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村 上 信 夫 こ の ゆ び と ー ま れ
大家族の住む一軒家 お年寄りも、子どもも、障がい者も、 何の区別もなく、みんなが笑顔で楽し 年前に、 く過ごす場が富山市にある。デイケア ハウス︽このゆびとーまれ︾。 村 上 信 夫 ︵アナウンサー︶ オ ー プ ン 当 初 は、 利 用 者 も 少 な く 赤 字 経 営 だ っ た。 初 心 を 忘 れ ず、 こ の ゆ び を さんが敬愛するナイチンゲールの誕生日 可 さ れ た 。 認 可 さ れ た5 月 び﹂にとまってくれた。縦割りを見直し、 た て 続 け て い た ら、 市 民 か ら 年 間 一 千 万 でもあった。 めて付けられた。 デ イ ケ ア ハ ウ ス と は、 デイ︵昼間︶ケア︵世話︶ハ 円 以 上 の 寄 付 が あ っ た。 学 生 時 代 の 同 級 全国に広まる富山方式 ウス︵家︶。文字通り、昼 生、 勤 め て い た 病 院 関 係 者 か ら の 寄 付 も いる。誰が利用者で、誰がスタッフか このゆびにとまった人は、原則的に 受 け 入 れ る 。1 日 平 均 人 が 利 用 し て を少しでも軽くしたいという思いからだ。 齢 者 が 多 い こ と、 そ の た め の 家 族 の 負 担 く、 畳 の 上 で 死 に た い ﹂ と 望 ん で い る 高 惣 万 さ ん の 粘 り 強 い 説 得 交 渉 の 結 果、 3 年 後 に は、 富 山 県 と 富 山 市 も ﹁ こ の ゆ いと補助金も出ないありさまだった。 厳 し い 線 が 引 か れ、 ど れ か 一 つ に 絞 ら な 福 祉 の 大 き な 壁 に も ぶ つ か っ た。 福 祉 行 政 で は、 高 齢 者、 障 が い 者、 子 ど も と ど最低限必要なケアはするが、あとは が 印 象 に 残 っ て い る。 看 護 師 に な ろ う と 人の役に立ちたいという母の笑顔ばかり め て 本 を 読 ん で 聞 か せ て い た。 最 後 ま で、 日 は、 惣 万 年 、 富 山 県 初 の NPO 法 人 と し て 認 柔 軟 な 補 助 事 業 を 打 ち 出 し た の だ。 平 成 間、 身 の 回 り の 世 話 を す る証しといえた。 る 家 の こ と だ。 惣 万 さ ん 年 あ っ た。 こ う い う 施 設 の 存 在 を 求 め て い ろ う と 思 っ た の は、 こ の ゆ び と ー ま れ ∼ 惣 万 佳 代 子 さん ∼ わ か ら な い。 利 用 者 は、 テ レ ビ を 見 内 科 と 小 児 科 に い た の で、 高 齢 者 と 子 ど も の 相 性 が い い こ と は、 わ か っ て い た。 の看護経験の中で﹁病院のベッドではな 子どもをあやしたり⋮みんな思い思い お年寄りや子どもがひとつ屋根の下で暮 たり、料理の下ごしらえを手伝ったり、 に過ごしている。それぞれ自分が出来 いでいる。 スケジュールに縛らない。地域密着で、 と 闘 っ た。 母 は、 ベ ッ ド の 横 に、 孫 を 集 多 様 な 人 が 交 じ り 合 い、 利 用 者 も ス 平成5 年、看護師仲間3 人と退職金を 出し合ってオープンにこぎつけた。︽この 思ったきっかけも母の病気だった。 死んでいける。そんな場所が︽このゆ を持ち、充実した日々を送り、笑顔で タッフも区別がない中で、互いに役割 施設というより大家族の住む一軒 家って感じなのだ。入浴や食事介助な 惣 万 さ ん の 考 え 方 に は、 母 の 介 護 体 験 も 影 響 し て い る。 母 は 年 リ ウ マ チ らすのは、昔からの日本の文化だ。 が、 デ イ ケ ア ハ ウ ス を 作 121 ることをして、助け合いながらくつろ この施設を作った。 惣万佳代子さんが看護師の仕事をやめ、 15 20 ゆ び と ー ま れ ︾ と い う 名 前 は、 誰 で も 気 を 得 ら れ る。 と 同 時 に お 年 寄 り の 温 か さ、 子 ど も も、 お 年 寄 り か ら 叱 ら れ た り 褒 め ら れ た り、 親 と は 違 う ス キ ン シ ッ プ 役 割 が あ る、 頼 ら れ て い る と い う 誇 り が、性格を前向きに変えていく。 は覚えている。 寄 り も い る。 認 知 症 で も、 子 ど も の 名 前 が仕事だと思って来ていた認知症のお年 子 ど も の 動 き に 触 発 さ れ、 お 年 寄 り の 動 き も 活 発 に な っ て く る。 子 ど も の 相 手 れる。 た 頃 を 思 い 出 し、 生 活 の 満 足 感 が 高 め ら 子 ど も の 世 話 を す る こ と で、 お 年 寄 り が 生 き 生 き と し て く る。 子 育 て を し て い つもある。 明日の百人より今日の一人 お 年 寄 り に も、 子 ど も に も、 障 が い 者 に も、 境 界 を 作 ら な い メ リ ッ ト は、 い く の︽富山型︾が全国に広まりつつある。 の ノ ー マ ラ イ ゼ ー シ ョ ン が 実 現 し た。 こ で普通の生活を営むことを当然とする真 山 型 ︾ と 呼 ば れ て い る。 障 が い 者 が 地 域 ぶ。行政の柔軟な補助金の出し方も、︽富 動方式を︽富山型︾とも︽富山方式︾とも呼 赤 ち ゃ ん か ら お 年 寄 り ま で、 障 が い の あ る な し 問 わ ず、 一 緒 に ケ ア す る 活 12 11 厳 し さ を 身 を も っ て 知 る。 お 年 寄 り が 介 護 さ れ る 姿 を 見 る こ と で、 子 ど も に 思 い やりの心が自然に身につく。 障 が い 者 も、 身 近 な 居 場 所 を 確 保 出 来 て、 社 会 的 自 立 が 図 れ る。 知 的 障 が い 者 も、 認 知 症 の お 年 寄 り に 教 え る こ と で、 存在感を得る。 地 域 に 生 ま れ た 新 た な 家 族、 み ん な が 同じ仲間という気になってくる。 惣 万 さ ん が 支 え に し て い る 言 葉 に、 赤 十 字 の 理 念 で ﹁ 明 日 の 百 人 を 救 う よ り、 今日の一人を救え﹂がある。目の前で困っ ている人を助けることが使命だと思って い る。 自 分 に 何 が 出 来 る か 考 え つ つ、 小 さなことをコツコツ積み重ねていくしか ないと思っている。 惣 万 さ ん の 語 る 富 山 弁 は、 実 に 味 わ い がある。 ﹁やわやわとやらんまいけ﹂コツコツ やっていくことをこう言い表した。 ﹁ゆっくりやっていこうよ﹂という意味 合いである。 ■イネ・セイミプロフィール ところ と き 会 費 問合せ 常滑屋 月一回 第二金曜日 午後一時∼ 一回 二、五〇〇円︵四ヶ月分前納制︶ ☎〇五六三︵三二︶〇五八三 俳画教室開講中 フルート奏者として活躍中。 俳画家。 絵画を幼少より日展画家の︵故︶川村行雄氏に師 事。俳画を華道彩生会家元︵故︶村松一平氏に師 事。俳画の描法をもとに、少女、猫等を独自のやさ しいタッチで描いている。 個展多数。 好評 発売中 詩と朗読 堤江実 フルート イネ・セイミ ピアノ はちまん正人 構 成 佐藤よりこ Disc1.光のように Disc2.花のように 2003年10月22日発売 CD 2枚組3,150円 (税込) 15 軽に利用してもらえるようにと願いを込 言霊に癒される CD 堤江実のポエムガーデン やさしい風がふいています。 木々の梢は光っています。 あなたの心がやすらぎで満たされま すように。 あなたの心に喜びがあふれますように。 企画・制作:株式会社 新聞ビル びとーまれ︾なのだ。 堤 江 実 のポエム コンサートを CDでお届けします。 30 ■村上信夫プロフィ−ル NHKチーフアナウンサー 1953年、京都生まれ。 明治学院大学卒業後、 1977年、 NHK 入局。 富山、山口、 名古屋、 東京、大阪に勤務。 4月からは、 新番組『ラジオビタミン』担当。 (ラジオ第一 8:30 ∼ 11:50) これまで、 『おはよう日本』 『 ニュース7』 「育児カレンダー」などを担当。 教育や育児に関する問題に関心を持ち 続け、横浜市で父親たちの社会活動グ ループ『おやじの腕まくり』を結成。 趣味は、将棋。 著書に『元気のでてくることばたち!』 (近 代文芸社) 『おやじの腕まくり』 (JULA出版局) 『いの ちの対話(共著)』 ( 集 英社) 『 いのちと ユーモア (共著)』 (集英社) 俳画/イネ・セイミ <発行所>あかい新聞店 武豊店/ 知多郡武豊町字金下37番地 ☎<0569>72-0356 常滑店/常滑市市場町4丁目167番地 ☎<0569>35-2861 わが町、 わが店、 この道一筋。 