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『春と修羅』 ダウンロード

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『春と修羅』 ダウンロード
﹃春と修羅﹄
宮沢賢治
『春と修羅』
休息
習作
風景
雲の信号
陽ざしとかれくさ
谷
有明
春光呪咀
春と修羅
恋と病熱
ぬすびと
コバルト山地
カーバイト倉庫
丘の眩惑
日輪と太市
くらかけの雪
屈折率
春と修羅
序
﹃春と修羅﹄
目次
電線工夫
山巡査
グランド電柱
原体剣舞連 天然誘接
電車
高級の霧
印象
高原
岩手山
風景観察官
報告
青い槍の葉
芝生
霧とマツチ
林と思想
グランド電柱
小岩井農場
小岩井農場
蠕 虫 舞 手 真空溶媒
真空溶媒
かはばた
はらたいけんばひれん
アンネリダタンツエーリン
おきなぐさ
『春と修羅』
松の針
永訣の朝
無声慟哭
栗鼠と色鉛筆
マサニエロ
犬
東岩手火山
東岩手火山
滝沢野
銅線
竹と楢
たび人
冬と銀河ステーシヨン
イーハトヴの氷霧
鎔岩流
一本木野
過去情炎
火薬と紙幣
第四梯形
昴
風の偏倚
風景とオルゴール
宗教風の恋
雲とはんのき
無声慟哭
風林
白い鳥
オホーツク挽歌
青森挽歌
オホーツク挽歌
樺太鉄道
鈴谷平原
噴火湾︵ノクターン︶
風景とオルゴール
不貪慾戒
『春と修羅』
心象スケツチ
春と修羅
大正十一、二年
『春と修羅』
そのとほりの心象スケツチです
かげとひかりのひとくさりづつ
ここまでたもちつゞけられた
みんなが同時に感ずるもの︶
︵すべてわたくしと明滅し
紙と鉱質インクをつらね
過去とかんずる方角から
これらは二十二箇月の
︵ひかりはたもち その電燈は失はれ︶
ひとつの青い照明です
因果交流電燈の
いかにもたしかにともりつづける
せはしくせはしく明滅しながら
風景やみんなといつしよに
︵あらゆる透明な幽霊の複合体︶
ひとつの青い照明です
仮定された有機交流電燈の
わたくしといふ現象は
序
風景や人物をかんずるやうに
けだしわれわれがわれわれの感官や
傾向としてはあり得ます
それを変らないとして感ずることは
しかもわたくしも印刷者も
すでにはやくもその組立や質を変じ
︵あるいは修羅の十億年︶
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
正しくうつされた筈のこれらのことばが
巨大に明るい時間の集積のなかで
けれどもこれら新生代沖積世の
みんなのおのおののなかのすべてですから︶
︵すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
ある程度まではみんなに共通いたします
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
記録されたそのとほりのこのけしきで
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
これらについて人や銀河や修羅や海胆は
『春と修羅』
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
データ
記録や歴史 あるいは地史といふものも
それのいろいろの 論料 といつしよに
︵因果の時空的制約のもとに︶
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるいは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません
すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます
大正十三年一月廿日
宮沢賢治
『春と修羅』
春と修羅
『春と修羅』
屈折率
七つ森のこつちのひとつが
水の中よりもつと明るく
そしてたいへん巨きいのに
ラムプ
わたくしはでこぼこ凍つたみちをふみ
あえん
このでこぼこの雪をふみ
きやくふ
向ふの縮れた亜
鉛 の雲へ
陰気な郵便 脚夫 のやうに
︵またアラツデイン 洋燈 とり︶
急がなければならないのか
︵一九二二、一、六︶
『春と修羅』
くらかけの雪
たよりになるのは
くす
くらかけつづきの雪ばかり
野はらもはやしも
ぽしやぽしやしたり 黝 んだりして
かうぼ
すこしもあてにならないので
おぼ
ほんたうにそんな 酵母 のふうの
ろなふぶきですけれども
朧 ほのかなのぞみを送るのは
こふう
くらかけ山の雪ばかり
︵ひとつの 古風 な信仰です︶
︵一九二二、一、六︶
『春と修羅』
日輪と太市
めん
日は今日は小さな天の銀盤で
雲がその 面 を
フ
キ
どんどん侵してかけてゐる
けつと
雪 も光りだしたので
吹
太市は 毛布 の赤いズボンをはいた
︵一九二二、一、九︶
『春と修羅』
丘の眩惑
ひとかけづつきれいにひかりながら
でん
インデイゴ
そらから雪はしづんでくる
しんばしらの影の 電 藍 や
かつぱ
ぎらぎらの丘の照りかへし
あすこの農夫の 合羽 のはじが
だい
まつ
どこかの風に鋭く截りとられて来たことは
一千八百十年 代 の
佐野喜の木版に相当する
ぎよくせいれいろう
野はらのはてはシベリヤの天 末 土耳古 玉製玲瓏 のつぎ目も光り
︵お日さまは
そらの遠くで白い火を
どしどしお焚きなさいます︶
笹の雪が
燃え落ちる 燃え落ちる
︵一九二二、一、一二︶
『春と修羅』
カーバイト倉庫
サーベンタイン
まちなみのなつかしい灯とおもつて
さんけふ
いそいでわたくしは雪と 蛇紋岩 との
峡 をでてきましたのに
山
これはカーバイト倉庫の軒
はくめい
すきとほつてつめたい電燈です
︵ 薄明 どきのみぞれにぬれたのだから
巻烟草に一本火をつけるがいい︶
これらなつかしさの擦過は
寒さからだけ来たのでなく
またさびしいためからだけでもない
︵一九二二、一、一二︶
『春と修羅』
さんち
ひようむ
コバルト山地
コバルト 山地 の 氷霧 のなかで
けなしのもり
けんたう
あやしい朝の火が燃えてゐます
無森 のきり跡あたりの 毛
見当 です
たしかにせいしんてきの白い火が
水より強くどしどしどしどし燃えてゐます
︵一九二二、一、二二︶
『春と修羅』
ぬすびと
らん
青じろい骸骨星座のよあけがた
凍えた泥の乱 反射をわたり
店さきにひとつ置かれた
提婆のかめをぬすんだもの
にはかにもその長く黒い脚をやめ
二つの耳に二つの手をあて
電線のオルゴールを聴く
︵一九二二、三、二︶
『春と修羅』
恋と病熱
からす
けふはぼくのたましひは疾み
さへ正視ができない
烏 ブロンヅ
あいつはちやうどいまごろから
ば
ら
つめたい青
銅 の病室で
透明 薔薇 の火に燃される
ほんたうに けれども妹よ
けふはぼくもあんまりひどいから
やなぎの花もとらない
︵一九二二、三、二〇︶
『春と修羅』
れいろうの天の海には
砕ける雲の眼
路 をかぎり
︵風景はなみだにゆすれ︶
おれはひとりの修羅なのだ
し はぎしりゆききする
唾 四月の気層のひかりの底を
いかりのにがさまた青さ
琥珀のかけらがそそぐとき︶
︵正午の 管楽 よりもしげく
いちめんのいちめんの 諂曲 模様
のばらのやぶや腐植の湿地
あけびのつるはくもにからまり
心象のはひいろはがねから
︶
︵ mental sketch modified
春と修羅
けらをまとひおれを見るその農夫
草地の黄金をすぎてくるもの
ひのきもしんと天に立つころ︶
︵気層いよいよすみわたり
ひらめいてとびたつからす
喪神の森の梢から
すべて二重の風景を
その枝はかなしくしげり
黒い木の群落が延び
陥りくらむ天の椀から
修羅は樹林に交響し
日輪青くかげろへば
どこで啼くその春の鳥︶
︵玉髄の雲がながれて
おれはひとりの修羅なのだ
はぎしり燃えてゆききする
ああかがやきの四月の底を
雲はちぎれてそらをとぶ
まことのことばはうしなはれ
︵かげろふの波と白い偏光︶
せいはり
め ぢ
てんごく
聖玻璃 の風が行き交ひ
ほんたうにおれが見えるのか
くわんがく
春のいちれつ
ZYPRESSEN
エーテル
くろぐろと 光素 を吸ひ
まばゆい気圏の海のそこに
つばき
その暗い脚並からは
ことなくひとのかたちのもの
天山の雪の稜さへひかるのに
『春と修羅』
︵かなしみは青々ふかく︶
しづかにゆすれ
ZYPRESSEN
鳥はまた青ぞらを截る
︵まことのことばはここになく
修羅のなみだはつちにふる︶
あたらしくそらに息つけば
ほの白く肺はちぢまり
︵このからだそらのみぢんにちらばれ︶
いてふのこずゑまたひかり
いよいよ黒く
ZYPRESSEN
雲の火ばなは降りそそぐ
一九二二、四、八
『春と修羅』
春光呪咀
いつたいそいつはなんのざまだ
どういふことかわかつてゐるか
髪がくろくてながく
しんとくちをつぐむ
ぼう
ただそれつきりのことだ
春は草穂に 呆 け
うつくしさは消えるぞ
︵ここは蒼ぐろくてがらんとしたもんだ︶
頬がうすあかく瞳の茶いろ
ただそれつきりのことだ
︵おおこのにがさ青さつめたさ︶
︵一九二二、四、一〇︶
『春と修羅』
有明
起伏の雪は
しる
あかるい桃の漿 をそそがれ
の ど
青ぞらにとけのこる月は
やさしく天に咽
喉 を鳴らし
ハラサムギヤテイ
ボージユ
ソ
もいちど散乱のひかりを呑む
ハ
カ
︵ 波羅僧羯諦 菩
提 薩
婆訶 ︶
︵一九二二、四、一三︶
『春と修羅』
谷
ひかりの澱
三角ばたけのうしろ
かれ草層の上で
わたくしの見ましたのは
やう
顔いつぱいに赤い点うち
硝子様 鋼青のことばをつかつて
しきりに歪み合ひながら
何か相談をやつてゐた
三人の妖女たちです
︵一九二二、四、二〇︶
『春と修羅』
陽ざしとかれくさ
くわう
どこからかチーゼルが刺し
光 パラフヰンの 蒼いもや
わをかく わを描く からす
烏の軋り⋮⋮からす器械⋮⋮
︵これはかはりますか︶
︵かはります︶
︵これはかはりますか︶
︵かはります︶
︵これはどうですか︶
︵かはりません︶
︵そんなら おい ここに
雲の棘をもつて来い はやく︶
︵いゝえ かはります かはります︶
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮刺し
光パラフヰンの蒼いもや
わをかく わを描く からす
からすの軋り⋮⋮からす機関
︵一九二二、四、二三︶
『春と修羅』
雲の信号
あゝいゝな せいせいするな
風が吹くし
農具はぴかぴか光つてゐるし
がんけい
がんしよう
山はぼんやり
頸 だつて岩
岩
鐘 だつて
みんな時間のないころのゆめをみてゐるのだ
かか
そのとき雲の信号は
もう青白い春の
禁慾のそら高く 掲 げられてゐた
山はぼんやり
きつと四本杉には
今夜は雁もおりてくる
︵一九二二、五、一〇︶
『春と修羅』
風景
雲はたよりないカルボン酸
さくらは咲いて日にひかり
また風が来てくさを吹けば
きうひ
截られたたらの木もふるふ
さつきはすなつちに廐
肥 をまぶし
だん
︵いま青ガラスの模型の底になつてゐる︶
ふう
ひばりのダムダム 弾 がいきなりそらに飛びだせば
風は青い喪神をふき
黄金の草 ゆするゆする
雲はたよりないカルボン酸
さくらが日に光るのはゐなか 風 だ
︵一九二二、五、一二︶
『春と修羅』
キンキン光る
習作
と ┃ ひやかしに云つてゐるやうな
へ┃ 柘植 さんが
ら ┃ すぎなを麦の間作ですか
そ ┃ すぎなだ
は ┃ ほうこの麦の間に何を播いたんだ
り ┃ ⋮⋮仕方ない
が
げ
班尼 製です
西
ん ┃ そんな 口調 がちやんとひとり
わ
つ
︵つめくさ つめくさ︶
で ┃ 私の中に棲んでゐる
すぱにあ
こんな舶来の草地でなら
行┃ 和賀 の 混 んだ松並木のときだつて
こ
くてう
黒砂糖のやうな甘つたるい声で唄つてもいい
一
く ┃ さうだ
︵一九二二、五、一四︶
と ┃ また鞭をもち赤い上着を着てもいい
ら ┃ ふくふくしてあたたかだ
よ ┃ 野ばらが咲いてゐる 白い花
と ┃ 秋には熟したいちごにもなり
す ┃ 硝子のやうな実にもなる野ばらの花だ
れ ┃ 立ちどまりたいが立ちどまらない
こくたん
ば ┃ とにかく花が白くて足なが蜂のかたちなのだ
そ ┃ みきは黒くて 黒檀 まがひ
の ┃ ︵あたまの奥のキンキン光つて痛いもや︶
手 ┃ このやぶはずゐぶんよく据ゑつけられてゐると
か ┃ かんがへたのはすぐこの上だ
ら ┃ じつさい岩のやうに
こ ┃ 船のやうに
と ┃ 据ゑつけられてゐたのだから
『春と修羅』
休息
ひでりはパチパチ降つてくる
よしきりはひつきりなしにやり
それが底びかりする鉱物板だ
青ぞらは巨きな網の目になつた
そのきらびやかな空間の
バツタ カツプ
上部にはきんぽうげが咲き
ですが
︵上等の butter-cup
バター
牛酪 よりは硫黄と蜜とです︶
下にはつめくさや芹がある
ぶりき細工のとんぼが飛び
雨はぱちぱち鳴つてゐる
︵よしきりはなく なく
それにぐみの木だつてあるのだ︶
からだを草に投げだせば
雲には白いとこも黒いとこもあつて
みんなぎらぎら湧いてゐる
帽子をとつて投げつければ黒いきのこしやつぽ
ふんぞりかへればあたまはどての向ふに行く
あくびをすれば
そらにも悪魔がでて来てひかる
このかれくさはやはらかだ
もう極上のクツシヨンだ
雲はみんなむしられて
︵一九二二、五、一四︶
『春と修羅』
おきなぐさ
風はそらを吹き
くわんもう
しつぢき
そのなごりは草をふく
おきなぐさ冠
毛 の質
直 松とくるみは宙に立ち
きん
︵どこのくるみの木にも
いまみな 金 のあかごがぶらさがる︶
ああ黒のしやつぽのかなしさ
くわうさん
おきなぐさのはなをのせれば
幾きれうかぶ光
酸 の雲
︵一九二二、五、一七︶
『春と修羅』
かはばた
オート
かはばたで鳥もゐないし
た
ね
︵われわれのしよふ 燕麦 の種
子 は︶
風の中からせきばらひ
おきなぐさは伴奏をつゞけ
光のなかの二人の子
︵一九二二、五、一七︶
『春と修羅』
真空溶媒
『春と修羅』
りつぱな硝子のわかものが
その一本の水平なえだに
杏 なみきをくぐつてゆく
銀
おれは新らしくてパリパリの
しきりにさつきからゆれてゐる
はんぶん溶けたり澱んだり
地平線ばかり明るくなつたり 陰 つたり
白いハロウも燃えたたず
融銅はまだ眩 めかず
︶
︵ Eine Phantasie im Morgen
真空溶媒
かなりの 影 きやうをあたへるのだ
そらのぜんたいにさへ
そのすきとほつたきれいななみは
氷ひばりも啼いてゐる
うらうら湧きあがる 昧爽 のよろこび
あさの練兵をやつてゐる
野の 緑青 の縞のなかで
もう二哩もうしろになり
さうとも 銀杏並樹 なら
眩ゆい 芝生 がいつぱいいつぱいにひらけるのは
こんなににはかに木がなくなつて
ところがおれはあんまりステツキをふりすぎた
それから新鮮なそらの 海鼠 の匂
あの永久の 海蒼 がのぞきでてゐる
白い 輝雲 のあちこちが切れて
きうん
もうたいてい三角にかはつて
