...

rgs013-08

by user

on
Category: Documents
18

views

Report

Comments

Description

Transcript

rgs013-08
ゼリーナ、あるいは魂の不死性について
(連載第二回)(1826)(注 1)
作 ジャン・パウル(1763 − 1825)
飯 塚 公 夫 訳
ウェヌス
(ヴィーナス)
Ⅱ 金
星 、あるいは明けの明星にして宵の明星
表面積
こう
ヴィアナ行―ヘーンリオンの肖像画―ゼリーナの愛と生活―
宇宙の輝き―最新ニュース
第一区(注 2)
ヴィアナへの道―ゼリーナの登場―ヴィルヘルミとの再会―
ゼリーナの生活と愛
何と澄んだ雲一つない状態だったことか、あの朝は―そして各人の気分も!
ナンティルデは全ての部屋で、言葉と顔つきの拍車で、急ぎの出発へと駆り立
てた。事の次第はもちろんこうだった。彼女はすでに前日に、私と私たちの到
着の知らせをゼリーナに先触れしていたのである。丘に立つとナンティルデ
とも だ ち
は、女友達がもうすでに畑の穂の海の中をやってくるのが見えたので、そちら
に向かって飛ぶように駆けていった。おかしな具合にゼリーナが私の内面を揺
り動かしたのは、その透き通った大きな目で私の前に立ったときのことだ―空
のブルーの下で、よりライトブルーになっているブルーのドレスに身を包み、
母のジョーネと同じくらいの高貴な美しさで、燦然と輝いていた。ただし背は
幾分高かった。美しさの発する澄みわたった輝きは、男の子を一撃すると同時
− 137 −
飯 塚 公 夫
に寄せつけず、そのため、より高貴なものでさえも、愛していると大っぴらに
口にすることはよくなしえないほどのものだった―頰は花のような白さで、そ
れは、頰にほんのりと浮かんでいた花のような赤さが、急いでこちらに向かっ
たために、消えてしまってそうなっていたのだった。
さてそこで、彼女はこう言って私の手を摑んだ。
「私たちはみな今日という
日が来て、本当に喜んでおります。ジャン・パウル様!」私が耳にしたのは、
完全に母親と同じ声の調子だった。そのときである。暗くなっていた花盛りの
過去が、昔の島のように深みから私に向かって浮上してきたのだ。それなのに、
さらにまだ何か深く沈められているあるものを思い出さなければならないかの
ような感じがずっとしていた。しかし、
後にナンティルデが私にこう語るまで、
思い出すことはなかった。つまり、ゼリーナは、母の好きな色、すなわちブルー
と、母親の服全てを、それが体に合いさえすれば、いつも優先して身に着けて
いるのだということをである。私は全て思い出した。ジョーネは、カンパンの
谷の昼の旅の間中、ブルーの服を着ていたのだった。―
何とまあ私たちは、みなとても幸せな気分で逍遥を行ったことか!ヴィアナ
城は、葉の生い茂るその露台とともに、開かれた村に辿り着くとすでに、ヴェー
ルを剥がれた状態で私たちの前にあった。騎士の城というよりも園亭で、白と
いうよりむしろ緑色だった。縦横に小川や坂道や並木が、色とりどりの村々へ
向かって走っていて、遠くからは教会の塔と五月柱がこちらを見ており-ヴィ
アナの暗い尾根の向こうでは、船舶の白い帆のようなものが動いていて、遠く
の山脈がダークブルーの中に、淡く浮かんでいた。―
空はひゅうひゅうと、青い海となって私たちの周りを流れていて、その波が、
私たちを運んだり持ち上げたりしているようだった。そこで私たちは、度々無
言のまま至福の思いでお互いを見つめ合った ・・・・ 突然、旧友ヴィルヘルミが、
私の胸もとに抱きついていて、そこには同時に好意と安らぎが溢れていた。
― ―長い年月を経た後再び姿を見られるとき、それが人相の上でよい結果
をもたらしてくれるのは、道徳的成長のある人々のみである。少女の、花の盛
りのような潑溂とした顔には、欠点は、ただ見えないように同情のインクで描
− 138 −
ゼリーナ、あるいは魂の不死性について
かれているにすぎないが、それらは、情熱と歳月に温められると、ついに黄色
や黒に塗られて姿を現す。若い青い果実のときの男性の顔に刻まれた 5 ポイ
ント活字は、後に成熟しきった南瓜となった多くのものたちの顔の上では、く
フ
ラ
ク トゥア
ずしミサール体活字の亀の甲文字(注3)、つまり不恰好な引っ掻き傷へと膨れ
上がる。引っ張った結果のように痩せることで、老いると形無しになるのが女
性の顔であり、だぶだぶに垂れ下がることでそうなるのが男性の顔である。
ヴィルヘルミの満面は、その若い頃の美しかった線を一本たりとも埋もれさ
せてはいなかった。よき料理を―彼は丁度このとき、露台での朝の飲食から私
たちのところへ急いで下りてきていた―老境になってからは、よき人間と同じ
くらい好きになっていたにもかかわらずである。好意と満足が彼の両目から一
緒に見つめていた。彼は自分の村のみならず、騎兵大尉の村を、経済的・絵画
的に完璧に向上させる役目を引き受けていた。―わがカールソンは、と彼は
言った、本の中に居続けてこその人であって、せいぜい私が仕上げを終えたと
きにそこを出て自分の農園及び庭園に行ってくれればそれでいいのだ、と。―
そこでカールソンは喜んで彼に、ファルケンブルクの管理を任せ、そこに幸福
と美を施す作業を委ねたのだった。教会堂開基祭は、多くの国では、いくつか
の村が同時に、万霊節さながらたった一日で祝ってしまわざるをえないわけだ
が、彼はそれを別々にして時期をずらすことで、それが楽しみの時と場所にな
るようにした。そしてついには、五月柱にさらに夏柱や秋柱や冬柱を接木した
のだった。
ゼリーナは、ヴィルヘルミの、他者を楽しませることを追い求めて楽しむ気
持ちに対して、自分の心の最奥で享受しそこに包み隠しているそれ以上に雄弁
にして、それ以上につかの間の、ある別の幸福感をずっと表し続けることで、
何と可愛らしいお愛想を示していたことか!―以前私は、
彼女のことを、
ジョー
ネと同じくらい生真面目な人だと思い描いていた。その後、実はその逆であっ
て、それはナンティルデに調子を合わせているのだと思うようになった。しか
し結局のところ、父親に同調させているのだとわかったのだった。そこで彼女
は、父親と二人だけの食事のときは、いかにもお腹がすいているようにして喜
