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No.
118
May
2004
■
今、なぜ、大学の制度改革なのか
大学・病院敷地内全面禁煙
第 27 回卒業証書・学位記授与式
■学事
第33回入学宣誓式
医学部講座組織改組・再編
平成16年度医学部第1学年オリエンテーション
2004年ハワイ大学医学教育ワークショップ報告
退任教授のご挨拶
看護専門学校 第16回卒業式・第17回入学式
■学生のページ
受賞の喜び:益谷秀次賞ほか
第6学年学生が選んだ The Teacher of the Year
2004年ハワイ大学臨床実習報告
2004年マーサ大学交換留学生報告
ドイツミュンスター大学卒前研修医学生の報告
シリーズ:私が医師になりたい理由・なった理由
■学術
総合医学研究所第14回研究セミナー
金沢医科大学HRC公開シンポジウム
草の根技術協力事業「中日防盲治盲事業」調印式
■病院
新臨床研修制度始まる
第22回北陸腎移植連絡協議会
平成15年度災害訓練
金沢医科大学病院 ハートセンター
看護部から発信:「訪問看護」の現況
■管理・運営
大学役職者・病院役職者
平成16年度新入職員辞令交付式
■随想・報告
故 松本勇先生を偲んで
ロスアンゼルス留学記
ロシア小紀行
■教室記念行事
山本 達教授退任記念会 石崎 宏教授退任記念会 竹越 襄教授退任記念会 □金沢医科大学創立30周年記念事業 募金
□金沢医科大学学術振興基金 募金
2
今、なぜ、大学の制度改革なのか?
理事長 小田島
粛夫
大学は中世ヨーロッパの幾つかの都市に自生した一種のギルド的
自治組織、
「学問をする者の自由な団体」として発生し、
「普遍的な
性格の学術研究および教育の機関」へと発展しましたが、現在の大
学の性格はこの頃に出来上がったと思われます。
やがて権力と結びつくことになりますが、大学成り立ちの基盤で
ある自己規制と自己責任を見失うことはありませんでした。最古の
大学の一つであるパリ大学は、その後の大学の模範になったといわ
れていますが、ドイツの大学では教授の団体が中心になって構成さ
れて学部Facultas を建前としているのに対し、イギリスの大学は学寮
Collegiumを基本とした集団的共同生活を重んじています。
明治維新後、多くの日本人が主にヨーロッパを中心に留学し、これ
らの人材を中心に、日本でも大学制度が導入され、1877年、明治10
年には国家主導で、官僚の養成機関として東京大学が開設されまし
た。日本の大学制度はヨーロッパの制度の模倣にはじまりますが、特に医学はドイツ医学の直輸入の形で、日
本語の医学書はなく、ドイツの医学書をそのまま教科書として使用する状況が終戦後まで続くことになります。
ドイツの大学制度の影響を強く受けた医学部は、教授会そして講座中心に運営されるようになりましたが、
100年の歴史的な経過の中で、制度は疲労状態となってきております。自己規制や自己責任の意識が薄らぎ、
お茶を濁す程度の教育への関与と、全く研究しない、従って論文を発表しない教員がかなりの率を占めるよう
になり、各講座間、教員個人の間でも不公平感が強くなったといわれています。そのために自己点検・自己評
価などを導入することになりましたが、予定の成果を上げることはできませんでした。一方、講座制ではあた
かもParkinson の法則に従うように、競って拡大主義に進み、教授並びに教授会の権限の強化によって、本来
の大学機能に支障を来すケースもみられるようになりました。さらに一部の大学では公的研究費の私的流用な
どの不祥事も発生しており、人材を育成する場としての適格性が問題になっており、大学制度の抜本的な見直
しが必要不可欠になったと思われます。
本学では、教育、研究および診療の活性化を中心に制度改革を考えておりますが、その基本理念は次のよう
に要約することができます。
1. 管理・運営から経営への転換
2. 教職員がそれぞれの仕事に専念できる体制の確立
3. 将来構想の提示
教職員の皆さんのご理解とご協力を心からお願いいたします。
付記:この金沢医科大学制度改革については、平成16年3月 30日に開催された第170回理事会で承認された。職員一人ひと
りがこの制度改革を認識して実現するために上記の小冊子が作成され、理事、評議員をはじめ全職員に配布された。
(総務部荒田満記)
3
大学・病院
敷地内全面禁煙
禁煙に関する特別講演会にぎわう
平成 15 年5月1日の健康増進法施
委員を務めておられる。講演内容は、
行により、禁煙推進が社会的な流れ
スライドを使用して他大学の禁煙実
となって、北陸3県の大学医学部・
施状況等の説明、大学・病院敷地内
大学病院においても禁煙化がかなり
全面禁煙の背景、禁煙の必要性・重
進んでいる。
要性等について詳細に説明された。
第2回目は、4月 1 4 日(水)に、
本学においては、昨年6月から建
物内での分煙を実施し、本年6月1
金沢大学医学部附属病院総合診療部
日からの大学・病院敷地内全面禁煙
助教授で禁煙外来担当の野村英樹先
実施に向けて、禁煙実施委員会を設
生を招き、
「きれいな空気を愉しむた
置してその対策等について検討を重
めのA to Z −煙のない病院のつくり
ねてきた。
かた−」というテーマで開催された。
これに関連して、禁煙啓発のため、
病院に
学外から講師を招き2回にわたり禁
おける
煙に関する講演会を開催した。
タバコ
第1回目は、滋賀医科大学福祉保
健医学講座教授の上島弘嗣先生を招
必
要
き、「いまなぜ大学・病院
性、タバコ対策の現状と将
敷地内全面禁煙か」という
来、タバコ対策の進め方、
テーマで、3月 3 1 日(水)
禁煙支援の実際等につい
に病院本館4階の C41講義
て、スライドを使用して詳
室で開催された。教員、医
細かつ分かりやすく説明さ
師、看護師、コ・メディカ
れた。第2回目は、約 3 0 0
ル職員、事務員、大学院
名の教職員、医学部学生、看護学生等が参加した。
生、医学部学生、看護学
生の学内全部門から200名
上島弘嗣先生(滋賀医科大学
福祉保健医学講座教授)
対策の
野村英樹先生(金沢大学医学
部附属病院総合診療部助教授)
以上の2回の講演会とも、喫煙者、非喫煙者を問わず、
延べ500名が参加し、教職員及び学生の禁煙に対する意
余りが参加した。先生は日
識の高さが窺われ、6月1日からの全面禁煙化に向けて
本医師会禁煙推進委員会
非常に意義のある講演会となった。(総務課林秀樹記)
金 医 大 学 報
4
金沢医科大学
第27回
第19回
平成 16 年 3 月 25 日(木)午前 10 時から、本学講堂に
おいて第27 回卒業証書・学位記授与式並びに第19 回博
士学位記授与式が行われた。
はじめに、医学部卒業生111 名の氏名が読み上げられ、
坂本 滋金沢医科大学北辰同窓会会長から、卒業生、修
了生に祝辞とはなむけの言葉が贈られた。
益谷秀次賞(副賞:懐中時計)は藤本圭司さんに、北
辰同窓会会長賞(副賞:置き時計)は橋本千里さんに、
卒業生総代として藤本圭司さんに卒業証書・学位記が授
学長賞(副賞:輪島塗文箱)は曹 永恒先生にそれぞれ
与された。引き続き、大学院医学研究科の博士学位記授
授与された。
与式が行われ、修了生 14 名の氏名が読み上げられたあ
最後に、在学生を代表して羽柴奈穂美さんが送辞を読
と、修了生総代として曹 永恒先生に博士(医学)学位
み、これに対し卒業生を代表して橋本千里さんが答辞を
記が授与された。
述べた。そして、卒業生、修了生らは列席者の盛大な拍
このあと、竹越 襄学長の式辞、小田島粛夫理事長の
手に送られて退席し式を終了した。
告辞があり、続いて、来賓の河島 進北陸大学学長及び
医学部卒業生総代藤本圭司さん
大学院修了生総代曹 永恒先生
金 医 大 学 報
5
学 長
竹 越 襄
本日ここに、多数のご来賓、ご父兄の方々のご列席を賜り、第 27 回金沢医科大学卒
業証書・学位記授与式並びに、第19 回博士学位記授与式を挙行できますことは、誠に
喜ばしいところであり、本学教職員一同深く感謝申し上げます。また、これまでの皆さ
んのご努力に敬意を表しますとともに、今日の日を心待ちにしてこられたご両親をはじ
め、ご家族の皆様方に、衷心よりお祝いを申し上げたいと存じます。本学の医学部卒業
生は本年度をもちまして2,712 名に、大学院医学研究科博士課程を修了し学位を取得さ
れた方は295 名に上り、国内外の医学・医療界で活躍し、社会的に高い評価を受けてお
ります。皆さんもこれからは、この金沢医科大学の先輩として羽ばたいて、大いに活躍
し、学風と伝統を更に輝かしいものにして下さることを期待いたします。
皆さんは、建学の精神に基づき、豊かな人間性を持った実力のある良医を目指して、
厳しい教育に耐え、孜々として努力を続けた結果、今日の栄えある卒業の日を迎えるこ
とが出来ました。本日手にされた卒業証書及び学位記は、その証であります。卒業生の皆さんは、これまで有形無形
のご支援をしてこられたご両親をはじめ、多くの方々に対し、感謝の気持ちを忘れてはいけません。そして今、心に
抱いている感慨や誇り、希望や自信を、生涯に亘り持ち続けていただきたいと思います。また、学位を得られた皆さ
んは、これまで多くの経験を積まれたことと思いますが、学問や研究には完璧な頂点や終着駅はありません。更に上
を目指し、今後も謙虚な気持ちで一層の研鑽を積んでいただきたいと思います。
さて、現代は世界的な規模で大きな転換期を迎え、あらゆる局面でドラスティックな変化が起きております。イラ
ク戦争開戦から一年が経ち、世界は今、イラク問題を中心として生命の尊厳が問われており、私共は地球上の各地に
現存する紛争を他者の問題とせず、自己の問題として捉え、考え、行動していかなければなりません。また、医学・
医療においては、急速な進歩や新しい展開、変革が進行しております。人体という闇の全容を明らかにしたゲノム医
療の進歩、再生医療による治療等の進歩には大いなる期待がされており、臓器移植の今後の展開も重大な関心事であ
ります。このような高度で先進的な医療への成果が求められる一方で、医療現場では、医療制度改革、包括評価制
度、電子カルテ、Informed Consent、Second Opinion、そして、診療記録の開示、医療事故など、多くの諸問題、難
問が山積しております。また、患者様の医療知識・権利意識の増大により、医療に関する訴訟が増加し、医療従事者
にとって、今後更に厳しい状況になるものと思われます。連日のように、相次ぐ医療事故や医療ミスがマスコミに取
り上げられております。それらは、かけがえのない一人の人生を過ちによって断絶してしまうことであります。医療
人は、生命の尊厳に思いを馳せ、全ての医療関係者の協力により、医療事故の根絶をしなければいけません。そのた
めには、人と人との関わりと医療者の誠実な対応の中で、医療上の結果の積み重ねと患者様の満足感において、信頼
関係を構築することが最も重要であります。卒業生の皆さんは、このような状況を十分に認識し、広い視野で、適切
な情報を得ながら、医師として研鑽を積んでいかなければなりません。これから数年間の取り組み方が、生涯の姿勢
を形成する上で大変重要な時期であることを肝に銘じ、これからの厳しい時代に備え、さらに磨きをかけていただき
たいと思います。
これから皆さんは、国家試験をクリアし、新しく始まった臨床研修を終え、その後皆さんを待ち受けているのは、
一人前の医師になるためにより勉学に勤しむことを要求されるハードな日々であります。医師が医師であり続ける以
上、常に医学知識のブラッシュアップのため、生涯勉学に努めなければなりません。そして、一人の医師として医療
の現場で実際に患者様と接する時、患者様からの信頼と期待の大きさ、社会的責任の重大さを実感されることと思い
ます。アメリカの医学の祖であるWilliam Osler 博士の言葉に「The practice of medicine is an art, based on science」
(医
はサイエンスに支えられたアートである)というのがございます。現代の医学はサイエンスの面ばかりが発達し、医
師自身アートの面を忘れてしまう傾向があります。つまり、病む臓器ばかり見て、病む人間そのものに目がいかなく
なってしまっているのです。病んでいるのは人間であります。肉体も精神もその治療対象となり、常に患者様と向き
合い、患者様からの言葉に出せないメッセージや希望に応えなければならないのです。皆さんは、医学・医療の根源
金 医 大 学 報
6
は人間学であり、人間愛に基づいて職務を遂行しなければならないことを強く心に刻み、患者様に寄り添う医療を行
っていただきたいと思います。
これからの諸君の活躍の舞台は無限であります。この卒業という人生の節目に際し、一人の人間として、また、医
療人として、どのように生きるべきかを思索し、新たな決意と、より高い目標を掲げ、各自の人生を歩んでいただき
たいと願うものです。皆さん一人ひとりの明るい未来が、限りなく開けてゆくことを、心から期待して餞の言葉と致
します。
〈卒業式を終えて〉
金 医 大 学 報
7
理事長
小田島 粛夫
本日、めでたく医学士の学位をお受けになった卒業生
皆さんはこのことを、改
の皆さん、そして医学博士の学位を取得された、大学院
めて自覚していただきたい
修了生の皆さんに、心から敬意を表すると共に、この日
と思います。
を待ち望んでおられた、ご両親をはじめご家族の方々に
本学は昨年、創立三十周
対しても、衷心よりお祝いを申し上げます。また、お忙
年を迎え、私どもはこの三
しい中を、卒業式にご臨席を賜り、錦上花を添えていた
十周年を「歴史を振り返り、
だきました、ご来賓関係者各位に、厚く御礼を申し上げ
大学の明日を考える」機会
ます。卒業生並びに大学院修了生の皆さんは、今日まで
として、大学のさらなる発
皆さんを何かと支えてこられた多くの方々、さらに広く
展を図ってゆきたいと思っ
社会全体に対して、感謝の念を新たにしていただきたい
ております。本学が創立さ
と思います。
れた昭和 40 年代は医学研
皆さんの在学中には、世界を揺るがすようなテロ事件
究、医療技術が急速に発展した時代ですが、このような
と、それに対するアメリカのアフガニスタンやイラクへ
技術・研究重視の時代背景の中で、本学は医科大学の本
の攻撃など大きな出来事が相次ぎ、皆さんには思い出深
来の使命である「人間性豊かな良医の育成」という基本
い学生時代であったと思います。これらの出来事は「野
理念の基に創立され、この間、幾つかの困難な時期もあ
蛮なテロ行為とそれに対する報復」という単純なもので
りましたが、多くの方々の努力によって、創立三十周年
はなく、その根底には人間性を無視した、人間本来の素
を迎えることができました。今後、社会がどう変わろう
朴さを忘れた、グローバル化の問題があると思っており
とも建学の精神を憲法として、
「人間性豊かな良医の育
ます。皆さんが活躍する二十一世紀は、科学技術文明の
成」を守り続けてゆきたいと思っております。
中で失われた人間の生き方を模索する混迷の時代であ
創立三十周年を迎えた本学はこれまで以上に、大学の
り、皆さんに新渡戸稲造の「武士道」を熟読することを
真価が厳しく問われることになります。大学に対する評
お奨めしたいと思います。
価は卒業生の社会的な活躍によって決まると言われてお
一方、科学領域では、二十世紀が「外なる自然」への
りますが、皆さんは、このことをよく心に刻み、本学卒
挑戦の時代、自然科学の時代とすれば、二十一世紀は
業生、大学院修了生として、自信と誇りをもって行動
「内なる自然」を研究対象とした、生命科学の時代と言
し、不安定な、混迷を続ける二十一世紀の社会におい
うことが出来ます。自然科学や生命科学は我々の生活を
て、指導的な役割を果たされることを、心から念願して
豊かにし、難病の治療などを可能にしましたが、一方、
止みません。
多くの人々が指摘しているように、これら科学は大きな
最後に、卒業生並びに大学院修了生の皆さん一人ひと
矛盾を内包していることは否定できません。科学技術文
りの将来に、心からの期待を寄せて、告辞といたしま
明は、最初から脆さを抱えており、それを克服するため
す。
に私ども人間はヒューマニズムを考え出し、それによっ
て必死に社会を支えてきたと考えられます。しかし、グ
ローバル化の進んだ社会では、このヒューマニズムの精
神を忘れ、欲望の追求と肥大化を容認する無規制状態、
アノミー的社会へと変わりつつあります。本来、医学・
医療はヒューマニズムを基盤として成り立っており、現
代社会におけるヒューマニズムの喪失、社会のアノミー
化の医療への影響が、強く危惧されております。二十一
世紀は私どもにとって試練の時代ですが、このような時
代においては、医師や医学研究者には、単なる医学知識
や医療技術だけでなく、人間の生と死、その生き方に対
して、明確な哲学と深い洞察力が求められます。
金 医 大 学 報
北陸大学学長
学部卒業生の皆様、本日は誠におめでとうございます。
医師国家試験も終わり、今日は晴々とした気持ちでお迎
えになったことと思います。心からお喜び申し上げます。
また、大学院修了の皆様方、10 年にわたる医師の道を研
鑽されて本日を迎えられました。本当におめでとうござ
います。また、学長先生、理事長先生はじめ金沢医科大
学の教職員の皆様方、そしてこの日を心待ちになさって
おりましたご父母の皆様方、心からお祝い申し上げます。
私が今日こうして祝辞を述べさせていただく栄誉を得
ましたのは、実は私どもの大学に薬学部を持っておりま
す関係がございまして、この金沢医科大学とは、国内で
は珍しい姉妹校を結ばせていただいております。その関
係で今日は祝辞を述べさせていただくことになりました。
皆様は、今日を迎えられて、この4月から、大学院へ進
まれる方もいらっしゃるでしょうし、あるいは社会で活
躍される医師としての道を歩まれましょう。学長先生の
式辞にもございましたように、金沢医科大学の人間性豊
かな良医を育てるという教育課程の中で育まれたわけで
す。私も国民の一人としてそういった医師となられるこ
とを期待しておりますし、また、実現していただけると
思っています。
先週、日本では最近かなり有名になりました「がん」
の専門医が亡くなりました。
「財前五郎」と言います。お
そらく、皆さんの今の気持ちの中では、財前五郎氏のよ
うな知識と技術を身に付けながら、里見助教授のような
人間性を持った医師になりたいと思っていらっしゃると
思います。私たちも国民の一人としては、是非そういう
医師に育っていただきたいと、そういう道を歩んでいた
だきたいと期待しているわけです。
あの話は今から40年前の話です。この金沢医科大学の
病院ではそういうことがないでしょうから、したがって皆
様方40 年前のあの世界は今は無いだろうと思われている
と思います。ちょうど2週間ほど前なんですけれども、東
京のある患者様のご家族、たまたま私はそのご家族を知っ
ている関係ですけれども、電話がございまして、そのご家
族のお母様が80 歳で、ある病院に入院されているんだそ
うです。胆嚢癌が原発で、いわゆる転移が始まって、おそ
らく私がお聞きしたところでは癌性腹膜炎も起きているだ
ろうと思いますが、担当医の方から余命6カ月と知らされ
ましたとのことでした。それで実は痛みが相当強いのでモ
ルヒネという薬を使いたいのだというわけです。ところが
モルヒネという薬を使うには貼る薬もある。注射もある。
飲む薬もある。坐薬もある。どれを使うか明日までに返事
をしてくださいというふうに医師からご家族に連絡があっ
たそうです。ご家族は困ってしまいました。そう言われて
もどれを選んで良いかわからないわけです。たまたま私が
そういうペイン関係の仕事をしておりましたので相談があ
8
河 島
進
ったわけです。そのご家族
の方に、じゃあ主治医の先
生からモルヒネがどういう
薬で、どういう効果があっ
て、どういう副作用があっ
て、貼る薬はどんな特徴が
あってというふうに説明を
もらいましたかと聞きまし
たところ、何にもありませ
ん。ただ、どれを選ぶか決
めなさいと言われました。
明日の10時までにしなさい
ということで夜かかってきたんですね。それで仕方ありま
せんから、私が知っている限りのことでモルヒネの作用、
副作用、どんなことが起きるか、その場合に貼る薬はどん
な特徴があって、それから飲む薬はどうであってというこ
とを一応お話しました。そしてその患者様のQOLを高め
るためには、たぶんこういう方が良いのではないかという
ふうにお話申し上げました。
インフォームドコンセント。今では当り前の世界です。
しかし、現実にはなかなか難しいところがあるということ
を感じました。皆様がこれから巣立たれる社会は、学長
先生の式辞にも、理事長先生の告辞にもございましたが、
医の世界は今非常に厳しさが問われています。
日本の社会でチェックが入らないものが3 つあります。
政治と医療と大学の教育です。今私もその仕事の関係で
教育の現場のチェックをかけています。おそらく金沢医科
大学もそうだと思います。まさにその内の1つ医療の世界
は、皆様がこれから社会で仕事をされる中で、社会全体
からチェックを受ける、そういう職種に就かれるわけで
す。
“To err is human.”という言葉があります。私たちは
人間ですから誰でも間違いを犯します。でも、皆さんの職
業はそれは許されない。基本的に、そういう職業であると
思います。非常に厳しいですけれども、そこに皆様方が6
年をかけて、あるいは10 年をかけて医師を目指される理
由があると思うのです。金沢医科大学で育たれた皆さん
は、おそらくこの社会で私たちが望む「良医」になられる
と確信しています。これからの日本の社会で、国民が安心
して医療を受けられる、そういった「チーム医療」―医
師、薬剤師、看護師三位一体のチーム医療の中で、その
中心になるのは皆様方です。どうかこの社会でご活躍され
て、私どもが健康な生活を送れるような、そういう医療の
世界をこれから実現していっていただきたいと思います。
患者様のみならず、家族を含めたケア。これが二十一世紀
の医療の世界だというふうに私は感じているのですが、そ
ういった世界で皆様方が活躍されることを切に願って本日
の祝辞といたします。本当におめでとうございます。
金 医 大 学 報
金沢医科大学北辰同窓会会長
9
坂 本
6 年間の学業を終えられた学生の皆さん、また、大学
学長先生からも心に残るお
院博士課程を修了された皆さん、おめでとうございま
話しがあり、皆さんも気持
す。このおめでたい卒業式にお招きいただき、ご挨拶申
ちを新たにされたことと思
し上げる機会をいただきましたことを、たいへん光栄に
います。私は本学を卒業し
存じます。こうして皆さんの晴れやかな顔を拝見し、私
た皆さんの先輩として、私
までが何か興奮し、感激している次第です。
が経験したことを少しだけ
在学中の長きにわたる皆さんのご精励に心から敬意を
表し、お祝い申し上げるとともに、皆さんを今日まで慈
滋
紹介し、餞の言葉にさせて
いただきます。
しみ、陰になり日向になりご支援されて参りましたご両
私は昭和 53 年に本学を
親、ご家族の皆様のお喜びも一入と、心からお慶び申し
卒業して、ただちに本学の
上げます。また、色々とご指導、ご鞭撻をいただき、い
胸部心臓血管外科学に入
つも温かく見守って下さった諸先生方に、心から御礼申
局、今日まで 26 年間働いて来ました。最初は、小児循
し上げます。
環器の先天性心疾患の手術、続いて後天性心疾患のうち
私ごととなり、はなはだ恐縮ですが、私自身、今を去
の、弁膜症の手術を行い、現在は動脈硬化性疾患の手術
ること26 年前、この場で皆さんと同じく、本学の卒業証
が多く、おもに冠動脈バイパス術、大動脈瘤の手術的治
書をいただきました。私は、当時、金沢医科大学の第一
療および慢性心不全の外科治療として、左室形成術、両
期生として卒業し、不安と責任の重さに押しつぶされそ
室ペーシングと人工心臓装着などをテーマにして臨床と
うな気持ちでこの場にいたことを、今でもはっきりと覚
研究に従事しています。私の研修医時代は、これら心臓
えております。それから26 年、多くの人々に支えられて
手術の術後管理を昼夜を通して行いました。心臓外科医
今日まで過ごして参りましたが、過ぎてみれば、アッと
の仕事は、
「きつい」
、
「汚い」
、そして「危険」の3 Kと
いう間のことのようにも思われます。
言われて、若い医師には敬遠される仕事でした。しか
この度、第 27 回目の金沢医科大学卒業式を迎えるこ
し、現在、私がここに在るのは、この研修期間の辛い経
とが出来たことは、私にとっても、万感、胸に迫るもの
験が基礎をなしています。「鬼手仏心」という言葉は、
を感じております。私共の母校、金沢医科大学は、創立
医師の手は、体を切り開き鬼のように残酷に見えます
以来32 年を迎えて、卒業生の数は、皆さんを含め2,700
が、患者を救いたい仏のような慈悲心に基づいていると
名以上を数えます。この私共の同窓生は、今や国内のみ
いう医師の祈りを表したものであります。夜も寝ずに必
ならず世界中において活躍していることを誇りに思い、
死で術後管理を行い、それによって患者さんが元気な姿
頼もしく、また嬉しいかぎりと思っております。
で退院されるのをみるにつけ、自分の仕事に充実感とゆ
皆さんは、この4 月から新しい臨床研修医制度によっ
とりを持てるようになり、私の選んだ道はこれでよかっ
て、2 年間にわたり各認定施設で研修の後、各科に入局
たのだと確信するに至りました。
「良医を育てる」
、
「知
あるいは大学院に進まれることになります。いずれにし
識と技術をきわめる」
、
「社会に貢献する」という本学の
ましても、将来、優れた臨床医、研究者となることを目
建学の精神は、まさに「医」に携わる者の目標を余すと
指して、一日一日、自分で決めた道をまっすぐに楽しん
ころなく謳い上げたものであり、私は、心に深くきざん
で生きて下さい。しかし、人生は必ずしも順風満帆とは
でおります。皆さんも、このような大学に学んだことを
参りません。進む道は遠く、また、険しいものかもしれ
終生誇りとして、ますます研鑽をつまれて、ご活躍いた
ませんが、皆さんは、金沢医科大学で体得した豊かな知
だきたいものと、心からお祈りして、本日の祝辞とさせ
識と、いかなる困難にも屈しない闘魂を持って、希望の
ていただきます。
道に向かって進んで下さい。本学の建学の精神には、一
に「良医を育てる」
、二に「知識と技術を極める」
、三に
「社会に貢献する」という目標が盛り込まれています。
これからの医学、医療の世界で社会に貢献していくため
の心得については、ただいま、小田島理事長先生、竹越
金 医 大 学 報
送 辞
はしば な お み
在学生代表
羽柴奈穂美
本日、金沢医科大学第 27 回卒業証書・学位記授与式
にあたり、在学生を代表してお祝いと感謝の言葉を申し
上げます。
北陸の厳しい冬も終わりを迎え、木々の芽吹きに春の
訪れを感じる今日この日に、医学部医学科の全課程を修
了され、栄えあるご卒業を迎えられました卒業生の皆様
に、心よりお喜びを申し上げます。
答 辞
はしもと
卒業生代表
ちさと
橋本 千里
本日、金沢医科大学第 27 回卒業証書・学位記授与式
に、諸先生方、ご来賓各位、並びにご父兄の皆様方のご
出席を賜ったことは、私達卒業生にとりまして、この上
ない喜びでございます。卒業生を代表して深くお礼申し
上げます。
また、ただいま、学長先生並びに理事長先生から、ご
懇篤なる式辞、告辞を、また、ご来賓各位からの祝辞、
在学生代表からの送辞をいただき、卒業生一同、心より
感謝申し上げます。
6 年前、この北陸の地に、期待と不安に胸を膨らませ、
初めて立った日のことを懐かしく思います。多くの方々
10
医学を志し、ここ金沢医科大学にご入学をされ、期待
と不安を胸に抱いていた入学宣誓式から今日までの学生
生活では、幾多の困難を前にし、悩み苦しみ、試練をも
学ぶ喜びとして、一つ一つ克服されてきたことと存じま
す。そして今日この日を迎えられました先輩方の晴れ晴
れとしたお顔を拝見し、改めて尊敬の念を抱いておりま
す。
雄大な日本海に臨む、この自然多き内灘の地で過ごさ
れた学生生活は、先輩方にとって生涯忘れられない思い
出となることでしょう。また、諸先生方の熱意あるご指
導は、今後医師としての人生に大いに役立つことと思い
ます。そして、勉学だけでなく、クラブ活動や内灘祭等
の行事を通じて、先輩方から学んだことは、我々にとっ
て大きな心の支えとなっております。
今日ここに新たなる道への第一歩を踏み出される諸先
輩方が、金沢医科大学の卒業生であることを誇りとし、
さらに精進され、建学の精神の一つである良医として、
人間性豊かな信頼される医師となられ、全国各地で活躍
し、後に続く我々後輩の道しるべとなってくださいます
ようお願い申し上げます。
お別れに臨み、卒業生の皆様のご活躍とご健勝をお祈
り申し上げ、送別の言葉とさせていただきます。
に支えられ、本日ここに無事卒業の日を迎えることが出
来ました。
近代医学の発展は、多くの病気を癒し、私達に健康上
の恩恵をもたらしました。一方で、現在多くの医療問題
が様々な形で取り上げられ、臨床研修が義務化されるな
ど、新しい医師像が社会で求められています。そのよう
な医学の道を自らの意思で選んだ私達の前途は決して平
坦ではありません。しかし、諸先生方からは、医学的な
知識や技術は勿論、医師として大切な「心」を教わりま
した。ともに学び、ともに支えあってきたかけがえのな
い学友や、部活・課外活動での貴重な体験から、勉強だ
けでは学べない、人として大切なものを得ることができ
ました。そして、常に陰で支えてくれた家族は、誰より
も温かい愛情を注いでくれました。
これらの本学で培ってきた貴重な経験を活かし、金沢
医科大学の卒業生として、自信と誇りを持って、医師と
しての始めの一歩を踏み出していきたいと思います。
医師を志そうと決意した初心を忘れることなく、諸先
生方、諸先輩方の助言に耳を傾け、友の活躍を励みと
し、おごることなく社会に貢献できるよう、なお一層努
力することを誓います。
最後に母校の繁栄と私達をここまで導いてくださった
諸先生方、ご父兄の皆様方のご健康、ご活躍、並びに在
校生の皆様の一層のご健闘、これまで私達を支えてくだ
さった多くの方々の幸せをお祈り致しまして、答辞の言
葉とさせていただきます。
12
学 事
金沢医科大学
第3 3 回 入学宣誓式
新入学生101名を迎える
平成16年4月6日(火)午前 10 時から、本部棟4階講
堂において第33回入学宣誓式が挙行された。
多数の父兄、教職員に迎えられた新入学生96 名、編入
学生5名、計 101名に対して、竹越 襄学長の式辞、小田
島粛夫理事長の告辞があり、来賓の久藤豊治金沢医科大
学後援会橘会会長並びに坂本 滋金沢医科大学北辰同窓
会会長から新入生に祝辞が述べられた。これを受けて、
新入生を代表して宮本良和さんが入学宣誓を行った。
入学宣誓をする宮本良和さん
式 辞
学 長
竹 越 襄
本日、晴れてご入学されました101名の新入生の皆さん、誠におめでとうございます。本学の教職員を代表して心
から歓迎いたします。皆さんは、尊い命を守るという、崇高な使命感を持って医学の道を志し、入学試験の難関を見
事に突破され、この素晴らしい日を迎えられました。皆さんはもとより、この日を心待ちにして来られたご家族の方々
のお喜びもひとしおのことと、心よりお祝いを申し上げます。またご多忙の中、ご列席賜りましたご来賓の方々に厚
くお礼申し上げます。皆さんは、夢と希望を持ち、溌剌とした気持ちで、この式に臨まれておられると思います。ど
うか、今日の日のこの感激を忘れることなく、新たな決意を持って、初心を貫いていただきたいと思います。私達教
職員一同は、皆さんの新鮮にして志あるこの向上心に対し、全力を挙げて対応することをここにお約束致します。
この金沢医科大学は、一昨年創立三十周年を迎え、本学を巣立った2,700名にのぼる先輩方は、立派な医師として
国内外の医学・医療界で活躍し、社会的に高い評価を得ております。皆さんは今日から、この多くの先輩方に負け
ず、また、彼らが築いた伝統を守って精進しなければなりません。どうか本学の学生であることに、誇りと、そし
て、気概を持って学業に励んでいただきたいと思います。
現在、私達が共有している世界は、途方もない複雑さを示し、劇的な変化と波乱に満ちた厳しい状況下にありま
す。イラク戦争開戦から一年、今イラク問題を中心として、生命の尊厳が問われております。私達はこれらの問題
を、他者の問題とせず、自己の問題として捉え、考え、行動していかなければなりません。またここ数年、医学は
飛躍的に進歩し、生命科学の発達が医療の進歩に大きく貢献しております。臓器移植、人工臓器の開発、再生医学
の応用などが行われる一方、分子生物学の発達により、多くの生命現象や疾病のメカニズムが、生体を構成する分
13
子のレベルで解明されつつあります。また、遺伝子の操作により治療する方法も試みられております。今後も更に、
