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Page 1 Page 2 神奈川大学大学院経営学研究科 「研究年報」第11号
\n
Title
ドイツ企業社会の再評価とCSR
Author(s)
山田, 英俊, Yamada, Eishun
Citation
研究年報, 11: 03-14
Date
2007-03-25
Type
Departmental Bulletin Paper
Rights
publisher
KANAGAWA University Repository
神奈川大学大学院経営学研究科 F
研究年報』第1
1号
2
0
0
7
年 3月
3
■ 研究論文
ドイツ企業社会の再評価とCSR
e
v
a
l
u
a
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i
o
no
fGe
r
ma
nCo
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p
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mmu
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ya
ndCS
R
R
神奈川大学大学院
経営学研究科
国際経営専攻
博士後期課程
山
田
英
俊
Ei
s
hu
nYa
ma
d
a
■キーワー ド
CS
R、企業の社会的責任、 ドイツ経営経済学、技術の進歩
は じめに
ドイツにおいて、経営に関す る問題 が多 く発生
発展 につ いて概略的に述べ る。 ドイツにおいて、
商学 または経営学 は 「
経営経済学」 と称 され る。
これは実学 としての商学が、 ドイツ独 自の発展形
してい る。特 に失業率 の問題 は、 ドイツ、EUの
態 によって生成 されて きたことによるものである。
みな らず、世界 に影響 を与 える可能性 がある大 き
その独 自の発展形態 とは、一般 に私経済論争 とい
な問題 として世界に注 目されている。本稿の問題
うもので、 「
商学 は学 問た りえるか ?」 とい うも
意識 は、 こうした状況下で、「ドイツはどの よ う
のであった。経営学や商学 といった学問は今 日学
な企業のあり方 をとってい くべ きなのか」 とい う
点にある。
問 として認知 されているが、その学問が学問た り
そこで、 ドイツ、シーメンス社の事例 を通 して、
また、 ドイツの近代史 を通 して、現在議論 されて
える背景 には先駆者の努力があった。
ドイツで は1
91
2年 か ら、 ブ レンタ- ノとエ ー
レンベル クが この経営経済学 に批判 を行 った。彼
S
Rを、企業のあるべ き姿の源泉 として ドイ
いるC
らは、経営経済学が学問 とい う名 を利用 して私的
ツ企業の課題 とそれに対す る私見 をまとめるのが
な企業の利益 を代表、弁護す るだけであ り、金儲
本稿の 目的である。
けのためだけの もので、学問の生成発展 に有害 で
さて、C
S
Rは最近研究 がな されて きた学問であ
あるとした。 この批判 に対 し、 シュマ-レンバ ッ
等の論文 に関 して研究
り、筆者 は企業倫理 、SRI
9
2
6年 に発表、シュ
ハは 「
動的貸借対照表論」 を1
S
Rが示す ものは企
を進 めて きた。 ここで述べ るC
921
年 に発
ミッ トは 「
有機 観貸借対照表 論」 を1
業倫理や社会環境問題、自然環境問題への配慮 を
匂合 した学問である。
表、そ してニ ック リッシュが 「
経営経済原理」 を
S
Rへ向か うまでの
まず、 ドイツ経営経済学がC
ることによってこの批判 に答 えた。 これがいわゆ
1
92
8年 に発表 し、 さらに組織 共 同体論 を提 唱す
4
神奈川大学大学院経営学研究科 『
研究年報』 第 1
1号
る第一次方法論争 と呼ばれ るものであるOそ して
第二次世界大戦後に経済学の学問的成果 を取 り込
2
007
年 3月
1 CSRの史的背景
むことによって、グーテ ンベルクは 「
経営経済学
CSRとは 、 "
Cor
por
at
eSoc
i
a
lRe
s
pons
i
bi
it
l
y"の
原理」 を1
951
年 に発表 し、 ドイツにおけ る経営
略語 セ あ り、企業 の社会 的責任 とい う意 味 を示
経済学 は、その学問的地位 が論争に巻 き込 まれ る
すO企業 は営利主体であ り、 よ り良質のサービス
ことのない地位 にまで向上 した。現在ではアメ リ
を、より安価に提供す ることによって、当該業界
カの経営学の影響 を強 く受 け、 さらに発展 してい
において競争力 を発揮 し、市場調査 によって常に
る。
ドイツにおける経営経済学の特徴 を挙げるとす
新 しいニーズに応 えることが要求 され る。そ して、
現代 は、大量生産 ・大量消費社会 であ り、まが 肖
るな らば、理論性や抽象性 を重視 していることが
費者は新 しい製品 ・サービスに敏感 になっている。
挙 げ られ る。 これは経営経済学 とい う学問が、論
T
テ レビ、 ラジオ、 インタ-ネ ッ ト等、いわゆるI
争の中でその地位 を獲得す るために実用性 よりも
の発達が これ を さらに助長 してい るとい えよ う。
認識 を明 らかにす る必要 があったことに要 因があ
こうした市場社会に対 し、企業 はその活動によっ
ると考 えられ る。第二に、理論や科学性 を重視 し
て貢献 をしてい くものである。
ていることが挙 げ られ るだろう。 これ も上述の こ
しか し現代 は、市場 に提供 され るサービスが、
とを考 えての ことであると筆者 は考 えている。経
どのような方法によって生み出 されているものな
営経済学 は、 日本における経営学 と会計学 を包含
のか、 さらにどのような経営体制の下で生み出 さ
したものであるといわれ る所以である。
れているものなのか とい うことも、重要 な問題 と
ドイツにおける経営経済学の特徴 を考 えるとき、
して社会か ら注 目されている。 日本では公害問題
アメ リカの経営学 と比較するとその違 いが非常に
に端 を発 し、海外で も公害、企業不祥事が、技術
明 らかであることが理解で きる。アメ リカの経営
と企業規模の発達によって様 々な問題 になること
学は 「
経営学の父」 と呼ばれ るテイラーの科学的
Rである。倫
となった。そこで登場 した概念 がCS
管理の提唱に代表 されるよ うに、実践的な ものが