− 139 −
飯 塚 公 夫
ばせてあげた。彼女は、彼の料理を出してあげるだけではなく、それを賞味し
てあげることにもなっていたからである。
それにしても、彼女は何と周囲から愛されていたことか! カールソンは二
人目の心暖かき父親として彼女の目を覗き込んでいた。そして彼は、彼女を自
分の城に何度迎えても迎え足りないくらいだった。彼女の方はただもうしょっ
ちゅう彼の話を聞こうとしていただけだったにしてもである-学問におけるあ
らゆる偉大にして神のみぞ知るようなことについてのそれをである。きっぱり
としていて、話す言葉が一語一語計算されているヨーゼファもまた、彼女には
わが娘ゼリーナという呼び方以外決してしなかった。怖いもの知らずのアーレ
クスまでもが、論理の霜を朝彼女の前に置いて、それでもって論争の跳躍を進
おこな
んで 行 った上で、幾分落ち着いてから仕事に足を踏み出すのだった。ところ
で彼女の登場する段ともなれば、彼には、あたかも旭日がすぐ隣の雲に点火し
たかのように、赤みがぽっと浮かんでいたので、私は、彼は彼女が好きなのだ
と推量したのだった。しかし、落日もまた雲を赤くするのであり、私の慧眼は
すぐ隣の部屋によって否定された。それはゼリーナの部屋だった。あんなにも
見たいと思っていたヘーンリオンの肖像画を見ることができるように、私をそ
こへ案内するように、男爵が命じていたのであって、肖像の色彩が、この暖か
い愛の小世界の上に、触れえぬ遠くの虹よろしく浮かんでいたのだ。
私の目は部屋の中ではまず、裁縫台を覆っている大きなギリシアの地図を飛
び越えて、壁に掛った立派な青年の肖像へと向かった。
「高貴にして剛毅、か
つ志操高潔なる父親にふさわしき息子は、かくあらねばならぬ」と、誰もが、
肖像を見ると思った。青いけれども勇猛な、いやそれどころか閃光を発するよ
うな騎士の瞳―稲妻というものが、黒い雲の中から生じるのみならず、時には
ライトブルーの中からも生じてくるのと同じように―昔のドイツの森で、青い
瞳からローマ人どもをよく一撃していた閃光―アーチ状に高く盛り上がった詩
人の額と、前に突き出された鷲鼻。それでいて、戦闘準備状態のこういった、
生きていく上での生真面目さにもかかわらず、
顔は柔和な青春の華やぎに満ち、
唇厚き口は、溢れ出てくる愛に満ちている!―どこをとっても、兄の落ち着き
− 140 −
ゼリーナ、あるいは魂の不死性について
のなさそうな丸顔よりも、父親のそれに似ていた。誰がこの厳しい男らしさを、
かくも忠実に再現し描いたのか、と私が尋ねると、暫しの沈黙の後、ゼリーナ
が小声で答えた。
「父が私にそれを望んだのです」と。それにしてもどうしてま
た、一人の女性の手が、このような力のある生真面目な顔を、贔屓の引き倒し
になることも、のっぺらぼうにしてしまうことも一切なく、模写することがで
きたのかということ、これを私はあとになってはじめて、ゼリーナのひととな
りから把握できた。彼女は、美を善同様に扱い、美においても善においてと同
様に、見せかけや人気取りを一切退けたのだった。それは丁度彼女が、父親に
すら、唯一の才能の披露を拒まねばならなかったのと同様のことだった。すな
わち、彼女が歌うときには、当世風に顫音によって飾り立てるという、いまや
当たり前となっている雷銀ないし金箔をそうしたのだ。彼女の歌は、むしろそ
の胸声によって、言い換えると心の声によって、魂を激しく悲哀と憧憬へと沈
ませるものだった。彼女は、嫋嫋と、清らかに、心を込めて、飾り気なく歌い、
泣かれることはあっても、褒められることはなかった。―
ああ、何とまあ私は、ゼリーナに、その生活と愛の物語を語ってもらいたかっ
たことか!―幸い、ナンティルデもまた、切にそれを私にしてくれる気でいた
―そんなわけで私はそれを、その日の午前中の内にしてもらったのだった。ナ
ンティルデは、他のみんなにはこう説明していた。自分は、城の中で一番若く
一番動きがとれるものなので―なにしろ、お客同様病人のためにも働いている
ゼリーナは、すでに父親のために、台所用エプロンを、フリーメースン会員の
前垂れの女性版よろしく身に着けていたわけだから。もっとも、フリーメース
ン・ブラザー弁士たちの黙秘の印であるそれよりも、もっと蜜に富んだ薔薇の
花が施されたエプロンだったけれども―私とともに、二つの騎士領と一つの騎
パーク
士公園の魅力的な施設と付属物を全てそそくさと経巡って、お人好しパウルさ
んにあらゆるおしゃれな箇所・あらゆるおしゃれな農夫をお目にかけるつもり
だが、食事の時には一緒に時間通りに戻るつもりだ、と。
しかし全くのところ、私は、小庭園に満ち、小さな森や小さな村がいっぱい
の広大な庭園と、絵画的な美に溢れた、完全にプレゼントで埋まっているクリ
− 141 −
飯 塚 公 夫
スマスプレゼント用テーブルのようなものには、台所で献身している類まれな
人物のことが話されている間は、ほとんど留意していなかった。ジョーネは、
ゼリーナがちょうど 15 歳のときに亡くなったが、この年頃の乙女の心の内は
全て夢で、外部世界は夢の引き立て役に過ぎない。沈思黙考しながらひっそり
と自分の心の中で生きていた彼女が、母とともに訪れていたのは、ほとんどた
だもう騎兵大尉の所及びその哲学的会話のあるところのみであり、こちらの方
が彼女は、父の明るくてもっと気楽な会話よりも好きだった。ジョーネがキリ
ストのように変容したこの世の最後の時の証人は、ゼリーナだけだった。別れ・
最後の声とまなざし・重い地上の空気の最後の排出、つまり、最後のもの全て
が、娘の秘密であり続けていたのである。
ところが、母親と一緒に娘が変容してしまったのである。地上的なそれで
あったにせよだ。ラファエロの棺の横に、その最後に産み落とされた芸術品、
むくろ
つまり『キリストの変容』が置かれたように、ゼリーナは自分の創造者の 軀 の
横で、新たに輝きながら立っていた。かつてはあれほどヴェールに包まれ黙し
がちだった彼女が、突如快活になり、生き生きとなり、心を開くようになった。
しかもナンティルデに対しては、他の人に対してよりももっとそうなったので
ある。彼女が夢見ることは、ただもっぱら行為することに他ならなくなり、父