出逢いとコミュニケーション あかい新聞店ホームページ http://www.akai-shinbunten.net 第 243 号 平成20年11月1日 良寛と内藤丈草 8 月 の 暑 い 日 の 午 後、碧 南 市 の 図 書 館 で、全 く 偶 然、童 本を読んだなとうれしくな りました。 て い て 火 が つ か な い。い ら い カ チ と 打 っ て も、火 口 が 湿 っ 訳 し ま す。﹁ 火 打 ち 石 で カ チ 丈 草 の 生 活 は、こ の 二 つ の 世 の 山 で あ る。そ の 後 に お け る 蕉の門に入ったことが第二 第 一 の 山 で あ り、次 い で、芭 ﹁両刀を棄てて仏門に入っ た こ と が、そ の 生 涯 に お け る の中でこう述べています。 は﹃ 蕉 門 の 人 々﹄︵ 岩 波 文 庫︶ です。 の堀彦右衛門に宛てたもの 思わず笑ってしまう内容 の手紙が残っています。知人 くなってしまうという意味 り﹂ 。夜 着 を 着 た ま ま 起 き 出 てたてば夜の衾もなかりけ て下さい︶ で い い で す か ら、一 本、貸 し な意味。 らしながらカチカチやって 界 よ り 得 た も の に よ っ て、過 ﹁傘と剃刀をさへ持たぬ身 の 上 か な と、よ し な き 貧 乏 自 ◇淋しさの底ぬけて降るみ ぞれかな ◇草庵の火燵の 下や古狸 ◇血を分けし身 とは思はず蚊のにくさ ◇ 春雨や抜け出たままの夜着 かな︵丈草︶ ◇鷹の目の枯野にすわる嵐 り︵良寛︶ の 境 涯 は、容 易 に 他 の 窺 う を を謝して自然に任せた晩年 です。 私の好きな丈草の俳句を 例挙します。 い る と、そ の 音 を 友 達 の 声 と 誤なしに歩みを続けたと見 せ ば、も う そ れ は 夜 着 で は な 勘 違 い し て、軒 の 近 く の 雨 蛙 る べ き だ ろ う。他 は、丈 草 自 に最も近い風のものとされ 丈草の句は作者自身の説 明が残っています。現代語に が必ず鳴き出す。本当に面白 杉 本 武 之 歳 だ っ た。孤 高 恬 塚 が 完 成 し た 翌 年、丈 草 は 死 い﹂ て い る が、一 面 で は 洒 脱 の 風 ん だ。 淡 と し て、俗 情 を 交 え ず、ひ 幻 庵 を 結 び、師 の 冥 福 を 祈 り 義 仲 寺の裏側の竜が丘に仏 の穴 ◇わが事と泥鰌の逃 げし根芹かな ◇連れのあ る所へ掃くぞきりぎりす ◇水底を見て来た顔の小鴨 黄 檗 派・先 聖 寺 の 玉 堂 和 尚 に もに、俳句も 句選ばれた。 たすら清貧に甘んじた生活 慢 が こ う じ て、明 日、あ る 人 ︵1704︶ ︾ 元 禄7 年 ︵ 1 6 9 4︶芭 蕉 が 亡 く な る と、3 年 の 心 喪 の も と へ 斎 に 呼 ば れ 候 に、髭 た丈草について書きます。 参 禅 し た。 歳 の と き、病 気 ︿尾張国 ︵ 愛 知 県︶犬 山 藩 士・内 藤 源 左 衛 門 の 長 男 と し て生まれた。早く実母を失い、 ︵ 喪 服 は 着 ず に、心 だ け で 喪 身も多く伝えることを好ま 目に止まりました。丈草とい 俳句にも造詣の深かった 芥 川 龍 之 介 は、﹁ 丈 草 の 事﹂と 良寛よりも100 年ほど 前 に 生 ま れ、 歳 で 亡 く な っ ず、ま た 伝 わ っ て い な い。世 う 芭 蕉 の 弟 子 に つ い て は、名 い う 小 文 の 中 で、﹁ 蕉 門 に 竜 で 出 仕 し、漢 学 を 修 め、ま た 良寛の句は ﹁ 寒 い 冬。山 間 を流れる一筋の川。寒さに体 芭 蕉 の 衣 鉢 を 伝 え た﹄も の が 川氏のいわゆる ﹃最も的々と れ か か り て も 一 本、御 貸 し 下 研 ぎ す ま し て 一 丁、た と へ 破 御 無 心 申 し 入 れ 候。よ く よ く か。﹁ 草 庵 の 扉 を 閉 ざ し、読 経 法事に参会するように呼ば ま し た が、あ る 人 か ら 明 日 の けもなく貧乏を自慢してい 許 さ ぬ 底 の も の で あ る が、芥 を 震 わ せ て、雪 の 山 頂 を 見 上 斯 の 人 で あ る こ と は、疑 問 の さるべく候﹂ も見受けられる﹀ 良 寛 の 父・以 南 は 芭 蕉 の 流 れを受け継ぐ一流の俳人で げ る と、そ こ に は 目 を ら ん ら 余地はあるまいと思う﹂ ﹁ さ び﹂の 境 地 名 庵に籠った。さらに2 年後、 蕉 門 中、芭 蕉 の に 服 す る こ と︶に 服 し て、無 前 だ け は 知 っ て い ま し た が、 は 汁 を す す る 邪 魔 に な り、雨 かな ◇ほととぎす啼くや は衣の袖しぼらんことを思 湖水の小濁り ◇とりつか ふ に、ひ し と 困 り 果 て 候 ま ま、 ぬ 心 で 浮 か ぶ 蛙 か な ◇ 水 底の岩に落ち着く木の葉か 弟 は み な 異 腹 で あ っ た。 歳 その生涯や作品などについ 象の多いことは言うを待た した。良寛も100句ほど俳 んと輝かせて一羽の鷲が睨 丈 草 の 句 は﹁ 枯 れ 果 て た 野 原。吹きすさぶ嵐に羽毛を逆 ばかりしている。眼光だけは れ て し ま い ま し た。こ ん な に 傘や剃刀なんか 句を作っています。良寛が丈 立 て な が ら、一 羽 の 鷹 が、獲 鋭 い が、す っ か り 痩 せ て し ま 玉を動かさぬ様子を表して る﹂の 意。一 点 を 見 つ め て 目 な お、﹁ す わ る﹂は﹁ 目 が す わ ま し た し、知 人 と 文 通 も し て 去来や支考らが庵を訪問し ろ う し、ど う も 明 日 は 雨 ら し 外 出 し ま せ ん で し た が、時 々、 を す す る の に 邪 魔 に な る だ い っ た 様 子 で し た。ほ と ん ど い の で、大 事 な 法 衣 が 濡 れ て 長く伸びてしまった髭は汁 持 っ て い な い よ と 言 っ て、わ を 光 ら せ て い る﹂と い う 内 容。 い、物 も あ ま り 言 わ な い﹂と 物をねらって鋭く精悍な目 ︵大意 │ 草のことをどのくらい知っ みつけていた﹂ といった意味。 そ れ で は、丈 草 は ど ん な 生 活を送っていたのでしょう て い た の か、私 に は よ く 分 か りません。 同じような題材を詠んだ 二人の俳句を比べてみま しょう。 ◇火を打てば軒に鳴き出す います。 ◇鍋みがく音にまぎるる雨 雨蛙︵丈草︶ を 求 め る こ と な く、心 静 か な 綿 入 れ を 着 て い ま し た。こ ん て い る と き も、た っ た 一 枚 の い ま し た。寝 る と き も 起 き ほ か あ り ま せ ん。よ く 研 い だ て い ま す。あ な た に 無 心 す る し ま い そ う で、と っ て も 困 っ 雨蛙の鳴き声と紛れて区別 ▼第二十五回 中央公民館まつり活 動発表会・一日 ︵土︶午前十時∼午後四 時 ▼第四十三回 常滑市老人クラブ大 会・十三日 ︵木︶ 午前十時∼午後四時 ︿杉本武之プロフィール﹀ 1939 年 碧南市に生ま れる。 京都大学文学部卒業。翻訳業 を経て、小学校教師になるた めに愛知教育大学に入学。 年間、西尾市の小中学校に勤 務。定 年 退 職 後、名 古 屋 大 学 教育学部の大学院で学ぶ。 ︿趣味﹀ 読書と競馬 と 常 滑 水 野 家 文 書 を 中 心 と し て﹂ ・∼ 三十日 ︵日︶ ◎常滑市体育館 ▼第八回 常滑市小学生バスケット ボールフェスティバル・八日 ︵土︶ ▼ママさん卓球大会・九日 ︵日︶ ▼J B L 2 2 0 0 8 ∼ 2 0 0 9 高校バスケットボール選抜優勝大会 ▼第七十八回 常滑市ママさんバ レーボール大会・二十三日 ︵日・祝︶ 愛知県予選会・十五日 ︵土︶ ▼第五十五回 全知多九人制バレー ボール大会・十六日 ︵日︶ 半∼同四時 ▼ 東 海 卓 球 ベ テ ラ ン 大 会・二 十 九 日 回︶午 後 七 時 ∼ 同 八 時 半 内 容 ど じょうすくい練習 講師 森田豊さ ん 場 所 青 海 公 民 館 和 室1・2 対 象 市 内 在 住・在 勤 の 人 定 員 十五名 受講料 三百円 申込み期 限 ∼九日︵日︶ ▼ふれあいギャラリー 日本画展示・ 二十二日 ︵土︶∼三十日︵日︶ ◎鬼崎公民館 ▼第二十一回 鬼崎公民館まつり 趣味の輪 出会いの場 広げて楽し い 公 民 館・二 十 二 日 ︵ 土︶、二 十 三 日 ︵ 日・祝︶午 前 十 時 ∼ 午 後 三 時 マ イ はし・マイスプーン・マイバッグ・マイ 三十日 ︵日︶ ▼ 市 民 講 座 同 朋 大 学〝 い の ち の 村〟 出張講義 ゆったりとした気持ちで 学 び の 散 歩 し て み ま せ ん か・二 十 七 日 カ ッ プ を 持 っ て き て ね! お 楽 し み が ◎常滑市中央公民館 ︵木︶、十二月五日︵金︶ 、十二日︵金︶午前 ︵土︶ ▼子どもを守る会 感謝フェスティ バ ル・二 十 三 日 ︵ 日・祝︶午 前 十 時 ∼ 正 語 を 読 む﹂ ・二 十 八 日 ∼ 十 二 月 十 二 日 時∼午後四時半 十時半∼正午 講話内容 八犬伝の 浮世絵 物語絵・役者絵・武者絵・国貞・ ◎南陵公民館 ◎常滑市立図書館 ▼第四回企画展 ﹁ 重 要 文 化 財・涅 槃 図 ◎常滑市民俗資料館 十 三 日、二 十 日、二 十 七 日 ︵ 各 木・全 三 ▼自主事業 ﹁どじょうすくい講習会﹂ ・ ︵火︶ ∼十二月五日 ︵金︶ ▼ シ ル バ ー 筆 耕 ク ラ ブ 展・二 十 五 日 二十三日 ︵日・祝︶ ▼ INAX 絵 画 部 展・十 四 日 ︵ 金︶∼ 一日 ︵土︶ ∼十三日 ︵木︶ ▼文化祭協賛第五十八回新紀美術展・ 半 講師 同朋大学いのちの村出張 講義 教授 秋間康夫さん 場所 中央公民館学習室2 対象 市内在 住・在 勤 の 人 定 員 三 十 名 ︵応募者 多数の場合抽選︶ 受講料 無料 申 ︵木︶ 込み期限 二十日 ◎青海公民館 ▼市民講座Ⅳ﹁初心者のための源氏物 まってるよ! 午 ︵金曜日・全三回︶午後一時半∼同三時 ▼秋季市民6 人制バレーボール大会・ ▼第五十五回 常滑市文化祭協賛事 業 ﹁邦楽﹂秋の祭典・三十日 ︵日︶午前十 日 ︵土︶ 午前九時半∼午後〇時四十分 ▼学習発表会 ︵常滑西小学校︶ ・二十二 ▼実践体験文表彰・発表会 知多五市 五町小中高校生・十六日 ︵日︶午後一時 な ◇雪曇り身の上を鳴く 鴉かな ◇ほこほこと朝日 さしこむ火燵かな てはほとんど知りませんで 言 え ば、恐 ら く は 内 藤 丈 草 で と芭蕉の衣鉢を伝えたかと は 何 一 つ 知 り ま せ ん で し た。 あろう﹂と書きました。俳聖・ な い。し か し、誰 が 最 も 的 々 そ れ な の に、急 に こ の 本 が 目 芭蕉の弟子には竜や象のよ ながら心静かな生活を送っ に 飛 び 込 ん で き て、ど う し て 神を受け継いだというので を 理 由 に 遁 世 し た。の ち 京 に た。元禄 うな偉大な俳人がたくさん す。芥川は丈草が好きで、﹁一 出 て、玉 堂 和 尚 の 縁 で 深 草 に い た け れ ど、そ の 中 で、丈 草 こ の 小 説 は、私 に は と て も 面 白 く て、一 気 に 読 み 通 し ま 句一句変化に富んでいるこ 隠 棲。元 禄 2 年 ︵ 1 6 8 9︶ ﹁ 閉 関 禁 足3 年。蕉 翁 追 悼 の も読んでみたいという気持 し た。そ し て、丈 草 と い う 俳 と は、作 家 た る 力 量 を 示 す も が一番はっきりと芭蕉の精 人は良寛によく似ているな の で あ る﹂と 高 く 評 価 し て い に 写 し と る。完 成 し た ら、そ 生活を送りました。柴田宵曲 丈 草 は、良 寛 と よ く 似 た 生 良 寛 の 句 は﹁ 鍋 の 汚 れ を ゴ シ ゴ シ 擦 っ て 洗 っ て い る と、 き方をしました。世俗の名利 年の年頭に当たり、 蛙︵良寛︶ と 思 い ま し た。と も に 禅 僧 の石を埋めて経塚を建立す ために、千部の法華経を読 誦 な 俳 諧 集﹃ 猿 蓑﹄に は、漢 文 で 2年後に出版された画期的 で き な く な っ た﹂と い う よ う 剃 刀 一 丁 と、破 れ か か っ た 傘 る﹂と い う 誓 い を 立 て た。経 これらの多いもの、少な いものの勝ち負けは、はじ ◎常滑市民文化会館 な 俳 句 を 作 っ て い ま す。﹁ 着 跋文 ︵ あ と が き︶を 書 く と と 訪 れ 入 門 を 許 さ れ た。そ し て、 す る。ま た、経 文 を 一 字 一 石 丈草の生涯を簡単に紹介 します。 年 ◎ 内 藤 丈 草 ︽ 寛 文 2 年 ︵ 1 6 6 2︶∼ 元 禄 として担任が三、四人と分 けてその組でまず勝負をさ 掛け声を言って、まずジャ す。﹁女チョキ﹂は、形が ってジャンケンをしていま からパンを焼いているのですが、お店も 紅色、桃、白。 土日にかかわらずモーニング有り。ラン 鮮やかな色彩の チも営業しつつ、八日はゆめプラ野外ス コスモスが心地 テージにてなんと!﹃武豊たまりラーメ よさそうに秋風 ンコンテスト﹄に参加する運びとなりま に揺られてい した。なんとなく応募したラーメンコン る。 あ わ た だ し テストの二次予選も通過、3食の中に私 い毎日に心の深 の ラ ー メ ン ア イ デ ィ ア が 選 ば れ ま し た。 呼 吸。 癒 し を 頂 当日はプロの方が調理してくださるので き秋の実りに感 試食が楽しみです。秋の行楽に是非武豊 謝する。 に足を運んでくださいね。 今月はイベン トが目白押し。十一月八日は武豊町民会 また二十二日、二十三日の勤労感謝の 日には、子供パン屋さん職業体験を夏休 館︵ゆめプラ︶にて全国第二回しょうゆ サミットが行われます。 こだわりの味噌、 みに続き行います。今回は四歳から小学 四年生までのかわいい子供達がパンを作 たまりは武豊の地場産業。PRと共に産 り一個五十円にて十二時と三時の二部制 業 ま つ り も 八、九 日 と ゆ め プ ラ 一 帯 に て で販売予定です。勤労感謝の日、働く事 行われるため、盛大なイベントになりそ うですよ。 夢乃蔵もスタッフ一丸となり、 とは⋮親と子で考えるいい機会ですね。 産業まつりブース用に連日夜中からパン 私 の で き る 事 は﹃ パ ン を 創 る ﹄ こ と。 全 国 で た っ た 一 件。 変 わ っ た パ ン 屋 が を焼き、焼きたてのパンをゆめプラへ運 あ っ て も い い の か な ぁ と 思 っ て い ま す。 び、熱々ジューシー﹃長∼ロングウィン ナー﹄ のホットドッグを作り立てで提供。 子供を産み育てる親として伝えたい事が 沢山あります。 夢乃蔵の看板娘達が販売していますの 料理研究家 で、是非いらしてくださいね。私は夜中 長澤晶子 かチョキ﹂と呼ばれて次第 に敬遠されたようです。 容認されているようです。 氏 原 朝 信 パー︵五本の指を広げて出 同士で決着させています。 ﹁ ジ ャ ン ケ ン ﹂ は、 手 だ け を 使 い 三 種 類 の 指 の 出 し 方 ︵グー、チョキ、パー︶で互いに牽制し合って勝負をす ンケンをします。そして、 せます。そして勝った者 グーは、握りこぶしにな るが、親指を他の指の中に る遊びです。私が小学生のころは、チョキを出す場合、 す︶については問題ないと 気のきいた子がいれば、 入れるかどうか、どちらも ﹁おおいものが∼ちよ﹂と 親指と人差し指をのばしていました。町に住んでいた従 グーが多ければ勝ちとなり、 があるようです。この地域 チョキとパーは負けになり 人 差 し 指 と 中 指 を の ば し た チ ョ キ で す。 子 ど も た ち と ジ 決着をつけるのです。 ャンケンをするとき、親指と人差し指のチョキをときど かで呼んでいます。 言って﹁グー﹂か﹁パー﹂ から、新たに生まれたもの かを出して少ない方を勝ち チョキの原型は、私が出 す親指と人差し指のチョキ のようです。そして、次第 めに決めておいた方がよい 大勢でのジャンケン だそうです。このチョキを す。でも、なかなか決ま とします。 ﹁男チョキ﹂といい、人差 に﹁女チョキ﹂が主流にな と思います。 給食での残り物をもらう はさみの形に似ている ためにほしい子たちが集ま し指と中指をのばしたチョ らない。そんなとき、仲裁 ﹁ ダサイ﹂と言って笑います。 き 出 す と、 め ず ら し い も の を 見 る よ う に 子 ど も た ち は または、﹁グーとパーで では、﹁チョキ﹂﹁ピー﹂ わかれましょ﹂と掛け声を 人 差 し 指 と 中 指 を の ば し た チ ョ キ で し た。 今 の 子 た ち も ます。グーの勝者で最後の じゃんけんぽん⑵ この指とまれ き 方 も よ く 似 て い ま す。い い す る 考 え 方 が 似 て い る し、名 の 冬、嵯 峨 の 落 柿 舎 に 芭 蕉 を 14 利を求めず清貧を貫いた生 は 異 な る け れ ど も、芸 術 に 対 だったという共通点のほか ちになりました。 し た。ま た、童 門 冬 二 と い う 43 作家についても詳しいこと 門 冬 二 の﹃ 小 説・内 藤 丈 草﹄が 態 度 は、そ の 作 風 に も 反 映 し、 ◇ 冬 川 や 峰 よ り 鷲 の 睨 み け (41) 12 ます。 