...

服偉大な男

by user

on
Category: Documents
12

views

Report

Comments

Transcript

服偉大な男
Nara Women's University Digital Information Repository
Title
古代服飾にみる左衽-神像を中心に-
Author(s)
馬場, まみ
Citation
古代日本の支配と文化, pp.143-154
Issue Date
2008-02-29
Description
URL
http://hdl.handle.net/10935/1422
Textversion
publisher
This document is downloaded at: 2017-03-31T22:06:58Z
http://nwudir.lib.nara-w.ac.jp/dspace
古 代 服 飾 に み る 左 祇
一 神 像 を 中 心 に 一
馬場 まみ
序
い わ ゆ る 和 服 は 衿 を 右 祇 に 合 わ せ て 着 る も の で あ り、 そ れ は 古 代 か ら続 く慣 習 で あ る と
広 く理 解 さ れ て い る 。 服 装 の 衿 の 合 わ せ 方 が わ か る 人 物 像 の 歴 史 を 遡 る と 、 古 墳 時 代 の 人
物 埴 輪 に い き つ く。 埴 輪 は古 墳 に 埋 葬 され た も の で 、 葬 礼 に か か わ る 限 られ た 人 々 の 像 で
あ る が 、 服 装 に 関 して は か な り具 体 的 に み る こ とが で き る 。 基 本 的 に は 、 男 性 は 衣 ・揮 、
女 性 は 衣 ・裳 の 形 式 で 、 衿 あ わ せ は 右 妊 、 左 妊 の 両 方 が 見 られ る 。 飛 鳥 時 代 に は 、 高 松 塚
古 墳 壁 画 の 人 物 像 が あ る 。 男 女 各8名
が 描 かれ て い るが 、左 妊 で あ る。そ の 後 、奈 良 時
代 に は右 妊 と定 め られ 、 服 装 は 右 妊 に統 一 さ れ る と い う流 れ に な る 。 飛 鳥 ・奈 良 時 代 か ら
平 安 時 代 へ の 社 会 の 移 り変 わ り に と も な っ て 、 右 妊 に す る こ とが 徹 底 さ れ る 。 しか し、 平
安 時 代 に お い て も 、 神 像 を含 め か な りの 数 の 左 祇 の 服 装 をみ る こ と が で き る 。
本 論 文 で は 、 衿 の 合 わ せ 方 が 特 別 な 意 味 を もた な か っ た 時 代 か ら右 妊 と定 め られ る に い
た っ た 背 景 を ふ ま え 、 平 安 時 代 に お い て も左 妊 が 存 在 す る こ と の 意 味 、 左 妊 の 服 装 か らわ
か る こ と に つ い て 考 察 を 行 な う。 服 装 史 研 究 に お い て 古 代 の 左 妊 を 特 に 取 り上 げ た 論 考 は
み られ な い が 、 古 代 の 左 妊 に つ い て 考 察 す る こ と は 、 当 時 の 社 会 の あ り方 を 知 る こ と につ
な が る と考 え る 。
1.奈
良 時代 にお ける左 妊 の服 装
古 来 日本 で は 、 右 妊 、 左 妊 に つ い て 特 に 決 ま り ご と は な く、 自 由 に着 装 して い た と考 え
られ て い る 〔
注1〕 。 古 墳 時 代 の 人 物 埴 輪 に は 右 妊 、 左 妊 の 両 方 が 見 られ る が 、 左 祇 は 胡
服 系 統 の 服 装 で あ る 。 胡 服 は 北 方 騎馬 民 族 に 起 源 を もつ も の で 、 上 下 二 部 形 式 で ズ ボ ン を
は き 、上 衣 は 筒 袖 で 衿 元 は 詰 り、左 妊 に着 装 す る 。ま た 、朝 鮮 半 島 で の 衣 服 の 基 本 形 式 は 、
上 下 二 部 形 式 で 筒 袖 、 左 妊 と い う胡 服 に 共 通 す る服 装 で あ る 〔
注2〕 。 古 墳 時 代 の 日本 は 、
朝 鮮 半 島 か ら の 文 化 の 影 響 を 強 く受 け て い た と 考 え られ て い る 。
飛 鳥 時 代 に お い て も 、 朝 鮮 半 島 の 影 響 が 見 られ る 。 『旧唐 書 』 に 日本 人 の 服 装 は 新 羅 と
甚 だ 類 似 した もの で 、 新 羅 、 百 済 、 高 句 麗 もそ れ ぞ れ 類 似 し た 服 装 で あ っ た と 記 さ れ て い
る こ と か ら、 日本 と朝 鮮 半 島 三 国 は 、 よ く似 た 服 装 で あ っ た と さ れ る 〔
注3〕 。
そ の 後 、 天 武 年 間 に 服 装 が 変 化 す る 。 取 り入 れ る 服 制 を朝 鮮 半 島 か ら 中 国 へ と変 更 した
の で あ る。服 制 は刷新 され 、そ の後 大宝 律 令 、養 老 律令 を経て 、唐 朝 の服 制 の徹底 が はか
られ る 。 そ の 結 果 、 唐 に 倣 っ て 日本 の 服 装 も右 妊 と な る 。 さ ら に 、 服 制 に 則 っ て 衣 服 が 定
め られ る 支 配 階 級 に と ど ま らず 、身 分 の 上 下 を 問 わ ず 右 妊 に す る こ と が 規 定 さ れ る 。養 老3
年に 「
初 令天 下 百姓 右襟 」 〔
注4〕
と定 め られ 、 支 配 階 級 に お い て は8世
一143一
紀 に ほぼ右 祇 と
な り、 そ れ 以 外 の 階 級 にお い て も右 妊 は 徐 々 に定 着 し て い く。 こ の よ う に す べ て の 人 々 に
右 妊 を強 制 した と い う こ とは 、 衿 合 わ せ が 政 治 的 な 意 味 を も っ た こ と を表 わ し て い る 。
古 来 日本 で は 、 衿 合 わ せ を 左 右 ど ち らか に 定 め る こ と は な く、 衿 の 合 わ せ 方 が 特 に 意 味
