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JSL漢字学習研究会誌 - 南山宗教文化研究所

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JSL漢字学習研究会誌 - 南山宗教文化研究所
JSU
藁字学習研究会誌第 5号
漢字の書き方を独学でより速く身につけることについて
J.W
・ハイジック
南山宗教文化研究所第一種研究所員
漢字をまったく知らない大人が漢字の書き方と意味を学ぼうとする際,主要な障害は二つ
あります。すなわち教室と日本人教師です。個人的経験からそう思うのですが,漢字教育の
専門家からみれば私の経験には致命的な欠陥があるでしょう。第ーに,私は言語を教室内外
で教えたこともなければ,言語学を研究した学歴もありません。第二に,私に漢字の読み書
きを教えてくれた先生は漢字をまったく「知らず J,また日本語の単語も全然「知らない j
人でした。要するに,私は漢字教育とは無縁の哲学教師であり,漢字をまったくの独学で学
んだのです。
したがって以下に述べる見解が漢字教育の専門家からみれば役に立たない,不適切なもの
とみなされてもしかたないと私は覚悟しています。とはいうものの,どれほど学習しでも基
本的な識字に該当する漢字が書ける能力をもっ外国人が極めて少ないことは事実です。そこ
でせめてもの願いとして,その少なさの理由をあらためてお考えいただければと思います。
はじめに私がどのように一ヶ月間で当用漢字の書き方を暗記したかについて簡単にお話しし
ましょう。
日本語との最初の出会い
名古屋における南山宗教文化研究所の創設にあたって協力者として招聴された私は,一九
七七年九月末に来日しました。当時の南山大学学長ヨハネス・ヒルシュマイヤ}は私が鎌倉
の日本語学校に入学できるようにすでに手筈を整えていました。私は来日途上にインドおよ
びパング、ラデシュで講演を行うように急きょ依頼されたこともあって,予定から数週間後れ
て日本に到着しました。校長先生のマヌエル・アモロスはバスク人のイエズス会司祭でした
が,学校付属の寮で彼が使用していた部屋を私に譲り,教科書を手渡し,さらに先に学び始
めていた他の生徒の水準に追いつくまでのあいだ授業料を免除してくれました。
学校の雰囲気はなかなか和やかで,生徒は一緒に食事をとり,休息の時間にはバレーボー
ルやサッカーを楽しんだものです。一方,先生方は親切で,生徒と親しくやり取りしていま
した。しかし,他の生徒がみな教室に通い,学校のシラパスに沿って勉強していたにもかか
わらず,私はといえば部屋に閉じこもっていました。
私は日本語という言語の基本的構造を把握しようと考え,最初の一ヶ月でアントニ・アル
フォンソ著 JapaneseLanguagePatterns全二巻を読み通しました。そのあいだは語葉,発
音,仮名,漢字をすべて無視して,ただ単に文法の骨組みを理解することを目的にして学び
すすめました。
とかくするうちに,四方八方から教室に顔を出すように圧力をかけられましたが,
r
まだ
まだ追い上げ途上にある J という言い訳のもと,独学を続けました。第二巻の終わりに近づ
ー2
5-
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くころ,先生や生徒の言うことに真剣に耳を傾けるようになりました。彼らはなんといって
も「漢字j は難しいぞと言っていました。私は文法の構造全体を一応理解できたものと判断
して,つぎに学校の図書館に揃っている漢字の教科書を調べることにしました。
最初から不思議に思われたのは,外国人が最終的に習得可能と思われていた漢字がいかに
少ないかということでした。終戦直後に基本識字の標準として定められた「当用漢字」一八
五O字の読み書きを覚えることなど外国人しかも大人であるならばなおさらまず無理だとい
う前提が,教科書の背景にあるかのようでした。どの本を聞いてみても,ほとんど例外なく
前半のページには耳折れ,捲り跡が残されているものの,後半は新品かのようでした。鎌倉
の日本語学校では二年間の教育が実施されえていたのですが,そこで使われていた謄写版教
科書も「教育漢字J の八八一字に限られていました。当時の教師によれば,一番優れた生徒
であってもそれ以上は必要ないということでした。要するに基本識字の習得など論外で,せ
いぜい小学生の水準に達することが狙いだと知って仰天しました。勉強方法を教室にゆだね
たままならば,たとえ二年間学んだとしても,研究所に勤め,日本の研究者と交流すること
など空想にすぎないと思いました。
それで当時有名だった長沼スクールではどのように漢字を教育しているのだろうかと思い
立ち,東京にあったその日本語学校を訪問してみました。図書室の資料を検討したり,生徒
