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海外旅行 の 夜 明 け
海外渡航自由化50年特別企画 第1回 海外旅行の夜明け ﹁社内では、旅行会社としてのアイデ し、自由化と同時に海外旅行に出発でき ンティティを確立すべしとの考え方があ るようにしました﹂と、当時を振り返っ げて支配的であり、まだ 代で海外旅行 ています。 1964年4月に観光目的の渡航が自由化されてから 年という節 2014年は、 部門の係長だった自分のような若手社員 渡航自由化当初は、スイス航空の 目を迎えます。半世紀に及ぶ日本人による海外旅行の歩みの中で、黎明期から発展 もトップの方針に沿って大いに張り切っ ﹁プッシュボタン﹂を皮切りに、日本航 期、成熟期を経て、﹁観光立国﹂ の時代を迎えた 世紀の今日にいたるまで、 マーケット 形成と旅行スタイル確立のプロセスにおいて、旅行業界は極めて大きな役割を果たし たものです﹂ 空の﹁ジャルパック﹂、エールフランス てきました。この連載企画では、歴史の現場に立ち会ってきた関係者の皆さんの証言 1968年 月、JTBと日通が海外 の﹁セシボンツアー﹂、パンアメリカン などを通じて、旅行業界の歩みを振り返ります。 主催旅行で業務提携することを発表し、 航空の﹁パンナム・ホリデー﹂、ルフト 1969年 月には共同ブランド商品 ﹁ルック﹂を発売。翌1970年には、 ハンザ航空の﹁オイローパツアー﹂な ど、航空会社主導型のツアー商品開発が 日には、経済協力開発機構 ︵OECD︶への加盟が実現し、日本の 郵船航空サービスの﹁ダイヤモンドツ 次いでホールセール商品が発表され、 の参入に社内の機運が一気に盛り上がり ました﹂と語り、﹁金融機関とタイアッ 議論も勢いを増していきます。 す。 松橋相談役は、次のように述懐していま きもの﹂という若き日の信念を振り返る 行商品を熟知している旅行会社がやるべ ﹁旅行本来のマーチャンダイジングと いうものは、多様な要素で構成される旅 ディ﹂、日本旅行の﹁マッハ﹂など、相 アー﹂や近畿日本ツーリストの﹁ホリ めたのです。 アジアで初めてとなるオリンピック東 ﹁航空会社が独自ブランドでツアーを 京大会の開催を半年後に控えた1964 積極的にPRして宣伝機能を果たし、旅 1997年から2002年まで JATA会長を務めた松橋功JTB相談 行会社は企画と現地手配に徹するという 回 ホールセーラーを軸とする海外旅行商品 500ドルまでの外貨持ち出し制限付き 月、観光目的の渡航が 人年 役割分担により、一丸となって新たな市 の流通機構が固まっていくことになりま 年 場開拓と需要開発に積極的に取り組んだ で自由化されました。 F その前月に、国際通貨基金︵IM ︶ 条国への移行がIMF理事会で承認さ 役は、﹁渡航自由化 年前の1962年 には、海外旅行業務の拡大に向けて大量 1 れて、円が交換可能通貨となったのに続 プして海外旅行のための積立預金を企画 相次いだホールセールブラ ンドの登場 す。 進みました。 月 30 国際化が目に見える形で加速的に動き始 き、 11 1 ︵松橋相談役︶ ︵この項つづく︶ 行の歴史の原点だったように思います﹂ その自負と矜持は、半世紀に及ぶ海外旅 持に裏打ちされたものでした。そして、 トールを守らなければならないという矜 う強い自負は、旅行会社のレーゾンデ ﹁旅行会社が企画して造成する旅行商 品こそ、消費者に支持されるものだとい オーバーナイトバッグを肩にタラップを昇る 姿からは、海外旅行の高揚感が伝わってくる ようです(写真提供:株式会社ジャルパック) ホールセール業務に乗り出すべきという 航空会社の主導によるツアー商品開発 が進む一方、旅行会社側では、本格的な 1965 年 4 月、ヨーロッパへ向けて出発する直前のジャルパッ ク第 1 陣ツアー参加者ら(写真提供:株式会社ジャルパック) 1 黎明期における若き業界人の「自負と矜持」が「半世紀に及ぶ海外 旅行の歴史の原点だった」と語る松橋 JTB 相談役 2 4 8 -$1-$7$&RPPXQLFDWLRQ ⑥北マリアナ諸島全14島を合わせた総面積は、約470平方kmで、東京23区の約( )の大きさに相当する。 a 3分の1 b 半分 c 5分の4 d 1.2倍 50 ものです﹂︵松橋相談役︶ 旅行会社と航空会社が一丸 で市場開拓 1 21 4 の大卒採用が行われ、新たな事業分野へ 海外旅行の歩みとこれから