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名桜大学他・「本土復帰 40 周年記念講座」(第5回) 1 講演録 講演テーマ

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名桜大学他・「本土復帰 40 周年記念講座」(第5回) 1 講演録 講演テーマ
名桜大学他・「本土復帰 40 周年記念講座」(第5回)
講演録
講演テーマ:観光分野 「新しい観光資源の開発による北部地域の活性化」
パネリスト:名護市観光協会理事長 安里 廣 氏
東村役場農林水産課長 山城 定雄 氏
内閣府沖縄総合事務局総務部長 福井 仁史
内閣府沖縄総合事務局運輸部企画室長 小野 協子
コーディネーター:公立大学法人名桜大学北部生涯学習推進センター長 鈴木 邦治
司会:名護市産業部産業振興課地域産業活性化推進プロジェクト・チーム主幹 祖慶 実季
(司会)
本日は、ご参加いただきありがとうございます。本土復帰 40 周年記念講座は、本日の5回目で最後
の講座になります。
今回は、観光分野の「新しい観光資源の開発による北部地域の活性化」をテーマにパネルディスカッ
ションを行います。パネリストは、名護市観光協会の安里理事長、東村役場の山城農林水産課長、沖縄
総合事務局総務部の福井部長、沖縄総合事務局運輸部の小野企画室長です。
それでは、鈴木コーディネーターよろしくお願いします。
(コーディネーター)
本日の前半は、これまでの観光に関する取組について、安里理事長、山城課長にご紹介いただき、後
半は、沖縄総合事務局の福井部長と小野室長から他地
域の事例などについてご紹介していただきたいと思い
ます。その後、フリートークを行い、今後のやんばる
の観光の方向性などについて、皆様と勉強していきた
いと思いますのでよろしくお願いいたします。
最初に、安里理事長お願いします。
(安里氏)
本土復帰以降 40 年間の沖縄観光の変遷の概要について申し上げます。沖縄が本土復帰した 1972
年の入域観光客は 40 万人ほどでした。その当時は慰霊観光が主体であり、また、パック旅行のはじま
りの時期でして、旅行会社が募集したパック旅行に家族や親戚同士、あるいは友達同士で行く形でした。
復帰後に観光客が急増した要因は、復帰記念の沖縄海洋博覧会でした。その頃にパック旅行が普及して、
沖縄へ観光客が来てくれるようになりました。沖縄の観光は 10 年ごとの流れがあります。10 年後の
1980 年頃には、慰霊旅行から従業員の福利厚生を兼ねた慰安旅行が主流となっていきました。
(コーディネーター)
農協が取り扱う団体旅行が多かった頃ですね。
(安里氏)
その頃は、農閑期になると本土の農家の多くの方々が沖縄へ観光に来られました。その頃はバブル景
気に向かっていく時代でしたので、観光客の消費も旺盛でした。観光業界では、とにかく仕入をするこ
とが仕事という感じでした。
しかしながら、バブル景気は、1990 年代初めに崩壊し、観光業界は大変厳しい状況になりました。
物を仕入れて販売するだけという形態が無理な状態となり、業態を変化させなくてはなりませんでした。
実際、業態を徐々に変化できる企業が生き延びてきました。例えば、物販から、飲食店や入場施設など
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名桜大学他・「本土復帰 40 周年記念講座」(第5回)
のサービス業へ移行することですが、そうすることによって企業の存続が図られたという時代でした。
また、初期投資が大きいホテル経営については、いずれも苦しい経営を強いられました。ホテルのオー
ナーが変わったということも随分とありました。それが 1990 年代という時代です。
(コーディネーター)
海洋博後にも、かなりのホテルが倒産したと伺っていますが。
(安里氏)
海洋博ショックといって、海洋博開催時には観光客が急増しましたが、海洋博のために建設された宿
泊施設などが経営不振に陥り、倒産が相次いだことが一時期ありました。
本土復帰から 20 年後には、沖縄への入域観光客が 300 万人程度まで増えました。その 10 年後の
2002 年頃には個人旅行やファミリー旅行が主流となってきました。移動手段もバスからレンタカー
中心になりました。2001 年には米国同時多発テロがあり、そのショックはかなり大きいものでした。
海洋博ショックに匹敵するほどであり、風評被害がありました。米国同時多発テロのショックは観光業
から連鎖して、あらゆる産業においてダメージを与えました。観光はトータル産業だという認識が観光
業界以外にも広く浸透したと思います。
行政が本格的な観光振興に取り組み始めたのが 2002 年です。2002 年には観光客が 450 万人で
あり、10 年のうちで 1.5 倍伸びたことになります。それから 10 年経った 2012 年には、600 万人
に近い観光客がいらしてます。
今後の沖縄の観光には海外戦略の充実が重要ですので、海外からの誘客については、全県的に取り組
んでいるところです。現在、海外からの観光客は約 30 万人であり、沖縄県の第 5 次観光振興基本計
画では、10 年後には、200 万人と目標を定めています。沖縄の黄金期というのは、必ずアジアとの
繋がりが深い時に迎えると私は思っています。今後の状況によっては 10 年後ではなくて、もっと早く
達成できると私は見ています。
名護市の観光は、通りすがり観光と言われて久しくなります。
除々に改善はされていますが、市街地を訪れる観光客は少ない
状況です。当協会では、観光客の方々が名護市で楽しく滞在し
ていただくために、観光資源の掘り起こしを数年前から取り組
んでおります。市街地に限らず名護市全体の観光資源の掘り起
こしを行っています。掘り起こし自体は進んできましたので、
観光コースを検討する段階になっています。
