...

あいか通信

by user

on
Category: Documents
58

views

Report

Comments

Transcript

あいか通信
あいか通信43号.doc
SSKW
あいか通信
NO.43 2009年3月号(隔月刊)
編集者: NPO法人視覚障害者国際協力協会 ( International Cooperation Association )
〒 174-0044 東京都板橋区相生町7-6
Tel・Fax : 03-3936-4305
E - m ai l : ica 20 01@z p os t .p la la .or.jp
賛助会費 : 個人 5,000円 法人・団体30,000円 郵便振替00160 - 7 - 67168 初めてのケニア 事務局 森山 事務局ではごく日常的な話題になっていたケニアに、私は初めて行き
ました。金理事長の手引きが大事な仕事とはいえ、何もかもが初めての私には、
いったいどっちが手引きだ?! という場面も度々あり、乗り継ぎのドバイ空港で
は、人混みの中、金理事長をさんざん無駄歩きさせ、青山さんには待ちぼうけを食
わせ、ハラハラドキドキ、やっと合流したのに二人は何事もなかったかのような平
静さ。私は孤独をかみしめました。
ナイロビは雨、空港にはSOKのゲノさんが迎えに来てくださっていました。雨はこ
の時期には珍しく、ナイロビの人々にはうれしい雨なのだそうです。講習会場であ
り、宿舎となるYMCAホステルに向かう車から見ると、沿道には姿の美しい大きな
木々が枝を広げ、黄色い総状の花をつけています。ゲノさんに尋ねると、アカシア
とのこと。言われてみると確かにマメ科のようだけど、丈が高く日本でいうアカシ
アとはちょっとちがうようです。空港から遠ざかるにつれ木々や建物はまばらにな
り道路の舗装も、工場地域らしき所では多かった沿道の人々の姿も途切れ、やがて
歩道もなくなり、ただ真っ平な大地と、遥か地平線にはりついたような山影がうっ
すらと見えていました。ハッと気づくと、人が掘返された土でデコボコした道路脇
を足元に視線をとられながら歩いてきます。こんな景色のなか、いったいどこから
来たのだろう、まるでどこからか湧き出たとしか思えないのです。その瞬間を捉え
ようと遠くに目を凝らしても、突然、また一人と、現われては過ぎてゆく。あの人
たちはいったいどれくらいの距離を歩くのでしょう。
到着したYMCAホステルの建物は、緑の生垣に囲まれた広い敷地に、相当古い
モルタルの平屋造りで、心地良さげに、ゆったりと納まっていました。
こじんまりしたポーチの向こうには明るい芝生の中庭がみえて、ポーチでは、SOKで
事務を執っているキャロラインさんが私たちを迎えてくれました。
案内された部屋にそれぞれ落着いた後、すでに到着していた前泊の受講生数人と
顔合わせをしました。今までメールのやり取りや会報を読んで名前だけを知ってい
た人たちと初めて会うことができたのです。言葉での意思疎通も不十分であるにも
かかわらず、初めてという感じはあまりなく、前から知っていたような親しみを覚
え、ホッとしました。
翌日から、いよいよ講習開始。初回の講習から6年目を迎えたという今回はフォ
ローアップとはいえ<基礎あん摩>の総仕上げであり、次年度から実施予定の<応用あ
ん摩>とその裏付けとなる理論講習へつながる節目ともなるものでした。彼らはこの
間、一人ずつ キムセンセイ の施術者となっては、褒められたり、細かい注意を受けたり、ま
た一方では熱心に仲間同士で教えあったり、さまざまな情報交換(それともただのおしゃべ
り?)を楽しんでいました。さらに金理事長の施術でハリを
体験。すすんで「やって欲しい」という人もあれば、「痛いッ」と騒ぐ人あり、でなかなか受ける
勇気が出ない人もありました。
講習の最後、受講生たちは、 キムセンセイ に問われて、各々、あん摩技術者としてのこ
の2年間の状況を報告しました。そして次年度から予定されている(ケニア第2プロジェクト)
講習の内容と、その最終的な目的(ケニアであん摩技術指導者となれる人を育てる)を聞
き、さらに自分たちのこれからを、どうしたいのか、それを実現するために自分たちは何をどう
すべきなのかを、よく話し合って結論を聞かせて欲しい、との宿題をだされ、講習は終了しま
した。
当然のことながら、あん摩技術を学んで6年ともなると、受講生たちのなかには、
既に結婚や出産などで生活環境が大きく変わった人もいます。さまざまな条件の違いで技術
の差や収入の差も生じてきているという現実もあります。こう考えていると次年度からの第2プ
ロジェクトが、ますます貴重なものと思えてきます。現在のところ、彼ら自身が、あん摩技術者
-1/3-
あいか通信43号.doc
として自分なりに生活しながらも、チームとして治療活動をする希望と必要があって、SOKの
一部を借り、治療所としていますが、チームとして治療所を運営していくのはなかなか難しい
ことのようです。今は、学んで良い施術者になりたいという熱意と、ケニアでのあん摩技術パ
イオニアとしての自信でもって連帯し、チームを大事にしていって欲しいと強く思いました。
6年後にも、初回のメンバーが(出産で参加不可の人あり)揃うということに、もっと学びたい
という彼らの熱意を感じました。