を も つ こ と は な か っ た 。 しか し、 朝 鮮 半 島 や 唐 の 文 化 を 摂 取 して 支 配 体 制 が 確 立 す る と、
左 妊 は 朝 鮮 半 島 の 文 化 、 右 妊 は 唐 文 化 と い う意 味 づ け が な さ れ る 。 服 装 を 右 妊 に 定 め る こ
と は 、 拠 り ど こ ろ とす る 文 化 を 中 国 に す る と い う こ と を 象 徴 的 に 示 し て い る の で あ る 。7
世 紀 末 か ら8世
紀 初 頭 にか けて 、衿 合 わ せ は文 化 の拠 りど ころ を示 す 政治 的 な意 味 を持
つ こ ととな った。
奈 良 時 代 に右 妊 が 急 速 に徹 底 され る が 、 左 妊 の 服 装 も 何 点 か 見 られ る 。 奈 良 時 代 に 製 作
さ れ た と考 え られ る 絵 画 、 像 、 実 物 遺 品 の 左 妊 に は 、 次 の よ う な もの が あ る 。 〔
注5〕
① 法 隆 寺 五 重 塔 塔 本 塑 像 ・侍 者 像(図1)
法 隆寺五 重塔 塔 本 塑像
宝 に指 定 さ れ 、28体
(東 面8・
〔
注6〕
は 、 和 銅4(711)年
が 女 性 像 、52体
東 面15)の
に 製 作 され た と さ れ る 。80点
が 男 性 像 で あ り、3体
が国
の 女 性 像 が 左 妊 で あ る 。2体
服 装 は 、 筒 袖 の 衣 服 の 上 か ら半 胃 を 着 用 し、 胴 の 少 し 高 い 位 置 で
帯 を締 め て い る 。 半 膏 が 、 左 妊 で あ る 。 別 の 一・
体(西
面31)は
、 盤 領 の 抱 を左 妊 に 着 装
し て い る 。 塑 像 の 人 物 像 で 、 左 妊 は 女 性 像 の み で あ る 。 また 、 左 妊 の 衣 服 に 大 袖 衣 は 見 ら
れ ず 、筒袖 の衣 服 の みで あ る。 法隆 寺五 重 塔塔 本 塑像 の 人物 像で は、女 性 の筒 袖 の衣 服 に
の み 左 妊 が 少 数 見 られ る 。
② 塑 像 吉 祥 天 立 像(図2)
東 大 寺法 華堂 の吉祥 天 像 〔
注7〕 。 天 平 勝・
宝6(754)年
以 前 に 製 作 さ れ た と考 え られ て
い る 。 吉 祥 天 像 は 、 古 代 イ ン ド神 話 ラ ク シ ュ ミ ー と い う女 神 に起 源 が あ り、 この 神 が 仏 教
に 取 り入 れ られ た と さ れ る 。 吉 祥 天 像 は 、 奈 良 時 代 後 半 か ら平 安 時 代 に か け て 吉 祥 天 を本
尊 とす る吉 祥 悔 過 が 盛 行 し た こ と に よ り、 古 代 国 家 仏 教 の な か で も 重 要 な 位 置 を しめ る尊
像 とな り、 ま た 民 間 へ の 信 仰 も広 が っ た 。 仏 像 と して の 吉 祥 天 像 は 、 イ ン ド神 話 に 起 源 を
も つ こ と、 女 性 像 で あ る こ と 、 民 間 信 仰 へ の 浸 透 が 著 し い こ と に 特 色 が あ る 。
服 装 は 、 少 し幅 の 広 い 筒 袖 衣 の 上 か ら大 袖 衣 を着 装 し て い る 。 そ の 上 か ら、 袖 に 装 飾 の
あ る 半 鷲 を 着 け て い る 。 胸 元 に見 え る 衿 あ わ せ は 、 左 妊 で あ る 。 下 半 身 に は 、 裾 に 蔽 膝 を
重 ね て い る 。 この 着 衣 は 、 そ れ 以 後 の 吉 祥 天 像 に お け る 一 つ の 典 型 とな る も の で あ る 。 吉
祥 天 像 が 左 妊 で あ る 理 由 の 一 つ と し て 、 イ ン ドの ヒ ン ズ ー 教 の 神 の 要 素 を 強 く 残 して 仏 教
に 取 り入 れ られ た た め 異 教 的 な 尊 像 と認 識 さ れ 、 中 国 の 服 制 に と らわ れ な い 服 装 が 許 容 さ
れ た と い う こ とが 考 え られ る 。
③ 墨 絵 弾 弓 ・人 物 像(図3)
正 倉 院 の 弾 弓 に描 か れ た96人
の 人 物 像 の な か で 、3人 の 人 物 が 左 妊 で あ る 〔
注8〕 。 弾
弓 に は 、 散 楽 を 演 じ る 人 物 とそ れ を見 学 す る 人 々 が 描 か れ て い る 。 散 楽 は 西 域 か ら伝 播 し
た 雑 多 な 芸 能 で あ り、 中 国 唐 代 に 盛 行 した 。 奈 良 時 代 に 伝 来 した 散 楽 も 、 軽 業 、 奇 術 、 滑
一144一
稽 物 真 似 な ど に 音 楽 を 伴 う雑 多 な 芸 能 で あ る 。
左 妊 の 人 物 は 、1人
が 長 い 筒 袖 の 上 か ら着 用 し た 垂 領 の 半 膏 を 左 妊 に し 、2人
が盤 領 を
折 り返 し、 合 わ せ を 左 妊 に 着 装 して い る 。
④ 正 倉 院御 物
正 倉 院 に は 、3点 の 左 妊 の 抱 が 遺 され て い る 〔
注9〕 。 「香 染 絶 抱 」(図4)は
、 丈が 短 く
裾 広 が り の 形 状 で 、 左 祇 で あ る。 これ は 、 正 倉 院 の 抱 の な か で も 特 異 な 形 で 、 古 様 の 衣 服
で あ る と も考 え られ て い る 。 ま た 、1点
に つ い て は 、 大 き さ な どか ら女 性 用 で あ っ た と推
定 さ れ て い る 。 残 る 一 点 の 詳 細 は 不 明 で あ る 。 左 祇 の 衣 服 な か の2点
は、古 様 の衣 服 と
女 性 用 と推 測 さ れ る も の で あ る。
以 上 の よ う に 、 奈 良 時 代 の 図 像 や 遺 品 に も左 祇 の 服 装 は 見 られ る 。 左 祇 は 、 吉 祥 天 像 の
よ うに異教 的要 素 の強 い もの、散 楽 の よ うな西 域伝 来 の 芸能 に関わ る 人物 、女 性 の服 装 、
古 様 の 衣 服 に み られ る 。 す な わ ち 、 国 家 の 中 心 に存 在 す る 人 々 の 服 装 、 唐 に 起 源 を も つ 文
