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『日本之法律』 にみる法典論争関係記事 (一 )

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『日本之法律』 にみる法典論争関係記事 (一 )
267
博
法律論叢 第八〇巻 第四・五合併号︵二〇〇八・二︶
︻資 料︼
一
もっぱら、明治法律学校・和仏法律学校︵断行派︶と東京
の研究者によって利用されてきた。しかし、この資料集は、
争の研究にとって依拠すべき不可欠な資料集として、多く
法典論争資料集﹄︵日本評論社、一九六九年︶は、法典論
上
﹃日本之法律﹄にみる法典論争関係記事︵こ
目 次
一、はじめに
二、﹃日本之法律﹂の法典論争関係記事
A.第一巻︵明治二一∼二二年︶
B.第二巻︵明治二三年︶ ︵以上、本号︶
C.第三巻︵明治二四年︶
D.第四巻︵明治二五年︶
E.第五巻︵明治二六年︶
F.第六巻︵明治二七年︶
、はじめに
これまでも何度か指摘してきたように、星野通編著﹃民
村
法
叢
268
論
律
治大学総合図書館、東京大学大学院法学政治学研究科附属
誌のバックナンバーを通覧することは容易ではないが、明
を取り上げて、関係論稿を翻刻することにしたい︵なお同
とも法典論争関係の記事を豊富に含んでいる﹃日本之法律﹄
そこで、本稿では、まず、一般的な法律雑誌の中でもっ
なければならない。
聞からも、関係する論稿が掲載されるべきであったと言わ
要な舞台となった法律学校機関誌以外の多様な諸雑誌・新
会全般に拡がりをもっていた点からみると、法典論争の主
二一二の法律学校や法学派間の争いにとどまらず、ひろく社
ては、まったく収載されていない。法典論争をめぐっては、
の諸雑誌や、各地の新聞などに掲載されていた論稿につい
る︶、明治中期の多様な法律雑誌、さらには政治・経済関係
れてい惹にすぎず︵くわえて、重大な誤植脱漏も散見され
大学・東京法学院︵延期派︶の機関誌から諸論稿が収集さ
﹁社会一般ノ人ガ法学ノ大要ヲ知リ人々権利義務ノ所在ヲ
と法を運用する人材の養成にあることはいうまでもないが、
グルヲ得ベシ﹂。法学の隆盛を図る目的は、﹁法律ノ改良﹂
家ノ欠乏ヲ鳴スモノア﹂るため﹁若シ此事ニシテ完全スル
マこ
ヲ得バ吾人ガ熱望スル所ノ条約改正ノ如キモ立ロニ之ヲ遂
モノハ決シテ偶然二非ズ外人ハ常二我邦法律ノ不備、法律
ルハ他ノ学科ノ遠ク及バザル所﹂であるが﹁其然ル所以ノ
ノ一科﹂であり﹁目下日本ノ学海ヲ観察スルニ法学ノ盛ナ
中我邦開国以来最モ進捗ノ迅速ナリシヲ感スルモノハ法学
ノ法律発見こ付キ感ズル所アリ﹂は、次のように言う。﹁就
同誌創刊の目的について、創刊号巻頭の伊藤悌治﹁日本
多くの定期刊行物を発免していたことでも知られている。
本之少年﹄﹃日本商業雑誌﹄﹃幼年雑誌﹄﹃婦女新聞﹄など数
知られており、また、﹃法学協会雑誌﹄﹃日本大家論集﹄﹃日
博文館は、ボアソナードによるプロジェの刊行元としても
平、編輯人は内山正如、発行所は博文館︵東京︶であった。
悟﹂る必要がある。ところが﹁現今訴訟ノ有様﹂を見ると
近代日本法政史料センター︵明治新聞雑誌文庫︶、法政大学
ボアソナード記念現代法研究所などの諸機関に断片的に所
義務ヲ免カレンコトヲ企テ望ベカラザルノ権利ヲ伸ベント
﹁徒ラニ幾多ノ費用ト日月トヲ消失シ到底免カル可ラザルノ
﹃日本之法律﹄︵欧文表題は、日げ①日窒・・oこε㊤ロ︶は、明
欲シ或ハ初メニ当テ予防スベキ手段アルモ之ヲ防ク所以ヲ
蔵されている︶。
治二一︵一八八八︶年二月二九日の創刊で、発行人は大橋佐
r日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
269
伊藤は、条約改正を睨みながら、一般民衆に法律知識を
スハ其主旨実二此ノ点二在リ﹂と。
ル也吾人今ノ時二於テ法学雑誌ノ刊行万已ム可カラスト為
望セル所ノ条約改正ノ如キモ寛二得テ其完成ヲ観ル能ハサ
安逸ノ生計ヲ営ム能ハズ又今日二於テ最急ヲ要シ吾人ノ熱
シテ之二非レバ以テ吾人天賦ノ福祉ヲ保全スル能ハズ吾人
スルニ法律ヲ一般人二知ラシムルコトハ今日ノ最急要務ニ
ハ今日ノ訴訟其ノ半ヲ減ズルコト得テ期スベキナリ・:要
セズンバアラズ若シ人民一般二法律ノ大要ヲ知リ得ルノ日
知ラ﹂ないものが多い。﹁是レ畢寛法律上ノ智能ナキニ職由
見︶などから知られるように、法典断行派の立場をとって
商諸法典の発布に接して﹂︵第二巻五号、明治二一二年五月発
学派の利害を代弁している雑誌とは言えないが、館説﹁民
確かに、﹃日本之法律﹄は、いずれかの法律学校あるいは
しないという点が同誌の特徴として強調されている。
と述べ、法律知識の一般的普及に加えて、英仏独学派に偏
ヲ酒養シテ弥ヨ法理二通ゼシメントス
テ以テ法理ノ所在ヲ明カニシ読者ヲシテ益々法律思想
請フテ其ノ議論ヲ得且ツ古今内外ノ成典判例ヲ渉猟シ
リ故二今﹁日本之法律﹂ヲ発行シ広ク英仏独ノ法家二
さらに、第二号以下︵表紙裏面︶に掲載された﹁緒言﹂
編の論稿と六〇余編の雑報記事を翻刻することにしたい︵な
以下、明治二一年二月の創刊から二七年末までの、七〇余
いたことは明白である。
では、
お、既に別稿で翻刻済みのものには★印を付して略した︶。
普及させる必要性を強調しているのである。
世間法理ヲ講ズルノ学校多シト錐トモ少壮ニシテ学問
モノアラス仏ニアラズンバ則チ独、独ニアラズンバ則
モ世上幾多ノ法律雑誌皆一方二偏シテ普ク網羅シタル
リ各々法理ヲ研明シテ就学以外一般ノ人二資ス然レト
一般ヲ利スルニ足ラザルナリ是二於テ乎雑誌ノ発行ア
川島一策﹁成文法ヲ採ランカ将タ不文法ヲ採サンカ﹂
雑報﹁民法草案文章修正所の設立﹂二号 四月
第一巻 一号 明治二一年二月
雑報﹁独逸民法草案ノ完成﹂
収録記事一覧
ノ余暇アルモノニシテ始メテ之ヲ入ルヲ得ルノミ以テ
チ英、各々自ラ守リテ他二及バズ本館弦二感ズル所ア
270
第二巻 一号 明治二三年一月
雑報﹁法典編纂﹂ 二号 二月
五月
奥田義人﹁法律上商人ノ性質如何﹂
雑報﹁商人帳簿備置の義務﹂﹁庶子の制に就て尾崎氏の意
四号
雑報﹁独逸民法草案﹂・﹁法律取調委員﹂
批評﹁法典論︵穂積陳重著︶﹂ 四号 四月
見﹂ 三号 三月
館説﹁民商諸法典の発布に接して﹂
七月
伊藤悌治﹁法典編纂二付キ当路者ノ注意ヲ乞フ﹂
六号
雑報﹁会社条例﹂﹁法律取調委員局﹂
訴訟に及ぼす効力﹂ 五号 五月
雑報﹁道徳家の非難11法律家の冷笑﹂﹁奇又奇﹂﹁新法典の
奥田義人﹁法律ノ制定﹂
平山鐙太郎﹁英法学者は新法典を如何すべきや﹂
一月
坪谷善四郎﹁法律学に党派を要するか﹂
中村清彦﹁怯典威厳論﹂
一〇号
雑報﹁有夫の婦人の無能力﹂﹁婚姻の故障﹂
二
二 号 一一月
雑報﹁女権論者の相続説﹂﹁成典案の論評者﹂
に
就
て
﹂
二
一 号 九月
雑報﹁箕作司法次官の演説﹂﹁商法草案に於ける商家の屋号
一
七 号 六月
雑報﹁法典編纂尚ほ早し﹂﹁而して又﹂
坪谷善四郎﹁法学士会、法典編纂を非難す﹂
意見を駁す﹂︵二︶ 八号 八月
館説﹁帝国民法錯誤の合意に対する法学士山田喜之助君の
簡﹂︵続︶ . 七号 七月
雑報﹁某雑誌記者の非法典論﹂﹁博士ボアソナード氏の書
意見を駁す﹂︵一︶
館説﹁帝国民法錯誤の合意に対する法学士山田喜之助君の
の書簡﹂ 六号 六月
雑報﹁喜ふは何故ぞ”憂ふるは何歎﹂﹁博士ボアソナード氏
平井恒之助﹁用益権の真性を論じて帝国民法の規定に及ぶ﹂
園田費四郎﹁新法典﹂
森島弥四郎﹁日仏民法比較論﹂ 九号 九月
明治二二年三月
﹁
法
典
編
纂
宜
し
く
断
行
す
可
し
﹂
﹁山田法律取調委員長﹂
雑報
一四号
法律論叢
「日本之法律1にみる法典論争関係記事(一)
271
坪谷善四郎﹁学派に偏する勿れ、先輩に雷同すること勿れ﹂
雑報﹁商法延期の発議者﹂﹁此の有様を見よ﹂
坪谷善四郎﹁商法延期論者説ありや﹂
八号
渋谷三郎﹁新商法に対して二一二の所見を述ぶ﹂
○月
館説﹁異なる哉穂積博士の論﹂
一〇号
伊藤英失﹁婚姻有効の条件に関する一疑問﹂
錦城学人﹁非法典論者の屍理屈﹂
日乃見松外﹁法律学派の争を論ず﹂九号
中村清彦﹁破産法施行の速かならんことを望む﹂
一月
涌井武次郎﹁英法を学べるものに告ぐ﹂
一一号
雑報﹁商法は遂に延期せられたり﹂﹁伝へ言ふ﹂
八月
雑報﹁商工会起案の商法修正案﹂﹁猪喰た報ひ﹂
九月
館説﹁商法の討究を怠る勿れ﹂
一〇号
天狂道人﹁法学界の人物評︵江木衷・山田喜之助︶﹂
雑報﹁大坂に於ける商法実施延期後の状況﹂﹁商法施行延期
館説﹁読商法修正意見書﹂︵一︶
明治二四年一月
の善後策﹂ 二号 二月
熊倉 操﹁商法実施期限に就ての意見﹂
第三巻 一号
雑報﹁英法学者と仏法学者−犬と猿﹂
雑報﹁穂積新法学博士は眠れるか﹂﹁商工会起案の商法修正
二月
一月
○月
三号 三月
案﹂﹁商法修正に関する建議書﹂一一号
漫言﹁御病気見舞﹂
﹁民法理由
四月
雑報﹁民法の改正は之れを急遽にすへからず﹂
書﹂﹁商法理由書﹂ 四号
天狂道人﹁法学界の人物評︵土方寧︶﹂
雑報﹁好商の喜11国家の憂﹂﹁意外の反対二つ﹂
=一号
雑報﹁商法一部施行の建議﹂﹁二幅対﹂
横田千之助﹁学派軋礫調和の時機﹂
五月
七月
六月
雑報﹁法治協会﹂﹁法学新報﹂ 五号
福岡禎三﹁帝国民法の一大疑問﹂︵こ
六号
館説﹁坪谷君の為に疑を解く﹂
坪谷善四郎﹁民法の人事編に就て﹂七号
法
272
叢
論
律
寺尾
館説﹁某雑誌の法典批判﹂
如水剣客﹁法律論評﹂
第四巻 一号 明治二五年一月
二月
雑報﹁内閣諸公の意は如何﹂﹁ア・咄々怪事﹂︵貴族院の法
中村清彦﹁我国の家制と民法﹂
二号
三月
亨﹁民法の修正は急遽にすへからす﹂
三号
典実施延期説V﹁延期論者の親玉村田保﹂﹁大日本教育会
雑報﹁法典施行と内閣の意見﹂
館説﹁法典は須らく断行すべし﹂
の法典調査﹂ 七号 七月
如水剣客﹁法典論評﹂
飛花落葉﹁穴探しの穴探し﹂
館説﹁日報記者また病に罹るか﹂
石尾一郎助﹁商法偶言﹂
要なしと説くは果して何の心そや﹂
梅謙次郎﹁葡国の領事裁判権撤去を見て直ちに法典断行の
館説﹁法学新報の法典非難﹂
館説﹁民法及商法交渉問題﹂
塩入太輔﹁自由の行はれざる国には裁判上の慣例なし﹂
中村清彦﹁我国の家制と民法﹂
四月
福島要三郎﹁新民法証拠篇第七十二条を読﹂
横田千之助﹁限定受諾の相続に就て﹂
四号
如水剣客﹁法典論評﹂
伊藤武寿﹁事務管理に関する帝国民法の疑義を論ず﹂
如水剣客﹁法律論評﹂
雑報﹁法典施行延期論復た起る﹂
雑報﹁臭虫の身知らず﹂ほか 五号 五月
雑報﹁大日本教育会と法典延期論者﹂
如水剣客﹁法律論評﹂
雑報﹁教育会委員の法典調査報告﹂九号
如水剣客﹁法律論評﹂
館説﹁民法及商法交渉問題﹂
九月
八月
鬼頭玉汝﹁我国法律学の前途﹂
雑報﹁唯夫れ法典問題か﹂︵法治協会﹁弁妄書﹂★︶ほか
館説﹁法典は断行に決せん﹂
八号
六号 ⊥ハ月
天狂道人﹁旧慣保持論の結果﹂
館説﹁ア・咄々怪事﹂
r日本之法律』にみる法典論争関係記事(一)
273
荒井訟三郎﹁民法と民事訴訟法の矛盾﹂︵続︶
飯田宏作﹁法律は人生処世の縄墨と沿革の趣を一にす﹂
一〇号 一〇月
雑報﹁教育会委員の法典調査の報告﹂
荒井訟三郎﹁民法と民事訴訟法の矛盾﹂
館説﹁法学新報の法典非難﹂
雑報﹁法典調査結了の期﹂ 一〇号
ボアソナード﹁日本の旧風習及新民法﹂︵四︶
水野錬太郎﹁商事と法典﹂︵二︶ 九号
ボアソナード﹁日本の旧風習及新民法﹂︵三︶
八号
ボアソナード﹁日本の旧風習及新民法﹂︵二︶
水野錬太郎﹁商事と法典﹂︵一︶ 七号
七月
八月
九月
○月
梅謙次郎﹁法典に関する述懐﹂︵二︶二号 二月
第六巻 一号 明治二七年一月
梅謙次郎﹁法典に関する述懐﹂︵一︶
雑報﹁ボ翁の忠実﹂ 第五巻 一号 明治二六年一月
館説﹁商法一部施行に就て﹂︵菊池法学博士の意見を読む︶
雑報﹁金子氏の報告﹂﹁法典延期﹂一二号 一二月
ル・二至ルノ期近キニアルヘシト云フ該草案ノ今ヨリ第二
十有余年ノ歳月ヲ閲シテ編纂シ了リタル該草案ノ公示セラ
後近頃帝国宰相ノ許二呈出セラレタルヲ以テ其編纂委員力
トヲ翼望スル所ノ独逸民法草案ハ既二第一読会ヲ了リタル
法律学士及其実務家力久シク翅首シテ速二公示アラ[ン]コ
︵第一巻一号、明治二一年二月発見︶
雑報﹁独逸民法草案ノ完成﹂
A.第一巻︵明治一=∼二二年︶
二、﹃日本之法律﹄の法典論争関係記事
信岡雄四郎﹁法典施行取調委員を論じて現内閣に及ぶ﹂
北冥漁長﹁新法典駁議弁妄﹂
山崎 俊﹁法典問題の既往と将来﹂
雑報﹁商法施行に伴ふ諸会社の興廃﹂
=号 一一月
梅謙次郎﹁人事編に関する批評﹂ 三号 三月
読会二達スルマテノ間二於テ其編纂委員力執ルヘキ事務ハ
中村清彦﹁我国の家制と民法﹂
ボアソナード﹁日本の旧風習及新民法﹂︵こ
274
叢
論
律
法
月五日独逸アルゲマイネ、ツアイツンク︶
千入百九十年ノ始メ頃ニハ其実行ヲ見ルヲ得ヘシ︵本年一
メンコトヲ希望スルコト甚タ切ナル所ヲ以テ考フレハ多分
速二新帝国内ノ各邦人民ヲシテ全国画一ノ民法ヲ遵奉セシ
民法ノ実施ヲ遷延セシムルカ如キ無益ノ手続ヲ避ケ一日モ
リ之ヲ予定シ難シ然レトモ今日上流社会一般二於テ徒二新
逸国ノ商議二附セラル・二至ルハ何時ナルヤ今二於テ固ヨ
成スル等ノ事二繁忙ナルヘシ蓋シ該草案力聯邦衆議院及独
該草案二係ル批評修正説ヲ調査スルノ外尚ホ其増補案ヲ編
キヲ得ルカ為メカ人民法律ヲ尊重スルノ気風アルカ為メカ
英法ノ仏法二勝ル所以ハ英国ニアリテハ司法ノ制度其宜シ
法反テ整然トシテ秩序アル仏法二勝ルハ如何ナル理由ソヤ
アレトモ英法ハ乱然トシテ錯雑セリ乱然トシテ錯雑セル英
法ハ成文法ニシテ英法ハ不文法ナリ仏法ハ整然トシテ秩序
ヲ見テ如何ナル感覚ヲ惹起スルカ諸君ノ知了スルカ如ク仏
読者諸君々々ハ仏国ト英国ト法律力今日実際二行ハル・所
︵第一巻四号、明治二一年五月発見︶
川島一策﹁成文法ヲ採ランカ将タ不文法ヲ採ランカ﹂
る為めなる趣なるか右は頗る細密なる調査を要することな
三島毅氏を検事に任したるも同法草案の文章を修正せしむ
此程中政府に於ては民法の発布を取急かる・よしにて既に
︵第一巻二号、明治二一年四月発免︶
雑報﹁民法草案文章修正所の設立﹂
ラサルトニ由ルノミナラス又タ唯タ人民ノ気風力法律二従
生シタル所以ノモノハ唯タ司法ノ制度其宜シキヲ得ルト否
ン然レトモ英仏ノ法律力実際二於テ今日ノ如キ優劣ノ差ヲ
法ヲシテ仏法二優ラシメ仏法ヲシテ英法二劣ラシムルナラ
対セントスル傾向アルカ為メカ顧フニ是等ノモノハ能ク英
キヲ得サルカ為メカ人民ノ気風法律ヲ尊重セス常二之二反
仏法ノ英法二劣ル所以ハ仏国ニアリテハ司法ノ制度其宜シ
れは連も東京の如き繁華なる場所にては不都合のこと多し
順ナルト否ラサルトニヨルノミニアラサルナリ蓋シ別二其
モ其一大原因トハ如何余輩ハ其成文法ト不文法トノ差異ア
一大原因アリテ矢ノ優劣ヲ生シタルニョラスンハアラス抑
とて相州高座郡鵠沼村の地を撰み此処に其修正所を設立せ
んと目下建築中の趣なれは来月上旬頃に至れは三島検事其
他係官一同同地に出張して其事務を取扱ふに至るへし
ルニヨリテ然ルコトヲ信スルナリ
一r日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
275
レサルナリ故二今日ニアリテ法律ノ良否ヲ識別スルノ標準
シテ不釣合不調子テウ名詞ハ未タ此社会ヨリ追放ヲ命セラ
良ナル法律アラン然レトモ今日ノ社会ハ黄金世界ニアラス
察スレハ或ハ千古三旦リ万世二通シ一定不変完全無欠ノ善
ノミ焉ンソ社会ヲ利スルコトヲ得ンヤ勿論真理ノ上ヨリ観
金科玉条ノ法律ト難トモ人情風俗二適合セスンハ只タ徒法
ク云フカ蓋シ成文不文両法ノ利害得失ハ時ト場合ト場所ト
レ又タ容易二断言シ得ヘカラサルカ如シト余輩何力故二斯
ロ吻二擬シ将二云ハントス容易二断言シ得ヘカラストハ之
ラサルカ如シト云フモノアランカ余輩ハ余輩ノ反対論者ノ
文不文両法ノ利害得失二至リテモ亦タ容易二断三ロシ得ヘカ
ヲ察セスシテ妄リニ是非ノ批評ヲ下シ能ハサルト同時二成
スレハナリ夫レ然リ然ラバ法律ノ良否ハ時ト場合ト場所ト
情風俗二適合スルモノ未タ必スシモ己ノ場所二於テ然ルヲ
モ丁ノ場合二必要ナルヲ得ス戊ノ場所二於テ能ク其他ノ人
ラバ其人情風俗ハ沈滞不動ノモノナルカ将タ又タ変遷活動
法律ハ人情風俗二適合セサル可カラサルコトヲ陳ヘタリ然
敢テ能ハサルニアラサルヲ信スレハナリ余輩ハ前段二於テ
ニヨリテ差異ヲ生スルハ固ヨリナリト難トモ概シテ之ヲ云
得サルナリ試二思へ往古ノ如キ単純ナル社会ニアリテハ法
ノモノナルカ余輩及ヒ天下万衆ノ認ムル所ニヨレハ人情風
ヘハ何ツレカ最モ利アリ何レカ最モ害アル之ヲ発見スルハ
三条ヲ制シテ群盗閉息スト聞ケリ然レトモ今日ノ如キ複雑
俗ヨリ其他此宇宙内ニアリトアラユル万物ハ時々刻々変遷
甲ノ時代二於テ善良ナル法律モ未タ必スシモ乙ノ時代二於
ナル社会ニアリテハ百ケ条ノ法律モ尚ホ能ク其効ヲ奏スル
進化シテ止ムトキナク昨日マテハ下宿屋ノニ階二籠城シテ
へ詰メカケル奏任官トナリ今日ハ金殿玉楼二住シ美衣ヲ着
ヲ得サルナリ何トナレハ時代ヲ異ニスレハナリ又タ欧米ノ
ケ美食ヲ食フノ自称紳士ノ山師連モ明日ハ妻子ヲ棄テ他郷
借金取ハ鶯ノ声ト啄鳴居ル斗香先生モ今日ハ抱へ車テ官省
リテ直二支那人ヤ朝鮮人ヤ退羅人ヤ日本人ヤ其他東洋人民
二走リ身二艦縷ヲ纏ヒ路傍二食ヲ乞フノ乞食トナリ石部金
吉モ化シテ金五郎トナリ孔孟変シテ丹次郎トナリ毛贔ハ化
二施行スルコトヲ得サルナリ何トナレハ場所ヲ異ニスレハ
一ノ条例ヲ制定スルノ必要ナキナリ何トナレハ場合ヲ異二
ナリ又タ独逸二於テ社会党鎮圧条例アレハトテ我国ニモ同
法律ハ殆ント完全ノ域二達セントセリ然レトモ此法律ヲ採
テ善良ナルヲ得ス丙ノ場合二於テ必要ナルモノ未タ必スシ
ハ時ト場合ト場所トニ由リテ差異ヲ生セサルヲ得ス去レハ
」
法
276
叢
論
律
テカ﹁世ノ中ハ三日見ヌ間二桜哉﹂説キ得テ妙ナリト云フ
前ニアルカト思ヘハ後ナリ右ニアルカト思ヘハ左ナリ於是
シテ蝶々トナリ雀海中二入リテ蛤トナリ一上一下虚々実々
セサル部分ヲ生スルモ一朝一タニシテ変更スルコト能ハス
項ヨリ成立シタルモノナレハ仮令其法典中人情風俗二適合
文法ハ彼ノ刑法ノ如ク彼ノ民法ノ如ク数百若クハ数千ノ条
法律ハ法律ノ為二作ラレタルニアラスシテ人民ノ為二作ラ
シ幸福ヲ増進スルヲ得ルヤノ問題ヲ探究セント欲ス思フニ
変遷進化スル人情風俗二適合シ余輩国民ヲシテ安寧ヲ保持
余輩ハ之レヨリ論歩ヲ進メ如何ナル法律力最モ能ク時々刻々
幾分力当時ノ人情風俗ヨリハ高尚ノ地位二改正スルヨリシ
易二変更ヲ行フ能ハサルヲ常トシ之ヲ改正スルニ際シテハ
明ノ度ヨリハ数層ノ高キニ改正スルコトアリ然ラサルモ容
ノ人物出テ・一国ノ文明ヲ進ムルカ為二法律ヲシテ人民文
情風俗二後レサルヲ得ス人民ノ不便如何ソヤ或ハ又タ有為
否ナ一ケ月十ニケ月ニシテ改正スルコト能ハサレハ屡々人
レタルモノナリ已二人民ノ為二作ラレタルモノナラバ人民
テ成文法存命時間ハ多クハ人情二適セス風俗二合セスシテ
ヘシ
ノ便益ヲ企図スルハ法律ノ精神ニシテ彼ノ法律ノ人情風俗
彼ノ不文法ニアリテハ法文ト云フモ少キハ数ケ条多キハ数
為二人民二不幸ヲ蒙ラシムルコト多キヲ免レス之二反シテ
法律ヲシテ人情風俗二後レシメハ一国ノ文明ヲ退歩セシム
十ケ条二止リ彼ノ正文法ノ如ク一定シタル法典アルニアラ
二後レ又ハ之二先ンスルカ如キハ最モ忌ムヘキノコトナリ
ルノ恐レアリ若シ又タ之二先ンスルノ場合ニアリテハ法律
ス多クハ慣例ヨリ成立チ又タ慣例ニョリテ取捨左右セラル
ル組織ノ法律力能ク此ノ目的ヲ達スルヲ得ルカ余輩ハ断言
化スルノ法律コソ完全無欠ノ良法ト謂フヘシ然ラバ如何ナ
レス先ンセス人情ノ変遷ト共二変遷シ風俗ノ進化ト共二進
象ヲ呈出セン畢寛スルニ最モ善良ナル法律ハ人情風俗二後
テ効力ヲ有セシムルカ為二生存セリト云フカ如キ奇怪ノ現
不文両法ノ利害得失ハ知ルヘカラスト云フモノアリ鳴呼何
ノ如キモ亦タ同シク永久人情風俗二適合セサルヲ以テ成文
シ能ク之レト共二変遷進化スル能ハサルヲ認ムレトモ条例
リ然ルニ世ニハ近眼者流アリテ法典ノ永久人情風俗二適合
ノ進化ト共二変遷シ人情風俗二戻背セサルコトヲ得ヘキナ
・モノナレハ其之ヲ改正スルニハ困難ナラス従テ能ク社会
ハママ ハ人民ノ為メニ作ラサルニアラスシテ反テ人民ハ法律ヲシ
セントス日ク不文法能ク其目的ヲ達スルヲ得スシテ蓋シ成
ノ中ニアリトアラユルモノハ単二利ノミ単二害ノミナルモ
ソ思ハサルノ甚タシキ近眼者流ヨ深思セヨ熟考セヨ此ノ世
者モアリ又或ハ臨時之二従事スル者モアリテ敢テ一定セサ
モ商業二従事スト云ヘハトテ或ハ常職トシテ之二従事スル
リ商業二従事スル者ハ商人タルニハ相違ナカルヘシト難ト
ルハ実際二就テ見ルモ甚タ明カナリ例ヘハ横浜二於テ生糸
ノアルカ未来ハ知ラス今日ニアリテハ一利アレハ一害アリ
一害アレハ一利アリ利害相伴フハ免ルヘカラサル数ニシテ
ル理ヤ分明ナラン余輩ハ成文法ノ整然トシテ秩序アリ不文
ル仏法反テ乱然トシテ錯雑セル英法二劣リ英法ノ仏法二優
成文法ハ不文法二劣ルト斯ク論シ来ラバ整然トシテ秩序ア
ヨリモ少量ノ利ヲ包含セリ故二日ク不文法ハ成文法二優リ
法ハ成文法ヨリモ多量ノ利ヲ包含シ而シテ成文法ハ不文法
含蓄スト云フニ過キサルナリ余輩ノ認ムル所ニヨレハ不文
悪ヨリハ多量ノ善ヲ含蓄シ悪ト云フモ善ヨリハ少量ノ善ヲ
事柄ヲ行ヘハ之ヲ商人ト称シテ可ナルヘシト云ヘハ前例二
トスルト臨時二之ヲ行ヒタルトニ拘ラス荷モ商業二属スル
シタル者ト謂ハサルヲ得サルヘシサレハ其商業ヲ以テ常職
ナリト云フヲ得サルヘキニヤ是等ハ即チ臨時二商事二従事
アラサルコトナレハ其為替振出二関シタレハトテ之ヲ商人
ノコトハ固商事二属スレトモ官吏ハ商業ヲ常職トスル者ニ
ノ振出人トナリタルトキノ如キハ如何アルヘキカ為替振出
見テモ之ヲ以テ商人ナリト云フヘキモ若シ官吏ニシテ為替
ノ売買ヲ常ノ業トシテ生計ヲ営ミ居ル者ノ・如キハ誰人力
ママ 法ノ乱然トシテ錯雑セルニ拘バラス国民ノ実利ヨリ着眼ス
於ケル官吏モ其為替振出ノコトニ関シテハ商人ト云フコト
利ト云ヒ害ト云フモ比較上ヨリ云フモノニシテ善ト云フモ
レハ成文法ヲ弄テ・不文法ヲ探ラント欲スルナリ読者諸君
ヲ得ヘシ是等ノコトハ如何ニヤト問フトキハ普通ノ人ハ其
答二苦シムコトナラン然レトモソバ誠二最モノコトニシテ
以テ如何ト為ス
トシテ行フ者タルヘシトカ又ハ其ノ常職トスルト否トヲ問
敢テ笑フヘキニモアラサルヘシ其ノ故ハ商人ハ商業ヲ常職
二従事スルモノヲ商人トハ云フナリト答フルナルヘシ固ヨ
商人ト称スルヲ得ヘシトカ云ヘルコトハ自カラ各国商法ノ
ハス都テ商事ヲ行フモノハ其行フタル商事ノミニ関シテハ
奥 田 義 人 ﹁ 法 律 上 商 人 ノ 性 質 如 何 ﹂
商人トハ如何ナル性質ノモノヲ云フヤト問ハ・誰人モ商業
︵第一巻六号、明治一=年七月発党︶
「日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
2 77
法
論
叢
278
律
規定スル所二依テ異ナレハナリ
区別アリト難トモ独リ英国二於テハ之ト全ク規定ヲ異ニシ
二関シテハ商人ト見倣スヘシトナセルカ如シ故二其常職ト
何人ニテモ商法二依テ支配サルヘキ事ヲ行フモノハ其事柄
ル所ヲ見ルニ法律上商人タルノ資格ヲ得ルニハ一定ノ条件
スル所ハ官吏タルト農業タルト或ハ工業タルトニ論ナク筍
借今仏国ヲ始メトシテ欧洲大陸諸国力其商法二於テ規定ス
ヲ要スルモノ・如シ其条件トハ何ソヤ即チ商業ヲ以テ其常
モ商事ヲ行フ者ハ其行ヒタル事二関シテハ商人ト見倣スヘ
人トナリタル例二於テ云フトキハ其為替手形振出二関シテ
シト云フニ在リ例ヘハ前二掲ケタル官吏ニシテ為替ノ振出
職トナシ之ヲ行フコト是ナリトスサレハ仏国商法第一条ニ
ハ商人トハ商業ヲ行ヒ平常之ヲ以テ己レノ職業トナス者ヲ
云フト規定シ又独逸商法第四条ニモ商人トハ常職トシテ商
商事ナル以上ハ矢張商事裁判所ノ管轄スヘキモノトナセリ
スル事件ノミニ限ラスシテ非商人ノ行ヒタル事ニテモ荷モ
裁判所二於テ管轄スヘキ事件ハ敢テ必スシモ所謂商人二関
チ非商人ニシテ法律上商人トハ称セサルナリ然レトモ商事
商人非商人ノ区別アリテ臨時二商業ヲ行フモノ・如キハ即
ナルコトナキヲ知ルヘシ是ヲ以テ此等諸国ノ商法二於テハ
二定ムル所ノ商人ノ定義モ大抵仏国商法二規定スル所ト異
ヲ制定シタル目的ハ専ラ商業ヲ以テ常職トナス者二適用ス
トハ稻々其範囲ヲ狭クナシ居レリト難トモ是レ此倒産条例
計ヲ営ム者ハ皆商人ナル旨ヲ載セテ普通ノ商法二所謂商人
ヒ売買購買貸借又ハ商品貨物ノ製造若クハ改良ヲナシテ生
九年二制定シタル倒産条例中ニハ商品ヲ以テ商業ヲ営ミ及
ヲ以テ身分トナサ・ルナリ尤モ英国二於テモ一千八百六十
広キノミナラス又一ハ商人ヲ以テ一箇ノ身分トナシ一ハ之
ナル所ニシテ一ハ商人ノ範囲甚ダ狭ク一ハ商人ノ範囲甚ダ
ハ官吏モ商人ナリト云フヲ得ヘキナリ是レ即チ商人ノ性質
畢寛商事裁判所ノ管轄ハ人ノ資格如何二依ルニアラスシテ
ルニアリタルヲ以テ此条例ノミニ用ユル商人ノ解ヲハ斯ク
業ヲ行フ者ヲ云フト規定セリ其他欧洲大陸諸国ノ法律ハ概
事柄ノ商事二属スルモノト否トニ依テ定マルコト・知ルヘ
ハ下シタルコトニシテ英国普通ノ法律ヨリ見レハ先ツ例外
二付欧洲大陸諸国法律ノ規定ト英国法律ノ規定ト著シク異
キナリ
ト云フテ可ナルヘキナリ
ネ仏国法律ヲ基礎トシテ編纂制定シタルモノナレハ其商法
斯クノ如ク夫レ欧洲大陸諸国ノ商法二於テハ商人非商人ノ
r日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
279
ノ能ク知レルカ如ク英国ニテハ商業ヲ為スノ権ヲ放棄スル
域ヲ広メタルコト明カナリ現二英国ノ契約法ヲ学ヒタル者
精神モ徹頭徹尾之ヲ奨励スルニ在ルコト故斯クハ商人ノ区
テ初メヨリ其ノ奨励二力ヲ尽シタルコトナレハ従テ商法ノ
云フニ世人ノ知レルカ如ク英国ハ商業ヲ以テ立ツノ国ニシ
ソモ英国法律力何故二斯ク商人ノ意義ヲ広ク定メ居ルヤト
ナリ
フノ問二対シテハ=疋ノ答ヲナスヲ得サルコト・知ルヘキ
タルノ性質ハ各国其規[定]ヲ異ニシテ商人ノ性質如何ト云
律ハ此説ヲ採用セサルカ故二今日ノ所ニテハ法律上ノ商人
余モ亦其然ルヲ信スルモノナレトモ現二欧洲大陸諸国ノ法
ノ性質如何ヲ標準トナスヘキモノナリト云フニ在ルカ如シ
スル否トヲ定ムルハ人ノ身分二依ルニアラスシテ専ラ事柄
雑報﹁独逸民法草案﹂
コトヲ嫌忌シ全ク商業ヲ為サ・ルヘシトノ契約ハ都テ無効
ノモノトナセルカ如キハ同国ノ法律力商業ヲ奨励スルノ最
モ著ルシキ例ナリト謂ハサルヘカラス故二弦二甲乙二人ノ
之ヲ要スルニ商人二付テ欧洲大陸諸国商法ノ規定スル所ト
効トナセリ
キモ適度ヲ超へ不条理ノモノナルトキハ同シク之ヲ以テ無
ルナリ又場所或ハ時二限リテ其商業ヲ分止スルノ契約ノ如
ハ決シテ為サ・ルヘシト契約スルモ其契約ハ無効ノモノタ
民法編纂に着手してより之を帝国宰相に進達したるまて幾
我独逸国か法律統一の竣成を見るの期近きにあるを知れり
編纂の如何に捗行きしかを知り得たるのみならす又之に依て
ビスマルク侯に進達したるの日にして余輩は之に依て民法
トルバーペ氏か其第一読会ヲ了りたる民法草案を帝国宰相
昨年十二月三十一日は独逸民法編纂委員長枢密顧問官ドク
︵第一巻六号、明治二一年七月発見︶
英国商法ノ規定スル所ト異ナレハ何レノ規定ヲ以テ今日ノ
多の歳月を費やしたるやを言はんに千八百七十三年独逸憲
米商アリ乙者甲者二向テ自今以後何レノ場所二於テモ米商
法理二適合スルモノナルヤ否ヤヲ定ムルコトヲ難シト難ト
法を改正し独逸民法編纂を帝国に委ねたるを始めとして翌
ことを議決し其秋季に至て始めて民法編纂委任を任命し爾
ママ 七十四年六月二十二日に聯邦議会は愈其編纂に着手すへき
モ今世学者ノ説ク所二拠レハ商法ハ其性質ヨリ云ヘハ欧洲
大陸諸国二於ケルカ如ク商人ノ身分法ニアラス又其職業法
ニアラス万般ノ商業取引二及フヘキモノナレハ其商法二属
法
叢
280
論
律
別に草案の幾分つ・を分担せしめたりしか幾多の障碍を越
と一日の如くなりき初め委員会は五名の草案委員を撰み各
来編纂委員は或は総会を開き或は部会を開き事務鞍掌殆ん
デッギス、テレジヤタス﹂の第一草案を完成したり千七百
年間にて成就するの見込なりしも後漸く十三年を経て﹁コー
月七日プリュンに於て討議を始めたり最初の繧酵にては四
業は如何に久遠なる歳月を要したるかを知らは山豆に恐催を
纂の如何に困難なる事業なるかを了解し且つ他国の編纂事
念は一朝にして氷釈せり若矢れ人民にして始めより法律編
而して今や昔日の恐催は無用の恐催たりしを知り昔日の疑
を疑ひたる者あるに於てをや
や其最初法律の完成を期したる年月に就て往々其緩漫なる
抱し或は恐催する所ありたるは亦無理からぬ次第なり況ん
さるなり然るに其斯の如きを見て人民か今迄或は疑念を懐
能く成就せしむるに付て人民の有する利害は実に少小なら
に於て簡潔なる説明を聞きたるのみ立法の一大事業を首尾
にして唯帝国官報に於て時々短簡なる記載を見、帝国議会
是迄民法草案の成行に関して世間に知られたる事実甚た稀
て未た曾て其事業を中止したることあらす
を得たり而して此時より昨年歳末草按の完成するに至るま
草按の一半は既に大王の在位中に成就したりしが他の一半
メル及ズアレツの二人をして専ら之に従事せしめたり、其
せんと欲し失の李国司法改革に功労ある宰相フホン、カル
リッヒ大王先君の遺志を嗣き千七百八十年普通法典を編纂
られたるに未た成らすして崩去せり是に於て嗣子フリード
に法律を設けんか為めコクツエヰに命して之を起草せしめ
以てなり李王フリードリッヒ、ウイレヘルム第一世は李国
様概ね同一なりしを以て填国の如き困難をは感せさりしを
国は前世紀の下半期に於ては国に異俗の地方なく国内の有
李国は填国に比すれは頗る迅速に其編纂を了りたり蓋し李
を公布したり
し超へて千入百十一年四月廿六日漸く法律全書を裁可し之
百九十年四月二日第二の草案其編纂を了へ編纂委員を解散
草案をは不可とし更に又別に編纂すへきことに決議し千七
となし草案の再閲に着手したり而るに後四年を経て第一章
六十九年其草案につき諸方より聚集したる考按論説を基礎
抱き疑念を生するの事あらん哉
は千七百八十八年に成就したり、草按悉く成就するに及ん
へて漸く千八百八十一年十月に至て之を総会の議に附する
填国民法編纂委員は千七百五十三年五月三日に開会し其十一
「日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
281
名称を以て更に布告せられたり
の有名なる﹁コード、ナポレオン﹂︵ナポレヲン法典︶なる
西民法なる名称を以て法律となり超へて同七年九月三日夫
千八百三年及四年に議院を通過したり同四年三月廿日仏蘭
立法官と参議院との間に評議を遂け更に修正する所ありて
りたるか為め間もなく︵千八百二年︶之を引去りたり、後
を経其草案を立法府に提出したりされと議院に於て故障起
れか修正をなし控訴院等の意見を諮問し殊に参議院の修正
か故に欠漏せる所不完全なる所頗る多く屡々討議を開て之