すなはち雲がだんだんあをい虚空に融けて
ろくしやう
いてふなみき
まいさう
あるいてゐることはじつに明らかだ
えい
かいさう
そらをすきとほしてぶらさがつてゐる
たうとういまは
なまこ
けれどもこれはもちろん
ころころまるめられたパラフヰンの 団子 になつて
しばふ
そんなにふしぎなことでもない
ぽつかりぽつかりしづかにうかぶ
くら
おれはやつぱり口笛をふいて
地平線はしきりにゆすれ
かげ
大またにあるいてゆくだけだ
むかふを鼻のあかい灰いろの紳士が
いてふ
いてふの葉ならみんな青い
うまぐらゐあるまつ白な犬をつれて
瓶のなかのけしき
alcohol
だんご
冴えかへつてふるへてゐる
いまやそこらは
『春と修羅』
なるほど ふんふん ときにさくじつ
︵どちらへ ごさんぽですか
︵いや いゝおてんきですな︶
︵やあ こんにちは︶
みろ その馬ぐらゐあつた白犬が
いつたいなにをふざけてゐるのだ
︵えゝえゝ もうごくごく遠いしんるゐで︶
あなたとはご親類ででもいらつしやいますか︶
せつりですな
はやく王水をのませたらよかつたでせう︶
︵そいつはおきのどくでした
︵金皮のまゝたべたのです︶
もくりもくりと延びだしてゐる
その金いろの苹
果 の樹が
はるかに 湛 へる花紺青の地面から
それはあすこにみえるりんごでせう︶
︵りんご ああ なるほど
︵りんごが中 つたのださうです︶
ゾンネンタールと はてな︶
︵いゝえ ちつとも
おききでしたか︶
いつぱい琥珀をはつてゐる
東のそらが 苹果林 のあしなみに
犬も紳士もよくはしつたもんだ
ただいつぴきの蟻でしかない
おれなどは石炭紀の 鱗木 のしたの
おまけにのびた
果 の樹がむやみにふえた
苹
さよなら︶
おさへなくてはなりません
︵いや あれは 高価 いのです
︵追ひかけてもだめでせう︶
︵あ わたくしの犬がにげました︶
いまではやつと 南京鼠 のくらゐにしか見えない
はるかのはるかのむかふへ遁げてしまつて
な
ゾンネンタールが没 くなつたさうですが
︵王水 口をわつてですか
そこからかすかな 苦扁桃 の匂がくる
りんご
ちやう
りんごばやし
くへんたう
りんぼく
た か
なんきんねずみ
ふんふん なるほど︶
すつかり 荒 さんだひるまになつた
あた
︵いや王水はいけません
どうだこの天 頂 の遠いこと
たた
やつぱりいけません
このものすごいそらのふち
りんご
死ぬよりしかたなかつたでせう
す
うんめいですな
『春と修羅』
なんといふとげとげしたさびしさだ
そらがせはしくひるがへる
風のヂグザグや黄いろの渦
こここそわびしい雲の焼け野原
くさはみな褐藻類にかはられた
それからけはしいひかりのゆきき
雲はみんなリチウムの紅い焔をあげる
すばやくそこらをはせぬけるし
画かきどものすさまじい幽霊が
もう冗談ではなくなつた
瘠せた肩をぷるぷるしてるにちがひない
つめたい板の間 にへたばつて
かあいさうにその 無窮遠 の
愉快な 雲雀 もとうに吸ひこまれてしまつた
︵いゝえ露がおりればなほります
︵ではあのひとはもう死にましたか︶
じつにいゝ犬でした︶
犬はもう十五哩もむかふでせう
︵ 臨終 にさういつてゐましたがね
︵犬はつかまつてゐましたか︶
︵さうです︶
︵はなのあかいひとでせう︶
︵りつぱな紳士です︶
︵どんなひとですか︶
いま途中で行き 倒 れがありましてな︶
︵ありがたう
今日なんかおつとめも大へんでせう︶
︵さうですか
いろいろはひつてゐるんだな
そのなかに 苦味丁幾 や 硼酸 や
はうさん
︵どうなさいました 牧師さん︶
まあちよつと黄いろな時間だけの 仮死 ですな
くみちんき
あんまりせいが高すぎるよ
ううひどい風だ まゐつちまふ︶
ひばり
︵ご病気ですか
まつたくひどいかぜだ
むきゆうゑん
たいへんお顔いろがわるいやうです︶
たふれてしまひさうだ
ま
︵いやありがたう
沙漠でくされた 駝鳥 の卵
だふ
べつだんどうもありません
たしかに硫化水素ははひつてゐるし
りんじゆう
あなたはどなたですか︶
ほかに無水亜硫酸
はい
か し
︵わたくしは保安掛りです︶
だてう
いやに四かくな 背 嚢だ
『春と修羅』
︵しつかりなさい しつかり
悪い瓦斯はみんな溶けろ
ありがたい有難い神はほめられよ 雨だ
水が落ちてゐる
どなつ⋮⋮
どなつてやらうか
どなつてやらうか
必要がない どなつてやらうか
なにがいつたい保安掛りだ
おれのかくしに手を入れるのは
そんならひとつお時計をちやうだいしますかな︶
たしかにまゐつた
たうとう参つてしまつたな
もしもし しつかりなさい
︵しつかりなさい しつかり
気流に二つあつて硫黄華ができる
気流に二つあつて硫黄華ができる
しようとつして渦になつて硫黄 華 ができる
つまりこれはそらからの瓦斯の気流に二つある
ウーイ いゝ空気だ︶
みちからのたたふべきかな
︵ウーイ 神はほめられよ
ほんたうに液体のやうな空気だ
どうでもいゝ 実にいゝ空気だ
それと赤鼻紳士の金鎖
ぬれた大きな靴が片つ方
稲 の種子がひとふくろ
陸
カムチヤツカの蟹の缶詰と
保安掛り じつにかあいさうです
背嚢なんかなにを入れてあるのだ
ざまを見ろじつに 醜 い泥炭なのだぞ
たゞ一かけの 泥炭 になつた
四角な背嚢ばかりのこり
ひからびてしまつた
ちゞまつてしまつたちひさくなつてしまつた
いゝ気味だ ひどくしよげてしまつた
保安掛りとはなんだ きさま︶
あんまりひとをばかにするな
きさま
飄然たるテナルデイ軍曹だ
くわ
もう大丈夫です︶
そらの 澄 明 すべてのごみはみな洗はれて
みにく
でいたん
何が大丈夫だ おれははね起きる
ひかりはすこしもとまらない
をかぼ
︵だまれ きさま
ちよう
黄いろな時間の追剥め
『春と修羅』
すつととられて消えてしまふ
零下二千度の真
空溶媒 のなかに
いまは一むらの軽い 湯気 になり
虹彩はあはく変化はゆるやか
⋮⋮もうおそい ほめるひまなどない
あらゆる変幻の色彩を示し
天のサラアブレツドだ 雲だ︶
雲だ 競馬だ
︵うん きれいだな
まるで天の競馬のサラアブレツドです︶
あの馳せ出した雲をごらんなさい
︵もしもし 牧師さん
泥炭がなにかぶつぶつ言つてゐる
もうよろこびの脈さへうつ
葡萄糖を含む月
光液 は
草はみな葉緑素を恢復し
ことにもしろいマヂエラン星雲
おれは数しれぬほしのまたたきを見る
太陽がくらくらまはつてゐるにもかゝはらず
だからあんなにまつくらだ
︵えゝ さうですとも
真空のちよつとした 奇術 ですな︶
︵なるほど ははあ
︵あなたが着ておいでになるその上着︶
︵どれですか︶
あなたの上着はそれでせう︶
︵なるほど はてな
︵上着をなくして大へん寒いのです︶
あなたは一体どうなすつたのです︶
︵ありがたう しかるに
たうとう犬がおつかまりでしたな︶
︵おお 赤鼻紳士
︵いやあ 奇遇ですな︶
ぐんぐんものが消えて行くとは情ない
この明らかな牧師の意識から
といつたところでおれといふ
べつにどうにもなつてゐない
それでもどうせ質量不変の定律だから
まるで熊の胃袋のなかだ
こんどはおれに働きだした
恐るべくかなしむべき真空溶媒は
チヨツキはたつたいま消えて行つた
しんくうようばい
ゆ
げつくわうえき
それどこでない おれのステツキは
ところがどうもをかしい
げ
いつたいどこへ行つたのだ
ツリツク
上着もいつかなくなつてゐる
『春と修羅』
それはわたしの金鎖ですがね︶
ツリツク
︵えゝどうせその泥炭の保安掛りの作用です︶
︵ははあ 泥炭のちよつとした奇
術 ですな︶
︵さうですとも
犬があんまりくしやみをしますが大丈夫ですか︶
︵なあにいつものことです︶
︵大きなもんですな︶
︵これは北極犬です︶
︵馬の代りには使へないんですか︶
︵使へますとも どうです
お召しなさいませんか︶
︵どうもありがたう
そんなら拝借しますかな︶
︵さあどうぞ︶
おれはたしかに
その北極犬のせなかにまたがり
りよかう
犬神のやうに東へ歩き出す
まばゆい緑のしばくさだ
いてふ
おれたちの影は青い沙漠 旅行 そしてそこはさつきの銀
杏 の並樹
こんな華奢な水平な枝に
硝子のりつぱなわかものが
すつかり三角になつてぶらさがる
一九二二、五、一八
『春と修羅』
燐光珊瑚の環節に
とがつた二つの耳をもち
正しく飾る真珠のぼたん
アンネリダタンツエーリン
くるりくるりと廻つてゐます
蠕 虫 舞 手 ︵えゝ 8︽エイト︾ γ e 6︽スイツクス︾ α 羽むしの死骸
ことにもアラベスクの飾り文字︶
オペラグラスにのぞかれて
水晶体や 鞏膜 の
ことにもアラベスクの飾り文字︶
エイト ガムマア イー スイツクス アルフア
アルフア
︵えゝ 水ゾルですよ
ことにもアラベスクの飾り文字︶
いちゐのかれ葉
をどつてゐるといはれても
イー
おぼろな寒
天 の液ですよ︶
背中きらきら 燦 いて
真珠の泡に
真珠の泡を苦にするのなら
ガムマア
日は黄
金 の薔薇
ちからいつぱいまはりはするが
ちぎれたこけの花軸など
おまへもさつぱりらくぢやない
ぜんちゆう
アガア
赤いちひさな蠕
虫 が
真珠もじつはまがひもの
︵ナチラナトラのひいさまは
それに日が雲に入つたし
かがや
水とひかりをからだにまとひ
ガラスどころか空気だま
いまみづ底のみかげのうへに
わたしは石に座つてしびれが切れたし
き ん
ひとりでをどりをやつてゐる
︵いゝえ それでも
アルフア
二
黄いろなかげとおふたりで
水底の黒い木片は毛虫か 海鼠 のやうだしさ
ガムマア イー
︵えゝ 8︽エイト︾ γ e 6︽スイツクス︾ α せつかくをどつてゐられます
それに第一おまへのかたちは見えないし
きようまく
いゝえ けれども すぐでせう
ほんとに溶けてしまつたのやら
なまこ
まもなく浮いておいででせう︶
アンネリダタンツエーリン
赤い 蠕 虫 舞 手 は
『春と修羅』
それともみんなはじめから
おぼろに青い夢だやら
︵いゝえ あすこにおいでです おいでです
ガムマア
イー
ひいさま いらつしやいます
アルフア
8︽エイト︾ γ e 6︽スイツクス︾ α ことにもアラベスクの飾り文字︶
ふん 水はおぼろで
ひかりは惑ひ
虫は エイト ガムマア イー スイツクス アルフア
ことにもアラベスクの飾り文字かい
ハツハツハ
︵はい まつたくそれにちがひません
エイト ガムマア イー スイツクス アルフア
ことにもアラベスクの飾り文字︶
︵一九二二、五、二〇︶
『春と修羅』
小岩井農場
『春と修羅』
小岩井農場
馬車にのぼつてこしかける
載つけるといふ 気軽 なふうで
それからじぶんといふ小さな荷物を
かうさく
きがる
︵わづかの光の 交錯 だ︶
ひ
つめたくあかるい待合室から
このひとが砂糖水のなかの
たしかにわたくしはさうおもつてゐた
さつき盛岡のていしやばでも
そつくりおとなしい農学士だ
あのオリーブのせびろなどは
化学の並川さんによく肖 たひとだ
けれどももつとはやいひとはある
そのために雲がぎらつとひかつたくらゐだ
わたくしはずゐぶんすばやく汽車からおりた
もちろんおきなぐさも咲いてゐるし
樹でも艸でもみんな幻燈だ
あすこなら空気もひどく明瞭で
ゆつくり時間もほしいのだ
くらかけ山の下あたりで
これから五里もあるくのだし
乗らなくたつていゝのだが
馭者がよこから呼べばいい
わたくしにも乗れといへばいい
どうも農場のらしくない
これはあるいは客馬車だ
わたくしはあるいて馬と並ぶ
すこし屈んでしんとしてゐる
その 陽 のあたつたせなかが
ひとあしでるとき⋮⋮わたくしもでる
野はらは黒ぶだう 酒 のコツプもならべて
三
馬車がいちだいたつてゐる
わたくしを款待するだらう
パート一
者 がひとことなにかいふ
馭
そこでゆつくりとどまるために
つ
や
に
黒塗りのすてきな馬車だ
本部まででも乗つた方がいい
しゆ
沢消 しだ
光
今日ならわたくしだつて
ぎよしや
馬も上等のハツクニー
け
このひとはかすかにうなづき
『春と修羅』
ひらつとわたくしを通り越す
それが過ぎて 滅 くなるといふこと︶
どうしようか考へてゐるひまに
︵これがじつにいゝことだ
もう馬車がうごいてゐる
きつといつでもかうなのだ︶
︵あいまいな思惟の蛍
光 馬車に乗れないわけではない
葉 がさまざまにひるがへる
嫩
山ではふしぎに風がふいてゐる
ひはいろのやはらかな山のこつちがはだ
をひいて往つたりきたりする
犁 黒馬が二ひき汗でぬれ
そしてこここそ畑になつてゐる
みんなうしろに片 附 けた
しんかい地ふうのたてものは
いまわたくしは歩測のときのやう
西にまがつて見えなくなつた
わかば
馬車はずんずん遠くなる
けいくわう
みちはまつ黒の腐植土で
ずうつと遠くのくらいところでは
大きくゆれるしはねあがる
づ
あがりだし弾力もある
雨 鶯もごろごろ啼いてゐる
プラウ
馬はピンと耳を立て
その透明な群青のうぐひすが
な
その端 は向ふの青い光に尖り
新開地風の飲
食店 このひとはもうよほど世間をわたり
あま
いかにもきさくに馳けて行く
︵ほんたうの鶯の方はドイツ読本の
ガラス障子はありふれてでこぼこ
いまは青ぐろいふちのやうなとこへ
はじ
うしろからはもうたれも来ないのか
ハンスがうぐひすでないよと云つた︶
のから函や
わらぢや sun-maid
夏みかんのあかるいにほひ
すましてこしかけてゐるひとなのだ
ば
つつましく肩をすぼめた停車 場 と
汽車からおりたひとたちは
そしてずんずん遠くなる
いんしよくてん
さつきたくさんあつたのだが
はたけの馬は二ひき
紳士もかろくはねあがる
みんな丘かげの茶褐部落や
つなぎ
あたりへ往くらしい
繋 『春と修羅』
小岩井のきれいな野はらや牧場の標本が
すみやかなすみやかな万
法流転 のなかに
それよりもこんなせはしい心象の明滅をつらね
あをじろい春になつただけだ
幹や芽のなかに燐光や樹
液 がながれ
雲が展 けてつちが呼吸し
変つたとはいへそれは雪が往き
みんなすつかり変つてゐる
冬にきたときとはまるでべつだ
いよいよあかく 灼 けてゐる
雲に濾 された日光のために
ひとはふたりで赤い
ひばり ひばり
かけて行く馬車はくろくてりつぱだ︶
︵山は青い雲でいつぱい 光つてゐるし
すがれの草 穂 もゆれてゐる
あすこはちやうどまがり目で
火山灰のみちの分だけ行つたのだ
ここからあすこまでのこのまつすぐな
いままでたつてやつとあすこまで
そんなにすてきなわけではない
しかし馬車もはやいと云つたところで
雨はけふはだいぢやうぶふらない
たむぼりんも遠くのそらで鳴つてるし
ひら
こ
いかにも確かに 継起 するといふことが
銀の 微塵 のちらばるそらへ
けいき
や
どんなに新鮮な奇蹟だらう
たつたいまのぼつたひばりなのだ
ばんぼふるてん
じゆえき
ほんたうにこのみちをこの前行くときは
くろくてすばやくきんいろだ
ぼ
空気がひどく稠密で
甲虫のやうに四まいある
みぢん
つめたくそしてあかる過ぎた
そらでやる
Brownian
movement
はね
おまけにあいつの 翅 ときたら
かれくさ
松木がをかしな緑褐に
飴いろのやつと硬い漆ぬりの方と
