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日本語は役に立つか?
国際交流基金日本語国際センター設立1 0周年記念国際シンポジウム こく さい こう りゅう き きん に ほん ご こく さい せつ りつ しゅう ねん き ねん こく さい 「日本語は役に立つか? に ほん ご やく た ∼国際語としての日本語の可能性を探る∼ 」を開催して こく さい ご に ほん ご か のう せい さぐ かい さい 日本語国際センター総務課 に ほん ご こくさい はじめに そう む か いる計算になります。しかも、学習者の年齢層や専門分 けいさん がくしゅうしゃ や 国際交流基金では、設立以来、海外における日本語教 こくさいこうりゅう き きん せつりつ い らい ねんれいそう せんもんぶん 野はますます多様化しており、もはや日本語は、日本と かいがい に ほん ご きょう た よう か に ほん ご に ほん いう国のなかで日本人だけが使用する言語でありません。 くに に ほんじん し よう げん ご 育・日本研究の振興を重点事業のひとつと位置づけてき 世界中で、さまざまな職業の人々が日本語を使って活躍 ました。その一環として、平成元年(1 9 8 9年) 、埼玉県 しています。その意味においては、日本語は「役に立つ」 浦和市に日本語国際センターを開設し、海外で日本語を 言語であると言っても差し支えないと思われます。 いく に ほんけんきゅう しんこう じゅうてん じ ぎょう いっかん うら わ し い へいせいがんねん に ほん ご こくさい ち ねん かいせつ さい たま けん かいがい に ほん ご せ かいじゅう い げん ご 教えている先生方の研修や教材の開発、情報交流ネット おし せんせいがた けんしゅう きょうざい かいはつ しょくぎょう ひとびと に ほん ご み つか に ほん ご い さ つか かつやく やく た おも それでは、こうした現象はこれからも拡大していくも じょうほうこうりゅう げんしょう かくだい ワークの整備に携わってきました。平成1 1年(1 9 9 9年) 、 のなのでしょうか。さらに、国際社会において日本人と 日本語国際センターは設立1 0周年を迎えましたが、これ 外国人とが、あるいは外国人どうしでコミュニケーショ を記念して、1 2月1日、東京(国際交流フォーラム) ンを行う手段として日本語がどんどん使われるようにな において「日本語は役に立つか? ∼国際語としての日 るためには、日本語あるいは日本人のコミュニケーショ 本語の可能性を探る∼」という国際シンポジウムを開催 ンの方法に何が求められるのでしょうか。こうしたこと しました。 を考えるのが今回のシンポジウムの目的であり、「国際 せい び たずさ へいせい に ほん ご こくさい せつりつ き ねん がつついたち に ほん ご ほん ご か のうせい しゅうねん とうきょう やく ねん むか こく さい こうりゅう た さぐ ねん こくさい ご に こくさい かいさい こくさいしゃかい がいこくじん がいこくじん おこな しゅだん シンポジウムの目的 もく てき に ほん ご つか に ほん ご ほうほう なに かんが に ほんじん に ほんじん もと こんかい もくてき こくさい 語としての日本語の可能性を探る」というサブタイトル ご に ほん ご か のうせい さぐ をつけた次第です。 し だい 「日本語は役に立つか?」 。いささか挑戦的なタイトル に ほん ご やく た ちょうせんてき ですが、国際交流基金が1 9 9 8年に実施した「海外日本語 こくさいこうりゅう き きん ねん じっ し かいがい き ねん こう えん かいがい に ほん ご 教育機関調査」によると、海外1 1 5の国や地域で、2 1 0万 きょういく き かんちょう さ 記念講演 くに ち いき 今回のシンポジウムでは、まずコロンビア大学名誉教 まん こんかい だいがくめい よ きょう 人に達する人々が日本語を学んでいることが判りました。 