成就したり、然るに斯く僅少時間内に成就したる草按なる
着手せしめたるに僅々四年に足らさるの歳月を以て編纂を
き執政官政府の時に至り始めて四人の委員を命して編纂に
国民議会に提出したりしが賛成を議場に得ること能はさり
三年仏国にカンバセレーなる者あり自ら民法を草按し之を
是より先き数年仏国も亦民法編纂に着手したり千七百九十
られたり
通法典なる名称を以て裁可せられ同年七月一日より施行せ
同九十一年六月法律書を布告し同九十四年二月五日李国普
で之を公に諸人の意見を蒐集し因て以て草按を変更増減し
高尚なる者もあるへく或は新法とは全く其精神を異にする
て尤も尊崇す可き者もあるへく或は学問上の道理に基て甚
らさるを以てなり而して此等の諸法は或は往古より伝来し
は独逸国内に現存する大小数多の立法を一撃し去らさる可
殊に其独逸国に於て尤激烈なるを信すれはなり何んとなれ
人民の思想に一大激変を与ふる者なれはなり而して吾輩は
は他の法律よりも頗る広大なれはなり新民法は人民の習慣
法か一切の関係一切の種族及一切の職業に及ほす所の影響
たるや当然の事にして怪むに足らさるなり何んとなれは民
間に公示し以て汎く天下の批評を仰かんと欲すと鳴呼此事
法尚書は数日前帝国議会に於て説明して日、民法草案は世
草案を公示して以て達せんとする所の目的につひて帝国司
法省に差出すことを得せしめたり
の権を以てし此草按につひて言あらんと欲する者は之を司
相に委任するに此決議を施行する必要なる事項を設計する
委員会の会議筆記とを世人に公示することを決議し帝国宰
近日聯邦議会は民法草案井に草案委員の作りたる理由書及
大成に至るを希はずんはあるへからす
らす而して我国民は此事業をして益々其歩を進ましめ終に
大事業の迅速にして且確定なる成行を祝せすんはあるへか
マこ
諸国の経験せる所斯の如きを見れは我輩独逸人は我立法の
法
282
叢
論
律
発達し商売交通月に盛にして而して其之に伴ふて生する所
前世紀の立法家に比にあらさるを、夫れ方今社会の事日に
らす而して吾輩は更に以為らく今日の立法家の困難なるは
ても尚ほ此言を唱して其能く真情を得たるを歎せすんはあ
アレツカ百年以前に記載したる名言なるか吾輩は今日に於
難なる事業の一なり﹂とは夫の有名なる李国司法改革家ズ
者もあるべけれはなり﹁民法編纂は人類の最重要なる最困
ドリツヒ此賞牌を附与す﹂なる四字を銘したる賞牌を鋳造
案を脱稿するやフリードリツヒニ世の像及﹁立法者フリー
李国も亦此復活剤を用ひさる者にあらす李国普通法典の草
授に要求し或は賞金を懸けて以て内外人の批評を求めたり
グ、ラムベルグ、インスブルック、フラヰブルグ諸大家の教
議員と共に民法草案を批評せしめ或は特にウヰーン、プラー
或は所謂地方委員会なる者を各控訴院に設けて地方議会の
填国の民法を編纂せるや屡々批評を蒐集すへき規則を設け
からす其困難なる果して如何そや
数百年来独逸国内に成立する一地方的法律を保存せさる可
各種族の感情を損せさる様になし又一方に於ては成るへく
立法家は更に又一の困難を有せり即ち一方に於ては各聯邦
な法律の規定を要するにあらさる者なきを加之独逸今日の
に生したる新現象及新問題は実に千差万態にして是等は皆
や︵其討議す可き事︶多くして時少し其得る所は疎随の意
案に就て諮詞せんと欲するとも山豆に能く貴重の意見を得ん
さ・るなり蓋し司法省に於て局員の会議を開き以て民法草
独逸現今の事情と新民法草案とは又右の先例を学ふを許る
の専門学者及王国議会の批評を求めたり
し草案に関する批評の抜群なる者に授与し又法律学者其他
ハママソ
の錯雑なる者は免る能はさる所なり看よ此三十年間に社会
是故に此十一名の委員の手に或れる民法草案をは独り法律
マこ
充分校閲する所あらんとするは固より当然の事にして吾輩
さしめさるへからさるを以て之に其手当を与ふ可きは勿論
良策ならんか、唯其全副の力を籠め一切の時間を之に費や
に命して草按の一部つ“に付て其意見を吐かしめなは却て
見ならん而已、若し夫れ之に反し特に二一二の才能ある局員
マヱ
の蝶々を待たさるなり唯之を公示して果して能く此困難な
なりとす又一私人の意見を諮問する場合に於ても亦之に委
家のみに止まらす更に又之を公衆に示して公評を持ち以て
る問題に相当す可き価直ある批評を得へきや否は是れ一の
ぬるに草按の全部を以てせすして其一部を以てするを要す
ハママ 疑問也
「日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
283
の外各聯邦の司法省も亦等しく一私人の意見を受取るへき
国司法省に差出す可しと然れとも吾輩以為らく帝国司法省
らさる也又聯邦議会の議決に拠れは草案に関する意見は帝
分なる注意を以てせは強ち之を学ふへからすと云ふにはあ
既に上文に於て開陳したり然れとも若し此先例を学ふに充
んか為に褒章を懸けたるに傲はんとするの不可なるは吾輩
填李二国に於て其法律草案につひて一個人の意見を聚集せ
くす可からさるの事なれはなり
何となれは一個人をして全部の事業に当らしむるは是れ能
此説誤れり夫れ為換法商法の編纂せられたる当時に在ては
あらさりき故に民法草案も亦斯の如くなるへしと然れとも
纂委員の起草せる所を其侭可決し少しくも修正を加ふる所
換法及商法の独逸各邦の議会に附せらる・や各邦議会は編
就て添削修正することを得さるへしと蓋し以為らく独逸為
草案をは大体に就て可否取捨することを得へきも其個条に
るへし世人或は云、独逸帝国議会は其提出せられたる民法
弦に其将来あり得へきの事を記載するも亦大早計にあらさ
は議院の議場に上つて其討議を経るなるへし故に今吾輩か
若し第二読会も亦首尾能く通過し草案既に確定すれは草案
巳是故に若し各邦の議会にして各修正添剛する所あらは統
未た共同の独逸議会なる者あらす唯独逸各邦の議会ある而
ことを、何んとなれは各聯邦司法省は其一邦の公評に依り其
一邦の利害に関して草按の改正議案を発するを得れはなり
第二読会の時期は聯邦議会の決定すへき所にして未た定ま
の能くすへき所ならんや、夫の李国に於て草案意見書の数
あり、而して此検閲たるや実に容易の業にあらす山豆に期月
諸方より聚集すへき批評、考案、意見の是非を検閲するに
て第二読会の事業に当らしむ、蓋し此事業は主として夫の
の決議せし所にして更に新局を設けて矢張従来の委員をし
表裏する議会の意見すら議会に勝を占めたるにあらすや果
て充分修正する所ありたるにあらすや草案の意見と全く相
を要せんや、念ふに帝国議会は訴訟法治罪法制定の際に当
唯一の機関なり豊に往時の各邦議会に徽て自ら其権を棄る
さりし而巳今日の独逸帝国議会は民法を取捨するの権ある
修正することなくして通過せしめたるは当時の勢已む能は
一の法律を設くること能はさるへし故に議会の権を制限し
三十二巻の大冊を為すに至りしか如く意見書の山積するか
して然らは此民法草案に於ても斯の如く充分に修正する所
らす然れとも第二読会の手続に関しては既に已に聯邦議会
如きは恐る・に足らさる而巳
法
叢
284
論
律
若し此の想像をして誤るなからしめは独逸国民法の制定は
は詞に幸福と云ふ可しと
ち千九百年の一月一日に於て独逸民法の施行せらる・を見
るものを見たり然れとも吾輩は以為らく若し次きの世紀即
屡々新聞紙上に於て三年又は四年にて完成すへしと記載せ
可の時期を期するや頗る早きに失するものなり吾輩は頃者
らるへきやと甲論し乙説き議論紛々たり之を要するに皆裁
たる今日に於ては亦人々相議して云ふ何時此法律は裁可せ
編纂委員か其編纂業務に着手したる時の如く其編纂を了り
修正権を充分応用することあらんを望むなり
あるへきは又疑を容れさるなり且吾輩は議会か其立法上の
治房の三氏新たに法律取調委員を命ぜられたるが故に世人
たるに其後去る五月廿四日に新たに尾崎三郎槙村正直北畠
法典取調委員も遠からす解任せらる・ならんと世間に噂し
られしを以て其編制せる日本法典は粗ほ脱稿するに至り同
長となり各委員と・もに頗ふる鋭意熱心に取調へに尽力せ
を以て其後本務なる司法省内に移し司法大臣山田伯其委員
外の事務即ち御宗旨違ひにて多少の不都合を免かれさりし
は外交上に大なる関係あるか故なりしも其所属官衙は専門
該委員は最初外務省内に設置せられたるは元と法律の改正
︵第一巻六号、明治二一年七月発党︶
雑報﹁法律取調委員﹂
て以て独逸国の安寧と思想とを高尚にし而して法律の統一
さることを信するなり且つ斯る国家永遠の事業を完成し依
きか如しと難之を国家の生命に比すれは真に一瞬間に当ら
員不足にて議席に不都合を生ずる為めに斯くは右の三氏を
元の二氏は久しく病気にて出勤せられざる故審査会の節人
員の一人なる鶴田皓氏は先頃死去せられ又細川潤次郎渡正
のあるに因れるかと疑ひしに是れ全く然らずして該取調委
は其案外なるに驚ろき日本法典の外に猶ほ取り調ぶべきも
を成就し且つ他国の立法事業に比して我立法の優るあるを
委員とせられたるものなりしと云ふ
一世紀の四分の一を費やすものと可ふへし吾輩は此時期永
ハママリ
示し以て独逸の人心に千古赫々たるの栄誉を与ふることを
顧みなは吾輩は決して其裁可の遅きを憾みさるなり
「日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
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右述ヘタルカ如ク逐条ノ当否二付キテハ先ツ心配ナキコト
百世二垂ル・力如キコトナカルヘシト信スルナリ
ルヘケレハ其実施ノ日アルニ当テ徒法二帰シ若シクハ害ヲ
ナリ故二新定ノ法典逐条二付キテハ皆ナ是心シテ編纂セラ
彦ニシテ之レヲ忘却スルコトナキハ万々信シテ疑ハサル処
理ヲ弁スル者モ猶ホ既二会得スル処ノ通理ナレハ当路ノ諸
注意ヲ促シテ措ク能ハサル処ナリ尤モ此事タル柳力物ノ道
・ノ虞アルヲ免カレサルヘシ此レ実二余輩力当路ノ諸彦二
ルヘシ否膏二徒法二帰スルノミナラス或ハ害ヲ百世二垂ル
確メスシテ新法ヲ創定スルモ他日必ス徒法二帰スルノ日ア
国民ノ風俗人情ノ反影ナレハ之レニ反スルカ又ハ其如何ヲ
レハ余敢テ蝶々ノ弁ヲ煩ハサ・ルヘシ然リト難トモ法律ハ
モ目前必須ノコトアルヲ以テ事ノ此二出ツルモノナルヘケ
ノ事二付キテハ世間必ス是非ノ論ナキニ非サルヘシト難ト
法訴訟法等万般ノ法典編纂ノ事二孜々タリト聞ク抑此編纂
近来我国二於テハ法典編纂ノ必要ヲ感シ憲法民法ヲ初メ商
︵第一巻一〇号、明治二一年=月発見︶
伊藤悌治﹁法典編纂二付キ当路者ノ注意ヲ乞フ﹂
シ若シ斯クノ如キ甚シキニ至ラサルモ其解釈二大ナル関係
トアラバ其極或ハ此果シテ法典ナリヤ否ノ問題ヲ惹起スヘ
シテ四方二湧出スルト同様法条ノ配置其宜シキヲ失スルコ
テ之レヲ人類ノ顔ト称スルコトヲ得ルヤ否ノ問題ハ忽チニ
ノ事アラバ仮令人体頭部ノ表面二配置シアリト難トモ果シ
能ハサル所ナリ加之例之額二ロアリ鼻下二両眼ヲ横フル等
ルニ汲々タル時二於テスラ猶且採用セラル・ノ栄誉ヲ享ル
其形ナキヲ以テ必寛我国ノ如キ欧洲各国ノ法律中其長ヲ採
去ルヘカラス︶然ルニ其仮体タル編纂ノ点二至リテハ全ク
万々ナルヘシ︵英法二僻スル者ノ言ナリトシテ一笑二附シ
律ノ如キハ其実体ヨリ論スルトキハ仏独ノ法律二優ルコト
レサル処ナリ又之レヲ諸国ノ法律二付キテ云ハ・英米ノ法
ル倭小夫二先立テ人ノ信用ヲ博シ人ノ上二立ツハ数ノ免カ
人ハ人品骨格偉丈夫ノ相アル者ハ耳目転到鼻口整然タラサ
タ通用二差支フルナリ先ツ同等ノ知識ヲ具フル者ニシテ一
トモ然ルモ猶ホ其当ヲ得サレハ人間ニテ云ハ・不具ナリ甚
否ノ関係逐条ノ当否二比スレハ同日ノ論二非サルヘシト難
テ事重ク関係大ナリト難トモ編纂ノ体裁ハ仮体ニシテ其当
ハ編纂ノ体裁是ナリ抑モ法典逐条ノ当否ハ実体ノ当否ニシ
ヲ生シ実施ノ日二至テ彼是混雑ヲ生シ不都合甚シカルヘシ
・ナシ︵最モ重要ノ点ナレトモ︶次二法律編纂二付キ注意ス
ヘキコト併セテ当路ノ諸彦ノ注意ヲ喚起セント欲スルモノ
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典ノ編纂法ハ何レノ法律二依準セラル・カバ知ラサレトモ
抑モ我力当路者二於テ孜々編纂シ居ラル・ト聞ク処ノ諸法
リ判然区画セシ以上ハ一個ノ法条ト難トモ狼リニ他ノ区域
ザル所以ハ既二憲法商法訴訟法刑法治罪法ト各其性質二依
条第五条ナリ今其条文ヲ見ルニ第四条ハ裁判官タル者ハ法
二入ルベキモノニ非ザルベシ尚ホ其不当ナル所以ハ其第四
諸法典ハ総テ法学社会ノミナラズ一般與論二於テ其完美ヲ
律ノ不備等ヲロ実トシテ裁判ヲ拒絶スベカラザルコトヲ定
蓋シ独仏伊三ケ国ノ法典二依ラル・ナルベシ然ルニ此等ノ
容ス処ナリト難トモ此與論ハ即チ一箇ノ比較論二過ギザル
適用スベキモノナレバ何ノ理由アリテ之レヲ民法二編入セ
由ヲ見出サ、ルナリ其第一条第二条ノ如キハ一般ノ法律二
民法ノ巻初二掲ゲタル乎如何二考察ヲ尽スモ未ダ相当ノ理
例ナリ又同法ノ前加篇都合六箇条ハ何ノ理由アリテ之レヲ
リ居ルヲ例之バ仏蘭西民法中証拠二関スル規則ノ如キ其一
ナリ宜哉其細目二至テハ之レヲ非難スルノ論モ亦與論ト成
国ノ法律二比スレバ其編纂大二整然タリト云フニ過ギザル
ノ性質アル法条ヲ私法タル民法中二存スルハ到底容スヘカ
スベキ乎然ルニ憲法其他ノ公法ノ備ハルアリテ尚ホ此公法
律ヲ単独二頒布スルノ煩ハシキヲ厭フテノ事ナラバ或ハ恕
ザルヲ得ズ若シ憲法ノ定メナク去リ蓮右ノ如キニケ条ノ法
務ノ章程二類スル法条ヲ含蓄スルトハ実二奇怪ノ事ト云ハ
斯ノ如キ私法ニシテ主権ノ代表者タル公人ノ責務若クハ職
律ノABCヲ了得シタル者ト難トモ既二之レヲ知ル処ナリ
ニシテ一個人ト一個人ノ関係ヲ定メタルモノナルコトハ法
メ第五条ハ裁判ノ方法ヲ規定スルモノナリ抑モ民法ハ私法
シカ其理由ナリトシテ或ハ云ハン元来民法ハ其関係最モ大
ラサル誤失ト云フヘシ惟フニ仏国民法ハ彼ノ那翁力不世出
コトヲ注意セザルベカラズ言ヲ換テ之レヲ云ハ.・此他ノ諸
ニシテ⊥ハ法中最重要ノ位置ヲ占ムルモノナレバ即チ他ノ五
事ヲモ云フコトヲ得ベシ然リト難トモ人ヲ感服セシムルコ
者ナリト僅俗二所謂ロバ重宝ニテ云ハント欲スルコトハ何
法二対シ先導者ノ位置ヲ与ヘテ此等ノ原則ヲ保護セシムル
ト其六法完成ノ上袈二頒布実施シタルニ非サリシトノ事実
機会ノ失スヘカラサルニ際シ咄嵯ノ間二六法ヲ制定シタル
ノ偉才ヲ振テ外雷名ヲ万国二轟カシ内其徳沢ヲ布クヘキ好
非サルハ疑フヘカラス編纂ノ当時ノ事状夫レ斯ノ如クナル
二依リ彼是相齪館シタルモノナルヘシ必ス他二理由アルニ
レヲ相当ノ理由トセザルヲ如何セン即チ其理由ノ理由タラ
トハ至難ナリ夫レ然リ故二之ヲ理由ナシトシテ云フモ人之
一法
「日本之法律jにみる法典論争関係記事(一)
287
典編制二従事スル諸彦ハ深ク是等ノ点二注意シテ仏国民法
力故二其不都合ノ点ハ敢テ袋二止マラサルナリ故二我力法
に越すことなきは無論の談なりと云ひ且其所謂会社条例の
弊害を除去り得べしと云ふには非ざれども先づ条例の有る
れば其筋にて異論ありと云ふ二三の箇条だに片付なば発布
取調さへ既に済み了りて今は何れ内閣にあることなるべけ
用ヰルヲ以テ我法典モ斯クスヘシト為シ法条配置ノ法ヲ忽
施行には造作あるまじき有様なりと云へり
二斯クアルヲ以テ斯クスヘシ独乙法典ハ斯ノ如キ配置法ヲ
カニセス完美ノ法典ヲ制定セント勉メラレンコトヲ希望シ
多きに過ぎたるやの景色ありて中には之が為に苦情を生じ
て過行きしに以後会社の設立跡を接ぎ今日となりては中々
て特に会社条例となしたるところ当時発布の運に及ばすし
行の必要を覚ゆるものなればとて先年既に商法より取除け
ば会社の法を布く限りならねども此法は一日も早く発表施
の一位を占むることなるべければ商法発布の暁に至らざれ
して民法に人事財産などの諸編あるが如く自から商法部内
会社の事に係りては法律は固より商法の中に籠れるものに
︵第一巻一〇号、明治二一年一一月発党︶
雑報﹁会社条例﹂
に拠れば法律取調の事業たる元と条約改正の必要より起
此委員の負担実に重きに過ぐやの感なきにあらず聞く所
の短時日間に仕遂ぐるかを知らざれども局外より見れば
の人材なるべければ我々が思ふより意外の大事業を意外
或る人此事を評して曰く法律取調委員は勃れも才学兼備
訴訟の三法をを取調べ居ることは人の知る所なるか近日
同局が司法省の中に設けられ委員は勉強して民法、商法、
て袋に其全文を借用すべし曰く
ことに関し左の記事を載せたり深く吾人の意を得たるを以
ことには最とも深く意を注ぐ所の毎日新聞は法律取調局の
東京府下の諸新聞紙中最とも多く法律家の集会し法律上の
︵第一巻一〇号、明治二一年一一月発見︶
雑報﹁法律取調委員局﹂
紛議の絶間なく遂に裁判沙汰に持出し兼ねぬ有様となりた
り条約改正会議中止後一時此会も中止となり居たるも此
テ措カサルナリ
れども未だ会社の事を処すべき特別の法とてなけれは弥々
ハママロ
以て会社条例の必要を感じ仮令へ法律の立てばとて︸切の
法
叢
288
論
律
尽すに足るや否や結果甚だ疑し其所以は此三法たる其中
まじ条約改正と密接する者ならんには委員は果して任を
改正事業たる条約改正と密接の関係を有するに相違ある
制定する如きは恐くは為し難きことなるべき歎と語りた
も重大にして最も入り込みたる者を火急に調査し火急に
に日本人民の法律たらしめんとせば民法の如き関係の最
取りては迷惑至極なり当局者に於ても此等の事には素よ
る由なり真に然り翻訳法律などを実施せられては人民に
の人々が法律の本家本元の如くに云倣す所の普国の如き
り深く注意あることなるべし
一法にても容易に調査の出来る者にあらす方今在る一種
も十年以前に民法︵商法訴訟法民法の三を兼ぬる如き者
の官吏は普国の法律家に比して如何に智力、学力、経験
功を見ざる一例にても事業の難事たること知るべし日本
法律ハ社会ノ需要アリテ初メテ生スヘキモノニシテ其発達
︵第一巻一四号、明治二二年三月発免︶
奥田義人﹁法律ノ制定﹂
にあらざるも︶を編纂することに着手したるも今に其成
超過し居るやを知らざれども彼国の名家が十年尚ほ研磨
ハ社会ノ進化二後ル・コトアリトモ先タツヘキモノニアラ
ズトノコトハ余力蝶々ノ弁ヲ待タス蓋シ具眼ノ者ハ已二之
の功を奏する能はざる者を立談の間でもなきが火急の間
に合せんとて三法を調査せんとは此任を申付たる人も随
ヲ世界古今ノ沿革実跡二徴シ皆能ク明知スル所ナルヘシ然
所ヲ問ハス随意二之ヲ作為シテ実行スルコトヲ得ヘキカ如
分大胆なるが此任を受けたる人も随分大胆なり法律にし
に命じ昼夜の勉強にて翻訳せしめ直ちに之を日本に施行
ク単二法律ノ条文ヲ草スルトキハ人事悉ク整理ノ緒二就キ
ルニ余力尚ホ屡々弁ヲ費ヤシテ此一事ヲ論スル所以ノモノ
するを得れども法律は社会を製造する者にあらずして社
テ庶民尽ク太平ヲ歌フニ至ルコトヲ得ヘキモノト妄信シテ
て社会を製造するに足る者なれば電報にて英なり仏なり
会が法律を製造する者なることは靴は足の為めに製造せ
而シテ法律ノ社会進化ノ度二適セサルハ非常ノ宝呈母ヲ流ス
ハ世間往々法律ヲ以テ一種ノ製造物ト見倣シ何ノ時何ノ場
らる・者にして足は靴の為めに製造せらる・者にあらざ
ニ至ルモノタルノ事由ヲ解セサルカ如キノ徒ナキニアラサ
独なり望み通りの律書を取り寄せ二一二又は四五の書記官
ると一般なり日本の法律にして翻訳法律たらしめず真正
「日本之法律』にみる法典論争関係記事(一)
289
此故二西人常二一国ノ法律ヲ以テ其国文化ノ反照ナリト称
ノ発達ヲ妨害スルハ火ヲ観ルヨリ明カナリ
サランヤ恰モ濃肥ヲ発育未完ノ草木二施スト一般却テ社会
ノ程度二先タツハ山豆二彼ノ苗ノ長スルヲ助クルモノニ非ラ
在リトス果シテ然ラバ其補成ノ具タル法律ニシテ社会進化
発達セシムルニハアラスシテ社会ノ発達其物ヲ補成スルニ
ンハアル可カラサルナリ元来法律ノ要ハ法律自カラ社会ヲ
ヤ再ヒ真相ヲ顕ハスノ時期アリテ到来スルコトヲ予察セス
ノ発達ニハアラスシテ外面皮相ノ装飾タルモノナレハ必ス
カスコトナキニアラサルモ畢寛其力二籍テ発達シタルハ真
トヲナスヘカラス但社会ノ発達ハ或ハ法律ノカヲ籍リテ促
二任シ漫リニ法律ノカニ籍テ社会ヲ発達セシムルカ如キコ
テ之ヲ除却スルノ策ヲ施シ社会ヲシテ成ルヘク自然ノ発達
進化ノ線路ヲ妨害スルモノアレハ其時々ノ必要二応シテ以
何ヲ慮テカ新苛ノ法律ヲ作為スルノ必要アランヤ若シ社会
モ荷モ社会ニシテ平穏無事ノ線路ヲ進行スルノ日二於テハ
人心ノ団結ヲ計ラサルベカラサルノ必要ナキニアラスト難
ルカ如キハ遽二法律ノカヲ籍リテ社会ノ秩序ヲ定メ以テ其
ルヲ以テナリ抑々戦乱ノ後人心皆四分五裂ノ境遇二際会ス
メテ分配相続法トナスコトモアレハ則チ如何是レゾ即チ本
家ヲ建立スルノ基本トナサ“ルヘカラストテ遂二此制ヲ改
財産ハ宜シク之ヲ次三男ニモ分配シテ以テ各自独立シテ一
テ一家ノ財産ヲ悉皆相続スヘキノ理由アルヘカラズ一家ノ
相続スルヲ見テ是レ不可ナリ実二不公平ナリ嫡長ノ故ヲ以
従来本邦ニハ長子相続ノ制行ハレ一家ノ財産ハ独リ長子ノ
フ左二一例ヲ掲ケテ之ヲ論セン
ノ立法官ヲシテ遽二法律ヲ製作セシムルカ如キハ如何ン請
夫レ法律本然ノ性質ハ右二述ル所ノ如シ是ノ故二或ハ好奇
スルノ徴証ナルモノナリ
即チ所謂一国ノ法律ハ其国ノ文化ノ程度人情風俗等二随伴
リテ漸ク以テ今日ノ法律ヲ発達セルノ経歴アルヲ看ヨ是レ
諸国ノ法律ハ古代ヨリ時勢ト共二千変万化ノ顕象ヲ呈シ来
各々其規定スル所ヲ異ニセルアリ試二歴史ヲ繕テ看ヨ右等
律アリ英国ニハ英国ノ法律アリ仏国ニハ仏国ノ法律アリテ
ノ法律アリ加之日本ニハ日本ノ法律アリ支那ニハ支那ノ法
ノ法律アリ文明ノ度梢々進ミタルノ国ニハ其度二応シタル
トヲ照合シテ之ヲ見ルモ野蛮ノ国ニハ残酷言フニ忍ピサル
ハコソ事ノ実地二就テ一国文化ノ程度ト其国法律発達ノ度
二拠テ以テ発達ノ度ヲ異ニスルモノナリトハ主張セリサレ
ママ シ法律ハ文化ノ程度二随伴シ其国ノ人情風俗地形等ノ差異
290
叢
二十五円内外ノ生計ヲ営ムモノトナサ.・ルヲ得ズ一ケ年十
四円ノ財産ヲ有シテ其収入僅カニ十九円ヲ得ルモノタリ然
ルヘキヤト云フニ今精密ノ調査二拠テ之ヲ証明スルコト能
五円ノ生計ハ一ケ月一円余二当レリ其生計未ダ高度ナリト
邦人民生計ノ程度二適セサルノ制度ニシテ到底一般二行ハ
ハスド錐モ去ル明治十八年頃ナラン大蔵省主税局二於テ千
謂フベカラザルナリ而シテ分配相続法二拠テ以テ一家ノ財
ルニ政府二納ムベキ税額ハ平均一人二付三円余ナルヲ以テ
八百八十一年刊行ノ世界富ノ進歩ト称スル書籍ヲ基トシ各
産ヲ一人毎二分配スルモノトセバ取リモ直ホサス右表中ニ
ルヘシトモ思ハレサルノミナラズ遂二兄弟共艶ノ姿ヲ呈ス
国富力参照表ナルモノヲ編纂シタルコトアリ載セテ統計集
モ示セルカ如ク一人ノ財産価格百十四円二・ツテ一ケ年ノ収
之ヲ収入ノ十九円ヨリ差引ケバ本邦ノ人民ハ正シク一ケ年
誌第四十五号二在リ此一表タル素ヨリ粗略ノ調査二拠テ成
入中ヨリ租税ヲ差引キ一ケ年十五円内外ノ生計ヲ営マザル
ルニ至ルベキナリ然ラバ則チ本邦人民生計ノ程度ハ如何ア
リタルモノタルノミナラズ今日ノ時態トハ梢々其趣キヲ異
ヲ得ズ目今米価低落ノ中央二在リト錐モ衣ルニ衣服ナカル
ト難モ然レトモ本邦人民ノ生計ノ程度二付其大概ヲ推知ス
必要ナリ何ヲ以テカ能ク各個力独立シテ其生計ヲ営ムコト
ベカラズ住ムニ家屋ナカルベカラズ教育モ必要ナリ交際モ
人口]人二
テ土地家屋等ノ価格商業
及人民財産ヲ包括ス
四一五四二四円
人ロ一人二付収入ノ割
一九円
ミズシテ濫リニ法律ヲ作為スルトキハ概子右ノ如キ奇観ヲ
トモ時勢ノ如何人民生計ノ程度如何文化ノ程度如何ヲモ顧
伴フ所ノ弊害多キニ於テポヤ右ハ只是レ一仮例二過キサレ
邦二施行スベカラザルヲ知ルベシ況ンヤ此制二付テハ他二
ナルガ如キモ生計ノ一点ヨリ観察スルモ未タ遽カニ之ヲ本
スルモ得ヘカラザルナリ故二分配相続ノ制タル理ハ則チ理
百十四円ノ財本ヲ食ヒ尽シテ共二艶ル・二至ラサラント欲
ルニ足ルヘキヲ信スルヲ以テ其本邦二属スル一表ヲ抜摘シ
収入百円二
付財本ノ割
不動産及動産ノ全部ニシ
ヲ得ベケンヤ蓋シ思ハサルノ甚タシキモノニシテ毎一人各
租税
不動産及 国税及
収入 動産ノ収
付租税ノ割
国債ノ割
一一四円
財本百円二付
九二六八円 =二・五
地方税
六八七九八円
入ヲ云フ
国 債
三四九七七円 ○・八
此表ヲ以テ標準ト定ムルトキハ本邦ノ人民ハ一人二付百十
財本
テ左二掲ケン
ママリ
ニスルモノナルヲ以テ決シテ確実ナル標準トナスヘカラズ
弘
醐
律
一法
「日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)一
291
外果シテ法律ナシトセンカ現二裁判官力民事上ノ紛議ヲ処
モノ・言ノミ論者ノ言ノ如ク本邦ニハ刑法治罪法ヲ除クノ
如ク論スルモノアレドモ是レ畢寛法律ノ何タルヲ知ラザル
世人動モスレハ本邦ニハ刑法治罪法ヲ除クノ外法律ナキカ
ナリ
呈スルニ至ルベキナリ法律ノ制定慎マスンハアル可ラサル
二本邦二於テモ尚ホ未ダ其実行ヲ見ズ登記法ノ出ズルアリ
テ法律ノ法律タル功用ヲ呈スルコト能ハザルヲ如何セン現
サルノ法律ヲ明文二作為シ徒二文字文章ヲ羅列シタレバト
タル所以ナリ文化ノ程度ニモ応セズ人情ト風俗ニモ適合セ
二当テ能ク其効ヲ奏スルモノナレバ是レゾ即チ法律ノ法律
ハス能ク其国ノ文化ノ程度二応シ人情風俗等二適合シ実地
ベカラズ文字文章ノ記号ヲ以テシタルモノタルト否トヲ問
所以ノモノハ何ゾヤ即チ裁判官ハ一己ノ意見ヲ以テ裁判ス
ズ然ルニ吾等人民ハ裁判官ノ処分二服従セザルベカラザル
義務アルモ裁判官一己ノ意見二服従スルノ義務アルベカラ
職務ハ法律ヲ適用スルニアリ我等人民ハ法律ヲ遵奉スルノ
ルガ如キコトナカラシメンコトヲ要ス毫末ノ不注意モ其影
加へ荷モ民度二適セズシテ実地二臨ンテ人民其煩二堪ヘザ
新二法律ヲ作為シ若クハ編纂スルニハ注意ノ上ニモ注意ヲ
由ノ存スルアリテ今日二至ルモノナルベシト難モ兎二角二
出ツルアリテ未ダ半バ実施ノ途二就カズ是等固ヨリ別二理
テ人大二其手数ノ繋劇ナルヲ厭フノ姿アリ取引ノ諸条例ノ
ハマこ
理シ権利義務ヲ定ムルアルハ法律二拠ルニアラズシテ自己
ルニアラズシテ法律二拠テ裁判スルヲ以テナリ然ラバ則チ
響スル所ハ実二広大ナリ慎マサルベカラザル也
ノ意見二拠ルモノナリトナサザルベカラズ然ルニ裁判官ノ
本邦裁判官ハ如何ナル法律二拠ルモノナルヤト云ハ.・彼ノ
所謂不文法二拠ルモノナリト謂ハザルベカラズ本邦既二不
鹿を逐ふ猟師山を見ず人各々自己の目的とする所に熱心な
︵第一巻一四号、明治二二年三月発見︶
坪谷善四郎﹁法律学に党派を要するか﹂
二之ヲ成文トナシ且ツ加フルニ新規ノ制ヲ以テスルヲ要セ
文法ノアルアリテ人民ノ権利義務ヲ定ム何ヲ苦ンテカ今遽
ンヤ法律ハ何モ文字文章二認メタルモノノミニアラス法律
るは人情の常にして自己の好む所の事柄は兎角其価値を積
もり過こすの弊あるは蓋し免かれさるの事に属す引証には
ハ素ト無形ノ規則ニシテ文字文章ハ記号ノミ法律ハ記号ヲ
以テ示シタレバトテ決シテ其宜シキヲ得タルモノトハナス
292
叢
論
律
法
諺は心理学上無限の趣味を包含するものに似たり若し餅屋
梢鄙野なりと難ども彼の惚れた眼で見りや痘痕も密てう裡
を解き廻るも固より当然のことにして敢て怪しむに足らざ
調により法華坊主の宗旨を勤め込むが如く懇々切々其効能
位単複の利害の如き或は哲学中に於て唯物主義と唯心主義
るなり蓋し此等の党派は必ずしも両立し難きにあらず又両
唯だ一宗教を奉ずれは他の宗教を奉ずるの必要なく又或は
の弁難の如きは皆是れ未だ何れか果して真理にして何れか
は餅屋酒屋は又酒屋各々自家の奉ずる所に鋭意するに非ず
数多の学科中其一を撰取すれば他を措くも可なるものあり
不利なるや得て知るべからずして今日猶ほ学者の論断を要
立し難しとするも一党朴れて一党之に代はり新陳代謝して
と難ども若し一国人民尽く同一物を奉ぜざる可からさる所
するものなるが故に双方の論者が筆端より火花を散らし吻
んば得て其大成を見る可からざる也故に仏教徒の眼中には
のもの・間に於て珍域を設け党派を樹立するが如きことあ
頭泡沫を飛ばして論難するも敢て無理なりと言ふべからず
以て其党勢を張らんことを勉むるものなるが故に深く答む
らば果して如何あるべきか
其自由貿易保護貿易の如き貨幣本位の単複の如き畢寛時と
耶蘇教なく回々教なく又耶蘇教徒の眼中にも他の仏教等の
改進党や保守党や或は急進党若しくは漸進党と各々其党派
場所によりて其利害を異にするものにして米国は保護を利
るを要せず否寧ろ之を以て其当を得たるものとす
を樹立し頻りに他党を攻撃して其勢力を傷つけ以て自党の
なりと云ひ英国は自由を益ありと称し仏国の複本位主義は
宗教あるを見ざるべし故に曾て皇典学者は漢学者を罵しり
主義を拡張せんと欲するは政治部面に游泳する人の常なり
時に貴貨去て賎貨来るの不利ありと錐とも独逸の金貨単本
孔孟党は高天原連を嘲けり互に讃誘を極めしことありしも
蓋し政党なるものは他の反対党と議論を国会の議場に闘は
位も又是強ひて隣国を苦しめんとする政策上の故意に来る
ざる者あり経済学中に於て自由貿易保護貿易の得失貨幣本
し勝を制するものは以て代つて政権を操持すべきが故に成
ものあり彼の哲学者の⊥ハ十一原素以外又一物なしと云ふも
今亦一学派中に於ても互に其主義を闘かはせて氷炭相容れ
るべく自党の数を殖やして以て其主義を広め他党を圧して
或は原素以外の造化の妙用ありと説くも皆是れ一応の理屈
敢て其理なきにあらざるなり然り而して彼等数多の宗教中
其政権を握らんと欲し酸酒自賛の語気を用ゐ他党罵署の口
「日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
293
見ざるもあるべし寸も長き所あり尺も短き所無しとせず彼
習あり其国に於ては善制良度なるも他国に適用して其効を
長所を採り以て我法典と為して可なり各国各々旧慣あり古
の主義により英仏独伊何れの国を問はず惟だ宜しく各国の
文法を設けんとするの時に当ては所謂智識を世界に求むる
を見ること多きを望むものなり況んや我国の如き新たに成
唯だ成るべく人間の行為を規定するに不便少なくして効力
法律学は実用の学なり哲理を講するは其目的にあらすして
るなり
触蝸角に争ひ堅白異同の弁を闘はすは吾人の本務にあらざ
消費するは宜しく其研究を専門の学者に一任して可なり螢
云ふべし然ども此等の議論の為めに此勿々忙々たる歳月を
より見るときは火炎となると云ふが如きも又寓意ある説と
り人間の眼を以て之れを見れば流動体の水にして餓鬼の眼
屠氏の所謂唯一の水にして天人之を見れば瑠璃の浄土とな
を見て智と云ふが如く見る人の見解によつて異なるのみ浮
ありと難とも孔子の所謂仁者は之を見て仁と謂ひ智者は之
他山の石と相攻して以て其光輝を発す弁難駁撃して仮借す
短を補ふべし固より真理は研究によつて発見せられ宝玉は
部の内に限ることなく普ねく宇内を通覧して長を採り以て
於て最良制度を撰択するに当ては決して眼界を一国法一局
らざるべしと難とも筍くも智識を世界に求めて以て其中に
て他の為す所は長所も猶ほ短所の如く見ゆること無きにあ
所謂贔負目を以て見るが故に自己の短所は短所と見へずし
