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Title 失業, 社会学的対象の誕生 Author(s) - Kyoto University Research

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Title 失業, 社会学的対象の誕生 Author(s) - Kyoto University Research
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失業, 社会学的対象の誕生
宇城, 輝人
人文學報 = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities
(2001), 84: 141-175
2001-03
https://doi.org/10.14989/48566
Right
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Textversion
Departmental Bulletin Paper
publisher
Kyoto University
『人文学報」第 84 号 ( 2 00 1 年 3 月 )
(京都大学人文科学研究所)
失業,社会学的対象の誕生
宇
1
.
輝
城
人
I怠 け る 権 利 」 と 物 乞 い の あ い だ に
「
怠
惰
」
と
非
労
働
物
乞
い
と
非
労
働
・
定
常
と
予
見
可
能
性
2.
失業 問 題 の 実 定性
一一 国 際 会議 と 社 会 学
失
業
の
原
因
論
と
労
働
斡
旋
失
業
の
実
定
性
,
失
業
の
社
会
学
1
.
. I怠惰」
I怠 け る 権利」 と 物乞 い の あ い だ に
と 非労 働
1880 年代以 降 ヨ ー ロ ッ パ 世界 は 深 刻 な 不況 を 繰 り 返 し て 経験 す る 。
資本主義経済 が成熟 し
てゆくなかで農村部は余剰となった工場労働者などの都市部の労働力を吸収する力を徐々に失
いつつあり,そういった衝撃の緩衝装置の緩慢ではあるが確実な弱体化のせいもあって,不況
の到来はそのつど直接的に,仕事にあぶれた貧民を大量に発生させる。
1 9世紀末において
「貧困」の問題は貧民一般の問題というよりは,とりわけ都市にあふれる「仕事を失った」労
働者の問題としての性格を強めていくことになる O貧困は明らかに「労働の欠如」という色合
いを強めていくのであった。
そうした周知の状況のなかで,あるいは少なくともそうした状況の到来をどこかで感じとり
ながらポール・ラファルグは『怠ける権利 j 1) を 発表 す る (1 880年) 0 ~共産党宣言』以来の重
要な政治文書といわれることもあるこの小冊子は速やかに多数のヨーロッパ言語に翻訳され,
多くの読者を獲得した 2L表題が雄弁に物語っているように,このパンフレットの政治的訴求
力は資本主義社会を糾弾する痛烈なその修辞のなかにある。怠惰を求める権利 ( d r o i t
paresse)
。
こ の 言葉 に は ,
しか し,
ala
た ん な る 政治 扇 動 の 修辞 と は 異 な る 意 味 を 読 み 取 ら な け れ
ば
な
ら
な
い
。
「
怠
惰
」
と
い
う
観
念
に
宿
る
修
辞
の
力
は
反
語
的
逆
説
と
い
う
以
上
に
,
I働 く こ と / 働 か
1
4
1
人文学報
ないこと」という分割にかかわる意味空間に,ある変容が生じ始めていることを窺わせる。ラ
ファルグのこの小間子は「労働の欠如」が貧困問題とはまったく異なる問題系のなかに置き直
されつつあるプロセスを表すごく初期の著作なのではないか。じっさい,見やすいことである
が,貧困がかならず労働の欠如であるわけではなく,また労働の欠如がかならず貧困であるわ
けでもな ~ \ o両者はどのような関係におかれているのか。問題としての「失業」の歴史を検討
するにあたっては,
r労働 の 欠如」 な い し 「働 か な い こ と 」 が ど の よ う に 思 考 さ れ る の か ,
そ
してそうした思考を可能にする認識論的基盤がどのようなものであるのか,こうしたことがら
を検討することからはじめる必要があるだろう。
「資本主義文明が支配する国民における労働者階級は奇妙な狂気にとり窓かれている。その
狂気のもたらす個人と社会の悲惨が,ここ 2世紀来,哀れな人類を苦しめつづけてきた。その
狂気とは労働への愛,すなわち死を賭けて労働を求める情熱である J 3) と 書 き ,
r怠惰」 を 称揚
するラファルグは,しかしながらそれほど新しい観念に依拠して論を進めるのではない。資本
主義における「悲惨」の根本原因は,彼によれば生産における機械の導入と,その帰結である
「過剰生産」ないし「過剰労働」である。「機械が改良され,だんだん高度になる速度と精密さ
の点で,機械が人間の仕事にうちかっていくにつれて,労働者は休息を相応に伸ばすことをせ
ず,まるで機械と張り合うかのように熱心さを増してしぺ。なんと!ぽかぽかしい殺人的な
競争であることか!
J4)
そ
し
て
ま
た
彼
は
労
働
と
怠
惰
の
対
比
に
つ
い
て
い
く
つ
か
の
紋
切
り
型
に
訴
え
な
が
ら
こ
う
述
べ
る
。
「
キ
リ
ス
ト
教
と
梅
毒
と
労
働
の
教
義
で
も
っ
て
商
業
の
伝
道
者
と
宗
教
の
商
人
が
ま
だ
堕
落
さ
せ
て
い
な
い
高
貴
な
未
開
人
を
見
た
ま
え
O
そ
し
て
そ
の
同
じ
日
で
機
械
の
哀
れ
な
下
僕
た
ち
を
見
た
ま
え
」
。
ま
た
こ
う
も
述
べ
る
だ
ろ
う
。
「
文
明
化
し
た
我
が
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
で
人
間
の
も
つ
生
ま
れ
な
が
ら
の
美
の
名
残
を
見
い
だ
し
た
い
と
思
う
な
ら
,
経
済
的
偏
見
の
せ
い
で
、
労
働
へ
の
嫌
悪
が
ま
だ
根
絶
や
し
に
な
っ
て
い
な
い
同
民
の
と
こ
ろ
へ
,
そ
れ
を
探
し
に
行
か
な
け
れ
ば
な
ら
な
し
リ
。
つ
ま
る
と
こ
ろ
「
資
本
主
義
社
会
で
は
労
働
は
,
あ
ら
ゆ
る
知
的
退
廃
と
身
体
組
織
の
歪
み
と
の
原
因
J 5) な の で あ る O
「
高
貴
な
未
聞
人
」
に
せ
よ
,
資
本
主
義
以
前
の
古
代
な
い
し
中
世
世
界
へ
の
郷
愁
に
せ
よ
,
そ
の
よ
う
な
観
念
自
体
は
明
ら
か
に
紋
切
り
型
の
域
を
出
な
い
も
の
で
あ
り
,
あ
ま
り
深
い
意
味
を
探
る
べ
き
で
は
な
い
。
む
し
ろ
ラ
フ
ァ
ル
グ
は
前
代
の
ラ
ッ
ダ
イ
ト
や
後
代
の
疎
外
論
者
た
ち
と
は
異
な
り
,
む
し
ろ
機
械
を
「
怠
惰
」
の
可
能
性
を
生
み
だ
す
「
人
類
の
臆
い
主
」
と
す
ら
評
価
し
て
い
る
い
さ
さ
か
素
朴
で
は
あ
る
が
と
い
う
こ
と
を
忘
れ
て
は
な
ら
な
い
6)。
こ
こ
で
は
古
代
ギ
リ
シ
ア
の
ま
っ
た
き
市
民
的
活
動
の
回
復
で
あ
る
と
か
,
無
垢
な
る
未
開
人
の
全
体
的
活
動
の
な
か
に
労
働
を
差
し
戻
す
と
い
っ
た
よ
う
な
こ
と
が
ら
が
称
揚
さ
れ
よ
う
と
し
て
い
る
の
で
は
な
い
。
「
怠
惰
」
と
い
う
こ
と
で
ラ
フ
ァ
ル
グ
が
注
目
す
る
の
は
,
機
械
の
導
入
に
よ
り
飛
躍
的
に
向
上
し
た
生
産
性
が
も
た
ら
し
た
人
間
的
時
間
の
「
余
白
」
で
あ
る
。
つ
ま
り
労
働
と
は
異
質
の
,
な
に
か
別
の
活
動
と
い
う
こ
1
4
2
し か し な が ら も う 一度繰 り 返 せ ば,
失業,社会学的対象の誕生(宇城)
とではなくて,純粋に労働が不要になることによって生じる「空白」の状態,すなわち非労働
とでも呼ぶべき労働の裏面がことがらの焦点なのである。ラファルグが「怠惰」という否定的
価値を帯びた言葉を用いる修辞に訴えることができるのは,非労働というある種の空洞のよう
な事態を「なにかが奪われている」といった,その「なにか」に依存する派生的問題ではなく,
実定的で積極的なひとつの固有の問題として取り出だすことを可能にする感受性にもとづいて
のことだといわなければならないだろう。
毎年あらゆる産業で失業は季節的に規則正しくやってくる O身体組織を壊す殺人的過剰
労働のあとに 2ヶ月から 4ヶ月にわたる絶対的休止状態が続く。そして仕事がなければ糧
もない。…・ーなぜ 1年分の労働を 6ヶ月で貧欲にむさぼり尽くそうとするのか。なぜそれ
を 1 2ヶ月に均等に配分し, 6 ヶ 月12 時 間労働 の 消 化不良 を お こ す 代 わ り に ,
働者が年間 1日 5時間ないし 6時間で満足するようにしむけないのか。
すべて の労
1日の仕事分が決ま
れば労働者たちは……心身ともに枯れ果てることなく,怠惰という美徳を実践し始めるだ
ろう 7L
ここで注目すべきなのは,非労働という本来捉えどころのない残余的なものを操作的にあっか
うということである Oすなわちことがらを労働の配分ではなく非労働の配分と読み換えるとい
うことである Oフランス社会主義の鬼子ともいうべきこの小冊子の意義は,労働と非労働の関
係を逆転させ,非労働から発して労働を問題としてとらえているところにある Oそう考えなけ
れば『怠ける権利』の主張を率直に表明する次のくだりは発表当時そう受けとられることが少
なからずあったように,たんに皮肉な譜謹にしか聞こえないだろう。
プロレタリアートが自らの力を自覚するためには,……フールジョワ革命の形而上学的弁
護士どもがこねあげた肺病やみの人間の権利などより何千倍も高貴で神聖な怠ける権利を
宣言しなければならない。
1日 3時間しか働かず,残りの昼夜はうまいものを食べ,怠け
て暮らすように努めなければならない。……労働は 1日最大3時間に賢明にも制約され制
限されるとき,はじめて怠惰という喜びにとっての薬昧となり,人間の身体組織に有益な
運動となり,社会組織に有用な情熱となる…… 8L
非労働がどのように組織されているのか,あるいはまたどのように組織すべきなのか。ょう
するに,これが人聞が人間としてふさわしい存在であるために不可欠な要件になるということ
であり,それが社会主義のための重要な政治課題であるというのだ。『怠ける権利 Jが余暇と
ワーク・シェアリングの先駆的思想とみなされ,高い失業率にあえぐ現代のヨーロッパで再評
1
4
3
人文学報
価されるのは,人間的時間の「余白」の組織化を思考したという文脈においてのことであろう
へだが今は一考に値するその主題に立ち入ることは差し控えておかなければならな l ' oとに
かく,問題としての失業の起源を探るわれわれにとっては,この小冊子の鼓舞する政治性に相
関して非労働の組織化という発想が成立すること,そしてそうした操作可能なものとなること
により,非労働が実定的で種別的な問題領域として客体化しつつあること,この二点を確認す
れば,それで充分である。
非労働の組織化についてどのように記述されているのか少し立ち入って見てみよう。非労働
の悪しき組織化の結果生じるのは,労働者にとっては過剰労働による生理的かっ精神的退廃で、
ある。生活の困窮による身体の衰弱のせいで労働者の精神は自律を失い,あたかも物乞いが施
しを求めるかのように「樵'降した顔と痩せたからだと哀れな口調で」仕事を請い,自発的隷従
に陥るだろう。たとえばこういう卑屈な態度で。「ご親切なシャゴ様,お優しいシュネーデル
様,仕事をお与えくださ l ' o手前どもを苦しめているのは飢えではなくて,労働を求める情熱
なのです J 10)。 だ が他方 で , 過剰労働 の お よ ぼ す 悪影響 は 労働者 に と ど ま ら ず、 ブ、 ル ジ ヨ ワ 階 級
にも波及しないではいなし 1、Oそれは過剰生産の帳尻合わせのために余儀なくされる過剰消費と
いうかたちでで、フ
念をなくし,放蕩に身を任せ,過剰な美食をはじめとする「強制された享楽」に耽るだろう。
「そんなことばかりをやっていると身体組織は急速に損なわれ,髪は抜け落ち,歯はぐらつき,
背筋は曲がり,腹は突き出て,呼吸は乱れ,動作は鈍り,関節は硬直し,手足の指はしびれて
くる J 11)。 な る ほ ど ,
こ こ に 記述 さ れ た 堕落 な い し 退廃 も ま た 紋切 り 型 の 域 を 出 な い の は 確 か
であり,それ白体はあまり重要な意味をもたないように思われる。だが注目すべきなのは,こ
うした身体と社会の全般的堕落ともいうべき状態が労働と非労働の配分つまり非労働のありか
たに由来する以上,別のかたちに非労働を組織し直すことによって人間と社会を堕落から救い
出すことができるということであり,そのように組織された人間的時間を「怠惰」と名づける
という,その概念の操作なのである。労働か,怠惰か,という選択肢が作られることをつうじ
て浮土してくる政治的争点はまさしく人間的時間そのものであった。
しかしながら,じつは新しい観念が身体と習俗にかんする古い紋切り型をつうじて表現され
ているという点にも同様に注目すべきである。政治と生理が互いのなかにその根拠を見いだす
べく交錯する場所を,ごくおおまかにさしあたって「道徳Jという観念で名指しておくことに
しよう。そしてすでに見てきたことから容易に理解されるようにラファルグの依拠する紋切り
型は,そのような「道徳」にかかわる一連の観念によって支えられていた。とすれば,ここで
われわれが検討している「非労働」の周囲に組織される観念は,その意味での「道徳」の範囲
に過不足なく収まるものだといわなければならなしけ2Lすでに見てきたように,労働は「あ
らゆる知的退廃と身体組織の歪みとの原因」であるが,怠惰のなかで再編されるならば「身体
1
4
4
失業,社会学的対象の誕生(宇城)
組織に有益な運動となり,社会組織に有用な情熱」となるのであった。とすれば,非労働の側
から逆に見られた労働の問題に賭けられた争点がもっぱら政治と生理の交錯する場所としての
「道徳」の問題であるということは明らかである。ということは労働と非労働の基盤をなして
両者に実体を与えている人間的時間は隈なく「道徳」に覆われており,その内部に生起する人
間の活動はもっぱら政治的かっ生理的なものとして意味づけられる。組織し直すべき人間的時
間そのものが道徳的なもの,すなわち政治と生理が経り合わさって形成されるものであるから
こそ,
I働 か な い 」 と い う レ ト リ ッ ク が 政治 的 意 味 合 い を 色濃 く 帯 び て い く の で あ る 。
しかしながら,労働にかかわる問題が政治的問題を喚起するというのはなにも新しいことで
はない。周知のようにそもそも近代社会の成立以来,労働は道徳ないし政治の領域において問