化 に 関 わ る 入 々 の 衣 服 は 中 国 式 の 右 妊 で あ り、 中 国 以 外 に 起 源 を も つ 仏 像 、 周 辺 文 化 に 関
わ る 人物像 、女 性 像 に左 妊が 残 って い る とい え る。
2.平
安 時 代 に お け る 左 福iの服 装
平 安 時 代 の 装 束 は 、 奈 良 時 代 の 服 制 の 発 展 し た 形 で あ り右 妊 で あ る 。 『源 氏 物 語 絵 巻 』
や 「
扇 面 古 写 経 」 な どの 絵 画 に も 、 左 妊 は み られ な い 。 平 安 時 代 に は 、 俗 形 の 服 装 に 左 妊
は ほ ぼ 見 られ ず 、 衣 服 を右 妊 に 着 る こ と は 庶 民 層 に ま で 浸 透 し た 風 俗 で あ っ た と考 え られ
る 。 しか し、 俗 形 で は な い 人 物 像 に 、 神 像 を は じ め と し て か な り の 数 の 左 妊 が 見 られ る 。
2-1.平
安 時 代 に み られ る 左 妊
平 安 時 代 の 左 妊 の 服 装 を あ げ る と、 以 下 の よ う に な る 〔
注10〕 。
① 女 神 坐 像(図5)
松 尾 大 社 の神 像
〔
注11〕 。 製 作 は9世
紀 。 松 尾 神 社 は 秦 氏 の 氏 神 と して さ か え 、 平 安 遷
都 後 は 平 安 京 の 王 城 鎮 護 の 神 と な っ た 。 神 像 は3体
る 。 男 性 像 は 老 年 、 壮 年 の2体
あ り、 女 性 像1体
、 男 性 像2体
であ
で 、 頭 に冠 を か ぶ り、 抱 を 右 妊 に 着 用 し て い る 。
女 性 像 は 、 操 手 正 座 して い る 。 頭 上 で 髪 の 毛 を 束 ね 、 前 と側 面 、 後 ろ に 髪 の 毛 を垂 下 さ
せ て い る 。 衣 服 は 、 大 袖 衣 の 上 か ら背 子 を重 ね 着 て い る 。 胸 に は 、 垂 領 の 衣 服2枚
の重
ね 目が見 え るが、 そ れぞ れ を左 妊 に合 わせ て い る。
② 夫 須 美 大 神 坐 像(図6)
熊 野 速 玉 大 社 に は 、9世 紀 に 製 作 され た とす る神 像 が 四 体 あ る 。 男 性 像3体
体 で あ る。1体
と女 性 像1
の 男 性 像 は 、 頭 に唐 草 文 様 を 描 い た 冠 を つ け 、 操 手 して 正 座 して い る 。 衣
服 は 盤 領 の 抱 で 、 右 妊 に あ わ せ て い る 。 も う1体
妊 の 抱 を 着 て い る 。 さ ら に も う1体
は 、操 手 して笏 を持 ち、 冠 をつ け、右
の男 性 像 は 、抱 を着 用 して い るよ うにみ え るが 、 像
の 損 傷 に よ り衣 服 の 詳 細 は 不 明 で あ る 。
-146一
女性 像 の 「
夫 須 美 大 神 坐 像 」 は 、 熊 野 速 玉 大 社 の 第 一殿 、 結 宮 の 祭 神 像 で あ る 。 頭 上 に
髭 を結 い 、 髪 を 背 中 に 長 く垂 ら し て 両 肩 に も か け て い る 。 大 袖 の 衣 を つ け 、 領 布 の よ う な
布 を後 ろ肩 か ら前 に か け て い る 。 内 衣 の 衿 合 わ せ が 、 左 妊 で あ る 。
③ 伊 邪 那 美 神 坐 像(図7)
熊 野 速 玉 大 社 に は 、 平 安 時 代 後 期 の12世
い る 。 男 性 像1体
、 女 性 像2体
紀 に 製 作 さ れ た と され る神 像3体
も現 存 して
で あ る 。 男 性 像 は 、 冠 を つ け 、 抱 を 着 用 して 供 手 して 坐
す 。 着装 の状 態 は 、表 現 が簡 略な た め知 る ことが で きな い。
女 性 像 の1体
が 「
伊 邪 那美 神 坐像 」 で、 「
夫 須 美大 神 坐像 」 とと もに熊野 速 玉大 社第 一
殿 に 安 置 さ れ て い る 。頭 頂 で 髭 を結 い 、髪 飾 りを つ け て い る。内 衣 の 上 か ら大 袖 衣 を つ け 、
そ の 上 に 背 子 を 着 て い る 。 背 子 に は 袖 括 りの よ う な 装 飾 が み られ 、 こ の 装 飾 は 、 奈 良 時 代
の 吉 祥 天 像 な ど天 部 の 仏 像 に 多 く見 られ る も の で あ る 。 さ ら にそ の 上 に 、 背 か ら前 身 頃 に
か け て 領 布 の よ うな もの を ま と っ て い る 。 この 像 で は 衿 が3枚
上 の1枚
は 右 祇 で あ る 。 も う1体
重 ね られ 、 下2枚
は左 妊 、
の 女 性 像 は 、 頭 頂 に 髭 を 結 い 髪 飾 り を つ け 、 操 手 して
坐す 姿 で 、右 祇で ある。
④ 僧 形 八 幡 三 神 坐 像 ・女 神 像(図8)
大分 県 奈多 宮 の八 幡三 神 像 のな かの女 神 像 〔
注12〕 。 製 作 は 、9世
れ る 。 奈 多 宮 は 天 平 元(729)年
宇 佐 八 幡 の 摂 社 の1つ
紀 か ら10世
紀 とさ
に 創 祀 さ れ た と伝 え られ 、 全 国 の 八 幡 宮 の 総 本 宮 で あ る
で あ る。
現 在 伝 わ る 九 体 の 神 像 の な か で3体
が平 安 時 代 の作 とされ 、端 正 な 美 しさ をもつ 彫像
と し て 知 られ る 。1体 は 僧 形 の 男 性 像 で あ り、2体 が 女 性 像 、 そ の う ち の1体
が 左妊 で あ
る。 左妊 の像 は、冠 をつ け大袖 衣 を重 ね着 て い る よ うに見 え る。大 袖衣 の腕 部分 に装 飾が
み られ る 。 衿 元 で2枚
の衣 服 が 重 ね られ 、 そ れ ぞ れ を 左 妊 に 合 わ せ て い る。
⑤ 僧 形 神 坐 像 ・女 神 坐 像
広 島 県 御 調 八 幡 神 社 の 本 殿 に は 、9世 紀 か ら10世
いる 〔
注13〕 。 そ れ らの う ち5体
紀 に 作 られ た7体
の 神 像 が 祀 られ て