理的意思決定 を推奨 し、かつ コンプ ライアンス(
演
要求 され る学問であった。 よって、 ドイツのよう
令遵守等) を貫徹 し、情報開示や環境対応 などに
な 「
論争」 はな く、工場や生産現場でのプラグマ
対 し、積極的に取 り組む企業 を促進す るこの概念
テ ィズ ムの もとで、企業の経営実践 に役立つ もの
は、米国で発生 したと言 われている。
を優先 に発展 してきた学問である。従 って、技術
しか し、 このアメ リカが発祥の地であるとい う
論、経営実践 を重視 し、 ドイツのような理論性や
考 え方 に対 して、筆者 は否定す る立場 を取 ってい
抽象性 は軽視 された。 ドイツにおける経営経済学
CSRとい う用語 は新 しい」 ことは否
る。即 ち、「
の理論的構築 に対す る努力は、大別 して規範科学
R概念のほ と
定 しないが、現在議論 されているCS
的、応 用科学 (
技術論)的、理論科学的な立場か
んどは、既 に古 くか ら経営者、思想家によって考
ら行われ ることとなる。 そ して、第二次世界大戦
えられていたことであ り、特別新 しい内容ではな
後 は旧西 ドイツ経営経済学が復興 し、グーテ ンベ
いとい うことを根拠 に、アメ リカが発祥の地 とは
ル クの経営経済学 を中心にいわゆるグーテ ンベル
言 えない とい うことを意味す る。
ク学派 (
理論科学的)経営経済学の発展が中心的
一つ例 を挙げるとすれば、 イタリアのメデ ィチ
な もの となっている。 こうして現在ではアメ リカ
家がルネッサ ンスに影響 を与 えたことが挙げ られ
経営学 を取 り入れた ものが主流 となっている。で
Rとい う用
るであろう。当時は言 うまで も無 くCS
Rの定義 か ら、 ドイツにおける企業の現状
は、CS
語が無かった。 しか し、企業 (
商人) が社会 に貢
までを以下 に述べ ることとしよう。
献 をするといった例 は、その他 に も多 く見 られ る
ことである。筆者 は中国古代史の思想 まで遡 って
「ドイツ企業社会の再評価とCS
R」
研究 を進 めているが、現段階での私見では、人類
の生活 に物々交換か貨幣交換かを問わず、取引が
5
筆者のCSRに対す る定義 も変化す るだろう。
さて、CSRに対 して疑問視す る声 もある。例 と
行われ るようになったことによって、現在のCSR
して、 ドイツのベル リン自由大学経営学教授であ
に関連す る概念 も生 まれたと考 えている。
よって、 これ まで中心的な議論 として、研究 ま
害 と疑わ しい倫理指針要 因 と しての公共 の福祉 」
たは積極 的に実践 されてこなかったCSRに相当す
'
■
がある。
る概念が、漸 く近現代 になって研究対象 としての
地位 を得たとい うのが筆者の見解である。
るギュ ンタ一 ・ドゥル ーゴス氏の講演、「
企業利
同氏 は中央大学商学部 研究会 において、次 の
ように述べている。即 ち、「
企業活動は、無関心、
さて、CSRの定義 について、筆者 はこれまでそ
補足 的、そ してコンフリク トといった様式の多 く
の定義が困難である為に、不可能であるとい う高
の種 々の利害 の焦点 を形成す る。 コンフ リク ト的
巌氏の主張 を引用 して きた。 それは次のような も
利害 は、経済的な形式的諸 目標への相互の指針に
のであった。即ち、「
CSRとは実際に何 を指すのか、
おいて少な くとも潜在的であれ交換関係 に基礎づ
何 に対応 しなければな らないのか (
例 :人権、労
け られている。 これ らの利害 は、広 い競争状態か
働環境、環境保護、地域貢献など) とい う具体的
らや、例 えばェ コロジーの ように一方の妨害か ら
な定義 はほとんど不可能であると考 えている。な
生 じるのである。 コンフリク ト的利害 は、別々の
ぜ な らば、CSRは、社会又は市場 との関係 におい
職能の担い手の間ばか りではな く、同一職能の担
てその内容が決 まって くるものだか らである。つ
い手の間にも生 じる。 そこか ら結果す る諸 コンフ
まり、CSRの指す ところは、市場や地域の人々と
リク トは、正常であ り基本的にはア ンビバ レンツ
の交流や対話 を通 じて、又は相互作用を通 じて何
な社会現象であ り、その発現 は、 また企業領域で
をや るかを決めてい くことで、その具体的な実践
は決 して特別 な ものではな く、 ここでは最初か ら
内容 が決 まって くるか らである」 tとい うもので
否定的なもの と判断 されてはな らない …とい う。
あった。
」
さらに、 自由州バ イエル ンの州法では、公共の
そ して、この考 えは、松野弘氏 を中心 とした研
福祉 につ いて、 「
全体 的経済活動 は公共 の福祉 に
究者 も同様の立場 を取 ってい る。即 ち、「
企業 が
役立 ち、個人の経済的自由は隣人 な らびに国家の
さまざまな社会環境主体 と相互 に連関す る<オー
公共の福祉の要求 を考慮す るとき限界 を有す る」
プン ・システム>である限 り、その行動が私的利
一
、と州法 1
51
条で定めてい ることも述べてい る。
益 (
自己利益)だけでな く、公的利益 (
社会的利
結論 として同氏 は、「
法制化 と判例がこの疑問の
益) をも考慮 した ものでなければな らない とい う
多い設計案 を放棄すべ きなのかの問題 は、法律の
ことに関 しては共通 した認識が存在 している」 と
文献での接近方法の論争で論議 され、 これ まで優
し、定義づけが困難であることを認めつつ も、共
'
とし
勢 なの は否定 的に しか回答 され ていない」 、
通認識があることを示 している。
てお り、同氏は企業倫理や企業の社会 的責任 とい
そこで、本稿 においては、CSRを上述の考 えを
った領域 に対 して、法的解釈の視点か ら限界 を有
踏 まえ、
次のように定義する。それは、「
オープ ン・
す るもの として、
CSRに対 して否定的立場である。
システムを前提 とす る企業が、私的利益 と公的利
ではCSRはこうした疑問や否定的解釈 に対 して
益 とに配慮 して企業経営 を行 うよう、企業の経営
明確 な理論的根拠 を示 しているのであろうか。現
業績 と社会的業績 とを有機的に結合 させ るような
段階の筆者の考 えは、否である。 その要 因は、筆
経営戦略 を策定 し、遂行す ることであり、反社会
者 自身の研究不足 も多分 にあるが、CSRの理論的
的行為 を排除 し、社会的期待や社会的要請に応 え
構築 が困難 で あ ることと、 その領域 の広範 さ故
ること」 とい うものである。ただ し、今後の筆者