の台所から始まって、彼女の毎日の足取りは、病人たちの病室や貧者の仕事部
屋に及んだ。そして彼女は、裁縫台で他者のためにほんのわずかの努力をする
ことが許されている領主の娘たちと引き比べて、自分は幸福だと思っていた。
しかし彼女の前のめりのファンタジーとエネルギー、ほんとうにたくさんほん
とうに早急に幸福を与えてやろうと渇望する彼女の気持ち、要するにまさに彼
女の性格は、どこに行っても、彼女に、美しいものではあるが身をすり減らす
類の焦りのようなものを与え、誰もが彼女にはのろますぎるように見え、自分
までそう見えるほどだった。熱い前向き志向は、
激しい実行よりも、
エネルギー
を吸い取る。前者は精神作業であり、かつまた間断なく働きつづけるからだ。
この志操高潔な乙女は、それゆえ時に猜疑に苦しめられた。自分は、死にゆく
母の、天上にいる姉妹のもとへ自分のすぐ後について飛んでいってほしいとい
− 142 −
ゼリーナ、あるいは魂の不死性について
う希望を引き受けてしまったのではないか、
だから暇乞いをするもののように、
はたまた死にゆくもののように、残るものたちに休みなく贈り物を分け与えて
いるのではないか、と。これをものの見事に否定してくれるものは、毎年毎年
彼女の開花と献身が続いていたことだった。とはいえ、その猜疑はある真実と
境を接していた。逝く母は、自分は彼女の夢に折々現れるだろう、しかも彼女
が自分の生活にほんとうに満足しているときは、その度にそうするだろうと約
束していて―ジョーネはほんとうに度々姿を現したのだった。― ―それゆえ
この乙女は、あんなにも楽しそうに生き生きと仕事をして生きていたのであり、
よき心には両腕を、貧しいそれには両手を広げてやっていたのである。
火ないし閃光を孕んだ公使館参事官アレクサンダーは、公使館から帰省した
際に、彼女が完全に新しい魔術師になっていることに、父の部屋で気づき―昔
の生真面目だったそれが描いていた恒星軌道は、彼の衛星軌道の上方にありす
ぎて遠すぎたのだ―この変化したゼリーナただ一人が、このかつての女性不信
者を、至福を与えてくれる、ほんものの愛の教会へ連れ戻してくれたのだった。
しかし彼は、この魔術師の前では自分の改宗の公然たる告白は行わなかった。
コルプ
なにしろ他の公使たちと違って、彼は「だめ」でも我慢できたのだから。女性
コルプ
マウル コルプ
の「だめ」が、彼の名誉感情にとって、沈黙のための 口 輪 となったのだ。丁
シャンツコルプ
度男性のそれが、攻撃のための 堡 籃 となるように。そこで彼の世界観 ・ 女
とも だ ち
性観は、彼女において、ただ一番心温かい女友達のみを見出したのであり、彼
女という乙女の全存在が、彼にはあまりに高いところで清らかに輝いていたの
で、彼は一度母のヨーゼファにこう言ったほどだった。
「ある種の魂を持った
女性たちには、愛の提供は、王女方にダンスのそれができないのと同じくらい、
できません。その人たちが自ら求めるしかないのです」と。そう言いながらも
彼はゼリーナに対して、永遠の愛を保ち続けた。これは聞き届けられない愛と
いうよりも、聞いたことのない愛である。
さあそんなとき、高等学校、つまり学びの学校から、最高学府、つまり行為
の学校へ赴く途中に、アレクサンダーの弟へーンリオンが、父の館へやって来
た。みなをその完璧な開花ぶりで驚かせ―背丈と堂々たる体軀ではその父親す
− 143 −
飯 塚 公 夫
ら追い抜いており―英雄的情熱に溢れ―健康とエネルギーと勇気と戦意に燃え
て―派手な枝は全くないものの、防御用の棘はいっぱいで、てっぺんには椰子
酒と実が生っている一本の丈高き椰子だった。そしてそれにとっては、城の
いくさのの
温室は狭すぎ、ただ三月の野(古代フランク人の
三 月 議 会 の こ と)及び 戦 場 だけが十分な広さだった。
あるいは山一つがそうだった。
ゼリーナは、自分の精神上の養父カールソンにあまりにも似た若者に、へり
くだらんばかりの崇敬の念を感じた。また、
ゼリーナにあんなにしょっちゅう、
彼女の母親ジョーネの心と口の端で会っていた若者にとっては、ゼリーナは、
彼方へ飛んでいってしまった精霊が聖別し、敬虔なる手しかそれに触れること
が許されない聖なるものだった。こうして二つの魂は、互いにほとんど親密と
いっていいくらい暮らしをともにしていたが、高説を互いに伝えあうときは、
高貴な心を打ち開きはするのだが、与えることはなかった。ナンティルデは二
人を近づけようと試みた。しかしそれは、すでにともにあるようなものにおい
ては、遠ざけることを意味していることが多々あるものだ。また、世情に通じ
たアレクサンダーは、すでに彼らの心の交歓を前提として、妹にこう言った。
彼らは互いにそれぞれの親を崇敬し合っているのだ、と。
へーンリオンのギリシアへの旅立ちの前に、ゼリーナの父は、彼の肖像をど
うしてもと所望した。しかし若者は、一度も画家のモデルになったことはな
かったし、近くに画家もいなかった。しかし女画家が一人見つかったのである。
ゼリーナである。娘は、父の求めを、ぐずり渋りながらも聞き入れた。ヘーン
リオンは、ゼリーナが子供らしく親に従ったことに倣った。ただ彼は、顔の全
体ではなく、半分だけを、絵の具に委ねた。多くの若者には思いもよらぬ理由
からではあったにせよ。立ち働いている女絵描きだけは、ずっと見続けていて
も構わないわけだが、おとなしくしている対象の方は、無聊でいてもそうはい
かないのであり、ゼリーナのような人に対しては、お話目的なしに品定めしな
がら見つめることなど、あまりにも大胆すぎるというわけだった。ひょっとし
たら、こういう目の半隠れ状態が、不在者の見せかけを与えて、そのことによっ
て女絵師に、描く際のより大きな自由とより温かみのあるファンタジーを与え
− 144 −
ゼリーナ、あるいは魂の不死性について
たのかもしれない。
しかしいずれにせよ、二つの若い心にとっては、描くこととモデルになって
座っていることは、常になにがしか危険な事柄なのであり、絵筆は向きを変え
て愛の神アモールの矢になるのである。心が満杯になったゼリーナは、青年の
表面と内面を、ついには飛び込みたくてたまらなくなる深い海にそうするよう
に、覗き込んでいた。ヘーンリオンには、彼を見つめている、いとも近くにあ