(コーディネーター)
何か安里理事長にお伺いしたいことはありますか。
(福井部長)
この後に私が説明する資料に本土復帰から 40 年間の観光客数のグラフがありますが、安里理事長の
話と一致しています。敬服する次第です。安里理事長が会長を務めている観光施設「沖縄フルーツラン
ド」は、40 年程前に創業したと伺っています。40 年前だと観光産業が、これほど成長するとは予測
がつかなかったと思いますが、どの程度の事業見通しがあったのでしょうか。
(安里氏)
私共はパインアップル農家でした。パインアップルは高収益の産物でしたが、1971 年に冷凍パイ
ンアップルの輸入が自由化されると、取引価格が下落し、農家の経営も厳しくなりました。そこで私共
は、パインアップルを加工品ではなく生果で販売しようと発案したことがきっかけで観光施設の設立に
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名桜大学他・「本土復帰 40 周年記念講座」(第5回)
至り、順調にスタートすることができました。観光業に参入しようという考えではなかったですね。
(コーディネータ)
次は、山城課長お願いします。
(山城氏)
本土復帰 40 周年記念講座ということで、東村がそのうちの 35 年間どのように観光に取り組んだの
かという足跡を皆さんに紹介をしながら、今後どうあるべきかについても考えていきたいと思います。
東村は、これといった産業も観光資源もありませんでした。当然、知名度も無い、無い無いづくしの
やんばるの寒村でした。私共では、名護まで来たお客さんを何とか東村まで誘客しようと取り組み始め
ました。
観光資源はありませんでしたが、東村には、山々に自生していたケラマツツジがあり、それを生かそ
うと取り組み始めたのが 1977 年2月です。海洋博ショックの中にあるやんばるで、当時の宮里村長
を先頭に新しい観光資源を作り出すために村民を総動員して山を切り拓きつつじを植えました。当時は
海の物とも山の物とも評価されておりませんので、当然、国や県からの補助はありません。役場の予算
で重機を調達し、村民は小学生からお年寄りまで全員がボランティアで、6 年かけて 5 万本のつつじ
を植えて観光拠点づくりを行ないました。植えた後も、村民全員で手入れと管理を行いました。沖縄の
中では、珍しいと思いますが、住民を巻き込んでの観光拠点整備となりました。
基本施設の整備が済んだ 1983 年 2 月に「つつじ祭り」がスタートしました。これまで東村に観光
客が来なかった中で、中南部から洪水のごとくお客さんが来ました。東村にとっては、「交流の夜明
け」でした。本年 3 月がちょうど 30 回目のつつじ祭りでした。今では、やんばるの春を彩るイベン
トとして定着していると思います。「つつじ」と言えば東村というイメージも定着してまいりました。
つつじ祭りは順調に推移しましたが、1990 年代初頭、村を取り巻く状況が大変厳しくなりました。
先程、安里理事長から冷凍パイン自由化の話がありましたが、1990 年 4 月にはパインアップル缶詰
の輸入が自由化されました。当時の東村の農業収入は、7 割がパインアップルで占めており、しかも、
主に缶詰用のものだったのです。
その頃、日本列島はリゾートブームに沸いていました。東村のように辺鄙な所でも大型のリゾート計
画、ゴルフ場や長期滞在型のホテルといった計画がありました。ところが、バブル景気の崩壊によって
ことごとくリゾート計画はとん挫しました。
東村は、基幹作物のパインアップルの自由化、バブル景気崩壊というダブルパンチを受けて大変厳し
い状況に追い込まれました。このような状況の中、東村では、村の 21 世紀ビジョンを 1996 年に策
定しました。これまでどおり農業一辺倒の村づくりを見直すことからスタートしたのですが、東村には
IT の環境は無いし、工場誘致のための優れた環境も無く、これといったセールスポイントがありませ
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名桜大学他・「本土復帰 40 周年記念講座」(第5回)
んでした。ピンチをチャンスに変えるには、都会の方々を呼び込み自然との共生を図りながら、エコツ
ーリズム、グリーンツーリズムによる体験型の観光を目指すという提案をさせていただきました。
しかしながら、当時は、東村議会だけではなく、沖縄全体でも、エコツーリズム、グリーンツーリズ
ムという言葉さえ聞いたことが無い時勢です。グリーンツーリズムに至っては、大分の安心院町(現:
宇佐市)でスタートしたばかりでした。何度となく説明し、沖縄の市町村で初めて、エコツーリズム、
グリーンツーリズムを行政のビジョンに取り込んでいただきました。「自然こそ資源」を基本とし、東
村が有する豊かな地域資源に付加価値を付け、大勢の人を呼び込みながらも、「ごみを落とさせず、金
を落とさせる」さらに、自然環境を守り続けるということで取り組み始めました。
パインアップルで大きな打撃を受けた農業の再生
を図りながら、体験型観光をつくりあげる試みが
1996 年からスタートしました。交流拠点が必要
でしたので、「ふれあいヒルギ公園」を農林水産省
予算を活用して整備しました。次いで、整備費の一
部を東村が負担して沖縄国際大学のセミナーハウス
を誘致しました。東村最大のプロジェクトである
「村民の森つつじエコパーク」の整備については、
島田懇談会事業を活用しました。そして、自然を生
かした村づくりをするための自然情報の発信基地と
なる「山と水の生活博物館」を整備しました。
交流拠点整備については、順調にできました。行
政はややもすると、ハードを作ってよしとして、そ
こに魂を入れる作業を怠りがちですが、私共では、
ハードを整備しながら、マングローブの解説書やガ
イドブックなどの作成といったソフト事業も進めま
した。ハードとソフトの次には、人材育成として案