たちと話し合ったりした結果,結局鎌倉の日本語学校で感じた思いをさらに強めただけでし
た。その結果,帰りの電車の中で教科書を使って漢字を習得することを一切棚上げすること
に決めました。そしてまずは標準的な識字水準に到達するために学ぶべき内容を概観したう
えで,はたして私のような人聞にとって本当に達成不可能な課題なのだろうかということを
徹底的に考えようと心に決めました。
夕食後図書室にもどって,漢字の歴史についての一番分厚い本であったレオン・ヴィジ
ェル著白'
r
a
c
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sc
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l
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g
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e
,graphie~ら lexiques を書架から取り出して,部
屋に持っていきました。徹夜して八百あまりのページに眼を通してはみたものの,その内容
を理解しようにも私の知識は十分とは言えず,結局のところ部分的に理解できたにとどまり
ました。にもかかわらず,二つの重要な教訓を同書から受けとりました。
1.全ての漢字は限られた数の成分から組み立てられること
2
. 漢字の書き方は二千年以上にわたって改定されつづけてきたが,そのたびに合理
的な原則に従ってきたということ
合わせて二つのこの事実ーーすなわち限れた数の要素と合理的な改定一ーは,それまでわ
たしが教師および生徒から耳にし,そして教科書の方法に見て取ってきた内容に反していま
した。要するに,それまでの常識とされてきたのは,漢字を覚えるためにはただ闇雲に暗記
を試み,それをひたすら繰り返すしかないというものでしたが,それは間違っていると思っ
たのです。ただちに私は自らの学習を組織化するために,ある一種の ABCに基づく新しい基
盤を構築することに決めました。
ヴィジェルの本からわかったことは,漢字の書き方が合理化される長くてゆっくりとした
過程において,語源、学が果たした割合はたしかに大きなものだったが,現在のほぼ完全に合
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乱漫字学習研究会誌第 5号
理化された水準に至るまでのあいだをみれば,語源そのものは必ずしも一貫性を示さないと
いう事実でした。そこで私は全く別の一貫性を目指すことにしました。つまり書き方を覚え
るための原則を発見することが目的であれば,語源学の成果に準拠するかどうかはあくまで
も二次的な関,c"でなければならないのです。
くわえて私は漢字の書き方そのものには音価がないという事実にこだわらないように心が
けました。そのことでかえって最初の手順が確立しました。つまり,もし書き方の合理性に
対して読み方は非合理的である一一あるいは別の原則によってはたらくーーとすれば,
両方を同時に学ぶわけにいきません。のちほどこの点についてあらためて触れますが,漢字
の書き方を知っても日本語の発音を知らない中国人や韓国人にそれぞれの読み方があると同
様ように.
r
英読みj があれば私にも同じように勉強できるのではないかと考えるに至りま
した。
新しい方法の誕生
語源に関して厳密にこだわる必要がなくなった私に残された課題は,漢字の書き方を舎建
化し,覚え易い形へと変換することでした。私が「キーワードJ と名づけた個々の英読みを,
その漢字を書く際に連想するというのがポイントです。合理性は要素(化学のことばを借り
r
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i
t
i
v
ee
l
e
m
e
n
t
sと呼んだのですが)の数や書き方の一貫性を含むとは気づ
て「元素J=p
いていましたが,それだけでその要素が「論理的に J
組み立てられているとは考えませんで
した。そこで要素を f
構想的にJ連関させよう思い立ちました。それで後に「構想による記
憧J (
i
m
a
g
i
n
a
t
i
v
em
e
m
o
r
y
) と名付けた方法を試してみました。それは五つのプロセスから
成り立っています。
1
. 漢字の覚える順番は組織化しなければなりません。その際,最も簡単な形から始
まって,そこにもっとも簡単な要素を一つ一つ加えていきます。このように先に
学んだ漢字が新しい漢字の基盤となりえます。
a
. 象形文字から始めました。
ロ,日,月,目,回。( r
木 j や「女Jは語源上
しばしば象形文字とみなされていますが,私にとってあまり役立ちそうもな