であろう。そ して、 そ もそ もCSRが主張す るのは、
の研究 によって、より良い定義 を考案 した場合 は、
これ までの営利追求型企業 は悪であり、社会指向
6
神奈川大学大学院経営学研究科 F
研究年報』 第1
1号
2007年 3月
的、慈善事業的な企業 は善 で あるとい うよ うな、
CSRの広 い定義 は可能であるが、厳密な定義 は不
勧善懲悪型の分類 によって企業 を扱 うものではな
可能であ り、む しろ筆者は厳密な定義 を行な うべ
い。なぜな らば、営利 な くして企業 は存在 しえず、
きではない とい う立場 をとっている。
企業活動 その ものが否定 されて しまう為である。
CSRは、営利 のみ を追求す ることの問題 を指摘
ここでい う厳密 な定義 とは、いわゆる狭義の定
義 も含むが、国際的な一致 を見た定義、即 ち規則、
してい るので あ る。即 ち、 これ まで成 功 を収 め
規制等になることを意味す る。ある程度の規格 な
て きた営利 追求 志向 が生 み出すい くつ もの弊害
り規制が必要 で あるが、CSRに関 しては、前述の
が、現代社会においては、企業経営者 などの個人
よ うに時代 ・業種 ・業態 ・規模 によって変化す る
のみな らず、組織構成員 も含めた、当該企業の企
ものであるため、規格、規制 を厳格 に決定す るこ
業活動全体 を否定す ることに繋がるとい うことを、
とはCSR概念の硬直性 を助長す るとい うのが筆者
CSRは示唆す る。 そ して、 その弊害 を未然に防 ぐ
の姿勢である。
行動規範の確立の必要性 を主張 しているのである。
では、時代 とともに変化す るCSRは現代ではど
今後、特定の企業が倫理的な行動規範 を確立 し得
のような位置づけがな されているのか。 この問題
なかった場合、当該企業の企業活動は停止せ ざる
について考察 を進 める。
を得ない状況 になるであろう。
さらに、ここで重要 な問題 となるのは、当該企
業のみの問題解決行動では、社会全体の問題解決
に至 らない とい うことである。具体的に言 えば、
2 CSRの現代的意義
まず、本稿 におけるCSRを再確認す る。本稿 に
おいてCSRは、第一 に社会 的配慮 を自主的に行 う
企業における労働者 に対す る問題 -労働問題、環
もので あ る。 この社会 的配慮 には、労働環境 の
境汚染などの問題 を発生 させたことによる自然環
問題や雇用 ・人材育成の問題、そ して労働者 それ
境汚染の被害 -自然環境問題、 自社製品の品質管
ぞれに対す る配慮 も包含 され るものである。第二
理の問題であれば、その製品によって被った消費
に、環境配慮 につ いては自然環境の破壊 を未然に
者側の被害 -対消費者間題、 といった問題 が挙げ
防 ぐ努力 を自社業務に取 り込むことを指 している。
られる。 これ らの問題は互いに連鎖 ・増幅 し、後
製造業 を例 に とれ ば、製 品の設計 開発段 階 か ら
世 まで尾 を引 くこととなる。即 ち、企業の規模が
「
3
R
」、即ち、リユ ース
拡大 し企業活動が世界規模 に拡大 したこと、そ し
減)、 リサ イクル (
再利 用) を考慮 して行 い、当
て汀の発達等が大 きく関与 し、 こうした問題 をさ
該製品の廃棄後 について も可能な限 り自然環境破
らに拡大 させ ることになっているのである。
壊 を起 こさないよ う配慮す ることが求 め られ る。
そ して、現実的問題 としてCSRは、様 々な問題
(
再利用)、リデュ-ス (
削
当然の ことなが ら、 これ ら社会的配慮 と環境配慮
を有 している現代 において、必要不可欠な研究領
を法的に、 しか も厳 しく制約 した場合、経済的な
域であ り、総論的な理論構築が困難であったとし
競争力や技術力の強い企業のみが生 き残 ることと
て も、各論的な理論 を展開 し、 それ らを収束 させ
な り、いわゆる中小企業は経営活動 を停止せ ざる
ることは可能であると筆者 は考 える。
を得 ない状況 とな る。 そのため、「
法的な制約や
但 し、CSRは古 くか ら、現代企業 に要求 され る
契約上の義務 を上回 るものである」 とい う認識の
ようになっていることに関連す る要素 を含んでお
もとで、あ くまで自主的な活動 としてCSRは認識
り、現代では当該企業の業種 ・業態 ・規模 によっ
され るべ きである。
てCSRに関連す るどの要素 に対 し重点的に取 り組
筆者 が考 えるCSRは 「自主的な活動」 として社
むかとい うことに差異が発生 している。 また、史
会 ・環境配慮 を行 った結果、「
経営状況 が好転 」
的 な観点か ら考察 す ると、時代 によって、「
社会
もしくは 「
国内の経済状況の好転」 に繋がるとい
的責任」 とい うもの は変化す るO この ことか ら、
CSRを行 うのは利益のた
うものであ り、決 して 「
「ドイツ企業社会の再評価とCSR」
7
めである」 とい う認識ではない とい うことを強調
のイノベ-シ ョンによってブ レークスル ー し、企
学問」 とい う名 を利用 して
して お く。CSRが、「
業の 目的 との合致点 を見出 してい くことが企業の
私的な企業 の利益 を代表、弁護す るだけで あ り、
役割である。 さらには、企業 は単 にその時々の社
金儲 けのためだけの もので、学問の生成発展 に有
会のニーズに対 して受動的に応 えるだけではな く,
害であるとい うことになってはな らない。
先見性、予測力、そ して創造性 を含む経営者 自身
では、現在のCSRはどのような認識の下で研究
の構想力におけるイノベ ーシ ョンによって、末だ
がな されているのか。無論、研究者 によって、
様々
顕在化 していない社会のニ ーズや価値観 を積極 的
な研究 に対す るアプロ-チがあるために、普遍的
に先取 りして企業活動 に取 り込む ことや、 また新
な認識 とい うもの を断定す ることは非常に困難で
しい価値 を社会 に提案 してい くことがで きるので
あ ろ う。 そ こで筆者 は、経済 同友会 の発行 した
あ り、 それ が競 争優位 につ なが るので あ る。21
「
第1
5回企業 白書」 (
以下、「白書 」
)に基づいて、
世紀 において企業の役割 として最 も求め られ るの
CSRの現代的意義 をここで述べ る。
csRの認識 と して、現在 まで に多 くの思想家、
商人、企業家、研究者等が文書化 して きてお り、
は、 こうしたイノベーシ ョンを起 こして短期、長
