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池 尻 遺 跡 第 7 次 - 京都府埋蔵文化財調査研究センター

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池 尻 遺 跡 第 7 次 - 京都府埋蔵文化財調査研究センター
京埋セ現地説明会資料 No.05-02
亀岡市
いけじり
池 尻 遺 跡 第 7 次
平成17.2.6(日)
財団法人 京都府埋蔵文化財調査研究センター
池尻遺跡第7次 現地説明会資料
遺跡名称
池尻遺跡第7次(D地区)
所 在 地
亀岡市馬路町池尻小字高戸・久保前
調査主体
(財)京都府埋蔵文化財調査研究センター
調査担当
調査第2課調査第1係長 小池 寛
専門調査員 黒坪 一樹
調 査 員 石崎 善久 調査期間
平成16年10月21日∼平成17年2月末日(予定)
調査面積
2,000㎡
1.は じ め に
池尻遺跡の調査は、国営農地再編整備事業「亀岡地区」に伴い農林水産省近畿農政局の
依頼を受けて実施しました。
池尻遺跡は、北方と東方を標高164mの呉弥山によって囲まれ、西方は桂川によって画
された亀岡盆地の東部に位置します。池尻遺跡の周辺には、縄文∼弥生時代の集落遺跡で
ある時塚遺跡や古墳時代中期の南丹波地域を代表する方墳である天神塚古墳、坊主塚古墳、
はくほうじいん
時塚古墳などが分布しています。また、池尻遺跡の西方隣接地には白鳳寺院 である
いけじりはいじ
池尻廃寺が所在しています。
今まで池尻遺跡において実施した発掘調査を簡単にまとめると、平成3年度に府道バイ
パス用地内で25か所(約1,100㎡)を試掘し、弥生時代前∼後期の集落跡・墳墓を確認する
うるしこうぼう
どこう
とともに、奈良時代前期の漆工房に伴うと考えられる多量の土器が出土した土坑(穴)を確
認しています。また、平成5年度の第2次調査では、前回の調査成果をもとに3か所(約
600㎡)で発掘調査を行った結果、建物跡や多量の瓦類がみつかり、池尻廃寺の存在がはじ
めて確認されました。
これらの調査成果から、池尻遺跡が所在する一帯は、亀岡盆地の中でも最も古くから開
発が進んだ地域のひとつであることがわかってきました。
発掘調査をすすめるにあたっては、調査に参加して頂いた方々をはじめ、亀岡市教育委
員会などの関係諸機関の方々に御協力いただきました。厚くお礼を申しあげます。
−1−
2.調 査 概 要
今回の調査は、亀岡市教育委員会の試掘調査の成果を受け、D1∼7・14トレンチの計
8か所について面的調査を行いました。以下、主要な建物跡を確認したトレンチを中心に
簡単に各遺構について説明します。
(1)D1・3トレンチ
掘立柱建物跡SB1
D1トレンチの南で確認した南北2間(5.5m)×東西3間(7.5m)
以上の東西方向に長い建物跡です。建物の柱筋が正確に東西、南北に揃えられ、柱を据え
付けるために掘られた柱穴は、1辺が約50cmの方形を呈しています。
掘立柱建物跡SB2
掘立柱建物跡SB1の北に位置する南北2間(6m)×東西4間
(11m)以上の東西方向に長い建物跡です。掘立柱建物跡SB1と同じく、建物の柱筋はほ
ぼ東西方向に揃えられ、柱穴の一辺は約70cmの方形を呈しています。なお、柱材を再利用
する目的で柱を抜き取った跡も確認できました。
掘立柱建物跡SB3
も
や
掘立柱建物跡SB2の北に位置する南北5間(11m)×東西2間
ひさし
(4.8m)の身舎と身舎の東西両面に庇が付設された建物跡です。建物は柱筋は南北方向に
揃えられ、庇の柱穴は一辺が約70cm、身舎の柱穴は一辺が約1mの方形を呈しています。
柱穴のひとつから瓦片が出土していることから、瓦葺きの建物であったか屋根の一部に瓦
を使っていた建物の可能性があります。また、掘立柱建物跡SB2と同じく、柱材を抜き
取った跡も確認できました。今回検出した建物跡の中では最大規模であり、また、身舎の
東西両面に庇が付設される建物であることから、中心的な施設であったと考えられます。
柵跡SA2・4
掘立柱建物跡群を取り囲むように配置された柱列であることから、こ
れらの建物群を区画するための板塀の跡であったと考えられます。
柵跡SA3・5
柵跡SA2・4の北側で確認した柱列で、柵跡SA2およびSA4と
同じ規模の区画が北側にも存在することがわかりました。
(2)D3トレンチ
溝SD1
D3トレンチで確認した幅が0.5∼0.6mの南北方向の溝です。このトレンチ
は、西から東にわずかに傾斜していることから、雨水が敷地に入らないように掘られた溝
と考えられます。また、D10・14トレンチでも、この溝の延長部分が見つかりました。
以上が主要な施設についての説明ですが、東西南北に方向を揃えた掘立柱建物跡群や柵
跡のほか、掘立柱建物跡SB5・6のように方位を異にする建物跡も確認しています。こ
れらの建物跡は、建てられた時期が異なるものと思われます。また、D7トレンチでは、
−2−
掘立柱建物跡SB8の下層において飛鳥時代の方形の竪穴式住居跡SH10を確認してお
えんめんけん
すずり
り、円面硯(円形の硯)が出土しています。
3.ま と め
今回の調査では以下の点が明かとなりました。
① 板塀に囲まれた奈良時代中葉から後半の掘立柱建物跡群が2区画存在すること。
② 大型の掘立柱建物跡SB3を中心に、柱筋を東西、南北の方位に揃える建物群や柵 などが整然と配置されていること。
③ 中心的な施設である掘立柱建物跡SB3は、屋根の一部に瓦を葺いた建物の可能性
があること。
④ 建物群はさらに東に広がると判断されること。
⑤ これらの施設は、墨書土器など明確に性格を示す遺物はないものの、建物跡の配置 かんが
や規模からみて、当時の役所である官衙の可能性が最も高いこと。
や
が
⑥ 丹波地域では千代川遺跡や八木町屋賀付近が丹波国府跡の候補地として知られてい
ますが、池尻遺跡も、また、丹波国府跡の有力な候補地として考えることができるよ
うになったこと。さらに、郡の役所である桑田郡衙の所在地も未だ明らかになってい
ませんが、池尻遺跡もその候補地として考えられるようになってきたといえます。
このように今回の調査では、当時の役所の所在地を推定するうえで重要な成果を得
られたといえます。
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(財)京都府埋蔵文化財調査研究センターの現地説明
会や埋蔵文化財セミナーなどは、下記のホームペー
ジでもご案内しています。
http://www.kyotofu-maibun.or.jp
(財)京都府埋蔵文化財調査研究センター
〒617-0002 向日市寺戸町南垣内40番の3
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