りながらもいとも遠くにある存在の方は、彼に対する愛と献身の気持ちはむし
ろただ心の中だけにいっぱいにしてその前に立っていたのだが、彼には、心が
昼に崇拝したがる見えない星たちでいっぱいの青空が傍らにあった。ゼリーナ
が父親のところへ肖像を仕上げて持っていった朝のことであり、ヘーンリオン
のギリシアへの旅立ちの直前のことだったが、二人は蝶と雲雀以外のお供は一
切なく―地方では尋常ではない、お行儀という警察長官命令に逆らって―全く
二人っきりで、騒々しい耕作地をたどり、しまいには暑さゆえに、静かな小さ
な森の中へと散歩の足を伸ばしたのだった。突如、ある小さな森に来るとより
真っ暗になってきた。ところが、梢の上の方は青空で、暗くはならなかった。
突然、東方で、火を吐く黒い雷雨の怪物が眼を覚ましていて、一日の敷居際に
立って、その荒々しい火を静かな青白い太陽の横で吐き出していた。二人に
ヴェッターホルン
とって嬉かったのは、雷雨観測台がこの小さな森から遠くなかったことだった。
ヘーンリオンは、目をうっとりさせて、火と燃える朝の嵐を、燃え上がる雲の
戦いを見つめた。そしてその戦いの火に囲まれて、太陽が軍司令官のように、
ひときわ明るく輝いていた。
「あの東方の」
、と彼は興奮して叫んだ、
「ギリシア
軍の武器の稲妻が見えます。ギリシア軍の大砲の轟きが、その暴君どもの上に
鳴り渡っていって落ちかかるのが聞こえます。
」― 一つの嵐が、広くわだかまっ
た黒い雷雨の軍勢から、長く伸びた雲を一つこちらへ追い立てるように近づけ
た。するとその雲は、絶えず放電と充電を繰り返し、ついに、稲光を誘い出す
避雷針の円球の上に来た。―「ああ、いつか自由のために死ぬことができれば
なあ。もはや自由のために戦うことができなくなったら、即座にです。ああ神
様、死は何と美しいことだろう。ねえゼリーナ。それが空から、白い稲光を発
− 145 −
飯 塚 公 夫
する死の天使としてやってくるとしたら!」そのとき、一匹の火の蛇が、漆黒
の中から二跳躍で近くの金の円球へと飛びかかり、空は雨となって迸り、雲は
すべて飽くことなく雷鳴を送り出した。―
「あら、
ヘーンリオン様!」
と、
ゼリー
ナは驚いて大声を上げた。彼が振り返ると、彼女の顔が涙に覆われ、完全に蒼
白になっているのがわかった。
「ゼリーナ、泣いているの、ぼくを愛している
からなの」、と彼が言うと、彼女は、同時にそうだと言うためのようでもあり、
悲しむためのようでもあり、恥じらいからのようでもあるように、首をゆっく
も の
りと傾けて、涙を拭うことによって、顔を覆い隠した。「 ああ君、天上の存在
よ 」、と彼は叫んだ、
「君はぼくを受け止めてくれるかい。そうしてくれると、
ぼくはずっと君のものだ。生きているときも、死んでからも。ぼくが戦死した
ときでも、ぼくが帰還したときでも。
」―「ただ明るい気持ちで自分の道をお行
き下さい」、と彼女はそれに答えて言った、
「私のヘーンリオン様、
そうすれば、
神様は私たち二人とともにいてくださることでしょう。」―急に太陽が姿を見
せた。雷雨は雨を降らしながら、西へ向かって逃げ去った。すると、上空に虹
が一つ、山脈の腕の上方に張り渡されていた。―「見てごらん、ギリシアへの
門が開いているよ」、とヘーンリオンは言った。なにしろ、彼のギリシアへの
西回りの道は、フランス経由だったのだから。
こうして二人の心の絆が結ばれた。私がナンティルデとともに、天上にある
ような花や果実に満ちた庭園から戻ったとき、
私にはゼリーナは、
何と全く違っ
たものに見えたことか。彼女の聖なる楽園の中を、覆いが取られた心の中に、
今や覗き込むことができたのだから。―そして私は、このようなカップルの二
人の父親には、おめでとうと言って握手をせざるをえなかった。何事も秘密に
することなく、秘密を秘密にすることもめったにないナンティルデが、途中で
全部お話してしまいましたよと、彼らにずばりと言ったときのことだ。―「 さ
あそれではあなたにも 」、とヴィルヘルミは言った、
「ヘーンリオンから届いた
すばらしい一番最近の手紙を読んで差し上げるように、ゼリーナに言いましょ
う。その手紙は私を、人間存在についてのその明るい見方によって、いまだに
元気づけてくれております。」―「 そして私には 」、と騎兵大尉が言った、
「彼が
− 146 −
ゼリーナ、あるいは魂の不死性について
不死性を信じそれを証明していることが最も好ましいことなのです。私はただ
もうあなたに、わがアレクサンダーもまたそっちへ改宗させていただけないも
のかと望むばかりです。
」
このすぐ後に、ゼリーナが、手紙を手に急いでやってきた。彼女の顔には、
読むことを応諾する表情より、むしろ、これから一人の善良な魂がさらにまた
とも だ ち
一つ、自分の男友達の魂を覗き込むのだというえもいわれぬ喜びのそれが表れ
ていた。私は手紙を手に、屋外の露台に出た。するとゼリーナは、私について
きて私の椅子の後ろに座った。彼女の言うには、一枚一枚をもう一度、私と一
緒にとてもゆっくりと、ただし声は出さずに、再読するためにである。
第二区
世紀末開店のロンドンの有名な喫茶店
宇宙の輝き―ロイズ ・ コーヒーハウス(17
で、ここにはさまざまな情報と噂が集まった)
以下がその手紙であり、何の変更も加えられていない。
「近いうちだ、ぼくのゼリーナ、わが軍が要塞を手に入れ、ぼくが君たちを、
君たちがぼくを手に入れるのは。なにしろ、それがぼくの約束の言葉だったの
だから。喜びと行為をぼくはここに置いていく。しかしぼくは、新たなそれら
ハート
を君のもとで再び見出すのだ、愛しい人よ。君、善良なる 心 の人よ、ぼくの
ために君は死と不死性のことをあまりに頻繁に考えすぎている。しかし、信じ
てくれたまえ、死にゆく者たちの野営地においてほど、人が死についてめった
に考えないところはほかにないのだ。人間はここでは、炎であって、灰ではな
い。人生行路のはためく旗は見えるが、それを切断する壕や墓は見えない。そ
して、ひくひくする死にゆく動きは、自分自身のそれでさえ、敵に向かっての
最後の動きにしか見えない。正義と強さのみが感情を膨らませるのであり、部
屋の中で不安がっている気持がそれを押し潰すということは一切ない。戦争の
