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日本の政権交代と国際関係・国際環境

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日本の政権交代と国際関係・国際環境
IIST 国際情勢シンポジウム
2010 年 1 月 22 日
「日本の政権交代と国際関係・国際環境」
報告 1「民主党政権の成立とその外交政策」
北岡 伸一 東京大学大学院法学政治学研究科教授
昨年の今ごろ、
「次の首相は誰になるか」
といろいろな人から聞かれた。
そのころは麻生太郎首相で、
それが「いつごろ代わるのか」という状況だった。私はそう聞かれると、ただちに「次は鳩山氏で、
政変は 9 月になる」と言っていた。
「それはなぜか」と聞かれると、
「吉田の次は鳩山に決まっている。
昔、そうだったからだ」とし、また「過去 3 回の政変はすべて 9 月に起きているので、今度も 9 月に
なる」と答えていた。
しかしこれは冗談で、本当の理由は別にあった。当時は小沢一郎氏が民主党の代表だったが、小沢
氏にはいろいろな問題があった。したがって、選挙のためにどこかで降りるのではないか、そして彼
が一番、操縦しやすいと思う人に代表を代えるのではないかと思った。そして、それはおそらく鳩山
氏であろう、という推測からだった。また麻生氏は解散のタイミングを見計らっていたが、都合のよ
いタイミングは絶対に来ない、したがって任期ぎりぎりの 9 月ごろまでかかるであろうという見方だ
った。実際にはこれは 8 月末だったが、このように非常に適切な予測をしていた。だからと言ってこ
れから私がお話しすることが、将来当たるとは限らないということを、あらかじめ申し上げておく。
私は今回の民主党政権の誕生を見ていて、一種のデジャブ、既視感に捉われている。これまでで最
も大きな政権交代は、1954 年に起きた。今回はそれより大きなものだと思うが、1954 年には長く続
いた吉田時代が終わり、鳩山一郎氏が政権を取った。政党政治にどのようなダイナミクスが働くかと
いうと、野党は与党を批判してひっくり返すわけで、前の政権と違うことをしようとする。しかし実
際に政権を取ってみると、そう簡単にはいろいろなことを変えられない。そこでさまざまな葛藤が起
きる、というのが多くの国における現実だ。日本の場合、これが起きるまでに 60 年かかったので、
葛藤も大きくなるのだ。
アメリカなどでは外交、安全保障政策の基本に関しては、野党の有力な政治家に対してもしっかり
ブリーフィングを行う。つまりアメリカでは、上院の反対党の幹部にも説明を行っているということ
だ。またそれを聞いた野党の政治家は、日本とは異なり、それをあまり外に漏らさない。一方、日本
では、野党が政権に就いたときに初めて知る情報の多さは他の国々の比でなく、非常に多い。そうい
うわけで非常にとまどい、失敗が多いのだと思う。
1954 年に鳩山首相のおじいさんである鳩山一郎氏が政権を取ったとき、やはり「吉田の政策は、ア
メリカ追随一辺倒だ」と批判し、
「これを改める」としていた。どこで改めるかというと、例えば「中
国との関係を改善したい」
、
「ソ連との国交を何とかしたい」などいろいろなことを言っていた。その
うちの一部で実現したのは、日ソ国交正常化だった。ともあれ、鳩山一郎氏は「日米関係も変えたい」
としていた。そして政権を取って最初の数ヵ月でやろうとしたのは、防衛分担金の削減だった。当時
は米軍の駐在に対し、日本は分担金を払っていた。それは今で言う「思いやり予算」と似ており、こ
れを減らそうとしたので大騒ぎになった。また当時、外務大臣だった重光葵(しげみつ まもる)氏が
1
「ただちにアメリカへ行って話し合いたい」と言った。当時のアメリカは今よりも、はるかにパワフ
ルでストレートな国だった。しかも日本との戦争が終わってまだ数年後のことだったので、
「予定がつ
かえていて、駄目だ」と言われ、会うことはできなかった。その後、夏になって重光はようやくアメ
リカへ行き、当時のジョン・フォスター・ダレス国務長官と会い、
「日米同盟をより対等なものにした
い」と言った。
ちなみに、当時の日米安全保障条約は 1960 年に改定される前のもので、はるかに不平等で一方的
な内容だった。具体的には、日本はアメリカ軍を日本に駐留させる権利を提供し、アメリカは受け入
れる、そしてアメリカはこの軍隊を極東の安全のために使うことができる、また日本を守るために使
うこともできるというものだった。さらに日本政府からの要請があれば、外国の影響下に起きた国内
の不安定を鎮圧するためにも使えるとしていた。
このように、
アメリカは日本を防衛する義務はなく、
「防衛することもできる」という内容だった。日本政府に頼まれれば反政府デモを鎮圧することもで
きるという、ほとんど植民地のような内容であり、これを変えたいというのが当時の鳩山内閣、重光
外相の狙いだった。
そこで重光外相は、
「米軍の地上軍は、6 年以内にすべて引き上げてほしい。そして、その後 6 年以
内に、残りもすべて引き上げてほしい」と非常に大胆な提案をした。これを聞いたダレス国務長官は
怒り、
「日米安保を対等にしようということだろうが、日米はそもそも対等ではない。もしもグアムの
米軍基地がどこかの国に襲われたら、日本はこれを助けに来てくれるのか」と言ったので、重光外相
は「行く」と答えた。それを聞いたダレス国務長官は「あなたの憲法解釈はわけがわからない」と言
って却下し、彼はすごすごと帰国することになった。
この会談で同席していたのは、後に首相となる岸信介氏で、彼は当時、自民党の幹事長だった。彼
は「アメリカとはこういう関係になっているのか。我々はアメリカとしっかり手を組んで、防衛をし
ていく。そして我々の安全保障の力を増やし、アメリカとの関係も強化して、アメリカの対日防衛義
務などについても交渉していく必要がある」と理解した。これは彼が 1957 年に首相になってから、
安全保障条約の改定に取り組んだことの布石となった。
実はそういうところに関し、現在も同じことを見ているような気がする。現在の鳩山由起夫首相も
「日米安保を、より緊密で対等なものにしたい」
、
「アジアとの関係を深めたい」と言っており、これ
については結構なことだ。この鳩山首相による「より緊密で対等な日米関係」という話を聞いて、ア
メリカ側における日米安保の代表的なリーダーの 1 人であるリチャード・アーミテージは当初、
「そ
れは結構なことだ。日本は安全保障努力を増やすのだろう」といった。しかし現実には、鳩山首相の
問題は、言葉が軽く言っていることと中身のずれが非常に大きいということだった。
アジアとの関係を深めようとするのも構わないが、それが本当に地に着いたものになるかどうかが
問題だ。
「東アジア共同体」と言っても、どういうものなのかよくわからない。
「それをどのように実
現するのか」と聞かれると、
「友愛だ」と言っている。この友愛という言葉に関する鳩山首相の理解も、
私はほぼ間違いではないかと思う。これはフランス革命の言葉から来ており、元々クーデンホフ・カ
レルギーという人が使っていて、当時、勃興していたナチズム、全体主義に対する連帯を指していた。
このクーデンホフ・カレルギーの言葉を聞いて友愛という言葉を知った人は、
「では鳩山は自由主義諸
国で連帯し、中国と戦うのか」と思うかもしれない。しかし、実際にはまったくそうではない。この
ように彼の言葉は空を飛んでいるようで、実態と結び付いていない。
私は鳩山首相が言っているスローガンについては聞くべきところがあると思うが、それが具体的な
政策と結び付いていないことに大きな不安を感じる。世界の多くの人たちも、戸惑っていると思う。
2
具体的に最初にイッシューとして浮上したのは、
国連や気候変動の話を別にすれば普天間基地の話だ。
普天間基地に関する考え方は私が見るところ、最初は鳩山首相も岡田克也外相も北澤俊美防衛相もあ
まり変わらなかったが、1 ヵ月ほど経って、北澤防衛相は、元々の案にある名護に移転すること以外
は難しいとわかってきた。一方、岡田外相は嘉手納にこだわり、次第に嘉手納か辺野古、つまり県内
施設に移転ということになってきた。そして 2 人とも、
「年内に何とかしたい」と思っている。
しかし、この問題について北澤防衛相や岡田外相が何か言うと、翌日には即、鳩山首相が「県外移
転も国外も考えられる」と言う。また先の 2 人が「年内に決着を」と言うと、鳩山首相が「年内とは
限らない」とし、翌日にはこれを否定する。そして鳩山首相は必ず、
「最後は私が決める」と言う。し
かし最後に決めるのであれば、決められるような環境を後ろで作るのがリーダーの務めだ。もしも鳩
山氏が本当に県外移転を考えているのなら、それは 1 つの考え方で、外相と防衛相に対して矛盾する
メッセージを出さないよう後ろから言っておかなければならない。今の民主党政権の大きな問題は、
そこにある。
政務三役、大臣、副大臣、政務官はそれなりによく働いており、霞ヶ関の役所を見ると、夜遅くま
で大臣室の電気が点いている。こういうことは、自民党時代にはなかった。今は 1 日中、役所で働い
ている。しかし、そうなると他の役所と相談している時間がない。
「役人は使わない」と言っており、
政治家同士が互いのところへ行っている時間もない。1 人だけ、時間があるのは鳩山首相だ。だから
彼が閣僚を集めて週末にでも議論し、この問題についてどのような方針で行くのか集中審議を行い、
「この方針で行こう。しかし、様子を見ながら行くので矛盾することは言わないでほしい」としっか
り囲い込んで進めればよい。
また「基地のことを検討しなくてはいけない」というが、皆、今も検討しており、検討の結果を自
分が読んでいないだけの話だと思う。特に私は安全保障、外交のリーダーとしての言葉の軽さに不安
を覚えている。外相や防衛相が何かを言えば、相手は「日本政府はこちらへ動いているのだ」と思う
だろう。しかし、翌日になると首相が「違う」と言う。私は 11 月 14 日に、サントリーホールでオバ
マ米大統領のスピーチを聞きにいった。これはとても立派なスピーチで、
「アメリカは今後、太平洋国
家として生きていくのだ」
、
「西太平洋のこの地域の発展が、世界の鍵だ」と言っていた。そして「自
分はインドネシアで育ち、自分の人生は太平洋国家としてのアメリカの発展の一部だ」としていた。
この地域の発展がいかにして可能になったかというと、アメリカが安全保障を提供し、そのうえで日
本が発展し、その余波が近隣諸国の発展を招き、その結果、中産階級が勃興してその上にデモクラシ
ーが発展してきたためだ、
だからアメリカの安全保障上のコミットメントは必要だということだった。
さらに「核廃絶を目指すが、核兵器がこの世の中にある限り、アメリカは確固たる抑止をこの地域に
提供する」としており、これは日本と韓国、その他の国々に対してということだった。つまりアメリ
カの基地、軍事的プレゼンスは、単に日本のためだけでなく、この地域全体の安全を保障していると
いうことだ。
その前日、オバマ大統領と鳩山首相が会い、
「早期に決着をつける」という合意が出たので、私はよ
うやく安心だと思っていた。ところがそのスピーチの翌日に鳩山氏が、
「早期決着と言っても、年内の
決着は約束していない」とシンガポールで言う。毎度、翌日にひっくり返すことはやめてほしいが、
そういうことを言っていた。そして紆余曲折の結果、最近は「5 月末までに決着をつける」と言って
いる。
その前には、デンマークのコペンハーゲンで開かれた国連気候変動枠組み条約第 15 回締結国会議
(COP15)で、鳩山首相の隣にヒラリー・クリントン米国務長官が座ったのでいろいろ説明し、
「ク
3
リントン国務長官は『わかった』と言ってくれた」と新聞に対して話した。しかし、そのすぐ後に藤
崎一郎駐米大使がクリントン国務長官に呼び出され、
「私が『わかった』と言ったのはそういう意味で
はなく、あなたが難しい情勢に直面しているのはわかったと言っただけだ。これは納得したという意
味ではなく、勘違いしないでほしい」と言われた。国務長官は大臣に当たり、国務長官が現地の大使
を呼ぶということは友好国の間ではあまりない。例えば日本で竹島問題に関して何かあると、日本の
韓国大使は外務大臣に呼び出される。また以前、小泉純一郎元首相が靖国神社へ行ったときは、中国
にいる日本の大使は呼び出された。これと同様なことが起きており、大変不安だ。
そういうことはかつて一度、起きたことがある。1981 年に当時の鈴木善幸首相がアメリカへ行き、
レーガン大統領と首脳会談を行って日米安保強化で合意、
「シーレーンを日本は守る」と言った。そし
て日本へ戻ってきて、
「日米安保に軍事的意味はない」
と発言した。
しかしこれは考えられないことで、
安全保障条約とは軍事的なものだ。したがってこの発言により、大騒ぎになった。これについては当
時の宮沢喜一官房長官が、
「
『新しい軍事的意味はない』ということだ」と言ってごまかした。しかし、
これによって相当のさざ波が立ち、首相はやめさせにくいので外相がやめる事態が起きた。下手をす
ると、今度の 5 月にはそうなるだろう。アメリカとの関係がこじれたから大臣や首相がやめたとなれ
ば、日本の中でまた反米感情が高まり、これは非常に困ったことだと思う。ある発言がどういう帰結
をもたらすのか、相手にどう受け止められるかということを、もう少し真剣に考えてやってもらわな