人の生命の根源に迫るような研究が進むことでしょう。このように、生命科学の発達は人類に多くの福音をもたらす
ことが期待され、またその一方で、生命倫理の面から警鐘が鳴らされております。医学・医療が発達すればするほ
ど、医師の責任は重くなり、医の倫理の重要性が増して参ります。皆さんには、この6年間を通して、高い倫理観を
身に付け、倫理性を高めることにより、自己の完成を目指していただきたいと願っております。
さて、ここで医学を学ぶにあたり、心すべき点を少し申し上げたいと思います。
第一に、大学教育は、自ら学ぶことに重点が置かれているということです。これから皆さんは、今まで学んでこら
れた知識を基に、大学の医学専門教育で多くの学問を修めることになります。今までより更に、自己研鑽、所謂、自
学自習が重要となります。具体的には、従来の講義形式とは違い、提示されたテーマから、学生自らが問題をみつ
け、その仕組みを考え、理論化し、そして各自が導いた解答について学生同士で討論し整理するという授業形態で
す。これを問題基盤型学習 PBL(Problem Based Learning)といい、本学ではこの教育方法を導入し、実りある医学
教育を実践しております。問題解決能力を磨き、自己学習能力を高めていただきます。更に、第5・6学年では、CCS
(Clinical Clerkship)という臨床実習に入ります。これはStudent Doctorとして、医療チームの一員となり実際の診療
に参加する、研修医並みの厳しい臨床実習であります。適切な診断や治療の仕方・態度を体得していただくと共に、
患者様やその家族とのコミュニケーションまでを学んでいただきます。このように、何が学生にとってベストなのか
を私達は常に考えております。皆さんは、高い志と、常に「何を」の疑問を持ち、積極的に知識と叡知を養っていた
だきたいと思います。
第二に、医学・医療の原点は医の心であるということです。最近は、人間的医療、全人的医療とよく言われており
ますが、医療の対象は病める「臓器」ではなく、病める「人間」であります。そして、一人ひとり異なった心身的特
質を持っている生身の人間だということです。患者様の心を大切にし、身をもって、人の命と向き合い、そして、病
める人に対する深い思い遣りの心が持てるように、人間性を磨いていただきたいと思います。最近、医療事故などの
問題が多くマスコミに取り上げられ、医療に対する不安感が増しております。また、Informed Consentの重要性等も
叫ばれております。私たち医学教育に従事する者にとって、大変心の痛む事態であり、これは、医療人の病める人へ
の思い遣りの心の欠如であると思われます。皆さんは、豊かな人間性を持った、実力のある良医を目指し、自ら「医
の心」について、深く思いを寄せていただきたいと思います。
第三に、平静の心を身に付けていただきたいということです。医師にとって、沈着冷静な姿勢に勝る資質はありま
せん。どんな状況であれ、冷静さと、心の落ち着きを失わず、明晰な判断を下す。これを真に完璧なものにするため
には、知識を備え、多くの経験を積んでいかなければなりません。そして、それを備えた医師は何が起ころうとも、
心の平静さを乱されることはありません。人間関係が構築され、患者様との信頼関係も強くなることでしょう。
最後に、皆さんは本日から学びの第一歩を踏み出すわけですが、教職員の話を真剣に聞き、本学の方針を理解する
と共に、同期入学の諸君と多く語らい、一つ一つを身に付けていっていただきたいと思います。大学生活は今までと
勝手の違うことばかりで、迷うことも多くあると思いますが、疑問なことは遠慮せずに発言し、相談して下さい。ま
た、クラブ活動に入られる諸君も多いことでしょう。先輩の指導よろしきを得て、大いに青春を謳歌して悔いのない
学生生活を送って下さい。諸君の実りある将来を期待して式辞と致します。
14
告 辞
理事長
小田島 粛夫
多数の志願者の中から選ばれて、本日、栄えある入学
逃げることなく、本質的な問題に真正面から取り組んで
式を迎えられた新入生の皆さんに、お祝いを申し上げる
ゆくエネルギーこそが、時代を超えて若い皆さんには必
と共に大学としてはもちろん、同じ道を志す者として、
要であると思います。
皆さんの入学を心から歓迎いたします。そして優秀な新
皆さんの努力を心から望んで止みません。
入生の皆さんを、今日あるまで育て上げられたご両親は
この内灘の地は、遙かに立山連峰や霊峰白山などの北
じめご家族の皆様に心からの敬意と祝意を表します。ま
アルプスの山々を望み、眼下に日本海を一望するなど、
た、本日はお忙しい中を、入学式にご臨席賜り、錦上花
自然環境に恵まれております。また、金沢は天下の書府
を添えていただきました、ご来賓、関係者各位に厚くお
として知られ、江戸時代から、医学教育の歴史と伝統を
礼を申し上げます。
持つ地であり、皆さんが医学の勉強に打ち込むには最高
明治のはじめに、 Education という日本語訳について、
の地であると思います。本学はこの環境の中で開学以
「教育」
、
「教化」、
「啓発」の三つの考え方があったと言
来、優れた教員の確保、最先端の教育、研究、診療設備
われております。最終的には「教育」に決まったと言わ
の充実に努力して参りました。さらに昨年、創立三十周
れておりますが、この教育という言葉には教化や啓発の
年の記念事業の一つとして、二十一世紀に相応しい、近
意味も含まれていることを忘れてはなりません。従って、
代設備の完備した病院も完成いたしました。皆さんはこ
Education すなわち教育には、第一に「人間形成」
、第二
の充実した教育環境の中で、将来の理想に向かってお互
に「基礎的な知識を与えること」
、第三に「学習の仕方
いに切磋琢磨し、実りある学生生活を送っていただきた
を教えること」
、そして第四に「人生設計」
、すなわち人
いと思います。
生に希望を持ち、そのための試練に耐える力を与えるこ
と、この4つの内容が含まれなければなりません。
第一の人間形成は教える、あるいは、教えられるもの
ではなく、自己啓発によってはじめて可能であり、皆さ
皆さんは将来、医学研究者として、あるいは医師とし
ての道を進まれると思いますが、何れの道を進まれるに
しても、これからの大学における6年間の学生生活が、
皆さんの人生の原点になると思います。大学生活の中
んは日常生活においても、常に自己の研鑽に努めなけれ
で、生涯の良き友を選んで、友情を育み、遥かなる理想
ばなりません。特に、現代社会に生きる、そして若い人
に向かって、一歩一歩前進されることを期待いたします。
格形成期の皆さんは正しいことは正しいと判断する力を
皆さんの新しい門出を心から祝福し、告辞といたしま
育むための努力を忘れてはなりません。第二、第三は教
育において最も基本となる部分ですが、特に医学を学ぶ
皆さんが心しなければならないことは、医学を学ぶため
の近道はないということです。険しい山道をよじ登る労
苦を厭わない者のみが、頂上を極めた喜びを感じること
が出来るように、毎日の努力の積み重ねによってはじめ
て、皆さんは学ぶ喜びを感じ、さらに学ぶ意欲が湧いて
くることになります。また、人間が人間らしく生きるた
めには、その生涯を通して学び続けなければなりません
が、特に医学・医療に携わる医師は、急速に進歩発展す
る医学・医療を絶えず学び続け、患者に最良の医療を提
供しなければなりません。医学・医療に携わる医師にと
って、生涯学習は義務であると考えなければなりませ
ん。
第四の人生設計は、これから医学を学ばれる皆さんに
とってはとりわけ重要で、医学部学生として高い理想を
持って勉学に勤しんでいただきたいと思います。高い理
想や大きな夢は、人間の行動の原動力であり、大岩壁の
ような、どうにもならない難問題に頭を打ちつけ、血だ
らけになりながらでも、問題を解決しようとする姿勢、
す。
15
祝 辞
金沢医科大学後援会橘会会長
久 藤 豊 治
新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。
そして、この晴れの日を今日まで陰に日向に、神に祈る
ようなお気持ちで支援してこられましたご両親、ご家族の
クリニカル・クラークシッ
プという新しい形の臨床実
習が主体となっています。
皆様、この度のお子様の金沢医科大学へのご入学、本当に
おめでとうございます。
金沢医科大学の父母の会であります後援会橘会の会長の
職をお預かりしている久藤でございます。この会を代表し
て心からお祝い申し上げます。
これは皆さんが患者さんと、
じかに接して医学やヘルス
ケアについて学ぶ大切な機
会となるものと思います。
また、今年度から卒業後
さて、皆さんはこれから6年間、美しい自然環境に囲ま
れたこの金沢医科大学において、医学の道に精進されるわ
けですが、これまで皆さんを育てていただいたご両親、ご
家族、そして社会の期待に沿えるよう、しっかり勉学に励
んでいただきたいと思います。
の2年間の初期臨床研修が
必須化されましたが、これ
も医師としての基本的な態
度、技、そして知識を学ぶ
大事な機会となるものと思います。私はこれらの実地研修
医師にとって最も大切なことは、「人間性豊かな良医」
となることにつきると思っております。
金沢医科大学の建学の精神には、
「良医を育てる」
「知識
と技術をきわめる」
「社会に貢献する」という3つの大きな
目標が謳われております。これは、今、社会が求める医師
に力を入れる傾向となってきていることは、指導する側に
とっては経済的にも時間的にも大変な負担となることも事
実であると思いますが、究極的には社会にとっても医療に
とっても良い事と思っています。皆さんもそのつもりで、
大学が苦労をされて準備されているカリキュラムを有効に
像そのものであると思います。
私も長い間、医療にたずさわっておりますが、その経験
から申しますと、
「良医」とは、患者さんから信頼される
医療を行うということに尽きると思っています。患者さん
がどう考えているか、それによく耳を傾け、聞いてあげる
こなしていっていただきたいものと祈っております。
さて、中国の論語の中に「良師益友」すなわちよい教師
と、ためになる友人を選びなさいという言葉があります。
皆さんはこの金沢医科大学での6年間に、よき先生、そし
てすばらしい友達に出会ってください。それはいずれ生涯
ことが大切です。そうすれば自然に患者さんとの信頼関係
ができるのです。その信頼関係が医師と患者さんの間では
欠くことのできない大切なものであると、私は常々思って
おります。よくいわれる「インフォームド・コンセント」
は、これらの中に含まれております。
の師、生涯の友となっていくに違いないと思いますし、ま
た、そのような環境で「良医」の心というものが育まれて
いくものと思っております。
金沢医科大学での6年間は、皆さんにとって人生最後の
学生生活となると思います。勉学に勤しまれるのもよし、
そして、
「知識と技術をきわめる」については、これは
当然のことと言うべきですが、知識とともに質の高い技
術、患者さんに、家族に安心して任せてもらえる最新の医
療技術を身につけることが大切なのであります。
本学のカリキュラムを拝見すると、皆さんも高学年では
あるいはクラブ活動などのスポーツや文化活動において力
いっぱい汗を流され、人間性をしっかりと培うこともよ
し、それぞれ若い二度と繰り返すことのできない大切な6
年間を意義深いものとされますことを、心からお祈りしま
して、私のお祝いの挨拶とさせていただきます。
祝 辞
金沢医科大学北辰同窓会会長
坂 本 滋
本日、新しく金沢医科大学に医学部学生として入学され
る皆さん、本当におめでとうございます。また、本日、こ
思います。
皆さんは、これから金沢医科大学において「医学の真
の日の来ることを一日千秋の思いで待ち望んで来られた、
ご父兄の皆様におかれましても、お喜びは一入のことと存
じ、心からお祝い申し上げます。
この度、本学に入学されて、本学を母校とされることに
なり、同時に金沢医科大学北辰同窓会の一員となられまし
髄」に初めて接し、それに入門され、そして6年間にわた
って「医学」を生涯の仕事とするための確固とした、足固
めをされるわけです。私共の母校、金沢医科大学は、創立
32 年を迎え、卒業生の数は、2,717 名を数えます。私共の
同窓生は、今や国内のみならず世界中において活躍してい
たことを、北辰同窓会を代表して心から歓迎いたしたいと
ることを誇りに思い、頼もしく、また嬉しいかぎりです。
16
私ごととなって、甚だ恐縮ですが、私自身も今からちょ
うど 32年前、本学の第一回目の入学生として、この場に
おいて皆さんと同じように入学式に出席しておりました。
が、基本的に心得るべきこととして、いくつかのことを学
びました。それは、第一には、高校までの教育とは異な
り、自らが学ぶ姿勢を習慣づけるということ、受け身でな
当時、出来たばかりの大学の将来への不安と、これから展
開する医学への入門という、未来に対する大きな希望に心
躍らせながら、この場に居りましたことを、はっきりと覚
えております。それから32年、良き友に恵まれ、良き師に
導かれ、数えきれない思い出を残して、現在の私がありま
く、自らが疑問点を見つけ、積極的な姿勢でものを考え、
積極的に解決する能力を磨くことです。皆さんも第一学年
から導入されるテュートリアル学習で、それを習慣づけら
れることと思います。第二には、人に対する思いやりの心
を育むこと、医学に携わる者には、患者さんのことを第一
す。
本学の建学の精神は、一に「良医を育てる」
、二に「知
識と技術を極める」
、三に「社会に貢献する」という目標
が盛り込まれています。これからの医学、医療の世界で社
会に貢献していくための心得については、ただいま、小田
に考えることが、身に付いていなくては勤まりません。第
三には、新しい事態に対処するためには、生涯にわたって
学習できる素地を作っておくことです。古代ギリシャの哲
学者アリストテレスの言葉に「人は誰でも生まれつき、知
ることを求める」とありますが、これは新しい事象を見た
島理事長先生、竹越学長先生からも心のこもったお話しが
あり、皆さんも気持ちを新たにされたことと思います。
21世紀を迎えて、日本が、そして世界がどのように動い
ているかは、マスコミを通じ、そして自分自身の肌で感じ
ておられると思います。IT革命を迎え、グローバル化社会
とき、
「知的好奇心」を持つことが大切であることを言っ
ているものと理解できます。この「知的好奇心」こそ「知
の創造」の原動力であります。これらは「良医」になるた
めの大切な条件でもあります。
本日は皆さんと、この大学の多くの教職員、諸先生方、
の中で、競争市場のもとに世界は急速に動いております。
古いものに変わって、予期もしなかった、新しい展開が、
どの分野でも次々とみられて、当惑させられているのが現
実です。新しい事態に対して、自らが積極的に考え、解決
していく態度なくして、安泰に過ごすことが難しいことを
そして多くの良き友達に巡り会う日でもあります。皆さん
で力を合わせて、21世紀における開拓者となる意気込み
で、良き金沢医科大学の歴史を築いていきましょう。そし
て、皆さんが、6年の学生生活を送られ、みごと医師国家
試験に合格し、
「良医」となることを念じております。皆
見せつけられています。医学や医療の分野でも、もちろん
例外ではありません。私はこの大学で、医学を学ぶもの
さんの今後のご健闘を心からお祈りして、祝辞とさせてい
ただきます。
新入学生インタビュー
患者さんの気持ちを
理解できる医師になりたい
私が医師を志したのは、昔大ケガをした時、担当医
の熱心な治療に感動したことがきっかけです。この大学
は施設が充実し、また自然に恵まれた環境が勉強に向
いていると思い選びました。現在、一般教養を身につ
けながら、医療入門の授業では医師になる心構えを学
んでいます。良医になるためには知識や技術と同様に、
患者さんの気持ちを理解することが重要だと感じてい
ます。勉強以
外では学友会
で学年代表を
務めており、
学生の声を学
校に伝える役
目を果たして
います。
なかい
中井
だん
暖
神奈川県出身
P BLテュートリアルで
“考える力”を身につける
私は昨年オープンキャンパスに参加し、充実した設備
や教育システム、明るくアットホームな雰囲気に惹かれ
この大学を選びました。第1学年では一般教養を学ぶこ
とが中心ですが、少人数でディスカッションを中心とし
て行うPBLテュートリアルの授業も行われます。与えら
れた課題や自分たちで決めたテーマをもとに問題点、改
善点などを導きだし、
“考える力”を身につけることが
できます。将
来は患者さん
と真のコミュ
ニケーション
がとれる、そ
して患者さん
から信頼され
るような医師
になりたいと
思っています。
かわきた
あやの
川北 彩乃 石川県出身
18
平成16年度
平成16年度
医学部入学試験の結果
大学院医学研究科選抜試験
(AO・推薦・編入・一般)
◇特別推薦入学試験(AO入試)
(第3次・第4次募集)
平成 16 年度大学院医学研究科第3次募集選抜試験が
医師となる者の倫理性、人間性が一層強く求められる
平成16年2月 25 日(水)に実施され、3名が受験、3名
時代に、従来の学力を中心とした入学試験では評価でき
が合格し、3名とも入学手続きを完了し入学を許可され
なかった学習意欲、使命感、人間性に評価の重点を置
た。
き、活力のある人材を求めるもの。募集人員約10名に対
また、一人でも多くの大学院生を確保するため、3月
し全国から134 名の出願があった。書類選考の結果、平
26日(金)に第4次募集選抜試験が実施され、2名が受
成15年10月 28日(火)に第1次選考合格者 27 名が発表
験し、2名が合格し、2名とも入学手続きを完了し入学
され、第2次選考は、11月16日(日)に本学において27
を許可された。
名が「個人面接」・「小論文」・「集団面接」の各試験に
取り組み、11 月28 日(金)に合格者11名が発表された。
以上により、平成 16年度大学院医学研究科の新入生
は11 名に決定した。
(大学院課木野秀秋記)
◇推薦入学試験
平成15年11 月16日(日)に本学で行われた。目的意
識を持ち、且つ個性豊かで優秀な人材を確保する目的で
平成16年度
昭和 61年度から実施されている。募集人員約20 名に対
看護専門学校入学試験結果
して64名が出願し、平成15年11月28 日(金)に合格者
20名が発表された。
◇編入学試験
今年度で3回目になる「社会人特別推薦入学試験」が
平成 15 年 12 月7日(日)に本校で行われた。高等学校
平成15年11 月23日(日)に本学で行われた。医学部
卒業後3年以上を経過した社会人(就業)の経験がある
以外の4年制大学を卒業、または卒業見込の者が既に履
方を対象とした入試であり、志願者22名の中から3名が
修した教養科目の重複履修を省いて第2学年より編入し
合格し、全員が入学した。また、
「推薦入学試験」も同
て効率的に専門教育を履修するもの。医学界に貢献する
日行われ、志願者53 名の中から17名が合格し、全員が
有為な人材を育成する目的で平成3年度入試から実施さ
入学した。
「一般入学試験」は、平成16年1月 14日(水)
れている。募集人員約5名に対して81名が出願し、平成
に行われ、志願者222名の中から、79 名が合格し、39 名
15年11月28日(金)に合格者5名が発表された。
が入学した。
◇一般選抜入学試験
平成16年度は、過去最多となる1,827名の出願があっ
た。平成2年度から2段階選抜を実施しており、第1次試
験は、平成 16年1月 21 日(水)に本学、東京(TOC ビ
ル)
、大阪(天満研修センター)
、名古屋(名古屋ガーデ
ンパレス)
、福岡(福岡ガーデンパレス)
、仙台(仙台ガ
ーデンパレス)の6試験場で実施された。受験者1,647名
(25.3倍)が、午前の「外国語」
、
「小論文」
、午後の「数
学」及び「選択科目(物理、化学、生物の中から2科目
選択)
」の試験に取り組んだ。
第2次試験は、第1次試験の合格者(356 名)を対象と
して平成16年1月 27日(火)
、28日(水)のうち希望し
た日に本学で実施され、339名が面接・口頭試問に取り
組んだ。平成16 年1月 30日(金)には第2次試験の合格
者65名が発表された。(入学センター村井幸美記)
以上、上記試験によって計59名の新入生が決定した。
(入学センター村井幸美記)
19
平成16年度
第1学期
【第1学年】
【第2学年】
【第3学年】
【第4学年】
【第5学年】
【第6学年】
第2学期
【第1学年】
【第2学年】
【第3学年】
【第4学年】
学 年 暦(教務日程)
授 業
4月12日(月)∼ 7月 3日(土)
[早期臨床体験実習 5月24日(月)∼ 5月28日(金)]
試験期間 7月 5日(月)∼ 7月10日(土)
授 業
4月12日(月)∼ 7月 3日(土)
試験期間 7月 5日(月)∼ 7月10日(土)
授 業
4月12日(月)∼ 7月10日(土)
試験期間
試験は各科目の授業期間内に行われるので試験期間は特に定めない。
授 業
4月12日(月)∼ 6月26日(土)
試験期間
6月28日(月)∼ 7月10日(土)
4月 5日(月)∼ 7月17日(土)
4月 1日(木)∼ 7月10日(土)
授 業
試験期間
授 業
[2年看護体験実習
試験期間
授 業
試験期間
授 業
試験期間
【第5学年】
【第6学年】
第3学期
【第1学年】
授 業
【第2学年】
試験期間
授 業
【第3学年】
試験期間
授 業
【第4学年】
試験期間
授 業
試験期間
【第5学年】
【第6学年】
入学宣誓式
オリエンテーション 【第1学年】
【第2∼4学年】
【第5学年】
【第6学年】
特別休業日
定期健康診断
開学記念日
夏季休暇
【第1学年】
【第2学年】
【第3学年】
【第4学年】
【第5学年】
【第6学年】
学園祭
解剖体合同追悼法要
冬季休暇
【第1∼6学年】
卒業証書・学位記授与式
標準試験等
【第2学年】
【第3学年】
【第4学年】
【第5学年】
【第6学年】
8月30日(月)∼11月 6日(土)
11月 8日(月)∼11月20日(土)
8月30日(月)∼11月20日(土)
8月30日(月)∼ 9月 4日(土)]
試験は各科目の授業期間内に行われるので試験期間は特に定めない。
8月30日(月)∼11月20日(土)
試験は各科目の授業期間内に行われるので試験期間は特に定めない。
8月30日(月)∼11月 6日(土)
11月 8日(月)∼11月20日(土)
8月23日(月)∼11月27日(土)
8月30日(月)∼11月20日(土)
11月22日(月)∼12月25日(土)
1月11日(火)∼ 2月12日(土)
2月14日(月)∼ 2月26日(土)
11月22日(月)∼12月25日(土)
1月11日(火)∼ 2月26日(土)
試験は各科目の授業期間内に行われるので試験期間は特に定めない。
11月22日(月)∼12月25日(土)
1月11日(火)∼ 2月26日(土)
試験は各科目の授業期間内に行われるので試験期間は特に定めない。
11月22日(月)∼12月25日(土)
1月11日(火)∼ 2月10日(木)
2月14日(月)∼ 2月26日(土)
11月29日(月)∼12月25日(土)
1月11日(火)∼ 3月31日(木)
11月22日(月)∼12月25日(土)
1月11日(火)∼ 2月12日(土)
4月 6日(火)
4月 7日(水)∼ 4月11日(日)
4月12日(月)午前(午後は授業)
4月 3日(土)
4月10日(土)
4月30日(金)、5月1日(土)
5月中旬
6月 1日(火) 「特別休業日」
7月12日(月)∼ 8月28日(土)
7月12日(月)∼ 8月28日(土)
7月12日(月)∼ 8月28日(土)
7月12日(月)∼ 8月28日(土)
7月20日(火)∼ 8月20日(金)
7月12日(月)∼ 8月28日(土)
10月 2日(土)∼10月 4日(月)「特別休業日」
10月16日(土)
12月27日(月)∼ 1月 8日(土)
3月 3日(木)
標準試験
2月 15日(火)
標準試験
2月 9日(水)
OSCE
2月 12日(土)
CBT
2月 15日(火)、16日(水)
標準試験
2月 28日(月)
第1回標準
8月 21日(土)
第2回標準
12月 4日(土)
OSCE
2月 19日(土)
第3回標準
2月 25日(金)
第1回標準
10月13日(水)∼15日(金)
第2回標準
11月15日(月)∼17日(水)
第3回標準
1月 11日(火)∼13日(木)
20
医学部講座組織
改組・再編される
近年における高度化、多様化する現代医科学に対応する集学的、プロジェクト的な研究の推進、基礎医学と臨床
医学が有機的に融合した統合型の医学教育カリキュラムの導入、病院における機能別・臓器別の診療体系の導入、あ
るいは予算や施設設備等の研究資源の弾力的、重点的活用、定員の流動化や人事の活性化等の時代的な要請に対応
する観点からは、従来の講座制の枠組みでは大学の機能を硬直化させ対応しきれなくなっている面が指摘され、国立
大学を中心として多くの
大学で大学改革の一環と
して講座再編の動きが進
んできた。
本学においても講座の
再編に関して、大学の将
来を考える会、医学部教
授会において広く意見を
聴き議論を深めながら具
体的な構想の策定を進
め、大学経営会議、理事
会において承認、決定さ
れた。
新しい教員組織は、従
前の固定的な専門分野に
限定されずに幅広い視野
での学際的な教育研究を
推進することができるよ
う、関連した学問分野に
よって構成し学部教育や
診療体制との整合性が図
られるとともに、臓器別、
機能別に再編・統合さ
れ、従前の43講座は、大
学院新専攻の研究単位を
基盤とした3分野 37部門
に改組・再編された。
(学長室濱中豊記)
21
平成16年度
医学部第1学年オリエンテーション
これから医学生として6年間の学生生活を迎える新入
生に対し、平成16年4月6日(火)から 11 日(日)の6
日間にわたって、オリエンテーションが開催された。
討論が行われた。
翌日はワークショップの全体発表会で、各グループの
発表に対する質疑応答や意見交換が、和気あいあいの雰
前半は、本学の教育方針、修学案内、諸手続き、学生
囲気の中で行われた。そのあとソフトバレーボール大会
支援センター等の説明、本学の建学精神である「良医を
や夕食を兼ねたバーベキューガーデンのフリートーキン
育てる」
、
「知識と技術を究める」
、
「社会に貢献する」に
グがあり、教員と学生、学生相互の親睦が深められて大
ついて、また、自己学習能力の開発に主眼をおいたチュ
いに盛り上がった。
ートリアルや少人数教育の意義などが説明された。
オリエンテーションを終えて、4月12日(月)から第
後半は「いこいの村能登半島」での宿泊研修会で、学
1学期の授業が開始された。入学宣誓式で、期待や希望
生相互間、教員学生間のコミュニケーションが図られ
を抱きながらも、時に不安げな表情をのぞかせていた新
た。
初日の午前中は、門前の總持寺祖院で「参禅会」が開
入生たちも、宿泊研修を通じて友人もでき、徐々にでは
あるが大学生活になじんできたようである。
催された。これは、良医を目指して本学の門を叩いた新
新入生全員が、金沢医科大学での有意義かつ実りある
入生もいづれ難しい勉学を積み重ねて行くうちに怠け心
学生生活を過ごしてくれるようがんばってほしいと思
が芽生えることがあるだろうが、その時こそ座禅の体験
う。
と板橋住職の講話を想い出し、初心に立ち返って克己心
を奮い立たせてほしいとの趣旨で企画された。午後は
「医学生として生きる」というテーマでワークショップ
が開催され、グループ毎に選択した課題について活発な
(教学課山本健司記)
22
報 告
2004年ハワイ大学 医学教育ワークショップ 報告
(期間:2004年2月23日∼26日)
総合内科学講師
高 橋 孝
今回、私は、ハワイ大学医学部医学教育部が
主催されました医学教育ワークショップを研修
する機会をいただきましたので、ご報告させて
いただきたいと思います。これまでにも、本学
のスタッフがハワイ大学医学教育部主催のワー
クショップ(例えば、PBL tutorial 等)に参加さ
れておりましたが、今回は、
「オスラー博士に学
ぶ:21世紀における臨床医学の教育原理と実践
( Osler in the 21st Century: the Principles and
Practice of Clinical Training)
」というテーマのも
とに初めて企画されたものです。ご存知のよう
に、ウィリアム・オスラー博士は、近代西洋医
学において最も有名な内科医であり、このワー
クショップは臨床医を対象として企画されまし
た。今回のタスクフォースの先生方とお話をし
ますと、本邦において本年4月より導入される
ワークショップ3日目、ハワイ大学医学部クリニカルスキルスセンターにおい
て、左から高橋、Gordon Greene先生、南谷佳弘先生(秋田大学医学部呼吸器
外科)
新臨床研修制度を意識されておりました。
ワークショップは、ワイキキに近接しているアラモア
【2月23日(月:ワークショップ1日目)
】
ナ・ホテルを会場及び宿泊地として開催され、参加者19
午前8時、ハワイ大学医学部長であるEdwin C. Cadman
名(神戸大学4名、佐賀大学2名、富山医科薬科大学2
先生による医学部新キャンパスに関する紹介と展望のお
名、北海道大学・秋田大学・東京医科大学・日本医科
話でワークショップが開始されました。その後、Gordon
大学・東北大学・金沢医科大学・自治医科大学・浜松
Greene先生(ハワイ大学医学部医学教育部東アジア医学
医科大学・大阪医科大学・岡山大学・沖縄県立中部病
教育プログラム責任者)よりワークショップの概略を受
院各1名)とタスクフォース13名(佐賀大学医学部総合
けました。午前8時30 分、ワークショップ責任者である
診療部教授小泉俊三先生を含む)で構成されておりまし
Jon V. Martel先生による講義「オスラー博士に学ぶ: 21
た。また、ハワイ大学医学部クリニカルスキルスセンタ
世紀における臨床教育の発展」を聴講し、続いて、同先
ーからのスタッフ5名と医学部第4学年生6名のサポート
生による講義「医療現場における臨床教育の基本と実
のもとに実施されました。一方、ワークショップ参加者
践」を受けました。教員−医学生−患者間の相互関係に
の専門は、内科系では呼吸器内科・腎臓内科・精神科・
基づいたさまざまな指導スタイル(例えば、Grandstand,
総合診療科、外科系では呼吸器外科・消化器外科・救急
Break out, Supervising, Rotating, Report back)を認識でき
科・麻酔科と多岐にわたっておりました。下記に、ワー
て印象的でした。午前11 時、臨床教育ロールモデルのビ
クショップの具体的なスケジュールをご紹介致します。
デオを視聴しまして、luncheonとなりました。午後1時、
【2月22日(日)】
NH1052便にてホノルル国際空港へ到着した後、ワー
佐賀大学医学部総合診療部教授小泉俊三先生によるワー
クショップの基調講演を拝聴しました。講演内容は、本
クショップの会場及び宿泊先であるアラモアナ・ホテル
邦における医学教育の歴史と現状であり、現在の教育技
へ直行し、ワークショップの参加登録を行いました。そ
法(PBL を含めて)の利点と問題点も提示されました。
の後、同ホテル内のHospitality roomにおいてタスクフォ
しかし、現在存在する教育・指導の課題に対する独自の
ースの先生方と共に参加者同士でアイスブレイクが行わ
改善方法も提言されればと思いました。午後2時、
れました。今回参加された動機として、ハワイ大学医学
Gordon Greene先生とSeiji Yamada先生(ハワイ大学家
教育部が本邦の大学学長へ送付した企画書を読み、参加
庭医学臨床准教授)より講義《症例より学ぶ臨床教育》
された方が19名中13名と多数を占めていました。
を受けました。続いて、日本の医学部第5学年生がハワ
23
イ大学で受けられたClinical Clerkship(面接・身体診察)
その対応を討論し、テクニックを確認し合いました。午
のビデオを視聴しました。午後4時、初日の講義総括を
前 10 時30分、臨床教育におけるフィードバックに関す
Jon V. Martel 先生が提示され、ワークショップ初日が終
る実践的な講義を受けました。続いて、2人1組となり
了しました。講義形式のスケジュールと時差の影響で、
指導医と研修医の役割をそれぞれ演じることで、フィー
疲れた1日でした。午後7時、同ホテル内のレストラン
ドバックの技法を確認し合いました。午後1時、再び、
においてワークショップ歓迎のディナーが開かれました。
臨床教育における評価とフィードバック及び学習困難な
参加者に同行されたご家族の方も加わりまして和やかな
医学生への対応を振り返りました。続いて、Jon V.
