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中国政治論

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中国政治論
2010/8/9
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中国政治論
法律学政治学特殊講義(中国政治論)
第5回
加茂具樹(慶應義塾大学)
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中華人民共和国の建国
• なぜ共産党は国民党との内戦に勝利?
–
– 農民の支持:土地政策(「貧・雇農で天下を取り、天下を治めよう」)
– 経済政策の失敗
–
– 中間勢力の支持
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中華人民共和国の建国
• 中間勢力の支持
– 国民党の政権構想:
–「軍政」→「訓政」→「憲政」における国民党の優位性
– 共産党の政権構想:
–抗日民族統一戦線、連合政府
–階級闘争を基礎にした革命運動によって社会主義社会を目指すとは言わず。
–「勝利の果実」を平等に分配し、自由と民主を実現する中で豊かな中国を建設。
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中華人民共和国の建国
– 国民党の政権構想は独裁的であり、共産党の政権構想は民主的という歴史観でよい?
• なぜ国民党は独裁的な政権構想を描いた?
• なぜ共産党は独裁的な政権構想を描いた?
•
→中華人民共和国憲法前文の歴史観を懐疑的に見る必要性。
→中国の近代史とは何か?
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中国の近代史とは何か
• 中国の近代史
– 中華帝国瓦解を強いた列強支配からの独立、民族解放の闘争の歴史。
– 瓦解した帝国の近代的再編に苦悩する歴史。
– 列強に対抗する、独立した統一的強国の建国。
→国民国家の建設
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中国の近代史とは何か
– 列強に対抗する、独立した統一的強国の建国
– 国民国家の建国
• 中国の近代史:
– 辛亥革命(1911年)と中華民国の建国(1912年)
– 袁世凱による帝政の復活(中華帝国、1915年)
– 中国国民党による中華民国の再統一(孫文、蒋介石)
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– 中国共産党による中華人民共和国の建国(毛沢東)
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中国の近代史とは何か
– 袁世凱による中華帝国の失敗ののち、中国は軍閥による混乱へ
– 秩序回復に向けた取組み(北伐、~1928年)
–
– 1912年に中華民国が成立するものの、政治的危機の解消とは程遠い状態が続く。
• その意味とは?
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中国の近代史とは何か
– 中華民国建国時、国家の政治制度をめぐる議論
• 議院内閣制:宋教仁
• 大統領制:孫文
•
• 中華民国総統・袁世凱→皇帝・袁世凱
•
– 国民国家建設の担い手はどこにいるのか?
• 北伐完了時(1928年)の中国の国内情勢
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中国の近代史とは何か
• 1924年、「国民政府建国大綱」(孫文)
– 統一イデオロギー(三民主義):散砂である人民
– イデオロギーによって教育・統一された革命軍
– 三序構想(軍政、訓政、憲政)
• 「人民に政治的訓練の経験がなく、三民主義の実施について完全なる了解が見られない間は、
ただ党のみが全国民を代表して、建国の退任を負う」
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三民主義
• 民族主義
– 民族独立と自由、各民族の自由な聯合
• 民権主義
– 国民は選挙権を有するだけでなく、五権(立法・司法・行政・考試・監察)を罷免などの権利を国
民が有する。主権在民で五権分立による民主主義を達成した共和国の建設
• 民生主義
– 経済的な不平等を改善し、国家主導の近代化と社会福祉の充実。地権平均をかかげて大土地
所有や私的独占資本を制限して農民への再配分を強調。
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中国の近代史とは何か
• 孫文の革命、国家建設方針
• 先知先覚(党最高指導者)
• 後知後覚(一般党員)
• 不知不覚(党外大衆)
– 以党治国←→衆愚
• 軍政:革命直後の軍事管制期
• 訓政:中央は地方に人を派遣し、地方自治を進める。
• 憲政:民主主義的訓練が終えた後の全国的な憲政
– 訓政期をいつ終えるか?(1948年3月)
– 反乱鎮定時期臨時条項(1948年4月→91年5月)
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中国の近代史とは何か
• 中国共産党
– (第三党)→中国農工民主党(医学、衛生、科技)
– 統一建国同志会→中国民主同盟
– 民主建国会→中国民主建国会(大資本や大地主を批判)
– 民主科学座談会→九三学社(中・高級知識人)
– 中国致公党(帰国華僑の政党)
– 中国民主促進会(教育、文化、科学技術)
– 台湾民主同盟
– 国民党革命委員会
– 国家社会党→中国民主社会党
– 中国青年党
• 中国国民党
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中華人民共和国の建国
• 1949年10月1日:建国
• 1949年9月29日
– 中国人民政治協商会議共同綱領
–
• 1954年9月20日
– 中華人民共和国憲法
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中国共産党の課題
