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1.社会学研究科の変遷と社会学専攻 [PDFファイル/2.1MB]

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1.社会学研究科の変遷と社会学専攻 [PDFファイル/2.1MB]
Ⅲ 大学院
黒川純一などである。非常勤の先生方の多くは、その後
1. 社会学研究科の変遷と社会学専攻
専任として務められた。また当初語学の先生として迎え
1949(昭和 24)年の学制改革で本学も新制大学とな
られ、その後社会学の教員になられた福鎌忠恕・斉藤和
り、それまで旧制文学部にあった社会学科は新制文学部
正もいた。
創設当初の第一期それに続く第二期において、
にそのまま移行した。その後、1952(昭和 27)年に大
本学の大学院は社会学理論・社会誌学・民族社会学(文
学院が設置され、社会学は、哲学・仏教学・国文学と並
化人類学を含む)の 3 分野を中心に研究体制が組まれて
んで文学研究科の社会学専攻として修士課程が設けら
いたのである。
れ、2 年後の 1954(昭和 29)年に博士課程が設置され
平成に入って第 3 期を迎えるが、そこでは大川信明・
た。学部はその後、1959(昭和 34)年に文学部から分
高木宏夫・藤木三千人・岩井弘融・小林幸一郎・広瀬英
離し、それを契機に大学院も社会学研究科(修士課程・
彦へと随時、世代交代が進み、さらに竹内郁郎・高橋直
博士課程)として独立した。この時に、社会学研究所も
之・末成道男・船津衛を経て、現在のスタッフに至るの
正式に発足した。その後、社会学研究科は、1966(昭和
である。
41)年に社会学専攻の他に社会福祉学専攻(修士課程)
社会学専攻の修了者数をみてみると、博士前期(修
を設け、1978(昭和 53)年には同博士課程も開設した。
士)課程の修了者は、1955(昭和 30)年から 1960(昭
さらに 1996(平成 8)年には、夜間大学院として福祉社
和 35)年まで文学修士は 15 名で、1961 年から 2008(平
会システム専攻(修士課程)が発足し、社会学研究科は
成 20)年までの社会学修士は 264 名である。また、博
3 専攻となった。また 2004(平成 16)年には新たに社
士(後期)課程を修了し、かつ大学院学位規則第 5 条に
会心理学専攻(修士課程後に後期課程)が設置され、社
基づく「課程による」社会学博士の学位を取得した者は、
会学研究科は 4 専攻になった。その後、2006(平成 18)
1971(昭和 46)年から 2008(平成 20)年までで 31 名
年には社会学研究科から社会福祉学専攻と福祉社会シス
である。この課程博士(甲)の他に、いわゆる論文博士
テム専攻が離脱し、福祉社会デザイン研究科に加えられ
(乙)の社会学博士号取得者は、1975(昭和 50)年から
た。その時点で社会学研究科は社会学専攻と社会心理学
2008(平成 20)年までに 19 名である。
次に社会学専攻の授業科目を 1966(昭和 41)年度と
専攻の 2 専攻体制となり、今日に至っている。
大学院社会学研究科の修士・博士課程は、1978(昭和
53)年の大学院学則改正により、それまでの修士・博士
2009(平成 21)年度を比較すると、その間の学問の進
展と研究教育指導の状況の一端を覗うことができる。
の区分から、名実共に一貫した博士前期・後期課程にな
った。
大学院を支えた教授陣は、錚々たる人たちであった。
学部創設に尽力された米林富男・呉主恵教授を中核にし
て、全国の有数の大学からその分野の第一人者を招聘し
た。東大から戸田貞三(家族社会学)・千葉雄次郎(広
報学)、金沢大から田辺寿利(フランス社会学)
、北大か
ら鈴木栄太郎(農村社会学)、都立大から小山隆(家族
社会学)
・磯村英一(都市社会学)らである。設置当初
の教授陣を第 1 期(昭和 30・40 年代)とすれば、それ
に続いて第 2 期(昭和 50・60 年代)にも多くの研究者
を迎えた。専任では望月衛・那須宗一・高橋統一・山下
袈裟男、非常勤では福武直・菊池綾子・小野秀雄・横江
勝美・牧田稔・木田徹郎・久山満夫・森本照夫・村田宏雄・
馬淵東一・古野清人・土井正徳・城戸幡太郎・三原信一・
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Ⅲ 大学院
1966(昭和 41)年度 社会学研究科修士課程授業科目・単位数
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Ⅲ 大学院
2009(平成 21)年度 社会学科研究科 博士前期課程 授業科目・単位数
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2009(平成 21)年度 社会学研究科博士後期課程 授業科目及び研究指導
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Ⅲ 大学院
以上のように、本研究科は上述の前史を含め 50 余年
の歴史をもち、わが国有数の指導的な社会学者たちによ
って築かれた伝統を継承しつつ、新たな展開を図って今
日に及んでいるのである。本研究科出身者の多くが、内
外の諸大学・研究機関・官公庁・企業・施設などで優れ
た業績をあげ、広く社会に貢献していることはいうまで
もない。
最後に「白山社会学会」について触れておきたい。こ
れは、本研究科出身者有志により、1964(昭和 39)年
に発足し、一時の中断を経て、1983(昭和 58)年に再
開され、今日に至っている。2008(平成 20)年には、
白山社会学会 25 周年を迎え、その大会において奥田道
大による「白山社会学研究の原点と未来」が報告された。
その全文を含め記念特集号が『白山社会学研究』第 16
号として 2009 年 3 月に刊行された。この学会は本社会
学研究科の研究教育活動と密接な関係にあり、今後より
一層の充実がはかられることが期待される。
(細井洋子)
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