とせは果して如何蓋し人皆自から奉ずる所に熱心なるの余
と為し互に党派を樹立して以て相争はんとするの傾向あり
きが如く英吉利学者は又英吉利にあらざれば法律にあらじ
り法律の学に限り仏蘭西学者は仏蘭西にあらざれば法律な
根も移して武蔵に植ゆれば練馬羅萄に変ぜんとす然るに独
云ふを得ざるべし江南の橘も江北に移せば枳となり尾張大
る故仏律なり独乙人の編纂せしものなるを以て独律なりと
く琉球芋と称するが如く必ず仏国より教師を聰せしことあ
はち日本の法律なり其根原の種子を琉球に採りしが故に長
もあれライトにもあれ之を採て日本の法律となせば是れ即
するは甚だ賀すべき所なりと難とも誇張尊大又眼中に他の
る所なく因て以て益す法理の葱奥をを究はめ制の完整を期
ハママリ
源流を酌むと錐ども仏国には仏国の法あり独乙には独乙の
学派なく否強ひて学派の異同を設けて以て自己以外の学派
我を折衷して惟だ其宜しきを制して可なり同じく羅馬法の
律あり然らば則はち英法や仏律やドロアやロウやレヒトに
法
294
を排斥し天上天下唯我独尊を以て任するに至ては山豆後進を
惟だ一宗教を奉じて可なりと難ども法律の如き人民現世の
以て満足すべきにあらず山豆法律社会に党派を設くるの必要
行為を規定するものは決して一国限りの制度に模倣するを
人々は仮令其主として奉する所英まれ独まれ仏国まれ決し
あらんや聞説国会の開設将に近づいて政論家は頻りに党派
誤まること無きか蓋し世の博士学士の尊称を肩にする所の
て其一国の法理に甘んずることなく汎ろく各国の法理を究
しと蓋し或は法律学者も又其熱度の波動に感せられたるに
の団結に奔走し其熱に煽動せられて夢中に逆上するもの多
奥に通せらる・が故に単に英を尊ひ仏を奉じ自己の専攻す
はあらさるか然らずんば今日の我国に於て法律社会に党派
はめ或は沿革に尋ね或は比較に徴し分析探求して以て其薙
る所を敷演するも敢て過信と言ふべからず又敢て所謂喰ら
樹立の必用を発見する能はざる也会ま感ずる所ありて此言
を為す
雑報﹁有夫の婦人の無能力﹂
︵第一巻一四号、明治二二年三月発免︶
我が民法人事編中に制定すべき有夫の婦の身分に就きては
其筋に於ても仏、伊諸国の如くせんとの考案なる由なるが
こ、に其の大要を説かんに有夫の婦は通例無能力なるを以
徹頭徹尾他国の法律を排斥して以て法律界の覇権を一手に
も夫より一部若しくバ全体に就き允許を与ふれば財産を処
に関して和解を為し仲裁を受け及び訴訟を起すを得ざれど
て夫の允許を得るに非されば財産を処分し或は諸般の行為
握らんと欲するが如きハ是れ智識を世界に求むるの主義に
書を要せざれども全体ならんには公正証書を以てせざるべ
分することを得るなり尤も其の允許は一部ならば格別の証
将た回々教にても筍くも未来に安心の地歩を為すに足れば
反するや必せり彼の宗教の如きは耶蘇教にても仏教にても
だ其欠典を挙けて其不可を論じ以て其完整を望むは可なり
や一得あれば一失あるは猶ほ表面あれば裏面あるが如し唯
しとすべからず是れ山豆後進を誘ふの方を得たるものならん
る所を失ひ何れを学んで可なるかに迷ふ者世上蓋し其人少
又法律なしと云ふあらバ其説の為めに左右せられて撰択す
呼して英国法律の欠典を挙げ互に我奉ずる所の法律以外に
呼して独仏法律は法律にあらずと云へば仏独法学者は亦連
は或は之が為めに迷ふ所なきか英国主義の学者は皆大声疾
ず嫌ひの誹り無かるべしと難ども若し夫れ後進の徒に至て
叢一
論
律
「日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
295
帰するか然らずんば夫の利益を保護する精神の法文は徒労
を害すべき免許を与ふるを得ざるを以て右の制定は法徒に
之を為すを得べき旨制定する由なれども裁判所は夫の利益
にせる行為を為さんとする時は婦は裁判所の允許を得れば
害することを得ざること勿論ながら若し矢婦互に利益を異
判所にては允許を与ふるを得れども其の允許は夫の利益を
の得たる允許の廃止を請求することを得るなり斯の如く裁
至りて其允許を請求することを得べく夫も亦場合に依り婦
其の允許を請ふの困難なる時は婦は其住所の地方裁判所に
得べき場合に当り夫の之を肯んせざるか夫不在なる等にて
財産を処分するを得ること・なる由なり此の他夫の允許を
は婦自身商業を営む時に在ては婦は夫の允許を要せずして
りたる時、夫の治産禁︵民刑に論なく︶受けたる時若しく
以て正則となせども夫の未成年なる時、夫の失踪の推測あ
を廃止することを得べし而して元来婦は夫の允許を得るを
からず又夫は夫婦財産契約に基き与へたる允許と難ども之
も懐胎したる場合婦懐胎したるも未だ適齢に達せざる場合
ぎたる場合に婦独り適齢ならずして無効の請求ありと難ど
ざる由にて又適齢後婚姻を確認したるか若くは三ケ月を過
る尊属親若くは親族会は無効なりとの請求を為すことを得
齢に達せざる者の婚姻に就ては一旦其実を知りて許諾した
なる旨を請求することを得れども右の内婚姻を為し得る年
方、尊属親、親族会其の他現実の利害を有せる者より無効
たる時、尊属親、卑属親間に於て婚姻したる時は婚姻者双
為めに離婚の宣告を受けたる者にして姦通者と婚姻を為し
姻を為し得るの年齢に達せざる時重婚を為したる時姦通の
婚姻も亦た始めより成立たざる者と見倣す由其の他男女婚
を有せしめずと云ふ又身分取扱人の立会なくして為したる
其の婚姻は始めより成立たざる者と見倣すが故に毫も効力
に当り人違ありしか若しくは心神喪失の事実ありたる時は
今又婚姻故障のことに因り聞く所によれば凡て婚姻を為す
︵第一巻一四号、明治二二年三月発見︶
雑報﹁婚姻の故障﹂
ハママ に帰するならんなど論する者あり
に至れば婚姻の無効を請求するの権利は消滅に帰せしむる
趣なり
叢
法
︵第一巻一七号、明治二二年六月発免︶
坪谷善四郎﹁法学士会、法典編纂を非難す﹂
法律学に屈せざる可からず是れ其故なきに非ず政府ハ主と
に就て其最とも進歩著るしきものを挙れバ必らず先づ指を
しむるに過ぎざらんとす彼の欧羅巴諸国の薔薇花、美ハ美
なりと難も之を東洋に移植して果して能く艶麗なる花を開
き酸郁たる香を発するや否や若し此時に於て日本固有の桜
花や東洋特性の梅花にして無きものならしめバ或ハ他に美
観なきが為に強ひて欧羅巴の薔薇を移植し来るも亦已を得
さることに属すと難ども既に東洋特性の梅花日本固有の桜
花にして譲郁の香と艶麗の色を呈するあらバ山豆故さらに遠
く泰西より薔薇花を移し来るを要せんや吾人ハ従来我国諸
法律の編纂について此感を抱くこと久し
我邦に就て近時諸般の学科ハ実に長足の進歩を為せるが中
ナポレヲンに採りしにあらざれバ独逸法典に倣へるなり彼
て之を︸見すれバ其体裁甚ハだ美なり蓋し其模範をコード
刑法治罪法や民法商法や条項整然たる各︸部の大法典にし
に起因せずんバあらざるなり
度をのみ模倣して我国の旧慣古習を斜酌することの疎なる
るもの、如し是れ抑も何の故ぞ他なし専ばら外国の法律制
する諸法典とを挙げて十分世人を満足せしむること能ハざ
既に世に行ハる・刑法治罪法と今後将さに発布せられんと
ども此等諸君の熱心と政府当局者の厚意なるにも拘らず其
しつ・あるハ実に甚ハだ感服せざるを得ざるなり然りと難
んと欲し内外の学者経験家各々其脳漿を搾りて編纂に従事
て先づ刑法治罪法を発布し尋いで民法商法訴訟法等に及バ
誉自由の権利を確かめしめんとするの厚意に出るものにし
る如此きハ是れ実に人民をして能く生命財産の安固を得名
に其比を見ざれバなり而して政府の法律の為に注意の切な
蓋し政府の意を加ふるの厚き此学科の如きものハ決して他
外国の教師を聰し或ハ私立学校を監督し注意懇到保護切実
して法律の学校を設け又法律学生を海外に留学せしめ或ハ
欲するも遂に橘をして枳たらしめ尾張羅萄を練馬大根たら
他の固有なる特性を移し来つて以て其他の産物と為さんと
のみ其天然固有の特性に戻り強て之を他所に移植し若くハ
や尾張の気候ハ尾張羅萄に適し江南の風土は橘に相当する
其国土気候を異にするときハ山豆其性質の異ならざるを得ん
り況んや有情動物の最とも高等なる人類に於てをや荷くも
に培養するも練馬大根と化し易しと云ふ無情の植物猶ほ然
江南の橘ハ江北に移植するときハ枳と変じ尾張羅萄を関東
296
訟
咽
律
「日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
297
するも山豆円柄方馨の嫌なきを得ん況んや仏国法典の如きは
制定せる法律制度を移し来つて直ちに他国に応用せんと欲
逸自から独逸人固有の性質あるべし其国土民情に適合して
合するにあるのみ今夫れ仏国自から仏国の風俗習慣あり独
潮なるを重んずべからず貴ぶ所ハ其国人民の風俗習慣に適
ども法律の効用ハ其外見の美麗を貴ぶべからず其条項の浩
て其外形の体裁を之に倣ハ.・蓋し美なるべきなり然りと難
るものなれバ彼の国に在てハ実に無上の宝典なるべし而し
れ元来許多学者の精神を凝らし長久歳月を費やして編纂せ
肥痩皆固有の特性あり同︸国に住する同一人種にして猶ほ
ものあるべからず手の長きものあり胴の細きものあり簸偉
何に焦心苦慮して探索すと難ども其全身を通じて適合する
し之を疑ハ.・請ふ一領の古洋服を買ひ来て之を着用せよ如
粋保存論者の説に雷同せずと難ども当さに然るべきなり若
きに非らず各国自から特殊の性質あるべきは必らずしも国
仏固有の制度習慣あり日本又自から日本固有の制度習慣な
借り来て之を着用するが如き観なきを得んや独仏自から独
移し来りて直ちに他邦に施行せんとせバ或は他人の衣装を
所ありといふ況んや之を万里隔絶東西其風土習慣を異にせ
時編纂の法典ハ今日の仏国に適用するにも尚ほ相応せざる
鉄道電信の便は未だ夢にだも知らざりし時代なりけれバ当
意見書を世に公にしたり其趣旨とする所を見るに︵其本文
東京なる法学士会ハ我国目下の法典編纂に対し頃日一篇の
法律の借り着制度の間に合ハせ山豆結構なる者ならんや
治むる此理に比とし兜軍記の院本真に吾人を欺かざるなり
バ憂へなん鶴の脛長しと難ども之を絶たバ悲しみなん民を
同一なる能ハざること如此し鴨の脚短しと難ども之を続か
る我日本国に施すに於てをや之を聞く仏国法典は其本国よ
一世那勃列翁が全欧羅巴を躁躍して龍駿虎鋸せる時に成り
りは寧ろ東洋の日本国に能く行ハると亦是れ我国に於て仏
其編纂も近年にありと難ども其模範を仏国に採り独逸国の
其故なしとせざるなり而して又独逸法典は仏律に比すれバ
するの不可なるを陳し殊に各種法典皆其編纂者を異するが
きものたるを要するが故に速成を競ふて外国の法律に模倣
ず其国の風俗慣習を斜酌し最とも能く其国人民に適合すべ
ハ載せて本誌の雑報欄内にあり就て見るべし︶法典ハ必ら
風俗人情に斜酌し折衷して制定し出せしものなるを以て之
為に彼此矛盾、左抵右悟の虞あらんことを慮かり今日に於
律模倣を冷笑せる一評語なるべきも然れども又必らずしも
を独逸国に施行するにハ適当なるべきも其法典を直訳的に
法
298
叢
論
律
に論及せず即ハち其主意ハ概して法典編纂は今日に於て尚
も彼の条約改正と謂へ国会開設と云ふが如き政略上の必要
も目下法典編纂の必要あることハ全たく之を度外視し一言
しむるが如きハ固より称すべきことにハあらず然りと難ど
道するが故に其艸案をして直ちに法律と為て世に公けなら
艸案の我国土民情に適合せざる所多しとは世人既に之を唱
するが如きは甚ハだ不可にして方今正さに脱稿したる法典
独仏諸国の法律を直訳し来りて直ちに我国に施行せんと欲
ことを嫌ふ者なり
を告げんとする所の諸法典をして直ちに之を実行せしめん
とすべからず仮令然るにもせよ吾人も亦今日将に編纂の成
対も起り来りて我法学社会に於て一大論争も起ることなし
りと難ども法学士会の此意見書に対してハ必らず激しき反
撃するの点ハ吾人も頗ぶる同感を表せざるを得ざるなり然
を模倣し来りて直ちに我国に施行せんとするの非なるを攻
徐うに修正を加へて完成を期すべしと謂ふなり其独仏法律
にて之を公にし仮すに歳月を以てし広く公衆の批評を徴し
其法典をして円滑に行ハれしめんと欲せバ須らく艸案の侭
全部の完成ハ暫らく民情風俗の定まるを侯つに若かず且つ
ては必要不可訣ものに限り単行法律を以て之を規定し法典
るに於てをや
んや今日其整頓を望まざる可からざるの必要も少なからざ
今日に於ても甚ハだ之を望まざるを得ざるに於てをや又況
重複あるに比すれバ一部整然たる法典の備ハらんこと吾人
る時を侯つを要せんや況んや単行法律の或ハ遺漏あり或ハ
為すが為に百年河清を待つが如く今日の民情風俗の一変す
風俗民情に適合する所の法典を編纂せざるべからず山豆之を
法理を以てし能く社会の大勢に後くれずして而かも日本の
旧来の風俗習慣と制度法令とを探窮し之に参ゆるに欧米の
きにあらず故に若し完全なる法典を編纂せんと欲せバ日本
日に変化すべしと難ども固有の民情風俗は容易に変更すべ
れの時を以て民情風俗の定まる時代と為すか社会の事物ハ
く民情風俗の定まるを侯つに如かずと為す知らず果して何
俗ありて容易に之を変更すべきにあらず然るに諸君は暫ら
に同意することを得ず蓋し一国には自ら一国固有の民情風
なる法典すらも今日に編纂せんことを嫌ふが如きは敢て之
らバ之を嫌ふと錐ども養に懲りて蒜を吹くの迂を学び完全
人未だ全たく之に賛成するを得ず吾人ハ不完全なる法典な
暫らく民情風俗の定まるを侯つに若かずと謂ふに至てハ吾
ほ早し今日ハ民情風俗の変遷しつ・ある世の中なるが故に
「日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
299
らず故に吾人ハ信ず諸君の意ハ必らず彼の主意書の末尾に
ハ世人或ハ之に向つて異様の感を抱くこと無きを保すべか
勉とめて鄭重の上にも鄭重を加へ至適至当なる法典の編纂
ふべしと謂へり全たく今日に於て法典を不用と為すと艸案
又法学士会の意見は一方にハ法典編纂は今日に於て尚早し
を公示して批評を乞ふとハ前後相抵触するに非ざるか然り
謂へるが如く現に脱稿せる艸案ハ其発して法律と為すに先
を望まる・者なるを信ずと錐ども若し諸君にして一も二も
と難ども吾人窃かに察するに諸君が前に暫らく民情風俗の
だち之を公示して世の討究を費さしめ立法者も又深かく日
暫らく民情風俗の定まるを侯つべしと謂へながら他の一方
定まるまで法典編纂を見合ハせるの論は其本旨にあらずし
本の旧慣古習を掛酌し徐々と修正を加へて完全なる法典とな
なく今日に在て法典の編纂ハ尚ほ早しと論せらる・に於て
て後の艸案を公示して徐々修正を加ふるの論こそ其本旨な
らしめ而して其完全なる法典を出すことハ一日も速かなら
にハ法典艸案を公示して世上の批評を求め徐うに修正を加
るべけれ其前後抵触する如きハ偶たま字句上の配置宜うし
んことを望むにあるべきことを若し果して然らバ吾人ハ異
者あるを知るべからず吾人ハ諸君を信ずるの厚き決して如
らる・を見て暗に妬心を抱いて之を攻撃する者なりと謂ふ
君と学派を異にする独仏諸国の法律のみ特り我国に採用せ
奔らんと欲し角を矯めんと欲して牛を殺うすものなり否諸
と欲するものなり成典法の欠典を厭ふて不成典法の欠典に
んとするものなり外国模倣に代ふるに外国模倣を以てせん
喜之助同元田肇の三氏委員と為られたりと謂ふ独逸仏蘭西
之を政府へ上申せんが為めに法学博士岡村輝彦法学士山田
に於てハ全会一致を以て法律編纂尚ほ早しとの事を議決し
れども去る四月廿七日上野精養軒に於て開きたる法学士会
独仏法学者をして之れを聞かしめバ何と言ハる・や知らさ
︵第一巻一七号、明治二二年六月発免︶
雑報﹁法典編纂尚ほ早し﹂
議なく之に賛成せんと欲す知らず諸君の意のある所ハ如何
きを得ざりしのみにハあらざるか若し夫れ然らずして諸君
バ全たく法典纂編の不可なるを説かんと欲せバ是れ独仏類
ハママソ
此き齊東の野人に類する語を為さず諸君が熱心に誠実に国
の法文を直訳して直ちに我国に施行せんと欲するときハ実
似の成典法を嫌ふて諸君が得意なる英米の不成文法と為さ
を思ふの哀情より其法典の民情に適合せざらんことを恐れ
叢
300
論
律
法
編纂を早しと為し諸君が得意なる英米諸国に模倣して直に
とハ固とより吾人の望む所なりと難ども今日に於て法典の
慣習とを斜酌し能く我国に適合せる法律を編纂せられんこ
際に於て許多の不便を生ずべきが故に十分に吾国の沿革と
遺を発見し不便を感ずることあるも転く之に変更を加ふべ
進歩に伴ふべきものなるに一旦法典を定むるときハ他日欠
に至るも未だ=疋したりと謂ふべからず元来法律ハ社会の
法典編纂の可否に付てハ欧米法学者の議論区々にして今日
国家の為に畏催せざるを得ず
ハ席上の論にして法典の下に立つ国民の容易に実行し能ハ
からず訣あれバ即ち之を補ひ弊あれバ即ち之を矯むべしと
不文法の下に立たんと欲するハ抑も又極端に奔りたる者に
ハあらざるか独仏丸出しの成文法を嫌ふて英米丸出しの不
文法に倣ハんと欲す是れ山豆角を矯めんと欲して牛を殺すも
を設け国民をして遵守に苦しましむるなしとせず是れ学者
ざることたるハ事実に照して明かなり又法律ハ之を遵奉す
勉励幾歳月を費消し稿を更むること又数次而して尚ほ且未
が容易に法典編纂を可とせざる所以なり
のにあらざるか今同会の意見書なりと云ふものを得たれバ
だ公然頒布するに至らず其事業困難にして慎重を要するこ
夫れ欧洲諸国に於て所謂法典編纂なる者ハ専ら既存の法例
べき国民の必要に随て起るべきものなるに法典を編纂する
と知るべき也然るに聞く所によれバ政府[ハ]法典編纂の奏
を編輯するの議に過ぎず仮令変改する所あるも亦只旧慣故
左に掲げて読者の測覧に供す
功を期月の間に促すのみならず続て其成稿を頒布せられん
法を修正加除するに止まる然るに我邦の法典編纂ハ之と異
に当てハ朝令暮改を避け後来社会の変遷を予想して之に備
とすと是れ山豆に急激に失し至難の事業に処する道にあらざ
にして専ら欧洲の制度を模範とするものなれバ旧慣故法を
法典編纂の大事業たる固より論なきのみ欧洲に在ても独国
るなきを得んや我々漫に其事業の困難を恐れて之を放榔せ
参酌すること殆と有名無実にして要するに其大体ハ新規の
へんことを期するが故に其必要未だ生ぜざる先にして法条
しめんことを望むに非ず然れども法律学の発達明法の士の
制定なるを以て彼我編纂の難易得失決して同日の談にあら
英国の如きハ夙に負望の士に托して之が編纂に従事せしめ
輩出に於て我邦の遠く及バざる彼英独諸国に於てすら容易
ざるなり且聞く商法訴訟法ハ独逸人某々氏の原実にして民
ハママソ
に成し得ざることを視れバ法律編纂の速成を期せらる・ハ
「日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
301
の協議なきが為め彼此互に抵触を来すのみならず其学派亦
非の評をなすにあらず唯恐る・所ハ此数氏の間に於て充分
法ハ仏国人某氏の原実なりと我々固より邦の異同により是
建白するに付きて周旋するものあるを聞きしとて彼の耳早
を制定せずして不文法の侭になし置かれんことを我政府へ
法科大学の学生中、前項に示す法学士会員に等しく成文法
雑報﹁而して又﹂︵第一巻一七号、明治二二年六月発見︶
ハマこ
異なるが為に法典全部に対する主義の慣通せざるに在り
き横浜のヘラルド新聞ハ下の如く之れを批評せり曰く法学
之を公けにし仮すに歳月を以てし広く公衆の批評を徴し徐
典をして円滑に行ハれしめんと欲せバ須らく草按の侭にて
も民情風俗に適せざれバ之れを善法と謂ふべからず故に法
教科書論文を著すと同じからず体裁美に論理精なりと難ど
るを侯つに若かざるなり蓋し一国の法典を草するハ固より
律を以て之を規定し法典全部の完成ハ暫く民情風俗の定ま
の惧あり故に今日に於てハ必要不可欠所の者に限り単行法
ぐる時ハ民俗に背馳し人民をして法律の煩雑に苦ましむる
米の制度に則るべからず其事業実に困難にして強て之を遂
法典を大成せんとせバ封建の旧制に依るべからず又専ら欧
事改進の際にして変遷極りなきが故に今例規習慣を按して
ことを希望するなり惟ふに我邦社会ハ封建の旧制を脱し百
ハ我々の非議する所にあらず唯其成功発布を急にせざらん
典の編制を排撃して不文法国に我国を葬むり去らんとする
学士会員も亦然り︶今日に至り俄かに思ひ立てるが如く法
酷に流る・ものあるを知るなり然ども又余ハ学生諸氏が︵法
者の評を以て必ずしも適切なりと言ハざるなり否寧ろ其苛
と故障を入るべき筈もなかる可し云云と余輩ハヘラルド記
減却するを恐る・にあらざるよりハ成文法の制定に彼是れ
明白にして法律家が得意の技術とする難問題も為めに忽ち
て之れを発布せざるべからず若し制定する法文の意義簡端
能ハさるもの多き国に於てハ是非共適当なる法律を制定し
法律を取捨採用せんとして其法意等も未だ一般人の了解し
成文律を制定せんと勉め居る程なれバ日本の如き欧洲の新
するに足るべき多数の判決例を有する国に於ても傍ほ始終
異にするものにして如何にも奇なり英の如き不文律を編制
生諸氏が此建白をなさんとするハ総ての人と全く其意見を
ママ 政府が法典編纂委員を設けて法律取調に従事せしめらる・
うに修正を加えて完成を期すべきなり
を怪しまずんバあらず我政府ハ十有余年、拮居鞍掌、法律
法
叢
302
論
律
呈したりとて何の効か之れあらん諸氏ハ能く其言を貫き得
遠からざるに挙行せられんとす此時に至り一片の建白書を
の編制に従事し今や将さに其調査を了り民法商法の発布も
左に掲ぐる一篇は去る頃、当市麹町の公民会に於て箕
︵第一巻二一号、明治二二年九月発見︶
雑報﹁箕作司法次官の演説﹂
るが其所論法典編纂の事に関はれるのみならず演者其
作司法次官が為されたる演説の大意を筆記せるものな
きを知らん而して諸氏にして此挙ある所以のものハ或ひハ
人は親しく其事に与かれるものなるにより読者を資す
へしと思へるか蓋し満天下の人皆な其無益の徒労に属すへ
其英吉利法律学者なるを知らしむるが為めにハあらざるか
す今に至りて斯かる無益の企てをなさんより寧ろ今一歩を
するの証拠とするに足らさる也諸氏よ余ハ諸氏に告げんと
るも其英国を利するの証拠ハ未だ以て我大日本帝国を利益
るにあらずや縦令不文法ハ英国に於て莫大の利益ありとす
なる可し彼の英国に於ても近頃ハ成文論者、其勢力を占む
片の空論により之れを決了し能ハさるハ能く諸氏の知る所
の利弊得失に至りてハ古来、其議論頗ぶる喋然たり机上一
唱ふる者も亦英法を学ぶ者に在り]それ不文法と成文法と
ど其理屈は姑く措き唯実際に於て法典の編纂せざるべから
しすべし今や法典編纂に対しては之を非とするの説もあれ
れど予て諸君も知らる・法典編纂に就ての実際の事を御咄
申し述べんと欲す而して単に法律の事と云ふも甚だ漠然た
無く且つ甚だ不馴れなれば余は余が職分の法律に付て柳か
も述ふるが適当なるべけれど自治の事は余り討究せしこと
く加藤君とは加藤弘之君を指すなり︶同しく自治の事にて
公民会の諸君に向つて演説せんには矢張り加藤君︵筆者曰
ぬ読者諸君請諒焉
る多かるべきを信じ弦に之れを掲出することとはなし
進めて法律の取調を諸氏の仲間に払下げられんことを請願
ざる事と之を編纂するに就ての手続きは何程迄に運び居る
[法学士会ハ英法学者を以て成り法科大学々生諸氏の此論を
すべしと然らバ万に一も許可せらる・.ことあるべき歎菰に
かを述べんとするなり
先づ法律とは公法私法とに別れ明治十五年来明に刑法治罪
諸氏の企を聞き卑見を述ふること斯の如し併し御議論の義
ハ真平御免を蒙る
法なる者を実施せり︵其前も新律綱領の如きはありたれど︶
r日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
303
に次ぐべき財産を保護するの道はあらず言は.・此社会に立
其手続きも別々になり居る事ゆへ何分法典を設けでは生命
せらる・都合なりとか然れども訴訟法も未だ一定せずして
の責任を有し会社の財産は勿論各自の財産をも併せて奪去
ぬなり既に私立の会社杯には株金を募りたる其会社は無限
利義務又会社の破産せし時は如何に相成るや少しもわから
の人に向て何程の権利あるか義務あるか又頭取取締等の権
を募りたる会社が何程の利益あるにや又第三者たる社員外
は如何に相成るやも知れぬなり又会社法の無き為めに資本
に当り其法律の定まらざる為め漸くにして之を結ぶも後に
為に人民の迷惑なる事も一方ならず例へば一の契約を成す
り私法を欠くに於ては其釣合より云ふも甚だ不都合にて其
市町村制の如き政府と人民との関係を規定する者あるに単
り私法とは民法商法訴訟法の三つ其重なる者なれど今憲法
むべき私法に至りては其法甚だ乏しく殆と無しと云ふ位な
たれど是何れも公法に属して人民と人民との権利義務を定
又当年に至りて憲法の如き市町村制の如きも発布とは為り
ど他の民法商法訴訟法の如きに至りては更に其標準とすべ
令の如きも法刑治罪法に関係ある事は之を以て標準と為せ
ず彼の法律を作る勅令省令若くは県知事より発する布令訓
法者にとりても亦困難する所あり粁は単り元老院のみなら
所にとりても訴訟法の無き為めに頗る困り居るなり加之立
達したれども内達迄に止まれば甚だ不整頓の所もあり裁判
れば現行法律に抵触せざる限りは其手続きに拠るべしと内
区々にて明治十九年に其頃成りし訴訟法草案と云へる者あ
に於ても=疋の規定なき為めに期限の事杯に就ても何れも
況んや裁判所の異るに於ておやと云ふに至りたり又裁判所
於ても甲の判官是とする所乙の判官必ずしも之を是とせず
は印度の仏法によりて裁決を下す者も出で遂に一裁判所に
之れを裁判し或は支那の流儀によりて唐律明律を以てし或
の進歩と共に英法に熟したる裁判官出で又英の法典を執て
れとて外国の事ゆへ一に之に則るわけにもならず近来法学
ければ情理に拠るの時は仏の法典に依る事と定めたれど是
し得べき者なり日本にては数年前は仏蘭西法律の裁判官多
依て裁判すべき筈なれど其情理なる者は又各自勝手に造作
り而して之を裁判する方に於ても其標準とすべき者あらざ
姑く措き官民にとりての迷惑困難は実に勘からざるなり
き者有らざれば各自区々の者を作り居れり是れ其の理非は
ハママ つは空に過し居るやうな者にて少しも其標準は定まらぬな
れば法律の無き場合は慣習により慣習の無き場合は情理に
叢
304
論
律
法
あらずば法典は編纂せざるを可なりと云ふ如き議論ありソ
然るに髪に条約改正論なる者起りて若し条約を改正するに
取調べの上本年政府より全部を元老院に廻して既に議決済
之を内閣に引戻し其後今日の法律取調委員会に下附となり
法は独逸人テヒヨー氏の起草に係り明治十七年より十八年
と相成れり又商法は独逸人レースレル氏の起草にか・り明
に角刑法治罪法を編みし時の如く文明国の法律を本とせざ
に終る此も同じく訴訟法編纂局あり玉乃世履三好退蔵の諸
レ或は然らん併し外国人を支配せず日本人民を治むるだけ
るべからず併し髪に一の区別を乞ひたき事あり粁は人事編
氏交々其長たり二十年に至りて法律取調委員会に下附され
治十四年より十七年に至る是れも商法編纂委員局なる者あ
相続編のニツにて東西固より其習慣を異にし居れば是れだ
既に其取調べを終りて元老院に廻りたれば多分当月頃議決
に於て三法典なる者の無くて適はぬことは既に前に述べた
けは分からぬ迄も日本の慣習に就て勘酌する積りなり然る
の筈なり其条数幾んど八百条
りて之を取調べしが十七年に至りて廃局となり商法編纂局
に世間の之を非とする者は人事相続の二者をも混清して論
以上は三法典編纂に至る手続の概略なり而して今法典に就
る如く条約の問題とは全く無関係の事にてあるなり扱て法
ぜり是れ事の顛末を知らざる故なり扱て三法典の中なる民
て論を為す者は曰く字句文章に解かり悪き所ありと如何に
なる者起り寺島伯之が長となりし事もありしが二十年四月
法案は通じて一千四百条之を起草せしはボアソナード氏に
も外国人の起草したる翻訳文なれば余程に修正は加へしも
典を編纂するに就て如何にして之を成したるやと云ふに之
して明治十三年より同二十一年に終れり固より外国人の事
の・未だ全く其臭気なしとは思はれず彼の市町村制の如き
を集むるに於て余程困難せり日本にても其慣例無きにはあ
故日本の事情に対して其の悪しきは之を修正せざる可から
も旧と独逸人の起草に成るを以て往々解し兼ぬる字句もあ
院に出し之も既に議定と相成れり其条数一千余条次に訴訟
ざるは勿論なるが明治十三年に民法編纂局を設け大木喬任
り即ち法人と云ふ如きは頗る耳新らしき語なり併し是れと
廃局となり民法と共に法律取調委員会に廻り調査の上元老
君其長たり十九年に至りて廃局となり其中の財産編と収得
ても元来法律が六ケ敷にて左る簡易なる事柄にてはなく又
るまじきも西洋の慣習法とは大に趣を異にする者あれば兎
編とは元老院の議定に附せしに翌二十年に至り都合により
「日本之法律』にみる法典論争関係記事(一)
305
西洋の法典なりとて誰にても解し得る如き文章にはあらず
んとするも政府部内の準備も亦届かざる程の事なり就て公
余程の猶予あるべしと思へり縦今二三ケ月にして之を行は
と其期限は固より知り得ざれども之を実施するに至る迄は
改正の関係なしに三法典は必ず発布せらる・ならんと思へ
ざる所なるが憲法も発布し市町村の制も施かれし上は条約
にあらずよし又之を詳かにするも決して口に之を言ふを得
せざるに坐するのみ余は政府の意の在る所を詳かにする者
案を認めて直ちに抵触なりと為すは未だ今日の全篇を通覧
の草案に比して余程趣を異にしたる所あり然るを最初の草
員会に於ては精々其抵触重複の項を剛正したれば今は従前
触の廉も多く重複の筋も彩しかりしなり左りながら取調委
者あり如何にも最初は三氏の起草に成るを以て其草案は抵
次に尚ほ駁論の中に三法典互に相抵触するに非ずやと云ふ
日は一般の通語となりしに異ならず
産不動産と云ふが如きは曾ては非常に珍らしと思ひしも今
く新熟字の現はる・にて其結果より見れば彼の義務権利動
を見るに敏なる彼れ外人は必ずや我内地に入来り諸所に雑
種の自由を︵内国人同様に︶与へざるべからず然る時は利
ば外人を放つて内地に入れ之れに居住移転旅行及営業等諸
害を見ざるも若し条約成り治外法権撤去せらる・暁に至れ
に同一の屋号を用ふるとも内国人相互の取引上には別段弊
るの規定ありとか而して其之れを禁ずる所以は一商区域内
令其種類を異にするとも同一の屋号を用ふることを許さ“
我商法の草案には一商区域内に於ては其営む所の商業が縦
過ぐる程のことなるが聞く所によれば此度編纂せられたる
を大切にするの情は近頃制定発布せられたる登録商標にも
家号は商家が其取引先きに対する信用の繋る所として之れ
に其屋号の撞着より紛擾等を惹き起せしことを聞かず却て
町内に同一の屋号を用ふる商家も敢て稀れならず而かも別
り苗字の外に屋号を襲用し以て一般に取引を為し来り同一
我国の古来の慣例に拠るに商家は皆な商業取引の便益上よ
︵第一巻二一号、明治二二年九月発免︶
雑報﹁商法草案に於ける商家の屋号に就て﹂
究を望むのみ云々
民会の諸君の如きは財産を保護する上に於て之れが研究は
居して以て商業を営むべし彼此互ひに直接の取引を為さ“
