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活躍してます!

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活躍してます!
立教大学大学院 21世紀社会デザイン研究科
I
SSN1349−371X
So
c
i
a
lDe
s
i
gner
Contents
P1∼2
発 行:立教大学大学院
巻頭インタビュー 「豊かな社会の実現へ、
NPOがなすべきこと」
21世紀社会デザイン研究科
NPO法人シーズ・市民活動を支える制度をつくる会 副代表理事 松原明さん
P3
Vol.17
香港からの便り・大学院×仕事・新院生室紹介
P4∼5
キャンパスの声・修了生紹介
P6
インタビュー 中村陽一・2
1世紀社会デザイン研究科委員長
P7
公開講演会「シリーズ3.1
1以後の日本と社会デザイン」報告
P8
公開講演会レポート・オープン大学院報告
編集責任:笠原清志
編 集 長:木舟辰平
発 行 日:2011年9月9日
〒17
1−8
5
0
1 東京都豊島区西池袋3−34−1
日本初!
〈社会組織〉
〈非営利組織〉
〈危機管理〉
3 つの分野を学べる大学院
●巻頭インタビュー●
豊かな社会の実現へ、NPOがなすべきこと
市民活動の社会的基盤を強化するため、活発な活動を展開しているNPO法人「シーズ・市民活動を支える制度をつく
る会」
。同会で現在、副代表理事を務める松原明さんに、今年度通常国会で成立した改正NPO法の評価や、2
1世紀のN
POのあり方について聞きました。
度の骨格は
今回のNPO法改正によって認定NPO法人の数は
どの程度増えるでしょうか。
これで大筋
固まったと
2
0
0
1年にできた制度では認定NPO法人になるための
いえます。
ハードルがあまりに高過ぎました。一昨年までに7回改
政権交代の
正されていますが、制度がかえって複雑になり逆に使い
影響も大き
づらくなっていました。それに対し、新制度は非常にシ
かったです
ンプルで使いやすく、多くのNPO法人にとって一気に手
ね。社会の
の届く範囲になったと思います。認定要件が大幅に緩和
イノベー
され仮認定手続きもできたので、認定法人の数は劇的に
ションを起
増えるでしょう。
現在では約200団体ですが、来年には5
0
0
こすために
団体以上になると期待しています。
は、しかる
懸念しているのは都道府県の処理能力です。そのため、
べきタイミ
シーズとしても認定作業が円滑に進むための側面支援を
ングで社会
松原明(まつばら・あきら)さん●NPO法人「シー
ズ・市民活動を支える制度をつくる会」副代表理事。
1994年に同会を設立。事務局長などを経て、2
0
10年よ
り現職。NPO法、NPO法人制度創設を民間サイド
で主導。日本ファンドレイジング協会、NPO法人会
計基準協議会などの設立にも携わってきた。
していきます。各地の中間支援組織と連携して、全国の
のシステム
NPO法人に制度改正の周知を図るキャンペーンや、行政
自体をスク
機関などを対象に新制度に対応できる人材を育成するイ
ラップアン
ベントを企画中です。
ドビルドする必要があります。日本は現在、大きな時代
2
0
0
1年にできたNPO法は微修正ではなく大胆に改革
の曲がり角にあり、従来の社会システムでは成り立たな
する必要がありましたが、今回はそれができました。監
いのは明らかです。これからの5
0年を見据えた大胆な改
査の仕組みなど制度の細かい積み残しはありますが、制
革が求められていました。
1
ており、社会の中での第3セクターの位置づけがグラつ
市民活動に関わり始めたきっかけは何だった
のですか? いているのが現状です。
NPOは今後どのような姿になると考えますか。
大学生の時にボランティアとして参加していた国際協
力のNPOに、仕事を始めた後も関わり続けました。その
欧米の大規模なスーパーNPOは2
1世紀型ではありま
活動を通して海外のNPOと交流し、しっかりとした財源
せん。これからは特殊な機能を持った専門性のあるNPO
を持って社会サービスやアドボカシーを活発に行う多く
が多数出てきて、それぞれのネットワークでプロジェク
の人達と出会いました。彼らの活動を見ていて、NPOの
トを行うというかたちに切り替わってくると思います。
分野は間違いなくこれから大きくなり、21世紀には世界
専門性が高く実践能力もあるNPOが特殊な分野で複数
のなかの中心的プレーヤーになると思いました。
存在して、それらの団体が協力し合うという構図になる
日本は当時、世界第2位の経済大国でODAの金額も世
はずです。
界でトップクラスでした。にもかかわらず、国際協力の
団体間の専門性の切り分けが不十分であるのが日本の
世界の中で全く存在感がないアンバランスな状態でした。
NPOの現状ですが、今後はそういった21世紀型のNPO
このままでは2
1世紀には日本はとても劣った国になって
の姿を追い求めた方が良いでしょう。また、それらNPO
しまう。それは日本にとっても世界にとっても不幸なこ
の専門性を社会のリソースとして組み合わせられるだけ
とで、日本もNPOがもっと存在感を持つ国になる必要が
の高いコーディネート力を持つのが、2
1世紀型の新しい
あると考えました。
スーパーNPOだと思います。
