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1 社会政策(医療政策)2010 ガイダンス

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1 社会政策(医療政策)2010 ガイダンス
社会政策(医療政策)2010
ガイダンス
【講義概要】
小松秀樹(2006)によって現状が「医療崩壊」であると主張されて以降、医療現場にさまざまな深刻な
医療問題が生じてきていることが伝えられてきた。これらは医療システムの諸制度を支えてきた共通の
基礎にあたるものが崩れつつあることを示唆している。このような状況を打開するには新しい医療シス
テムの基礎のデザインを提示することが必要である。このような医療を巡る問題状況に対応し得る医療
政策の社会科学とはいかにして可能となるかが本講義の基本的なテーマである。
【医療政策とは何か】
1.目前の医療問題を解決する・・・対症療法
2.様々な価値のバランスをとる・・・最適化
3.医療を根本的に改善する方策を見出す・・・基本設計
上のすべてが医療政策に含まれるが、第 3 の領域が今日の状況において最も重要な領域である。
【政策形成プロセスの改変】
従来・・・官僚内閣制による医療政策
→
現在・・・医療政策形成プロセスの再設計
デザインを必要としない医療システムに適合的
←
基本設計のやり直しの必要な状況に対応させる必要
1
【講義計画】
1) 医療政策の考え方
2)医療供給と医療需要
3)医療保険の歴史
4)混合診療・皆保険・民主主義
5)医療専門職としての医師
6)病院とは何か
7)医療の近代史の総括
8)看護の世界
9)包括ケアシステムへ
10)医療と福祉の間
11)財政制約下における健康戦略
【成績】
成績評価は期末試験による
講義に関する問い合わせは以下にされたい
[email protected]
【参考文献】
猪飼周平[2010]『病院の世紀の理論』有斐閣
猪飼周平[2010]「海図なき医療政策の終焉」『現代思想』2010 年 3 月号
2
社会政策(医療政策)2010
第1講
医療政策の考え方
1-a. いわゆる「医療崩壊」について
他方で、昨今比較的良好であった日本の医療が「崩壊」しつつあるという議論が頻繁になされるようになってきた。
このような報道を契機に医療に関心を持つようになった人もあるだろう。
1.
医師不足
2.
救急車のたらい回し
3.
医事関係訴訟
4.
自治体病院の経営難
5.
介護難民(社会的入院問題)
6.
混合診療解禁
7.
医局制度解体
→地域医療崩壊?
→
医師を 1.5 倍に
→救急医療崩壊?
→医師の疲弊?
→地域医療崩壊?
→高齢者医療崩壊?
1-b. 国民医療費の変遷
国民医療費:
基本的には一年間に国民が医療に使った費用の推計値と考えてもらってよい1
大体毎年1兆円程度のペースで増大している。
2
1-c. WHO (2000)による国際比較調査3
WHO による国際比較調査は、日本の医療システムのパフォーマンスが国際比較的にきわめて良好であると評価したこ
とで、日本の医療界に大きな衝撃を与えた。
計算方法については、次のサイト http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-iryohi/05/gaiyou.html
をみよ。
2 厚生労働省「平成17年国民医療費の概況」http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-iryohi/05/index.html
3 WHO (2000), The world health report 2000, Health Systems, improving performance.
1
1
1-d. 医療問題とは何か
今日の医療政策のアリーナにおいては、「現場の叫び」に基づく財政要求と、危機的財政状況からくるリアリズムが激
突している。医療に大きな(小さな)分け前が分配されれば、医療は改善する(悪化する)が、かわりに他の消費に振
り向ける余地が小さく(大きく)なる。その意味で、前者は医療の番人、後者は医療以外の支出項目の番人ということ
になる。結局のところ、どちらにも理屈があることになり、政治的妥協によってどこかのバランスが実現することにな
る。
‘Cost, access, quality. Pick any two.’
医療業界では有名な標語。医療問題がこのような問題であったとすれば、人びとが最も望ましいと考えるバランスを探
し出せばよい。その際、基本的な医療システムのあり方は所与として扱われることになる。上でみたような、今日の論
争は、医療問題をこのような最適化問題として理解する作法を踏襲している。このタイプの理解の仕方の特徴は、医療
システムの理想像を構想しようとする姿勢に欠ける点である。
1-e. 医療システムをデザインすることの重要性
日本の医療システムは、予定調和的にうまくゆくシステムではない。需要面・供給面双方に高度に複雑な制度が形成
されており、たとえば一部の経済学者が夢想するように市場メカニズムを部分的に導入しても、自然に上手く行くシ
ステムに作り替えることはできない。その意味では、医療システムには設計主義的立場から関与しなければならない
根拠が存在している。いいかえれば、よい医療システムとは、私たちが知恵を絞って作り上げるものなのである。対
2
症療法および利害の調停によってそのようなシステムに到達できる保証はない。
1-f. 医療政策とは何か
1. 目前の医療問題を解決する・・・対症療法
2. 様々な価値のバランスをとる・・・最適化
3. 医療を根本的に改善する方策を見出す・・・デザイン
上のすべてが医療政策に含まれるが、第 3 の領域が最も重要であることはいうまでもない。だが、従来医療政策は上
の 2 つの論点に留まることが多かった。日本の医療政策は対症療法的であるという批評を耳にしたことがあると思う
が、それは、第 3 の領域への医療政策の関与が乏しかったことによる。
1-g. Tips
ただし、お題目だけ唱えても益がないので、ここで、習慣化していただきたいポイントを 3 点示しておきたい
1) 現行の論争を引いた視点からみること ―「離見」の重要性
これを実践するには次の作法が有効である。
a.
論争の一方の立場に加担しないこと
b.
論争の舞台設定にどの程度根拠があるかを問うこと
論争というものは、多くの場合、言い合いの中で発見されてゆく性格をもっている。ちょっとしたことで、
全く異なった性格の論争になってゆく可能性をもっているのであり、些末な論点に収束する論争も多い。つ
いついやってしまうことではないかと思うが、論争において、熱心に争われている論点が、医療の改善にと
っても重要な論点であると考えるのは NG である(これは新聞などメディアに一般的にみられる態度でもあ
る)。さらに、両者の言い分を比較してどちらの方が説得力があるかを判定するのも NG である(医療政策は
裁判ではない)。要するに、論争の舞台設定を軽々に信頼してはならない。
2) 現行の論争を調停する立場にこだわらないこと
不偏不党の立場から調停することが論争当事者の双方にとって好ましい結果を生むことは、一般に多い。たとえ
ば外交政策のようなリアリズムの世界においては、一見かみ合わない利害を上手く調停することで平和や利益を
生み出すことができる。だが、そこには建設的な要素が乏しいことをよく理解しておく必要がある。社会科学的
な思考に習熟していない人びとに多いのが、一方の立場に加担しないことイコール調停者の立場に立つことと考
えることである。
3) 眼前の論争に惑わされない医療観を身につけること
上の 2 点を実践すれば現行の論争の外側に出ることはできる。ただ、それだけでは、では医療における重要な課
題とは何かという問いに答えを与えることはできない。この問いに答えるために、外部的な医療システムの評価
基準が必要になるということは論理的必然であり、そのような評価基準を生み出すための医療に対する深い理解
こそがさらにその前提として必要なものである。だが、残念ながら、そのような医療観の醸成には、医療とは何
か、医療と社会とはどのように連関しているのかについて日頃から深く洞察しておくことが必要であり、一朝一
夕にできることではない。ただ、医療に対する洞察を深めてゆく作法は存在するので、それを紹介しておく。
a.
不思議を蒐集する・・・自明性への挑戦
日常的に医療に接しているとついついその世界に適応してしまうが、よく考えるとなぜそんなものがあるの
かわからない制度・ルール・慣習、なぜそんなことが起こるのかわからない現象はいくらでもある。それら
に対して不思議であるという認識をもつことが重要である。
b.
異空間・異時点を比較する
不思議を蒐集する効率的な方法は「比較」である。国際比較研究や歴史研究の意義はこれだと思っていただ
いてかまわない。国際比較研究とは単に他国にあって日本にないものを探してうらやましがるためにあるの
ではない。また歴史研究は単に医師を引退した人が人生を整理したり暇をつぶすためにあるのではない。
3
社会政策(医療政策)2010
第2 講 医療の領域
2-a. 健康と医療
健康に関する領域とはどのようなものであろうか。実は少し前であれば、「医療」と「健康」との間に下のような対応関係あがあると
主張しても、反対する人はあまりなかった。
医療 → 健康
だが、健康やそれに関する政策領域を意味する用語をいろいろと拾ってみると、健康ははるかに複雑な現象であることがわかる。
日本語についてみれば、「医療」「保健」「公衆衛生」「衛生」などがあり、英語についてみれば、medicine, health care, public
health, hygiene などがある。これらの用語については一通り整理しておく必要があるであろう。

受益者による区別
a.
患者本人(もしくは家族など関係者)が便益を受ける領域
患者の病による苦しみを取り除くことは基本的に患者本人の便益(benefit)。医師-患者関係は、患者の便益とそれに
対する対価の支払いによって基本的に構成される。→市場取引可能
b.