期の両面 か ら、利潤追求 と社会利益 を両立 させて
い くことである 、
'
'
としてい る。
」
それ らは非常 に古 くか ら扱われた問題であること
「白書」 か らの企業 に対す る要請 には、筆者 自
は前述の通 りである。そ して、現在では、CSRの
身の私見 として、主観性 があるものである。一例
認識が 「自書」の中で以下のようになっている。
として、「
心 ある経営者」 とい った言葉 は公文書
「
企業の社会 的責任の中には、法規制や社会 で
としては適切ではないだ ろう。 それ は 「
心 ある」
一般 的に受 け入れ られている規範や習慣 に企業行
とい う言葉が株主 を主体に した場合 と、経営者 を
動が沿 っているかを問 う、いわゆるコンプライア
主体 と した場合、そ して消 費者 や第3
者 を主体 と
ンス (
法令 ・倫理等遵守)の領域 がある。 ここに
した場合 にも 「
何 が心 ある経営か」 とい う点で異
属す る責任 に応 えないことは、株主利益 に も悪影
な って くるためで ある。 しか しなが ら、21世紀
響 を及ぼす。度重 なる企業不祥事によって この部
に求め られ る企業のあ り方 は、十分に文書化 され
分に対す る関心が高 まっているが、 これ は企業 と
てお り、 こうした考 え方 がCSRの現代 的な考 え方
して最低限の責任であ り、我々が考 える社会 的責
であろうと筆者 は考 える。
任の一部に過 ぎない。一方、社会的価値、人間的
現在 までにCSRはその源泉 となる多 くの研究 が
価値 などの新たな価値創造 を含む前向 きな社会 的
なされ、そ して今に至 るのである。では、次 に本
責任の担い方、すなわち社会的責任のポジテ ィブ・
稿の考察対象である ドイツ企業社会 について、考
リス トと捉 える領域がある。 この領域の活動 には、
察 を進 める。
直接 あるいは短期の株主価値増大 に貢献す るもの
とそ うでない ものがるが、心ある経営者で長期的
にも株主の利益 につなが らない行動 を考 えること
3 ドイツ企業社会の変遷 と現状
ドイツ企業社会の変遷 を考察す るにあたって、
はまず皆無 と言 っていい。企業 として直接 あいは
ドイツの鉄鋼企業であるクル ップ社 に着 目し考察
短期 的に株主利益 につ なが らない行動 を、 その
を進めたい。
時々にどの程度 まで拡大す るかは、その企業の経
営資源の能九
株主の理解、企業の ミッシ ョンな
さて、クル ップ社の事例研究 といって も、現在
のクル ップ社ではない。 とい うの も、 クル ップ社
どとの関連で総合判断 され ることとなる。 その際、
は、 ドイツのエ ッセ ンにあ り、4
0
0年の歴 史 を持
重要 になるのはイノベーシ ョンである。一見直 ち
つ重工業企業 で ある。1999年 にテ ィツセ ン社 と
には株主利益 につなが らない社会の要請であって
合併 し、テ ィツセ ン ・クル ップが誕生 しているが、
も、 それ を技 術 開発、 マーケテ イング、PRな ど
この新 しい クル ップで はない。本稿 で対象 と し
8
神奈川大学大学院経営学研究科 F
研究年報』 第 1
1号
2
0
0
7
年 3月
てい るクル ップ社 は1
812年か ら1
900年代 までの、
ける労使双方の協調による安定 した雇用関係、そ
いわば初期 クル ップ社である。なぜ そこまで時代
れ による人材の育成 と、「
失業 とい う恐怖」 か ら
をさかのぼ る必要 があるのか。 その理由は、初期
の解放。 さらには、専門家 (
マイスター) による
クル ップ社が、現在議論 されているCSRの中で も、 技術の向上 と企業内での効率的生産 といった経済
ドイツにおける失業問題 を中心的な考察対象 とし
的発展性 (
企業 内利益) について高 く評価 してい
た場合に、 きわめて優秀な企業であったことが挙
るのである。 こうした企業のあ り方 こそが、企業
げ られ るためである。本稿では田中洋子氏の執筆
内利益 と社会的利益の双方 を両立 た らしめるもの
した 「ドイツ企業社会の形成 と変容」に述べ られ
であると強 く信 じている。
ているクル ップ社の事例 に着 目し、 この文献 を中
心に考察 を進める。
クル ップ社は、 ドイツのエ ッセンで商業 を行 っ
812年 に鋳
ていた フ リー ドリヒ ・クル ップが、1
しか しなが ら、残念なことに現在の ドイツは失
業問題 に悩 まされている。 なぜか。 これ もクル ッ
プ杜の隆盛 と衰退について着 目す ることによって
その要 因の一部 を見 ることがで きる。
鋼実験所 を設立 したことに始 まる。 しか しこの実
クル ップ社 はアメ リカなどの先進国における資
験所 は経営破綻 して しまい、「
彼 が1
826年病死 し
本主義の波 に飲 まれ ることな く、マル クスが資本
"
とい う。
た時には鋳鋼所 は 「
廃嘘」同然であった」、
主義的生産過程 その ものの機構 によって、訓練 さ
しか し、 この廃嘘 を復活 させたのは、 フリー ドリ
れ、結合 され、組織 され る労働者階級の反抗 が増
ヒ ・クル ップの息子であるアル フレー ト・クル ッ
大 し、階級対立的な関係が激化す るとした 『
資本
プで あったo彼 は、「
手工業のマ イス ターに現場
論』 の考 えのようにはな らず、雇用者である企業
をまかせず、自らが経験の中で得た技能 と、 自分
と被雇用者である労働者 との労使協調路線によっ
が開発 した新 しい技術によって、直接現場 を把握
て発展 していったが、それ も様 々な労働環境 にお
しよ うと したの で ある。 この ことは、工場 内の
ける事件や対立 によって変化 を遂 げることとなる
む工場管
"
' のである.即 ち、①労働力構成 の変化、(
労働秩序 に対す る意識的管理へ もつ ながって」Y
いったのであった。
そ して時は流れ、イギ リスの産業革命以後の近
代化に伴い、クル ップ社 (ドイツの他の大企業 も
理者の変化、③労働者関係の変化、④賃金決定 を
め ぐる変化 といった変化によって次第に労使協調
が労使対立へ と移行 してい くことになるL
X
。
AJ
・
be
i
t
s
ge
me
ns
i
c
ha
t) と
f
含めて) は労働共同体 (
そ もそ も、クル ップ社において、その労使協調
呼ばれ る関係が形成 されていった。 この共同体関
を支 えていたのは、 ドイツにおける伝統 的なマイ
係 について、田中洋子氏は、次のように述べてい
スター制 とい うものであった.マイスターは現場