今日は七つ森はいちめんの 枯草 丘のうしろとふもとに生えて
たしかに 二重 にもつてゐる
そらのひかりを呑みこんでゐる
ふたへ
大へん陰欝にふるびて見える
よほど上手に鳴いてゐる
四
パート二
『春と修羅』
光波のために溺れてゐる
もちろんずつと遠くでは
もつとたくさんないてゐる
そいつのはうははいけいだ
向ふからはこつちのやつがひどく勇敢に見える
うしろから五月のいまごろ
黒いながいオーヴアを着た
医者らしいものがやつてくる
たびたびこつちをみてゐるやうだ
それは一本みちを行くときに
ごくありふれたことなのだ
冬にもやつぱりこんなあんばいに
くろいイムバネスがやつてきて
イ
本部へはこれでいいんですかと
ブ
遠くからことばの 浮標 をなげつけた
でこぼこのゆきみちを
そしやく
辛うじて 咀嚼 するといふ風にあるきながら
本部へはこれでいゝんですかと
こころぼそ
細 さうにきいたのだ
心
おれはぶつきら棒にああと言つただけなので
たい
ちやうどそれだけ 大 へんかあいさうな気がした
けふのはもつと遠くからくる
パート三
五
もう入口だ︹小岩井農場︺
こ
︵いつものとほりだ︶
んだ野ばらやあけびのやぶ
混 ︹もの売りきのことりお断り申し候︺
︵いつものとほりだ ぢき医院もある︶
こ
にぶ
︹禁猟区︺ ふん いつものとほりだ
小さな沢と青い 木 だち
沢では水が暗くそして 鈍 つてゐる
かうま
また鉄ゼルの fluorescence
はたけ
向ふの 畑 には白樺もある
白樺は 好摩 からむかふですと
いつかおれは羽田県属に言つてゐた
ここはよつぽど高いから
柳沢つづきの一帯だ
やつぱり好摩にあたるのだ
どうしたのだこの鳥の声は
なんといふたくさんの鳥だ
鳥の小学校にきたやうだ
雨のやうだし湧いてるやうだ
居る居る鳥がいつぱいにゐる
なんといふ数だ 鳴く鳴く鳴く
『春と修羅』
両方ともだ とりのこゑ︶
あるいはちゆういのりずむのため
うしろになつてしまつたのだ
︵その音がぼつとひくくなる
のぼせるくらゐだこの鳥の声
青びかり青びかり 赤楊 の木立
三またの槍の穂 弧をつくる
︵ぎゆつく ぎゆつく︶
十疋以上だ 弧をつくる
一ぴきでない ひとむれだ
︵禁猟区のためでない ぎゆつくぎゆつく︶
禁猟区のためだ 飛びあがる
あの木のしんにも一ぴきゐる
Rondo Capriccioso
ぎゆつくぎゆつくぎゆつくぎゆつく
けしきやみんなへんにうるんでいびつにみえる⋮⋮
ぜんたい馬の眼のなかには複雑なレンズがあつて
威勢よく桃いろの舌をかみふつと鼻を鳴らせ︶
おれはまつたくたまらないのだ
陰気にあたまを下げてゐられると
おまけになみだがいつぱいで
三日月みたいな眼つきをして
︵おい ヘングスト しつかりしろよ
脚のゆれるのは年老つたため
馬は払ひ下げの立派なハツクニー
この荷馬車にはひとがついてゐない
こんなしづかなめまぐるしさ
さくらの並樹になつたのだ
竹 いろの花のかけら
石
しめつた黒い腐植質と
けれどもこれは樹や枝のかげでなくて
木立がいつか並樹になつた
⋮⋮馬車挽きはみんなといつしよに
せきちく
この設計は飾
絵 式だ
向ふのどてのかれ草に
ん
けれども偶然だからしかたない
腰をおろしてやすんでゐる
は
荷馬車がたしか三台とまつてゐる
三人赤くわらつてこつちをみ
ひ
かざりゑ
な松の丸太がいつぱいにつまれ
生 また一人は大股にどてのなかをあるき
なま
がいつかこつそりおりてきて
陽 なにか忘れものでももつてくるといふ 風 ⋮⋮︵蜂函の白ペ
じようきあつ
あたらしいテレピン油の 蒸気圧 ふう
一台だけがあるいてゐる
『春と修羅』
遠くでは鷹がそらを截つてゐるし
ここが一ぺんにスヰツツルになる
馬車のラツパがきこえてくれば
天狗巣ははやくも青い葉をだし
桜の木には天
狗巣病 がたくさんある
ンキ︶
葱いろの春の水に
おまへさんたちの頬つぺたはまつ赤ですよ︶
氷滑りをやりながらなにがそんなにをかしいのです
それとも野はらの雪に日が照つてゐるのでせうか
向ふにひかるのは雲でせうか粉雪でせうか
︵から松はとびいろのすてきな脚です
こどもらがひどくわらつた
てんぐすびやう
からまつの芽はネクタイピンにほしいくらゐだし
の花芽 ももうぼやける⋮⋮
楊
ベ ム ベ ロ
いま向ふの並樹をくらつと青く走つて行つたのは
はたけは茶いろに掘りおこされ
本部の 気取 つた建物が
あんまりひばりが啼きすぎる
みづみづした鶯いろの弱いのもある⋮⋮
遠くの縮れた雲にかかるのでは
いぢらしい小さな緑の旗を出すのもあり
じんば
廐肥も四角につみあげてある
桜やポプラのこつちに立ち
︵育馬部と本部とのあひだでさへ
しやくどう
︵騎手はわらひ︶ 赤銅 の 人馬 の徽章だ
そのさびしい観測台のうへに
ひばりやなんか一ダースできかない︶
並樹ざくらの天狗巣には
ロビンソン風力計の小さな椀や
そのキルギス式の逞ましい耕地の線が
六
ぐらぐらゆれる風信器を
ぐらぐらの雲にうかぶこちら
パート四
わたくしはもう見出さない
みじかい素朴な電話ばしらが
ど
さつきの光
沢消 しの立派な馬車は
右にまがり左へ傾きひどく乱れて
き
いまごろどこかで忘れたやうにとまつてようし
まがりかどには一本の青木
け
五月の黒いオーヴアコートも
︵白樺だらう 楊ではない︶
や
どの建物かにまがつて行つた
つ
冬にはこゝの凍つた池で
『春と修羅』
けれどもあの調子はづれのセレナーデが
︵四列の茶いろな 落葉松 ︶
往つたりきたりなんべんしたかわからない
ひとはあぶなつかしいセレナーデを口笛に吹き
あのときはきらきらする雪の移動のなかを
冴えた気流に吹きあげた︶
たしかに酵母のちんでんを
なぜならそりはゆきをあげた
︵ゆきがかたくはなかつたやうだ
橇 も通つていつたほどだ
馬
ふゆのあひだだつて雪がかたまり
耕耘部へはここから行くのがちかい
いま見はらかす耕地のはづれ
それが雉子の声だ
啼いてゐる
雉子はするするながれてゐる
オレンヂいろの日光のなかを
あるくのははやい 流れてゐる
︵山鳥ですか?
山鳥ではない
もう一疋が飛びおりる
あんまり長い尾をひいてうららかに過ぎれば
鉛鍍金 の雉子なのだ
亜
灰いろなもの走るもの蛇に似たもの 雉子だ
それから眼をまたあげるなら
軋 り︶
︵雲の讃
歌 と日の きし
風やときどきぱつとたつ雪と
向ふの青草の高みに四五本乱れて
さんか
どんなによくつりあつてゐたことか
なんといふ気まぐれなさくらだらう
ばそり
それは雪の日のアイスクリームとおなじ
内面はしだれやなぎで
だんろ
とき
みんなさくらの幽霊だ
あえんめつき
︵もつともそれなら暖
炉 もまつ赤 だらうし
いろの花をつけてゐる
鴾 けんてう
プラチナムスポンヂ
夏に?︶
も少しそつぽに 灼 けるだらうし
muscovite
たく
おれたちには見られないぜい沢 だ︶
海綿白金 がちぎれる︶
︵空でひとむらの はくきんこく
山で?
春のヴアンダイクブラウン
それらかゞやく氷片の 懸吊 をふみ
らくえふしよう
きれいにはたけは耕耘された
青らむ天のうつろのなかへ
めいあん
か
雲はけふも 白金 と 白金黒 かたなのやうにつきすすみ
や
そのまばゆい明
暗 のなかで
はくきん
ひばりはしきりに啼いてゐる
『春と修羅』
それからさきがあんまり青黒くなつてきたら⋮⋮
田舎ふうのダブルカラなど引き裂いてしまへ
それでいけないといふのなら
大びらにまつすぐに進んで
たれがいつしよに行けようか
こんなきままなたましひと
たつたひとりで生きて行く
いまこそおれはさびしくない
水は濁つてどんどんながれた
たれも見てゐないその地質時代の林の底を
その氾濫の水けむりからのぼつたのだ
虫 がけはしく歯を鳴らして飛ぶ
爬
羅 や白堊のまつくらな森林のなか
侏
いま日を横ぎる黒雲は
さびしい 反照 の 偏光 を截れ
すべて水いろの哀愁を焚 き
光炎菩薩太陽マヂツクの歌が鳴つた
液肥をはこぶいちにちいつぱい
あの四月の実習のはじめの日
︵コロナは八十三万二百⋮⋮︶
はねあがつたりするがいい
みんなはしつたりうたつたり
たのしい太陽系の春だ
口笛をふき歩調をふんでわるいだらうか
五月のきんいろの外光のなかで
きままな林務官のやうに
わたくしは白い雑嚢をぶらぶらさげて
青々とかげろふをあげる︶
︵五本の透明なさくらの木は
これらはあるいは天の 鼓手 緊
那羅 のこどもら
金寂静 のほのほをたもち
緑
めいめい遠くのうたのひとくさりづつ
ちらちら 瓔珞 もゆれてゐるし
みんなすあしのこどもらだ
た
そんなさきまでかんがへないでいい
︵コロナは八十三万四百⋮⋮︶
はちゆう
ひ
さくそう
ろくきんじやくじやう
やうらく
ちからいつぱい口笛を吹け
ああ陽光のマヂツクよ
へんくわう
口笛をふけ 陽 の錯
綜 ひとつのせきをこえるとき
はんせう
たよりもない光波のふるひ
ひとりがかつぎ棒をわたせば
じゆら
すきとほるものが一列わたくしのあとからくる
それは太陽のマヂツクにより
きんなら
ひかり かすれ またうたふやうに小さな胸を張り
こしゆ
またほのぼのとかゞやいてわらふ
『春と修羅』
みんなうたつたりはしつたり
たのしい地球の気圏の春だ
記憶のやうにとほざかる
むら気な四本の桜も
過ぎて来た方へたたんで行く
みちがぐんぐんうしろから湧き
きまぐれなひよろひよろの酋長だ︶
︵ぜんたい笛といふものは
けれどもたしかにふいてゐる
それはわたくしにきこえない
どのこどもかが笛を吹いてゐる
︵コロナは七十七万五千⋮⋮︶
磁石のやうにもひとりの手に吸ひついた
けらを着た女の子がふたりくる
トツパースの雨の高みから
またあるきだす︵縮れてぎらぎらの雲︶
雲は白いし農夫はわたしをまつてゐる
すぱすぱ渉つて進軍もした︶
泥に一尺ぐらゐ踏みこんで
ネー将軍 麾 下の騎兵の馬が
どこかのがまの生えた沼地を
︵そのうすあかい毛もちゞれてゐるし
もうせんごけも生えてゐる
こゝはぐちやぐちやした青い湿地で
汽車の時間をたづねてみよう
︵まるで行きつかれたたび人だ︶
こんどはゆつくりあるきだす
つくづくとそらのくもを見あげ
き
はねあがつたりするがいい
シベリヤ風に赤いきれをかぶり
まつすぐにいそいでやつてくる
白い手甲さへはめてゐる もう二十米だから
笠をかしげて立つて待ち
八
七
パート五 パート六
しばらくあるきださないでくれ
︵ Miss Robin
︶働きにきてゐるのだ
農夫は富士見の飛脚のやうに
とびいろのはたけがゆるやかに傾斜して
じぶんだけせつかく待つてゐても
九
すきとほる雨のつぶに洗はれてゐる
パート七
そのふもとに白い笠の農夫が立ち
『春と修羅』
うしろのつめたく白い空では
どこかに鷹のきもちもある
博物館の能面にも出てゐるし
ずゐぶん悲しい顔のひとだ
︵三時だたべが︶
盛岡行ぎ汽車なん時だべす︶
︵ちよつとお 訊 ぎ申しあんす
このひとはもう五十ぐらゐだ
シヤツポをとれ︵黒い羅紗もぬれ︶
ここからはなしかけていゝ
さはやかだし顔も見えるから
あんなにぐらぐらゆれるのだ
︵青い草穂は去年のだ︶
あんなにぐらぐらゆれるのだ
用がなくてはこまるとおもつて
ぐらぐらの空のこつち側を
はたけのをはりの 天末線 それはふたつのくるまのよこ
なにか大へんはばかつてゐる
この人はわたくしとはなすのを
︵ふう︶
︵ずゐぶん気持のいゝ 処 だもな︶
︵あんさうす︶
堆肥 ど過
燐酸 どすか︶
︵こやし入れだのすか
やつぱりあの 蒼鉛 の労働なのか
こはがつてゐるのは
けはしく翔ける鼠いろの雲ばかり
そこには馬のつかない 廐肥車 と
そつちにあるとおもつてゐる
ひじやうに恐ろしくひどいことが
くわりんさん
スカイライン
どご
たちのことか
Miss Robin
それとも両方いつしよなのか
ねこぜ
こやしぐるま
ほんたうの鷹がぶうぶう風を截る
すこし 猫背 でせいの高い
き ら
さうえん
雨をおとすその 雲母摺 りの雲の下
くろい外套の男が
たいひ
はたけに置かれた二台のくるま
雨雲に銃を構へて立つてゐる
ぎ
このひとはもう行かうとする
あの男がどこか気がへんで
もご
ず
白い種子は燕
麦 なのだ
急に鉄砲をこつちへ向けるのか
オートま
オート
︵ 燕麦播 ぎすか︶
あるいは
ぢい
︵あんいま 向 でやつてら︶
この爺 さんはなにか向ふを畏れてゐる
『春と修羅』
灰いろの咽喉の粘膜に風をあて
大きく口をあいてビール瓶のやうに鳴り
遠くのそらではそのぼとしぎどもが
雨はふるしわたくしの黄いろな仕事着もぬれる
学校のは十五%だ
溶 十九と書いてある
水
過燐酸石灰のヅツク袋
︵五時だべが ゆぐ知らない︶
︵三時の次あ何時だべす︶
またもつたいらしく銃を構へる
かけて行く雲のこつちの 射手 は
から松の芽の緑
玉髄 ︵あん 曇るづどよぐ出はら︶
︵ぶどしぎて云ふのか︶
︵ぶどしぎ︶
︵あの鳥何て云ふす 此処らで︶
やつてるやつてるそらで鳥が
わたしはどつちもこはくない
どつちも心配しないでくれ
みんなはあかるい雨の中ですうすうねむる
ひとりのむすめがきれいにわらつて起きあがる
わたくしの童話をかざりたい
これらのからまつの小さな芽をあつめ
農夫も戻るしわたくしもついて行かう
赤い焔もちらちらみえる
火をたいてゐる
︵なあにすぐ霽れらんす︶
︵降つてげだごとなさ︶
二つはちやんと肩に着てゐる
燐酸のあき袋をあつめてくる
セシルローズ型の円い肩をかゞめ
かほが赤くて新鮮にふとり
わかい農夫がやつてくる
爺さんの行つた方から
いつたいなにを射たうといふのだ
ぼとしぎはぶうぶう鳴り
︵ぼとしぎのつめたい発動機は⋮⋮︶
射手は肩を怒らして銃を構へる
さんはもう向ふへ行き
爺 さつきの娘たちがねむつてゐる
ぢい
めざましく雨を飛んでゐる
︵うな いいをなごだもな︶
だ
クリソプレース
少しばかり青いつめくさの交つた
にはかにそんなに大声にどなり
ま
しやしゆ
かれくさと雨の雫との上に
すゐよう
薩樹 皮の厚いけらをかぶつて
菩
『春と修羅』
由射手 は銀のそら
自
火は雨でかへつて燃える
まだ一時にもならないも︶
︵三時四十分
︵汽車三時すか︶
︵いてす さあおあだりやんせ︶
︵おらも中 つでもいがべが︶
わたくしもすこしあたりたい
青い炭素のけむりも立つ
すきとほつて火が燃えてゐる
このひとは案外にわかいのだ
まつ赤になつて石臼のやうに笑ふのは
わたくしははつきり眼をあいてあるいてゐるのだ
もうにんげんの壊れるときだ
幻想が向ふから迫つてくるときは
あのから松の列のとこから横へ外れた
⋮⋮⋮⋮⋮はさつき横へ 外 れた
ペムペルがわたくしの右にゐる
ユリアがわたくしの左を行く
大きな紺いろの瞳をりんと張つて
ユリアがわたくしの左を行く
カシオペーアはめぐり行く︶
おゝユリア しづくはいとど降りまさり
うかべる石をわがふめば
︵天の微光にさだめなく
あだ
ぼとしぎどもは鳴らす鳴らす
ユリア ペムペル わたくしの遠いともだちよ
そ
すつかりぬれた 寒い がたがたする
わたくしはずゐぶんしばらくぶりで
フライシユツツ
白堊系の頁岩の古い海岸にもとめただらう
どんなにわたくしはきみたちの昔の足あとを