是れ実に如何とも致し難く未だ日本に其語なきより拠ろ無
決して忽諸に為すべからず柳か其手続を述べて諸君に其研
法
306
叢
論
律
当路の諸公少しく顧みる所ありて可なり
以て少数なる緑眼児の利益をのみ計るは抑も何事そや我邦
らさ[る]べからさるものなるに其国人民の利益を犠牲にし
しものなりと余惟ふに法律は其国人の為めに作るもの又作
外人の為めに不都合なること多かるべしとの婆心より起り
なめばとて同一区域内に同一の屋号を用ふるものありては
るべからざるに至るべければ縦令ひ種類の異なる商業を営
を除かんとして旧慣自身を打破するが如きは我が当局者の
は実際に不便不利なる者を打破せしなれ然しながら其の弊
不利なる者特り此の点のみに止まらず左ればこそ維新以来
得ずと云ふに在る者の如くなるが我国旧慣故俗の一個人に
を以て依然として今日の如く不幸の地位に陥り居らざるを
敢て不可なけれども女子に至りては上の如き習慣あらざる
取るも次子以下の男子は皆教育を受くるの習慣あるが故に
女権論者の説の如きは一の価値なき杞憂に過ぎざるべしと
して子女を教育するの責を負はしむること勿論なれば前掲
取らざる所なるを以て長子相続の制を取ると難ども父兄を
︵第一巻二二号、明治二二年︸一月発見︶
云ふ
雑報﹁女権論者の相続説﹂
我当局者が民法財産編相続の部を分派制度の精神にて規定
に由なしと云ふに在るが如し故に之を名けて女権論者の相
る所ハ従来の如き長子相続の制にては女子の地位を高むる
今日に至り又々一種の反対論者を現出したり其の説の帰す
してか長子相続の制度に帰りて法律を制定せられんとする
に付ては攻撃論者の一人なりしが世間の小言が効験を現は
りとして痛く之れを駁撃するものありて余輩記者も亦此事
之れを打破するの必要あらさる旧慣故俗を滅却するものな
之を非とし第三説は前二説に反し法律取調委員の調査せし
其の艸案を以て旧慣故俗に基かざる者なりと信ずるが故に
するが故に成典案を非とし第二説は成典編纂を可とするも
之れを分離せんに三箇に分つを得可し第一説は編纂を非と
従て多きことは世人の皆な能く之れを知れる通りなるが今
成典案を論評する者ハ頗ふる多きを以て其論評の種類も亦
︵第一巻二二号、明治二二年一一月発免︶
雑報﹁成典案の論評者﹂
せんとするの風評あるや反対の議論遜出し旧慣故俗−別に
続説と云ふ今其説く所を聞くに我国に於て長子相続の制を
「日本之法律]にみる法典論争関係記事(一)
307
向も勘からざる由左れば今日第二説を主張せる人々も早晩
人々の中にも第一説より漸次変遷して終に第三説に入りし
き趣にて現に法律取調委員として熱心に其取調に従事せる
は何れも第一説より第二説第三説と順次に変遷せざるはな
成典案を可なりとする者にして荷も成典編纂を論評する者
者丁者は賓客たり、曰く取引、曰く契約、曰く殺傷、曰く
に、汗顔に堪へんや。甲者乙者は法学海の主人にして、丙
ふるも、余輩の筆端、其長を増さ・るは、読者に対して、山豆
輩の墨痕は、毫も鋭利を留めす。日は既に数線の長きを添
憶に堪へんや、毛端之を使用すれは、鈍禿にすと難も、余
の旧態を以て、読者諸君と文壇上に相見るもの・山豆に、悪
語は、法学者の口吻を離れさる所にして、万口一律、殆ん
強窃取等は、蓋し、法学海の饗具なり。是を以て、此等の
第三説に変遷するの期あるべしと云ふ
B. 第二巻︵明治二三年︶
とす、量に徒らに、文を弄し、辞を暢はし、華麗優美を撰
と、変化する所なく、唯、汲々乎として法理を是れ研めん
園田寳四郎﹁新法典﹂
ぶの暇あらんや、冗長を避けて簡短に就き、短刀直入、以
法学海の大敵なり、余輩は、読者に対して、葱面すると共
︵第二巻一号、明治二三年一月発見︶
に、自ら多少の慰諭する所あるなり。
て遺漏なからしむるは、蓋し、法学界の本色なるか如し、
気陽々、百物新更、殆んと窮極する所なし、斯くして、星移
簡短を以て其旨となし、明瞭を以て其骨となし、旧年机上
鳥兎勿々流水の如く、歳華菰に改まりて、明治廿三年国会
り、物換るに従ひ、社会の事物は、験々日に新にして、又日
山豆に、文辞修飾を是れ勉めんや、文を舞はして獄を乱るは、
に新なり。是を以て、昨の真実必ずしも、今は真実ならす、
の塵芥を掃ひ、硯腹堆積の塊垢を浄め、更らに読者諸君と
開設の春に達し、旭日東天に輝き、国旗軒端に閃めき、和
今日の邪説、或は明日の正理たることあり。変一変、換一
つることを得されはなり、然り而して、今此の新年の初刊
相見んと欲するものは、未た、余輩か法海游泳の興味を捨
所なし。夫れ、此の進歩変換の世に処して、変化進歩を為
に当て、看官の高覧を賜はらんとするものは、彼の客年、世
換、恰も顔を傾斜盤上に落すか如く、殆んと転転到止する
さ・るものは、余輩の学術のみ。歳月新なるも、尚ほ、客冬
法
叢
308
論
律
上の問題となり、其議論の火焔は、未た消儘に就かさりし、
若又法典編纂の業、成を告げさらんか、現今、法律の鉄点
なきを知るなり。
纂の大業、成るや否やは、須らく、世人の注目を鉄くこと
疑問は、之を、本年の実際に就て決すべき事として、其編
して、弦に、新年の曙光を見るに至りたり。左れは、此の
るなり。而して、右法典編纂は、遂ひに、旧年内に就らす
・るものなるか故に、余輩は、之を推究することを為さ・
な、其当否如何を論究するも、学術上何の利益をも現はさ
観測者にあらされは、其当否は素より知る所にあらす。否
よ、濫りに、之を編纂発布すべからすと、余輩は、政治界の
利ならは、或る他の一問題に向て、至密の関係あるにもせ
べし、曰く、法典は治国の要具なり、若し、法典其国に不
他の問題にのみ関係を有するものにあらす、故に、発布す
曰く、発布せさるべし、曰く、法典編纂は、独立の業なり、
世上の疑問とする所にして、想像百出、曰く、発布すべし、
難なることは知れり。然れとも、新法典を発するや否やは、
事新らしく哺々の弁を費すを要せす、当路者、亦、其大困
以て、統御し来りたるものとせんか、国民の、最も尊敬を
とを得るなり、若夫れ、其国体にして、万世一系の君主を
に相貫通連接することを得其国体国情と、相背馳せさるこ
故に、互ひに、相衝着の憂あることなく、各種の法律、互
の法律、皆な、此の=疋の主義に依て、其基礎を定むるか
とする所、必す=疋せすんはあらさるなり。而して、各種
は、其国体国情に適するの法律ある以上は、其法律の主義
法律に、移植すべからさるなり。夫れ然り。既に、一国に
仏国法典其密なること、水をも漏らさ・るも以て、我国の
らさるべしと難も、以て、仏蘭西共和国を治むるに足らす。
足らす。清律の繁、且つ、細なるは、欧米諸州の法条に劣
しなるべし、然れとも、以て、現今、清朝の法律とするに
りと難も、又、其当時に於ては、治国の要旦ハとするに足り
往々、見聞する所にして、漢高の法三章は、簡は則ち簡な
国法は、国体、国情に依て、多少の差違あるは、余輩か、
なり。否な、寧ろ、学術を研究するもの・責任なり、蓋し、
むることを得べきや、是れ、之を論究するは、世人の責任
あるものは、学術上、如何なる法方を以て、之を整頓せし
ハママソ
若央れ、法典其成るを告くべきものとせんか、其法典は、学
表し、最も神聖なりと感し、君主の為す所は、神聖の行為
法典編纂の事業なるそかし。法典編纂の大業なるは、今更、
術上、如何なる基礎に依て立つか、其法典の主義は、如何。
「日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
309
せしむるものなり。是れ、余輩が、英国法学者か、論議し
る、国民行為の、一般規則にして、制裁を以て、之を遵奉
国人民に対し、其国の主権者か、制定、若くは、認定した
余輩は、嘗て、論述して曰く。国法なるものは、是れ、一
のミならす、却て其国の害となるべし。
を容れす。国法あるも、殆んと、国法なきと同一に帰する
国体に反するの法律、亦、其結果相異なることなきや、疑
るべし。国体に反するの法律、其効果を顕はさ、・ると同し、
其法律は威厳を殿損し、法の法たる効果を生することなか
聖の国体にあつて、法律思想の主義を、君主に取らすんは、
か如き、不幸の結果を見るべきなり。之に反して、君主神
の、効力を顕はすの暇まあらさる中に、既に廃棄せらる・
墨守し、其変化を知らすして、法律を制定せんか、其法律
かるべし。故に、此の如き国体に向て、普天率土の格言を
係る、頭領制の国に於ては、蓋し此の格言を生することな
然るに、若し、之を、君主の観念なくして、自家の撰出に
の下、王臣にあらさるなしとの格言を生するに至るなり、
さるなし、所謂る率土の濱も、王土にあらさるなく、普天
あるか故に、命ずる所、行はれさるなく、令する所従はれ
なり、君主の命令する所は、服従せさるべからすとの観念
異なるのみならす、従て、又、国情相異なるや遠し 。然
治たり、独国に於ては、聯邦国たり、其我国と、国体、相
轍を同くするもの・如し。然るに、仏国に於ては、頭領政
て敬愛せり。左れは、此点に就ては、我国と、殆んと、其
蝶々論述する所にして、其国民も、亦、之を至貴至尊とし
の君主ありて、之を統御するか故なりとは、某憲法学者か、
して、英国に於て、政治円滑なるは、一天万乗、至貴至尊
く、又、学者の一致する所ろ、上下の承認する所なり。而
ち、天皇陛下は、主権者なりと、断言するを躊躇せざるべ
ち、主権者なり。然らは、我国に於て、一天万乗の君主、即
て、法律たるの効力を、有せしむるの権力を有する者は、即
決せさる所なりと難も、一言以て、之を蔽へは、法律をし
やに就ては、学理上、議論多き点にして、古往今来、紛紙、
地位に存在するものなり。然れとも、其主権、何れにある
は、何人と難も、法律上の制裁を加へ能はさる所の、最上
を有するもの是なり。之を裏面より云へは、主権者に向て
制定し、違法者を懲罰し以て、法律を遵奉せしむべき権勢
とは、即ち、政治上、最上権を有するものにして、法律を
とは、如何なるものなるやを一言せさるべからす。主権者
たるものに依て、下したる所の定義なり。然らは、主権者
律
叢
310
論
法
らは則ち、法律の制定編纂に於て、如何なる主義を撰択す
雑報﹁法典編纂宜しく断行す可し﹂
情に適し、国体に協ふ、完全の法典自ら成らん。余輩、暫く
するが故に、之を蒐集せば、非常の困難を覚へすして、国
を積み、年を重ぬるに至らば、判決の模範とすべきもの生
を以て、最も法律訣点の甚しきものを補ひ、漸を以て、月
法方とは何ぞや、所謂る、単行法なるもの是なり、単行法
も改良し易き進路に、依拠せんことを欲するなり。簡易の
し我に問ふ者あらは、余輩は、最も簡易の法方に依り、最
た如何なる方法を以て、之を制定せんと欲する歎。人、若
鋏点あり、其制定を希望す可き事僅少ならす、是等は、将
若美れ、法典編纂の事業を止めんか。我国、幾多の法律に
問はん。
た又英国欺、余輩は、邦国の為め、夫れ、之れを立法者に
の辺に依て定めんとするか。独国なる欺、仏国なる欺、将
較著なるものあり。然りと難も、立法者の意、果して、那
さるべからさるなり。吾人は、只、法典の編纂を以て、外
人、満腔の熱血を注き、畢世の力を蜴して、之れを排駁せ
なり。菅に、之れを望まさるのみならす、此の如きは、吾
条約の一部分と為すか如き関係たらしむることを望まさる
如し。然れとも、吾人は、其関係をして、法典編纂の事を、
思ふに、法典の編纂、幾分かは、条約の改正に関係あるが
疑はしむるも、決して、非難すべからさるに似たり。余輩、
して、法典の編纂が、条約の改正と、密接近遍せることを
其起生衰滅を倶与にすることの爾かく不思議なるや。人を
の問題か、条約改正の問題に近接するか為め耶。何ぞ失れ、.
か、法典編纂の問題に密接するか故耶、将た又、法典編纂
て、法典編纂の問題其勢を減せり。山豆に、条約改正の問題
の問題起りて、法典編纂の問題起り、条約改正の問題衰へ
出てしものなるか、将た又、偶然にはあらさるか。条約改正
期せしものなるか、将た又、期せさりしものなるか。偶然に
︵第二巻一号、明治二三年一月発見︶
感する所を記し、其編纂せらる・や、否やに拘はらす、余
国の信を、我邦に得せしめんと欲するものなり。外人をし
へき欺は、蓋し、学問上の見解に於て、明言を侯たすして、
輩は、学問上の為め、菰に、新年の試筆とすること爾り。
て、安堵せしめんと欲するものなり。抑も、外人の我邦と、
対等の条約を為すことを肯んせさるものは、我国を信用せ
益々、心志を策励し、以て、我邦我人民に、適実切当なる
纂を条約改正の蹟跣と共もに蹟跣せしむることなく、愈々
条約、於是乎、成を告げん。之れを以て、吾人は、法典の編
必らずしも、外国判事の任用を求めさるなる可く、対等の
之れを得ば、治外法権の撤去、随て之れを得可く、外人は、
には、外人の信用を得ること何かあらん。外人の信にして
れを運用執行する所の法官にして、果して練熟公平ならん
れ、編纂せられたる我邦の法典にして、果して善良に、之
さるか為めのみ。信を我邦に措かさるか為めのみ。若し夫
此編纂を急ぐにも及はさるべしとの議論、或る筋の内に行
勢力を得、条約問題の成行によりては、猶ほ更ら、遽て、
又、条約問題の方針定まらざるより、非法典編纂論、梢や
議を賛する者起り、兎角の議論ありたる趣なるが、近来は
非法典編纂論を唱へ出してより、枢密院内にも、暗に、此
其業を完ふするに至りしが、先き頃、学士会より、突然と、
の知る所にして、諸法典漸やく、此程に至り、一と先づ、
精し、殆んと、一身の健康を顧みざるに至りし事は、世人
と為し、僚属を督促して之れに膚り、夜を日に継て刻苦励
設けてより以来、同委員長山田伯は、之を己れ一己の偉業
のなり。是れ、人民の権利を、安全輩固に保護すると共も
臥由、名誉及ひ財産を、保有せしめんことを切望する[も]
て以て、我邦人民をして、安全に且つ静寧に、生命、身体、
以て、同委員長の名を以て、一の意見書を裁し、之れを内
泡に属するのミならす、又、国家の為めにも不利益なるを
・様の事ありては、伯等が、是れ迄為せし苦心尽力も、水
懐き居りしが、若し万一、斯の如きことあり、中止せらる
はる・よしにて、山田伯は、右に対し、常に、不快の感を
所の、完全なる法典を編纂し、明法達識、兼ねて、公平無
に、条約の改正を促かすの道なればなり。一挙にして両得
閣、及び、枢密院に提出せら[れ]し由なるが、若しも、此
偏なる善良の法官をして、之れか運用執行に麿らしめ、依
するの方法なれはなり。不知、世人の意見は如何。
雑報﹁山田法律取調委員長﹂
や、記者は之れを知らす。唯聞得し風説を記すのみ。
掛けて、勇退をするの決心なりと云ふ、果して、然るや否
法典編纂を、中止する様の事となれば、伯は、断然、冠を
︵第二巻一号、明治二三年一月発見︶
3 法典編纂が、司法省の事業に為り、同省内に法律取調所を
「日本之法律』にみる法典論争関係記事(一)
11
叢
法
312
を以て不急の事業の如くに思ひ、又た政府部内にも、大分
条約改正の方針︸変せし以来は、世人動もすれば法典編纂
雑報﹁法典編纂﹂ ︵第二巻二号、明治二一二年二月発免︶
く実施せらるるに至らんことを望まさるべからす。
らずとの意見を抱持するものなれば、完全なる成典の、早
誌前号の誌上に表白せるが如く、法典編纂決行せさるべか
兎に角、本年九月頃なるべきかと云ふものあり。余輩は本
雑報﹁商人帳簿備置の義務﹂
異論家の増加せし趣に記せしものあれども、条約改正は条
約改正にして、法典編纂のこととは同一ならざれば、之れ
が為めに方針の変ずべきにあらず。目下取調済になりたる
財産編、獲得編、債権担保編、証拠編の如きは、已に美濃
は熱心なる反対者の聞こへある人なれば、労々多少の変更
最も精しき人なりと云ひ、且寺島伯の如きは法典編纂にに
密院に廻送されたることなり。新任大木議長は、民法には
も弦に一の困難なる事情をも云ふべきは、同方案が昨今枢
る筈なれば、出来の上は直ちに元老院に廻はるべきか、尤
材料蒐集中にて、司法省の英法学者にも其意見を述べしむ
草案に付き、報告委員諸氏をして再調査を為さしめ、昨今
昨年一旦司法省取調委員会の取調を終り、更に此取調済の
て参考に供したる程なり。又人事、獲得の二編の如きは、
れずと難ども、商家の発達を計るか為めには信用の強固を
に取て、一時は繁雑言ふべからざるものあるべきは疑を容
来唯自己の便利の為めに帳簿を備へたるに過ぎざる我商人
取扱ふの規定なりと云ふ。愈々同法発布の日に至らば、従
見人、未成年者、婚姻契約、代務及び会社に関する登記を
の裁判所にては商業登記簿なるものを備へ置き、商号、後
つ十ケ年間之を記入するの責あるのみならず、其住[所]地
は受取りたる所の金額を明瞭に記入したる帳簿を備へ、且
立ちたる権義、受取り又は引渡したる商品及其支払ひ、又
人は其営業部類の慣例に従ひ、日々の取引、他人との問に成
昨今枢密院に於て審議中なりと聞く商法草案によれば、商
︵第二巻三号、明治二一二年三月発見︶
修正を見るなるべしとも云ふ。加之、枢密院已に之を認め、
計らさるべからずして、信用の強固を致すが為めには、此
紙に印刷して、大審院を始め、各法衙にも一部つ“配布し
人事獲得の二篇取調となりたればとて、之れに附帯すべき
の如き規定をなささるべからざるなり。
ママロ
二三の法律も共に発布せざるべからざれば、発表に至るは
論
律
「日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
313
民との間に於て、法律上人事の撞着を来たすの不都合ある
制を廃する時は、其影響忽ち皇室典範に及ぼし、皇族と人
嫡子と異なることなし。然るに外国の制に倣らひ此庶子の
をなし得る権利を有するは勿論、人の子たる権義は少しも
なるものありて、嫡子に一歩を譲ると難ども、一家の相続
欧米諸国には庶子なるものなきも、我邦に於ては古来庶子
元老院議官は反対の意見なりと云ふ、今其説を聞くに曰く、
民法人事編草案中に庶子の制を廃しあるか、之に就き尾崎
︵第二巻三号、明治二一二年三月発見︶
雑報﹁庶子の制に就て尾崎氏の意見﹂
説に或ひは遊説に種々様々の手段を用ひ所有る脳醤を搾り
けん遽かに起て法典編纂尚早しとの論を唱へ出し或ひは演
の・あるや法学士会と名けらる或る一派の人々ハ何に思ひ
春に至り其発布の期の愈々切迫せるか如き風説を伝ふるも
し一も攻撃批難を為せしものありしを聞かざりしに昨年の
とも亦昨今のことにあらず然るも政府の為せる此事業に対
如く十数年の古へにあり其草案の世に公けにせられたるこ
我邦政府の法典編纂に着手せしは世人の皆な之れを知るが
発見︶﹂ ︵第二巻四号、明治二一二年四月発党︶
批評﹁法典論︵法学博士穂積陳重君著本卿哲学書院
んど人間の権利もなく、又其義務もなく、世に歯列するこ
ものも、今日は人臣となりて忽ち私生子となり、法律上殆
までは皇室典範により庶子として一個の権利義務を有せし
爵を賜ひ人臣の列に加へらる・如き場合あるに於て、昨日
合となるべし、今試に其一例を挙ぐれば、他日皇族にて、
其目的を達し得ずと断念せしものなるか其始めて起るや脱
に法学士会員は其説の非なるを覚へしものか但しは又到底
べしと云ふものありて一時は頗ふる騒擾を極めたりき然る
れを遂行すべしと云ふものあり或ひは又之れを改正決行す
題と為り或ひは之れを中止すべしと云ふものあり或ひは之
の注意を免かれたる法典の編纂は忽ちにして世上の一大問
出して其目的を貫かしめんと勉とめたりき於是乎従来世人
ママソ
と能はざるか如き有様となることなしとせず。斯の如くん
して少しも聞ふることなきに至れり何ぞ夫れ其起るの暴に
兎の如き勢ひありしに似もやらず近頃は処女の如くに粛と
のみならず、遂には皇室典範をも改正せざる可からざる訳
は其不都合果して如何ぞや。故に我邦に於ては、是非共庶
して而して久しきに耐ふるの力なきや然るに其非法典編纂
子の制を存せざる可からずと云ふに在り、尾崎氏の此意見
は、余も亦之れに同意せさるべからず。
法
叢
314
論
律
を尽して其意見を吐露するは、亦た其負荷に対する特務
失を攻究せざるべからず、殊に法律専攻の士は、各微衷
る、故に筍くも国民たる者は、沈思熟考して、其是非得
して国家千載の利害、生民億兆の休戚、之に頼りて定ま
法典編纂の挙は、立法史上の一紀元をなすべき大事業に
ぐるに君は其序に於て之を言へり
読せざるべからず余、君の此書を著するに至りし所以を探
に多く得難き珍書たり荷くも心を法学に注くものは是を一
論は精しくして其文章は流暢に其体裁亦甚だ美にして実と
べき法理学の準縄によりて痛快切実に論断せられたり其立
上進等の諸種の手続に係る事柄を君が特得の技禰とも謂つ
領、其団体、其材料よりして法文の起草、草案の公布及其
の手続−法典編纂の規程、其範囲、其主義、其本位、其綱
委員のことを述べ最後の第五編に至りては法典編纂の諸種
の目的を論じ第三編には法典の体裁を説き第四編には編纂
及び非法典編纂論を徐述し第二編に於ては法典編纂の諸種
所に於ては法典編纂論の性質及其沿革、法律家と法典編纂
て之れを観るに本書は五篇廿九章より成立し第一篇緒論の
書を著はして世に公けにし其一本を本館に寄せられたり把
論者の一人なる法科大学教授穂積法学博士は法典論なる一
纂論者の矛となるべきか、将た非法典論者の盾となるべ
に紹介する者は学友諸氏の厚誼なり、本書果して法典編
めたる者は、我国現時の状勢なり、而して此蕪稿を公衆
めたる者は、著者が学理上の研究なり、本書を公刊せし
塵を払ひて公衆の批正を仰ぐに至れり、本書を立案せし
者を助けて校訂繕写の労を執らる・に及び、遂に筐底の
材料を与へられ、熊谷敬太郎、大久保雅彦の両氏は、著
びドクトル、バイペルトの諸氏は本書の立案に貴重なる
学博士富井政章、法学士宮崎道三郎、法学士伊藤悌次及
するを勧誘するに至りては、殆んと一なり、加之学友法
其法理学叢書予定の順序によらずして、直ちに之を公に
に、或は同し、或は異し、其見る所各異なり[と]難とも
に各国歴史上の事蹟に基きて立論し、之を諸氏に質せし
諸氏の愚見を叩く者、亦た少からず、是に於て、著者は毎
期したり、然るに近来法典編纂の論世上に鴛しく、学友
蔵めて、好材料を得る毎に之を修補し、徐うに其完成を
事論の為めに立案したるに非ざれは、久しく艸稿筐底に
比較法理学上より法典を論ぜしもの[に]して、固より時
本書は本拙者法理学叢書第十五巻に充て・、沿革法理学、
と称すべきなり、
士会員の非法典編纂論を唱へしことと共もに︽遅かりし由
と難ども之れを世に公けにせられたることに就ては、法学
んとするか余は此の書の甚だ有益重要のものたるを信ずる
は此与へられたる新規の武器により、なほ勝を中原に争は
とを非難するものなりと見しは非なる耶、非法典編纂論者
邦の問題たるー否な寧ろ過去の問題たりし1法典編纂のこ
各所に隠見散在せる君の精神とにより、本書を以て今日我
然れども余は君が非法典編纂論者の一人なると又本書の中、
の断案す下すの原料とならん事を庶幾ふに在るのみ
て、今日国家重要の問題た[る]法典編纂に対し公平無私
る者に非す、唯本書は、読衆諸氏が歴史上の事蹟に徴し
きか、著者は楚人を学んで之を双方の論者に筈らんとす
法典の発布ハ人民の待ち設けたる所なりと、又不平を抱け
思ふに法典此度の発布に就ては、詔諌の徒は必らず日はん、
公布は、寧ろ之れを祝せさるべからず、
の必要なるを感するなり、故に此度我政府の為せる法典の
りとするものなり、殊に商界の事情に鑑みては、商法発布
し、吾人ハ我邦今日の状況に照して、法典の発布を必要な
れて、公然発表せらる・は、蓋し遠きことにはあらざるべ
略々完成したりとのことなれバ、其法律取調委員の手を離
事、相続、贈与遺嘱、及び婚姻財産契約等の諸篇ハ、最早
られたり、而して又聞く所によれば、民法の残部なる、人
し商法は、之れに次で、去る廿五日の官報号外にて公布せ
官報号外にて発布せられ、予てより発布の噂さの頻りなり
担保、保証の四篇は、民事訴訟法と共もに、去月廿一日の
政府の人民に勝りて熱望せる所なりしか、人民の政府に勝
ハママ 良之助︾の歎なき能はさるなり知らず読者は如何に之れを
るものは必らず日はん、此公布の如きは、人民よりハ寧ろ
館説﹁民商諸法典の発布に接して﹂
りて翼望せる所なりしか、余輩は之を知らず、縦令ひ之を
政府が熟心に望める所なりと、法典此度の発布ハ、果して
感ずるか、
︵第二巻五号、明治二三年五月発見︶
免れざれば、そは暫く措て之を言はず、此の諸法典を把て
るは、死せる子の年を数ふるに等しく、無益の贅言たるを
知るとするも、既でに発布せられたる今日に於て之を論ず
撃に遭ひ、幾度か風霜の苦に難みし法典編纂の事業は、爾
3 来益々其歩武を進めて、民法の中、財産、財産取得、債権
一度は法学士会の非難を受け、一度は非条約改正論者の攻
「日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
15
法
律
叢
316
論
ならず、条文にして存在せざるときは、判事の権力を狭隆
条文の存在せる時と同一の効果を生ぜざるへからざるのみ
るが為めに事件の生出するを防ぐこと能はざれば、ツマリ
と能はざるなり、縦しや之れを除き去るも、条文のあらさ
有益の法文は、如何に箇条が多数に渉るも、之れを除くこ
るの前に、先づ無用の法条の存することを示すべし、必要
論者若し条文の浩潮なるを非議せんと欲せば、之を非議す
漏不完全なりとして、攻撃せらるることを免かれざるべし、
らされば遺漏の多くして、折角制定せる法典も、更らに粗
之れを蔵むる所の器の大いならさるべからさるが如し、然
さるを得ざるは、恰かも容れらるべき物件の多きに随つて、
べき所のもの多ければ、規定する所のもの亦随つて多から
却て驚くもの・胆の小なるに驚かざるを得ず、夫れ規定す
人或ひは其箇条の浩潮なるに驚くものありと難とも、余ハ
法は全部総計八百五条に渉り、商法は一千六十四条に了る、
四篇を発布したるが、通計一千三百十九条あり、民事訴訟
後日の制定に譲りて、財産、財産取得、債権担保、証据の
事、相続、贈与遺贈、及び矢婦財産契約等の諸篇は、之を
の風俗慣習、旧例古格に最も深く鑑みざるべからざる、人
之を一瞥するに、民法は唯其一部に過きさるも、一国固有
決定に苦しむ者の屡々あるは、世人の皆な能く知る所なり、
学に従事せるものと難ども、尚解し難き事項に出会して、
ては一科専門の学と為り、入り難く学び易からす、多年此
るへからざれはなり、且つ夫れ法律の学たる、今日に在り
に於て法律の起案を為さんには、勢ひ熟語の創造を為さざ
異ならさるへくして、而して法律学の伝来日尚ほ浅き我邦
本邦人のみに托して綴らしむるも、其解釈に苦しむは格別
傭ふて之を起案せしむるも、又始めよりして外人を交へす、
解釈に銀むは是れ其固有の本性にして、英人若くば米人を
るなり、蓋し法律の文たる、勢ひ倍屈に流れ易く、人の其
ふるを好まざるのみならす、力めて之れを排斥せんと欲す
べしとの過激なる論を唱ふるを好まさるなり、蕾に之を唱
る所なり、然れとも余は、之れを以ての故に、法典全廃す
が新奇にして釈し難きものあるは、世人と共もに余の認む
此法典の文体が一種異様にして解し難く、其使用せる熟語
からすして、幾んと之れを歯牙に係くるに足らざるなり、
狭阻なる論者の、謂はれなき思考に基くものと云はざるへ
らざるへし、故に条文の浩潮なるに驚くが如きは、局量の
横に流れしめ、為めに訴訟人の迷惑を惹き起すこと砂なか
なる区域内に制限すること能はざるが故に、これをして専
r日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
317
解し難きは、未だ以て法典を非難するの種子を為すこと能
の、焉んそ他日に釈然たらさるなきを知んや、故に法文の
にあらすや、果して然らは、今日に在りて解釈に苦しむも
に在りては、人の之を奇怪視するもの更らにあることなき
にして、而し解して難きに苦しみしことを、然れとも今日
亦、其始めて社会に顕はれし時に於ては、人皆其語の新奇
殺、謀殺、国事犯、継続犯、禁鋼、監視、教唆等の熟語も
之れを通常の熟語として毫も怪しまさる、権利、義務、故
すこと能はさるべし、論者は之れを知らすや、現時吾人か
て以て法典の編纂を非難せば、法典の編纂は遂ひに之を為
今日に於て已むべからざるものたり、尚し之れを根基とし
通一般に免かるへからざるものにあらされば、則ち我邦の
も、法文の倍屈繁牙なる、熟語の新奇にして解し難きは、普
釈に苦しまさるもの果して幾許かある、之に依り之を観る
拘はらす、法律の学を為さざる中等種族にして、法律の解
支配せられ居るにも拘はらす、文明の程度大ひに高きにも
に銀むにあらすや、又仏国の如きは、数十年間法典の下に
縦令普通の学術を修めしものと難ども、伍ほ此法典の解釈
せりと云ふ独国に於てすらも、法律の学を為さざる時は、
彼の法典を編纂するの機既てに熟し、文明の度大ひに進歩
なり、
大功績のあることを、我立法者に向て謝せさるべからさる
んや、山豆に之れを謝せさるべけんや、吾人は読者と共に此
と能はさるに至るの日に接近せり、山豆に之を賀せさるべけ
民は其適従する所を知るを得、判事は其権力を専にするこ
るに驚愕するなるべし、然るに今や此標準確定したり、人
さりしものを精査したらんには、吾人は其数の甚た彩多な
なる統計によりて、之れか為めに権利の托屈を暢ふる能は
中に在りしと云ふも、決して其当を失せざりし、若し精密
確乎たる一定の標準あることなく、与奪の全権、判事の掌
やを決するは、其自由なる心証に一任せられたるを以て、
慣の有無を判するは判事の特権に帰し、条理に合へるや否
のあらさるものは条理を標準に取らしめたり、然れども習
めて少なく、成文のあらさるものハ習慣に依らしめ、習慣
するに至りたるにあらずと難ども、成文を為せるものは極
法なかりしにあらず、新民法の発布と共に始めて法律を有
人は読者と共もに之を謝せさるべからざるなり、我邦従来
以て吾人人民の権利を確実に為せるの一事に至りては、吾
而して我立法者の法典を編纂して、旧法の遺漏欠訣を補ひ、
はさる也、
以上余は法典の発布に接して、思ふ所の概略を陳述せり、
く、子にして其親を訴ふるを許すことと為せるは、即ち惇
惇乱の桶を作るものなりとて、康慨流涕せるものありしに、
倫歓徳の所為を為すことを許すと異ならずして、我邦倫理
次号より徐うに之を掲載すへし、希くは読者諸彦、其れ之
法律にても、現に、臣が君を訴ふることを許さざるに、斯
異にし、君臣父子の秩序、古来画然と確立し居り、現行の
邦は、羅馬法系国、又は支那法系国とは大ひに其の趣きを
として其親を訴ふることを是認せる規定のあるを見て、我
我民法草案、及び既でに発布せられたる部分に於ても、子
歩して、愈々其幾分かは発布せられたるが、或る道徳家は、
たるが、之れが為めに蹉蹟することなく、其事業も追々進
演説に、新聞に、小言に、誹請に、種々様々の攻撃を受け
き、或ひは編纂の体裁に付き、或ひは又編制の時期に付き、
語の新奇なるに付き、或ひは其採れる文体の倍堀なるに付
