおける「社会進化」論の諸類型 (1)市場・効率・環境への
NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE
Title
世紀末イギリスにおける「社会進化」論の諸類型 (1)市場・効率・
環境への視座
Author(s)
姫野, 順一
Citation
長崎大学教養部創立30周年記念論文集, pp. 127-145, 1995
Issue Date
1995-03-27
URL
http://hdl.handle.net/10069/21910
Right
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http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp
長崎大学教養部創立30周年記念論文集 127−145(1995年3月)
世紀末イギリスにおける「社会進化」論の諸類型(1)
一市場・効率・環境への視座一
如 野 順 一
The Patterns of‘‘Social Evolution Theory,,
at fin de si6cle in Britain
−From the views of market, efficiency and environment一
Junichi HIMENo
要
旨
9
イギリスの世紀末、1890年代は物質的繁栄と帝国主義、ヴィクトリア的生活とその道徳
にたいする懐疑、新しい「自己」と「社会」の発見の時代と特徴づけられる。このような
時代の社会理論は「社会進化」論のバリエーションのなかに表現されている。本稿ではA・
マーシャル、H・スペンサー、 W. H.マロック、 J. A.ホブスン、 B.ボザンキットら
の「社会」の「進歩」についての考えの相違を析出し、これらを「社会進化」の理論の類
型として整理しようとするものである。
キーワード:社会進化論 世紀末 市場 帝国主義 公共用 貧困問題 慈善
社会的有機体 快楽主義
目
次
1.1890年代=イギリスの「世紀末」fin de si6cle
2.A・マーシャルにおける「社会進歩」
3.スペンサーの社会進化論とマロックによる批判
4.富者と貧者の能カーホブスンのマロック批判
『5.ボザンキット=「慈善組織協会」(C.0.S.)の社会哲学とホブスンによる批判
(以上本号)
6.ベンジャミン・キッドにおける「帝国」と「社会効率」
7.’シドニー・ウエッブにおける「社会進化」と「社会効率」
8.「空想的社会主義」の構想カーラスキン、モリス、ベラミー
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姫野順
9.「都市計画」の誕生(以上次号)
1.1890年代=イギリスの「世紀末」fin de si6cle
ホルブルーク・ジャクソンが1913年に出版した『1890年代』The 1890s’はイギリス
の世紀末、1890年代の文化的、社会的特質を分析した著作として興味深い。これによ
れば1890年代とは「社会の奉仕や秩序にたいする要求と同じように、物資的な繁栄の
誇りや武器による征服および帝国的膨張と結びつく、多くの精神的な活動と想像力の
刺激により特徴づけられる」時代であり、それは「一見して告白と不満の世紀末」と
いうべき時代であった。(1)後期ヴィクトリア時代の最後の10年間は物質的繁栄と帝国
主義、社会的生活に対する懐疑のなかで社会や経済にたいして新しい見方が錯綜する
時代であった。この時代の著作は「無害な古典として残るか忘れられている」という
ジャクソンの評価は時代の過渡期性を指摘しているように思われる。これはモルダウ
によれば「時代の非常な活気livelinessの一例」であり、またこの時代は「デカダンス」
あるいは「希望喪失」、「怠惰」と特徴づけられるという。このような時代のネガティ
ブな特質は「大衆」の「活力の正常で健康な表現」であり、そこには「再生」regeneration
というモチーフがふくまれていた。この「効果的な活力」とは古いヴィクトリア的思
想と慣習conventionの破壊であり、新しい「再生」の発見、論理の形成につながって
いる。ニーチェは「カオスを内に持たない者は一人のダンス・スターも生み出さない」(2)
と言ったが、これにたいして「イギリスでは一人以上のダンス・スターが時代の再生
力を証明しようとしていた」とジャクソンは指摘する。つまり、イギリスでは複数の
リーダーたちがムードや気むずかしさのなかで「事実を意識する」のみならず、ある
場合は「それらをみて笑うこと」ができ、批評のなかから「新しい」論理の模索が試
みられていたのである。イギリスでは「明らかに人々は自分たちが知的、社会的そし
て霊的な変化とあがきのまっただ中に生きていると感じた。著述家、ジャーナリスト
およびあらゆる種類の思想の大衆的な御用達といった時間の解説者たちは、時代の精
神のなかの一種の交流をつくり出すのに失敗することはなかった。」。(3)新しい「自己」
と「社会」の発見は90年代の課題であった。
ジャーナリズムの繁盛というのはこの時代の一大特徴である。文化的側面からみる
とデカダンスはルネッサンスであった。このデカダンスは一方で純粋芸術の賛美と芸
術上の技巧であるが、他方でそれは軍事的な商業運動とみることができる。『イエロー
ブック』や「けばけばしい陰」の文学、芸術にみる「特異な言葉」や「光る」表現は、
南アフリカでの帝国主義的なジェイムソン侵入事件やボーア戦争による「南アフリカ
鉱山株」のブーム、ロンドンの新興成金地区、パークレインにおける南アフリカ成金
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の賛美に結びついていた。「邪悪な事柄のなかの善の霊魂」という二面性、「黒と白」
の対比が芸術にリズムを与え、より新しく、より弾力的な散文形式を助長した。この
「新しい」パークレインの「新しい貴族」たちは、ぎらぎらしたあきらめのなかで経
済学という抽象科学を生活に適用するように努め、税金の超過的課税や「社会的]立
法に対して抵抗した。経済学は抽象化され、論争のなかでイデオロギー化され、多く
の雑誌や新聞、パンフレットにより「大衆的」に啓蒙される。この時代、「新しい貴族」
の台頭に対して「人間性」を再生させようとする改革者、革命家もあらわれていた。
「超越主義」transcendentalismの波は都市の生活に特徴的な貧困、過労、卑劣、醜
悪、病気、商業的強欲を廃止して社会の即時的再生を追求する。また、A. E. Fletcher
の編集する『デイリークロニクル』、T. P.0’Connorの『ザ・スター』、 Robert Blatch−
fordの『クラリオン』、 W. T. Steadの『レビュー・オブ・レビューズ』は90年代に
新たに登場した新しい新聞であるが、このニュージャーナリズムはイギリス人の「妥
協的な精神」という気質を生み出すのに貢献するものとして重要である。このニュー
ジャーナリズムの特徴としてアラン・リーは非政治的なセンセーションとスポーツ記
事の増加といった「大衆新聞」の特徴を指摘している。(4)「方で新しく目覚めたプロレ
タリアートや戦闘的な非国教会意識は熱狂をよび、街頭は激しいデモで埋まることも
あったが、熱狂はウエスト・エンドのミュージック・ホールで娯楽として演じられる
道徳十字軍の道具となり、(5)ここではイギリス人の「尊厳」respectabilityの守護者で
ある低層の中流階級によって無害で教訓的な娯楽として受け入れられるような新しい
時代の環境があった。
ところでこの90年代を特徴づける社会論争の特徴は新しい人間性、・大衆の登場と新
しいリーダーシップ、進歩の理論、社会効率といった問題をめぐるものであった。こ
のような新しい人間観とそれに絡む新しい社会観の登場は産業の新しい発展とそれに
照応する社会組織の変容に関連しているように思われる。90年代にはジョン・バーン
ズやトム・マンらの率いる新しい労働組合運動が台頭し、80年代に成立したH.M.