題化し続けてきたのだった。だから繰り返しになるが,労働の欠如すなわち貧困(あるいは精
神的・生理的退廃)という連関からずれた別の労働/非労働の連関が,ある種の隙間のように
生じつつあるという点に注目したいのである。
だが実際には怠惰を称揚するレトリックは,政治一生理の道徳空間に属する労働の観念とと
もに古びてしまうといわなければならないだろう。ラファルグのいう「怠惰」が余暇やワーク・
シェアリングの先駆的思想と見なされているということにはすでに触れた。しかしながらヴァ
カンスが法制化される 1 930年代にはゼネラル・ストライキは文字どおり「神話」と化してお
り,非労働は「怠惰」とは対照的にニュートラルな観念になるだろう。たとえばヴァカンスは
あくまでわれわれのよく見知っている「余暇」であって,
I怠惰」 の 発揮 す る 政 治 性 と は 無 縁
のものにほかならなし、。「働かないこと」が生活の充実に資することはあっても,社会変革に
つながることはもはやありえな L 、。一言でいえば非労働はーーしたがって労働も政治的に脱
色され,そのぶん道徳の問題圏域から離れ,人間にとってのいわば所与の環境といってよい社
会的事実へと移行することになるだろう。それはいい方を換えれば,労働の背後にある人間的
時間という自然的実体の輪郭が際立ってくるということだといえるのかもしれない。
もしラファルグのテクストに興味深い点があるとすれば,それは怠惰という言葉でもって道
徳の古い言説空間のなかから,そこに属してはいない新しい社会学的対象をいい当ててしまっ
た d点にある。
-物乞いと非労働
労働にかかわる言説において隙聞が生じ,意味の再編成がはじまったのは社会主義思想、の領
域だけにとどまらない。そうした変容は貧困問題を対象とする行政の言説空間においてむしろ
顕著に観察できるだろう。
ラファルグが怠ける権利を主張したのと同じ時期から貧困問題にかかる制度の改革が試みら
れ始めている。その流れのなかで 1 895年に労働高等評議会と労働局(ともに商工省の諮問機
-145
人文学報
関)が失業についてインテンシヴな検討をおこない,問題のありょうを定義していった。その
作業は「失業問題にかんする資料』にまとめられている 13)。そこでなされた失業統計にかん
する考察の延長上で翌年,国勢調査の一環として最初の大規模な失業統計が作成されたことを
考え合わせると,ここからフランスの公権力が失業問題に本格的に取り組みはじめたのだとい
うことができるだろう。また,これらふたつの部局は 1 906年には商工省から独立して,労働お
dut
r
a
v
a
i
le
td
el
aprevoyance sociale)
よび社会的予見省 C Mi nis t色re
に 発展 す る こ と に
な
る
だ
ろ
う
。
失
業
問
題
の
検
討
と
い
う
こ
と
で
詳
細
に
検
討
さ
れ
る
の
は
,
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
各
国
(
と
り
わ
け
ス
イ
ス
)
の
地
方
公
共
団
体
に
よ
り
設
立
さ
れ
た
公
的
失
業
基
金
,
各
国
の
労
働
組
合
に
よ
る
失
業
救
済
事
業
,
物
乞
い
・
浮
浪
者
処
罰
(
貧
民
救
済
)
法
の
改
革
案
,
私
的
な
慈
善
団
体
に
よ
る
労
働
に
よ
る
扶
助
教
会
の
活
動
,
各
国
労
働
統
計
の
現
状
,
失
業
の
原
因
な
ど
で
あ
っ
た
。
こ
の
失
業
問
題
に
か
ん
す
る
考
察
は
,
す
で
に
触
れ
た
よ
う
に
貧
民
(
物
乞
い
,
浮
浪
者
)
統
治
の
改
革
と
密
接
に
結
び
、
つ
い
て
い
た
。
不
況
の
た
び
に
数
を
増
す
物
乞
い
や
浮
浪
者
に
た
い
す
る
既
存
の
対
応
策
は
あ
ま
り
効
果
を
あ
げ
て
い
る
と
は
い
え
な
か
っ
た
。
そ
の
原
因
は
,
物
乞
い
収
容
所
な
ど
に
収
容
し
た
貧
民
を
効
果
的
に
分
類
で
き
て
い
な
い
こ
と
に
求
め
ら
れ
た
。
貧
民
の
区
別
が
不
充
分
な
た
め
に
抑
圧
さ
れ
る
べ
き
者
に
扶
助
が
与
え
ら
れ
て
お
り
,
ま
た
一
時
的
に
貧
困
に
陥
っ
た
健
全
で
善
良
な
貧
民
と
常
習
的
に
物
乞
い
や
浮
浪
を
繰
り
返
す
堕
落
し
た
貧
民
と
が
混
在
す
る
た
め
,
悪
し
き
道
徳
、
が
伝
染
し
,
か
え
っ
て
悪
影
響
の
ほ
う
が
大
き
い
と
さ
え
考
え
ら
れ
た
。
あ
る
改
革
案
は
「
扶
助
と
抑
圧
の
雑
居
状
態
」
の
度
し
難
さ
を
嘆
い
て
い
る
14)。
し
か
し
な
が
ら
問
題
は
そ
れ
ほ
ど
単
純
で
は
な
か
っ
た
。
と
い
う
の
も
こ
の
制
度
の
依
拠
す
る
問
題
設
定
の
う
え
で
は
,
貧
民
に
扶
助
を
与
え
る
こ
と
が
そ
の
ま
ま
抑
圧
(
矯
正
)
に
な
り
,
ま
た
逆
に
貧
民
を
抑
圧
(
矯
正
)
す
る
こ
と
が
扶
助
に
な
ら
な
け
れ
ば
な
ら
な
い
の
だ
か
ら
す
る
こ
と
を
つ
う
じ
て
矯
正
さ
れ
る
O
扶
助
は
労
働
の
形
で
与
え
ら
れ
,
人
間
は
労
働
を
O
労
働
は
扶
助
一
抑
圧
の
目
的
で
あ
る
と
同
時
に
手
段
で
も
あ
り
,
い
い
換
え
れ
ば
扶
助
と
抑
圧
は
労
働
を
繋
ぎ
日
と
し
て
表
裏
一
体
を
な
す
こ
と
に
な
る
15)
。
そ
う
で
あ
る
だ
け
に
「
雑
居
状
態
」
は
単
純
な
制
度
的
不
備
と
い
い
切
る
こ
と
は
で
き
な
し
」
こ
の
よ
う
な
ジ
レ
ン
マ
か
ら
脱
す
べ
く
い
く
つ
も
の
改
革
案
が
提
出
さ
れ
た
が
,
以
下
の
方
針
に
集
約
さ
れ
る
こ
と
に
な
っ
た
。
1
,
私
的
な
事
業
に
と
り
わ
け
援
助
を
与
え
る
こ
と
で
扶
助
作
業
所
の
設
立
を
促
進
す
る
こと。
2
,
厳
し
く
組
織
さ
れ
た
収
容
所
を
計
画
的
に
設
立
し
て
浮
浪
の
本
能
を
消
滅
さ
せ
る
こ
と
。
い
の
監
禁
に
独
房
を
適
用
し
て
厳
し
く
す
る
こ
と
3
,
物
乞
16L
こ
の
よ
う
な
方
針
は
,
し
か
し
伝
統
的
な
枠
組
み
を
変
更
す
る
も
の
で
は
な
く
,
次
の
よ
う
な
貧
民
に
か
ん
す
る
伝
統
的
な
分
類
に
従
い
,
そ
れ
を
徹
底
し
よ
う
と
す
る
も
の
だ
と
い
え
よ
う
。
L
労
働
す
る
身
体
的
・
精
神
的
能
力
の
欠
如
し
て
い
る
者
。
廃
疾
者
,
不
治
者
,
精
神
病
者
な
ど
。
こ
れ
ら
は
公
的
扶
助
の
固
有
の
対
象
と
な
る
。
2
,
労
働
す
る
能
力
も
意
欲
も
あ
る
け
れ
ど
も
,
な
ん
ら
か
の
理
由
で
一
時
的
に
仕
事
を
失
っ
て
い
る
者
。
「
真
の
労
働
者
Jo 3,
働
す
る
能
力
が
あ
る
に
も
か
か
わ
ら
ず
,
怠
惰
,
不
品
行
,
反
社
会
的
で
あ
る
な
ど
の
欠
陥
の
ゆ
え
に
労
働
意
1
4
6
身体的 ・ 精神的 に 労
失業,社会学的対象の誕生(宇城)
欲が欠如しており,労働しようとしない者。常習的ないし職業的な物乞いや浮浪者。これらは
矯正と抑圧の対象となる17)。事実上問題なのは後二者の混同であって,両者の判別に制度の
全体がかかっており,改革案の全体はそれをめぐっているとすらいえる O
ここでは貧民を分類するということは,非労働の現象から,人間の身体的および精神的な生
理という実体を明るみに出すことである O判明した生理の状態により人間が分類され,その状
態にふさわしい取り扱いを受けることになるのだった。繰り返せば,こうした制度の目的は,
人間が市民たる要件を満たす労働を行うように扶助し,あるいは矯正することであった。この
過程全体をつうじて標的となる貧民に強制される労働は,貧民という群れのなかに隠れている
個々の人間の本質を明らかにするだろう。いってみればこれが扶助抑圧の最終的な目的であ
るO
1895 年 の 失業 問題 の 検討 で は ,
フ ラ ン ス で 成果 を あ げ て い る 事 業 と し て 私 的 な 慈 善 団 体 の
設立した各種の「労働による扶助協会」が取り上げられる 18)。この種の私的組織に注目が集
まったのは,物乞い収容所を中心とする公的扶助の制度が実効的でなかったからでもあるが,
それ以上に扶助の論理を変更する必要に迫られつつあるからだというべきであろう。しかしな
がら人間と労働の関係についての見方に変化がみられるわけではな ~ ' oここでも労働は「試金
石」であり「怠惰により物乞いをする詐欺師から,本当に仕事を探しているけれども見つける
ことのできない不幸な者を区別するための,もっとも単純,迅速かっ決定的な見きわめの手段」
である。注意が払われるのもやはり同じ事態である。「偶発的失業にみまわれた真の労働者た
ちが,職業上の無能力と身体的ないし道徳的な欠点とにより周期的な困窮を宿命づけられてい
る常習的貧民の群れのなかに一緒くたにされ続けるかぎり」たまさか仕事を失ってはいるが労
働の能力と意欲に満ちた真の労働者に充分な扶助を与えることはできな L 、。また道徳的退廃は
伝染するものであるから,選別を欠いた扶助は「屈辱的ですらある解決策」にほかならず,
「真剣な努力と利益をうむ労働をすることのできる真の労働者にはふさわしくなしリ 19)。
労働による扶助協会の扶助の方式における変化は,労働の欠如が「偶発的」であると認めら
れた労働者にその職業におうじた労働斡旋を行う点にある(たとえば石工には石切りを,植字
工には植字を) 20)0 こ こ で は 労働 に よ る 矯正 と い う 視点 は 希薄 で あ る 。 矯正 と い う 役 割 を 担 っ
てきた公的扶助における労働についてこう述べられている O従来の労働による扶助は「労働を
用いた施し」と呼ばなければならない。というのも「一般的にほとんど利益をうまない作業を
おこなうことにたいして,ごくわずかな扶助を支給するが,その支給される扶助は,なされた
労働の価値よりもつねに上回っており,その差額は協会員の慈善心により埋め合わされている
のだから」。そこでおこなわれる扶助が正しく「労働による扶助」になるためには,扶助組織
が「扶助される人びとのために無償の労働斡旋所の役割をも果たし,臨時または常雇いの雇用
を供給」しなければならない 21)。対象となる貧民を労働市場の外部に囲い込むのではなく
-147
人文学報
(扶助施設における労働が労働市場そのものと競合関係に陥る可能性がしばしば指摘されてき
た),労働力として活用すること。もちろんそのような労働斡旋事業には実際上の困難が伴い,
そう簡単に実現できるはずもなく,またそれまでまったく行われてこなかったわけでもないけ
れども,貧民の取り扱いが扶助一抑圧の論理とは異なる論理のなかに静かにまた徐々に組み込
まれつつあることに注意しなければならなし」労働を欠いた貧民が属すべき空間は,扶助一抑
圧による政治的治療の空間ではなく,労働市場なのである O
しかしながらこの移行ははっきり意識されてはおらず,組織的には行われていないという点
は強調しておくべきである。労働の欠如が偶発的だと認められるとしても,その欠如の本体が
決定的な要因としてつねに別の場所に見出されるだろう。たとえば労働による扶助協会にかん
する労働局の覚書では,労働斡旋事業のかかえる困難は「労働による扶助協会が保護している
者たちの大部分が社会の屑,人生の敗残者からなっており,彼らの敗北はその身体的,知的,
道徳的状態から不可避であった」ことに由来すると強調しさえする 22)。非労働の偶発性さえ
も人間の本質によって規定されているかのようだ。立論の全体から窺われるのは,労働の欠如
という現象の背後にある実体を探り当て,その実体に働きかける解決策を考案するという思考
の貫徹ぷりである。その意味で,失業を焦点に貧困問題を再編しようとするこの改革案は改革
というよりはむしろ伝統的な問題設定の内部にとどまり,その強化を志向している O
ここで問題になっている問題設定を要約すれば,身体性(肉体および精神)の読解格子にて
らして貧民という集団をふるいにかけることだといえるだろう。労働させることは労働者の身
体とその規律化の程度に直接に問し、かけることであり,問題の様相の全体が「労働する人間」
という単位のなかで可視化され制御される。失業という現象は,その背後にある諸原因に還元
される。それら諸原因は人間の個体性をなす身体的・精神的生理の領域の属性である。扶助一
抑圧は,労働を手段とし労働そのものを目的とする,人間の再規律化の装置であった口そして
ラファルグが異議を申し立てたのは,そうした労働にかかる問題設定の全体にたいしてであっ
たということは見やすいことだとここで振り返ってみることもできょう。
「失業」という観念を用いて貧困問題を再編成しようとすることは,すでに見たように労働
市場への貧民の包摂という視野を開いたのであるが,これは扶助一抑圧の定位する人間の個体
性の水準からの離脱を含意する。これを別の側面からいい換えれば,価値問題から事実問題へ
と問題が転位したのだといってもよいだろう。貧しい真の労働者すなわち「労働すべき人間」
(別の側面から逆にいえば「労働する権利を有する人間 J )が失業者すなわち「労働を欠く人間」
へと変容するのである Oこの変容のうちに生じているある種の涙じれの様子をさらに詳しく見
ていかなければならない。
148-
失業,社会学的対象の誕生(宇城)
-定常と予見可能性
貧民の取り扱いに導きいれられつつある扶助一抑圧とは異なる論理は,とりわけ失業統計の
整備のなかにはっきりと現われている O失業統計の整備は,今世紀初頭フランスにおける統計
学の中心人物リュシアン・マルシュ C Lucien M
arch. 1859-1933)
マ
ル
シ
ュ
は
統
計
の
カ
テ
ゴ
リ
ー
を
構
成
す
る
の 最初 の 仕事 で あ っ た 23L
O
そ
の
出
発
点
は
原
因
の
列
挙
と
分
類
で
あ
る
。
原
因
論
は
必
須
で
あ
る
。
非
労
働
の
背
後
に
あ
る
実
体
を
見
き
わ
め
な
け
れ
ば
な
ら
な
い
の
だ
か
ら
。
「
一
時
的
に
労
働
を
奪
わ
れ
て
い
る
諸
個
人
の
あ
い
だ
に
,
そ
の
状
況
の
原
因
に
し
た
が
っ
て
ど
の
よ
う
な
カ
テ
ゴ
リ
ー
を
う
ち
立
て
る
こ
と
が
で
き
る
の
か
見
て
み
よ
う
0
・
…
・
・
そ
れ
ら
諸
原
因
の
検
討
は
,
失
業
の
諸
帰
結
を
緩
和
す
る
と
い
う
限
ら
れ
た
視
点
か
ら
し
て
も
き