きみたちの巨きなまつ白なすあしを見た
すきとほつてゆれてゐるのは
あんまりひどい幻想だ
一〇
さつきの 剽悍 な四本のさくら
わたくしはなにをびくびくしてゐるのだ
パート九
わたくしはそれを知つてゐるけれども
どうしてもどうしてもさびしくてたまらないときは
へうかん
眼にははつきり見てゐない
ひとはみんなきつと斯ういふことになる
そと
きみたちとけふあふことができたので
たしかにわたくしの感官の 外 で
つめたい雨がそそいでゐる
『春と修羅』
雨のなかでひばりが鳴いてゐるのです
まるで銅版のやうなのに気がつかないか
それにだいいちさつきからの考へやうが
ちがつた空間にはいろいろちがつたものがゐる
そんなことでだまされてはいけない
どこの子どもらですかあの瓔珞をつけた子は
さつきもさうです
いつたり来たりしてゐました
凍えさうになりながらいつまでもいつまでも
なにとはなしに聖いこころもちがして
こゝいらの匂のいゝふぶきのなかで
この冬だつて耕耘部まで用事で来て
と
der heilige Punkt
呼びたいやうな気がします
どうしてかわたくしはここらを
まつたく不思議におもはれます
さうです 農場のこのへんは
雨はしきりに降つてゐる︶
腐植質から麦が生え
︵ひばりが居るやうな居ないやうな
血みどろになつて遁げなくてもいいのです
わたくしはこの巨きな旅のなかの一つづりから
この命題は可逆的にもまた正しく
さまざまな眼に見えまた見えない生物の種類がある
すべてこれら漸移のなかのさまざまな過程に従つて
この傾向を性慾といふ
むりにもごまかし求め得ようとする
決して求め得られないその恋愛の本質的な部分を
そしてどこまでもその方向では
この変態を恋愛といふ
完全そして永久にどこまでもいつしよに行かうとする
じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと
そのねがひから砕けまたは疲れ
それをある宗教情操とするならば
至上福祉にいたらうとする
じぶんとひとと万象といつしよに
この不可思議な大きな心象宙宇のなかで
ちひさな自分を劃ることのできない
発散して酸えたひかりの澱だ
いま疲れてかたちを更へたおまへの信仰から
これらはみんなただしくない
もう決定した そつちへ行くな
底の平らな巨きなすあしにふむのでせう
その貝殻のやうに白くひかり
もしも正しいねがひに燃えて
あなたがたは赤い瑪瑙の棘でいつぱいな野はらも
『春と修羅』
わたくしにはあんまり恐ろしいことだ
けれどもいくら恐ろしいといつても
それがほんたうならしかたない
さあはつきり眼をあいてたれにも見え
明確に物理学の法則にしたがふ
これら実在の現象のなかから
あたらしくまつすぐに起て
明るい雨がこんなにたのしくそそぐのに
馬車が行く 馬はぬれて黒い
ひとはくるまに立つて行く
もうけつしてさびしくはない
なんべんさびしくないと云つたとこで
またさびしくなるのはきまつてゐる
けれどもここはこれでいいのだ
すべてさびしさと悲傷とを焚いて
ひとは透明な軌道をすすむ
ラリツクス ラリツクス いよいよ青く
雲はますます縮れてひかり
わたくしはかつきりみちをまがる
︵一九二二、五、二一︶
『春と修羅』
グランド電柱
『春と修羅』
林と思想
そら ね ごらん
きのこ
むかふに霧にぬれてゐる
のかたちのちひさな林があるだらう
蕈 あすこのとこへ
わたしのかんがへが
ずゐぶんはやく流れて行つて
みんな
溶け込んでゐるのだよ
こゝいらはふきの花でいつぱいだ
︵一九二二、六、四︶
『春と修羅』
霧とマツチ
︵まちはづれのひのきと青いポプラ︶
霧のなかからにはかにあかく燃えたのは
しゆつと擦られたマツチだけれども
ずゐぶん拡大されてゐる
スヰヂツシ安全マツチだけれども
よほど酸素が多いのだ
︵明方の霧のなかの電燈は
まめいろで匂もいゝし
小学校長をたかぶつて散歩することは
まことにつつましく見える︶
︵一九二二、六、四︶
『春と修羅』
芝生
風とひのきのひるすぎに
小田中はのびあがり
あらんかぎり手をのばし
灰いろのゴムのまり 光の標本を
受けかねてぽろつとおとす
︵一九二二、六、七︶
『春と修羅』
雲がちぎれて日ざしが降れば
︵ゆれるゆれるやなぎはゆれる︶
くもにやなぎのくわくこどり
鳥はなく啼く青木のほずゑ
そらのエレキを寄せてくる
雲は来るくる南の地平
︵ゆれるゆれるやなぎはゆれる︶
︶
︵ mental sketch modified
青い槍の葉
︵ゆれるゆれるやなぎはゆれる︶
くもにしらしらそのやなぎ
風に霧ふくぶりきのやなぎ
そらは黄
水晶 ひでりあめ
雲がちぎれてまた夜があけて
︵ゆれるゆれるやなぎはゆれる︶
泥にならべるくさの列
ひかりの底でいちにち日がな
たれを刺さうの槍ぢやなし
りんと立て立て青い槍の葉
︵ゆれるゆれるやなぎはゆれる︶
泥のコロイドその底に
黒くをどりはひるまの 燈籠 とうろ
金 の幻
黄
燈 草 の青
りんと立て立て青い槍の葉
シトリン
気圏日本のひるまの底の
そらはエレキのしろい網
くさ
泥にならべるくさの列
かげとひかりの六月の底
げんとう
︵ゆれるゆれるやなぎはゆれる︶
気圏日本の青野原
キ ン
雲はくるくる日は銀の盤
︵ゆれるゆれるやなぎはゆれる︶
ざ
エレキづくりのかはやなぎ
風が通ればさえ 冴 え鳴らし
馬もはねれば黒びかり
︵ゆれるゆれるやなぎはゆれる︶
雲がきれたかまた日がそそぐ
土のスープと草の列
一九二二、六、一二
『春と修羅』
報告
さつき火事だとさわぎましたのは虹でございました
もう一時間もつづいてりんと張つて居ります
︵一九二二、六、一五︶
『春と修羅』
ろくしやう
風景観察官
あの林は
も
あんまり 緑青 を 盛 り過ぎたのだ
それでも自然ならしかたないが
たうわうせん
また多少プウルキインの現象にもよるやうだが
も少しそらから 橙黄線 を送つてもらふやうにしたら
どうだらう
ああ何といふいい精神だ
株式取引所や議事堂でばかり
シトリン
フロツクコートは着られるものでない
さを
むしろこんな黄
水晶 の夕方に
ぐん
まつ青 な稲の槍の間で
ホルスタインの 群 を指導するとき
よく適合し効果もある
やうかん
何といふいい精神だらう
たとへそれが羊
羹 いろでぼろぼろで
あるいはすこし暑くもあらうが
あんなまじめな直立や
風景のなかの敬虔な人間を
わたくしはいままで見たことがない
︵一九二二、六、二五︶
『春と修羅』
さんらんはんしや
岩手山
そらの 散乱反射 のなかに
みぢんけいれつ
古ぼけて黒くゑぐるもの
よど
ひかりの 微塵系列 の底に
きたなくしろく 澱 むもの
︵一九二二、六、二七︶
『春と修羅』
高原
海だべがど おら おもたれば
やつぱり光る山だたぢやい
かみけ
ホウ
しし
毛 風吹けば
髪
踊りだぢやい
鹿 ︵一九二二、六、二七︶
『春と修羅』
印象
ラリツクスの青いのは
木の新鮮と神経の性質と両方からくる
そのとき展望車の藍いろの紳士は
X型のかけがねのついた帯革をしめ
すきとほつてまつすぐにたち
病気のやうな顔をして
ひかりの山を見てゐたのだ
︵一九二二、六、二七︶
『春と修羅』
高級の霧
こいつはもう
ハイグレード
あんまり明るい 高級 の霧です
白樺も芽をふき
からすむぎも
農舎の屋根も
馬もなにもかも
光りすぎてまぶしくて
ひ
ざ
︵よくおわかりのことでせうが
ラリツクス
日射 しのなかの青と金
落葉松 は
たしかとどまつに似て居ります︶
まぶし過ぎて
空気さへすこし痛いくらゐです
︵一九二二、六、二七︶
『春と修羅』
電車
トンネルへはひるのでつけた電燈ぢやないのです
車掌がほんのおもしろまぎれにつけたのです
こんな豆ばたけの風のなかで
なあに 山火事でござんせう
なあに 山火事でござんせう
あんまり大きござんすから
はてな 向ふの光るあれは雲ですな
木きつてゐますな
いゝえ やつぱり山火事でござんせう
おい きさま
日本の萱の野原をゆくビクトルカランザの配下
ひえ
帽子が風にとられるぞ
こんどは青い稗 を行く貧弱カランザの末輩
きさまの馬はもう汗でぬれてゐる
︵一九二二、八、一七︶
『春と修羅』
ほくさい
天然誘接
北
斎 のはんのきの下で
てんねんよびつぎ
黄の風車まはるまはる
つき
いつぽんすぎは 天然誘接 ではありません
と杉とがいつしよに生えていつしよに育ち
槻 てんくわう
たうとう幹がくつついて
険しい 天光 に立つといふだけです
鳥も棲んではゐますけれど
︵一九二二、八、一七︶
『春と修羅』
刃 の太刀をひらめかす
片
の黒尾を頭
鶏 巾 にかざり
dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
いさう
こんや 異装 のげん月のした
︶
︵ mental sketch modified
原
体剣舞連 まつくらくらの二里の 洞 Ho!
Ho!
Ho!
たつた
あくろわう
むかし 達谷 の 悪路王 うす月の雲をどよませ
さらにも強く鼓を鳴らし
こんや銀河と森とのまつり
敬虔に年を 累 ねた師
父 たちよ
月 に日光と風とを焦慮し
月
筋骨はつめたい炭酸に 粗 び
膚 を腐植と土にけづらせ
肌
ふ
体 村の 原
舞手 たちよ
わたるは夢と 黒夜神 き
いろのはるの 鴾 樹液 を
首は刻まれ漬けられ
かたは
はらたい
とき
せい
をどりこ
しんさん
じゆん
てんまつせん
平原の 准 天末線 に
め ん
く も
あら
アルペン農の辛
酸 に投げ
はらたいけんばひれん
しののめの草いろの火を
生 アンドロメダもかゞりにゆすれ
とも
つきづき
高原の風とひかりにさゝげ
青い 仮面 このこけおどし
ま だ か は
きじん
よ
ふ
提樹皮 と縄とをまとふ
菩
太刀を浴びてはいつぷかぷ
へきれき
よる
し
気圏の戦士わが 朋 たちよ
夜風の底の 蜘蛛 をどり
かうき
かがり
かさ
青らみわたる顥
気 をふかみ
胃袋はいてぎつたぎた
ぶな
じやもんさんち
づきん
楢と椈 とのうれひをあつめ
とり
紋山地 に篝 蛇
をかかげ
dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
やいば
あ
さらにただしく 刃 を合 はせ
しはう
じゆえき
液 もふるふこの 樹
夜 さひとよ
ほら
ひのきの髪をうちゆすり
靂 の青火をくだし
霹
じゆえき
まるめろの匂のそらに
方 の 四
夜 の鬼
神 をまねき
dah-dah-sko-dah-dah
こくやじん
あたらしい星雲を燃せ
『春と修羅』
ひよううん
赤ひたたれを地にひるがへし
雲 と風とをまつれ
雹
dah-dah-dah-dahh
よかぜ
風 とどろきひのきはみだれ
夜
い
は
月は射 そそぐ銀の矢並
きし
打つも 果 てるも火花のいのち
太刀の 軋 りの消えぬひま
せいざ
dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
いなづまかやぼ
太刀は 稲妻萱穂 のさやぎ
あま
獅子の 星座 に散る火の雨の
消えてあとない 天 のがはら
dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
打つも果てるもひとつのいのち
一九二二、八、三一
『春と修羅』
グランド電柱
あめと雲とが地面に垂れ
すすきの赤い穂も洗はれ
はなまき
でんちゆう
野原はすがすがしくなつたので
がいし
巻 グランド電
花
柱 の
百の碍
子 にあつまる雀
掠奪のために田にはひり
うるうるうるうると飛び
はなまきだいさんさろ
雲と雨とのひかりのなかを
すばやく 花巻大三叉路 の
百の碍子にもどる雀
︵一九二二、九、七︶
『春と修羅』
山巡査
おお
ナ イ
ト
何といふ立派な楢だ
緑の勲
爵士 だ
ナ イ
ト
雨にぬれてまつすぐに立つ緑の 勲爵士 だ
栗の木ばやしの青いくらがりに
しぶきや雨にびしやびしや洗はれてゐる
その長いものは一体舟か
それともそりか
あんまりロシヤふうだよ
よし
沼に生えるものはやなぎやサラド
きれいな 蘆 のサラドだ
︵一九二二、九、七︶
『春と修羅』
電線工夫
でんしんばしらの気まぐれ碍子の修繕者
雲とあめとの下のあなたに忠告いたします
それではあんまりアラビアンナイト型です
からだをそんなに黒くかつきり鍵にまげ
外套の裾もぬれてあやしく垂れ
ひどく手先を動かすでもないその修繕は
あんまりアラビアンナイト型です
あいつは悪魔のためにあの上に
つけられたのだと云はれたとき
どうあなたは弁解をするつもりです
︵一九二二、九、七︶
『春と修羅』
たび人
うみばうずばやし
あめの稲田の中を行くもの
坊主林 のはうへ急ぐもの
海
雲と山との陰気のなかへ歩くもの
もつと合羽をしつかりしめろ
︵一九二二、九、七︶
『春と修羅』
竹と楢
はんもん
悶 ですか
煩
煩悶ならば
なら
雨の降るとき
竹と楢 との林の中がいいのです
︵おまへこそ髪を刈れ︶
竹と楢との青い林の中がいいのです
︵おまへこそ髪を刈れ
そんな髪をしてゐるから
そんなことも考へるのだ︶
︵一九二二、九、七︶
『春と修羅』
銅線
おい 銅線をつかつたな
とんぼのからだの銅線をつかひ出したな
くわうらんてん
はんのき はんのき
交錯光
乱転 気圏日本では
たうとう電線に銅をつかひ出した
︵光るものは碍子
過ぎて行くものは赤い萱の穂︶
︵一九二二、九、一七︶
『春と修羅』
滝沢野
くわうはそくてい
ご
さ
とちやう
波測定 の誤
光
差 から
からすうり
から松のしんは 徒長 し
柏の木の 烏瓜 ランタン
うつ
︵ひるの鳥は曠野に啼き
あざみは青い棘に 遷 る︶
太陽が梢に発射するとき
暗い林の入口にひとりたたずむものは
四角な若い樺の木で
といふ品種
Green Dwarf
日光のために燃え尽きさうになりながら
燃えきらず青くけむるその木
羽虫は一疋づつ光り
鞍掛や銀の錯乱
よだ
︵寛政十一年は百二十年前です︶
スカイライン
そらの魚の 涎 れはふりかかり
末線 の恐ろしさ
天
︵一九二二、九、一七︶
『春と修羅』
東岩手火山
『春と修羅』
東岩手火山
お日さまはあすこらへんで拝みます
見えるやうにさへなればいいんです
西岩手火山のはうの火口湖やなにか
あかるくなつて
もしゆ
黒い絶頂の右肩と
ご や
月は水銀 後
夜 の喪
主 そのときのまつ赤な太陽
ちんでん
火山 礫 は夜 の沈
澱 わたくしは見てゐる
よる
火口の 巨 きなゑぐりを見ては
あんまり真赤な幻想の太陽だ
れき
たれもみんな愕くはずだ
いまなん時です
おほ
︵風としづけさ︶
三時四十分?
いまはまだなんにも見えませんから
これから外輪山をめぐるのですけれども
向ふのは御室火口です
向ふの?
あすこのてつぺんが絶頂です
ここのつづきの外輪山です
それはここのつづきです
向ふの黒い山⋮⋮つて それですか
こんなことはじつにまれです
︵月光は水銀 月光は水銀︶
頂上の石標もある
駒ヶ岳にぶつつかつて
水蒸気を含んだ風が
雲が駒ヶ岳に被さつたのです
あれは雲です 柔らかさうですね
あれですか
うしろ?