ハインドマンやW.モリスらの社会民主連合(後の社会民主党)が民衆のなかに影響
力を増し、またS.ウエッブやB.ショウ、G.ウオラスらのフェビアン協会が活発
に「社会主義」といった新しい社会組織をパンフレットや安価な本で啓蒙した。「デカ
ダンス」とともに「事実の感覚」、「社会生活についての超越的な見解」が時代の特徴
であった。人間の活動、芸術やモラルからユーモア、労働組合まで「新しい」という
ことが時代の大衆的な意識であった。このような「生活の再生」recreate lifeをグラ
ン・アレンは「新快楽主義」Neo Hedonismと呼んだ。(6)それは堅苦しいピューリタ
ニズムからの脱却であり、審美的であるが刹那的な生活の契機への傾注、呼吸や手足
の健全、心身の健康、教育され、解放され、自由で、美しく、より幸福で他人に対し
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姫野順一
てもより有益であること。これがアレンの「新快楽主義」の内容であるdここには「社
会的生活の思想」が追求され、たしかに人々は「いかに生きるか」という問いを解く
ために率直に、元気に努力したといえるであろう。この「社会的生活の理想」はきま
ざまなバラエティをもつものであった。ジャクソンによれば90年代、堅実なイギリス
の尊厳として記録された「家族」は基盤を確立していず、新思想にたいして免疫がな
かった。「生活の趣向」life−tastingはファッションであり、新しい世代は慣習と習俗
の鳥籠から大きな可能性に充ちた広い自由のなかに飛び出した。千の運動をもつ「過
渡の時代」、「一つの社会システムから他へ」、「一つの道徳から他へ」、「一つの文化か
ら他へ」そして「一つの宗教から一ダースものまたはゼロへ」、実際にはなんらまとまっ
た行動はなかった。精神的にも、情緒的にもすべての者はまったくさまざまな方向を
むいていた。それは「頑強な国家」stolid nationから「気まぐれの国家」volatile nation
への変化と表現することもできる。あたかもそれは当時地方で誕生していたミュー
ジックホールで上演されていた「バラエティの宮殿」Palace of Varietiesに象徴され
るものであった。ヴィクトリア的道徳とそれを支えていた社会制度の急速な変化、「大
衆」の登場とそれにともなう芸術的、政治的な変化、これが1890年代に生じたことで
ある。
このヴィクトリア期の道徳と社会制度をよく説明するものとして受け入れられてい
た社会理論は、進化論的ポジティズムに支えられた「社会進化論」であった。J. W.
パローは「社会進化論はビクトリアンの知的休息場所のために、確実性を求める必要
と、より異なった社会事実をあてがう必要との間の緊張一それは伝統的な確実性より
も精緻なそれらの解釈方法が許容するものであるが一が一種の一時的均衡に到達する
ような休止点を提供してきた。」(7)と社会進化論のポジテイズムがもつ統合されない両
義性の意義を指摘している。パローはここでイギリスにおいて1890年代の反ポジティ
ズム哲学の教義が新しい「突破」breakthroughではなくヘーゲル主義の焼きなおしで
あり、やがてラッセルの論理的アトミズムという活性化されたポジティズムに置き換
えられるという問題を看取している。パローによれば「社会進化論」の問題は次のよ
うなものであった。「ヴィクトリアンはしばしば、おそらく通常社会理論は、このよう
な意味があるという感覚で何かにつけ意味付けすべきであると要求した。これはもし
その両者が非常に高い一般性をもつ社会法則を示し、そして人間の社会動物としての
将来が栄光あるものでなければ出来ないことである。これらの両者の追求は社会変化
の問題への集中と、相対的に社会的凝集力や安定性を無視することを要求した。」(8)こ
のように「社会進化論」は世紀宋の社会理論として特異の位置を占め、さまざまな改
革や保守のイデオロギー化された理論を提供することとなる。本稿ではこの世紀末、
1890年代の「社会進化」論のヴァリエーションを検討しその類型化を試みてみたい。
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2.A・マーシャルにおける「社会進歩」
ケンブリッジにおけるアルフレッド・マーシャルの経済学は1890年代の新しい社会
経済分析を代表するものであり、その社会哲学は「社会進歩」の観念に支えられてい
た。まずこのマーシャルの「社会進歩」の内容を聞いてみたい。1896年ケンブリッジ
大学の経済クラブで行なった講演「旧い経済学の世代と新しい経済学世代」のなかで
この新しい経済学の特徴を次のように述べている。「きたる経済学者たちの世代が最も
緊急で最も楽しみな仕事は、できるだけ厳密に量を評価し、この種の諸力がどの程度
まで私的物質的な稼得を追求するより粗野なカーその力は大企業の成長、特に公共的
な管理のもとにある大企業の成長によりいくつかの方向に弱められている一に置き換
わるのか研究することである。」(9)。ここでマーシャルは「量的分析」を重視する新し
い経済学を「質的分析」をなした旧い経済学と区別し、公共的な管理される大企業の
もとでの「量的評価」を新しい経済の特徴としている。ここでマーシャルにおいて経
済は飛躍をしない量的変化であり、この変化の分析手法は帰納法であるという。「経済
学の真の帰納的研究とは、事実のもとに横たわる、あるときは一時的で部分的な、ま
たあるときは普遍的で永遠の思想を発見するという見地から事実を探求しかつ配列す
ることである。経済学の真の分析的研究は歴史家や同時代の生活の観察者によって収
集され配列されてきた事実に潜む思想を捜し求めることである。」。(10)こうして探求さ
れる帰納的な「事実」は「配列」され、この「配列された事実」のなかに潜む思想は
「普遍的で永遠の思想」に結びつけられる。つまり「事実の配列」から発見される諸
思想はいつでも「進歩」progressと結びつけられるのである。
そのことについてマーシャルは次のように述べている。「社会的諸目的の問題は各時
代で新しい形態をとるが、すべての形態のもとには一つの基本的原理が存在する。す
なはち進歩progressは主として、単に最高であるというだけではない最強の人間の力
が社会善の増加のために利用されうる、その程度に依存している。… 社会善は主と
して飽きることなく幸福をもたらす能力facultiesの健全な行使と発展のなかに横た
わる。なぜならそれは自尊心を維持し、かつ希望により支えられているからであ
る。」(11)このようにマーシャルにおいて歴史は「社会善」といった理想と「幸福をもた
らす能力の行使」といった功利を実現する目的を目指す過程である。こうしてマーシャ
ルにおいてポジティズム、漸進的進歩、量的拡大の観点は明確である。それにしても
市場の競争による強制と「社会の進歩」の関係、経済的進歩と社会的進歩はどのよう
に関連させられているのであろうか。