わ
め
て
重
要
で
あ
る
O
と
い
う
の
も
,
提
案
さ
れ
る
解
決
策
は
,
事
情
に
よ
っ
て
は
状
況
を
改
善
す
る
ど
こ
ろ
か
悪
化
さ
せ
る
こ
と
が
あ
り
う
る
の
だ
か
ら
。
し
た
が
っ
て
統
計
は
…
…
可
能
な
限
り
失
業
の
原
因
に
お
う
じ
た
カ
テ
ゴ
リ
ー
を
失
業
者
の
あ
い
だ
に
う
ち
立
て
な
け
れ
ば
な
ら
なしリ
24 )。
原
因
は
大
別
す
れ
ば
「
大
部
分
に
お
い
て
は
個
人
な
い
し
そ
の
直
接
の
環
境
」
に
由
来
す
る
「
個
人
的
原
因
」
と
,
個
人
的
水
準
よ
り
も
一
般
的
な
,
し
た
が
っ
て
社
会
的
な
水
準
に
由
来
す
る
「
一
般
的
原
因
」
と
に
分
け
られる
25L
C ch6 m age p
ersonneDJ と 呼 ば れ,
1
,
個
人
的
原
因
。
こ
こ
か
ら
生
じ
る
失
業
は
「
個
人
的
失
業
ら
に
「
自
発
的
失
業
」
と
「
非
自
発
的
失
業
」
に
下
位
区
分
さ
れ
る
さ
O
自
発
的
失
業
を
生
む
個
人
的
原
因
に
は
,
怠
惰
,
飲
酒
,
慈
善
に
依
存
す
る
生
活
態
度
,
雇
い
主
と
の
個
人
的
衝
突
,
ス
ト
ラ
イ
キ
,
団
結
権
の
濫
用
,
よ
り
高
い
賃
金
率
を
求
め
る
労
働
者
の
特
定
業
種
・
地
域
へ
の
移
動
が
挙
げ
ら
る
。
非
自
発
的
失
業
を
生
む
個
人
的
原
因
に
は
,
身
体
的
・
道
徳
的
不
能
,
能
力
・
技
能
の
未
熟
さ
,
悲
惨
(
家
族
に
か
か
わ
る
過
剰
な
負
担
)
,
病
気
・
不
具
,
老
齢
,
労
働
市
場
の
不
備
(
業
種
間
,
地
域
間
)
,
職
業
へ
の
適
性
の
欠
如
が
挙
げ
ら
れ
る
。
こ
れ
ら
を
伝
統
的
な
カ
テ
ゴ
リ
ー
で
い
え
ば
,
自
発
的
失
業
は
抑
圧
の
対
象
と
な
る
も
の
,
非
自
発
的
失
業
は
公
的
扶
助
の
対
象
と
な
る
も
の
に
ほ
ぼ
相
当
す
る
と
い
え
る
だ
ろ
う
。
し
た
が
っ
て
強
い
意
味
で
の
失
業
,
す
な
わ
ち
マ
ル
シ
ュ
の
い
う
「
職
業
的
失
業
」
に
は
含
ま
れ
な
2,
一般 的 原 因。
~ \o
こ こ か ら 生 じ る 失業 は 「 強 い ら れ た 失業Cch6mage
fore の 」 と 呼 ば れ る 。
こ
れ
は
さ
ら
に
「
労
働
者
が
長
き
に
わ
た
っ
て
'
慣
れ
て
お
り
,
ほ
と
ん
ど
確
実
に
ま
た
や
っ
て
く
る
こ
と
を
予
見
」
す
る
こ
と
の
で
き
る
「
定
常
失
業
常失業
C ch6 m age
C ch6 m age
normaDJ と 「偶発 的状況 」 な ど に よ る 「 非 定
anormaDJ と に 下位 区分 さ れ る 。 定常失業 の 原 因 は 季節 の 影響, 不安定 な
雇用(業種によっては原理的に雇用が不安定である),気候の影響,流行の変化などである。
これにたいして非定常失業の原因としては,農業における災害,労働の機械化・組織化の急速
な進展,産業の移転,価格変動,生産の無秩序,ロックアウト(あるいは労働者をブラックリ
ストに載せる),投機と過当競争,婦女子労働の濫用や労働者間の過当競争,労働時間の過度
-149-
人文学報
の延長,外国人労働者の移民,継続性のない公共事業,貨幣価値の変動,国内販路の変化,外
国製品の流入,外国の不況(国外販路の変化),好調な特定業種・地域への労働者の集中,立
法の影響などが挙げられる O
この原因論で重要なのは定常/非定常の論理が導入されたことである O非定常失業は「労働
者の意志にもとづくあらゆる行為とはほぼ間違いなく無関係 J 26)で あ り , 労働 の 欠 如 を 人 間 の
個体性の水準とは別の水準に位置づけることになる。
ところで,こうした志向は,
r産業恐慌 時 に お け る 非 自 発 的失業 の 帰結 を 緩 和 」
し 労働 を 保
護する必要性を主張して失業問題を国家的問題として取り上げさせたオーギュスト・クーフェ
ル ( A u gu s t e
Keufer ,
1851-1924) の 考 え 方 と 重 な り 合 い ,
全体 の 方針 を 水路づ け る 。 ク ー フ ェ
ルによれば「予見可能性 ( p rev o y ance) J と そ の 予 見 の 主体 の 水準 に お う じ て 失 業 を 取 り 扱 わ
なければならなし \ 0 1,労働者個人の水準での「個人的予見J o 2,
団体の水準での「集団的予見J o 3,
企業 や 労 働 組 合 な ど の 職 業
個 人 や 職業 団体 を 越 え る 全体社会 の水準で の 「社会的予見J。
この最後の水準は最終的に国家によって担保される 27)。このような論理に従うならば集団的
ないし社会的な非労働のみが失業である O予見とは勤勉さと理性的判断によって成り立つもの
(来るべき失業に備えて貯金したり,共済組合に加入するなど)であるから,個人的予見の範
囲に収まる非労働は個体性の水準の問題へと還元されるだろう。クーフェルは,社会的予見の
水準に発生する非労働を公権力の保障すべき失業と位置づけ,それにたいして公共事業を国家
規模で組織するよう求めた。
マルシュのいう「定常失業」は,したがって「個人的失業」とともに,クーフェルの予見可
能性の内部に発生する非労働と重なり合うことになる O定常(正常)/非定常(異常)の論理
と予見可能性の論理が互いに補完しあうかたちで,ここに失業という問題が形作られつつある
のだが,ごく図式的にいえば,予見可能で定常的な非労働(常習的)/予見不能で非定常的な
非労働(偶発的)という二項対立に再編され集約されることになった。つまり,個人には制御
不能な非労働というものに照準を合わせ,それをくくり出すことが問題なのだ。したがって失
業を考えるときに必要になるのは,定常の量,非定常の量を測定することになる Oいい換えれ
ば現象の奥にある実体を探り当てるのではなく,現象そのものの動きと論理を把握することが
目標となるのだった。
しかし,失業という現象は直接的に数を数えられるような対象ではなし 1。たとえば人数を数
えるようにすでに確立された実定的な対象を数量化すればこと足りるというわけにはし 1かなし \0
むしろ統計的カテゴリーによって実定性を切り出してこなければならない。いわば「触知不能
なものの測定J 28) を 行 う 必要 が あ る の だ。 マ ル シ ュ は 3 つ の 指標 を 考察 に の せ る 。 ま ず 現 在 で
も頻繁に用いられている「失業率 ( p o u rcent age
du ch6rnage)J
時
点
で
の
労
働
人
口
に
お
け
る
労
働
を
欠
く
労
働
者
の
割
合
を
示
す
。
こ
の
失
業
率
の
ほ
か
に
,
そ
れ
と
の
1
5
0
。 いう までもな く こ れはあ る
失業,社会学的対象の誕生(宇城)
「混同をなんとしても避けなければならないまったく異なる数字」として「当該期間のあいだ
に失業したことのある人びとの百分率 (pourcen t age
I
ep
e
r
i
o
d
econsider
d
e
sp
e
r
s
o
n
n
e
sa
y
a
n
t chδme
r
e
e
l
l
ed
uch6mage)J
飴) J と 「失業 の 実質割 合(proportion
p
e
n
d
a
n
t
が設 定 さ れ
る 29)
。
そ
れ
ぞ
れ
の
指
標
が
同
一
の
事
象
の
な
か
に
見
出
す
指
示
対
象
は
ま
っ
た
く
異
な
る
も
の
で
あ
る
。
前
者
は
当
該
期
間
に
生
活
に
不
安
定
要
因
を
抱
え
た
人
間
の
量
n
、
ぃ
換
え
れ
ば
社
会
の
内
部
に
存
在
す
る
不
安
定
要
因
の
量
)
を
表
し
て
お
り
,
後
者
は
さ
ら
に
抽
象
的
に
,
当
該
の
活
動
人
口
の
な
か
で
失
わ
れ
た
労
働
時
間
,
ひ
い
て
は
失
わ
れ
た
生
産
活
力
な
い
し
生
活
費
の
量
を
表
し
て
い
る
O
マ
ル
シ
ュ
は
こ
う
述
べ
て
い
る
。
「
後
者
の
数
値
[
失
業
の
実
質
割
合
]
は
,
失
業
保
険
基
金
の
負
担
を
計
算
し
た
い
と
き
に
も
っ
と
も
興
味
深
い
も
の
で
あ
る
。
原
理
的
に
い
っ
て
,
扶
助
さ
れ
る
人
び
と
の
個
体
性
は
ほ
と
ん
ど
重
要
で
は
な
い
の
だ
か
ら
し
か
し
な
が
ら
一
年
の
う
ち
所
定
の
失
業
日
数
を
超
過
し
た
個
人
が
も
は
や
そ
れ
以
上
に
生
活
改
善
費
用
を
求
め
る
権
利
を
も
つ
こ
と
が
な
い
と
す
る
な
ら
ば
,
前
者
[
当
該
期
間
の
あ
い
だ
に
失
業
し
た
こ
と
の
あ
る
人
び
と
の
百
分
率
]
も
ま
た
知
ら
な
け
れ
ば
な
ら
な
い
J 30) 。,
こ う し て 人 間 の 個体性 を 捨象 し ,
社会空 間 の
な
か
に
存
在
す
る
量
的
な
も
の
と
し
て
失
業
と
い
う
現
象
を
把
握
し
よ
う
と
す
る
と
き
,
新
し
い
実
定
的
な
水
準
が
操
作
可
能
な
も
の
と
し
て
姿
を
現
す
の
だ
っ
た
。
そ
の
実
定
的
な
水
準
は
ど
の
よ
う
な
も
の
で
あ
ろ
う
か
。
マ
ル
シ
ュ
は
マ
サ
チ
ュ
ー
セ
ッ
ツ
州
、
|
で
お
こ
な
わ
れ
た
1 889
年
か
ら
1 893
年
ま
で
の
月
別
の
就
業
調
査
な
ど
を
利
用
し
て
,
産
業
社
会
の
社
会
空
間
に
占
め
る
失
業
の
位
置
を
モ
デ
ル
化
し
て
い
る
O
ま
ず
,
定
常
失
業
の
原
因
と
な
る
「
定
常
的
か
っ
周
期
的
な
原
因
は
,
定
義
上
こ
れ
ら
の
値
[
月
別
の
失
業
率
]
の
最
低
値
よ
り
も
大
き
い
値
を
与
え
る
こ
と
は
あ
り
え
な
い
で
,
当
該
J 31) の
5
ヶ
年
の
う
ち
も
っ
と
も
低
い
失
業
率
を
定
常
失
業
の
割
合
と
み
な
す
。
ま
た
同
じ
の
平
均
を
「
強
い
ら
れ
た
失
業
5
ヶ
年
の
失
業
率
J (
定
常
失
業
+
非
定
常
失
業
)
の
割
合
と
み
な
す
。
こ
れ
に
よ
り
定
常
失
業
と
非
定
常
失
業
の
関
係
が
規
定
さ
れ
る
だ
ろ
う
。
ま
た
「
個
人
的
失
業
J (
自
発
的
失
業
と
非
自
発
的
失
業
)
に
か
ん
し
て
は
ブ
リ
ュ
ッ
セ
ル
で
お
こ
な
わ
れ
た
原
因
別
の
調
査
を
参
考
に
し
て
試
算
し
て
い
る
Oこうして,
失
業
と
い
う
現
象
の
全
体
の
構
造
を
手
に
す
る
こ
と
が
で
き
る
体
の
失
業
率
は
O
こ
う
し
て
構
成
さ
れ
た
モ
デ
ル
に
よ
れ
ば
全
10%
で
あ
る
と
い
う
。
翌
年
に
実
施
さ
れ
る
失
業
統
計
の
結
果
の
確
か
ら
し
さ
を
測
る
た
め
の
ガ
イ
ド
ラ
イ
ン
に
す
る
つ
も
り
だ
っ
た
の
で
あ
ろ
う
。
そ
の
内
訳
は
以
下
の
よ
う
で
あ
る
32)。
%
個
人
的
[
自
発
的
]
失
業
1
病気による失業
2 . 5%
定常失業
3. 5%
非定常失業
3
%
もちろんこれはさしあたり推計されたモデルにすぎず,フランスはおろかどんな国の失業の
実態も理解させるわけではないけれども,ここで重要なのは失業の定数というものが一般的な
ものとしてモデル化されようとしている点である。つまり失業は社会体にとって不可避的な構
成要素として見出されるのである。マルシュはさまざまな統計を比較検討してこう述べている。
1
5
1
人文学報
「さまざまな職業における失業の変動を表すグラフの最大値は,ほとんど同じ時期に現れ,そ
して物価を示すグラフの最小値と一致」しており,
I失業 は 大多 数 の 職業 に お い て ほ と ん ど 同
時に増大し,物価の変動と反比例の関係にあるように思われる J 33)0 す で に 見 て き た よ う に ,
統計的に観察される現象は個々の労働者の行為や意志とは無関係であるゆえにきわめて一般的
で集合的であるといわなければならな ~ ) oとすればアメリカ合衆国の失業とかフランス共和国
の失業という差異はあまり意味のあることではなく,むしろ職業の区別のほうが有意である。
かくしてマルシュは,統計的にはまだ証明できないと留保しつつも,国家や地域の違いを越え
て失業を職業別に一定の割合で生じさせる「係数」すなわち抽象的なものの実在性を示唆する
ことになる Oこの同じ 1 89 5年にデュルケームが社会的事実を「もの」として扱えという有名
な命題を掲げるのはたんなる偶然の一致ではないだろう。社会空間の関数として失業をとらえ
る視点は後出のマックス・ラザールによってさらに推し進められることになる。
改めていえば労働局を中心とする失業問題の検討は,貧困という現象を取り扱う問題設定の
再編成であった。それは,現実(貧困ないし労働の欠如),現実を整序する表象(労働),その
表象から読み取られる意味(どのように取り扱い解決すべきか),これら諸関係の組み換わり
の一環をなすものといえよう。扶助一抑圧の対象としての労働を欠く労働者,社会的定常とし
ての労働の欠如。このふたつの論理の経り合わせのなかで失業問題が構築されようとしている
のだった。 だが,そこには微細でありながらも無視しがたいひとつの困難を指摘しないわけに
はいかない。この「失業」を経験する人聞が「失業者」なのか。あるいは,この「失業者」が
経験している事態が「失業」なのか。いい方を換えれば,人間の属性と社会現象はどのような
関係のもとに置かれているのか。統計的論理そのものは人間の個体性を捨象し新たな実定的水
準を導入しはするけれども,それだけでは回答を与えはしない。
「失業者」と「失業」のあいだには裂け目が存在しているように思われる(図 1参照)。人間
個体に問いかける装置による規律化=正常化の規範的論理と,統計による定常性=正常性の記
述的論理は,接点があいまいな
図 1
まま涙じれた関係におかれてい
る O失業という問題が日常世界
病人,
廃疾者/仕事を欠いた真の労働者/物乞,
一/?
における確固たる経験領域とし
て姿を現すまでには,まだいく
つかの契機を待たなければなら
定常(予見可能)/非定常(予見不能)
ないようだ。
1
5
2-
浮浪者
失業,社会学的対象の誕生(宇城)
2.