は 、 八 幡 二 神 像 と八 幡 三 神 像 を構 成 し て い る 。 御 調 八 幡
神 社 は、 大 隅国 に流 された 和気 清 麻 呂 に連座 して備 後 国 に配流 された 姉法 均 尼 の流調 の地
に 、 宇 佐 八 幡 が 勧 請 さ れ た の が 始 ま り と され る 。
9世 紀 に造 られ た と され る 八 幡 二 神 像 は 、 男 神 像1体
、 女 神 像1体
で あ る。 男神 像 は、
僧 形 に 作 られ て い る 。 少 し広 い 袖 口 の 左 妊 の 衣 の 上 か ら袈 裟 を ま と っ た 姿 で あ る(図9)。
八 幡 三 神 像 は 、 男 神 像1体
せ を 左 妊 に して い る(図10)。
と、 女 神 像2体
か らな る。男 性 像 は僧 形で 表わ され、 衿合 わ
この 像 の 衣 は 、 胸 の 高 い 位 置 に の み 衿 合 わ せ が あ り、 そ の
合 わ せ が 左 妊 で あ る が 、 特 徴 的 な 衣 服 の 形 で あ る。 そ の 上 か ら袈 裟 を ま と っ て い る 。 女 神
像 の 一 体 も 、 衿 を 左 妊 に合 わ せ て い る(図11)。
こ の 像 は 、 髪 の 毛 を 左 右 に 振 り分 け 、 残
っ た 髪 を 右 肩 前 に集 め 、 右 腋 下 を 通 っ て 右 腰 下 に垂 らす と い う特 徴 的 な 髪 形 を して い る 。
手 は 衣 服 の 中 で 操 手 し て い る よ う に見 え 、 立 膝 を して 坐 して い る 。 服 装 は 、 長 い 筒 袖 の 衣
一147一
服 の 上 に大 袖 衣 を 重 ね 、 そ の 上 か ら背 子 を 着 用 して い る 。 衿 元 に衣 服 の 合 わ せ が 簡 単 な 彫
りで 表 わ され 、 そ れ が 左 妊 とな っ て い る。
⑥ 僧 形 八 幡 神 像(図12)
靹 淵 八 幡 神 社 に 八 幡 三 神 像 が 残 され て い る 〔
注14〕 。 和 歌 山 県 靹 淵 地 区 は 、 平 安 時 代 後
期 に 石 清 水 八 幡 宮 領 と して 記 録 に 残 っ て い る 。 八 幡 靹 淵 神 社 の 三 神 像 の う ち 、 女 性 像2
体 は 右 妊 、 男 性 像 は 左 祇 で あ る 。 男 性 神 は 僧 形 で 、 大 袖 衣 を衿 の 高 い 位 置 で 左 妊 に 合 わ せ
て いる 。
⑦ 女 神 坐 像(図13)
現 在 大 和 文 華 館 に 所 蔵 さ れ 、 宇 佐 八 幡 伝 来 と も い わ れ る 。 頭 頂 で 髭 を 結 い 、 残 りの 髪 を
垂 髪 に して い る 。大 袖 衣 の 上 か ら背 子 を着 用 し、腕 部 分 に 袖 括 りの よ うな 装 飾 が み られ る 。
ゆ った りと した衿 合わ せ が左 妊 にな って いる。
⑧ 万 巻 上 入 坐 像(図14)
箱 根 神 社 に伝 わ る像 。 万 巻 上 人 は 、 多 度 神 宮 寺 を は じ め と し て 神 仏 習 合 に 関 わ る 多 く の
事 跡 で 知 られ る 修 験 者 で あ る 。箱 根 で は 古 く か ら 山岳 信 仰 が 行 な わ れ 、天 平 宝 字 元(757)
年 に 、 万 巻 が 神 託 に よ り一 社 を 創 建 し た 。 本 像 は 、 神 と 仏 の 世 界 を 往 き 来 す る 聖 僧 を 神 格
化 し た 姿 と も い わ れ 、 僧 形 で あ る 。 比 較 的 幅 の 広 い 筒 袖 衣 の 上 か ら大 袖 衣 を着 用 して い る
よ う に 見 え る 。 大 袖 衣 の 前 は 少 し 折 り返 さ れ 、 角 の あ る 垂 領 の よ うで あ り、 特 徴 的 な 形 で
あ る 。 大 袖 衣 の 上 か ら さ らに 袈 裟 を 着 用 して い る 。 衿 合 わ せ は 、 内 衣 、 大 袖 衣 と も に 左 妊
で ある。
⑨ 地 蔵 菩 薩 像(図15)
福 岡 県 浮 嶽 神 社 に 残 る9世
紀 の作 と され る像 。 浮嶽 山 は古 来 海 上交 通路 で 神 聖視 され
て き た 山 で 、奈 良 時 代 か ら始 ま る 神 宮 寺 が あ っ た と い う 。地 蔵 菩 薩 像 は 、内 衣 を 左 妊 に し、
そ の 上 か ら袈 裟 を ゆ っ た り と ま と っ て い る 。 僧 形 神 像 に属 す る 作 と位 置 づ け られ て い る 。
⑩ 吉 祥 天像
奈 良 時 代 に左 祇 の 吉 祥 天 像 は 何 点 か 存 在 す る が 、 平 安 時 代 以 後 も 同 様 で あ る 。 京 都 法 明
寺 「木 造 吉 祥 天 像 」、 仁 和 寺 「
木 造 吉 祥 天 像 」、 薬 師 寺
「
木 造 吉 祥 天像 」 な どの 着 衣 が左
妊である 〔
注15〕 。
⑪ 恵 慈 法 師 像(図16)
法 隆寺 に伝 わ る国宝 像 の一 つ 〔
注16〕 。12世
紀 の 作 と伝 え られ る 。 聖 徳 太 子 お よ び 侍
者 像 と して 制 作 さ れ た も の の な か の 一 体 で あ る 。 四 体 の 侍 者 像 の な か で 、 「
恵 慈 法 師像 」
の み 左 妊 で あ る。 内 衣 の 上 に 、 垂 領 で や や 幅 の 広 い 筒 袖 衣 を 着 用 し、 さ ら に 袈 裟 を ま と っ
て い る。 そ の垂領 の衣が 左 妊 で ある。 恵慈 法 師 は、 聖徳 太子 授 経 の師 といわ れ る高 句麗 の
僧 で あ る 。 恵 慈 法 師 が 左 妊 に して い る の は 、 高 句 麗 の 僧 で あ る と い う点 に 理 由 が あ る と 考
え られ る 。 朝 鮮 半 島 で の 服 装 は 左 祇 で あ る とい う観 念 が 、 平 安 時 代 に お い て も残 っ て い た
ことが推測 で きる。
-148一
∴ 讐 、.'溺
多、・,、
欝 鷺
蒸i黙 ・li
ζ 攣 爺 餓
図9 僧形神坐像 図10 僧形神坐像 図11 女神坐像
醗 饗.