雰囲気のもとに行われました。
Martel 先生によるワークショップ全体を振り返ったキー
【2月24日(火:ワークショップ2日目)
】
午前8時、Jon V. Martel先生によるベッドサイドにお
ワードの提示があり、ワークショップの総括として大い
に参考になりました。午後2時、ワークショップ全体の
ける教育の基本と実践に関する歴史と展望の講義を受け
アンケート用紙を利用した振り返りと総括及び反省を行
ました。午前9時、4グループに分かれて、外来患者を
いました。午後6時 30 分、ワイキキ近郊のThe Willows
交えたハワイ大学医学生によるClinical Clerkship(面
Restaurant においてワークショップの打ち上げディナー
接・身体診察)のビデオを視聴し、教員−医学生−外来
が開催され、ワークショップ終了証書の授与が行われま
患者の理想的な相互関係の構築における良いモデルと悪
した。
いモデルを提示されることで理解できました。その後、
【2月27日(金)】
グループ討論も行いまして、luncheonとなりました。午
前日よりハワイにstorm が来ており、風雨の影響を心
後1時、Richard Kasuya先生(ハワイ大学医学部医学教
配しましたが、NH1051 便にてホノルル国際空港を出発
育部責任者)がPBLテクニックの基本と医学生・研修医
することが出来ました。翌2月 28日(土)、成田空港へ
に対するベッドサイド教育への応用を講義されました。
到着、帰国しました。
さらに、同先生による講義「臨床教育におけるEBMの
医学生・研修医に対する実践的な導入」を聴講しまし
以上、今回の研修の概要を述べてみました。本ワーク
た。Kasuya 先生の講演は非常に明瞭で理解しやすいと感
ショップに参加して受けた印象をとりまとめますと次の
じましたし、他の参加者の印象も同様でした。午後4時
ようなことになるかと思います。臨床現場における指導
30分、ワークショップ2日目が総括されました。
【2月25日(水:ワークショップ3日目)
】
研修者は4グループ(A-D)に分かれて、2グループ
のシミュレーションを模擬患者と医学生(ハワイ大学第
4学年生)を交えて体験でき、即座に、医学生から指導
内容の評価を受けられた点が素晴らしいと感じました。
毎に各々の日程を実施しました。
(1)ハワイ大学医学部
ある面においては、OSCE において評価される側の医学
クリニカルスキルスセンターを利用してMitsuaki Suzuki
生の心理状態も体験できたのではないかと思いました。
先生(ワークショップ・コーディネーター)と Nakaya
全体的に、講義やビデオの視聴を受ける部分が多く、参
Saito 先生(医学教育部客員スタッフ)の引率下に模擬
加者が能動的に学習や体験できる機会が今後の研修にお
臨床教育を経験しました。即ち、模擬患者とハワイ大学
いて増えることを期待します。また、ワークショップ会
第4学生を交えて臨床教育の指導医としてのシミュレー
場やディナーの場において、研修に参加された先生方か
ションを体験し、医学生から指導評価を受けました。直
ら各々の教育現場の実情や問題点、さらに、医学教育の
ちにフィードバックされて大いに指導の反省点を実感し
展望に関するコメントを拝聴することができ、大いに勉
ました。
(2)ホテルにおいてDamon Sakai 先生(学生部
強になりました。今回、ワークショップにおいて体験し
副部長)による実践的な臨床教育テクニックに関する小
ました臨床教育の指導テクニックを本学の現状を考慮し
講義を聴講し、臨床技術を習得するための原則を学びま
ながら、今後、如何にして取り入れるか検討することが
した。続いて、Jon V. Martel 先生の指導下に、簡潔的な
重要であると思っています。
症例提示を実践しました。これは、臨床診断を支える陽
性と陰性の病歴及び診察所見を簡潔にまとめる作業でし
た。
【2月26日(木:ワークショップ4日目)
】
午前8時、臨床教育における評価に関する実践的な講
義を受けました。続いて、ビデオを利用して研修医への
評価モデルを体験しました。午前9時、学習困難な医学
生への対応に関する講義を受け、続いて、グループに分
かれて、学習困難な医学生のシナリオ(2例)を用いて
24
第1回
白衣・聴診器授与式
実習開始までに必要な知識と技能を身に付けるべく勉学
のモチベーションを高めてもらいたいとの願いから、本
年度に初めて企画された。なお、イニシャル入り聴診器
は後援会橘会から寄贈された。
第1回白衣・聴診器授与式は平成 16年4月 12 日(月)
授与式では竹越学長から学生代表の森近大介さんに白
10時から本部棟4階講堂で厳粛ながらもなごやかな雰囲
衣と聴診器が授与された。壇上に上がった森近さんが白
気の中で執り行われた。本授与式は平成16年度第3学年
衣を着用し、学長から聴診器を頸にかけてもらうと、参
生を対象としたもので、第3学年生全員が参加した。カ
加者全員から大きな拍手がおこった。続いて学長から式
リキュラムの改革によって、平成16年度からは第3学年
辞、大原義朗教務部副部長(部長代理)から告辞が述べ
で診察実習、ペーパーペイシェントや模擬患者を用いた
られ、次いで来賓の姫野洋一橘会副会長(会長代理)か
問題解決型学習、救急車同乗体験実習・救急医療センタ
ら祝辞が述べられた。学生を代表して森近さんが謝辞を
ー当直実習などが行われるため、これに必要な白衣とイ
述べ、最後に第3学年生全員でジュネーブ宣言を朗読し
ニシャル入り聴診器を贈ることによって、2年後の臨床
て誓いの言葉とした。
代表で授与を受ける森近大介さん
第26回
(第3学年主任安田幸雄記)
全員でジュネーブ宣言を朗読
納骨式
平成16年4月 17日(土)
、晴天に恵まれ春風が心地よ
い中、午後1時から周囲の新緑が目に染みる本学納骨堂
において、金沢医科大学第 26回納骨式が、学長、副学
長、ご遺族、天寿会役員、教職員、医学部学生及び看護
学生など多数の関係者の参列のもと、しめやかに執り行
われた。
最初に、今回納骨されるご遺骨が、分子細胞形態科学
平井圭一教授の先導により、第3学年学生代表に抱かれ
体者とご遺族に対する敬意と謝意を表す式辞が述べられ
入場した。分子細胞形態科学木南利栄子講師によって故
た。続いて、参列者全員がご霊前に献花を行い献体者の
人のご芳名が朗読されるなか、学生の胸に抱かれたご遺
ご冥福を祈り、学生を代表し鈴木杏奈さんが「皆様の崇
骨が丁重にお納めされた。今回納骨されたのは、平成15
高なるご意志を、一生涯忘れることなく心に刻み込み、
年度に解剖実習に供させていただいた故 里 末松殿をは
一生懸命医学の道を志していくことをお誓い申し上げま
じめとする35柱のご遺骨である。
す」とお礼の言葉を述べた。
式では、まず竹越襄学長から「在りし日のお姿は、こ
最後に、分子細胞形態科学篠原治道教授から、参列者
の地上より去りましたが、そのご遺志は、学生一人一人
に対するお礼の挨拶、閉式の言葉が述べられ式を終了し
の心の中に、末永く生き続けることと思います」と、献
た。
(教学課松本順治記)
25
長い間のご活躍有難うございました
退任教授のご挨拶
山本 達 教授
(放射線医学)
を夢みていました。最終講義、その他の最終行事、仕
事を済ませる毎に、肩の荷が軽くなるのがわかりまし
た。
しかしながら、これが私の定めなのでしょうか。4月
1日より、本学の総合医学研究所に創設された皮膚真菌
学研究部門(ノバルティス ファーマ)で研究を続ける
ことになりました。暫く別の荷物を担ぎますが、これ
までと同様にご指導、ご鞭撻よろしくお願い申し上げ
ます。
昭和 53 年に本学放射線医学
教授として着任以来、今日ま
で約 26 年間を大過なく無事に
全うすることが出来たことは
皆様の暖かいご支援のお陰と
感謝申し上げる次第です。
着任当初は本学の混乱期(?)の最中であったよう
ですが、新米の私には事情も分からず、またスタートし
たばかりの教室の基礎づくりに全力を投入する必要に迫
蓮村 靖 教授
られ余り気にならなかったように思います。その後、本
(総医研・分子腫瘍学研究部門)
学の低迷期に突入し、大学としての資質や存在意義そ
のものを問われるような状態を体験しましたが、教職員
以前、教務委員会委員として
全員が一丸となって改革に努力した結果、現在のよう 「教学ニュース」編集を担当し
な社会に誇れる医科大学に成長しました。当時の辛酸
ていたときに、村上春樹の新潮
を知るものの一人として感慨無量のものがあります。
文庫本「ランゲルハンス島の午
教室運営においても、スタッフ5名からのスタートで
後」を繙いて気持ち良い午後の
したが、現在では同門会員や留学生を含めますと80 名
夢を編集後記として書いた一文
以上の医師が、我々の教室で研修、研究し、数多くの
です。
学位や専門医資格を取得し、広く社会の第一線で活躍
「早春の、希望にあふれ、目を輝かせている学生や
している現況を見るにつけ、大変うれしく、またなつ
研修医、教師に満ちあふれた大学の午後は光が一杯。
かしく思っております。この26 年間、思う存分やらせ
今年も医学部6年生の9割以上が卒業して春の医師国
ていただきまして後悔することは見当たりません。強
家試験に合格し、ほぼ全員がそのまま大学付属病院で
いて挙げるならば教授本来の仕事以外の雑用(?)に
の4年間の研修に入った。十数年前から全国の医科大
余りにも多くの時間がさかれて、本来の大学教授とし
学に先駆けて、有名私立中学・高校の6年間一貫教育
ての任務がおろそかにされる危惧が無かった訳でもあ
に類似した卒前・卒後の10 年間一貫教育を開始し、全
りません。委員会数を5分の1に削減しようとする計画
国から精鋭を集めて教育してきた成果が着実に現れて
が発表されており、今後に大きく期待したいと思って
きているものだ。
(中略)10年間の一貫教育では、講義
おります。
室での知識伝授型教育はまったく施行されない。入学
直後から、病院内での日夜分かたぬ臨床クラークによ
って、6年後には医師として社会に貢献し始めるという
石崎 宏 教授
自覚を否応なく身に付けさせられる。
(後略)
」
本学には長い間お世話になり誠に有難うございまし
(皮膚科学)
た。お世話になった方々に心から御礼を申し上げます。
22 年前に本学に奉職し、平
お陰様で、1994 年1月に南江堂から刊行した「臨床実
成 1 6 年3月末で定年退職いた
習・内科研修のための診察の仕方と問題解決ハンドブ
しました。皆様のおかげで無
ック」は近々改訂第4版本となり、また、1996 年8月に
事過ごすことができました。
インターネットに公開した「臨床実習を始める医学生
衷心よりお礼申し上げます。
のみなさんへ『診察の仕方』を学ぼう」の訪問者数は
一方、この退職を大袈裟に
8万件を凌駕するまでになっています。
言えば一日千秋の思いで待っていたのも事実でありま
本学が今後ますます発展され、また病院が、からだ
す。
「日の出を拝み、飯を腹一杯食べ、茅屋で枕書高臥
も心も患っておられるすべての患者さんから真に頼ら
し、醒めれば破れ障子より月を眺める」菜根譚の世界
れる存在であり続けられることを心からお祈りします。
26
看護専門学校
卒業記念講演会
得ており、主著に「太陽の学校」
、
「いのちの教科書:学
校と家庭で育てたい生きる基礎力」があるのでご存知の
テーマ
「生と死 いのちのすばらしさ」
―生徒と先生のあいだに連帯感が成立している。
これこそが本物の情操教育だ―
方も多いと思う。
講演は冒頭から女生徒の衝撃的な作文の内容が語られ
た。
「両親が離婚、姉は不登校で私をいじめる。父は仕
事がうまくいかず悩んでいる。苦しくなって家出、自殺
まで考えた」
。そして「書いたらすーっとした」という
ものである。ここで大事なことは、この辛い思いを女生
講師: 金森俊朗先生(金沢市立南小立野小学校教諭)
徒が素直に書けるのも、
「仲間を残して自分たちだけで
は、ハッピーになれない!一緒に生きようぜ!」という、
学級みんなで実践しながら築き上げた仲間の絆が基礎に
あるからだという。そして、悩みを仲間や先生に心を開
いて語ることで、子どもはつながりを実感し、自らの足
で立っていく力を得るという。最初の話題は、仲間と共
にハッピーになるという事例であった。
次に、いのちの重さの問題である。先生はいのちを考
えるうえで、教師が教えるというスタイルではなく、子
ども自身の体験のなかから、いのちを考えるようなきっ
かけをつくるよう、常に心がけていることを先ず述べら
れた。そしていのちの重さとか尊さという実感が、いま
社会全体から失われており、それを何とか取り戻したい
金森俊朗先生の講演
と力説されていた。
最後の、自分より若い校長、教頭に対し、反骨精神と
卒業記念講演会が卒業式に先立つ平成 16年3月3日、
金沢市立南小立野小学校教諭の金森俊朗先生をお迎え
ユーモアを交えて弱者救済を説くくだりは、まさに先生
の真骨頂だったに違いない。
し、
「生と死 いのちのすばらしさ」と題して行われた。
講演後、松原純一学校長が看護師として巣立つ卒業生
先生は、「仲間とつながりハッピーになる」という教
に対し「患者の痛みを自分の痛みとしてかわってあげる
育思想をかかげ、また80 年代より、本格的に「いのちの
ことはできないけれども、自分の痛みのように感じられ
教育」に取り組んでおられる。NHKスペシャル番組「涙
る看護師になってほしい」と結んだ。
(看護専門学校山田克己記)
と笑いのハッピークラス4年1組 命の授業」が大好評を
看護専門学校の
カリキュラム改定
新カリキュラムは、医学の各分野の科目別の縦割りの
教育を廃し、人間の生活を総合的に捉える看護の視点で
の枠組のもとで統合して行くものとなった。
基礎分野では高校時代に既に履修している情報科学は
廃止し、文章表現法や生活科学を新設した。また自主的
本校での教育は、自ら考え、自学自習の習慣を身につ
けることを強調し、卒業後も専門職業人として自立して
時代の進歩を受け入れて行けることを目指してきた。
本校のカリキュラムは、平成9年に「保健師助産師看
学習を身に付けるため基礎分野に選択科目をはじめて設
置した。
全体を通じて、学生の問題解決能力や主体的学習態度
を向上できるよう、時間配分を工夫した。さらに科目目
護師学校養成所指定規則」
(指定規則)の改正に伴い改
標や学習内容の表現を可能な範囲で出題基準に準拠さ
定したが、近年ますます高度の知識、確実な技術が要求
せ、学生が理解しやすいようにした。
されるようになり、また「看護師国家試験出題基準」が
整備され国家試験のあり方が変更されたことから、再度
改定することになった。
新カリキュラムは、平成16年度入学生から適用するこ
とになっている。
(看護専門学校酒井桂子記)
27
看護専門学校
第16回
卒業式
〈在校生代表の小泉恵理さんの送辞〉
厳しい内灘の冬も過
ぎ去り、風にもやわら
かな春を感じるころと
なりました。本日卒業
される三年生の皆様、
ご卒業おめでとうござ
います。
長く厳しかった勉学
松原純一学校長から卒業証書が授与される
を終えて、安堵する思
附属看護専門学校の第16 回卒業式が、平成16年3月5
日(金)午前 10時から本部棟4階講堂で行われ、55名
(男子2名を含む)が学舎を後にした。松原純一学校長
から卒業生一人ひとりに卒業証書が授与され、
「豊かで
人間性あふれる心と技術を持ち、病める人々を助けてく
ださい」と式辞が述べられた。
いで卒業の日を迎えて
いらっしゃることでし
ょう。今、この場にいることの素晴らしさは皆様が一
番かみしめていらっしゃると思います。
私たちにとって、皆様と勉学を共にしたこの二年間
は短い時間でした。いつもたくましく、そして優しく
支えてくれていました。
引き続いて、山下公一副理事長から「常に生命への畏
皆様が二年生の時に私たちは出会いました。これか
敬の念を心にとどめて、心の通った医療を実践して行っ
らの学校生活に不安を抱いていた私たちに優しく声を
ていただきたい」と告辞が述べられ、竹越襄学長、内田
掛けてくださいました。先輩を見て一つの目標に向か
健三病院長からそれぞれ祝辞が述べられた。
い一生懸命になるという団結力の堅さに感動しまし
在校生を代表して小泉恵理さんが送辞を述べたのに対
た。体育祭、看学祭などのイベントの時には話し合い
して、卒業生代表の吉田裕美さんは思い出を振り返り
の真ん中にいて、行動する時には先に立ち、私たちを
「学校で学んだことを忘れず、苦難を乗り越え看護師と
引っ張っていってくれました。戴帽式での、凛とした
して成長していきます」と決意を述べた。
空気の中で響いた「ナイチンゲール誓詞」の朗読は私
(看護専門学校木村由紀江記)
三年生になると臨地実習中心の生活。実習中、堂々
卒業生氏名
横山 和子
たちの胸に深く刻まれ、今も心の中で響いています。
坂下真由美
吉田 美幸
四十沢繭子
とした態度で患者様に看護を行っていました。そんな
姿はいつも私たちの目標でした。
赤井 千紘
荒屋 陽子
石宮 頼子
上田 葵子
大森 静香
織田 麻以
亀田 裕子
河合美彩子
河瀬 麻希
川田 りえ
川村 紗知
神並 茜
北井麻美子
黒川 沙紀
後藤 由美
酒井美千留
坂本 麻衣
清水 亜希
白江 広美
新谷 智枝
高井あきな
田島 朋江
田中 礼子
田渡 晴美
近安 紀子
辻裏 夏希
徳永 香
戸田 秀之
中島 紀子
長田 香織
中道亜希菜
羽野 莉映
林美 由紀
東森佳世子
廣村 有紀
古田しのぶ
本多 愛子
孫八めぐみ
松平 篤士
丸山 香織
いくことを誓います。私たちも皆様のように看護師と
宮本裕里子
矢
未来
矢鋪 恵理
矢留 瞳
しての力を付け、後に続けるよう努力していきます。
山口 美紗
山下 祐子
大和 陽香
山本真里亜
最後に、卒業生の皆様のこれからのご健康とご活躍
山本裕香子
吉田 奈々
吉田 裕美
「始まり」があれば「終わり」があるように、
「出
会い」があればまた「別れ」があります。先輩方との
楽しい思い出、実習中励ましてもらったこと、全て大
切な思い出です。4月からの新しいスタートは険しい
道かもしれません。しかし、その道は皆様の希望によ
って出来たものです。現代社会の激しい変化に対応
し、患者様に満足される看護を目指して一つ一つ乗り
越えていってください。私たちは先輩の意志を受け継
ぎ、この金沢医科大学附属看護専門学校を発展させて
を願いつつ送辞といたします。
以上55名 28
看護専門学校
第17回
入学式
た方はこのような感性を磨くことが大切である」と祝辞
が述べられ、続いて内田健三病院長から祝辞が述べられ
た。
その後、在校生代表柳佳予子さんの歓迎の言葉に対
し、入学生を代表して田中素さんが「学生の本分を守り
学校の使命に沿うよう努めます」と力強く宣誓した。
(看護専門学校 木村由紀江記)
入学生氏名
淺 朋子
油野 真弥
天池 奈々
荒川 夕里
伊澤明日香
上田友美佳
江下 志奈
遠藤 良子
大田 綾子
岡田 紗希
岡田真由美
奥村 和美
桶川 智代
尾谷 奏
小坂 玲子
権谷 悠
平成16年4月7日(水)午前 10 時から本部棟4階講堂
酒井 真葵
坂井 美幸
坂井 優起
桜井 裕子
で行われ、新入生59名(うち男子2名)が看護の道を目
佐々木大輔
佐藤 友香
清水さや香
志村 早織
指してスタートした。はじめに入学生の紹介があり、松
下村 陽子
白江奈緒美
高尾 由佳
高平 薫
原純一学校長が「落ち込んだり、泣いたりした時には、
高森なつみ
滝川みどり
竹内かずみ
田中 素
入学宣誓をする田中素さん
これは自分が選んだ道なのだ、ということを思い出し
谷 幸憲
築田 麻衣
登坂 葉月
長瀬 友美
て、負けないで頑張ってほしい」と式辞を述べられ、続
中村 有佳
西 真理子
西本由美香
端 真希
いて、山下公一副理事長から告辞が述べられた。
平田佳那江
藤原由佳子
舟見佳保里
本多 由貴
前野 智栄
澗株 香苗
松田 麻美
松田 久代
ルは看護師の卵に対して、
『あなた方は、わが子を失う
松林 由紀
村上智佐登
森下 聖子
森本恵実子
というような経験の無い悲しみにも共感できなければな
矢鋪 仁美
山下小志美
山上 佳奈
結川 沙樹
らない。その感性がないのなら看護師を辞めてしまいな
横山 昭子
吉岡 容子
吉端 美穂
また、竹越襄学長から「フローレンス・ナイチンゲー
さい』という厳しいまでの言葉を伝えております。あな
以上59名
第93回看護師国家試験結果
2 年連続
合格率 1 0 0 %を達成
第93回看護師国家試験の結果が平成16年3月 26日(金)に発表された。昨年より全国平均合格率が下がっている中、
2年連続合格率 100%を達成した。内訳は新卒55 名、既卒0名であり、全国平均合格率は 91.2 %(昨年92.6%)であ
った。夏休みの全員対象の特別強化学習(解剖学、生理学、生化学)及び成績不良者対策としての放課後特別強化学
習が活かされたのであろうか。このクラスの学生は生き生きしておりチームワークの良さも特に印象的だった。
(看護専門学校 木村由紀江記)
29
留学生情報(2004年1月∼4月)
1. 留学生の往来
2004年1月14日 中国・青海省医学院附属病院血液内科助教授崔森氏が生理学Ⅱにおいて、短期研究員として研究を開始
した。
1月15日 中国・華中科技大学同済医学院附属協和病院外科助教授廬暁明氏が一般・消化器外科学において、同大
学同済医学院附属同済病院内科心血管研究室研究員朱智慧氏が脳神経外科学において、中日友好病院中
医腫瘤科主治医師朱世杰氏が総合診療科において、同病院血液科主治医師 明氏が病理学Ⅱにおいて、
それぞれ姉妹校プロジェクト研究員として研究を開始した。
1月26日 中国・中国医科大学第二臨床学院放射線科主治医師張偉氏が放射線医学において姉妹校プロジェクト研
究員として、同大学第二臨床学院呼吸器内科主治医師谷秀氏が呼吸器外科において、短期研究員として
研究を開始した。
1月27日 中国・中日友好病院中医内科主治医師の王辛秋氏が総合診療科において、中国・中国医科大学神経生物
学講師の付偉氏が生理学Ⅰにおいて、それぞれ10カ月間の研究を修了し、研究証明書を授与された。
2月 1日 中国・中日友好病院一般外科主治医師の宋新氏が一般外科・消化器外科学における1年間の研究を修了
し、研究証明書を授与された。
2月 5日 中国・華中科技大学同済医学院附属協和病院超声診断科助教授の呂清氏が老年病学における1年間の研究
を修了し、研究証明書を授与された。
2月11日 ドイツ・Müenster大学医学部4年生 Fabian Volk 君とRobin Bökenfeld君が短期留学生として、胸部・心臓血
管外科学において、8週間のClinical Clerkshipによる実習を開始した。
3月 7日 中国・中国医科大学附属第一臨床学院眼科学大学院生の単麗氏が眼科学における1年間の研究を修了し、
研究証明書を授与された。
3月 7日 中国・中国医科大学病理学助手の王妍氏が病理学Ⅱにおいて1年間の研究を修了し、研究証明書を授与さ
れた。
3月12日 中国・中国医科大学第一臨床学院眼科大学院生曲静涛氏が眼科学において、短期研究員として研究を開
始した。
3月25日 中国・曹永恒氏が生化学Ⅰにおいて大学院博士課程医学研究科を修了し、博士(医学)の学位を授与さ
れた。学位論文に対し、
「学長賞」が贈呈された。
4月 1日 中国・中国医科大学第一臨床学院放射線科主治医師肖亮氏が放射線治療診断学において、短期研究員と
して研究を開始した。顎口腔機能病態学短期研究員孫 氏が大学院医学研究科生命医科学へ入学した。
4月20日 中国・武漢大学中南病院呼吸器内科助教授劉衛敏氏が高齢医学において、短期研究員として研究を開始
した。
2. 留学生の紹介
短期研究員
ロ
廬
ギョウメイ
1962年生、男性(中国)
中国・華中科技大学同済医学院附属
協和病院外科助教授/所属は消化器
外科治療学/姉妹校プロジェクト研究
員(短期研究員)
研究テーマは「大腸癌増殖過程におけ
る血管新生の役割に関する研究」
シュ
朱
シュ
暁明さん
チケイ
朱 智慧さん
1974年生、男性(中国)
中国・華中科技大学同済医学院附属
同済病院内科心血管研究室研究員/
所属は脳脊髄神経治療学/姉妹校プ
ロジェクト研究員(短期研究員)
研究テーマは「悪性神経膠腫の分化
誘導と遺伝子治療に関する研究」
キョウ
セイケツ
世杰さん
メイ
明さん
1972年生、男性(中国)
中国・中日友好病院中医腫瘤科主治
医師/所属は総合内科学/姉妹校プ
ロジェクト研究員(短期研究員)
研究テーマは「21世紀における新たな
中国医学の臨床応用」
1969年生、女性(中国)
中国・中日友好病院血液科医師/所
属は病理病態学/姉妹校プロジェク
ト研究員(短期研究員)
研究テーマは「肺癌悪性推定のため
の簡易mRNA profiling システムの構
築と臨床応用」
30
チョウ
張
イ
偉さん
1965年生、女性(中国)
中国・中国医科大学第二臨床学院放
射線科主治医師/所属は放射線診断
治療学/姉妹校プロジェクト研究員
(短期研究員)
研究テーマは「 1 6 列 MD-CT
(Multidetector-row CT) を用いた新しい画像処理と三次
元解析法の開発と臨床有用性に関する研究」
コク
シュウ
谷 秀さん
1968年生、女性(中国)
中国・中国医科大学附属第二臨床学
院呼吸器内科主治医師/所属は呼吸
機能治療学/短期研究員
研究テーマは「急性肺傷害における肺
胞上皮イオン輸送蛋白の研究」
キョク
曲
セイトウ
静涛さん
1976年生、女性(中国)
中国・中国医科大学附属第一臨床学
院眼科学大学院生/所属は感覚機能
病態学/短期研究員
研究テーマは「パルスマイクロ波によ
る眼球への影響評価に関する研究」
サイ
シン
崔 森さん
1965年生、男性(中国)
中国・青海省医学院附属病院血液内
科助教授/所属は生理機能制御学/
短期研究員
研究テーマは「循環ショックの統合
的研究」
ショウ リョウ
肖
亮さん
1972年生、男性(中国)
中国・中国医科大学第一臨床学院放
射線科主治医師/所属は放射線診断
治療学/短期研究員
研究テーマは「実験動物による解離
性動脈瘤の作成と MDCT におよる診
断及び治療経過観察」
リュウ
劉
エイビン
衛敏さん
1966年生、女性(中国)
中国・武漢大学中南病院呼吸器内科
助教授/所属は高齢医学/短期研究
員
研究テーマは「高齢者テーラーメイド
医療の確立に関する研究」
短期留学生
フ ァ ビ ア ン フォルク
ロ ビ ン ベッケンフェルト
G. Fabian Volk
Robin Bükenfeld
1978年生、男性(ドイツ)
ドイツ・M üe n s t e r 大学医学部4年
生/所属は心血管外科学/短期留学
生
研修テーマは「Clinical Clerkshipによ
る胸部心臓血管外科学」
1978年生、男性(ドイツ)
ドイツ・M üe n s t e r 大学医学部4年
生/所属は心血管外科学/短期留学
生
研修テーマは「Clinical Clerkshipに
よる胸部心臓血管外科学」
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学生のページ
受賞の喜び
益谷秀次賞
医学部卒業生 藤本 圭司
この度、卒業証書・学位記授与式において益谷秀次賞を頂戴しました。
名誉ある賞をいただき大変うれしく光栄に思います。ご指導くださいまし
た先生方に深く感謝申し上げます。
6年間は今振り返るとあっという間でしたが、1年1年とても重みがありま
した。特にPBL が本格的に導入された最初の学年であったことは、大変幸
運であったと思います。PBL では「考える」ことの大切さと面白さを知りま
した。そして、医学に限らずどんなに些細と思えることでもないがしろにせ
ず、その場で考えて自分なりの意味付けを行っておくと、後々意外なとこ
ろでそれが意味を持ってくるのではないかと思うようになりました。
苦しいこと、つらいことも多く、落ち込むことも多い6年間でしたが、いつも周囲の人たちの暖かい心づかいに助
けられました。本当にありがとうございました。
これからも学ばなければならないこと、乗り越えなければならないことは数限りなくあると思いますが、金沢医科
大学で学んだことを誇りとし、一歩一歩地道に前進していこうと思います。
北辰同窓会会長賞
医学部卒業生 橋本 千里
この度、卒業証書・学位記授与式において、金沢医科大学北辰同窓会会
長賞をいただきました。このような名誉ある賞をいただくことができ、光栄
に思っています。今年から、臨床研修が義務化され、マッチングの試験が
行われるなど、全てが初めての経験でした。そのような中で、私がこの賞を
いただけたのも、今まで熱心にご指導くださいました諸先生や、職員の方々、
共に励ましあった友人たち、そして、常に支えてくれた家族のおかげです。
また、私たちの代から施行されたPBL チュートリアルでは、これから医師
になる私たちにとって一番大切な、考え方の基礎を修得することができま
した。このような機会を通し、とても多くの事を学びました。慣れ親しんだ
母校を去ることになりましたが、母校への感謝の気持ちを忘れず、良医を目指し前進していく所存です。
学長賞は 曹 永恒 氏へ(大学院修了生)
学長賞は新しく大学院医学研究科を修了し、博士(医学)の学位を取
得する者の中から特にすぐれた研究を行った者に贈られる。
今回の受賞者曹 永恒さんは中国医科大学からの留学生で生化学Ⅰに在
籍した。論文題目は、Hepatitis C Virus Core Protein Interacts with p53Binding Protein, 53BP2/Bbp/ASPP2, and Inhibits p53-Mediated Apoptosisであ
る。
(大学院課佐野泰彦記)
32
学生のページ
第6学年学生が選んだ
The Teacher of the Year を発表
ありがとうございました
卒業生代表 椎名 伸行
今年で3回目となる The Teacher of the Year の表彰が、3
月25 日謝恩会の場を借りて行われた。これまでは、基礎
部門、臨床部門からそれぞれ一人の先生を選考していた
が、多くの先生方に票が分かれたため、今年度は各部門か
ら2人ずつ表彰させていただくことにした。基礎部門から
は野島孝之先生(臨床病理学)
、東伸明先生(解剖学Ⅰ)
が、臨床部門からは廣瀬源二郎先生(神経内科学)
、飯塚
秀明先生(脳神経外科学)が受賞された。
The Teacher of the Year の表彰は6年間の学生生活で多く
の先生方にご指導いただいた感謝と、医学教育のさらなる
向上をめざし、また先生方に教育へのモチベーションをさ
らに深めていただくことに寄与できるよう願って、2年前
から行われてきた。すなわち学生による教員評価のひとつ
として、The Teacher of the Yearがスタートしたのである。
選考方法は、第6学年に在籍する全学生が、6年間を通
じて、講義・臨床指導等でthe bestと思う教員を、基礎部
門、臨床部門からそれぞれ3人ずつ教員名簿から選択して
投票するという形式で行われる。これまでは、多くの先生
の中から基礎・臨床部門各1人の先生を選出しなければな
らず、第6学年全員の意思を反映することが難しかった。
そこで今年からは各部門から3人の先生を投票してもらい、
その中から投票数の多い2人の先生を選出することにした。
この方法で、より多くの学生の意見を取り入れることがで
きたと思う。
本学には熱心に指導され、また単なる教員・学生の関係
ではなく、よき先輩として日頃から接してくださる先生方
The Teacher of the Yearの発表をする椎名君と3名のプレゼンター
が多く、一人ひとりの学生がThe Teacher of the Yearを心
に抱いていると思う。この場をお借りして、その多くの先
生方に大いなる感謝の意を表したい。
これからも後輩たちにこの真意を引き継いでいってもら
い、学生が本学の医学教育に貢献できることを期待してい
る。
〈教師の言葉〉
Th e Te a c h e r o f th e Ye a r に選出されて
解剖学Ⅰ講師
東 伸明
卒業式の前日、6学年代表の椎名伸行君が私の部屋を訪ねてきて、私が選出されたことを聞いた。そして、翌
日、晴れやかな卒業記念パーティーの席上、受賞式をしていただいた。誠に光栄に思う。選んでくれた諸君とは、
2学年の1年間、解剖学の講義と実習で一緒に勉強させてもらった。そのことがついこの間のように思い出され
る。しかし、考えてみれば4年以上も前のことであり、The Teacher of the Yearというのは、少々気恥ずかしくもあ
り、私のような者がはたしてふさわしいのか疑問も残るが、いずれにしても、学生諸君が医師として社会に巣立
とうとするこの時期に、私のことを忘れずに覚えていてくれたことは、一教員として素直に嬉しい。また、国家
試験の勉強をしながら、2学年の時に解剖の東から習ったことがあるなと思い出しながら頑張ってくれていたと
したら、これに優る喜びはない。同時にこれからも後輩をしっかり頼むぞという卒業生諸君からのメッセージを
含んでいると思うとき、身の引き締まる思いがする。最後になったが、今回の選出を受け、今後の教育になおい
っそうの努力を惜しまぬことを誓い、感謝の気持ちとしたい。
脳神経外科学教授
飯塚 秀明
“The Teacher of the Year”に選ばれ大変光栄に思っております。私自身は他の諸先生に比べてこのような栄
誉を戴ける資格があるか面映ゆいものがありますが、おそらく6学年の主任を務めていたことに対するねぎら
いの気持ちもこもっているのでしょう。副主任・強化教育対策プロジェクトのメンバー・指導教官の諸先生の
33
学生のページ
代表として卒業生諸君が選んでくれたものと理解して
おります。
私が卒業生諸君に関わった時間の多くは臨床実習と
思いますが、ほとんどの学生諸君は臨床医になるわけ
ですから、医師という専門職に携わる職業人を育てる
ということを念頭に取り組んできたつもりです。臨床
医にとって最も大切なこととして「 P r o f e s s i o n a l
Responsibility」(専門職としての責任)の自覚という
ことが言われますが、この臨床実習の時期から学生諸
君に自覚してもらいたいと考えてきました。また専門
職者の幸せとは「他者(社会)に対し働きかけ、他者
(社会)がその働きかけにより好ましい方向に変化し
左からThe Teacher of the Yearに選出された東伸明講師、
飯塚秀明教授、廣瀬源二郎教授
た時、それを喜びとする」とされています。卒業生諸
君に少しでも私の思いが伝わっていることを願い、諸君のこれからの活躍を祈念するとともに、私自身も“The
Teacher of the Year”に選ばれたことを糧として、卒業生および学生諸君とともに今後も努力したいと考えてお
ります。
神経内科学教授
廣瀬 源二郎
学生諸君から教師としての栄えある称号を、過去3年間続けていただいた。学生を教育して、是非自分を越
えるような教師、医師に育ってほしいと願い、それなりの準備をして如何に教えようか日々考えながら暮らせ
るのは、実に教師生活冥利につきる。教師にとって教えるために費やされた長い時間は決して無駄になるもの
ではない。学生と教員との関係をより近く親密にする良い方法として作られたこの制度も本学では十分に生き
てきているといえよう。
前にも話したが、教育とは、何にもまして、人を惹きつける魅力の体験であり、何かを教えるだけでなく、
この社会には学生を惹きつけたり、惹きつけられる何かがあることを、学生が自然に理解するのが真の教育だ
と思う。医学教育においてしかり、教師に魅力を感じ、医学のどこかに興味を持ってくれればしめたものであ
る。 最近、医療ジャーナルでみた警句“A teacher opens the door, and a student enters alone”をここに披露して、
私の感謝の言葉としたい。
臨床病理学教授
野島 孝之
2月中旬、スキー場で転倒、骨折した。生まれて初めての入院、体にメスが入るのも、まして点滴の経験も
なく、全てが新鮮そのものであった。受傷当時、これほど重症とは思わなかったし、入院生活が長くなるとも、
リハビリが辛いとも考えていなかった。日頃の運動不足、健康管理の甘さ、そして、当日の注意力散漫のなせ
る自業自得であるが、今回の療養は体と心を見直すことができる良い機会ともなった。世の中は車椅子生活者
や身障者を置き去りにして、如何に慌しく動きまわっていることか。バリアフリーの言葉は定着したが、現実
は不十分で、買い物や移動などは健康時の数倍の時間とお金が掛かる。今まで大過なく来られたことが不思議
であり、健康体として生み、育ててくれた親に感謝している。
また、今回の怪我では多くの方々に迷惑を掛け、暖かく看護、
治療に関わっていただいた。この場を借りて深謝いたします。
毎年、卒業式と祝賀会に参加していたが、今年は入院のた
め若者の旅立ちの姿を見送ることができなかった。後日、卒
業生代表が受賞した旨を伝えに来てくれた。賞の開設以来、
廣瀬教授と3年連続とのこと、新鮮味がなく申し訳なくも感
じるが、受賞は病床の身に励み、活力ともなり、大変ありが
たい。今年から新臨床研修医制度が開始されるが、卒業生の
病理勉強会に参加してくれた卒業生との記念撮影
皆さんには臆することなく、自信をもって「心技体」を磨い
ていただきたい。
34
学生のページ
2004年
ハワイ大学臨床実習報告 (期間:2004年3月1日∼26日)
学ぶことが多かった
米国医学教育と医療
としかつ
報告者 三井 俊賢(第6学年)
CCSの1クール目として、ハワイ大学付属病院の
1つであるKuakini Hospitalで臨床実習を4週間行っ
てきました。このKuakini Hospitalは海外からの学生
を多く受け入れており、ハワイ大学医学部3年の学
生と同じプログラムで実習をさせてもらいました。
1∼3週目の内容はレジデント3年目( R3)
、レジ
デント1年目(intern)
、医学部3年生の3∼4人で構
成されるMedical team careの一員として、トレーニ
ングを受けてきました。Kuakini Hospitalに搬送さ
研修証明書をいただいて。右端がDr. Tokeshi
れてきた全患者さんをMedical team careが診ます。
それを指導するのが指導医(Attending)で、指導医は患
も示さなければならず、初めは戸惑いました。とくに
者さんの病態によって替わります。例えば、患者さんの
日々変動する電解質の補正は大変で、何度もintern に教
問題が心疾患であれば、循環器のAttendingにteamがコ
えてもらいました。
ンサルトして、その指導を仰ぐというわけです。
4週目には、teamから抜けて家庭医であるAttendingの
私の1日を紹介します。R3の回診の前、朝5時に自分
Dr. Tokeshiにつきました。Dr. Tokeshiは学生に求める範
で回診をして、その日の患者さんの状態を把握し、カル
囲が広く、厳しい実習となりました。実際に、この1週
テを書き、サインの欄は空けてオーダーまで書きます。
間の平均睡眠時間は3時間で、当直は毎晩でした。Dr.