内ガイドを養成しました。さらに、地域主体のツー
リズムを推進するための受け皿となる組織づくりを
手がけました。1999 年に国内で 2 番目となるエ
コツーリズム協会を立ち上げました。2000 年に
はブルーツーリズム協会、そして 2004 年にグリ
ーンツーリズム研究会ができました。さらに、総合力を高めるために、三つの組織を傘下に置く東村観
光推進協議会を 2005 年に設立しました。2010 年 3 月には法人化し、本年 11 月にこれまでの活動
が評価され、「うちなー地域づくり大賞」を受賞しました。
組織づくりの次に手がけたのは、情報発信、地域の魅力をどう全国の人たちに知ってもらうことでし
た。いわゆるメディア戦略です。インターネット、マスコミ、既存の観光施設、行政から情報発信して
いただくよう取り組みました。徹底して取り組んだので農林水産省や全日空などのホームページで紹介
させていただくこともできました。
追い風もありました。2002 年に策定された沖縄振興計画に「環境保全型自然体験活動の推進」、
いわゆる「エコツーリズムの推進」が取り入れられたのです。西表島や東村で実施していたエコツーリ
ズムなどの取組が、沖縄振興としての取組になりました。
マングローブの公園が、今では修学旅行のメッカとなっています。ソフトがあったからハードが生き
た典型だと思っています。民間の自然体験を提供する事業者「やんばる自然塾」などが活動し、このマ
ングローブの公園だけで、年間 10 万人の観光客が訪れるようになったのです。また、グリーンツーリ
ズムでも、大学などの農業体験を受け入れるようになり、近年は修学旅行のプログラムとしても展開し
ています。
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名桜大学他・「本土復帰 40 周年記念講座」(第5回)
「村民の森つつじエコパーク」に関する取組を紹介します。ここは、1997 年から 2001 年にかけ
て整備しました。補助金もいただいていますが、事業費 32 億円という一大プロジェクトです。つつじ
公園はつつじ祭りの 3 週間しかオープンしていない状況でしたので、1 年を通して体験滞在型の拠点
施設を整備する構想がでてきました。当時、国からは、費用対効果の観点から難色を示されました。
しかし、東村の人口減少を解消するために働く場所をつくる必要があったのです。多いときには、約
3500 人の人口でしたが、当時は 2000 人を下回っていたのです。単なる自然減少ではありません。
仕事を求め多くの村民が村外へと移住したのです。働く場所をつくると同時に交流人口を増やすために
も、この公園が必要だと説明し、整備することを認めていただきました。2002 年 4 月にオープンし、
今年で 10 周年です。累計で、30 万人を超えるお客さんがこの公園を訪れています。
福地ダムに関する取組を紹介します。国が管理するダムな
ので、国のいろんな制約の中で私共が自由に使うことはでき
ませんでした。体験のプログラムのメニューを増やすため、
このダム湖での自然観察船の運航を国に提案しました。この
提案を受けてくれる部署がなかなか決まらず、足踏み状態に
なったこともありましたが、無事に私共の提案が通り、自然
観察船については、2005 年 4 月に就航しています。
私共のこれまでの観光に関する取組の成果を紹介させてい
ただきます。東村の観光交流人口については、1998 年に
5 万 4854 人でしたが 2011 年には 31 万 30 人です。米国同時多発テロやリーマンショックがあっ
た中でも順調に伸びています。修学旅行の受入については、1998 年に 1 校 50 名からスタートした
ところ、2011 年は 406 校を受け入れるまでになりました。農業体験受入推移を見ますと、2002
年に 2 校75 人からスタートし、2011 年は
67 校 8879 人になっています。
新規事業者の創出について見ます。1996
年以前、東村にはそば屋が 1 件あるのみでし
た。現在では、体験ツアーを提供する事業者が
13 事業者、飲食店が 8 店舗、観光農園などを
含めた合計では、32 事業者です。267 人の
雇用の場が生まれています。
私共の取組は、行政が種をまき、民間が花を
咲かすというものです。振り返ってみますと、
知名度も観光資源も無い村に村民が一致協力し
てつつじ園をつくり、つつじ祭りというイベン
トを開催しました。そして、パインアップルの自由化という衝撃の中、エコツーリズム、グリーンツー
リズムによる体験型観光という新しい方向性を見出して、それを十数年取り組んできました。「無いも
のねだりではなく、あるものを生かす」「足元の地域資源にどう付加価値を高めていくか」「住民の得
意分野を生かした取組」この三つが私たちが得た教訓だと思っております。
最後に、これからのやんばるの観光がどうあるべきかについて、大変参考となるものを紹介します。
山形県の小学生の作文です。運悪く沖縄地方に 3 個の低気圧があるときに東村を訪れました。ひたす
ら滞在の 5 日間、那覇空港でお迎えし那覇空港でお送りするまで、すべて雨の中で、この小学校 6 年
生は過ごしました。「僕の心は、青空だ」という作文を寄せていただきました。
読み上げます。「沖縄は、青い空だろうなあ。沖縄は、青い海だろうなあ。沖縄の畑は、太陽いっぱ
いだろうなあ。沖縄の魚は、カラフルな色だろうなあ。わくわくする。沖縄は、灰色の空だ。沖縄は、
灰色の海だ。沖縄は、毎日雨だ。でも、沖縄の友達の顔は、輝いていた。沖縄の友達は、とても元気い
っぱいだ。沖縄は雨だったけど、僕の心は青空だ。だって、たくさんの友達と友情を結び、たくさんの
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名桜大学他・「本土復帰 40 周年記念講座」(第5回)