授のドナルド・キーン先生に「日本語と私」というタイ 5年前の1 9 9 3年調査では、学習者数1 6 2万人という結果 トルで記念講演を行っていただきました。かつて、日本 がでていますので、この5年間で3 0%も学習者が増えて 語を学習する外国人というと、日本の歴史や文学につい ● パネルディスカッション参加者 ● て研究する日本研究者がその大半を占めていました。ド にん たっ ひとびと ねんまえ に ほん ご まな ねんちょう さ わか がくしゅうしゃすう まん にん ねんかん けっ か がくしゅうしゃ ふ さん か しゃ じゅ せんせい き ねんこうえん ご がくしゅう に ほん ご おこな に ほん がいこくじん けんきゅう に ほん に ほんけんきゅうしゃ たいはん せんせい 国際交流基金日本語国際センター所長 か とうひでとし こくさいこうりゅう き きん に ほん ご こくさい しょちょう 海洋人類学者 かいようじんるいがくしゃ だいがく 映画監督・女優・作家(オーストラリア) に ほんぶん か 所長(米国) に ほん ゆた こんかい かずかず ろうさく ぶんがく い さん ひろ かいがい しょうかい こうえん こ ころ しゅ み きっ おな かんかく かん じ おぼ 『源氏物語』の英訳本を読んで日本文化の素晴らしさに げん じ ものがたり えいやくほん よ に ほんぶん か す ば め ざ かいぐん 開業医(眼科) (ブラジル) に ほん ご がっこう きょう と おも で ほんやく むずか なが い か ふう する数々の文化人との交流録など、ご自身の6 0年近くに かずかず ぶん か じん こうりゅうろく じ しん ねんちか わたる研究生活をふりかえりながら、日本語学習や翻訳 がん か けんきゅうせいかつ ジュリアン・ゲリエ 日欧産業協力センター欧州事務所代表(ベルギー) おうしゅう じ に ほん ご がくしゅう 留学時代の思い出、翻訳の難しさ、永井荷風をはじめと りゅうがく じ だい べいこく ビクトル・アントニオ・ドス・サントス む しょだいひょう イシュトヴァーン・セルダヘイ 駐日ハンガリー共和国特命全権大使(ハンガリー) きょう わ こくとくめいぜんけんたい し イリーナ・マハラゼ ENIグループ副社長(ロシア) に ほん ご がくしゅう ほんやく にまつわる興味深いお話をしてくださいました。そして、 きょう み ぶか はなし 講演の最後にキーン先生は、「日本文化全体が、中にい こうえん さい ご せんせい に ほんぶん か ぜんたい なか ろいろな宝物が入っている宝庫です。日本語はその扉を たからもの はい ほう こ に ほん ご とびら 開ける鍵です。 」とまとめられました。(キーン先生の講 あ かぎ せんせい こう 演の概要は、『日本語教育通信』第3 6号で紹介しました えん 6 か 目覚めたこと、海軍の日本語学校での日本語学習、京都 だいがく ふくしゃちょう せ かい きました。今回の講演では、子どもの頃の趣味だった切 さっ か コロンビア大学ドナルド・キーン日本文化センター ちゅうにち せんせい て しゅうしゅう ピーター・グリーリ にちおうさんぎょうきょうりょく だいひょう 手収集と同じような感覚で漢字を覚えていったこと、 アンナ・ブロイノウスキ じょゆう ぶん や けん い つう アテネオ・デ・マニラ大学 (フィリピン) かいぎょう い し 通じて、日本の豊かな文学遺産が広く海外に紹介されて シンチア・ネリ・ザヤス しょちょう ぶんがく 的な権威であり、キーン先生が書かれた数々のご労作を てき パネリスト えい が かんとく れき し ナルド・キーン先生はまさにこの分野を代表される世界 コーディネイター 加藤秀俊 わたくし がいよう に ほん ご きょういくつうしん だい ごう しょうかい が、全文が国際交流基金のホームページ(http : //www. のに適した言語で jpf.go.jp/j/index.html)に掲載されていますのでぜひご あるとの指摘には、 覧ください。 ) 新鮮な驚きがあり ぜんぶん こくさいこうりゅう き きん けいさい らん てき し てき しんせん パネルディスカッション げん ご おどろ ました。 これから先、海 さき かい 午後に実施したパネルディスカッションでは、海外7 外で日本語がもっ カ国から、日常、日本語を使って仕事をしている7名の と使われるように 方々をパネリストとしてお招きしました。それぞれの専 なるにはどうしたらよいのでしょうか。これについても 門分野も日本研究者、外交官、人類学者、眼科医、映画 大方の意見が一致しました。すなわち、人的交流や文化 監督、実業界、芸術交流のプロモーターなど広範に及び 交流を活発にして「日本についてもっと知りたい」 「日 ました。 本人と交流したい」という気持ちを高めること、そして ご ご じっ し こく かいがい にちじょう に ほん ご つか かたがた し ごと めい まね もんぶん や かんとく に ほんけんきゅうしゃ じつぎょうかい せん がいこうかん じんるいがくしゃ がん か げいじゅつこうりゅう い えい が こうはん およ に ほん ご つか おおかた い けん こうりゅう に ほん ご がくしゅうれき に ほん ようしょう 時代を過ごされた方、日本へ留学して高等教育を受けら す かた に ほん りゅうがく こうとうきょういく う いっ ち じんてきこうりゅう かっぱつ ほんじん パネリストの日本語学習歴をみてみると、日本で幼少 じ だい がい に ほん こうりゅう ぶん か し き も に たか 何よりも肝要なのは、日本が「魅力のある国」になるこ なに かんよう に ほん み りょく くに とだ、というものです。 れた方、また日本語の知識がないまま研修で1年間日本 一方、敬語や漢字を少なくして日本語を簡略にしたら に滞在して実地で習得された方など、さまざまです。日 どうだろうかという問題提起については、必ずしも肯定 本語を学習するうえで難しかったことについて語っても 的な意見は聞かれませんでした。ロシアから来られたパ らったところ、漢字、敬語、同音異義語など、一般に日 ネリストは自国の例を挙げて次のように語ってくれまし 本語学習者が共通して難しいと感じる点については、や た。「帝政ロシア時代のロシア語には敬語表現がありま はり皆さん一様に苦労されたようです。また、日本語を した。しかし、1 9 1 7年のロシア革命以降、こうした言い 縦横に使いこなすレベルに達するには、日本人特有の思 回しのほとんどはなくなってしまいました。革命の意図 考様式やコミュニケーションの方法、とりわけ言葉に現 に反するものとして、厳しく批判されたからです。でも、 れない非言語コミュニケーションについての理解を深め 敬語はロシア語の大事な一部であったのです。言語は文 なければ、日本人と充分な意志疎通ができないという点 化の一部です。そうすると、私たちは文化の一部をも で、 共通した見解が得られました。あるパネリストが語っ 失ったと言ってもいいのかもしれません。 」 かた に ほん ご たいざい ほん ご じっ ち ち しき しゅうとく がくしゅう ほん ご がくしゅうしゃ じゅうおう ねんかん に ほん かた に むずか かん じ みな けんしゅう かた けい ご きょうつう どうおん い むずか いちよう ぎ ご かん いっぱん てん く ろう に ほん ご つか たっ に ほんじんとくゆう こうようしき ほうほう り かい きょうつう じゅうぶん けんかい い し し こと ば ひ げん ご に ほんじん に あらわ ふか そ つう てん え かた いっぽう けい ご かん じ つか わたくし てき い けん かなら こうてい こ じ こく れい ていせい あ つぎ じ だい かた ご ねん けい ご ひょうげん かくめい い こう い まわ かくめい はん きび けい ご か ご だい じ うしな い と ひ はん いち ぶ いち ぶ げん ご わたくし ぶん か ぶん いち ぶ い がい こく じん おわりに に ほんじん う言葉が印象的でした。 こと ば かんりゃく き はほんの少し日本人にならなければなりません。 