ければ大変困る。
他方で付け加えておけば、民主党政権はまだしばらく続くだろう。2005 年に自民党は大勝したが、
そのときには民主党で、若い未来のリーダーが生き残っていた。彼らは 40 代、あるいはせいぜい 50
歳ぐらいで、当選数回の、党幹部を務めたことがある人たちだ。岡田外相は当時、50 歳を超えていた
が、他に前原誠司氏、原口一博氏、枝野幸男氏、玄葉光一郎氏、野田佳彦氏という 7、8 人が生き残
った。自民党には今、代わりに元首相が 4 人もいるが、そういう人たちはいない。したがって 4 年後
に何らかの形で民主党が負けても、自民党にはもう頼りになる勢力がない。このため、ここは何とか
して民主党の鳩山首相に考え直してもらうか、鳩山首相以外に民主党政権の頭になってもらうかだろ
う。何とかしなければ、民主党が負けた場合に次は自民党、というわけにも行かず、次は「混沌」な
のだと思う。
もう一言、話しておかなければならないのは、先に触れたアジアとアメリカの関係だ。これについ
て鳩山首相は、私の記憶によれば、今朝の新聞によると「山岡賢次氏が『正三角形だ』と言ったが、
あなたはどう思うか」という問いに対し、
「三角形だが、辺の長さは同じとは限らない」と答えている。
正三角形というのは辺の長さは同じはずなので、
「私は山岡さんと意見が違う」
と言うのならわかるが、
何かすれ違っている。この辺がさすが、
「宇宙人」といわれる所以だ。
私は日米安保を堅持しつつ、アジアとの関係を強めることは可能だと思う。アジアとは地理的に近
く、これは大きなメリットだ。最近、私は香港政府の招待で香港へ行ってきた。香港も今は豊かにな
り、会う人の 3 分の 1 ぐらいは、
「正月休みに北海道でスキーをしてきた」というような人たちだ。
交通の便利さがあるのだが、その一方で、日本へ来る外国からの観光客は、年 700 万から 800 万人に
とどまっている。これはシンガポールより少ない数なのだが、日本にはシンガポールよりも観光する
場所がたくさんあると思う。
私の友人で熊本県知事の蒲島郁夫氏は、
観光のセールスに行っているが、
熊本だけでも阿蘇や温泉、
天草などすばらしいところがたくさんある。香港には外国の観光客が年 2000 万人訪れており、その
半分は中国からだが、残り半分は他の場所からだ。日本では観光に来るにもいろいろな障害があり、
4
例えば香港から日本へのビザなし渡航を実現するには提案から 7 年を要した。これは入国管理局や警
察が反対するためなのだが、香港であればこのようなことは 1 週間で決めるだろう。他には当然、農
業問題などがある。こういうものの不必要で人工的な障害を取り除くことで、自然にアジア諸国との
関係が深まる。これは良いことで、日本にも利益がある。
「発展するアジアを取り込め」
、
「アジアを市
場にして、復興、成長を」というのはそういうことだ。そこにある不必要な障害を取り除くことによ
り、向こうの人やお金、ものやサービスを入りやすくする。
「日本に来て、進んだ医療を受けたい」
、
「日本で美容整形を受けたい」などという人もおり、サービスの中にはそういうことも入る。
ただ、この変化の時代は同時に不安定化の時代で、この不安定化をサポートするとどのくらい大き
な変化があるかだ。中国ではこの 10 年間で、経済規模が約 4 倍になった。10 年前には日本の 4 分の
1 だった国が、同じになった。一方、軍事力については、20 年間で 15 倍になっている。そのような
大きな変化は不安定ということで、これが一定の安定に達するまでは、やはりアメリカがしっかりプ
レゼンスを持っている方が安心だ。アジアの賢人であるシンガポールのリー・クワンユー元首相も、
「バランスを取って安定させるため、アメリカのプレゼンスは必要だ」と言っている。鳩山首相はそ
れを直感的には見通しているのだが、具体的な政策にしっかりトランスレートする実務的な経験と知
識がまだ欠けている。それをどのように補うかというのが、大きな課題だろう。私はまだ絶望してい
るということはないのだが、相当心配し、イライラしている。大きな方向はそれほど間違っていない
のだが、首尾一貫した体系的な政策に何とか持っていってほしい、という期待と懸念を持って見守っ
ている。
報告 2「オバマ政権 1 年の成果と課題」
久保 文明 東京大学大学院法学政治学研究科教授
1 月 20 日に、アメリカのオバマ政権発足からちょうど 1 年が経った。そのような節目なので、今日
はそういった観点から「オバマ政権の 1 年間」というものを簡単に振り返ってみたい。
就任 1 年目のオバマ大統領の支持率は、約 50%となっている。世論調査によって若干数字は異なる
が、歴代大統領の就任 1 年目の支持率を見ると、どの調査でも同じなのはレーガン元大統領とクリン
トン元大統領の支持率が低く、オバマ大統領の支持率はそれと並ぶものということだ。一方、1 年目
に非常に高かったのは、ブッシュ親子の支持率だ。ただ、ご存知の通り、父親のブッシュは 1 期で落
選している。そして最下位のレーガン、クリントンは再選に成功しているので、1 年目の成功、不成
功が 4 年目に再選できるかの指標にはあまりならないということだ。ただオバマ大統領の場合、1 年
目は相当な熱狂と高い支持率で始まったので、現在はそれがかなり下がってきたということだ。日本
の鳩山由起夫首相の支持率よりはまだ少し高いかもしれないが、なぜこれほど下がってきたのかにつ
いては、考えてみる価値があるかもしれない。またアメリカ人のイデオロギー的な分布は、最近も実
はあまり変わっていない。民主党が政権を取り、議会でも両院で多数を取ったので、民主党の方は民
主党の支持が増えていると考えがちだが、実はアメリカの保守とリベラル、あるいはその真ん中、穏
健という分布はほとんど変わっていない。
大統領としてのオバマ氏に対する支持の動向を見ると、かつては 69%ほどだったが、今は 53%に
なっている。これはワシントン・ポスト、ABC の調査による数字だ。またアメリカという国のムード
をはかるとき、アメリカが「よい方向に向かっているか、悪い方向へ向かっているか」というのが面
5
白い指標になっている。オバマ大統領が当選したころには、それまで危機感がかなり強かったため、
「悪い方向へ向かっている」という数字が一時期下がったが、最近は着実に上がっている。また支持
率をいろいろなカテゴリーに分けて見てみると、黒人ではほとんどが民主党支持者で、民主党の支持
率はあまり下がっていない。そして黒人の共和党への支持は元々低いのだが、さらに下がっている。
アメリカでは政治がこのように分極化した姿がある意味、不可避だが、オバマ政権にとっておそらく
痛いのは無党派層における支持率低下であり、それは 67%から 49%に下がっている。またオバマ大
統領と民主党議会、そして「議会における共和党」のどれを信頼するかという調査を見ると、オバマ
大統領の支持率も比較的低いが、議会の共和党に対する支持はもっと低い。これは、日本の自民党の
悩みと少し似ているかもしれない。
さらにオバマ大統領が「どのくらいを達成したか」という質問では、
「かなり達成した」と考える人
を合わせると、達成したと感じている人は 47%と半分弱で、評価はあまり高くないということだ。そ
して「公約をどれだけ守ったか」という質問では、
「イエス」という人は 41%で、
「守っていない」と
感じている人の方が多い。
この中にはオバマ大統領の約束として、
「分極化したワシントン政治に和解、
統一をもたらす」というものがあり、それに対してオバマ大統領が基本的に、民主党の路線で政権運
営をしてきているという見方が強いようだ。
また少し注目すべきなのは「オバマ大統領を個人としてどう見るか」という質問で、政策や大統領
としての職務ぶりとは離れるものであり、少し高い評価になっている。年末に行われた調査で、
「尊敬
するアメリカ人は誰か」というものがあったが、ここではオバマ大統領が 1 位になった。そういう意
味で、個人としてはかなり良い印象を持たれている。
さらに「オバマ大統領と議会に取り組んでもらいたい問題は何か」という問いでは、広い意味での
「経済」という答えが 42%になった。その 1 つのカテゴリーとしては、雇用ないし失業対策が 13%
を占めている。これに対し、オバマ政権が最優先課題として内政で進めてきた健康保険改革を、
「取り
組んでもらいたい問題」として挙げた人は 24%だ。このように、かなりのミスマッチがある。つまり
オバマ政権は、国民の 24%しか関心を持っていない問題に昨年の夏前から全力を注いできたというこ
とだ。一般国民は、
「もう少し違った問題があるのではないか」と認識している。現在の支持率のあり
方を考える上での、1 つヒントがそこにあると言えるのではないか。このほか現在の経済問題につい
て「ブッシュ政権とオバマ政権のどちらに責任があるか」という質問では、
「ブッシュ政権に責任があ
る」と答えた人が多い。この辺や、オバマ大統領が個人としてはかなりよい印象を持たれているとい
う辺りが、今後のことを考えると、オバマ政権にとって少し救いになるのかもしれない。
内政について少し補足をすると、やはり健康保険の問題が大きいと思う。ご存知かと思うが、アメ
リカには皆保険制度が存在せず、現在も 4600 万人以上が無保険者になっている。これらは、必ずし
も低所得者ではない。
高齢者と低所得者には政府の保険があるので、
低所得者より少し上の人を含み、
そのような人に保険を持っていない人が多いということだ。持っていない人の割合は、おそらく 16%
前後と思われる。オバマ政権は皆保険制度を目指して改革に取り組み、夏前から全力を注いできた。
しかし、それに取り組むことによって支持率がどんどん下がっている。
オバマ政権のやり方は、1993、94 年のクリントン政権の逆を行っている。クリントン政権では、
ヒラリー・クリントン現国務長官が座長となり、ホワイト・ハウスで全ての案を作って秘密の会合を
重ね、統一の案を作ってから議会へ持っていき、議会で提案してもらうというやり方だった。しかし、
それをやった結果、民主党の中でも意見がまとまらず、民主党の少し保守的な人や中道的な人たちが
それを支持しなかった。そして結局、民主党の中をまとめることすらできず、廃案になった。オバマ
6
政権はその教訓から、逆を行ったのだろう。あるいはホワイト・ハウスで、
「絶対にこれ」という原則
を決める時間も力もなかったということもあるかと思う。そのため、議会の民主党で「まとまるもの
をまとめてくれ」という形でまとめてもらった。その結果、民主党議員の方から、左派議員による案
や右派議員による案などいろいろ出てきた。特に左派の案はアメリカ人の目から見ると、かなり急進
的で、国が統一的に管理するような案であったり、人工妊娠中絶の手術費用も健康保険でまかなわれ
るというような案だった。したがって、これを捉えて共和党が激しい反対キャンペーンを展開した。
このような意味で、オバマのやり方は、共和党に、そして右派に、付け入る隙を与えてしまった面が
ある。7 月から 9 月にかけて激しい反対キャンペーンが起き、オバマ大統領の支持率は急速に下がっ
てきた。ただ、そのようなやり方をしたため、民主党の中では法案がまとまり、これが下院も上院も
通った。現在は両院の案をすり合わせ、両院協議会で統一の案を作り、もう一度、上・下両院で通せ
ば成立するところまで来ている。
しかし、このような中で今週火曜日に投開票があったマサチューセッツ州の上院の補欠選挙では民
主党が敗れた。これはエドワード・ケネディ氏が長年占めていた議席で、空白になったために補欠選
挙が行われた。つまり民主党の地盤で最も固い地盤だったが、そこで無名の共和党候補が勝ってしま
った。民主党は現在、上院で 59 議席を占めており、ケネディ氏が亡くなったことによって 60 から
59 になったのだが、60 を確保できるかどうかが、この法案を通せるかどうかを決めることになって
いた。しかし、その 60 番目の議席を失ってしまった。したがって上院で反対等の議事妨害を排除し、
同様の案を通すことは今、不可能になっている。このように、健康保険改革ができるかどうかは、ま
すます微妙な状況だ。下院が思い切って譲歩し、上院が可決したものと同じ案を下院で可決すれば成
立する。ただ民主党の下院、特に左派の議員にそこまで譲歩する気があるのかどうかはわからない。
この法案が成立すれば、画期的な成果になると思う。過去には 20 世紀の最初、セオドア・ルーズ
ベルトが提案し、さらにフランクリン・ルーズベルトもこれに触れ、トルーマンも提案してきた。セ
オドア・ルーズベルトは共和党だが、民主党の大統領がずっとやろうとしてできなかったことが初め
てできる、ということになる。それは民主党の下院、特に左派議員の動向にかかっている。
内政では今後のことを考えると、少し軌道修正が必要だと思う。やはりもっと雇用を重視し、雇用
対策に正面から取り組むことが必要だろう。それからやはり、大きな改革を成し遂げる際には、民主
党の票だけで固めるのは難しい面がある。とはいえ、共和党もこれだけイデオロギー的に分極化して
いると、乗ってくるのは難しい。しかしある程度、部分的にでも共和党の協力が必要だろう。
またこれまでオバマ政権は、内政では 1 年目になるべくたくさんのことを成し遂げようとする戦略
だったが、明らかに無理があったという感じがする。大型の景気刺激策を通した辺りまではうまく行
