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世界の内破 -心情世界における被膜幻想

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世界の内破 -心情世界における被膜幻想
世界の内破
──心情世界における被膜幻想──
2015. May 25 itabashi
1.はじめに
私はここで何を語りたいのか?それは前方と上方のミュトスである。
①小学生低学年の頃、日が落ちるまで遊んだ。広場の滑り台の前に、ジャングルジムが
あった。この辺りで一番高いところ。ジャングルジムに登り、見上げた夕方の空には、宵
の明星があった。
②同じ頃、広場で遊び仲間と石を投げ合った。彼の投げた小石が私の額に当たり少し血
が出た。とっさに小石を相手に投げ返そうとしたが、不思議な恐怖にとらわれて止めた。
私の投げた小石が彼の額を破る、「世界が破れる」〈世界が内破する〉と思った。映像が
脳裏をよぎり手を止めた。ふと見上げた夕方の空には、宵の明星があった。
発見の順序はわからない。ここにはプトレマイオス的宇宙の根源(アルケー)として、
上方と前方という基本単位が素朴に現れている。世界内拘束者の遊びは、世界の限界(ペ
ラス)を時として突破するのだろう。反省することなく予感していたもの、透けて見えて
いたもの、それが改めて境界の破れのところに現れる。内部者が外部者に触れたといって
よい。
つまり私は宵の明星を三度発見したことになる。一度目は融即世界における宵の明星で
あり、世界の限界のスクリーンに描かれた一番星である。私は反省することなく経験的に 、
世界の一部つまり一番星としてのそれの出現を繰り返し見ていた。二度目は経験世界の外
部に出現した宵の明星である。私は反省することなく撃たれたように、素朴ながら経験世
界の外部に存在する象徴世界の手がかりとしてのそれを発見した。三度目は天文学的知識
が反省的に捉えた金星としてのそれである。
郷里の北陸の空は暗くて重い。頭上にはいつも重い雲があった。今から思えば上方に限
界(ペラス)があった。心情世界はそうした風土によって限定を受けながら醸成していた 。
そしてこの地に来て思った、関東平野には空がない。いつも頭上にあった重い雲、空の蓋
が欠如していた。濃密なアニミズムの溜まりが霧散して行く。生気のない空の表情に落胆
した。ここにあるのは明るい世界照明のみ、暗い照明や輻射はない、そのように感じた。
2.被膜幻想
〈世界が内破する〉。──このサルトル風の表現は、あたかも無への内破を怖れる有の
ようである。あるいは細胞膜が破れ内容が流出する構造崩壊のそれを思わせる。
──被膜の破れが至るところで現れ、
水浸しとなった世界の光景は、
おぞましく美しい。──
被膜幻想あるいは被膜の内破幻想は、思春期において〈身を切られるような痛切な哀し
み〉という被膜の易傷性を作り出している。青年期においては対峙状況における自己確立
の失敗の帰結として、それは自己内容の流出と他者への飲み込まれ不安を作り出している 。
これらには被膜特性が示されている。
発達過程を以下のように順序づける。
infant 乳児→early child 幼児→pupil 学童→juvenile 少年→adolescent 青年
乳児は言葉を持たない。幼児は言葉を得て、あるいは言葉に聴き従って、徐に母の瞳の
なかの人形という騙し絵を動かしにかかる。さらなる言葉を取り込み、彼の心は膨らんで
行く。教室内の学童は人形として群生し、差異の戯れを経験する。少年は差異ではない、
未だ不在ながら(そしてこれからも不在であるはずの)個という同一性の引き受けを、唐
突に突きつけられる。青年は未完成という定義をもって、根拠なく横暴に社会に突入する。
乳児が神話の時代、幼児が部族が跋扈する闘争の古代とするならば、学童は中世にある
といえよう。学童におけるその杳い期間は長く、忘却のなかに沈み込んでいる。教会に幽
閉された中世の暗さを思わせる。そのなかをのぞきこむと、それの前期は群生し、中期は