とき以外のどこにおいても、両者がこんなに近くに相並んでいることはない観
念と行動の、その帝国の真っ只中においては、外部の人間存在はかくも容易に
− 147 −
飯 塚 公 夫
投げ捨てることができるのだ。またもしギリシア人の子がたった一人、あるい
はがたがた震えつつある老人が一人、君という救済者の手にありさえすれば、
君は獅子のごとく野蛮人の群れに向かって突き進んでくるのであり、火薬の閃
ひととき
光が生の銀色の閃光に見えるのだ。間違いなく、無辜の者たちを一時断固とし
て守ることは、神の国の味見をすることなのだ。そこでは、無辜というものは、
その報復をしてくれるものを傍らに控えさせていて、いかなる力も第二の力を
控えさえているのだから。
だが恐れないでくれ、ゼリーナよ、戦の野や戦の谷の厚い霧が、ぼくの哲学
ともしび
の清き 灯 を消してしまうのではないかなどど。それはぼくの胸の中で、静か
にまっすぐに燃えていて、戦争で襲来してくる夜の鳥たちの全てを、窒息させ
ることはなく、ただ煽るだけなのだ。なにせぼくには、殺戮の雷鳴を通して―
耳の聞こえない作曲家がそうするように―君とぼくの父が生について語り合っ
オ リ ン ポ ス
たり、それについて詩人たちが、ギリシアの詩神の山脈上で歌ったりするのが
聞こえるのだから。実のところ、ぼくにとっては、生における全てのものが崇
高なのだ。上は星空から下は大洋に至るまで。そして、上空の小さな雲や下方
の波のように、小さく見えるものというのは、大きなものによって包摂される
か、ただ一つの大きなもののほんの一部が飛び出してしまったかにすぎないだ
けかなのだ。砂粒が砂漠を築き、珊瑚虫が、船を座礁させる火刑台の薪の山を
ひとひら
作り、島を隆起させるのだ。高原牧場の雪の一片が、谷の雷鳴となり、その白
い雷雨が、森や村々をずたずたにする。ぼくにはどんな季節も崇高だ。冬です
らそうであり、その飾りなき青と白とともに、その覆いをかぶった広大な世界
とともに、眠りの中にあるものの、その世界は、五月の太陽を前にすると、花
を咲かせ飛翔をもたらしつつすっくと立ち上がるのだ。-そしてそうやって歴
史は、罪ある歴史でさえも、それぞれの時代の柱廊を移り進んでいくのであり、
昔の諸帝国の巨像たちが、半ば沈みかけた星座のように地平線上に並び立ち、
偉大な立法者たち、諸国民の軍司令官たち、時代時代の君主たち、モーゼとか
とか言う人、
言う人、名を挙げられていないある高官、リュクルゴス(古代スパルタ
の国政改革者)
ソロン(古代アテネの政治家。ソ
ロ ン の 改 革 で 知 ら れ る)とか言う人、こういった者たちが、各人それぞれの法
− 148 −
ゼリーナ、あるいは魂の不死性について
という磁針でもって、国家という重い船を、全能の力で動かして、時の流れの
中を進めさせていく。しかしぼくがこのとき偉大なものを見るのは、結び合わ
されてはいるが小さなものである個々の存在の群れの中にではなく、立法者の
精神力の中にでもない。もちろん立法者は、長い梃子の柄を用いておのれの世
界をより容易に動かすのではあるけれど。つまり私が偉大なものを見るのは、
何百万の精神を見積もって、一つの連合体に作り上げる力の中になのだ。
この絢爛たる宇宙は、それを考えるそれぞれの精神の中に再創造されている
のであり、精神世界という鏡張りの部屋では、天国と世界は限りなく繰り返さ
れるのだ。それなのにダランベールとか言う人は、罰当たりなことばを叫ぶこ
ル・マルール・デートル
とができた。 存 在 の 悪 !などと。
しかしぼくは、存在している幸せに感謝の十字を切る。そしてさらに、存在
し続ける幸せにもっとそれ以上にそうする。おお、わがゼリーナよ、何とぼく
の生は、日毎に、言うなれば生き生きとしたものになっていくことか 。 そして
生き続けることを信じる気持は、戦場の遥か下の方にまで根を張っているの
だ!―どこかでぼくに消失というものを見せてくれ!生というもの及び生成と
いうものは、一歩歩めば必ず、一瞥すれば必ず、垣間見せてもらえるのだ。い
かなるエネルギーも途中で死に絶えることはなく、その静止は、その抵抗の持
続にすぎない。命なきものですら、殺すことはできないのであり、単に、クラ
ゲのように、倍になるにすぎない。つまり、ばらばらにほぐすことによってだ。
また、ダイヤモンドは、凹面鏡に当てると千個のもっと小さなダイヤモンドに
変化して飛び去ってしまう。
おお、大地はそれにしても、その移ろいゆくもの及び墓をいくら伴っていよ
うとも、何とあんなにも生き生きとし続けていることだろう。生とその喜びは、
水際近くの、さっと燃え上がる花火にすぎず、同じくらい束の間の思い出がそ
こに映るだけだとか、何と多くの準備が、短い輝きのためになされることかと
か、何と多くの柱や彫像や建物が、足場を覆い隠すために作られることかとか、
ぼくに嘆き訴えることはよしてほしい。もちろんそれに十分なだけの火薬はあ
るのであり、たった一つ生き生きした火花があれば、火の世界が展開するのだ。
− 149 −
飯 塚 公 夫
何故自然は没落には吝嗇であれといわれるのだろうか。なにしろ上昇や創造は
貪っているわけだから。人間の手中においてのみ、花火の光球が弾け散って、
小さなそれになる。しかし自然界においては、逆に小さな世界がそうなって世
界になる。エトナ山は山々を噴出することで高くなっていくのだ。
星空は、全能の力で捉えて、ぼくの心を最も高揚させる。それほどの真剣さ
と途轍もなさで下界を見下ろしているのだ。ぼくたちの上方の何万もの太陽の
うち、その輝く円板でぼくたちの青空全部を覆うに必要なだけの数の千単位の
太陽たちを、さあ移動させて、地球に嵌め込んでごらん、そしてそれから上を
見上げ、そしてそれから自分の中を覗き、自分の祈る心の中を覗いてごらん。
サ ー ・ ウ ィ リ ア ム・ ハ ー シ ェ ル (1773しかしこの数は、ハーシェル(1822)。
ドイツ生まれのイギリスの天文学者 )とか言う人が、ただぼ
くたちの天の、つまり半天の星を数えるために五百年を必要とする際のあの数
に比べたら何だというのだ。―そしてここでは、天は最大の凹面鏡だけで、つ
まり遠距離の中を、1342 番目の大きさの星たち、実のところは小ささのそれ