ず、或ひは規定の悪しきことに付き、或ひは其使用せる熟
の間に於て、非難攻撃を蒙むりしこと、縷指するに逞あら
我当局者が法典編纂の事業に従ひしより、今日に至るまで
︵第二巻五号、明治二三年五月発党︶
雑報﹁道徳家の非難11法律家の冷笑﹂
と明記したりとて、之れを創設せるが如くに批難攻撃を加
為すことを禁ずることなし、然るに之を法律の明文に判然
子の権利を躁躍するが如きことあるときは、其子に出訴を
りても法律の明文こそなけれ、若しも後見者なる親に於て、
はずや、郷に入りては郷に従ふと、加之ならず、今日に在
界に於て陳ぶるは、穏当なりと云ふ能はさるなり、語に日
を徳義の領域内に在りて説くは可なり、然れとも之を法律
救正を得ること能はさるべし、道徳家の説は道徳論なり、之
対して更らに光輝なく、親の不正の為めに躁躍せらるるも、
に従ひ、子に親を訴ふるを許さざらんか、子の権利は親に
に理由なきものと云はざるへからず、若し或る道徳家の説
なるを以て、大方之を非難せるものなるべきか、是れ洵と
し得るの規定あり、ツマリ子に親を訴ふることを許すこと
きことあるに於ては、被後見者は、後見人に向て訴訟を為
条項に於て、後見人が若し被後見人の財産を侵略するか如
へしむる条項あることなし、只だ後見人のことを規定せる
或る法律家は之を聞きて冷笑し、民法中、子をして親を訴
法
叢
れ諒せよ、
3 若し夫れ法律の規定に就ての評論批判に至りては、余輩は
18
論
律
「日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
319
明治廿六年の一月一日なるも、民事訴訟法ハ廿四年の一月
民法と民事訴訟法との裁可文によるに、民法の施行期限は
雑報﹁奇又奇﹂ ︵第二巻五号、明治二一二年五月発見︶
闊大にせよ、
に止まらんや、請ふ少しく其眼孔を遠方に注き、其思量を
すべきもの、山豆に只此一事に止まらんや、山豆只此一事のみ
し夫れ道徳の尺度を以て、法律界裡の事物を計らば、非難
大則に従かひ、以て其曲直正邪を判定せさるへからず、倫
に在りては法律の原則に循拠し、徳義界に在りてハ徳義の
主張すべき場所を誤れるものと謂はざるべからず、法律上
を以て之れを見るときは、或法律家の陳ぶるが如くに、其
或道徳家とは何人ぞ、今之れを知るに由なしと錐ども、予
ふるは、解し難きの極と云ふへしと、云へりとそ、所謂る
民法の効力を生じて一般人民を支配するは、明治廿六年の
︵第二巻五号、明治二一二年五月発見︶
雑報﹁新法典の訴訟に及ぼす効力﹂
多き世の中なる哉、
予鷺も亦其事の奇なるに驚くものなり、奇又奇、実とに奇
なりと言はさらんや、誰れか之れを奇なりと日ハざらんや、
る訴訟法は、却て之れに先て実施せらる、敦れか之れを奇
の一月にあらざれば其効力を生ぜざるも、其用たり助法た
らざるなり、然るに其体たり主法たる民法は、来る廿六年
の中に入れ、訴訟法を助法の中に列する、皆な此義に外な
訴訟法を用なりと云ひ、英法を学びしものが、民法を主法
能はさるものとす、仏法律を学びし者の、民法を体なり、
法の治罪法に於けるが如く、須申又も離れて独り存すること
言以て之を云へは、人民相互の関係を規定せしものにして、
何なるかを知る能はさるに苦しむ所なり、失れ民法は、一
発生の時期を同ふせり、是れ予輩の大ひに惑ふて其理由の
力なきも、法官は之れを参酌し、自から此法理に循拠して
併し斯く整備せる法律の出でたる以上は、良しや実行の勢
此等の法律によりて、事件の判決を為すこと能はされども、
始めて施行せらる・ものなれは、現今に在りては、判事は、
一月一日に在り、商法と民事訴訟法とは、来月一月一日に
民事訴訟法は則ち之を実際に運用する手続を規定せるもの
判決を与ふるなるへし、と云ふものは根拠なくして云ふに
一日なり、即ち去月廿七日に発布せられたる商法と其効力
なり、民事訴訟法の民法に於ける其関係は、恰かも猶ほ刑
320
叢
論
律
法
所の管轄内に有するものは、其攻究に怠るべからざるなり、
は、今日よりして法廷内に行はる・なるべし、籍を我裁判
反することなく、而して議論の決定を為せしものなるとき
せざるも、其規定が現行の成法、法律の認むる習慣等に背
たる諸法典は、固より一般人民に遵由せしむるの効力を有
法廷を支配したりしにあらずや、去れは、此度発布せられ
に、判事も人民も、自から其心に之を基準として、陰然我
誰一人として之れに遵由すへき旨を訓示せるものあらざる
れ唯一篇の著述に過きず、法律たる効力を有せさるは勿論、
訳あり、英国法律の著述あり、独国法令の刊行あるや、是
るなり、疑ふものは之を顧みよ、我邦に於て仏国法典の翻
はあらず、歴史的事実、即ち既往の事実に徴して之れを知
して、法典編纂の如きは之を官の事業と思料し、民権の消
の之を論争せる者なしとせす、然れとも吾邦人民の習慣と
れに帰着するを知らす、我新法発布の前に於て、二一二法学者
法典編纂の利害は欧米学者間の一大問題にして、未た其何
足らさる已ならす、大に宝呈母を社会に流すことなしとせす、
明瞭ならさるが如きあらは、以て吾人の権利を保護するに
にして完全ならす、排置其処を得す、用語曖昧にして意義
律の実質上に影響を及すべき者にあらす、然れとも其形体
に関するに過ぎさるを以て、表面上より之を見る時ハ、法
之に公力を附する者也、固より法典の編纂は、法律の形体
新に条規を設け、之を排列して以て一個の法律書となし、
抑々法典編纂なる者は既に存する所の法令を彙類し、或は
に至りて之を脱稿し、本年三月遂ひに民法、訴訟法、及び
委員を設け、非常の費用と勉励とを以て之に従事し、昨年
政府は国事多端なるにも拘らす、外人を招聰し、法律取調
新法典編纂の事業は、明治十三年に於て之を始め、爾来我
︵第二巻六号、明治二一二年六月発見︶
平山錐太郎﹁英法学者は新法典を如何すべきや﹂
其事業の徒労に属するのみならす、其害毒実とに計る可ら
要なきに濫りに業を為し、止むを得べきに事を起さは、唯々
必要ありて後事業の起るは一般の状態なり、然るに若し必
は、余輩の最も遺憾とする所なり、
民に諮ることなく、否認ることを嫌忌せるが如き跡ありし
に引受けたる如き心得にて、如何なる方法を以ても之を人
纂委員に一任して以て意となさす、編纂者も亦其任を一手
長に大関係を及すべき此立法上の事業を軽々に看過し、編
商法を発布したり、
r日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
321
とも之を知るに苦み、加ふるに同国の如きは、人情、風俗、
決例、数百の単行法ありて、複雑極りなく、法律学者と難
以て其事務に従事すべきなり、故に英国の如きは数千の判
国の風土、人情、歴史、習慣等に注意し、小心翼々として
纂の事業を起す可く、又之に任する編纂委員も、周密に一
は必要止を得さるの事情に迫られ、始めて時期を計りて編
縮、国憲の興廃、億万の安危皆な之に繋るを以て、立法者
さるものあらん、殊に法典編纂の事業の如きは、民権の伸
とする所にして、我国に於て之か速成を期す可からさるハ
典の編纂は明法の士に富たる英独の諸国と難とも尚且つ難
ことを述べ、以て広く公衆の意見を求めたり、其大意は、法
に轟々たりし時に際して、法学士会は法典発布の尚ほ早き
昨年二三月の頃なりし、法典発布の挙あるかとの風説世上
至りて、余輩未た惑ふ所なしとせす、
て困難なる法典編纂の事業を喚起するに足れりやとの点に
要を感したること疑なし、然りと難も是等の理由は、果し
各藩に行れたる法規を画一ならしむる為め、法典編纂の必
勿論なり、元来法典なる者は屡々之を変更すること容易な
梢確定し、法律思想亦大ひに発達し、法典編纂を為すの期
既に熟せるが如き状態あるも、尚ほ之に着手するに至らず、
明治維新、封建を廃して政権を統一にし、外交を開て泰西
が法律思想を退歩せしむべきこと固より明也、我国の如き、
美ならさるのみならす、大に国民の権利を害し、併せて之
の習慣開花の程度等を計らさる時は、其編纂せる法典の完
濫りに大事業を企て、編纂者も亦外法にのみ模倣し、国民
とを欲し、国民の法律思想未た法典の必要を感せさるに、
法者は名を碩末なる事に籍り、自己の名を成し功を立んこ
深く憂慮する所ありたるを以てなり、法学士会は尚進んて
至らさるの事実を実見し、我邦の法典編纂の事業上に於て、
として英法学者より成り、英国に於てすら法典編纂の時機
完成を期す可しと云ふにあり、蓋し法学士会なる者は、主
し置き、広く公衆の批判を徴し、徐々に修正を加へて以て
り、単行法を以て規定し、他は須く草案の侭にて之を発布
るの嫌なしとせす、故に先つ必要にして止を得さる時に限
代に於て、法典の編纂を為すときは民情と相伴ふこと能さ
らさるか故に、我邦の如き百事改進の際、変選極りなき時
ハママロ
の文物を輸入し、社会の事態上に於て非常の変更を生した
当路の大臣に建議する所ありて、大に為すことあらんとせ
以て法典編纂の容易ならさるを知るに足るへし、然るに立
るを以て、一は以て之に応するか為め、一は以て封建制中
法
論
叢
322
律
有すること疑なし、是等のものに比するときは、英法学者
法専攻の士にして仏学に達する者は、其解釈上最も利益を
に成り、仏国の法律に拠れる者なるか故に、其母法たる仏
て其責を塞かんとするや、抑も新法典は主として仏人の手
して如何なる感想を有するか、又如何なることを為して以
する責任を全ふせり、今其発布後に於て英法学者は之に対
発布以前に於ては、其意見を述べて以て法律家か国家に対
社会に最も有力なる英法学者より成る法学士会は、新法典
釈に従事し、以て法律家の職分を尽さんとせり、日本法学
法典の母法を研究したる仏法学者は、得々然として之か解
纂の可否は之れを論争するの余地なきなり、然り而して新
学理上よりすることは兎も角も、今日に於ては日本法典編
蓋し内に顧みて疾しからさるべきなり、
家に対するの責任に負かさりし点よりするときは、同会は
も、重大なる問題に対して其意見を述へ以て、法律家か国
り、法学士会は其意見を貫徹せしむること能はさりしと難
すること能はす、遂ひに本年三月法典の発布を見るに至れ
る者なりとの感想なく、法学士会の意見ハ以て輿論を喚起
思想未た発達せす、法律なる者は自己の権利義務を規定す
りと難も、如何せん、我が邦人民は専制の治に慣れ、法律
養成したる法律上の思想は、直に此を新法の解釈上に応用
新民法を原文にて攻究したる者にして、参考書類に富み、其
は新民法の母法を研究したる者、悪る口を以て之を云へは、
者に比して大に困難を感ずべきこと固より明也、仏法学者
前に述べし如く、新法典の解釈の関し、英法学者は仏法学
く解釈の事業に従事すべし、唯要心の異なるあるべきのみ、
然らば如何して可ならんか、曰く他なし、仏法学者と均し
為すあらんとせり、後に亦之に応するの事なかるべからす、
尽せるものと為すこと能さるなり、英法学者は嚢には大に
し、以て快を取らんとするか、余輩は以て法律家の本分を
しとせす、英法学者は細密に是等の点を指摘し、之を批議
のみならず、文体用語の如きも曖昧にして不明瞭なる廉少
る等、立案者も自白するが如く、学理に合せさる場合多き
し、或ひは義務を本位とし、権利の静状と動状とを混同せ
過ざるが故に、其法条の彙類法の如き、或ハ権利を本位と
又新民法の如きは、仏法典に基き稽之に潤色を加へたるに
んか、余輩は以て法律家の本分を全ふせる者とするを得す、
牛前に丑必を鼓し、馬背に琴を弾すると一般の観を為し去ら
者は、新法解釈の事業を仏法学者に一任して更に意とせす、
は大ひに不利益の地位に在るものとす、然らは即ち英法学
「日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
323
る毎に之を開き見るの易きに若かさる也、此の如くんは以
するにありとせは、寧ろ法律書の注解を坐右に置き、事あ
り、若し法学の目的にして、単に正条を諦し、其意義に通
るにあり、法典の各条を暗記することを務むるに非さるな
抑も法律を研究するの要は、各人の法律思想を発達養成す
に然るべければなり、
べきなり、余輩は奇言を吐く者にあらず、理固とより当さ
る者は英法学者にして、英法学者は自ら進んで此責に任す
本法学の退歩を防禦し、之を導て完全なる境域に達せしむ
も拘らず、余輩を以て之を視れば、新法を真正に解釈し、日
れ如此く、英法学者は新法の解釈上不利益の地位に立つに
の解釈も亦法文の真意に適合するを得さることあらん、夫
の便なし、︵仏語に熟達する者は例外として︶随て其為す所
つ直接に仏蘭西の参考書に就き、母法の意義起源等を知る
たらしむる者なり、故に英法学者は潜心以て新法の母法た
とも其困難たる、実に英法学者をして新法律進歩の先導者
上他流の法学者に比して困難を感することあるべし、然れ
以上述ぶるが如く、英法学者は、其初に於ては新法の解釈
る者は、実とに英法学者なることを知るなり、
光を以て、新法典を外部より観察し、正当の解釈を為し得
さる点に論及することあるべし、要するに公平敏捷なる眼
観察の点も亦随て異なるか故に、他流の法学者か指摘し得
学者の為す法律の解釈は、其体裁他流の学者と異にして、
故に其欠点を発見するに於て周密なる所あるべし、又英法
は新法に対しては多少快からさるの感覚を有する者なり、
新法の解釈に関して英法学者の利尚ほ一二あり、英法学者
壊のみにあらさるなり、
労力は、彼の法理的脳髄を作るの困難に比すれば、其差宥
知らさるの一点にあり、然れとも新法の母法を研究するの
有せり、新法典の解釈上困む所のものは、唯新法の母法を
雑なる法典に対して屈撹せさるの利器たることを得べきな
て法律家と称する忙足らず、英法学者の長所、数百の判決
る仏方を研究し、困難に打勝ちて完美なる解釈を将来に期
することを得べし、英法学者は然らず、其攻究したる所の
例を熟読翫味し、判決の理由と判官の所説とにより、法律
すべき也、彼軽薄者流の墾に倣へ、世上の流行に眩惑せら
り、英法学者は既てに盤根錯節を裁断するの法理的脳髄を
の原則を推究して以て、其胸裏に法律の思想を充実せしむ
者は、判決例中によりて設けられたる法律の原則なり、且
るにあり、此の如くにして養成したる法律的脳髄こそ、複
れ、脳裏に未た材料を充実せしめさるの前に於て、濫りに
法
る所を明らめ、我劣らしと之か実施の準備に騒忙なるを看
る、実に尤も至極の事体と謂ふべし、然りと難とも、之か
実施に先ちて、更に最も切要なる所のものは︽何ぞや︾と
益々完美ならんことを謀らさるへからさることとはなりぬ、
忠愛の心を抱持する限りは、其論鉾を改めて、此新法典の
となすの運に至りたり、我幾多の小サビニーも亦、筍くも
社会の議論は、方に一歩を進めて、新法典の攻究批評を専
典論も最早過去の歴史と化し去りて、今日となりては法律
にして之を看るを得たり、一時法学社会に鷺然たりし非法
か明治六年以来、拮据経営、掬躬閣勉せし所の結果は、今
中残れるものの公布も亦将さに近にあらんとす、我立法者
訴訟法、商法及び裁判所構成法は相次て公布せられ、民法
民法中の、財産、財産取得、担保、及び証拠の四編、民事
︵第二巻六号、明治二一二年六月発免︶
中村清彦﹁法典威厳論﹂
施に堪ふるや否や、よく法理に合ふや否やより、之を遵奉
に求むる程安全なる道はあらじ、新法律の規則は、よく実
批評は真理の発見者なり、人生万般の行為ハ、標準を批評
き所のものは、夫れ真に法典の批評にある哉、
らしめさるへからす、由是看之、吾人の当さに大に勉むへ
て轍頭轍尾、我現時に於ける社会の事情と進歩とに恰当な
講し、之を実行するの速かならんことを催ふし、法典をし
は、宜く之を発見することを勉め、之を修正するの方法を
亦千載の一失なきを保するや難し、斯の如き疑点に至りて
然する所なしとするも、法制執筆の任に当る所の人にして、
らんや、加之ならず立法者の意思は、たとへ万一にして間
人なりと謂ふと難とも亦人たり、山豆に万一の誤謬なからさ
平正確なる批評即ち是なり、我法立者、如何に博学鴻才の
云ふにあらすして、︽如何ぞや︾と云ふにあり、新法典の公
宴に此新法典こそ、国家千歳利弊の関する所、民生億兆休
をなさしめ得るや否や、民情風俗に背戻せさるや、文化の
護を享けしめ、正当なる義務を負担せしめ、正当なる棄掲
すへき国民をして、正当なる権利を得せしめ、正当なる保
り実際より、此法典の真意のある所を討尋し、利弊の存す
ハ、学士も法官も、代言人も、表面より裏面より、理論よ
戚の繋る所なるを以て、筍くも身法律種族を形つくる以上
に在り現時にあらざる也、
3 解釈の大事業を企つべからさる也、英法学者の責務は将来
24
叢
論
律
「日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
幾多の問題と共に、批評によりて其本領を獲取すへき所の
制、即ち其体裁、主義、本位、秩序、文体、材料に関する
進度に適合するや否や、凡そ此百の問題は、法典全体の編
声にして、昨年二月十一日の声の如くならしむれハ則害な
の間にハ、実に侮るへからさる勢力を有するものなり、此
知らす、法典とハ如何なる字引なるやと疑ふ所の普通人民
力を有するものたるを知らすんハあらず、法律の何たるを
未た其声を発するに暇あらす、従ふて吾人の希望する所の
の批評家、実際家は、翼を収めて潜み、頭を垂れて慎重し、
者にあらさる真理は、漸く其天真を形はすを悟れり、真正
沈思熟考せし結果の反響は、固より爾かく卒然として到る
に其器々の声を聴けは、嵯呼是れ批評にも準備にもあらす、
も熱心なることかなと思はれしを以て也、而して更に徐う
れしを以てなり、流石に実際家なり、其実施の準備にかく
典に容る・を得る迄にも、驚くへき進歩をなせしかと思ハ
何となれは、我国民一般の法事思想は、斯も容易に嗜を法
声を聞けり、初めは此声を聞き、誤て以て慶事となせり、如
吾人法典の公布を見たり、未た一瞬ならすして天下鷺々の
典の悪口を陳せさるものは法律家にあらさる如く思惟する
と難とも、狽りに新法を横議し、甚たしきに至りては、法
間に蝶々する所を聞くに、浅薄不稽の言辞は尚且恕すへし
国民挙て之を助成するの覚悟なかるへからさる也、近者世
類に属すへき法規最も然りとなす、是を以て法典の威厳は、
酷なる制裁も其の力の及ふ限りにあらす、特に聴用法の部
何なる金科玉条も遂に実行を侯たすして腐朽に帰せん、厳
ず、国民の法典を信用し、之を尊重するにあらすんは、如
盛なるものあること、実に主たる一要件にあらすんはあら
銀難を減殺する所のものは、国民に之を遵奉するの意向強
謂法典の威厳とは、凡そ法典のよく実施せられ、執法家の
や疑なし、他なし法典の威厳に関すれハなり、何そや、所
し、若し然らすとせハ、是れ注意を要すへき事相の一たる
ものなり、然り真生具眼の批評は、実に我既成の法典の運
批評は、未た之をに公せしものあるを見ず、唯聞く所のも
ものあり、更らに甚たしきは、法典編纂に与りし学士に向
た冷淡なるものなりと錐とも、此等の声ハよく一種の感化
吾人ハ法律家としてハ此群盲の語、狼狽の叫に対して、甚
に国民の法典に対する尊敬心を直ちに攻撃するものにあら
つて、人身攻撃を試むるに至るものありとか風聞す、是山豆
ママ ハママソ
のは、群盲象を評する声にあらすんハ、狼狽叫喚の声のみ、
命を決するに足る所の大自在力なり
325
叢
法
れたるにもあらす、積畳山をなし、捜索引用に難難なる無
在する、支離滅烈なる百端の旧規を総合せんが為めに顕は
ん為めの必要に出てしものにもあらす、国内各部に既に現
巳に隆盛の極に達したる国家を維持保存して、永世に伝へ
鎮静せんか為めに顕はれたるものにもあらす、已に恢弘し、
を発布するの運命に至りしやを観るに、擾乱反正の余波を
とする所以のもの更に一あり、我法典は抑も何か為めに之
我新法典をして、出来くへき丈の威厳を保たしむるを必要
とを感せしむるを如何せん、
形体に関すること、甚た遠きにある点より来るものなるこ
吾人をして現に上陳の杞憂を懐かしむるものは、其実質及
吾人と雌とも固より了知せすんはあらす、然りと難とも、
法典の威厳は又大に其実質及形体に関するものなることは、
法典其者の批評は吾人か此に企つる所にあらすと難とも、
悟らさるの何ぞ甚たしきや、
ものなるか故に、不幸世俗の耳朶に止まり易きものたるを
すること爾く酷なるや、又此等の妄言は、其本来近浅なる
る所ありて、此立法者が積年血を吐て編成せる法典を冷評
らんや、嘆すへきの至なる哉、抑此等の妄言者は何の恨む
さるなからんや、法典の威厳を傷くるものにあらさるなか
故に吾人は世上に望まんとす、厳正着実にして善く法理に
るの、益々止むを得さるを知るもの也、
しきものなり、是れを以て吾人は、我法典の威厳を養成す
故に、其施行の為めに威厳を要すること、更らに一層の甚
世の進歩を促かさんとするか如きは、其実行未来にあるか
実行せられつ・あるものなりと難も、更新的の法典にして
規の多分を以て成りたるものは、法典成形の当時已に業に
しむるを必要となす、古来各国幾多の法典にして既存の例
ること、実に国民をして之を尊信敬重するの覚悟を養成せ
其実行の範囲を広からしめ、其実施の手段を円滑ならしむ
られたる法典なる以上は、其不適当の部分は姑く之を舎き、
ものなし、巳に創定若くは改更的規則の多分を以て填充せ
か為なり、我国維新以降の法律は、概ね此目的に出てさる
るか、実に是れ主として、無法社会を有法社会たらしめん
るを得す、然則ち如何が是れ新法の発布を促がせし理由な
条約改正を断行する一手段となすか如きは、吾人之を認む
況んや或一種の砂眼論者の自ら恥しなから口にするか如く、
には相違なきも、亦決して主要なる目的となすに足らす、
あらす、凡そ此等の事、或ひは新法典一小部分の目的なる
数の法例を、便宜上類別彙纂するか為めに顕はれたるにも
326
論
律
「日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
327
通したる新法典の批評は益々多からんことを、如何んとな
其宗とする所あるを知るものなり、故に各派逡ひに其得意
究するもの多くして、従ふて学派の三又四なるを致し、各
何となれは、是れ立法者に対しては針頭ほどだにも刺戟を
妄なる罵口言嘲笑は尽く其跡を断つに至らしめんことを、如
るに至るべき階段なるを以てなり、又望まんとす、軽跳浮
たとへ然らさるも是れ法典をして益々真の威厳を備へしむ
指定するものあらは、吾人何をか言はん、是れ実に真理の
穏当不偏なる学術的の論評を下し、併せて其救済の方法を
主義に拠りて、真正なる批評家の眼力を以て、公平無私に
ば若し此欠点に対し、此難渋に対し、此事例につき、此異
已ならす、実に一種特別なる利益のあるを知る者也、され
とする所の眼鏡を以て、論難批評する所あるを異しまさる
れは、是れ能く立法者の耳底に達すへきものなると同時に、
与ふることなくして、之と同時に世俗に対しては、大砲の
声なり、我立法者の耳を傾くる所なるへく、法業を以て任
一般国民の耳に止まること甚た薄きものなるのみならず、
如き遠響を伝ふるものにして、法典の尊信を打破して之か
する吾人か責任の存する所なり、然りと難とも、批評の名
大頭領に、米国各聯邦政府に法典編纂事業の委任を受けん
如くなりしにも係はらず、アレキサンダー帝に、マヂソン
剤氏か其碩学雄才の資彼れか如く、其熱心忠実の誠彼れか
其用語の銀渋珍奇なるを否ます、吾人はゼレミー、ベンザ
むる者也、故に起草者か畢生の苦心を輸せしにも係はらす、
を胡椒丸呑みに拝崇すること蟹族の偶像に於けるか如くな
見を懐抱するものなるか故に、世の攻法者に向つて、法典
吾人は新法典に対し、其公布の方法事情につき、多少の意
る自称批評家の言説をや、何すれぞ之に宥赦を与ふべき、
持し、堂々たる博士の口吻に擬して、世俗を感着せんとす
半夜卒読の新法典を材料とし、否其一ケ条若くは一章を把
る嘲笑を如何せん、況んや一篇活版摺の講録義を準縄とし、
ハママソ
を窃みてする所の誹識を如何せん、講義の仮面を蒙りてす
威厳を損するものたれはなり
吾人は我法典の神授にあらさるを忘却せす、故に其欠点な
ことを申込みしに当りて、無情にも断然謝絶せられたるの
るへしと云ふに躊躇す、真正学術的の論鋒は、其勢ひ当さ
きを保せす、吾人は我国法律語の発達極めて幼稚なるを認
事例を記臆する者にして、将又其謝絶の真意を会得するも
に潮流の如くならさるへからさるを信すれはなり、然れと
ハママリ
のなり、吾人ハ我邦人中、幸にも泰西各国の法律主義を講
叢
法
る所の法典を議するには飽く迄慎厳鄭重を旨とし、法典を
ことを希望して止まず、近く将に実施の期日に達せんとす
あることを認識するを以て、世の法典批評家の慎重ならん
も、近日多く見聞するか如き雑駁無稽なる妄評の痛く弊害
裡に紛擾を起さしむるのみならず、法学研究の上に於て妨
する所の名辞にして、此の如くに種々雑駁なるは、人の脳
義に至りては、毫も異なる所あらざりしなり、一物を代表
れども此種々なる名称は、皆唯表面上の差異に止り、其意
令我新法与にクリスチヤン第五世の法典の如く、国民の尊
其普行に関すれば也、是れ全体の運命に関すれはなり、仮
夫れ用益権とは、物を使用し、且つ其果実を収むる権利に
賛ぜざるへからざるなり、
なる語を採用して、此に其名詞を一定せるの挙ハ、之れを
碍を為すこと少なからざれば、余は我帝国民法が、用益権
敬を招くに足るへき威厳なしとするも、爾かも玉石をして
して、所有権を組成する所の要素たる使用、収益、処分の
して其法典に固有なる程度の威厳を保全せしむべし、是れ
共に焼けしむ、誰か玉を惜まさらんや、玉乎、吾其威厳の
三権中、前二者の合同に成る権利なることは、右に述べし
用と収益との二種の合同より成れる権利なり、従来本邦の
収るの権利にして、之れを換言せバ、所有権の原素中、使
有者以外の人が、物を使用し、及び其れより生する果実を
羅旬にては之をユジユス、ブリユクチユーと云ふ、即ち所
用益権とは、仏蘭西に所謂るユジユフルイなる語に相当し、
に及ぶ﹂ ︵第二巻六号、明治二三年六月発党︶
平井恒之助﹁用益権の真性を論じて帝国民法の規定
権者は決して如此き権利を有することなし、用益権者は所
ものと難ども、凡べて皆な之れを収取するを得るも、用益
より生ずる総ての生産物は、仮令ひ果実の性質を有せざる
随意に其物件を変更し、又は滅却するを得べく、又其物件
て、法律上大ひに制限を受け居るものなり、蓋し所有者は
を有せざるが故に、所有者の如くに完全なること能はずし
錐ども、併し此権利を有する者は、それを処分するの権利
件を使用し、且つそれより生ずる果実を収納するを得ると
ママ 全からんことを望む、
法学者は之れを呼ぶに種々なる語を以てしたりき、曰く入
有者の如く、随意に其物件を変更し、又は滅却するを得ざ
が如し、故に此権利を他人の物件上に有するものは、其物
額所得権、曰く使用収益権、曰く用収権即ち是れなり、然
328
論
律
r日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
329
る用益権の定義を審らかにせば、用益権其物の性質は、之
物件を使用収益するの権能を云ふ︾と、右日仏両国に於け
人に属する物件の本質を保存し、及び其用法を改めずして、
て又此の如き意味にて規定を為せり、曰く、︽用益権とは他
を云ふ︾と、仏蘭西立法者は、其民法第五百七十八条に於
体を変ずることなく、有期にて、使用及収益をなすの権利
は所有権の他人に属する物に付、其用方に従ひ、其元質本
余、帝国民法財産篇の第四十四条を見るに曰く、︽用益権と
を称して虚有権と云ひ、其権を有するものを虚有者と云ふ、
しき有様を現すものとす、法学上の術語に於ては、此権利
に過ぎざれば、恰かも人の其纏ひる衣裳を剥かれたるに等
之を奪却せられて、我れに残るものは只処分の一虚権のみ
し、所有権に用益権を設定せるときは、使用収益の二権は
有権との関係は、例令へば人身の衣服に於ける其関係の如
り、︵帝国民法財産篇六十条及六十三条︶左れば用益権と所
を定めざる森林の樹木等を収得するの権能をも有せざるな
碩坑を穿開し、又は用益権設定のとき、未だ其採伐の順序
又用益権者は其果実の性質を有せざる生産物、即ち金石の
之れを変更するを得ざるなり、︵新民法財産篇第四十四条︶
るハ勿論、仮令ひ此物件を改良する為めと錐ども、決して
以上の見解よりして観察するときは、用益権の真性は他人
規定︶
なればなり、︵帝国民法財産編第四十二条第百〇四条
為す収益の忘用は、決して権利の消滅を誘起すること
の収益の忘用は、権利の消滅を誘起するも、所有者が
の如くに収益せざるべからず、何となれば、収益権者
第四 用益権者は所有者を良家父と見倣して、其所有者
りとす、
第三 用益権は所有権の支分権たるにより、一の物権な
社会の理財上大ひに嫌忌すべきの事なればなり、
確ならしむるに至る可く、而して所有権の不確なるは、
て無限に設定するを得せしめば、所有権をして常に不
すべからざるの権利なり、何んとなれば、用益権をし
第二 用益権は其素質上有期のものにして、相続人に移
に過ぎさればなり、
なれば、自己の物件を収益するは、所有権の結果たる
第一 用益権は他人の産物を収益するの権利なり、何と
めんが為めに、尚ほ左の数語を補填すべし、
も余輩は、用益権及び用益権其物の真性をして明瞭ならし
を理解するに於て蓋し余師あるべしと信ずるなり、然れど
叢
330
塾
ロ冊
律
法
く無益に属すべければなり、之れ所有物をして、永久に使
らざるべし、何となれば、如此場合に於てハ、所有権は全
久に失はしむるは、所有権の利益を減却する蓋し僅少にあ
抑々所有権をして、其緊要の性質たる使用収益の二権を永
有 普通の状態に相反するものたるを了解するを得可し、
は、全く他人の物件を使用して利得を収むるものにして、所
に属する物件に付き使用収益する権利なり、即今用益権者
位を損するの原由にして、社会の理財上最も防遇せざるべ
得を収めんことを務むべし、此くの如きは其物権の価値品
管費用を要せずに、其物件よりして成る可き丈け多くの利
念薄く、随て之れを改良するの意も又自から厚からず、ロハ
産は、早晩取戻さるべきを顧慮するより、其物を愛するの
在せるを思考し、而して又用益者は其耕作して改良する財
所有者は利益の全部を有する他人の手裏に自己の財産の存
何、各自紛紙を惹起すべきの位地に坐するにはあらざる乎、
ママ 用収益の二権利を剥奪し、処分権のみに減ぜしめざるを以
大ひなる不便を来たす、夫れ各人相互の間に各箇の利益の
蓋し所有権が数箇に支分せられて数人に分属するときは、
定せしめざる立法の精神たるに由るなり、
存するは抑々何に因る乎、他なし、此権利をして可成的設
の範囲に確然と制限を加へらるる等、其他種々の制限法の
よりは如此く其期限を制せられ、又他の方よりは収益使用
たるも亦、此理に外ならざるなり、左れば用益権は、一方
第一項に、用益者の死亡を以て用益権消滅の理由と規定し
の最上限と定めたる所以也、帝国民法財産篇第九十九条の