R3の回診は朝7時で、その際にプレゼンをしてカルテと
Tokeshi の外来で担当している患者さんが救急センター
オーダーをチェックしてもらい、訂正する箇所がなけれ
に運ばれた時には、夜中でも病院に呼ばれ、担当してい
ばR3 がサインし、自分で書いたオーダーがそのまま効
る入院患者さん全てが学生に任せられました。患者さん
力を発揮します。自分でとった身体所見もR3 回診の際
を学生2人で分担しましたが、多い時で9人の患者さん
に教えてもらえるので、その取り方が適切かどうか確か
を担当しました。つまり朝6時半のAttending round まで
めることができます。R3 回診の後は、Attending の回診
に全ての患者さんの回診を終わらせるには、朝3時半に
とレクチャーがあります。Medical team の診療のチェッ
は回診を始めなければなりませんでした。しかも、夜に
ク、話題に上がった疾患、病態などがレクチャーの内容
緊急の患者さんが搬送されてきた場合、Attendingといっ
です。その後、ICU 回診があります。この回診では全て
しょに対応した後で学生が詳しい問診、身体所見を取っ
のteamが集まって、重症の患者さんを診た後ディスカッ
てカルテに書かなくてはならず、睡眠時間ゼロという日
ションが行われます。回診ごとにディスカッションは行
もありました。Attending round が朝9時前に終わると、
われるのですが、このICU 回診でのディスカッションが
それから午後5時まで外来があり、そこでもまず学生が
一番難しく、答えられるようになるまでに1週間かかり
問診、身体所見を取ります。 Attendingが別の患者さん
ました。これが終わる頃は午後1時半で、残っている仕
の診察を終えて診察室に入ってくるまでの10分間に、身
事を終えて当直の当番でなければ、午後3時半に仕事が
体所見まで取り終えなければなりません。初めのうちは
終わります。
時間が足りず、Attending が途中で入って来て診察を交
今まで日本では、患者さんの問題点に関する治療を具
替するということが何度もありました。実習中の1週間
体的に考えるような機会はありませんでした。しかしこ
で、50 人ほどの患者さんを診察したと思いますが、診察
こでは、学生はオーダーを出すことはできませんがそれ
手技を身体で覚えたという感じがします。Dr. Tokeshiか
を書くことが要求されており、さらに具体的な治療計画
らはさらに、教科書には載っていない“医師とはどうい
35
学生のページ
カリキュラムを作り、実習生たちは守られてトレーニン
グを受けているといった感じがします。
しかし、アメリカの全てが良いわけではありません。
保険制度が日本とはまったく異なり個人で保険会社と契
約している人が多いので、全ての患者さんが平等に医療
を受けることはできません。日本の保険制度の方が患者
さんにとっては良いと思いました。また日本ではどこで
もできる超音波検査も、専門家に紹介しなければなら
ず、結果を得るまでに1日ほど待たなくてはなりません。
さらに1人の患者さんをteamで診ているので、何人もの
医者が診ることになり、患者さんにとっては大変だと思
います。実習を受ける前は、日本人よりアメリカ人の方
病室回診中の記念写真
がコミュニケーション能力が高く、患者さんと良い関係
うものか”を教えてもらいました。他人との競争の中で
が築けると思っていました。しかしアメリカは多民族国
忘れかけていた“何のために誰のために勉強しているか”
家で、貧富の差も激しく、患者さんと医者との社会的な
ギャップが大きく、コミュニケーションをとるのが大変
を思い出すことができました。
アメリカの医学教育・医療を見るのは2回目だったの
な場合も少なくありません。この点、日本は単一民族国
で、日本との違いをよりはっきりと認識することができ
家で言語の問題もほとんどないため、患者さんとの関係
ました。アメリカの良い所は、教育体制がしっかりして
はより築きやすいはずだと思いました。
いる点です。上の先生との距離は近く、よく教えてもら
海外の医療を見られる機会は多くなく、本学のように
えます。毎日の回診の中で他のteamのプレゼンを聞いて
海外の大学に交換留学ができる大学も少ないと思いま
ディスカッションすることで、たくさんの症例をシェア
す。私がこの利点を最大限に活用できたのも、レールを
することができます。全てのteamを総括しているChief
敷いて下さった先生方のおかげです。できるだけ多くの
resident が教育係で、良いと思った最新の論文を紹介し
後輩の皆さんが、この貴重なレールをぜひ活用して欲し
たり、外から専門医を呼んで回診を計画したりするなど
いと思います。
《本学スタッフ新刊著書》
二ノ宮節夫、冨士川恭輔、
越智隆弘、國分正一、岩谷 力 編
今日の整形外科治療指針
第5版
分担執筆:
松本忠美(第 23 章 股関節の疾
患:単純性股関節炎、p721, 乳
児化膿性股関節炎、p721-722,
変形性股関節症、p722-725)
山口昌夫(第10章 リハビリテーシ
ョン:体幹装具、p342-343)
医学書院
B5判、903頁
定価:本体18,000円+税
2004年3月1日発行
ISBN 4-260-12592-3
本書は、整形外科医および一般臨床医が日常診療で遭遇
するすべての骨・関節疾患について、現時点での最新・最
高の治療法の実際と、臨床のノウハウが具体的かつ懇切丁
寧に書かれている。1987年に刊行されてから4版を重ね、
17 年の長い間多くの医師に愛読されている。第4版から、
各項目に「患者説明のポイント」や「看護ケアとリハビリ
上の注意」が加えられ、診療の現場により密着した記述に
なった。第5版では2色刷りとなり、リハビリテーション、
骨系統疾患、筋神経疾患が充実されたが、さらにDPCな
どの新しい医療制度やロボット手術などの新しい手法など
が「トピックス」として掲載され、医療の現場で必要とな
る介護・福祉の知識について、
「整形外科医と介護・福祉」
が新設された。整形外科疾患すべてを網羅する本書は研修
医の参考書としても有用である。
(運動機能病態学 山口昌夫記)
36
学生のページ
2004年
マーサ大学交換留学報告 (期間:2004年3月15日∼27日)
印象的だった米国の家庭医療
報告者 鴨下 衛(第6学年)
的診察、その他整形外科的診察や、婦人科のコルポスコ
ピーなど、外来で行う診察のほとんどに対応できる能力
を家庭医は身に付けていることである。治療に関しても
外来でできるような外科的処置を行い、私が見た症例で
も皮膚の切開と縫合を行っていた。
今回私は、Medical Centerといわれる総合病院や一人
で診察を行っている開業医のクリニックなど複数の施設
での実習を行うことができたが、どの施設でも診療様式
は日本とは異なり、いくつかの個室に患者さんが待機
し、そこを医師が訪れて診察を行うという形式がとられ
ていた。そして診察の内容は問診が重視されており、症
状についてだけでなく患者の生活、家庭、仕事、学生に
はクラブ活動のことなど、短時間のうちに様々なことに
ついて聞き出していた。このことは病気の原因を一元的
に捉えるのではなく、あらゆる方向からその疾患にアプ
マーサ大学キャンパス内にて。Lin副医学部長と
ローチするという姿勢を強く感じさせるものであり、見
学している私にもその患者さんの背景について把握する
この度私はアメリカのジョージア州にあるMercer大学
ことができるものであった。私たち学生も日頃、疾患だ
にて2週間の実習を行う機会を得た。このプログラムは
けではなく患者さん全体を診ることが重要であると言わ
6学年の C C S の期間を利用して行われるものであり、
れているが、今回改めてそのことの意味を確認すること
前々から海外での研修を希望していた私にとって大変貴
ができ、自分自身とても参考になった。しかしこれを実
重な経験となった。特に今回の実習で非常に印象的であ
践するには、高度な問診の技術に加え患者さんとの信頼
ったFamily Practice(家庭医療、以下FP)について報告
関係が必要であることも同時に感じた。というのも、あ
したいと思う。
る施設で私はアメリカ人の学生と共に行動する機会があ
Mercer 大学は北米医学部の中では最も新しい大学であ
ったが、彼らの問診や身体所見の取り方、さらには患者
り、そのミッションはプライマリ・ケアを重視しFPの臨
さんへの接し方などはとてもレベルが高いという印象を
床医を育てるということである。そのため、今回私たち
持ったからである。もちろんこれには、米国と日本の医
は第1週及び第2週の前半多くの時間を費やして、この
学教育の違いが関係している。4年間の大学教育修了後
FPについての実習を行うことができた。
FP は日本では十分に確立されておらずなじみの薄い分
にメディカルスクールに入学する米国の医学生は、3・
4年生のほとんどを病院内で過ごし、その立場は担当患
野で、私がFP について初めて知ったのは5学年の夏に沖
縄の米国海軍病院に実習に行った時であった。ただしそ
の時は実際に診察を見たわけではなかったので、私はあ
らゆる疾患を幅広く診察する科である総合診療といった
漠然としたイメージしか持っていなかった。しかし今回
実際に見た家庭医の仕事は、私が想像していた以上に幅
広い領域をカバーし、またその内容も深いものであり、
大変興味深いものであった。
FP が対象とする領域は、内科はもちろんのこと、小児
科、産科、婦人科など多岐にわたっている。特に驚いた
のは家庭医が正常分娩を扱う場合があるということで、
さらに診察では眼底鏡や耳鏡を用いた眼科および耳鼻科
メーコン市郊外のRegional Medical Centerの前で
37
学生のページ
者さんに対して責任を持って治療や検査を行う医療スタ
ッフの一員である。医療面接の授業ではプロの役者が患
アメリカ医療の利点と欠点
報告者 花田 雄樹(第6学年)
者役となり、徹底的に面接技法を学ぶ。このように学生
時代から医師としての技術と人間性を学んで行くという
米国の教育システムを実感することができ、とても勉強
になった。
日本との違いとしてもう一つ感じたことは、どの医師
も検査にあまり頼らないということである。私が見た家
庭医たちは、問診と身体所見、そして必要最低限の検査
から多くの鑑別疾患を絞込み、診断を下していた。すな
わち無駄な検査は一切行わないという方針が一貫して取
られていた。これには両国の医療保険の違いが関係して
いると考えられ、国によって医療費が保証されている日
本と異なり米国では個人で保険に加入するため、医療費
は米国民にとってより深刻な問題だからである。そのた
め医師にとってもより少ない医療費で診断・治療を行う
能力が問われているのであり、特に FPというプライマ
リ・ケアを主体とする科ではその傾向が強く、米国にと
ってFP の必要性は大きいものであると感じることができ
た。実際に実習期間中、日本の医療保険制度はどうなっ
ているのかと聞かれることが多々あった。米国の医師た
ちは、日本の医療保険制度は素晴らしいと誉めていた
し、事実私も貧富の差により差別されることのない日本
voluntary clinicにて。家庭医のドクターと
の医療保険制度は優れていると思っている。日本でも今
後医療費の問題は深刻化することが予想されるからこ
本年3月 14 日から2週間、Mercer 大学での短期交換留
そ、家庭医の存在が重要になってくるのではないかと感
学プログラムに参加した。以下に今回参加するまでの経
じた。
緯と、プログラムを終えた時点での心境の変化について
今回の海外実習で、私は家庭医に対してさらなる興味
特に詳しく記そうと思う。後輩たちに是非読んでもらい
を持った。そして日本の医学生の中で家庭医になること
たいし、多くの後輩たちに海外に興味を持ってもらいた
を目指している者も少なからずいるであろう。貴重な体
いからである。
験をした者として、今後後輩たちに伝えていくことは
最初に今回参加するまでの経緯を記す。私は4年の秋
多々あり、そのことが日本における家庭医の今後に少し
に応募することを決めていたが、その動機は「在学中に
でも役に立てばと思っている。
漠然と海外の医療をこの目で見て確かめたい」、「将来、
2週間という短期間ではあったが、この経験により私
USMLE の資格を取得して可能性を広げたい」といった
は多くのことを学び、将来に対する展望も得ることがで
単純なものだった。しかし、4年の秋の時点では日常の
きた。今回Mercer 大学への派遣を許可してくださった本
英会話すらままならない状態で、ましてや英語で臨床実
学の先生方、そして現地で大変お世話になったDr.Linに
習を行うことなど到底不可能な状態だった。4年の夏の
心より感謝したい。また今後さらにMercer 大学と本学と
西医体を終えヨット部の幹部から退き、時間的な余裕が
の関係が強固になることを願ってやまない。
できたので、急いで某英会話学校に通い始めた。このプ
ログラムの選考試験のある5年の秋までには何とか日常
の英会話レベルに到達していたが、自分の意見や主張を
英語で表現するレベルには程遠いものだった。BSL が終
盤に差し掛かろうとしていた頃、選考も確定したので鴨
下君とともに、医学教育学の相野田先生に計7回、1回1
∼2時間のトレーニングを受けた。始めた当初は会話の
1割程度しか参加することはできなかったが、何とか出
38
学生のページ
発直前には3割程度の会話に参加でき、多少は自ら英語
ずに、病歴聴取と身体所見だけで診断、治療を進めた。
で話題を提供できるようになった。1回に1時間という
日本ならば必ずルーチンで行う検査を殆ど行わなかっ
所定時間を大幅に超えることもあり、まるで1年の頃に
た。確かに病歴聴取と身体所見に時間を費やして、そこ
行ったチュートリアルのようであった。
から診断、治療を出せる医者は腕の良い医者なのかも知
次に現地で特に印象的だったことを記す。1週目は
れない。しかし、私の目にはそれらが“苦肉の策”にし
Family Practice(以下FP)
、2週目は ER(Emergency)で
か写らなかった。あと一つは、全米に数百カ所無償で経
実習をした。FPについては鴨下君が報告しているので割
済的余裕のない人々に医療を提供する“voluntary clinic”
愛する。2週目の2日間は、ER で実習した。FP1 年目の
が存在する状況である。もちろん薬剤は無償で処方され
resident でERのローテイトを始めて1カ月にも満たない
る。我々はその一つであるクリニックを見学した。そこ
33歳の医師についた。彼はベトナム戦争で南ベトナムの
は設備があまりにも不十分であった。放射線技師を雇う
サイゴンを追われ、幼少期にカリフォルニアに難民とし
経済的余裕がないためにレントゲンを撮ることができな
て移住。シカゴの医学部を卒業後 F P で定評のある
い。また、そのレントゲン機器にしても、心電図機器に
Medical Center of Central Georgiaに就職した。見学を始
してもかなり古い形式であった。そこのスタッフは全て
めた直後に末期癌でDIC のため出血性ショックで心停止
無給、医者に関しては外科や産婦人科を引退した方々が
の患者が搬送された。救急隊員が直ちに挿管、心臓マッ
医療に携わっていた。このように、ボランティアで働い
サージを行い患者の体がその衝撃で波打つ中、彼は迅速
ている方々は本当に素晴らしい方々だった。しかし、こ
に大腿からラインを確保した。そして、パラメディック
のようなボランティアの方々に頼らなければいけないア
に的確に指示を与えていた。とても1年目で、なおかつ
メリカの医療財政は異常であると思った。
ER をローテイトして1カ月に満たないFPのresident とは
以上二点が特に印象的だったことである。今回のプロ
信じがたかった。私は何と、ここで心臓マッサージをす
グラムから、全てではないがアメリカ医療の利点、欠点
るチャンスを得た。生身の患者を相手に心臓マッサージ
を肌で感じることができた。後輩には是非とも、チャン
をしたのは生まれて初めてで、興奮を隠せなかった。そ
スがあればこのような海外研修プログラムに積極的に参
のチャンスを与えられたのは我々だけではなく、パラメ
加してもらいたいと思う。幸い、Mercer大学だけではな
ディックの学生にも与えられた。このようにアメリカの
く、Hawaii 大学、Vermont大学のプログラムがあり、利
resident にはgeneral な医療が求められている。また、学
用しない手はないと思う。自信を持って応募してもらい
生に実践のチャンスを与えるアメリカの医学教育に興味
たい。
を持たずにはいられなかった。
最後に今回のプログラムで多大な協力をしていただい
アメリカの医学教育について、感銘を受ける点は数多
た竹越学長、友田先生、大瀧先生、相野田先生、学術交
くあった。しかし、アメリカの医療は決して「進んだ医
流室の皆様、そして何より現地でたいへんお世話になっ
療」ではない。それは、医療保険の破綻を生み出す様々
たT. J. Lin 副医学部長、その他多くの皆様に心から感謝
な弊害があるからである。その一つは、ある小児科クリ
致します。
ニックを見学した時に感じた。感冒様症状で来院した小
児に対して、血液検査、胸部単純X-Pのオーダーを出さ
マーサ大学Lin副医学部長のオフィスにて
ERの産婦人科のレジデントと
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ドイツミュンスター大学医学部短期留学生の本学における Clinical Clerkship 報告
ドイツの卒前研修医学生を迎えて
2004年2月12 日から4月13 日までの2カ月間、ドイツミュンスター大学医学部4年生の学生、Fabian Volk(ファ
ビアン・フォルク)とRobin Bökenfeld(ロビン・ベッケンフェルト)の2人が私たちのところに、心臓血管外科の実
習のために滞在しました。実は1986年9月から2カ月間、やはりドイツから2人の学生が当科に実習に来ていました。
私自身が昔ドイツに留学していたので、以来ドイツとは何かと縁がある関係からでした。2人は既にそれぞれ産婦人
科と脳神経内科の教授になっています。その2人のうちの1人が今回のFabianに金沢医科大学を勧めたのです。
医科大の職員宿舎に住み、連日我々のところで心臓、血管あるいは肺外科(=呼吸器外科にて)の手術に参加し、
医科大の学生と同様に皮膚縫合や糸結びなども行いました。ステントグラフトやPTA(経皮的血管形成術)
、PTCA
などのinterventional radiology、心臓カテーテル検査、血管造影、血管無侵襲診断法、外来や病棟における医師と患
者の関係、などなど、医療現場の見学・実習を行うとともに、金沢や京都の日本の古い文化にも触れていきました。
医局員との交流もありました。一つ残念であったのは、彼らの滞在中は、医科大の学生は試験と春休みで、学生同
士のつき合いが出来なかった点です。しかし看護学校生との交流はうまくいっていたようでした。
ドイツでは随分前から、EU 諸国、アメリカ、カナダ、オーストラリアそして日本などで行った臨床実習が単位と
して認められるのです。日本はそれだけ重きを置かれているので喜ばしい限りですが、これはまた何ともうらやま
しいシステムです。既に学生時代に広く外国を経験させるというわけです。金沢医科大学でも最近はCCS の一端に
アメリカMercer 大学での実習が組み込まれており、また夏休みのハワイ大学での英語研修などがあり、日本として
は最先端を行っているのではないかと思います。
医学の勉強のみならず広く内外のヒトとつき合うということは、医学生や若い医師として非常に大切なことであ
り、今後もこのようなチャンスがあればと思うところです。
(心血管外科学松原純一記)
Report about My Practical Clinical Elective
at Kanazawa Medical University
G. Fabian Volk
(ミュンスター大学医学部第4学年)
My practical clinical elective at Kanazawa Medical
University is my second elective in a surgical department and
my first outside of Germany. The first one was in a hospital
with 500 beds in the department of General and Vascular
Surgery.
After getting in contact with Professor Matsubara more
than one year ago, Robin Boekenfeld and I started to collect
information about the Japanese health care system, about living in Japan and about Kanazawa Medical University.
Unfortunately, the University of Muenster did not offer any
Japanese language courses during the last year and we had little time for our self-education, so we were concerned about
our ability to communicate in Japan. But fortunately many
doctors in this hospital are very good at speaking English and
explained very much to us, so even without Japanese we get
all the information we needed.
Of course the contact to the patients was strongly limited by our language ability, but even here Dr. Kobata and
Professor Matsubara helped us and showed us several outpatients. Ultrasound examinations of venous diseases, compar-
手術を終えて(左から小畑、Fabian、Robin、松原、飛田、四方)
ing blood pressure control of the limbs and post-operative
treatment were some of the things we learned.
In several private lessons from Professor Matsubara,
Dr. Shikata and Dr.Kobata, we got a good introduction into
the diagnostic and surgical aspects of heart and vascular diseases. Also the minimally invasive treatment of vascular disease was a very interesting technique and we were glad that
Dr. Kobata spent so much time to show us all aspects and
several operations.
During the operations we had the possibility to experience a highly developed and engineered medicine used in
40
学生のページ
Germany only in the best hospitals. But even in this sophisticated environment we were allowed to train our skills in
stitching on simulators and later on patients and in diagnosing dissections and aneurysm in x-rays and CTs.
Not only in the Department of Thoracic and
Cardiovascular Surgery did we have the possibility to learn
many new things, but also in the Department of Thoracic
Surgery from Dr. Sakuma. There, we take part in lung cancer
operations, and Dr. Sakuma explained to us the different
aspects of the tumors of the lung.
Our stay here at the Kanazawa Medical University was
not only well-organized and enriching on the medical side,
but also in a social and cultural way. For example, the flat in
the dormitory was fully equipped and made our stay very
comfortable. Also it was very easy and interesting to eat in
the cafeteria. There we got a first impression of the rich
Japanese kitchen. And the good contact with the Doctors, the
medical students and the nurses made our time in Kanazawa
a very positive enrichment of our lives.
Practical Clinical Elective in Kanazawa
Medical University, Department of Thoracic
and Cardiovascular Surgery
Robin Bökenfeld
(ミュンスター大学医学部第4学年)
手術中(Robin、Fabian)
I am, as well as Mr. Volk, a medical student in the
fourth year of a six year medical training at Müenster
University. The German medical educational system is very
similar to that of Japan. However one small difference is conducting a clinical elective after the first examination (after the
first two years of preclinical education) and the second state
examination (after 5th grade). This elective comprises of four
months of practical training, of which two months have to be
performed in a hospital environment. The student has the
chance to do either a part of it or even the whole training in a
foreign country.
The plan to do at least a part of the training in a foreign
country arose very early. Therefore I did not hesitate when
my fellow student Fabian told me, he had been acquainted to
a German gynaecologist, who had been to Kanazawa Medical
University about 20 years ago and might have the chance to
do the same, whereas I could join in. Long ago my interest in
Japanese culture and its highly sophisticated medical system
had developed. Consequently I was happy to join in to gain
further insight into the health care system in Japan in general,
as well as into specialties of surgery. Both of us consider surgical subjects as possible future careers, and both of us
already performed one month in surgical departments in
Germany.
Not only directly after arrival in Kanazawa my biggest
concern was the possibility that my Japanese would not suffice to communicate properly with patients as well as with the
doctors. However we were welcomed heartily and the
English of many doctors was perfect. So many explanations
were given to us, even on every Thursday's ward round we
not only got information to nearly every patient visited but
also specific pathological changes on individual x-rays were
shown to us.
Our main occupation during our stay was attending
operations. Even without being directly at the operation table
they were very interesting. Especially the camera, which is
movable by the student, was very helpful to see even the
smallest actions. This was one of the most useful devices, I
will miss in Germany. However later we had the chance to
scrub and stand directly at the desk during the operations.
The most common operations we attended to were CABGs,
bypass-operations after arterial occlusions or stenoses and
operations of aneurysms. Especially the later ones were highly interesting, because also minimal invasive techniques were
applied, such as minimal invasive stent grafting. I am glad of
this really great opportunity of having the chance to gain further insight not only into the direct application of stentgrafts
in form of an operation, but also in making them. This
method was shown to us by Dr. Kobata.
Another very interesting and technically highly
advanced method was the laserdoppler - supported thoracoscopic sympathectomy. It was surprising, that the technique
of the laserdoppler with Fourier-analysis, shown to us by Dr.
Shikata, found direct clinical application during the operation. In Germany I have only seen this technique in early laboratory-settings.
In addition, we had the chance to join operations in the
department of Dr. Sakuma. This was very helpful in order to
get an impression of the whole subject, as the subject of Herz-
41
学生のページ
Thorax-Gefaes schirurgie in Germany also includes thoracical surgery.
It was a great honour for us to take part in many private
lessons and lectures of Prof. Matsubara, Dr. Shikata and Dr.
Sakuma. Also was it a big chance to join a congress in
Kanazawa with Prof Matsubara in order to see many interesting PTCAs. Again a very sophisticated technique surprised
us, especially the live broadcasting of PTCAs from the individual hospitals.
Operations mostly took place on Mondays,
Wednesdays and Fridays. However we sometimes had the
opportunity to join an emergency operation. After operations,
we were allowed to use the library of the department, which
was very helpful to recall surgical techniques as many
English books, even some German were accessible.
Furthermore it was very kind of Prof. Matsubara's secretary
to show us how to use the library of the University hospital.
Having the opportunity of using a Japanese-style apartment
in the dormitory was a great pleasure for us, because hence
we acquired closer contact to a Japanese way of live.
In general all people in the operation rooms and hospital were
very kind and eager to help, even when communicating wasnot successful in the first place.
Of course, because of our limited Japanese language
skills, the possibility of intensive contact to patients was
somewhat limited. However we took part in many examinations in the outpatients department, such as differential blood
pressure measurement of the limbs and ultrasound Doppler of
varicose veins. In addition besides the operations, we attended radiological examinations, e.g. PTA's, several angiographic examinations and sometimes phlebographies.
The training of surgical techniques was very practical as we
were allowed to join operations, to tie, and to suture - of
course after training of suturing techniques beforehand on a
plastic model.
As a concluding statement, I would say, that these two
months were one or the most enriching ones in my life, not
only seen from the educational perspective of the learning
student but also from my very personal view. I would not
want to miss any of these days, which have widened my view
by getting impressions on a totally different culture and a different health care system.