パ
ナ
馨、
嚢 /ノ
1,
㌦
' 享. k㍉
・
遜
《' §・
\
} ξ'『
ピ ・
、
桑 醗
図12 僧形八幡神像 図13 女神坐像
ぐ噌'
1 き
詫
、
い
臨
! ∼
ダ
ソ
も
メ タ
・
∀
嘱 ・
ぜ.,爵
誌_、 ノ
」
冠.
図 、4万 巻上人坐像 図 ・5地
一149一
鰭
薩立 図16恵
慈法師像
平 安 時 代 の 遺 品 に は 、 以 上 の よ うな 左 妊 が 見 られ る 。 ① か ら⑨ は 神 像 、 ま た は 神 仏 習 合
像 で あ る 。 俗 形 の 服 装 に は 左 ネ]iが
ほ ぼ 存 在 し な い な か に あ っ て 、 神 像 にか な り の 数 の 左 妊
が 見 られ る こ と は 特 徴 的 な こ と と い え る 〔
注17〕 。 そ こで 、 神 像 に 左 妊 が 見 られ る 理 由 に
つ いて考 えて み た い。
2-2.神
像 製 作 の 背 景 と左 妊 の 意 味
神 像 は 、 仏 教 伝 来 に と も な い 神 と仏 の 間 で 神 仏 習 合 現 象 が お こ り、 製 作 され る よ う に な
っ た と さ れ る 。 神 仏 習 合 が ど の よ うな 経 過 を た ど っ た の か は 種 々 論 じ られ て き た が 、 概 ね
次 の よ う に考 え られ て い る 〔
注18〕 。 古 来 人 々 は 自然 現 象 の な か に 人 知 を 超 え た 偉 大 な 力
を 見 い だ し 、 これ を 神 と呼 ん で 畏 怖 、 崇 拝 して き た 。 霊 的 な 存 在 と考 え られ た 神 は 、 木 や
岩 、 山 、 河 な どの 自然 物 に 宿 る と され 、 そ の 自 然 物 が 神 の 依 代 と して 崇 め られ 、 祭 祀 の 対
象 とな っ た 。 特 に 美 しい 形 や 特 異 な 形 状 の 自然 物 は 崇 拝 の 対 象 と な り、 そ れ ぞ れ の 土 地 で
祭 祀 が 営 ま れ る よ う に な る 。 そ う し た 祭 祀 は 、 そ の 地 域 の 首 長 を 中 心 に行 な わ れ 、 共 同 体
を結 束 させ る た め の 重 要 な 支 柱 とな っ た 。
こ の よ う な 自然 崇 拝 的 な 神 道 が 形 成 さ れ る な か 、 仏 教 が 伝 来 す る 。 仏 教 は 国 家 宗 教 と し
て 位 置 づ け られ 、 国 を 支 配 す る 理 念 とな る 。 仏 教 は 、 伝 来 の 当 初 か ら神 々 へ の 信 仰 と密 接
に 関 連 づ け られ 、 仏 像 を神 の姿 と見 る 観 念 は 、 神 仏 習 合 が 本 格 的 に 進 展 す る 奈 良 時 代 以 降
も基 本 的 に 受 け 継 が れ た 。 渡 来 僧 が もた ら した 最 新 の 知 識 に よ っ て 仏 教 教 学 へ の 理 解 が 深
ま る な か 、 神 々 を 仏 教 経 典 に 説 か れ る 世 界 観 の 中 で 位 置 づ け る と い う試 み も 行 な わ れ る よ
う に な る。
神 仏 習 合 は 、 国 家 が 仏 教 を 取 り入 れ る な か で 神 道 と の 融 合 の 必 要 性 か ら 生 じ た こ とで あ
る が 、 一 方 で 人 々 の 生 活 の 場 で 生 じ た 信 仰 の 形 で あ っ た と も考 え られ て い る 。 現 実 に神 仏
習 合 思 想 を 浸 透 さ せ る 役 割 を 果 た し た の は 密 教 系 の 僧 侶 で あ り、 か れ らが 山 岳 信 仰 の 修 験
者 と か か わ りつ つ 現 実 的 な 神 仏 習 合 を成 し 遂 げ る 推 進 力 とな っ た 。 そ の た め 、 神 仏 習 合 像
は 、 密 教 系 の 僧 侶 と の 関 係 が 深 い と され る 。
前 述 し た よ う に 、 奈 良 時 代 に服 装 を右 妊 と定 め た の は 、 唐 の 文 化 を 基 盤iにし て 国 を治 め
る こ と と した か らで あ る 。 右 祇 は 、 衣 服 に お け る唐 文 化 の 象 徴 で あ る 。 一 方 左 妊 は 、 唐 文
化 以 前 に渡 来 した 朝 鮮 半 島 の 文 化 を 引 き 継 い だ 形 で あ る 。
神 像 に左 妊 が 比 較 的 多 い 理 由 と し て は 、 神 道 文 化 が 朝 鮮 半 島 か らの 渡 来 文 化 を継 承 して
い た た め と考 え る こ とが で き る 。神 道 は 、自然 崇 拝 的 な 信 仰 と して 地 域 に 根 ざ して 展 開 し、
そ の 祭 祀 を 執 り行 っ た の は そ の 地 の 首 長 で あ っ た 。 こ う した 首 長 の 拠 り ど こ ろ は 、 朝 鮮 半
島 か ら の渡 来 文 化 で あ っ た と い え よ う 〔
注19〕 。 平 安 時 代 を 通 して 製 作 さ れ た 神 像 に 左 妊
が 存 在 す る こ とか ら、 各 地 で 執 り行 わ れ た 祭 祀 が 、 こ の 期 に お い て も朝 鮮 半 島 の 文 化 を 継
承 し て 営 ま れ て い た こ と が わ か る 。 貴 族 階 級 を は じ め ほ ぼ す べ て の 人 々 が 右 妊 に して い る
な か で 、左 妊 に す る こ と よ っ て 、文 化 の 系 譜 を 表 明 す る意 味 を もた せ て い た と 考 え られ る 。