マーシャルが経済学の分析対象とするのは「生活の通常の業務businessにおける人
間mankaind」であり、それは人間の個人的、社会的行為のなかの「福祉の物的条件の
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姫 野順
獲得と利用にもっとも密接に結びついた部分」であり、貨幣により測定される部分で
ある。つまり彼は経済学の分析対象を人間の福祉を実現する物的条件に結びつくとこ
ろの、市場における売買行動、貸借行動に限定しているのである。ここで貨幣は市場
におけ「一般購買力」ないし「物質的富に対する支配力」であるが、マーシャルにお
いて注目されるのは貨幣を利己心の発露としての低い動機から発するものではなく、
高貴な目的を実現する「広く人間の動機を計る一つの便宜な手段」と考えていること
である。つまり経済行為は単なる利己的な行為ではなく「高貴な目的」を実現する行
為として目的論的に把握されているのである。こうしてマーシャルは『経済学原理』
序論のなかで貧困が必然的ではないこと、競争と非競争は選択できるものとされる。
「競争の厳密な意味は、任意の財の販売または購入における競り合いにとくに関係を
持つ人々の間の競争racingと見てよいようである。今日この種の競争は、過去に比べ
てより激しく、より広範に行なわれていることは疑いがない。しかしそれは現代の産
業社会の基本的な特徴から生じた単に副次的な、そしてあるいはほとんど偶然的とさ
え言ってよい結果に過ぎない。」。(12)
ここでマーシャルがいう「産業社会の基本的特徴」とは、独立心、自らの針路を選
ぶ習慣、自らを頼む心、選択と決断における慎重さと結合された機敏さであり、将来
を予見し、遠く離れた目標に合わせて各自の針路を切り開いてゆく習慣である。いわ
ば「自立し、先見的な能力を持つ決断人」がマーシャルにおける経済主体である。こ
の人間は抽象的人間または「経済人」といった旧い経済学においてモデル化された人
間ではなく、「血肉を持った人間」、「あるがままの人間」である。ところでマーシャル
においてこの人間は願望を刺激として行動する「功利的な」人間であるが、この人間
はすべての行動を計算できる完全予測人と想定されていない。生活の側面の行動では
とくに「習慣と慣習」が行動の選択の指針となるという。この「習慣と慣習」は歴史
家にとって多くの示唆をふくむものであり、立法者が考慮しなければならないもので
あり、「現代世界の実業問題」においては急速に死滅するとみられているものの、新し
い「熟慮」がこれを補足すると考えている。「古い時代の産業の形態には、現代のそれ
に比べて意図された利己主義が少ないことは事実であるが、しかし熟慮された非利己
主義もまた少ない。利己主義ではなく熟慮こそが現代の特徴である」(13)と。「経済主体
における熟慮」、これがマーシャルにおける市場行動の内容である。このような経済主
体の方向を示す言葉として「産業と企業の自由」あるいは「経済的自由」が提唱され
る。こうして「慣習からの解放と、自由な行動の増大と、絶えざる先慮と、休みない
企業心」をもつ新しい実業人business manがマーシャルにおける「進歩」の担い手で
ある。
さらにマーシャルは「社会的有機体」social organismの概念をもちだしている。「イ
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ギリスの過去の経済学者たちは彼らの注意を個人的行為の動機にあまりにも局限しす
ぎたように思われる。しかし実際には他の社会科学のの研究者と同じように、主とし
て社会有機体の一員として個人を問題としているのである。」(14)と。こうして個人の行
為は個人的な気質や性格といった特殊性からではなく「階級」、「国民」、「地域」といっ
た「特定の集団」の構成員としての新しい属性が統計の力を借りて確認されることに
なる。
このような集団のなかの人間の性格は可心的であると把握されている。つまりこの
ような性格は環境により規定されていて、それゆえ環境を変えることで性格も変える
ことが出来るというわけである。「現代において幾分かは生物学研究の示唆によって、
性格の形成において環境のもつ影響が、社会科学における支配的な事実として一般に
認められるようになっている。それゆえ今日では、経済学者は人類の進歩の可能性に
関してより広範な希望に満ちた見方を持ち得ることを学ぶようになった。人間の意志
が注意深い思索に導かれて、環境を変容することによって人間の性格を大きく変容で
きること、それによって性格にとって、それゆえにまた人民大衆の精神的のみならず
経済的な福祉にとって、より望ましい新しい生活状態を実現できることを信じるよう
になった。」。(15)
マーシャルは「競争」が「無責任により冷酷と浪費」を生むことを強く意識してい
た。このような「産業と企業の自由」のなかにおける現代的な「経済主体の熟慮」と
は、場合によっては「あらゆる種類の協同と結合」、「集団的所有と集団的行動」に自
由意志の選択として向かうことがあるということであった。この場合協同や集団的所
有が必然的に進むとは考えない。マーシャルにとって冷静な分析と自由意志による選
択が重要である。「経済学者は分析を抜きにして競争一般を非難すべきではない」。ま
たマーシャルに言わせれば社会主義者の試みた冒険は歴典の検証に耐えていない。歴
史は「普通の人間が純粋に理想的な愛他主義をかなり長期間にわたって実行できるこ
とは稀であることを示している」。(16)その欠陥は私有財産制度の急激な廃絶にある。そ
こで私有財産権を何らか抽象的な原理に基づいて擁護するのではなく、過去において
堅実な進歩と不可分であったという観察に基づいて擁護するのが、注意深い経済学研
究の傾向であること、またそれゆえに社会生活の理想状態には不適合であるように思
われる権利であっても、それを廃止したり、修正したりすることは、注意深くかつ試
験的に進めることが責任ある人間の任務であることを、述べておく方が良いかも知れ
ないと「経済主体の熟慮」にもとつく社会改革の漸進的進展を主張する。
ところでマーシャルは『経済学原理』のなかで社会を有機的に把握し、この改良的
変化すなはち社会改革を論ずる場合、スペンサーの「社会進化」論の影響を受けてい
るように思われるが、マーシャルは『原理』のなかで「進化」evolutionの語を用い
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姫 野順 一
ず、「進歩」progressを用いていることに注意しておきたい。たしかにマーシャルは自
由な人間の経済・社会行動から自然に淘汰された結果として実現する「進歩」の観念
をもっていたが、重点はマーシャルにおいて「経済主体の熟慮」にある。このマーシャ
ルの「経済主体的社会進化論」の型はスペンサーの必然論の強い「自然淘汰的社会進
化論」とは異なっているようである。そこで90年代にはいってスペンサー自身が彼の
「社会進化論」を誤解したW.H.マロックに反論して自説の「社会進化論」を再説