親切にふれたから」
まさしく、「ハードよりハート」「感動体
験」こそが、これからのやんばる観光が目指
す一つの方向性ではないでしょうか。以上を
持ちまして、東村のこれまでの 30 年余の取
組の発表とさせていただきます。
(コーディネーター)
ありがとうございます。久しぶりに感動し
ました。
東村とは対照的に、やんばるに来られる観
光客は名護市などを素通りしています。そう
いった点について、今後どうするかというこ
とをこれから皆さんと考えていきたいと思います。
(福井部長)
エコツーリズムをやるに当たっては、担い手が非常に重要になってくると思いますが、村民の方々が
エコツーリズムをやっていこうと賛成し参加するようになったきっかけてついては、山城課長はどう思
われてますか。
(山城氏)
実は、沖縄総合事務局を通してモニターツアーなどの試験的な取組をかなり行っています。場数を踏
んで、やっと自分達があたりまえと思っていたのが、実は都会の方々からすると宝なんだという発見が
ありました。村民の皆さんが、そのように気付いていきました。
(コーディネーター)
なかなか、地域の方々が地元のセールスポイントに気付
かないものです。そこを今後どうするかということも考え
ていく必要があると思います。私から、参考事例として、
宜野座村の取組を紹介します。最近、宜野座村は観光推進
協議会を設立しました。ここでは、若い力を活用している
ことに特徴があります。このスライドに写っている4人の
うち正規の職員は2人だけですが、人材育成も兼ねたバイ
ト的な雇用ということで2人います。地域の宝を見つけて、
活用しようと試行しています。宜野座村に結構大きな鍾乳
洞があって、そこに遊歩道を作って中に入れるように整備
しているところです。
また、宜野座体験ということで、ウォーキングや宿泊
などの体験プログラムも提供しています。それから、宜
野座バーガーという宜野座の食材を活用した食品を開発
しています。また、宜野座村商工会も地域特産品の車海
老などを活用した「車海老じゃがまん」という饅頭を開
発しています。さらに、宜野座村観光推進協議会では、
若い方々が自ら観光マップやガイド誌を作成しています。
このようにお金を極力かけずに、若い方々の力を使って、
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名桜大学他・「本土復帰 40 周年記念講座」(第5回)
人材育成も兼ねた取組が大事になっていくと思います。名護市でも、同様な取組を行っていると伺って
います。安里理事長いかがですか。
(安里氏)
名護市でも、観光資源の掘り起こしを進めていまして、各観光スポットを結ぶルートづくりにも取り
組んでいます。この取組については、名護市観光協会で進めていますが、今後組織という面では、観光
協会で続けていくことは難しいと考えています。案内ガイドの育成・運用や予算の確保といった課題を
踏まえますと、組織を強化して課題を乗り越えなくてはなりません。今後、行政と相談しながら取り組
んでいきたいと思っています。
(コーディネーター)
これより、全国事例などの紹介をいただきたいと思います。最初に小野室長お願いします。
(小野室長)
小野と申します。よろしくお願いします。
事例紹介の前に、全国的な観光地域づくりの動向
について紹介させていただきます。地域の日常空間、
地域ならではの産業や伝統文化、自然など、暮らし
に密着した部分を観光資源として、それぞれの地域
の日常空間に観光客を呼び込もうという方向に進ん
でいます。名所旧跡を訪れてそのまま帰るのではな
く、地域の日常空間を楽しんでいただくという方向
でして、「住んでよし訪れてよし」ということで、
まちづくりと深く結びついた形で各地で取り組まれ
ています。
観光交流の経済効果の数字的な部分について紹介します。定住人口 1 人当たりの消費額は、124 万
円/年間だそうで、1 人当たり国内の旅行者 24 人が宿泊してくれると定住者 1 人の年間消費額が賄
え、宿泊でなくても日帰りでも年間 79 人来てくれると定住者 1 人の年間消費額が賄える計算になり
ます。これから、ますます人口が減りますので、交流することによって地域の活性化を図ることが大事
になります。
「住んでよし訪れてよし」の観光地域づくりには、必要な3要素があります。まず、観光客と地域が
長く結びつくためのマーケティングが必要です。マーケティングというのは、誰に対して、何を、どの
ような方法で売っていくのかということを考えることです。例えば、県外のお客様に対して、沖縄らし
さで売っていくのか、それとも、中南部の人に日帰りでもっとやんばるへ遊びに来ていただく売り方を
するのか。この二つを取っても全然売り方が違ってきます。マーケティングを実施して、地域で何を売
っていくのかといったことを考えていただく必要があります。
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名桜大学他・「本土復帰 40 周年記念講座」(第5回)
二つ目のポイントとしましては、魅力ある滞在プログラムの開発・造成です。地域の観光資源を組み
合わせ、それにストーリー性を持たせて、宿泊施設、交通手段も含めたトータルでの滞在プログラムで
す。当然魅力あるものでなくてはなりません。
三つ目のポイントとしては、ワンストップ窓口の設置です。観光客の行動範囲における情報発信など
については、ワンストップ窓口で対応していただきたいというのが観光客側のニーズです。例えば、や
んばるでも複数の市町村を回ろうと思っても市町村ごとの観光案内になっていると思います。総合的な
地域のワンストップ窓口があればより利便性が向上します。
それでは観光振興取組の事例紹介に入ります。岩手県の海岸側に田野畑村という人口 4000 人程の
村がありまして、盛岡市からも車で 2 時間かかるくらい離れており、産業はワカメ、昆布の養殖など