る。 「そこでは、長期勤続の基幹労働者 を中心 と
(
実地) での地道 な努力の末 に得 られ る称号 であ
して、職場の管理者 を含んだ密接 な人間関係 ・コ
り、職人である。 この職人が後輩である新任者 に
ミュニケーシ ョンが築かれ、企業 が労働者の生活
技術 を伝 え、その技術 を伝 えられた後輩 は さらに
の面倒 を見 ることを当然 と考 える労使双方の意識
後輩 に技術 を伝 える。 このよ うに して現場か らの、
が形成 されてい た。 自分の技能 の形成 か らは じ
いわば 「
たた きあげ」の職人が主要 な労働力であ
まって、家族 との生活 ・余暇などの暮 らし方、社
る現場の専門技術者の気持 ちを理解 しつつ、管理
会 的帰属意識や アイデ ンテ ィテ ィにいたるまで、
を行 っていたのである。
そこには企業 とそこで働 く人間 との長期的かつ全
人的なコ ミッ トメ ン トが見 られたのである」 とし、
よって、いわゆる資本主義的で非封建的な企業
経営 とは異 なってお り、様々な批判 を受 けてはい
ドイツの経済発展 を支 えたのはこうした大企業 に
た ものの、クル ップをは じめ とす る ドイツの大企
おける安定的労使関係であったとしている。
業 は他国 とは異 なった企業の発展経緯 をたどって
そ して、筆者 はこの点、即ち、 クル ップ社 にお
封建的」「
独
いった。批判 としては、「
家父長的」「
「ドイツ企業社会の再評価 とCSR」
裁政治」 といった言葉によって形容 されていたが、
9
④ 賃金決定 をめ ぐる変 化 につ いて は、1
8
9
0
年
実際の ところは ドイツにおいてマ イス ター制は暗
の賃金制度の一部改正 によ り、マイスターが賃金
黙の了解 といった精神的な一致 を労使共 に見てい
事務所 などとともに賃金の企業 内制度化 を進めて
点によって、変質 し
たのである。 しか し上述の4
い く主体 として位置づけ られ ることとなったこと
点 につ いて簡単 に説
てい くこととなる。以下 に4
を意味す る。そ して、マイスターの個別判断的な
明す ることとする。
現場 レベルでの賃金裁量権 が減少 し、結果、マイ
①労働力構成の変化については、労働者の独身
スターの地位 は低下 してい くことになったo
比率 が増大 したことが挙げ られ る。 この ことに加
点 につ いて、 クル ップ社 につ いて否定的
以上 4
え、勤続年数の短い労働者の増加 があ り、そ うし
な部分 を除 くと、企業経営の近代化 とい うコンテ
た結果、労働者の増加 に対 して、 クル ップ社の家
クス トで捕 らえることがで きると考 えられ るとは
族的な企業 を支 えていた一つの要 因である「
社宅」
いえ、事実 として、 クル ップ社の生産能力や管理
の数がその増加に追いつ けず、労働移動 も起 こっ
体制、そ して一番の長所であった 「
労使協調」 と
たために、クル ップ社 における労働者全体の性格
いった家族 的企業経営の風土 を失わせて しまう要
を変化 させ ることとなった。即ち、長期雇用、長
因 となったことは皮肉である。企業経営の近代化、
期的安定 といった もの を保つ ことが困難 になって
いわゆるイギ リス、 アメ リカ型の市場モデルが導
しまったのである。
入 され ることによって、 ドイツ特有の経営が変化
②工場管理者の変化については、それ までマイ
スターか らの管理者への登用が常であったクル ッ
し、それ まで維持 された企業 と労働者 との共同体
関係 に不信 を作 る要因 となったのである。そ して、
プ社において、管理 を上級職員や博士 といった高
9
0
0
年
この ことに決定 的な打撃 を与 えたのが、1
学歴 、高資格所有者 に任せ るようになったことに
前後の不況であった。 この不況 によって、いわゆ
よって、現場 と切 り離 された管理職員層の増大 を
る 「
合理化」がな され、一気 に労働者の不満 は頂
生んだ。 このことは工場の数が増大 したことも要
点に達す るOそ して結果的に、 アル フレー ト.ク
因であるが、現場の労働者か らは 「
現場 と管理の
ル ップの後継者であるフ リー ドリヒ .アル フレー
労働者の気持 ちを理解 し
禿離」、 い いかえれば、「
ト・
クル ップは労働者 との信用 を失 い、
彼のスキャ
ていない管理者の増大」 を意味す ると筆者 は認識
ンダル後の怪死 により、労使協調 は労使対立へ と
している。 したがって、クル ップ内で培われて き
移行 して しまう。
た現場 と管理の協調が維持で きな くなっていった
と見 ることがで きるO
こうした中で、2度 の世界大戦 を経験 した ドイ
ツは周知のように敗戦国 として経済 的に問題 をか
8
9
1
年 に営
③ 労働者 関係 の変化 につ いて は、1
かえることとな り、特に、東西 ドイツの分裂か ら
業条例が開成 され、 このことで雇用契約 とその解
統合 といった歴史的経緯 によって、西 ドイツへの
除の方法が規定 された。即 ち、法的にそれ までマ
東 ドイツ人失業者 の流入 、EUの当方拡大 による
イスターとい う専門的で尊敬 され る対象 として見
安価 な賃金労働力が ドイツ国内の失業率 を上昇 さ
られていたものが、マイスターと職員、化学者の
せ ることとなった。
垣根 を壊す ことにな り、結果的に 「
マイス ターの
誇 り」が失われて しまった。 これは法律改正当時
では、現在の ドイツではどの よ うなCSRに関す
る対応 が採 られ、現状 はどうなってい るのか。
にまだ 「
建前」であった身分の法的解釈が、時代
ドイツにおけるCSRの最大の関心事 は失業問題
とともにマイスターの地位低下に繋がることとな
である。 この ことは、 日本のCSRが環境問題 に端
り、労働 意欲、勤勉 さ等の 「マ イス ターのマ イ
CSR報
を発 し、環境報告書か ら環境 ・
社会報告書 、
スターたるもの」が次第に淘汰 されてい く契機 と
なって しまったのである
告書 とい う段階 を追 って企業の情報公開がな され
。
ていったことと大 きく異 なるところであろう
。
ド
1
0
神奈川大学大学院経営学研究科 『
研究年報』 第 1
1号
2
0
0
7
年 3月
イツにおいては、CSRとい えば労働問題、失業 問
環境保護、社会 的一体性 の維持 とい う3点 に含 ま
題 とい うことに重点 を置いて考 えられてい るよ う
れ るものである。 しか しなが ら、 ドイツにおいて
で ある。 それ は以下 の よ うなことか ら理解で きる。
はその特殊 な経済の史的発展経緯 によって、失業