失業 問 題 の 実 定性
一一 国 際会議 と 社会学
国際会議ないし国際組織は世紀転換期における知的交流の主要なモードであった。ここでわ
れわれが関心を寄せる社会的諸問題にかかるあまたの国際会議の雛型となったのがケトレの創
設した国際統計会議(1 853 - 1 8 7 6年)であったということを想起しておこう制。国際統計会
議(とその後継機関である国際統計学会)は統計の分類項目の定義,手続きの統ーなどを目的
として開催された。とくにジャック・ベルティヨンによる職業分類の標準化作業(1 889年)は
失業問題への関心の端緒として挙げることができるだろう。それらの組織を核として,社会に
かかわる知識(この場合は統計)をこととする人間集団(ないし制度)は,伝統的な知識人制
度(たとえば学士院や大学など)や政治・行政制度と深いつながりを保ちつつも,それらから
相対的に自律した特殊領域を形成していったのだった。そしてその核のまわりに,社会的知識
にもとづいて社会に働きかけようとする人びと,すなわち社会改良家,経済学者,社会学者,
行政官などの交流が国際的なものとして結晶して~ \く。こうした動きの背景にコンドルセ以来
の「科学の国際集団主義J 35) を 読 み 取 る こ と が で き る か も し れ な い 。
だが国際会議というものは問題の「探究Jというよりは「登録」の場である 36)。議論の末
に同じ見解に全体が収数し一体化することが求められているのではないだろう。ょうするに党
派をたちあげるといったことが目的ではなし」その場所で論じられ取り扱われる問題を問題そ
のもののとして認知させ流通させることが中心課題なのであって,党派的利害や理論的立場は
二次的な問題でさえある。いってみれば多種多様な立場の人びとに,そのなかで異なる夢を見
ることを許す「同床」を作りあげることが目的だというべきだろう。そうして形成されはじめ
た流れは,そこで標準化されてし、く知識の「科学的」であるがゆえの中性的性格に拠ることで,
多様な政治的立場・利害の組酷を棚上げし,そして社会的な諸問題の問いの構造を規格化して
いくだろう。
失業にかんする議論はそうした流れのなかではじまった。さきに見てきたフランス労働局に
よる失業問題の検討も実をいえばその国際的な動きの一環をなすものだった。労働高等評議会
や労働局の人びとはベルティヨンの職業分類の標準化作業を引き継いだのであり,また後述の
一連の国際失業会議の中核をなして活動するのであった。確かに失業は一国の範囲のうちだけ
で解決できる問題ではなく,そのことが国際的な取り組みの必要を強く意識させたのであり,
そしていうまでもなく国際的な知的交流の基盤となった統計は失業問題に取り組むうえで必須
の要件であった 37L
-失業の原因論と労働斡旋
1906 年10 月2 日 ミ ラ ノ 。 人道協 会 の 主 催 で 「 国 際 失 業 対 策 会 議CCongres
-153
i
n
t
e
r
n
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i
o
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a
l
人文学報
p
o
u
rl
al
u
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eI
echδmage)J
が 聞 か れ た 。 失業 が 国 際 的 な 組織 や 会 議 で 取 り 上 げ ら れ
た
こ
と
が
な
い
わ
け
で
は
な
か
っ
た
が
,
主
題
と
な
っ
た
の
は
こ
れ
が
は
じ
め
て
で
あ
っ
た
。
ミ
ラ
ノ
の
人
道
協
会
は
1 898
年
に
設
立
さ
れ
た
慈
善
と
社
会
改
良
の
私
的
機
関
で
,
イ
ン
タ
ー
ナ
シ
ョ
ナ
ル
と
も
関
係
が
深
か
っ
た
お
込
こ
の
会
議
は
「
失
業
問
題
の
全
貌
を
明
る
み
に
出
し
,
そ
の
あ
ら
ゆ
る
側
面
を
世
論
の
前
に
提
示
し
,
…
公
権
力
の
注
意
を
こ
の
問
題
に
集
め
る
」
た
め
に
,
を
目
的
と
し
た
1科学者」 と 「活動家」 の 対 話 を 試 み る こ と
39)
。
こ
の
会
議
は
,
後
述
の
パ
リ
国
際
失
業
会
議
と
と
も
に
20
世
紀
初
頭
に
お
い
て
失
業
と
い
う
こ
と
が
ら
の
周
囲
で
な
に
が
問
題
化
さ
れ
て
い
た
の
か
を
よ
く
表
し
て
い
る
O
こ
の
会
議
の
参
加
者
は
イ
タ
リ
ア
を
は
じ
め
フ
ラ
ン
ス
,
ベ
ル
ギ
ー
,
ス
イ
ス
,
オ
ー
ス
ト
リ
ア
各
国
の
公
権
力
(
政
府
,
地
方
公
共
団
体
)
の
代
表
者
,
労
働
組
合
や
共
済
組
合
の
代
表
者
な
ど
2 59
名
を
数
え
た
(
中
心
は
イ
タ
リ
ア
,
フ
ラ
ン
ス
,
べ
、
ル
ギ
ー
)
。
主
だ
っ
た
参
加
者
の
名
前
を
挙
げ
れ
ば
,
ア
レ
ク
サ
ン
ド
ル
・
ミ
ル
ラ
ン
,
エ
ド
ゥ
ア
ー
ド
・
ヴ
ア
イ
ア
ン
,
ジ
ェ
イ
ム
ズ
・
ケ
ア
・
ハ
ー
デ
ィ
,
ア
ン
ジ
オ
ー
ロ
・
カ
ブ
リ
ー
ニ
,
ロ
ベ
ル
ト
・
ミ
ヘ
ル
ス
,
ヴ
ェ
ル
ナ
ー
・
ゾ
ン
バ
ル
ト
ら
各
国
の
主
要
な
社
会
主
義
者
。
そ
れ
に
加
え
て
ア
メ
リ
カ
労
働
連
盟
書
記
長
サ
ミ
ュ
エ
ル
・
ゴ
ン
パ
ー
ズ
,
国
際
労
働
局
局
長
(
国
際
労
働
立
法
協
会
の
中
枢
機
関
)
エ
チ
エ
ン
ヌ
・
パ
ウ
ア
ー
な
ど
。
ち
な
み
に
フ
ラ
ン
ス
か
ら
は
政
府
代
表
団
と
し
て
労
働
局
局
長
ア
ル
チ
ュ
ー
ル
・
フ
ォ
ン
テ
ー
ヌ
と
オ
ー
ギ
ュ
ス
ト
・
ク
ー
フ
ェ
ル
が
参
加
し
た
。
会
議
の
実
質
的
な
組
織
者
ア
レ
ッ
サ
ン
ド
ロ
・
ス
キ
ア
ヴ
ィ
( A less a nd ro
に
共
有
さ
れ
て
い
る
問
題
の
前
提
条
件
に
つ
い
て
こ
う
述
べ
て
い
る
Schiavi)
は,
参加者全 体
o 1科学 は 経済 現 象 の あ い だ の 相 関
関
係
を
う
ち
立
て
,
自
発
的
失
業
者
と
い
う
神
話
そ
の
も
の
を
破
壊
し
,
そ
し
て
以
下
の
こ
と
が
ら
を
証
明
し
た
。
失
業
者
と
い
う
の
は
,
ほ
と
ん
ど
の
場
合
,
経
済
的
・
身
体
的
・
社
会
的
な
原
因
の
犠
牲
者
で
あ
っ
て
,
そ
れ
ら
の
原
因
は
彼
の
意
志
と
は
ま
っ
た
く
独
立
し
た
も
の
で
あ
る
」
。
ゆ
え
に
失
業
と
い
う
現
象
に
遭
遇
す
る
人
び
と
は
「
社
会
の
廃
物
な
い
し
屑
で
は
な
く
,
健
全
で
有
能
で
健
常
な
成
員
」
で
あ
り
,
し
た
が
っ
て
失
業
の
も
た
ら
す
「
諸
帰
結
を
防
ぐ
た
め
に
は
経
済
的
性
格
を
も
っ
た
諸
手
段
に
訴
え
る
こ
と
が
望
ま
れ
る
の
で
あ
り
,
そ
れ
ら
諸
手
段
は
理
性
と
集
合
的
利
益
に
導
か
れ
,
全
体
に
当
て
は
ま
る
も
の
で
な
け
れ
ば
な
ら
な
い J 40) 。 人 口 の な か の 一部 の 特殊 な 層 ( I社会 の 屑 J ) に の み 固 有 な 問 題 で は な く ,
人 口 全体 に
一
般
的
に
生
じ
う
る
問
題
と
し
て
失
業
を
見
る
と
い
う
こ
う
し
た
視
点
が
す
で
に
見
て
き
た
フ
ラ
ン
ス
労
働
局
に
よ
る
失
業
問
題
の
検
討
と
同
じ
線
の
上
に
あ
る
の
は
明
ら
か
で
あ
る
。
ま
た
「
自
発
的
失
業
者
」
を
「
神
話
」
と
み
な
し
,
労
働
を
欠
い
た
人
間
を
平
常
の
労
働
者
と
連
続
的
な
も
の
と
見
る
こ
の
よ
う
な
視
点
が
1 793
年
の
ピ
ネ
ル
に
よ
る
狂
人
の
「
解
放
」
に
言
及
し
な
が
ら
語
ら
れ
て
い
る
点
も
,
た
ん
な
る
比
喰
と
い
う
に
は
意
味
深
長
で
あ
り
見
過
ご
す
わ
け
に
は
し
、
か
な
L 1 41 L
失
業
問
題
が
個
人
の
水
準
に
あ
る
の
で
は
な
い
と
す
れ
ば
,
問
題
の
定
位
す
る
水
準
を
画
定
し
直
さ
な
け
れ
ば
な
ら
な
い
。
そ
の
た
め
に
は
失
業
と
い
う
現
象
の
発
生
の
原
理
が
問
い
直
さ
れ
な
け
れ
ば
な
ら
な
い
だ
ろ
う
。
国
際
失
業
対
策
会
議
で
失
業
の
原
因
論
が
大
き
な
比
重
を
占
め
る
こ
と
に
な
っ
た
の
は
,
そ
の
た
め
で
あ
る
。
と
こ
ろ
が
,
に
も
か
か
わ
ら
ず
と
い
う
べ
き
か
,
だ
か
ら
こ
そ
と
い
う
べ
き
か
,
そ
の
中
心
的
な
論
点
で
あ
っ
1
5
4
失業,社会学的対象の誕生(宇城)
たはずの「失業の原因」をめぐって会議は紛糾を極めてしまう。もっとも表層的なところから
いえば,改良主義的な立場をとる会議の組織者たちは,社会主義者(社会民主党というべきか)
の強硬な抵抗にあい,事態の収拾をつけることができなかったのである o I 社 会 の 将 来 の 編 成
よりは現時点に関心があったので,失業の諸帰結を緩和するために提案された手段について考
察を加える」ことを提案した組織者たち一一「科学者」と,
I失 業 を 廃絶 す る 可能性 に つ い て
徹底的に議論すること」を望み「社会主義的解決」に固執し階級闘争の意味を強く主張した社
会主義者たち一一「活動家」とのあいだには架橋しがたい溝があった 42)。この会議から 3年後
ふたたび国際失業会議の準備が進められるなかでも,あらためて「人びとは失業とほとんど同
じくらいにアナルシー,革命,社会主義について討論したのだ!
J43)
と 慨嘆 さ れ な け れ ば な ら
ないほどに。
たとえば全体討議で積極的に発言したミヘルスは,労働者階級と使用者階級が共同して失業
を予防するような事業(たとえば労使協調による労働斡旋)を行う可能性に強い疑念を呈して
こう述べる。「実践的な視点から見れば合意[労働者階級と使用者階級の]は不可能である。
ふたつの階級の目的と利害は分裂しているのだから J 44)0
ミ ヘ ル ス に 限 ら ず多 く の 参加者 が く
ちぐちに社会体制そのものを問題にした。このような論調にたいし,会議の名誉委員でもあっ
たクーフェルは次のように述べて反論する。「失業の諸帰結は資本主義体制の消滅といっしょ
にしか消滅しないと宣言するだけでは充分ではなし 1。この体制はあらゆる悪の原因なのだから O
私の考えでは,会議は社会問題というものを解決することや,社会状態を変革する手段を明ら
かにすることを使命としているのではない。……失業の諸帰結を和らげることのできる解決策
だけがこの会議の作業の目的なのだ J 45)。
しかしながらわれわれが注目したいのは,このような政治的立場の対立なのではない。この
紛糾に意味があるとすれば,そこに表明された価値観ないし世界観の相違によるのではなくて,
失業を問題化するその問いの構造をめぐる組酷によるというべきである。その意味でこのミラ
ノの国際失業対策会議は,まさにその原因をめぐる議論のゆえに興味深いものとなっている 0
4 年後 に ふ た た び失業 に か か る 国 際会議 が パ リ で 聞 か れ な け れ ば な ら な い の は ミ ラ ノ 会 議 の 紛
糾の理論的賭金が重大だったからにほかならな t \ o
失業の原因をめぐる議論を見てみよう。スキアヴィが読みあげた開会演説によれば,失業に
は「定常失業 C ch6 m age
こ
こ
で
い
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定
常
失
業
は
,
た
と
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J 46) こ と と 密接 に つ な が っ て い る O 資本主義経済 に お け る 労働 の 自 由 は 解 雇 さ れ
る
自
由
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腹
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よ
う
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1
5
5
人文学報
いる。そのために彼らは,より低い賃金水準を受け入れざるをえない労働予備軍を必要として
おり,現にそれを利用している Oこの労働予備軍の存在それ自体がまず「失業」である Oしか
も同時にこの「失業」は一般の労働者の失職リスクを高める要因をなしており,そのせいで
「失業」はますます広がりを見せることになるだろう。ょうするに定常失業は,労働予備軍を
利用した資本家の利己的な利潤追求の帰結として生じるものであり,資本主義体制に内在的で
必然的な欠陥のことであるだろう。したがって「労働者にとっての自由の利点と安定した雇用
の利点をどのように両立させるべきか J 47)0 こ れ が 国際失業対策 会議 が 冒 頭 で 提 示 す る 一 般 的
な失業問題の再定式である O
経済体制にさかのぼって失業を見る視点は,しかしながら会議の参加者のあいだでは,相互
に関連しあいながらもはっきりと異なるふたつの見方に分裂している。この分裂は失業を問題
化するその形式における分裂であり,これが先の政治的立場の違いに結び、ついていたのだった。
一方はドイツ社会民主党を代表するミヘルスらがとりわけ強く主張するようなものであり,そ
れによれば経済体制の問題は一言でいってしまえば階級闘争と等置される。ミヘルスは会議に
提出した報告書でこう述べる o r 資本主義社会 が う ま く 運営 さ れ る た め に は ,
マ ル ク ス が産業
予備軍と呼んだものつまり失業を土台としなければなららない」のであるから「失業扶助を
国家や地方公共団体の下す寛大な援助としてではなく,諸階級(その構成員の個人的意志から
は独立している)が社会のなかで交える闘争において用いる武器とみなさなければならなしリ。
そこで望まれる失業対策とは rl,労働者の全体のために労働の価格を高く維持すること。そ
して賃上げを求める闘争を容易にすることによって,組織された労働者階級の生活水準を向上
させること。 2,企業家たちの経済的報復から労働組合の組合員を保護すること。 3,失業のも
たらす堕落効果(賃金の圧迫,アルコール中毒,物乞い,犯罪)を減じること」である 48)。
ここでは,労働/非労働はもっぱら政治的な問題系のなかで考えられているといわなければな
らない。経済的なものを政治的なものに転化すること。あるいは政治による経済のコントロー
j レO
このような問題系のなかでは,失業はストライキと隣接するものとして現れることになる。
「失業の原因」にかんする総括報告はこう述べている。「ストライキは参加者にとり堕落を予防
し労働条件の改善を獲得するのに役立つ武器一一一時的な利潤の減少により使用者の被る損害
が彼の雇う労働者の要求により余儀なくされる損害を上回るならばつねに勝利をもたらす武器
である」。ストライキという「働かなしリ事態は政治的活動であるが,しかし同時に労働の反
対物であるから,その意味で失業と隣りあわせである o
r ス ト ラ イ キ と 失業 は ,
そ の 深 い 差異
にもかかわらず,ひとつ接点がある。このふたつの現象は経済的均衡の条件を変更するのであ
り,また,それらの喚起する混乱の性質や帰結が同じでないにしても,同じように労働者の雇
用にかかわる諸関係に影響を及ぼす」。非労働はその様態の差異におうじて,労働者個人にとっ
-156-
失業,社会学的対象の誕生(宇城)
ては生活水準において,また社会全体にとっては労働関係において,まったく異なる意味を帯
びて姿を現す。ストライキは「自発的」な非労働であり,それにより労働者の「生活向上」が
促されるが,
I失業者 の 労働放棄 は ほ と ん ど 全体 的 に 非 自 発 的 で あ り ,
そ れ を 彼 の 生活向上 の
要因とみなすことはできな ~ \ J 49)0
産業予備軍の非労働,ストライキの非労働。この二種類の非労働の対立のあいだに階級闘争
が闘われているということになる Oそして,失業はどちらの側の方向にも傾きうる潜勢的な政
治性であるような社会的不活動としてたち現れる Oこのような布置連関における非労働が,す
でに一瞥を与えたラファルグの「怠惰」と響きあうということは容易に看てとれよう。ここで
は失業問題は根本的には,非労働をどのように政治化するかという問題であるだろう。
もう一方の見方では,失業を資本主義が不可避的に生みだす非労働の様態として捉える点で
は同じだけれども,むしろ社会学的な枠組みのなかで思考が展開される。失業の増大は資本家
の行為や意志に依存するというよりは,資本主義社会の経済組織に不可避的に起こる偶発的な
変動に依存するものとみなされる。すなわち製品需要の変動,人口動態,消費動向の不透明さ,
気まぐれな個人的欲望といった不確かさないし無秩序が重視される 50)0 I真 っ 当 な 雇 用 の 欠 如
は,雇用機会ととりわけ賃金率とを支配する経済諸関係の複雑な総体に依存する。それは本質
的に変化しやすく移ろいやすい諸条件に従属する問題である J 5 U。つまり失業の原因は社会の
存在そのものに内在的な不備,非効率性にあるということである O社会編成にかかわる工学的
視線の最終目標が社会それ自体とそこに暮らす人口の生活とを安定的に向上させることである
のだから,この不備ないし非効率性は生活を不安定にする要因,生活における無駄であって,
したがって失業問題の実質はそれを消滅させることだということになるだろう。
とすれば失業対策について一般的に次のようにいえるはずである o I労 働 者 を 非 生 産 的 な 事
業に雇用する習慣は深刻な失業のひとつの源泉である O反対に,生産的な雇用は労働者の無為
にたいする一時的ないし決定的な救済をもたらすことができる J 52)。 こ の 一節 は 直 接 的 に は 有
用性の疑わしい公共事業や扶助事業を批判するものであるが,同時に失業対策から慈善的な色
彩を払拭し「科学的」なものにしようという志向が窺われる。ここにはふたつの含意を読み取
ることができる。ひとつは社会・経済秩序の撹乱要因を個人の水準から引き離し,集合的な水
準に求める思考の貫徹(先に可変失業と呼ばれる失業に言及したが,それは産業組織の偶発性
に起因するもののことであった)であり,もうひとつは社会編成の最適化志向である Oこの最
適化は中央集権的でも分権的でもありうる。いずれにせよ,政治ぬきで社会を変容させうると
するアナーキズムとそれに連なる社会主義の思想に合致するものといえるのであって,場合に
よっては「科学(技術 ) Jの名において政治を阻害要因とみなし排除しようとさえするだろう。