だが、そういった星たちまで観測されるのだ。小地球の蟻である人間は、もは
や太陽たちにいかなる名も付与するわけにいかず、せいぜい蟻のような文字し
かそうすることができない。―そして、ただ蜘蛛の巣でできただけの短い境界
線を、太陽たちの巨大な青い国々及び帝国たちの間に引くだけだ。
(原注 1)かく
もたくさん計り知れぬものはある。それでも、それを超えていき、全てを自己
の中に取り込んで計測する人間精神にとっては、多すぎはしない。
しかし、天は単に宇宙の測りがたさを暴露するのだが、これに対して、地は
宇宙の生の無尽蔵ぶりを暴露する。地球たちの弾雨の下には、小さな水玉や小
いのち
さな水滴があって、生き生きと蠢いており、この極微の海は生命の水であって
も、死んだ海ではない。ぼくがそんなふうにして、死んだ動物繊維が、その中
で大小さまざまの生きものたちからなる戦闘民族が一つ復活するようにと、ほ
んの数滴の水を求めるのを見るとき―それどころか、ぼくが、枯れた干草の茎
や単なる樹皮や単なる木炭が、水の中で溶解して、追いかける生きものたち
へ、いやそれどころか産み落とす生きものたちになるのを見るとき、そしてと
どのつまりは、単なる雨滴の中で、五つの異なった種類の動物の世界がぽつん
− 150 −
ゼリーナ、あるいは魂の不死性について
と一つ生まれてくるとき(原注 2)、ぼくはこう問う、われわれの周りで地を覆っ
ている無数の生の噴泉の氾濫のただ中で、生の枯渇ということが、一体どこ
で考えられようか、と。また、どんな葉も、それを構成しているものがその
ことを押し止めなければ、伸びていって木になるだろうとゲーテが言ってい
るような(注 4)、生のこういった突進行為がいたるところで行われているのを
あらゆるものが運動をしていて、
見たり(原注 3)―炎から諸々の世界に至るまで、
それは死者にはかなわぬことだったりするとき、ぼくは生というものが、遥か
広大な尽きることのない生というものが、
そしてそれによってぼくの生もまた、
楽しくなり、こう問うのだ、小さな滴虫の精霊たち全てが、冷たい痩せた薄い
水滴の中で、自分の小さな肉体と生を築き獲得できるのなら、どうして将来、
強い成熟した精霊にとって、千倍容易とならないことがあろうか。豊かなエネ
ルギーにぐるりと囲まれたその真っ只中で、新たな弾みをつけて、彼岸への飛
翔体になることは。
全くのところ、自然は人間とは全く違ったやり方で、また人間よりももっと
豊穣に、墓の上に新生児の洗礼堂を増築し(原注 4)、死者の上に生き物の群れの
神殿を増築しているのだ。そしてそうなると、生き生きした人間精神が、冷た
くなり消えてしまうのではないかと、どうして心配することがありえようか。
暖かな輝く海を泳いでいるのだし、周りには存在することを喜びながら、蚊た
ちの世界が日向ぼっこをしているのだ。不死性は、すでに死ぬ前に下界のぼく
たちのもとに住みついているのではないだろうか。ぼくたちの周りの無数の生
を通してはじめて、ぼくにとって星たちは何ものかになるのであり、ぼくたち
の上にある太陽たちの途方もない山脈が緑化しはじめるのであり、無限の遠く
へ向かって築かれた見通しがたい天の町へと住民移動が行われるのだ。
おお、ぼくの大事なゼリーナ、世界のことを考察するこういう精神的数分間
に君の側にいることを、ぼくは最も切に望む。なぜなら、君が理解してくれる
ことで、ぼくは感激し、自分の正しさの証明となるからだ。ほら、だからぼく
は、身の回りのニュースの代わりに、むしろ自分の内面からの平和なそれを君
に送っているのだ。そして、君の魂の中には、重ねて一つの魂だけが入場して
− 151 −
飯 塚 公 夫
もらいたいのだ。肉体の輜重隊ではなく。しかしどっちみちこれからすぐに、
偉大な時が鐘を打ち終わる。そのときは、最高の要塞が(原注 5)、敵の雷光の避
雷針として、われらが手中に移り、そのあとはドイツで、大好きなギリシアを
楽しんでいられる。そうなるとぼくは、祖国の平和に、より楽な気持でじっと
していられる。なぜなら、それに触れると、昔の豊穣な人間精神の楽園の上空
へと移動しつつあるのが見える、霰や雹を降らす荒々しい雲たちが、砕け散ら
ざるをえない、尖がりや円球のついた避雷針が、ぼくの方に向かって輝いてい
るからだ。親愛なるわが父には、ギリシアの戦いの偉大なる過去の崇高なる数
時間を、ぼくを通して、ぼくの帰還を機に収穫してもらい、ぼくの話の間、時
には、あたかも自分自身が、再び何年も前と同じように、武器を手に敵の地で、
自由という女神の傍らに立って、それに敵または自分の身を捧げているかのよ
うな気になってもらうのだ。このときから、ぼくはどんなにそれまで以上に落
ち着いた気持で、古代ギリシア人たちがその作品中で教えたり歌ったりしてい
るのを聞くことだろう。なんといってももはや、その子孫たちが拷問にあって
いるのをのうのうと傍観しているための、体が熱くなるような苦痛が、ぼくの
中で疼いたりどきどきさせたりすることはなくなるのだから。おお、そもそも
若者の心の中には、学習と行為、学問に没頭することと晴れやかな生へと飛び
込んでいくこと、この二種類の願望とエネルギーの間で、消耗性の戦いの火が
燃えているのだ!―たしかにぼくの兄は、学習もまた行為だと言う。しかしな
がら、
行為もまた学習なのだ。そして、
この二つのいずれもが、
目いっぱい、赤々
と燃えながら、あらゆる情熱的犠牲を払って行われねばならないものだ。ぼく
は、父がぼくを彼の似たものに教育しようと思っていて、完全に学問に、とり
わけ文芸に生きさせてくれていて、貴族と軍人の暮らしの、息切れしたような
腹がへっているような命令は顧慮しないでくれていることで、何と父に感謝し
ていることか。―しかし、わがゼリーナよ、ぼくは、果敢に全力を尽くし、パ
ルナソス山を、要塞さながらに、そのいたって切り立った城壁を伝ってさえも、
登り切ってみようと思っている。なにしろぼくは、華奢なルーナ(月の
女神)たる君
にはことに、全く赤くなりすぎた頰をして野戦から帰ってくるわけで、大学で
− 152 −
ゼリーナ、あるいは魂の不死性について
勉強していささか青白くならなければならないのだ。そしてぼくはこれから君
にとって何ものになるのだろうか、君、詩神の中の詩神よ。言ってくれ。おお、