なぜ日本では海外に比べてNPOの分野が脆弱
だったのでしょうか。 これまで活動を継続してこられたモチベーション
は何ですか。 19
9
0年代前半まで、日本の非営利セクターに関する法
やれば出来ると思っていることです。シーズの第一の
人制度と税制度は、個人ではなく政府のためのツールで
バリューは“私たちにしかできないことをする”という
した。日本では長い間、行政が実質的に社会福祉サービ
ものです。人が出来ないことをやってこそ団体としての
スを提供する唯一の主体であり、それとは別に地縁・血
価値があると考えています。シーズには“法律は道具で
縁のコミュニティや企業という疑似コミュニティが、共
ある”という基本的な考え方があり、個人の能力及び社
同体として人々の生活を支えていました。
会の能力は道具の豊かさによって決まるという基本哲学
ところが、行政は財政状況が悪化して余裕を失い、企
があります。多様な道具がまず存在し、それを使用する
業コミュニティはバブル崩壊後の90年代に崩れ、地縁・
経験を通して人々の能力が高まっていくという考えです。
血縁のコミュニティももはや機能していません。だから
人は獲得したある役割を演じることによって自由を獲得
今は人が助け合うためのツールが別に必要なのです。そ
できます。
のためには、人が役割をもって参加できる機関が不可欠
逆にいえば、NPOが人々に様々な役割を提供すること
です。その役割を与える機関がNPOなのです。
によって、より自由な社会が実現するのです。それがコ
別の言い方をすれば、NPO法の本質とは、人々が国の
ミュニティを再構築するということです。その人が参加
規制を離れて、社会のなかでテーマごとに自由に非営利
出来るコミュニティの数が多様にあることと互いに共存
の組織を設立できるようにしたということです。法人格
できる関係が存在することが、豊かな社会の条件だと考
を得ることで、社会的認知を受けて社会的な活動を行う
えています。
団体を継続的に運営していくことがそれまでに比べて容
NPOという新しいコミュニティの作り方や利用の仕
易になりました。
方を皆が学ばないと、日本では今後社会が成り立たなく
なると危惧しています。そうならないために、シーズは
今回の法改正で、日本でも欧米並みにNPOの
存在感は増すでしょうか? 引き続き最大限努力していきます。
まだ全然ですね。21世紀に入り、それまでのビジョン
シーズ・市民活動を支える制度をつくる会
を修正せざるを得なくなりました。リーマンショック以
1
9
94年1
1月、設立。日本では当時、市民活動の基盤となる
制度や仕組みは、極めて脆弱なものだったが、19
9
8年のNP
O法制定や、その後の同法の8回の改正の実現に大きな役
割を果たしてきた。成熟した市民社会を創造していくため
には、法制度や税制度などの社会環境を改善し、将来にむ
けての市民団体の発展と成長を促進していくことが重要で
あるとの立場から精力的に活動している。20
08年4月には
NPO法人格を取得した。
http://www.npoweb.jp/
降、資本主義が新たな段階に突入した中で、NPOの位置
取りが定まっていないからです。
それまでのNPOは、ヨーロッパが従来持っていた民主
主義国家における結社の自由という思想に支えられてい
ました。それが近年、コミュニティビジネスやソーシャ
ルビジネスという派生的な形態が次々に登場しています。
また、多くの企業がCSR活動に積極的に乗り出していま
す。その結果、NPOは企業から独立するのが難しくなっ
2
と多い事か! と嬉しい発見もありました。
東日本大震災の直後には、知らない方からも「日本人ですね。
家族は無事?」と声をかけられ、その優しさに胸が熱くなりまし
た。また、思いを即行動に移すのも良い所で、日本を応援するイ
日本テレビにてアナウンサーとして活動
ベントや募金活動がたくさん行われました。一方、風評被害に
しながら、2008年に当研究科に入学した
よって、香港でも多くの日本料理店が打撃を受けています。この
古閑陽子さん。今年3月に研究科を修了
ような状況を打開しようと、先日は、料理協会と日本料理店が手
し、現在は家族の転勤に伴い香港で新し
を結び「愛・日本料理」という大々的なキャンペーンが行われま
い生活をスタートされています。今回は、 した。これは、約3
0
0もの日本料理店が参加し、期間限定で割引等
現役の院生へのメッセージと香港での生
を行い、客足と日本食に対す
活の様子をご寄稿いただきました。
る信頼を取り戻そうという試
みで、結果的には連日予約が
皆様こんにちは。1年生の皆様は、大学院生活にも慣れた頃で
取れない程、盛況となったお
しょうか。2年生以上の皆様は、論文執筆に頭を悩ませている時
店もありました。
期かと思います。私も、昨年のこの時期は途方にくれておりまし
このように、困難な状況で
たが、振り返ってみると、自分の興味や学問と向き合う、非常に
も、速やかに問題を共有し、
貴重な時間でした。論文執筆過程で得た教訓「とにかく書いてみ
行動に移すエネルギーには、
なければ、何も始まらない!」を胸に、拙い文章ではありますが、
2
1世紀社会デザイン研究科の
香港より、皆様の息抜きとなるようなお便りをお届けできたらと
持つ雰囲気と通じる所もあり、
思います。
日々香港の魅力を感じていま
香港で暮らし始めて、約半年が経ちました。雲を突き抜けるよ