• 中国共産党の支持基盤の拡大をめぐる問題
– 農村部で大多数の人民の支持
– 都市部でいかにして住民の支持を得るかが課題
– 労働者等のいわゆるプロレタリアートは共産党を支持
– 知識階層、中小商工事業者:強圧的・独裁的な国民党は不支持
• 共産党にも懐疑的(民主的な政権を願う)
• 中国共産党の都市への進出により自分たちの地位が脅かされるのではないか、との不安?(共
産主義化)
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中華人民共和国の建国
• 1949年10月1日:建国
• 1949年9月29日
– 中国人民政治協商会議共同綱領
• 1954年9月20日
– 中華人民共和国憲法
http://www.youtube.com/watch?v=lSH474cQk6g
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中国共産党の課題
• 中国共産党第7期中央委員会第2回会議
(1949年3月)
– 党の活動の中心は農村から都市へ
– 「新しい政治協商会議(人民政治協商会議)を開いて、多くの民主党派の力を結集し、民主連合
政府を樹立すること」を呼びかけ
– 中国共産党を通じた労働者階級の指導する労農同盟を基礎としつつも、経済建設に必要な私有
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財産制に基づく資本主義も排除せず、幅広い勢力が協力して
• 「内戦の終結」
• 「外国勢力による支配の排除」
• 「経済の回復による民生の向上」
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中国人民政治協商会議
• 中華人民共和国は新民主主義即ち人民民主主義の国家であり、労働者階級が指導し、労農連
盟を基礎とし、各民主階級と国内各民族が団結した人民民主主義独裁を実行するものである(第
一条)
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中国人民政治協商会議
• 中華人民共和国の国家政権は人民に帰属する。各クラスの人民代表は、人民による普通選挙によ
り選出される。国家最高政権機関は全国人民代表大会である。全国人民代表大会の閉会期間に
おいては、中央人民政府が国家政権の最高機関となる(第十二条)。
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中国人民政治協商会議
• 中国人民政治協商会議は、人民民主統一戦線の形式を取り、その構成員は、労働者階級、農民
階級、革命的軍人、知識階級、小ブルジョア階級、民族ブルジョア階級、少数民族、国外華僑及び
その他の愛国的民主組織の代表から成る(第十三条)。
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中華人民共和国のかたち
– 五星紅旗
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中華人民共和国
• 「人民民主独裁について」1949年7月
– 人民とはなにか。中国では、そして現段階では、労働者階級、農民階級、都市小ブルジョア階級お
よび民族ブルジョア階級である。
– これらの階級が労働者階級と共産党の指導のもとに、団結し、自分たちの国家をつくり、自分たち
の政府をえらび、帝国主義の手先すなわち地主階級と官僚ブルジョア階級およびこれらの階級を代
表する国民党反動派とその共犯者たちにたいして独裁をおこない、専制をおこない、これらの連中を
抑圧して、かれらには神妙にすることだけを許し、勝手な言動にでることを許さないのである。
– 勝手な言動にでれば、ただちにとりしまり、制裁をくわえる。しかし、人民の内部では、民主制度を実
施し、人民は言論、集会、結社などの自由の権利をもつ。選挙権は人民にだけあたえ、反動派に
はあたえない。この二つの面、すなわち、人民内部における民主主義の面と反動派にたいする独裁
の面の結びついたものが人民民主主義独裁である。
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新民主主義の中国
• 1949年10月1日に成立した中華人民共和国
– 「労働者・農民階級が指導する」ことにはなっていたが、
– 経済面では私有財産制に基づく資本主義も容認し、
– 政権自体は非共産党系の知識人も含めた連合体であり、まだ「社会主義国」ではない。
• 「労働者階級による指導」はどのように具体化?
• 私有財産制(資本主義)をどのように扱っていく?
–
– 中華人民共和国成立後の課題
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新民主主義から社会主義へ
• 社会主義に向かう道の歩み方
– 中国共産党第7期中央委員会第3回全体会議(1950年6月6日)
• 「ある人は資本主義を早く消滅させて社会主義を実行できると考えているが、それは誤りである」
(毛沢東)
•
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– 人民政治協商会議全国委員会会議第2回会議(1950年5月23日)
• 「徹底した革命派になろう」
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• 中国共産党中央書記処会議(1952年9月24日)
– 「社会主義への移行、即ち『過渡期』の問題」社会主義化を進めることを提唱(毛沢東)
• 「毛主席の方針は穏歩前進である。新民主主義の発展は10年、20年を要するかもしれない」(1952
年10月、周恩来)
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なぜ、「過渡期」に入る?
• 1950年6月25日
– 建国後の政治体制はどうするか?
– 朝鮮戦争→米ソ冷戦構造の過激化という国際情勢
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