が中心です。この村には景観が素晴らしいポイントがあり、観光に訪れる方もいるのですが、残念なこ
とに通過型観光で、ほとんどお客様は消費もせず、住民とも交流せずに帰るという現状でした。そこで、
滞在型観光を目指すべく体験型ツアーを推進しました。組織強化として、スタッフを育成し受け皿とな
る NPO 法人を設立しました。商品力向上としては、プログラムを開発し実施するインストラクターの
人材育成を行っています。
このように取り組みまして、「体験村・たのはた 番屋エコツーリズム」という謳い文句で、サッパ
船という地域に伝わる船に乗ってのアドベンチャー体験が代表的ですが、体験メニューを約 20 種類、
教育旅行用には約 60 種類の体験プログラムを取り揃えるまでになっています。※1 インストラクター
のガイド収入の平成 16 年度と平成 19 年度の比較を見ますと、サッパ船インストラクターなどは年間
100 万円超のガイド収入で、平成 16 年度と比較して 3 倍も増えています。体験プログラムの売上実
績では、平成 18 年度までは 100 万、200 万円だったのが、平成 19 年度以降は 1000 万円を超え
るようになり、お客様の数も 4、5 千人となっています。観光形態についても、滞在型が増えていると
のことです。
二つ目の事例の紹介です。長崎県五島列島の北の方に小値賀町という島々からなる町があります。人
口約 3000 人で高齢化率約 4 割、佐世保港から高速船でも 1 時間半かかります。産業は漁業が中心で
したが、その生産高は、減少傾向にあります。一方、小値賀町には、景観の素晴らしい街並みや自然が
あり、伝統的な建物も残っていました。
平成 8 年に観光協会と商工業が連携し、地域にある資源を活用した観光交流の取組※2 が始まりまし
た。小中学生の受入を平成 13 年に始めて、民泊も平成 18 年に始めています。組織づくりにも力を入
※1
番屋エコツーリズムの体験プログラムの概要等につきましては、下記の NPO 法人体験村・たのは
たネットワークHPをご覧ください。
http://www.tanohata-taiken.jp/
※2
小値賀町の観光取組につきましては、下記のおぢかアイランドツーリズムHPをご覧ください。
http://www.ojikajima.jp/index.php
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名桜大学他・「本土復帰 40 周年記念講座」(第5回)
れ、平成 19 年には観光協会や各種団体をまとめて NPO 法人おぢかアイランドツーリズム協会を設立
しました。島ぐるみのおもてなしを売りにし、民泊も今や 2000 人集まるようになりましたし、体験
プログラムも農業・漁業体験などのメニューを充実させています。また、地域コーディネイターなどの
育成も順調に進んでいるとのことです。国際交流にも力を入れており、欧米の団体が実施する若者の国
際交流プログラムについても積極的に受け入れています。国際交流でも島をあげての歓迎ぶりが非常に
好評だったとのことです。
更なる組織強化として、おぢかアイランドツーリズム協会を分社する形で、株式会社小値賀観光まち
づくり公社を設立しました。旅行業・営業・広報などについては、この公社が担当することで機動的な
組織になるようにしています。その二つが両輪となって取り組もうとしているのが、大人の滞在体験型
観光まちづくりです。最近、修学旅行系の民泊も全国各地で数限りなく行われていますので、大人を対
象に古民家ステイ、古民家レストラン、大人向けの体験プログラムなどを開発して、良質な滞在の提供
を始めています。
取組事例三つ目といたしまして、高知県馬路村の取組を紹介します。人口約 1000 人で、村の面積
のうち 96%が森林で占めている山間にあります。ゆずの産地として有名でして、馬路村農業協同組合
※3
では、ゆず加工品だけでなく村をまるごと売り込む取組を始めまして、1988 年にゆずジュースの
商品名を「ごっくん馬路村」とし、村のアピールを農業振興の取組の中に組み込んでいきました。また、
「だいたい月刊ゆずの風新聞」という地元の生活の様子を伝える新聞を商品と一緒に納入することによ
り、顧客に対して、馬路村への来訪・再来訪を促しています。観光客数については、平成 10 年が 5
万人でしたが、平成 22 年には 6 万人を超え、堅実に伸びてきています。
観光資源例を紹介します。香川県直島町では、アート(美術・芸術作品)を観光資源※4 にしていま
す。最初は(株)ベネッセコーポレーションや建築家の安藤忠雄氏などが始め、次第に住民のアートに
対する理解が深まり一緒に取り組むようになりまして、今や年間 40 万人が訪れるという一大観光地に
なりました。
兵庫県篠山市の集落丸山※5 では、古民家宿泊や古民家レストランなどを活用して観光客を誘客して
います。静岡県静岡市の大間集落では、お茶農家が数軒あるだけの地域ですが、月に2回程「縁側お茶
カフェ」、農家が観光客を茶畑を観ながらお茶菓子とお茶でもてなす取組を行い、観光客が訪れるよう
になりました。
滞在型観光を進めるに当たっては、地域の観光資
源の発掘、移動手段の利便性向上、宿泊の魅力向上、
情報提供の充実など、やるべきことが多岐にわたり、
しかも、総合的に考える必要があります。そういう
ことを考えていただくのは、当然主役である地域の
方々です。地域の方々が、暮らしの中にある地域資
源を見つけ、観光客にいかに楽しんでもらうかとい
うことを考えていただきたいと思います。地域が一
体となって動きますと、観光に関わっていなかった
方々も観光に対する意識が芽生えてきます。最終的
には大きな効果になると思います。
※3
馬路村農業協同組合の概要等につきましては、下記の馬路村農業協同組合HPをご覧ください。
http://www.yuzu.or.jp/umajimura/history.html