した論説を素材にして、スペンサーの「社会進化論」について検討してみたい。
3.スペンサーの社会進化論とマロックによる批判
スペンサーの「社会進化論」は1859年に発表されたダーウィンの『種の起源』に先
立ち1850年代に形成され、ダーウィンの生物学的進化の科学としての影響力のなかで、
一つの流行をひきおこした。その特徴は「進化の観念」(1852年にはdevelopmentと表
現されている)、「自由放任」および「有機体的社会観」にあるといわれている。(17)ス
ペンサーにおいて「進化」とは「同質的なものから異質的なものへの変化」であり、
これが混沌をうまないためには「最適者の残存」survival of the fittestといった自然
淘汰が必要であるとされていた。この「社会進化論」は90年代の新しい社会・経済条
件のなかで、マーシャルの経済学、ウエッブやJ.A.ホブスンの社会主義、マロッ
クによる貴族の擁護、B.キッドによる帝国の「社会効率」弁護といったさまざまな
派生的な新しい「社会理論」に影響を与えている。ここではマロックのスペンサー社
会進化論の批判を検討する。
サウス・デボンの土地貴族のなかで成長したマロックはトーリズムと超越的な国教
主義を家族の一員として継承していた。オックスフォードのベリオルカレッジ卒業後、
詩人として活躍する一方で、政治的にはグラッドストーンを襲って80年代に台頭する
チェンバレンの急進主義を排撃していた。(18)マロックによれば、急進主義は外国起源
のものであり、中産階級の激情と盲目による改良運動であり、労働者階級や革命と結
びつき、富者=私有財産にたいする反対勢力であった。(19)W.H.マロックの『貴族
制と進化』、47癖06鰍ワ侃4Eθ01π’加は若い時期の作品である。マロックは90年代に
入って雑誌『ナインテイーンス・センチュリ』で急進主義の理論の中心としてスペン
サーの社会進化論を攻撃していた。この論文に対しては晩年のスペンサーは反論して
いる。1898年9月『同誌』に掲載されたスペンサーの論説「社会進化とは何か」は、
スペンサーにたいするマロックの誤った解釈を正すために書きおろされたものであっ
た。この内容はスペンサーの「社会進化」のオリジナルとそのマロックによる分岐を
検証するのに有益である。
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この論文のなかでスペンサーが問題にしたのは、スペンサーが『社会学原理』Princi−
ples of Sociologyで社会的昆虫として蟻を取り扱い「超有機的進化」を論じた箇所の
評価である。マロックはスペンサーの意図からはなれて、「真の社会的集合」というこ
とで「単なる大家族とは区別されるところの、両親の許で他からは独立した、ほとん
ど等しい能力をもつ個人の結合である」という部分を引用して、この「能力の平等」
をスペンサーの主張の核心として紹介した。というのは、マロックは台頭する社会主
義・集産主義に反対して私有財産制度を擁護し「貴族制と進化」のなかで新しい貴族
の指導的役割を強調するため、スペンサーの「平等な能力」ではない新しい貴族制の
進化を説き、この「進化」を新しい貴族による「社会問題」Social Problemsの解決
として主張していたからである。このようにマロックの社会進化論は新しい貴族の主
体的な役割を弁護するものであったが、これに対するスペンサーの批判はマロックの
このような主体的な「進化」evolution論の解釈である。スペンサーによれば、マロッ
クの引用は異なる能力をもつ集団と類似の能力をもつ集団を対照させた箇所から一方
だけを引用したものであり、しかも人間ではなく蟻について論じている箇所である。
しかしここでスペンサーは決して人間に優劣の差異がないと主張したわけではなく、
従って平等の社会を主張しているわけでもない。こうしてスペンサーは自分の「社会
進化」の意味は、50年代の10巻からなる『総合哲学』Synthetic Philosophyのアウト
ラインを示した、1857年の『ウェストミンスター・レビュー』誌上の論文「進歩、そ
の法則と原因」Progress:its Law and Causeのなかですでに示されており、流布さ
れているような誤った概念の欠陥をすでに指摘していたと次のように再説する。
「それ(進歩)はそれに随伴する『進歩』の現実性といったものでも、陰としての内
実といったものでもない。子供から大人へ、あるいは未開人から哲学者へ成長する間
の知的進歩は、通常既知の事実と、理解された法則の数により構成されているとみな
されている。そこでの実際の進歩はこの知的増進の表現であるこれらの内的修正から
構成されている。社会進歩は人間の欲望を満足させ、人および財産の安全を増大し、
行動の自由を広げるのに必要なより多くの変化に富んだ物品の生産からなると思われ
ている。そこで正しく解釈される社会進歩とは、社会的有機体のなかでこれらの結果
を制約してきた構造の変化を構成するものである。流布している概念は目的論的なも
のである。現象はただ人間的幸福をもたらすものとして静観される。これらの変化だ
けが人間的幸福を高めるための直接的、間i接的な傾向をもつ進歩を構成するように保
持される。そしてそれらが進歩を構成すると考えられるのは単にそれらが人間的幸福
を高める傾向があるからである。しかし進歩を正しく理解するために、われわれは自
分たちの利害を離れて考慮された、いわゆるこれらの変化の性質を探求しなければな
らない。」。(20)
136
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ここでスペンサーは「進化」について「流布している概念」が、目的論的であり、
自分の「変化の性質」を探求する因果論的な「進化」の概念とは異なるとみている。
こうしてスペンサーはマロックのような「人間中心的」anthoropocentnicな解釈を排
除し、「非有機的変化」を表現するものとして「進歩」progressの代わりに「進化」
evolutionを用いたことを強調している。スペンサーによればマロックは非有機的な
構造変化を意味する「進化」のなかに「改良のプロセス」といった人間中心的な解釈
を持ち込んでいるわけである。ここでスペンサーが指摘する「進化」とは、文明にお
ける分業による協業の進展、すなわち各部の「異質性」heterogenityの広がりと、社
会組織としての「凝集性」coherence「確実性」definitenessの高まりである。ここで
スペンサーは「偉大な人」great manの必要もなく分配と交換を実現する「市場」
marketの例を挙げている。
このようなスペンサーの「社会進化」の概念の特徴はどのようなものであろうか。
それは「自然的選択」という概念のなかに求められる。スペンサーは戦争が生活の仕
事busuinessであった社会進化の初期の段階から次第に自由が広がり、「教会の支配」