線になつて浮きあがつてるのは北上山地です
向ふの黒いのはたしかに早池峰です
ああ 暗い雲の海だ
この岩のかげに居てください
寒いひとは提灯でも持つて
いや四十分ありますから
ちやうど一時間
へうちやく
もすこし明るくなつてからにしませう
ぐわいりんざん
いま 漂着 する薬師外
輪山 えゝ 太陽が出なくても
『春と修羅』
今夜のやうなしづかな晩は
却つて暖かなくらゐです
さつきの九合の小屋よりも
麓の谷の底よりも
そして暖かなことはなかつたのです
こんなにしづかで
わたくしはもう十何べんも来てゐますが
じつさいこんなことは稀なのです
蛋白石 glass-wool
あるいは水酸化礬土の沈澱︶
その質は
動揺を感じはしないだらう
月光会社の五千噸の汽船も
あんな大きなうねりなら
︵柔かな雲の波だ
夜が明けたら見えるかもしれませんよ
けれども
海山 は見えないやうです
鳥
あんなに雲になつたのです
上にあがり
あの房の下のあたりに
あれはオリオンです オライオンです
赤と青と大きな星がありませう
右と左とには
下には斜めに房が下つたやうになり
縦に三つならんだ星が見えませう
それから向ふに
あの七つの中なのです
それは小熊座といふ
北斗星はあれです
いま山の下の方に落ちてゐますが
さうさう 北はこつちです
寄り合つて待つておいでなさい
それではもう四十分ばかり
ひはいろで暗い
提灯だといふのは勿体ない
それともおれたちの提灯のあかりか
月のあかりに照らされてゐるのか
御室火口の 盛 りあがりは
これが気温の逆転です
上に浮んで来るのです
も
つめたい空気は下へ沈んで
星雲があるといふのです
てうかいさん
霜さへ降らせ
北斗七星は
暖い空気は
『春と修羅』
いま見えません
二十五日の月のあかりに照らされて
どつちにしてもそれは 善 いことだ
もうかまはない 歩いていゝ
さあでは私はひとり行かう
ああ頁が折れ込んだのだ
藤原が提灯を見せてゐる
事によると月光のいたづらだ
書いた分がたつた三枚になつてゐる
はてな わたくしの帳面の
私もスケツチをとります
まだ一時間もありますから
けれども行つてごらんなさい
雪ぢやありません
向ふの白いのですか
さあみなさん ご勝手におあるきなさい
夏の蝎とうら表です
困つたやうに返事してゐるのは
雪ですか 雪ぢやないでせう
白いとこまで降りてゐる
三つの提灯は夢の火口原の
ふるへて私にやつて来る
ほんたうに鋼青の壮麗が
さうだ オリオンの右肩から
わたくしの額の上にかがやき
瞬きさへもすくなく
澄み切り澄みわたつて
オリオン 金牛 もろもろの星座
蛋白石の雲は遥にたゝへ
わたくしは地球の華族である
薬師火口の外輪山をあるくとき
い
その下のは大犬のアルフア
外輪山の自然な美しい歩道の上を
雪でなく 仙人草のくさむらなのだ
め だ
冬の晩いちばん光つて目
立 つやつです
月の半分は赤
銅 地
球照 さうでなければ 高陵土 アースシヤイン
お月さまには黒い処もある
残りの一つの提灯は
しやくどう
後藤 又兵衛いつつも拝んだづなす
一升のところに停つてゐる
はるゑ
カオリンゲル
私のひとりごとの反響に
それはきつと河村慶助が
どう
山中鹿之助だらう
小田島 治衛 が云つてゐる
『春と修羅』
この石標は
しづかな月明を行くといふのは
薬師火口の外輪山の
ちぎれた繻子のマントを着て
大きな帽子をかぶり
けれどもこれはいつたいなんといふいゝことだ
すこしのかなしさ
そのでこぼこのまつ黒の線
提灯が三つ沈んでしまふ
えゝ おはひりなさい 大丈夫です
先生 中さ入 つてもいがべすか
しばらく躊躇してゐるやうだ
メガホーンもしかけてあるのだ
斯んなによく声がとゞくのは
硫黄のつぶは拾へないでせうが
噴火口へでも入つてごらんなさい
室 の方の火口へでもお入りなさい
御
外套の袖にぼんやり手を引つ込めてゐる
︵つかれてゐるな
これが気温の逆転だ
なまぬるい風だ
あすこからこつちへ出て来るのだ
とにかく夜があけてお鉢廻りのときは
熔岩か集塊岩 力強い肩だ
向ふの黒い巨きな壁は
また月光と火山塊のかげ
たしかに気圏オペラの役者です
唇を円くして立つてゐる私は
速かに指の黒い影はうごき
鉛筆のさやは光り
私は気圏オペラの役者です
わたくしを呼んでゐる呼んでゐるのか
一点しろく 光 るもの
いま火口原の中に
一つの夜の幻覚だ
みぎへすばやく擦過した
月のひかりのひだりから
雲平線をつくるのだといふのは
それは一つの 雲平線 をつくるのだ
うんぴやうせん
下向の道と書いてあるにさうゐない
わたしはやつぱり睡いのだ︶
おむろ
火口のなかから提灯が出て来た
火山弾には黒い影
ひか
宮沢の声もきこえる
はひ
雲の海のはてはだんだん平らになる
『春と修羅』
オリオンは幻
怪 かすかに光る火山塊の一つの面
やつぱり疲れからの乱視なのだ
月はいま二つに見える
私はゆつくりと踏み
鳥はいよいよしつかりとなき
月明をかける鳥の声
海抜六千八百尺の
鳥の声!
鳥の声!
幾条かの軌道のあと
その妙
好 の火口丘には
さう考へたのは間違ひらしい
ひとりの修羅に見える筈だ︶
︵その影は鉄いろの背景の
わたくしの影を見たのか提灯も戻る
わたくしも戻る
また口笛を吹いてゐる
灯 はもとの火口の上に立つ
提
東は淀み
また水を加へたやうなのだらう
濃い 蔗糖溶液 に
きつと屈折率も低く
ふつと 撚 になつて飛ばされて来る
あたたかい空気は
天の海とオーパルの雲
めうかう
月のまはりは熟した瑪瑙と葡萄
とにかくあくびと影ぼふし
どうてん
ちやうちん
しよたうようえき
より
あくびと月光の 動転 空のあの辺の星は微かな散点
うな
げんくわい
︵あんまりはねあるぐなぢやい
すなはち空の模様がちがつてゐる
ちぢ
汝 ひとりだらいがべあ
そして今度は月が 蹇 まる
わらしやど
うな
︵一九二二、九、一八︶
子
供等 も連れでて目にあへば
くわこうきう
汝 ひとりであすまないんだぢやい︶
口丘 の上には天の川の小さな爆発
火
みんなのデカンシヨの声も聞える
月のその銀の角のはじが
潰れてすこし円くなる
『春と修羅』
犬
︵犬、マサニエロ等︶
吠え出したのだ
おまけに下を向いてあるいてきたので
帽子があんまり大きくて
犬が吠えたときに云ひたい
誰かとならんであるきながら
ちやんと顔を見せてやれと
︵一九二二、九、二七︶
なぜ吠えるのだ 二疋とも
吠えてこつちへかけてくる
じやうたう
︵夜明けのひのきは心象のそら︶
頭を下げることは犬の常
套 だ
尾をふることはこはくない
それだのに
はくめい
なぜさう本気に吠えるのだ
その薄
明 の二疋の犬
一ぴきは灰色錫
一ぴきの尾は茶の草穂
うしろへまはつてうなつてゐる
わたくしの歩きかたは不正でない
それは犬の中の狼のキメラがこはいのと
もひとつはさしつかへないため
犬は薄明に溶解する
うなりの尖端にはエレキもある
いつもあるくのになぜ吠えるのだ
ちやんと顔を見せてやれ
『春と修羅』
赤い蓼 の花もうごく
︵お城の下の桐畑でも ゆれてゐるゆれてゐる 桐が︶
七つの銀のすすきの穂
ぐみの木かそんなにひかつてゆするもの
︵濠と橄
欖天鵞絨 杉︶
雲母 のくもの幾きれ
白
そこで烏の群が踊る
伊太利亜製の空間がある
城のすすきの波の上には
マサニエロ
お城の上のそらはこんどは支那のそら
稀硫酸の中の亜鉛屑は烏のむれ
烏がもいちど飛びあがる
︵ロシヤだよ ロシヤだよ︶
はこやなぎ しつかりゆれろゆれろ
︵ロシヤだよ チエホフだよ︶
蘆の穂は赤い赤い
もひとりこどもがゆつくり行く
金属製の桑のこつちを
こんどは茶いろの雀どもの抛物線
羽織をかざしてかける日本の子供ら
こどもがふたりかけて行く
屋根は矩形で傾斜白くひかり
またからすが横からはひる
たで
しろうんも
すゞめ すゞめ
烏三疋杉をすべり
かんらんびろうど
ゆつくり杉に飛んで稲にはひる
四疋になつて旋転する
︵一九二二、一〇、一〇︶
そこはどての陰で気流もないので
そんなにゆつくり飛べるのだ
︵なんだか風と悲しさのために胸がつまる︶
ひとの名前をなんべんも
風のなかで繰り返してさしつかへないか
︵もうみんな鍬や縄をもち
崖をおりてきていゝころだ︶
いまは鳥のないしづかなそらに
『春と修羅』
栗鼠と色鉛筆
よく熟してゐてうまいから
まああの山と上の雲との模様を見ろ
来月にしてもらひたいな
ステツドラアのならいいんだが
︵一九二二、一〇、一五︶
樺の向ふで日はけむる
つめたい露でレールはすべる
靴革の料理のためにレールはすべる
朝のレールを栗鼠は横切る
横切るとしてたちどまる
ピンク
尾は der Herbst
日はまつしろにけむりだし
アツプルグリン
栗鼠は走りだす
水そばの苹
果緑 と石
竹 たれか三角やまの草を刈つた
ずゐぶんうまくきれいに刈つた
緑いろのサラアブレツド
うんくわん
日は白金をくすぼらし
はやちね
一れつ黒い杉の槍
その早
池峰 と薬師岳との 雲環 は
古い壁画のきららから
再生してきて浮きだしたのだ
色鉛筆がほしいつて
ステツドラアのみじかいペンか
『春と修羅』
無声慟哭
『春と修羅』
みぞれはびちよびちよふつてくる
うすあかくいつそう 陰惨 な雲から
︵あめゆじゆとてちてけんじや︶*
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
けふのうちに
永訣の朝
わたくしはそのうへにあぶなくたち
みぞれはさびしくたまつてゐる
⋮⋮ふたきれのみかげせきざいに
そらからおちた雪のさいごのひとわんを⋮⋮
銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
おまへはわたくしにたのんだのだ
はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから
︵あめゆじゆとてちてけんじや︶
わたくしもまつすぐにすすんでいくから
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
おまへはわたくしにたのんだのだ
いんざん
︵あめゆじゆとてちてけんじや︶
すきとほるつめたい雫にみちた
雪と水とのまつしろな 二相系 をたもち
みぞれはびちよびちよ沈んでくる
鉛 いろの暗い雲から
蒼
︵あめゆじゆとてちてけんじや︶
このくらいみぞれのなかに飛びだした
わたくしはまがつたてつぱうだまのやうに
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
︵ Ora Orade Shitori egumo
︶*
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
もうけふおまへはわかれてしまふ
みなれたちやわんのこの藍のもやうにも
わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ
さいごのたべものをもらつていかう
わたくしのやさしいいもうとの
このつややかな松のえだから
たうわん
ああとし子
あああのとざされた病室の
にさうけい
青い蓴
菜 のもやうのついた
死ぬといふいまごろになつて
くらいびやうぶやかやのなかに
じゆんさい
これらふたつのかけた陶
椀 に
わたくしをいつしやうあかるくするために
さうえん
こんなさつぱりした雪のひとわんを
『春と修羅』
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまつしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
︵うまれでくるたて*
こんどはこたにわりやのごとばかりで
くるしまなあよにうまれてくる︶
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになつて
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ
一九二二、一一、二七
『春と修羅』
そんな植物性の青い針のなかに
そのみどりの葉にあつい頬をあてる
おお おまへはまるでとびつくやうに
あのきれいな松のえだだよ
さつきのみぞれをとつてきた
松の針
さはやかな
そら
いまに雫もおちるだらうし
この新鮮な松のえだをおかう
わたくしは緑のかやのうへにも
なんといふけふのうつくしさよ
おまへの頬の けれども
泣いてわたくしにさう言つてくれ
わたくしにいつしよに行けとたのんでくれ
ほんたうにおまへはひとりでいかうとするか
ターペンテイン
はげしく頬を刺させることは
の匂もするだらう
terpentine
す
一九二二、一一、二七
むさぼるやうにさへすることは
どんなにわたくしたちをおどろかすことか
そんなにまでもおまへは林へ行きたかつたのだ
おまへがあんなにねつに燃され
あせやいたみでもだえてゐるとき
わたくしは日のてるとこでたのしくはたらいたり
ほかのひとのことをかんがへながら森をあるいてゐた
ああいい さつぱりした*
り
まるで林のながさ来たよだ
鳥のやうに栗
鼠 のやうに
おまへは林をしたつてゐた
どんなにわたくしがうらやましかつたらう
ああけふのうちにとほくへさらうとするいもうとよ
『春と修羅』
あかるくつめたい 精進 のみちからかなしくつかれてゐて
信仰を一つにするたつたひとりのみちづれのわたくしが
ひとりさびしく往かうとするか
おまへはじぶんにさだめられたみちを
わたくしが青ぐらい修羅をあるいてゐるとき
また純粋やちひさな徳性のかずをうしなひ
ああ巨きな信のちからからことさらにはなれ
おまへはまだここでくるしまなければならないか
こんなにみんなにみまもられながら
無声慟哭
ああそんなに
わたくしのふたつのこころをみつめてゐるためだ
わたくしのかなしさうな眼をしてゐるのは
︵わたくしは修羅をあるいてゐるのだから︶
ただわたくしはそれをいま言へないのだ
ちひさな白い花の匂でいつぱいだから
かへつてここはなつののはらの
ほんたうにそんなことはない
うんにや いつかう
それでもからだくさえがべ?
あたらしく天にうまれてくれ
どうかきれいな頬をして
まるでこどもの苹果の頬だ
髪だつていつそうくろいし
けつして見遁さないやうにしながら
*あたしはあたしでひとりいきます
*あめゆきとつてきてください
註
一九二二、一一、二七
*
毒草や蛍光菌のくらい野原をただよふとき
かなしく眼をそらしてはいけない
しやうじん
おまへはひとりどこへ行かうとするのだ
︵おら おかないふうしてらべ︶*
何といふあきらめたやうな悲痛なわらひやうをしながら
おまへはけなげに母に訊 くのだ
*またひとにうまれてくるときは
︵うんにや ずゐぶん立派だぢやい
こんなにじぶんのことばかりで
またわたくしのどんなちひさな表情も
けふはほんとに立派だぢやい︶
き
ほんたうにさうだ
『春と修羅』
くるしまないやうにうまれてきま
す
*ああいい さつぱりした
まるではやしのなかにきたやうだ
*あたしこはいふうをしてるでせう
*それでもわるいにほひでせう
『春と修羅』
ああおらはあど死んでもい
騎兵聯隊の灯も澱んでゐる
ばうずの 沼森 のむかふには
沢 の杉はコロイドよりもなつかしく
柳
かしははせなかをくろくかがめる
月はいましだいに銀のアトムをうしなひ
わたくしはこの草にからだを投げる
それをうしろに
︵かげはよると亜鉛とから合成される︶
一列生徒らがやすんでゐる
そこに水いろによこたはり
おもひきり倒れるにてきしない
とほいそらから空気をすひ
ここは艸があんまり 粗 く
あんまりがさがさ鳴るためだ︶
︵かしはのなかには鳥の巣がない
風林
おまへはその巨きな木星のうへに居るのか
きつとおまへをおもひだす
また風の中に立てば
野原へ来れば
とし子とし子
︵言はないなら手帳へ書くのだ︶
さういふことはいへばいい
おしまひの声もさびしく反響してゐるし
言ひかけてなぜ堀田はやめるのか
ほお おら⋮⋮
よこに鉛の針になつてながれるものは月光のにぶ
降つてくるものはよるの微塵や風のかけら
きつと口をまげてわらつてゐる
しやつのぼたんをはめながら
月光の反照のにぶいたそがれのなかに
せいの高くひとのいい佐藤伝四郎は
伝さん しやつつ何枚 三枚着たの
わたくしはむしろかんがへないでいい︶
Egmont Overture
にちがひない
たれがそんなことを云つたかは
きらきらつといま顫へたのは
向ふの柏木立のうしろの闇が
あら
おらも死んでもい
鋼青壮麗のそらのむかふ
やなぎさは
︵それはしよんぼりたつてゐる宮沢か
ぬまもり
さうでなければ小田島国友
『春と修羅』
︵ああけれどもそのどこかも知れない空間で
こ ご
ひ
な
光の紐やオーケストラがほんたうにあるのか
いちにぢ
い
づ
⋮⋮⋮⋮此
処 あ日 あ永 あがくて
一
日 のうちの何
時 だがもわがらないで⋮⋮
ただひときれのおまへからの通信が
いつか汽車のなかでわたくしにとどいただけだ︶
かげ
とし子 わたくしは高く呼んでみようか
手凍 えだ
手凍えだ?