※4
当該事例の活動につきましては、下記のベネッセアートサイト直島HPをご覧ください。
http://www.benesse-artsite.jp/
※5
集落丸山の概要等につきましては、下記の NPO 集落丸山HPをご覧ください。
http://maruyama-v.jp/
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名桜大学他・「本土復帰 40 周年記念講座」(第5回)
観光客が地域の方々と楽しい時間を過ごすことができるかということがポイントです。地域ならでは
の体験や文化などを提供しまして、おもてなしを受けた観光客が「嬉しいな」と思ったときに、その地
域のファンとなり、リピーターとなっていきます。それこそが観光交流ということで、私のまとめとさ
せていただきます。
(コーディネーター)
ありがとうございました。引き続き、福井部長お願いします。
(福井部長)
それでは、事例紹介と意見を言わせていただければと思います。
み
観光の語源については、中国の古典に出てくる「国の光を観る」という言葉らしいのです。「国の
光」とはなにかを注釈者の解釈で見てみると、それは「この国の人である」ということになっているん
だそうで、観光のネタというのも最後は「人力」かなと思います。とりあえず、今日はそのようなこと
も含めて、これまでの観光に関する出来事や現在の取組などをご紹介いたします。
最初に、沖縄観光の歴史を振り返ってみます。1975 年、約 150 万人の観光客が来ました。これが
海洋博の時です。その後、海洋博ショックということで落ち込みがありました。ただ、この時は数年で
観光客数自体は盛り返しています。注目していただきたいのは、1979 年、日本ハムファイターズが
名護市でキャンプを始めています。今や沖縄は、プロ野球キャンプ地のメッカとなっています。それか
ら、1983 年、団体旅行が盛んな頃に、万座ビーチリゾートといった本格的なリゾートホテルが次々
開業しています。1990 年頃にバブル景気の崩壊があり、数年間は、観光客数の伸びが鈍ります。そ
のような状況の中、1992 年に中南部地域の観光の一つの核になります「首里城公園」が開園してい
ます。それから、10 年くらい経ちますと米国同時多発テロがあった 2001 年に少し落ち込んだ時期
がございます。ただ 2001 年には、NHK が「ちゅらさん」を放送しており、その年には、それほど
観光客は増えなかったのですが、翌年以降の沖縄観光に果たした影響はすごく大きかったと思います。
2002 年には、北部地域の観光の一つの核になる「沖縄美ら海水族館」が開館しています。2003 年
に沖縄都市モノレールの開業があり、観光関連インフラも整備されてきました。
私は、2000 年頃に沖縄振興に携わったことがありますが、その頃、観光客が多数入域した際の給
水確保については、非常に悩ましい問題でしたが、給水制限自体は、90 年代半ばからは行われていま
せん。なんとかインフラ整備が間に合っている状態かなと思います。2009 年、那覇港の大型旅客船
バースが供用開始となりました。北部地域については、海外からの誘客はこれからの課題と思います。
リーマンショックや東日本大震災があったことから、最近の沖縄への入域観光客数は減少傾向ですが、
今年は、少し良くなるのかなと思います。
次に私共の最近の取組についてご紹介します。滞在日数の長期化を図ること目的として、国際的な医
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名桜大学他・「本土復帰 40 周年記念講座」(第5回)
療交流(人間ドックや長期治療など)で海外のお客様
を沖縄へ呼び込もうという取組を支援しています。沖
縄での国際的な医療交流は少ないのですが、国際的に
も注目されている動きです。それから、外国人観光客
向けに国際会議の沖縄開催を推進する取組も行ってい
ます。大幅には増えていませんが、開催件数は着実に
増えています。外国の旅行社を沖縄に招聘し認知度を
上げようとする取組も行っています。
国内観光客向けには、顧客満足型旅行商品の推進を
実施しています。地域資源を活用した取組を支援する
ものでして、事例としては、那覇市観光協会で実施し
ている「那覇まちまーい(まち巡り)」への支援があります。また、体験プログラムの開発などにも支
援していまして、例えば、やんばるで盛んな体験型の民泊の取組に対する支援を行っています。
観光関連のインフラ整備も着実に進めています。
名護東道路の効果を見てみます。将来整備された後
には、那覇~名護間の所要時間が約 23 分短縮され
ます。また、那覇の大型旅客船バースの整備により、
大型旅客船の寄港回数が格段に増えています。那覇
に来られた外国人観光客を北部地域に呼び込むこと
については次の課題としてあるかと思います。観光
の核になるような施設の整備についても、国営で実
施しています。美ら海水族館は、国内有数の観光施
設です。同じく国営公園である首里城公園は、世界
遺産になったことで、誘客に弾みがついたと思いま
す。
最近の動きを見ますと、いくつかの特徴があります。
一つは、旅行の形態が個人旅行になっており、かつて
主流だった団体旅行の割合が減っています。二つ目と
しては、旅行先の地域のファンになりリピーター客と
なる割合が非常に高くなっています。旅行目的や旅行
内容が多様化していますので、個人の多様な要望に応
えたメニューを用意する必要があります。
このような状況に対応するための方策として、国土
交通省の調査で提言されているものがあります。参考
になると思いますので、以下、紹介いたします。観光
客の行動範囲拡大に対応した広域的な取組の必要性に
ついて説かれています。1 泊だけでなく、2 泊 3 泊と宿泊していただくためには、一つの地域内にあ