の時代は知識や知的能力で進化しているとみていた。さらに自由が広がるのは産業段
階である。ここではさまざまな産業能力が広がり、産業的進化に「産業制度」が照応
する。「職業の自然的選択」がこのような本源的差異をひきおこすと考える。このよう
な「自然的選択」の結果の連鎖の考えにスペンサーの「社会進化」の特徴がある。と
ころでスペンサーによれば領土と権威の増大に随伴する「政府の制度」governmental
institutionもこれらの存在を条件づけるものとして社会的必要から「進化」する。ス
ペンサーにおいて「政治体制constututionは造られるのではなく成長する」と把握さ
れている。(21)このような「社会構造」の自然的な変化がスペンサーの意味する「進化」
であり、これは「人間中心的」な「進歩」と区別されていた。またマロックが指摘す
る、「多数者よりもより天賦の才をもち効率的な少数者」(「貴族」)がいるという「人
間的不平等の事実」が「すべての文明化された社会が跳躍する主要な構造的特徴であ
る」ということは、スペンサ「がマロック以前に『社会学原理』で既にのべていたこ
とである。つまりマロックはスペンサーを誤読し、「不平等」を無視する論者に仕立て
て、これに対比して「貴族」の新しい「職業的な制度」の「進化」における貧民救済
的な役割を強調した。これはスペンサーによれば「社会進化」ではなく「社会扶助」
Social Sustentationと呼ぶべき不自然な介入であった。ここでスペンサーはマロック
が発見者、発明家、教師、行政家といった「偉大な人」が「契約の原理のもと」でそ
の優秀性により高い報酬をうるという主張に反対しているわけではなつかた。マロッ
クは「社会扶助」、「生活」、「活動」、「啓蒙」と区別される自然的選択の結果としての
「社会構造」の発展のなかでこれらを認識することができれば、かれの「社会主義者」
世紀末イギリスにおける「社会進化」論の諸類型(1)
137
や「集産主義者」への攻撃も効果的になるであろうと述べてマロックの反社会主義の
立場を支持している。
ここでスペンサーの社会進化論が「自然的社会進化論」であるのにたいしてマロッ
クの社会進化論は「貴族の主体的進化論」といえるであろう。マロックの社会進化論
は貧困と絡む「社会問題」解決の主体を問うものであった。この「貧困」と「社会問
題」は90年代の新しい「社会進化論」の諸類型を規定すテーマなのである。そこで次
に「貧困の救済」について、富者と貧者の能力を問題にしたマロックとホブスンの論
争について検討を加え、両者の社会進化論を対比してみたい。
4.富者と貧者の能カーボブスンのマロック批判
マロックのスペンサーに対する批判とスペンサーによる反批判は前節でみたとうり
であるが、1897年と98年『コンテンポラリー・レビュー』誌上のホブスンとマロック
の論争は両者の「社会進歩」の見解の相違をよく示している。
ホブスンが論文「政治経済学者としてのマロック氏」で批判するマロックの社会哲
学の要点は次の3点である。1.労働と能力は二つの区別される生産力である。2.
現代産業の進歩は少数の能力に帰せられる。3.労働運動は能力にたいする実際的な
支配を打倒しようとするものである。(22)ここでマロックは人間の生産的力の発揮につ
いて「能力という希少で無限に生産的な精神の質」と「労働という普通で限定的な肉
体的質」に区別し、前者の「少数者の能力」が社会を進歩させる力と主張する。従っ
て単純労働者の要求を反映する新しい労働運動の挑戦は生産力の減退に通じるという
のである。この「少数者の能力」が前節でみたマロックのいう進化した「貴族」の能
力とみてよい。この能力をマロックは「現代の生産的な諸方法」すなわち「資本を通
じて産業に作用する能力」であり、この能力は専ら「機械の発明と産業の改良された
諸方法」に適用される「無限の生産力」であるという。さらにこれを「発明能力」inven−
tive abilityと言え替え、有限な生産力しかもたないとされる「労働、大衆的な福祉、
技能skill」に対比するのである。ホブスンはこのようなマロックの見解を「私有財産
の哲学的な擁護」であるとみる。ホブスンに言わせれば発明家の考案を購入し、また
は盗み、これを独占するのは「企業人」business manである。「企業人」の支配が問
題である。したがって発明家に収入の自然的な帰属を求めるのは「飛躍」であると。
ところがマロックは「経営能力」business capacityを富を無限に産出させる「少数者
の能力」に加えていない。ここに企業を直接代弁するわけではないマロックの貴族的、
投資家的立場が反映しているとみることができる。「企業経営の相続、好運、投機は単
なる偶然でかつ変更するような事情circumstancesではない」とマロックがいうと
138
姫 野円
き、マロックは現代企業において支配的になってきた証券投資や発明・発見への投機
といった無機能資本の支配を観察しているのである。これに対してホブスンはこの現
代企業の生産力の内容は、それゆえ現代産業の創出する収入は、産業の担い手の生産
的な活動、つまり機能資本に即して考察されなければならないと考えるのである。
マロックは「発明能力」を強調するのであるが、その観点は市場における産業の物
質的生産の支配の観点からであり、「創造的技法」creative artsである「芸術」fine art
は「能力」から排除されていた。これはマロックの新しい「産業・金融」融合体の経
営支配の観点を示すものである。これに対してホブスンは、産業主義のあらゆる部門
で行使される仕事workとは「特別な物質または環境の特別な一組の緊要な事情に適
用された、すぐれた趣向や思想の生産である。技法artの本質はその個性とその生産の
限定性にある。」(23)と主張している。つまりホブスンは産業の「技法やデザイン」が労
働=仕事と不可分に結びついているというのである。このような「技法」のなかで「発
明家」はホブスンにおいても重要な役割を果たす。しかしホブスンによればこの「発
明家」階級の能力は教育と社会的影響の結果である。したがってこの「発明能力」は
教育やよい社会的環境の有無により左右されるものであるから、偉大な発明家に帰さ
れている生産性の増大は「理論的」には社会的成果として「共有財産」と認められる
べきものという主張がでてくる。また経営者や監督、検査官などの「企画の総合的成
功」に帰される判断力や知力、責任、正直などを意味する「能力」は労働にも含まれ
ていることが強調される。とわいえ、機械に特化される野蛮な精力が少なくなればな
るほど労働は「神経と頭脳」の緊張になると、機械による「単純労働」よりも「神経
と頭脳」による「精神労働」の優位を主張している。ホブスンによれば単純な機械労
働はできるだけ省力化され、「能力」はすべての人の体に浸透するべきと考えられてい
る。そして「現代労働のより効果的な協同co−operationは増大する生産性の直接的な
源泉とみなされなければならない」(24)というのがホブスンの「社会進歩」の展望であ