す。出来るだけ多くの事を吸
うに乱立する超高層ビルや、エネルギー溢れる街の人々に最初は
収して、日本に帰国する際に
圧倒されていましたが、最近では安全な食材を求めて市場に行き、
は一回り成長していられるよ
粘り強く料金交渉をしながら買い物もできるようになりました。
う、大学院を卒業しても私の
活気溢れる香港の街
お陰で地元の方と触れ合う機会も増え、香港には親日的な方が何
学びの日々は続いています。
香港からの便り
二足の草鞋の履き方
大学院 × 仕事 学業と仕事をどう両立させるか。多くの社会人院生が抱える悩みです。
でも案
外、その苦労は傍からは見えづらいもの。そこで今回は現役の院生に、日々
の奮闘ぶりと、それでも大学院で学ぶことの意義を寄稿してもらいました。
伊藤春美さん●
博士課程前期2年(笠原ゼミ)。外資系国際物流会社に勤務。
研究テーマは「居場所としての職場」。
私の場合、 1 年の前期は生活のサイクルに身体を慣らすのに精一杯でした。
幸いだったのは、社員の自己啓発活動を奨励する人材開発部門の勤務である
こと。そのため、上長や同僚は大学院に通うことを理解してくれています。
とはいっても、日々の業務ミーティングや研修等が多い中、
「今日はここま
で!」と業務を切り上げて退社することはできません。授業に間に合わせる
ため、オフィスから途中駅までタクシーで向かうこともしばしばです。
年目に欲張って履修したせいか、現在は少しだけ時間の余裕が出来まし
1
た。アレコレ仕事を引きずり学校に向かっても、門をくぐれば別世界。授業
を終えて帰る頃にはすっかりリフレッシュしているから不思議です。
“会社の
私”を離れ「持続可能な社会」を考える一個人でいられるからかもしれませ
ん。これまで知り得なかった世界が開けていく時の新鮮な驚きは 年目の今
2
も変わりません。日々の授業が気づきと発見の連続です。それこそが本研究
科で学ぶ醍醐味だと感じています。
<伊藤さんのある一週間>
月:ランチタイム、移動時間にM・フーコーの課題図書の読み込み。
1
7:4
5退社、6限の授業に10分遅刻で滑り込む。
火:6限「臨床経済学」
。勤務先が外資系国際物流企業と、グローバル市場
経済そのものの環境に身を置くからこそ、しっかり受け止めたい内容。
授業の後にお茶して帰宅。
水:社内ミーティングで「ワークライフバランス」がテーマに。前期の授業
で得た知識・情報が役立つ。
木:会社を早退し5限の授業へ。この日はゲストスピーカーを迎えての講義。
6限の授業の後、懇親会へ合流。ビール片手に議論は続く。
金:帰宅後、翌日の授業で配布する資料の準備。
土:授業→ランチ→授業→サブゼミ→ゼミという一日。合間の時間に図書館
や院生室でレポートの準備等。
日:夕方、友人のパーティで浅草へ。ブラジル人のコミュニティに経済のモ
ノサシでは測れない「豊かさ」を再考。
3
大学院院生室が2011年4月より
新しくなりました!
!
21世紀社会
デザイン研究
科の院生室が
今年度、14号
館3階から、
新たに完成し
たマキムホール(1
5号館)4階に移転しました。
4階の院生室は、当研究科の他、ビジネスデ
ザイン研究科、異文化コミュニケーション研究
科の3独立研究科の博士課程前期課程、博士課
程後期課程の部屋があります。他にも共同研究
室が3部屋、ラウンジ、給湯室、トイレが配置
されています。正面入口にはセキュリティがあ
り、関係者以外の入室をシャットアウト。夜の
学習が遅くなっても女性には少し安心です。各
研究室の外の共有スペースにはラウンジがあり、
研究科の枠を超え、楽しい会話やランチをしな
がらの笑い声が聞こえてきます。
21世紀社会デザイン研究科博士課程前期課程
が使用する研究室をご紹介します。図書が約580
冊、パソコンが1
4台、プリンター2台と充実し
た学習環境です。夕方になると、勤めを終えた
院生が続々と集合。授業の発表準備に追われ、
活気に溢れてきます。図書は持ち出し厳禁です
が、専門書が数多くあり、近場で簡単に読書で
きるので、非常に役立ちます。
今年の夏は節電の影響か、あるいは院生の研
究への情熱が一際強かったからか、原因は定か
ではありませんが、例年以上に熱気に満ちた院
生室でした。暑さと時間に追われながら修士論
文や期末レポートの執筆に取り組む姿が見られ
ました。多くの院生にとって、苦しくも密度の
濃い忘れられない夏になったようです。
キ ャ ン パ ス の 声
10期Z井口 康弘(いぐち やすひろ)さん
10期Z池田 正彦(いけだ まさひこ)さん
“茶の湯の心”
それは
“感謝”
と
“思いやりの心”
です
“異質”
な人たちが集まる場
「なんでおれ?」
「異質だからじゃない?」
この記事の依頼をいただいたとき同期の志賀
君に言われたこと。
“異質”の称号をいただいてよいのだろうか。
この上ない褒め言葉。なぜなら「社会を変えていくのはハミダ
シ者たちだ」と中村先生がよくおっしゃっているから。ん?異
質とハミダシ者って別物?まあいいや。何となく嬉しい。みん
なそれぞれ個性を持っていて、既存の社会に適応できない人間
がハミダシ者と呼ばれる。自分に問題があるのか、社会に問題
があるのか。むりやり適応しようとした結果として鬱や引きこ
もりなど多くの弊害が発生している。社会は適応を強制してい
るのか、そうだとしたら社会の中の何が適応を強いる空気を