このようにして問題になる失業は,あくまで経済的ないし社会的なものであって,安定的で持
続的な生活(経済活動)の反対物として規定される Oいってみれば,それは社会体の内部に存
-157
人文学報
在し,その滑らかな動作を阻害する空洞としての非労働である。
もちろん,ここに展開された原因論の論理自体は独創的でもなければ目新しいものでもなく,
むしろよく知られたものばかりだといわなければならなし 1。 だが重要なのは,論理自体ではな
く,論理を介して失業という観念のまわりに労働と非労働の関係が構造化され結晶しつつある
その様子である O
失業の原因論に見られるふたつの論理から理解されるのは,労働斡旋が問題の要衝をなして
いるということである。つまり,一方では非労働を政治的に転化する政治的武器として O他方
では社会編成の最適化の調節器として Oだが少し先まわりしていえば,労働と非労働の蝶番の
位置にある労働斡旋は最終的には,政治における武器として機能することなければ,社会編成
の調節器というような役割を割り当てられることもない。そうではなくて,まったく別の現実
を規制する装置として位置づけられることになるだろう。ところで,公共事業などの雇用の創
出はいうまでもなく古くから行われてきたのであって,その意義は当然認識されていたけれど
も,それを効率的に組織しまたその効果を裏づける理論的視角についてはケインズの登場を
待たなければならず,取り組みの背景に退いていた。というより,そうした事業の有効性が疑
われたのであり,さらには多方面に及ぼす悪影響にたいする懸念、が労働斡旋の重要性を浮き上
がらせる背景をなしていたといえよう。
労働斡旋の社会的な意味をもっとも深く考えていたのはおそらく,ミラノ会議の中心人物の
ひとりルイ・ヴァルレ ( L o u i s
Varlez ,
1868-1930) だ と い っ て よ い 。 彼 は 当 時 ほ と ん ど は じ
めて有効に機能しえた公権力の介在する失業保険であったへン卜市の失業基金(1 90 1年設立)
の責任者であった。公権力の運営になる制度がほとんどまったく失敗に帰してきたのとは対照
的に,労働組合などがすでに自発的に組織していた失業保険にたいし公権力(市町村)が補助
金を交付するへント方式は国際的な注目を集めていた 53Lそうした事情を背景に「失業の諸
帰結を緩和するための手段」についての総括報告を任せられた彼は,こう問いかける。「労働
斡旋は,……一方の社会階級が他方の階級にたいする優位を確保するための戦争の事業でなけ
ればならないのか。あるいは,労働の与え手と受け手が互いに出会う場となる和平の事業でな
ければならないのか J 54)0 ヴ ァ ル レ は 労働斡旋 を 政治 的 な も の と み な す こ と を 明 確 に 否 定 す る
のであるが,だが抽象的に社会体を最適化する装置とみなしたわけでもなかった。労働の「与
え手」と「受け手」の連帯の装置にならなければならないというのだ。つまり,労働の受け渡
しがそのまま人間を社会の網の日のなかに積極的に組み込み社会化することになるように,労
働と人間の関係を設定する装置でなければならないのである。
失業問題にかんするヴァルレの基本的な立場は,病気や労災などの分野で成功をおさめた保
険(とりわけドイツでの)を社会問題の全領域へと拡大し,その枠組みのなかに失業をも組み
1
5
8-
失業,社会学的対象の誕生(宇城)
込むことであった。このように考えるヴァルレにとって「失業保険の新方式」の要となるのが
労働斡旋であった。この視点によれば失業は病気,労災,早年廃疾,老齢,寡婦・孤児などと
同様に「生活の不確かさ」の要因である Oここで標的となるのは多様な「災い」それ自体とい
うよりは「不確かさ」のほうである Oとすれば問題の核心は次のように記述されることになる
だろう。円、くつかの極端な例を除けば,収入が規則的であれば家計の帳尻を合わせるのはつ
ねに可能である Oひとはあらゆる生活水準に'慣れるものである。労働者の生活の悲惨は,賃金
がつねに低い水準にあるせいというよりは,賃金の不規則性のせいである J 55)0
い い換え る な
らば,病を対処療法的に治療するよりも「健康を完全にする J 56) ほ う が重要 な の で あ る O
こ の
場合「健康Jとは労働者の生活における恒常性,安定性,継続性を確かなものにすることであ
り,したがって視線の焦点のうえには,安定化させ継続的なものにすべき「生活」そのものが
像を結ぶべく浮上してくることになるだろう。
そして,そのような事業としての労働斡旋に公権力が介在することには財源の安定確保とい
う以上の積極的意義があるとし寸。「公権力の補助金は全員に平等である Oそれはし 1かなる政
治的ないし選挙的な底意とも無縁であるゆえに,補助金を受ける者の独立精神を破壊する慈善
や保護といった性格をもたな ~ ' o公権力により失業に備えるよう促される者は,その尊厳をい
かなる意味でも傷つけられない自由で独立した人間でありつづける J 57)0 労働 組 合 に よ る の で
あれ企業経営者によるのであれ,公的でない労働斡旋は「底意」を免れることはできないゆえ
に「社会的」活動にふさわしい中立性を保持できない。この中立性は政治的であるだけではな
い。これはむしろ政治そのものからの中立を意味するだろう。公権力の果たすべき機能は非政
治性という政治の実現である O労働と非労働の交換の場において公権力に担保されるかたちで
人間はようやく人間としての姿を労働とともにつかむことができるのであり,また逆にそうし
むけなければならなし 1。そうした「健康」の領域を限りなく拡大していくこと。ヴァルレが構
想した問題とはこうしたことであった。そこで問題となる失業は,政治の賭金としての非労働
でないのはもちろんのこと,社会編成に内在する社会生活の不安定要因一一人間の生活そのも
のから見れば外部要因である一一でさえもなく,マルシュが統計的論理のなかから構築した定
常性と重ね合わされて看取されるような,生活そのものからにじみ出てくる病理ということに
なるであろう。
国際失業対策会議に提出された「失業が惹き起こす諸悪を予防する手段」についての総括報
告は,そのような立場に立ちながら労働斡旋について国家の果たすべき役割をふたつ挙げてい
る。1,
I社会 的 事業 に 専念 す る あ ら ゆ る 部 局 (労働 局, 移民局 な ど) が 国際労働市場 の 統計観
測所となる」ょうに組織し,その数値と論評を迅速かっ明確に公衆に知らせること。 2,公共
生活のまったく根本的な要素である「職業の選択を家長や若者たちの窓意的な意志に任せずに」
厳密に科学的な規則によって規制すること 58)。統計という「科学的」知識を介して個人の生
-159
•
人文学報
活に働きかけることで職種や地域間の偏りをただし,効率的な生の組織を社会空間全体に一貫
させること。人間と労働の関係が公権力の作動域として再定義されはじめられている。
ミラノ会議は「失業の原因」は棚上げしたものの,それ以外の主要論題であった「失業が惹
き起こす諸悪を予防する手段」と「失業の諸帰結を緩和する手段」について各国の公権力に提
言すべきことがらについては一致を見た。それはヴァルレの考えていたことから一歩踏み込ん
だ具体的なかたちを取っている。1,失業を減らすもっとも有効な措置は労働者組織の活動で
ある。具体的には時間割,賃金,労働契約,労働交替制,相互扶助にかかわる活動がそれであ
る。 2,次に,有効な措置は公権力に政治的圧力をかけて問題に介入させることにより可能に
なる。 3,その際,公権力にさせるべきことは,定期的な失業統計の実施,無償で中立の労働
斡旋所の設立,労働斡旋所の国際協調の確立,失業保険の組織化,労働者の失業基金への補助
金の支出である 59)。すでに引用しておいた会議冒頭で提起された「労働者にとっての自由の
利点と安定した雇用の利点をどのように両立させるべきか」という問いとつき合わせてみれば,
生活空間の非政治化と規格化の関数として失業という問題の様相が姿を現しつつあることが理
解できるように思われる O
-失業の実定性,失業の社会学
1910 年9 月18 日 パ リ ,
業会議 ( Con ference
国
際
的
な
規
模
の
ソ ル ボ ン ヌ 。 議長 レ オ ン ・ フ、、 ル ジ ョ ワ の 開 会 演説 を も っ て
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議
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議
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心
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め
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要
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多
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形
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際
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度
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1
6
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失業,社会学的対象の誕生(宇城)
際会議を開催しなければならないという結論に達し,そのための準備作業をヴァルレに委託し
ていた。かくしてパリで開催されたこの国際会議はふたつの課題を軸に準備された。ひとつは
ミラノ会議の教訓|から,ありうべき意見の対立を回避するために「失業問題の専門家」に参
加者を限定し,主題を技術的な側面に特化して議論の効率を図ると同時に「中立性」を維持す
ること。そのうえで失業対策の具体的モデルを提示すること。次に,その失業対策モデルの国
際的標準化を促すのに充分な規模の国際組織を立ち上げること 63L
参加者を目についたままに列挙してみると,開催国フランスからは上述の人びとのほかにセ
レスタン・ブーグレ,レオン・プランシュヴィク,エリー・アレヴィ,ロベー jレ・エ jレツ,シャ
ルル・リスト,アルベール・トマなど。イギリスからはウィリアム・ベヴァリジ(当時労働斡
旋局長,イギリス公式代表),アルフレッド・マーシャル,アーサー・ピグー,シーボウム・
ラウントリー(組織委員会イギリス支部委員長),チャールズ・ロック(慈善組織協会会長),
ジョン・ホブスン,シドニー・ウェッブ,ユードニー・ユールなど。ドイツからはルヨ・ブレ
ンターノ,アルフレッド・マーネス,ポール・マイエット,ゲオルク・フォン・マイヤーなど。
アメリカからはジョン・コモンズ,チャールズ・へンダーソン(シカゴ大学社会学教授,組織
委員会アメリカ支部委員長),へンリー・ファーナム(アメリカ労働立法協会会長)など、。イ
タリアからはスキアヴィらミラノ会議の中心人物たち,それにトリノ大学に移ったロベルト・
ミヘルス Oそのほかには国際労働局局長エチエンヌ・パウアー(スイス),ソルヴェ一社会学
研究所所長ワ yクスウェイレル(ベルギー)。全体的にいえば,主催者の計画どおりに各国の
労働行政と統計行政の担当者,各種の失業保険基金や労働斡旋組織の代表者,統計学,経済学,
行政学を専攻とする「専門家」が主体であり,ミラノ会議で活発であった社会主義者は少数で
あった 64L
会議の終わりに結成された「国際失業対策協会 ( A ssoci a tio n
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ech6mage)J の 初代会長 に は ブ ル ジ ョ ワ が就任 し , 本 部 は へ ン ト に 置 か れ , 機 関 誌
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編
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際
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国
際
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際
統
計
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と
共
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国
際
調
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業
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は
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手
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遂
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こ
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た
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戦
後
に
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それらの作業は担い手を国際労働機関(l
LO )
に
換
え
て
進
め
ら
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現
在
に
い
た
っ
て
い
る
65L
そ
う
い
う
わ
け
で
,
パ
リ
会
議
は
そ
の
盛
大
さ
と
は
裏
腹
に
き
わ
め
て
限
定
的
な
目
的
の
も
と
に
開
催
さ
れ
た
の
で
あ
る
が
,
さ
ら
に
も
う
ひ
と
つ
の
背
景
を
指
摘
し
な
け
れ
ば
な
ら
な
し
」
チ
ャ
ー
チ
ル
と
ベ
ヴ
ァ
リ
ジ
の
子
に
よ
り
前
年
1 909年 9
月
に
イ
ギ
リ
ス
で
成
立
を
み
た
全
国
労
働
斡
旋
法
と
そ
れ
に
よ
り
構
築
さ
れ
始
め
て
い
た
国
家
に
よ
る
全
国
一
律
の
労
働
斡
旋
組
織
網
が
少
な
か
ら
ず
意
識
さ
れ
て
い
た
の
だ
っ
た
。
し
か
し
な
が
ら
イ
ギ
リ
ス
の
試
み
に
た
い
す
る
会
議
全
体
の
態
度
は
微
妙
な
も
の
で
あ
っ
ー 161
(L abo u r
e
x
c
h
a
n
g
e
sAct)
人文学報
た。もっぱら中央政府の運営になる全国規模の労働斡旋組織網という当時としては充分に画期
的なイギリスの制度は高く評価されるけれども,直接に目指されるべきモデルとみなされるこ
とはなかった。労働斡旋にかんする総括報告のなかでスキアヴィはいう。「労働斡旋に固有の
伝統と歴史のある国ぐにでは,これまで存在してきたすべての組織を帳消しにして,まったく
新たに国家が維持する組織でおき換えることはできないであろう J 66)0 費用 の 問 題 の ほ か に 政
治的な問題があるだろう。それに,労働契約という経済的自由主義の根幹に国家がどれだけ関
与してよいのか。 性急に解決をつけるにはあまりにも繊細な原理的問題もあった 67)。その意
味で,労働組合などの既存の組織と地方公共団体レベルの公権力の組み合わせによるヴァルレ
のへント方式は,イギリス流の国営労働斡旋にたいして,対立するわけではないものの別の選
択肢としていっそう重い意味を帯びていた。
そうした状況のなかで国際組織を作って世界各国で標準化し普及させるべき事項として取り
上げられたのは,1,失業統計の整備,
2,
労働斡旋 の 制度化,
3,
保険 に あ た っ て の 失 業者 の
管理=監視 C co n t r 6 1 e)であった。すでにミラノ会議でそうであったように失業対策の中心は
労働斡旋であった。失業保険の効用はよく知られていたし,事実他の分野で保険は大きな成果
を上げており,いずれ保険が枢要な位置を占めなければならないという論調が大勢であった。
しかし失業統計の蓄積の少ない現状では大規模な保険を組織するための基礎的資料が不足して
いた。開会演説のなかでブルジョワは述べていた。「あらゆる商品の交換比率の変動は記録さ
れ,世界のあらゆる雑誌に発表される O統計はあらゆる国のあらゆる資産を算出する。……し
かしあらゆる市場のなかでもっとも重要な市場つまり労働市場には同種のものは存在しない。……
商品が問題である場合には無知で愚かな未開人のやり方であるように思われることがらが,黄
金よりも千倍も重要な人間の労働が問題となる場合には毎日行われるのをわれわれは自にする
のである J 68)。 そ し て 労働斡旋 の 組織化 は そ う し た 基礎 的統計 を 提供 す る 強力 な 装 置 へ と 発 展
していくことになるだろう。すでに他に先駆けて事業の進んでいるベルギー,スイス,ドイツ,
イギリスの事例が参照され,
I他 の し 、 か な る 措 置 に も 先行 し ,
… … あ ら ゆ る 有効 な 失業対策 の
基礎の不可欠な条件をなす J 69) 労働斡旋 の モ デ ル が 提示 さ れ る O 先進 的 な 国 ぐ に に 限 ら ず ,
労
働斡旋はその完成度と実効性の程度はまちまちであるが各国でそれなりに実施されていたのは
いうまでもなし 1。 だがそれが標準的なモデルとして提示されるとすれば話は別の次元に移行し
ているというべきである。
労働斡旋の基本になるのは,仕事を求めて労働斡旋所に登録した人物にかんする「技術的価
値と可能な限りの道徳的価値」を記載した「登録名簿ないしカード」である Oさらに「使用者
の信用を必要とする難しい仕事の場合には……いっそう詳細かっ私的な情報」を斡旋所は収集
し,その人物が適格であるか否か知らなければならないだろう。この人物情報と雇用情報は電
信または郵便で緊密に斡旋所間を流通するだろう。このような斡旋活動の成果である雇用状況
-162-
失業,社会学的対象の誕生(宇城)
を隔週統計や月報として公開し,労働市場の状況を公衆に周知させることもまた労働斡旋組織
の重要な役割であろう。「中立と公平」は「無償」とともに労働斡旋の根本原理であるが,そ
れを保障する最良の手段は斡旋にあたって考慮すべき条件に優先順位をつけることであり,具
体的にはそれは「技術的能力の高さ,条件が同じであれば既婚者,家長,そして最後に登録の
順序」である。これにより労働斡旋組織は「スト破り」とも「労働者の政治的意見」とも完全
に無縁の制度として使用者からも労働者からも遠からず信用をかち得ることができるだろ
う 7OLここに現代のわれわれに親しい職業安定所の風景が基本的に出揃っているのを確認で
きるだろう。
もちろん失業者にたいする管理=監視は必須である。労働斡旋が「救済院の控えの間」では
なく「健康で能力ある労働力の配置の手段J 71) と な る た め に は 失業保 険制度 と 密接 な 連 携 が 必
要であり,ふたつの制度のあいだで当該の人物の失業の原因と期間について管理=監視を絶え