る観光資源で訴求するより、広域の魅力を訴える必要があるのではないかということです。広域連携す
ることによって、訴求力の強化が可能になるともあります。例えば、美ら海水族館といった一つの施設
だけでなく、やんばるにある様々な観光資源と結びつけて訴求すれば、より多くの観光客を誘うことが
できると思います。圏域内への経済波及効果を高めることが可能とありますが、要するに観光客の方々
に、いかに消費していただくかということについて、地域の方々で考えていく必要があるということで
す。
もう一つ申し上げたいことがあります。沖縄に来られる観光客は、非常に沖縄の地に魅力を持たれて
来られていると思います。このような方々にファンになっていただくことが重要だと思っています。日
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名桜大学他・「本土復帰 40 周年記念講座」(第5回)
経新聞の記事でオリエンタルランドの上西社長が感動体験に顧客はお金を払うということをおっしゃっ
ています。これからの取組のヒントになると思います。
やんばるでも、地域資源をうまく活用して誘客を図っているモデル的な事例があります。先程、山城
課長が話された東村の取組もその一つです。伊江島の民泊の実績については、勢いよく伸びてきていま
す。先月の琉球新報の記事に、民泊で伊江島を訪れた方々で伊江島ファンになった方が再来島されてい
るとの紹介がありました。大事なポイントだと思います。それから、伊平屋ムーンライトマラソン、い
ぜなトライアスロンについてもモデル的な取組だと思います。
もう一工夫欲しい事例として思っているのは、オリオンビールの工場見学です。オリオンビール工場
見学自体は、非常に高く評価されており、有名な旅行クチコミサイトでは、良かったとするランキング
で全国第 10 位なんです。工場見学と地元の観光資
源が連携することをもっと試してみてはいかがでし
ょうか。
最後に、やんばるの観光振興の方向性について申
し上げます。やんばるは一つの地域だと思いますが、
観光案内のホームページなどを見ますと各市町村が
個別に観光案内をつくっています。ただ、名護市の
ガイドマップを見ますと右肩のところに小さく「や
んばるガイドマップ」があり、やんばる全体を紹介
しています。やんばるが一体となって、小さい「や
んばるガイドマップ」を大きなマップにしていく必
要があると思います。やんばる全体の魅力を発信す
ることによって、より多くの誘客ができると思います。決して、まったく連携していないと申している
訳ではありません。やんばる連携の良いモデルとしては、先週行われた「ツール・ド・おきなわ」があ
ります。非常に経済効果も高いですし、やんばるが一つになった取組で、大変良いモデルになっている
と思います。
以上でございます。にへーでーびたん。
(コーディネーター)
ありがとうございます。
福井部長から、やんばる広域での連携の必要性についての意見がありました。実は、私も以前からそ
のように思っていました。安里理事長いかがですか。
(安里氏)
福井部長のご指摘のとおりです。
沖縄県全体においても、観光協会の会長同士のつながりはありませんでした。事務局クラスの方々が
集まる会議があるくらいでした。そのようなこともあり、先日、沖縄県にある観光協会の会長が事務局
と一緒に集まった会議を持ちました。今後、3ヶ月に1回程度、同様の会議を開くことになりました。
今後は、県内の各観光協会の連携を進めたいと思います。
各観光協会が連携している取組もあります。まちまーい(まち巡り)のツアー商品については、那覇
市観光協会で実施していますが、これを全県的に広めようと県下にある半分くらいの観光協会で沖縄ま
ちまーい協議会を設立しました。行政や観光関連企業とも連携してまちまーいを広めていきたいと思い
ます。
(コーディネーター)
日本全国が同様の地域自然などを活用して誘客しています。このような状況を踏まえますと、沖縄は
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名桜大学他・「本土復帰 40 周年記念講座」(第5回)
広域一体となって観光に取り組まないといけないと思います。特に、外国人観光客に関する取組につい
ては、官民沖縄全体で連携する必要があると思います。
実は、私、佛教大学の社会学部の公共政策学科で学ぶ学生
でもありまして、大学で行う地域調査として、グリーンツー
リズムが盛んな京都府南丹市美山町を訪ねました。美山町は、
人口が減少し、かつ、高齢化率が 40%にもなる地域です。
また、美山町は、周辺の町と合併して、2006 年に南丹市
となりました。合併前から「日本一の田舎」の魅力で都市部
との交流に取り組んでおり、今でもこの取組は続いています。
美山町のユニークな取組を紹介します。美山町には、かや
ぶき屋根の家が多数あります。高齢者が多いので雪下ろしに
難渋します。また、里山の手入れも行き届かないこともあり
ます。そこで、体験ツアーを企画し、都市部の方々を誘客しています。雪下ろしや草刈りなどの作業
を体験するもので、いずれも有料です。それでも、お客さんは来ているとのことです。十数年前に農協
が撤退し、日用品を買う場所さえなくなった時には、
住民出資による会社を設立し、日用品の提供はもと
より、観光客向けの道の駅として、地元の農産物加
工品を販売しています。高齢者の方々の働く場所も
生みだしています。
美山町の取組の大きな特徴は、町全体でまとまっ
て取り組んでいるのではなくて、区ごとに取り組ん
でいることです。区ごとに地域振興会を設立し、そ
の中に総務企画部、地域振興部、生涯学習部を設け、
地域の活動を自らの手で行っています。美山町の報
告書を見ますと、役場に依存していた体質を反省し、
財政難と過疎・高齢化の苦悩を乗り切るには、補助金に依存するだけではなく、住民自らが知恵と工夫