俊夫ゆぐ凍えるな
こなひだもボダンおれさ掛げらせだぢやい
俊夫といふのはどつちだらう 川村だらうか
あの青ざめた喜劇の天才﹁植物医師﹂の一役者
わたくしははね起きなければならない
おゝ 俊夫てどつちの俊夫
川村
やつぱりさうだ
月光は柏のむれをうきたたせ
かしははいちめんさらさらと鳴る
︵一九二三、六、三︶
『春と修羅』
それはわたくしのいもうとだ
しめつた朝の日光を飛んでゐる
鋭くかなしく啼きかはしながら
二疋の大きな白い鳥が
光の環 は風景の中にすくない︶
はめづらしくないが
天末の turquois
あんな大きな心相の
︵日本絵巻のそらの群青や
じつにすてきに光つてゐる
何匹かあつまる茶いろの馬
鮮かな青い樺の木のしたに
おきなぐさの冠毛がそよぎ
古風なくらかけやまのした
よつぽどなれたひとでないと
あゝいふ馬 誰行つても押へるにいがべが
みんなサラーブレツドだ
白い鳥
またほんたうにあの声もかなしいのだ
そのかなしみによるのだが
わたくしを嘲笑したことか︶
人のない野原のはてからこたへてきて
またたれともわからない声が
なんべんわたくしはその名を呼び
けさはすずらんの花のむらがりのなかで
︵ゆふべは柏ばやしの月あかりのなか
わたくしのいもうとをもうしなつた
それはじぶんにすくふちからをうしなつたとき
そんなにかなしくきこえるか
どうしてそれらの鳥は二羽
青い夢の北上山地からのぼつたのをわたくしは見た︶
な銀の錯覚なので
vague
キン
︵ちやんと今朝あのひしげて融けた 金 の液体が
けれどもそれも夜どほしあるいてきたための
熟してつかれたひるすぎらしい︶
︵あさの日光ではなくて
朝のひかりをとんでゐる
あんなにかなしく啼きながら
まつたくまちがひとは言はれない︶
そのかなしみによるのだが
バ ー グ
死んだわたくしのいもうとだ
いま鳥は二羽 かゞやいて白くひるがへり
タ コ イ ス
兄が来たのであんなにかなしく啼いてゐる
くわん
︵それは一応はまちがひだけれども
『春と修羅』
むかふの湿地 青い蘆のなかに降りる
降りようとしてまたのぼる
︵日本武尊の新らしい御陵の前に
おきさきたちがうちふして嘆き
そこからたまたま千鳥が飛べば
それを尊のみたまとおもひ
蘆に足をも傷つけながら
海べをしたつて行かれたのだ︶
清原がわらつて立つてゐる
かたち
︵日に灼けて光つてゐるほんたうの農村のこども
その菩薩ふうのあたまの 容 はガンダーラから来た︶
水が光る きれいな銀の水だ
さああすこに水があるよ
口をすゝいでさつぱりして往かう
こんなきれいな野はらだから
︵一九二三、六、四︶
『春と修羅』
オホーツク挽歌
『春と修羅』
きしやは銀河系の 玲瓏 レンズ
せはしく遷つてゐるらしい
︵乾いたでんしんばしらの列が
客車のまどはみんな水族館の窓になる
こんなやみよののはらのなかをゆくときは
青森挽歌
︵おそろしいあの水いろの空虚なのだ︶
水いろ川の水いろ駅
さびしい心意の明滅にまぎれ
あやしいよるの 陽炎と
それはビーアの 澱 をよどませ
はるかに黄いろの地平線
焼杭の柵はあちこち倒れ
ここではみなみへかけてゐる
わたくしの汽車は北へ走つてゐるはずなのに
かばんにもたれて睡つてゐる︶
ききう
おり
巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる︶
汽車の逆行は 希求 の同時な相反性
れいろう
りんごのなかをはしつてゐる
こんなさびしい幻想から
なつかしい陰影だけでできてゐる
支手のあるいちれつの柱は
︵考へださなければならないことを
いよいよつめたく液化され
車室の五つの電燈は
真鍮の睡さうな脂肪酸にみち
わたくしははやく浮びあがらなければならない
ば
けれどもここはいつたいどこの停車 場 だ
黄いろなラムプがふたつ 点 き
わたくしはいたみやつかれから
枕木を焼いてこさへた柵が立ち
せいたかくあをじろい駅長の
なるべくおもひださうとしない︶
そこらは青い孔雀のはねでいつぱい
真鍮棒もみえなければ
今日のひるすぎなら
アガアゼル
じつは駅長のかげもないのだ
けはしく光る雲のしたで
︵八月の よるのしじまの 寒天凝膠 ︶
︵その大学の昆虫学の助手は
まつたくおれたちはあの重い赤いポムプを
つ
こんな車室いつぱいの液体のなかで
け
油のない赤 髪 をもじやもじやして
『春と修羅』
ギルちやんまつさをになつてすわつてゐたよ
一本の木もです︶
︵草や沼やです
たつたひとりでさびしくあるいて行つたらうか
どの種類の世界へはひるともしれないそのみちを
どこへ行くともわからないその方向を
たつたひとりで通つていつたらうか
あいつはこんなさびしい停車場を
ドイツの尋常一年生だ︶
こんなにぱつちり眼をあくのは
夜中を過ぎたいまごろに
けれども尋常一年生だ
投げつけるのはいつたいたれだ
いきなりそんな悪い叫びを
尋常一年生 ドイツの尋常一年生
どうかここから急いで去 ら な い で く れ
︵おゝお
まへ せ
はしいみちづれよ だから睡いのはしかたない
おれはその黄いろな服を着た隊長だ
ばかのやうに引つぱつたりついたりした
さう甘えるやうに言つてから
耳ごうど鳴つてさつぱり聞けなぐなつたんちやい
たれだつてみんなぐるぐるする
感ぜられない方向を感じようとするときは
それはおれたちの空間の方向ではかられない
それからさきどこへ行つたかわからない
そのやりかたを通つて行き
とし子はみんなが死ぬとなづける
どうしてもかんがへださなければならない
かんがへださなければならないことは
忘れたらうかあんなにいつしよにあそんだのに
どうしてギルちやんぼくたちのことみなかつたらう
さつきおもだかのとこであんまりはしやいでたねえ
ぼくほんたうにつらかつた
ギルちやんちつともぼくたちのことみないんだもの
お日さまあんまり変に飴いろだつたわねえ
でもギルちやんだまつてゐたよ
ばあつと空を通つたの
鳥がね たくさんたねまきのときのやうに
ギルちやん青くてすきとほるやうだつたよ
し 環をお切り そら 手を出して
だんだん 環 をちひさくしたよ こんなに
わ
こおんなにして眼は大きくあいてたけど
たしかにあいつはじぶんのまはりの
アイレドツホ ニヒト フオン デヤ ステルレ
ア イリーガー ゲゼルレ
ぼくたちのことはまるでみえないやうだつたよ
オー ヅウ
ナーガラがね 眼をじつとこんなに赤くして
『春と修羅』
わたくしがそのありがたい証明の
ヘツケル博士!
けれどもたしかにうなづいた
あんな偶然な顔つきにみえた
ちひさいときよくおどけたときにしたやうな
白い尖つたあごや頬がゆすれて
あいつは二へんうなづくやうに息をした
ちからいつぱいちからいつぱい叫んだとき
万象同帰のそのいみじい生物の名を
そらや愛やりんごや風 すべての勢力のたのしい根源
遠いところから声をとつてきて
わたくしがその耳もとで
おれたちのせかいの幻聴をきいたらう
それはまだおれたちの世界の幻視をみ
それからあとであいつはなにを感じたらう
それはもうわたくしたちの空間を二度と見なかつた
なにかを索めるやうに空しくうごいてゐた
あのきれいな眼が
それからわたくしがはしつて行つたとき
にはかに呼吸がとまり脈がうたなくなり
なつかしいひとたちの声をきかなかつた
眼にははつきりみえてゐる
黄いろな花こ おらもとるべがな
ぼんやりとしてはひつてきた
おしげ子たちのあけがたのなかに
かん護とかなしみとにつかれて睡つてゐた
ほんたうにその夢の中のひとくさりは
どんなにねがふかわからない
明るいいゝ匂のするものだつたことを
つぎのせかいへつゞくため
そしてわたくしはそれらのしづかな夢幻が
ここでみるやうなゆめをみてゐたかもしれない
ねつやいたみをはなれたほのかなねむりのなかで
とし子はまだまだこの世かいのからだを感じ
わたくしたちが死んだといつて泣いたあと
胸がほとつてゐたくらゐだから
そしてあんなにつぎのあさまで
たしかにあのときはうなづいたのだ
そしてわたくしはほんたうに挑戦しよう︶
からだはけがれたねがひにみたし
あたまは具へなく陰湿の霧をかぶり
わたくしは夜どほし甲板に立ち
︵宗谷海峡を越える晩は
凍らすやうなあんな卑怯な叫び声は⋮⋮
仮睡硅酸 の雲のなかから
かすゐけいさん
任にあたつてもよろしうございます
『春と修羅』
あかつきの薔薇いろをそらにかんじ
それらひとのせかいのゆめはうすれ
どうしてわたくしはさうなのをさうと思はないのだらう
母が夏のかん病のよるにゆめみたとおなじだ
許されてゐる そして私のうけとつた通信は
なぜ通信が許されないのか
わたくしはどうしてもさう思はない
たよりなくさまよつて行つたらうか
無心のとりのうたをうたひながら
音をたてて飛んできたあたらしいともだちと
やがてはそこに小さなプロペラのやうに
かなしくうたつて飛んで行つたらうか
を風にききながら
I’estudiantina
水のながれる暗いはやしのなかを
いつぴきの鳥になつただらうか
そしてそのままさびしい林のなかの
ほかのひとのことのやうにつぶやいてゐたのだ
野はらをひとりあるきながら
落葉の風につみかさねられた
まだこの世かいのゆめのなかにゐて
たしかにとし子はあのあけがたは
意識ある蛋白質の砕けるときにあげる声
暗紅色の深くもわるいがらん洞と
それともおれたちの声を聴かないのち
それらのなかにしづかに立つたらうか
遠いほのかな記憶のなかの花のかをり
巨きなすあしの生物たち
移らずしかもしづかにゆききする
また瓔珞やあやしいうすものをつけ
紐になつてながれるそらの楽音
天の瑠璃の地面と知つてこゝろわななき
やがてはそれがおのづから研かれた
ただしくうつすことをあやしみ
さめざめとひかりゆすれる樹の列を
未知な全反射の方法と
あまりにもそのたひらかさとかがやきと
わたくしはその跡をさへたづねることができる
大循環の風よりもさはやかにのぼつて行つた
それがそのやうであることにおどろきながら
われらが上方とよぶその不可思議な方角へ
交錯するひかりの棒を過ぎり
はなやかな雲やつめたいにほひのあひだを
かがやいてほのかにわらひながら
そこに碧い寂かな湖水の面をのぞみ
あたらしくさはやかな感官をかんじ
うすもの
日光のなかのけむりのやうな 羅 をかんじ
『春と修羅』
あたらしくぎくつとしなければならないほどの
いまわたくしがそれを夢でないと考へて
けれどもとし子の死んだことならば
なにもかもみんないいかもしれない
そして波がきらきら光るなら
夜があけて海岸へかかるなら
みんなよるのためにできるのだ
わたくしのこんなさびしい考は
斯ういつてひとりなげくかもしれない⋮⋮
そしてほんたうにみてゐるのだ︶と
いつたいありうることだらうか
わたくしといふものがこんなものをみることが
いつたいほんたうのことだらうか
︵わたくしがいまごろこんなものを感ずることが
頬に手をあててゆめそのもののやうに立ち
立つてゐるともよろめいてゐるともわからず
あいつはその中にまつ青になつて立ち
これらをそこに見るならば
亜硫酸や 笑気 のにほひ
だまつてゐろ
おいおい あの顔いろは少し青かつたよ
巻積雲にはひるとき⋮⋮
大てい月がこんなやうな暁ちかく
青森だからといふのではなく
なめらかにつめたい窓硝子さへ越えてくる
いよいよあやしい苹果の匂を発散し
それはあやしい 蛍光板 になつて
月のあかりはしみわたり
積雲 のはらわたまで
巻
半月の噴いた瓦斯でいつぱいだ
おもては 軟玉 と銀のモナド
二度とこれをくり返してはいけない
倶舎がさつきのやうに云ふのだ
むかしからの多数の実験から
なんべんこれをかんがへたことか
どんな感官をかんじただらう
あらたにどんなからだを得
ほんたうにあいつはここの感官をうしなつたのち
いつでもまもつてばかりゐてはいけない
生物体の一つの自衛作用だけれども
せうき
あんまりひどいげんじつなのだ
おれのいもうとの死顔が
なんぎよく
感ずることのあまり新鮮にすぎるとき
まつ青だらうが黒からうが
けんせきうん
それをがいねん化することは
けいくわうばん
きちがひにならないための
『春と修羅』
あいつはどこへ堕ちようと
きさまにどう斯う云はれるか
さういのりはしなかつたとおもひます
あいつだけがいいとこに行けばいいと
わたくしはただの一どたりと
︵一九二三、八、一︶
もう無上道に属してゐる
力にみちてそこを進むものは
どの空間にでも勇んでとびこんで行くのだ
ぢきもう東の鋼もひかる
ほんたうにけふの⋮⋮きのふのひるまなら
おれたちはあの重い赤いポムプを⋮⋮
もひとつきかせてあげよう
ね じつさいね
あのときの眼は白かつたよ
すぐ瞑りかねてゐたよ
まだいつてゐるのか
もうぢきよるはあけるのに
すべてあるがごとくにあり
かゞやくごとくにかがやくもの
おまへの武器やあらゆるものは
おまへにくらくおそろしく
まことはたのしくあかるいのだ
みんなむかしからのきやうだいなのだから
けつしてひとりをいのつてはいけない
ああ わたくしはけつしてさうしませんでした
あいつがなくなつてからあとのよるひる
『春と修羅』
オホーツク挽歌
ああこれらのするどい花のにほひは
まつ赤な朝のはまなすの花です
おほきなはまばらの花だ
朝顔よりはむしろ 牡丹 のやうにみえる
たしか樺太の白い雲もうつつてゐる︶
浜のいちばん賑やかなとこはどこですかときいた時
わたくしがさつきあのがらんとした町かどで
またこの男のひとのよさは
年老つた白い重挽馬は首を垂れ
いまさつきの曠原風の荷馬車がくる
モーニンググローリのそのグローリ
しづくのなかに朝顔が咲いてゐる
あるいはみじかい変種だらう
かはるがはる風に押されてゐる︶
︵それは青いいろのピアノの鍵で
かはるがはるかぜにふかれてゐる
チモシイの穂がこんなにみじかくなつて
萱草の青い花軸が半分砂に埋もれ
貝殻のいぢらしくも白いかけら
またほのぼのと吹きとばされ
小さな蚊が三疋さまよひ
波の来たあとの白い細い線に
こんなに淡いひとつづり
広い荷馬車のわだちは
もちろん馬だけ行つたのではない
ぬれて寂まつた褐砂の上についてゐる
馬のひづめの痕が二つづつ
たのしく激しいめまぐるしさ
それにあんまり雲がひかるので
軟玉の花瓶や青い簾
またちひさな黄金の槍の穂
ピオネア
海面は朝の炭酸のためにすつかり銹びた
もうどうしても 妖精のしわざだ
そつちだらう 向ふには行つたことがないからと
波はよせるし砂を巻くし
アズライト
さう云つたことでもよくわかる
ろくしやう
青 のとこもあれば 緑
藍銅鉱 のとこもある
無数の藍いろの蝶をもたらし
いまわたくしを親切なよこ目でみて
るりえき
むかふの波のちゞれたあたりはずゐぶんひどい 瑠璃液 だ
︵その小さなレンズには
『春と修羅』
日射しや幾重の暗いそらからは
眩ゆい緑金にさへなつてゐるのだ
つかれのためにすつかり青ざめて
それにだいいちいまわたくしの心象は
雲のひかりから恢復しなければならないから
しめつたにほひのいい風や
いまこれらの濤のおとや
透明なわたくしのエネルギーを
サガレンの朝の妖精にやつた
不思議な 釣鐘草 とのなかで
おほきな赤いはまばらの花と
まつ青なこけももの上等の 敷物 と
なぜならさつきあの熟した黒い実のついた
わたくしはしばらくねむらうとおもふ
ひときれの貝殻を口に含み
波できれいにみがかれた
白い片岩類の小砂利に倒れ
巨きな横の台木のくぼみ
砂に刻まれたその船底の痕と
ここから今朝舟が滑つて行つたのだ
鳥は雲のこつちを上下する
︵十一時十五分 その蒼じろく光る 盤面 ︶
潮水はさびしく濁つてゐる
その巻くために砂が湧き
波はなんべんも巻いてゐる
ごちやごちや漂ひ置かれたその向ふで
とゞ松やえぞ松の荒さんだ幹や枝が
なにをしてゐるのかわからない
とし子はあの青いところのはてにゐて
ひとり歩いたり疲れて睡つたりしてゐるとき
わたくしが樺太のひとのない海岸を
どちらもとし子のもつてゐた特性だ
それらの二つの青いいろは
強くもわたくしの胸は刺されてゐる
一きれのぞく天の青
雲の累帯構造のつぎ目から
カーペツト
あやしい鑵鼓の蕩音さへする
それはひとつの曲つた十字架だ
ブリーベル
幾本かの小さな木片で
ダイアル
と書きそれを LOVE
となほし
HELL
ひとつの十字架をたてることは
ろくしやう
わびしい草穂やひかりのもや
青 は水平線までうららかに延び
緑
『春と修羅』
わたくしがまだとし子のことを考へてゐると
海がこんなに青いのに
いまはもうどんどん流れてゐる
この十字架の刻みのなかをながれ
やうやく乾いたばかりのこまかな砂が
白いそのふちばかり出てゐる︶
︵貝がひときれ砂にうづもれ
わたくしはつめたくわらつた
とし子がそれをならべたとき
よくたれでもがやる技術なので
砂の鏡のうへを
浪がたひらにひくときは
︵ナモサダルマプフンダリカサスートラ︶
よちよちとはせて遁げ
海の巻いてくるときは
五匹のちひさないそしぎが
︵ナモサダルマプフンダリカサスートラ︶
黒緑とどまつの列
爽やかな 苹果青 の草地と
いちめんのやなぎらんの花だ
その背のなだらかな丘陵の鴾いろは
りんごせい
なぜおまへはそんなにひとりばかりの妹を
よちよちとはせてでる
︵一九二三、八、四︶
悼んでゐるかと遠いひとびとの表情が言ひ
またわたくしのなかでいふ
︵ Casual observer ! Superficial traveler︶!