ず行わなくてはならなし、。一見するとこの要請は以前の「真の貧民」の判別と同じ種類の問題
設定の上にあるかのようである Oしかし問いの構造が変化してしまっていることに注意しなけ
ればならなし」もはや労働の欠如の意味を労働を強制することによって問うことはない。ここ
で行われるのは労働組合における組合員相互の管理=監視であり,必要があれば以前の使用者
の意見の聴取であり,斡旋所への出頭義務(通常は日に 1回,厳しい監視が必要な場合は複数
回)である 72L現時点での労働を欠いた人間の現時点での身体にたいし直接労働というかた
ちで問し、かけることで行われていた判別は,いまや以前の就労状況と現時点の労働の欠如を対
質させ,現状が充全な意味で「欠如」であると確認することで行われるようになる。このよう
な仕組みのなかでは,その欠如の取り扱いをつうじて遡及的に労働をめぐる経験がまったく変
化してしまうということを看取しなければならない。ここでは逆説的なことに制度の焦点であ
るはずの現時点の「欠如」そのものの重みが相対的に後退してしぺ。問いを投げかけ口を割ら
せるべき欠如はすでに,そこから意味を読み取るべき存在ではなくなりつつある。この欠知は
純粋な不在であり,それ以上でも以下でもな l ' o労働のたんなる否定態としての非労働。した
がってこの非労働には,たとえば「怠惰」といった意味を付与することも不可能である。むし
ろ生活世界による裏づけを欠いた意味の反対物のようなものである。ここでわれわれはラファ
ルグの戦略が失効していることに気づく。だが実は,その非意味をこそ労働斡旋所における失
業者の管理=監視は実体化し,ひとつの経験へと仕立て上げるのではないか。
過去が失われたがゆえに不在の現在を生きる人間はいまだ到来せざる未来を「待つ」ことし
かできな l ' o待つこと以外を排除すること。空虚に凹ん fご時間。そこには怠惰もストライキも
入り込む余地はなし 1。したがってこう述べることもできるのである o r公 式 に は 失 業 は 労 働 斡
旋所への登録のときから始まる Oそしてそのときから待機期間にかかる規則が適用される」。
待機期間というのは斡旋所側から見た失業のことであるが,その失業は次のようなものとして
•
163
人文学報
設えられ経験されざるをえないだろう。「失業者は失業期間中はずっと仕事の空きを探してい
るものとみなされ,そして彼に提示された仕事を受けなければならないものとされるだろ
う J 73)0 労働斡旋所 の モ テソレ を 記述 す る 際,
ス キ ア ヴ ィ は 斡旋所 の 建物 の 構造 に も 配 慮 を 示 し
て「待合室と図書室は仕事を求めている労働者たちのあいだに静粛と秩序を維持し,待ってい
る時間を有益に過ごさせる上で大きな利点がある」と述べている 74)。だが,これはたんなる
建築上の問題だろうか。失業者の生活の寓意とみなすべきものではないのか。
労働の欠如からは,こうして奇妙にも身体性ないし労働する人間の個別性は希薄化してし、く。
かつて執勘なまでに身体性の水準にこだわり人間そのものを問題化しつづけてきた失業にかか
る制度は,たいした遼巡を示すことなくそれを放棄しはじめる。これは非労働をとらえる理論
的問題設定がまったく変化してしまったことに対応している。
ヴァルレとともにパリ会議を組織したマックス・ラザール ( Ma x
Lazard ,
1875-1953)
は,
パリ会議の前年 1 909年に博士論文『失業と職業』を公刊してし喝。これは奇しくもウィリアム・
ベヴァリジ (Wi ll ia m
H
.Beveridge,
1879-1963) の 出 世作 『失 業」 と 同 じ 年 で あ る 。
ベ ヴ ァ
リジの微妙な位置を考慮に入れると,パリ会議の問題設定は実はこのラザールの著作に多くを
負っているといわなければならない。しかしながらトパロフも指摘するように,このふたつの
書物は著者の理論的・政治的立場の相違にもかかわらず互いに補完しあう関係にあり,ひとつ
の問題設定を形成しているということができるだろう 75Lすでにわれわれはラザールらパリ
会議の組織者が意図的に会議の議題を専門的かっ技術的な点に絞ったことに触れた。だが本当
はそうした状況的な政治的配慮とは別の次元で,失業問題の変容はラファルグの著作に力を与
えミラノ会議を悩ませた政治的位相をあらかじめ失効させてしまう新たな問題設定の成立に対
応しているというべきなのである。ベヴァリジとラザールが期せずして一致して開いた問題設
定はそのようなものだった。
先に結論をいえば,失業は社会にとっての自然に属することがらであり,いわば社会という
ものが存在することそのものの属性である「社会的なもの Jと考えられるようになった。社会
のなかに失業が存在することは,いってみれば地球上では質量のある物体はすべて落下すると
いうことと類比的であり,そうであってみればそのようなことがらから価値的ななにものかを
汲み出そうとすることは不条理でさえある。
よく知られているようにベヴァリジの失業論の中心は「単一の労働市場は存在せず,無数の
ばらばらな労働市場が存在する Jという命題から出発することにある 76)。この考え方はケイ
ンズ以前の正統的な経済学の臨界点にあるといえる Oこの視点によって失業を「産業体制にお
ける説明不能な異常増殖物ではなく,産業体制に直接関連したことがらであって資本や労働と
同様に産業体制にとって必然、的なもの J77)と見ることが可能となり,失業のメカニズムを具体
-164-
失業,社会学的対象の誕生(宇城)
的に考えることができるようになったのだった。ベヴァリジによれば失業の本質的な原因は,
ばらばらな市場のあいだには秩序と連絡が欠けているために「摩擦」が生じ,労働需要が「散
逸」してしまうことにある 78)0 I い か な る 産業 の 正常状態 も ,
そ の 産業 内 で 同 時 に 雇 用 で き る
以上に人聞を抱え込んでしまうという意味で労働過剰の状態のことである J 79)0
し た が っ て摩
擦の結果生じる失業の大部分は「ごく少数の個人の慢性的怠惰」ではなく「最終的にはそれな
りの雇用をえることになる多数の人間の一人ひとりが時おり失う時間の総体」の表れであって,
したがって労働斡旋をつうじて「組織化され情報の行き届いた労働の流動性」を実現すること
で解消できるだろう 8OLリュシアン・マルシュがパリ会議に提出した失業統計についての報
告書のなかで,仕事が完全に失われる「完全失業 C ch6 m age
c
o
m
p
l
e
t
)J に た い し 「 部 分 失 業
Cch6magep
a
r
t
i
el
)J と い う 概念、 を 立 て て 労働量 そ の も の を 把握 す る 必要 を 訴 え , 労 働 時 間 の
統
計
を
作
成
す
る
よ
う
提
唱
し
て
い
る
の
は
8
1
)
,
同
じ
視
点
に
立
つ
考
え
で
あ
る
O
ょ
う
す
る
に
労
働
市
場
の
効
率
的
な
組
織
化
と
い
う
こ
と
に
尽
き
る
の
だ
が
,
よ
り
厳
密
に
い
え
ば
そ
の
組
織
化
の
真
の
標
的
は
「
不
定
労
働
C casual labour)J
れ
ば
「
正
規
雇
用
化
であ り ,
し た が っ て 労働斡旋 と は ,
い い換え
C de-casu ali sat i o n ) J の こ と で あ る 。 労働 が 摩擦 に よ っ て 散逸 し て し ま う と
い
う
の
は
労
働
が
不
安
定
で
不
規
則
で
あ
る
と
い
う
こ
と
に
他
な
ら
な
い
の
で
あ
る
O
労
働
斡
旋
と
は
し
た
が
っ
て
国
民
経
済
の
効
率
的
な
組
織
化
で
あ
る
と
同
時
に
,
む
し
ろ
そ
れ
以
上
に
人
間
の
生
活
の
組
織
化
な
い
し
正
規
化
C regu lar isa tion)
を 目 指 す も の で も あ っ た 。 運営主体 に つ い て 対立 が あ る と は い え
労
働
斡
旋
の
方
式
に
つ
い
て
世
界
的
な
モ
デ
、
ル
を
提
出
し
た
ベ
ヴ
ァ
リ
ジ
に
と
っ
て
,
失
業
と
は
不
安
定
さ
Ccasua
l) ,
不規則 さCirregular)
の 問題で あ っ た。 い ま や,
た ん に 欠 如 が 問 題視 さ れ る の で は
な l 'o
ど
の
よ
う
な
欠
如
な
の
か
,
あ
る
い
は
ど
の
よ
う
な
充
実
(
労
働
)
な
の
か
,
と
い
う
こ
と
が
重
要
で
あ
る
o I時 ど き 仕事 が え ら れ る と い う た だ そ れ だ け で 港 湾 や 工場 の 戸 口 の あ た り で ぶ ら ぶ ら 待
つ
」
と
か
「
時
ど
き
仕
事
を
見
つ
け
る
こ
と
の
で
き
る
方
法
だ
か
ら
と
い
う
た
だ
そ
れ
だ
け
で
街
路
を
ほ
っ
つ
き
歩
く
J 82) と い っ た 気 ま ぐ れ で 不安定 な 生活 を 安定 的 で 持続 的 で 正規 の 労働 に よ っ て 正 常 化 す
る
こ
と
。
「
労
働
市
場
の
組
織
化
は
,
雇
用
の
正
規
化
に
よ
っ
て
雇
用
不
能
者
た
ち
を
産
業
界
か
ら
一
掃
す
る
こ
と
に
な
る
だ
ろ
う
。
正
規
雇
用
化
に
よ
っ
て
,
週
に
2
日
働
い
て
残
り
を
ベ
ッ
ド
の
な
か
で
寝
て
暮
ら
す
と
か
,
技
能
が
な
い
せ
い
で
建
設
現
場
を
締
め
出
さ
れ
な
が
ら
転
々
と
暮
ら
す
と
い
う
よ
う
な
こ
と
は
徐
々
に
不
可
能
に
な
る
だ
ろ
う
J 83) 。
有
能
な
官
僚
ベ
ヴ
ァ
リ
ジ
は
こ
と
が
ら
の
意
義
に
つ
い
て
き
わ
め
て
自
覚
的
で
あ
る
。
市
場
が
経
済
学
の
抽
象
的
原
理
以
上
の
も
の
で
あ
り
,
摩
擦
を
起
こ
す
よ
う
な
「
も
の
」
で
あ
る
と
す
れ
ば
,
そ
れ
は
操
作
の
対
象
と
な
る
。
そ
し
て
そ
の
市
場
の
な
か
で
う
ご
め
く
人
間
た
ち
も
同
様
で
あ
る
。
失
業
対
策
と
は
「
現
実
を
経
済
理
論
の
仮
説
に
適
合
さ
せ
る
」
こ
と
で
あ
っ
て
,
人
聞
を
完
全
に
雇
用
さ
れ
た
I正規雇用 化 の 目 標 は , 半端 に 雇用 さ れ た 1 000 人 の
500
人
の
人
間
で
お
き
換
え
る
こ
と
J 84) な の で あ る 。 労働 も 失業 も 正 規 化
さ
れ
な
け
れ
ば
な
ら
な
い
。
一 1 65
人文学報
労働も失業も労働市場の実定性のなかでとらえ返された。これと同じ種類の実定性を統計論
理をつうじて隣接領域に見出したのがラザールである o I職業」 と い う 社会 関係 が そ れ で あ る O
これらふたつは一体をなして人間の職業生活空間とでも呼ぶべきまとまりのある経験領域を形
作る。
シミアンとの密接な関係のなかで同じような問題関心から経済現象の社会的な性質を解明し
ようとしたラザールはフランスの 2回の国勢調査(1 89 6年,
1901 年。 マ ル シ ュ の主導 に な る )
とドイツの職業統計(1 895年 6月)および国勢調査(1 89 5年 1 2月)を材料として,失業と職
業の関係を検証した。その基本となる発想は「機械工の仕事を医師の仕事と混同することがで
きないように,両者の失業を混同することはできない。彼らの労働力は,休止していようと活
動していようと,大きさが異なるのであり,また異なりつづける J 85) と い う も の だ っ た 。 労 働
という活動とは別個に,職業は一種独特の秩序と力を備えた社会的事実であり,それが労働に
たいして一定の影響を及ぼすのであり,そして労働の欠如である失業にたいしても同様だとい
うのである。ラザールは上記の 4つの統計の職業項目を 1 02項目にまとめて標準化し,職業のあ
いだの失業の大きさの相対関係を割り出した。その値が「失業の職業係数J (職業ごとの失業
率を全体の平均失業率で除した値)である 86L
ラザールは各職業係数を 4つの統計のあいだで比較し,全体によく一致することを発見した。
各失業係数の最大値と最小値の差を測ると, 0.5 以下 に 全職業102 の う ち の 約38 %,全労働者
人口の約 66 %が収まる。これを 0 . 75以下にまで広げると,職業の数では約 70 %,人口では
約 8 1 %が収まる 87)。つまり量において絶えず変動する失業は,職業という視角から見直せば,
ほぼ一定した分布を見せるということである。いい換えれば失業には一定の「職業リスク」が
存在するということが統計的に示されたことになる O統計の手法として怪しい部分がないわけ
ではないが 88),この分野での本格的な最初の統計分析の試みであることに変わりはなく,い
ずれにせよ 6年の歳月,地域の差異,季節の差異を越えて,失業という現象に一定の内的構造
が見出されたということの衝撃は大きかったといわざるをえない。
だが実際的な側面に注目すれば,考察の「消極的帰結」とラザールが呼ぶものの意義がそれ
以上に大きいというべきかもしれない。一般に失業の原因とみなされていることがらが失業と
相関しないということを論証したのである。たとえば病気。円、かなる労働者集団においても
ほぼ同じ割合で病気による失業者が見出されると予想できるだろう。とすれば産業別に分類さ
れた失業者のなかに病人を算入することは産業別の失業率のばらつきを少なくするはずである。
ところがドイツの国勢調査には病気による失業者が数え入れられているが,フランスでは病気
によって労働契約が解除された場合を除けば数え入れられていな ~ ) oしたがって病気が失業の
第一原因ならば,ドイツの失業率はフランスよりも均等なはずである。しかしそうではないの
だから,病気は失業の外見上の原因にすぎないか,それ自体失業の産業的諸原因に従属する副
166-
失業,社会学的対象の誕生(宇城)
次的な原因にすぎないかのどちらかであることを認めなければならない J 89)0 同様 の論理 に よ っ
てストライキ,怠惰,半廃疾,職業技能の欠如といったことがらが失業の規定要因から排除さ
れる 9OLフランスとドイツで統計の範囲が異なるという技術的な点を考えないとしても,職
業ごとの失業の蓋然性が一貫したパターンのばらつきを示す以上,誰しもに一様に訪れる全体
的な水準の要因と,大数法則によって一様化される純粋に個人的な水準の要因は,失業にとっ
て二次的な意味しかもたない。両者のあいだにある中間的な社会的な水準が強い意味で、規定要
因として浮上してきたのは明らかであった。
ラザールはいくぶん誇らしげに,経済体制全体ないし社会全体から失業を把握してきたへン
リー・ジョージ,マルクス,ホブスンの立論にはいくらかの真実が含まれているけれども抽象
的な段階にとどまっているゆえに「失業はなによりも職業組織の関数であり,とりわけ質的に
みても量的にみても産業によって変化する性質を有する」ことを見抜き,実践的な解決のため
に失業を操作的な対象として構成する糸口を見つけることができなかったと述べている 91)。
ラザールは留保しながらではあるが,鉱山,製鉄,ガラス,鉄道といった集権化された大規模
産業では相対的に失業が少ないという事実を指摘し,そこでの職業慣行の研究が失業問題にた
いする有効な対応策につながると示唆しさえする 92L
すでに見てきたように,前世紀末にマルシュが統計的論理を導入したころから失業の原因論
は大きな変貌を遂げつつあり,ラザールの職業係数の概念は事象をとらえるべき位相を画定し
たという意味で,その過程のひとつの画期をなすものである。パリ会議では失業統計が 3つの
議題のひとつだったが,これは実は完全に組み換えられた原因論そのものというべきものであっ
た。失業統計についての総括報告は,現在もっとも必要でありながらもきわめて不充分な段階
にある「揺りかごから墓場までのあいだに人間がどのように生きるか J 93) を 知 る た め の 広 範 な
統計のなかで失業統計が枢要な位置を占めることを確認したうえで,失業を包括的に理解する
ために知らなければならない要因を列挙している。職業または産業分野,年齢,性別,家族状
況,出生地,言語,教育水準。女性のほうが男性よりも失業率は低く算定されるという報告が
あるが,それはなにか家族にかかわる理由によるのだろうか。若者よりも老人のほうが失業率
が高いと予測されるが,それは老人はひとたび失業すると仕事を見つけるのが困難だからかも
しれな ~ ' o働いている土地が出生地と異なると失業率が高いように思われるが,こうした事態
からははたしてどのような意味を読み取るべきなのだろうか。言語の問題は出生地と連動する
と想像されるが,それは一般に妥当するのだろうか。失業者のなかには読み書きのできない者
が多いというのは容易に想像がつく…… 94)。検証の難易度はさまざまだけれども,こうした
「揺りかごから墓場まで」の問題群に取り組むことが失業問題の中心的課題になっていくので
あり,これらはほどなく現代のわれわれにとってごく親しい相貌をもった諸問題,つまり若者
の教育と職業訓練の問題系,移民の問題系,生活保障としての失業保険の問題系へと整序され
1
6
7
人文学報
ていくだろう 95L
こうして失業問題はライフコース一般と社会的移動の問題のなかに翻訳され組み込まれていっ
た。そしてその制度的基盤にあたるのが,すでに言及したように,労働斡旋組織なのだった。
だが,というよりもむしろ,人間のライフコースと社会的移動のなかから失業という事象がやっ
てくると考えられるようになったというべきなのだ。本来充実したものであるはずの生活と職
業の時間的過程のなかに,不意に訪れる空白の時間。それは人間の生の過程そのものに本質的
に備わるリスクであり,それはなんらかのきっかけを捕らえて発現する。したがって人間の経
験する過程を構成する時間そのものを管理し操作しなければならなし」技能を修得し,職業を
選択し,保険をかけなければならない。労働斡旋所はそうした生を営んできたことの証を立て
る場所になるのだといえばいい過ぎだろうか。正規化された労働と正規化された失業を交互に
くぐりつつ,あるいは一方を他方の潜勢態として抱えながら生きる者。そのような「労働する
人間」というものがわれわれ現代人の肖像である O
われわれは新しい事実を見つけたというつもりはなし」そのようなことは不可能である。こ
こに記述されたことのすべてをわれわれはあらかじめ知悉してさえいる。ただ,われわれがそ
れと気づかずに呼吸している空気の組成を確かめたかったのである。
注
1
) PaulLafargue , Led
r
o
i
td lα p αresse , 1
8
8
3
;e
d
. consu 1tee, 1969, Paris , Franyois
Maspero (邦訳,
r怠 け る 権利 J ,
田 淵晋也訳, 人文書 院 ,
1972 年) 。 引 用 は 既 訳 を 参 照 し た け れ
ども適宜改めた。以下同様。
2
) Cf
.MauriceDommanget
, ォ
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3
) PaulLafargue , Led
4
) Ibid. , p
.1
3
4
. (邦訳,
o
p
. cit. , p
.1
21
. (邦訳,
o
p
.c
i
t
.