ったが、それは 2 月までだった。やはり危機感がなくなった後は、普通のイデオロギー的な対立が戻
ってきたようだ。おそらく 4 年目までを見据え、優先項目を絞り、地道にやるしかないだろう。大統
領の成功、失敗に関しては、1 年目に法律をたくさん通すというのが 1 つの典型的な成功のモデルだ
が、先ほど触れたレーガンは 6 年目に税制改革という非常に重要な成果を達成している。そしてクリ
ントンについては、4 年目に福祉改革を達成した。したがって、ある意味でそういったものがモデル
になると思う。ちなみに両方の大統領はそれぞれ、再選されている。
外交についても、同様に今は変容の最中にあるように思う。オバマ大統領のアプローチは、最初は
ソフトに相手の言うことを聞くというものだった。
例えば北朝鮮やイランに対しても交渉を呼びかけ、
かなり柔軟なところから出発したと言える。中国に対しても経済的な協力が必要だとしたところから
出発した。ただ、これは相手次第で、北朝鮮もイランもあまり応えてくれなかったと思う。そういう
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プロセスの中で昨年末あたりから、少し変化があったような気がする。例えば中国との関係では、通
商問題がアメリカ側から提起され、またブッシュ政権のときから決まっていた面はあるが、台湾に対
する武器の売却が決定された。さらについ最近起きたことで、1 民間企業の問題のように見えるが、
グーグル撤退の問題もある。これについては 1 月 21 日に行われたクリントン国務長官の演説が、イ
ンターネットの自由に関するかなり強い演説だった。
人権に関しては、
「集会の自由」
なども重要だが、
ブログで言いたいことを書く、あるいは意見を交換するということも同様に重要で、それは我々がど
のような世界に生きるかということを意味している、
「鉄のカーテン」はなくなったが、新たな情報の
時代において事実上のカーテンが降りようとしている、という内容だった。このように、かなりきつ
い表現を使ってこの問題を重視している。この演説には中国の名前、グーグルの名前も入っていた。
そして、「国連の世界人権宣言に違反する行為だ」と批判している。一方、イランに対しては、アメリ
カによる単独の制裁の可能性もあり、財務省を中心に制裁の準備が進んでいるという報道もある。
オバマ政権による外交の成果としては、ロシアとの核兵器削減については比較的うまく行っている
かもしれない。しかし、ソフトなだけではなかなかうまく行かないことを学習しつつあるような気が
する。あるいはひょっとすると、最初は柔らかいところから出発し、次第に強硬になっていくという
戦略だったのかもしれない。国務省とホワイト・ハウスでも若干、トーンの違いがあるようだ。国務
省は最初からやや強硬な側面をもっており、ホワイト・ハウスは最初、どのような国とでも交渉しよ
うという感じだった。しかし、その後についてはやはり、国務省のラインに近づいているかもしれな
い。特にアジアで見ると、中国との関係では、アメリカは最初、相当我慢をして協力的な関係を維持
しようとしていた気がする。しかし、それではなかなか片付かない問題があり、また新しい問題も出
てきたということでややトーンを変えているようだ。
そのような中で、アメリカのアジア外交において、日本が持つ重要性が増していることは否定でき
ないだろう。普天間基地や鳩山政権の問題は、アメリカにとってかなり厄介な問題だが、日本側で 5
月と期限を決めたので、アメリカが納得できるような案を決めてほしいという期待が強いと思う。も
ちろん、この問題で日米関係を決定的に悪化させるのは、アメリカにとっても得策ではない。だから
と言って、
「日本は大事なのだ」ということで、アメリカの足元を見て、いろいろなことをごり押しす
るのが生産的かどうかについては問われるべきだという気がする。
オバマ政権の支持率は 1 年目にかなり落ちてきて、約半分になっている。選挙戦はほぼ完璧だった
が、実際の統治というのは選挙戦よりもはるかに難しい。そのことがわかり、また分極化したアメリ
カの政治を橋渡しするのはもっと難しいとわかった面もある。現在は内政、外交でも、かなりトーン
を変えつつあり、今後も 3 年間見ていく必要がある。先ほど申し上げたように、クリントンやレーガ
ンの例を見ても、1 年目の支持率はそれほど大きな指標にならない。このことも念頭に置いて、見て
いく必要があるかと思う。
(以上、報告)
(北岡・久保両講師との質疑応答)
質問 1:
両先生に伺いたい。アメリカ、あるいは世界の国々では、日本の外交、安保問題はどの程度、関心
を持たれているか。世界の中で客観的に見て、リスクとしての重要性はあるか。ユーラシア・グルー
プの世界における 2010 年のリスクで、米中関係はナンバー1 だったが、日本が 5 位ぐらいだった。
これを見て、
「そこまでなのか」という気がした。もちろん日米のバイラテラルな関係は重大だが、ア
8
メリカがアフガニスタンなどいろいろな問題を含めて考えるとき、どのくらいの重みを持ってこの問
題を考えているか。
もう 1 点、久保先生に質問だが、アフガン問題はどのようになるか。イラクの二の舞を避けるとい
う見方もあるが、保険の問題と同じで、言い出した以上は突っ込んでしまうという観測もある。これ
をどう御覧になっているか、伺いたい。
北岡 伸一 東京大学大学院法学政治学研究科教授:
先週、ワシントンでシンポジウムがあり、日本側は私と岡本行夫氏、アメリカからはリチャード・
アーミテージとビル・ペリーが出たのだが、日本関係のシンポジウムとしては稀に見る盛況で、定員
250 人程度の会場は満員だった。これは 3、4 時間のセミナーだったが、帰る人はほとんどいない状
況だった。私が前から言っているのは、ジャパン・パッシング、
「日本に関する関心がない」と言われ
るが、アメリカが心配するようなことをすれば関心はできるということだ。これが良いかどうかは別
として、アメリカというのはそういう国だ。日本の話が新聞に載らないのは、日本のやっていること
が大体同じだからで、これは当たり前だ。
アメリカにおける反応は、大きく 2 つに分かれている。1 つは、安全保障をこれまで実際に担当し
てきたアーミテージに代表されるような人たちで、かなり厳しい。彼らは「いったい何をしているの
だ。わけがわからない」とあきれているようだ。他方で、ジョゼフ・ナイなどの人たちは、
「60 年ぶ
りの大きな政権交代なのだから、大きな目で見よう」という感じだ。彼らは「普天間基地問題は、死
活問題ではない」としている。私の意見は、この問題自体よりも、これを扱うやり方の問題が非常に
大きいというものだ。
ある私の友人が、
「ご馳走を食べるときの前菜の辺りで、
魚の骨があって喉に刺さったようなものだ」
と面白いことを言っていた。この先にずっとおいしいご馳走、メイン・ディッシュがあるのだが、最
初に喉に骨が刺さってこれが気になり、なかなか食べられないというのに似ているという。これは生
死にかかわる問題ではなく、日米同盟で大きいのはやはり、何といっても横須賀と嘉手納だ。これに
比べれば大したことはないのだが、なかなか解決できない問題で、かつこれまで安全保障関係者が努
力し十数年かけて積み上げてきたものが飛んでしまう可能性がある。今の外交はリーダーが大きく決
めるが、最後はかなり大きな官僚制を動かして進めていく。その人たちが今くたくたになっており、
そういう人たちがそっぽを向くとまずい。
米国務省の中では、まだまだ日本に対する期待がある。日本関係者ではオバマ大統領に対する評価
が高く、
「オバマ大統領はとてもよくわかってくれている」という。このように少し、分極化している。
具体的にはっきり約束したことができなくなるということになればまずいが、日本はまだまだ潜在能
力がある国だと思われている。その日本がしっかりアメリカに協力してくれるか、あるいはあてにな
らないかということにより、アメリカはアジア政策を相当、見直さなければいけない。日本が当てに
ならないとなれば直接、中国と取引を行い、どこかで妥協しなくてはいけない。その妥協のラインは、
日本が当てになるパートナーであるかないかで相当変わってくる。
このため日本のプレゼンスは依然、
重要だと思う。
久保 文明 東京大学大学院法学政治学研究科教授:
オバマ大統領は、2 つの戦争を抱えて就任した。イラクの撤退については、まだイラクでの治安の
不安定はあるが、比較的、公約通りに進んでいる。アフガニスタンについても、ある意味で公約通り
9
に増派しており、それだけでは足りないということで 2 度目の増派を決定した。2011 年 7 月には、
撤退も開始するが、これについてはどのくらいの規模になるかわからない。2 度目の増派は相当厳し
い選択だったようで、むしろ共和党の方が「もっと行け」と言い、民主党の支持基盤の方が「もうや
めろ」
、
「撤退しろ」という感じだった。このように、普通とは異なる圧力を受けている。次に難しい
のは、2011 年 7 月の時点だろう。そのときにまだ治安がよくなっておらず、むしろ悪化しているとな
れば、撤退を開始できるのかと思う。国内的には世論の半分弱ほどしかアフガニスタンでの戦闘を支
持しておらず、国民の半分以下しか支持しない戦争を長く続けられるかというと、アメリカでは非常
に難しい。したがって、決定的な深刻な選択肢は 2011 年に突きつけられる。そのときに、大きな決
断をしなくてはいけないという感じがする。
そして日米関係では例えば、イスラエルの人などが「日米関係はどうなっているのか」と聞いてく
る。なぜそれが心配なのかというと、やはり北朝鮮問題があるからで、中東でもシリアなどが武器輸
出をしている。あるいはシンガポールの人たちも日米関係にかなり関心を持っていて、これはやはり
中国という大きな存在を、ある程度、抑止するということからだろう。あるいは日米関係が揺らいで、
北朝鮮などが予測不能なことを起こすのも困る。そういう意味では日米だけでなく、かなり広く関心
が持たれていると思う。オーストラリアや中東、北大西洋条約機構(NATO)諸国なども、一定の関
心を持っていると見てよいだろう。
質問 2:
日中関係で北岡先生が以前、歴史問題に関する日中の会議を担当されていたと思うが、今はどうな
っているか。
北岡 伸一 東京大学大学院法学政治学研究科教授:
日中歴史共同研究は 2006 年 12 月に始まり、2008 年 8 月ごろに完成させたいと思っていた。これ
は、日中平和友好条約から 30 年だったためだ。2008 年 5 月ごろまでは順調に議論していたが、その
ころから中国側が異論を言うようになった。日中歴史共同研究は、立場が簡単に一致するものではな
いということが最初からわかっていたので、互いに最大公約数を取るというか、日本側の代表的な歴
史カードと中国側の考えを並べてみようとしていた。このようにして、どこが異なりどこが同じかを
考えるところから始めようとした。こういったやり方は、
「平行歴史」といわれる。2 つの論文を書き、
どこが違うかについてサマリー・オブ・ディスカッションを出すもので、よく行われる手法だ。とこ
ろが 2008 年 6、7 月ごろ、中国側が公表したくないと言い始めた。我々も向こうが同意をしなければ
公表できず、中国側はサマリー・オブ・ディスカッション、両者の違いなどを書いたところを「落と
したい」と言ってきたため、議論の末に譲歩して、そこを落とすことにした。しかし向こうはさらに、
「報告を出すのをすべてやめよう」と言い、これはとんでもないことなので、いろいろなやり取りを
して妥協の結果、近現代のうちの戦後編、第二次世界大戦以降について向こうは出したくないという
ことになった。彼らも「政府が」とは言わないが、外部の圧力が、と言い、これはつまり政府のこと
だった。したがって、その部分は出さないことになった。それでもなおかつ何度もやり取りをし、少
人数会議で議論を重ねた。結局、昨年 12 月 24 日に会議を開き、そこで何とか終わりにして出すこと
になった。現在は印刷準備中で、月末に発行されることになっている。学問の自由がない国と議論を
するのは本当に大変だ、というのが私の印象だ。
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質問 3
鳩山首相が提唱している東アジア共同体だが、これについては日本貿易振興機構(JETRO)の出し
ている本などにもかなり出ている。鳩山首相や民主党の方々は、そういった話を読んでいるのかと思
う。マスコミの方に聞いても、
「知らないのではないか」ということだ。その辺について、伺いたい。
北岡 伸一 東京大学大学院法学政治学研究科教授:
読んでいないと思う。東アジア共同体というのは元々、小泉内閣のころに出てきたコンセプトで、
古くは東南アジア諸国連合(ASEAN)+3 で行くのか、アジア太平洋経済協力(APEC)で行くのか
という、長い歴史がある対立する問題だった。我々からすれば、地理的な概念だけにこだわることに
どれだけ意味があるのかと思う。地理的世界は移動にかかる時間等によって変化し、我々が地域秩序
というときには、どういう原則に立脚するのかという問いが、必ず必要だろう。その中に我々は人権、
自由、民主主義という価値をある程度、入れたい。鳩山首相もそう思っているのだろう。したがって、