唐 の 文 化 は 国 を 治 め る 基 盤 と な り、 支 配 階 級 は そ の 文 化 を急 速 に 摂 取 し 、 そ れ を 一 般 の
一150一
人 々 も 受 け 入 れ て い っ た 。 し か し、 地 域 に根 ざ し た 祭 祀 を と りま く 世 界 で は 、 朝 鮮 半 島 か
ら の 渡 来 文 化 が 継 承 さ れ 、 そ の 目 に 見 え る 形 が 神 像 に お け る 左 祇 で あ っ た と考 え られ る 。
12世
紀 の 神 像 に 左 祇 の 服 装 が 見 られ る こ とか ら、 平 安 時 代 後 期 に お い て も 朝 鮮 半 島 か ら
の 渡 来 文 化 の 継 承 が 行 な わ れ て い た こ とが わ か る 〔
注20〕 。
2-3.服
飾 にお ける男 女 の違 い
神 像 に数 多 く の 左 妊 が み られ るが 、
、そ の 衣 服 の 種 類 を 男 性 と 女 性 そ れ ぞ れ で 分 類 す る こ
と に よ り、 男 女 の 相 違 とそ の 意 味 す る こ と に つ い て 考 え て み た い 。 神 像 の 服 装 を分 類 す る
と、 男 性 神 は 、
抱 姿 僧 形 そ の他
女性 神 は、
大 袖衣 姿 天 部形 そ の他
とな る 。
男 性 神 に は 抱 姿 と僧 形 が そ れ ぞ れ か な りの 数 見 られ る 。 平 安 時 代 の 俗 形 の 服 装 に 、 束 帯
と い う 抱 姿 の 儀 礼 服 が あ る 。 平 安 時 代 の 男 性 儀 礼 服 は 、 奈 良 時 代 の 朝 服 か ら発 展 し た 束 帯
で あ っ た 。 こ の 束 帯 と 同 じ形 の 抱 を 神 像 も 着 用 し て い る 。 僧 形 は 、 仏 教 の 僧 侶 と 同 じ服 装
で 、 大 袖 衣 に 袈 裟 を ま と う こ と が 多 い 。 男 性 の 神 像 に は 、 俗 形 と僧 形 の 両 方 の 服 装 が 見 ら
れ る。
女 性 神 の 多 く は 、 垂 領 大 袖 衣 を 着 用 して い る 。 大 袖 衣 の 上 に 背 子 ま た は 領 布 を つ け る 姿
は 、平 安 時 代 の 貴 族 階 級 の 女 性 の 服 装 と 同 じ形 式 で あ っ た と考 え られ る 。同 様 の 大 袖 衣 で 、
腕 に襲 飾 りの よ うな 装 飾 の つ い た 衣 服 は 、 現 実 に 着 用 さ れ た 服 装 とは 異 な る と判 断 し 、 天
部 形 の 服 装 と し た 。 天 部 形 に は 、 衿 合 わ せ の な い 丸 首 の 衣 服 も 見 られ る 。 奈 良 時 代 に 見 ら
れ た 女 性 の 抱 姿 は 、 平 安 時 代 に は 俗 形 の 女 性 の 服 装 に も神 像 に も見 られ な い 。 ま た 、 平 安
時 代 後 期 の 絵 画 な ど に見 られ る 女 房 装 束 は 、 平 安 時 代 の 神 像 に は 見 られ な い。
神 像 の 服 装 の ほ とん どが 、 男 性 は 俗 形 と僧 形 、 女 性 は 俗 形 と天 部 形 で あ る。 す な わ ち 、
女 性 神 に 、 僧 形 に相 当 す る 姿 が 存 在 して い な い 。 これ は 、 神 道 で は 女 性 神 が 作 られ る が 、
仏 教 で は 、 彫 像 され る 女 性 の 僧 形 が 存 在 し な か っ た た め と 考 え られ る 。 神 道 と仏 教 の な か
で の 女 性 の 有 無 を 反 映 して い る と い え よ う 。 女 性 神 像 の 俗 形 と天 部 形 の 区 別 が そ れ ほ ど は
っ き り表 現 され て い な い こ と も 、 男 性 神 と は 異 な る 点 で あ る 。
ま た 、 男 性 の 神 像 で 左 妊 は 僧 形 像 の み で 、 抱 姿 に は 左 妊 が 見 られ な い 。 平 安 時 代 の 男 性
の 抱 は 、 礼 服 が ほ と ん ど着 用 され な い 特 殊 な 服 装 とな っ た 平 安 時 代 に お い て 、 実 質 的 に は
最 も 儀 礼 性 の 強 い 服 装 で あ っ た 。 服 制 で 定 め られ た も の は 右 妊 に す る と い う規 制 は 強 く、
俗 形 の 抱 姿 は 必 ず 右 妊 で あ る 。 そ の こ とが 神 像 の 服 装 に も反 映 し、 神 像 の 抱 も 左 妊 にす る
こ と は な か っ た と 考 え られ る 。 儀礼 服 に お け る 服 装 規 定 が 、 神 像 の 服 装 に も 及 ん で い る の
で あ る 。 そ の た め 、 男 性 神 像 の 左 妊 は 、 僧 形 、 す な わ ち 現 実 の 服 装 規 定 に縛 られ な い 服 装
に の み 見 られ る こ と に な っ た と 考 え られ る 。
-151一
一 方 女 性 神 は 、 大 袖 衣 に 左 祇 が み られ る 。 俗 形 と 同 じ 服 装 と考 え られ る 大 袖 衣 に 左 妊 が
見 られ る こ と か ら、 男 性 に 比 べ て 女 性 は 右 妊 に す べ き と い う服 装 規 範 が 弱 か っ た と推 測 す
る こ とが で き る。男 性 の 貴 族 階 級 の 服 装 で あ る 抱 は 神 像 で あ っ て も 左 妊 に す る こ と は な く、
女 性 の貴 族階 級 の服 装 は左 妊で 表現 され た とい うこ とは、女 性 の儀 礼服 が 政治 的な意 味 づ