ゼリーナ、ぼくらが祝宴に参加していて、大事な戦友たちがぼくの周りですば
らしいどんちゃん騒ぎの中で胸襟を開くだろうとき、ぼくは何と満ち足りた気
持で、ギリシアの保護都市の城壁鋸壁の凸壁に出て、広い港の彼方、なにせそ
れは君のいる岸辺で途切れるわけだから、その測りがたい海の向こうを見晴る
かして、ひとりごちることだろう。そうだ、あの向こうだ、あそこに宿ってい
るのだ、お前の天が、お前の未来が、あの精神が。それを前にするとお前の精
神はますます高く上がろうとしますます高く伸びていくであろうあの精神、そ
して、お前が受けたものよりもっと大きな傷であってもそれに報いてくれるで
あろうあの精神が。そしてそのお前をこの誇り高き港から連れ出すのは、カロ
ンの平舟ではなく、見上げるような勝利の軍艦なのだ!この全てを神よ与えた
まえ、わが愛しのゼリーナよ!
ヘーンリオンより
このように、わが友の息子にして、もし私がゼリーナをはやそう呼んでいい
のならば、わがガールフレンドの恋人は、語っていた。一つの魂が、ゼリーナ
同様かくも犠牲的精神に溢れ、かくもあらゆる善良な人々及びあらゆる善なる
ものへの愛に溢れていて、それが今や、もう一つ別の魂に対して自分を全開に
して、それによって、永久に愛され祝福されようとしているとき、この若者の
心の美しさは、いかに私を喜ばせることになったことか。彼にこの静かなる女
性は、神にそうするように、身を捧げ身を委ねていたのであり、彼ただ一人が、
かかる乙女の褒美と花冠を手にしていたのだ。―私が彼女に言ったことは、た
だこれだけだった、
「彼はあなたにふさわしい方です。」
午餐のとき、ヴィルヘルミの表情は喜びを示していた。それは、過去のこと
ではなく、未来のことに発しているようだった。しかし、
騎兵大尉が私に向かっ
て喜んだのは、何と言っても、ヘーンリオンが不死性を信じていることだった。
そして特に喜んだのは、彼が滴虫―唯物論者にとっては、普通は我々の希望の
− 153 −
飯 塚 公 夫
ひつぎ
棺 虫であり船食い虫―を、生命の共同運搬人に、極楽諸島を築き上げていく
珊瑚住民に用いたことだった。ただ公使館参事官アレクサンダーだけは、こう
言った。自分は、一般生活の中から導き出される多くの結論について若干の言
及を行うことは、もっと時間のあるときのために取って置く、と。実は、彼が
いつも他の誰よりも優しく扱っているように見えるゼリーナの面前で、その愛
する者に激しい反駁を加えたくなかったのだ。
ついにヴィルヘルミの予言者的な快活さが明らかになった。
「ロイズ・コー
ヒーハウスで夕べを過ごしましょう」、と彼が言ったときのことだ。このこと
ばがみんなの目を輝かせ、ナンティルデは私に、目を煌かせながら語った。男
爵は近くの高台にある一番お気に入りの園亭をそう呼んでおり、いつもそこで
自分の嬉しい郵便報告、つまり手紙を選り分けているのだが、残念なことに、
そこに行くには、距離があまりにもありすぎて、手紙への激しい飢えを我慢し
なければならないのだ、と。―コーヒーハウスでついに―ナンティルデはか
らかう気持から最後にやって来た―男爵は私たちに、彼がマルセイユに雇って
置いていた古い通信員にして、ギリシアの出来事の速記者の手紙から、こんな
ニュースを伝えてくれた。ナポリ・ディ・ロマニア要塞は、5 月 30 日にギリ
、及
シア軍に開城することによって降伏したということ(このニュースは実は間違いで、要
塞が落ちたのは年末のことだった )
び、彼ら共通の友へ-ンリオンがすでに帰還のために通信員のところでの短期
滞在を申し出ているということをである。
「帰ってくる、帰ってくる」
、と妹が
叫んだ。するとゼリーナはおもむろに両手を組み合わせた。静かな目には湿り
を帯びたほのかな輝きが湛えられていたが、それは涙にはならなかった。
楽しく展望するためには園亭は取っておきの場所にあって、そのたくさんの
窓からは、小径や街道がいたるところに望めた。それはさながら、世界の路地
を望むごとくだった。とりわけ騎兵大尉は、人間活動の運河や橋が合流するこ
ういう中心地が好きだった。そういうところでは、どの目も、異なった世界に
あって、その希望と期待を大洋に向かって送っている次第なのだ。遠くの木の
てっぺんの向こうを、この夜、帆がいくつか、ぱたぱたと翻りながら、去って
いった。それは、一つ以上の心にとって、愛する戦士をロイズ・コーヒーハウ
− 154 −
ゼリーナ、あるいは魂の不死性について
スへ連れてくるために、川から海へと出て行くかのようだった。―男爵の気持
は、喜びに羽が生えたようだった。余所者の私でさえ、普通一般の楽しさを増
幅させた。そしてしまいにはさらに、青い天すらも、全ての星とともに、その
どんな小さなものも隠すことなく、心へと下りてきたのだった。―
私たちみんなが、より高いところでの開かれた夢から、夜の国の覆われた夢
の中で休らうべく、去っていったとき、ナンティルデだけは、ヴィアナの彼女
のゼリーナのもとに残った。夜に昼のすべてを彼女に反復してやり、夜に昼の
照り返しと残映を、ボローニャの光り石(暗闇でかなりの時
間 輝 き 続 け る 石)のように、作り出してや
るためだ。二人は私に、明朝ちゃんと遅くならないうちに、ファルケンブルク
に到着すると、約束した。
ウェヌス(ヴィーナス)
シ ュ ト レ ッ ク
フ
ェ
ル
ス
『わんぱく時代(フレーゲルヤーレ)』
(1804
章惑星・ 金 星 に寄せるストレッチヴァース(自作
- 05年刊)の主人公が考案した韻律のない自由詩)
この章には是非とも、絢爛たる金星を、自慢させておいてくれたまえ!―そ
こにはゼリーナが、そしてその初恋が登場しないだろうか。―そして、彼女の
生は、あの愛の星に似て、たくさんの峻険な巨大な山々で覆われていないだろ
うか。それらは、踏破は無理で、ただ最後のときに飛び越えることしかできな
いものだ。―しかし、まだ君は、穏和なるゼリーナよ、生の青空にヘルペルス
よろしく、私たちに向かってほの光っている。そして私たちに、君の母君の静
かな輝きを、宵の明星が、自分がそのあとに続く落日の、その輝きをそうする
ように、投げかけている。さあ、その後を追って早く沈みすぎることはなしに
してくれ!