作っているのか。別にまともに社会人になって朝早くから夜遅
くまで働かなくてもいいじゃん。働かざる者も別に食っていい
んじゃない。おれの分けてあげるし。それにしても君の描いて
る絵すごく良いよね。社会のために労働力も提供してないし、
何も生み出してないけど、この世界観は尊敬するよ。1枚ちょ
うだい。みたいな。多様な価値観を認め合い、共生する。本研
究科ではみなさん様々な視点からより良い社会の創造を模索さ
れている。そんな場所だからこそ僕も居心地よく居させていた
だいている。
1
9
8
3年生。自称アーティスト→モノヅクリ大好き。長期バックパッカーの経
験から、自分探しの末にさらなる自己の喪失があると実感。野中ゼミと内山
ゼミで楽しく勉強中。住所不定(になる予定)無職
人生の折り返し地点を迎え、これまでの人
生を真剣に振り返ってみました。
その時に気
がついたのは、
私の人生を大きく変えたのは、
妻との出会いと
「茶
の湯」
との出会いでした。
その時に
「茶の湯」
で社会に貢献したい
と思ったのです。
「大学院でもう一度学び直したい」という私の
思いに、
妻は賛成してくれ、
「応援するよ」
と言ってくれました。
私の研究テーマは「現代社会に生かす茶の湯の研究」です。
茶の湯の「もてなしの心」や「思いやりの心」を現代社会に生
かすことで、潤いのある社会の構築につながるのではないかと
考えています。
入学して約5ヶ月が経過しました。入学前には、多くの不安
を抱えていましたが、素晴らしい先生方やさまざまなバックグ
ランドも持つ仲間に出会えたことは、私にとって大きな励みに
なっています。
千利休の歌に以下のようなものがあります。
「はぢをすて人にものとひ習ふべし
是ぞ上手の基(もとひ)なりける」
これからも本研究科の多くの講義を積極的に受講し、仲間た
ちと刺激し合いながら、自分の目標に向かって邁進していきた
いと思います。
1963年、東京生まれ。大学卒業後、自動車業界、生命保険業界、情報通信業
界で一貫して営業職を担当。趣味は茶の湯、陶芸、表装(掛け軸製作)、ソ
フトテニス。
10期Z池永 路代(いけなが みちよ)さん
(ご せい)さん
10期Z呉 叔父の贈り物
次世代のために自然財宝を
取り戻せ
昨年、大好きだった九州の叔父が他界しま
した。遺品の整理をしていたら、叔父の机の
引き出しの奥から一枚の絵葉書が出てきました。24年前、夫の
留学先から私が叔父に書き送ったものでした。ついこの頃届い
たと言ってもわからないくらい、きれいな状態でした。それは
叔父への礼状なのですが、最後に「夫の勉強が終わったら、次
は私が思いっきり勉強したい」といったことが書き添えられて
いました。大学院に通う夫がうらやましくて、特に志す専門分
野もないくせに、私も行ってみたいなあと思ったのです。
アカデミアへの漠然とした憧れは、その後も私の心から去る
ことはありませんでした。しかし、その憧れが現実になるまで
に、結局四半世紀かかってしまいました。単に実行力がなかっ
ただけかもしれません。しかし、叔父の家であの葉書に再会し
た瞬間、それまで待ったことの必然性を感じずにはいられませ
んでした。「今がその時だ」と思い、ここにやって来ました。
2
4年間ずっと待ち続けた恋人とやっと一緒になれたような気持
ちです。実際、様々な背景を持った素晴らしい先生方や仲間か
らたくさんのことを学ぶことができて、とても幸せに感じてい
ます。
浙江省の大学で日本語を勉強して、日本へ
留学する夢はやっと去年1
0月に叶えました。
日本へ来た時、北九州で環境ミュージアムにも見学し環境問
題に関心を持ち始めました。2
0
1
0年の万国展覧会の開催により、
高速経済成長時期を迎えている中国は世界に注目され、
「エコ博
覧会」というテーマが打ち出されましたが、園内のゴミ問題等、
環境問題の深刻化を痛感しました。中国の環境教育の問題は本
当に解決できるか疑問を持ち、何故中国の環境教育は進まない
かという疑問をもちました。その時、萩原なつ子先生の本を拝
読し、それに触発され、学校に入って環境教育についてもっと
詳しく勉強したいと思いました。そして、「自由な学府」と呼
ばれる立教に行くことに決意しました。
また、入学時に立教の冊子で「自然学校」についてのインタ
ビューを読みました。自然体験を中心とする環境教育が中国に
は必要ではないかと思い、日本の「自然学校」をモデルとした、
中国の環境教育問題に取り組みたいと思っています。自分だけ
ではなく、次世代のために、自然の財宝をこの高速成長の経済
時代から取り戻したいです。立教に入ってもうすぐ半年です。
先生たちの親切な指導の下で、院生生活に少しずつ慣れてきま
した。これからも、自分の夢を目指して頑張りたいと思います。
立教大学文学部ドイツ文学科卒業。ボランティア団体College Women’
s Association of Japanのメンバーとして女性と視覚障害者に奨学金を提供
する活動に携わっている。学校法人西町インターナショナルスクール監事。
1988年中国・台州生まれ。浙江省の大学で日本語を勉強し、念願の日本留学
の夢を10月に叶える。今年4月に立教大学に入学。日本文化が好きで特に漫
画「ワンピース」が愛読書。
4
9 期Z岩間 初音(いわま はつね)さん
9
期Z三瓶 恭佑(さんぺい きょうすけ)さん
大切にしたい立教の院生生活!