け を 強 く もた な か っ た こ と を 意 味 して い る と 考 え られ る 。
ま とめ
飛 鳥 時 代 か ら奈 良 時 代 へ 移 行 す る な か で 、 日本 は 朝 鮮 半 島 か ら 中 国 へ と摂 取 す る 文 化 を
変 更 し、それ によ って 服装 も異な る もの を着 用す るよ うにな る。 衿 あわせ はそ の象徴 的な
意 味 を もつ よ う に な り、 右 妊 の 着 装 が 浸 透 して い く。 奈 良 時 代 の 左 妊 は 、 イ ン ドや 西 域 に
起 源 を もつ 文 化 に 由来 す る 人 物 な ど 限 られ た 像 で の み 見 られ る も の とな っ た 。
平 安 時 代 、 服 装 は 右 妊 に す る こ と が 身 分 の 上 下 を 問 わ ず 定 着 し た 。 そ う した な か に あ っ
て 、 神 像 を は じめ と して 左 祇 の 服 装 も見 る こ と が で き る 。 神 像 に 左 妊 が 多 く見 られ る こ と
か ら、 平 安 時 代 の 神 道 に は 朝 鮮 半 島 か らの 文 化 の 継 承 が 見 られ る こ とが わ か っ た 。 仏 教 が
国 家 を 治 め る宗 教 と して の 地 位 を 確 立 した 時 代 に あ っ て も、 そ れ ぞ れ の 地 域 に 根 ざ し た 祭
祀 を 執 り行 っ て い た 神 道 は 、 平 安 時 代 の 後 期 に い た る ま で 朝 鮮 半 島 か らの 文 化 を継 承 して
い た こ とが 、 服 装 の 面 か ら 明 らか に な っ た 。
ま た 、 男 女 の 違 い も顕 著 に み られ る 。 男 神 に は 俗 形 と 僧 形 の 服 装 が 見 られ 、 俗 形 と 同 じ
衣 服 の 抱 に 左 妊 は 見 られ な い 。 これ は 、 男 性 の 儀i礼服 は右 妊 と い う 規 定 が 徹 底 し て お り、
神 像 の 服 装 で あ っ て も左 妊 に す る こ と は 許 容 さ れ な か っ た た め と考 え られ る。 一 方 女 性 神
に は 、 俗 形 と天 部 形 が 見 られ 、 僧 形 は み られ な い 。 これ は 、 仏 教 に お い て 彫 像 さ れ る 女 性
僧 が 存 在 しな か っ た こ と に よ る と考 え られ る 。 さ ら に 、 女 性 神 は 、 俗 形 と 同 じ服 装 に 左 妊
が 見 られ る と い う 点 で 男 性 神 と異 な っ て い る 。 これ は 、 俗 形 と 同 形 式 の 服 装 は 右 妊 で あ る
べ き と い う規 定 が 女 性 に対 し て は 弱 か っ た こ と を 表 わ して い る の で あ り、 平 安 時 代 にお け
る 男 女 の 政 治 的 な 位 置 づ け の違 い を反 映 して い る と考 え る こ とが で き る 。
以 上 の よ う に 、 古 代 に お け る 左 妊 の 服 装 を み て い く こ と に よ り、 朝 鮮 半 島 の 文 化 と唐 文
化 の 受 容 、 平 安 時 代 に お け る 男 女 の 政 治 的 な 位 置 づ け の 違 い な ど を 明 らか に す る こ と が で
き た。
注
〔1〕
古 代 服 飾 の 概 略 は 、 谷 田 閲 次 ・小 池 三 枝 『日本 服 飾 史 』(光 生 館 、1989年)の
述 を参照 した。
〔2〕
朝 鮮 半 島 の服装 につ いて は、特 に以下 の文 献 を参 照 した。
杉 本 正 年 『東 洋 服 装 史 論 孜 中 世 編 』(文 化 出 版 局 、1984年)
-152一
記
曹 圭 和 「百 済 服 飾 研 究 」(『服 飾 美 学 』10、1981年)
〔3〕
『旧唐 書 』 の 「
倭 国 日本 伝 」 に は 「
衣 服 之 制 、 頗 類 新 羅 」、 「
新 羅 国 伝 」 に は 「其
風 俗 刑 法 衣 服 与 高 麗 百 済 略 同 」 と記 され て い る 。(関 根 正 隆 『奈 良 朝 服 飾 の 研 究
本 文 編 』 吉 川 弘 文 館 、1974年
〔4〕
、p.317)
「
初 令 天 下 百 姓 右 襟 。」(『続 日本 紀 』 養 老 三 年(719)二
月 壬 戌(3日)条)
〔5〕
像 の解 説 は 、 図 版 の 出典 資 料 お よ び 注 に 記 した も の を 参 照 し た 。
〔6〕
法 隆 寺 五 重塔 塔 本 塑 像 につ いて は 主 に、 町 田 甲一
大 寺 大 観3法
隆 寺3』 岩 波 書 店 、1979年)を
「
五 重 塔 塔 本 塑 像 」(『奈 良 六
参 照 した 。
ま た 、 塑 像 の 女 性 像 の 服 装 に つ い て は 別 に考 察 を行 な っ た 。
馬 場 まみ
「
法 隆 寺 五 重 塔 塔 本 塑 像 に み る 女 性 像 一 服 飾 か ら の 考 察 」(『古 代 文 化
と そ の 諸 相 』 奈 良 女 子 大 学21世
紀 プ ロ グ ラ ム 報 告 集Vo1.15、2007年)
〔7〕
吉 祥 天 像 に 関 して は 、根 立 研 介 『日本 の 美 術317吉
年)を
祥 ・弁 財 天 像 』(至 文 堂 、1992
参 照 した 。
〔8〕
正 倉 院 「
墨絵 弾 弓」 の 服装 につ いて は、岩 崎 雅 美 「
正倉 院 の弾 弓 に描 かれ た散 楽
の 服 飾 一 服 種 と 着 装 の 視 点 か ら」(『家 政 学 研 究 』Vol.53 No.2、2007年)に
詳細