お知らせ ********************************* 『盲留学生』 がボランティアの協力で音訳されました。
デイジー版とカセットテープ版があります。お聴きになりたい方は事務局へご連絡
ください。点字版は、秋田点字図書館で現在最終校正中とのことです。
**************************************
2006年11月から2年間、青年海外協力隊員としてケニアのマチャコス視覚障害者技術訓練校あ
ん摩コースの講師を務められた五味さんが、無事任期を終え帰国されました。任期中にも、
度々ケニアからの報告を頂きました。ありがとうございました。
ジャンボ! 皆さん如何お過ごしですか? 五味 哲也
帰国から早5ヶ月が経ちました。その後、ケニアからいくつかニュースがあり、
何れも私にとって嬉しいニュースだったのでご報告させていただきます。
まず、昨年の10月下旬にナイロビマラソンがありました。その頃は私も既に帰国
し、日本人協力者の方達も同時期に帰国され、また一部のケニア人施術者達も無料
での施術や交通費の負担、諸準備の煩雑さから消極的でした。実際私が帰国する間
際に聞くと、今回のナイロビマラソンのデモンストレーションは参加するつもりは
無い、との事。やはり実際お金に結びつかないと動かないのかな?とやや失望して
いましたが、なんと主催銀行側からのオファーにより参加した事を後になり聞きま
した。まず嬉しかったのが、日本人がいなくてもケニア人のみでそういった動きが
出たことです。またおととしは朝早くから準備し、交通手段の確保が困難でした
が、今回は前日に銀行がゲストハウスを用意してテントも貸してくれました。その
中心になったのが、フィリさんと私の一番弟子のポールだったことが今後期待でき
ます。とはいえマスコミに対する積極的なアプローチをしなかったそうなので、後
任の協力隊員(まだ決まっていませんが)に期待しています。やはり折角の大きな
イベント参加ですから多くのマスコミに取り上げられた方が効果的ですからね。
その次はケニアのメジャー誌のひとつNATION(11月27日付)に私たちのクリ
ニックの様子が写真つきで大きく掲載されました。内容は主に私の生徒の一人レア
の悲しい過去の生い立ちにふれつつ、日本式マッサージクリニックができるまでの
経緯、また需要の開拓の為に行った各種のデモンストレーションなどです。たまた
ま取材した日に患者が多く、それを見た記者さんが感激してくれ、なんと彼自身も
ナイロビでの常連顧客の一人になっています。また、
患者さんの一人もインタビューを受け如何に体が良くなったかを答えてくれまし
た。陽気なケニア人には、やはり口で説明するよりも実際のクリニックの雰囲気を
感じてもらってうまく乗せるのが、良い人と人との関係の連鎖を生んでいきます。
現在、そのレアは引き続きマチャコスのクリニックで勤務しつつ、週末はナイロ
ビのヘアサロンで施術しています。人伝てですが、ナイロビのヘアサロンもマチャ
コスのクリニックも、少しずつ患者数が増えているそうです。彼女は日本留学の希
-2/3-
あいか通信43号.doc
望があり、マチャコスにいる隊員に日本語を学んでいます。隊員の仕事前の時間を
利用してなので朝6時位に一緒に勉強しています。そして最近聞いたところよる
と、彼女が戸籍の手続きで故郷のキタレ(ウガンダとの国境付近)に帰ったとこ
ろ、なんと10年前に彼女を捨てて行った家族が元の家に戻っていたそうです。家族
の家は貧しい小作の家で、数人の子供達は義務教育すら受けられず放牧や畑を耕す
生活をして、食べるのが精一杯。レアの都会風のいでたちに皆びっくりしたそうで
す。なにせ生活の重荷になり捨てていったレアがちゃんと育っているのですから。
そして更にレアが妹をマチャコスに連れてきて同居しているというのです!なん
と、捨てられたレアが逆に妹を引き取り身の回りの世話を妹にさせて養っている。
それを聞いた時本当に嬉しかったです。妹は義務教育すら受けていませんから英語
はもちろんスワヒリ語さえ話せず、部族語のカレンジン語しかできません。それを
他の人と話す時やテレビなどはレアが通訳するそうです。 ケニアの視覚障がい者のほとんどは、家族に養われている現状ですが、私の生徒
の一部は立派に自立し、家族を逆に養っています。私にとっては2年間だけのもの
ですが、彼らにとっては一生の2年間だったのだ、と嬉しさや、やりがいを噛み締
めています。国際協力の現場から見聞きするものは成功談が多いですが、実際は多
くはありません。その中で、この協力活動はとても有意だと思いました。
転じて私が帰ってきた日本はケニアより本当に豊かな国なのだろうか?と考えて
しまいます。ケニアでは、仕事が無くても家族で助け合います。家族がいなければ
宗教が生活支援や心を癒します。子供は地域が育て、高齢者を敬い孤立を感じさせ
ません。人にとっての本質は決して複雑な事ではなく、ごく当たり前な他人を思い
やる行為だと思います。自分のことを優先して考える風潮の中、純粋に他人の為に
活動できた2年間は私の生涯の誇りです。また、そのチャンスをくれた人たちに深
い感謝の念を持っています。今後は鍼
師として開業し、今度は日本を明るくする
様にがんばりたいと思います。
2002年4月23日第三種郵便物認可 (毎月3回5の日)
2009年3月31日発行 SSKW 増刊通巻1585号
PAGE 3
-3/3-
Fly UP