かったので無視しました。)
b
. そして当用漢字の総合リストを一字一字みて,以上の主つの漢字を要素とし
て組み立てられる漢字を未習得リストから間引いて削除しました。日,品,
品,昌,朋,唱,明,官,胃。
C
. それから漢字ではないもっとも簡単で,画数が少ない要素を選んで(ハ
や
j
rI
Jからはじめて)総合リストをもう一度見通しました。その結果,さ
らなる漢字が選択されました。旧,中,自,白,畠。
d
. そのように,要素や学んだ漢字をもとにして一歩ずつ当用漢字を新たな順番
に揃えていきました。
-2
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2
. 英読みとするキーワードは,手元にあった漢英辞典を引いて主要な意味または主
要な意味を一つ探し出し,英語圏の読者にとってできる限り具体的なイメージ,
あるいは直ちに頭に浮ぶ決まり文句を連想させる単語としました。たとえば,
「
件 J という字のキーワードとして affair を設定しましたが,この語は英語の
話者にとって「事件J ばかりか,必ずといってもいいほどと「浮気」をも示唆し
ます。このような両義性はつねに可能とはいきませんでしたが,便利な工夫では
ありました。
3
. 要素の意味はいっそう楽でした。古典的な語源学はある程度役には立ちましたが,
多くの場合は構想、による記憶に適したいっそう活き活きしたイメージに取り替え
る必要がありました。閉じく,すでに学習済みの漢字が新しい漢字の要素として
はたらく場合は別な意味を追加しました,たとえば「月 j のキーワードは moonで
したが,要素として fleshや p
a
r
to
ft
h
eb
o
d
yといった意味を追加しました。
4
. 覚え方としては,キーワードの特定の含蓄(すくなくとも私個人にはなかなかよ
くできたと恩われる連想)を持ち出してみました c そこから要素を登場させ,手
を離し,眼をつぶってイメージが湧きあがるまで待ちました。想像が自発的に働
き出し,該当要素のやり取りのなかで一種の物語がはじまり,そしていつの間に
か覚えやすいイメージの組み合わせができました。眼を開けてそのイメージをは
っきり念頭に置いて漢字を一度書き付けました。そのプロセス全体は始めから終
わりに至るまで,ほんの一分あまりでした。
5
. 覚えた漢字を復習する必要はほとんどありませんでしたが,その物語 (
s
t
o
r
y
)が
滑稽であったり,おどけたものだったり,さらには気落ち悪いものであったりす
ればするほど記憶に残る率が高いことがわかりました。さらに書き方を忘れた時
は,当初に行ったプロセスを再度繰り返したり,発想の順番における前後の漢字
を確認したりして,忘れた原因を突き止めようと試みました。そのようにしてす
こしずつ自分の記憶力がもっ弱点を意識して,修正する方法を講じました。
上述したプロセスの実例として,具体的に『鼻 j という文字の書き方を私が覚えた道筋を一
歩一歩たどってみましょう。
まず要素を並べてみましょう。
r
目J という字は先に述べたように基礎的な象形文字のひ
とつですし,その意味は充分に具体的なイメージを描き出すので,他の漢字の要素として現
れるときに e
y
e
sの意味が保たれています。
f岡 j も象形文字で,キーワードとしての意味 r
i
c
efield は既に十分具体的ですが,場
合によって要素として追加される意味,すなわち脳味噌=brains が付け加わります。なぜ
そうなるかといえば,じつはこのケ}スでは多くの要素の追加される意味と異なり,古典的
語源学によっているからです。というのは,
r
細 J という字の
fこまかくて,ほそい j とい
l.Jドよめき
う意義はそもそも「糸」と,こまかい網目の形を表す小児の脳頭蓋を現す象形文字「函」
を略した「問 j という二つの要素が組み合わされて生まれました。後ほどこの追加意味が利
用されます。
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麗字学習研究会誌第 5号
新しい要素 f、
J= r一滴 adropof (回転の形を含む) Jを導入すると「自 Jが生まれ
n
e
s
e
l
fがかなり抽象的なため,構想記憶に対応するイメージが必要
ます。そのキーワ}ド o
です。日本人が自分のことをしめすとき,西洋人と異なって手のひらで胸を撫でるではなく
て,人さし指を鼻に向けます。それで,
r
目J と目の聞に置かれている一滴ハ j とみなさ
れる n
o
s
eと組み合わせると o
n
e
s
e
l
fが出来上がります。この「物語j に従って「自 Jが他
の漢字の要素として利用されるとき n
o
s
eまたはもっと具体的に鼻孔=n