《本学スタッフ新刊著書》
Gerard J. Tortora, Sandra Reynolds Grabowski著
大野忠雄、黒澤美恵子、高橋研一、細谷安彦ら編集・共訳
トートラ
人体の構造と機能
原著第10版
分担翻訳:石橋隆治 (第 2 0 章 心臓血管系:心臓、
p659-695)
丸善
A4変判、1,158頁
定価:10,500円(総額表示)
2004年3月31日発行
ISBN 4-621-07374-5
看護大学やコメディカル養成施設で使うための教科書
として米国で書かれたものの日本語訳。既に日本で翻訳
出版されているコンサイス版の「トートラ人体解剖生理
学−からだの構造と機能」(原著第5版)と共に、米国で
は最も広く使われている教科書。
解剖学と生理学の知識を統合した入門書で、形と働き
を理解するのに不可欠なホメオスタシス(恒常性)に着
目し、分かりやすいイラストと綺麗な写真で明解に解説。
ポイントがわかりやすく、実践的Q&A問題、臨床との
関連記述などが豊富。
本来はコメディカル向けの教科書だが、医学生がCBT
の前に知識のまとめとして読むのにも適している。章末
には選択形式の問題もあり、基礎の知識を確認すること
ができる。
なお、日本でも 2002 年に発売され、看護学校や看護大
学などで広く使われているコンサイス版の「トートラ人
体解剖生理学 −からだの構造と機能」(原著第5版)の
改訂版(原著第6版)の翻訳は9月に出版予定である。
(生体情報薬理学石橋隆治記)
42
学生のページ
シリーズ: 私が 医師になりたい理由・ 医師になった理由 ⑩
私が医師になりたい理由
まんだい
こうじ
万代 幸司(第3学年)
私が医師を志したのは、高
私が医師になりたい理由
木下 正樹(第4学年)
私にとって、医師という2文
校生の時でした。
私は中高一貫の6年制の学
校に通っていました。中学校
入学と同時に、周りの友人や
先生方は大学受験に視点を置
字は小さい頃から自分の頭の
中にあったように思う。
少年時代、私は朝から晩ま
で外で遊ぶような子供だった。
身体のどこかには絶えずかすり
いていました。多くの友人た
ちが志望大学・学部をあっさり決めていくことに疑問
を感じ私は、友人達に「なぜその学部を志望するの?」
と訊きました。彼らは「なんとなく決めたよ」
、「大学
に入ってからやりたいことを見つけるつもりだよ」な
く回数が多かったのを記憶している。当時、保健室と
いうのは子供たちにとって非常に身近な場所だった。
遊びに寄るだけでもある程度は許されたし、小さな事
でも気軽に相談に行ける場所でもあった。この保健室
どと答えました。私は目標なく大学に入り、そこで将
来従事していく仕事を見つけることができるはずはな
いと感じ、将来の職業を決めかねていました。
そんな頃、祖父が大腸癌で倒れ、いつも元気だった
に比べて、病院というと、やはり意を決して行く必要
がある場所で、行きづらい印象があった。そんなこと
を考えながら、私は病院も保健室のように身近に感じ
られる所であればよいと思っていた。その思いは今で
祖父が弱々しくなっている姿を見て、大きなショック
を受けました。数日後見舞いに行った時、不安そうな
祖父の話を聞いてくれている医師に会いました。祖父
はその医師と話しているうちに不安が和らいだのか、
時おり笑顔さえ見せていました。私はその時の祖父を
見ていて、このような医師こそ良医なのだと強く印象
づけられたのです。
も変わらない。今思えば、この時すでに医師という職
業を意識していたのであろうか。
父が医師であることも関係しているであろうが、時
が進むにつれて医療に対する興味は増し、医学部を受
験することに決めた。本学に入学し現在私は4年生に
なって医学の勉強に没頭中であるが、入学時から思う
ことが3つある。
さらに、高校に入ってから医師を志すことを強く決
心した出来事がありました。それはいつも優しかった
伯父の死でした。高校からの下校途中に自宅から連絡
があり、突然のことで事態が飲みこめず、ただ自分の
当然であるが、人の命を預かる医師という職業であ
るから、医学のエキスパートになること、また患者さ
んが病院を訪れる1回1回が、より充実したものになる
よう広い知識をつけること、そして医学以外の様々な
無力さを情けなく思いました。
人の死は避けられないものでしょう。しかし、助け
経験を積んで広い視野が持てるようになること、これ
が私の目標である。そしてもっとも大切な「医の心」
ることのできる命は確かにあるはずです。私は医師に
なり、病に苦しんでいる人の身体的・精神的痛みを和
らげ、ひとつでも多くの命を救うことが出来ればと考
えるようになりました。
をいかなる状況においても忘れることのない医師にな
りたいと思う。
これらのことが達成されれば、私が少年時代に抱い
た思いを実現できると考えている。そのためにこれか
傷があったため、保健室に行
この春から私は3年生になり、いよいよ臨床的なこ らも、初心を忘れず様々なことにチャレンジしていき
とを学びます。より専門的なことを学んでいく上で、 たいと思う。
一日一日を実りあるものにするために意識を高めてい
きたいと思います。そして、自分が考え選んだ医師と
いう道を初心を忘れず、また努力を怠らず真剣に歩ん
でいくつもりです。
43
学生のページ
私が医師になりたい理由〈学外編〉
のりい
たつもり
乗井 達守(佐賀大学医学部医学科4年)
す。そしてそこには原発が4つあり、1986 年に、その
うちの1つが爆発事故を起こしたのです。隣のベラル
ーシ共和国との国境近くにあるため、双方の国周辺一
帯が被災しました。
4月 16 日現在、2人の日本人
私がウクライナを訪れた時には、もうその事故から
を含む多くの民間人がイラク
13 年が経過していましたが、まだまだ事故の被害は深
で拘束されています。何時間
刻でした。特にウクライナとベラルーシにおける子ど
か前までは、幸いにも解放さ
もの被害は深刻で、甲状腺がん、白血病などの病気は、
れましたが、さらに3人の日
その発生率がいまだに増加傾向でした。
本人が拘束されていました。
そして、その内の1人は、今
年“高校”を出たばかりの
私は、ウクライナで2週間、甲状腺の病気の子ども
たちと生活することができました。そこで、多くのこ
とを自分の目で見て感じたのですが、その中でも、無
“18歳”でした。私は彼を知りませんし、似ているかど
力感と悔しいという思いが大きかったのです。そのと
うかも分かりませんが、しかし、彼についての報道を
きの私の感想が、h t t p : / / w w w . s m n . c o . j p / c h e r n o / n e w s /
見ていて、17、18 歳当時の私自身のことをいくつか思
39/04.html で読んでいただくことができますが、その思
い出しました。
いは今でも変わっていません。そして、その思いを何
1999年の夏、17歳の時、私は旧ソ連のウクライナと
とか行動にと悩んだ選択肢が私の中では医師だったの
いう国に行く機会に恵まれました。どうして行くこと
です。医師以外の選択肢も当然あったのだろうし、私
になったかは、説明をするとかなり長くなってしまう
と違う選択をした友達もいます。将来、私と違う選択
のですが、一言でいうと、チェルノブイリの子どもた
をした友達と共に、活動できればと考えています。そ
ちへの支援活動でのつながりが理由でした。
の時に備えて、私は勉強しているわけです。
チェルノブイリは、ウクライナ共和国の中の地名で
《乗井達守さんの紹介》
別記のマレーシアのクアラルンプルにある国際医科大学で開催された「医学教育コロキウム」のワ
ークショップに参加した際に、会場でこの佐賀医科大学の医学部4学年学生の乗井さんに出会った。
20 人ほどの参加者が一人ずつ簡単な自己紹介をした時、初めて彼が日本人でしかも学生であること
を知り、
「あなたは日本の学生だったの!」と思わず叫んでしまい、参加者みんながどっと笑ってく
れたおかげで、アイスブレーキングのための自己紹介は成功したようだった。彼は、もう一人の学生
である飯島さん(佐賀医科大学の3学年学生)と春休みを利用して参加しており、翌日の学会には
「学生の自主グループ勉強会活動の紹介」とい
うポスターセッション演題を発表していた。さ
らに彼らはこの大学のファカルティである大西
講師を通じて学生の授業にも積極的に参加して
おり、国際医科大学のスタッフに十分に受け入
れられていた。おかげで学会の合間に学内ツア
ーガイドもしてもらい、彼の医学生としてのあ
り方に共感をおぼえるものがあったので、今の
日本の医学生の一人として、彼の考え方の一端
を披瀝してもらった。
(医学教育・情報学相野田紀子記)
ワークショップ風景
44
学生のページ
報 告
マレーシアでの医学教育学会出席記
― 元気なアジアを紹介します ―
医学教育・情報学助教授
相野田 紀子
3月 14 日から17日までの4日間、日本から6時間のフライ
れない、スカーフをかぶった女性やターバンを巻いた男性
ト、時差1時間のクアラルンプルにある国際医科大学
が何人かいる、いろいろな英語が飛び交っている」といっ
International Medical University( IMU、私立、5年制)で開
た学会風景で、
「アジアが活発なのは当然でしょう」といっ
催された医学教育学会Medical Education Colloquiumとその
た雰囲気で進行していました。私は、
「いつもの国際学会の
ワークショップに参加してきました。欲張っていろいろな
活発さ」につい引き込まれてこの学会に参加していました。
経験をしてきたので、みなさんにぜひお伝えしたいと思い
ます。
第1日は医学教育に関するワークショップ(午前は評価に
学会第2日の午前中と学会後の翌日の午後に、IMUの第2
学年のPBLに参加しました。1グループは10名の学生と1名
のチュータで構成され、本学のPBL と同様な進め方でした。
ついての基礎的課題、午後は臨床スキルの評価について)に
ただ、シナリオが紙ではなくビデオで提示される点が異な
参加しました。それぞれ20∼30名の医師、基礎医学研究者
りました。このビデオは、将来の遠隔教育を目指して組織
が少人数のグループに分かれて、活発な討論や発表が行わ
されている「バーチャル医科大学」というIMUの特別部門
れました。地元はもちろんのこと、シンガポール、インド、
が作成したもので、なかなかよく出来ていて参考になりま
インドネシア、韓国、中国などから様々な人種が集ってお
した。シナリオは結核症例で、検査所見では実際の診察場
り、共通点は医学教育に従事していることと英語で話すこ
面や心拍音、組織検査や血液検査場面、治療については実
とだけ。ワークショップの進め方や熱気は国内のそれと大差
際の薬剤、退院後に帰る地域の環境などがリアルに提示さ
ありませんでしたが、異なった点はアイスブレーキング(参
れます。最後には校歌まで入っているという熱の入れよう
加者同士が親しくなるためのプログラム)に要した時間がと
です。PBLは本学と同じく、2回で1例が完結するのですが、
ても短かいながら活発に行われたことです。医師でない参加
2回目が終了した時点で、私に感想を求められました。金沢
者は私だけでしたので、最初の自己紹介で「ちょっと詳し
医科大学でも同じプロセスでPBL を行っていることを伝え
く紹介させて」と言って、自分の経歴やワークショップへの
ると、彼らは目を輝かせて聞いてくれました。心地よい学
参加動機を述べました。皆さんとても熱心に聞いてくれ、
生たちだったので、
「あなたたちの討論の方がたぶん活発だ
「医師でない者が医学教育に携わっても法律違反ではありま
と思う」と少しのリップサービスを付け足しておきました。
せん」と結んだところ、みな手を叩いて歓迎の気持ちを表し
本学学生と彼らが合同でPBLを行うとお互いに得るところ
てくれて、とてもうれしいスタートとなりました。もうずっ
が大きいだろうと本気で思っているところです。
と前からの知り合いのような雰囲気でした。
第2日と第3日は「Educating Tomorrow ’s Health Professionals」という副題が付けられた医学教育学会に出席しま
とにかく、このアジア出張は生まれて初めてで、非常に
印象的でした。そしてもっとも有益だったことは、彼らの
活発さに接することができたことです。アジアは元気です。
した。プログラムは9つの特別講演と30の一般口演・ポス
私たちも、もっともっとアジアに目を向け、お互いに刺激
ター口演からなり、日本からの研究発表は3題でした。学会
し合いながら発展しなければと感じました。近い将来、こ
の進め方、発表や討論の仕方は米国やヨーロッパでの学会
の国際医科大学の学生たちと本学の学生たちが接触できる
と同じですが、気がつくと「会場には金髪はほとんど見ら
日が来ることを夢見ています。
学会場で
国際医科大学でのPBL
45
学 術
総合医学研究所
第1 4 回 研究セミナー
日時:平成16年2月21日(土)
場所:金沢医科大学病院本館4階C41講義室
□特別講演 13:00∼14:10
消化器癌の浸潤・転移 −メカニズムと臨床−
磨伊 正義 教授
金沢大学がん研究所・腫瘍外科研究分野 □講 演 14:10∼16:30
ポストゲノム時代に於けるメタボロームの科学:患者の視点に立つ医学研究
久原とみ子 人類遺伝学研究部門部門長
フラビウイルスの持続感染:ウイルスゲノムRNAの3’末端NCRの生物学的意義
竹上 勉 分子腫瘍学研究部門部門長
6, 12, 16, 18 倍体Meth-A細胞の8倍体細胞からの形成
藤川孝三郎 細胞医学研究部門部門長
カドミウム汚染地域住民における腎障害と予後
中川秀昭 共同利用部門部門長
拡張型心筋症に対する抗心筋膜容体抗体吸着療法の開発
松井 忍 先進医療学研究部門部門長
□所員研究成果発表 10:10∼11:40
発表者:宮越 稔、井上雅雄、長尾嘉信、村上 学、新家敏弘、太田隆英、
宗 志平、尾崎 守、栗原孝行
本学総合医学研究所秋季セミナーは、研究所の活性化
移の問題は、日常
と、研究所員の情報発信の場として、毎年秋季に、外部
診療において治療
講師1∼2名と研究所員を含む学内講師数名による講演
を極めて困難にし
会を開催してきた。ところで、平成15年度の第14 回セ
ている。胃癌の主
ミナーから、従来、金沢市内で開催されてきた市民向け
たる転移形式とし
の研究所春季セミナーが秋季開催に変更されたため、セ
ては肝転移、そし
ミナーは2月開催となり、
「秋季セミナー」から「研究セ
てスキルス胃癌に
ミナー」へと名称変更が行われた。一方、研究所では今
頻発する腹膜播種
西愿前所長の発案で、3年前から所長も含めた所員全員
が挙げられる。一
参加による1年の研究成果の発表の場として「総医研フ
般に癌の浸潤・転
ォーラム」が開催されていた。昨年より、従来のセミナ
ーとこのフォーラムとが同日開催となり、研究所の部門
特別講演: 磨伊正義教授
移は細胞接着機構
の破綻に始まり、
長(現在5名)が午後のセミナーの部の演者となった。
局所での浸潤増殖と組織破壊を来たし、リンパ管や血管
さて、今回は金沢大学がん研究所・腫瘍外科研究分野
を経て他臓器へ運ばれ、そこで増殖するという複雑な過
教授の磨伊正義先生が特別講演の講師として招かれた。
程を経て成立する。この浸潤・転移の過程には様々な癌
座長は研究所外世話人の高島茂樹一般外科消化器外科
遺伝子、癌抑制遺伝子産物、増殖因子、接着因子、プロ
学教授が務めた。磨伊先生は「消化器癌の浸潤・転移−
テアーゼなどの多くの分子が相互に作用している。スキ
メカニズムと臨床−」という演題で、消化器癌克服にか
ルス胃癌に見られる遺伝子異常として、接着分子E-カド
けられた半生にわたる研究成果を語られた。内容は次の
へリンの変異、K-sam、c-met遺伝子の増幅、マイクロサ
とおりである。
テライト領域の不安定性などが指摘されている。一方肝
進行胃癌の完全治癒を阻む最大の要因である浸潤・転
転移型胃癌ではc-erbB-2 の増幅、マトリックスメタロプ
46
部門長講演:
久原とみ子教授
竹上 勉教授
藤川孝三郎教授
中川秀昭教授
松井忍教授
ロテアーゼ(MMPs)の産生、血管新生の誘導などがみ
この研究発表は総合医学研究所所員の発表の場としては
られる。V型コラゲンは進行性の繊維化に関与している
有意義であり、研究内容を所内外の方々に知っていただ
といわれ、スキルスの病態を知る上で興味深い。腫瘍の
く数少ない機会のひとつである。本年度の講演会参加者
繊維化に先行する血管増生、血管透過性の亢進、fibrin
は約100名であった。今回は所員間で非常に活発な討議
やfibronectinの滲出、線溶系反応の亢進という一連の組
がなされたことが印象的であった。これは研究所フォー
織反応が提唱されている。演者は線溶系反応の亢進に注
ラム開催から4回目を迎えたことで、その成果が実を結
目し、そのkey enzymeであるplasminogen activator、PAs
びつつあるものと思われた。
の亢進がスキルス胃癌の病態に大きく関与していること
最後に特別講演を快く引き受けていただいた磨伊正義
を指摘してきた。細胞の癌化、増殖、転移に関わる分子
教授をはじめとする講演者、研究成果の発表者、座長、
機構が解明されるようになり、それぞれのkey molecule
事務課、会場設営にご協力いただいた所員の方々に謝意
をターゲットとした分子標的治療薬の開発が行われてお
を表したいと存じます。
(総合医学研究所久原とみ子記)
り、国内外の開発状況についても言及した。
その他、興味深かったのは、金沢大学がん研究所では
所員研究成果発表:
所員全員の研究業績の評価を行い、それにより研究所が
活性化されたというお話であった。
特別講演の後に各部門長による講演が行われた。人類
遺伝学研究部門長の久原とみ子はポストゲノムの 21 世
紀に生命科学の重要な柱となるメタボローム科学の研究
成果を報告した。分子腫瘍学研究部門長の竹上勉教授は
「フラビウイルスの持続感染」の演題で、C型肝炎等で
見られるウイルス慢性疾患の要因に関わるゲノム変異を
宮越稔助手
井上雅雄講師
長尾嘉信助教授
明らかにしたことを報告した。細胞医学研究部門長の藤
川孝三郎教授はマウス8倍体 Meth-A細胞から6、12、16
および18倍体細胞を樹立したことを報告し、その生成機
構を新たなDNA 構造モデルを用いて説明した。共同利
用部門長の中川秀昭教授はカドミウム汚染地域住民にお
ける腎障害と予後について講演した。先進医療学研究部
門長の松井忍教授は臨床的ならびに実験的検討により拡
村上学助手
新家敏弘助教授
太田隆英助教授
張型心筋症の一部がβ1受容体に対する自己免疫疾患で
あることを明らかにした。この事実に基づき、難治性疾
患である拡張型心筋症の治療法としての自己抗体吸着療
法の開発を試みている。現時点では、非選択的IgG吸着
療法、選択的抗β1受容体抗体吸着療法を疾患モデル動
物に試み、良好な成績を得ていると報告した。
午前中の所員研究成果発表では、5部門から多倍体、
環境ホルモン、遺伝子などとテーマは多岐にわたった。
宗志平講師
尾崎守助手
栗原孝行講師
47
金沢医科大学
ハイテクリサーチセンター
公開シンポジウム
生殖機能に及ぼすダイオキシン等の外因性内分泌撹乱因子の影響
日時:平成16年3月6日(土)
場所:病院本館4階C41講義室
研究成果発表:
特別講演:
特別講演:
城戸照彦先生(金沢大学医学部保健学科
教授)
西川秋佳先生(国立医薬品食品研究所
病理部室長)
遠山千春先生(国立環境研究所環境健康
研究領域領域長)
本プロジェクトは私立大学学術研究高度化推進事業
(ハイテク・リサーチ・センター整備事業)の第2期プロ
ジェクトとして、平成11年から5年間行われた。
次に、当大学と金沢大学、ハノイ医科大学との共同研
究である「ベトナムにおけるダイオキシンの健康影響に
関する疫学調査」の中間結果報告が金沢大学医学部保健
本プロジェクトはダイオキシン等の外因性内分泌攪乱
学科城戸照彦教授により行われ、ベトナムの枯葉剤によ
因子の健康影響、特に生殖機能に及ぼす影響を研究する
るダイオキシン類の環境汚染地域住民の母乳や血液など
プロジェクトであり、プロジェクト1「女性生殖機能へ
の分析結果や先天異常の発生状況などが報告された。
の影響」とプロジェクト2「男性生殖機能への影響」と
また、内分泌攪乱因子の研究では良く知られている研
いう2つのグループに分かれて研究が行われたが、シン
究者による特別講演が2つ行われ、国立医薬品食品研究
ポジウムでは、男女という区分ではなく、対象と研究方
所室長である西川秋佳先生には「食品中内分泌攪乱因子
法により3つのグループに分かれて研究成果発表が行わ
の発がんへの影響と研究の動向」と題して甲状腺、乳
れた。
腺、子宮などの発癌モデルを用いた植物エストロゲンや
研究発表1では発癌への影響に関する研究成果が報告
除草剤などの内分泌攪乱因子の発癌への影響に関する数
され、甲野裕之講師が「女性ホルモン活性の測定法の確
多くの知見に関するご講演をいただいた。さらに、国立
立と発癌への影響」
、田中卓二教授が「内分泌攪乱因子
環境研究所領域長である遠山千春先生には「ダイオキシ
の卵巣発癌の修飾」
、池田龍介教授が「内分泌攪乱因子
ンの内分泌攪乱作用を介した毒性とそのリスク評価」と
の膀胱発癌への影響」と題して、口演を行った。次の研
題して妊娠期のダイオキシン暴露による生殖発生、脳機
究発表2では、中川秀昭教授が「ダイオキシン類の母子
能・行動、免疫機能への影響についての研究結果を発表
の健康影響に関する疫学研究結果」について、井上雅雄
していただき、健康影響はこれまでに考えられていたよ
講師は「ダイオキシンのマウス生殖細胞への影響」につ
り低いレベルのダイオキシン暴露で発現しうることや新
いて、西条旨子講師は「ダイオキシンの胎児中枢神経発
たな影響指標が存在すること、これまでに知られている
達への影響」について報告し、研究発表3では木越俊和
発現機序とは異なるメカニズムで発現する毒性があるこ
教授の「内分泌攪乱因子のアルドステロン合成および分
となど、多くのことを示唆していただいた。大変興味深
泌調節への影響」
、長尾嘉信助教授の「内分泌攪乱因子
く、今後本プロジェクト研究を発展させる上で有意義な
の培養ラット精子形成細胞への影響」のin vitro研究2題
講演であった。 (HRC運営委員会委員長中川秀昭記)
が報告された。
48
草の根技術協力事業(JICA)
「中日防盲治盲事業」 調印式(本学)・中日防盲治盲中心設立式典(瀋陽・中国医科大学)
調印式で挨拶する小田島理事長
平成 16年1月 20日(火)午後2時から本部棟2階会議室
において本学と独立行政法人国際協力機構( JICA)との
間で草の根技術協力事業(草の根パートナー型)
「中日防
盲治盲事業」の業務委託契約書の調印式が行われた。
本学で行われた調印式には本学側より、小田島粛夫理事
長(調印者)
、竹越襄学長、プロジェクトチームから佐々
木一之名誉教授、佐々木 洋講師、小島正美講師、島 智一
経理課長(事務担当)が参加した。JICAからは八林明生
北陸支部長、橋本文成北陸支部長代理、内藤紀雄北陸支
部参事が参加した。本プロジェクトチームには他に、小野
雅司眼科学非常勤講師、本多隆文衛生学講師、幡 育穂研
究員、山下 博眼科学専修生が加わっている。
WHOの最近の報告によれば世界の失明者数は現在およ
そ3,800万人とされているが、失明原因の首位は白内障で
その数は1,800万人に及ぶという。大部分は途上国国民の
ため、これら失明者による国家的損失はきわめて高いこと
もあり、WHO は2020 年を目標にこの失明者数を限りなく
ゼロに近づけることに先進諸国は協力すべきと提唱してい
る。失明対策事業の重要拠点となるのはアフリカ、東南ア
ジア、中国であるが、WHO はアジアでは中国を最重要地
域としている。
草の根事業協力は従来のJICAの支援システムとは趣を
異にし、事業を企画した日本人が支援対象地域に実際に赴
き、提案事業を指導し、対象国の人とともに事業に参加す
るものである。本事業の概要は、中国の中でも年間所得が
低い農村部で、生活環境が異なる3地域を選び、そこに在
住する一般住民の失明の実態を3年の期限で調査するもの
である。また、これと並行して、将来的に中国失明対策事
業にかかわる意志のある中堅眼科医を育成しようというも
のである。眼科検診地としたのは遼寧省、海南省、雲南省
内の各一地域の農村である。育成しようとする眼科医は広
く中国内から 20名を公募選出した。これらの医師には最
新の眼科診断技法、診断機器、データ管理および解析方法
左:中国医科大学におけるセンター設立式典で挨拶する小河内
敏朗駐瀋陽日本総領事 右:ニュースを報じた遼寧日報紙
などを眼科検診の実施を通して指導し、3年後には国際的
にも通用する失明対策を専門とする眼科医に育ってもらう
ことを期待している。中国も近い将来視機能障害をもつ高
齢者が増え、その対処に苦慮するはずである。本プロジェ
クトチームに参加する中国人眼科医がプロジェクト期間終
了の4年目以降は独立して本事業継続にかかわるよう、事
業目標は5年目まで設定されている。
金沢医科大学での調印式に続き、平成 1 6 年 3 月 2 4 日
(水)に中国医科大学(遼寧省瀋陽市)において、標記プ
ロジェクトの開始と中国での事業実施センターとなる「中
日防盲治盲中心」の設立を記念する式典が中国医科大学・
金沢医科大学共催で開催された。本式典には、日本側から
は外務省、国際協力機構を代表して、駐瀋陽日本総領事館
の小河内総領事、国際協力機構藤谷中国事務所副所長、
中国側からは遼寧省政府副知事、同省衛生庁、科学庁、教
育庁部長など多数の来賓を迎え盛大に挙行された。なお本
学から山本 達副学長、干場良広学術交流室課長(事務担
当)
、プロジェクトチームより佐々木名誉教授、小島講師、
島経理課長、山下専修生が参加した。
(感覚機能病態学 小島正美記)
49
総合医学研究所「寄付講座」
皮膚真菌学研究部門 開設
ノバルティスファーマ株式会社は、スイス・バーゼル
市に本拠地を置き医薬品を中心に世界140カ国以上で事
業展開しているノバルティスグループの医療用医薬品部
門の日本法人(本社、東京)です。
3月 31日に本学で調印式を行い、4月1日に石崎 宏客
員教授、望月隆助教授(環境皮膚科学教室併任)
、河崎
昌子講師(環境皮膚科学教室併任)及び安澤数史短期研
究員の4名でスタートしました。研究室は病院本館3階
の旧透析センターを改装して使用しています。
皮膚科学教室ではこれまでも日本各地から送られて来
る白癬、黒色真菌、スポロトリクス・シェンキイの臨床
分離株の同定を引き受けていましたが、今回の皮膚真菌
学研究部門の開設で人材と機器が整い、さらに迅速に対
応できるだけでなく、国外からの同定依頼にも対応して
いけるものと期待しています。
また、石崎教授がこれまで構想を持ちながら、臨床の
研究室であるために時間的、財政的余裕が無く実施でき
なかったいくつかの疫学調査も実施したいと考えていま
す。例えば白癬菌の健常人を含めた疫学調査を行い、現
在のヒトを含めた環境に存在する白癬菌相を正確に把握
しておきたいと考えています。このデータが無ければ今
金沢医科大学総合医学研究所に新しく、皮膚真菌学研
後、白癬患者または白癬菌相の変遷を論じる事が出来な
究部門(ノバルティスファーマ)が開設されました。こ
いからです。さらに常在菌カンジダ・アルビカンスにお
れは前皮膚科学教室講座主任の石崎 宏教授が長年温め
いても、各遺伝子型について健常人を含めた疫学調査を
て来られた、皮膚科の中に真菌症外来を設けて同時に真
行う予定です。これらの正確なデータを得ておく事で、
菌研究センターを設立するという構想の一部が、この度
カンジダ症の発症に伴う菌相の変化等を捕らえる事が可
3年間という期限付きながら、ノバルティスファーマ株
能になると期待されます。日常の分子生物学的同定法及
式会社から財政的援助が受けられる事になって実現した
び型別法の改良も同時に検討しながら以上の調査を行っ
ものです。本学では初めての「寄附講座」になります。
ていきたいと考えています。
(環境皮膚科学河崎昌子記)
皮膚科学 望月 隆助教授
第5回インド人獣真菌学会において
「ポスター発表最優秀賞」を受賞
2 0 0 4 年3月 1 1 日から 1 4 日までインド北部の都市
Chandigarh(チャンディガー)で開催された、第5回
インド人獣真菌学会において、皮膚科学教室の望月隆
助教授がポスター発表部門の最優秀賞を受賞した。
本学会はインドの国内学会であるが、スリランカ、
タイ、フィリピン、オーストラリア、フィンランド、
る国である。
アメリカ、日本からも参加者があり、国際色の濃い学
発表は「rDNA のPCR-RFLP分析による白癬菌の迅
会であった。インドは広大な国で、その南部と北部で
速同定」というもので、ポスターの前では常に数人が
は全く異なる自然環境を有するため、非常に多彩な真
熱心に議論しているのが見られた。
菌症の症例があり、世界の医真菌学者が興味を引かれ
(環境皮膚科学河崎昌子記)
50
大学院医学研究セミナー
大学院特別講義
ストレスと自律神経
人獣共通感染症の問題点:
西ナイルウイルス脳炎の場合
講 師 林田嘉朗先生(四天王寺国際仏教大学
講 師 高島郁夫先生
日 時 平成16年1月23日(金)18:00∼19:30
(北海道大学大学院獣医学研究科教授)
日 時 平成15年12月4日(木)17:30∼19:00
場 所 基礎研究棟3階大学院セミナー室
担 当 生理機能制御学 芝本利重教授
場 所 基礎研究棟3階
担 当 総医研分子腫瘍学部門 竹上 勉教授
教授・産業医科大学応用生理学名誉教授)
〔講師紹介〕
〔講師紹介〕
林田嘉朗教授は神戸大学医学部
高島郁夫先生は北大獣医学部を
を卒業以来、一貫して自律神経生
卒業後、アメリカで大学院修了、
理について研究してこられた生理
博士号を取得、研究面では積極的
学者です。本セミナーでは今まで
に節足動物媒介ウイルス(アーボ
の研究成果の一部をご講演いただ
ウイルス)について解析を進めて
きました。
きた。今は北大大学院獣医学研究
〔セミナーの内容〕
科教授として中心的役割を果たし
セミナーではまず、自律神経系について基礎的な知識
を平易に概説していただきました。それをふまえて、先
生が取り組んでこられた多くのお仕事の中から、awake
ており、北大COE(Center of Excellence)の中心メンバ
ーとしても活躍している。
〔特別講義の内容〕
ratでの遠心性腎臓交感神経活動を直接測定した成績を
高島先生はこれまで、公衆衛生、特にウイルス感染症
ご紹介いただきました。交感神経活動の評価は血中ある
(ダニ媒介性ウイルス脳炎など)を主軸にして生活環境
いは組織中のカテコラミンあるいはその代謝産物を測定
の問題を指摘してきた。今回、ヒトと動物に共通して感
するといった生化学的方法がありますが、その欠点は
染する病原体、いわゆる人獣共通感染症、中でもウイル
時々刻々と変化する交感神経活動をリアルタイムに測定
ス感染症を題材にして現代社会の問題点について講演し
できないことです。それを克服するには交感神経線維に
ていただいた。近くは、鳥インフルエンザが盛んにマス
電極を装着して直接測定する以外にありません。しかし
コミで取り上げられているが、昨年冬はSARSが世の中
ながら、その測定には筋電図あるいは電極への水の付着
を席巻していた。日本はどうやら簡単にパニックになり
による電気的ノイズが大きな障害となります。それらを
やすい状況にあるようだ。高島先生は自らSARS の源で
如何にしてに除去できるかが正確な交感神経活動を記録
ある中国広東省に赴き、そこでの動物売買の衛生状況を
することに求められます。しかも、awake での測定です
確認、その結果を本講演スライドで示した。また、一昨
ので、手術侵襲から回復するまで良い記録状態を維持し
年は西ナイルウイルス脳炎が新聞で取り上げられていた
なくてはならず、筆舌に尽くしがたい大変な仕事です。
のだが、今はその情報も入っていない。実際にはアメリ
そのような多くの問題点を克服しawake ratモデルを確立
カでの西ナイルウイルス脳炎の流行は止まず、今だ
し、低酸素と高炭酸ガス、水浸負荷が如何に交感神経系
4,000人以上の感染者を出しているにもかかわらず、で
に及ぼすかということを明解に示していただきました。
ある。こうした現状を高島先生は分かりやすく、映像を
特に、低酸素のストレス状態に暴露されると交感神経の
使用しながら説明してくださった。
賦活ばかりでなく、副交感神経系も賦活されることを示
今回のセミナーでは大学院生始め、多数の教職員の方
の出席があり、講演後の質疑応答も活発に行われた。ま
されました。
参加者一同大きな感銘を受け、さらにfloor からも熱心
な質問もあり、有意義なセミナーとなりました。
(生理機能制御学芝本利重記)
た高島先生の気さくな性格も伝わり、和やかな雰囲気の
中で講義、ディスカッションができ、出席者にとって有
意義な時間となった。
(総合医学研究所分子腫瘍学竹上勉記)
51
大学院特別講義
組織移植と微小循環
るが、とくにマイクロサージャリーを用いた組織移植学
に多くの業績をあげられている。現在、日本形成外科学
会理事、日本頭蓋顎顔面外科学会理事などの要職につか
れ、今後のさらなるご活躍が期待されている。
講 師 中西秀樹先生(徳島大学医学部形成外科・
美容外科学教授)
日 時 平成16年2月6日(金)18:00∼19:00
場 所 病院4階C42講義室
担 当 機能再建外科学 川上重彦教授
〔特別講義の内容〕