即 ち、マル チステークホル ダー ・フォーラムの
問題 を重視 せ ざるを得 ない。 ドイツ統 計ハ ン ド
議長 は雇用社会総局 と企業総局が担当 し、環境総
ブ ック2
0
0
5
年版 で は、 図 3
-1
の よ うに失業者 の
局 には席 が与 え られ て い ない こ と。2
0
0
0
年の リ
総計 を発表 してい るが、 この図か ら、東西 ドイツ
スボ ンEUサ ミッ トで は環境保 護 がいわゆ る持続
の統合 によっていかに ドイツの失業率 が増加 した
0
0
1
年 の ヨー
可 能 な発展戦 略 に加 え られ たの は2
かがわか る。現在 では若干減少 してはいるものの、
テポ リサ ミッ トにおいてで あった こと (
それ まで
1
9
9
3
年 頃の急激 な増加 か ら、 ドイツ政府 は決 め
は雇用 と社会 的連帯 ・経済の競争力に焦点が絞 ら
手 となる解決策 を出せず に高 い失業率 が維持 され
れ た)。実 際 に深刻 な失業 問題 が存在 す ることと
て しまってい る。
さらに、図3
-2では ドイツ国内で も失業率 に格
い った こ とに よってで あ る。無 論企業 の社会 的
責任 と して 、CSRは環境保護 を無視 してはいない。
ドイツのCSRもこの点 は共通 してお り、経済 発展、
差 があることがわか る。 この図によれば、旧東 ド
イツに属 した州の失業率 が高 い ことが うかが える。
図 3-1
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05
出所 :ドイツ統 計ハ ン ドブ ック2
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5
年HTML版 よ り抜粋
図3-2
出所 :h
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6
年1
2月3
0日検索
「ドイツ企業社会の再評価 とCS
RJ
この よ うに、 ドイツでは失業率 が非常に深刻 で
ll
部分 と してその繁栄 に貢献 して きた。世界中に多
ある。 こうしたことに関連 して、 ドイツ国内では
くの従業員 を抱 え、多 くの製 品 を製造 ・販売 して
決定 的な解決策 を出せず にい るのが現状 で ある。
0億 人 の人 々 に及
い る。 その影響 力 は世 界 の約 1
しか し、 ドイツにおける個別企業の中には、 こ う
ぶので 、CSRについて も他社 よ りも進 んだ考 えを
さいた問題 に対 し積極 的に対応 を行 うことで、短
持 ってい る。
期 的な利益 ではな く、長期的利益 を見込んだ経営
(
2
) 独 自の行動規範 を自社 ・関連企業 ・取引先 に
計画 を実施 している企業 もある。本稿 では、 ドイ
適用
ツ企業 において、CSRに積極 的に取 り組 んでい る
企業 と して シーメ ンス社 を取 り上 げ、考察 を行 う。
4 ドイツ企 業 にお けるCSRに関す る取
り組み
例 えば、 独 自の 行 動 基 準 (
Codeo
fConduc
t
)
をつ く り、社 内 で実 践 す る と と もに、すべ ての
関連企 業 ・取 引先 に対 して その実 行 を求 めてい
る。 なぜ な らば、最終製品 は当社 の責任 となるの
で、部 品や材料 にCSRの観点か ら見て問題 があれ
本稿 で事例 と して挙 げた クル ップで はマ イス
ば、当社 が責任 を負 うことになるか らである。今
ター制 による共同体の維持 によって、長期 的、安
後 、CSRに関す る要求水準 は高 まるだ ろう。 当社
定雇用 を実現 していたが、それ は時代の流れ とと
ではそれ を先取 りしてい ると言 っていい。
もに変質 し、失敗 して しまった。 そ こで、現 在
(
3) 企業理念 において重視す る7つの価値
csRの中の雇用 につ いて意欲 的な企業 として、 ド
50
周年 を機 に、社員 ア ンケー トを実施 し、
創立 1
イツの総合電気 メ-カーであるシーメ ンス (ドイ
当社 の企業原則 (
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) で重要 な
ツ語ではジーメ ンス と発音)社 に着 目してみ よ う。
価値 を抽 出 した。 その結果、①顧客、(
ヨイノベー
シーメ ンス社 は、CSRに積極 的に取 り組 んでい
シ ョン、③優れた リーダーシ ップ。(
彰協力、①利
る企業 として、経済同友会 の報告書 に取 り上 げ ら
益 の連鎖 (
利益 が さらに利益 を生 み出す)、
①学習、
れてい る企業である。 その報告書の中では次の よ
(
うコーポ レー ト・シチズ ンシ ップ、が挙 げ られ た。
うにまとめ られてい る。
(
4) 「コーポ レー ト・シチズ ンシ ップ」 の推進
シーメ ンス (ドイツ)x
プ」 とい う考 え方 に基 づ き、(
∋我 々の知識 とソ
CSRについては、 「コーポ レ- ト シチズ ンシ ッ
・組織概要
リューシ ョンによって よ り良い社会 を生 む、⑦環
総合 電機 メ ーカ ー。 世 界 1
90カ国以上 で事 業
境 を保護す る、③人々の未来 を訓練 と教育 によっ
を展開 し、売上高 は約 8
70億ユ -ロ (
約1
0兆円)、
て築 く、④ ビジネス ・パ ー トナーに対 し、 イ ンテ
5万人。環境、企業市民等のCSR推進
従業員数約 4
グ リテ ィ (
誠実 さ) を持つ、①文化の多様性 をプ
に積極 的。 フォーチュ ン誌 「
最 も尊敬 され る企業」
ラスに してい く、 ことをめ ざしてい る。
ドイツ企業第4位、主要 なSRI
ファン ドやSRI
株価
(
5) 我 々はすでにベス トプ ラクテ ィス を実践
指数の構成銘柄 になってい る。
・面談者
M s・
Carmen E・
Kuehnl,
Corporate
我 々は、各国にある事業所 を通 じて、各国の文
化 に合 ったCSRを推進 してい る。すでに我 々はベ
ス トプ ラクテ ィスを実践 してい るので、 これか ら
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人事部政策 ・法務問題担 当/コーポ レー ト・シ
CSRを推進 してい こ うとす る企業 が集 まる 「
CSR
チズ ンシップ ・シニア ・コンサル タン ト)
・主 な内容
(
6)業績 が悪化 して もCSRを推進す るか
(
1
)長 い伝統の中で培 われて きたCSR