空があんまり光ればかへつてがらんと暗くみえ
いまするどい羽をした三羽の鳥が飛んでくる
あんなにかなしく啼きだした
なにかしらせをもつてきたのか
わたくしの片つ方のあたまは痛く
遠くなつた栄浜の屋根はひらめき
鳥はただ一羽硝子笛を吹いて
玉髄の雲に漂つていく
町やはとばのきららかさ
『春と修羅』
それはツンドラを截り
青びかり野はらをよぎる細流
の雲の白髪の崇高さ
Van’t Hoff
セントベチユラアルバ
崖にならぶものは 聖 白 樺
︵ナモサダルマプフンダリカサスートラ︶
すなほなコロボツクルのです
月光いろのかんざしは
おお満艦飾のこのえぞにふの花
きつとポラリスやなぎですよ
やなぎが青くしげつてふるへてゐます
そつと見てごらんなさい
ごく敬虔に置かれてゐる︶
線路のよこの赤砂利に
︵灼かれた馴鹿の黒い頭骨は
鈴谷山脈は光霧か雲かわからない
松脂岩薄片のけむりがただよひ
やなぎらんやあかつめくさの群落
樺太鉄道
サガレンの八月のすきとほつた空気を
たしかに日はいま羊毛の雲にはひらうとして
︵ナモサダルマプフンダリカサスートラ︶
まばゆい 白金環 ができるのだ
かくされた後には威神力により
日さへまもなくかくされる
︵雲はさつきからゆつくり流れてゐる︶
草地に投げられたスペクトル
プリズムになつて日光を反射し
列車の窓の稜のひととこが
山脈の縮れた白い雲の上にかかり
太陽もすこし青ざめて
にせものの大乗居士どもをみんな灼け
みんな大乗風の考をもつてゐる︶
焼けた野原から生えたので
︵こゝいらの樺の木は
やなぎらんの光の点綴
黒い木柵も設けられて
︵樺の微動のうつくしさ︶
ごく精巧ないちいちの葉脈
その緑金の草の葉に
夕陽にすかし出されると
はくきんくわん
かくされる前には感応により
︵光るのは電しんばしらの碍子︶
『春と修羅』
またフレツプスのやうに甘くはつかうさせるのだ
やうやく葡萄の 果汁 のやうに
またえぞにふと 桃花心木 の柵
めぐるものは神経質の 色丹松 いちめんいちめん海蒼のチモシイ
マスト
そのためにえぞにふの花が一そう明るく見え
こんなに青い白樺の間に
マホガニー
これはおれのうちだぞと
チ
松毛虫に食はれて枯れたその大きな山に
鉋をかけた立派なうちをたてたので
ラ ー
桃いろな日光もそそぎ
すべて天上技師
その顔の赤い愉快な百姓が
氏の
Nature
ごく斬新な設計だ
井上と少しびつこに大きく壁に書いたのだ
ひだ
︵一九二三、八、四︶
山の襞 のひとつのかげは
緑青のゴーシユ四辺形
瓏
のなかに
トランスリユーセント
そのいみじい 玲
からすが飛ぶと見えるのは
一本のごくせいの高いとどまつの
風に削り残された黒い梢だ
一一
︵ナモサダルマプフンダリカサスートラ︶
結晶片岩山地では
燃えあがる雲の銅粉
︵向ふが燃えればもえるほど
キヤノピー
ここらの樺ややなぎは暗くなる︶
こんなすてきな瑪瑙の天
蓋 その下ではぼろぼろの火雲が燃えて
一きれはもう錬金の過程を了へ
いまにも結婚しさうにみえる
︵濁つてしづまる天の青らむ一かけら︶
『春と修羅』
ほんたうにそれらの焼けたとゞまつが
わたくしはこんなにたのしくすわつてゐる
鈴谷平野の荒さんだ山際の焼け跡に
こんなうるんで秋の雲のとぶ日
わたしのすあしを刺すのです
また茨や灌木にひつかかれた
ぼくのまはりをとびめぐり
だから新らしい蜂がまた一疋飛んできて
うれひや悲しみに対立するものではない
荘厳ミサや雲
環 とおなじやうに
それはたのしくゆれてゐるといつたところで
チモシイの穂が青くたのしくゆれてゐる
さびしい未知へとんでいつた︶
ちやんと抛物線の図式にしたがひ
︵私のとこへあらはれたその蜂は
蒼い眼をしたすがるです
琥珀細工の春の器械
蜂が一ぴき飛んで行く
鈴谷平原
すきとほつた大きなせきばらひがする
好摩の冬の青ぞらから落ちてきたやうな
うしろの遠い山の下からは
みんなのがやがやしたはなし声にきこえ
︵こんどは風が
いぶかしさうにこつちをみる
蛇ではなくて一ぴきの栗鼠
流れるものは二条の茶
だから風の音が汽車のやうだ
わたくしは宗谷海峡をわたる
こんやはもう標本をいつぱいもつて
たしかさはしぎの発動機だ︶
︵さはしぎも啼いてゐる
遠くから近くからけむつてゐる
光ともやの紫いろの花をつけ
いちめんのやなぎらんの群落が
いつぱいに生えてゐるのです︶
あをいまつ青いとどまつが
クリスマスツリーに使ひたいやうな
︵うしろの方はまつ青ですよ
三稜玻璃にもまれ
青ぞらにわづかの新葉をつけ
また夢よりもたかくのびた白樺が
うんくわん
まつすぐに天に立つて加奈太式に風にゆれ
『春と修羅』
これはサガレンの古くからの誰かだ︶
︵一九二三、八、七︶
『春と修羅』
思ひ余つたやうにとし子が言つた
七月末のそのころに
どこかの生意気なアラビヤ酋長が言ふ
銅 の半月刀を腰にさげて
赤
みんなかはるがはる林へ行かう
ことしは勤めにそとへ出てゐないひとは
車室の軋りは二疋の 栗鼠 いまかんがへてゐるのか︶
︵かんがへてゐたのか
鳥が棲み空気の水のやうな林のことを考へてゐた
︵あの七月の高い熱⋮⋮︶
烈しい薔薇いろの火に燃されながら
とし子は大きく眼をあいて
︵車室は軋みわたくしはつかれて睡つてゐる︶
どこから来てこんなに照らすのか
いゑんどうの澱粉や緑金が
稚 噴火湾︵ノクターン︶
室蘭通ひの汽船には
噴火湾のこの黎明の水明り
︵車室の軋りは天の楽音︶
天井のあかしのあたりを這つてゐる
一ぴきのちひさなちひさな白い蛾が
車室の軋りもいつかかすれ
崖の木や草も明らかに見え
もう明けがたに遠くない
︵二等室のガラスは霜のもやう︶
栗鼠お魚たべあんすのすか
があやしくいままたはじまり出す
Funeral march
︵車室の軋りはかなしみの二疋の栗鼠︶
フアゴツトの声が前方にし
青い林をかんがへてゐる
透明薔薇の身熱から
とし子はやさしく眼をみひらいて
一千九百二十三年の
大きなくるみの木のしただ︶
︵栗鼠の軋りは水車の夜明け
そんなにさはやかな林を恋ひ
鳥のやうに栗鼠のやうに
あの林の中でだらほんとに死んでもいいはんて
しやくどう
わか
おらあど死んでもいゝはんて
二つの赤い灯がともり
す
あの林の中さ行ぐだい
り
うごいで熱は高ぐなつても
『春と修羅』
東の天末は濁つた孔雀石の縞
黒く立つものは樺の木と楊の木
駒ヶ岳駒ヶ岳
暗い金属の雲をかぶつて立つてゐる
そのまつくらな雲のなかに
とし子がかくされてゐるかもしれない
ああ何べん理智が教へても
私のさびしさはなほらない
わたくしの感じないちがつた空間に
いままでここにあつた現象がうつる
それはあんまりさびしいことだ
︵そのさびしいものを死といふのだ︶
たとへそのちがつたきらびやかな空間で
とし子がしづかにわらはうと
わたくしのかなしみにいぢけた感情は
どうしてもどこかにかくされたとし子をおもふ
︵一九二三、八、一一︶
『春と修羅』
風景とオルゴール
『春と修羅』
不貪慾戒
油紙を着てぬれた馬に乗り
くわんじやうせうはく
つめたい風景のなか 暗い森のかげや
ゆるやかな環
状削剥 の丘 赤い萱の穂のあひだを
かうもりがさ
ゆつくりあるくといふこともいゝし
すなさ
黒い多面角の洋
傘 をひろげ
砂 糖を買ひに町へ出ることも
砂
ごく新鮮な企画である
︵ちらけろちらけろ 四十雀︶
粗剛なオリザサチバといふ植物の人工群落が
タアナアさへもほしがりさうな
じうんそんじや
しじふから
上等のさらどの色になつてゐることは
ふとんよくかい
雲尊者 にしたがへば
慈
貪慾戒 のすがたです
不
︵ちらけろちらけろ 四十雀 そのときの高等遊民は
いましつかりした執政官だ︶
ことことと寂しさを噴く暗い山に
防火線のひらめく灰いろなども
慈雲尊者にしたがへば
不貪慾戒のすがたです
︵一九二三、八、二八︶
『春と修羅』
銀の水車でもまはしていい
アマルガムにさへならなかつたら
精製された水銀の川です
陶庵だか東庵だかの蒔絵の
ゆふべ一晩の雨でできた
つめたくぬるぬるした蓴 菜とから組成され
朧ろな秋の水ゾルと
沼はきれいに鉋をかけられ
おれの崇敬は照り返され
天の海と窓の日おほひ
おれの崇敬は照り返され
北ぞらのちぢれ羊から
すすきはきらつと光つて過ぎる
またなかぞらには氷片の雲がうかび
黒緑赤
楊 のモザイツク
雲は羊毛とちぢれ
雲とはんのき
つぎからつぎと冷たいあやしい幻想を抱きながら
わたくしはたつたひとり
鳥もわたらない 清澄 な空間を
これら葬送行進曲の層雲の底
こころも遠くならんでゐる
またそのなかにはかがやきまばゆい積雲の一列が
幻惑の天がのぞき
あやしい光の微塵にみちた
わづかにその山稜と雲との間には
豆畑だつてほんたうにかなしいのに
山も大へん尖つて青くくらくなり
こんなにそらがくもつて来て
手宮文字です 手宮文字です
おまへに男らしい償ひを強ひるかわからない︶
やがてどんな重荷になつて
おまへが刻んだその線は
︵ひのきのひらめく六月に
貨物車輪の裏の秋の明るさ
感官のさびしい盈虚のなかで
カフカズ風に帽子を折つてかぶるもの
無細工の銀の水車でもまはすがいい
は ん
無細工な銀の水車でもまはしていい
一梃のかなづちを持つて
じゆん
︵赤紙をはられた火薬車だ
せいとう
あたまの奥ではもうまつ白に爆発してゐる︶
『春と修羅』
南の方へ石灰岩のいい層を
さがしに行かなければなりません
︵一九二三、八、三一︶
『春と修羅』
がさがさした稲もやさしい 油緑 に熟し
宗教風の恋
おれたちのやうな初心のものに
そこはちやうど両方の空間が二重になつてゐるとこで
もうそんな宗教風の恋をしてはいけない
さあなみだをふいてきちんとたて
みかねてわたしはいつてゐるのだ
あんまりおまへがひどからうとおもふので
ゆりよく
西ならあんな暗い立派な霧でいつぱい
居られる場処では決してない
︵一九二三、九、一六︶
草穂はいちめん風で波立つてゐるのに
可哀さうなおまへの弱いあたまは
くらくらするまで青く乱れ
いまに太田武か誰かのやうに
眼のふちもぐちやぐちやになつてしまふ
ほんたうにそんな偏つて尖つた心の動きかたのくせ
なぜこんなにすきとほつてきれいな気層のなかから
燃えて暗いなやましいものをつかまへるか
信仰でしか得られないものを
なぜ人間の中でしつかり捕へようとするか
風はどうどう空で鳴つてるし
東京の避難者たちは半分脳膜炎になつて
いまでもまいにち遁げて来るのに
どうしておまへはそんな医される筈のないかなしみを
わざとあかるいそらからとるか
いまはもうさうしてゐるときでない
けれども悪いとかいゝとか云ふのではない
『春と修羅』
もちろん農夫はからだ半分ぐらゐ
ひとりの農夫が乗つてゐる
一疋の馬がゆつくりやつてくる
曜 ひのきやサイプレスの中を
黒
雲がどんどんかけてゐる
つめたくされた銀製の薄
明穹 を
爽かなくだもののにほひに充ち
風景とオルゴール
わたくしはこんな 過透明 な景色のなかに
水はおとなしい膠朧体だし
なんといふこのなつかしさの湧きあがり
橋のらんかんには雨粒がまだいつぱいついてゐる
磨銀彩 に尖つて光る六日の月
紫
璃末 の雲の稜に磨かれて
玻
ほんたうに鋭い秋の粉や
ああ お月さまが出てゐます
黒白鳥のむな毛の塊が奔り
薄明穹の爽かな銀と苹果とを
下では水がごうごう流れて行き
風景が深く透明にされたかわからない
電線も二本にせものの 虚無 のなかから光つてゐるし
きよむ
だちやそこらの銀のアトムに溶け
木 松倉山や 五間森 荒つぽい石
英安山岩 の岩頸から
こ
はくめいきゆう
またじぶんでも溶けてもいいとおもひながら
放たれた剽悍な刺客に
しまぎんさい
はりまつ
あたまの大きな曖昧な馬といつしよにゆつくりくる
暗殺されてもいいのです
こくえう
首を垂れておとなしくがさがさした南部馬
︵たしかにわたくしがその木をきつたのだから︶
くわとうめい
黒く巨きな松倉山のこつちに
︵杉のいただきは黒くそらの椀を刺し︶
ト
一点のダアリア複合体
風が口笛をはんぶんちぎつて持つてくれば
イ
その電燈の企
画 なら
︵気の毒な二重感覚の機関︶
デ サ
じつに九月の宝石である
わたくしは古い印度の青草をみる
ごけんもり
その電燈の献策者に
崖にぶつつかるそのへんの水は
プラン
わたくしは青い 蕃茄 を贈る
葱のやうに横に 外 れてゐる
トマト
どんなにこれらのぬれたみちや
そ
クレオソートを塗つたばかりのらんかんや
『春と修羅』
そんなに風はうまく吹き
半月の表面はきれいに吹きはらはれた
だからわたくしの洋傘は
しばらくぱたぱた言つてから
ぬれた橋板に倒れたのだ
松倉山松倉山尖つてまつ暗な悪魔蒼鉛の空に立ち
電燈はよほど熟してゐる
カルパ
風がもうこれつきり吹けば
まさしく吹いて来る 劫 のはじめの風
キヤルセドニ
ひときれそらにうかぶ暁のモテイーフ
電線と恐ろしい 玉髄 の雲のきれ
そこから見当のつかない大きな青い星がうかぶ
︵何べんの恋の償ひだ︶
そんな恐ろしいがまいろの雲と
わたくしの上着はひるがへり
︵オルゴールをかけろかけろ︶
月はいきなり二つになり
盲ひた黒い暈をつくつて光面を過ぎる雲の一群
︵しづまれしづまれ五間森
木をきられてもしづまるのだ︶
︵一九二三、九、一六︶
『春と修羅』
︵それはつめたい虹をあげ︶
星雲のやうにうごかない天盤附属の氷片の雲
きららかにきらびやかにみだれて飛ぶ断雲と
︵風と 嘆息 との 中 にあらゆる世界の 因子 がある︶
そのまん中の厚いところは黒いのです
月の尖端をかすめて過ぎれば
意識のやうに移つて行くちぎれた蛋白彩の雲
五日の月はさらに小さく副生し
すきとほつて巨大な過去になる
すべてこんなに錯綜した雲やそらの景観が
研ぎ澄まされた天河石天盤の半月
︵虚空は古めかしい 月汞 にみち︶
逞しくも起伏する 暗黒山稜 や
クレオソートを塗つたばかりの電柱や
風が偏倚して過ぎたあとでは
風の偏倚
用意された一万の硅化流紋凝灰岩の弾塊があり
おゝ私のうしろの松倉山には
極めて堅実にすすんで行く
いま雲は一せいに散兵をしき