組織移植時における血行の供給、再開は移植組織の生
着に最も影響する要因である。本講義では、まず、この
移植組織における血行供給の基本的事項、臨床的諸問題
について解説した。ついで、移植組織内に生じる血管の
新生、微小循環を観察する実験モデルとして中西教授ら
が確立した家兎の耳介で作成するchamber modelを解説
〔講師紹介〕
中西秀樹教授は昭和 4 9 年徳島
大学医学部医学科を卒業し、皮膚
した。このモデルは血管の新生・吻合や血流の状態を透
過観察できるのが特徴である。このモデルを使って中西
教授らは多くの知見を発表してこられたが、その中で、
科学講座に入局された。そして、
1)実験的に作成した血管内血栓の観察から、静脈血栓
東京警察病院形成外科へ国内留学
の主役をなすのは血小板であり、動脈内血栓は好中球で
の後、徳島大学皮膚科において形
ある事が判明した、2)血管拡張剤(PGE1)の作用部
成外科診療班を設立し形成外科の
位は細動脈である。したがって、静脈系にトラブルが生
診療・研究に従事されてきた。カ
じた血行不全には効果がない、などの知見についてビデ
ナダトロント大学に留学後(客員教授)
、平成8年には徳
オカメラでの映像を交えながらお話しいただき、参加者
島大学付属病院形成外科初代教授、さらに形成外科学講
にとって非常に有意義なセミナーとなった。
座教授となられご活躍されている。ご専門は多岐にわた
(機能再建外科学川上重彦記)
学会予告
第8 回アジア−太平洋電子顕微鏡学会議
8th Asia-Pacific Conference on Electron Microscopy, 8APEM
会期:2004年6月7日(月)∼11日(金)
会場:県立音楽堂および全日空ホテル
会長:分子細胞形態科学(解剖学)教授 平井圭一
本学会は4年に1度、アジア−太平洋地域で開催される学会で、この度は
私どもがお世話して金沢市で開催することになりました。海外からの参加は
24ヵ国250名が予定され、全体で800名以上の登録が見込まれています。
プログラムは、
「ヒューマンライフに役立つ顕微鏡技術」のテーマのもと
に、病理学、感染症、放射線医学、脳神経医学、泌尿器学、産婦人科学、癌
などに関するものから、ナノレベルの新材料、顕微鏡原理にいたるものまで幅広い分野にわたり、基調講演、
シンポジウム、ワークショップなどがあります。また、皇室から常陸宮殿下がご出席されます。殿下には、世
界ではじめて発見された両生類の膵癌・腎細胞癌発生に関する特別講演をお願いしており、また、はじめて日
の目をみる中国宮廷漢方に関する特別講演などもあります。
本学に本学会の後援と、竹越学長に本学会の名誉会長をお願いしました。そして学内の先生方のご参加を歓
迎します。学内の皆様にe-mailでもお知らせしましたが、音楽会などの関連行事もあります。学会や関連行事
に参加をご希望の方は、ご面倒でも学内の本学会事務局(分子細胞形態科学内関連行事担当:島村英理子、内
線:3815、3813)において事前に登録(無料)をしてくださるようお願いします。
(平井圭一)
52
病 院
トピックス
新臨床研修制度始まる
新しい研修医をこれからどう迎えるか
―本学スタッフへの提言―
臨床研修センター部長
神 田 享 勉
本学は2004 年4月から38 名の研修医を迎えました。 るということです。また、全人的医療教育のため、研
研修医が数人の大学もある中、たくさんの若者が来て
修医3∼5人に1人の指導医を張り付けてきめ細かく研
くれたことを嬉しく思っています。彼らをどう教育し
修ができるようにすることです。研修の到達目標が細
処遇するかが、本学の将来を左右すると言っても過言
かく規定されており、さらに具体的な行動目標、経験
ではありません。今までとは違って、彼らが大学の研
目標として、どういうことを研修してほしいのかが列
修内容を評価し、その良否は全国ネットワークでラン
挙されます。3つ目の項目は、十分研修に専念できる
クされるシステムができ上がっているからです。まだ
だけの手当、あるいは健康保健等の厚生面での処遇も
よく理解できない方もおられるかと思いますので、そ
確保する内容になっているわけです。
の経過を説明してみます。
本学の取組み
研修必修化への経緯
はじめに、新臨床研修必修化の経緯について書いて
今までの本学の取り組みを紹介しますと、まず、研
修医の広い交流というものを促進する意味から、研修
みましょう。昭和 43年のインターン制度から臨床研
医は公募によるマッチングシステムを採用しました。
修制度に変わって36年経過しました。今までは、研修
ほとんどの大学がこの方法を採用しました。研修希望
の2年間は努力義務でしたので、必修項目もなく罰則
者が希望順位をつけ、採用側も研修希望者の希望順位
もありませんでした。この間、著しい医学・医療の進
を提出し、コンピューターによって研修先を決めるも
歩によって、専門医志向が進み、診療科が専門分野に
のです。本学でも給与や研修施設など、できるだけの
特化していく中で、医師としての基本的診療能力を身
改善をいたしました。プログラム内容は学生の選択希
に付けられない若い医師が多く出てきたのです。そこ
望も取り入れられたものです。プライマリー・ケアの
で「努力義務」であった臨床研修制度を抜本的に見直
できる医師の養成という目的から、すべての臨床科が
し、臨床研修を「必修化」し、その内容を改善すると
プログラムに加わっており、他の大学にはないシステ
いう方針が立てられました。平成16 年4月から研修が
ムとなっています。また、大学内でほとんどの研修が
必修化し、義務規定となり、臨床研修を修了していな
行われ、研修医は慣れない外の病院での研修はありま
いと、医療機関の管理者になれないという法律上の規
定も設けらました。
到達目標
必修化された研修の到達目標は3つあります。1つ
は「臨床研修を通じて医師としての人格を涵養するこ
と」、2つ目は「プライマリーケアへの理解を深めて、
患者を全人的に診ることができる基本的な診療能力を
涵養すること」
、3つ目は「アルバイトをしないで研修
に専念できる環境を整備すること」です。その研修内
容は、これまでのストレート入局とか狭い範囲のロー
テーションではなく、内科、外科等の7つの分野を必
修とする幅広いローテーションによる研修に切り換え
臨床研修指導医養成のためのワークショップ
53
とは大きく異なり、必要な研修は科の壁を越えてさせ
る必要が出てきます。そこで、指導医が異なる診療科
に行って指導できるように、ネームプレートに金星マ
ーク☆を、副指導医には銀星マーク★をつけ、他のス
タッフにも分かるようにしました。
評価について
研修医の研修評価について述べておきます。研修医
は、必修の研修内容を中心に2年間で行えるようにし
ます。修得した内容は指導医によってEPOCという研
修プログラムに登録され、研修が十分できているかが
分かる仕組になっています。さらに、研修医からの指
臨床研修指導医養成のためのワークショップ
導医評価も行われ、病院の人気度という評価にもなる
訳です。言い換えると、金沢医科大学病院の評価が、
せん。これらの新システムを遂行するために、本学で
研修医を通して全国レベルで行われることになり、将
は本館4階の最も便利な場所に臨床研修センターを設
来の大学の基盤にもかかわる重大な影響がでるものと
置しています。研修医はこのセンター所属になり、カ
予想されます。
ンファランスや指導医との打ち合わせができるように
本学の全スタッフへのお願い
なっています。1人につき1つの机とイス、書棚、ロッ
そこで、指導医以外の本学病院の全スタッフにむけ
カーが設置されました。男性のみでなく、女性研修医
て、具体的なお願いが3点あります。
用にも仮眠室が完備されています。各診療科の指導医 (1)研修医を雑用係とすることなく、親切に面倒をみ
と研修医が臨床問題を熱く語れる場所となるよう整え
る姿勢で迎えていただくこと。
てあります(写真)
。
指導医について
(2)将来入局するしないにかかわらず、技能や態度に
ついて指導伝授していただくこと。
次に、指導医のことについて述べます。本学には、 (3)高度の専門手技より、まず基本手技を教えていた
だくこと。
30名の指導医と同数の副指導医がおります。彼らは各
診療科のエキスパートであり、研修医の研修状況を常
以上の3点についてうまくやっていただければ、お世
に把握し、適切なアドバイスと教育を行ってゆく役目
話いただいた評価も良好なものとなると信じていま
があります。そこで、研修医への具体的な教育のた
す。問題点は、教育スタッフが、従来の研修医という
め、2004年4月 16、17日の両日にわたり、いこいの村
概念をすぐには変えられないかもしれないという点で
で「臨床研修指導医養成のためのワークショップ」を
す。変革への対応は、いつも痛みが伴うものです。輝
開催し、教育の実践について厳しい訓練を行いまし
かしい本学の将来のために、私は、みなさんに、柔軟
た。研修指導の専門家から連日教育をしていただきま
で真摯な対応を是非お願いしたいと思っています。
した(写真)
。研修医と指導医との相互関係は今まで
病院本館4階に新しく整備された「研修センター」
「研修センター」に集まった新研修医
54
新臨床研修制度始まる
新臨床研修制度についての今までの本学病院の取り組み
新臨床研修制度の説明会
平成 16 年2月 19 日(木)午後5時から病院本館 C41 講
義室において、院内の臨床研修指導医を含めた医師、看
護師、医療技術者等の職員及び院外の臨床研修指導医合
計90 名の出席のもとに開催された。この説明会は、平成
16 年度から、医師の臨床研修が必須化(歯科医師は平成
18年4月から必須化)されるのに伴い、新臨床研修制度
の動向及び研修プログラムの実施内容を熟知してもらう
ことを目的として、臨床研修管理委員会が主催したもの。
説明会は、松本忠美委員長の司会のもと、内田健三病
院長から新研修制度の経緯、本学病院における対応及び
今後の問題点について説明がなされた。次に、神田享勉
臨床研修センター部長から平成16 年度臨床研修プログラ
ム、臨床研修の到達目標及び新臨床研修制度のねらいに
ついて説明が行われ、活発な質疑応答がなされた。
新臨床研修指導医説明会
平成 16 年3月 18 日(木)午後5時から病院本館 C42 講
義室において、院内の臨床研修指導医39 名出席のもとに
開催された。この説明会は、導入を間近に迎えた新臨床
研修制度について、制度の概略及び指導医の業務につい
て、十分に理解し協力してもらうことを目的に開催した
もので、説明内容に指導医は熱心に聞き入っていた。
臨床研修指導医養成のためのワークショップ
平成16年4月 16日(金)と17 日(土)の両日、いこい
の村能登半島で指導医約50名が出席して開催された。
ワークショップ出席者
この講習会は、厚生労働省の「医師の臨床研修に係る
指導医講習会の開催指針」に基づき、臨床指導医が研修
の質を高めるために、望ましい研修プログラムを立案し
推進する能力及び基本的な臨床能力を備えた研修医を育
成する能力を身につけることを目標に開催された。延べ
20 時間に及ぶ講習が行われ、参加した指導医全員に厚生
労働省医政局長名の修了証書が交付される。
(職員課 井上善博記)
本講習会の役割分担は次のとおり。
講習会主催責任者
内田 健三 病院長
松本 忠美 臨床研修管理委員会委員長
講習会企画責任者
畑尾 正彦 日本赤十字武蔵野短期大学教授
講習会世話人
野村 英樹 金沢大学医学部附属病院総合診療部助教授
安田 幸雄 医学教育・情報学教授
神田 享勉 臨床研修センター部長
上野 桂一 臨床研修センター副部長
大久保信司 臨床研修センターコース責任者
講習会世話人
飯塚 秀明 臨床研修委員会副委員長
相野田紀子 医学教育・情報学助教授
ランチョンセミナー講師
北川 元二 厚生労働省東海北陸局臨床研修審査官
55
平成15年度
臨床研修医研修修了証書授与式
において行われた。
今年度の臨床研修修了者は 17 名で、内田健三病院長
から修了証書が授与されたあと「医療を取り巻く環境が
激変するなか、この2年間の臨床研修の経験を十分に生
平成 15 年度臨床研修医の研修修了証書授与式が、平
成16年3月 24 日(水)午後3時より病院本館4階会議室
かして、今後医師としてさらなる研鑽に努めてもらいた
い」との言葉があった。
なお、研修修了者の進路は本学病院9名、他の医療機
関5名、大学院3名となった。
(職員課中谷一也記)
臨床研修修了者
会沢美由紀
伊藤 弘樹
梶原 正伯
権藤雄一郎
澤木 俊興
新谷 友香
杉山 華子
福山 智基
丘村 由美
増田 信二
黒田 雅利
金子 祥子
岸川 由佳
石尾恵里子
奥山 泰裕
西池 聡
福原 尚
平成15年度
褥瘡対策委員会報告会
以上17名
医師側から田邉 洋講師(皮膚科)は「体圧分散マッ
トレスの使用の注意点」と題して、1)体圧分散マット
レス使用時は巡視のたび底付の点検の必要性、2)褥瘡
の突然の悪化・新生したときはマットレスのチェック
を、3)上敷型か置換え型なのか、4)過剰なオムツ、タ
オル、シーツの張りすぎは体重分散効果を弱め、ずれ力
の原因となることを力説した。
看護部側から荒木きみ枝看護師長は「当院の褥瘡発生
状況と課題」と題して報告し、今後の問題点として、1)
褥瘡に対する意識改革と知識の向上(現場は徹底した予
防対策を実地する)
、2)褥瘡予防マニュアルの作成、整
備、3)継続的な教育プログラムの実地、4)効果的な褥
瘡回診の在り方、5)褥瘡のCPの検討、6)院内NST の
設置などを強調した。
栄養部から山本千勢委員が「栄養管理からみた褥瘡」
報告会
と題して報告し、1)入院患者には予防リスクとなる血
中アルブミン値が基準値の 4.0g/dl 以下の人が多い。2)
褥瘡対策チーム(現:褥瘡対策委員会)は平成14 年8
褥瘡患者については、血中の蛋白質とアルブミン値に加
月に病院組織として発足した。チームは医師、看護師、
え、カロリーも大切な因子となることなどを実際の症例
栄養部、事務部から選任された 13名で構成され、平成
を提示して説明した。
15年3月から薬剤部も加わった。
委員会が結成され約1年半が過ぎ、皆さんの努力によ
薬剤部からは小池田玲子薬剤師が「褥瘡治療薬 主薬
と基剤の創面への効果」と題して報告し、創面の状態に
り徐々にではあるが褥瘡患者数の減少をみている。平成
応じた薬剤や創傷被覆剤の選択には、1)薬剤について
16年3月 12日に褥瘡対策委員会報告会を病院本館C41 講
は主薬と基剤の特性をよく理解する。2)創傷被覆剤は
義室で開催し、今後の褥瘡対策の問題点についての提案
湿潤環境を形成するので肉芽形成期、上皮形成期には有
がなされた。当日の参加者は186 名と多数で盛んな質疑
用だが壊死期・感染期には注意が必要であることを述べ
応答がなされ、出席者にはきわめて有意義な勉強会とな
た。
った。各講師からの提案は次のごとくであった。
(委員長柳原誠記)
56
第22回北陸腎移植連絡協議会
第9回中日本支部北陸連絡会
臓器提供病院の院内体制整備
教育講演:
平成10年からは従来の協議会のメンバーに加え、石川
県臓器移植情報担当者連絡会議(石川県の27医療機関に
設置された医師及び看護師等の臓器移植情報担当者、行
政機関の担当者で構成)のメンバーも参加しており、医
師、看護師、検査技師、コーディネーター、腎臓バンク、
日 時:平成16年3月13日(土)
行政機関等がそれぞれの立場から献腎移植の現状報告や
場 所:ホテルイン金沢
問題点、今後の活動計画等について討議がなされた。
講 師:佐藤慎一先生(神戸市立中央市民病院救急部
長、臓器提供対策室長)
本学病院は、石川、富山、福井の北陸三県と愛知、岐
阜、静岡、三重県で構成する「社団法人日本臓器移植ネ
ットワーク中日本支部」の一員として北陸三県の組織適
第 2 2 回北陸腎移植
連絡協議会(委員長:
石 川勲 北 陸腎 移 植
置づけられており、現在までに生体腎移植210 例、死体
H L A 検査センター所
腎移植45例、合計255例の腎移植が実施されている。
長)が、 5 8 名の出席
佐藤慎一先生による教育講演
合性検査を行う指定HLA検査センターを設置している。
また、北陸の中心的役割を果たす移植実施施設として位
協議会の後、神戸市立中央市民病院の救急部長で臓器
のもとに開催された。
提供対策室長も兼任されている佐藤慎一先生による「臓
この協議会は、北陸
器提供病院の院内体制整備」と題した教育講演会が行わ
三県の厚生行政機関、
れた。講演では、平成13年4月に院内の臓器提供体制の
医師会、医療機関及び
再整備を図ることを目的として、臓器提供対策室を設置
腎臓バンクが十分な連
し、ドナー情報を院内で集約して院外組織との連絡・調
携と調整を行い、慢性
整や院内各部署の指揮を行うこととしたこと。同室設置
腎不全患者に対する腎
以降、心停止下の腎、組織提供に際して円滑で効率的な
移植医療の確保と円滑な推進を図ることを目的として、
運用が行えたこと、また、院内移植コーディネーターと
昭和 59年度に北陸腎移植センター(現北陸腎移植HLA
して先生ご自身が臓器提供時に関わることにより、担当
検査センター)設置と同時に発足したものである。毎年
医にかかる過大な負担が軽減できたことなどについてス
定期的に、北陸腎移植 HLA検査センターが主催者とな
ライドを用い興味深く話された。 (管理課井上善博記)
って開催されている。
院内感染防止に関する教育講演会
テーマ:
戦略的院内感染対策
講 師:矢野邦夫先生(静岡県県西部浜松医療センター
感染症科科長・衛生管理室室長)
院内感染防止に関する教育講演会が、平成16年3月 23
日(火)午後5時 30 分から病院本館 C41 講義室におい
て、本学病院の医師、看護師、医療技術者等の職員及び
関連病院の医療関係者を対象に、340名の出席のもとに
開催された。この教育講演会は、院内感染防止に関する
矢野邦夫先生による講演
職員教育の一環として病院職員等を対象に院内感染対策
委員会が主催して、毎年定期的に開催されている。
の規定に基づく立入検査でも、感染防止に関する基本的
講演会に先立ち、内田健三病院長から、
「感染対策は
な事項が適切に守られているか関係者に対する聞き取り
医療安全対策と同様に病院全体として取り組まなければ
調査と実地調査が重点的に行われ、指導・評価されてい
ならない重要な課題であり、また毎年一回、厚生労働省
るので、今回の講演会で得られた知識を是非臨床の場で
及び所轄保健所により行われている医療法第25条第1項
活用してほしい」との要請があった。
57
医療安全対策部の早瀬 満副部長(感染対策担当)が
説明がなされた。特に、科学的根拠のない感染対策は中
座長を務め、講師の略歴の紹介をされ、矢野邦夫先生の
止し、それによって得られた費用を必要な対策に費や
「戦略的院内感染対策」と題する講演に入った。矢野先
す。また、必要な対策についても優先順位をつけ、最も
生は1981 年名古屋大学医学部卒業、米国フレッドハッ
重要な対策から実行することが感染対策における重要な
チンソン癌研究所、米国ワシントン州立大学感染症科、
戦略であると強調された。講演後は、ICUなどの清潔区
米国エイズトレーニングセンターなどに留学、1997年よ
域において、スリッパに履き替えることをしない場合の
環境表面の拭き掃除、2種類の手指消毒液の使い分け、
り現職。
講演は、環境における感染制御、透析室における感染
制御、医療従事者のHBV対策、県西部浜松医療センタ
作り置きの消毒綿球の交換時期などについて活発な質疑
応答がなされた。
(管理課井上善博記)
ーにおける感染対策の取り組み状況などについて詳しく
日本消化器病学会 北陸支部
第2 9 回
市民公開講座
テーマ
気軽にできるおなかの検査
−がんを早く見つけよう−
講演
1. なぜ検査が必要なの?
金沢医科大学消化器内科 堤 幹宏助教授
2. 楽になった胃カメラ・大腸検査
金沢医科大学消化器内科 島中公志医師
3. 肝臓の検査ってどんなもの?
河北中央病院 松下栄紀病院長
先ず、「なぜ検査が必要なの?」と題して、検査の必
要性を理解していただくための講演を堤 幹宏助教授が
行い、続いて消化器内科の島中公志医師に「楽になった
主催:日本消化器病学会北陸支部 胃カメラ・大腸検査」というタイトルで講演をしていた
開催責任者:消化器内科 堤 幹宏
だいた。実際に「うどん」を示しながら、最近の胃カメ
日時:平成16年4月3日(土)
ラが本当にうどんの太さにまで細くなったことや、希望
会場:内灘町庁舎(町民ホール)
すれば、眠っている間に検査をしてもらえること等々を
平易な言葉で話していただいた。河北中央病院病院長松
下栄紀先生に、「肝臓の検査ってどんなもの?」と題し
日本消化器病学会北陸支部では、一般社会人の消化器
た講演をしていただいた。肝臓の様々な病気の特徴から
系の疾病予防を目的に市民公開講座(春と秋の2回)が
はじまり、血液検査の解釈、超音波や CT の検査まで、
開催されてきているが、第29回は「気軽にできるおなか
熱のこもった講演は、肝臓のことがよく理解できたと好
の検査−がんを早く見つけよう−」をテーマに本学に隣
評であった。
接の内灘町民ホールで開催した。
「がん」は怖いが、
「検査」はもっと怖いと思い込み、
講演後に行われた『おなかの病気なんでも相談』で
は、多くの質疑応答がなされた。自分の体験に基づく質
症状が出るまで検査を受けない方が多いことに常々驚か
問や、家族の病気についての相談があったが、
「公開講
されてた。そこで今回、市民公開講座をお世話するに当
座に参加したのを機会に、早期発見のための検査を受け
り、消化器系の検査、特に胃カメラと大腸検査、および
たいが、年に何回位が必要なのか?」との質問もあり、
肝臓の検査に焦点を当てた企画を行った。
今回の市民公開講座により消化器系に関する検査の理解
司会は、本院の辻口徹子看護部長にお願いしたが、ウ
イットにとんだ司会のおかげで会はリラックスした雰囲
気で進行した。
が深められたと確信することができた。
(消化器機能治療学堤幹宏記)
58
平成1 5 年度
平成 1 6 年 2 月 1 9 日
平成15年10月21日(火)、22日(水)17:30∼18:00
平成15年11月18日(火)、19日(水)17:30∼18:00
(木)、内灘町消防署
の協力を得て大学と
① 新館防災設備の説明会 /616名参加
病院の合同災害訓練
が実施された。
新館の完成に伴い新館防災設備について、亀井施設整
消防法第8条で、病
備推進室主任から、新館の建築構造や各階に設置してあ
院、デパート等の多数
る防災設備(防火扉、防火シャッター、消化器、補助散
の者が出入りする施設
水栓、排煙操作ボタンなど)の内容について機能説明が
は特に厳しい防火管
行われた。
理体制が義務づけら
永田三好内灘町消防署予防課長補佐
れている。なかでも病
院、老人福祉施設等は身体的弱者を収容する施設とし
て、災害が発生した場合に人命危険度が高いとの理由か
ら特定防火対象物として指定されており、本学病院では
例年春に新入職員のオリエンテーションの一環としての
防災講習会と秋には実地訓練を実施している。今年度
は、秋に新館移転を行ったため冬の実施となった。
病院内では常に約820名の患者さんが入院しているが、
そのうち歩行可能な患者さんは約300名と3割程度であ
るということ、また、日中の外来では1日に約1,250 名の
患者さんをはじめ、お見舞いや付き添いの方、テナント
平成16年2月17日(火)13:30
① 防災講習会/122名参加
最初に、内灘町消防署永田三好予防課長補佐から、
「災害時における心構え」をテーマに、地震発生の際に
自分の身を守る行動、火災発生における初期消火など、
日頃の心構えについて講演が行われた。引き続き、看護
部により、各病棟に配置されている防災用品の使用方法
の説明、避難誘導の実技指導などが行われた。
平成16年2月19日(木)14:00、15:00、19:00
業者など、実に多くの方が院内にいるということを考え
① 時間内災害訓練(第1次訓練):14:00∼/659名参加
ると、改めて災害訓練の重要性が認識される。また、災
地震後に火災が発生したとの想定で、新館・本館・別
害時の人命優先はもとより、地震・火災による直接的災
館の各階ごとに出火場所を定め、身体防御、通報連絡、
害の抑制および二次災害の防止を訓練の中で確実に行え
初期消火、模擬患者の避難誘導などを実施し、新館1階
るようにする必要がある。
本年の災害訓練は、昨年完成した新館の一部の防火扉
及び防火シャッターを稼働させ、また、火災発生時の新
館での避難誘導の確立を重点に置きながら訓練を実施し
防災センター前に設置された災害対策本部への避難状況
の報告を全館一斉に実施した。
② 時間内災害訓練(第2次訓練):15:00∼/64名参加
新館10 階西ダイニングで火災が発生したとの想定で、
た。さらに、災害対策マニュアルを参考にして「施設被
病院、大学の自衛消防隊による消火活動、模擬患者の避
害状況チェックリスト」の内容確認も行った。訓練内容
難誘導、内灘町消防署による放水と、各部署が連携して
は以下のとおり。
の総合災害訓練を実施した。
59
③ 時間外災害訓練:19:00∼/36名参加
新館4階西ダイニングで火災が発生したとの想定で、
生時の対応等、活発な討論がなされた。
今回は昨年 11月に移転完了した新館での初めての訓
夜間等職員の手薄な時間帯における災害発生時の通報連
練となったが、今までの建物とちがって、病棟では各ス
絡、非常呼集、避難誘導、消火訓練を実施した。
タッフステーション前から瞬時に全ての通路を見渡すこ
とができない構造となっているため、避難状況の把握に
平成16年2月27日(金)16:00
災害訓練反省会/56名参加
内灘町消防署から根布原署長を招き、今回の訓練の反
省点と今後の課題について意見交換を行った。災害に備
えた訓練内容の充実、役割分担の再検討、大規模災害発
少し戸惑いがあったが、全体的に訓練はスムーズに行わ
れた。今後は、災害対策マニュアルの改定を行い、多く
の職員が参加する実践的な訓練により、災害対策をさら
に充実させていきたい。
(管理課米田正明記)
60
手術実施件数 を院内掲示
平成16 年4月の診療報酬改定に伴い手術に関する施設
基準の見直しが行われた。前回の診療報酬改定で一部の
手術ついては、症例数や医師の経験年数などの施設基準
を満たしていない場合には手術点数が「30%減算」され
ることとなったが、今回の改定で新たな施設要件として、
① 患者への手術の説明、② 症例数の院内掲示が追加さ
れた。
これはそれぞれの手術のエキスパートが手術を担当し
ており、患者さんが安心して手術を受けられるという目
安にもなることであり、本学病院でも新しい施設基準にもとづいて再届出を行うとともに、前年(平成 15年1月∼ 12
月)の届出手術区分ごとの実施件数を、4月から病院本館及び新館の1階再来受付機付近に掲示した。
なお、院内掲示の内容は別表のとおりである。
(管理課 疋田勉記)
《本学スタッフ新刊著書》
堀尾武一 監修
西川克三 他 編
分子細胞生物学基礎実験法(改定訂第2版)
南江堂
定価:本体9,000円+税
B5判、654頁
2004年4月発行
ISBN 4-524-21971-4
近年の生命科学の急速な進歩は研究を支える方法論の飛
躍的な開発に依存してきた。このような方法論を解説し
た、いわゆる実験書は現在、巷間にあふれている。それら
に含まれる実験法は多彩である上に、初心者用から専門家
用まで様々で選択に悩まされる。
本書の第1版は 10 年前に発行されたが、この種の出版物
としてはベストセラーとなり好評を博した。その第一の理
由は、生命科学の研究を支える4本柱である「細胞」
「蛋
白質」
「抗体」
「遺伝子」の実験法を初歩的から高度な対象
までを比較的廉価な1冊に網羅していることによる。この
度、内容および著者を大幅に入れ替えて第2版として出版
された本書は、広く生命科学関連の研究室に常備されて
日々の実験を支えるであろう。
(西川克三記)
分担執筆:
長尾嘉信(基本的な細胞培養技術:基本設計、p48-50;
培養器具およびその洗浄と滅菌、p51-52; フローサイ
トメトリーによる分析:DNA、p187-191)
西川克三(基本的な細胞培養技術:クローン化、p87-88)
竹内郁登(マイコプラズマの予防・検定・駆除、p91-93)
吉竹佳の、西川克三(HPLC による蛋白質の精製:ヒドロ
キシアパタイトHPLC、p274-276)
吉竹佳の(抗体を用いた検定法:RIA、p424-428)
吉田 純(免疫組織化学:実験例、p441-442)
姫田敏樹他(mRNAの単離精製、p454-458 ; cDNA のクロ
ーニング、 p 4 7 2 - 4 7 5 ;ゲノム遺伝子のクローニング、
p476-484;ノーザンブロッティング、p523-526;mRNA
の絶対量の定量、 p 5 3 2 - 5 3 8 ; C A T アッセイ、 p 5 4 4 546;ゲルシフトアッセイ法、p558-562;サブトラクシ
ョン法による生理機能にかかわる遺伝子の解析、p6086 1 3 ; G e n e t y x とゲノムネットによる遺伝子の解析、
p636-637 ;分子細胞生物学に関連したデータベースの有
用なサーバの紹介、p538-639)
竹内郁登、吉竹佳の(遺伝子の発現:融合蛋白質の発現、
p580-585)
岩淵邦芳、伊達孝保(蛋白質―蛋白質間作用の検出:酵
母two-hybrid system、p597-602)
濱田富美男、伊達孝保(蛋白質―蛋白質間相互作用の検
出:動物細胞two-hybrid system、p603-605)
松井 理、伊達孝保(蛋白質―蛋白質間相互作用の検
出:Far Western法(West Western法)
、p605-608)
61
紹 介
金沢医科大学病院
ハートセンター
昨年、本学創立30 周年記念事業の一環としてオープンした金沢医科大学病院新館に、新しく採り入れられた
臓器別診療体制の一つの柱としてハートセンターが開設された。
このハートセンターは各種の循環器疾患に対して、循環器内科医と胸部心臓血管外科医を中心とする医療チー
ムが常時一体となって、昼夜の別なく診療にあたるもので、特に緊急を要する急性心筋梗塞やその機械的合併症
の心室中隔穿孔、僧帽弁閉鎖不全、心臓破裂および心室瘤や解離性大動脈瘤、急性動脈閉塞と重症不整脈疾患
に対しては、万全な態勢でスピーディーに診療を行っている循環器専門のセンターである。これまでにない画期
的な医療サービスを提供する構想のもとに、病院新館の建設に際して、2階の循環器科の外来診療部門、循環器
機能検査センターに隣接して設置されたもので、北陸の循環器疾患治療の拠点となるべく態勢を整えている。
(坂本)
くところ、身近に居るという安心感が持てるよう配慮
ハートセンターの紹介
−とくに心臓血管外科医の立場から−
ハートセンター部長 坂本 滋
されています。センター内には心臓血管撮影室が2室
設置され、センター内で診断・治療が即できる体制をと
っており、特に急性心筋梗塞のカテーテル治療(カテ
ーテルインターベンション)の設備を有し、循環器内
今までの本学の診療体制では、循環器内科疾患は
Coronary Care Unit(CCU)で診療し、また外科適応が
あればIntensive Care Unit(ICU)において、それぞれの
科医の有力な武器となっています。
また、心臓外科の手術症例は月曜と水曜の週2回で、
冠動脈バイパス術、人工弁置換術、解離性大動脈瘤の
科で別々に診療していました。しかし緊急を要する疾
手術を年間 135例以上行っております。血管外科手術
患では、このような診療体制では内科医・外科医の間で
症例は年間250例以上で、人工血管置換術および血管
緊急事態に即応した連携がとりにくく、また通常診療
内治療などの低侵襲手術も行っています。
でもドクターや看護スタッフの間で一貫した診療体制
本センターのオープン以来、病床はフル稼働の状態
が保たれず、患者さんに対して行き届かない点が生ず
で、
「患者本位の医療」を内科外科の一貫とした治療体
ることがありました。このハートセンター構想は、その
制で実践しており、今後、北陸の循環器疾患治療の拠
ような不備を解消するために出来上がったもので、内
点としてスタッフ一同協力して良質の医療を提供し、
科・外科のワクを取り外して専門のエキスパートスタッ
地域の皆様に安心してご利用いただくよう努めたいと
フにより、それぞれの患者さんに最善の治療を提供で
思っております。
きるよう、24時間の診療体制をとる施設
として整備されました。
本ハートセンターは、病院新館2階に
位置し、全床面積は 815.53m2、ベット数
は全部で 1 0 床あり、うち6床は個室で、
その中の4床は洗面所とトイレ付となっ
ており、そのうち2床は陰陽圧対応型個
室として感染予防にも対応できる特殊な
部屋になっています。また、1床は緊急の
外科手術もできるようにしてあります。
スタッフステーションは、オープン形式
となっているセンターの中央に設置され、
患者さんには常に医療スタッフが目の届
スタッフステーション
62
カテーテル治療を中心に
−循環器内科医の立場から−
ハートセンター副部長 北山 道彦 現代の社会の高齢化や生活習慣の変化に伴って年々
狭心症、心筋梗塞、難治性頻脈性不整脈等の病気を有
する患者さんの増加、重症化が認められています。そ
のような状況をふまえて、これまでの診療体制からさ
らに一歩進んだ高度な医療を安全に行うべく、この
ハ−トセンタ−を新設することとなりました。
循環器内科医が担当するカテ−テル治療を中心に、現