o
s
t
r
i
l
sという追加
意味が与えられます。
ではわたしなりの学習順番でおよそ 7∞字以降の字「汁J という要素は,典型的な語源学
両手 J= t
w
oh
a
n
d
sまたは『両手を伸ばすj =t
w
oh
a
n
d
so
u
t
s
t
r
e
t
c
h
e
dの意味
に従って f
で登場します。
以上で「鼻 j= n
o
s
eの字を構成する全ての要素が揃いました。つまり,自 n
o
s
t
r
i
l
s,国
b
r
a
i
n
s,汁 t
w
oh
a
n
d
so
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s
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r
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t
c
h
e
dです。次の課題はそれらを覚えやすい物語にすること
でした。目を閉じてキーワードからかなり大きな鼻孔をもっている巨大な鼻を想像してみた
ところ,次のイメージがこころのなかに浮び上がってきました。すなわち,両手を伸ばし,
ぐいっと鼻孔にそれを押し込み,脳みそをつかんでこちら側まで引っ張りだすというイメー
ジでした。なんと歪んだイメージかとお笑いになられるでしょうが,ともかくその「物語 j
を念頭において「廊 j の字を書いてみたところ,それだけで一生忘れられないものとして記
憶に熔印されてしまいました。
未習得の当用漢字のリストが消えるまで,こうした調子で続いていきました。要素文字や
r
漢字物語J については不必
要と思って省略しました。このようにして一週目が終わるまでに四 00
字以上を習得したの
意味を書き留めるとともに毎日の進捗状況は記録しましたが,
ですが,他の生徒がノートを見せてくれとの要求が出てきたので,勉強を半日ぐらい中断し,
索引カードを五O枚用意して回覧しました。またたくまにあれもこれもと要求が増えました
が,私個人の発想やかなり奇妙な物語を一般の生徒が使えるかたちに考え直すことは,私の
勉強時聞を浪費するやっかいな仕事でした。
そうしたうちに予想すらしなかったきわめて険悪な副作用が生じてきました。つまり学生
たちが教室で教えられている学習方法を信頼しなくなってきたのです。自分のやっているこ
とにすっかり夢中になった私は,先生方が私独自の方法に対して急速に気分を害している事
態に気がつきませんでした。そうした状況は十一月末まで続きました。漢字の勉強を始めて
からちょうどーヵ月後,十二月一日の朝食時,私はなんとかニ0四四字の意味と書き方を覚
えたので,その祝いとして東京見物に行ってくると告げました。しかし私が玄関から出かけ
ようとしたところ,教頭が近づいてきて,午前中の休憩時間に教員控室に来るようにと言い
ました。そこでしかたなく遠足をキャンセノレしました。
休憩時間になったので控室に入ったところ,眉をしかめた先生方に迎えられました。明ら
かに彼らはみな不快に思っていました。その中の一人の女性の先生は英語が話せたので彼ら
r
当用漢字をたった一ヶ月で暗記して書けるなんて,
なんとも愚かな自慢である J。そこで私はできるだけ慎重に答えました。 r
言われていたよ
の思いを私に説明してくださいました。
りもずっと簡単でしたが」。するとチョークを手にして黒板の前に立つようにと指示されま
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した。ある先生が
r<いぬ〉を書きなさしリといい,それを彼女が通訳してくれました。
「すみませんが〈いぬ〉とはどういう意味でしょうかJ。その質問は先生を怒らす結果とな
り,彼らは興奮してあれこれ語り合っていましたが,その内容を彼女は私に伝えてくれまし
た
。
r
もういいです。
2 ヶ月経ってもいまだ d
o
g も知らないことは許されることではない。
早く教室に入りなさしリ。そのとき私はチョークをとって「犬J と黒板に書きました。
i
英
語で言ってくださればうれしいです。日本語の語棄はこれから勉強する予定です」。
先生は納得していたようには見えませんでしたが,しぶしぶ英語の単語を次から次へと口
r
cow
, horse, bird, tiger,
にして,それに該当する漢字を書くよう命じました。
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a
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t,c
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.
.