オーストラリア、ニュージーランド、インドも入っている。しかし、中国は「インドは東アジアでは
ない。オーストラリア、ニュージーランドも違う」とし、当惑しているようだ。大きな声は聞こえず
わからないが、ASEAN があり、インドがあるのになぜバングラデシュが入っていないのかもよくわ
からない。彼が言っているのは、この地域の経済統合、相互依存をもっと深めたい、広くインドから
アメリカまで、アメリカについては明示していないが、そういった自由主義の国を含むもので行きた
いということだろう。ただ具体的に何をするのかというところまで、まだアイディアになっていない
段階ではないか。根源にある発想は悪いものではないと思うが、多くの政策は、発想は良くても具体
化でつまずくものだ。そこのところで、十分な知恵を集めてやっていただきたいと思う。
久保 文明 東京大学大学院法学政治学研究科教授:
きょうの日本経済新聞に出ていたようだが、東アジア共同体について、鳩山首相が周囲の人に「そ
ろそろ内容を詰めてくれ」と言ったとのこと。やはり具体案はなかったようだ。アメリカがこれを重
視していることは確かで、オバマ大統領は鳩山首相との首脳会談で、
「アメリカもここに入りたい」と
いうことを強調していた。
(以上、質疑応答)
報告 3「日米の新政権に向き合う中国」
高原 明生 東京大学大学院法学政治学研究科教授
まず、日本の新政権に対する中国の対応についてお話ししたい。私は中国の外交や政治を専門とし
ているが、その立場からしても、やはり経済が重要だと感じる。中国の対日政策、対米政策には、内
政の影が非常に色濃く落ちている。内政の問題で最も重要なのは、今の政治的安定、社会的安定をど
のように保っていくかだ。また、それと絡んで 2012 年の党大会で、人事がどのようになるかという
権力闘争がある。これらの問題に最も大きなインパクトを及ぼすのは、実は経済がどうなるかだ。
東アジア共同体や日米同盟について、中国がどのように思っているのかという点から始めたい。今
もいろいろなお話があったように、鳩山由起夫首相は「友愛」という理念を提示し、東アジア共同体
を形成する提案をされている。これは、中国にも直接かかわる話だ。具体的な内容がわからないこと
11
もあり、中国側は最初、かなり緊張して身構え、あまり直接的に反応していなかった。鳩山首相は就
任後まもなく、ニューヨークで中国の胡錦濤国家主席と会談し、そこで直接「一緒に東アジア共同体
を構築していきましょう」と提案したが、会談で胡錦濤国家主席は何も反応しなかった。
東アジア共同体という概念の提示は鳩山首相から始まった訳ではなく、正式な演説に入ったのは、
2002 年 1 月のシンガポールにおける小泉演説が最初だ。また、実は「この提案は我々の方が先にや
っているのだ」というコメントが、中国外交部から出たりもしている。では鳩山首相のアイディアと
して何がユニークなのかというと、曖昧模糊ではあるが「友愛」という概念を提示し、それを「東ア
ジア共同体の理念的な核としたい」と言った点だ。これについては東アジア共同体論の発展史という
ものがあるとすれば、その中で重要な一段階を築く提案と評価してよいだろう。具体的な内容につい
ては、今後詰めていかなくてはならないが、いずれ今の地域統合の流れが発展していく。そして共同
体の定義にもよるが、
共同体的な統合の深まりが進んでいく際、
ではどの国がどういう理念を提示し、
そのまとまりの核としていくのかというのは競争があり得るところで、日本が一歩先んじたことにな
る。
誰が理念を提示するかというアジェンダの存在については、日本の中でも数年前から気付いている
人たちがいた。例えば、小泉純一郎元首相の下には文化外交に関する懇談会があったが、そこでも外
務省の一部の人たちや委員らは相当この問題を意識して理念を考えようとした。そのときに出された
理念とは何だったかというと、
「和と共生」だ。
「和」は英語で言えば harmony で、
「共生」について
は coexistence などいろいろな翻訳がある。そういった概念を日本として提示するのが良いのではな
いかと提言したことがある。しかしおそらく、民主党の政治家たちはそれを読んでいないだろう。
そういった過去の経緯にやや携わった立場からすると、このような理念の提示は非常に正しい。間
接的に聞いた話だが、中曽根康弘元首相もこれを非常に評価しており、政治というのは言葉だ、方向
性や概念、言葉を示すことが政治だとしていた。私もそう思う。
鳩山首相は例えばシンガポールでアジア政策演説を行い、「友愛」とはどういうことかを説明されて
いる。しかし非常に不幸なことに、日本のメディアはそういうことを全く取り上げない。もう少し、
彼なりの説明を一般大衆に伝えてもよいのではないか。東アジア共同体構築についての首相の構想だ
が、
私なりの理解を簡単に言うと、
今いろいろな分野において機能別に出来始めているネットワーク、
フレームワークがある。そしてこれを発展させていくと、最終的には共同体ができるだろうという、
非常に常識的な話だ。したがって、驚くことや感心することはあまりないのかもしれない。また「友
愛」というのは、
「他者の文化を尊重すること」という説明もある。それを「友愛」と呼ぶものかどう
か首をかしげるところはあるが、このように全く説明がない訳ではない。彼なりにこのように言って
いるのだということを、
一般の日本人はあまりにも知らないのではないか。
あるいは政治家としては、
そういった宣伝をうまく行わなければならず、説明不足だとの批判は仕方がないかと思う。
中国側の対応については先にも述べたように、最初は「先に言われてしまった」という感じだった。
先にこのようなことを言われ、主導権を取られたということだ。彼らも東アジア共同体、あるいは言
葉は何でも良いのだが、東アジアの統合を、できれば自分たちで主導したいと思っている。
「ASEAN
のリーダーシップの下で」というのが表向きの言い方だが、本音を言えばやはり、主導権は手放した
くない。特に日本に主導権を取られるようなことは望ましくない、というのが常識だと思う。ただ落
ち着いて話を聞いてみると、中身については日本側にそれほど新しいアイディアがなさそうだという
ことで、今はやや落ち着いてどのように対応していくかを考え始めている段階ではないか。
そうこうしているうちに、日米関係がいろいろな問題をはらんできた。これに中国側がどう反応し
12
ているかというと、新聞によっては日米間のぎくしゃくした関係を中国は大変喜んでいるという報道
もあり、そのような印象を持つ人もいるかもしれない。ただ中国は一枚岩ではなく、どちらかという
と主流の反応は、
「あまり日米関係がおかしくなると困る」というものではないか。やはり中国にとっ
ては、今の日米同盟によってもたらされている西太平洋地域、東アジアの安定は大変貴重な資産だ。
そして中国にとって最大の課題は、相変わらず経済発展だ。規模的には日本を追い越すと言っても、
日本の人口は中国の 10 分の 1 で、中国の国民 1 人当たりの国内総生産(GDP)は、まだ日本の 10
分の 1 ということだ。そして自分たちは日米軍事同盟がもたらしている平和を享受しているのだとい
う認識は、かなり深く浸透していると思う。したがって、日米関係については、やや心配していると
いうのが主流の反応ではないか。
鳩山政権の下で実力者といわれる小沢一郎氏が 143 人の国会議員と共に訪中し、世界の注目すると
ころになった。これはかなりシンボリックな、メッセージ性のある行為であったことは間違いない。
そして次のトップ・リーダーだとみられる習近平国家副主席が来日した際、宮内庁の内規をくつがえ
して天皇陛下との会見を実現させたことも、ある種のメッセージ性がある行為として受け止められた
と思う。そういったことだけを取り上げると、非常に親中、親アジアの政権で、アメリカとのバラン
スでは、アメリカの方に乗っていた重石をアジアへ移し変えようとしている、という印象を与えてい
ることは間違いない。しかし、鳩山首相にせよ、小沢氏にせよ、岡田外相にせよ、彼らの発言を検証
してみると、必ずしも中国に対して良いことばかり言っている訳ではない。
私は 1 つの特徴として、今の政権の人たちは大変率直にものを言う人だという気がする。どこまで
深慮遠謀があってのことかはわからないが、思ったことをかなりはっきり言う人たちという印象だ。
鳩山首相がバリ島で民主主義と人権のことを言ったり、小沢幹事長が北京で軍拡への懸念をはっきり
表明したりする。またウルムチでの騒動後、カンボジアへウィグル族の人たちが何人か逃げており、
カンボジア政府が中国政府の要請を受けて、そのうち 20 人を強制的に中国へ送り返した。これに対
しても、岡田外相が遺憾の意を表明している。あるいはグーグル問題でも外相はコメントを出してお
り、さらに先般、中国の外務大臣に当たる外交部長が来日したときには「東シナ海の共同開発の合意
が前からあるので、これを早く実施するように」とも言っている。このように、日本の民主党政権の
姿勢を一面だけから見ると判断を誤るという気がする。
他方、アメリカのオバマ政権についてだが、過去 1 年の政権の滑り出しは、中国に対して大変優し
かったという気がする。実はオバマ政権になってから中国に対して遠慮し始めたというよりは、ブッ
シュ政権の途中から、中国に対し「そこまで遠慮するのか」といった印象を日本の中国専門家の多く
が持っていたと思う。これについて中国側はもちろん歓迎だったが、その一方で中国は、アメリカ側
が意図したような積極的な反応を必ずしもしていなかったと思う。これに対するイライラがあり、台
湾への武器輸出、ダライ・ラマとの会見、為替・通商政策への不満表出、グーグル問題の発生とイン
ターネット規制への批判など、昨年末以降はいくつかの事件が噴出したという印象だ。どうも昨年と
は異なり、今年は米中関係がぎくしゃくしそうだと感じさせるいくつもの事件が起きている。その中
で中国は、問題が起き始めた米中関係をどうハンドルするのかという問いが立つ。
私は中国の外交政策が大きく分けて 2 つの考え方に分かれているのではないか、その違いが表面化
するようになっているのではないか、という印象を持っている。一方においては、大国間外交重視グ
ループというか、大国の中でも最も重要な国はアメリカだが、そのアメリカとの関係をしっかりと築
いていく、あるいは対米外交をしっかりやっていけば中国の利益は実現できるという発想を強くする
人たちがいる。そして、
「いや、やはりアジアだ」とし、東アジアをしっかり固め、米、欧、東アジア
13
という三極体制で世界をマネージしていこうというグループがある。前のグループがこれを軽視する
という訳ではないが、力点の違いがかなり感じられる。これまでは比較的、大国グループが政策決定
のイニシアティブを持っていたような印象だが、米中間がぎくしゃくしてくると中国の東アジアへの
回帰のようなことが前面に出てくるのではないか。これが今日の時点で、今年の中国外交を展望する
上での私の予測となる。
報告 4「国際金融危機後の中国経済」
大橋 英夫 専修大学経済学部教授
昨日、中国の国家統計局から、昨年の中国の経済成長率について公告があり、8.7%という数字が出
た。この数字自体は大体、予想通りというところだ。昨年の今ごろは、
「2009 年はどうなるだろうか」
と考えていたので、
そこから考えるとやはりV 字型の急速な回復が実現されたと言ってよいかと思う。
昨日の記者会見では、この経済成長率に関する消費、投資、純輸出といった各構成要素の成長寄与
度については、
「今日は発表しない」ということだった。しかし「第 3 四半期までと大体、同じだ」
と発表されている。第 3 四半期までの数字を見ると、昨年の成長を支えたのは投資であり、消費につ
いてはここ数年あまりぱっとしていない。そして最も目に付くのは、純輸出が大きく落ちていること
だ。要するに、外需が成長率を大きく引き摺り下ろしていることになる。
地区別の経済成長に関するデータを見ると、一番成長しているのは内蒙古、天津、広西、四川、重
慶で、天津は少し異なるが、いずれも内陸、あるいは、これまではあまり成長が見込めず足を引っ張
っていた地域が、今では経済成長の最前線に来ている。逆に、あまり成長の良くないところに上海、
浙江、広東といった、これまでの経済成長の牽引者が来ている。つまり、輸出と投資で伸びてきた地
域は、
昨年はさっぱりだめだったということになる。
これは世界的な傾向であり仕方のないことだが、
輸出が大きく足を引っ張ったことになる。しかしながら、結果としては 8.7%という高い経済成長を
達成している。
かつて日本で「官製」不況という言葉があったが、私自身は昨年の中国の状況は、政府を中心とす
る政策が成し遂げた「官製」景気回復と見ている。
「積極的な財政政策」と「適度に緩和的な金融政策」
といった内容で、4 兆元の景気刺激策を打ち出し、空前の金融緩和を行った。金融緩和については「適
度」どころか超緩和状態で、昨年初めの数ヵ月で前年 1 年分の銀行融資を一気に出してしまった。そ
れに加えて、家電や自動車を農村に普及させるプログラムなどのいろいろな産業振興政策があり、世
界貿易機関(WTO)で少し問題になったが、
「愛国消費運動」という言葉もみられた。このように、
内需拡大の刺激策が採られてきた。
ただ中国の金融指標は、必ずしも正確に経済情勢を反映しているわけではない。そして 1 年前が非
