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キリスト教徒弾圧 アレッサンドロ・デ・ロッシ 戦前から戦中にかけて、治安

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キリスト教徒弾圧 アレッサンドロ・デ・ロッシ 戦前から戦中にかけて、治安
キリスト教徒弾圧
レティツィア・ミランダ
1943年に菅能という牧師が治安維持法違反容疑で解放され、獄死した。長女の美
歌子さんはその時のことを覚えている。横浜の家に特高警察官が来て、菅野さんを刑
務所に連行した。戦後、菅能さんを取り調べた警察官が美歌子さんの家を訪れ、自分
がしたことを許すように頼んだ。
戦前から戦中にかけて数多くのキリスト教の牧師や指導者が逮捕され、取り調べら
れ、訴えられた。当初は共産主義者や無政府主義者に当てはめていた治安維持法が、
当時の天皇制国家とは相いれない宗教などの弾圧にも使われた。起訴の内容は天皇を
認めない、国体を否定するというものだった。菅能さんのように獄死した人も多かっ
たが、天皇の神聖を認めたり神社参拝したりして、刑務所を免れた人もいた。教会が
解散を命じられ、信徒は信仰から離脱すると誓わざるを得なかった。教会活動を禁止
された信徒らは「書道研究」などの名を使い、自分たちの家に集まり、礼拝した。
日本史においてキリスト教は政府によって何回も迫害された。それは徳川時代と太
平洋戦争中だった。原因を考えてみると、日本人にとって唯一の神を信じるキリスト
教徒は国の安定性にとって危ない教義を持つ者となるのだろう。日本は自分の同質性
を守ろうとして、外から来た疑わしい教義や主義を脅威として見る傾向があると思う。
では、現代の日本は、今度、政治的・社会的な危険を感じた時に、どのような対策を
講じることになるのだろうか。
キリスト教徒弾圧
アレッサンドロ・デ・ロッシ
戦前から戦中にかけて、治安維持法のため多くの牧師やキリスト教徒が弾圧
されていた。なぜなら、天皇制国家の概念を覆す教義に基づいて自分の神を信
仰するとされていたからである。そのため、取り調べられたり起訴されたりし
た後、逮捕されたキリスト教の指導者や信者は少なくない。その中には、獄死
した人もいれば、保釈となった後衰弱のため亡くなった人もいる。
拘束されないための唯一の方法は信仰を捨てることであった。そのため、キ
リスト教から離脱すると誓い、「誓約書」を提出するように催促されたクリス
チャンが多かったと言われている。それにもかかわらず、「書道研究会」とい
う名前などを使って集まるというような秘密の形で礼拝していた信者もいた
と、様々な証言が得られている。
日本に限らず、同時にヨーロッパでもユダヤ人や同性愛者などに対して残酷
な弾圧が行われていた。が、同時期に何万キロメートルも離れた所で自分と違
う者を拒絶すべきだという概念を元に、なぜ数多くの人間が弾圧されたのだろ
うか。当時のヨーロッパと日本の共通点は戦争状況にあったことである。従っ
て、弾圧は戦争中であることに関連すると言えよう。なぜなら、戦争が降りか
かった民族は恐怖心のために相手の相違点を認めず、その異なった人を敵とし
て眺めてしまうからであろう。確かに、恐怖心に沈んだ人間の心は最も恐ろし
い考えを生むものである。
獄死、枕元に聖書
クリスティーナ・デ・ロレンツィ
戦前から戦中にかけて、キリスト教の牧師や指導者らが逮捕され、獄中に送られた
という。当初は共産主義者や無政府主義者を対象としていた治安維持法が、当時の天
皇制国家とは相いれない宗教などの弾圧にも使われた。
その中に、治安維持法違反容疑で逮捕された菅野鋭という牧師もいた。菅野さんが
逮捕された時、家族は警察官に一週間は帰ってこられないと言われた。だが、その一
週間は一生になり、結局菅野さんは獄死した。
菅野さんの教派の系統の中では、計百三十四人の牧師や教師らが検挙された。これ
は最大規模の一斉検挙だった。
菅野さん以外にも獄死が相次いだ。或いは、保釈となり、やがて命を落とした人も
いた。だが、ファシズムの中で、「よき日本人」であることを証明しようとした牧師
もいた。また、多くの教会が解散を命じられた。
キリスト教から離脱せざるを得なかった渡辺常雄さんは、当時の「誓約書」をまだ
持っている。教会解散にもかかわらず、渡辺さんたちは「書道研究会」という名を使
って、信徒の家に集まって、小さな声で賛美歌を歌い、礼拝した。ほどなく、教会堂
は空襲で焼け落ちた。
当時の日本は自分の同質性を守ろうとしたあまり、キリスト教のような異なる考え
が許されなかった。時代は変わったものの、今でも、まだ異なる考えが受け入れられ
にくいような気がするが、どうだろうか。
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