差異の戯れを享受している。そして学童後期、群生も終わる頃、杳然として世界は静まり
返る。前夜のたたずまい。ここに唐突に個と身体が目覚める。
おそらく幼児期後半から学童期の全体に至るまで、被膜感覚が作用しているだろう。そ
れは透過性を特徴とする。そして折々の被膜の破れが、前少年期心性としての眼差しの普
遍性を与えている。
思春期は、上述の心理社会的系列において、少年期に重なっている。それの前夜を前思
春期および前少年期とすると、前少年期という表現はあまり聞かないので、改めてそれら
を『前思春期』と総称しておく。
さて後期学童は、少年期と思春期つまり個と身体に襲われる。後者において、不快な物 、
おぞましい物が身体内部から立ち上がり、愕然とするだろう。思春期の開花により世界は
変化した。後戻りはできない。これをもって学童から少年への移行は完了する。
杳い学童期において被膜の隙間から入射する来訪者、それは前方と上方に開ける外部世
界から到来する謎めいた何者かである。前方には世界が、頭上には宇宙が開ける。世界の
構造化に与る隔壁において、普遍性を反射し先取りする被膜へと変化した薄い隔壁そのも
のが破れ、それによって普遍性を獲得できるということは、世界の額が破れることで遮蔽
物が除去されて眼差しがより遠くへと向かうということではない。すでに予見され先行的
に触発されていた可能的開けが、唐突に世界の発見を与えたということなのである。これ
経験への衝撃であり、事件であるとすらいってよいだろう。
3.フロイトの接触障壁
初期の量理論によれば、ニューロンの接合部分(シナプス)において、興奮伝導に対す
る接触障壁(Kontaktschranke)が与えられる。そうした伝導の抵抗によって、ニューロン
のグループは、外的刺激である知覚をつかさどる透過性ニューロンの φ システムと、内的
刺激すなわち記憶ならびに心的活動一般の担い手である非透過性ニューロンの ψ システム
とに大別される。
さらに、量の過程は意識されないものとされ、改めて意識されるものとして質の過程が
導入される。質とは「著しい多様性として互いに『異なる』感覚であり、そうした感覚の
『 差 異 』 は 外 界 と の 関 係 に よ っ て 規 定 さ れ る 」 ( Empfindungen, die in großer
Mannigfaltigkeit anders sind und deren Anders nach Beziehungen zur Außenwelt unterschieden
wird)と説明される。質の過程を与える知覚ニューロンのグループを ω システムと呼んで
いる。
ω ニューロンは原理的に非透過性 ψ ニューロンよりもより一層非透過的なのではなく 、
時間の性質すなわち『周期』(Periode)を持つという。接触障壁のあらゆる抵抗は量の伝
達(Quantitätsübertragung)に対してのみ作用するが、ニューロン活動の『周期』は、伝導
現象と同じように、何の束縛も受けず至る所へ伝播する( sich fortpflanzen)。その場合、
ω システムの搬出情報が ψ システムにとって質の指標あるいは現実の指標である。
接触障壁は、抵抗あるいは透過の機能において、量という意識されない過程を選択的に
与えるが、それだけでなく、そこには質という意識される過程が活動している。前者は心
理経済現象における快楽原則と現実原則を与えているが、後者は外界から到来する出来事
についての知覚指標という(『差異』の体系に基づく)シニフィアンを、徴候的指標を捜
査し摘出する(absuchen)というニューロン活動全般が担う機能を遂行するために反復す
る時間性すなわち『周期』を通して、心的世界の隅々に至るまで伝播させている。これは
不安の運動に似る。
4.ビオンの接触障壁
ここでは接触障壁をシナプスという神経生理学的実体に置くのでなく、意識的なものと
無意識的なものとの間の境界に置く。ビオンは夢想を重視する。夢想要素を α 要素と呼ぶ。
寝ても覚めても人は、目下の変化してやまない情緒体験の夢想下にある。