常に混乱状況にあったので、それを基準とした経済指標で判断してよいものかというと、やはり迷っ
てしまう。結局、昨年の中国経済を見るときに、私の場合、何が最も役立ったかというと、やはりモ
ノの動きだった。具体的に言うと、原油、鉄鉱石、銅など一次産品の価格が上がると、どうやら中国
が買い付けているという感じだった。日本から言うと、鉄鋼や建設機械の動き、そして液晶、半導体
もそうだが、こういったものが中国経済を見る場合に非常に参考になった。また、モノを運んでいる
海運の運賃指数でバルチック指数というのがあるが、こういった指標も非常に参考になる。さらに中
国経済への依存度が非常に高い韓国や台湾の対中輸出を見ると、どうやら中国経済が急速に動き始め
14
ていることがわかった。特に昨年の春ごろから、その傾向は顕著となった。しかしながら外需に関し
ては、世界経済そのものが低調であるために、それほどでもない。中国の輸出を昨年 1 年にわたって
見ると、量はかなり増えているが、価格は伸びていない。おそらく、単価を落としてでも、輸出を増
やしていったということが考えられる。これは簡単に言えば、欧米市場ではない新興市場に、より安
価なものを売り出していたという感じだ。
いずれにせよ、
「官製」景気回復が見事に成功し、拡張的な財政政策と空前規模の金融緩和によって
中国経済は 8.7%に戻った。しかし、そのツケは大きく、かつて日銀の速水優総裁が言ったように資
金は「ジャブジャブ」の状況だ。そのような中、相当規模の資金が限られた投資先である不動産、あ
るいは株式市場に流れ込んでいる。昨年の不動産市場は、前半は低迷、後半は稀に見る好景気だった。
いわゆる市場取引がなされている商品住宅などの販売額は、前年比で 75%増となっている。これは異
常な動きである。株式市場は 2007 年 10 月の 6000 台のピークと比べると、今はまだその半分強の水
準だが、時価総額はそろそろ東京市場を上回る規模になってきている。また企業の時価総額の世界ラ
ンキングを見ると、ペトロチャイナや工商銀行が上位に位置している。そういう訳で、資産バブルの
懸念が払拭できない。インフレについては、昨年、通年では消費者物価がマイナスになったが、年末
にかけて徐々に上昇し始めている。したがって、インフレも非常に懸念される材料だ。
中国では毎年、翌年の経済政策を決める中央経済工作会議が開かれており、昨年も 12 月初めにも
開催された。そこでは引き続き、
「積極的な財政政策」と「適度に緩和的な金融政策」が維持されるこ
とになった。しかしながら中央銀行である人民銀行の動きを見ると、かなり「出口戦略」に近付いて
いていることは明らかだ。昨年秋ごろから、
「物価の番人」である人民銀行は、売りオペレーションに
より流動性を回収している。なかでも、大きな転機になったのは、今年 1 月 12 日の預金準備率の 0.5
ポイントの引き上げだ。もちろん利上げについては、人民元は米ドルにペッグしているので、アメリ
カが引き上げない限り、今のところ引き上げの見込みはないだろう。しかし、明らかにシグナルが出
ている。そして不動産市場に対する優遇措置を取り払う、監督管理を強めていくという方針も昨年末
に打ち出された。このように、いよいよ中国も事実上、
「出口戦略」に入ってきたというのが現状だ。
この 1 年の成果は大きいが、残された問題もきわめて大きい。中国は 2003 年から 2007 年まで、5
年連続の 2 桁成長を実現した。そして、その過程で景気が過熱してしまい、マネーが溢れんばかりに
中国市場を覆ってしまった。その結果、引き締め型の戦略に入ろうかという矢先に、リーマン・ショ
ックが起きた。現行の第 11 次 5 ヵ年計画では内需主導型の成長を打ち出しているが、2005 年ごろか
ら純輸出の成長寄与度が非常に高くなっている。そして貿易摩擦、外貨準備の急増といった問題に直
面し、内需志向、あるいは投資よりも消費で経済成長を目指そうということになった。しかしご承知
のように、昨年来の政策は、それとは全く反対の投資主導になっている。投資中心であっても、もう
少し一般の人たちのセーフティー・ネットに関連してくれば、将来的な消費につながるのかもしれな
いが、残念ながら、コンクリート中心の投資主導型成長である。
同様に、輸出振興策もかなりの程度まで「復活」している。2005 年から 2007 年にかけては、加工
貿易を少し抑制しよう、また輸出振興策の 1 つである輸出付加価値税の戻し税制度の税率を低くして
いこうということで、輸出をむしろ抑える政策が採られてきた。しかし 2008 年夏になると、労働契
約法の導入や最低賃金の引き上げ、資源価格の高騰や人民元高の容認などから、輸出産業の中小企業
が非常に困窮し、銀行も引き締めで資金が回らず、資金繰りが困難となった輸出企業が続出した。そ
こで、輸出付加価値税戻し税率の引き上げといった輸出振興策が採られた。そして人民元のレートに
ついては、再び米ドルにペッグする方針に変わっていった。まさに、輸出振興策の「復活」となった。
15
しかしながら、
「復活」したとはいえ、世界経済がこの情勢なので必ずしも輸出拡大につながった訳で
はない。
また積極的な財政政策と同時に、国有企業はかなり優遇されることとなった。中国は民営企業を経
済成長の核心にしていきたいという考え方を、つい数年前までは持っていたのだが、優遇政策や内需
拡大策の中心に国有企業が置かれることになった。そして、これまで非常に良いパフォーマンスを示
してきた民営企業を、国有企業が買収するようなことが始まった。これは今後の市場経済化を考える
と、なかなか重大な問題だ。
そして、おそらく今後は構造調整の遅れが大きな問題になってくるだろう。具体的には、過剰生産
能力の問題である。この間に、本来ならば構造調整をしっかり行っておくべきだったのだろうが、景
気が大幅に後退したので慌てて資金を投入し、鉄鋼、セメント、その他の産業が、過剰な生産能力を
抱えるようになった。8%成長を確保することは確かに重要であるかもしれないが、本来ならば、こ
の間に、既に存在していた過剰生産能力を確実に淘汰し、もう少し効率の良い産業構造に変えておく
べきだった。今から言えばそういうことになるのだろうが、こうした情勢がここ 1 年続いてきた。
結果として、中国が 8∼9%の成長を続け、世界経済のもう 1 つの核になるということは、隣国の経
済にとって、
それはそれで望ましい姿といえよう。
しかし中国の経済運営そのものについて考えると、
この 1 年半余りの政策についてはかなりの疑問符を付けざるを得ない。これまで 30 年かけて行って
きた経済改革を、かなり逆行させた 1 年半、2 年だったという気がしてならない。危機に際して政府
が介入主義的な政策を採るのはどこの国でも同じだが、中国の場合はあまりに財政主導型であり、政
府主導型である。
今回の「適度に緩和的な金融政策」では、リーマン・ショックが発覚した直後、2008 年 9 月 15 日
に人民銀行が利下げに走った。ただ、それでもなかなかマネーが市場に出ず、決定的に重要だったの
は、実は 11 月末に中国が窓口規制を撤廃したことだ。結局、中国では今も政府の「鶴の一声」でマ
ネー・サプライも変えられる状況があるのだろう。このような政策が、この 1 年半から 2 年にかけて
続けられたことが、将来を考えると、やや暗い影を落とすのではなかろうか。昨年の今ごろであれば、
有り余る資源をふんだんに行使して景気回復を図るのが、ベスト・シナリオであったかもしれない。
しかしながら、そのツケはこれからしばらく続くと考えられる。かなりの微調整を必要とする経済運
営に関して言えば、金融危機に揺れた昨年よりも今年の方がはるかに難しい時期に差し掛かっている
ということだ
16
報告 5「海賊対策と日本の対応」
佐藤 考一 桜美林大学リベラルアーツ学群教授
海賊というのは、あまり馴染みがない言葉だ。まずは海賊の定義と海賊事件の実態把握の困難性に
ついて、お話しする。国連海洋法条約における海賊の定義は、
「公海上での私的目的による民間船舶お
よび航空機の乗員あるいは旅客による、他の船舶、航空機やその乗員、旅客に対する違法な暴力行為、
拘束、略奪を指す」となっている。逆に言えば、いずれかの国の管轄水域の下で行われるものは、海
賊ではなく武装強盗になる。したがって、英語ではこれらを piracy と armed robbery に分けている。
国連海洋法条約ではこのようになっており、
インドネシアなどは最近、
「マラッカ海峡などの辺りは皆、
自分たちの領海であり、海賊行為 (piracy) を行う者はいない」と言って物議を醸している。ずっと
公海上にいる海賊というのはあり得ず、また被害者側から見れば、公海上でも、どこかの国の管轄水
域でも関係ない。このため民間団体の国際商工会議所国際海事局(IMB、本部・ロンドン)による定
義は、
公海上の海賊と武装強盗を 1 つの括りで piracy and armed robbery として扱っている。
私も統計においては、こちらを使いたいと思っている。
アジアから見ていくと、東南アジアでは 2008 年の発生件数が 65 件となっているが、海賊事件では
実態把握が難しい。まず、届け出がないものがかなりあるためだ。この 65 件のうちハイジャックや
船員が拉致された、あるいは船が行方不明になったというような大きな事件は非常に少なく、2、3 件
にとどまっている。残りはほとんどがコソ泥で、
「コンテナの鍵を 1 つ壊された」
、
「乗っている船員
の持ち物やお金を少し取られた」という類だ。これらについて届けると、最寄りの海上保安機関が来
て現場検証などを行うため、船の航程が大幅に遅れてしまう。船は一定の期限に到着するという約束
で荷主から積荷を預かっているため、航程が遅れることは大きな問題だ。したがって、船主には「ど
こで襲われ、何を取られた」と話しても、公の機関には伝えないケースが多い。また拉致をされたり
した場合には、水面下で人質の解放交渉をするケースが多く、官権を交えると危害を加えられること
がある。数年前に、マラッカ海峡で「韋駄天」という日本のタグボートが被害に遭ったが、このとき
も水面下で交渉が行われた。
このように、まず届け出が少なく、どの程度の被害金額があるかについてもあまり表へ出たことが
ない。東南アジアの海賊は、犯行形態を見ると小グループで窃盗が中心だ。襲撃時の船舶の状態を見
ると、錨泊中(沖待ち)と航行中が半々なのだが、錨泊中のケースが若干多い。港で荷物を降ろすた
め、あるいは積むために、港へ入る順番を待っている。そして沖合で夜間に錨を降ろしていると、船
尾から小さな船が寄ってきて海賊行為を働くケースが多い。一方、航行中の場合は高速艇で襲い掛か
ってきて、ハイジャックのような大きな事件になるケースがある。東南アジアのケースは通常、武器
は破壊力が小さいもので、銃器を持っているのは 16.9%に過ぎず、棍棒や刃物などを持ってくるケー
スが多いようだ。
これらへの対策として、各国の海上保安機関や一部海軍が専門家の集団としてある。専門家集団が
集まり、何か問題が起きた際には、それに対する基準を作ったりする。対策への価値観などを共有す
ることになると、知識共同体(epistemic community)といわれるものになる。このようにして、民
間団体の IMB、そしてアジア海賊対策地域協力協定
(ReCAAP)などができている。2001 年の ASEAN
(東南アジア諸国連合)+3 非公式首脳会議で日本の小泉純一郎首相が提案し、アジア海賊対策地域
協力協定海賊情報共有センターがシンガポールに設置され、活動している。具体的には各国とも 1 ヵ
所のフォーカル・ポイントを決め、そこに情報を集めて皆で共有する、そしてデータを集めるといっ
17
たことをしている。現在の事務局長は日本の外務省から出行している伊藤嘉章氏で、もう 1 人、松吉
慎一郎事務局長補(海上保安庁の専門家)
、がおられる。このように、日本人が中心になって運営して
いる。
ちなみに日本では、基本的に海の国防案件は海上自衛隊が、残りについては海上保安庁が担当して
いる。海上保安庁の観閲式に行くと、意外に海にかかわっている役所が多いことがわかる。他にも警
視庁、消防庁、水産庁や税関も、船を持っている。日本の場合は、海上保安庁に権限をすべて集めて
いるような状態で、水産庁の船が不審船などを見つけると、すぐに海上保安庁へ連絡し、海上保安庁
の船や航空機がこれを追いかけることになる。一方、海外では、このような一元的な管理がなかなか
できておらず、互いにセクショナリズムのために協力しないケースもあって難しい。したがって、そ
れを今、1 つにまとめていこうとしている。ASEAN が会議外交の主催者になり、そこへ日本や中国、
韓国なども入って、皆で行っている。そして法執行、機能協力を進めていく訳だが、日本の場合は警
察官職務執行法が元になり、法律上の案件に対処することになっている。そして共同パトロールや緊
急連絡網の整備、海上保安機関の統合などを少しずつ進める。日本の海上保安庁の例がモデルになっ
ており、海上保安庁から ASEAN 諸国へ専門家を派遣、保安機関の統合を支援している。東南アジア
は、このような会議外交と知識共同体のセットで、成果が上がり、海賊事件はかなり減ってきている。
それに対し、現在、注目されているのはソマリアだ。ソマリアでは 2008 年の海賊発生件数が 111