之れを要するに、羅馬及仏朗西の法律に於ては、敢て用益権
れを規定するや、勉めて制限の条規を以てせり、
るを以て、法律は之れを認めたるに過ぎず、然れとも其之
か社会に傷害を加へ、之れを廃止せざるの利あるには如ざ
を打破し得べしとするも、為めに生ずる紛紙は、尚ほ幾分
法律の能く制し得べきにあらず、良しや法律に於て此習慣
に於ては、古代より此習慣の行はれ居り、多年の習慣一朝
ぶべきことにあらさるを知る可し、然れとも羅馬及仏朗西
る事物の景状をなすものなれば、法律上に之れを許すは歓
故に用益権の設定は、元来公益に反し、且つ異常不規則な
も カらさるのことなりとす、
相抵触する時は、遂には各人の問に平和を保持すること能
の設定を禁じたるにあらざれとも、成る可き丈け速かに之
て素質とし、又用益権を以て用益者の終身を、其継続時間
はざるに至るべし、今用益者と所有者との干係は果して如
「日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
331
氏、来て一片の教示を垂れよ、
意の存する所を知り得さるに由るか、希くば江湖博識の諸
はざる一事たり、知らず余輩の薄学寡聞なる、立法者の真
臓然として用益権に干するの規定あるは、余輩の理解し能
慣例も之なきことを、然るに帝国民法財産篇第二章には、
迄、用益権に干する習慣の存せざることを、又之に類似も
てをや、余輩は知る、未だ我帝国には往古より今日に至る
避せざるべからず、況んや自国に旧慣の存せざるものに於
ざるべからずと難とも、習慣の悪例は又法律を以て之を忌
に苦むなり、習慣の善例は自他の別なく法律を以て奨励せ
るや否やを観察するに、余輩は其之れを発見する能はさる
は、果して羅馬及仏朗西に於けるが如き必需の理由の存せ
醗て我帝国民法に於て、用益権に干する一章を規定したる
れを終止せしめんが為め、其方法を尽せしものと云ふべし、
然其非なる所以を唱道すべし、之れを唱道すると共もに之
法典にして其規定せる所が宜しきに合はずんは、宜しく公
の怒りを招く、尚ほ或ひは之れを恕すべし、然れども若し
謡ふも妨げなし、当局者の門前に万歳を唱へて為めに隣人
も可なり、之か為めに妓を聰し、杯を挙げ、以て太平楽を
之れが為めに旗幟を蘇へし金を鳴らして以て運動会を開く
心労を謝せさるへからず、
適せば、吾人は宜しく其発布を祝し、併せて又我当局者の
く、商法豊に軽しと為さん、若し其制定せる所其宜しきに
由りて以て正業を奨励し、之れに由りて以て好商の好の挫
を繋ぐ、民法及び民事訴訟法山豆に重からざらんや、之れに
之れに由りて以て権利を保護し、之れに由りて以て其安寧
ぞ、其憂ふるは何に由るか、
て憂色あるか如し、一は喜び一は憂ふ、其喜ふものは何故
を表し、和仏法律学校之れに次で其喜びを彰ハせり、専修
法典の発布せらる・や、明治法律学校先づ醸会を開て祝意
︵第二巻六号、明治二三年六月発免︶
雑報﹁喜ふは何故ぞ11憂ふるは何賊﹂
の売れ口の善きを喜び、而して又之れを憂ふるものは、己
れの門下に出つる者の多からんことを喜び、其註釈する書
点にあらずして、代言試験や、文官高等試験の及第者か己
り、併しなから、其喜ぶ所以、其憂ふる所以、共もに皆な此
るの勇なきものは、退きて国家に利なきを憂ふる尚ほ可な
れに代ふるの策を示すべし、其進んで不可なる所以を唱ふ
学校、専門学校、及東京法学院の三校は、戚々焉として却
法
叢
332
論
律
律の利を以てせりと難とも、当時皆な法律の解釈を以て
然れとも事実は却て其空想を打破し、ジユスチニアンの
れの学校の生徒か減少することを憂ひ、其法典の解釈を下
つの意は大ひに吾輩と異なれりと謂ふ可し、法典発布せら
民法は数世紀の間之か註釈を為す者踵を接して出て、今
独り無益なるのみならす、却て危害ありと誤想したりき、
れて、一は喜び一は憂ふ、知らす、其憂ふるものは何の故
日に至るも猶ほ未た其底止する所を知らす、ナポレヲン
すに便り少なきことを憂ふるものならんには、其法典を待
ぞ、其喜ふは何に由る欺、
所なり、
書を公けにせんとする諸君の計画は、予か深く賛美する
力めて神速に且粗漏に陥ることなく、最も精確なる註釈
諸君足下 今般日本民法の公布ありたり、是時に当り、
に掲げて読者の測覧に供すること為としぬ、
氏に宛てて送られたる書簡なりと云ふものを得たれば、左
ことを、起草者たる博士ボアソナード君が之れを聞き、右三
学士城数馬の三氏が、我民法に対して註釈を為さるるとの
法義解の著者なる、検事森順正、仏国法律博士本野一郎、法
頃日諸新聞に広告せられ居る帝国新民法の註釈書、日本民
︵第二巻六号、明治二三年六月発見︶
雑報﹁博士ボアソナード氏の書簡﹂
り、既に已に之を明文に得へからす、是に於てか必す之
さるなり、亦決して斯の如くなるの希望を有せさりしな
に於て、直接の判定を求め得べからしめんと期せしに非
て全く其跡を絶て、一切の訴訟をして皆新法典の明文中
議の生ずるを拒みたりと難とも、決して一切の難問をし
疑義あるもの・如きは、最も之を詳明討求し、幾多の紛
中、之を日本に採用すへくして其法文の不明より生ずる
国法典中の不完全の点を補正せんと欲し、就中外国法典
之を調査し、之を審議したる諸官人は、汲々乎として外
日本政府の外国法律を参酌して新民法を起草し、若くは
とを、
因て切に望む、後世に至るまて尚ほ其斯の如くならんこ
其註釈書愈出て、其世を利する愈深きを知る可し、予は
の法典も亦然り、筍も此法典にして施行せらる・間は、
今日は既にジユスチニアン帝及びナポレヲン第一世の時
を法律の精神に求めさる可らす、
ママ 代にあらさるなり、両帝は均しく其国に与ふるに成典法
「日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
333
今夫れ医師の、複雑若くは同時に身体の数部に亘れる疾
訟の指点に適合せる断案を求めさる可らす、
和して、互ひに矛盾撞着する所なからしめ、因て最も争
に之を判決するに当てや、又法律上諸般の規定を参酌調
異に、千態万状始と究極なしと謂ふも不可なきなり、故
裁判所か其の紛議を断決すべき私益の関係は、愈出て、愈
猶且今日に至るまて、未た曾て生せさる新事実に適用す
看よ民法制定以後彩多の星霜を重ねたる邦国に在ても、
収穫は、源々として生出し、決して尽くること無からん、
る者の輩出するや必せり、然れとも此新境域より生する
君と同時に、或は諸君の跡を追ふて同一の事業を企図す
は蓋し諸君の頭上に輝かん、諸君の予期せるか如く、諸
ならしむるに異ならさるなり、
験を予知し、而して方術に依て之を強大にし、之を適切
す、是れ即ち医師の学理に依て薬剤の人体上に有する効
の規定を適用するに先ち、十分に其精神を知了するを要
して複雑ならんか、裁判所は法律の学に力を籍り、法律
を生し、又は之を長するは自然の勢なり、而して訴訟に
を惹起し、或は之か害悪を遺存し、又屡々不和と怨恨と
し法律に依て之を断することなくんは、必ずや之か苦脳
訟は社会の病患なり、法律は正理と公義に外ならす、若
訟人を補佐する法学者の為すへき所のものも亦然り、訴
剤合し、各者をして特有の効験を生せしむ、裁判所及ひ訴
安心を失はしめんと力めたり、彼輩の意以為らく、此数
法商法︶中互に相抵触する所ありと予言し、輿論をして
然り而して或る一派の論者は、三個の新法典︵民法訴訟
君醗訳の力に資りて、予か意見を公けにせんと欲す、
に諸君にして特に予か解説を要する問題あるときは、諸
正鵠を失せざるを保するに十分なるに於てをや、是の故
知るの厚き、諸君の註釈は必す法律の真意を誤らす、其
て焉んぞ之を諾せさるを得んや、又況んや、予か諸君の
之を解説せんことを嘱せられたり、予は斯の嘱托を受け
案の註釈中に予見せさりし問題あるに当ては、予か特に
諸君は、予か諸君の事業に一腎の力を添へ、且予か民法艸
すに非すや、
へき新断案の出つるありて、法律学は日一日に其財を増
夫れ然り、故に日本の法学者は、今日広大無辺なる研究
個の法典は各異りたる外国制度に淵源せり、仮令唯一の
に罹りたる患者を療するに当てや、必す諸種の薬物を調
の新境域を得たるものに非すや、而して之か先鞭の名誉
叢
334
込
醐
律
法
講したることを、今や全く此の如き撞着なきを希望し得
任に当られる官人は、既に此危険を顧慮し、調和の策を
らん、論者か此注意を為さ・るの前に於て、法律取調の
さるに於てをやと、此論或は然らん、然とも論者何ぞ知
る所なからしむるは已に非常の難事たり、況んや其然ら
源に沿ひ、唯一の手に於て編纂するも、之をして撞着す
関して、法律学に達する人々の討究及ひ論難を受るか為
是に由て之を観れは、新法典か其規定せる諸般の事項に
は、決して怪しむに足らされはなり、
も日本に適せる完全無欠の制度を発見すること能はさる
変遷進歩の途に上るの時なり、此時に際し、当初より最
し、日本は政治、民事、商事、及ひ刑事の諸法制、総て
果して然らは、是れ実に諸法典の不完全なる点を指摘し、
する所あるを得へし、
を見るは多少の時日あり、此間裁判所及ひ法学者は研究
るなり、日本の新法典は已に発布せられたるも、其実施
有りと為すも、之を救治するの策は決して難きにあらさ
ふるを得へし、若し此論難にして其当を得、且誠心実意
を発見せは、是に於てか其理由を論説し、以て意見を述
せしむること能はざりしなり︶にして、修正の必要ある
に於ける一切の堪能なる法学者を網羅して、此大業に参
編纂の当初の事業に参与すること能はさりし人々︵日本
は、実に新法典の為に大幸に非ずして何そや、故に法典
に、蕾に草案の侭ならず、純乎たる法律として出てたる
之に加ふるに何如なる増補、如何なる改正を以てすへき
に出て、徒らに成法に反対し之を攻撃するものに非さら
へきなり、然りと難とも試に一歩を譲り、斯の如きもの
や知るに於て、無上の好機会と謂ふ可きに非すや、
邦国に比して、更に一層此能力を使用すと謂ふも山豆之を
に至りたる法律に於ても亦然り、然らは則ち日本は他の
之を改正するは免る可からさるの情勢なり、其已に実施
予は之に関して=言を費さ寸る可からず、論者曰く、法
此法典編纂に対して更に二箇の非難を為したる者あり、
に稗益する所大なるや明なり、
らす斯の美性質の論難ならんと信ず︶此論難は実に法律
んか、︵諾者にして若し之か論難を試むるあるも、予は必
ハママソ
難すへけんや、否予は独り斯の如くなるを難せさるのみ
典編纂は殆んと其必要を見ず、法典は歳月と共に自然に
何れの邦国に在ても、法律に不完全の点あるを発見して
ならす、却て真に之を称賛せんと欲するなり、是れ他な
r日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
335
能はす、
る国に在て此の如き非難を為すは、予実に其意を解する
に基ける判決例の存すること、英吉利の如くなる能はざ
其れ然り、山豆に其れ然らんや、古来認定遵由す可き習慣
は愈然りとすと、
成就するを要す、特に今日の如く変遷進化の時に際して
措き、主として外国の法律に基けるは誤れりと、
法典編纂に対する第二の非難に曰く、日本古来の習慣を
めすして可ならんや、
故に真正なる愛国の士は、斯の如き非難を排斥するを力
の結果と称し得べければなり、
本の法律の適理と、裁判所の公正とに関して有せる疑催
之れ恰も国家が永久に恥辱の境遇に沈漁するを希ふもの
此に察せず、漫然期限を立てす法典編纂の延期を望むは、
必要なるに非すや、
の法律を携へて条約改正の場に臨むは、日本の為め実に
独立を全ふせんと力むる時に当り、明確適理、就中公正
特に日本か外国人に対する法権、及び裁判権に関して其
証拠には非さるか、
之れ則ち、一定成文の法律を制定するの必要なる無上の
の原則に依て、争訟を断決するの止むを得ざるに至れり、
西の普通法とも称すべき諸外国法律中に掲げたる自然法
普通なる習慣の従ふべきものなく、今日の裁判官は、泰
の拠るべきものなく、又概ね=疋明確にして、且少しく
たり、君の卓見と君の博識とは、余の常に敬服する所なり
り、日本民法錯誤の合意を論ずとの長文を掲載し始められ
の得意なる流麗典雅の筆もて、︽法理精華︾の第三十六号よ
愛宕館をも凌駕するに至らしめし彙南山田喜之助君は、其
罵倒し、其高き名声をして愈々高く、愛宕山上に魏然たる
ての問題を議するに冷淡なりし新聞記者を、無識なるかと
其意見を代表して書を各種の新聞紙に寄せ、法典編纂に就
奇言を吐き、又法学士会の起て法典の編纂を非難するや、
生る・や、其の紙上に於て、仏独法律は法律にあらずとの
東京法学院の機関雑誌と知られたる︽法理精華︾の初めて
︵第二巻七号、明治二一二年七月発見︶
助君の意見を駁す﹂︵一︶
館説﹁帝国民法錯誤の合意に対する法学士山田喜之
論者は日本の民事裁判官の状態を見すや、古来の判決例
に異ならざるべし、何となれば、此境遇たる、外国が日
法
336
叢
論
律
むるに於ては、君の如き不審は、之れを起さんと欲するも
成立の一因たる意思の合致を訣くに因るものなることを極
るも、錯誤の効果、承諾の阻却を致す所以のものは、合意
方に在るのみにて充分なるか、之れを知ること能はずとす
は、当事者双方に在らざるべからざるか、但しは又其の一
法官の使用せる此文体にては、承諾の阻却を為す所の錯誤
錯誤も亦、承諾を阻却するに足るや明らかなり、良しや立
錯誤ハ承諾を阻却す︾と、然れば則ち当事者の一方のみの
意の性質、目的、又は原因の著眼に相違ありしときは、其
り、我立法官は日へるにあらずや、︽当事者の錯誤にて、合
見るに、斯の如き憾みを生ずる所以を知ること能はざるな
を知ること能はざるを憾まる・と難ども、余を以て之れを
べからざるか、将た又其の一方に在るのみにて充分なるか
承諾を阻却する所の錯誤は、当事者双方のものに在らざる
君は其論の始めに於て、財産編第三百九条の規定を批難し、
誤れるを証せん、
はさるなり、請ふ今より其然る所以を論じて、君の所説の
たる彼の奇論と共もに、余は徹頭徹尾其論に服すること能
りては、君が︽法理精華︾の初陳の節、其名声を博せられ
と難ども、併し新民法錯誤の合意に対する此度の意見に至
合意は不成立にして、其借用証は反古紙たるべし、是れ
りと信じて渡したるに、金銭借用証なりし場合の如きも、
宜しく不成立なるべし、又甲者乙者に金銭の受取り証な
合意の錯誤ありたるものなるべし、則ち甲乙間の合意は
られたる者と信じ、之を売却したるか如きは、甲乙間に
もりにて膳椀を乙者に渡したるに、乙者は売買を依頼せ
は既に明了なることと仮定すへし、例せば甲者は貸す積
と誤るの類を云ふ者にして、素人には兎も角、法律家に
合意の性質の錯誤とは、売買を貸借と誤り、交換を贈与
見るに左の如し、
君は次ぎに至り合意の性質の錯誤を解けるが、其言ふ所を
し其の所為に就ては、余は其の不当を鳴さ“るを得ざる也、
而して君が其粗忽をも顧みず、責を我立法官に帰せんとせ
か無意かは知らざれども、余の大ひに憾みとする所にして、
ず、斯の如くに分り切たる理窟を看出し得ざりしは、有意
るものーとを発見するに付き非常に鋭敏なりしにも拘ハら
西法律の訣点と、帝国民法艸案の蝦瑳ー而かも極めて小な
に陥ゐれる時と、毫も異なる所あらざれバなり、君が仏朗
が意思の合致を為すことを妨ぐるは、其双方のものが錯誤
能はさるにあらずや、何となれば、当事者一方のみの錯誤
『日本之法律1にみる法典論争関係記事(一)
337
あらざれはなり、但し甲者は、金銭の領収証を渡すべき場
乙者に同じく、合意の性質に関して、少しも錯誤せること
者に、金銭の受取り証なりと信じて渡したるの語、論拠︶亦
とを知りて、其金円の受領を為せるものなれば、︵甲者、乙
く、又甲者に在りては、弁済せらるべき義務の存在せるこ
ものなれば、之れには合意に付き何等の錯誤もあることな
済すべき義務の存せることを知りて、甲者に金円を渡せる
らさるものなるに、君の援ける此例に在りては、乙者は弁
買を寄託と錯る類にして、合意に就き錯誤の存せざるべか
とは、君が先きにも云へるが如く、交換を貸借と誤り、売
意見なりと信ずること能はざる也、蓋し合意の性質の錯誤
だしきものにして、余は堂々たる法学士山田喜之助様の五
信じて借用金証券を渡せることを引けるは、是れ誤謬の太
者が乙者に金円の受領書を渡すべき場合に、受領証なりと
甚た好し、然れども、合意の性質の錯誤を示すか為めに、甲
例として、甲乙間に膳椀の授受ありたる場合を挙示せるは
換を贈与と誤るの類を云ふものなり11と云ひ、而して其の
君か合意の性質の錯誤を解して、11売買を貸借と誤り、交
第三百九条の規定せる所なり、
して、臭虫の其身の臭きを知らざるに等しと云ふも、余は
の非なるを知らず、夫れ之を何とか言はん、人あり君を目
や、徒らに人の鉄点を指摘するを知りて、而して却て自己
条の規定せる所なりと三=口へり、何ぞ夫れ誤れるの太だしき
意の性質の錯誤の例とし示し、得々焉として是れ第三百九
ることを知りつ・、誤りて借用金証券を渡せる場合を、合
の証を交付すべき場合に、金円領収の証を渡ざるべからざ
具はらざるに由るなり、然るに君は之を察せず、金円領収
にして、換言せば、貸借契約を成立せしむる条件の、一も
乙何れにも存せず、随て其原因も亦存在せざるに依るもの
する金円の交付は全くあらざるなり︶貸借を為すの意、甲
ことは、甲乙二人の共もに知る所なれば、借用金証券に対
して、而して其金円が義務の弁済に供せられたるものなる
の金円を受領せるは、義務の弁済の為めに受けたるものに
立に要する金円の交付があらさるのみならず、︵先きに甲者
の、其効果を生ずる能はざる所以のものは、貸借契約の成
場合に甲者か誤りて渡し、乙者の錯りて受たる借用金証券
其正当に受くべき目的物に付ての錯誤なりとす、而して此
あらざるも、其錯誤は、合意の性質の錯誤にあらずして、
者亦錯誤にて之れを受けしものなれば、全く錯誤なきには
ママ 合に、金円領収の証なりと信じて借用金証券を付与し、乙
338
ものと見るも、乙者を答むべからず、漫りに之れを不成
を渡されたる時、之を競売に付することを托せられたる
競売営業者にして、営業の場所に於て、営業の時間に之
又甲者何とも言はず、之れを乙者に渡したるに、乙者は
ときは、山豆に蕾たに合意不成立のみに止まらんや、若し
ず、甲者貸すことを明言したるに乙者之れを売却したる
とか、売るとか、預けるとか何とか、意味なかるべから
ることは、未だ以て民法上の所為と為すに足らず、貸す
ず、第一例に於て、甲者が乙者に膳椀を有形上に渡した
腕を揮ひ足脚を動かす、以て昆法上の所為と為すに足ら
別ありと難ども、其意思の表示たるに於ては一なり、手
有形の所業と之れに伴ふ意思なり、意思の表示に明暗の
法律上問題となるものは所為なり、精確に之れを言へば
しめし我民法の規定を非難し、
承諾を阻却するものと為し、合意をして不成立のものたら
愈々本論に立入り、当事者が合意の性質を錯誤せるときに、
余、君が其次きに論ぜる所を視るに、君は其歩武を進めて
就き、正当の理由を有するか、
る此例を、合意の性質に関する錯誤のあるものと為せるに
之を弁護するの途なきに苦しむなり、知らず、君は其援け
せるに、乙者之れを誤り、売却せさるべからさるもの、若
る此例に於て、甲者が貸すことを明言して乙者に膳椀を渡
を免れざるものと云ふべし、然り而して君は又、君の示せ
と云ふを得んや、故に君の為せる此論断は、また誤謬たる
足れバなり、之れを如何ぞ民法上の所為と為すこと能はす
は、有効に或る権利関係を、甲乙両者の間に生せしむるに
を得べきが故に、甲者が乙者に有形上膳椀を渡せるの所為
管せさるべからずして、甲者は又其物の取戻しを為すこと
権乙者にあらざる以上ハ、乙者は相当の注意を以て之を保
無意にて甲より其膳椀を受取れりとするも、其膳椀の所有
合に於ては、甲者が無意にて膳椀を乙者に渡し、乙者また
ることは、之れと同一に論決すること能はざるなり、此場
る第一例の場合に於て、甲者か乙者に膳椀を有形上に渡せ
との間に何等の交渉をも生ぜざれバ也、然れとも君が示せ
に、此場合に於ては、其所為は所為者一身に止まり、他人
る所以は、民法は個人と個人との関係を規定せるものなる
民法上の所為と為すに足らざることは君の言の如し、其然
と言へるが、手腕を揮ひ、足脚を動かすに止まる所為の、
きは、人情不通の論と言はさるべからず
立の合意と為し、買取りたる第三者より之を取戻すか如
卜
論
律
法
『日本之法律』にみる法典論争関係記事(一)
339
財産編第三百九条第一項には、︽当事者の錯誤にて、合意の
むる規定は、我帝国国民の中何れの処にありや、帝国民法
合なること固より論なし、然れども此の如き効果を生ぜし
か、動産の流通移転を害すること甚たしきが故に、其不都
の言ふが如くに、甲者に物件の取戻しを為すことを許さん
を喫せさるを得さるなり、君の例示せる此場合に於て、君
に就ては、余は君の粗忽と、君の見識の狭隆なるとに一驚
すは不都合なりと言て、民法の立法者を攻撃せる君の所説
付して売渡せる時も尚ほ、甲者に物件の取戻しを為すを許
か為めに渡されたるものなるべしと思料し、之れを競売に
にて或る物件を渡せる時は、乙者が其物件を競売に付する
も言はずに、競売人たる乙者に、其営業の時間に、競売場
り、強ひて之れを争ふの必要を見すと難ども、甲者が何と
に美人を望むの感なき能はざりし、併し斯の如きは些事た
其理由とを示されざりしは、之れを読みし余に於て、簾中
理由は如何なるか、徒らに断言を為すに止まり、其効果と
せば、合意不成立の他には如何なる効果を生ずるか、又其
るが、若し此場合に其合意を不成立なるのみに止まらずと
甲乙間の合意は、不成立なるのみに止まらざるべしと云へ
しくば売却するも可なるものと信じて之れを売れるときは、
の全部を通読し、且つ能く之れを咀囎したらんには此くの
り為す取戻しの厄運を免かれしめたり、君にして若し民法
き第三獲得者に即時時効を得せしめ、以て物件の所有者よ
を為せり、故に証拠編時効の部に於て、君の例示せるが如
と、我立法者は慧敏なり、君の為すか如き憂はとくに之れ
正権原、且善意にて占有するものとの推定を受く
此場合に於て、反対が証明せられざるときは、占有者は、
十五条に記載したるものを妨げず、
即時に時効の利益を得、但し第百三十四条、及び第百三
正権原且善意にて、有体動産物の占有を取得するものは、
於て、左の規定あるを知らさるか、
断たるを免かれざるなり、君は民法証拠編第百四十四条に
錐ども此の如きは、民法の全部を通読せざる大粗忽者の論
有主なる乙者の為めに取戻さるるを得べきが如し、然りと
当の注意を為して物の買取を為せるにも拘はらず、物の所
を生ぜず、之を以て甲者より物件を競落せる第三者は、相
成立せず、依て甲者の為せる競売は其所有権を移すの効果
りては、合意の性質に就き錯誤あるか故に、合意は固より
は承諾を阻却す︾とあり、而して今君が例示せる場合にあ
性質、目的、又は原因の着眼に相違ありしときは、其錯誤
ρ
法
叢
340
時効を援唱することを許したれば、此条件を具備せさる有
の二条件を具して、有形動産の占有を為せる者にのみ即時
併し証拠編第百四十四条の規定は、唯々正当権原と善意と
さるなり、
度の如き粗忽に出てざらんことを、君に切望せざるべから
来人に向て攻撃を為さんには、能く注意する所あり、此の
撃を見て、其不当不正なるに呆然たるなるべし、余は、後
に惜しむ所なり、想ふに我民法の立法官は、君の此度の攻
ことなかりしならんに、然るを得さりしは、余の君の為め
如き大ひなる誤謬の論断を下だし、笑を衆人に取るが如き
と、敢て問ふ、何か故に先方に詐欺の存せるときは、為め
法律は此の如きものを救助すべき理由あらざるなり
之れ其者の怠慢不注意なりしが為めに招きたる禍にして、
れども、先方に詐欺なくして過ちを為したるものあらば、
一方の当事者が他の当事者を欺きたる場合ならば格別な
然るに君は尚ほ語を次で曰く、
己の愚を表白せるに過ぎずと云ふ可し、
君が杞憂を抱て立法官を攻撃せる所の意見は、偶々以て自
ざるも、世間に何等の弊害もあることなければなり、故に
ることを知れるものなれば、之れに物の所有権を得せしめ
は、其物を自己に移せるものに、之れを移すの権利あらざ
要あることなく、而して又悪意にて物の占有を為せるもの
為せるものなれば、法律に於て斯かるものを保獲するの必
所有権を移すの力なき権利行為によりて、所有権を得んと
せるものハ、縦令ひ其所為が物の真所有者より出つるも、
と能はざるなり、蓋し正当権原に依らずして物の占有を為
か、仮令ひ之れありとするも、此の如き非難は採用するこ
規定は、未だ完全なりと言ふこと能はずと言ふものあらん
於て敗を取らざるべからさるが故に、財産編第三百九条の
体動産の占有者は、伍ほ物件所有者の為す取戻しの訴訟に
らしめ、其予期せる効果を生すること能はざらしめて可な
如何を問はず、錯誤の存せる時は何時も其合意を不成立な
効すか故にあらずや、果して然れば、錯誤を為せる原因の
の錯誤は意思の合致を妨げ、以て合意成立の条件に欠訣を
は、其錯誤を承諾の阻却を為すものと為せる所以は、此種
国の立法官の如くに、合意の性質に付き錯誤を為せるとき
の力を与ふるは可ならざるか、夫れ我が立法官の、泰西諸
のの過失に基けるものなるときは、之れに承諾を阻却する
る所の力を与ふるも支障なくして、錯誤が単に錯誤せるも
に他の一方のものが陥ゐれられたる錯誤に、承諾を阻却す
弘
繭
律
の意思の合致を妨げ、因て以て合意成立の一因を欠くに由
に関する錯誤を、承諾の阻却を為すものと為せるは当事者
たるものにあらずと云へり、君は我立法者が、合意の性質
るときは、之に承諾を阻却するの効力を許すは、其当を得
るときは可なれども、単に錯誤せるもの一方の過失に基け
るにあらずや、然るに君は、錯誤の原因が先方の詐欺にあ
公法は成文ならざるべからざるも、私法は成文なるべから
雑誌記者の非法典論を唱へしものを聞くに11法律の性質上、
其論旨に至りては相変らす余り感心仕らざるなり、此頃某
張せるものあり、其の熱心と其節操の程は柳か嘉すべきも、
意を貫て法典を布けるか、執拗にも今日伍ほ非法典論を主
は頗ふる熾んなりき、而かも我政府は之れに迷はす、当初の
以のものは、畢寛するに、君の知識の不完全なると、君の眼
曖昧にして、人を五里霧中に導けるもの・如くに見ゆる所
は、完全にして批難の余地を存せざるものと云ふ可し、其
之れを要するに、合意の性質の錯誤に関する我民法の規定
驚異するに余ありと云ふ可きなり、
為めにする所ありて然るか、君の所説の杜撰なる、洵とに
定せる者ならば、其人には公私の差あるにもせよ、成文に
申すべけれ、等しく之れ法律にして、人と人との関係を規
文と為す能はさるに在りと云へり、実に奇怪の汚説とこそ
異ありて、そは一は成文に為さ・るべからさるも、一は成
に過ぎざる也、然るに某雑誌記者は、此他にも尚ほ一の差
もの也、公法と私法との間に於ける性質の差異は、唯此れ
規定せる者なるも、私法は個人と個人との関係を規定せる
ず11と云ふにありたり、私法は国と国、国と民との関係を
ママ 晴の正しからざるとに由る耳、倫し之れを疑はバ、半夜夢
為さ“るべからずとか、成文に為すべからざるとかの差異
るものなることを知らざるか、但しは又之を知るも、他に
醒むるの時、静かに之れを考へ見よ、蓋し思半バに過ぎん、
法学士会の起て法典編纂を非難するや、世間之れに雷同す
︵第二巻七号、明治二三年七月発党︶
雑 報 ﹁ 某 雑 誌 記 者 の 非 法 典 論 ﹂
する所を知ること能はず、為めに国家は成立するを得ずと
に不明不確の問に埋没せられて、吾人々民は遂ひに其愚拠
方法も、道路の制度も、罪人の取締も、訴訟の取扱も、皆常
ば、国家の組織も、政治上の区分も、官吏の職務も、課税の
を生すべき筈なきにあらずや、倫し公法を成文に為さ“れ
るもの随分少なからず1牽牛花的に一時なりしもー其攻撃
「日本之法律』にみる法典論争関係記事(一)
3 41
法
律
叢
342
論
る所なるべし、而かも傍ほ僅かの法条より成れる法律を以
刑法の支配すべき行為の、複雑無量なることは記者も認む
を受くべき人類の行為は複雑ならざるか、公法中の一たる
能はずとは、是れ記者先生の誤意見なれども、公法の支配
千種無量なり、故に法律を以て予じめ之れを規定すること
すべからざる性質ありと云ふか、人類の為す法律的行為は
を知ること能はざるべし、之れでも尚ほ私法には成文と為
非曲直は、判事の専横なる裁決を得し後にあらざれば、之
すにも其葱拠すべきものを有せず、其行為の有効無効、是
せば、私法に於ても亦之れに等しく、一の法律的行為を為
の語を仮用す︶候には、只管感服の至りに耐へざるなり
可し、鐙味愈々深ふして真価の益々見はれ︵某雑誌広告文
精華、︵ホヒ︶法理の精華を得たる好一幅対の五議論と申す
る、法学士奨南先生山田喜之助様の誤意見と共もに、法理
を得ざるなり、実とに此五説は、余が館説欄内に駁し置け
か、粁は何れとしても、余は其花やかなる卓見に驚かざる
たる者なるか、但しは又ヒヤカシ半分に叫びたるものなる
其旨趣が己れの意見に符合せるを以て、不平漏らしに叫び
されて其説の善悪を判する能はさりしに因れるか、或ひは
が挿入しありたるが、聴者の愚鈍なる、演者の快弁に騙か
首肯することあらざるべしと思へるに、其筆記せる者を見
は何ぞや、余輩の考にては如此き説を聴きしものは、誰も
に記者は揚々乎として之を説き立て、頗ぶる得意の風ある
思慮を有せるものは、之を唱ふることを為ざるべし、然る
の人、今一歩を下りて、法律思想の丸でなきものでも梢々
ふべからざる也、記者の吐ける此意見の如きは、法学初歩
能はずとの記者の意見は、正確なる基礎を有せるものと云
取引、其他民法上の諸行為は、之を法律にて規定すること
是故に新民法中には未だ人事編あらす、又相続、遺贈、贈
律の編纂を他日に譲りたる部分に属すること是なり、
明確に、最も全般なるものの存するは、正に立法者が其法
論者は左の一事を知らさるか如し、日本の習慣にして最も
其当を得たりと信ずること能はす、
き、主として外国の法律に基けるは誤れりと、此れ又非難
法典編纂に対する第二の非難に曰く、日本古来の習慣を措
︵第二巻七号、明治二三年七月発党︶
雑報﹁博士ボアソナード氏の書簡﹂︵続︶
て之れを規定し居れるにあらずや、然れば即ち、人民の商
るに、処々に︵ヒヤく︶、又は︵大喝采︶等の如きもの
r日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
は、実に日本に於て、古来固有の人情と需用とに適し、一
与、及ひ夫婦財産に関する契約の編あらす、斯の如きの類
論者は新法典を以て規定せる民法の部に就き、敦れの点を
利益に於て、此分題を断し去れるものあり、
草案中より之を除斥し、従て反対に、一相続人単数主義の
所有権及び義務の事項に於て、第一に法律の確認を受くる
以て慣習を打破したりと為すか、
定にして且十分普通なる習慣を以て規定せらる・所の事項