ペガススのあたりに立つてゐた
杉の列には山烏がいつぱいに 潜 み
あやしく天を覆ひだす
苹果の未熟なハロウとが
そらそら B氏のやつたあの虹の交錯や顫ひと
︵杉の列はみんな黒真珠の保護色︶
そのために却つて一きれの雲がとかされて
白いあやしい気体が噴かれ
月の彎曲の内側から
微塵からなにからすつかりとつてしまつたのだ
ひるまのはげしくすさまじい雨が
どんどん雲は月のおもてを研いで飛んでゆく
︵山もはやしもけふはひじやうに峻儼だ︶
月は水銀を塗られたでこぼこの噴火口からできてゐる
じつに空は底のしれない洗ひがけの虚空で
風や酸素に溶かされてしまつた︶
いまはその小さな硫黄の粒も
なか
げつこう
あんこくさんりよう
いま硅酸の雲の大部が行き過ぎようとするために
川尻断層のときから息を殺してしまつてゐて
ひそ
みちはなんべんもくらくなり
私が腕時計を光らし過ぎれば落ちてくる
いんし
︵月あかりがこんなにみちにふると
たんそく
まへにはよく硫黄のにほひがのぼつたのだが
『春と修羅』
空気の透明度は水よりも強く
松倉山から生えた木は
敬虔に天に祈つてゐる
辛うじて赤いすすきの穂がゆらぎ
︵どうしてどうして松倉山の木は
ひどくひどく風にあらびてゐるのだ
あのごとごといふのがみんなそれだ︶
呼吸のやうに月光はまた明るくなり
雲の遷色とダムを超える水の音
わたしの帽子の静寂と風の塊
いまくらくなり電車の単線ばかりまつすぐにのび
レールとみちの粘土の可塑性
月はこの変厄のあひだ不思議な黄いろになつてゐる
︵一九二三、九、一六︶
『春と修羅』
もし車の外に立つたらはねとばされる
山を下る電車の奔り
風は吹く吹く 松は一本立ち
たくましくも赤い頬
また農婦のよろこびの
オリオンの幻怪と青い電燈
︵ 昴 がそらでさう云つてゐる︶
二つの星が逆さまにかかる
沈んだ月夜の楊の木の梢に
昴
あたまのいいものはあたまが弱い
からだの丈夫なひとはごろつとやられる
金をもつてゐるひとは金があてにならない
投げだされて死ぬことはあり得過ぎる
わたくしが壁といつしよにここらあたりで
どうしてもこの貨物車の壁はあぶない
︵豆ばたけのその 喪神 のあざやかさ︶
一心に走つてゐるのだ
もう蝎かドラゴかもわからず
軌道から青い火花をあげ
見たまへこの電車だつて
東京はいま生きるか死ぬかの堺なのだ
市民諸君よなんてふざけたものの云ひやうをするな
おおきやうだい これはおまへの感情だな
すばる
山へ行つて木をきつたものは
あてにするものはみんなあてにならない
さうしん
どうしても帰るときは肩身がせまい
たゞもろもろの徳ばかりこの巨きな旅の資糧で
スガタ
︵ああもろもろの徳は 善逝 から来て
スガタ
そしてそれらもろもろの徳性は
スガタ
そしてスガタにいたるのです︶
逝 から来て善
善
逝 に至る
︵一九二三、九、一六︶
腕を組み暗い貨物電車の壁による少年よ
この籠で今朝鶏を持つて行つたのに
それが売れてこんどは持つて戻らないのか
そのまつ青な夜のそば畑のうつくしさ
電燈に照らされたそばの畑を見たことがありますか
市民諸君よ
『春と修羅』
ぬれた赤い崖や何かといつしよに
汽車の進行ははやくなり
沃度の匂で荒れて大へんかなしいとき
野原がうめばちさうや山羊の乳や
松と雑
木 を刈 りおとし
早くも七つ森第一 梯形 の
白い雲からおりて来て
あやしいそらのバリカンは
︵三
角山 はひかりにかすれ︶
の穂の 萱 満潮 そらは霜の織物をつくり
日本の九月の気圏です
きれいにそらに溶けてゆく
明るい雨の中のみたされない唇が
青い抱擁衝動や
第四梯形
ななめに琥珀の 陽 も射して
ハツクニーのやうに刈られてしまひ
早くも第六梯形の暗いリパライトは
しきりに馬を急がせるうちに
落葉松のせはしい足なみを
大きな帽子を風にうねらせ
夜風太郎の配下と子孫とは
︵腐植土のみちと天の石墨︶
そらのバリカンがそれを刈る
すこし日射しのくらむひまに
やまなしの匂の雲に起伏し
七つ森の第四 伯林青 スロープは
一本さびしく赤く燃える栗の木から
萱の穂は満潮︶
︵萱の穂は満潮
とんぼは萱の花のやうに飛んでゐる
縮れて雲はぎらぎら光り
︵おお第一の紺青の寂寥︶
こならやさるとりいばらが滑り
梯形第三のすさまじい羊歯や
ラテライトのひどい崖から
ち
ひ
か
さんかくやま
ていけい
テーブルランド
ひ
べるりんせい
七つ森第二梯形の
たうとうぼくは一つ勘定をまちがへた
まんてう
新鮮な 地被 が刈り払はれ
第四か第五かをうまくそらからごまかされた
かや
手帳のやうに青い 卓状台地 は
ざふぎ
まひるの夢をくすぼらし
『春と修羅』
どうして決して そんなことはない
いまきらめきだすその真鍮の畑の一片から
明暗交錯のむかふにひそむものは
まさしく第七梯形の
雲に浮んだその最後のものだ
緑青を吐く松のむさくるしさと
さんかく
ちぢれて悼む 雲の羊毛
︵三
角 やまはひかりにかすれ︶
︵一九二三、九、三〇︶
『春と修羅』
遠いギリヤークの電線にあつまる
こんどは巧に引力の法則をつかつて
一ぺんつめたい雲の下で展開し
鳥はまた一つまみ 空からばら撒かれ
たしかメリケン粉を 捏 ねてゐる
米国風のブリキの缶で
四面体聚
形 の一人の工夫が
黒い保線小屋の秋の中では
古枕木を灼いてこさへた
ラツグの音譜をばら撒きだ
鳥は一ぺんに飛びあがつて
雲はカシユガル産の苹果の果肉よりもつめたい
萱の穂は赤くならび
火薬と紙幣
大きな帽子をかぶつて
雲が縮れてぎらぎら光るとき
ふん ちやうど四十雀のやうに︶
︵こんどばら撒いてしまつたら⋮⋮
枝も裂けるまで実つてゐる
水のそばでは堅い黄いろなまるめろが
葉細工 のやなぎの葉
鉄
栗の梢のモザイツクと
はつきり白く浮いてでる
小さな三角の前山なども
だからわたくしのふだん決して見ない
枯れた野原に注いでゐる
白い雲のたくさんの流れは
氷河が海にはひるやうに
逞ましい向ふの土方がくしやみをする
その陰影のなかから
私の着物もすつかり
酸性土壌ももう十月になつたのだ
︵一九二三、一〇、一〇︶
thread-bare
赤い碍子のうへにゐる
野原をおほびらにあるけたら
しゆうけい
そのきのどくなすゞめども
おれはそのほかにもうなんにもいらない
ぶりきざいく
口笛を吹きまた新らしい濃い空気を吸へば
火薬も燐も大きな紙幣もほしくない
こ
たれでもみんなきのどくになる
森はどれも群青に泣いてゐるし
松林なら地被もところどころ剥げて
『春と修羅』
わたくしは移住の 清教徒 です
きらびやかな雨あがりの中にはたらけば
あたらしい腐植のにほひを嗅ぎながら
截られた根から青じろい樹液がにじみ
過去情炎
わたくしは待つてゐたこひびとにあふやうに
いまはまんぞくしてたうぐはをおき
そんならもうアカシヤの木もほりとられたし
豪奢な織物に染めたりする
からやさしい月光いろまで
紅 いぢけたちひさなまゆみの木を
こんなきれいな露になつたり
そのたよりない 性 質が
これらげんしやうのせかいのなかで
おうやう
じやうえん
せい
雲はぐらぐらゆれて馳けるし
揚 にわらつてその木のしたへゆくのだけれども
鷹
べに
梨の葉にはいちいち精巧な葉脈があつて
それはひとつの 情炎 だ
ピユリタン
短果枝には雫がレンズになり
もう水いろの過去になつてゐる
︵一九二三、一〇、一五︶
そらや木やすべての景象ををさめてゐる
わたくしがここを環に掘つてしまふあひだ
その雫が落ちないことをねがふ
ていちよう
なぜならいまこのちひさなアカシヤをとつたあとで
わたくしは鄭
重 にかがんでそれに唇をあてる
えりをりのシヤツやぼろぼろの上着をきて
企らむやうに肩をはりながら
わるもの
そつちをぬすみみてゐれば
ひじやうな悪
漢 にもみえようが
わたくしはゆるされるとおもふ
なにもかもみんなたよりなく
なにもかもみんなあてにならない
『春と修羅』
からまつはふたたびわかやいで萌え
きよめられるひとのねがひ
すみわたる海
蒼 の天と
ベーリング市までつづくとおもはれる
電信ばしらはやさしく白い碍子をつらね
かぎりなくかぎりなくかれくさは日に燃え
のはらがぱつとひらければ
松がいきなり明るくなつて
一本木野
つつましく折られたみどりいろの通信は
のあひだをがさがさ行けば
蘆 わたくしは森やのはらのこひびと
未来派だつていはれるぜ︶
あんまりへんなをどりをやると
︵おい やまのたばこの木
こひびととひとめみることでさへさうでないか
わたくしはそれをはりつけとでもとりかへる
いつたいなんといふおんけいだらう
はんにちゆつくりあるくことは
こんなあかるい 穹窿 と草を
やまのたばこの木つていふつてのはほんたうか︶
てめいのあだなを
みかづき
きゆうりゆう
幻聴の透明なひばり
いつかぽけつとにはひつてゐるし
かいさう
時雨 の青い起伏は
七
はやしのくらいとこをあるいてゐると
よし
また心象のなかにも起伏し
日月 がたのくちびるのあとで
三
ななしぐれ
ひとむらのやなぎ木立は
肱やずぼんがいつぱいになる
てんわん
︵一九二三、一〇、二八︶
ボルガのきしのそのやなぎ
やくしたいしや
椀 の孔雀石にひそまり
天
かど
師岱赭 のきびしくするどいもりあがり
薬
火口の雪は皺ごと刻み
くらかけのびんかんな稜 は
青ぞらに星雲をあげる
︵おい かしは
『春と修羅』
鎔岩流
どれくらゐの 風化 が行はれ
これら清洌な 試薬 によつて
空気のなかの酸素や炭酸瓦斯
展かれるとはおもつてゐた
ばらばらにするやうなひどいけしきが
なにかあかるい曠原風の情調を
わたくしはさつきの柏や松の野原をよぎるときから
畏るべくかなしむべき砕
塊熔岩 の黒
日かげになつた火山 礫堆 の中腹から
薬師火口のいただきにかかり
喪神のしろいかがみが
それをみてよろこぶもので
︵なぜならたべものといふものは
ひじやうな 饗応 ともかんずるのだが
ちやうどひるの食事をもたないとこから
わたくしはまた麺麭ともかんがへ
表面がかさかさに乾いてゐるので
その白つぽい厚いすぎごけの
それは恐ろしい二種の苔で答へた
見ようとして 私 の来たのに対し
どんな植物が生えたかを
ふうくわ
しやく
けれどもここは空気も深い淵になつてゐて
それからあとはたべるものだから︶
とにかくわたくしは荷物をおろし
ブロツクレーバ
すこしの小高いところにのぼり
灰いろの苔に靴やからだを埋め
きやうおう
わたし
ごく強力な鬼神たちの棲みかだ
ここらでそんなかんがへは
れきたい
一ぴきの鳥さへも見えない
あんまり僭越かもしれない
さらにつくづくとこの焼石のひろがりをみわたせば
一つの赤い 苹果 をたべる
ブロツク
わたくしがあぶなくその一一の 岩塊 をふみ
雪を越えてきたつめたい風はみねから吹き
うるうるしながら苹果に噛みつけば
りんご
雲はあらはれてつぎからつぎと消え
雪を越えてきたつめたい風はみねから吹き
ブロツク
いちいちの火
山塊 の黒いかげ
北上山地はほのかな幾層の青い縞をつくる
野はらの白樺の葉は 紅 や金 やせはしくゆすれ
キン
貞享四年のちひさな噴火から
べに
およそ二百三十五年のあひだに
『春と修羅』
︵あれがぼくのしやつだ
青いリンネルの農民シヤツだ︶
︵一九二三、一〇、二八︶
『春と修羅』
イーハトヴの氷霧
ひようむ
けさはじつにはじめての凜々しい氷
霧 だつたから
みんなはまるめろやなにかまで出して歓迎した
︵一九二三、一一、二二︶
『春と修羅』
凍つたしづくが 燦々 と降り
パツセン大街道のひのきからは
せはしく野はらの雪に燃えます
かげろふや青いギリシヤ文字は
そらにはちりのやうに小鳥がとび
冬と銀河ステーシヨン
はねあがる青い枝や
しづくは燃えていちめんに降り
パツセン大街道のひのきから
だんだん白い湯気にかはる︶
︵窓のガラスの氷の羊歯は
うららかな雪の台地を急ぐもの
つめたく青らむ天椀の下
茶いろの瞳をりんと張り
にせものの金のメタルをぶらさげて
︵でんしんばしらの赤い碍子と松の森︶
さんさん
銀河ステーシヨンの遠方シグナルも
紅玉やトパースまたいろいろのスペクトルや
か
けさはまつ赤 に澱んでゐます
もうまるで市場のやうな盛んな取引です
ザエ
あのにぎやかな土沢の冬の 市日 です
ぶらさがつた章
魚 を品さだめしたりする
陶器の露店をひやかしたり
二
一
後註
ゴシック体
8からαまでアラベスクの飾り文字。以下同様
﹁┃﹂は一本につながった罫線
︵一九二三、一二、一〇︶
川はどんどん氷 を流してゐるのに
なま
みんなは 生 ゴムの長靴をはき
︵はんの木とまばゆい雲のアルコホル
三
ゴシック体
狐や犬の毛皮を着て
あすこにやどりぎの黄金のゴールが
四
ゴシック体
た こ
さめざめとしてひかつてもいい︶
五
いちび
あゝ Josef Pasternack
の指揮する
この冬の銀河軽便鉄道は
幾重のあえかな氷をくぐり
『春と修羅』
七
六
ゴシック体
ゴシック体
ゴシック体
ゴシック体
ゴシック体
八
一〇
底本では行末に﹁︶﹂
九
一一
底本:「宮沢賢治全集 1」ちくま文庫、筑摩書房
1986(昭和 61)年 2 月 26 日第 1 刷発行
1998(平成 10)年 5 月 12 日第 17 刷発行
※底本で注を表す記号として用いられていた「※」は「*」に置き換えました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:柴田卓治
校正:かとうかおり
2000 年 10 月 4 日公開
2004 年 3 月 26 日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(
http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制
作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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