る。この点でホブスンの「社会進歩」は協同化された高次の労働=仕事(work)によ
り実現されるのである。
ところでホブスンは雇用された監督者や経営者の生産力に果たす役割を評価してい
た。しかしこの生産力が「利潤動機のなかで企業力の適用を始める発起者promoterや
株式仲買人」に帰することを警戒していた。相続や好運、投機、戦闘能力により競争
相手をうち負かし独占を確立し、「交易における獅子の分け前」を獲得するような帝国
主義、詐欺や賄賂といった陰謀の「能力」はホブスンにとってまったく反社会的なも
のである。(25)ここには後年の帝国主義批判の観点が明白にされている。
それでは労働運動に対するホブスンの評価はどのようなものであろうか。彼は資本
と労働の闘争struggleのなかで、労働者に帰属することが承認されている労働力を、
世紀末イギリスにおける「社会進化」論の諸類型(1)
139
最も好ましい条件termsで販売するよう労働者に保障するのが労働組合の目的であ
るとみている。しかしホブスンは組織された労働者が雇用者の権威を拒絶するほどの
最良の条件で労働力を売ることを求めるのは正しくないとも考えている。というのは
雇用者は労働力の購買以外に原料や燃料、機械を競争のなかで最適な価格で購入しな
ければならないからであるという。しかし労働力は他の商品とは異なる。というのは、
このような生産要素の売買のなかで労働者は労働力の分配において「人格」personと
して存在するように要求され、生活と将来の労働力が損なわれないような安全が強制
されるからである。このように労働力の特殊な商品としての性格を指摘するホブスン
は、労働組合の役割をまつ、労働者の「暮らし」1ivelihoodの源泉である労働力商品の
販売の条件の要求に限定している。(26)
とはいえ労働組合のもつ「社会主義」の側面にも目が向けられている。相続や自己
選出により、「社会生産のための組織の能力よりも反社会的な競争能力をもつ」ような
「産業の将帥」の廃絶は、「社会主義」が求めるところのものであり、労働組合の要求
としても叶っているという。ここでホブスンはマロックが社会主義と考えている「労
働者の自主管理」は協同組合員の目標であるが、社会主義ではないとみている。また
労働者の産業別な自主管理は「労働個人主義」trade individualismであり「社会主義」
ではないという。ホブスンによれば「社会主義」とは「産業の民主的管理」を意味す
るものである。そしてその経営者は「市民の団体the body of citizens」から直接、間
接に選出されなければならない。ここでホブスンのいう市民は「ワーカー」workerで
ある。(27)この「ワーカー」は産業規制において産業豪富の最大化とともに労働条件を
考慮する主体と考えられている。そしてこの「ワーカー」には種々のグレードの経営
者も含まれているのである。「市民的ワーカーの団体」これがホブスンの社会主義の担
い手である。この団体のなかで企業を支配する公務員が選挙で選出され、管理者が流
動的であるような自治体や国家が管理する産業民主主義、これがホブスンの「産業進
歩」=社会主義の内容である。このようなホブスンの「社会進歩」の考えは「市民的ワー
カー」による「主体的社会進化論」ともいうべきものであった。このような労働組合
と市民的ワーカーによる全般的な産業の民主的な管理の主張はウエッブ夫妻の「産業
民主主義」と共通する点が多いがこれについては後に検討する。
5.ボザンキット=「慈善組織協会」(C.0.S.)の社会哲学とホブスンによる批判
「慈善組織協会」(Charity Organisation Society以下C.0. S.)は進歩と悲観、
富と貧困、自信と懐疑が交錯するヴィクトリア時代の中期、ロンドンで1869年に創設
された慈善団体である。世紀末にはその絶頂期を迎えていた。女王や大司教、貴族を
140
姫 野州
後援者とし、19人の行政委員により運営されるこの組織は、91890年代には、財産にた
いする攻撃と「貧困問題」のクローズアップのなかで、伝統的な基盤に立脚する土地
貴族や新興産業階級から「貧困」を克服する手段として多くの関心を集めていた。ま
たB.ウエッブなどからは資産階級の「良心の呵責」consciencious sinと二半されて
いた。1961年にC.0.S.の歴史を書いたチャールズ・ロッホ・モワットによれば、
従来の委員たちは『国民伝記事典』N厩0ηα1捌og名㎎勿1万6’競鰐にも名が残らない
有閑階級や専門的な職業人たちであったが、1890年行政委員に加わった、後のセント・
アンドリュース大学の道徳哲学の教授バーナード・ボザンキットは例外であった。(28)
彼は専門の哲学以外に、慈善について「市民の義務」、「性格と社会的因果」、’「私有財
産の原理」といった多くの論文を書き、これらを1895年に『社会問題の諸相』.4砂66孟s
げSo磁1 Pzo∂Z6〃zとしてC. S.ロッホやマカラン夫人、デンディ女史らの論説と
ともに編集出版した。この書はC.0.S.が「一つの専門職aprofession」として
スタートするのに貢献し、90年代に活動の絶頂期を迎えていたC.0.S.に「社会
哲学」に基づく理論的な根拠を与えるものであった。
1890年代に入ってC.ブースの『ロンドンにおける生活と労働』などによる「貧困
の発見」の著作がつづき、1893年には自由党政府のもとで「老齢困窮者に関する王立
委員会」が任命された。この委員会では、65歳以上の老齢者の年金と老齢者の「院外
救済」といった消極的施策を主張するC.0.S.のメンバー、ロッホやペルら多数
意見と、65歳以上の労働者階級の貧民の数を重視し、積極的な救済を主張するチェン
バレン、リチー、C.ブースら少数意見が対立していた。(29)この対立には貧困の原因
を自然的なものとみるか社会的なものとみるのかといった「社会哲学」上の見解の相
違が反映している。1896年『コンテンポラリー・レビュウ』誌上にあらわれたホブス
ンの論文「慈善組織協会の社会哲学」は、この多数意見を支持するC.0.S.の「社
会哲学」、すなわちボザンキットの編著『社会問題の諸相』に代表される貧困の自己責
任という貧困観を鋭く批判するものであった。
ホブスンはボザンキットの「慈善」charityがまつ「霊的生活」spiritual lifeの拡大
され、持ち上げられた原理の表現であり、物質的な必要に対してはうわべだけの救済
であると指i注する。それは狭い「喜捨」と「徳」が、「近代の合理的な博愛主義philan・
thropyが救済を求めるところの悪習への祈り」に変質したものとみている。ホブスン
によれば、かっての互酬的な慈善は真の徳の精神を保持していたが、古い秩序が崩壊
して「慈善」は他の個人サービスと同様「金銭の支払い」に置き換わり、これが弊害
の起源であるという。「金融階級」moneyed classの発生と分離、具体的な苦難と密接
に接触せず、漠然とした苦難に哀れみの感情を調和させようとする彼らの道徳的立場.