14 頁)
40 頁)
5
) Ibid. , p
. 121 , 1
2
2
. (邦訳,
6
)
,
,
15, 17 頁 )
I ア リ ス ト テ レ ス の 夢 は わ れ わ れ の 現実 で あ る 。 火 の 息 を 吐 き ,
鋼鉄 の 四 肢 を も ち ,
疲れを知
ら
ず
,
尽
き
る
こ
と
の
な
い
素
晴
ら
し
い
生
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性
を
も
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ら
の
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械
が
従
順
に
自
分
か
ら
進
ん
で
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な
る
労
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を
遂
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し
て
い
る
0
・
…
一
機
械
は
人
類
の
H
郎
、
主
で
あ
り
,
人
間
を
卑
し
き
業
と
賃
労
働
か
ら
買
い
戻
し
,
人
間
に
余
暇
と
自
由
を
与
え
る
く
神
〉
で
あ
る
・
…
一
。
J (i
7
) Ibid. , p
p
.1
4
1
1
4
2
. (邦訳,
52-53
頁)
8
) Ibid. , p
p
.1
3
2
1
3
3
. (邦訳,
36-37
頁)
bid . , p
.1
5
3:邦訳,
9
) C
/
. PaulAllies , ォ
P
r
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e
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,
73-74
頁)
1994, Paris , C
l
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s
.
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た
,
稿
を
あ
ら
た
め
て
そ
の
意
味
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と
こ
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を
考
察
し
な
け
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ら
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い
が
,
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(
な
い
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実
現
の
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み
)
と
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リ
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と
い
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と
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ら
が
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業
と
密
接
に
関
連
す
る
問
題
と
し
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論
じ
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る
の
が
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で
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る
と
い
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実
は
,
失
業
問
題
の
起
源
を
考
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う
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て
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深
い
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実
で
は
あ
る
。
C
/
.DominiqueSchnapper , L'epreuuedu ch δ m αge
168-
, nouvelle
剖ition
augmentee , 1994,
失業,社会学的対象の誕生(宇城)
Paris , Gallimard.
1
0
) O
p
. cit. , p
.1
31
. (邦訳,
3-34
1
1
) Ibid. , p
.1
3
6
. (邦訳,
12)
43-44
頁)
頁)
通 り す が り に 言及 す る に は 重大 す ぎ る こ の 論点 に つ い て は ,
連
関
を
詳
細
に
解
明
し
た
次
の
論
考
を
参
照
さ
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た
し
、
。
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,
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。
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政治 ,
年, 所収。
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3
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Robert Salais
道徳,
Luciani (
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nde) ,
(1 890-1914) , 1992, Paris , S
yros; Jean Luciani &
pourl
anaissanced'unei
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. 1990, p
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Paris , Pressesdel'ENS.
14)
くExpose
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nde) , Auxs
Belin , p
.7
8
.
15)
扶助 と 抑 圧 の 一体性 に よ っ て 可能 と な る 公 的扶助 の 論 理 に つ い て 詳 し く は 次 を 参 照 さ れ た い 。
阪
上
孝
,
I 公 的扶助 の 論 理 J ,
コ
ー
の
「
狂
気
の
歴
史
J
,
第
r近代 的統治 の 誕生 J ,
2
章
「
大
い
な
る
封
じ
込
め
J,
岩波書店 ,
88-95
1999
年,
所収。 ま た ミ シ ェ ル ・ フ ー
頁 ( 田 村倣訳,
新潮社,
1975
年)
も参
照
の
こ
と
。
16)
くくNote
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18)
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9
) Ibid. , pp. 2
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1
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.
2
2
) Ibid. , p
p
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2
1
2
.
2
3
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年
)
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p
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3
; Alain Desrosi
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1880-1910, 1994, Paris , AlbinMichel ,
αnds
nombres , 1993, Paris , La
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ta l. , ォLestempsf
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,
1986, Paris , PDF , p
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因
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た
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組
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の
見
解
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2
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) Ibid. , p
2
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) Auguste Keufer
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. cit. , p
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cit. , p
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均
失
業
期
間
が
こ
と
の
あ
る
人
び
と
の
百
分
率
」
は
3, 000
人
が
当
該
の
4
ヶ
月
で
あ
る
と
す
れ
ば
,
30
%, I失業 の 実 質割 合」 は10 %である。
3
1
) Ibid. , p
.3
0
9
.
.3
1
5
.
3
2
) Ibid. , p
3
3
) Ibid. , p
.3
1
2
.
170-
1
年
間
に
失
業
を
経
験
I 当 該期 間 の あ い だ に 失業 し た
失業,社会学的対象の誕生(宇城)
3
4
) C
f
.EricBrian , ォYa
t
i
l un o
b
j
e
t Congres? Le c
a
s du Congres i
n
t
e
r
n
a
t
i
o
n
a
l
ー 7 , 1989, p
p
.9
2
2
.
des
t
a
t
i
s
t
i
q
u
e (l 853-1876) }, Milneufcent , n
国
際
会
議
は
1 850
年
か
ら
1 854
年
の
あ
い
だ
に
は
わ
ず
か
19 世紀末 に 開 催数 が 飛躍 的 に 増 え ,
に
は
1
1
の
会
議
が
開
催
さ
れ
た
に
す
ぎ
な
か
っ
た
が
,
1895-1899
年 に は363
,
1905-1909
年 に は749
,
1910-1914
年
9 76
を
数
え
る
ま
で
に
な
っ
た
。
3
5
) E
r
i
cBrian
cit. , p
.2
0
.
,α rt .
3
6
) C
f
.Christophe Prochasson
neufceη
t,
3
7
) C
f
. Louis Varlez
R 日J u e
,
, Mil
congres , l
i
e
u
x de l
'
e
c
h
a
n
g
e intellectuel»
くくLes
n
ー7 , 1989, p
p
.5
8
.
,
くくLa
economique inteT
l
u
t
t
ec
o
n
t
r
eI
e chomage surI
et
e
r
r
a
i
n international»
γl αtion
,
oct
. 1909, p
p
.8
2
8
6
.
αle ,
ベ
ル
テ
ィ
ヨ
ン
の
職
業
分
類
の
標
準
化
作
業
は
,
労
働
局
局
長
で
あ
っ
た
カ
ミ
ー
ユ
・
モ
ロ
ン
に
よ
っ
て
引
き
継
が
れ
た
。
ま
た
19
世
紀
末
の
10
年
間
の
西
欧
各
国
で
の
統
計
局
を
中
心
と
す
る
失
業
問
題
へ
の
取
り
組
み
の
概
略
と
し
て
以
下
を
参
照
さ
れ
た
い
。
38)
C h ri s t i a n
Topalov , o
p
. cit. , p
p
.6
2
6
7
.
会議 の 記録 は 以下 の よ う に 公刊 さ れ て い る 。 L e ch δ m αge ,
S
o
c
i
e
t
aumanitaria
, 1906, Paris , V. Gi悶ard
ま
た
「
人
道
協
会
」
に
つ
い
て
は
次
を
参
照
照
、
の
こ
と
。
p
u
b
l
i
esousl
e
sa
u
s
p
i
c
e
sdel
a
&E
. Briせi 色白r陀
.唱e
Pa廿
t nロZ 悶
l a Dog 凶han 出
1札i ,
ォLa naissance d'un
musees
o
c
i
a
lenI
tal
ie
サi
nC
o
l
e
t
t
e Chambelland (sous l
ad
i
r
e
c
t
i
o
n de) , Le mus 白
s
o
c
i
a
le
tsontemps , o
p
.c
i
t
.
3
9
) AlessandroSchiavi , ォ
P
r
e
f
a
c
e
サi
nLe ch δ mαge
,
o
p
. e Ll., p
. Xl.
4
0
) Ibid. , p
p
.x
i
x
i
i
.
ス
キ
ア
ヴ
ィ
は
イ
タ
リ
ア
の
改
良
主
義
的
社
会
主
義
の
指
導
者
の
ひ
と
り
で
,
人
道
協
会
で
は
労
働
部
局
の
責
任
者
で
あ
っ
た
。
国
際
失
業
対
策
会
議
に
あ
た
っ
て
は
実
行
委
員
会
書
記
と
委
員
長
代
行
を
務
め
た
。
ま
た
こ
の
同
じ
人
物
が
「
田
園
都
市
」
の
概
念
を
イ
タ
リ
ア
に
紹
介
し
,
労
働
者
団
地
建
設
運
動
を
推
進
し
た
と
い
う
こ
と
は
記
し
て
お
い
て
よ
い
だ
ろ
う
o
Cf
.SusannaMagri & Christian Topalov
s
a
l
a
r
i
emoderneenFrance , Grande-Bretagne
,
くくL
'
h
a
b
i
t
a
t du
, I
tal
iee
tauxEtats-Unis , 1
9
1
0
1
9
2
5
サi
n
YvesCohen& RemiBaudoul(
t
e
x
t
e
sr
e
u
n
i
spar) , Les ch αntiers
del
ap αix
soci
αle
(1 900-1940), 1995, Fontenay , ENSE
d
i
t
i
o
n
s
.
4 1)
狂気 の 取 り 扱 い の 社会 的 意 味 に か ん す る ミ シ ェ ル ・ フ ー コ ー の 分析 を 想起 し な い わ け に は い か
な
し
、
。
わ
れ
わ
れ
は
,
フ
ー
コ
ー
が
「
営
み
の
不
在
( a b s e n c e d'a )Uvre)J
と 呼ん だ こ と が ら に つ い て
観
察
さ
れ
た
の
と
並
行
的
な
出
来
事
が
別
の
場
面
に
生
起
し
て
い
る
の
で
は
な
い
か
,
と
考
え
る
。
4
2
) Alessandro Schiavi
4
3
) Louis Varlez
,
くくLa
,
くくPreface»
, αrt .
cit. , p
.x
i
i
.
l
u
t
t
ec
o
n
t
r
eI
echomagesurI
et
e
r
r
a
i
ninternational»
,α rt .
cit. ,
p
.6
4
.
4
4
) I
n
t
e
r
v
e
n
t
i
o
ndeRobertMichelssurl
e
smoyensdep
r
e
v
e
n
i
rl
e
smauxcausespar
I
echomage , i
nLech δ m αge
,
o
p
. cit. , p
.2
4
4
.
4
5
) I
n
t
e
r
v
e
n
t
i
o
nd'AugusteKeufer , i
nLech δ mαge
,
o
p
. cit. , p
p
.2
6
1
2
6
2
.
4
6
) Discoursd
'
o
u
v
e
r
t
u
r
el
uparAlessandroSchiavi , i
nLech δ m αge
,
o
p
. cit. , p
.2
1
9
.
4
7
) I
b
i
d
.
4
8
) Robert Michels
ch δ mαge ,
49)
く くRapport
,
くくLes
s
y
n
d
i
c
a
t
so
u
v
r
i
e
r
se
tI
e chomage en Allemagneサ i
n Le
o
p
. cit. , p
p
.1
4
4
1
4
8
.
g{meral sur l
e
s causes du chomage parAugusto Grazianiサ i
n Le
-171-
人文学報
chδ mαge,
o
p
. cit. , p
p
.2
2
4
2
2
5
.
5
0
) Cf. Discours d'ouverture
,α rt .
cit. , p
p
.2
1
9
2
2
0
.
51
) ォRapportg
e
n
e
r
a
ls
u
rl
e
scausesduchδmage»
,α rt .
cit. , p
.2
2
5
.
5
2
) Ibid. , p
.2
3
8
.
5
3
) LouisVarlez , Lesn
o
u
v
e
l
l
e
sformesde l' αssur
αnce
c
o
n
t
r
el
ech δ mαge , 1903, Paris ,
ArthurRousseau.
法
律
家
で
あ
っ
た
ヴ
ァ
ル
レ
が
へ
ン
卜
市
の
委
託
を
受
け
て
設
立
し
た
失
業
基
金
は
,
組
合
が
自
発
的
に
運
営
し
て
い
た
失
業
基
金
を
組
織
し
,
そ
れ
ら
基
金
に
市
の
補
助
金
を
分
配
す
る
も
の
で
あ
る
。
そ
れ
ぞ
れ
の
基
金
の
運
営
は
従
前
ど
お
り
そ
れ
ぞ
れ
の
組
合
に
よ
っ
て
行
わ
れ
た
。
市
か
ら
交
付
さ
れ
る
補
助
金
は
組
合
で
は
な
く
個
々
の
労
働
者
に
直
接
与
え
ら
れ
る
こ
と
に
な
っ
て
お
り
,
補
助
が
組
合
に
た
い
す
る
も
の
で
は
な
い
こ
と
を
明
確
に
し
て
い
る
点
が
注
目
に
値
す
る
。
初
年
度
の
1 90 1年には
1 2 . 000
人
の
労
働
者
が
こ
の
基
金
の
傘
下
に
収
ま
り
,
翌
年
以
降
,
加
入
者
数
が
増
え
,
ま
た
同
時
に
支
給
額
,
支
給
期
間
,
支
給
資
格
も
拡
大
し
て
い
く
な
ど
順
調
に
成
長
し
て
い
っ
た
。
こ
れ
以
前
に
公
権
力
の
関
与
し
た
ど
の
国
の
失
業
保
険
よ
り
も
規
模
が
は
る
か
に
大
き
い
。
1890
年代 に ス イ ス で 実験 さ れ た 地 方 自 治体 の 運営 に な る 失業保 険 ( ベ ル ン ,
ゼ
ル
,
チ
ュ
ー
リ
ッ
ヒ
な
ど
)
は
と
く
に
注
目
を
集
め
た
が
結
局
う
ま
く
い
か
な
か
っ
た
。
サ ン ニ ガル,
C f.
パー
くく N o t e
de
'as
s
ur
anc
emutuelleo
f
f
i
c
i
e
l
l
ec
o
n
t
r
eI
e chomageサi
n Docuュ
l
'
O
f
f
i
c
edut
r
a
v
a
i
lsurl
mentssurl
aq
u
e
s
t
i
o
nduch δ m αge
,
formesde l' αssur
δmα
g
e
54)
くくRapport
αnce
c
o
n
t
r
el
e ch
o
p
.c
i
t
.p
p
. 14
,
Louis Varlez , Les n
o
u
v
e
l
l
e
s
旬23;
o
p
. cit. , p
p
.2
3
3
3
g
e
n
e
r
a
ls
u
rl
e
s moyens d
'
a
t
t
e
n
u
e
rl
e
s consequences du chδmage
LouisVarlezサ i
nLecham
par
o
p
. cit. , p
.2
51
.
αge ,
5
5
) LouisVarlez , Lesn
o
u
v
e
l
l
e
sformesde l' αssur
αnce
c
o
n
t
r
el
e cham
αge
,
o
p
. cit. ,
p
p
.5
6
.
5
6
) Ibid. , p
.1
1
.
蛇
足
だ
が
,
周
知
の
よ
う
に
保
険
に
よ
る
社
会
空
間
の
再
編
成
に
つ
い
て
は
次
が
参
照
さ
れ
な
け
れ
ば
な
ら
な
い
。
F r a n <;: o i s
Ewald ,
L'Etαt
providence , 1986, Paris , G
r
a
s
s
e
t
;id. , H
i
s
t
o
i
r
edeL'Et
αt
providence , 1996, Paris , L
i
v
r
edep
o
c
h
e
.
5
7
) Ibid. , p
.6
2
6
8
.
公
権
力
の
関
与
の
重
要
性
を
述
べ
る
一
方
で
,
完
全
に
公
権
力
に
よ
り
組
織
さ
れ
た
基
金
よ
り
も
公
的
補
助
金
を
交
付
さ
れ
る
労
働
者
組
織
の
ほ
う
が
加
入
し
た
労
働
者
の
意
欲
が
高
く
効
率
が
ょ
い
と
い
う
ス
イ
ス
の
経
験
に
も
と
づ
く
指
摘
も
な
さ
れ
て
い
る
。
そ
の
よ
う
な
認
識
に
立
脚
す
る
へ
ン
ト
方
式
は
,
イ
ギ
リ
ス
の
国
営
失
業
保
険
(
1
58)
912
年
)
と
と
も
に
くくRapport
20
世
紀
半
ば
ま
で
の
失
業
対
策
の
大
枠
を
規
定
し
た
と
い
っ
て
よ
い
。
g
e
n
e
r
a
lsurl
e
smoyensdep
r
e
v
e
n
i
rl
e
smauxcausespar I
e chomage
parA
t
t
i
l
i
oCabiatiサ i
nLech δmαge
5
9
) Lech δ mαge
,
o
p
. cit. , p
.2
4
2
.