「α 機能は、睡眠時であろうと覚醒時であろうと、情緒体験に関連した感覚印象を α
要素に変形する。α 要素は、それらが増殖し接触障壁が形成される通りに凝集する。この
接触障壁は形成されるにつれて、意識要素と無意識要素の間でそれらの接触と分離の箇所
を標識づけ、区別を生み出す。接触障壁の性質は、α 要素の供給の性質と各要素の相互関
係の様式に依存するだろう」。
α 要素の蓄積が作り出す意識と無意識の隔壁には、透過性としての膜機能がある。それ
を通して要素は移動し結合できる。だが α 機能が混乱させられると、消化されない要素す
なわち β 要素が貯蔵される。接触障壁は豊かな透過機能を喪失し、要素は結合( linkage)
の能力を欠いたものとなる。不適切に置き換わった接触障壁では、記憶と抑圧に対する能
力に欠陥と奇形を呈し、①継ぎ目の外れたフレーズ(disjointed phrase)、②夢想の捏造、
③幻覚による混乱、あるいは④夢想の幻覚による混乱が引き起こされる。これらが〈 β 要
素スクリーン〉の臨床像である。β 要素は物々しい。それは投影性同一視において活動し、
行動化を生み出す。そして投影面を与える β スクリーンは、単なる錯乱を引き起こすばか
りでなく、患者自身の欲望や相手からの逆転移の反応を引き起こすべく凝集し、目的的と
なっている。
接触防壁が、夢想のスクリーンという膜形態に変化した。α 要素の蓄積が作り出した防
波堤の内部では、よい夢想空間が醸成する。その外部では荒ぶる β 要素が蓄積し、手前に
設定される β スクリーン上に欲望と怖れの幻想が拡がる。内部からは外部が透けて見え、
外部からはその内容物が内部へと侵入する。
5.世界の内破
世界の頭上に隔壁はない。上部には宇宙空間が拡がる。しかし限界(ペラス)を通して
宇宙を経験世界の外部に予見し構築していなければ、宇宙は発見できない。世界の内破に
より、外部世界としての宇宙が飛び込んでくる。しかし煌めく星たちは外部世界からの侵
入物すなわち β 要素などではない。星たちは頭上に星座(constellation)を形成する諸元
素である。
幼児において、生物世界は言語世界へと刷新される。幼児は学童への準備世代であり、
被膜への反射が特徴である。内言という反射鏡を通して、語が内包する系列配置
(configuration)の展開の壮大さをを予感している。それに基づいて心情世界は生き生きと
した巨きさに彩られて行く。そして窓のないモナド幻想が、後に易傷性を備える被膜の位
置で紡ぎ出されるべく、準備されて行く。
学童において、世界は宇宙へと拡張し、刷新される。濃密な神秘体験と通底する宇宙の
発見である。学童は発見世代であり、被膜の内破が特徴である。世界は内破し、窓があく 。
その都度撃たれるような発見が起きる。そして前方に世界を、上方と外部に全体としての
宇宙を発見する。
同時に内部の夢想領域では、被膜の内破によって個体が崩壊するという怖れが夢想され
て行く。そして学童期の終焉とともに、宇宙を反射した鋭敏なる被膜それ自体が消失し、
被膜の壁化・器質化をともなう個体化とともに、この夢想は終了する。
思春期の前駆期(prodrome)である前思春期において、被膜というスクリーンの内破が
今一度現れる。宇宙から世界へ、さらに人生へと内破感覚が回収される。人生への真剣な
俯瞰的展望の獲得である。それが思春期の前兆(aura)としての破瓜感覚になだれ込んで
行く。内破幻想は破瓜幻想でもある。これが学童であれば、未来への夢すなわち宇宙展望
となっていたであったのに。内破が遅れるほど発見は矮小化するといえる。
6.宇宙の内言化
ヴィゴツキーの内言論では、「語は意味の凝縮された塊を形成し、ひとつの語に巨大な
意味の内容が注ぎ込まれる」「語の意味は状況とともに絶えず変化し、意義をはるかに超
えて、いわば無尽蔵の豊かさを持つに至る」という。そしてついに「意識は、太陽が水の
小さな一滴に映し出されるように、ことばの中に映し出される。意味づけられたことばは
人間の意識の小宇宙である」とされる。