丈草画像(蕪村画) 14 に、俳 諧 と 詩 歌 と、ジ ャ ン ル 27 兄 が や っ て き て ジ ャ ン ケ ン を し た と き、 親 指 と 人 差 し 指 思います。 でチョキを出したら、笑われました。従兄のチョキは、 チョキの呼び名は、﹁ピ ー﹂﹁チー﹂﹁キー﹂など 17 り、﹁男チョキ﹂は﹁いな 国芳 講 師 服 部 仁 先 生︵ 同 朋 大 学 人 間 文 学 科 教 授︶ 会 場 南 陵 公 民 館 学習室 対象 どなたでも 定員 二十名 受講料 無料 申込み期限 十九日︵水︶ 問合せ 南陵公民館☎ ︱47 48 F AX ︱0 07 4 ︵ ページへ続く︶ mail [email protected] 36 5 43 キを﹁女チョキ﹂といいま 34 | | (152) 25 平成20年11月1日 (2) 第 243 号 愛知県立大学名誉教授 山田正敏 ﹃バリ島 行ったり来たり﹄ ⑾ ︽バリ島の ◆ あ の W H O ︵ 国 連・ 世 界 保 健 機 関︶調査で、一九七九年︵昭和 年︶ ﹁ 地 球 上 に は、 人 々 の 心 を 引 き の﹃ 国 際 児 童 年 ﹄ 当 時、﹁ バ リ 島 は、 付 け ず に は お か な い 特 別 の 場 所 が、 世 界 で 一 番 精 神 病 の 少 な い 地 域 ﹂ 何かしら計り知れない力が溢れて と 評 価 さ れ、 私 の バ リ 島 へ の 興 味・ い る よ う な、 そ こ だ け 神 に 特 別 に 愛 さ れ た よ う な、 そ ん な 場 所 が あ 関 心 を 湧 き 立 た せ ま し た。﹁ そ の バ リ 島 の〝 地 域 〟 と は、 そ の 基 礎 単 る よ う だ。 バ リ は、 世 界 中 か ら 人 位 で あ る〝 家 庭 〟 と は、 ど の よ う を引き寄せる。 な も の な の か?│ を 知 る と い う 基 熱 帯 の う だ る よ う な 大 気 の 中 に 本 的 課 題 が、 二 つ の 村 の 学 校 生 活 漂 う 甘 い 花 の 香 り、 輝 く 陽 差 し を 調 査 を 一 段 落 さ せ た 段 階 で、 い よ 浴 び て 翻 る 椰 子 の 若 葉、 波 ご と に い よ、 よ り イ メ ー ジ 豊 か に 現 実 味 き ら め く 澄 ん だ 海 面 ⋮。 白 い 砂 浜 に 腰 を 下 ろ せ ば、 ど こ か ら と も な をおびてきました。 く 聞 こ え て く る ガ ム ラ ン の 音、 今 ◆ 年も祭りが繰り返される。 バ リ は、 美 し い ビ ー チ・ リ ゾ ー 〝 バリ島らしい地域 〟を探す︾ ト と し て 知 ら れ て い る。 こ れ ら の 54 のヌサドゥアが誕生した。 各 ホ テ ル は、 趣 向 を こ ら し た プ ー ル を 造 り、 完 全 冷 房 の 快 適 的 な 宿 泊 棟、 ス 夕 日 の 自 然 は 美 し い も の ゝ、 そ れ を ゆ っ く り 眺 め る 間 も な く、 物 売 りに囲まれる。 私の目には猥雑としか見えない こ の ク タ・ レ ギ ャ ン エ リ ア に 比 し て、 ヌ サ ド ゥ ア エ リ ア は、 東 海 岸 園 〟 な ど と、 こ の バ リ 島 の ク タ・ レギャンなどの若者の街は呼べた も の で は な い。 イ ン ド 洋 に 沈 む、 ア 地 区 ﹂ の、 白 砂 の ビ ー チ・ 珊 瑚 の人々の〝生活の臭い〟は、ほとん 光 地 と い う よ り は、 無 国 籍 の﹁ 行 礁に囲まれた浅瀬の自然を生かし ど感じられない。 楽地﹂というにふさわしい地域で た、バリ島唯一・東洋一のリゾート・ ◆ ある。 タウン・〝ヌサドゥア〟を造った。 日 本 の み な ら ず、 各 国 の 若 者 に こ ゝ の 物 売 り・ 勧 誘 の す さ ま じ さ は、 車 窓 か ら 眺 め て い る だ け で、 ド ッ ト 私 な ど は 疲 れ て し ま う。〝 楽 政 府 の 計 画 ど お り、 こ の 地 域 に は、 シ ェ ラ ト ン、 ハ イ ア ッ ト、 ヒ ル ト ン、 メ リ の 宗 教 的 日 常 生 活 は、 今 日 の 観 光 化という大きな波にも呑まれるこ ポ ー ツ 施 設、 バ リ の 工 芸 品・ 衣 類 な ど の み や げ 専 門 アなど次々と世界的なホテ ル チ ェ ー ン が 進 出 し、 現 在 と も な く、 や は り 当 り 前 の こ と と して送られている。﹂ のため美しい夕日は見えないまで も、 六 月 号 に〝 朝 起 き は 三 文 の 得 〟 と 私 が 書 い た﹁ 水 平 線 と ビ ー チ を 結ぶすばらしい日の出の光の帯﹂ を見ることが出来る。 夕 日 を 見 た け れ ば、 同 じ 半 島 の 先 端 に あ る﹁ ウ ル ワ ッ ト 寺 院 ﹂ ま で 行 け ば イ ン ド 洋 に 沈 む 夕 日 を、 ゆっくり楽しむこともできる。 落 ち 着 い た ロ ケ ー シ ョ ン で、 優 雅に休日を過ごすのには、この﹁ヌ サ ド ゥ ア・ エ リ ア ﹂ は、 最 適 の 地 域 で あ り、 バ リ 州 政 府 が 造 り だ し た﹁地上最後の楽園﹂である。 日 頃 蓄 積 さ れ た 心 身 の 疲 労 を、 ﹁ 短 期 間 に 回 復 ﹂ し、 元 気 を 取 り も ど す〝 リ ゾ ー ト 〟 に は、 是 非 と も おすすめしたい日本人向きのバリ 島随一の観光地である。 このバリ島の観光キャッチフ レ ー ズ﹁ 地 上 最 後 の 楽 園 ﹂ の 名 称 発 祥 の 地 は、 こ の﹁ ヌ サ ド ゥ ア・ リ ゾ ー ト タ ウ ン ﹂ で あ る。﹁ 芸 術 の 画 ど お り に、 バ リ 島 の 自 然 のビーチの中に造り出され た〝 リ ゾ ー ト・ タ ウ ン 〟 で あ る。﹁ 地 球 最 後 の 楽 園 ﹂ 島﹂のキャッチフレーズ発祥の地 こ の エ リ ア は、 バ リ の 人 々 の 日 常 生 活 と は 完 全 に 仕 切 ら れ、 バ リ の地でもある。 は、ウブドゥ・プリアタン村。 私 が 探 し 求 め て い る﹁ バ リ 島 の 一 九 七 九 年 に は、 こ の エ リアに建ち並ぶであろう国 典 型 的 地 域 ﹂ と は、 ど う や ら も う 際 級 5 つ 星 ホ テ ル に、 ス 一 つ の キ ャ ッ チ フ レ ー ズ、〝 神 々 の タッフを送り込むための 島〟と呼称される観光化の波に呑 ﹁ホテル学校﹂と﹁実習用ホテル﹂も、 人気の高い、クタ、レギャン・ビー ま れ る こ と も な く、 当 り 前 の こ と オープンさせている。 チ は、 イ ン ド 洋 の 豪 快 な 波 を 求 め と し て 宗 教 的 日 常 が 送 ら れ て い る て や っ て き た サ ー フ ァ ー に よ っ て、 全 島 に 広 が る 農 村 地 域 と い う こ と 小さな漁業の寒村から発展した観 になりそうだ。 のキャッチフレーズの発祥 ︵ 国 立 民 族 学 博 物 館 研 究 員・ 嘉 原 優 店、 ゴ ル フ 場 ま で 設 け、 庭 子 共 著﹃ 神 々 の 島 バ リ ﹄ 春 秋 社 刊 園・ プ ラ イ ベ ー ト・ ビ ー チ ・4︶ の散策コースも設えている。 私 の 探 し て い る﹃ バ リ 島 の 典 型 夜 と も な る と﹁ バ リ ら し 的 な 地 域 ﹄ と は、 嘉 原 さ ん が、 こ さ﹂を演出するための音楽・ の よ う に 指 摘 し て お ら れ る﹁ 今 日 舞 踊 な ど の 芸 能 イ ベ ン ト や の観光化という大きな波にも呑ま パーティーが催される。 れ る こ と も な く、 や は り 当 り 前 の 日 中 は、 一 月 号 に も 書 い こ と と し て 送 ら れ て い る〝 宗 教 的 た、 私 の〝 は じ め て の バ リ 日 常 生 活 〟 が 営 ま れ て い る 地 域 ﹂ 島 〟 で、 目 を 見 張 っ た 空 港 で あ り、 調 査 課 題 は、 そ こ で の 生 周 辺 道 路 に 飾 ら れ た、 日 本 活の様子の観察と解明である。 では見たこともない原色 ◆ の カ ラ フ ル な﹁ の ぼ り 旗 ﹂ が、 幾 本 と も な く 並 び、 バ リ島の観光キャッチフレー ズ﹁ 地 上 最 後 の 楽 園 ﹂ を 見 事に演出している。 