況を紹介いたします。
ご存知のように、心臓の筋肉に酸素や栄養を送る冠
心臓カテーテル検査
ターを使用する治療が行われています。この治療の症
動脈が狭まって起こる狭心症や詰まって起こる心筋梗
例数は北陸で最も多い数となっています。
塞に対する治療法は、大別して、「バイパス手術」と
平成16 年2月から、北陸地区で初めてのフラットパ
「心臓カテーテル治療」があり、現在では「心臓カテー ネルディテクターを有するシネアンギオ装置を導入し、
テル治療」が患者さんに低侵襲であり圧倒的に多く施 既存のアンギオ装置と合わせて2台態勢で診断・治療
行されていますが、難しい症例にも対応できるように にあたっています。
なるためには、年間できれば200 症例の経験が必要と 2)不整脈部門:
高周波カテーテルアブレーションによる不整脈治療
いわれており、もちろん当ハートセンターはこれをク
は、当初の適応疾患は、W
PW症候群と房室結節回帰
リアしています。
頻拍(AVNRT)のみでありましたが、次第に適応も拡
1)虚血部門:
心臓カテ−テル検査数、冠動脈形成術はともに年々 大され、心房頻拍、心房細動、心室頻拍へと広がって
います。
症例数が増加し、北陸地区を代表する施設となってい
平成15年度の症例数は、電気生理学的検査70症例、
ます。平成15年度には、心臓カテ−テル検査 1,121症
高周波カテーテルアブレーション35症例でした。また、
例、冠動脈形成術340症例を施行しています。
突然死の予防に役立つ施設認定が必要なICD(植込み
心臓カテ−テル検査は、本学病院開院後の昭和50年
型除細動器)を3症例に対して行っています。
に開始以来、総数は平成15年12月までに16,312例であ
その他、本年度より保険収載がなされた、閉塞性肥
り、冠動脈形成術は、昭和60年から平成15年12月まで
大型心筋症に対する心筋焼灼術も積極的に行うように
の期間に、3,608例の症例に行ってきた実績があります。 しています。
平成9年9月に、ロータブレーターという施設認定が
今後は、本年6月から日本でも承認されたDES Stent
必要な治療法が導入されました。バルーン、ステント (薬剤溶出型ステント)が使用可能となり、冠動脈形成
で拡大不可能な石灰化した硬い血管に対して用いる器 術の最大の問題点である再狭窄も克服されることから、
具ですが、透析患者さんの増加に伴って、他施設から ますます低侵襲のカテーテル治療が積極的に行われる
の紹介もあって、年間平均50 症例程度のロータブレー ものと考えられます。
内科・外科のワクを取り去って行う
循環器疾患の高度医療
ハートセンター副部長 大久保信司
高齢化社会を迎え、また欧米並みの食生活への変貌
から、近年の循環器領域の疾患(虚血性心疾患、心不
全)は増加の一途をたどっています。また、循環器医
療は、近年内科および外科の両分野において飛躍的な
進歩と変革を遂げ、非常に高度な医療技術が求められ
るようになっております。そのような状況に対応する
ためには、内科・外科のワクをとり、両者が統合した
形で緊密な連携をとり、共同で医療を実施するという
時代となっており、今回のハートセンターの設立につ
ながりました。
当院における最近10年間の統計でも、日本における
63
が原因で一時的ポンプ機能低下や二次的ポンプ機能失
調を起こし、収縮期血圧90mmHg 未満、または通常の
血圧より30mmHg 以上の低下を示して、循環不全所見
(乏尿20ml/時間以下、末梢冷感、意識障害)のすべて
を認めた場合、心原性ショックと呼びますが、死亡率
は全国平均 50 ∼ 80%であります。この心原性ショッ
クに対して、圧補助療法として大動脈バルーンパンピ
ング(IABP: Intra-Aortic Balloon Pumping)
、流量補助
療法として経皮的心肺補助法(PCPS: Percutaneous
Cardio Pulmonary bypass Support system)
、血液濾過療
法による除水として持続性静脈・静脈血液濾過法
(CVVH: Continuous Veno-Venous Hemofiltration)、体
外限外濾過法(ECUM: Extra-Corporeal Ultrafiltration
ハートセンター
Method)や補助人工心臓(VAS: Ventricular Assist
循環器疾患が次第に欧米化してきていることから、虚 System)などの機械的補助循環を駆使し、死亡率を 30
血性心疾患、特に急性心筋梗塞と慢性心不全の急性増 ∼40%まで低下させており、今後さらに死亡率の低下
悪が急激に増加しています。急性心筋梗塞や心臓疾患 が期待されています。
《本学スタッフ新刊著書》
平松啓一 監訳
エビデンスに基づく 感染症治療マニュアル
分担執筆:高橋 孝 (AIDS 関連カリニ肺炎に対す
る治療、AIDS 関連結核症と梅
毒、p563-579)
丸善
定価:本体 6,400円+税
A5判、640貢
2002年12月25日発行
ISBN 4-621-07110-6
感染症が世界規模で大きな医学問題・社会問題の原因
となっている。本書は、
「Manual of Clinical Problems in
Infectious Disease」を本邦における研修医・実地臨床医
へ紹介することを目的として発刊された。このマニュア
ルは、著者らの多くの経験に裏打ちされ、さらに関連文
献を詳細に検討することによってEBM を実現しており、
極めて興味深い内容を構成している。
本学総合診療科の高橋講師が「 AIDS関連カリニ肺炎
に対する治療」と「AIDS関連結核症と梅毒」の2項目を
分担執筆している。カリニ肺炎及び結核症はAIDS 指標
疾患として理解すべき重要な疾患であり、 AIDS関連梅
毒も臨床現場において良く遭遇する疾患である。
新臨床研修制度が開始される中、本書は、研修医にと
っても日常診療に大変役に立つ実践書である。
(総合内科学神田享勉記)
永井良三 監修
呼吸器研修医ノート
分担執筆:高橋 孝
(免疫不全患者、p433-437)
(気管
支鏡検査に伴う合併症、p348)
診断と治療社
定価:本体8,500円+税 A5判、725貢 2004年4月15日発行
ISBN 4-7878-1284-X
「循環器研修医ノート」で好評を博している研修医ノ
ートシリーズの呼吸器版が発刊された。既に発刊された
研修医ノートシリーズと同様に、本書も豊富な画像写真
を挿入して、エッセンシャルかつ必要最小限の内容を図
や表も用いて解りやすく説明した構成となっている。そ
れ故、初めて症例を担当する研修医のとまどいと不安に
応えられる一冊である。
本学の高橋講師が「免疫不全患者」を分担執筆してい
る。ステロイド使用患者・血液悪性腫瘍患者・ AIDS 患
者といった免疫不全の背景別に、胸部 C T 像・内視鏡
像・染色標本像を用いて解りやすく記述している。また、
研修医へ向けたメッセージとして、失敗談を交えた「気
管支鏡検査に伴う合併症」も述べている。
本書は、新臨床研修制度の研修医に是非薦めたい実践
書である。
(総合内科学 神田享勉記)
64
看護部から発信* * *
「訪問看護」 の現況
―本学病院の取り組み
在宅医療相談室の訪問看護スタッフ
在宅人工呼吸器装着患者の吸痰処置
高度経済成長政策は、家族機能の在り方に大きな変
化をもたらし、高齢化社会の進展はそれまでの社会福
祉の問題を特定の人の問題だけではとらえられなくな
り、特に介護機能が、社会的・地域的に整備されなけ
と二人三脚で頑張っている様子を肌で感じた。在宅で
療養中の患者訪問には、院内での看護ケアと違ったや
りがい感がある。自宅で死を希望する患者・家族も少
なくなかった。
れば高齢者の地域生活が不安定なものとなった。
人口の高齢化・核家族・老々介護等に対して厚生労
働省は、在宅医療の推進を21 世紀の医療体制のあり方
の1つとして取り組んできた。介護保険の導入や訪問看
護・町の保健室事業等はその一環である。訪問看護制
大学病院の看護部が訪問看護を取り組むのは稀であ
った。地域性もあるが私立大学病院で自由な発想がで
きたことも継続できた理由である。
2000年に介護保険が導入され、在宅医療としての訪
問も医療保険対象と介護保険対象に分けられた。
度が実施されたのは、1992年4月からであった。
当院の在宅医療相談室では、介護保険の対象者には
当院では、1987年から訪問看護を試行形式で開始し、 介護保険手続きを行い、ケアプランを作成しサンプル
制度化開始に合わせて1992 年訪問診療・訪問看護体制 を地域ケアマネジャーに情報提供する等連携を図り退
の充実と在宅医療全般に関する相談窓口として、
「在宅 院時の調整を行っている。
医療相談室」を設置し、地域医療の基幹病院として在
当院が行っている訪問看護は、医療保険対象者で高
宅医療の推進に努めてきた。
試行当時は、各病棟で患者受け持ち看護師が、退院
後に病状の悪化がないか、きちんと指導項目が守られ
ているか等を電話で確認したり、訪問の約束をしたり
して、
「私の患者様」としての認識が看護師としてのや
度医療が必要な患者及び終末期を自宅で迎えたい患者
への在宅療養の支援である。
訪問対象者の地域は河北郡在住者が最も多く、金沢、
羽咋郡、能美郡在住者などで医師の指示に基づき要請
があった場合には遠方でも出かける。患者は現在約 20
りがい感に繋がっていたように想う。
呼吸器病棟に勤務をしていた頃の印象深い体験は、
大寒の時期に在宅酸素中の患者が酸素ボンベ持参で外
泊した時のことである。火気厳禁の酸素ボンベは室外
に設置されていた。夜間になり患者は呼吸困難となっ
名、年齢は10カ月児∼80歳代、年齢分布では多いのは
10 歳以下7名、50 歳代5名である。訪問総回数は月100
回前後である。処置内容は在宅酸素、気管切開口経由
の吸引管理、人工呼吸器装着者の管理、経管栄養等の
療養支援であり、帰院後処置伝票に記入し、患者状態
たが、原因は氷点下の気温で接続チューブ内の水滴が
凍ったことにあった。病院では気づかなかった経験で
あり、早速患者指導留意事項に追記した。酸素吸入中
で行動制限のある患者が少しでも歩けるように酸素架
台にキャスター4個を取り付け手押しで歩けるように
は観察結果を経過録に記録して医師に報告、次回の指
示内容に繋げなければならない。
今後、在院日数の短縮がより進むが、患者・家族が
安心して在宅で療養生活を送るために在宅訪問看護活
動の需要はますます必要となると思っている。
商品化したのも、その頃の私たちであった。患者宅に
訪問して、入院中は受動的であった人が能動的に病気
(看護部辻口徹子記)
65
管理・運営
総合医学研究所所長に 山本 達教授(新任)
平成16年3月 30日に開催された理事会において、総合医学研究所所長候補者として推薦された山本 達教授(放射
線診断治療学〈放射線医学〉
)が、新所長として選任された。また、副所長には松井忍教授(先進医療研究部門)と、
中川秀昭教授(健康増進予防医学〈公衆衛生学〉
)が再任され、それぞれ4月1日付けで就任した。
任期は、平成16年4月1日から平成17年3月31日まで。
山本 達
総合医学研究所所長(新任)
【略歴】
昭和39年
昭和44年
昭和46年
昭和47年
3月
3月
4月
7月
金沢大学医学部卒業
金沢大学大学院医学研究科修了、医学博士
米国ハーバード大学医学部放射線科研究員
金沢大学医学部放射線科助手
昭和50年 5月 金沢大学医学部放射線科講師
昭和50年 7月 金沢大学医学部付属病院中央放射線部助教授
昭和53年 5月 金沢医科大学放射線医学教授
昭和56年 8月 金沢医科大学中央放射線部長
昭和59年 7月 金沢医科大学放射線医学講座主任
平成 6年 4月 金沢医科大学病院副院長、診療部長
平成 8年 2月 金沢医科大学健康管理センター部長
平成10年 4月 金沢医科大学医学情報センター長
平成11年 9月 金沢医科大学副学長
平成16年 4月 金沢医科大学総合医学研究所所長
【主な学会活動】
日本医学放射線学会評議員、日本画像医学会評議員、日本磁
気共鳴医学会評議員、日本核医学会評議員
〈山本 達所長就任の挨拶〉
平成16年4月1日から総合医学研究所所長に就任いたしました。近年所長の交代が激しく長期的展望が描けないの
が気になりますが、精一杯頑張ってみたいと考えておりますので何卒よろしくお願い致します。
本学研究所の使命は次代を背負う若手研者の育成であり、また研究成果を世界に発進する前線基地となることと
思います。最近大学の評価が非常に大きな問題となっていますが、研究成果の質と量が評価の重要な要素であり、研
究所がその先導役としての重い役割を担っています。本学にとって研究所の活性化が強く求められている所以であり
ます。幸いにも西川前所長のご努力で研究所の組織改革が推進され、またここ数年は大きな研究プロジェクトが進
行しており、活性化が進行しつつあるようでありますが、今一つ世間に訴える程の成果が生れてないのが現状であり
ます。幸い新しい大学院制度の導入で研究所としても大学院生の受け入れが可能となっており、学内外の新鮮な人
材の注入が今後の大きな課題の一つであると思われます。現時点で2つの新しい寄附講座の設立が決定しており、今
後素晴しい成果を挙げてくれるものと確信しています。本年度は研究所の移転も予定されており、新しい環境の下で
研究の飛躍を期待したいと思っています。
副学長に 鈴木 孝治教授(新任)
平成16年3月 30日に開催された理事会において、山本 達副学長の総合医学研究所所長就任に伴う後任の副学長候
補として、竹越学長から推薦のあった鈴木孝治教授(泌尿生殖治療学〈泌尿器科学〉
)が副学長に選任され、4月1日
付けで就任した。
任期は平成16年4月1日から平成16年8月31日までで、引き続き教務部長を兼任する。
鈴木 孝治
副学長(新任)
【略歴】
昭和48年 3月
昭和48年 5月
昭和48年 6月
昭和49年 4月
昭和55年 4月
昭和56年11月
昭和58年 4月
平成 2年 6月
金沢大学医学部卒業
金沢大学医学部泌尿器科
高岡市民病院
金沢医科大学泌尿器科学助手
金沢医科大学泌尿器科学講師
医学博士(金沢大学)
金沢医科大学泌尿器科学助教授
AUSTRALIA FLINDERS MEDICAL CENTRE 留学
66
平成 9年 4月
平成12年 5月
平成12年11月
平成16年 4月
金沢医科大学泌尿器科学教授(講座主任)
金沢医科大学教務部副部長
金沢医科大学教務部長
金沢医科大学副学長
【主な学会活動】
日本泌尿器学会評議員、日本移植学会評議員、国際泌尿器学会
会員、日本E NDOUROLOGY・ ESWL 学会評議員、日本尿路結石症
学会理事、国際移植学会会員、米国泌尿器科学会会員、国際尿
路結石症学会運営委員、日本医学教育学会評議員
副院長に 松本 忠美教授(新任)
高橋敬治副院長の退職(平成15 年10 月31日付)に伴い、松本忠美教授(運動機能病態学〈整形外科学〉)が副院
長に任命された。
任期は、平成15年11月1日から平成17年3月31日まで。
昭和58年 8月
松本 忠美
副院長(新任)
【略歴】
昭和51年 3月
昭和58年 3月
金沢大学医学部医学科卒業
金沢大学大学院医学研究科、医学博士
大学役職者(平成16年4月1日現在)
米国ミネソタ大学Research Fellow(ロータリ
ー財団奨学生)
金沢大学医学部附属病院助手
金沢大学医学部附属病院講師
金沢大学医学部助教授
金沢医科大学教授
金沢医科大学病院副院長
昭和59年 8月
昭和63年 4月
平成 2年 4月
平成11年 4月
平成15年11月
【主な学会活動】
日本整形外科学会会員、日本リウマチ学会会員、日本リハビ
リテーション医学会会員、中部日本整形外科災害外科学会評
議員、日本人工関節学会評議員、日本股関節学会理事
病院役職者(平成16年4月1日現在)
*については管理・運営p65-66に関連記事掲載
67
創立30周年記念事業報告書
「病院新館建設・移転経過について」の作成配付について
創立30周年記念事業としての病院新館の建設をはじめとする諸事業
が、昨年9月の記念式典から 11 月に完了した病院新館への引越しを主
軸として行われ無事終わることができました。学内外の多くの方々の
ご協力ご支援に心から感謝申し上げます。この機会に、皆様のご厚意
を記録に残し、また今後の病院整備への参考資料とするため、病院新
館の建設、新館の設備・機器の購入、移転に関する経過報告書を小冊
子としてまとめ、本学理事、評議員ならびに学内に配布しました。
本学病院の整備計画は、今後第2次計画として旧館の処理を経て完了
しますが、整備計画の基本的条件としては、特定機能病院としての機
能を重視し、医学教育・研修、先進医療の実施に必要かつ十分なもの
を整備すべきですが、いたずらに地域の医療事情を無視して大規模の
ものを目指すべきでなく、また、本学の経済状況、長期計画との整合
性があり、建物の耐用性・安全性について保証が得られるものとされ
ています。
(副理事長山下公一記)
68
平成16年度
新入職員辞令交付式
平成16年4月1日(木)午前 10時から、新入職員辞令
交付式が本部棟4階講堂において行われ、新入職員79 名
(技術職員7名、看護職員69 名、技能職員3名)に対し、
小田島粛夫理事長から代表の村谷俊幸さんに採用辞令が
交付された。
続いて小田島理事長から「組織の中の単なる部品とし
ての歯車になるのではなく、考える歯車、組織を動かす
歯車として大学発展の原動力となっていただきたい」と
の訓辞があり、最後に新入職員を代表して丸山香織さん
が「一致協力して職務に精励します」と力強く宣誓を行
った。
代表で辞令を受ける村谷俊幸さん
(人事厚生課石田豊司記)
平成16年度
病院新入職員オリエンテーション
平成16年度第1回病院新入職員オリエンテーションが
4月1日(木)から3日(土)の3日間にわたって、本部
棟4階講堂および病院4階 C41 ・C42 講義室において次
のとおり実施された。
今年度の病院新入職員は、看護師 69 名、技術職員7
名、調理師3名、調理補助3名、看護補助3名、保育補
助1名、看護師パート3名、栄養士パート1名の 90 名で
ある。
〈プログラム〉
4月1日(木)
8:45∼ 9:45
10:00∼10:30
10:45∼11:30
11:30∼12:15
13:00∼13:10
13:10∼13:30
13:30∼14:15
14:15∼15:00
15:15∼15:45
15:45∼16:30
16:30∼17:00
(職員課 中谷一也記)
採用時説明
人事厚生課
辞令交付式
人事厚生課
福利厚生制度の説明
人事厚生課
提出書類の説明
職員課
病院長挨拶
病院長
大学の概要と組織について
総務部長
病院概況および病院勤務について
病院長室長
講演「一人暮らしの食生活について」
栄養課
安全運転・交通事故の常識 アカシア商会
銀行振込の説明
各金融機関
事務手続き1)提出書類記入説明 職員課
2)ユニフォーム支給
3)更衣室案内
4月2日(金)
8:45∼ 9:30 診療業務の留意事項と安全管理体制指針に
ついて
診療部長
9:30∼10:15
就業規則の説明
人事厚生課
病院新入職員に歓迎の挨拶をする内田病院長
10:30∼11:00
11:00∼11:30
11:30∼12:15
13:00∼13:45
13:45∼14:45
15:00∼16:00
病院の諸規程・防災・医療トラブルの届
出・職員駐車場使用について
管理課
院内感染防止策について
院内感染対策委員会
写真撮影(ネームプレート用) アカシア商会
火災等の災害予防について 内灘町消防署
患者さんの受診システムについて 医事課
オーダリングシステム等診療システムについて
情報センター
医療安全対策について
医療安全対策課
16:00∼17:00
4月3日(土)
8:45∼ 9:10 院内防災設備について
施設・設備課
9:10∼ 9:45 院内防災設備の現場確認
施設・設備課
10:00∼11:15
消火器取扱訓練(大学裏グラウンド) 管理課
11:15∼11:45
11:45∼12:15
ツベリクリン反応検査(接種)健康管理センター
まとめ
69
謹んでご逝去をお悔やみ申し上げます。
松本 勇 名誉教授 ご逝去
教育学部、金沢大学医学部、セントルイス大学医学
部、ウェイン州立大学理学部、九州大学医学部、久留
米大学医学部などで分子生物学、ガスクロマトグラフ
金沢医科大学名誉教授松
ィー、先天性代謝異常症の化学診断の研究に従事さ
本 勇先生には、かねてから
れ、本学には1983年の人類遺伝学研究所(現在の総合
のご病気療養中のところ、
医学研究所に吸収)の新設にともなって教授・副所長
平成 1 6 年2月 1 5 日、金沢医
として着任され、1997年定年により退職されました。
科大学病院にて逝去されま
なお、先生のご活躍については、本誌随想欄の「故
した。享年74歳でした。
先生は 1929 年中国青島で
出生され、幼少期を富山で
松本勇先生を偲んで:そのフロンティアスピリットと
メタボロームへの道(久原とみ子記)
」をご覧になっ
てください。
過ごされ、岐阜農林専門学校を卒業。その後富山大学
(総医研人類遺伝学研究部門久原とみ子記)
本学ならびに病院のPR広告が
第20回読売広告大賞読者賞 を受賞
平成15 年9月7日に読売新聞北陸地方版と北國新聞に掲載した本学の創立三十周年記念の広告が、読売新聞社主催
の第20回読売広告大賞読者賞を受賞した。
この広告は、本学ならびに病院の広報のため、本学が取り組んでいる課題「良医の育成」
、
「患者中心の医療」
、
「医
療の安全」について説明し、創立三十周年記念事業としての「病院新館」
、
「学生クラブハウス」
、
「医学教育海外交流
基金」
、
「金沢医科大学三十年史刊行」を紹介、
「安全で質の高い医療」と題した記念講演会開催の案内をまとめて30
段の全面広告に掲載したものである。
読売広告大賞は、読売新聞に年間掲載された広告の中からアイデア、印象、センス、内容の分かりやすさ等の審査
指標に基づき、読者及び選考委員が優秀作品を決定する。大賞は8部門からなり、本学が受賞した読者賞は、読売新
聞の6支社(東京、大阪、九州、名古屋、北海道、北陸)の発行エリアで単独掲載された広告の中から、当該エリア
の読者審査会を経て本社の審査会において最も高い評価を受けたものに贈られるものである。
本学は、昨年も同賞を受賞しており、2年連続の受賞となった。授賞式は去る4月25日(金)、帝国ホテルで行われた。
(広報監理室森秀男記)
72
随 想
随 想
故 松本 勇先生を偲んで
そのフロンティアスピリットとメタボロームへの道
総医研 人類遺伝学部門長・教授
久原 とみ子
本学名誉教授、日本医用マススペクトル学会名誉会員
の松本勇先生は 2004 年2月 15 日午前2時半、金沢医科大
学病院でご逝去になりました。享年74 歳でした。北陸の
寒気はむごいものです。大寒のある日、先生は浅ノ川病
院に透析に行かれ、帰りは大雪のため道路が混雑し、夜
中にタクシーで内灘町のご自宅にたどり着かれたそうで
す。そして、その数日後に意識をなくされました。意識
をなくされた後は、先生の恩師の高木康敬先生(九大名
誉教授)をはじめ、少なからぬ方々が奇跡を願ったので
すが、ついに帰らぬ人となられました。
先生は1929 年 10月8日中国・青島で出生され、幼少期
を富山で過ごされ、1949 年に岐阜農林専門学校(現岐阜
大学農学部)をご卒業の後、1951 −1960 年に富山大学教
育学部、1960 − 1961 年は金沢大学医学部、1964 − 1966
在りし日の松本勇先生(前列右から2人目)、その右が筆者。
チューリッヒ大学法医学ブランデンバーガー教授を迎えて
(1986年)
年は九州大学医学部(いずれも医化学主任高木康敬先生
に師事)で、1961− 1964年には米国セントルイス大学医
の分子生物学の研究を掲げて情熱的に研究、教育に取り
学部およびウェイン州立大学理学部に留学され、分子生
組まれました。久自研(挫けないからきた名称)という
物学を研鑽されました。当時の高木研には後にゲノム解
久留米大学学生の自主研究活動も援助され、国内の第一
析や核酸の分子生物学のリーダーとなった多くの研究者
線の生化学者による講義も多数回開催されました。医局
が全国から集まっていました。1967 年に医学博士号取得
には平日も休日も医学生や大学院生が出入りし、活気に
(九州大学)後、1968 −1983 年の15 年間を久留米大学助
あふれておりました。1968 年に九州大学薬学部を卒業し
教授として、1983年から1997 年に退職されるまでの15 年
た私はこれらの医学徒と共に先生からMolecular Virology
間を金沢医科大学教授として、一貫してわが国の先天代
に始まる輪読会、毎週の抄読会等々でご指導を受けまし
謝異常症の診断を支援され、同時にゲノムからメタボロ
た。
ームの科学への道筋をつけられました。定年後もミルス
久留米大学時代の1972 年、分子生物学者であった先生
インターナショナルを設立され、中国、タイ、インド等
は、ガスクロマトグラフィー−質量分析法によるアジア
広く海外の代謝異常症診断に大きな貢献をされました。
で最初の遺伝性代謝疾患の化学診断施設を久留米で立ち
また、病身の中、外務省に幾度も働きかけ、タイのマヒ
上げられ、わが国の医療に多大な貢献をされました。新
ドール大学にガスクロマトグラフ−質量分析装置を導入
しい遺伝病の発見、遺伝性代謝疾患の蛋白質あるいは遺
して、タイの化学診断を支援されるなど、最後まで休む
伝子レベルの新しい研究成果が、当時の日本からいち早
ことなくライフワークをお続けになりました。先生は来
く世界に発信された背景には、このような先端的な化学
るものを拒まずに誰でも受け入れ、留学生に対してはそ
診断があったのです。久留米大学時代に京都から須藤正
の生活から、論文づくり、学位取得、就職までのあらゆ
克先生(当時京都大学、前福井医科大学学長)が尿素回
る面倒を見られました。
路異常の患者尿を、また、熊本から米国より帰国直後の
先生が旅立たれた今、改めて卓越した先見性を持って
松田一郎先生(当時熊本大学、日本マススクリーニング
開始され、達成された偉大なご功績と、全身全霊をもっ
学会理事長)がメチルマロン酸血症児の尿を持ち込まれ、
て人々に接しられた厳しくも温かい先生の久留米大学時
迅速な診断の結果に喜んで帰られたことが遠い日のこと
代、金沢医科大学時代のご遺徳が脳裏に去来致します。
として思い出されます。
先生は久留米大学医化学教室の助教授として当時最先端
このような実績を背景に、金沢医科大学の病院長であ
73
ない時期に提供できることになるかも知
れません。先生の子供たちへの限りない
やさしさを感じます。
先生は故山村雄一前阪大総長や山川民
夫東京大学名誉教授のお力も得て、日本
医用マススペクトル学会(発足当時は医
用マス研究会)を設立されました。この
学会は何時も外国人第一線研究者を招き、
国際的雰囲気の中で開催されました。先
生のもとへは海外の一流学者が立ち寄り、
また、先生のご尽力で多くの人がカロリ
第17回日本医用マススペクトル学会にて(1992年9月)
右端が松本先生、左から中川有造氏(塩野義製薬)、L. Sweetman教授(カリフォ
ルニア大学サンディエゴ校)、C. Biemann教授(MIT)
、D. Desiderio教授(テネシ
ー大学)
ンスカ研究所、チューリッヒ大学、パリ
大学、カリフォルニア大学、テネシー大
学、NIH などの一流の研究機関へ留学し
ました。1990 年から10 年間この会の理事
った吉田清三先生に招かれて、1983 年に新設された人類
長として活躍され、代謝中間体などの低分子のみならず、
遺伝学研究所(所長 吉田清三先生、現在総合医学研究
Prof. Biemann (MIT)、Prof. Desiderio、Prof. Schulten、
所)の教授・副所長として赴任されました。松本先生は、
Prof. Cotterら著名な蛋白化学者を招待して、高分子化学
1985年 10月には金沢で吉田先生を会長として第1回環太
にも力を入れられました。1992 年9月に第 17 回日本医用
平洋先天代謝異常学会を開催されました。この金沢医科
マススペクトル学会年会を金沢で主催され、海外の著明
大時代の1993 年に先生は代謝生化学者として、酵素ウレ
な蛋白化学者も多数招待されました。2002 年には会員、
アーゼを用い、尿の有機酸とその他の代謝物を一斉に分
田中耕一先生がプロテオーム関連でノーベル化学賞を受
析することの意義をいち早く見出し、多くの患者の役に
賞されています。先生は本学会のみならず、救急医学現
立つだけでなく、新生児マススクリーニングにも応用で
場における薬毒物スクリーニングや化学テロ対策の専門
きるよう簡略化を指示されました。そしてその成果は化
学会である日本法中毒研究会(後に日本法中毒学会に改
学診断の歴史に新しいページを残すことになりました。と
ころでゲノムが全遺伝情報を意味し、全てあるいは総称
を指すのにちなみ、タンパク質の総称をプロテームと呼
組)とThe International Association of Forensic Toxicologist
(TIAFT)日本支部の設立にもご尽力されました。
先生は1976 年から23年間医用マス研究会(1988 年より
び、またそれにならって、代謝物の総称はメタボローム
学会)講演集を、1972−1985 年まで定期刊行物「GC/MS
と呼ばれております。ポストゲノムの21 世紀は、プロテ
ニュース」を発行されました。いずれも質量分析を研究
オーム、そしてメタボロームの科学が生命科学の中心と
の手段とする会員の技術向上、情報の獲得にかけがえの
なると言われています。メタボロームが提唱された翌年
ないものでした。ニュースには分析例が具体的に書かれ
の1999 年と2001 年にドイツのマックスプランク研究所の
ており、当時の日本では数少ない指導書でもありました。
植物生理学者が一流の学術雑誌(Curr Opin Plant Biol: IF
研究会ではいつも会員の仕事に関心を寄せ、研究を伸ば
9.5 とPlant Cell: IF 10.7)にて、1996 年の先生の論文を引
すために貴重な数々の助言や援助を惜しまない、率直で
用し、メタボローム応用の最先端は医学分野における、
広い心を持った先生でした。1999 年からは Elsevier社よ
診断ともいえる高精度のスクリーニングであるとし、そ
り、国際誌J Chromatography BのSpecial Issue を出版さ
の業績を讃えています。先生の研究の真価は質量分析学
れ、広く国内外の質量分析を手段とする研究の発展に尽
や遺伝学という範囲を越えて、植物生理学者にも認めら
く さ れ ま し た 。 1974 年 以 降 は 国 際 誌 Biological Mass
れたのでした。先生はまさに、メタボロームの概念を先
Spectrometry、1982 年からはMass Spectrometry Reviewsの
取りしておられたと考えています。
編集委員として、また広く国内外の学会で理事や評議員
1995 年、先生は病身にもかかわらず、厚生省、日本マ
として活躍されました。
ススクリーニング学会前理事長の坂元正一先生、機器メ
1970 年代前半のアジアで最初の質量分析法を用いる先
ーカーを幾度も訪れられ、翌年国内4機関による新生児マ
天性代謝疾患化学診断の開始、1990 年代前半のヒューマ
ススクリーニング試験研究開始を可能にされました。先
ンメタボロームを先取りしたウレアーゼ法の選択、糖尿
生のご尽力ゆえに始まった新生児マススクリーニング試
病病態解析、国際的な研究のネットワークの確立など、
験研究は現在も金沢医科大学、久留米大学で続行されて
どれも先生のフロンティアスピリットによる成果でした。
います。このメタボロームを先取りした新生児マススク
私たちは先生のご遺志を継いで、人々に役立つメタボロ
リーニング試験研究はやがて、全世界の子供たちに一生
ーム科学の発展に向け、全力を尽くして行きたいと考え
を安全に生き抜くための多くの貴重な情報を、生後まも
ています。
74
報 告
ロスアンゼルス留学記
血液免疫制御学講師
透き通るような青い空、憧れの南カリフォルニア。
川 端 浩
マイクロ・アレイによる腫瘍細胞の遺伝子発現解析、メ
2002 年10 月からの1年3カ月間、Los Angelesの Cedars-
チル化やアセチル化による発現制御、細胞増殖を制御す
Sinai Medical Center血液・腫瘍学部門に留学しました。
る液性因子などなどです。扱っている腫瘍も、白血病、
ボスはPhillip KoefflerというUCLA の内科教授です。実
骨髄異形成症候群、悪性リンパ腫、多発性骨髄腫、脳腫
は私は2回目の留学で、前回は 1996 年秋から 2000 年春
瘍、肺癌、乳癌、卵巣癌、子宮癌、前立腺癌、膵癌、大
にかけて、同じラボに留学していました。通算では4年
腸癌、皮膚癌など、多種にわたります。それぞれのポス
7カ月になります。古巣ということもあって、ラボの人
ドクが各自の得意分野を受け持ち、グループとして多彩
たちは暖かく迎え入れてくださいました。
なプロジェクトが構成されています。
UCLA の関連病院であるCedars-Sinai Medical Center
ラボの1週間は、月曜日の朝、ボスの週間予定表をチ
は、ハリウッドの大物俳優がしばしば入院することで知
ェックすることから始まります。火曜日のJournal Club、
られています。1970年代に、ここの研修医であったDr.