一般社会が利益を受ける領域
たとえば伝染病患者を隔離する場合、その便益は患者から一般社会が防衛されることから発生する。本人の利益にな
らないのでサービスは私的には成立しない。→行政的に導入される

本人の健康状態による区別
a.
予防
b.
治療
c.
生活支援(介護)
本人の状態
治療
予防
当事者
personal hygiene
個人衛生
保健
主
た
る
受
益
者
public health
公衆衛生
介護
medicine
医療
social services
rehabilitation
health care
社会
2-b. 医療

おもに治療と当事者の受益によって特徴づけられる領域

医師-患者関係が中核

医療サービスと対価の関係には多様な可能性がある。
a.
共同体内における呪術
Cf. 『ロビンソン・クルーソー』で知られる 18 世紀の小説家 D. デフォーの『魔術の体系』(1728)によれば、魔法使いは、
8 種類に分類することができるという。そのうちの 1 種 enchanter は、「病気をなおしたり、水の上を歩いたりというような
超自然力をしめすもの」であるという1。
1
浜林正夫『魔女の社会史』未来社 1978。
1
b.
施療
欧州諸国で一般にみられた形態・・・富裕層が資金を拠出し、委託を受けた医師が貧困患者の治療にあたる
c.
交換
保険制度が介在して複雑化すると下のようになる
医療需要
保険者
診療報酬
保険料
被保険者
医療機関
療養の給付
医療供給
特に日本では医療需要領域について、社会保障論・福祉国家論の一分野としての医療保障論として熱心に研究され
てきている。他方、医療供給領域については、社会科学者にとって参入が困難な領域として、医師や官僚による政治
的・実務的対応に任されてきた嫌いがある。
→このような研究上のバイアスが、おもに医療供給に関する問題群として現れてきている「医療崩壊」現象の解釈を困
難にしている
2
2
2-b. 医療保険の原理
1) 医療保険制度の必要性・・・保険原理
・人びとは危険回避的(risk averse)な性質をもっている。
ケース 1
毎年 1/100 の確率で 1000 万円を失う可能性がある
ケース 2
毎年 10 万円づつ失い続ける
人びとは通常期待値が同じなら事態が確率的に起こらない方を好む。したがって、通常ケース 2 を選
好する。
ケース 3
毎年 12 万円づつ失い続ける
人びとにとってケース 1 とケース 3 が同じくらい好まれるとすれば、このとき、人びとは、確率的に生じる危険(=リス
クという)がゼロになることに対して、1 年当たり 2 万円払ってもよいと考えていることになる。つまり、リスクと 2 万円
/年は同じ価値をもっている。このリスクの価値に相当する値段をリスクプレミアムという。
保険会社は、ケース 1 の状況にある人から、毎年 12 万円の保険料を徴収することによって、ケース 3 の状態を保
険の購入者に提供することを事業としている企業である。なぜこのような事業が成り立つかというと、ケース 1 の状
況にある人をより多く保険に加入させることができればできるほど、保険加入者数×リスクプレミアムに近い利益が
安定的に手に入るからである。これは、大数の法則3に基づく結果である。
大数の法則シミュレーション
0.90000 0.80000 0.70000 0.60000 0.50000 試行1
0.40000 試行2
0.30000 試行3
0.20000 0.10000 2
3
8,000 10,000 6,000 4,000 900 2,000 700 500 300 80 100 60 40 9 20 7 5 3 1 0.00000 椋野美智子・田中耕太郎『はじめての社会保障 福祉を学ぶ人へ』(第 4 版)2006
サイコロによる試行のシミュレーションが次のサイトでできる。http://www.kwansei.ac.jp/hs/z90010/sugakuc/toukei/taisuu/taisuu.htm
3
2) 私保険がうまく行かないケース
逆選択(adverse selection)
次のような情報の非対称性がある状況を考える
保険会社 :人びとが病気になる確率を知らない
人びと
:自分が病気になる確率を知っている
→病気になる確率が高い人ほどその保険に加入しようとし、一方病気にかかりにくい人は、保険に加入する必
要を感じないかもしれない。こうして、より病気になる確率が高い人だけが保険に加入したとすると、当然保険金
の支払いは増大してゆく。したがって、保険会社は収益の維持を目指して保険料を引き上げざるをえない。そう
なると、保険料が上がる以前には、保険に加入することが有利だと考えて保険に入っていた人びとのうち、相対
的に病気になる確率の低い部分の人たちは、このような高い保険料では割に合わないと思って保険を脱退す
るようになる。そうなると、保険会社は、収益の維持のためにいっそう高い保険料を設定することになる・・・。この
循環は、結局、大部分の人びとにとって保険が利用できないものとなる可能性があることを示している。
3) 社会保険と私保険の違い
社会保険
① 私保険の目的が財産保全的なものであるのに対し、社会保険は生活保障的である。
② 私保険が任意加入であるのに対し、社会保険は原則として強制加入である(逆選択が生じない)。
③ 私保険はリスクに応じた個別的な保険料が設定されるのに対し、社会保険では低リスク者から高リスク
者への所得の再分配がある。
④ 社会保険の保険料には事業主負担や国庫負担がある。
4
社会政策(医療政策)2010
第 3 講 医療保険の歴史
3-a. 国民皆保険の構図
1
・健康保険法・・・1922 年
・国民健康保険法・・・1938 年
・高齢者の医療の確保に関する法律(旧老人保健法)・・・1982 年
戦前の古い法律を起源としていることの意味について考えてみる必要がある
3-b. 社会政策発達の根拠
社会政策発展に関する諸説
1. 権利としての福祉
T. H. Marshall (1950), 『シティズンシップと社会的階級』Citizenship and Social Classes
市民権(citizenship)の構成要素の発展段階説
1.
市民的権利 civil rights(18 世紀)・・・人身の自由、言論・思想の自由、私有財産権、裁判権
2.
政治的権利 political rights(19 世紀)・・・政治権力の行使に参加する権利(参政権など)
3.
社会的権利 social rights(20 世紀)・・・「経済的福祉と安全の最小限を請求する権利に始まって、社会的財産を完全に
分かち合う権利や、社会の標準的な水準に照らして文明市民としての生活を送る権利に至るまでの広範囲の諸権利のこ
とを意味している。これと密接に結びついている制度は、教育システムと社会的サービスである。」2
日本国憲法
第 25 条
1.すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2.国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
2. 資本主義のダイナミズムにおける福祉
大河内一男による「生産力説」
1.
道議論的説明・・・社会政策は、資本主義社会の中で犠牲となっている哀れな労働者階級を営利主義原則とは異なる、
人道的観点から救済する活動から生成。
2.
1
2
政治論的説明・・・社会政策は、資本家階級と労働者階級との間の階級闘争の所産。
椋野美智子・田中耕太郎『はじめての社会保障 福祉を学ぶ人へ』有斐閣(第 4 版)2006
T. H. マーシャル『シティズンシップと社会的階級』1993 (1950), p.16
1
3.