」とい すこ に ほん ご もんだいてい き た「日本語を使えるようになるためには、私たち外国人 に ほん ご すく 冒頭に述べましたように、現在世界中で2 1 0万人以上 いんしょうてき ぼうとう の げんざい せ かいじゅう まんにん い じょう では、日本語を習得してどのようなメリットがあった の人々が日本語を学習しています。この機会に、我々日 のでしょうか。もちろん各々のパネリストが従事してい 本人にも、より分かりやすい日本語、より役に立つ日本 る仕事は、その卓越した日本語力に支えられてのことで 語を目指して、自らの言語を見つめ直す姿勢が求められ すから、日本語が現在の彼らを形作ったと言えます。自 るのではないでしょうか。また、文化交流や人的交流を 国と日本との芸術交 流に携わっているパネリストから、 盛んにして日本語学習に対するモチベーションを高める 今の仕事をしているおかげで自分の国の歴史や文化を再 ことが大切だというご意見をうかがって、国際交流基金 認識できたとの発言がありましたが、これは日本語に限 の各セクションと連絡を密にしながら事業を進めていく らず、外国語学習の大きな副産物のひとつと言えるで ことの重要性を、改めて痛感しました。 に ほん ご しゅうとく おのおの し ごと たくえつ に ほん ご こく に ほん いま じゅう じ に ほん ご りょく げんざい かれ げいじゅつこうりゅう ささ かたちづく じ たずさ し ごと じ ぶん にんしき い くに れき し ぶん か はつげん がいこく ご がくしゅう さい に ほん ご おお ふく さん ぶつ かぎ い ひとびと に ほん ご がくしゅう ほんじん ご き かい わ め ざ に ほん ご みずか げん ご み やく なお に ほん ご がくしゅう たいせつ れんらく じゅうようせい じんてきこうりゅう たか こくさいこうりゅう き きん みつ あらた に ほん もと たい い けん かく た し せい ぶん か こうりゅう さか われわれ に じ ぎょう すす つうかん しょう。興味深かったのは、日本語を学習したことによ 日本語を話す外国人がさまざまな分野で活躍すること り、「聞き上手」 「謙虚に振る舞う」など日本的なコミュ により、日本の社会や文化がより世界に向けて開かれ、 ニケーションの技法が身につき、自国で高い評価を受け 同時に、経済開発や科学技術の移転など、日本語を通し たという発言です。このパネリストはフランス人ですが、 て日本が国際社会に貢献できる。これこそが、「国際語 母語に比べ日本語には感情を表現する言葉が豊富にある としての日本語の可能性」ではないかと考えました。 きょう み ぶか き に ほん ご じょう ず けんきょ ぎ ほう ふ がくしゅう ま に ほんてき み じ こく たか ひょう か はつげん ぼ ご くら う じん に ほん ご かんじょう ひょうげん こと ば ほう ふ ので、日本語のおかげで自然な感情表現が可能になった に ほん ご し ぜん かんじょうひょうげん か のう に ほん ご はな に ほん どう じ に ほん がいこくじん しゃかい けいざいかいはつ ぶん か せ かい か がく ぎ じゅつ こくさいしゃかい に ほん ご ぶん や かつやく む ひら い てん に ほん ご こうけん とお こくさい ご か のうせい かんが 最後になりましたが、ドナルド・キーン先生、パネリ さい ご せんせい とも語っていました。「日本人は感情表現が下手である」 ストをお務めくださった方々、そして7時間に及ぶシン とか「顔の見えない日本人」といった評価はよく耳にし ポジウムを最後まで熱心にお聞きくださった聴衆の皆様 ますが、それとは逆に、日本語は微妙な感情を表現する に心から感謝申し上げます。 かた に ほんじん かお み に ほんじん ぎゃく に ほん ご かんじょうひょうげん へ ひょう か び みょう かんじょう た みみ ひょうげん つと かたがた さい ご こころ かんしゃもう ねっしん じ かん き およ ちょうしゅう みなさま あ 7