金曜日のLab Meetingが全員参加で、ほかには各プロジ
SwanとDr. Ganzが発明したカテーテルは、循環器疾患
ェクトごとのミーティングと、ボスとのman-to-man ミー
の血行動態をモニターするために世界中で使われていま
ティングが予定表に張り出されます。ボスは、私のため
す。
に毎週1時間程度、man-to-manで時間を割いて下さいま
さて、Koeffler研究室は5つのラボで構成され、常時20
した。このほかにも時々ボスはラボを回っていて、顔を
人以上の研究者が働いています(写真1、写真2)
。世界
合わせるたびに、What’s new? Anything else?と聞かれ
各国からポスドクが集まっていますが、最も多いのは日
ます。
本人で最高10人いた時期もあります。次に多いのは中国
Koeffler Labでは、1990年代後半に、3つの新しい遺伝
人、次いでドイツ人といったところです。ラボのプロジ
子がクローニングされています。ロシア人のAlexy がク
ェクトは実に多彩で、造血腫瘍細胞の分化誘導、細胞分
ローニングした好中球の分化に重要な転写因子 C/EBP-
化・増殖・細胞周期に関わる転写因子、様々な腫瘍にお
epsilon、中国人の Rong がクローニングした細胞周期に
ける癌抑制遺伝子変異とLOH(Loss of Heterozygosity)、
関わる遺伝子Cyclin A1、そして私がクローニングした
1 : Koeffler研究室の全体写真。ボスのPhillip Koefflerは後列の右端。筆者は中列左から5人目。
75
鉄代謝関連のTransferrin receptor 2です。
ゲノム・プロジェクトが一段落した今、
新しい遺伝子のクローニングは時代の
本流からはずれてしまいました。一方、
遺伝子の発現解析は、リアル・タイ
ム・ PCR、マイクロ・アレイなどで簡
単にできるようになりましたし、リン
酸化に特異的な多くの抗体が市販され
るようになり、蛋白レベルでのシグナ
ル伝達や発現解析が楽にできるように
なりました。遺伝子ライブラリーを広
げて一本釣りをしている研究者は見あ
たらず、研究手法の変化を感じました。
Cedars-Sinai Medical Centerでは、週
に1回以上、招待研究者か客員研究者
による講演が開かれていました。とき
にはノーベル賞受賞者による講演もあ
ります。また、UCLA ではほとんど毎
日、生命科学に関するなんらかの講演
2 : 私のいたラボのメンバー。左から、リンパ系細胞の転写因子などを精力的に研究
されていた群馬大学斉藤貴之先生、主に脳腫瘍を研究している中国人Dong Yin、コー
ネル大学の韓国人学生で夏休みの2カ月間私の実験を手伝ってくれたSeo Moon(自称
セーラームーン)
、そして右端が筆者。この他に、骨髄異形成症候群の幹細胞でDLK
という蛋白が過剰発現していることを見つけた坂尻さくら先生(全体写真の前列左か
ら4人目、順天堂大学)も同じラボにいた。
が開かれています。大変有名な方も来
られます。実験の合間にこれらの講演に参加すること
校に通っていました。先生方は教育熱心でしたし、英語
は、留学生活の楽しみの一つです。多くの講演会では、
が不得手なうちの子供たちをよくかわいがってくださ
聴衆にクッキーとコーヒーあるいはソーダとサンドイッ
り、子供たちも先生方によく懐きました。土曜日は日本
チが提供され、食べながら、飲みながら、映画鑑賞でも
語の補習校に通わせていましたが、帰国頃には子供たち
する雰囲気で講演を楽しむことができます。
の日本語力の低下が心配の種でした。このほか、1番目
さて、今回の留学生活で前回と異なるような印象を受
けたのが治安面です。特にイラク戦争が始まってからは
と4番目の子は、現地のバスケットボール・チームに参
加していました。
セキュリティーが厳戒態勢となり、研究室へのアクセス
留学生活の魅力の一つは、多くの友人を得ることがで
が1カ所に制限されたり、警備員が増員されたりしまし
きる点でしょう。子供たちが通う学校の父兄同士のつな
た。街には浮浪者が増えた印象ですし、かつてのアメリ
がり、家の近所とのおつきあい、バスケットボール・チ
カのおおらかさが失われた感じがしました。もう一つの
ームの父兄との親睦、おなじラボの人たちとの交流で、
大きな変化は家賃の高騰です。前回はサンタモニカとの
友人の輪が広がります。このほかLos Angelesには、日
境界に近い、海風の吹く閑静な住宅街の、広い庭とパテ
米ドクターズ・クラブといって、現地の日系医師と日本
ィオの付いた一戸建てに住んでいました。今回、同じよ
からの留学医師の集まりがあります。これは、HLA-typ-
うな家を探すと、家賃が2,500ドル、日本円で30万円以
ing で世界的に有名な元 UCLA 医学部教授のDr. Paul
上になり愕然としました。2倍以上に上がっています。
T e r a s a k i が、私たち留学医師およびその家族のために
安いところを探せば、職場から遠く離れているか、ある
1998 年春に始められた会です(写真3)。私は創立当時
いは治安の良くない地域です。いろいろ迷った末、6人
のメンバーの一人でした。多くのボランティアによって
家族にはちょっときついけれども、今回は町なかの小さ
運営されているこの会は、毎回楽しいイベントが用意さ
なタウンハウスにしました(それでも家賃は1,700ドル、
れていて、毎月の会合には100 人程度の参加があります。
20万円ほどでした)
。私たちは期間が限られていたので
Los Angeles近辺の様々な大学や病院で働いている日
なんとかなると思ったわけですが、一体普通の人が家賃
系・日本人医師とその家族が集うこの会は、情報交換の
20 万円を払い続けることができるのでしょうか? これ
場としても、家族を含めた交流の場としても有意義なも
はバブルだと思います。
のでした。
2度目の留学ということもあって、子供たちはスムー
今回の留学中の研究成果の一部は、昨年の米国血液学
ズに現地の小学校に転入しました。我が家には上は中学
会総会(ASH)にて2つの演題として発表しました(こ
校1年生から下はキンダーガーデンまで4人いますが、
のうち1題は口演に選ばれました)。華やかな発表の陰
親の心配をよそに、すぐに大勢の友達が出来て喜んで学
で、実際には関わった研究の大部分は十分な成果が上が
76
らず、1勝9敗といったとこ
ろでしょうか。しっかり計画
を立てて無駄なく実験をし
て論文を書くタイプと、
「下
手な鉄砲も数打ちゃ当たる」
式の研究者がいると思いま
すが、私は後者のようです。
確率が低いわけですから、人
の何倍も実験をしなければ
なりません。週末も休日も
なく、実験を楽しんでいまし
た。ボスは私に自由に実験
をさせて下さいましたし、私
は研究を存分に楽しむこと
ができました。
当初、私の留学予定期間
3 : 日米ドクターズクラブのクリスマス会にて。Dr. Paul Terasaki(右端)と私の家族。
は1年でした。生活と研究の
セットアップに時間がかか
ることを考えれば、まとまった仕事をするのに1年は短
る留学生活を終えることができましたのは、日米両国の
すぎます。しかしながら、1年間ですばらしい論文を4本
多くの方々に支えられてのことです。今後、Los Angeles
書いて行かれた日本人医師もいらっしゃいました。研究
の大学や研究機関に留学を希望される先生がありました
はどこまで進んでもきりというものがありません。私の
ら、なんらかのお力になれればと思います。留学を快諾
研究は、帰国後も当大学でさらに発展させるように努力
してくださった血液免疫内科学の菅井先生、大学の関係
したいと思います。結局、私は医局の皆様にご無理をお
者の皆様方、ご迷惑をおかけした患者様、そして特に私
願いし、皆様のご厚意に甘えて帰国を3カ月間延長させ
が不在の間、少ない医局員で診療・教育体制をきりもり
ていただきました。お陰様で家族も私もたいへん充実し
された血液免疫内科学の医局の皆様に深く感謝いたしま
た留学生活を送ることができました。このような実りあ
す。
《本学スタッフ新刊著書》
エマニュエル・ルービン 編集
河原 栄、横井豊治 監訳
ルービン:カラー
基本病理学
分担翻訳:上田善道 (第6章 成長障害と遺伝性疾
患、p102-128;第21 章 内分泌
系、p482-508)
西村書店 定価:本体6,200円+税
B5判、649頁
2004年4月5日発行
ISBN 4-89013-324-0
本書「ルービン カラー基本病理学」はエマニュエ
ル・ルービンの編集による“Essential pathology”第3版
の翻訳書である。同じ編著者により著された親本である
「病理学」
(原題:“Pathology”
)は米国で最も定評のあ
る病理学の体系的専門書のひとつとして改訂を重ねてい
るが、本書はその特長を生かしつつ、エッセンスをコン
パクトにまとめて読みやすくしたものである。とは言え、
原書で700ページを超す本格的な病理学書であり、発症
機構をはじめ記述は詳細で、最新の研究成果も随所に盛
り込まれている。本書を読めば疾患・病態の重要なポイ
ントを把握できるだけでなく、かなり詳しい部分までひ
ととおりの理解が得られるので、他の専門書を参照する
必要はほとんどないであろう。鮮やかなイラストや精選
された写真も理解を助けるに違いない。
(病理病態学上田善道記)
77
随 想
ロシア小紀行
名誉教授・泌尿器科学
津 川 龍 三
2003夏、地元テレビ局と旅行社
の共催で、モスクワ∼サンクトペ
テルブルグのツアーが企画された。
日程は9月 29 日から10月6日まで、
しかも金沢駅発着とあり、旅行中
に次はこれ、その次はあれと考え
る必要もなし、早速参加すること
にした。昔のソ連時代に行った人
の話では、カメラを建物に向けた
だけで私服が近寄ってくる、時に
は没収された由であったが、今で
は大丈夫ということであった。
アエロフロート航空モスクワ直
行便は関空発10時、機体はエアバ
スA 3 1 0 で満員。約 1 0 時間の飛行
で、モスクワ到着、ホテルアエロ
スターは立派なホテルで、
「地球の
歩き方」情報での、備え付けトイ
レットペーパーなし、バスタブの
赤の広場の聖ワシリー教会。息をのむ建築。
栓なしという情報とは程遠いもの
であった。ペーパーは一応用意したが結局無用であっ
で修道士の声が、あたかもリードボーカル、そのあとを
た。石鹸、シャンプーはあるが、他はなし、もちろん他
追うように唱和する女性信者達の声が堂内に響き合い、
国同様スリッパなし。
異教徒の私どもにとっても心安らかなひとときであっ
モスクワといえばクレムリン、クレムリンというのは
た。たまねぎ型をした4つの青いドームの中央に金色の
建物を囲む城壁、塀の事で、例えば、私が然るべき家に
大きなドームがある。聖水も出ていて直接飲む者、容器
住み、分厚い塀を巡らせば「津川さんのクレムリン」と
に入れる者など信者の行列ができていた。
なる。バスからおりてヴァスクレセンスキー門を入ると
現地ガイドのイリーナさんは、次にチャイコフスキー
「赤の広場」
、中でも目をひくロシア正教の聖ワシリー寺
が「白鳥の湖」の楽想を得たという静かな池と、その向
院、この寺院は、16 世紀半ば、イワン雷帝の時代にでき
こうに森と教会と丘が見える美しい場所に案内してくれ
あがった。高さ47メートルのキリストを象徴する塔のま
た。これは恐らく彼女の好みではないかと思った。
わりに9本のねぎ坊主状の建物が不規則に建てられてい
モスクワは首都、活発であるが、交通渋滞が凄い。歩
る。それぞれ教会である。それでいて調和がとれている。
道にアタマを突っ込み、車道にかけての駐車が延々とし
規模、形、色彩、これは西欧にはないものだ。
かも2列である。取り締まりもあきらめた由、洗車の習
16世紀に建てられた武器庫に入る。中は鎧、甲のコレ
慣もないらしくピカピカな車は見当らない。駐車施設は
クション、金銀細工、ダイヤなど宝石(ウラル地方産)
あるのかどうかわからない。車社会への対応はいずこも
王冠、織物、馬車の陳列で、カメラは不可(旅行中、武
同じ。目抜き通りに日の丸の看板、これはSUSHI店、バ
器庫以外、教会、美術館に入る時はカメラは OKだが1
スの窓からではあるが2軒見かけた。
台につき100ルーブルの持ち込み料金が必要、フラッシ
ュ可もあり不可もあり)
。
次に訪れたサンクトペテルブルグは元の首都で、プー
チン大統領の出身地、モスクワに比べると静かな街であ
クレムリンのあと、セルギエフ・パッサート大修道院
る。現地ガイドは、オルガさん、
「イサク寺院」の紹介
群の一つ、トロイツェに向かう。中へ入ると祈祷の最中
では「…ヨサクではありません」とジョーク一発。バス
78
内では大拍手。
フェリーに乗ってネヴァ河の河口へ出るとそこはフィ
園家、彫刻家を集め、夏の宮殿、ペトロドヴァレエツを
建てた。宮殿の前庭は階段状で、多種類多数の金色の彫
ンランド湾。河岸には巡洋艦が繋留されている。名は
像と噴水に驚く。中へはいるとピョートルの部屋や中国
「オーロラ」で 1902年竣工、1905 年、日本海海戦に参
の部屋などがあり当時珍重がられた陶器がずらり、有田
加、大損害を受け、フィリピンで修理、サンクトペテル
焼もかざられていた。
ブルグへ回航後繋留された。しかし1917年には冬宮に向
エルミタージュは歴代帝王の住まいであった「冬の宮
けて号砲1発を放ち、ロシア革命のはじまりを告げた記
殿」と4つの建物が廊下で結ばれ、1,050 の部屋を持つ美
念すべき軍艦となる。ちなみに当時の日本艦隊の旗艦
術館である。蒐集はピョートル大帝の娘エリザベータに
「三笠」は同じく1902 年竣工、今は横須賀に繋留されて
よって始められ、エカテリーナ2世らはさらに熱心に遺
いる。有名なT字形戦法など、海戦の様子は、司馬遼太
業を続け、現在の国立美術館を作り上げた。とにかく規
郎著「坂の上の雲」に詳しい。
模たるや驚くばかり、収蔵品は絵画、彫刻など300万点、
横道にそれるが、ここで日本艦隊の軍医長の指示に触
特に2、3Fの西ヨーロッパの絵画が素晴らしい。レオナ
れておきたい。対馬海峡でロシア艦隊との遭遇が確実に
ルド・ダビンチからラファエロ、エル・グレコ、ルーベ
なった時、1. 艦内をすべて消毒、 2. 全水兵を入浴させ、
ンス、レンブラント、3Fにはピサロ、ミレー、モネ、
3. 湯上がりに新品の下着を着用させた。海戦ともなれ
ルノアール、セザンヌ、ゴッホなどの印象派、青の時代
ば、敵弾の炸裂により、艦内の構造物の細かい破片が着
のピカソなど、それぞれ大きな展示室に並び、しかも同
衣の繊維と共に水兵の体内にめり込む。創傷は免れな
一作家で数枚から一室すべてに展示されている。とりあ
い。しかし、あらかじめ水兵の環境を皮膚をはじめあら
えず1日かけたが、まともに鑑賞したら数日かかりそう
ゆる面で清潔にしておき、創傷感染を極力防いだことに
な質と量であった。
なる。この深慮には感心する。
最後の見学はエカテリーナ宮殿、これはエカテリーナ
さて、フェリーがやがて船着場に着くころになるとオ
女帝の命によりロシアバロック様式の建築で1756年に完
ルガさんと同じ年頃の女性メンバーらは彼女を取り巻
成、18 世紀末、伊勢の人、大黒屋光太夫の船がロシアの
き、どうやらダンナや子供は?など家庭の事情まで詳し
地に漂着、以後 10 年の間、数人の仲間を失いつつ、帰
く訊きだしていたようである。その輪に入らず少し離れ
国を願い続け、遂にエカテリーナ女帝に拝謁して帰国の
ていた私にもやや恥ずかしそうに息子の結婚式のスナッ
許可をもらい、伊勢へ帰ったという記録が、井上靖(昭
プを3枚みせてくれた。いつもビジネスバッグの中に持
5、旧制四高卒)によって「おろしあ国酔夢譚」として
っているらしい。良い母親だ。これは一緒に行動してい
出版され、映画にもなった。そのエカテリーナ二世謁見
ないとありえないことだ。西欧旅行では見られない微笑
の間も見学した。そこで帰国 OKが出たのである。広さ
ましい光景であった。
は日本の小中学校の体育館の1.5倍。正面奥に女帝が坐
ピョートル大帝(在位1682∼ 1725)は国内の安定周
辺諸国との関係が落ち着いたところで西欧諸国を巡り、
った椅子があった。
最後に「琥珀の間」
、これは壁全体が琥珀、その中に
宮殿、美術舘、都市計画などを見て「ロシアは遅れてい
さらに琥珀の額縁にはめこまれた絵画が数メートルの間
る」と実感、それらに負けない都市作りを思い立ったと
隔で並ぶ。数点欠のままだが、これはナチスに持ち去ら
いう。1714年、大帝は、広く西欧から多くの建築家、造
れ今も行方不明の由であった。火もかけられたそうだ
1902 年竣工、巡洋艦「オーロラ」。1905 年対馬海峡まで来たのだ
が・・・。
夏の宮殿ペトロドヴァレェツ。噴水が美しい
79
は丁度レートが不利で手をつけずと
した。有料トイレは7ルーブル、ホ
テルの部屋を出る時は1ドル置いて
きた。キャビアを買う人がいたが量
に制限がある由。結局、最初の 900
ルーブルは、カメラ持ち込み料にほ
とんど使い、旅行中は米ドルを使っ
たため、最終日は 100 ルーブルとな
りチョコレートと絵ハガキ1枚で7ル
ーブルとなりその時点で我が家の買
い止めとなった。
最後にもう1回横道、このツアー
メンバーでは医者は私一人、そこで
薬は私の常備薬の他、抗生物質、ニ
トロまで用意した。結局私の出番は
エカテリーナ宮殿
なかったが、こっそり「これが私の
いつもの薬」と見せてくれた人がい
が、ロシア人達の23 年におよぶ修復作業が続けられ、サ
る。何と冠動脈拡張薬、勇ましい人がいるものだ。同窓
ンクトペテルブルグ300年を記念して「琥珀の間」が復
の諸先生、将来ツアー参加の場合は、心してお出かけ願
元完成されたのである。一度に多数の人を入れるのは危
いたい。
険なので、入館制限をしていた。入口では係員と見学希
望者らが「早く入れろ」でもめていた。私どもは、黄色
の大きな落葉の林を抜けてバスに乗った。
さて、ロシアについての情報を少し。ロシアの観光事
なお、機内の緊急で医者として出ざるを得ない時、
「ここでは十分な検査もできませんし、薬も機内での持
ち合わせしかありません。それでもよければ、拝見し、
処置も不十分とは思いますが、それでもよろしいでしょ
業は始まったばかりである。海外旅行社の前を見てもパ
うか?」と訊く。同行者、客室乗務員にも同席してもら
ンフレットは見かけない。街行く人は皆素朴に見える。
う。「結構です。お願いします」と言われたら行動開始
チャラチャラした若者はいない。行くなら俗化されてい
せねばなるまい。これも本学金川教授に教えていただい
ない今がいい。
「スリが多いからショルダーバッグはお
た機内用インフォームド・コンセントなのだ。私は泌尿
なかの前へ、チャックの場所は手で押さえて」と再三の
器科医なのでわかりませんでは通らない。医師免許証に
注意。そうなのかも知れないが。
はそんなことは書いてないのだ。若い時には救急でも何
温度は日本の温度より約 10 度低い。両替所は各ホテ
でも、無理矢理でもよいから、体験、見学しておくこと
ルにある。ロシア通貨はルーブルだが、米ドルが歓迎さ
だ。かくて私のロシアミニ紀行は無事終了。私は再び国
れる(低額ドル札を多く持つこと、大きくても10 ドル)
。
内外旅行案内広告に思わず立ち止まる存在となった。
私はまず30ドル両替したが約900ルーブルとなった。円
90
教室記念行事
放射線医学教室
山本 達教授退任記念会
開宴はミニコンサートで
平成16年3月 13 日(土)午後7時からホテル日航金沢
において山本 達教授退任記念会が盛大に開催されまし
長年の労を讃えられた西東先生
像診断、IVRの領域で数多くの業績を残されています。
平成6年には副院長として病院診療部長を担当され、
た。ご出席いただいた方々は 180 名以上に上りました。
平成 11年からは副学長および教育学術交流センター長
開会に先立ち、金沢医科大学病院「ふれあいたいむ」で
として、本学の診療や教育の発展に貢献されました。平
定期的にコンサートを開催されているメンバー8名によ
成 14 年からは理事として大学の管理、運営にも参画さ
る室内楽の調べに耳を傾けた後、発起人代表より退任記
れています。
念会実現までの経過が報告され、山本教授のご経歴が披
露されました。
学会活動では日本医学放射線学会、日本核医学会をは
じめとする多数の学会の要職を歴任され、これらの学会
ご来賓のご祝辞は、金沢医科大学理事長小田島粛夫先
の発展に大きく寄与されています。また学術交流にも積
生、学長竹越 襄先生、金沢大学病院長利波紀久先生か
極的に取り組まれ、海外から多くの留学生を教室に招
らご祝辞をいただきました。乾杯は金沢医科大学顧問西
き、立派な研究者に育て上げてこられました。
東利男先生のご発声で行われました。しばらくの会食の
後、金沢医科大学クラシック音楽同好会のメンバー3名
によるピアノ演奏が行われ、次いで金沢医科大学副理事
長山下公一先生、前東邦大学教授平松慶博先生、くすり
のアオキ青木桂生会長からご祝辞をいただきました。し
ばらくの歓談の後、祝詞、祝電の披露が行われ、教室よ
り山本教授ご夫妻に記念品と花束の贈呈が行われまし
た。最後に山本教授よりご出席の方々へのご挨拶があ
り、盛会のうちに閉会となりました。終始和気藹々とし
た大変すばらしい退任記念会であったと思います。
山本教授は昭和 53 年に本学に放射線医学教室教授と
して着任され、26 年間にわたって教室の運営に多大な労
をとってこられました。この間、数多くの放射線科専門
医、医学博士を育てられ、門下生は100名近くに上って
います。昭和 59年に放射線医学教室主任教授に就任さ
れた後、当時開発間もないMRI を全国に先駆けて導入す
るなど、最新の医療機器導入に尽力されるとともに、画
山本教授には今後ともご健康に十分留意されて、ます
ますご活躍されることを心よりお祈り申し上げます。
(放射線診断治療学利波久雄記)
91
教室記念行事
皮膚科学教室
石崎 宏教授退任記念講演会・祝賀会
ては、電子カルテ時代にあって医師が患者さんにつとめ
て向き合う事の重要性を強調され、また指導者としての
あるべき姿にも言及され、講演を締めくくられた。
記念祝賀会は石崎教授の金沢大学時代の同級生でもあ
る竹越襄学長、当教室の歴代教授である広根孝衛先生、
福代良一先生のご臨席のもと、金原武司前教授のご挨拶
で開会し、大いに盛り上がるうちに予定の時間を迎え
た。会の最後の先生のご挨拶の中で、本年4月より本学
総合医学研究所にノバルティスファーマの寄付講座皮膚
平成16 年3月 20日(土)午後6時から、皮膚科学教室
真菌学部門が新設され、先生におかれては引き続き本学
石崎 宏教授の退任記念講演会・祝賀会が金沢ニューグ
において研究にご尽力いただける事が披露され、参加者
ランドホテルで行われ、約100名の方々が参加された。
一同大変力強く感じた次第である。今後の一層のご健勝
講演会に先立って柳原 誠教授が石崎教授の経歴、教
授として活躍された22年間の業績を紹介した。
とご研究の発展をお祈りし、名残を惜しみつつ散会とな
った。
講演会では石崎教授がSporothrix schenckii を中心とし
た研究生活を振り返り、Sporothrix菌体の抗原分析、菌
体表面における抗原の電子顕微鏡的局在の解明、
Sporotrichosis の診断に欠かせない日本医真菌学会標準ス
ポロトリキン反応液の作成について述べられた。しか
し、自然界分離の非病原性の類似菌種との鑑別にはこれ
らの抗原分析法では限界があったことから、菌種同定の
ために分子生物学的マーカーの導入がなされ、これが新
たなブレークスルーになったことが紹
介された。さらに、分子マーカーを改
良し、PCR世代の迅速同定法として小
さなコロニー一つから数時間以内に分
子型まで判明する方法が考案された
事、そしてそれらを応用した分子疫学
という研究手法を医真菌学に導入した
ことが紹介された。そして、現在まで
これらの方法により世界各地で分離さ
れた500株を超える菌株の解析が行わ
れ、結果的に菌の分布がプレートテク
トニクスで説明できる事を示すとい
う、極めてスケールの大きな研究に発
展した経緯が明解に説明された。各時
代の最新の技術を用いながら研究が発
展していった様子が超一流の科学史を
見るように鮮やかに提示され、参加者
に深い感銘を与えた。若手医師に対し
福代良一元教授ご夫妻を囲んで
(環境皮膚科学 望月隆記)
92
教室記念行事
循環器内科学教室
竹越 襄教授退任記念会
拶があり、盛会のうちに閉会となりました。
竹越先生は、昭和 13 年東京都荻窪にお生れになり、
昭和38 年金沢大学医学部医学科を卒業し、昭和43 年金
沢大学大学院医学研究科内科学専攻を修了されました。
その後金沢大学医学部第二内科に入局され、昭和 48 年
金沢医科大学に講師として着任後、昭和 49 年助教授に
昇任されています。昭和 60 年金沢医科大学救急センタ
ーおよび循環器内科学併任教授に昇任されました。平成
8年より故村上暎二教授の後任として、2代目循環器内
科学主任教授となられました。また平成10年より、金沢
医科大学病院長となられ、平成 11 年からは金沢医科大
平成16年4月 24日(土)午後6時30 分から、ホテル日
学第8代学長になられています。
航金沢において、竹越 襄教授退任記念会が盛大に開催
竹越先生は、現在虚血性心疾患の診断・治療にかかす
されました。ご出席いただいた方々は270 余名に上りま
ことのできない冠動脈造影法に関して、北陸地区におい
した。
ては先駆者であり、近年北陸で目覚しい発展を遂げてい
会は竹越教授ご夫妻が拍手で迎えられ着席されると同
るcoronary interventionの基礎を築いた人といっても過言
時に照明がおとされ、笛と鼓の一調一管からはじまし
ではありません。さらに日本内科学会、日本循環器学会
た。一調一管は古都金沢の伝統芸能として全国的にも高
など多数の学会において理事あるいは評議員の要職を歴
い評価を受けていますが、まさに竹越教授退任記念会に
任され、2000 年には日本における「急性重症心不全治療
ふさわしい幕開けでした。そして発起人代表より開会宣
ガイドライン」の班長として、また2002年 11 月には第
言と竹越教授のご経歴が紹介されました。
39回日本臨床生理学会会長をされるなど循環器領域の
ご来賓のご祝辞は、金沢医科大学理事長小田島粛夫先
発展に大きく寄与されています。
生、名古屋大学名誉教授・名鉄病院名誉院長山田和生
竹越教授には、現在金沢医科大学学長という要職に就
先生、金沢大学名誉教授・北陸病院顧問竹田亮祐先生
かれています。今後ともご健康に十分留意されて、ます
からいただき、乾杯は関東中央病院名誉院長杉本恒明先
ますご活躍されることを心よりお祈り申し上げます。
生のご発声で行われました。しばらくご会食ならびにご
歓談の後名古屋大学名誉教授・愛知県病院事業庁長外
山淳治先生、福島県立医科大学
第一内科教授丸山幸夫先生、元
浜松医科大学学長山崎 昇先生、
京都大学名誉教授・浜松労災病
院病院長篠山重威先生、アルプ
金沢ラボラトリ所長中西功夫様
からご祝辞をいただきました。ま
た、多方面から多数の祝詞、祝
電が寄せられその一部の披露が
行われました。そして、教室よ
り竹越 教授ご夫妻に記念品と花
束の贈呈が行われ、最後に竹越
教授よりご出席の方々へのご挨
(循環制御学 大久保信司記)
93
金沢医科大学創立 30周年記念事業募金のお願い
趣意書
金沢医科大学は、昭和 47年に日本海側でただ一つの私立医科大学として金沢市に隣接する内灘の地に開学し
ました。「良医を育てる、知識と技術を極める、社会に貢献する」という建学の精神のもと、優れた教員を確
保し、最先端の教育、研究、医療設備を充実させ、次世代の医療の良き担い手の育成に努力してまいり、開学
以来29年を経て約2,400名の卒業生を世に送り出しました。
本学が、来る平成 14 年には創立 30周年を迎えるのにあたって、21 世紀の社会が求める医育、医療に応える
ために、教育・研究施設のさらなる整備充実が必要となっており、また年月の経過に伴い、病院の建造物の老
朽化も目立っております。さらに患者さんの療養環境の改善、特定機能病院および教育病院として社会からの
負託に応え得る診療機能と教育機能の改善が、現場からの強い要望として出されるようになりました。
約 10年にわたる検討を経て、この度、病院新棟の建設と教育施設の整備充実を、創立30 周年記念事業とし
て計画いたしました。病院新棟については、平成12年12月に着工し、平成15年の完成を予定しております。
これらの計画の実現には多額の資金を必要とします。本学では鋭意、自己資金の確保、経営の合理化などの
努力を行っておりますが、関係各位の格段のご支援を仰がねば、この計画を達成することは困難であります。
つきましては、経済情勢も大変厳しき折から誠に恐縮に存じますが、医学、医療の果たすべき役割、私学教
育の育成という観点から、何卒これらの趣旨をご理解いただき、格別のご協力を賜りたく心からお願い申し上
げます。
学校法人 金沢医科大学
理事長 小田島 粛夫
学 長 竹 越
襄
募集要項
寄付金の性格により手続上、個人対象の場合と法人対象の場合に区別されております。
1. 金 額
特定公益増進法人寄付金(個人対象)
10億円
受配者指定寄付金(法人対象)
7億5000万円
2. 募集期間
平成13年7月1日∼ 平成16年6月30日
3. 申込方法
個人用、法人用、それぞれの寄付申込書の所定の欄に必要事項をご記入の上、教育研究事業推
進室へご提出願います。
4. 税制上の特典 特定公益増進法人寄付金制度と受配者指定寄付金制度により、税制面での優遇があります。
詳細については、金沢医科大学教育研究事業推進室へお問い合わせください。
TEL 076(286)2211
内線 2720∼2724
FAX 076(286)8214
創立30周年記念事業募金寄付者ご芳名(敬称略) No.10(H15.12.22∼H16.5.10
〈個 人〉
金山登喜夫(石川県)
須藤 正克(大阪府)
堀本美和子(石川県)
西村 進一(石川県)
小野 玲子(宮城県)
出口千恵子(石川県)
中嶋美由喜(石川県)
谷口 充(東京都)
柳田 善為(石川県)
松田 修(埼玉県)
〈法人〉
(株)第一ラジオアイソトープ研究所 (株)みずほ銀行
能登印刷(株)
(医)晶晴会(入澤千晴)
受付順)
才田 悦子(石川県)
出村 昇(石川県)
高山 恵子(石川県)
四十沢孝子(石川県)
南部由香利(石川県)
南部由美子(石川県)
上嶋 康洋(石川県)
橋本 幸子(岩手県)
中江 芳子(石川県)
個人寄付金累計 1,257件 633,652,452円
持木会(持木 大)
ボストン・サイエンティフィックジャパン(株)
(株)グッドマン
法人寄付金累計 345件 564,510,000円
94
金沢医科大学学術振興基金募金について
募集要項
学術振興基金の募金も従来どおり受け付けています。
1. 目標額:10億円
2. 寄付方法:寄付申込書等を本学教育研究事業推進室にご
請求ください。(TEL 076-286-2211 内線 2720∼ 2724、
FAX 076-286-8214)折返し、寄付方法、税務に関するこ
となどをご連絡致します。
3. 本学は、平成15年9月1日付で文部科学大臣より特定公益
増進法人であることの証明を受けております。
金沢医科大学学術振興基金への寄付者ご芳名(過去1年間の分、敬称略)
三治 秀哉(石川県)
小嶋昭次郎(岐阜県)
稲尾 次郎(富山県)
鈴木 昌和(長野県)
山田 真樹(富山県)
角田 弘一(石川県)
医療法人社団順和会(富山県)
小田 政行(岐阜県)
由木 邦夫(栃木県)
鈴木 桂子(長野県)
仲里 博彦(沖縄県)
斎藤 茂(埼玉県)
柴原 義博(宮城県)
小林 睦(東京都)
花田 紘一(福岡県)
鈴鹿 正剛(奈良県)
板垣 和夫(東京都)
山田 真樹(富山県)
村上 哲志(福岡県)
高村 敬一(福井県)
辻 外幸(富山県)
曽根 節子(石川県)
南部 澄(石川県)
丸文通商㈱(石川県)
表紙写真
し
石引町の紫もくれん 中谷 渉
石引町通りの中ほど、石川厚生年金会館へ入る角
にある大きな紫もくれんの木は、桜の開花と競って
見事な花を咲かせることで、金沢中の人々が知って
金沢医科大学報 第118号
平成16年5月1日発行
いるほどに有名である。樹齢は百年ともいわれ、聖
ヨハネ教会の所有であったが、市道の拡幅時に金沢
市の街路樹として市の所有となった。花の色といい、
形、姿勢といい、優雅な雰囲気をかもして古都金沢
を代表しているかにも思われる。
戒名は真砂女でよろし紫木蓮
鈴木真砂女
(鈴木真砂女〈すずき まさじょ〉1907-2003、俳人、銀座の小料
理屋「卯波(うなみ)
」のおかみとしても親しまれた。2003年老
衰のため死去。享年 96 歳。房総の老舗旅館に生まれる。俳句は
30 歳の時、姉の遺句集づくりをきっかけに始めた。戦後、久保
田万太郎に認められて句誌「春燈」に参加。後に安住敦に師事。
夫の蒸発、再婚、出奔と、起伏の激しい人生を経験。代表句に
「羅(うすもの)や人悲します恋をして」など。76年、句集「夕
蛍」で俳人協会賞、95 年「都鳥」で読売文学賞、99 年「紫木蓮」
で蛇笏賞。著書に「お稲荷さんの路地」など。
発行者 金沢医科大学理事長 小田島 粛 夫
編 集 金沢医科大学概要・学報編集委員会
山下公一 西川克三 廣瀬源二郎
平井圭一 伊川廣道 川上重彦
木越俊和 朝井悦夫 谷口 豊 相野田紀子 太田隆英 國府克己
大石勝昭 坂井輝夫 木村晴夫
小平俊行 中谷 渉 寺井明夫
野沢幸雄 丸谷 良 中嶋秀夫
中川美枝子 青木孝太 平光志麻
発行所 金沢医科大学出版局
〒920-0293 石川県河北郡内灘町大学1−1
TEL 076 ( 2 8 6 ) 2 2 1 1
印刷 能登印刷株式会社
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