生産力的説明・・・社会政策は、資本側にとって、労働力を保全することが合理的であることから形成。
大河内によれば、社会政策の本質は、道議論や政治論では説明できない。というのも、「最初の社会政策は、労使の力関係が
まだ圧倒的に使用者側にあり、従ってまた、労働階級の階級的な闘争力が、一つの社会的な力になって社会政策の成立なり
発展なりに何らかの影響をおよぼしただろうとは到底考えられない時代から発足しているのであるから。」3
3-c. 医療保険制度の成立
ドイツ
1871 年 ドイツ帝国成立・・・宰相 O. ビスマルク
1878 年 社会主義者鎮圧法←肯定暗殺事件
この制度だけでは国民の大きな部分を占めつつあった労働者をドイツ国民として統合することはできない
→労働者と使用者との争いを緩和するとともに国家の存在の意義を感得させる必要
→社会保険の導入4
1883 年 疾病保険法
1884 年 労災保険法
1889 年 老齢・廃疾保険法
労災保険
医療保険
老齢年金
失業保険
ベルギー
1903
1894
1900
1920
オランダ
1901
1929
1913
1916
フランス
1898
1898
1895
1905
イタリア
1898
1886
1898
1919
ドイツ
1871
1883
1889
1927
アイルランド
1897
1911
1908
1911
イギリス
1897
1911
1908
1911
デンマーク
1898
1892
1891
1907
ノルウェー
1894
1909
1936
1906
スウェーデン
1901
1891
1913
1934
フィンランド
1895
1963
1937
1917
オーストリア
1887
1888
1927
1920
スイス
1881
1911
1946
1924
オーストラリア
1902
1945
1909
1945
ニュージーランド
1900
1938
1898
1938
カナダ
1930
1971
1927
1940
アメリカ合衆国
1930
1935
1935
日本
1947
1942
1947
1922
5
日本
後藤新平による疾病保険法案(1898 年)
「国ノ生産力ノ本源ハ国民殊ニ中人以下賤民労働者ノ健康ナリ。其ノ健康ノ保護ト生活ヲ安定ナラシメルコトガ国ノ富源ヲ培
養シ、国ノ治安ヲ維持スル関鍵ナリ。」6
→中央衛生会に諮問→否認
3
大河内一男編『社会政策』青林書院 1957 年, pp. 14-15。
「社会保険は、ビスマルクにとっては社会主義を攻撃し、同時に工業化と労働者に(一層)規制のあみの目をかぶせるためのものであった。その上、
社会保険はプロシアの伝統に沿うものであった。例えば、鉱業は、病気及び災害についての保険給付を含む規制を百年以上にわたって受けていた。
大工や棟梁は、ギルドを持ち、1840 年以来、再編され規制(病気・疾病、老齢給付ばかりではない)を受けていた。1880 年代の主要な目新しい点は、
工業雇用者に重点があったことであり、既に、自主的に存在していた事業主――労働者の協力形態に範をとったものであった。/賃金比例強制拠
出の社会保険(1883 年疾病、1884 年産業災害、1889 年老齢及び疾病)は、貧民のための制度などではなかった(ビスマルクに関するかぎり、貧民
は地方の救済に委ねられるべきものであった)。むしろそれは事業主及び労働者と一つの組織内に取り込み、事業主に責任感を持たせ、労働者を
社会民主党から切りはなして信用できるようにし、同党が万一にも大衆プロレタリアートを動員出来ないようにするための戦略であった。」(「ヨーロッパ
の福祉国家」伊部・早川『世界の社会政策』ミネルヴァ書房 1992 年、第 6 章)。
5
C.ピアソン『曲がり角にきた福祉国家』1996 年, p208 に日本部分を加筆。
6
吉原健二・和田勝『日本医療保険制度史』東洋経済新報社 1999, p. 14。
4
2
・健康保険法制定(1927 年実施)7
・強制適用被保険者を、工場法または鉱業法の適用を受け
る従業員 10 人以上の事業所に使用される常用労働者およ
び年収 1,200 円以下の職員に限定
・給付対象は被保険者本人のみ(扶養家族は除外 →1943 年家族給付)
・業務上の傷病も給付対象(のちに労災保険に分離)
佐口卓
「資本主義の発展におうじて生ずる労働問題、わけても労働者の組織的運動の展開に対応して資本主義的秩序の安定
のために支配者はいわゆる「飴と鞭」とを用意する。その飴こそはほかならぬ社会保険である。」8
・国民健康保険
1938 年国民健康保険法、同年厚生省成立
1939 年船員保険法、職員健康保険法、健康保険法改正(家族給付の創設・結核給付期間の延長)
近藤文二「その何れもが一挙に実現されたのは戦争の開始における医療の不完全が壮丁の弱体化を必然化し、兵力
に及ぼす影響が甚大なるところから」
厚生省は、1947 年までの 10 年間に 6140 組合、被保険者 2500 万人(当時の人口 7100 万人)とする計画
1941 年小泉親彦大臣(3 年で国民皆保険を実現させる政策を表明)
1942 年国民医療法改正
1)
地方長官の権限による国民健康保険組合の強制設立
2) 保険医保険薬剤師制度を設け、正当の理由なく指定を拒否できないこととした
3) 診療報酬は厚生大臣が定める
4) 代行法人は医療施設をもたなくとも認められ、非社員も被保険者とする
1943 年末までに全国の市町村の 95%に国民健康保険組合設立
1944 年度被保険者 4116 万人となったが「開店休業状態」
3-d. 社会保障・福祉国家の成立
1935 年
社会保障法(Social Security Act) アメリカ
社会保険+公的扶助を内容とする
1942年 ベヴァリッジ報告『社会保険及び関連サービス』
戦後のイギリス社会再建の目標を「5 人の巨人(Five Giants)」に対する攻撃とした。
① 疾病(disease) →医療
② 無知(ignorance) →教育
③ むさ苦しさ(squalor) →住宅
④ 無為(idleness) →雇用
⑤ 窮乏(want) →失業保険・公的扶助
「福祉国家」
W. テンプル卿が第 2 次大戦中に、ナチス・ドイツのような権力国家 power state ないし戦争国家 warfare state に対立する
概念として、また連合国の目指すべき目標として福祉国家 welfare state を掲げたことに由来する。
7人頭請負方式・団体自由選択主義
政管健保については、被保険者の一人当たり医療費月額を計算し、政府が被保険者数分を日本医師会に支払う。日本医師会は更に道府県別の
被保険者数に応じて各道府県医師会に分配する。各道府県医師会は、日本医師会の定めた診療行為別点数の計算によって各保険医ごとの配分
額をきめる。組合管掌健保については、政管健保に準拠しつつ、健康保険組合が個別に日本医師会、道府県医師会、郡医師会などと契約。
8 佐口卓『日本社会保険制度史』勁草書房 1977, p. 123.
3
「ゆりかごから墓場まで」
→国家が、国民のライフサイクルを通じて、生活について責任をもつというあり方の成立。
ケインズ経済学の成立
J. M. Keynes
1926 年 「自由放任の終焉」’The End of Laissez-Faire’
1936 年
『一般理論』The General Theory of Employment, Interest, and Money
ケインズによって基礎付けられた総需要管理政策の成功は、戦後における福祉国家ないし社会保障の拡大と経済成長
が、少なくとも 1960 年代まで、両立することを示すものだった。
→オイルショック→スタグフレーション(景気が悪いのにインフレが昂進する)→マネタリズムなど新古典派経済学をベース
としたマクロ経済学派の復権
日本
国民皆保険への道程
健康保険・国民健康保険とも壊滅状態→普及活動やりなおし
健康保険 被保険者数が 1944 年水準に回復したのは 1953 年
国民健康保険 被保険者数が 1945 年水準に回復したのは 1959 年
診療報酬を巡って激しい対立→もめる舞台を設定して混乱を制御する発想
1950 年社会保険医療協議会法 →中央社会保険医療協議会(中医協)設置
1957 年国民健康保険全国普及四カ年計画
1958 年新国民健康保険法(市町村は 1961 年までに国民健康保険の施行を義務づけられる)
1961 年国民皆保険成立
年度 人口(千人)
1827
1938
1943
1949
1954
1955
1956
1957
1958
1959
1960
1961
61,659
71,013
72,883
81,773
88,293
89,276
90,259
91,088
92,010
92,971
93,419
94,285
組合管掌健康保険
被保険者数
774,023
1,509,084
3,864,116
2,827,130
3,220,036
3,313,199
3,516,383
3,751,953
4,002,906
4,495,661
5,046,091
5,629,444
被扶養者数
5,315,004
6,150,269
6,394,474
6,536,956
6,794,787
7,017,094
7,313,936
7,690,243
7,993,810
政府管掌健康保険
被保険者数
1,115,221
2,766,016
4,169,352
3,267,797
4,940,833
5,242,120
5,991,249
6,631,384
7,037,441
7,961,182
8,902,213
9,754,683
被扶養者数
5,524,568
7,103,611
6,738,615
7,452,531
7,843,219
8,331,579
8,873,534
9,676,500
10,230,793
国民健康保険
523,223
37,959,663
24,353,974
26,633,438
28,711,436
30,582,065
33,575,724
37,238,964
43,436,883
46,171,092
46,808,625
計
1,889,244
4,798,323
45,993,131
41,288,473
48,048,187
50,399,844
54,079,184
58,597,067
63,627,984
72,081,196
77,486,139
80,417,355
カバレッジ
3.1%
6.8%
63.1%
50.5%
54.4%
56.5%
59.9%
64.3%
69.2%
77.5%
82.9%
85.3%
給付内容の充実へ
①
給付率の改善
②
いわゆる「制限医療」の緩和・撤廃(1961-1963 年)
「数年前までの段階では、現物給付を建前として行う以上、保険に規格があるのはやむを得ない、制限のあることを正統
化することが全体としての医療費をある程度無理なく運用できるのだという考えが強かった。ところがその後のいろいろな
進展や医師の強い良心的な叫びによって、こういう考えをあらためる機運が生じてきた。」→新薬、新検査法、新療法につ
いてはできるだけすみやかに保険に採用することが医療懇談会で合意された。
③
老人医療無料化(老人福祉法改正)1972 年・・・「福祉元年」
4