諦めないで努力すれば、
願いはかなう!
科学技術による事故を防ぐために
必要なものとは
私は、地方公共団体に約30年間勤務し、同
放射線への関心から物理学にのめり込みま
時にNPOで13年間活動を続ける中で、「新し
い公共」のあり方・行政とNPO等との協働について、専門的な
研究をしたいと考え続けていました。そのような折、本研究科
で、社会組織論・非営利活動等の専門知識を学べる事を知りま
した。一昨年、“長年の夢”へ一歩を踏み出すべく受験体制に
突入(オープン大学院や進学相談会にも参加)し、念願かなっ
て入学できました。
私の仕事への姿勢は、
「職種を問わず専門性は必要」と考えて
おり、多くの資格を取得してきました。栄養士・ケアマネ・衛生管
理者・図書館司書・秘書検定・等々。もしかして、資格マニア?
いいえ、取得資格は、すべて仕事と社会貢献に役立てています。
現在は、優秀な教授陣・優しい先輩・楽しい同級生、理解あ
る家族や職場のおかげで、
「人生の再構築のチャンスをいただけ
た事」と「好きな研究を粛々と続けさせていただける事」に心
から感謝しています。
あこがれの“自由の学府・立教”に通学できる喜びを噛締め、
卒業後も本研究科で修得した多くの知的財産を活かしたいと考
えています。
した。当時は、科学技術による事故は科学で防
ぐものだと思っていました。しかし、科学者倫理に関する講義を
受け、大きく考えが変わりました。臨界事故の原因が裏マニュア
ルの存在であることを知ったのです。物理学だけでは、科学技術
による事故を防げないと思い知りました。人や組織に注目する必
要があるとの思いから、危機管理という学問に出会いました。
そのような思いで入学し、
一年以上が過ぎました。
何と言っても
この研究科の魅力は、多様性です。様々な世代の学生、様々な研
究をしている教授がいます。多様性を通して、二つのことに気付
かされました。一つは歴史の大切さです。現在は、過去からの一
連の繋がりであることを再認識しました。講義を通してはもちろ
んですが、世代の違う学生同士の会話でも感じることができます。
二つ目は言葉を定義することの大切さです。
誰一人同じ研究を
していません。
相手に思いを伝えるためには、
言葉を定義し、
同じ
思いを共有することが求められます。
これらのことは、
危機管理を
行なう上でも大切です。
したがって、
危機管理を学ぶ上でも最適な
研究科であると思います。
大学で科学を学んできても、
充分に理解
できる環境、
充分に満足できる環境が本研究科にはあります。
静岡県生まれ。栄養士(公務員)として勤務後、結婚のため現在の地方自治
体に転職し在職中。職場では明るく元気がとりえの係長。同時にNPOの評
議員として活動中。今年も研究リサーチのため渡英の予定。中村ゼミ所属。
2010年3月、東京工業大学理学部物理学科を卒業し、本研究科へ入学。中学
時代、東海村JCO臨界事故を間近で経験し、科学技術による事故に関心を
持つ。本研究科では、危機管理を学ぶ。
活 躍 し て ま す ! 修 了 生
8 期Z鈴木 修(すずき おさむ)さん
8 期Z杉原 学(すぎはら まなぶ)さん
“2
1世紀社会デザイン研究科”
は
被災地復興の心強い存在
座右の銘は
「じゃあ、
それで」
僕はこの原稿を依頼されたとき、実は一度執
筆をお断りしています。なぜならこのコーナー
のタイトルは、
「活躍してます!修了生」。すぐに「俺活躍してな
いもん」と返したのですが、
「たしかに!でもいいじゃないです
か」と言われ、引き受けることになりました。
「たしかに!」の
ひとことは少しショックでしたが、僕はここに、21世紀社会デザ
イン研究科の魅力があるように感じました。それは「多様なつな
がり」を大切にする文化です。実際この研究科で得たいちばん大
きな財産は、まさにそれでした。
考えてみれば僕のこれまでの人生も、そんな「つながり」によっ
てつむがれてきたように思います。上京のきっかけとなった広告
会社への就職も、この21世紀社会デザイン研究科への入学も、実
はもともと僕のアイデアではなく、他人から勧められたものでし
た。きっとひとりではとうてい見つけられない選択肢だったと思
います。おかげでいまでは、僕の座右の銘は「じゃあ、それで」
です。自分ひとりの考えなどたかが知れています。それよりも、
自分の周りに素晴らしい人たちがいることのほうが大切なので
す。
ところがいまの社会では、このような他者への依存はあまり良
しとされません。そのことへの問題意識が、『自殺予防における
「地域の“つながり”の再構築」が果たす役割』という修士論文
のテーマにもつながったように思います。
現在は、さまざまなNPOなどとも関わりながら「ゆるやかなコ
ミュニティづくり」に取り組んでいます。いま求められているの
は、多様な価値観を認めあいながら機嫌よく生きられる、「いい
じゃないですか」な関係性なのではないでしょうか。
20
1
1年3月11日。この日は歴史に深く刻まれ
る日となりましたが、私にとっても生涯忘れる
ことのできない日となりました。この日の午前中に異動内示をも