ヌ サ ド ゥ ア・ エ リ ア は、 このように政府の観光化計 ビ ー チ・ リ ゾ ー ト の 多 く は 島 の 南 七 〇 年 代 か ら は じ め ら れ た 政 府 バ リ 島 の 人 々 が 暮 ら す〝 地 域・ 家 庭 〟 の 生 活 が、 な ぜ W H O 調 査 部 に 集 中 し て い る が、 芸 術 の 中 心 主導の﹁バリ島の観光化﹂は、﹃バリ・ で﹁ 世 界 で 一 番 精 神 病 の 少 な い 地 と し て ビ ー チ・ リ ゾ ー ト と は 異 な ポ ス ト ﹄ に 寄 せ ら れ た 無 秩 序 な 観 光化を批判する島民や識者の声も 域・ 家 庭 の 生 活 ﹂ と 評 価 さ れ た の る 発 展 を 遂 げ た 中 央 平 野 部 の 村 々 か│ 、 そ の 理 由 を 少 し で も 解 明 し、 も、古くから人々を引き付けてきた。 あ り、﹁ 多 く の 島 民 の 日 常 生 活 を 乱 日 本 の 地 域・ 家 庭 生 活 の 参 考 に し ︵ こ の﹁ 中 央 平 野 部 の 村 々﹂ と は、 さ な い ﹂ と い う 合 意 の も と に 規 制 され進められてきた。 私が学校調査を実施した﹁ウブドゥ たい│ 。 村、プリアタン村﹂︶ そ の 典 型 的 な 地 域 が、 空 港 か ら そ の た め に は、 バ リ 島 の〝 典 型 こ れ ら の 観 光 地 で は、 ホ テ ル や も 近 い バ リ 島 最 南 端、 高 級 観 光 ホ 的 な 地 域・ 家 庭 生 活 〟 が 営 ま れ て テ ル 群 が ビ ー チ に 建 ち 並 ぶ、〝 ヌ サ い る 場 所 を、 ま ず 探 し 出 さ な け れ レ ス ト ラ ン な ど の 観 光 客 向 け の 施 ば な ら な い。 そ の〝 バ リ の 典 型 的 設 が、 と ど ま る こ と な く 増 殖 を 続 ド ゥ ア 観 光 租 界 〟 と 私 が 呼 ぶ、 外 な 地 域 〟 と は、 ど の よ う な 地 域 な け て い る。 無 計 画 な 観 光 化 が バ リ 国 人 観 光 客 向 け の 高 級 リ ゾ ー ト で ある。 の文化や人々の暮らしに与える悪 のか│ 。 イ ン ド ネ シ ア 政 府 は、 一 九 七 一 九 〇 年 代 に 入 り、 文 化 人 類 学 者 影 響 を 懸 念 す る 声 も 多 く、 バ リ の 年、 バ リ 島 の 観 光 地 化 を 促 進 す る ら が 蓄 積 さ れ て き た 調 査・ 研 究 の 日 刊 紙﹃ バ リ・ ポ ス ト ﹄ に は、 無 た め、﹁ バ リ の 人 々 に 観 光 に よ る 悪 秩序な観光を抑制するための政府 成 果 が、〝 バ リ 島 の 日 本 人 観 光 ブ ー 影 響 を 及 ぼ さ ず、 し か も 東 洋 一 の ム 〟 に よ っ て、 比 較 的 手 軽 に 入 手 の 新 方 針 や 改 定 案 が 頻 繁 に 載 せ ら リゾートを造る﹂という基本的コ で き る よ う に な っ て き た。 そ れ ら れている。︵中略︶ ン セ プ ト︵ 考 え 方 ︶ の も と に、 当 バリは観光化されすぎたのかも の資料から読み解くことからはじ し れ な い。 し か し、 人 々 の 当 り 前 時静かな漁村であった﹁ヌサ・ドゥ めてみよう。 '94 第 243 号 (3) 平成20年11月1日 ほりお教授の 体験的源氏物語論 ︵二︶ 源氏物語のすすめ 堀 尾 幸 平 愛知淑徳大学教授 られていく。 源 内 侍 まり浮舟は結果的には薫より匂宮││肉体 は母親宛。もう一通は匂宮宛であった。つ 前述、寛弘五年には藤原公任にも読まれて うため﹁源氏物語﹂を書き始める。それは、 的な愛を選んだのである。 評判になった。紫式部三十歳の頃である。 源 内 侍。 ゲ ン ナ イ シ ノ ス ケ と 読 む。 ﹁紅 そして入水自殺を試みた浮舟は助けられ 紫式部は、温厚、誠実、内省的な人柄で、 葉賀﹂第七帖に登場する少し変わった女性。 るが、やがて出家する。 学問、教養に特にすぐれ、多くの人々に愛 姫 君 と い え る 年 齢 で は な く、 五 十 七、八 歳 され、幸せな生涯を送った。だが、亡くなっ 四十八歳︵万寿三年以前︶等、諸説があっ た時期さえ三十八歳︵長和五年︶、四十二歳、 い。悲嘆にくれた薫の行列が、途切れ途切 て推測の域を出ない。 一方、薫は、浮舟を捜し出して改めて求 の老女。人柄も才気、教養もしっかりして 婚する。だが浮舟はもうそれを受け入れな どく色好みである。そして男好きは世間で れに京へ帰っていく。まさに﹁夢浮橋﹂ ︵第 いて上品で申し分ないが、年がいもなくひ も評判になっている。それを聞いて十八歳 蝉﹂である。以後、源氏は狂おしいまでに たのである。 面もいくつか展開する。 人柄がにじみ出ている。 浮舟が入水自殺直前に書いた遺書にみる ﹁ 源 氏 物 語 ﹂ に は、 こ う い う 激 し く 妙 な 場 紫 式 部 は、 三 十 歳 前 後 の 若 さ で、 ﹁源氏 ﹁ 母 親 へ の 思 慕 ﹂ も 切 実 で あ る。 こ こ は 母 物語﹂の大半を書き上げた。 る。とんでもなくみだらな場面にあきれる。 法を駆使して、しっかりと描かれている。 ﹁百人一首﹂所収の和歌であるが紫式部の 五四帖︶である。 の源氏と頭中将が、関心をもち、行動に移 めぐりあひて 浮舟のこの苦悩は、現代にも、そのまま していく。そのあげく、こともあろうに二 見しやそれともわかぬ間に 通じる古くて新しい愛のテーマである。そ 人は源内侍の寝室でかち合ってしまう。大 雲がくれにし夜中の月かな 空蝉とて、源氏を忘れることはできない が﹁あの夜かぎりにしなければ﹂と必死に 心あてにそれかとぞ見る白露の ひかりそへたる夕顔の花 れが千年前に、こうして写実的、心理的手 騒動のなか、直衣、下襲を持って引き上げ 千年紀と言われる。先月﹁華麗で孤独な姫 自分に言い聞かせ、求めつづけてくる源氏 空蝉を求めつづける。だが空蝉は、決して そして、かつての乳母の病気見舞に五条 へ行き、その隣家に住む夕顔とめぐりあっ 源氏を近づけない。 君たち﹂を発表したところ、驚くほど多く 男を深く想い愛して悩みつづける。 動した。 ﹁ 源 氏 物 語 ﹂ の 時 代 や モ デ ル、 舞 台 は 執 筆時の百年ほど前に設定されているが、文 章、構文は平安時代の貴族のほぼ日常語で 書かれているので、現代、読むには、やは りむずかしい。 り生きがいに直結している。 二人は、それから音信を交わすこともな く十数年後、逢坂の関でせつないすれちが いをする。 石山寺詣で帰りの源氏。夫と連れだって の空蝉。││そして更に数年が経って、空 蝉は出家してしまう。 寝所に忍び込むが、空蝉は逃げて床にいな の場で契ってしまった。男女の出会いや愛 隣家の話し声や仕事の雑音までが聞こえて くる貧しい家であった。源氏物語の中でも 最も貧しい境遇、環境である。 夕顔は遊女である、という学説もあるが 私は、そうは思いたくない。あくまで美し く可憐な姫君である。 源氏は夕顔と離れることができずに次の 夜も逢瀬を重ねて自分の六条の別荘に連れ てくる。 うほど悲嘆した。 かない恋であった。 つまり幕間狂言という構成である。読んで いくうちに戸惑うほど写実的に描写されて いるが、それが喜劇的場面としての効果を 上げている。 紫式部のすごさ 内侍は、すごい!現代、あやかってみたい みられる。 い。研究者によっては五年前後のひらきが そ れ は と も か く、 当 時、 五 十 七、八 歳 に 紫式部は天元元年︵九七八︶ごろ生まれ して、これほどの色好みと言動ができる源 た、とされるが、生没年ははっきり判らな 人も出てくるかも知れない。 たち花の小島は色も変らじを 人に愛されて苦悩する姫君である。 ここにかく日野の杉むら埋む雪 体的な愛の相克、葛藤を主題としている点、 没する。 女︵後の大弐三位︶を出産するが、夫は病 る幸せを、千年紀の今、改めてありがたく 感謝しなければならないのである。 ︵愛知淑徳大学文学部教授︶ まり素性、名前はもとより顔まで隠してい 誠実な薫を愛しながらも情熱的な匂宮に 強く惹かれていく。つまり精神的な愛と肉 の女性体験にかかわる談義。いわゆる﹁雨 たのである。 や が て 帰 京 し て 二 十 一 歳。 父 の 部 下 で あった藤原宣孝︵四十八歳︶と結婚して一 出会ったと思ったら、たちまち別れなけ この浮舟ぞゆくへ知られぬ 小塩の松にけふやまがへる ればならなかった夕顔の花にも似た短くは 薫︵源氏の子、実は女三の宮と柏木の密 ここで﹁源氏物語﹂の﹁若紫﹂の部分の 通の子︶と匂宮︵源氏と明石上の孫︶の二 草稿が書かれたと思われる。 頭中将の女であり娘︵後の玉鬘︶まであった。 い。 そ こ で 源 氏 は 同 室 に い た 軒 端荻 と そ 君 等、 多 く の 姫 君 が 登 場 す る が、 浮 舟 は、 夕顔は、うぶ で 可 憐 な 少 女 と し て 描 か れ ているが、実際は源氏より年上の十九歳で、 その中心的姫君である。