・ フォンターナ(1580 ?
原注 1 [フォンターナ(フランチェスコ
-1658)。イタリアの法律家 ・ 天文学者 )は望遠鏡の中に銀糸の代わり
に蜘蛛の糸を張る。]
(注 5)
ルイ・ジャブロ(1645-1723)。フランスの博物学者。
原注 2 ジャブロ( 代表作は
(ツィマーマンの『人類地理
『顕微鏡で行った自然の歴史の観察』
(1754))
学史』第 3 巻を参照のこと(注 6))は、干草を煎じたものの中に六種類の滴
虫を、新しい干草の中には、古い干草の中とは異なったそれを、牡蠣の
− 155 −
飯 塚 公 夫
汁にはそれと同数のそれを発見した。オークの樹皮を煎じたものの中に
は、20 種類だった。
(命あるオークの木もまた、全ての樹木の中で最も
多くの種類の虫を抱えている。)
―それどころか、グレイテイゼン博士
・ グレイテイゼン(1774(フランツ・フォン・パウラ
によれば 『
( 上部ドイツ文学新聞』1808 年 10
1852)。バイエルンの医学者・物理学者 ・ 天文学者)
月号 )、蒸留した冷水には、腐敗がなければ、一日で滴虫が生じる。しか
し、
(オーケン(注7)の説とは違って)全ての肉や植物の原素材が、新しい
生きものへと分解されるのではなく、大部分は、その栄養のための粘液
としてそのまま残る。―すでにミュラー(不明。ミュラーだ
けでは特定不可能)とファブリツィウス
ヨーハン・クリスティアン ・ ファブリツィウス(1748-1808)。デンマーク生ま
が 390 種類の滴虫を記述して
(れの動物学者
・ 経済学者。リンネの弟子。北欧やドイツの大学で教鞭を執る)
いる。いうなれば、390 の生命力溢れる地上の星雲だ。
原注 3 ゲーテの意見はダーウィンのそれによって、さらに敷衍される(その
『動物生理学』第 2 巻 440 ページ)
。つまり、動物の体の全ての部分は、測
りがたい永続的成長を志向するが、それを枠どる部分に従わなければな
らない。例えば、皮膚を除去した後、肉は新しい肉ないし手つかずの肉を
生み出し続け、骨膜を除去した後は、骨が肥厚する。―スワムメルダム
(1637(ヤン・スワムメルダム
1680)。オランダの博物学者)は、その『自然の聖書』の中でこう言っている。蟻のは
じめは象のはじめと全く同じ構想によっている。ただ蟻の方が、心の力が
弱いから同じ大きさにしてもらえない。―だから、
私が付け加えていうと、
海の動物は―ひょっとしたら、温度と栄養と柔軟要素のバランスの良さに
恵まれて―途轍もなく大きなものに成長する。そして、
まさにそのせいで、
地下の動物は矮人のようなものにくしゃくしゃと縮んでしまう。
原注 4 初期キリスト教は彼らのバプティステーリウム、つまり洗礼用建物を、
墓の上に築いた。
原注 5 [ ナポリ・ディ・ロマニア ] ( 注 8)
訳注
(1)
『外国語論集』第 12 号(前号)の続き。執筆年及び刊行年に関しては前号の
注(1)を参照のこと。
− 156 −
ゼリーナ、あるいは魂の不死性について
(2)前号注(2)を参照のこと。
(3)
「ミサール体活字(Missal)
」は「48 - 60 ポイントの大形活字」と辞書に載っ
ているが、
「くずしミサール体活字(Grobmissal)
」と訳した「くずし(grob)」
の部分に関しては完全に訳者の推量に過ぎない。
(4)その『自然科学一般論、特に形態論』1 巻 2 号(1820 年)136 ページ。
前号の注
((6)参照
)編
(5)ベーレント版(エードゥアルト・ベーレント
の『資料校訂版』
(1934 年刊))で補われている部分。オットー
纂の 1827 年版にはない。
(6)エーバーハルト・アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・ツィマーマン
(1743-1815)。ドイツの博物学者。その『人間と四足動物の地理学史』
(全
3 巻)のことで、1779-1783 年刊。
(7)ローレンツ・オーケン(1779-1851)
。ドイツの博物学者。
(8)オットー版にはない。
使用テキスト:Jean Paul: Werke, Hanser-Taschenbuch-Ausgabe, Bd.12, München
1975。今回は 1105 - 1236 ページのうち、
1129 ページ途中から 1145 ペー
ジまでの第 2 章のみを訳出。文中の改行・ダッシュは原文どおり。コンマ、
ピリオドは訳文に合わせて変えている。また、原文が斜字体のところは、
太字ゴシック体にしてあるが、まれに強調の場合もあるが、おおむね初出
の地名の場合が多い。また原注は、本来各ページの欄外に記されており、
本文の一部と考えた方がいい場合が多いので、訳文でも原文にならって各
ページの欄外に置いた方がいいのだが、
「大学紀要」ということを考慮して
煩雑にならないように最後にまとめておいた。
− 157 −
Fly UP