なり、
に足るべき明晰にして且全般の習慣の存したることを明示
法者の干渉を要せざるべきか、完全にして更に緩和せられ
組の如き、又幼者並ひに精神喪失者の後見の如き、更に立
よりは、力めて之を採用せり、且つ法律の規定は、数多の
其習慣が近世法学の大則を調和す可からざるものに非ざる
らす、斯の如き習慣は実に蓼々たるものなり、且立法者は、
し、然る後尚ほ新法が之を参酌せざりしことを証せざる可
ざる長子権の制度は、一家族内に於ける真正の公義と、一
み適用すべきことを明記せり、
場合に於て、特に明確なる地方の習慣存せさる時に於ての
此等の類は実に至重の問題にして立法者は遠からす之れか
然れども此第二の非難は、第一の非難と異にして、其意を
察するときは、予は深く信す、疑慨甚しき愛国の至情に発
し、日本が外国法の権下に支配せらんことを憂ふるに出で
たるものなることを、
らざるに当り、長子権に反対なる精神をして先入せしむる
る、事物、思想、利益の新境界に於ける先進者たる邦国よ
に恥づべき所あらす、是を如何ぞ日本か新たに足を入れた
電気の応用及ひ学術上一切の発明を外国に受け、而して更
日本は機に臨み会を見て、工芸、器械、防国の器械、蒸汽
が如きことを避けんが為めに、新民法の編纂者は、荷も相
ハ マ マ 続人の復数井に相続の分割を想定せしむべきものは、悉く
て未だ規定を為さ“ればなり、加之相続法の主義未だ定ま
何となれは、斯の如き習慣の存する事項は、正に之を除き
向ては、古来の習慣を躁躍せりとの非難を加ふ可からす、
然りと錐も、今日其発布を見るに至れる新昆法の編纂者に
規定を為すべきなり、
般の幸福に関する経済上の進歩とに背馳する所あらざるか、
に在らざるへきか、婚姻及び離婚の如き、親権及び養子縁
の習慣が、近世の法律に於て改正せられんことを希望する
今日日本に浸潤し来れる新思想は、斯の如き旧時代旧社会
343
叢
法
り、民事の法律を取り来るの多きを見て其恥辱と為すを得
んや、
仏国の法学者ボルタリ︵民法編纂者四名の一人の子︶か、左
の優美なる格言を記せるは、実に是を奨励するの為なるか
如し、曰く︽利と真とは、就中法制上に在て、尤も一切の
人民か各自の為めに之を要求するを得、又要求せざるへか
故に漠然誹諺を加ふる耳、其非なる箇所を指摘すること能
はざる也、如何ぞ其代はるべきものを示すを得んや、勿論
余輩は、先きに発布せられたる法典を完全無鉄なりとは云
はす、其訣点のあるを認む、然れども論者よ能く之れを考
へ見よ、人間の作為に係れるもの、世間何物か果して完全
無鉄なるかを、論者は頻りに法典を誹諺するも、汝は能く
之れを編製するの力あるか、極めて見易く知易き法律すら
ことの誇大なるや、斯く言ヘバとて、余は法典の鉄点ある
らすして、其使用は彼等に共通なる財産の一なり︾と、︵サ
明治廿三年︵一千八百九十年︶四月二十二日
を其侭に為し置くべしと云ふにはあらさるなり、縦令出来
之れを誤解することを免かれさる僻に、何ぞ夫れ言を為す
ジエ、ボアソナード
難きにもせよ、可及的完全のものを得るに力めさるべから
ルデーギユ民法に関する意見︶
森順正君、本野一郎君、城数馬君、足下
め、其眼を遠きに注ぎ、其思量を活大にし、以て公平無私
を等閑に付し去るべけんや、希くば論者よ、偏屈の考を止
り、誹諸を為して其威厳を損せんと為すものなり、山豆に之
すものにあらず、明りに不理屈を唱へて法典を傷くる者な
はん、然れども余を以て之を視るに、論者は此公義務を尽
る公義務に非ずや、論者にして此義務を尽す、余何をか云
のと為すに従ふべきなり、是れ建とに攻法家の国家に対す
且つ之に代はるべき規定を掲げ、以て法典をして完全のも
ざるにより、鉄点は之を指摘し、其非なる理由は之を示し、
人に取るに至る、彼等は不平の余り不服を述ふる者多し、
に却て誤解を為して人より駁撃を受け、加之ならず笑を衆
づ偏頗の考を抱き、只管ら鉄点を発き出さんと心掛く、故
況んや之れに代はるべき規定をや、彼等は法典を播くに先
至りては、非なりと云ふのみにて此を指摘することなし、
鳴らすのみにして其理由を詳かに言はず、其甚たしき者に
ら誤解を為せるものに非ざれば則ち、汎然漠然、ロハ是非を
少なからざれとも、余か館説欄内に於て駁せる如く、自か
実とに博士の言はる・如くに、民商法典の攻撃を為すもの
344
論
律
「日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
345
なる批評を法典に加へて、之れをして其実施せらる・迄に、
にも拘はらず、誤りたりとの言訳にて合意を不成立にす
申込みたるに、或る者が之れに答へて買ふべしと諾する
ママ に答ふるに、リブルネーの家屋を買ふべきことを以てせ
ることを得ば、天下山豆に安全の取引あらんや、或もの余
感ぜんならしむるに努よめ、
館説﹁帝国民法錯誤の合意に対する法学士山田喜之
るに、余に於てボルドーの家屋を買ふべしと承諾したる
る時は、其言語通り之れを解釈せざるべからず、固より
助君の意見を駁す﹂︵二︶
其意如何を問ふを得ざるなり、学者の机上の論、事情に
者と誤り解せば、是れ即ち余の誤ちなり、復た誰をか各
合意の目的の錯誤は、余輩の解する所と、通常仏学者の
迂闊なること概ね此類なり、
︵第二巻八号、明治二三年八月発見︶
解する所と異なるものの如し、試みに仏国学士ラカンチ
然れども余は、ラカンチヌリi氏をして仏学者を代表せ
めんや、法律は吾人の不注意を救助すべきものに非ず、
ヌリー氏をして仏学者を代表せしめよ、氏の仏国民法正
しむるの酷なるを知る、日本立法官は氏と誤りて同ふす
余輩は之れより読者を伴ひ、更らに其歩武を進めて、彙南
解第二巻、第五百三十六丁、第八百一節第二項に曰く、
若し之を救助せんとするも際限あるべからず、之れを要
︵余、足下に或る代価を以てボルドーに在る一家屋を売ら
るものに非ざるべし、故に目的物の錯誤とは、ラ氏の掲
先生山田喜之助君が、合意の目的の錯誤に就き、我民法の
んことを申込みしに、足下之をリブルネーの家屋なりと
げたるものを斥けて、他に善良なる例を求めざるべから
するに、申込と承諾との外面上一致せるや否やを観察す
誤りて買ふことを諾す、然るに足下の誤りは、足下の意
ず、而して余輩が数年研究せる間に、僅かに実存の一例を
立法者が為せる規定に対して加えたる批難の当否を見ざる
思をして余の意思と投合することを妨げたるが故に、菰
得たり、即ち英国高等裁判所の判決にして、ラッフルス
べき而已、若しボルドーの家屋を買ふことを言ひ送りた
に承諾なく合意なし︶と
対ウ井セルホースの事件とす、本件に於ては原告は、被
べからず、先生は曰く、
迂なる哉氏の言や、余がボルドーの家屋を売らんことを
法
346
之れを見れば、一大総則を設くるの必要なきなり、然れ
想像して第三百九条を設けたるものなる乎、余輩を以て
る場合に外ならず、日本立法官は、斯かる僅有の場合を
此事柄は実とに絶無僅有にして、合意の適用の行はれざ
て、何れとも定め難く、終ひに契約は不成立となりたり、
異船二艘ありて、共もにボンベー港より入津したるを以
貨を売買することを約したるに、山豆に計らんや、同名の
告にボンベー港より入津すべきピヤレス号に載せたる商
らず、
ふべく返答せる時は、乙者に過失ありと謂はざるべか
はロ号の家屋のことなるべしと誤り信じて、之れを買
第一 甲なる者イ号の家屋を売らんと申込みしに、乙者
なるべし、
思ふに婁南先生の説ける所は、左の数項に約言するが如く
是にして敦れが非なるかを判せよ、
が言ふ所と、貧南子の説ける所を熟読玩味し、其の敦れが
なる読者よ、汝の心胸を虚ふし、汝の気を静めて以て、余
否を判するに便ならしめんと欲してなり、請ふ、我か親愛
之れに向て為す所の駁撃とを対照せしめ、因りて以て其当
精華︾を読まざる読者をして、萸南先生の所説と、余輩が
を厭はず全文を掲出せる所以のものは、読者ー殊に︽法理
彙南先生山田喜之助君の加えたる駁撃なり、余輩が其長き
以上は、合意の目的物の錯誤に於ける我民法の規定に就き、
あるも既に晩 哉、
其時に至り、余の此論の徒為に属せさることを知るもの
リー氏と同ふするものが、続々輩出せんことを、而して
切なるや余輩は切に恐る、日本法学者の誤をラカンチヌ
ども総則を設くる尚ほ可なり、何ぞ其用語の不完全不信
合意の目的物の錯誤に関する我民法の規定に対して、貧南
せん、
請ふ、是れより右の二箇の約言に就き、其当否如何を討究
からず、
フルス対ウ井セルホースの事件の如きものたらざるべ
合意を不成立のものたらしむるは非也、須らく、ラッ
場合を以て、合意の目的物の錯誤あるものと為し、其
第ニ ボードリi、ラカンチヌリー氏の例示せるか如き
全の取引世上にあることなけん、
於ては合意を不成立ならしむべからず、然らずんバ、安
べきものたることは法理の大則なり、故に右の場合に
過失に因りて生ぜる結果は、過失を為せるものの負ふ
叢一
論
律
r日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
347
べき旨の返信を為せるときは、乙者に過失のあることある
るに、乙者はロ号の家屋のことなるべしと思ひ誤り、買ふ
云ふを得べきか、甲者イ号の家屋を売らんと言込を為した
れを買ふべき旨を答へしときは、過失は常に此者にありと
受けたる乙者、ロ号の家屋のことなるべしと誤り信じ、之
問ふ、甲者イ号の家屋を売らんと言込みしに、其言込みを
るべからず、
を加ふるに就ては、先づ此点に時き充分なる弁明を為さざ
らしむべからずと云ふに在るなり、故に今君の所論に駁撃
が故に、此の如き場合に於ては、其合意を不成立のものた
のは、過失に因りて生ぜる所の損害を負はざるべからざる
しと返答せる時は、其過失は乙者に在り、凡そ過失あるも
ロ号の家屋のことなるべしと思誤り、ロ号の家屋を買ふべ
に因りて以て合意の目的物に錯誤のありたる時、合意を不
常に過失あるものとなし、恣に議論の基礎を構造し、之れ
るべしと誤り信じ、買ふべく返答を為せるときは、乙者に
に、其言込を受けたる乙者に於ては、ロ号の家屋のことな
するに、甲者より其有するイ号の家屋を売らんと言込める
先生の非難説は、忽ち顛覆するを免かれざるべし、之を要
べく、乙者に過失なしとせば、之に根基して築造せる莫南
与へたる乙者に過失ありと言ふこと能はさるは明らかなる
場合は随分勘なからざるべし︶斯の如き場合に於て承諾を
むるに充分なる過失がありたりとせば如何、︵其他斯かる
中に於て、乙者をしてロ号の家屋のことなるべしと信せし
らざるなり、若し甲者が家屋売却の言込を為せる右の書簡
ものに、常に過失ありと云ふは、之を穏当なりと云ふべか
然れども、之れを以ての故に、言込を受けて返答を為せる
其他若し此の如き類例を索めば、頗ぶる多きことなるべし、
るロ号の家屋を売るべく申来れるものなるべしと速了し、
べし、例之へば、乙者に於て、甲者の有するロ号の家屋に
成立のものたらしめし我民法の規定を批難せる先生の議論
先生が駁撃を加ふるに就き取れる所の根基は、甲なるもの
垂誕し、之れを売らんことを甲者に望み居りしに、甲者に
は、其当を得たるものと云ふへからざるなり、況んや此処
其書簡を能くも見ずに、忽卒承諾の返答を為せる時の如し、
於てハ、ロ号の家屋は必要にて売ること能はざるも、イ号
は過失論の関係を生すへき所にあらす、合意成立の要素た
其の有せるイ号の家屋を乙に売らんと言込めるに、乙者は
の家屋は目下其需用を感せざるに付き、之れならバ、之れ
ママロ
を売るべしと言込めるときは、乙者は甲者より其望み居れ
論
法
348
叢
さるへからさる所なるに於てをや、当事者双方の意思が相
る当事者双方の意思か、或る点に於て一致せるや否やを見
落せんことを思ひは、転々お気の毒に耐えざるなり、請ふ
けることなかりしと難とも、君の高き名声が、之れより墜
を為せるときは、合意成立の条件たる意思の合致を欠くも
学者の所説に従て、若しも当事者が合意の目的に就き錯誤
当事者の承諾を以て合意成立の一因と為し、而して又一般
認むる所なり、我民法の立法者は、此一般の学説を遵奉し、
過失者に合意の無効を唱ふるを得せしむるは不都合なり11
を得ば、天下に毫も安全の取引あらざるに至るべく、且つ
拘はらず、誤りたりとの言辞にて合意を不成立にすること
込みたるに、或る者か之れに答へて買ふべしと諾せるにも
然れども君或ひは日はんか隠甲なる家屋を売らんことを言
少しく注意する所あれ、
のとし、以て民法財産篇第三百九条に於て、合意の目的に
と、合意の目的に付き錯誤を為せるとき、縦令其合意を不
一致し、而かる後ちに合意の成ることは、今日一般学者の
付き錯誤のたりたるとき、其合意を不成立のものたらしめ
さるへからさるなり、然るに君は此点に付ては何等の説明
当事者の承諾を要することなしとか、何れか其一を証明せ
合意の欠訣を致すことなしとか、また合意の成立するには、
と欲せは、当事者が合意の目的に付き錯誤を為せるとき、
に於ては、其要むる損害に就き、証明を為さざるべからざ
其受けたる損害の補償を之れに要むるを得可し、只売却者
買得者の過失の為めに、売却者に於て損害を被れるときは、
のは、過失より生せる結果を負はざるべからざるが故に、
となく、全く之れを免除すると云ふにあらば、過失あるも
成立のものと為すもい過失ある買得者に責任を負はするこ
を為すことなく、甲者のイ号の家屋を売らんと言込みたる
るの煩あるのみ、故に合意の目的に付き錯誤を為せるとき、
しものなり、故に若し先生に於て此規定の非なるを難せん
時、其言込を受けたる乙者に於て、ロ号の家屋のことなる
乙者の過失のあるものと決定し、恣に議論の基礎を構造し
して又過失あるものに合意の不成立を唱へしむるも、毫も
意を不成立のものとならしむるが如き憂あることなく、而
其合意を不成立のものと為すも、之れか為めに凡べての合
て以て、民法の規定を難せり、余は君の起稿に係る数多の
不都合のことあらさるなり、我帝国民法の立法者が、合意
へしと誤り信して、買ふへき承諾を覚へたるときは、常に
奇論に接せるが故に、君の此の度の所説に遭ふも、別に驚
律
r日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
349
法を知らず、又其判決例を知らず、故に君か示せる断例も
の援ける其例こそ、却て不当なりと思はるるなり、余は英
る実存の一例を示されたるが、余を以て之れを見るに、君
斥ぞけ、而して君が多年の間、辛苦を為して、漸やく得た
し援けるものは、其当を得たるものにあらずと為して之を
民法正解契約の部に於て、合意の目的の錯誤を示すの例と
法律学士、ボードリー、ラカンチヌリi氏が其の著はせる
の正確と意見の斬新なるとに就き、鐸々の聞え高き仏朗西
次ぎに君は、最も後れて仏国民法の解釈書を著はし、議論
なり、
するか、余は読者と共に之れを聞かんことを切望するもの
る也、知らず、君は之れを弁解するに付き正当の理由を有
れを世間不通の妄談、学者机上の空論と謂はさるべからざ
る合意と同一の効あらしめん[と]せる君の所説は、却て之
効果を生すること能はさる不成立の合意に、完全に成立せ
此に採り、以て、成立に要する条件を欠けるか為めに、其
にあらざるものを、恣に過失ありと決定し、議論の根拠を
に非難する所なるも、此規定を以て、必らずしも過失ある
のものたらしめしことは、余の上来弁ずる如く、君の頻り
の目的に付き当事者の錯誤を為せるとき、其合意を不成立
余は君の議論の謂はれなきものなることを断三=口するに躊躇
云ふにあるが如し、若し余の為せる見解にして誤らずんば、
失ある者に合意の不成立なることを唱えしむるは非なりと
る議論の旨趣を窺ふに、錯誤を為せる者には過失あり、過
更らに又君の博学卓見なるに驚くなるべし、余、君の為せ
不当なりとして斥ぞけたる其理由の如何を知るに於ては、
而して若しも君がラ氏の示せる合意の目的の錯誤の例を、
余の笑止に耐えざる所なり、
為して其非を知らず、鬼の首でも取りしが如き思ひあるは、
然として仏国学士の示せる例を排斥し、お門違ひの援例を
に知ること能はざるに過きさればなり、然るに君は、得意
は、何れの船舶に積載せられたるものなるや、之れを定か
の齪臨せることあることなく、只売買の目的と為れる物件
売買の目的に付き、当事者双方、又は其一方に於て、意思
ざるなり、其然る所以は、君の示せる断例の場合に於ては、
誤ありし例とし掲ぐるは、其当を得たるものと云ふべから
為めに不成立と為りし例とし示すは格別、合意の目的に錯
は、之れを売買成立の一条件たる、目的の確定を訣けるが
上に於て言ひし所のものを視るに、君の示せる断例の如き
亦其の詳らかなるを知らすと難も、君が︽法理精華︾の紙
350
叢
論
律
法
不成立を援唱することを拒むべからず、蓋し合意の目的に
に在るものとするも、之れに目的を錯誤して結べる合意の
べからざるなり、今仮りに数歩を退き、過失は常に応諾者
之れなかるべし、従て君の議論は、其立脚の地を失はざる
応諾者に合意の不成立を援唱せしむるとも、何等の支障も
し、過失にして常に応諾者に存するものにあらずとせば、
此者にありと云ふこと能はざるは余の先きに論せる所の如
過失のあること或ひは之れあらん、然れども、過失は常に
常に在るるものと決せるは不当なり、応諾を為せるものに
せさる也、先づ第一に、君が応諾を与えたるものに過失の
なれバ採るにたらず11と日ふと難ども、合意が成立するに
はさるなり、君はラ氏を罵て、1ー学者机上の論、実際に迂
保護を加えて之れに責任を免かれしむるものと云ふこと能
失のあらさるものに損害を蒙らしめ、過失を為せるものに
き、其合意を不成立のものたらしめたる新法の規定は、過
又は其一方に於て、目的を錯誤して合意の締結を為せると
償を求むべし、法律は之を禁ぜざるなり、故に当事者双方、
ならば、其過失のありしものに、為めに受けたる損害の賠
合意の目的を錯誤し、但りて以て合意の成立を妨けたりし
しむるは却て益々非なり、若し一方に過失ありしか為めに
に至れる所以は、過失あるものに其の結果を負はしめざる
しむべけんや、思ふに君が此の如き狂妄なる議論を唱ふる
同なき或行為に、完全に成立せる合意と同一の効力を有せ
錯誤せる合意、1精確に之れを言はば、当事者の意思の合
ざればなり、之れを如何ぞ、一方に過失ありとて、目的を
而して過失は其欠訣せる意思の合同一致を捕ふの力を有せ
意成立の一因を欠くか故に、合意は成立すること能はず、
の悪しきを知らさるは人情の常とは言ひなから、己れの誤
に係るものとは思はれさるなり、其苗の碩ひなると、其子
大審院検事、東京法学院講師、法学士山田喜之助君の起案
杜撰孟浪実とに甚だしく、如何に贔負眼にて之れを見るも、
之れを要するに、帝国民法錯誤の合意に対する君の意見は、
奇怪なる法理あるにや、余輩は之れを承りたく存ずるなり、
る実とに遠しと云ふべし、然れども英や米には、此の如き
如何に、実際に切なるや否は措て問はざるも、学理と相距
は、意思の皮想的一致あれば則ち足ると為せる君の所論は
ハママソ
は不都合なりと感せるが故なるべし、然れども是れ謬見な
解謬見を棚上に措き、傲然人に向て駁撃を為すとは、実と
就き錯誤を為せるときは、当事者の意思の一致を妨げ、合
り、如何に過失あれはとて、成立せざる合意に効力を有せ
「日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
351
るも既でに晩 哉、
余は之れを聞き、此句の、君の所説に適切なることを感せ
雑子も鳴かずは打たれまじ
謡て窓前を過ぐるを聞けば、
ずれば、此れにて欄筆することと為すべし、時に童子あり、
欲する所なきにあらざれども、大要は右にて尽したりと信
に呆れかへつたる話にあらずや、余は尚ほ攻撃を加えんと
る、其法意を誤解して失当の論評を為すこと多かるべけれ
論を草するに至りたる所以なり、然りと難ども余の浅学な
の精神を探求するの便なしとせず、之れ余が日仏民法比較
たれば、彼此を対照し、其異同を論んずる、蓋し日本民法
民法は日本民法の母法にして、日本民法は仏国民法の子法
冗を去り訣を補ひ、以て起草したるものにして、即ち仏国
人ボアソナード氏が仏国民法に由り、学者の議論を参照し、
筆を日仏民法比較論に執るに当たり、菰に読者に一言せん、
︵第二巻九号、明治二一二年九月発党︶
森島弥四郎﹁日仏民法比較論﹂
事、財産、所有権取得の三篇と為せり、今ま仏朗西民法が
債権担保、証拠の五篇と為せるも、仏国民法は、之れを人
抑も我が民法は、其全部を分つて、人事、財産、財産取得、
日仏民法大別に付ての比較
ば、読者其誤謬を指摘し、此れが筆征を加へば幸甚、
我が民法の去る四月二十一日に、官報号外を以つて公布せ
釈にのみ専はらにして、日本民法を産出し来りたる所の母、
解なり、其註釈なり、其釈義なり、故に職を日本民法の解
せざるべけれども、此等の書は日本民法の義解なり、其正
は既に我が民法を解するの材料に於ては、決して足らずと
と云ひ、其梓に上るもの汗牛充棟も膏ならず、左れば読者
篇に属すべき附添を財産篇中に掲げ、債権の担保に関する
に分ちたるに勝れりとす、諸学者は仏国民法が所有権取得
国民法が之れを三篇に分ちたるは、我が民法が之れを五篇
付き、二法敦れか其正に近きやを比較すれば、余は寧ろ仏
財産取得篇と改めざるべからず、然れども其大別の配置に
したるは、太甚正鵠を失したるものなれば、宜しく此れを
殊に所有権取得と題して人権取得の事項をも其偏中に規定
ママ 即ち仏国民法との関係沿革に付ては之れを説明する者建に
事項なる、保証、抵当、不動産質、先取特権等を所有権取
られし以来、義解と云ひ、正解と云ひ、註釈と云ひ、釈義
蓼々たり、然れども夙に読者の識るが如く、日本民法は、仏
叢
論
法
352
律
五篇中に於ても、債権担保の如きは債権に附属するものな
なる三条に包含せらるればなり、故に我が民法が配置せる
第三 権利取得の方法
第二 権利其物
第一 権利者たる人
なれば、今ま学理上民法を区別するときは、民法は、
しと為すは、学理の余に許るしたる所なりと信んず、何と
諸学者の所見に反し、敢て仏国民法の配置を以つて正に近
少ばらく各篇を比較するのときに於てすべし、而して余が
此非難を是認するも、未だ其理由を弁ずるの期を得ざれば、
定する所、其題目と符合せざるに付ての非難にして、余は
得篇中に載せたる等を非難すると錐ども、之れ其各篇に規
今や彼此の異同に付き論評を為さんに第一部に於て規定せ
〇六条に於て之れを規定せら[る]に過きざるなり、
るも、仏国民法に於ては唯た第千二百三十五条、第千九百
付ては、第五百六十二条乃至第五百七十二条を以て規定す
は契約篇と殆んと相対す、而して其第四章なる自然義務に
我か財産篇第一部は、仏国財産篇の全体と相対し、第二部
用収権、使用権、住居権、第四巻 地役とに分てり、故に
国民法は第一巻 財産の区別、第二巻 所有権、第三巻
の効力、第三章 義務の消滅、第四章 自然義務とす、仏
を更らに分つて総則、第一章義務の原因、第二章義務
借権及ひ地上権、第四章占有、第五章 地役とし第二部
第二章 用益権、使用権及ひ住居権、第三章 貸借権、永
二部人権とに区別し、第一部を更らに分て第一章 所有権、
ママ れば、当さに権利即ち財産篇中に附記すべく、証拠篇の如
非ずして、唯だ実際の便宜を慮かりたるものなりと云は“、
れども我が民法が斯く之を配置せしは学理に基づきたるに
るよりも、寧ろ訴訟法中に置くこそ却て適当なる可し、然
しが、今日に至りては之れを物権なりと主張する者殆んと
権なるや将た人権なるやに付き、解法者間に議論紛々たり
のを規定したるに在り、曾て仏朗西に於ては、賃借権の物
なる所は、我民法は賃借権を以て物権とし、永借権なるも
る所の物権の種類は、界ぼ仏国民法と同一なれども、其異
ママロ
余也た何をか云はんや、
あることなきに至れり、然るに我が民法は其母法に反して
きは、訴訟の手続に過ぎざるものなれば之を民法中に加ふ
財産篇
之れを物権なりと規定せり、其理由及ひ彼此の正義に付て
ママ 我が民法は先づ総則財産及び物の区別と、第一部物権と、第
「日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
353
付ては之れを時効法中に規定するも、余は占有権を以つて
に於ても、仏国民法中に之が規定あることなく、占有権に
だ之れを規定するに至らざるなり、其他地上権の如きもの
だも見る能はず、故に学者は往々其再設を主唱するも、未
て仏国に存在したるものなりしが、現行民法に於ては其影
は、将さに其章に至つて之れを論ぜん、又た永借権は曾つ
たる物、即ち金銭、土地、家屋等の如きものを云ふ、
第一説財産とは金銭上の価値を有し、吾人権利の目的
の・如し、
学者の説一定せずと難ども、要するに左の二説に帰するも
た其物を利用するを得る権利を云ふか、此問題に付ては諸
り、︾然らば則ち財産とは権利の目的たる其物を云ふか、将
しきものなりとす、
細の規定を為したるは、仏国民法の遺漏を補正したる其著
我が民法は財産篇第三百四十条以下数条に於て、是れが詳
種々の困難を生じ、今日に至るも尚ほ学説の=疋せざるを、
求し得べき行為に付き、或は訴権実行の効果如何に関して
棄訴権︵我が民法の廃罷訴︶を想定し、債権者の取消を請
のあり、例之へば仏国民法が第千百六十七条のみにて、廃
なる所なしと難ども、其細目に至つては増減修正したるも
第二部に於て規定したる人権の原則は、仏国民法と大に異
明に至つては、乞ふ其章に於てすることとせん、
を以て、我が民法の規定を正当なりと思へり、其詳細の説
未だ余に百金を返済せざる問は、百金は其人の手裡に存し
に対し此れが返済を要むるを得べし、然れども其人にして
へば余或人に対して百金の債権を有せりとせん、余は其人
に付てのみ然るにあらず、債権に付ても亦然りとす、例之
んぞ異ならん、之れ独り家屋の如き有形物に関する所有権
なからんか、此家屋や余に益する所なく、此家屋なきと何
るの権利あるが故なり、余にして此家屋を利用するの権利
すると仮定せんに、此家屋が余を益するは此家屋を利用す
適当なるものには非ざるなり、今夫れ余一棟の家屋を所有
せり︾と云ふは、吾人が常に慣用する語なりと難も、之れ
余は断じて第二説に左祖せん、蓋し吾人が、︽此物は余に属
を利用するを得る権利なり、
第二説 財産とは、土地、家屋其物に然らずして、其物
財産の定義
て、余は唯た此れを請求するの権利を有するのみ、今ま夫
一箇の物権とし、吾人の資産を組成するものなりと信ずる
財産とは何ぞや、曰く、︽吾人に幸福を与ふる所のものな
法
叢
354
論
律
れ財産を以て物なりと云は、・、百金は余の財産にあらずと
りと評する所以なり、
し、其人は之れを利用することを得るも、余は此れを利用
混合するも実際の利害に影響を及ぼさ“れば、我が民
く、二者相待ち分離す可からざるものにして、此れを
︽附言︾然れども権利と其目的物とは、猶ほ形と影との如
することを得ざればなり、然らば則ち余の財産は、物に非
法は其第五条に於て、︽権利ハ物権と人権とを問はず、
論決せざるべからず、何んとなれば百金は或人の手裡に存
らずして其物を利用し得る権利たること宴に明かならずや、
︽又︾議員撰挙被撰挙の権、官吏たるの権、生命、自由、
目的物の種々の区別に従ひて其様を変す︾と云へり、
は公私の法人の資産を組成する権利なり︾と定義を下だし
名誉の権、父の権、美の権の如きは此れを財産なりと
我が民法が第二説を採用し、其第一に於て、︵財産は各人又
たるは、実とに能く学理に適したるものなりと称賛せざる
吾人に金銭上の利益を与へざればなり、第一条は之を
云ふ可からざるなり、何んとなれば此等諸種の権利は、
法に倣らひて財産は物なりとの意を以て注文を作れり、五
日はずや、︽財産は資産を組成する権利なり︾と、
へからさるなり、然るに仏国民法は第一説を採用し、羅馬
百十七条に曰く、︵財産は総べて動産不動産なり︾嬢誰鍛と、
を以て未だ財産と[云]ふ可からす、然るに仏国民法の規定
の日月星辰、大気風等の如きは、吾人の資産中に在らざる
とを問はず、成な此れを物と称するを得べしと難ども、夫
地の載する所の物、吾人々類を除くの外は、其有形と無形
く其範囲太甚だ漠然たる事是れなり、夫れ天の覆ふ所の物、
れども、此法条は尚ほ他の非難を免かれざる也、何ぞや、曰
するが為めに、此商法実施の遅速問題の如きも、未だ全国
或は土耳其軍艦の沈没等、眼前に横はる事変の頻りに生出
んならんとす、蓋惟ふに近時政党の分合、虎列拉病の流行、
家に、之が実施の延期を望む者頗ぶる多く、議論漸やく熾
商法制定せられて之が実施の期近く迫まるや、学者に実業
と勿れ﹂ ︵第二巻一〇号、明治;二年一〇月発免︶
坪谷善四郎﹁学派に偏する勿れ、先輩に雷同するこ
物を以つて財産と為すの不可なる事は右に述べたる如くな
の如く、財産は総云べて動産不動産なりと云は“、此等の
人の意見を発表せしむるに至らずと難ども、蓋し此事は遠
ハママ 物をも尚ほ財産と云ふに至るべし、是れ余が漠然に失した
「日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
355
の果して蝦瑛あるや否やは深かく之を究めず、唯だ少数な
とを問ず、之を改むるに吝なるべからず、然りと難ども其
にして果して蝦瑛あらば、如何に鄭重の手続を経たると否
を論断せんとす、談何ぞ其れ容易なるや、尤とも彼の法律
みんとする者は然らず、軽々に之を看過して直ちに其可否
り、其成るや斯くの如く鄭重なり、然るに之が破壊を試う
らくも 天皇陛下の裁可を得て之を公布せられたるものな
搾りて之を起艸し、之れを議定し、枢密院の諮詞を経、恐
東西の学理とに鑑み、多年の歳月を費やし、多くの脳漿を
法律は国家の成典なり、当局の立法官は広く古今の習慣と
ざるものなり、
かに其実際を探れば、未だ必らずしも然りと云ふことを得
て之が実施を延ばさ.・る可からざるに似たり、然れども細
数の要望に適せざるものとせば、宜うしく其の請求を容れ
所なり、然らば則はち商事を支配する法律にして、商人多
にして、而して商法会議所は多くは商人の意見を代表する
所は皆是なれバ也、商法は特に全国の商人を支配する法律
に不同意を唱へて延期を請願する者、全国多数の商業会議
ば其実施期限は実に明年一月よりするものにして、之が為
からずして世上の一大問題となるへきものとす、何となれ
だ之を舌にせずして、唯だ目若しくは鼻を以て之を味ひ、
は幼児の糞に似たり、納豆は老婆の小便の臭気ありと、未
口にせしことなくして、既に軽躁にも之を嫌ひ、ヲムレツ
はず嫌ひと称する者あるを見る、其人未だ曾て一回も之を
法の全廃を望む、鳴呼亦何ぞ其軽躁なるや、吾人は世に喰
かずして、普ねく商法を延期すべしと説き、甚だしきは商
可否を論じ、殊に其の何れの部分の可なるか非なるかを説
なる法典に対し、未だ細読精思する所なく、直ちに此れが