らい岩手に戻ることが決まった私は、仕事と大学院での研究を両
立させた2年間の東京生活を振り返りながら、満足しつつも若干
の寂しさを感じていました。そして運命の14時46分。ただならぬ
強い揺れとテレビから映し出された郷土岩手を襲う大津波の様
子。この瞬間からそれまでの日常が一変してしまいました。
岩手に戻ってからは県災害対策本部の一員として、被災地の復
旧さらには復興に向けた業務に携わっています。現在も度重なる
余震や大雨により、依然として予断を許さない状況が続いていま
す。そのような中で、平泉の世界遺産登録という明るい話題もあ
りました。これから長い道のりになりますが、岩手も復興を目指
して着実に歩んでいます。
在学中はゼミや授業を通じて、これまでの人生の延長では決し
てめぐり合うことができなかった実に多種多様な方々と知り合
うことができました。とくに中村陽一先生の授業を通じて知り合
いました中野ブロードウェイとは、その後話が発展して、今年6
月から岩手県との間で「里まち連携交流事業」を始めることにな
り、復興への強力なご支援をいただいております。
また本研究科の諸先生方、院生・修了生の皆様には様々な形で
被災地・岩手のご支援をしてくださっており、この場をお借りし
て厚く御礼を申し上げます。このように立教大学大学院21世紀社
会デザイン研究科は私にとっても、また被災地・岩手にとっても
心強い存在なのです。
1
9
7
7年大阪生まれ。四天王寺大学中退。
(株)日本経済広告社への入社を機に 21世紀社会デザイン研究科博士課程前期(8期)修了。川村ゼミ所属。岩手
上京、
コピーライター/CMプランナーとして勤務。現在はフリーランス。
2011 県生まれ。福島大学卒業後、岩手県庁に入庁。環境保全課、東京事務所等に
勤務。2011年4月から総合防災室にて勤務。
年3月、本研究科博士課程前期修了(8期)。
5
特集●21世紀社会デザイン研究科と3.11
今回は3.1
1東日本大震災を受け、社会はどのようになってゆくのか、そして立
教大学21世紀社会デザイン研究科はどのように被災後の実社会にかかわっていく
べきか中村陽一・研究科委員長にうかがいました。
本研究科に関わる全ての人が、それぞれの分野で「できること」を
本年で創立1
0年目を迎える21世紀社会デザイン研究科。
ということ。戦後復
3.1
1東日本大震災を受けて、まさしくこれまでの研究、
興の時とは大きく違うなかで復興をしていかねばならな
活動の真価を問われる時代に直面してきたといえます。
いという局面を迎えています。
震災直後より修了生や在籍生より「今こそ21世紀社会デ
二つ目は戦後日本経済が目指してきた経済成長、完全
ザイン研究科が行動するべき」という多くの激励メッ
雇用、福祉国家的な生活の質の豊かさという部分で、社
セージをいただきました。
会の仕組みと現状がミスマッチを起こしている中で社会
教員、院生、修了生と本研究科に関わる全ての人々が
的リスクが増大しているということ。いろいろな意味で
英知を寄せ合い、今後の社会を創造するために、それぞ
パラダイム転換期を迎えている中での震災であったと言
れの分野でまず力の限り「できること」をしていかねば
えるでしょう。
なりません。
三つ目にアメリカに次ぐ高度な大衆消費社会を実現し、
「できること」
と言っても具体的に何をしたら良いのか
豊かになったはずなのに幸せでない消費社会であること
わからないことも多いかもしれないが、3つのレベルで
でしょう。今回の原発と電力の関係がその最たるもので
考えてみると本研究科の意義や行動するべき指針が見え
はないでしょうか。ポスト高度大衆消費社会を模索し、
てくるのではないでしょうか。
真の豊かさを追求している中での31
. 1であったと言える
被災地の「心のスピード」に寄り添って
でしょう。
まず、第一のレベルは「人としてできること」。それは
四つ目には社会的排除がもたらす「新しい貧困」があ
祈ることや、悼むことです。亡くなった方たちや被災者
げられます。2
0世紀と違い、何らかのイデオロギーに導
を思い、まずは手を合わせることでしょう。これが今す
かれるというより、生活者が生活者の視点で豊かさを追
ぐできることの一つではないでしょうか。
求することが重要視されています。
第二のレベルは「市民としてできること」です。それ
五つ目はとりわけ民間企業が生活者へどのような価値
はボランティア活動や寄付など実際のアクションを伴い、
を提供できるのかということでしょう。民間企業と生活
被災地の(後方)支援をすることです。
者の間に信頼関係を生み出すための新しい価値の創造が
第三のレベルは「専門家・実務家としてできること」
求められています。
です。本研究科が目指すものはまさにここになるのでは
ソーシャルデザイナーが必要
ないでしょうか。教員、院生、修了生すべてが考え、社
以上5点を考えると既存の枠組みや処方箋を大胆に考
会に大きな流れをつくることが我々に求められています。
え直すことが必要となっているといえるでしょう。そん
次に大事にしたいこととしては、阪神淡路大震災の復