内言の表象世界は、モナドとして、宇宙を表出する。「あるものが他のものを表出する
(exprimer)とは、一方について言えることと、他方について言えることとのあいだに恒
常的な規則的関係が存在することである」(ライプニッツによるアルノーへの手紙から)。
今や内言としての語は、意味の豊穣性において、「述語やそれに関係する文の部分は保
持するかわりに、主語やそれに関係する単語を省略する」、つまり述語主義的傾向を示す
に至るという。
こうした幼児期における言語開発の特性が、後の少年期に問題性を帯びる。その一例が 、
主語としての意味から使用文脈における意義への逃避、つまり主語使用における呼称恐怖
である。これは呼称行為が引き起こす身体-心理-社会の全体化が浮上する世界投企への
恐怖に基づく。発音不能をともなうほどに発声に未経験な語の現実化、その語を発声する
ことで世界が内破する本能恐怖。二次的に通俗化した呼称状況への不全意識。つまり私と
いう形成された形の不出来さを、その迫り出した作動のぎこちなさの一点を突かれるとい
う恐怖。
青年期において、それらを回避するべく豊かに運動する述語世界が代償性に展開する。
だがあろうことか談話の線形運動の冒険が主語へのひと突きで撃ち落とされるという、演
技の露呈恐怖が出現する。墜落した曲芸家。彼は先を飛び越され落下した瀕死の綱渡り芸
人ではない。再生のために、今一度述語の海に着水し宇宙に逢着したものである。これら
の反復は、幼児期心性に基づく神経症様産物といえる。
7.解離の窓
「精神は人間のなかで夢を見るばかりである。…夢見つつ精神はそれ自身の姿を映し出
している。だがこの姿は無である。そしてこの無は常におのれの外部に無垢を見ている。
不安とは夢見る精神のひとつの規定である。」
キルケゴールの投影には、屋根裏部屋の小窓から外を見る、枠づけられた透過性がある 。
おのれの幻影を外部に投影し、さらにそれをも透過し通過して、向こう側におのれの本質
が眼差される。そこには、未だ原罪の事実を知らない無垢の表出が抱える可能的な不安が 、
無のなかで静かに翻る。
解離の窓枠も、このような半透膜の破れとして設定される。解離は被膜幻想の一種であ
る。①破れの位置に窓枠がはめ込まれ、その窓をキャンバスとして描かれる主題としての
欲望対象、②主題の背景に透過される心情世界、③それらを外示の表出関係において燻し
出す濃密な宇宙の気、の三組で構成されている。
ジャネの時代では、解離は水平分割であった。現代ではよりそれの原型に立ち返り、解
離は垂直分割である。そして分割を与える薄い隔壁を通して、向こうの世界が透けて見え
るだろう。
すでに世界の額の破れのところは通過した。今や物と星は手に取ることができそうなほ
ど身近に感じられる。ここには世界と宇宙からの触発(affectio)がある。励起し成立する
自我が自己を触発すると同時に、意識の内部において世界が感覚を触発し根源的受容とし
て情感を拡げる。意識のなかで夢をいち早く得た者が、宇宙にもっとも近い。これは未だ
精神が確立されていない未熟期の特権といえる。
だがそれも次第に平凡な夢想となるだろう。そして今一度、思春期前夜に見る最後の俯
瞰、些末な差異の痕跡を、『周期』として人生の線分にまっすぐ見通す反復が生起するの
み。それも通過し、宇宙へ降ろした根はついに思春期において引き上げられる。しばらく
は合一ともお別れだ、と。
文献
・フロイト著、小此木啓吾訳「科学的心理学草稿」(フロイト著作集第七巻)人文書院
1974
・若森栄樹著「精神分析の空間」弘文堂 1989
・Wilfred R. Bion. "Seven Servants". Jason Aronson, Inc. 1977
・ヴィゴツキー著、柴田義松訳「思考と言語」新読書社 2001
・ライプニッツ著、清水富雄・飯塚勝久訳「形而上学叙説」(世界の名著 30)中央公論社
1979
・キルケゴール著、田淵義三郎訳「不安の概念」中央公論社 1974
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