与 してお り、社会 の将来 の繁栄 がなければ長期 的
当社 は、長い伝統 の中で様 々な国々の経済の-
ヨーロ ッパ」 に加盟す る必要性 は感 じていないO
この問 いに対 して は、 「
我 々 は社会 の将来 に関
利益 を得 られ ない。苦 しい時期 だか らこそ、 よ り
1
2
神奈川大学大学院経営学研究科 F
研究年報』第 1
1号
長期的な視点 を持つ ことが重要であ り、短期的に
利益 をあげたとして も、それは自分の首 を絞 めて
いるだけの結果にな りかねない」 と答 える。
2
0
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7
年 3月
5 ドイツ企 業社 会 にお け るCSRに関 す
る課題 と展望
ドイツ企業社会 は1
800年代 か ら1
900年代 に大
以上 が経済 同友会 欧州調査報告書 2
00
3年版 に
よる調査結果である。
きな変貌 を遂 げ、そ して二つの大戦における敗戦
を経験 している。 こうした中で、多 くの優秀な人
このように、 シーメンス社はコーポ レー ト・シ
材が失われていったとい う歴史的経緯がある。
チズ ンシ ップ とい う考 え方 に基づいたCSRを、明
現在の ドイツ企業社会 におけるCSRの課題 はど
確な担当部署の下実施 してお り、 さらに、業績悪
の ような ものがあるであろうか。 これ まで再三に
化について も、従来CSRの推進 といった言葉が持
渡 り述べてきたように、 ドイツでは失業率の問題
つ 「
否定的な考 え方」 を長期利益のための投資で
が重要 な問題 となってい る。 この問題の要 因は、
あるとい う考 えによって実施 している。 また、当
企業 による経営政策が要 因だ といった単純 な もの
該企業のCSR報告書 には、 「
我 々は家族 を持つ従
ではない。現在の ドイツ政府の政策 と、 ドイツ国
業員に対 して様 々な支援 を提供 してい る、 (
子育
民の意識 に も要因があるとい う見解が存在す る。
てがひ と段落 して)再度働 き出す ことが容易にな
Fドイツ病 に学べ』 の著者熊谷徹氏 は、同書の中
るよう、パ ー トタイムで働 くことを認 めてい る。
で様 々な批判 を行 っているO 「
ユーロ高によって、
また、子供の保育 について も、様 々な方法で支援
かろうじて世界の 目か ら覆い隠 されているものの、
をしている。オ ランダでは、幼稚園の費用の半額
ドイツ主導で作 られた安全装置 を、 ドイツが自ら
を会社が負担 している。 ドイツでは、地元の幼稚
の手で壊 す とい う、傍若無人の振 る舞いは、 この
園 との協力に加 え、外部機 関 と協力 し、従業員が
国が財政赤字や公共債務 を、十分 コン トロールで
子供の面倒 を見て くれ るヘルパ ーを探す ことを支
きな くなってい ることを示 してい る」
x
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i
と ドイツ
援 しているo さらに、ドイツでは、
ベ ビーシッター
政府 の体制が現在 EU内で問題 となってい ること
を探す ことの支援、学校 が休みの間子供が参加で
を示 し、 さらに国民意識 につ いては、「ドイツ人
きる様 々な活動 を組織す ることも行 ってい る。ベ
は個人主義的な性格 が強いので、自分 を曲げてま
ルギーでは従業員の子供が病気 になった際の治療
で他の仕事に就 こうとは しない。 日本 とは違 って
」
費負担の支援 を してい る x
i
としてお り、積極 的に
「
恥の感覚」 が弱 く、「
周囲の 目」 を気に しないの
社会貢献活動 をしていることが理解で きる。 また、
で、 「
仕事が見つ か らないのは自分 が悪 いのでは
このCSR報告書における文章 は、クル ップ杜が企
な く、社会 が悪いのだ」 と開 き直 って しまう人が
業内において行 っていた医療負担 とも重 なるもの
多いのだ。 さらに、旧約聖書 には、アダムとイブ
があり、 まさしく、クル ップ社の企業のあ り方 を、
が禁断の実 を食べたために、神 によって楽園か ら
さらにグローバルに展開 してい るもの として、筆
追い出 され るとい う話 が出て くる。彼 らは、楽園
者 も高 く評価で きるものであると考 えている。
では働 く必要 がなかったが、追放 された後は、罰
このよ うに、現在で も ドイツではCSRに対 して
として、労働 によって 日々の糧 を自分で得 ること
積極的に取 り組む企業 が存在す る。そ してその源
を命 じられ る。 このため、 ヨーロッパでは 「
労働
泉 をたどれば、決 してCSRの考 え方 は、新 しい も
は、神 か らの罰であ り、 しないに越 したことはな
のではな く、 クル ップ社の事例 を見てわかるよう
い もの」 とい う潜在意識がある。 日本 とは違 って、
に、CSRとい う専門用語が無 かった時代か らも存
他人が働 いている時に休んでいると良心が とがめ
在す るものであった。
た り、労働 を手放 しで肯定的に見た りす る人 は少
ないのだ。 この ことも失業者 が開 き直 る原因の一
つだろう」
x
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としている。
「ドイツ企業社会の再評価 とCS
RJ
1
3
無論 、 こ うした見解 には主観性 が強 い ものが多
は 日本 ・ドイツに とって有益 な ことで あった と思
いが、 しか し同氏の ドイツ滞在 の経験 、 そ して体
われ る。 しか しなが ら、残 念 な ことに、両 国 とも
験 か ら得 られ た貴重 な情報で あることは確 かで あ
に、 「
過去 の もの は悪 」 で あ る とい う風 潮 が強 い
る。
よ うに思 われ る。
ドイツでは、 これ まで 日本人が考 えて きた 「ド
CSRの遂行 に伴 い、組織 内においては全体 的 な
イツ人 は勤勉 で実直 で ある」といった 「
一般論」が、
精神 的一致や団結、即 ち全社 的 な共通認識 が必要
価値観 の変化 が要 因 とな り、様 々な問題 を惹起 し
で あるとい うのが筆者 の見解 で あ る。 しか し、 こ
てい るので あ る。 よって 、CSRに関 して も同様 に、
の全社 的な共通認識 の元 とな る一致 団結 とい った
今後 の ドイツ企業 が、 ドイツ企業社会独 自にCSR
ことは、いわゆ る全体主義 とい ったマ イナスの イ
の基本路線 を設定す ることは困難 であ り、 ドイツ