な 考 察 が な され て い る 。
〔9〕
関 根 真 隆 『奈 良 朝 服 飾 の 研 究 本 文 編 』 吉 川 弘 文 館 、1974年
〔10〕
神 像 の解 説 は 、 図版 の 出典 資 料 、注 に記 した もの お よ び 〔
注18〕
に 記 した も の
を参照 した。
〔11〕
辻 晋堂 「
松 尾 神 社 の 神 像 につ い て 」(『仏 教 芸 術 』32、1957年)
〔12〕
中野幡 能 「
大 分 縣 下 の 神 像 」(『仏 教 芸 術 』32、1957年)
〔13〕
伊 東史 朗 「
御 調 八 幡 宮 の 神 像 に つ い て 」(『仏 教 芸 術 』269、2003年)
〔14〕
大 河 内智 之 「
靹 淵 八 幡 神 社 の 八 幡 三 神 像 に つ い て 」(『仏 教 芸 術 』276、2004年)
〔15〕
根 立 研 介 『日本 の 美 術317吉
〔16〕
『新 編 名 宝 日本 の 美 術1法
祥 ・弁 財 天 像 』(至 文 堂 、1992年)
隆 寺 』(小 学 館 、1990年)
〔17〕
神 像 の 服 装 に 関 し て は 以 下 の よ うな 論 考 が あ る が 、 左 妊 に つ い て は 特 に考 察 さ れ
て いな い。
江 馬務
「
神 像 に 就 て 」(『芸 文 』5・9、1914年)、
期 の 風 俗 」(『歴 史 と 地 理 』3・3、1920年)、
務 著 作 集3』
江馬務 「
神 像 よ り見 た る 平 安 初
江馬務 「
古 神 像 風 俗 に 就 て 」(『江 馬
中 央 公 論 社 、1976年)
〔18〕
神 像 、 神 仏 習 合 像 に 関 して は 、 これ ま で に 多 く の 研 究 成 果 が 見 られ る 。 主 に 、 以
下 の も の を 参 照 した 。
岡 直 己 『神 像 彫 刻 の研 究 』(角 川 書 店 、1966年)、
(中央 公 論 美 術 出 版 、2004年)、
長 坂 一 郎 『神 仏 習 合 像 の 研 究 』
井 上正 「
神 仏 習 合 の 精 神 と造 形 」(『図 説 日本 の
仏 教6 神 仏 習 合 と修 験 』 新 潮 社 、1989年)、
一153一
谷 口耕 生 「
総 説神仏 習 合美術 に関
す る 覚 書 」(奈 良 国 立 博 物 館 編
と 美 』2007年)、
〔19〕
『特 別 展
神仏習合
『別 冊 太 陽 神 像 の 美 』(平 凡 社 、2004年)
古 代 の 渡 来 文 化 に つ い て は 、 特 に 以 下 の も の を 参 照 した 。
上 田 正 昭 『帰 化 人 』(中央 公 論 社 、1965年)、
年 〉、 井 上 満 郎
井 上 満 郎 『渡 来 人 』(リ ブ ロ ポ ー ト 、1987
『古 代 の 日 本 と 渡 来 人 』(明 石 書 店 、1999年)、
の 中 の 日 本 歴 史2奈
〔20〕
か み と ほ と け が 織 りな す 信 仰
王金 林
『東 ア ジ ア
良 文 化 と 唐 文 化 』(六 興 出 版 、1998年)
鎌 倉 時 代 の 左 祇 の 像 に は 、 叡 尊 、 忍 性 の 像 が あ り、 西 大 寺 真 言 律 宗 は 現 在 で も 左
妊 の 福 杉 を 着 用 す る と い う(井
天 は
年)に
筒雅風
「福 杉 左 権 と 将 来 律 書 に 思 う 」(松
『法 衣 史 』 雄 山 閣 出 版 、1974年)。
尾 剛次
納冨常
『叡 尊 ・忍 性 』 吉 川 弘 文 館 、2004
お い て 、 叡 尊 ・忍 性 な ど の 福 杉 が 左 妊 で あ る こ と に 言 及 し て い る 。 ま た 、
鎌 倉 時 代 の
「弘 法 大 師 像 」(東 大 寺)に
も左 妊 が み られ 、 鎌 倉 時 代 に は 左 祇 の 着
装 は よ り 象 徴 的 な 意 味 を も っ た と 考 え ら れ る 。
図 出典
図1 「
侍者像(東 面8)」 奈良時代、法隆寺(『法 隆寺の至宝3』 小学館、1996年 、p.58)
図2 「
塑像吉祥天 立像」奈 良時代 、東大寺(根立研介『日本の美術317吉
図3 「
墨絵弾 弓」奈 良時代、正倉 院(奈良国立博物館編 『第59回
祥 ・弁財 天像』至文堂、1992年 、p.29)
正倉院展 目録』佛i教美術協会、2007年 、p.33)
図4 「
香染総抱」(関 根真隆 『
奈 良朝服 飾の研 究 図録編 』吉川弘文館、1974年 、p.33)
図5 「
女神坐像」 平安時代、松尾大社(『 図説 日本の仏教6神 仏習合 と修験 』新潮 社、1989年 、p.95)
図6・7 「
夫須 美大神坐像」 「伊邪那美神坐像 」平安時代 、熊野速玉大社(『 熊野速玉 大社 の名宝 』和歌 山県 立博物
館、2005年 、P22,30)
図8 「
僧形八幡三 神坐像 ・女神像」平安 時代、奈多宮(前 掲 『神仏習合 と修験 』、p.86)
図9-11 「
僧形神坐像 ・女神坐像 ・
僧形神 坐像 」御調八幡、平安時代(『別 冊太陽 神像の美 』平凡社、2004年 、p.22,24,
25)
図12 「
僧形八幡神像」 平安時代、靹淵八 幡神 社(『仏教芸術 』276、2004年)
図13 「
女神坐像」平安 時代、大和文華館(前 掲 『神像 の美 』、p.62)
図14 「
万巻上 人坐像」 平安時代、箱根神社(前 掲 『神仏習 合 と修験』、p.90)
図15 「
地蔵菩薩立像」 平安時代、浮嶽神社(『 神仏習合 』奈良国立博物館、2007年 、p。47)
図16 「
恵慈法師像」平 安時代、法隆寺(東 京 国立博物館他編 『国宝 法隆寺展 』NHK、1994年
-154一
、
p.88)
Fly UP