が慈善の活力を弱めているというのである6(30)すなはちこの「金融階級」の分離が、
世紀末イギリスにおける「社会進化」論の諸類型(1)
141
無秩序な慈善の誤った方向、浪費、重複:、あらゆる順序と程度の職業的寄生性といっ
た欠陥の原因にほかならない。このような見地から、C.0. S.の「貧困救済の原
理」が貧困問題に関する社会改革の論理的・科学的な正しい原理であるのかを、詳細
な救貧法行政から広範な「一般意志」までの社会研究を包括している『社会問題の諸
相』の内容に即して検証する。
ここでホブスンはこの原理を検証することがC.0.S.の「行動と人事」に関わ
る利害と独立した価値のあることを強調する。(31)というのはこの本の著者たちの原理
を検証するすることは、「所有階級」propertied classが強力な嫌悪と不信を抱きなが
らも、霧のなかで認識されていることを、明白で意識的な表現として確認することで
あり、人事に介入する意図からではない。すなわちホブスンの主張はC.0.S.の
内部改革を求めるものではない。ホブスンの意図は老齢年金、学校給食、失業給付、
貧民救済の公費支出に反対する「所有階級」の権威ある宣言に反論し、正しい社会認
識にもとづいて公費による「社会問題」の解決を目指すことにあった。
こうしてホブスンが問題にするのは「施しの理論theory of“doIe”」である。 C.
0.S.によれば「施し」は「怠惰の要求」であり受給者の性格を弱めるものであっ
た。これに対しホブスンは眠っている間に増大する土地の経済的レソトや、投資利得
といった「不労所得」は「不思議なもの」miraculousなものではないのかと迫る。ホ
ブスンによれば「慈善」は、稼得しながら上品な生活と合理的な介護を整えることを
不可能にされている人々にとって、「良心的な貨幣」といった弱い種類のものであり、
不労所得の断片から得られる不規則で不十分な報酬にすぎない。しかも、それらの源
泉は貧民が不利な経済的売買の過程で法的所有権を離れたものであるから、本来産業
に機能する経済主体に帰属するものであると考えられる。ここにはT.ポジスキンら
リカードウ派社会主義者の主張した労働全収権の思想がみうけられる。この場合ホブ
スンの「社会進歩」が生産者による産業の民主的管理にあることはさきにみたとうり
である。ところでボザンキットが批判する「助成」subventionの基準は次の3点であっ
た。第1は助成における一律分配という自由の欠如、第2は怠惰への支払い、第3は
受給者管理の欠如である。(32)それぞれについてホブスンは反論する。第1に「自由の
欠如」について、救貧法は「仕事の選択」の自由を想定していないということ、もし
そうであっても財産がなければ自由になれないということ。第2の「怠惰への支出」
についてみると、平均的な院外困窮者は独立した生計手段をもつ平均的な紳士の生活
よりも公共善への苦しい努力を体現していて、決していわれるように怠惰ではないこ
と。第3の「管理の欠如」についてはボザンキットのいう受給者の規則的で完全な管
理と、自由な要求を基礎とするという主張が矛盾していることを指摘する。ここでボ
ザンキットの基準は財産が「社会的召命vocation」を形成するか否かである。そこか
142
姫 野花
ら、富者の「不労所得」には社会的「信託」や「責務」が与えられてくる。富者の慈
善はこの.「召命」を実現する「代償」quid pro quoであり、この主張は「富の福音」
をとくキリスト教社会主義(33)にも通じるものである。C.0. S.の哲学者は「社会
進歩」の源泉を個々の家族の独立と責任におき、慈善や、年金・助成といった「組織
された援助」はこれを押しつぶすものとみている。貧困は「個人的欠陥」ということ
である。
ボザンキットは「一般的善」the general willがその目標を表現し、成功に導くとい
う。また「社会進歩は主導力primum mobileとして個人の意志の、他に支えられない
先導initiativeに依拠している」という。そして「物質的な条件が必然的に存在するの
は当然であるが、しかしそれらはそれを取り巻くマインドの精力に大きく依存してい
る」と述べる。かくして社会問題は「マインドの精力」つまり個々の意志、あるいは
雇用者の「道徳化」のなかで安全な解決を見いだすことができるようになる。ボザン
キットは方法的個人主義に立脚している。ここで貧困を引き起こす「社会的、経済的
馬力の認識」は拒否されているのである。ここにはT・H・グリーンの、「公共善」と
いった道徳的力が「貧困」や「社会問題」を解決するという考えが、富者の「慈善」
に結びつけられ、「理想主義的社会進歩」の理論に結晶しているのである。
ホブスンによれば「社会改革において性格は諸条件のなかの条件である」という見
解に慈善組織の哲学が結晶しているが、これは弊害の半分しかみていない。この貧困
を「性格」characterに還元する見解は社会民主主義者が思慮する深い部分を欠落して
いる。ホブスンはC.0.S.の単子論的社会観monadismに反対であった。ホブス
ンのいう「社会民主主義者の深い思慮」とは「社会的・経済的諸手」の認識であった。
「もし個人的統制の作用から独立したなんらかの経済的諸力が存在し、これがある時
産業分野で労働需要を制限し、報酬を期待できる投資の範囲を制限するとすれば、こ
れらの諸力は選択的な影響を行使して競争的な産業分野において普遍的な成功の可能
性を排除する。すべての経済学者たちはそれらにたいする原因について広く見解を異
にしているが、これらの諸勢の存在への言及が認められる。すべての経済学者たちは
長期にわたって労働にたいする需要を制限するところの産業における大きな変動運動
の作用が、それゆえある大量の失業を余儀なくさせると断言している。」。(34)このよう
にホブスンにおいて景気変動という個人の意志から独立した経済的力が自覚されてお
り、「構成の誤謬」として、あるいはマクロ的不均衡として「非自発的な失業」が認識
されているのである。ホブスンにとってJ.S.ミルやジェボンズ、マーシャルはこ
のような景気変動を自覚し、「産業および政治的な制度の改革」を主張する先達の経済
学者たちであった。
このような経済諸力の構造的不均衡の自覚のうえにホブスンの社会改良の提案は主
世紀末イギリスにおける「社会進化」論の諸類型(1)
143
張されている。ところでホブスンの批判は進歩にたいする環境決定的なつまり、貧困
不可避論のマルクス主義者の見解とは一線を引く。「残余」residuumの条件を改良す
る歴史的な順序として、「物質的な変化の形」での最も早い時期の「進歩への刺激」が
重要であるという見解を示す。これはロバート・オーエンの性格形成論を思わせるも
のである。しかしホブスンはオーエンは経済的環境の影響を過剰に評価しているとみ
ている。「物質的な快適と安全といった第一の諸条件がひとたび達成されるとき、個人
の意志および精力といった意識的活動が大きな役割を果たし、しばしば経済的改良の
直接的原因として作用するであろう」(35)という。つまりホブスンにおいて経済的進歩
が問題なのではなく人間的進歩を実現する条件として経済的な条件が問題なのであっ
た。この点でホブスンの「社会進歩」論の特徴は構造の不均衡認識を前提にした「主
体的社会進化論」ともいうべきものである。
ところでボザンキットは夫妻で1897年1月の『コンテンポラリー・レビュー』に「慈
善組織・ひとつの回答」Charity Organisation. A Replyという論説を寄せ、ホブス
ンに強く反発した。というよりはホブスンに回答する形で公衆に広く「慈善組織」の
原理の正しさを再説した。この要点として『社会問題の諸相』がボザンキット一人の
権威的な見解ではなく、依拠している経験は救貧法の救貧委員、学校の管理者、C.