と能力を集結して解決するしか道はないとありました。地域振興会を設立し、これを切り札として取り
組んでいます。
先程、全国の取組事例をお聞きしまして、全国で似たような取組をしていると思いました。このよう
な状況では、いかに特徴を訴求していくのかということが重要になると思います。美山町では、小さな
区ごとに特徴をアピールして区間で連携を図っています。
今後、沖縄の観光のあり方はどうするのか。成功事例とされている東村の取組ですが、全国各地で東
村と似たような体験ができるのであれば、東村を訪れようという動機が薄まるということも考えられま
す。このような状況を踏まえつつ、パネリスト間のフリートークを行いたいと思います。福井部長いか
がですか。
(福井部長)
やんばるでは、那覇市や浦添市の方々を呼び込んで宿泊観光させるという取組が少ないように思いま
す。近くにある人口密集地域の方々に対して、やんばるの魅力を訴求していくのも一つの手法だと思い
ます。
(コーディネーター)
山城課長、東村の次の一手については、どうお考えですか。
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名桜大学他・「本土復帰 40 周年記念講座」(第5回)
(山城氏)
東村の一手というよりも、やんばる全体で今後のこ
とを考えていくべきだと思います。私から 5 点ほど
紹介させていただきます。私共が得た教訓は、やんば
る観光の今後の方向性のヒントになると思います。1
点目として、ないものねだりではなく、あるものを生
かすということです。例えば、恩納村のリゾートホテ
ルに観光客がたくさん来るからといって、これからリ
ゾート開発しても望むような結果が得られるとは限り
ません。私共の取組では東村にある自然を観光資源と
しました。足元の地域資源いわゆる宝探しを手間暇か
けてやっていくことが大事だと思います。
2 点目に農業と観光の連携した観光資源の開発です。やんばるでは、農業の発展なくして観光の発展
はないと思います。最近は農林水産業の6次産業化の動きもあります。農業と観光を連携させた取組が
大事だと思います。私が個人的に注目している取組があります。今帰仁村の湧川小学校の跡地を利用し
て「あいあいファーム」という農業法人が、農産物の生産・加工や農業体験の提供を実施しています。
グループ会社が県内で飲食店を展開していまして、販路もしっかりしています。このような取組をやん
ばる全体で行っていくことが大事だと思います。
3 点目として、やんばるオンリーのものづくりが大事だと考えています。もの真似ではなくて、やん
ばるに来ないと体験できない、食べられない、買えない、飲めないものをつくっていくことが大事だと
思います。やんばるならではの景色や人との出会いをつくっていくことも大事です。
4 点目として、ストーリー性のあるやんばる観光地づくりの推進です。例えば、先程紹介のあった高
知県の馬路村は、徹底して田舎というのを売り込んで成功しています。これからは、田舎だということ
だけで誘客には繋がらないかもしれません。やんばるの魅力を発信できるストーリーというものを連携
しながらつくっていくべきです。
5 点目としては、北部広域市町村圏事務組合(以下「北部広域」という)で頑張っていただきたいと
思っていることがあります。安里理事長のように民間でやんばる観光に多大な貢献をされた方々は、た
くさんいます。一方、このような人材が行政では少ないと思います。ですから、行政と民間の橋渡しと
なるコーディネーターを北部広域に配置していただきたいと思います。北部広域では、やんばる観光連
携推進事業などを実施しておりますので、コーディ
ネーターを配置することによって、より良い取組に
なるのではないかと個人的に思います。
以上 5 点申し上げましたが、もう一つ紹介いた
します。このスライドは、沖縄県が公表している
「市町村民所得(北部)」の推移です。東村は下から
二番目でした。宮里藍プロの活躍による所得が大き
いと思いますが、順位は昇ってきています。今後の
ことを考える材料になればと思い、作成してみまし
た。
いずれにしても、北部広域が果たす役割は重要で
す。特に、北部の市町村では一括交付金を活用して観光振興に取り組んでおり、やんばる全体を調整す
る必要性も生じています。先程申し上げたようなコーディネーターが求められています。これからのや
んばる観光の振興については、北部広域の果たす役割はますます重要となってくるということを申し上
げて今後の提案にしたいと思います。
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名桜大学他・「本土復帰 40 周年記念講座」(第5回)
(コーディネーター)
ありがとうございます。やんばるの観光を牽引してきた山城課長の話は、大変参考になります。
安里理事長いかがでしょうか。
(安里氏)
大変貴重なご意見だと思います。広域連携については、山城課長のおっしゃるとおりです。
また、私共名護市の観光については、今後行政を含めて真剣に取り組んでいかないといけないと思い
ました。名護市にあるたくさんの観光資源を生かしていく取組が全く追いついていませんので、東村に
負けないように今後頑張っていく所存です。
(コーディネーター)
本日のパネルディスカッションで良かったと思うのは、やんばるは一つだという考えを共有できたこ
とです。行政だけではなく民間も一緒に取り組んでいかないといけません。名桜大学も参加させていた
だき、産官学連携で北部の観光を真剣に考える場を今後つくっていきたいと思います。
(司会)
お時間となりましたので、第 5 回本土復帰 40 周年記念講座を終了いたします。
本日を持ちまして、本土復帰 40 周年記念講座の全日程を終了いたします。たくさんのご来場誠にあ
りがとうございました。
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