.J
0
f
猫」を黒板に書いたところ,なんだかんだとおしゃべりが再び始ま
りました。私は英吾を話す先生に向かつて,
f
"、や,そうではないが,
r
何か間違っていますか」と尋ねたところ,
(猫)は当用漢字表には入っていない字です」と彼女は答えまし
字ほ
た,そこで微笑みながら私は「申し訳なかったのですが,リストに入っていない二 00
ども一緒に覚えてしまいました」と説明しました。その後も単語のやり取りは続きました。
ある教員が
「フライ j と叫んだので,私は「焼J と書きました。
教員が文句をつけ,
f
N
o
t フライ egg,フライ a
i
r
p
l
a
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J0
i
いやいや」と例の女性
i
ああ,なるほど J と苦笑し
ながら私は「飛J を書きました。その時点で午後の休憩時聞にも一度教員控室に来るように
といわれ,私は退室しました。その日は東京見物をあきらめて鎌倉を散策することにしまし
た
。
午後になって言われたように控え室に再び行きました。
f
我々の三O年以上の経験からす
れば,あなたのような写真的記憶力は漢字の場合,短期的なものにすぎません。だからなる
べく早く授業にちゃんと出たほうがよいJ という趣旨を英語を話す女性教員が教員全員の合
意事項として私に伝えました。私はがっかりして,いろいろ言つてはみましたが,無駄に終
わりました。そこで結局それ以上邪魔にならないよう,そろそろ学校を出ようと決心しまし
た
。
本の作成
翌日,自分へのお祝いとして東京旅行を準備していたところ,南山大学の学長室から電話
があり,急ぎ始発電車で名古屋に来るようにと言われました。昼ごろ大学に到着し,まず研
究所に顔を出し,挨拶しました。そこで私は鎌倉学校を辞めて普通の家庭で勉強し続けたい
という希望を研究員に告げ,また適当な場所を探すに手伝ってくれないかと事務員に依頼し
ました。その後,学長室に向かいました。
入るやいなや学長の沈痛な顔からしてやはり何やら深刻な問題があるらしいと直感しまし
た。学長は大きな机の後ろから私を叱責し始めました。私を日本に招鴨するためにどれほど
苦労してきたか,私がまじめに言語を勉強したくないなら一日も早く帰ったほうがいい云々
と失望の意を述べ立てたのです。鎌倉の先生方が抱いた疑念が学長に伝わっていたようでし
た。さらにつづけて学長は「わたしは長年日本に住んでいるが,当用漢字の読み書きをすべ
て記憶できた西洋人など一人も知らないし,しかもそれを一ヶ月で成し遂げたというなら,
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0-
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そんな愚かな主張はない J と強調しました。私は困惑しつつも微笑んで,
r
ですが,実際ゃ
ったのですよ」と胸を張って弁明しました。
あたかもその返事を待っていたかのように,学長は机下のボタンで合図しました。すると
秘書が黒板を押しながら,そして南山大学の日本語教師二名が連れ立つて部屋に入ってきま
した。それから先日の喜劇が繰り返されました。いぬ,
dog, cow
,horse,bird,c
a
t,
elephant, フライ・・・。
この一幕を学長は辛抱強く鑑賞していましたが,やがて教師たちに礼を述べ,秘書にはお
茶を出してくれるよう頼みました。そして机の後ろ側から出てきて,私に一緒にソファーに
坐るよう勧めました。真実を見抜いた慧眼で私を見つめながら,学長は「これはまさしく驚
r
どうしてそんなことができたの」。そこで方法を
その方法を本にしなくち
詳しく説明しようとしたのですが,彼は私をさえぎりました。 r
ゃJ
r
おことばありがとうございます。将来の課題としてうけ取らせていただきますが,
くべきことだj と興奮して言いました。
0
くし、ぬ)という言葉すらいまだ話せない私はまだまだ勉強しないと・・・ J。学長はそのよう
な言い訳に耳を貸しませんでした。
r
とんでもない。あなたの記憶に新鮮であるうちに本に
しなくてはならないJ。 学長と言い争ってみても無駄でした。
この機を活かして私の独学計画を支持してもらおうと思い,鎌倉の日本語学校を辞めて一
般家庭に住み込むという案を話してみました。
r
本ができてから,好きなようにしなさい J
と彼は返事し,わたしは学長室を出ました。私としては複雑な気持ちでした。学長の支持を
得たのですからたしかに嬉しいのですが,勉強を中断せよという命令でもあり,ちょっと悲
しかったのです。ともあれ,鎌倉にもどってからノートを整理し始めました。来日してから
三ヶ月とたたない十二月の末までに漢字を素早く覚える方法を述べた著作の原稿を作り上げ
ました。索引カードに「漢字物語J をタイプライターで入力し,書き順を自分の手で書き付