メージを惹起 させ ることもあ る。筆者 は ドイツに
のCSR優 良企業 、 そ して海外 のCSR優 良企業 と さ
おけ るナチズ ムや、 日本 にお け る帝 国主義 といっ
れ る企業の技術 を援 用 しつつ、発展 させ ることが
た全体主義 を肯定す る もので はない。 だが、 その
重要 で あろ う。
全体主義 の中に も、人 間 に必要 な何 かがあったの
おわ りに
で はないだ ろ うか。
筆者 は、頭 ごな しに過去 を悪 と し、戦後 を善 と
ドイツにおいて、 クル ップ社 は、CSRとい う用
す る価値観 では、人類 の発展 はない と考 える。今
語 の無 か っ た時代 か ら現 在 CSRと呼 ばれ て い る
回事例 と したクル ップ社 は、有名 な軍需産業 の担
もの につ い て実 施 し、一 時 的 な成 功 を収 めて い
い手 で もあった。 それ はクル ップ とい えば、大砲
た。 しか しそれ は時代 の流れ についていけずに衰
といわれ た時代 が あ った こ とで も知 られ て い る。
退 して しま う。 その主 な要 因は企業経営の近代化
しか しそ う した企業 の中で、従業 員満足 を叶 えて
によって、封建 的、家父 長的な経営 が 「
良 くない
いた時代 もあったので あ る。即 ち、現代 の企業 も
もの」 とされ、 いわゆ るイギ リス ・アメ リカ型 の
学ぶべ きところが多い ことを意 味す る。今後の筆
市場 モデル が台頭 して きた こと、 さらに労働者 の
者 の研究 において もこ うした 「
温故知新」 とい う
価値 観 の変容 、 そ して不 況 に よ る企 業 の 変化 で
姿勢 での研究姿勢 は重要 で あ る と考 え られ る。
あった。企業 は人 間の組織 で あ り、かつ社会 との
CSRの研究 は、過去 の偉大 な企業 家達 の遺産 か
双方 向の影響 を受 け る生物 と言 い換 えることもで
ら、現代 の新 たな価値観 を有機 的 に結合 させ て こ
きるオ ープ ン ・システムであるO様 々な影響 を受
そな りたち、 この ことは、他 の研究 に も同 じこと
けつつ、企業 はその内容 を変化 させ てい く。 しか
が言 えると筆者 は信 じて い る。
し、変化 しないのは、企業 が社会 的な存在で あ る
至極 当た り
とい う点で あ る。CSRはそ うい った 「
前」 の ことを再認識 させ る概念 で あろ う。
ドイツのCSRにつ いて研究 を行 う場合 、筆者 は
日本 との比較 を常 に頭 に思 い描 いて い る。 とい
うの も、 日本 のCSRと ドイツのCSRの相互補完 に
よって、新 しい、且つ、 よ り水準 の高 いCSRの基
参考文献
『
ニ ック リッシュの経営学 』 同文
大橋 昭一編 著
館
1996年
ギ ュ ンタ一 ・ドゥル ーゴス講演
高橋 由明訳 『
企
業利害 と疑わ しい倫理 指針要 因 と しての公共
盤 が構 築 で きるので はないか と考 える為 で あ る。
2巻 4号
の福 祉 』 商学 論 纂 第 3
日本 も ドイツ も第二次世界大戦での敗戦 によって、
学研究会
価値観 が大 き く変 わ った とい う共通点 をもってい
中央 大 学 商
高巌他者 『
企業 の社会 的責 任 』日本規 格 協 会
る。 この価値 観 の変化 の中の大部分 は良い変化で
2
0
0
4
年
あ り、 さらに高度 な技 術発達 を促 した とい う側面
田 中照純 著
『
現代 ドイ ツ経営 経済 学』 税 務経理
1
4
神奈川大学大学院経営学研究科 F
研究年報』 第 11号
協会
1
99
7年
田中洋子著
r
‖田 中洋 子 著 『ドイ ツ企 業 社 会 の形成 と変 容 』
『ドイツ企業社会 の形成 と変容 』 ミ
ネル ヴァ書房
藤井敏彦著
p50 ミネル ヴ ァ書房
…
『
上掲書』
2
001
年
、
'
『ヨーロ ッパ のCS
Rと日本 のCSR』
日科技連 出版社
2
0
0
7
年 3月
2005年
松野弘 ・堀越 芳明 ・合 力知工編著
F
r
企業の社会
的責任論」 の形成 と展 開』 ミネル ヴ ァ書房
2006年
2
001
p
5
1
Ⅹこの4点 は田中洋子 氏の書籍 の 中で詳 しく述べ
】
られてお り、筆者 はその項区分 による区分に倣 っ
て区別 した。 よって、筆者 独 自の 区分 で はな く、
田中氏の区分である。 この区分は筆者 も同調す る
ものであ り、適切 な もので あると判断 してい る。
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f 経済 同友会欧州調査報
003年 2
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06年1
2月6日検索
告書 2
RR2003の文章 で あ るが、筆
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iシ-メ ンス社のCS
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" 明治大学学会冊子
2
002
年
ドイ ツ統 計ハ ン ドブ ック2
005年 HTML 2
006年
12月6日検索 (
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2006年 12月6日検索
脚注
i高巌 他著 F
企業 の社会 的責任 j pl
l 日本規 格
協会
2004年
"ギュ ンタ一・ドゥル ーゴス講演
高橋由明訳 『
企
業利害 と疑 わ しい倫理指針要 因 としての公共の福
祉』 商学論纂第 3
2
巻4
号
中央大学商学研究会
■
1
】『
上掲書』p
p92
-93
1
、ギュ ンター・ドゥル ーゴス講演
高橋 由明訳 『
企
業利害 と疑 わ しい倫理指針要 因 としての公共の福
祉』 商学論 纂 第 32
巻4
号
中央大学 商学研究会
p9
4
、
'『
上掲書』p
98
、
′
■経済 同友会編 『
第1
5回企業 白書』p
p2
3
-2
4
Rと 日本 のCSR』p2
7よ り抜 粋 したいわ ゆ る
のCS
二次資料で ある。一次資料 につ いては、最新版 を
今後入手予定
i
i熊谷徹著
x
『ドイツ病 に学 べ』 p
32 新潮選書
2006年
x
i
i
i『
上掲書』p
p58
-59
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