件で、個々の事件の被害金額は多額、犯行形態は組織化されたハイジャック、人質を取っての身代金
要求という事件が多い。そして航行中に襲われ、海賊は破壊力の大きい武器や銃器、ロケットランチ
ャー(RPG)を持っているといわれる。この 111 件を平均すると、1 件当たりの被害額は約 1 億円だ。
要するに、船を丸ごと、船員も積み荷も取られてしまう。民間団体の IMB はこれに対し、相当前か
らコミットしており、IMB を中継して商船から軍艦に無線で連絡するということも行っている。今は
各国の海軍が出ているので、国連を通じてアジア海賊対策地域協力協定と同様の協定を結び、海賊情
報共有センターを作ろうという動きが始まっている。法令で言うと、国連決議や条約などで、軍事協
力の形になる。そしてソマリアでは、単独で護送したり、一部軍事協定によって合同で海域を護衛す
ることを一生懸命行っている。
一方、東南アジアにおける 2008 年の海賊の発生を見ると、海域が広くて警備船艇が足りないイン
ドネシアが一番多かった。またパトロールが増えたマラッカ海峡では減り、シンガポール海峡、リア
ウ海域に被害が集中するようになっている。全体の件数は減っているが、このような状況だ。シンガ
ポール政府は陸、海、空軍の部隊を統合し、海賊やテロに対処するタスクフォースを作っている。世
界全体ではそのほか、ソマリア沖のアデン湾において海賊事件の発生が多く、これは約 900 キロ、日
本の下北半島から御前崎ぐらいの範囲だと思う。アデン湾の海賊が出る範囲と、マラッカ海峡での範
囲は同じぐらいだが、
マラッカ海峡の方が少し長く約 960 キロになっている。
アデン湾では一昨年は、
92 件の被害があったという。
一方、どのような船が狙われるのかだが、船種を見ると、ばら積み貨物船が多い。そして、タンカ
ーが狙われるケースもかなり多い。しかし、IMB の専門家に聞くと、どの船が狙われるということは、
現在はあまりないそうだ。以前は例えば、東南アジアではアルミのインゴットなど、金になりそうな
ものを積んでいる船を狙うシンジケート型の海賊がいたそうだが、今はそうではないという。どちら
かというと、近づいてきた船で舷が低く、速度が遅いものが襲われるという。ばら積み貨物船とは、
梱包せずに船倉にざっと鉱石や穀物を入れるような船で、かなり重いものを積める。そしてかなり沈
むので、舷が低くなる。また伝馬船(バルジ)を引っ張るような速度の遅いタグボート、オイルリグ
18
を引っ張るような船が狙われるケースが多い。海賊対策として、船にも「警備の甲板要員を増やしな
さい」
、
「圧力ホースを備えなさい」などのいろいろな警告がなされている。また海賊が万一、船に乗
り移ってきたときには、
「船室にこもり、
船室をロックして無線で救助を求めなさい」
と指導している。
一方、国際協力はどのように進められてきたかというと、まずはアジアで始まった。1999 年の日本・
ASEAN 首脳会議で、当時の小渕恵三総理が「海賊対策国際会議を開こう」と言い、2000 年から 2004
年まで開かれて、現在のアジア海上保安機関長官級会合になった。ASEAN 地域フォーラムや ASEAN
国防相会議というのはあるが、アジア太平洋全域の国防相などを集める公式会合はまだない。非公式
にシャングリア・ダイアローグというのがある程度だ。アジア海上保安機関長官級会合の方が、先に
できた。これについても日本の海上保安庁がイニシアティブを取って一生懸命行い、会議外交にうま
く乗せて ASEAN 側に花を持たせてやっている。それから先ほど申し上げたように、アジア海賊対策
地域協力協定ができた。
このほか東南アジアでは、マラッカ海峡で同時に各国が自分の領海をパトロールする方式の「共同
パトロール」や、インドネシア海軍が単独で自国領海をパトロールするといった方法で海賊に対処し
ている。そして日本の海上保安庁は、各国内の海上保安機関の統合を支援している。さらにインドネ
シアには、巡視船を 3 隻供与している。これについては軍に渡す訳にはいかず、海上警察に渡すこと
になったようだ。
ソマリアについては、2008 年 10 月、12 月にソマリアの海賊に関する国連決議がなされ、
「ソマリ
ア沖の公海、そしてソマリアの領海で海賊を追跡しても良い」
、
「各国の海軍は出てきてください」と
いうことになった。2008 年以降、欧州連合(EU)
、アメリカ、インド、中国が海軍を出すようにな
り、日本も 2009 年 3 月に、2 隻の護衛艦をアデン湾へ派遣している。これには海上自衛隊と海上保
安庁から計 400 名を出しており、8 名の海上保安官が乗っている。その成果については 2009 年 4 月
から 12 月までの統計が防衛省のホームページに出ており、506 隻の船を護衛したという。ちなみに
この中で、日本船籍の船は 10 隻しかなかった。年間では、675 隻程度になる。日本船籍の船は現在、
非常に少なく、1974 年時点では 1580 隻あったそうだが、2006 年の統計では 95 隻しかない。多くの
船は便宜置籍船で、外国船籍だ。日本関係船舶では大体、アデン湾を年間 2000 隻ぐらいが通るとい
い、それを考慮すると少なく見えるが、これにはいくつか理由がある。日本が派遣している護衛艦は
2 隻しかなく、アデン湾を往復するためには 4 日必要だ。片道 900 キロを 2 日ほどで航行しており、
護衛の日程に合うように商船が航程を組んでくれれば良いのだが、
なかなかそれはできない。
これは、
積荷を早く運びたいということからだ。そこで自衛隊、海上保安庁としては、できることを一生懸命
やっているのだが、護衛しきれないケースも出てくる。現在は、アジアで成功した海賊情報共有セン
ター、訓練センターを、イエメン、ケニア、タンザニア、ジブチで作り、しっかりやろうとしている。
最後に課題と展望だが、課題の 1 番目は、まず軍艦が不足しているということだ。各国でもっと船
を出してほしいというのが、国連や民間からの声だそうだが、これはなかなか難しい。日本は 2 隻出
しており、シンガポールのような小さな国も大型の 6000 トンぐらいの揚陸艦にヘリコプターを 2 隻
積んで出している。しかし、もっと船を出してほしいというのが、商船を運営している会社の方々の
切なる願いのようだ。そして 2 番目は、法律の整備をしっかりする前に、自衛隊に「出ていきなさい」
と言わざるを得なかったことだ。海賊対処法はかなり遅くなってからでき、今は海賊対処法ができて
いても、元の法律が警察官職務執行法なので攻撃という概念がない。国内における警察官職務執行法
には、公務執行妨害と正当防衛、緊急避難しかなく、また緊急避難というのはなかなか使えない。そ
して公務執行妨害は、相手が日本国民ではなく、日本の管轄地域でもないので難しい。すると残りは
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正当防衛しかないが、これは攻撃されなければ対処できないということに近い。
「海賊が軍艦を見ると
逃げる」という想定に立って、ルール・オブ・エンゲージメントなども出来上がっており、
「これはひ
どいのではないか」と聞いたところ、自衛隊の方は笑っていた。法律をもう少し整備して、万が一、
相手が撃ってきそうなときには抑止するための手段を取れるよう考えていただきたい。そしてこれは
一番、声を大きくして言いたいのだが、こういう業務に携わっている自衛官や海上保安官の生命保険
や傷害保険はすべて私費でまかなわれている。このように、非常にひどい状況だ。自衛隊はどうも目
の敵にされている。私は長く付き合っているので頭に来ているのだが、警察予備隊時代から 1805 名
の殉職者が出ている。この方たちは戦争をした訳ではない。
「ほめてくれ」とは言わないが、もう少し
安心して仕事ができるよう、メディアでも訴えていただきたい。海上保安官でも、かなりの殉職者が
出ている。密漁船などを拿捕するときに並べて停船させ、乗り移る瞬間にエンジンをかけて逃げるの
だそうだ。そして海へ落ちて、密漁船のスクリューで切られて亡くなった方がかなりいる。どちらも
非常に辛いことだ。
現場の方に聞くと、
「自分で選んだ職業だから」
「自分はどんな保険にも入れない、
、
すごい仕事をしている」などと言われ、モラルの高さは頼もしいが、少し感覚が麻痺しているのかと
も思う。これについては現場の方ではなく、キャリア官僚の方と政治家の方に大所高所から、ぜひお
考えいただきたい。
またソマリアへ出てきても、各国との法的な連携は難しい。海賊を万一、捕まえたらどうするかだ
が、日本の場合は日本へ連れ帰り、日本で裁判にかけるという想定のようだ。そして、ケニアや近隣
の国に裁判で預けているケースもある。アメリカも自分の国に連れて帰っているようだ。この辺に関
する情報交換でも、もう少し法的な連携ができないものかと思う。さらにソマリアの再建支援も非常
に重い課題で、これをやらなければ海賊もいなくならない。この辺についてはまた「自衛隊を出せ」
という話になるのだろうから、もう少し自衛隊員の身を守れるような法律を整備してほしい。そして
各国との法的連携は、集団的安全保障の問題ともかかわりがあるので、しっかり議論しなくてはいけ
ないと思う。
ただ、明るい話題もある。展望としては、他国との新しい信頼関係の可能性が出てきている。特に
昨年、観艦式のころに新鋭艦「ひゅうが」で、自衛隊のソマリアでの活躍についての展示を見たのだ
が、中国の民間の商船から、日本の護衛艦に守ってもらったことに対する感謝状が来ていた。逆に、
日本の商船が中国の軍艦に守ってもらうこともあると思う。先ほど、北岡先生が「遠くの方で話をす
ると仲良くなれるのではないか」とおっしゃっていたが、互いに「あいつら、結構まともじゃないか」
という意識が出てくると、日中関係もかなり変わってくるだろう。また防衛省と海上保安庁は、訓練
については従来も一緒にやっていたが、今回は実践的な分野における初めての協力になっている。こ
れは非常に良いことだと思う。
会議外交と知識共同体による非伝統的安全保障問題への対処の効果がアジアでうまく行き、国連を
巻き込んで国連の会議外交と世界的な海上保安組織の連合でうまくできないかと思う。一応、私はこ
れで非伝統的安全保障問題に対処できるという仮説を立てている。
(以上、報告)
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報告 6「北朝鮮問題の行方−米朝、日朝、6 者協議」
平岩 俊司 静岡県立大学大学院国際関係学研究科教授
本日のテーマは「北朝鮮問題の行方−米朝、日朝、6 者協議」ということだが、その内容については
4 点ほどある。それらは核問題と 6 者協議の行方、そして後継問題を含めた体制維持問題、そしてこ
れは内容がよくわからないのだが、デノミ問題だ。また最後に、新しい日本の政権という大きな共通
のテーマに関連し、日本にとっての北朝鮮問題、鳩山政権にとっての北朝鮮問題という観点からお話
ししたい。
昨年 1 年間を振り返ると、ご案内のとおり、米国ではオバマ政権がスタートした。そして北朝鮮に
関するおおかたの見方は、当面、オバマ政権の出方を見守るだろうというものだった。なおかつ、先
ほど久保先生からお話があったように、アメリカについても、ブッシュ政権の、とりわけ前期とは異
なり、対話路線で北朝鮮と向き合っていくという観測が支配的だった。ところが北朝鮮は、昨年 1 月
ごろから核問題についてのハードルを一気に高くし、
「アメリカによる韓国への核の傘の提供を撤去し
ない限り、我々は核を廃棄しない」というようなことを言った。それに続き、彼らは人工衛星と主張
しているが、ミサイル発射実験を強行した。これに対し、国連が議長声明で対応すると、今度はそれ
に対抗して核実験も行った。このため国連は、制裁決議をすることになった。こうした強硬路線がい
つまで続くのかについて、さまざまな議論があったが、結果的には 1 回の核実験と 1 回のミサイル発
射実験があり、とりあえず一段落した。その後は、北朝鮮の思惑としては対話路線に戻っているとい
うことだと思う。
ただ、昨年の前半と後半では北朝鮮の対応が随分、変わっており、瀬戸際政策といわれているもの
のやり方やスピード、テンポも従来と異なってきている。これについては専門家の間に、大きく分け
て 2 つの見方があった。1 つは従来の瀬戸際政策の文脈で説明するという考え方で、私などはその文
脈でまだ説明できるのではないかと思っている。もう 1 つの考え方は、北朝鮮国内でいわゆる金正日
(キム・ジョンイル)総書記の健康状態を含め、混乱があるというものだ。後継者問題に象徴される
ように、様々な混乱があり、これについては混乱という言い方、あるいは変化という言い方がよいの
かわからないが、それが従来の対外政策とは異なる形で現れているのではないかというものだ。今の
段階ではまだ何とも言えないところだが、政権の交代期が近いことについては、おそらく異論がない
だろう。近いというのは今日、明日ということではないが、次第にそのような雰囲気が出てきており、
ポスト金正日を視野に入れた分析が必要とされる状況になっていると言うことである。
そこで思い出されるのは1983 年のラングーン事件で、
北朝鮮はこのとき韓国の大統領一行に対し、
爆弾テロを仕掛けた。当時の全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領は無事だったが、韓国の外相をは