二十二歳。 今回も、私の好きな、そして気になる姫 君四人にご登場頂く。 面だけは、どうにも納得できない。 夕 顔 の展開はさまざまであるとはいえ、この場 空 蝉 源 氏、 十 七 歳 の 夏。 物 忌 み の 方 違 え で、 中 川 に あ る 部 下 の 紀 伊 守 邸 に 泊 ま る 。 そ し ここで気になるのは、源氏が夕顔に逢う て伊予介の若い後妻・空蝉と逢い、その夜 ﹁帚木﹂巻の堅の並二。源氏十七歳の夏。 時、いつも覆面をしていたことである。つ 五月雨の夜、宮中で宿直をする貴公子たち 瀬であった。その後、若い源氏は、その夜 夜の品定め﹂を聞く。そして、理想の女性 する。 の感動を忘れることができずに彼女を求め 以後、源氏の関心は、そちらの方に向け てくる。だが空蝉は寝室に近づいてくる源 氏の気配に気づいて床に薄衣︵下着︶を残 して逃げてしまう。文字通り蝉の脱け殻 ﹁空 人前、世間体はともかく二人だけの愛の きわめて現代的である。 寅 弘 三 年︵ 一 〇 〇 五 ︶ 、 二 十 七 歳。 一 条 は、皇族周辺ばかりでなく、それより下の 世界では素顔で面と向かって欲しい思いが 浮舟は悩んだ末、ついに宇治川で入水を 天皇の中宮・彰子︵藤原道長の娘︶に出仕 階級﹁中の品﹂にもいることに気づく。 国宝 源氏物語絵巻 夕 霧 決意する。そこで二通の遺書を書く。一通 する。そこで彰子や女房たちに読んでもら ︵五島美術館蔵︶ のうちに契ってしまう。運命的な激しい逢 あった︶で約一年半を過ごした。 源氏物語千年紀を機に、そこに描かれて 知っている。 座に憶えてしまうのを父が﹁この子が男で くなった。 浮 舟 いる人生や愛について更に深く読み込んで ﹁ 空 蝉 ﹂ の 巻 に 継 娘・ 軒 端 荻 と い う 姫 君 あったら﹂と嘆き悔やんだ話は有名である。 源氏は深い悲しみのうちに人知れず東山 いくことは、人生にとって大きな喜びであ が出てくる。源氏はその夜も空蝉を求めて 宇治を舞台にした後編﹁宇治十帖﹂には、 当時、学者は世襲で、女子はなれなかった。 に葬った。その帰途、源氏は落馬してしま 大君、中の君、女二の宮、女一の宮、六の 十八歳の頃、国守の役職を得た父為時に ついて北国越前︵※国府は現在の武生市に 氏物語論﹂をもっておられて素晴らしい。 方々が熱心に勉強され、 それぞれ自分の﹁源 空蝉の恋は現代にも通じる主題であって、 ﹁ 源 氏 物 語 ﹂ は、 ま さ に さ ま ざ ま な 愛 の 幼少の頃、兄や弟が、父・藤原為時から そ の 夜、 夕 顔 は、 以 前 か ら の 源 氏 の 愛 こういうカップルを実際に私はいく組か パレードである。 漢籍を教わっているのを傍らで聞いて、即 人・六条御息所の生霊によってあえなく亡 一度きりで、その後、生涯結ばれること だが最近では、現代語訳や注釈書、入門 のなかった二人の愛⋮⋮。 書 等 が 多 く 刊 行 さ れ て い る の で、 多 く の と娘の緊密な愛情があり、 娘の側からは﹁母 の方々から熱い反響を頂いた。そこで急拠、 を拒み、避けて逃げつづける。 この歌を詠んだ﹁夕顔﹂自身は素直で可 この話は﹁紅葉賀﹂に出てくるが、この そのぼう大な量、文学観、人生観、教養、 ここに愛のひとつの典型をみる。つまり その続編を執筆することになった。私の小 憐、さみしい女性であった。 巻 に は 深 刻 な ド ラ マ が 書 き 込 ま れ て い る。 性回帰﹂である。 構成、執筆力等々を考えると、謎にも似た 論についての共感、激励もうれしかったが、 男は手に入らない女を求めて生涯恋いつづ 源氏は、このたおやかな夕顔に惹かれて、 朱雀院での賀の催し、藤壺の懐妊、若宮出 これは作者紫式部が女性であり母性︵母 驚きである。 ける。女は拒み避けながらも心の深層では 親︶であったからこそ書き得たことである。 何よりも﹁源氏物語﹂がこれほど世間一般 や が て 五 条 の 貧 し い 彼 女 の 宿 で 結 ば れ る。 生 、 若 紫 、 藤 壺 、 源 氏 の 苦 悩 等 の 重 い 事 件 紫式部は、本当にすごい! の 合 間 に、 こ の 源 内 侍 の 話 が 入 っ て い る。 ﹁源氏物語﹂の中には、こういう﹁母性﹂が、 彼女のおかげで、私たちは世界に誇る日 ほかにも多く描かれている。 本の大古典﹁源氏物語﹂を読むことのでき に親しまれ熱く広く読まれていることに感 寛政五年︵一〇〇八︶十一月一日の﹃紫 式 部 日 記 ﹄ の 記 事 か ら 今 年 は﹁ 源 氏 物 語 ﹂ 美しく哀しい姫君たち 平成20年11月1日 (4) 創刊 20周年企画 第 243 号 中へ入れてやれば、 イカリム やっとモツゴ。 そしてメダカ 分けていると、 イター!︵写 小型の器にカダヤシを取り 近代の遺跡(百三三) 奥 川 弘 成 工藤さん ちょっとおじゃまします 陶芸体験が原点だという。土から立体 的な物を作り上げていくことは大変な こと だった。でき た 時の達 成 感 は 大 き かった。それが面白かった。ずっーと求め ていた環 境が今ある。陶 芸 教 室で講 師 を務めながら、創作活動をしている。 彼 女は、 ロクロで器や皿を作り、釉 薬 で絵を描いていく。自分で作ったものが、 気 も ちよく日 常 使われるといいなぁと くさんの難 題 を 解 決 し、オリジナル性 いう思いで、次々と膨らむイメージとた の高い作品を作り上げていく。 8 月の焼 き 物 まつりでは、工 藤 さん 自 ら 自 分の作 品 を 販 売 した。今は、新 だ。自 分のもつイメー ジに近 づいた よ しいことに挑 戦をすることが楽しい時 メイク好きの彼女としては、気軽にメイ 所 を 決 めた。小 学 校の頃に体 験 した、 三十年頃には温泉地での うに思 う。売れたという確かな手 応え クを楽しんで、 メイクの楽しさをもっと 2 0 0 6 年 月のことだった。友 人 から聞き、すぐに常 滑 陶 芸 研 究 所に入 はイカリムシが 野生化はみられたが他地 も感じることができた。陶 芸 家の仲 間 伝えたくて、 と語る声も弾んでいた。 将来のことは、まだ決めていない。日 常、気もちよく使ってもらえる器や皿を ピーマンが育てられている。 す﹂と、 いう。その言葉に ﹁そうやって、ア 作り続けたいと、素直に思うという。 女にとっては気の毒 そ うな仲 間からの と、彼女の作品に辛口の批評をする。彼 レンジして自 分 色を創り出せばいいん 年後、 年後、彼女がどんな作品を作り 声 だが、﹁それも個 性と思えばいいんで で す よ﹂と、私 は 甘 くつぶ や く し か な 生 ま れ ま し た。豆 腐 屋、左 治九年に水の中で固まる ﹁長 き ﹂工事を請け負った後、明 から見ることができます。 長 用地となり、 その面影は北側 が埋め立てられ中山製鋼所 転進するきっかけとなりま の港湾整備にかかわりまし 防、 名古屋築港など全国各地 広島県宇品築港、 四日市港堤 一切の事業から離れるまで、 げたものです。 に水密性のある構造に仕上 んで ﹁ たたき ﹂によって強固 が接触しないように張り込 面に天然石や割石を石と石 体の基礎を土砂でつくり、 表 した。 た。服 部 長 七 は、引 退 す る 前 て井戸や流し た き ﹂に よ っ 水回りに ﹁た し た。そ し て 工事は追々捗り来月廿日頃 て同町浅野助太郎の下請け︶ る堤防 ︵服部長七請負工事に 大足海岸より海中へ突出す 明治三六年十一月一八日 号の知多新聞に ﹁武豊町大字 覆った土台にその跡を残し きませんが、 コンクリートで 現在では、 改修工事によっ て築造当時の面影を目にで がりの形状をしていました。 時の武豊港の大突堤も裾広 取り入れることが容易で、 往 などを造れば 迄には竣功の見込みなり﹂ と 跡として研究される日も近 いようです。 ◎知多地域文化センター ▼創作クラブ﹃あかりをつくろう﹄ ・一 日︵ 土︶∼ 三 十 日︵ 日︶午 前 九 時 ∼ 午 後 四 時半 内容 セロハンやマジックの色 をまめ電球のあかりをとおしてたのし みます 材料費 一個百三十円 ▼ 季 節 工 作﹃ ホ ワ イ ト ボ ー ド﹄ ・一 日 ︵土︶∼三十日︵日︶午前九時∼午後四時 半 内容 ホワイトボード用シート を 切 り、楽 し い 絵 の ホ ワ イ ト ボ ー ド を 作ります 材料費 ペンなし一個二百 円、ペンあり一個三百円 ▼いろあそび ﹃ ふ ろ し き を そ め よ う﹄ ・ 二十日 ︵木︶∼三十日︵日︶午前九時∼午 後四時半 内容 きいろの大きな布を むらさきとネイビーブルーでそめます 材料費 一枚三百円 ▼ キ ッ ズ ル ー ム1﹃ さ く ら ん ぼ﹄ ・十 二 月 二 日︵ 火︶∼ 二 十 一 年 二 月 二 十 四 日 ◎方円館 ▼冨本タケル展・∼十一日︵火︶ 二時開演 作家 神 谷 長 幸 さ ん が 木 で 再 現 ▼ゆめプラ映像発表会・十六日︵日︶午後 ▼ た か は し さ だ こ 展・十 四 日︵ 金︶∼ ▼ 図 書 館 フ ェ ス タ 二 〇 〇 八︵ 本 の フ ィ ▼〝 名 画 と の 出 合 い〟愛 知 県 美 術 館 平 成 ◎武豊町立図書館 ▼風布展・七日︵金︶∼九日 ︵日︶ ▼ 土 遊 炎 戯 吉 川 秀 樹・柴 山 庄 山 展・ 二十日︵木︶ ∼二十六日 ︵水︶ ◎ ギャラリーとこなめ︵常滑陶磁器会館内︶ 二十六日︵水︶ ルムがけ・オリジナルしおりを作ろう・ 二十年度移動美術館・二十日 ︵木︶∼三十 日︵金︶までの期間中全十五回コース 午前十時半∼同十一時半 内容 リズ ム に 合 わ せ て 体 を 動 か し、心 身 と も に リフレッシュします 講師 サンフェ ローズ所属員 対象 おおむね二歳 ∼就園前の子どもとその親 定員 三十五組 ︵申込み多数の場合は抽選︶ 参加費 二名一組二千円 託児 一名 三千八百円 申込み 九日 ︵日︶ まで ▼ フ リ ー マ ー ケ ッ ト 出 店 者 募 集・十 二 お話し会など︶ ・二日︵日︶ サート・十四日︵金︶午後七時開演 曲名 ア ヴ ェ・マ リ ア、主 よ 人 の 望 み の 喜 びよ・新世界より﹁家路﹂他 チケット 千 四 百 円 問 合 せ 印 東 ☎︵0 5 6 9︶ ︱6504 皿井☎ ︱0415 ▼ダ・ヴィンチ作品発表会・十五日︵土︶、 月 七 日︵ 日︶︵ セ ン タ ー ク リ ス マ ス 会 開 ▼文学講座 ﹃ 良 寛﹄ ・五 日 ∼ 十 二 月 十 日 ▼ ミ ニ テ ニ ス 教 室・八 日 ∼ 二 十 一 年 一 催 日︶午 前 九 時 ∼ 午 後 二 時 内 容 不 用品のフリーマーケット 出店資格 アマチュアの方であれば市内外は問い 月 二 十 四 日︵ 土・計 八 回︶午 後 一 時 半 ∼ ︵ 各 水・計 六 回︶午 後 一 時 半 ∼ 同 三 時 講師 牧田利秋さん 定員 三十名 ◎武豊町総合体育館 ナ バ ス 個 展・∼ 六 日 十 六 日︵ 日︶ レ オ ナ ル ド・ダ・ヴ ィ ン チ が描いた機械のスケッチをもとに木工 日︵ 日︶ 無 料 ※ 記 念 講 演 ﹁美術の楽 し み﹂ ・二 十 日︵ 木︶午 前 十 一 時 ∼ 正 午 講師 村田眞宏さん ※展示説明会 ギャラリートーク・二十二日 ︵土︶①午前 十一時∼正午 ②午後二時∼同三時 ▼二〇〇八 たけとよオータムミー ティング 女優正司花江さん︵トリオ漫 才かしまし娘︶﹃生きる限り、大きな花を 咲 か せ た い﹄ ・二 十 二 日︵ 土︶午 後 二 時 開 日 ︵火︶∼九日︵日︶ ▼萌 ﹁ ス タ イ リ ッ シ ュ な 萌 の 冬 服﹂ ・四 日 ︵月・祝︶ ▼ 炎 友 会﹁ や っ と か め の 文 化 祭﹂ ・∼ 三 午 定員 二十名 参加費 二千円 ▼福寿大学⑦地球温暖化と暮らしの中 六・二十日 ︵各土・計五回︶午前十時∼正 ▼ヨガ教室・一・十五・二十九日・十二月 ◎武豊町中央公民館 二十日︵土・計四回︶ 定員 四十名︵小 学 生 以 上 チ ー ム 参 加 もO K 1 チ ー ム三名︶ 参加料 千円 ▼ 町 民 バ ス ハ イ キ ン グ︽ 豊 田 方 面 王 滝渓谷と奥殿陣周辺︾ ・三十日︵日︶ 定 員 四十五名 ︵中学生以上︶ 参加費 二千七百円 ▼レゴロボット製作教室 レゴブロッ クで遊園地を作りパソコンでプログラ さん 演 ▼あいち子ども芸術大学﹃身体︵からだ︶ ▼ ﹁ 第 五 回 ぼ っ こ の 会 展﹂ ・十 一 日 ︵ 火︶ ▼秋季町民体育大会 卓球・九日 ︵日︶ ▼ カ ロ ー リ ン グ 教 室・十 五 日 ∼ 十 二 月 百円 同三時 当日自由参加可能 武豊町在 住、在 学 の 小 学 生 以 上 参 加 費 一 回 ません 出店数 十店 ︵申込み多数の 場合は抽選︶ 申込み 九日︵日︶まで ◎ギャラリー共栄窯 ▼ラファエル ︵木︶ ▼ 富 本 敏 裕 陶 展・八 日 ︵ 土︶∼ 二 十 日 ▼ 冨 本 大 輔 個 展・二 十 二 日 ︵ 土︶∼ 十 二 ︵木︶ 月四日︵木︶ 子 遊 び 講 師 青 木 ア ツ 子 さ ん︵ 親 子 ふ れ あ い 体 操︶ 対 象 お お む ね 二 歳 ∼就園前の子どもとその親 定員 二十八組 ︵申込み多数の場合は抽選︶ 参加費 二名一組二千円 託児 一名 二千五百円 申込み 九日 ︵日︶まで ▼ キ ッ ズ ル ー ム 2﹃ 親 子 ス キ ン シ ッ ∼十六日︵日︶ で 省 エ ネ ル ギ ー・七 日︵ 金︶午 前 十 時 ∼ 日 ︵月︶ ▼ 鯉 江 廣 陶 展・二 十 一 日︵ 金︶∼ 十 二 月 一日︵月︶ ◎常滑屋 ①午前十時∼正午 定員 三十組六十 名︵ 小 学 一 ∼ 三 年 生 お よ び 保 護 者︶ ② 午後一時半∼三時半 定員三十名︵小学 四∼六年生︶ 楽器を使って自分の感情 を表現してみよう 講師 児玉たまみ ム し て 動 か す︵ 中 級︶ ・① 二 十 九 日︵ 土︶、 三 十 日︵ 日︶ 定 員 各 七 名 ず つ 参 加 費 無料 ◎東大高児童館 ︵土︶午後一時半∼同三時 ▼運動会・一日 ︵土︶午後一時半∼同三時 ▼ 杉 江 明 美 陶 展・二 十 二 日 ︵ 土︶∼ 三 十 くなったらひと安心﹄ ・十一日︵火︶午前 午後一時半∼同三時半 ▼クリスマス飾りを作ろう・十五日︵土︶ ◎くすのき児童館 後一時∼同二時 時∼午後一時 定員 二十四名 参加 費 五千円 ▼ ラ ッ ピ ン グ 教 室・十 二 日、十 九 日、 ▼お兄さんお姉さんと遊ぼう・二十九日 ⓑはじめようワード・十八日︵火︶ ◎半田空の科学館 時半∼正午 ▼ベル演奏をしよう・十五日︵土︶午前十 ◎長尾児童館 ︵土︶午後一時∼同三時 ⓒワードで年賀状作成・二十五日 ︵火︶ ▼ 秋 の 星 空 と ア ニ メ 映 画 を 見 よ う!・ 一時半∼同三時半 ▼焼き芋パーティー・二十二日︵土︶午後 ⓐⓑⓒ共、午前九時半∼正午 定員 各 十五名ずつ 参加費 各千円 ▼子育てリフレッシュ講座∼リフレク 一日 ︵ 土︶午 前 十 時 ∼ 同 十 一 時 半 ☆ プラネタリウムで秋の星空案内とディ 重星団と M ズ ニ ー 映 画〝 ダ ン ボ〟鑑 賞 定 員 二百四十名 参加費 百円 全席自由 ▼十一月の星見会 ☆ペルセウス座二 を見よう!・二十二日︵土︶ ︵日︶ 午後六時半∼同八時 澄み渡る秋の夜 空に特に豪華に並ぶペルセウス座二重 星団とアンドロメダ銀河を観察 定員 六 十 名︵ 小 学 生 以 上︶ 参 加 費 大 人 三百円 子ども二百円 ︵ 悪 天 候 時 は プ ラネタリウム︶ ◎武豊町民会館 ゆめたろうプラザ ▼武豊町民文化祭・一日 ︵土︶∼三日︵月・ ▼愛知県高等学校新人体育大会知多支 ▼全知多少年柔道大会・九日︵日︶ 1・2・3﹂ ・五日︵水︶ ▼子育て支援事業 ﹁レッツトライ 祝︶ 部柔道大会・十六日︵日︶ 直 し︶作 家 鈴 木 美 千 代 山 田 ア キ 子・ 十四日︵金︶∼十八日︵火︶ 自然素材、再生建築見学会 スタンプラ リー 抽選会など・七日︵金︶∼九日︵日︶ ▼温故知新︵着物を洋服に素敵に仕立て ◎碧南 白竹木材 ▼白竹木材創業一九〇年祭 クラフト 展 ︵漆器・沈金・木工家具・陶・染・皮など︶ ▼半田市ジュニア柔道大会・八日︵土︶ ▼第二十五回﹃武豊町産業まつり﹄ ・八日 せんべいなどの販売 無料配布 溜ま りラーメンコンテスト など ▼ ア ン サ ン ブ ル﹃ エ ス パ ー ス﹄秋 の コ ン ▼第二回﹃全国醤油サミットin たま り の 里 武豊﹄ ・八日 ︵土︶ 、九日︵日︶ 講 演 東京農業大学 小泉武夫教授 〝地 域伝承の食文化∼醤油の底力〟 六つ蔵 せ ん べ い、み た ら し も ち、溜 ま り 柔 ら か ︵土︶、 九日︵日︶ 周 辺 秋 の 野 山 で む か し 体 験﹄ ・二 十 二 日︵土︶ 秋の野山を歩き、芋掘り等をし ながら人と自然とのかかわりを学ぶ 定員 八十名 ︵ 小 学 生 以 上︶ 参 加 費 五 百 円 持 ち 物 弁 当、水 筒、軍 手、ビ ニール袋など ▼おじいさんのアウトドアー ﹃警固山 豊 の 溜 ま り 展﹄ ・一 日 ︵ 土︶∼ 十 二 月 七 日 ▼ 武 豊 の た ま り の 魅 力 の 再 発 見!