3-e. 福祉国家・社会保障の危機と医療費抑制
オイルショック以後福祉国家・社会保障の危機が叫ばれるようになる
5
隅谷三喜男
「社会保障の基本的体系は 70 年頃までにほぼ出来上っていたので、欧米諸国における上述したような批判や手直しにもかか
わらず、社会保障体制を掘り崩すことは基本的には不可能であった。・・・[社会保障]抑制に努めたはずのイギリスでも、支出
額はもちろん、GNP 比においても増大しているのである。・・・ということは、社会的に社会保障に対する批判が強まり、財政事
情からしてもその抑制を迫られているにもかかわらず、戦後、社会保障体制が社会の中にくみこまれて 30 年もたち、深く社会
体制の中にビルト・インされてしまったことを反映している、と言わねばならない」9
医療費抑制の潮流(1980 年代~)
医療供給を直接コントロールする改革の流れ
1983 年 老人保健法施行→2008 年「高齢者の医療確保に関する法律」
1985 年 第一次医療法改正・・・地域医療計画による病床数の総量規制
1992 年 第二次医療法改正・・・医療施設機能の体系化(特定機能病院、療養型病床群)
1996 年 第三次医療法改正・・・インフォームドコンセント義務化、地域医療支援病院
2000 年 第四次医療法改正(病床を一般病床と療養病床に区別、臨床研修の必修化)、介護保険法
2006 年 第五次医療法改正
医療保険をコントロールする改革
健康保険法改正・・・1980 年代から継続的に
国民健康保険法改正・・・1980 年代から継続的に
後期高齢者医療制度導入(2006 年成立、2008 年施行)
→診療報酬支払いの包括化、診療報酬引き下げ、自己負担増額、高齢者の負担増
診療報酬の統制
中医協における診療報酬・薬価のコントロール10
出来高払いか、包括払いか
慢性期患者についてはすでに実施(1990 年における介護力強化病院に対する特例許可老人病院入院医療管理料導入(入
院料に投薬、注射、検査が包括)が日本における包括払いの嚆矢)
急性期については、アメリカの公的医療保険制度であるメディケア Medicare において、すでに包括払いシステムの一種
DRG/PPS (Diagnosis-Related Group/ Prospective Payment System)が実施されてきた。日本でも、2003 年から DPC
(Diagnosis Procedure Combination)が導入されている。
保険医療費に影響する要素
要素
選択肢
日本における統制の実際
診療報酬
出来高払い←→包括払い、公定価格
出来高払いと包括払いをミックスした診療報酬体系を中
央社会保険医療協議会(中医協)において決定
給付
カバレッジ
現物給付、償還払い、療養費払い
現物給付
ユニバーサル←→選択的(eg. 高齢者・貧困
ユニバーサル(皆保険)
者←米国)
給付の範囲
保険の範囲によるコントロール、混合診療の可
原則として混合診療を禁止しつつ、先進的な医療やある
否
特定の医療については、特定療養費制度によって認め
る
9
10
隅谷三喜男『社会保障の新しい理論を求めて』東京大学出版会、1991 年、p.7。
詳しくは、結城康博『日本の医療 診療報酬と政治』岩波新書 2006
6
今日の政策態度
社会保障ないし福祉国家的な有り様を基本的に承認しつつも、費用の抑制を図る
→国民皆保険体制を守りつつも、医療費の伸びを抑える
3-f. 医療保険の目的の変遷
戦前: 社会政策的理由・・・体制維持と生存権という二つの論理が混じり合ったもの
戦後: 生存権保障
オイルショック以後: 医療費抑制の手段
3-g. 混合診療問題について
日本医師会: 保険収載急いで平等な医療を保障しつつ患者の要求にも対応せよ→保険料増大
経済学者: 混合診療禁止はパレート効率性を著しく下げている→解禁すべし
財政学者の一部: 財政を健全化するためには、医療を保険の外側に逃がす必要あり
患者: 必要な医療を受けられれば制度はどうでもよい
議論されていない論点
混合診療問題が、医療費の総額を政策的に統制する手段を持つべきかについての選択であるという点。アメリカのように私保
険の役割が大きい場合、医療費を抑えることが難しい。保険者機能を活用する方法とどちらが優れているか。
7
社会政策(医療政策)2010
第 4 講 専門職としての医師
4-a. 医療職
医師(doctor)はしばしば「医療専門職」(medical profession)と称される。これは、従来から医師が、代表的な専門職
(profession)とみなされてきたことによる。とすれば、医療職の特徴は、専門職とは何かを理解すればわかるのではないか。
4-b. 一般的用法としての「専門職」
「専門職」の一般的な用法をみると「なんらかの専門性をもった職業」程度の使われ方をしている。この用法における「専門職」
は、「専門性」をどのように捉えるかによってその範囲がかなり違ってくる。他方、「専門職」のポジティヴな響きは、「専門職」が高
いステータスが備わっている職種であることを意味している。「専門職」のポジティヴな響きと「専門性」の曖昧さをついて、「専門
職」は拡散的に自称される傾向をもっている。たとえば、医療専門職(medical profession)に対して、看護師を「看護専門職」
(nursing profession)呼ぶことは多分に自称的である。
「専門性」
特殊な能力(specialty)のことか、高度な能力(expertise)のことか、それは技能的要素(skills)のみから成り立つことが可能
か?それとも知識的要素(knowledge)を主成分としているのか?
官僚は専門職? 消防士は専門職? 職人は専門職? ネズミ駆除業者は専門職?
4-c. 専門職論(profession theory)からのアプローチ
主に英米において、専門職とは何かということが研究されてきた。
Source: Wilensky, H. L. (1964), ‘The Profession of Everyone?’ The AJS, 70-2, 137-158
1
Source: 竹内洋「専門職の社会学 -専門職の概念」
竹内がまとめたように、他の職業とは異なっている職業群があるという認識に基づいて、それをどのようなものとして捉えればよ
いかについて定義のレベルであれやこれやと議論されてきた。そこでは、専門職とは何かという論点と、どの職業までを専門職
と呼んでよいかという論点が、定義問題として一体に提出されていた。興味深いことに、どのような定義の仕方を採ろうとも、医
師が完全な専門職(full-fledged profession)という認識はすべての論者に共有されてきた。このことは、医師が特別な職業で
あるということだけはすべての論者が認めていたということを意味する。
医師という職業には際だった特徴がある
1)
5) 業務独占的資格
強力な職業団体=医師会
2) 医学という科学的知識を背景としている
6) 倫理綱領(ethic codes)の存在
3) 活発な医学研究
7)
高い社会的・経済的ステータス
4) 長期の高等教育
専門職論(profession theories)の二つの系譜
1)
医療専門職や法律専門職などの少数の特権的な職業に関する分析
1970 年代以降権力資源アプローチとして定着→1970 年代の Freidson, E. 以降普及してきたが、近年の専門職の権威の
低下(de-professionalization)の中で再検討を求められている。
2
2) 社会システムにおける専門職の役割に関する研究
パーソンズによる 1950 年代の理論化以降活発な研究成果あり→Parkin, H. や近年の Freidson, E. によって再興されつ
つある。
4-d. E. フリードソンによる専門職の定式化
フリードソンは、1970 年代の研究系列において、医師が高い社会的威信と所得を享受することがいかにして可能となっているの
かについてシステマティックな説明を与えた。いいかえれば、上にみた医師の特徴が互いにどのように連関し合って、医師の社
会的・経済的地位を引き上げているかを説明した1。
1. 職業的自律性(autonomy)の獲得
・・・秘儀的内容かつ社会的に有用→peer review や ethic codes による一定の歯止めのもとに自律的に職務を遂行させる
=自律性
2. 社会的有用性を社会に対して証明し続ける
・・・医学研究、大学教育・資格等による水準維持、倫理綱領(ethic codes)による職業道徳の提示
3. 秘儀的専門性(esoteric expertise)の獲得
・・・素人によっては容易に接近できない水準の知的水準・技能水準を維持する←医学研究・教育・資格
4. 非経済合理的動機の形成
・・・所得を最大化させるのではなく専門職としての職務を理想的に遂行することに関心を払うように成員を社会化―ethic
codes はその道具の一つ
専門職の特性
1.
高い権威と所得
・・・職業的自律性を最大限職業的利益のために利用することで、高い権威と所得を獲得する。結果、社会の利益が損なわ
れる可能性がある。1970 年代以降の権力論的専門職論や医療化論(medicalization)は、この可能性が実現してしまって
いることを批判したもの。
2.
現代社会の専門職化傾向
・・・社会全体が、専門的知識に依存する傾向を強めてゆくというパースペクティヴに基づいて、社会が広く専門職的職業秩
序によって覆われてゆくことを主張する。
3.
国家権力からの自立
・・・専門職の自律性は国家権力からの自律性をも意味する→ただし、このようなあり方はアングロサクソン的であるという批
判を浴びてもきた。英米以外の国々における医療専門職はむしろ、国家権力と一体となる傾向。
4-e. 看護職による模倣
看護者の倫理綱領(日本看護協会)
前文
人々は、人間としての尊厳を維持し、健康で幸福であることを願っている。看護は、このような人間の普遍的なニーズに応え、
1
フリードソンの著作には種々あるが、1970 年代における研究で最重要なものは次のものである。Freidson, E. (1970), Profession of Medicine: A
Study of the Sociology of Applied Knowledge, New York: Harper & Row.
3
人々の健康な生活の実現に貢献することを使命としている。
看護は、あらゆる年代の個人、家族、集団、地域社会を対象とし、健康の保持増進、疾病の予防、健康の回復、苦痛の緩和
を行い、 生涯を通してその最期まで、その人らしく生を全うできるように援助を行うことを目的としている。
看護者は、看護職の免許によって看護を実践する権限を与えられた者であり、その社会的な責務を果たすため、看護の実
践にあたっては、人々の生きる権利、尊厳を保つ権利、敬意のこもった看護を受ける権利、平等な看護を受ける権利などの人
権を尊重することが求められる。
日本看護協会の『看護者の倫理綱領』は、病院、地域、学校、教育・研究機関、行政機関など、あらゆる場で実践を行う看護
者を対象とした行動指針であり、自己の実践を振り返る際の基盤を提供するものである。また、看護の実践について専門職と
して引き受ける責任の範囲を、社会に対して明示するものである。
条文
1.