な中で私たちソーシャルデザイナーが必要となるのでは
興時に行われた「暴力的な復興」という愚行を反省し、
ないでしょうか。
より被災地の「心のスピード」に寄り添った復興支援を
その為に、本研究科では、シリーズですでに2回やっ
するということです。復興の主役はあくまでも地元であ
ている講演会で、一年間を通じ「震災後の社会デザイン
り、被災地の自立を目標とした行動が求められています。
を考える場」を提供していきたいと考えています。また、
そこでは今までの社会通念や既成概念を越えたとりくみ
教員各人が持っているネットワークを活用して、かつて
をする必要があり、いわゆる「らしさ」からの脱却が必
の阪神淡路大震災の被災地であった大学と連動したり、
要となるでしょう。
今回の被災地にある大学と連動したり様々な活動を行っ
また、今回の震災は日本国内での5つの課題が顕在化
ています。研究科全体ではそれぞれの分野での連携を深
してきた中で起こりました。その意味では市民、住民参画
めながら復興の仕組みを作る「仕組化」へ挑戦していき
型の一部ビジネスの手法なども取り入れた社会的活動が
ます。
加速度的に進展するのではないでしょうか。現代の日本
私としても今後、本研究科で学ばれる方々が各々の活
が抱えている課題点を一つずつ見てみれば大きな転換期
躍場所で、ソーシャルデザイナー的視点を持って活躍し
を迎えていることが明らかになってきます。
てくれることを楽しみにしています。
一つ目の課題点は人口減少、超高齢社会を迎えている
6
東日本大震災を受けて、21世紀社会デザイン研究学会では「3.1
1以後の日本と社会デザイン」と銘打った公開講演
会を2回シリーズで開催しました。跡見学園女子大学での第1回は、被災地の復旧・復興を考える前に、第一歩とし
て災害支援に直接関わった人々の言葉に耳を傾ける企画。立教大学での第2回では、復興と再建を進める前に私たち
が考えるべき事柄について活発な議論が行われました。
第1回 4月2
3日(土)開催
第2回 5月2
8日(土)開催
「東日本大震災で何が起きたのか ∼まず現状把握から始めよう∼」
「東日本大震災から復興を考える前に」
コーディネーター:北山晴一氏(21世紀社会デザイン研究学会
会長)/中村陽一(立教大学大学院教授)/石川治江(立教大
学大学院教授)
講師:澤野次郎氏(災害救援ボランティア推進委員会委員長)
/石崎貴氏(東京消防庁)/長有紀枝(難民を助ける会代表・
立教大学大学院教授)/三浦匡史氏(さいたまNPOセンター
理事)/細川淳氏(コア・ドライビング・フォース代表取締役)
/高宮知数氏(立教大学大学院講師)/野中章弘(立教大学大
学院教授)/高橋紘士氏(国際医療福祉大学大学院教授)
講師:室崎益輝氏(日本災害復興学会会長・関西学院大学総合
政策学部教授)
司会:笠原清志(立教大学大学院教授)
パネリスト:北山晴一氏(21世紀社会デザイン研究学会会長)
/中村陽一(立教大学大学院教授)/川村仁弘(立教大学大学
院教授)
室崎氏
第1部では、日本災害復興学会会長の顔を持つ室崎氏
が東日本大震災をどのように乗り越えていくか独自の視
講演会への関心は高く、会場は満席だった
点から講演しました。室崎氏は、震災が投げかけた問題
講演会は3部構成で進められました。第1部では澤野
の矛盾点と向き合って改善することが復興であり、改善
氏がボランティアの初動が遅れたことを「傍観者効果」
すべきものが何かを考える必要があると説明。そのうえ
だと指摘、次いで石崎氏は災害直後に派遣された気仙沼
で社会を如何にデザインしていくかが重要だと述べまし
での自身の活動から、緊急時には下位職の権限で行動で
た。
きる事前の仕組みが必要だと提言しました。長氏は国際
第2部で
協力のNGOが早期に被災地に入ったことを報告。義捐
は、笠原氏
金について国家を超えたNGO同士が連携する効果を強
の司会進行
調しました。三浦氏からはさいたま市のスーパーアリー
の下で、東
ナという大規模避難所のコーディネートが困難を極めた
日本大震災
ことの報告がありました。
後の社会デ
第2部は中村氏が「重層的・複眼的な視点が必要」と
ザインのあ
問題提議。経済の視点から細川氏はレジャーも含め生活
り方につい
川村氏
を日常通りに実行すること、コミュニティ再生の視点か
てディスカ
ら高宮氏は「東日本大震災調査研究提言ネットワーク」
ッションが進められました。パネリストは北山氏、中村
の立ち上げを、報道・ソーシャルメディアの視点から野
氏、川村氏の三人。それぞれの専門の立場から、理念、
中氏はネットリテラシーとメディアリテラシーの重要性
活動、課題等について活発な議論がなされました。
を、福祉の視点から高橋氏が20世紀型システムの終焉と
まずは悲鳴をあげている被災者の方々への心理的支援
復興から排除される大量の人々の存在を指摘しました。
を含めて救済していくこと、被災地の生活や文化に基づ
第3部は石川氏のコーディネートにより会場との意見
いた住民のための都市計画の重要性などが指摘されまし
交換が行われ「現在の社会システムは肝心なことが見え