けてから,カードを切り貼りしてページの組版を行いました。その作業を進めつつ,スペイ
ン語圏から来日した生徒玉名のためにひそかにゼミを聞きました。そこでは協力して数百字
の物語をスペイン語に翻訳しました。この作業のおかげで同書のスペイン語版をのちに作る
ことができたのです。
とかくするうちに,研究所の事務員の斡旋によって日本アノレプスの麓にある信濃大町に暮
らす彼女の義理の姉一家のもとに住み込むことができるという知らせが届きました。大晦日
からの数日間をその家族と一緒に過ごしてみて,本が完成しだい引っ越すことにしました。
正月が終わって鎌倉に戻ってから索引を用意し,本の序文も作りましたが,内容があまりに
馬鹿げたものと恩われたので,恥ずかしさのあまり A
d
v
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n
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u
r
e
si
nKanJilandとし、う子ども
っぽいタイトルにし,さらに著者名を省略しました。この原稿は学長を経て大学の印刷部に
回りました。それでようやく大町に向かいました。
二週間後,出来上がった本が二部届きました。添付された学長の手紙によると,六 00
部
印刷されたが販売ルートは未定のようでした。学長と電話で話した際,どこか心当たりはな
いかと問われました。そこで日本の出版社とはまったく縁がなかったのですが,度胸をすえ
て日本語教育で有名なタトル出版社の東京本店に伺いました。当時編集主任と務めていた岩
本慶子さんと話すなかで同書を販売してもらえなし、かと打診してみました。予約なしで訪問
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1-
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したにもかかわらず私は岩本さんから暖かく迎えられたのですが,その際彼女に学長から郵
送されてきた本を一部手渡してみました。ページをめくりながら彼女は私の依頼に耳を傾け
てくれました。本の組版があまりに粗末なものだったのでときに眉を吊り上げたものの,内
r
ところであなたは日本語を
r
漢字の意味を一つ一つ英語で教
容については関心をもったらしく,私にこう尋ねてきました。
話さないけれども,わたしの名前を漢字で書けますかJ
0
えてくださればやってみましょう J
0
とメモ用紙に書き留めました。
r
姓は
bigr
o
c
kと b
o
o
kですJ。そこで私は「岩本J
r
つぎはちょっと難しいですよ。名は
j
o
y
f
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dです。
o
y
f
u
lはそれじゃないわ」と頭を横に振りました。そこで
私が「喜子 j と書くと「いや, j
]
o
y
f
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l に類するキーワードを思い出しながら,一連の漢字を書き始めました。 h
a
p
p
y嬉
,
e
c
s
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c悦
, e
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j
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a
b
l
e楽
, p
l
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s
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r
a
b
l
e愉
, j
u
b
i
l
a
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i
o
n慶・・・「ちょっと待って!これで
す。たしかに挙げてくれた字はすべて似たような意味を持っているし,書き方も正しい。ウ
ワー,どうやって覚えたの J
0
r
その答えはこの本に書かれていますよ J と私はにっこりし
ながら言いました。
その場でただちに岩本さんは私の本を委託販売することに決めてくれました。さらに「全
点販売されたのならば,印刷にかかった実費をタトル出版社から南山大学学長室に払い戻し
ましょう j と約束してくれました。
幸いにも数ヵ月後には売り切れとなりました。その際,岩本さんはちゃんとした組版に改
訂するように勧めてくれましたが,当時
D
T
P出版はまだ存在していませんでしたし,なによ
り組版費用があまりに高かったので,本は引き出しにしまわれたままとなりました。六年後
の一九八五年にドットマトリックスプリンターが日本で発売になったのを機会にコンピュー