,
o
p
. cit. , p
p
.2
7
2
2
7
3
.
6
0
) 9 月18 日 か ら21 日 ま で の4 日 間 に わ た っ た 会議 の 記録 は 以 下 の よ う に 公刊 さ れ て い る 。 Co mp t e
rendu de l
a Conjer
e
n
c
e intern
αtion
αle
du cham
αge ,
3vols. , 1911, Paris , Marcel
Rivi 色reo
6 1)
高 野岩三郎 に つ い て は 前 川 論 文 を 参照 さ れ た い 。
6
2
) Compterendude lαConference
16-26,
32-65.
intern
αtion
αle
du ch δ m αge , o
p
. cit. , tome I , p
p
.
日 本 か ら は 在 ベ ル リ ン 大使館 づ き の 内 務 省参事官 ナ カ ガ ワ ノ ゾ ム 博士 が参加 し た と
ある。
1
7
2-
失業,社会学的対象の誕生(宇城)
ベヴァリジは会議ではイギリス政府代表を務めたが,準備段階では公式な国際組織委員会イギ
リス支部には関与せず,非公式にラザールらと連絡をとっていたようである。
6
3
) Louis Varlez
,
l
u
t
t
ec
o
n
t
r
eI
echomagesurI
et
e
r
r
a
i
ninternational»
くくLa
,α rt .
cit. ,
p
p
.6
4
6
6
.
ミ
ラ
ノ
会
議
も
含
め
,
国
際
失
業
会
議
に
つ
い
て
は
以
下
の
論
稿
を
参
照
の
こ
と
。
と
り
わ
け
ヴ
ァ
ル
レ
,
ラ
ザ
ー
ル
,
シ
ミ
ア
ン
,
ベ
ヴ
ァ
リ
ジ
ら
主
要
人
物
の
往
復
書
簡
な
ど
未
刊
行
の
資
料
を
利
用
し
て
い
る
ト
パ
ロ
フ
E ri c
Lecerf , ォLes c
o
n
f
e
r
e
n
c
e
si
n
t
e
r
n
a
t
i
o
n
a
l
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s pour l
al
u
t
t
e
c
o
n
t
r
eI
echomageau dぬut
dusiecle} , Milneufcent , n
o7 , 1989, p
p
.9
9
1
2
6
;C
h
r
i
ュ
は
こ
と
の
次
第
に
詳
し
い
。
p
. cit. , p
p
.5
9
1
1
5
.
s
t
i
a
nTopalov , o
64)
意図 的 な 選別 が あ っ た せ い か,
こ の 国 際失業会議 に た い す る 社 会主 義者 た ち の 反 応 は き わ め て
冷
淡
な
も
の
で
あ
っ
た
。
ル
セ
ー
ル
に
よ
れ
ば
,
記
事
に
た
っ
た
65)
9 月
2
0
1
1
行
し
か
あ
て
て
い
な
し
、
。
結成 か ら1913
日 付 の 『 ユ マ ニ テ 』 紙 は 会議 の 開 催 を 知 ら せ る
E ri c Lecerf
,α rt .
cit. , p
.9
9
.
年 ま で の 活動報告 に よ れ ば, 加盟者総数 ( 団体 を 含 む ) は1.046
名 。 加盟者 の 出
身
国
・
地
域
は
ド
イ
ツ
,
ア
ル
ゼ
ン
チ
ン
,
オ
ー
ス
ト
ラ
リ
ア
,
オ
ー
ス
ト
リ
ア
,
ベ
ル
ギ
ー
,
ブ
ル
ガ
リ
ア
,
カ
ナ
ダ
,
チ
リ
,
中
国
,
デ
ン
マ
ー
ク
,
ス
ペ
イ
ン
,
ア
メ
リ
カ
合
衆
国
,
フ
ィ
ン
ラ
ン
ド
,
フ
ラ
ン
ス
,
イ
ギ
リ
ス
,
ギ
リ
シ
ア
,
ハ
ン
ガ
リ
ー
,
イ
ギ
リ
ス
領
イ
ン
ド
,
イ
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リ
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,
日
本
,
ル
ク
セ
ン
フ
ツ
レ
ク
,
ノ
ル
ウ
ェ
ー
,
ニ
ュ
ー
ジ
ー
ラ
ン
ド
,
オ
ラ
ン
ダ
,
}
レ
ー
マ
ニ
ア
,
ポ
ル
ト
ガ
ル
,
ロ
シ
ア
,
ス
ウ
ェ
ー
デ
ン
,
ス
イ
ス
,
ト
ラ
ン
ス
ヴ
ア
ー
ル
,
ウ
ル
グ
ア
イ
に
わ
た
っ
て
い
る
。
加
盟
者
が
多
い
の
は
フ
ラ
ン
ス
ベ
ル
ギ
ー
(
1
73
,
う
ち
個
人
が
くくR a p p o r t
l'Associ
( 206
,
う
ち
個
人
が
92)
,
ド
イ
ツ
(
1
32
,
う
ち
地
方
公
共
団
体
が
72)
で
あ
る
。
αtion
intern
αtion
αle
pourl
al
u
t
t
ec
o
n
t
r
el
e ch
1925
Varlez ,
, B
u
l
l
e
t
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r
i
m
e
s
t
r
i
e
l de
gi'meral surI
edeveloppement de l
'Association»
国
際
失
業
対
策
協
会
は
第
一
次
大
戦
後
再
建
さ
れ
た
。
し
か
し
,
1 74 ),
L o uis
δ mα
g
e
,
n
ー2 , 1914, p
.3
2
2
.
年 に は 結成 当 時 か ら 密 接 な 関 係 を
築
い
て
い
た
ふ
た
つ
の
国
際
組
織
,
す
な
わ
ち
国
際
労
働
立
法
協
会
と
国
際
社
会
保
険
会
議
と
合
併
し
て
国
際
社
会
進
歩
協
会
と
な
っ
た
。
こ
れ
ら
の
国
際
組
織
は
r色s
ILO
と
協
調
し
な
が
ら
各
国
政
府
に
た
い
す
る
社
会
改
革
の
圧
f
.RainerGregarek
o C
力
団
体
と
し
て
機
能
し
た
,
くくUne
l
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'Associationpourl
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8
8
9
1
9
1
4
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nC
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r
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s
t
i
a
n Topalov
e
tl
'Associationpour l
al
u
t
t
ec
o
n
t
r
eI
e chomage , 1
(sous l
ad
i
r
e
c
t
i
o
n de) , Lαborαtoires du η o u u eα u siecle , 1999, Paris , Editions de
l'EHESS; MartinFine , ォUninstrumentpourl
areforme l
'Associationf
r
a
n
<
;
:
a
i
s
e
pourI
e progr
的
s
o
c
i
a
l
(1 927-1929»>, Mouuementsocial , n
ー94 , jan.-mars1976, p
p
.3
ュ
2
9
.
6
6
) Alexandre Schiavi , ォRapport general sur l
aq
u
e
s
t
i
o
n du placement»
.9i
n Compterendudel
aConferenceintern
generaln
o2 , p
αtion
αle
, rapport
duch δmαge
,op.
cit. , tomeI
I
I
.
67)
国家介入 の 問 題 は 労働斡旋 に と ど ま ら ず あ ら ゆ る 場面 で 大 問 題 で あ っ た 。 労 働 斡 旋 や 失 業 保 険
に
限
ら
ず
社
会
政
策
一
般
に
お
け
る
国
家
介
入
の
問
題
に
つ
い
て
は
次
を
参
照
さ
れ
た
~
Dup αuperisme d
¥0
lαsecurite soci αle
1850-1940,
e
r
ed. ,
HenriHatzfeld ,
1
9
7
1
;2
'ed. , 1989, Nancy ,
Pressesu
n
i
v
e
r
s
i
t
a
i
r
e
sdeNancy.
6
8
) DiscoursdeM. LeonBourgeoisi
n Compterendudel
aConferenceintern
du ch δ m αge
,
αtion
αle
o
p
. cit. , tomeI , p
.7
9
.
6
9
) Alexandre Schiavi
, くくRapport
generalsurl
aq
u
e
s
t
i
o
nduplacement» , o
p
.cit. , p
p
.
-173
人文学報
1
2
.
7
0
) Ibid. , pp.5
7
.
7
1
) Ibid. , p
p
.8
9
.
7
2
) Ph. Falkenburg
,
general sur l
a question du c
o
n
t
r
6
l
ed
e
s ch6meurs
くくRapport
, rapportgeneraln
ー3 , p
p
.2
3i
n Compte rendu de
dansl
e
sc
a
i
s
s
e
sd'assurance»
l
aConference intern
αtion
αle
duch δ mαge
,
o
p
. cit. , tomeI
I
I
.
7
3
) Ibid. , p
p
. 2, 5
.
7
4
) AlexandreSchiavi
,
generalsurl
aq
u
e
s
t
i
o
nduplacement» , o
p
.cit. , p
p
.
くくRapport
6
.
7
5
) Max Lazard , Le ch δm αge
e
tl
aprofession , 1909, Paris , F
e
l
i
x Alcan; William
H. Beveridge , Unemployment
Green , andCo. (邦訳,
s
t
, 1
ed. , 1
9
0
9
; 3rd ed. , 1912, London , Longmans
r産 業組織 と 失 業 問 題 J , 遊佐敏彦訳,
開 拓社 ,
1930
,
年) 。 引 用 に あ た っ
て
こ
の
翻
訳
を
参
照
し
な
か
っ
た
の
で
該
当
個
所
を
示
す
こ
と
は
し
な
か
っ
た
。
ふ
た
つ
の
著
作
の
比
較
と
検
討
は
次
に
見
ら
れ
る
。
C h r i s ti a n
Topalov , Nα ~ ssαn c e du ch δmeur
1880-1910, o
p
. cit. , p
p
.3
5
2
3
6
5
.
ラ
ザ
ー
ル
は
裕
福
な
銀
行
家
の
一
族
の
出
身
で
,
ロ
ン
ド
ン
の
ト
イ
ン
ビ
ー
・
ホ
ー
ル
や
ノ
f
リ
の
社
会
博
物
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と
つ
な
が
り
の
深
い
社
会
改
良
運
動
家
。
コ
ロ
ン
ビ
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大
学
で
修
士
号
を
取
っ
た
後
パ
リ
大
学
で
『
失
業
と
職
業
」
に
よ
り
法
学
博
士
号
を
取
得
し
た
。
社
会
改
良
運
動
を
つ
う
じ
て
高
等
師
範
学
校
の
社
会
主
義
サ
ー
ク
ル
と
の
親
交
も
深
く
,
学
歴
や
経
歴
的
に
は
や
や
異
質
な
が
ら
,
シ
ミ
ア
ン
を
は
じ
め
と
す
る
デ
ュ
ル
ケ
ー
ム
学
派
と
の
つ
な
が
り
が
培
わ
れ
た
。
国
際
失
業
会
議
を
組
織
し
た
後
は
国
際
失
業
対
策
協
会
の
書
記
と
そ
の
機
関
誌
の
編
集
長
に
就
任
。
第
一
次
大
戦
後
は
ILO
で
失
業
問
題
の
専
門
家
と
し
て
仕
事
を
し
た
が
,
フ
ラ
ン
ス
社
会
学
会
C
I
n
s
t
i
t
u
tf
r
a
n
y
a
i
sde sociologie)
はなかった。
の 会計 を 長 く 務 め た ほ か は 学界 に も 官 界 に も 身 を お く こ と
C
h
r
i
s
t
i
a
nTopalov , o
p
. cit. , p
p
.6
9
7
0
.
Cf.
7
6
) WilliamH. Beveridge , Unemployment
, o
p
. cit. , p
.7
0
.
7
7
) Ibid. , p
.1
0
3
.
7
8
) Ibid. , p
.1
3
.
.1
0
0
.
7
9
) Ibid. , p
8
0
) Ibid. , p
p
. 70-71, 2
1
6
.
) Lucien March
81
,
くくLa
s
t
a
t
i
s
t
i
q
u
educh6magep
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o
f
e
s
s
i
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n
n
e
lenFrance» , rapport n
ー
aConference intern
2
1i
n Compterendudel
8
2
) WilliamH. Beveridge , Unemployment
αtion
αle
duch δ mαge
,
o
p
.cit. , tomeI
I
.
, o
p
. cit. , p
p
.1
0
6
1
0
7
.
.2
1
5
.
8
3
) Ibid. , p
8
4
) Ibid. , p
p
. 237, 2
0
4
.
tl
aprofession , o
p
. cit. , p
.6
.
8
5
) MaxLazard , Lech δ m αge e
8
6
) Ibid. , p
.1
2
.
8
7
) Ibid. , p
p
.2
9
6
2
9
7
.
88)
シ ミ ア ン,
マルシ ュ,
そ れ に イ ギ リ ス の 数理統計学者 ア ー サ ー ・ ボ ウ リ ー は そ れ ぞ れ 相 関 関 係
と
因
果
関
係
の
扱
い
と
数
値
処
理
の
手
続
き
に
か
ん
し
て
問
題
を
指
摘
し
て
い
る
。
パ
リ
統
計
協
会
に
お
け
る
1 9 11
年 1 2 月 20
日
の
議
事
録
に
は
,
ラ
ザ
ー
ル
の
報
告
と
と
も
に
ラ
ザ
ー
ル
,
シ
ミ
ア
ン
,
マ
ル
シ
ュ
三
者
に
よ
る
興
味
深
い
討
論
が
残
さ
れ
て
し
情
。
Max Lazard
Cf.
,
くくLe
«Proc
色s-verbal
del
as
e
a
n
c
edu2
0decembre 1
9
1
1
サ
;
c
o
e
f
f
i
c
i
e
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i
s
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u
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o
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e
s
s
i
o
n
n
e
ldech6maged
'apresl
e
st
r
o
i
s
1
7
4
失業,社会学的対象の誕生(宇城)
d
e
r
n
i
e
r
srecensementsfran9ais» ,
Journαl
del
aS
o
c
i
e
t
edes
t
a
t
i
s
t
i
q
u
edePαris
,
n
ー1,
j
a
n
v
i
e
r1912, p
p
.3
2
6
.
ボ
ウ
リ
ー
が
雇
用
に
か
ん
す
る
数
理
統
計
学
的
な
測
定
方
法
を
提
示
す
る
の
は
19 12
年
の
こ
と
で
あ
り
,
ラ
ザ
ー
ル
の
考
察
が
こ
の
分
野
で
の
信
頼
性
の
高
い
統
計
手
法
が
確
立
さ
れ
つ
つ
あ
る
ま
さ
に
そ
の
時
期
の
試
み
で
あ
る
点
に
留
意
し
な
け
れ
ば
な
ら
な
い
。
Cf.
C
h
r
i
s
t
i
a
nTopalov , o
p
. cit. , p
p
.3
7
5
3
8
2
.
8
9
) MaxLazard , Lech δ mαge e
tl
aprofession , o
p
. cit. , p
p
.3
4
5
3
4
6
.
9
0
) Ibid. , p
p
.3
4
4
3
4
7
.
91
) Ibid. , p
p
. 350
輔35 1.
9
2
) Ibid. , p
p
.336, 3
51
.
9
3
) HaraldWestergaad
,
くくRapport
g
e
n
e
r
a
lsurl
as
t
a
t
i
s
t
i
q
u
educh6mage»
generaln
ー1, p
. 1i
nCompterendudel
a Coη
feren c e intern
αtion
αle
,
rapport
duch δm αge
,
o
p
.
c
i
t
.
.tomeI
I
I
.
9
4
) Ibid. , p
p
.8
9
.
95)
協会 が 着手 し た 国 際調 査 は ほ と ん ど の 場合 そ の 分野 に お け る 最初 の 大規模 な 調 査 で あ っ た し ,
ま
た
協
会
の
実
質
的
な
活
動
期
間
が
短
か
っ
た
た
め
に
,
そ
の
成
果
は
き
わ
め
て
基
礎
的
で
,
場
合
に
よ
っ
て
は
予
備
的
な
も
の
に
と
ど
ま
っ
て
い
る
が
,
そ
れ
ぞ
れ
の
最
初
の
報
告
は
機
関
誌
l
'
As
s
o
c
i
a
t
i
o
n intern
い
る
。
失
業
保
険
( n°
(
n
ー3 , 1912, n
ー4 ,
αtwn
( Bu ll et i n
αle
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u
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t
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o
n
t
r
el
ech
δ mαge)
t
r
i
m
e
s
t
r
i
e
l de
の 以下 の 号 に 公表 さ れ て
1, 1911, n
ー11914) , 若者 の 労働 と 職業訓練(nos 1& 2 , 1912) , 国際移民
1913) 。
ま た,
国 際統計協会 と 共 同 で 着手 し た 失業統計 の 最初 の 国 際 的 標 準
イヒについての報告は同じ機関誌の 1 9 1 3年第 2号にある。
※本論文は文部省科学研究費補助金による研究成果の一部である。
-175
Fly UP