看護者は、人間の生命、人間としての尊厳及び権利を尊重する。
2.
看護者は、国籍、人種・民族、宗教、信条、年齢、性別及び性的指向、社会的地位、経済的状態、ライフスタイル、 健康
問題の性質にかかわらず、対象となる人々に平等に看護を提供する。
3.
看護者は、対象となる人々との間に信頼関係を築き、その信頼関係に基づいて看護を提供する。
4.
看護者は、人々の知る権利及び自己決定の権利を尊重し、その権利を擁護する。
5.
看護者は、守秘義務を遵守し、個人情報の保護に努めるとともに、これを他者と共有する場合は適切な判断のもとに行
う。
6.
看護者は、対象となる人々への看護が阻害されているときや危険にさらされているときは、人々を保護し安全を確保する。
7.
看護者は、自己の責任と能力を的確に認識し、実施した看護について個人としての責任をもつ。
8.
看護者は、常に、個人の責任として継続学習による能力の維持・開発に努める。
9.
看護者は、他の看護者及び保健医療福祉関係者とともに協働して看護を提供する。
10. 看護者は、より質の高い看護を行うために、看護実践、看護管理、看護教育、看護研究の 望ましい基準を設定し、実施
する。
11. 看護者は、研究や実践を通して、専門的知識・技術の創造と開発に努め、看護学の発展に寄与する。
12. 看護者は、より質の高い看護を行うために、看護者自身の心身の健康の保持増進に努める。
13. 看護者は、社会の人々の信頼を得るように、個人としての品行を常に高く維持する。
14. 看護者は、人々がよりよい健康を獲得していくために、環境の問題について社会と責任を共有する。
15. 看護者は、専門職組織を通じて、看護の質を高めるための制度の確立に参画し、よりよい社会づくりに貢献する。
フリードソンの専門職論は、上のような形式的な模倣によっては full-fledged profession となることができないことを示している。
看護職の場合、知識的要素を究極的に医療専門職に依存しているために、少なくとも医師と協働する状況において自律性を
発揮することはできない。
4-f. 専門職論に対する二つの批判
1)
専門職論がアングロ=サクソン的モデルであるという批判 eg. C. マクレランド
ヨーロッパ大陸における専門職は、国家権力から自律的であったというよりは共生関係にあった。その意味において、フリ
ードソンの定式化は、国家権力による統制が弱いアングロ=サクソン的バイアスがかかっており、専門職の定式化としては
4
歪んでいる。・・・この種の批判は日本の事例からも可能
2)
脱専門職化(de-professionalization)の進展
1.
経済 →他の消費との関係で出過ぎない医療・・・行政の介入を呼ぶ
2.
消費者
3.
保険者
4.
治療医学の限界の認識
医療専門職が自律性を蚕食されてゆくなかで、フリードソン的枠組みも無効化しつつある。
4-g. 専門職論の再構成
伝統的に専門職とみなされてきた 3 つの職種
1)
医師
2) 法律家
3) 聖職者
重要なのは、聖職者(the clergy)が代表的な専門職とみなされていたという事実である。彼らは、神の意思を翻訳することに関
する職務上の自律性は有していたが、経済的特権を享受していたとはかならずしもいえなかった。ここに、自律性の程度が国
家を凌駕するほどでなくとも、経済的威信が失われても、マイルドな形で専門職が存在する可能性をみることができる。
T. パーソンズ
「専門職は、その発展は明らかににまだ不完全ではあったけれども、近代社会においてすでに最も重要な単一な構造的構成
要素となっていた。それは言葉のかなり初期近代的意味において、まず『国家』に取って代わり、ごく最近では『資本主義的』経
済組織に取って代わった。組織形態の資本主義的とか社会主義的とかいった特殊性を越えて、専門職の壮大な出現は 20 世
紀における決定的な構造的発展である。」2
「資本主義に関する主要な理論家、とりわけマルクスとその伝統を引き継いだ人たちが近代産業社会全体とセルフ・インタレスト
という概念によって特徴づけ、また営利企業を、家族をこえてセルフ・インタレストを組織化するまさに典型的単位として取り扱う
傾向があったということである。そのようなわけで、近代産業社会の社会構造にはもう一つの重要な成分が、職業のレベルにお
いて存在するということがともすれば無視されがちであった。専門職というカテゴリーがそれである。専門職に関して、経験的に
セルフ・インタレストをもっぱら志向しても当然だとか、専門職従事者の典型的志向は、経験的にもセルフ・インタレストによって
特徴づけられるといわれたりしたが、実際に専門職に携わる人びとはこうしたきめつけをはねつけている。資本主義に関する理
論化の観点からすれば、私企業が繁栄してきている同じ社会の中で専門職の重要性が増してきていること、しかも専門職が主
として私的営為であるということは逆説的であるように思われた。つまり専門職というものは、政府の要員のように「社会主義的」
要素ではなかったのである。」3
H. パーキンの専門職社会(professional society)
「工業化以前の社会が貴族である地主によって支配され、工業化社会が産業資本家(capitalist entrepreneurs)によって支配
されたように、専門職社会は職業専門家(professional experts)――伝統的な専門職や新興の技術専門職ならびに福祉専門
職のみならず専門的経営者や官僚を含め――によって支配される社会である。だが専門職社会は、支配階級が産業資本家
2
3
Parsons, T. (1968), ‘Professions’, in Sills, D., International Encyclopedia of the Social Sciences, Vo., 12, New York.
T. パーソンズ (1973)『社会構造とパーソナリティ』新泉社 1973, p431.
5
から職業専門家へとただたんに交替しただけの社会ではない。土地資産や興業資本は限られた資源であり、通常は一握りの
人々のみが所有しているのに対して、専門家という稀少資源は、高度に熟練しかつ非常に多様化した労働者からなる人的資
本(human capital)であって、多種多様な職業に必要な専門教育を受けることのできる人々が存在するかぎり拡大しうるものな
のである。」4
4-h. 介護職の専門性と専門職化について
4
H. J. パーキン (1998)『イギリス高等教育と専門職社会』玉川大学出版部, p. 9.
6
社会政策(医療政策)2010
第 5 講 治療に対する社会的期待の形成
5-a. 医療のコスモロジー
J. シムコッツ博士の臨床記録
「ケンブリッジのクリスチャン・テナム婦人(50 歳)はよく眠れず、この 15 年間、毎晩 2 時間か、よくて 3 時間しか眠れなかった。
20 年前から、婦人は動悸を感じ、休もうとして横になると、目の前をさまざまな姿や形が通りすぎていく。耳鳴り。そして重い荷
物かおもしで頭のてっぺんをたえず押さえつけられている感じがする。・・・」1
・臨床記録は、経過の客観的な描写ではなく、患者による主観的な病像の記述
・医師は主に対話を通じて患者を観察する
・接触は避けられる
19 世紀前半 R. ラエネクによる聴診の実施および聴診器の発明(1816)
聴診器の発明に端を発し、咽頭鏡や検眼鏡の発明、脈拍や肺活量の測定、顕微鏡の活用、レントゲンによる X 線の発見
(1895 年)へと繋がってゆく。
1
ライザー, S. J. (1995)『診断術の歴史 医療とテクノロジー支配』平凡社
1
19 世紀後半 細菌学の隆盛
2
Jewson, N. D. (1976)による医学的世界観(medical cosmology)の 3 段階論
Bedside Medicine (18 世紀まで) → Hospital Medicine (19 世紀前半)→ Laboratory Medicine (19 世紀後半以降)
3
5-b. 外科領域における発展
麻酔法・消毒法
2 Brunton, D. (2004), Medicine Transformed: Health, Disease and Society in Europe 1800-1930, Manchester: Manchester University
Press, p. 13, p. 23.
3 Jewson, N. D. (1976), ‘The Disappearance of the Sick-Man from Medical Cosmology, 1770-1870’, Sociology, 10-2, pp. 225-244.
2
4
1900 年に帝国大学医科大学を卒業し、後に帝国大学教授となった塩田広重の述懐によれば、大学卒業当時の手術について、
「腹を割る手術など一年に三、四例しかない」状況であり、消毒が不徹底であったため、死亡率も非常に高かったという。塩田曰
く「とにかく完全消毒ということがやかましくいわれだしたのは、明治の終りからである。」5
清潔な病棟の普及
ハーバート病院(ウールウィッチ:イギリス、建設 1859-64 年)の鳥瞰図
Source: Wellcome Library, London
5-c. 医学的知識の普遍性と伝播
X 線は、ドイツのヴュルツブルグ大学教授であったレントゲンによって 1895 年にその発見が公表された。この情報は同年 12 月
28 日にヴュルツブルグの物理・医学会『紀要』に掲載され、また 1896 年 1 月 1 日にその記事に X 線写真を添えて著名な物理
学者に送付された6。さらに、1896 年 1 月 6 日には、この情報はロンドンから全世界に海底通信を通じて発信された。日本には
電信による情報は伝わってこなかったが、それでもほどなく汽船経由でこの情報が日本にも到着し、同年 2 月 29 日の東京医事
新誌に速報記事が掲載された。そして、後藤五郎の調査では、同年中に学術誌でこの X 線に関する記事が 20 回取り上げら
れた。また、日刊新聞においても、3 月から 4 月の間に 13 本の記事の掲載がみられた。そして、1897 年 4 月には東京帝国大
学解剖学教室に X 線装置が導入され、同年 9 月には、公立名古屋好生館が装置を購入している。平行して島津製作所では、
4
5
6
トートワルド, J. (1995)『外科の夜明け 防腐法-絶対死からの解放』小学館
塩田広重(1962), pp. 55-56。
Reiser (1978), pp. 58-60.