ターに入力して印字してみました。そして未製本まま日本出版貿易の企画室に持ち込みまし
た。その結果,私が六 0 0
部相当の製作費用を負担し,出版社が印刷製本を委託販売する。
そして売り切れればかかった費用を私に払い戻すという内容で同意に至りました。
その後,同書は現在の第六版まで頼調に成長してきました。五ヶ国語に翻訳されましたし,
漢字の読み方,ひらがな,かたかな,学習カード,上級漢字,ソフト等が相次ぎ世に出まし
た。そして二O万部を超える印税はすべて研究所の奨学基金に寄付されてきました。やがて
一九九0年代のはじめごろ,私が生み出した学習方法について博士論文を書いたハワイ在住
の大学教師が研究所を訪れてきました。そして私たち二人は協力して中国語の繁体字や簡体
字をそれぞれ三 000
字選び出し,私が産み出した方法を適用して二巻本で刊行することに
なりました。この本はすでに英語で刊行され,さらには外国語に翻訳もされています。
さて,大町に移動したところ,私にとって最初の日本語教師ができました。朋子ちゃんは
五才で,兄の昌弘君は九才でした。彼らと遊んだり,家庭生活に参加したり,小学校の教科
書を読んだりしながら会話と生活上の知恵を少しずつ覚えました。子どもが幼稚園と学校に
行っている昼間は,音・訓読みの学習方法ならびに「ひらがなを三時間内で暗記する J方法
レド
を執筆し,やがてそれも完成しました。その後,アメリカのヴァージニア州にあるオーr
ドミニオン大学 (
O
l
dD
o
m
i
n
i
o
nU
n
i
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e
r
s
i
t
y
) の大学院で夏期講座を聞くという約束があっ
たため,五月の下旬にいったんアメリカに帰国しました。八月の上旬に日本に戻り,九月か
-3
2-
?biz-36LEEtffrv建
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ら研究所のメンバーとなり,その後現在に至るまでそこでさまざまな研究活動に携わってき
ました。
脱教師・脱教室の論理
冒頭に申しましたように,私には上述した方法を理論的に基礎づける資格がありません。
それにもかかわらず私の経験から,漢字の書き方を学ぶにあたって避けがたい障害について
一般的な論点をいくつか追加したいと思います。
はじめに,理解できない質問に答えることは不可能です。漢字を勉強する場合,学習者の
主張は日本人教師が思うほどに自明ではありません。
r
漢字が書けるようになりたいJ とい
う顕いの背景にある実際の質問は,たとえばつぎのようなものです。
「私は漢字を一つも知らないが,抽象する能力が自由に使える大人として, どのように
漢字の書き方を習得すべきかJ。
しかし日本人教師にはこの質問は異なった意味で聞こえます。
「私は幼いときから漢字の環境で育っていないが,大人としてどのようにして基本識字
に必要な漢字の書き方を習得すべきかJ。
日本の教育制度を経験した者からすれば,質問の言い換えはおのずと次の答えを生じます。
「それは無理だね。結局我々は子どもの時代から漢字に固まれていて,義務教育の九年
間にわたってその書き方を勉強してきたのだよ。それでもしばしば忘れることがある。
あなたはもう大人だから,われわれのような基本能力には絶対に届かないよ」。
このような意見は日本人同士でよく交わされますが,質問者を失望させないように,本音を
隠したまま次のような答え方がなされます。
「われわれと同じような方法でがんばらなくちゃ。 J
質問に対して直接に答えられない理由は明らかでしょう。そもそも抽象カが発達していな
い子ども向きの勉強方法は,大人向きの方法とは根本的に違うはずです。子どもは物まねに
は達者であっても,原則ということを把握できないので,類似のものを一括して学ぶどころ
か,個々のものを一つ一つ繰り返すしか方法がありません。他方,
r
鳥烏J
鳥鳥鳥j と練習ノ
ートの枠内に繰り返し書き付けて暗記するような方法は,大人にとって時間と努力の浪費に
以外のなにものでもありません。
さて,私が今まで述べてきたように,もし現代の漢字に組み込まれている基本的な合理性
があるとすれば,そしてもしその合理性によって日本人が子ども時代に活用できなかった大
人の学び方が可能になるとすれば,その事実を無視することは,問われでもいない質問に頓
珍漢な答えを返すことにほかなりません。
しかも「われわれと同じように勉強する」は別の意味でよくないのです。漢字の知識を持
つてはいるものの日本語を全く知らない一般の中国人あるいは(少なくとも前世代の)韓国
人の場合は,一歩のみが残っている,すなわち既に知っている漢字に新しい「日本語」の読
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み方を割り当てればよいのですが,それ以外の外国人の場合は二歩,つまり漢字の読み方と