た。復興に向けては様々な難題があるわけですが、社会
ないシステム」「日頃からの防災の備えが重要」など活
デザイン研究の視点からそれらを解決する糸口が示唆さ
発な議論が交わされました。
れた実り多い講演会でした。
7
公開講演会
オープン大学院ウィーク報告
7月6日(水)開催
2
1世紀社会デ
「<日本・韓国>和解から新しい未来へ」
ザイン研究科は
21世紀社会デザイン研究科、社会デザイン研究所主催
6月1
1日から1
7
日にかけてオー
○司会
プン大学院ウィ
カプリオ・マーク(21世紀社会デザイン研究科・
ークを開催しま
異文化コミュニケーション学部教授)
した。前期に開
○パネリスト
講中の授業から
金仲燮(キム・ジュンソプ)氏
3
2科目が一般に
(慶尚大学校社会科学大学社会学科教授)
も公開され、60人程の方が参加を申し込みました。初日の6月
金奎(キム・ミンギュ)氏
1
1日には、中村陽一・研究科委員長による「特別講義」も開催。
(東北亜歴史財団研究委員)
現役の院生も含めて多くの人が参加しました。
野中章弘(2
1世紀社会デザイン研究科教授)
「特別講義」のテーマは「ソーシャルビジネスとNGO/NPO
中村委員長の「特別講義」
∼3.1
1以後の社会デザインのなかで∼」
。3.1
1以前に見え始めて
いたこと、3.1
1が露わにした社会デザインの必要性から、求めら
れる社会デザインとそのための哲学・行動をCSR(企業の社会
的責任)
・SB(ソーシャルビジネス)/CB(コミュニティビジ
ネス)・NGO/NPOなどを手がかりに考えてみる狙いがありま
した。NGO/NPOの現状と課題、SB/CBの社会的背景等に
ついての説明、NPO/SBの今後の動向、中村委員長の東日本
大震災復興プロジェクトの紹介など講義の内容は盛りだくさん。
あっという間に時間が過ぎたため、残念ながら質疑応答の時間
はなかったものの、参加者が皆真剣に講義に聞き入っていたの
が印象的でした。
「歴史をみて将来をつくる」という全体テーマのも
講義の冒頭には、本研究科が学部を下に持たない独立研究科
と、差別・対立・葛藤を乗り越え、東アジアの新し
として2
0
02年に開設されて、今年1
0周年を迎えたこと、全国で
い社会デザインを構築していくために何をすべきか、
も珍しい非営利組織の経営と現代社会の危機管理を学ぶMBA
3人のパネリストによる考察や提言が行われました。
コースであることが紹介されました。また、幅広い年齢層と多
最初に、金仲燮氏が韓国における被差別民・白丁
種多様なバックグラウンドをもつ院生が集まっていて、地方議
の歴史と衡平運動、人権都市づくりについて、次に、
員が多く在籍していたことなど、本研究科の特徴についても説
金奎氏が歴史教科書問題の観点から東アジアにお
明がありました。
ける歴史和解を話しました。二人の発表をうけて野
公開された通常講義では、担当の教官が講義の最初にその講
中章弘氏が、論理的・合理的思考のもと、なぜ相手
義の目的や授業の流れと普段の様子などについて説明。
「特別講
が心を痛めているか、相手の心に耳を傾ける必要性
義」の真剣な空気そのままに、参加者は授業で配布される資料
を説きました。
に目を通したり、熱心に授業の討論に聞き入ったりしていまし
白丁は日本における部落とほぼ同義語であり、歴
た。なかには受験しようか迷っている様子で、仕事と学業の両
史教科書も今年の8月に選定が行われたため、どち
立について現役の院生に尋ねている人もいました。研究科への
らも日本人は自分たちの問題として、すぐにでも議
進学を検討している人にとっては、院生から直接研究科の様子
論しなければなりません。しかし、日本は議論を先
を聞くことのできる貴重な機会でもあったようです。
送りし続けています。
「ふれなければ忘れる」という
編集後記
認識は、野中氏が言うように間違っています。東ア
ジアの新しい社会デザイン構築に向けて、積極的に
議論していかなければなりません。そのためには、
金奎氏が言うように、日本人一人ひとりが健全な
歴史認識をもつ必要があります。短期的な利益に目
をくらませるのではなく、東アジアにおける平和的
共生という長期的な視点をもって社会デザインを
行っていくために、誠実に歴史と向き合うことが重
要であると深く感じさせる講演会でした。
例年なら7月下旬発行の上半期号は東日
本大震災の影響で、9月の発行になりました。
震災と原発事故は、今も被災地を中心に社会
全体に様々な影響を及ぼしています。本号に
は、本研究科にとっての「3・11」の意味に
ついて中村委員長のインタビューも載って
います。ぜひお読み下さい。
今号の編集スタッフ
編集責任者:笠原清志/編集長:木舟辰平
岩間初音、佐藤瑠美、三瓶恭祐、冨田眞紀子、中谷尚高、原井梢衣、矢野正高、
山田好徳(9期)
池村えみ、石本嵩人、遠藤美根子、岡田晃、熊本洋一、志賀正樹、白根麻衣子、出口秋江、
豊浦万莉絵、中島桃子、長谷川翔士、我妻美穂(1
0期)
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