3
同年中に教育用 X 線発生装置を開発し、日本各地で実験公演巡回を行っている7。
ドイツ語による医学的知識の日本国内における急速な伝播
国立国会図書館医学・薬学邦文蔵書
1868‐1912年
200
180
医学
基礎医学
160
診断治療
鍼灸・按摩
140
内科
精神科・神経科
収蔵数
120
伝染病
小児科
100
外科・泌尿器科
産婦人科
80
眼科
耳鼻咽喉科
60
歯科
衛生
40
法医学
20
薬学
日本薬局方
0
1868年
1870年
1872年
1874年
1876年
1878年
1880年
1882年
1884年
1886年
1888年
1890年
1892年
1894年
1896年
1898年
1900年
1902年
1904年
1906年
1908年
1910年
1912年
医学・薬学計
5-d. 20 世紀医療
治療医学に対する大きな社会的期待の形成を背景として
1)
専門化(specialization)
2) 専門職化(professionalization)
3) 医療の病院化(hospitalization of medicine)
4) 医療化(medicalization)
5-e. 医療への期待の歴史 「医療の社会化」運動
「施薬救療の詔」(1911 年)
「若シ夫レ無告ノ窮民ニシテ医薬給セズ、天寿ヲ終ルコト能ハザルハ、朕ガ最モ軫念ニシテ措カザル所ナリ」
これに呼応して、恩賜財団済生会(半官半民)と実費診療所が生まれる。これらが人びとに医療を普及させてゆこうとする運動
=「医療の社会化」運動の嚆矢とされる。
実費診療所大阪支部(1914 年)
7
後藤五郎(1969),
pp. 5-19
4
5
5-f. 治療のために我慢する患者の形成
パーソンズの病人役割論
患者は日常生活および日常世界における役割から切り離されるという意味で、逸脱(deviance)の一形態であり、そこでは「病
人役割」が与えられる
病人役割
1)
正常な社会的役割の責務から権利的にも義務的にも免除されること
2) 独力で健康を回復されることを求められておらず、かわりに、他者の援助を受け入れること
3) 病気が好ましくない状態であることを認め、できるだけ迅速に病気から回復しようと努力すること
4) 回復しようとする過程で医師に協力する義務があるということ8
医師の特権
8
Parsons, T. (1951), The Social System, New York: The Free Press, Chapter 10.
6
1)
患者に対して権威的に振る舞う
2)
患者の秘密に触れる
3)
患者の体にダメージ(侵襲)をもたらす
4)
病院において患者を非日常的状況で管理する
患者は日常生活から切り離され、しかも医師に対して通常であれば認められないような特権を与える。これは患者側が医師の
治療に対して、大きな期待を持っていることによってはじめて社会的に認められるものである。パーソンズの観察は、20 世紀中
葉のアメリカにおいて、大きな治療期待が社会的に形成されていたということを裏書きしている。
5-g. 治療医学への社会的期待の変容(20 世紀末ごろから)
1)
医療サービス消費者としての患者の形成
2) 人口高齢化
病気は治すものではなく、つきあうもの。
3) 疾病構造の変化
急性感染症→慢性感染症→退行性疾患(生活習慣病・がんなど)
4) 医学の変質
ペインコントロール、侵襲の小さな治療法の開発・・・単に難治・不治の病気を治すことのみが目標ではなくなりつつある
7
社会政策(医療政策)2010
第 6 講 病院の世紀としての 20 世紀
6-a. 国際比較的な観点からみた日本の医療
イギリス
1) 施設と機能の位置づけが分離的(病院=セカンダリ
ケア、診療所=プライマリケア)
2) 専門医=病院、一般医=診療所という分離が明確。
一般医は医学校卒業後短期間で病院での勤務から
分離され、このため、一般医には、病院でセカンダリ
ケアを担当する能力が欠如している。
3) 医療への入り口が限定され、一般医はかかりつけ医
となる。
アメリカ
1) イギリスよりは緩やかだが、施設と機能の位置づけが
分離的。
2) すべての医療領域は専門医によって担当される。ア
メリカの大部分の医師は、自ら診療所を営みつつも、
一方で近隣の病院と病床やその他施設の利用に関
する契約を交わし、同時に病院での手術やそのた治
療を兼務する。アメリカでは、レジデンシーという卒
後教育プログラムによって、すべての医師を専門医
として養成するシステムをもつ。
3) 医療への入り口は基本的にかかりつけ医。
イギリスの診療構造
診療所
プライマリケア
病院
一般医
専門医
セカンダリケア
注1)上図の灰色部分は対応する医療施設が存在しないことを意
味し、白色部分が施設間分業のパターンに対応している。
注2)点線は、医師の就業パターンに対応している。
注3)実線は、患者の受療パターンに対応している。
日本の診療構造
診療所
プライマリケア
病院
開業医/勤務医
セカンダリケア
勤務医/開業医
無床診療所
有床診療所
アメリカの診療構造
診療所
病院
日本
プライマリケア
1) 病院は大きな外来部門をもちプライマリケアに参入
している。また、診療所を経営する開業医は、そこに
病床を設けることによって、セカンダリケアに参入し
ている。その結果、日本では病院と診療所の分業お セカンダリケア
病院と診療所の業
よび境界線が不明確。
務を兼業
2) 開業医と勤務医は医局制度の下で同様の臨床経験
をし、同質的な能力を有する。これに対応して、既存
病院へのアクセスをもたない日本の開業医は、自前で病床を持つことにより、セカンダリケアへのアクセスを確
保しようとする。
3) 病診競合、開業医・勤務医の同質性に対応して、英米に比して多様な患者の受診パターンが形成される。
1
6-b. 日米英 3 カ国にみられるこの違いは一体何か?
6-c. 3 原理に基づく分類法は、日本の次のような特徴を一括して説明する
2
6-d. 病院の世紀の歴史理論
日米英 3 カ国における原理選択の同時性
日本の診療構造が所有原理に基づくとは、病床を活用することができる医師が実際に病床を自前で所有すると
いうことである。このようなあり方の源流がどこにあるかを検討してゆくと 20 世紀初頭という時期に行き当たる。驚
くべきことに、アメリカにおいて開放原理型システムが形成された時期も 20 世紀初頭のことであり、さらに、イギリ
スにおいて身分原理型システムが形成されたのも 20 世紀初頭のことであった 。
医療の病院化
3 カ国による原理選択の同時性は何によってもたらされたのであろうか。20 世紀初頭、明らかに医療には大き
な変化が生じていた。それは、病院が歴史上初めて、診療の有効性の観点から最も優れた施設となったという
ことである。言い換えれば、病院が、歴史上初めて、診療所や在宅よりも安全な場所となったということである 。
それに伴って、医療供給システムは、病院および病院での高度な治療をヒエラルキーの頂点とするシステムへ
と再編されることとなった。これを診療構造に関する意義として解釈すれば、パターン領域(病院-診療所、セ
カンダリケア-プライマリケアによって張る平面)の生成に相当する事態であった。
医師は病院と診療所という非常に性質を異にする施設に対して、人的資本をどのようにして分配するかという問題
に直面した。
a) イギリスでは、二種類の施設に二種類の医師で対応した。
b) アメリカや日本では、二種類の施設に一種類の医師で対応した。日米の違いは病院の外側に置かれた医
師の病院医療の能力の生かし方である。
病院の世紀の仮説
I. 医学・医療技術の進歩を背景として、19-20 世紀転換期を境に、日本を含む先進各国は、診療構造を生成
する 3 原理のいずれかを選択することを迫られた。
II. 各国による原理選択は、およそ 100 年という、近代史としては長い期間にわたって、各国の医療システムを、
初期の原理選択が指示する歴史的経路に規律してきた。
III. 20 世紀を終えた今日、病院という施設は、医療の中核としての位置から、医療・福祉領域に広がる多様な
ネットワークの「結び目」の一つとしての位置づけへと後退しつつある。
病院の世紀の理論の意義
I.
医療史へのインパクト: 近代日本医療史における従来の時代区分(明治維新~戦時期←→戦後)と
は異なる歴史観
II.
福祉国家論へのインパクト: 従来の福祉国家論側からの医療史(医療保障史)が医療の需要面しか
見ていないという点で不完全な歴史観であるということを立証
III.
比較医療史へのインパクト: 英米中心の 20 世紀医療史に普遍的モデルとしての日本を追加するこ
とで、医療史の歴史理論を生成
IV.
医療政策へのインパクト: 現在がおよそ 100 年ぶりの医療の変移期であることを含意
3
社会政策(医療政策)2010
第 7 講 20 世紀日本における医療供給システムの発展
7-a. 日本の医療供給システムの特徴
病院の世紀の理論
1) すべての医師が専門医として養成される →医局制度
2) 医師が自ら病床を所有する機会を有することでセカンダリケアへのアクセスを確保 →開業医立病院・開業医立有
床診療所の多さ
1
7-b.