書き方へと踏み出していかねばなりません。ですが,この二歩は互いにほぼ無関係であるた
め,両方を同時に踏み出そうとしても,それはあたかも右足で北へ,左足で南へと歩いてい
こうとするかのような事態に陥ってしまいます。
それに対して,
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英読みJ から漢字の書き方を覚えるという工夫がもっ主な利点は,中国
語・韓国語の話者がはじめから持っている利点を英語話者に可能にすることです。併せて私
が主張してきたように書き方が日本語の一番覚えやすい部分であると認めれば,日本人の漢
字教育法方法を外国人に押し付ける唯一の理由は,彼らの本来の質問を悲劇的に誤解してい
るからにほかなりません。
したがって外国人に漢字の書き方を教えるのが日本人である場合,自分が受けてきた教育
が基本的に合理的な表記体系を白紙から学ぼうとする意志と能力をもっ大人のやり方とはま
るで異なるため,日本人の教育方法はわたしのような大人の学習者にとって障害とならざる
をえません。その一方で漢字教育においては教室そのものがその人なりの学習にとって障害
となりえます。また漢字の学習にあたっては学習者のあいだでレベルの違いがあり,各生徒
はそれぞれ自分にあった進度で学ぶべきでありましょう。数少ない生徒を除いてーーいう
までもなく卒業に必要な単位を収集するためにだけ受講登録する生徒もその一例ですが一
一統一シラパスは各人の学習効率を引き下げてしまいます。
「構想による記憶j を重視する方法は統一シラパスとよく合わないのです。たとえば一人の
学生が兎のように突っ走ったあと一時的に亀のようによたよた歩くこともあり,また別の生
徒が当初何ら進歩できなかったにもかかわらず,あるきっかけで徐々に勢いづき加速してい
くこともありえます。いくらすぐれていても,いくら最新の漢字教育研究によって形成され
ても,統一シラパスを教室の場で押し付けることは,
いかなる生徒であれ同じペースで進
むという前提であるがゆえに失敗に終わります。
それに関連する問題点としては教室が「級」による段取り制度に束縛されていることも挙
げられます。統一試験によって成果を測り,級を決める制度は,なんといっても個々の生徒
の「学びJ のためのではなく,
r
同級生J とともに次の級まで進むことを確実にすることを
狙った仕組みです。ある試験のために特別の準備をしない生徒は,試験が終わってからふだ
んの実力を認識できるでしょう。進学の基準を「級Jに求める教室制度は,そういった身を
もって痛感した認識に正当な価値を与えることができません。
大雑把ですが,上述の理由で漢字の書き方を学ぶにあたり従来のやり方は,日本人教師に
とっても教室全体にとっても問題が多いのです。
もちろん,上に述べたような方法で漢字の書き方を記憶することは始めの一歩にすぎませ
ん。楽器を習う場合もそうなのですが,記憧には「暗記する j と「身に付ける J のニ面があ
り,前者が記憶術の技とすれば,後者は繰り返し使用されるなかでまず意識されることなく
形成される自律的な習慣と呼ぶことができるでしょう。たとえ自分の著作に記された漢字の
「物語」や要素のイメージがほとんど記櫨に残つてなくても,筋肉がその動きを覚えている
ような習慣によって漢字を書くことができるからです。証明はできませんが,結果のみから
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見ると漢字圏で育った者と類似しているではないかと思われることでしょう。その意味で構
想による記憶は筋肉による習慣への路で補助する松葉杖にほかなりません。
しかし想像力を用いたなじみのない方法である限り,無論,私が思い描くイメージが必ず
しもすべての読者に効く保証などありません。まさにそのために私の本は,完全な s
t
o
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i
e
s
(物語)→単純な p
l
o
t
s (あらすじ)→ e
l
e
m
e
n
t
s (要素)という順序にそって進んでい
きます。
たしかにわたしの本はたくさん売れましたが,だからといって私の理念が万人に有効かど
うかはわかりません。こういった聞いはわたしの手に余り,検証しようにもどうすればよい
し、かわかりません。ただし,多くの人に役立つ方法だとしても,私は自分の手柄にするつも
りはありません。学習システムそのものは他愛もなく,子供じみたものであり,特に天才的
ひらめきが潜むような画期的方法ではありません。そのことを私は他のだれよりもよく自覚
しております。拙著の内容ではなく,むしろ読者がそこから得た示唆を自分のものにして実
際に識字にできるようになって川く営みこそが称えられるべきだと私は聞く信じております。
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