じめ、非常に有能な方々が犠牲になった。そしてその直後に、北朝鮮は中国を通じてアメリカと韓国
との 3 者会談を提案した。これは一見、両極端な政策だ。当時はよく、北朝鮮の 2 つの顔なのか、あ
るいは 2 つの頭なのか、という議論がなされた。すなわち北朝鮮は硬軟織り交ぜた 2 つの顔を見せて
外交をしており、そこには特に混乱がないのだという考え方と、既にこの時点で金正日総書記が後継
者として認知されていたので、金日成(キム・イルソン)主席と今の金正日総書記に対立関係があっ
て 2 つの政策が出てきたのだという議論だった。結果的に言うと、おそらく 2 つの顔説であったのだ
と思う。それが正しいかどうかは別にしても、外交面での混乱というか、従来との変化についてはや
はり、内部の変化とその関連付けで説明されることが多い。現在の状況についてそうした分析がなさ
れていると言うこと自体が、ポスト金正日時代を意識させるのである。
21
このような大きな解釈があることを前提に、
今日は話をする。
まず核問題と 6 者協議についてだが、
現在、北朝鮮は 6 者協議を拒否し、
「国連での経済制裁を撤回すれば、すぐ 6 者協議に復帰する」と
いう言い方をしている。そして、それよりむしろ重要なのは、米朝平和協定を締結するための米朝 2
者協議だとしている。これに対し、北朝鮮以外の 5 ヵ国は、
「北朝鮮の核放棄が大前提で、制裁解除
は核放棄を目指す 6 者協議に復帰してからの話だ」
、
「米朝 2 国間協議については、それはそれでやれ
ば良いが、6 者協議そのものに復帰することが重要なのだ」という立場を取っている。これについて
は実は、ブッシュ政権末期の 6 者協議でのやり取りを考えると、5 ヵ国が比較的、足並みをそろえて
いるという印象がある。ブッシュ政権の後半には、アメリカは北朝鮮の核問題で、ある程度、明確な
成果を得ようとし、日本や韓国などの立場からすると、かなり急いだ印象があった。それに対し、日
本はもちろん「核問題以外にミサイル問題、拉致問題をはじめとする日朝 2 国間の問題があるので慎
重に」という姿勢だった。韓国も盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権のころは、南北関係を非常に重視し、
日米との関係よりもむしろ南北関係を重視する傾向すらみられた。このように、日米韓の足並みが乱
れた状況だった。
オバマ政権が登場したころは、米朝 2 国間協議が中心で、なおかつ優先順位の問題として中東問題
があるので、
「北朝鮮問題で必ずしも大胆なことはできないだろう」という見方がされた。そして日韓
からすると、
核問題についても多少不満が残るような合意がされかねない、
といった懸念がなされた。
しかしアメリカ側が当初予想されたような北朝鮮と安易な妥協をする雰囲気は、今の時点ではない。
これにはオバマ大統領が「核なき世界」を主張し、それが軸になっていたということもあろうかと思
う。オバマ政権が今後も続けばどうなるかわからないが、少なくとも現時点ではそういうことはなか
ろう、ということだ。
昨年 12 月 8 日から 10 日に、ボスワース米特別代表が北朝鮮を訪問し、ソウルから平壌に入り、平
壌からソウル、北京、という順番で説明をしていった。このボスワース代表による北朝鮮訪問の目的
は、6 者協議へ北朝鮮を復帰させること、そして 2005 年の 6 者協議での共同声明を確認するという 2
つだった。この共同声明では、北朝鮮が核を放棄することが明確にされている。大筋において、米朝
で合意とはいわないが、意見の一致を見たというようなことを北朝鮮側も言っている。しかし、復帰
時期と方法については、当事者間での議論がさらに必要だといわれる。その後、北朝鮮は「6 者協議
に復帰するには、制裁決議の解除が必要だ」と主張し、これに対し、北朝鮮以外の 5 ヵ国は、
「6 者協
議への復帰と共同声明の確認が大前提だ」という立場で、今のところ進展がみられていない。おそら
く北朝鮮側のイラつきというのがあり、それはとりわけ南北関係に象徴されていると思う。開城(ケ
ソン)工業団地をめぐる問題、あるいは北朝鮮に対する経済協力については要請する一方で、北朝鮮
の有事に際し、ある種の準備を韓国側がしていたことに関しては、かなり激烈に反応して緊張が高ま
った。これについても先ほどお話ししたように、2 つの顔か 2 つの頭かというのと同様の状況が生ま
れているということだ。
もう少し我慢比べが続きそうだが、アメリカや日本の感覚は、やはり北朝鮮に対する制裁の効果が
一定程度出ているのではないかというものだ。国連で制裁を行い、例えば東南アジアルートでの武器
輸出を阻止したり、
北朝鮮のいわゆるアンダーグラウンドのマネーを止めたりということがなされた。
それらが徐々に効果を発揮しているのではないか、という見方があると思う。これまでにも北朝鮮に
対する経済制裁については、効果があるのかないのかという点を含め、議論があった。そして効果が
あるという意見が存在する一方で、北朝鮮に対する制裁を緩和してきた経験がある。例えば、マカオ
の銀行、バンコデルタアジアの資金問題については、
「効果があった」という人もいるが、よくわから
22
ないところだ。効果があったにもかかわらず、それはもちろん北朝鮮がミサイル発射、核実験を 2006
年に繰り返した結果ではあるが、制裁を解除するようなことがあり、どれほど効果があったのかはわ
からないというのが今の状況だ。したがって、もう少し様子を見る必要があろうかと思う。
次に体制維持問題だが、これも構造的には昨年の段階とあまり違わない。昨年、日本のマスメディ
アでは、金正日総書記の三男を後継者として決定したのではないかという報道が多かった。ただ今の
状況としては、必ずしも明確な証拠がある訳ではない。例えば昨年 9 月 10 日に北朝鮮でナンバー2
といわれる金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員長が共同通信の社長と会見し、
「現時点で
は後継者問題については議論されていない」と言っている。これを額面どおり受け取るかどうかはと
もかく、まだ最終的な決着が付いた段階ではないというのが、一般的な見方だ。それを裏付けるよう
に、昨年の前半は、三男の後継を印象付けるような報道がかなり多かったが、夏以降はそれほど多く
ない。そもそも三男の後継がどうなのかという問題とは別に、金正日総書記の健康問題に、一昨年の
9 月ごろから関心が持たれている。この問題との関連で後継者問題が議論されていたが、後継問題そ
のもの、あるいは権力の移譲というより大きな枠組みで考えれば、北朝鮮の今の体制を考えると国防
委員会を舞台に行われることは間違いないだろう。国防委員会の組織上の権限は拡大しており、メン
バーも増えている。その中でおそらく、権力継承のパターンは 3 つほどある。1 つは、金正日のとき
と同様の形で権力が継承されるというパターンで、2 つ目は、国防委員会が中心になろうかと思うが、
集団指導体制に移行していくのではないかというもの、そしてもう 1 つはその折衷で、フィギュアヘ
ッドとしての血統を持った三男、次男といった人たちが象徴として後継者になり、事実上は集団指導
体制になる、というものだ。この 3 つぐらいのパターンが考えられるだろう、という気がする。
デノミ問題については昨年末に実施されたと言うことなのだが、実態はよくわからないというのが
正直なところだ。旧貨幣と新貨幣の交換比率が 100 対 1、そして新貨幣への交換は 10 万ウォンまで
制限する、というのが一般的に伝えられる内容で、その後は混乱が起きたので、10 万ウォンまでとい
う制限が撤廃された。あるいは「外貨は使えるのだ」
、
「もう使えないのだ」などという様々な評価が
ある。北朝鮮が公式メディアで公表する訳ではなく、経済関係の官僚がこういうことを言ったという
が、
「社会主義経済の管理原則と秩序を強固にする」
、
「国家の経済能力が強化され、市場の役割は弱ま
る」
、
「国のために働く勤労者を優待する措置」ということで、素直に読めば、管理を強め、自由度を
制限しようという動きになろうかと思う。ただ、これについても様々な評価がある。あまりにも不正、
腐敗が多くなり、本来の意味での改革、開放になかなか向かえないので、
「一時的に改革、開放の準備
として不正、腐敗を取り締まったのだ」という考え方と、素直な読み方として「管理、統制を強くす
るのだ」という分析の 2 つがある。これについても今の段階では、まだ決着が付いていないというこ
とになろうかと思う。
そして最後に、日本にとっての北朝鮮問題だが、構造そのものは変わっていない。日本にとって重
要な問題は、拉致、核、ミサイルだ。安倍政権のときは明確に、
「拉致、核、ミサイルという順番があ
る」と説明していたが、それ以外の政権は、鳩山政権も含めて「拉致、核、ミサイルを包括的に解決
する」のが日本の目的ということになる。今のところ、北朝鮮側から日本に対する働きかけはないが、
昨年 8 月にアメリカのクリントン元大統領が北朝鮮を訪問している。実際に米朝で何が話し合われた
のかについてはよくわからないが、その内容で明確になったことが 2 つだけある。1 つは、南北関係
を良くしてほしいということを、クリントン元大統領が北朝鮮側に進言した。これにのっとって、北
朝鮮側は南北関係を少し緩和し、対話を含めて改善に働きかけたところがある。ただ先ほど申し上げ
たように、その一方で緊張を高めるといった動きもある。
23
もう 1 つ、クリントン大統領が主張したのは、
「日朝実務者協議を立ち上げろ」ということだ。こ
れについては 2008 年 6 月と 8 月に北京と瀋陽で日朝が実務者協議を行い、日本は「拉致問題の再調
査委員会を立ち上げろ」と言って協議で約束されたが、その直後に日本の福田康夫総理が辞任して麻
生政権が誕生した。北朝鮮は、「麻生政権の北朝鮮政策を見る」という理由を口実にして再調査委員会
の立ち上げは実現しなかった。仮に北朝鮮側がクリントン元大統領の提案どおり、再調査委員会の立
ち上げについて日本側に投げかけてきた場合、今の鳩山政権がどう対応するかは非常に注目される。
ご案内のとおり、日本国内では北朝鮮問題で責任を持つ方は大きく分けて 2 人いる。1 人は当然、
岡田克也外相で、もう 1 人は拉致担当の中井洽(ひろし)大臣だ。中井拉致問題担当相は、昨年の日
朝実務者協議の再調査委員会立ち上げ問題については非常に否定的な立場を取っていたと記憶してい
る。したがって、仮に北朝鮮側から働きかけがあった場合には、この 2 人の温度差が出てくる可能性
があるという気がする。その場合には、鳩山由起夫総理が何らかの決断をすることになる訳で、今後
仮に動きがあるとすれば、ここの部分が注目されるだろう。
最後に日米関係と北朝鮮問題についてだが、日本は北朝鮮と抱えている問題を解決するに当たり、
やはりアメリカの協力を大前提にしている。例えば、先ほどから議論になっている普天間基地の問題
などが、日米関係そのものにどれほどの影響を与えるのかはよくわからない。しかし、少なくとも北
朝鮮問題に関して言うと、日朝実務者協議の際もそうだったが、きめ細かい日本の立場へのアメリカ
側の配慮というのが少し欠けてくる可能性があるという印象だ。既にブッシュ政権末期から、日本の
立場に対して厳しい、
「もう少し何とかならないか」という働きかけがあった。微妙な北朝鮮問題を巡
り、アメリカ側の日本に対する働きかけが、ひょっとするとあるかもしれないという気がしている。
いずれにせよ、北朝鮮が核放棄を目指して 6 者協議に復帰し、国際社会が準備したレールに素直に乗
ってくるというのが大前提で、それがないうちは、日本が厳しい決断を迫られる、あるいは日米関係
で微妙なことになることはないと予想される。
(以上、報告)
※敬称略/役職等は発表当時のものです。
※固有名詞等の表記は、報告者によって異なる場合があります。
<質疑応答>
質問 1:
アジアの共同体づくりに関して 2 点、高原先生に伺いたい。中国の経済規模が今後大きくなってい
くことを考えると、今は動かず、しばらく経ってから動いた方が主導権を握りやすいと考えてもおか
しくない。中国は現時点で、この共同体構想について本気で動くつもりがあるのだろうか。あるとす
れば、それはなぜか、ないとすればなぜか。そしてもう 1 つ、日本がアジア共同体づくりの主導権を
勝ち取るために、コンセプトとして友愛というものを挙げているが、今後はどのようなことが重要に
なるか。
高原 明生 東京大学大学院法学政治学研究科教授:
中国も一枚岩ではないと思う。中国だけではないが、東アジア全体として 2005 年の東アジア・サ
24
ミット開催まではかなり熱気があり、東アジア共同体を具体的にどのように造っていったら良いのか
という議論が盛んに行われていた。しかし東アジア・サミット開催の際、日本と中国だけではないが、
インドやオーストラリア、ニュージーランドのメンバーシップをどうするかということで、かなり意
見の違いが明らかになった。それがきっかけとなり、鳩山総理が東アジア共同体と大きな声で言い出
すまでは、勢いがなくなったような状況が続いていた。では、中国はそれまで何年かは非常に熱心だ
ったのに、どうして静かになってしまったのか。ある中国の人に言わせると、外交部の文書の中にも