かく意を注がれざりし所の人々にして、此商法の如き浩潮
る能はざる所多きは其常なり、然るに平生法律の如きは深
にして之を読み味ふこと再次三次に至るも、尚ほ且つ解す
るべしと推測するもの也、夫れ法律文の厳正なる、専門家
六十余条の商法全部をすら、一読し了られたる人は少なか
には、未だ親しく面暗の栄を得ずと難ども、蓋し一部一千
なり、吾人今日の全国各地に於ける商法会議所の議員諸氏
之を指摘し、反覆数次玩味したる後に、之を可否するは可
若し夫れ今日新定の我商法にして、実に蝦理あらば宜しく
錐ども得んや、
とするものあらば、吾人は之が軽躁を答めざらんと欲すと
る異論者の為に煽動せられて、一も二もなく之に雷同せん
法
356
叢
論
律
かを疑ふ者なり、
否する所の人々は、或は此の喰はず嫌ひに類することなき
既に之を遺棄する者多し、吾人は未だ読まざるの法典を可
せんとするが如きは、吾人の最とも嫌ふ所なり、然りと難
する所あり、学派的感情の為めに国家全般の利害を犠牲に
仏諸国たらしめんとするにあらさるかを疑ふ、二者各々偏
ものなるを疑ひ、又独仏法律学者が頻りに新法典を弁護し、
諸子の偏見にして、日本を以て英米諸国たらしめんとする
英米の法律学者が、頻りに現行諸法典を攻撃するは、是れ
実とに諸氏の為す所此の如きものあるを如何せん、吾人は
て、或る部類の人々に対しては礼を訣くに似たりと難ども、
児に類する者なり、斯く論ずるときは言少しく過激に渉り
るものは、是れ其主の教唆に応じて西に吠ひ、東に叫ぶ狗
られて自己の利害得失をも顧みず、軽躁にも之れに賛成す
る或る一派の人々の意見にして、而して之れが為に教唆せ
喰はぬと言ふ者は是れ英米不文法国の学派に養成せられた
も其蝦理の如何は之を問はず、偏へに商法全体が既に気に
く摘発して、之が改正を求めんと欲するものなり、然れど
も亦必らずしも之が弁護の労を取らず、其の暇瑛は成るべ
る所あるべし、或は実際に不便を与ふることもあらん、吾人
諺を買ひ、他の之を教唆したる所の人々をしては、世上多
れば此の如きことあらば、諸子の為に或は無学と軽躁の誹
吾人甚はだ其人の為めに惜しまざるを得ざるなり、何とな
正せざる可からずと論じ、或は之を延期すべしと説くは、
れに雷同して、今日の商法は不都合なり、宜うしく之を改
派的感情の為めに非難する一二学者の説を聴き、直ちに之
る所は果して如何なるや深かく之れを究めず、唯だ彼の学
の専門事項の如きは頗ぶる之れに暗らく、新法典の規定す
するの諸子と難ども、餅屋は餅屋の僅諺に漏れず、法律上
機智鋭敏にして、而かも他事には天晴確固不抜の識見を有
を蓄ふるにあらず、否、世間の事務に処するには固とより
寧ろ之を賀すべきなり、然りと難ども彼の胸中=疋の識見
法典の完備を見るべきものとせば、吾人は之を嘆ぜずして、
学識に富む所の非難者と弁護者とありて、始めて能く我国
の石と相攻して以て真理の発見せらる・ものなれば、此等
ども彼等諸子が其学ぶ所に僻するは人情の常にして、他山
彼の独仏成典の直訳一般なる法文を直ちに日本の民情風俗
数の実業家を機械に使役して自己の名声を張るの手段を得
一部商法中、細かに之を究めば或ひは旧来の慣習に合はざ
に適合するが如くに之れを賛成するは、是れ日本をして独
「日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
年一月までに皆な能く商法に通暁し得べしとは思はざるな
其理あるものにして、吾人も決して今日の商人諸子が、明
之が実施を延期せられんことを望むものなりと、此説一応
ざるべし、故に各人をして真に法律に通暁せしむるまで、
者に禍するもの也、此の如きは決して立法者の本意にあら
ことは、必らず屡しば起るなるべし、是れ好者に福して正
を免かれ、若しくは対手に意外なる権利を主張するが如き
さらに困難なる結果を生ずべき取引を行ひ、最後に其義務
に乗じて世の狡猜の徒は巧くみに法律の正条を利用し、故
商人の多数は皆之を知らす、為めに屡バ失敗を生じ、此機
然らずんば、法律は実施せらる・も之に支配せらる・所の
与へて、以て之が実施に準備せしめられざる可らず、若し
宜うしく之を研究し、之に通暁するに十分なる所の日子を
知れり、而して実に如此き重大の影響を及ぼすものならば、
が日常営業上に重大なる影響を及ぼすものなることは之を
悪得失は之を知らざる也、然れども其の規定する所の、吾人
は実に未だ商法を熟読せず、故に其中に記載することの善
或は商法実施延期論者の為に弁護して曰はく、吾人実業家
使はる・の其の愚は及ぶべからざるものあるを見ればなり、
せしむ、他を機械視するの其智は及ぶべきも、他の機械に
こと勿論なり、論者は或は酒造税則等の法律の少きは数十
くるのみの法律なるときは、其実施も亦彼れに比して易き
せしめずして、専はら其の商業を営むに利便なる方法を設
之を遵奉す、況んや商法は直接に納税義務の如き迷惑を感
税則の如き、旧来の慣習なき所の法律を出しても尚ほ且つ
実施するの易きものあるべし、彼の酒造税則の如き、菓子
人は自己に関係ある部分だけは之に意を注ぎ、案外に之を
し之に反し、来る何月何日より之を実施すと云はんか、各
於て之が実施を見るを得べからざるべきなり、然れども若
を延期し、商人一般の通暁を待たば、到底十九世紀の問に
らざれば之を研究する者少なし、若し商法を実施すること
ふ者多し、此等面白からざる研究は、焦眉の必要あるにあ
て、専門家にあらずんば之を研究すること面白からずと云
合はすべきものにあらずや、況んや法律の学は理屈に奔り
者の説に従がは.・、此の刑法治罪法も亦宜うしく実施を見
法律にして、全国人民の多数は之を知らずとせバ、若し論
刑法治罪法に通暁する者幾人ありや、全国人民を支配する
うみに論者に反問すべし、日本全国の人民中、能く現行の
通暁せしむるを待つは、恰かも百年河清を待つが如し、試
り、然れども若し論者の望むが如く、商人をして皆商法に
357
叢
法
所謂能はざるにあらず為さ“るなり、要之するに論者が未
寛我は容易に之に通暁すること能はずと云ふは、孟朝氏の
法文に就て窮めんと欲せば決して難きにあらさるべし、畢
幾ばくもあるにあらず、之を其専門家に就て質すか、或は
はち商法全部の内、真に各商人が知らざる可らざる部分は
の事に用なき者は之を知らざるも可なるもの也、然らば則
保険者又は被保険者の外に要なく、海商の事も、海上運送
の事は手形に関係なきものは其要少なし、其他保険の事も、
なく、会社法の如きは会社に関係なき者は必要なく、手形
何なる商人も商法全篇に尽とく密接の関係を有するもの少
通暁の難易同日の談にあらずと云ふなるべし、然れども如
条、多きも百数十条に過きず、商法の一千余条に比して、
散され、月の咬々千里の遠景を呈せんとして、而して痴雲
典の発布に遭ひ、花の燗慢春色を弄はんとして狂風に吹き
る各法派は其気息を潜めたること是也、鳴呼余輩は今日法
てより、日本法律は独断的に確定せられたり、従来競争せ
道きたる者あり、何そや曰く突然民法商法等の発布せられ
有様ありき、然るに此喜ふへき光景は頓に悲むへき傾向に
は駿々として進歩し、漸くにして日本の法律を確定亡緩r
に日本過去の法律界は紛々優々たりしにもせよ、法律思想
競争せる中にも、尚ほ法律思想は進歩するなり、故に如何
尚ほ一遍の春色は老ふるなり、此の如く種々雑多の法律の
るときは、彼が如く千紫万紅こぎ交へて咲き乱れる中にも
復せしめたりき、然れとも深く内部に立入りて之を観察す
故に、法律界に踏込まむとするものをして、転だ霧中に防
きは、実に冗雑究りなく、独乙法律、英吉利法律、仏蘭西法
過去の十数年間の日本の法律社会を皮相上より観察すると
︵第二巻一〇号、明治二三年一〇月発免︶
渋谷三郎﹁新商法に対して二三の所見を述ぶ﹂
きを尊ふなり、例令ひ新法ば旧法に比して梢や善法なりと
完全たるを免れす、良し不完全の患なしとするも法律は古
何となれば、咄嵯の間に法典を作為するときは、其法典は
り、独断的に法律を確定せられたるを否とするものなり、
余輩は一朝一夕に法典を発布せられた乃を喜ばざるものな
ハママ だ通暁せずといふの論拠は取るに足らざるなり、
律なんどが紛々として進入し、何れを法とすべきか更に其
するも、人民がまた知らさる間は、人民がまだ慣れさる間
に陰ひ医さるの感なき能はざる也、
帰する所を知らすして、所謂る日本の法律が確定せさるか
358
論
律
r日本之法律』にみる法典論争関係記事(一)
359
を冷評し、疾視し、其法典を真正に解釈することを勉めず
之に反対する所の国の法律を学ひたる法学者は、互ひに之
商法は独乙に則り、民法は仏国に則となれりとの事なれは、
典に府する国民の感情は、甚た冷淡なるのみならす、就中
ものと云はさるへからず、髪を以て今回発布せられたる法
蕾に国人の不名誉なるのみならす、又国民の感触を害する
も拘らず、全然之を外国人の手に委ねて顧みさるか如きは、
そ一国立法の事業は国人かなすへき名誉の一大事業なるに
用ひ、外国法律を其侭に輸入し来りたる場合に方ては、凡
の解釈を以て安んするに至らん、特に我国の如く外国人を
せるときば、人々研究の念を薄からし、然らすんは端摩臆測
徒らに繁雑を来すに過ぎさるのみ、況んや一朝法律の確定
ありしか、若し之なきに特に之を商法中に規定するときは、
に過ぎざるにあらすや、又従来日本の商業上に家号の習慣
に特に規定せるが如きは即ち法律を以て悪制度を振起する
従来所謂地役の制度ありしか、若し之なしとせは之を民法
背馳し、其極不測の禍を来すこと少なからす、我国に於て
人情慣習に照応せさるべからざるものなるに、却つて之と
なり、独断的に法律を確定するときば、法律は素と其国の
は徒らに不便を感じ、終に其法に触る・ことを免れされは
合六個を掲けて之を商取引を見倣すと明記せられたり、
掲け、尚ほ其第五条には、以上の定義に毫も関係せざる場
次に左に掲くるものは商取引に属するとて十一個の場合を
直接又は間接に行ふ所の総ての権利行為を云ふ︾と規定し、
券の転換を以て利益を得、又は生計の為めにする旨趣にて、
買賃貸又は其他の取捌の法方に依り、産物商品又は有価証
我商法第四条に商取引の定義を掲けて、︵商取引とは、売
を開陳する所あらむとす、
務なりと信す、依りて余輩は商法に関し、左に二三の管見
のは、虚心平気に之を研究し、之を解釈すること当然の義
呼するは余輩其可なる所を知らさるなり、日本国民たるも
なり、然らは徒らに之そ不可なり不充分なりと、徒らに狂
然りと錐も新法典は、現在若くは未来に効力を有するもの
余輩は敢て袋に蝶々の弁を費やさ。・るなり、
すへきか、将た退歩すへきか、乞ふ之を将来の事実に問へ、
チエi氏亦出てすと、日本の法典出て・日本の法律は進歩
出て・印度法律は進歩を停め、ナポレヲンコード出て・ボ
胆る、新法典の未来想ふへきのみ、聞くメニユーノの法典
く法律家は罵署を以て職分とし、人民は不機嫌を以て之を
して、徒に之を罵署して得色あるもの・如し、夫れ此の如
叢
法
360
の預想せさる事項にまて之を施し及すこと能はさるは勿論
て適当とすれとも、さりとて明かに規定なく、若くは法律
す限り、解釈の許す限りは可成之を広く解釈することを以
と違ひ、徹頭徹尾厳格に之を解釈するを要せす、法理の許
や否や、是れ大ひに疑なき能はす、元来商法の如きは刑法
此定義は果して我商法に規定する全般の商取引を包括する
用ひられたるかを明示するは、決して不可なしとすれとも、
謂商取引なる文字を用ひ、且つ此文字は如何なる意義にて
にして疑を存せさることを要するか故に、我商法に於て所
抑も法律上の用語は、可成厳格にして数義を存せず、明瞭
とし、能はすして遂に止みたり、只独り商等の定義を下し
氏か、千八百六十九年の倒産条例中に商業の定義を下さん
定をなせり、又英国に於ては、有名なる法学者︵Q◎OげOα‘一一︶
たり、独乙に於ても、其商法第四編以下に仏国と同様の規
漠然と商業の何者たることを知らしむるに足る場合を示し
商業の定義を下さず、其商法第千六百三十二条に於て、只
を見ず、仏国の如く万法皆定義つくめに為す国柄ですら、
は、古来何れの国と難も、商業の定義を下したるものある
確定なるか故に、之か完全の定義を下すこと甚た困難なれ
夫れ商業の範囲此の如く汎博なり、商業の事項此の如く不
らず、
の定義を定められたり、余輩は大に其勇気に感せずんはあ
とす、然るに我商法の立法者は、断々乎として容易に商業
く避くへきことにして、単へに学者の所論に一任するを可
さるへからす、故に此の如き出来難きことは、立法上宜し
たる一定義の下に言尽すことは、到底出来難きこと・言は
たるものなれは、其千差万別の商業を僅々数十言を費やし
れ、己れの生活を立て、己れの糊口を凌かんとするに汲々
る生民皆夫れ多少の商人たらさるはなし、其手段こそ異な
なり、加之ならず凡そ商業の範囲は至広無辺なり、営々た
め物を買ひ、買はんか為めに物を売る、是れ元より商業の
商業は必すしも物品を購買するものにあらす、売らんか為
んか為めに、自ら損をして物品を売買することあり、第二、
於ては全く利益を得るの目的なく、ロハ世の不景気を挽回せ
益を欲し、己れの生活を立てんか為めなれとも、或場合に
みを目的とするものにあらす、蓋し十中の八九は己れの利
なることは一目瞭然にして、第一、商業は必すしも利益の
得るの目的を以て購買するもの云ふ︾と、此定義の不完全
法中に商業の定義を下して日へり、︵商業をは復売の利益を
たる者は、古往今来西班牙国の法律あるのみ、西班牙は商
塾
岬
律
のを直く傍らに掲くるは、取りも直さす定義の不完全なる
す包含せさるへからさるに、其定義中に包含せさる所のも
れは凡そ定義なるものは、其者の性質及効果等を細大洩さ
は、愈々其定義をして不完全たらしむるを覚ゆ、何んとな
左に掲くるものは、之を商取引を見倣すと云ふか如き事柄
くるものものは商取引に応すと云へるか如き、若くは其他
長からさるを得す、定義其自身の是非は兎にかく、左に掲
と能はさるのみならす、其文字の長き割合に、其非難も又
我日本の商法は、西班牙国の商法に対する非難を免る、こ
然則ち此定義の不完全なることは明なりと云ふへし、
なし、然れとも世人此等の者を目して営業と云ふに非すや、
また曾て何物をも買ひしことなく、又売れることあること
常状なりと錐も、彼の保険事業の如き、又金利貸の如きは、
技禰なし、然れども予輩は前述の形状を観て、其残部たる
にして深奥なる法理を探り、法典の価値を哺々するが如き
素より浅学不肖、黄吻を脱せざる書生のことなれは、森厳
くも一場の修羅場を現し来らんとする有様なりし、予輩は
巻、到る処に予輩の耳朶に感触せさることなく、ゆくりな
付て、熱心に劇烈に之を論駁し、新法典非難の声は広衙隆
は、前日の論法を一転し、法典其者の可否価値等の如何に
布せらる・や、曾て非法典編纂論を唱道したる朝野の人士
襲に民法財産編、財産取得編、債権担保編、証拠編等の発
りし事を喜悦し、且つ之を祝賀せすんはあらす、
感賞すると同時に、我国が此に始めて完全なる法律国とな
屈せず擁まず当初の大目的を達せられたる勇気と大胆とを
之を以て山田司法大臣が、千百の異論あるにも拘はらず、
づ其大局を結ひたり、法典其者の可否は暫く措き、予輩は
伊藤英夫﹁婚姻有効の条件に関する一疑問﹂
来るべきやと大に懸念したりき、然れともいよく発布の
響を及ほすべき法典は、果して如何なる体裁を以て現はれ
の風俗習慣等に直接の関係を有し、且つ直接に重大なる影
ハマこ
ことを自白するに異な[る]こともなけれはなり、
︵第二巻=号、明治二三年=月発党︶
暁に当り、之を手にして一読すれば、さすがに法律大博士
人事編相続編の如き、前の四編に比すれば、一層自国旧来
民法中の残部たる人事編も、いよく客月六日法律第九十
たるボアソナード氏が、此二編は国民の風俗習慣に根拠す
八号を以て発布せられ、昨年以来朝野の間に磧々たりし日
3 本法典編纂の大事業も、’議論は兎も角、実際に於ては一先
r日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
61
叢
法
362
論
律
如き点あるか、若しくは法理に適せさる不当の点あるかを
我国の風俗習慣の善良なるものにして之れを採用せさるか
尽すは為し得さることなればなり、去れは荷くも法典中、
神にあらさる以上は、人事百般の関係を完全無訣に岡羅し
或は白壁の微蝦なしといふへからず、蓋し立法者と難とも
失れ然り、然れとも数百条の長きに亙る法文中には、時に
国民全員の為め、予輩は一大白を浮べて祝賀せさるを得ず、
事なれとも、此案外こそ大ひに立法者の為め、否な我日本
是れ実に予輩か先に想像したる処に比すなば、案外千万の
纂尚早論者も、笑顔熈々として其満足を表するを見るなり、
口端泡沫を飛ばし、案を拍て非難の議論を為したる法典編
かれたるか故に、襲に発布せられし他の諸編に対しては、
礎とし、曾て世上に評判ありし如き新奇の部分は大抵取除
の少なきのみならず純粋の法理論よりも寧ろ風俗習慣を基
釈を聞くにあらされば普通人民の解し得さる様なる難文字
の他の部の如く、一字一句の末と錐とも、法律専門家の注
られたるの跡は、歴々として法文の上に顕はれ、彼の民法
けありて、我立法者も頗ふる之れが編纂に注意して従事せ
は望むべからずとて、初めより其編纂の任を辞せられしだ
べきものにして、外国人たる者の能く之を編纂すべきこと
婚姻ほど危険なるものはあらず、何となれば人生未だ所謂
の情態を観察すれば、此重大なる関係と責任とを生すへき
契約と異りて終身の利害に関す、然るに他の一方より世間
種々重大の責任を生じ、而かも此重大なる関係は、他の諸
新たに一の親属を組成し、夫婦となるべき男女の為めには
して成す処の結合即ち婚姻は、実に国家存立の基礎たり、
を組織する一原素にして、而して男と女とが或る目的を有
此条を解するもの・言に因れば、曰く人は土地と共に国家
第二十八条参照︶
諾を受けさるべからずと定めたること即ち是なり、︵人事編
効の条件として、年齢の制限なく、常に必らず尊属親の許
人事編中の一疑問とは何そや、他なし我が新民法が婚姻有
此誌上に提出し、読者の教示を乞ふこと・為したるなり、
頃人事編を一読するに際し、偶々脳裡に浮みたる一疑問を
らさる処なり、左れば予は己れの不学なるをも顧みず、此
を以て終生の快事と心得るもの・如きは、予輩の決して取
義務なりとす、徒らに蝶々と攻撃し、哺々と賛美するのみ
全の法律に改良するの注意を加ふるは誠に国民たるもの・
は識者に訂し、他の一方には立法者に向て、漸次に之を完
発見せば、十分に之を指摘し、且つ之を詳論して、一方に
「日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
363
の酒々皆是なり、今此弊害を未然に防ぎ、将さに婚姻契約
生涯一度の重大なる婚姻を締結し、他日唆膀の悔を招くも
害の判断を誤りて後日の結果如何をも慮らず、軽鵯Hの間に
と称すべき者も、時として一座の情欲てふ迷路に陥り、利
に乏しきが為め、他の点より見るときは、如何に英通抜群
る青年の境界にある間は、人間処世の経験に熟せず、智識
亦誠に肯繁を得たるものと評すべしと錐とも、我邦の新民
法律が尊属親の許諾を要し、之を保護せんと欲する精神も
身の利害を忘る・如き者の為めには尤も至当の理由にして、
其所謂る=疋の年齢に達せず、一時の情欲に制せられ、終
通の智識を有するに至るものなり、去れば前論者の理由は
齢に達すれば、自己の一身に関する利害得失を計量する普
人或は謂はん、父母は常に其子の幸福を祈るの性を有す、
法は然らず、人は三十年に至るも、又四十年に達するも、
故に婚姻にして子孫の不利益にあらさることを認むる以上
を為さんとする少壮男女の抑へんとして抑ふべからざる一
為めに、一時利害の判別力を鈍からしめたる少壮男女の利
は、如何なる場合にも之を許諾するならん、故に其許諾を
猶ほ其父母の智識に及ばさるものとなし、必らず之が許諾
益を保護する為めには、尤も必要欠くべからさるの条件な
時の情欲を抑制し、完全なる婚姻を結びて琴狂必雍々、和楽
りと、
拒絶する場合は必ず其婚姻か後日に於て不利益なる場合に
を受けさるべからざれば則ち其婚姻を無効とするは、少し
誠に然り、誠に然り、予輩亦彼の自由結婚なるものが善且つ
限る、従て此法則は敢て父母の権利を過大ならしむるにあ
の中に終身を過さしめんと欲するには積年の経験に富み、
美なる制度にあらずして、之が為め往々測るべからさる危
らず、又子孫たる者の自由を束縛するにもあらすと、
く人の自由を束縛するの度を超過したる法律にあらさるな
険と弊害を生することは、世間の実際に於て蔽ふべからさ
夫れ然り、山豆夫れ然らんや凡そ婚姻なる者は、成るべく其性
きか、
ることを知る、然れとも此危険と弊害のあるは、前論者自
情の相合したる男女の間に結はれたるにあらされは、後日
処世の方法に熟錬し、且つ天然に子孫将来の幸福を希望す
らも明言する如く、其男女か未だ十分の年齢に達せず、処
に至り永久合歓の目的を遂くるを得ず、故に若し父母の心
るの情を有する尊属親の許諾を受けしめ、或特別の事情の
世の経験に富まさる間に限るものにして、人は或一定の年
叢
法
りと難とも、筍くも或一定の年齢に達し、自己の定見を具
結ぶの弊を撹め、併せて子孫将来の利益を保護するは可な
ば、素より尊属親の許諾を要すとして、軽卒に婚姻契約を取
十分に自己将来の得失を計量する能力を有せさるものなら
ものは間接に其影響を受くるに過きず、去れば子孫が未だ
として其婚姻を為さんとする子孫に在りて、之が父母たる
さるべし、婚姻の正否に依て利害の結果を受くる者は、主
る者は、其年齢を如何に累ぬるも正当の婚姻を遂ぐるを得
め、何時迄も婚姻の許諾を拒むことを得るとせば、子孫た
には満足せさる場合もあらん、然るに父母か満足せさる為
あり、又其当人に於て十分に可認する者も、却て父母の心
さんとする当人の心に於ては、徹頭徹尾之を欲せさること
に於て十分に可認する者と難ども、必らずしも其婚姻を為
然れとも余輩か以上論述したる如きことは、理の尤も身易
不及の弊あらさるを以てなり、
限を無限に及ほさ・るを以て、能く其保護の適度を得、過
婚姻することを得ずと制限せるも、我新民法の如くに此制
二十一才に至る迄は、尊属親の許諾を受くるにあらされば
り、何となれは仏民法に於ては、男子は二十五歳、女子は
に就ては、彼の仏国民法の如きは却て我民法に優るの感あ
為さす、法律上保護の適度を超過したるを怪むのみ、此点
も、立法者か此条件の適用を受くべきもの・年齢に制限を
て婚姻の有効条件と為したるは、飽迄之を賛成すると難と
要之するに余輩の意見は、我か新民法が尊属親の許諾を以
得たる経験は、歴々吾人に其明証を与へ居れるにあらずや、
国に従来行はれ来りし習慣を見よ、此習慣によりて吾人の
上決して喜ふべきことにあらさるを知るなり、見よく我
ママ 備したる者が、能くく将来の得失を考へたる上に締結せ
ふべからさる弊害を醸出せんことを恐る・なり、余輩は誠
此必要あらさるのみならず、之れが為めには却て幾多の云
して之を拒絶する権を与ふるの必要ある乎、否々余輩は如
何にするも其所謂真正の理由を発見するに苦むのみ、読者
し十分なる理由の存するものあらん、唯余輩の不肖なる如
んや、既に此理を知り、而して斯くの如き規定を為すは、蓋
明なる我国の立法者たるもの、山豆に之を知らさるの理あら
き処にして、敢て諜々の弁解を要する程の難事にあらず、賢
ママ に自由結婚の不可なるを知る、然れとも之れと△⊥時に其父
若し之を知らは、幸ひに教示を垂れよ、
んとする婚姻にても、猶ほ父母の心に満足せさるを理由と
母たるものの余り婚姻の事に干渉するの度を過すは、実際
r
364
論
律
「日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
少しく思想を有する普通人と錐とも一見知得すへきものな
らんと、然るに頒布の暁に至り一見忽ち三嘆の声を発せざ
涌井武次郎﹁英法を学べるものに告ぐ﹂
︵第二巻一一号、明治二三年一一月発党︶
各々其業を守て棄れす、故に法律学に於ても一般人民は敢
るを得さるなり、彼の専門学士すら猶ほ之れを経けは、睡
て之れか研究に従事せず、之れを専門の法学者に一任し敢
民法商法は我国の法典として頒布せられたり、其頒布の前
授するの学舎を設立し、又之れを通信教授するの会をも創
て顧みさるか故に、我国の法典を一般人民か知得し得さる
眠を催ふすと云へり、況んや普通人に於てをや、
立する者あるに至れり、さて法典頒布の暁に当りては、民
も敢て憂ふる処に非すと、此言大ひに然り、然れとも我国
に当りては、吾人は頸を延して其頒布の日を待てり、之を待
心の響ふ処張水の堤土を覆すか如く、皆な眼を法典に注か
俗の之れに反するを如何せん今や我国の有様を見れは、普
人或は云はん、欧洲各国は分業の道開け、工は工、商は商、
・さる者なかりき、吾人も直ちに之を繕いて閲するに、法
通知り渡りたる取引の性質、又は規則すら往々之れを誤解
つこと大旱の雲寛を望むも膏ならざるなり、已に之れを教
語の斬新に意義の深遠なる、転た望洋の歎なき能はず、近
之れか編纂に従事するも皆な意義を簡明にし、字句を平穏
く、法典編纂委員は皆な是れ賢明なる立法官なり、然らは
吾人は未た新法典の発布あらさるの前に在つては思惟すら
らすと錐とも、又其一斑を推知するに足るへし、
夢を結ふを得べしと、是れ酷評に過くるなきやを保すへか
はさる時に当り、我法典を取て之れを閲読すれは直ちに睡
洲諸国の如く進歩せさるに因ると難とも、亦た欄むへきの
を締結し、又は事業を起すものなし、是れ文化の度彼の欧
誤謬を来すも括として顧みす、敢て法学専門家に謀て契約
在る所を知るに足べし、夫れ斯の如く普通の事柄すら猶ほ
て、事実の覆審を求むるもの少し、亦以て両者間の差異の
在りては之れに反し、其争点とする処は法律の如何に在つ
法律の錯誤を争点として上告するもの少きを見る、外国に
を甑別すれは、事実の覆審を控訴廷に求むるもの多くして、
して不測の禍にか・るものあり、現に我国訴訟事件の性質
にし、仮令ひ其の応用は法学専問家に一任すへきも、其一
ママソ
班即ち権利義務の得喪、或は其大綱の何物たるか如きは、
資料に供せり即ち深夜寂蓼の更に至るも未た睡眠に就く能
頃学士社会の中、一話を伝へて曰く、我法典を以て催眠の
365
叢
法
黒世界を現出するも測る可らす、故に吾人の生命身体自由
しめ、社会の自然に放任せんか捜行放縦、弱肉強食の一暗
夫れ法律は暗夜の光燈たり、若し法律にして一日もなから
至ならすや、
り、又英法を拗棄するに至らさるも、今日まて之れを修得
得せる所の英法を棄て、新に仏法を学はんとするの傾きあ
生諸氏中殊に英法を学へる輩に於ては、自己か今日まて修
大学生に在つては其変動を見さるも、私立五大法学校の学
吾人は新法典発布後法学を修むる学生諸氏の有様を観るに、
故に我新法典の意義如何を探究せんと欲せは、仏法を学ぶ
名誉財産の諸権利を安全ならしめ、社会の平和を維持せん
為を箱制する為め、規則を発布し、若し之れに背反するも
の便且つ益なる論を待たさる処なりと難とも、然れとも英
するを悔ゆるものなきに非さるが如し、美れ法律に母法子
のあらは、直ちに之れに制裁を科すへきの強硬力を有する
法を学びし者も亦決して落胆すへきに非さるなり、
が為め満各人の檀行を籍制し、放縦を制仰して行為の依る
ものを指して法律とは称するなり、已に法律として発布せ
凡そ物に一得一失あるは数の免れさる処にして、英法は法
法の別ありて、我邦新法典は仏法の子法たるを免かれす、
らる、以上は、人民たるものは善悪共に之れに準拠せさる
律の体裁錯雑棄乱し、殆んど名状すへからさるも、之れを
へき法則を定めさる可らす、左れは莚に主権者か人民の行
可らさるの義務を有するか故に、今ま我国法典の如何に字
吾人は思惟す、此の困難なる法典を解釈し、義理分明我国
鳴呼此の時に当り国民たるもの如何に処置して可なるか、
の徒が、詐偽虚示以て無睾の良民を虐けんことを、
り、然らは則ち吾人は恐る、人民の無知なるに乗し、好点
苦しむるにも拘はらす、必す之れに準拠せさる可らさるな
外形の整頓したる成文法は皆無の姿也、即ち慣習の中に法
たる諸条例の外は、仏国其他欧洲大陸諸国の如くに、体裁
如し、従て法律も又同一にして、議院の議決を経て制定し
の存する処に向て志想を傾くるの趣きあり、人情巳に斯の
神に富み、風俗質朴、敢て外面の美を街はず、唯実利実益
を尋ぬるに、巳に世人も知るが如く、英国人民は保守の精
学ふ者をして実務に敏捷ならしむるるの益あり、今其源因
ハママ 民をして日常の事柄を執行するに困難なからしむるは、現
律存在すと云ふも謳言にあらす、夫れ斯の如き空漠たる法
句の斬新に、意義の深遠に、世人の之れを知得し得さるに
今法学を研究しつつ在る法学生徒諸君の任に在らんと、
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律
「日本之法律」にみる法典論争関係記事(一)
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あるか故に、知らすく法律の実務に敏捷ならしむるの益
に語る可らすと難とも、常に法理と事実とを対照するの便
州大陸諸国の成文法を学得するに比すれは、其難易は共も
て其精神の在る所を探くるに在りとす、今之を仏国其他欧
とを編述したる書籍を読み、尚ほ自ら之れを判例に比照し
決例を分析解弁し其原理の存する所と実際に生したる事実
判決例に準拠して事件の判決を下し、又諸学者は古今の判
律を適用せんとするには、唯た裁判官か為せる古来よりの
︵未完︶
量に勉めすして可ならんや、
者に誇るもの、夫れ英法学者にあらんか、英法学生たる者
名実両全、我法典をして実地に適用するの美を他派の法学
ることあらすんは、昨日の困難は却て今日の楽士となり、
梢々困難を感することあるへきも、耐忍不撹、咀噛玩味怠
は、最初は仏法学生の如く成文法の解釈に慣れさるか故に、
我法典を研究するに当り、自己の長する処の思想を以てせ
あるなり、之れに反して仏法の如きは皆な法律の成文にか
・るものなるか故に、之れを学ふ者は成文法の解釈如何に
汲々として、敢て其実用如何を顧みさるの傾きあるもの・
如し、
元来体裁と実用との二者完備するに非されは、決して完全
の法律と称すへからさるは明らかなることにて、如何に法
律の体裁整備し、篇章の排列其序を得ると難も、若し其活
用を得さるに於ては、其法律たる徒法たるを免かれず、又
活用の実あるも、体裁の整備排列等其序を得さるに於ては、
又之を完全の法律なりと称す可からさるなり、
上来述へ来れる如く、英法を学ぶもの必らずしも不利なら
す、仏法を学ぶもの必らずしも益ならず、故に英法学生は
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