0.S.の労働者たちのものであること。老齢年金、学校給食、労働(失業者)への
公的給付に財産階級が反対しているわけではないこと。自分たちの思想は大部分がT.
H.グリーンの哲学の現代的な諸問題にたいする適用の試みであること。「私有財産制
度の原理」の研究は利子や土地の地代を擁護するものではなく、現存する制度の研究
であるとともに他に可能的な制度すなわち「普遍的な給付の制度」asystem of univer−
sal salariesについての研究であることを強調している。(36)ボザンキットによれば「残
余」は「貧困」階級に限定されない。「貧困」は、グリーンに沿って「実現された意志」
realised wi11と定義されているから、「院外救済」は受領者の意志の結果である稼得に
比例して引き上げられなければならないことになる。「結局われわれの間の真の困難
は、ホブスン氏が経済的破綻のただ一種類すなわち産業の時折の非組織化を認識して、
すべての貧困をこれから引き出そうとすることにある。他方われわれが考慮しなけれ
ばならない多くの種類の経済力は、それらのいくらかが周期的で異常なものではなく、
持続的で正常なものでなければならないと主張する。そしてさらにわれわれの正常で
規則的な仕事について持続的な諸原因を考慮しなければならず、周期的な非組織化に
たいしてこれらを考慮しないような対策は賢明でないと主張する。」(37)このようにボ
ザンキットにおいて経済力は「持続的で正常でなければならない」。こうして無差別な
「救済」almsが人々の独立を損なうこと、「同感」が洞察と自己統制に重要であるこ
と、「場合」caseの理解が慈善の仕事の基準になるということが再確認されている。こ
144
姫野順一
のようなボザンキットおよびC.0.S.の方法的個人主義に立脚する新しい経済社
会の考えは、ミクロの経済・社会主体による意識的な行動が「慈善」の力を借りて、
結果的に構成されたマクロ的な均衡をうみだすべきというものである。これは新古典
派的な正常の観念に通じている。みてきたようなボザンキットの「社会進歩」論の型
はマーシャルの「経済主体の熟慮」が・「社会意識」(公共善)にまで高められた.「理想
主義的社会進歩」の理論と類型化できるであろう。
註
(1) Holbrook Jackson,7フ乞6 E忽乃孟θθ多z躍多z6ガ6s (London,1913)Pユ9’
(2) Do.,乃刎., p.22
(3) Do.,乃ゴ4., p.20
(4)Alan J. Lee,7物60γ野洲s(ゾ孟舵R)1%彪7 P名6ss Eηg彪η41855一一Z9エ4(London,1976)
Pユ25,H. Jackson,乃24., P.26
⑤ このような世紀末のミュージック・ホールの役割については井野瀬久美恵『大英帝国
はミュージック・ホールから』朝日新聞社1990年 参照
(6)Grant Allen, The New Hedonism,7%θF厩勉g明円1∼6漉z〃, March 1894
(7)J.W. Burrow, Eの01勿’加侃4 So6吻(Cambridge,1966)p.263
(8)J.B. Burrow, Do., P.276
(9)C.Pigou(ed.), The Old Generation of Economists and The New,〃1伽。磁ゐ(ゾ
、4丁丁〃町尽11(London,1925)p.309,宮島綱男訳『マーシャル経済学論集』(東京、
昭和3年)580−81ページ
⑩ c.Pigou,1)o., p.309,邦訳581ページ
⑪C.Pigou,.Do., p.310,邦訳582−83ページ
α2)Alfred Mars耳all,. P万%6批s(ゾ.E60ηo卿6s,(9th ed. by C. W. Guillebaud, London,
1961)P.5永沢越郎訳『マーシャル経済学原理』(岩波書店、昭和60年)第一分冊、7
−8ページ
(13)A.Marshall, Po., p.6,邦訳8−9ページ
qの八Marshall, Oo., p.25,邦訳34−5ページ
(15)A.Marsha11,1)o., p.48,邦訳65ページ
⑯ A.Marsha11,00., p.9邦訳13ページ
07)清水幾太郎「コントとスペンサー」『コントスペγサー』(世界の名著46、中央公論社、
昭和55年)参照
(18)John Lucas, Intoduction to 7物八セω1∼ゆπ∂1ゴ6 by Mallock(Leicester,1975)pp,7
−34
㈲W.H. Mallock,Radicalism and the working classes, Co漉吻。鵤η1∼鷹取, March
1884,pp129−145
(2① Herbert Spencer, What is social evolutionP,悔γゴ。%εF㎎g〃zθηな(New York,1907)
p.200
(21) H.Spencer,1)o.,「PP.209−10
(22)J.A. Hobson, Mr. Mallock as political economist, Co漉吻。獺η1∼爾伽, Vo1.73,
1897,pp.529−30 Cf. Mallock, Aγ醜照ッα雇Eの01纏。η,1848 and W. H. Mallock, Mr
且obson on Poverty, Co多z孟召吻。ηzη、石1θz疹6zo,1896
世紀末イギリスにおける「社会進化」論の諸類型(1)
(23)J.A. Hobson,1)o., P.530
⑫の J.A. Hobson,1)o, P.531
(25)J.A. Hobson, Do, P.536
(2㊦ J.A. Hobson, Do, PP.538−39
(27)」.A. Hobson, Do, p.539
㈱ Charles Loch Mowat,7物C加γ勿0即廊α≠加soo∫の1869一エ913(Londo,1961)
PP82−83
(29)C.L. Mowat,1)o., p.140
⑳ J.A. Hobson, The social philosophy of charity society, Co泓召吻。ηη1∼θ痴6ω, Vol,
70,pp.710−11
(3D J. A. Hobson,.Do., P712
(32)J.A. Hobson,1)o., PP.714−15
(33)ホブスンはキリスト教社会主義の伝道の書としてNittiの『キリスト教社会主義』
Christian Socialsmをとりあげ、この「富の福音」Gospel of Wealthがカーネギー氏
の「百万長者は『公共善』に金を投じる生き物」という現代的な認識を助長している
と指摘している。一Do., pp.716−17
Gの J.A. Hobson,1)o., P.719
G5)J. A. Hobson,1)o., P.721
(36)H.and B. Bosanquet, Charity Organisation. A Reply, Co痂召吻α昭η1∼ωゴ脚, Vol.
71,January 1897,
(1995年1月31日受理)
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