明治期日本における医学教育
・臨床経験の蓄積パターンが決定因
・明治初期に形成された 3 養成経路・4 階層を縦断する臨床経験
①
エリートは開業せず(明治前半)
②
エリートによる開業の潮流(明治後半以降)
③
すべての階層の医師が比較的長い病院勤務を経て開業するパターンへ(1920 年代ごろに確立)
2
3
7-c. 20 世紀前半日本における医師のキャリア
4
7-d. 20 世紀前半日本における医師による病床所有
・公立一般病院の不振・・・地方財政の弱体
5
・フィランソロピーの欠如
・「安上がりな病院」モデルによって開業医による病院は高収益事業となる
6
社会政策(医療政策)2010
第 9 講 病床の 20 世紀
9-a. 「社会的入院」説の形成・・・治療機能に純化してゆく病院
「病人ではなく老人が病院に住んでいる」という告発
1) 1970 年代以降病床数(人口あたり)が他の先進国と異なり増大
2) 1970 年代に高齢者の入院受療率が急上昇
3) 平均在院日数が長い
人口1000人当り病床数
OECD health data 2000
18.0 日本
16.0 14.0 12.0 病床数
フランス
10.0 (西)ドイツ
日本
8.0 スウェーデン
6.0 イギリス
4.0 アメリカ
2.0 1998年
1996年
1994年
1992年
1990年
1988年
1986年
1984年
1982年
1980年
1978年
1976年
1974年
1972年
1970年
1968年
1966年
1964年
1962年
1960年
0.0 平均在院日数
OECD health data 2000
70.0 60.0 日本
50.0 フランス
日数
40.0 (西)ドイツ
日本
30.0 スウェーデン
20.0 イギリス
アメリカ
10.0 1
1998年
1996年
1994年
1992年
1990年
1988年
1986年
1984年
1982年
1980年
1978年
1976年
1974年
1972年
1970年
1968年
1966年
1964年
1962年
1960年
0.0 前提
1) 病院(病床)は病人のみを収容すべきである(病院は医学的治療の場であって生活の場ではない)
2) 病院は治療のための高度な資本の集積体であり、治療の対象でない者が病院にいることで経済効率が悪化
する
3) 老人は病院にいるよりも介護施設・在宅の方が快適にすごせる
→病院にいる老人を退院させることで、経済的であると同時に、高齢者にとっても効果的である
→老人の入院は「社会的入院」である
ここから、病床数・平均在院日数をターゲットとする政策が生ずる。すなわち、病院が治療に特化してゆくと、平均
在院日数は少なくなる。このとき、入院治療需要が一定とすれば、必要病床数も少なくなる。
9-b. 病院医療とナーシングホーム・在宅ケアの関係 ・・・退院後の「受け皿」の必要性
病院病床と介護施設(ナーシングホーム)ベッドの日米比較
3,500,000
3,000,000
2,500,000
病床(日本)
ナーシングホーム(日本)
病床(米国)
ナーシングホーム(米国)
ベッド計(日本)
ベッド計(米国)
2,000,000
1,500,000
1,000,000
500,000
19
28
19 年
31
19 年
34
年
19
37
19 年
40
19 年
43
年
19
46
19 年
49
19 年
52
年
19
55
年
19
58
19 年
61
年
19
64
19 年
67
19 年
70
年
19
73
19 年
76
19 年
79
年
19
82
19 年
85
19 年
88
年
19
91
19 年
94
19 年
97
年
0
2
1
一般に治療が不要な患者が社会復帰できるわけではない → 退院患者の「受け皿」としての施設や在宅ケアシス
テムの整備が必要
アメリカではナーシングホームベッドが 1960 年代以降の病床の減少に代替したことが、ナーシングホームベッド数
と病床数の合計は 1970 年代以降ほぼ一定に保たれてきたことから示唆される。これに対し、日本では 1990 年代
に入るまでナーシングホームベッド(介護ベッド)数は病床に比べると、ほとんど無視できるほど少なかった。このこ
とは、アメリカと日本とでは退院患者の「受け皿」の歴史に違いがあることを示している。
この「受け皿」の歴史が、病院の治療機能純化の歴史の裏のストーリーになる。
9-c. 病床とは何か?
歴史的にみれば「病人を治療する床」であるよりも「病人が寝る床」
機能上の多様性: 宿泊・休息・居住・世話・隔離・治療・医学教育など
9-d. 隔離機能中心の 19 世紀日本における病床
コレラの流行とそれに対する対策→1897 年 伝染病予防法
上下水道整備のための財源がなく、戦前を通じて隔離法中心の防疫体制
戦後保健所網が整備される過程で、伝染病床は急速に衰退。
1
『高齢社会白書』(平成 17 年版)http://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2005/zenbun/html/H1152000.html
3
病床数の変遷(用途別)
1913‐2000
10,000,000
一般病床
精神病床
結核病床
癩病床
1,000,000
娼妓病床
伝染病床(伝染病院)
伝染病床(隔離病舎)
病床数
100,000
10,000
1,000
1999年
1996年
1993年
1990年
1987年
1984年
1981年
1978年
1975年
1972年
1969年
1966年
1963年
1960年
1957年
1954年
1951年
1948年
1945年
1942年
1939年
1936年
1933年
1930年
1925年
1922年
1919年
1916年
1913年
100
9-e. 一般病院・一般病床の歴史
18世紀
西洋世界
日本
修道院など病院の起源
寺社などによる病人収容
の伝統?
↓
↓
篤志病院・ワークハウスの
増加
近代に連続せず
↓
19世紀後半
20世紀
↓
→明治維新期に病院制度
の移植
↓
↓
治療機能を中心とした病院制度の成立
イギリス
18 世紀に病院(hospital)の建設運動が進展した
篤志病院(voluntary hospitals)・・・非営利型病院の原型(戦後イギリスでは国営化された)
ワークハウス(workhouses)・・・公立病院の起源
4
19 世紀までの病院
① 伝染病などの感染の危険の高い場所
② 生活の規律にうるさい
③ 訓練されない職員(看護人・寮母など)
④ 医師はたまに病院を訪問する
→貧困者にとってはそれでも一時の休息・世話を得られる場所であり有り難い場所であった
→だが、富裕層の人々にとって病院とは、慈善の場ではあっても自分が入院する場所ではなかった。
→富裕層の人々は医師を自宅に呼んで診療を受けた。
紹介状
富裕層
寄付
理事就任
大衆
紹介状を
持って入院
(無料)
富裕者の
自宅におい
て有料診
篤志病院
医師
無償奉仕と
して時折訪
問
19 世紀後半
① 麻酔法・消毒法など外科領域における技術革新
② 衛生的な病棟という観念の発達・・・F. ナイチンゲールなどの貢献
ナイチンゲール病棟
2
2
http://www.gla.ac.uk/faculties/medicine/history/20thcentury/nursing/
5
③ 細菌学などを代表とする医学的知識の飛躍的進歩
19-20 世紀転換期ごろ
→次第に病院は、先端的医学・医療技術を実践する場へと変貌してゆく=病床は治療機能を中心としたもの
へと変化
9-f. 日本における病院・病床
江戸時代に篤志病院とやや似た病院(小石川療養所)もあったが広まらなかった。
1)明治維新期から 20 世紀初頭まで
明治期に西洋文化の一つとして移植され、江戸時代の文化的伝統との間に歴史的断絶
モデルとしての西洋型病院
富裕層
患者として
病院を利用
病院
大衆
優れた西洋
医たちが集
結
その他の医
師
① 当時「国手」などと呼ばれた名医たちが集められ、中産階級以上の人々が利用(医師が優秀であったことが
病院の他の場所に対する優位性をうみだしていた)
② 有料
③ 柔軟な利用法
3
3
1911 年ごろの東京病院の病室・手術室(『東京医療案内』1911)。
6
2)20 世紀初頭から戦時期まで
私立病院の病床利用率は 1930 年代においても 30%台と低かった・・・病床が治療機能に特化する必要がなか
ったことを示唆している
一般病床の病床利用率(1928-1940年)
1928年
1929年
1930年
1931年
1932年
1933年
1934年
1935年
1936年
1937年
1938年
1939年
1940年
公立病院
私立病院
公立
個人等 公益法人 外国人
61.1%
60.5%
58.0%
53.9%
53.8%
58.3%
59.1%
61.9%
64.2%
67.2%
76.2%
80.6%
73.2%
34.9%
33.3%
32.1%
29.9%
27.2%
30.9%
34.5%
34.0%
36.0%
35.0%
37.0%
42.5%
45.3%
70.8% 40.3%
68.6% 39.8%
65.9% 37.2%
62.1% 36.2%
61.5% 44.3%
62.7% 34.0%
57.4% 51.4%
66.0% 56.1%
78.5% 56.9%
72.2% 71.3%
63.6% 83.4%
76.1% 105.5%
78.6% 74.2%
施療病院