﹃ 武 正午 定員 二十名 ︵ 子 育 て 中 の 親︶ 参加費 五百円 ◎武豊町歴史民俗資料館 ソロジー体験∼・二十日︵木︶午前十時∼ ⓐはじめようエクセル・十四日 ︵金︶ 定員 二十名 参加費 二千五百円 ▼ゆめたろうパソコン教室 二十六日 ︵ 各 水︶午 後 六 時 半 ∼ 同 八 時 半 ▼ 手 話 ク ラ ブ・八 日、二 十 二 日︵ 各 土︶午 ▼ ク リ ス マ ス 飾 り を 作 ろ う・二 十 九 日 時半∼同三時 ▼ドッチビーで遊ぼう・九日 ︵日︶午後一 ◎おおあし児童館 ▼花の苗植えと野外クッキング・十五日 日 ︵日︶ 日 ︵月・振︶ ▼ 北 村 堅 治 陶 展・十 四 日︵ 金︶∼ 二 十 四 ◎ギャラリーセピカ ︵まるふく内︶ ◎陶芸サロン陶美園 と声で遊んでみよう﹄ ・二十三日 ︵日・祝︶ プ﹄ ・十 二 月 四 日 ︵ 木︶∼ 二 十 一 年 二 月 ▼田中恵子 ﹁ 書 作 品 と 小 物 展﹂ ・十 八 日 ◎ ギャラリーCera︵常滑市観光プラザ︶ 十二日︵木︶までの期間中全十回コース ︵火︶ ∼二十四日 ︵月・振︶ 正午 対象 武豊町在住の六十歳以上 の方 無料 ▼家庭教育セミナー﹃言う事を聞かな ▼ 松 下 勝 正 日 本 画 展・七 日 ︵ 金︶∼ 十 七 午前十時半∼同十一時半 内容 新 聞や風呂敷など身近なものを使った親 ▼ 杉 江 幸 治陶 展・二 十 八 日︵ 金︶∼ 十 二 ︵土︶午後一時半∼同三時 吉田ひろし 片岡 光子 青山 文代 谷川と志江 竹内すゞ代 平賀たづ子 冨田 悦子 藤井 文月 桑山 撫子 馬場 利明 林 京子 河瀬四四子 浦崎ひとみ 竹内三千彦 村井みさを 幾世八千代 谷川 利子 岩田つま子 曽我部和美 磯村美耶子 やました悠 久田 篤 杉山 和美 滝田 紘美 平野 紀江 竹内ユミ子 荒川 達雄 渡辺 民子 山中 博子 村井 範子 中村 洋子 柴山 庄山 日、十二月十日、二十四日 ︵各水︶午前十 十時∼正午 無料 ▼親業体験 学習会 ﹃物語で心理分 析﹄ ・十一日 ︵火︶午前九時半∼正午 参 加費 千円 当日自由参加可 ▼男性クッキング教室・十二日、二十六 月七日︵日︶ 群れ咲きて蘂からませて彼岸花 一と株の芒にも風集りぬ 好奇心まだ旺盛や敬老日 ねずみ食う猫の本性うそ寒し 一時は暑を忘れさす青蜜柑 新涼や髪の分け目を替えて見る 琴の音や天にまします望の月 迎え火の炭にあらわる先祖かな 引際の大切なりし秋深む 蒸気吐く昭和新山秋の雲 補助輪とれペダル踏む子や赤蜻蛉 通夜終えて宿の窓辺の鉦叩 割引のズボンを買った敬老日 運動会涙を連れてゴールイン 虫鳴けば綴れ刺せよと言いし亡母 色づける柿落ち始む子規忌かな 秋彼岸道祖の神座草払う 大根蒔く少し高めに畝作る 秋暑しばさりと動く象の耳 児童より運動会の招待状 掛け持ちの運動会となりにけり 逃げ去りて残す羽音や稲雀 捨つるもの多き齢やこぼれ萩 秋桜の吹く風恋ふる夕日中 岬まで見渡せる丘萩の花 提灯を笹につるして秋祭 母を待つ子の待ちわびる秋夕日 吾亦紅廃校隅に赤く焦げ おしろいの今宵も浮かぶ白い花 一盛りの柿に陽の彩添へて売る みだれ咲くはぎの大たばゆれる秋 丹精の菊や清礎に文化の日 十二月五日 ︵金︶∼二十一年三月二十七 子遊び 講師 井筒京子さん ︵けんこ う の 輪 碧 の 木 所 属︶ 対 象 お お む ね 二歳∼就園前の子どもとその親 定員 二十八組 ︵申込み多数の場合は抽選︶ 参加費 二名一組二千円 託児 一 ︵日︶まで 名二千五百円 申込み 九日 ▼ キ ッ ズ ル ー ム 3﹃ あ ひ る の 親 子﹄ ・ ︵ 火︶ま で の 期 間 中 全 十 回 コ ー ス 午 前十時半∼同十一時半 内容 音楽 をベースに触れ合いを取り入れた親 36 シはイチコロで ! る川がある﹂との情報。早速、 そ し て 翌 日、﹁ 知 多 中 央 部 で、 ヒメダカやグッピーのい るカワセミも見られる川だ 場所を聞き確認に。 原 穣 ヨ﹂ などと話を弾ませながら に!この川﹂ と思わず声を出 一匹 ︵写真②︶ 、 続いてピンク 真⑤︶ で気分壮快。 町の考古学 73 知多の動植物雑記 ︵二四二︶ 先月初旬、 知多半島北部の 川で生物調査を実施。 岸辺から川の流れを見て い る と、金 魚 ら し き も の が せば、 この川の近くに住む調 の小魚、 何コレ?と小型の器 結果はカダヤシ ︵ 写 真 ③︶ 調査開始。 が 多 か っ た が、ヒ メ ダ カ ︵写 ザリガニがいてヤゴがい て⋮。魚は?と思っていたら、 真 ④︶一 匹。グ ッ ピ ー は? と 査仲間は ﹁少し前からこんな 五・六匹群れ泳いでいる。﹁な ことが見られ、 これを餌にす に移し眺めればグッピーだ でも、観賞用に移入され た が 低 水 温 に 弱 く、昭 和 寄生している。 区では確認されていない た ち は、﹁ 人 柄 が 作 品 に 出 てる﹂﹁ カ ラ 多半島に? というグッピーが、なぜ知 の皮ふに突き刺 し て 寄 生 す る が、 で、早速、碧南海浜水族館 の 増 田 副 館 長 を 訪 ね れ ば、 一度寄生すると されたばかりのものなのか、 ﹁そのグッピーたちが、放流 が抜けなくなっ 繁 殖 し て い る も の な の か、 イカリムシは頭 てしまう。 きた 作 品を作っていることだけは間 違 上げているのか、私には全く想像できな け て 下 さ い。そ の 記 録 は 知 彼 女の生 活に必 要 不 可 欠なもの。そ れは、 メイクと料理だ。 とにかく、 メイク のだった。 いないだろうと、秋の夜長にふっと思う 官 職 人、醸 造 な ど さ ま ざ ま 七たたき﹂ を考案しました。 ︵赤井 伸衣︶ な 職 に 就 く な か、明 治 六 年 いが、陶芸家となって自然な丸みが出て 寄生された魚 は、そ の 場 所 が 水↓乳液↓美容液↓日焼け止めをして に、絶 大 な る 希 望 を 与 え て ︵一八七三︶東京で饅頭屋を この ﹁長七たたき﹂ は、 人造 石とも呼ばれ、 明治三七年に いれば、大 丈 夫ですよと教えてくれる。 と食べることは大 好き だ。洗 濯 ↓ 化 粧 水槽の中の魚な 頂き、 感謝感激であった。 や 赤 土、石 灰 に ニ ガ リ 塩 を この技術を海岸や新田の 混ぜ合わせて、 たたき固めて、 堤防や用水路などの大規模 開業したことが、 たたき屋に 防いだ工夫の一つです。 な土木工事に応用したのが 長七は天保十一年 ︵一八四〇︶碧南の北棚尾村 七は ﹁たたき﹂ 当時の東京の生活用水は 雨になると濁ることから、 長 年の明治三六年に武豊港に 七たたきの特徴は、 堤防の躯 石のような耐水性の面にし と混和されて空気中の炭酸 に左官職人の三男として を使って水を 足跡を残しています。 この工法では波の力を緩 衝させる曲線形状を堤防に ろ過する仕組 人々の暮らし 解明なことが多いといいま 現在は、 突堤の南側の海面 は、資 料 が 極 め て 少 な く、未 これは、 道仙田海岸の地先 に突き出た長さ一七〇間 ︵約 す。 こうした近代の遺産も遺 の堤防です。 三 百 ㍍︶ 、幅 七 間 ︵ 約 十 二 ㍍︶ ているようです。 長七たたき あります。 などで ﹁たた 大久保利道邸 そして宮内 省御学問所や 考えました。 が改善すると みを考案しま 大正時代頃の武豊港大突堤(海側から陸地に向け) は、 漆喰用の消石灰が水や砂 服部長七でした。 ﹁たたき﹂によって水漏れを ら、薄 い 塩 水 の 腫 れ た り す る が、 から﹂と、私の歩み続ける道 多半島の貴重な記録になる かった。 20 炎症を起こして 確認のため今後も調査を続 彼 女の庭には、この夏 か ら 始 めた 家 フルさがくどい﹂﹁パンチが効いている﹂ 庭 菜 園 が 広 がっている。現 在、な す や イカリムシは 鎖形の頭部を魚 ︵ 写 真 ①︶お 尻 に 10 たものをいいます。 その原理 ﹁たたき﹂ は、 敲土、 叩土、 合 土、三 和 土 な ど と 書 き、砂 利 10 OK を取り込み炭酸石灰に変化 し硬化する化学変化です。 遺跡調査で丘陵地を歩く と畑などでは ﹁ のつぼ ﹂に気 をつけなければなりません。 そ れ は、水 が め で あ っ た り、 肥がめとして使われていま した。 この甕を掘り起こそう とすると、 ときとして甕の下 半分の周りに白く硬い土が 付着していることがありま す。 農家の方に白く硬い土の こ と を 聞 く と、甕 に ヒ ビ が でて水が漏れてもいいよう に埋めるときに地固めをし た跡だといいいます。 これは、 31 川の魚の様変わり 第 243 号 (5) 平成20年11月1日 第 243 号 平成20年11月1日 (6) 渡辺 愛未(5才)蒼一朗(1才4ヶ月) 武豊町桜ヶ丘 廣江 晶斗 (4才) 遼翔(2才3ヶ月) 常滑市かじま台 日 ︵木︶ ∼ 20 日 ︵火︶お気軽にご来店下さいませ の陽 陽射 射し しの の中 中で で、 、 やわらかい春 の 心地 地よ よさ さを を身にまとう。 心 25 恒例〝春物ちりめん展示会〟 月 11 。 ガンス レ エ ソフト くれる る て せ 光 み 感性が 表情を 優しい ング次第で リ スタイ こなしに。 着 の 大人 常滑市鯉江本町5丁目125 名鉄常滑駅ビル セラ2F 〒460-0015 名古屋市中区大井町4番19号 TEL 〈052〉 321−2020 ☎(0569)34−8823