公立
私立
86.3%
70.4%
77.5%
88.2%
89.2%
91.1%
92.5%
86.5%
88.1%
83.0%
85.1%
78.1%
84.3%
69.9%
79.8%
73.8%
79.8%
76.1%
83.8%
58.6%
74.6%
92.2%
90.1%
84.4%
55.9%
80.5%
source: 内務省『衛生局年報』各年
3)20 世紀後半
戦前に確立した裾野の広い私立病院中心の一般病床供給の構造は変わらず
戦時期から 1970 年代にかけて結核病床が盛衰する
伝染病床は保健所網による新しい公衆衛生システムにとって替わられる
→精神病床以外の病床の大部分が一般病床化
開業医による病床蓄積に有利な制度変化
48 時間規制の挫折、医療法人制度、医療金融公庫、税制優遇、中小病医院に有利な診療報酬体系(乙
表)
開設者別病床数(一般病床+療養病床)
総 数
療養病床(A) 一般病床(B) A/(A+B)
総数
1,261,244
350,230
911,014
27.8%
国
110,780
277
110,503
0.3%
公的医療機関
315,907
18,919
296,988
6.0%
社会保険関係団体
35,891
1,585
34,306
4.4%
公益法人
67,527
15,357
52,170
22.7%
医療法人
575,268
281,856
293,412
49.0%
学校法人
52,283
185
52,098
0.4%
社会福祉法人
26,891
6,885
20,006
25.6%
医療生協
13,158
2,779
10,379
21.1%
会社
12,195
697
11,498
5.7%
その他の法人
9,984
1,549
8,435
15.5%
個人
41,360
20,141
21,219
48.7%
医育機関(再掲)
89,031
221
88,810
0.2%
『医療施設調査』(平成18年版)
「社会的入院」の増大は 1973 年における老人医療無料化の影響が大きいとされているが、供給側の条件も重
要であることが下表から分かる。
7
一般病床の平均在院日数(開設者別-患者数上位5者)
1955年
1965年
1970年
1975年
1980年
1985年
1990年
1999年
総数
28
30
32
34
38
39
38
31
医療法人
24
28
32
37
45
52
52
43
個人
23
26
27
33
39
51
52
48
厚生省
34
37
46
52
56
53
49
41
source: 厚生省『病院報告』各年
開業医によって設置された病床には、老人を受け入れる条件があった。
9-g. 柔軟な用途を維持してきた日本の病床とその未来
1993 年における療養型病床群の設立 → 療養病床
2006 年 2011 年までに療養病床を 15 万床まで削減計画
2008 年 削減計画の見直し
8
都道府県
30
37
37
34
33
31
29
24
市町村
29
33
30
31
31
29
27
21
社会政策(医療政策)2010
第 10 講
地域包括ケアの社会理論へ
10-a. 「医学モデル」から「生活モデル」へ
背景
・治療=「医学モデル」での対応に限界のある高齢者の増大
・生活習慣病中心の疾病構造への変化
・障害者福祉領域で主に発達した諸概念の社会全体への浸透
包括ケアの前提条件としての「生活モデル」
・保健・医療・福祉が人びとの生活の質を増進するという 1 つの目標の下に統合される
・医療は従来の特権的な位置から生活を支援する多様な社会サービスの重要ではあってもあくまで一
要素へと後退する
国際障害分類(ICIDH)における障害モデル
disease or disorder
病気/変調
impairment
機能障害
disability
handicap
能力障害
社会的不利
10-b. 新しい健康概念の構造
生活概念の 3 層
1)不可知の層
究極的には本人を含めて良い生活とは何かを知らない
→本人の自己決定に負荷がかかるという課題
2)日常評価の層
日々の生活実践において暫定的な評価基準によって生活の良し悪しを選択
→包括ケアが地域ケアを要請する理由=地域包括ケアは一定の犠牲を前提として達成されるべき
理想(≠ケアのコストを引き下げる手段)
3)生存権の層
最低限の生活に必要な要素については広範な合意を得やすい
→どこまで客観的にニーズを把握できるか(=生存権保障がカバーできる領域はどこまでか)
10-c. 地域包括ケアシステムへ
~包括性と地域性
包括性
保健・医療・福祉が、生活の質(QOL)という目標を共有するサブシステムとなることで、ヘルスケ
アシステムはより統合的・包括的な性格を帯びる
地域性
1. 人々の日常評価的 QOL は在宅ケアを支持する
2. 多様な日常評価的 QOL への対応としては地域社会からの資源調達が合理的
3. 情報は本人およびその周辺にあることから援助者は在宅・地域に展開する必要あり
10-d. 地域包括ケアシステムの実現可能性
地域性・包括性だけでは地域包括ケアシステムは中身のない箱のようなもの
1
1) 医療職の設計が難しい
2) グランドデザインの設計をいかに実現するか
3) 高等なシステム
→
多職種連携・地域連携をいかに実現するか
4) 社会的・経済的負担が大きい可能性
→
負担に関する社会的合意、効率性をいかに調達するか
地域包括ケアシステムのヴァリエーション
図
資源投入:十分
d. 支援制度の
乱立
b. 優れたケア内容
だが高負担
a. 優れたケア内容
かつ負担軽減
連携:高等
連携:単純
現状
c. 地域社会へ
の過剰な負荷
資源投入:不十分
病院の世紀における制度制約が解除される
→地域包括ケアシステムの構築にあたっては長期的展望に基づいて基本デザインを形成する必要
1.ケアの安定したイメージの喪失
→制度の安定化・固定化を主目的とする政策の意義が小さい
→長期的な展望を示すことが必要
→「医療崩壊」論の再検討
2.20 世紀において政策の前提とされた制度の流動化
①
地域包括ケアへのアクセス
②
関連資本の蓄積方法(医療法人・社会福祉法人制度、医療保険・介護保険制度、専門職団体)
③
多職種連携のあり方
④
施設間連携のあり方
10-e. 地域包括ケアシステムに生ずる課題領域
a.
自己決定の過剰の可能性
 20 世紀医療システム
客観的目標=健康を指示するメカニズムを内包
→医療(medicalization)のリスクを背負う
→供給すべきケアの内容(ニーズ)を専門家が把握することを正当化
地域包括ケアシステム
客観的目標=健康を生成するメカニズムもたない
→ケアの内容を社会規範・クライアントの自己決定に強く依存する傾向をもつと考えられる
2
b.
地域包括ケアシステムの 2 つの極
1.
在宅・地域ケア
2.
高度医療
→施設ケア部分にアイデンティティの空白が生ずる
→特に医療職(医師・看護師)のキャリアパス形成に課題を生ずる
包括ケアにおける二つの目標
目標=QOL
急性期病院
在宅
目標=治療
←在宅(地域)系
施設ケア
3
急性期→
社会政策(医療政策)2010
第 11 講
まとめ
11-a. 「医療崩壊」とは何だったか

産科医不足(地域医療崩壊?)・・・診療報酬を上げたら志望者増大
→診療報酬・労働強度の問題
の可能性(訴訟リスクは?)

救急車のたらい回し(コンビニ受診による医療崩壊?)

医事関係訴訟増加(医師と患者の信頼関係の解体)・・・元には戻らない

医局制度解体(地域への医師派遣力の低下)・・・元には戻らない

自治体病院の経営難・・・直接的には医局制度解体と診療報酬の問題だが、長期的には存在理由の問
題

後期高齢者医療制度問題・・・不安心理の反映
★それぞれは現場においては深刻な問題を生じているが、総じて、移行期的性格と個別的性格のものの
組み合わせであり崩壊現象とはいえない。個別的性格のものについては対症療法的政策が可能であり、
移行期的性格のものについては、長期的展望を示すことが対処方法となる。
11-b. 長期的展望とは何か
地域包括ケアシステム
ヘルスケアシステムがより地域性・包括性を帯びる
中身はまだ分かっていない
11-c.
取り組みから

高知市における保健活動

助産院にみる可能性
友人
県外の親類
民生委員
70代、女性
未申請
≪1人暮らしの方の例≫
銭湯
大家
同じアパートに住む
独居高齢者
美容院
82歳、女性
要支援1
老人憩所
(カラオケ)
長男家族
住み込みの職人
詩吟の
(裏の家)
シルバー人材
集まり
亡夫の子
センター
銀行 はりまや商店街
薬局
とその夫
86歳、女性
未認定
喫茶店
民生委員
77歳、女性
要支援1
入浴に行く
ホテル
外食先レ
ストラン
友人
外食先レ
ストラン
スーパー・
銀行
次男の子ども
近隣住民
民生委員
77歳、女性
要支援1
入浴に行く
ホテル
銀行
スーパー・銀行
スーパー・
銀行
美容院
スーパー
よく行くスー
パー・コンビニ
友人
銀行
配食サービス
民生委員
67歳、男性
要支援1
民生委員
妹
二軒隣の理容院
≪家族と同居の方の例≫
近隣住民
(民生委員)
82歳、男性
要介護1
前の家
の奥さん
長男
妻
いとこ
駐車場を貸してい
る理容院
近所の人
84歳、女性
要支援1
新聞配達員
はち
きん
の店
いきいき百歳
体操
87歳、女性
要支援1
息子
夫婦
孫
親類
娘
次男
娘
近隣
住民
1
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