東アジアという言葉があまり出てこなくなっているという。それはなぜかというと、東アジアでまと
まることの意義に関する評価が、内部でやや変わってきた面があるのではないかと思う。つまり東ア
ジアでまとまってヨーロッパ、EU、アメリカと対抗していくという発想よりも、東アジアというの
は何かややこしい、日本との競合関係や面倒なこともいろいろある。それよりも、中国は発展してき
たのだから、アメリカと中国で世界の大きな問題、特に中国の利益に密接にかかわるような問題につ
いては対応できるのではないかという発想が強くなってきたことが 1 因となり、あまり東アジア論議
はされていなかった。しかし、大国外交も必ずしもうまく行くものではないということで、今年は特
に、東アジア重視への回帰の気配が強まるのではないかというのが私の観察だ。中国内部のそういっ
た意見の違いが、中国がここのところ積極的に動いていなかったことの 1 つの重要な原因だと思って
いる。
そして日本が今後どうするかだが、先の佐藤先生のお話にあった海賊問題も重要な例だが、既に現
在、実態としていろいろな問題をめぐり、地域協調が進んでいる。それには東アジア全体のものもあ
れば、東北アジアだけのものもある。日韓中の枠組みでも、首脳会談やその他のレベルの協議をしっ
かりやり始めている。具体的なニーズに基づきいろいろな枠組みが現実に形成され発展しているとい
う点に着目すると、そういったいろいろなフレームワークの重なり合う、最も密度の濃い部分が将来
はコミュニティになっていくのではないかというイメージを私は持っている。そこに向けて気を付け
なくてはいけないのは、そういった枠組みの中で、例えば意思決定の原理や運営の原則について、国
の大小にかかわらず、メンバーが平等な権利を持つような原則を、ある理念の下に実態として固めて
いくことだと思う。日本がやるべきことは、地道に 1 つ1つのフレームワークを固めていくことでは
ないか。皆で角を突き合わせて絵を 1 枚書けばよい、というものではない。ニーズに基づき、今既に
たくさんできている機能的なフレームワークの運用、運営のやり方、意思決定のやり方を、できるだ
けそれが自由で平等で、まさに友愛の精神に基づいて運営されるように、一言で言えば民主的にその
ような枠組みが運営されていくように日本は配慮する。今、アジアで中国に対して正面からものを言
える国というのは、実態として日本ぐらいしかない。したがって、日本がそのような姿勢を取れば、
それは他の国の気持ちを代弁することになる。今なら中国は孤立したくないので、そうした声に耳を
傾けるだろう。
質問 2:
今の質問に若干、関連するが、東アジア共同体となると日本と韓国、中国の関係が非常に重要だが、
いわゆる歴史問題が解決されていない。ヨーロッパでは EU ができ、ドイツとフランスの和解が出発
点にあった。今後、歴史問題はあまり問題にならないのか、あるいは今は一時的に沈静化しているが、
残っているとげが噴き出してきて共同体への障害になる可能性はあるか。また歴史認識に関しては、
和解の方向へ進んでいるのか、それとも一時的に止まっている、停滞しているのか。日中、日韓もそ
うだが、長期的には障害を乗り越えなければ、本当の経済的な連合や日中関係は生まれないのではな
25
いかという気もする。
質問 3
東アジア共同体と関連して、シンガポール、ブルネイ、ニュージーランド、チリが中心となってい
る、アジア太平洋経済協力(APEC)の環太平洋パートナーシップ協定(TPP)に、この 3 月にベト
ナム、オーストラリア、アメリカ、ペルーの 4 ヵ国が入り、APEC の核を造るということだ。東アジ
アについてもこのように、経済統合、共同市場が非常に複合化しつつある。これについて、高原先生
のご意見を聞きたい。
高原 明生 東京大学大学院法学政治学研究科教授:
歴史問題は確かに、大変重要だと思う。歴史問題、歴史認識問題などいくつかの呼び方があるが、
歴史認識問題なるものは何か、それはどこに存在するのか、誰と誰の間に存在するのかと考えると、
中国が一番問題にしているのは、日中戦争の性格について、それが侵略だったと認識するのかという
ことだ。そしてもう 1 つは、それについて日本の政府や政府の要人が、侵略だと認識、反省し、国を
代表する立場として謝罪したのか、あるいはするのかということだと思う。これが歴史認識問題だと
すると、実は日本政府と中国政府の間には、歴史認識問題は存在しない。なぜかというと、日本政府
は政府の立場として、
「戦争は侵略であった」とし、それについて「深く反省してお詫びをする」と繰
り返し言っているためだ。ただし、このような和解の問題は、片一方が謝るだけでは片付かない。被
害を受けた側が、その謝罪を受け入れなければ、和解は成立しない。この点についてどうなのかと考
えると、非常に重要だと私が思うのは、2007 年 4 月に中国の温家宝首相が来日し、国会で行った演
説だ。そのなかで、非常に印象的なフレーズがあった。それは中国政府、あるいは中国人民が、日本
政府、あるいは日本の国を代表する政治家たちが繰り返し、あの戦争を侵略と認めて謝罪してきたこ
とを高く評価する、という言葉だった。この演説は中国でも同時中継されている。それを聞いて、私
はある意味、非常に感激した。というのは、これまでは日本が一方的に謝っていたが、中国側がここ
まではっきりこのことを認めて受け入れ、それを中国の責任ある政治家が国民に対し、国民の耳目を
意識しながら日本の国会で述べたことには、真の和解へのプロセスが 1 歩前に進んだという印象を受
ける。しかしこのような日本政府の認識、あるいは中国政府の認識が、それぞれの国の国民の間でど
こまで浸透しているのかという問題がある。日本の中では、
「あれは侵略ではなかった」
、
「あれについ
て反省する必要はない」などと思っている人はほとんどいないと思うが、中国側で日本がしっかり謝
ったことを認識している人はあまりいないのではないか。したがって、歴史認識問題というのはやは
りあり、国民の間に存在している。そしてこれが両国関係に影響を及ぼす重要な問題で、両国で歴史
共同研究を行う、あるいは何を子供たちに教えていくべきなのかを話し合っていくことは、私は重要
な作業ではないかと思っている。
アメリカと東アジア共同体の関係については、日本側で 2000∼2002 年ごろから数年かけて東アジ
ア共同体、サミット、ASEAN+3 などを推進してきた実務者たちは、2005 年ごろからアメリカが懐
疑的な見方を強めたことに対し、やや当惑したと思う。それまでアメリカ側に一生懸命、
「これがアメ
リカの実益を損なうことはないのだ」と説明してきたにもかかわらず、突然、批判を始めたという印
象を持った人が、2005 年ごろには多かったのではないかという気がする。ASEAN+3 のような枠組
みにアメリカは入っていないが、他にアメリカがかかわっている枠組みはたくさんある。またアメリ
カについては、2 国間の FTA もたくさんある。したがって、まだ曖昧模糊としている将来の東アジア
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共同体構想なるものを牽制することを目的とする発言が、最近は目立っているのではないか。私がよ
く言うのは、アメリカにとっては環大西洋、トランス・アトランティックの関係も非常に大事だが、
「EU に入れてほしい」などとは言わない。それでもヨーロッパにおけるアメリカの利益には確固た
るものがあり、それは保護され、発展している訳だ。そして日本も北米自由貿易協定(NAFTA)に
入れてくれ、などとは言わない。それなのに、こういう言い方をされることについて理解はするが、
納得はできないという感じだ。
久保 文明 東京大学大学院法学政治学研究科教授:
確かにアメリカの場合には、少し先走った不安があるような気がする。クリントン政権は APEC を
大いに活用すると決断したが、例えばブッシュ政権の最後の方にはライス国務長官もあまり来なかっ
た。それはアメリカの中でアーミテージ氏などがブッシュ政権を去った後で、
「アジアをおろそかにし
ているのではないか」と批判していた。今はオバマ大統領の東京での演説にもあるように、アジア太
平洋国家としてのアメリカということで、アジアを重視しているのは確かだ。何らかの枠組みができ
る場合にはアメリカもそこに関与したい、という抽象的で漠然とした期待はあると思う。ただ鳩山総
理が何を言っているか、具体的な像がはっきりわからない。おそらく EU のようなものはできないと
思う。したがって、本格的にどの程度のことをアメリカが考えているのかということについても、ま
だこれからだという気がする。中国の温家宝首相の国会演説については私もよく覚えており、日本国
民が長年にわたって援助してくれたことも高く評価する、とも言っていて、非常に立派だと思った。
質問 4
久保先生と高原先生に 1 つずつ伺いたい。まず久保先生に米中関係の話だが、オバマ大統領の先の
訪中では、「強い中国を歓迎する」といった言葉もあり、高原先生のお話であれば、随分、遠慮してい
るということだったと思う。ブッシュ時代のアメリカは中国に対し、一方でステークホルダーと持ち
上げながら、他方では国防総省のレポート等で大変厳しく批判していた。そのバランスがあったよう
な気がする。オバマ政権の今後については、経済的な相互依存が進む中で米中関係がうまく行くとし
ても、安全保障分野では、アメリカは台頭する中国をどう扱い、どう見るのか、どういう反応が出る
とお考えか。
そして高原先生に伺いたい。中国はいわゆる大国の顔と、発展途上国の顔の 2 つを非常にうまく使
い分けていると思う。しかし本当は大国の立場にあると思い、その立ち振る舞いを求めるべきだ。中
国が名実共に大国という自覚、責任感を持つような日が来るとお考えか。そうだとすれば、高原先生
のお考えでは、どのような条件が満たされたときに中国は自信をもった大国になるか。
質問 5:
佐藤先生に伺いたい。先ほど、ソマリアの問題についてはよく理解できたが、エネルギーを含め、
資源を運ぶ船がおそらく何千隻も日本に来ている。シーレーン上の安全というか実態は、どのように
なっているのかを教えていただきたい。
質問 6:
大橋先生、場合によっては高原先生にも伺いたい。中国の国有企業改革についてだが、30 年かけて
やってきた市場改革に逆行するような動きが、ここ数年起きているという話だった。私はむしろ 2003
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年ごろから、国有企業改革の流れは変わってしまい、以前は全部民営化しようとしていたのが、大事
なところは国有企業として残すことになったと思う。そういう意味で新しいタイプの中国型の資本主
義を作るというか、国有企業を核とした市場経済を作るというように、舵を切ってしまったのではな
いか。そして、石油関係の企業、鉄鋼など、いわゆる自然独占業種以外のものについて、国有企業を
残してしまっている。かつ政府が非常にソフトなローンを提供し、競争力をサポートするようなタイ
プで、本当の自由主義経済圏とは違う経済体制を選択したのではないかと思う。そのような見方につ
いて、どう思われるか。またそのような国と、どう競争していくべきか。
佐藤 考一 桜美林大学国際学部教授:
シーレーンの安全ということだが、シーレーンの安全を保障することを、各国がどう考えるかが一
番の問題だろう。どうも中国は、今のところ自力で守れるようになりたい、という意識があるようだ。
そのため航空母艦を造ったり、潜水艦を盛んに増やそうとしているところがある。それがどうつなが
るかはわからないが、ASEAN 諸国、そして日本、韓国も含め、潜水艦の新鋭化についてはかなり熱
心だ。シンガポールが昨年、スウェーデンで AIP(非大気依存型システム)を入れた潜水艦を進水さ
せ、運用を始めようとしている。マレーシアはスコルペン級の新しい潜水艦を既に 1 隻、就役させた。
さらにタイ、インドネシア、ベトナムでも、潜水艦を買おうという議論が出ている。ベトナムの場合
は明確に、中国との間の問題を考えて言っている。日本は既に、
「あさしお」
、
「そうりゅう」という
AIP の入った潜水艦を持っており、韓国も既に持っている。潜水艦がらみでは、建艦競争、そして潜
水艦の音を拾う技術の問題で、かなり神経を尖らせている方が一部にいると感じている。ただ、今す
ぐそれが大きな問題になるということはない。
シーレーンをどのように守るかということについては、
各国が協力するような状況が出てくれば、軍拡に向かわせず、封じ込めることができるかもしれない
という若干の希望を持っている。
大橋 英夫 専修大学経済学部教授:
私の発言の文脈から国有企業を取り上げるのは、あまり適切ではなかったかもしれない。現在、確
かに中国は大企業だけを掌握し、
小さい企業を放してしまう、
民営化させるという政策を採っている。
中央の国有企業は 130 社程度に限られ、
しかも鉄鋼などは大合併を行い、
特大企業が形成されている。
そのような意味で、特に中央の大型国有企業に対する重視政策が、景気対策に先立ち存在したことは
事実だ。ただ本日お話ししたかったのは、景気対策では地方の国有企業などに資金が回っている、そ
ういう意味で国有部門重視になっている。世界の株式の時価総額のトップ・クラスに入るような企業
がいくつもできている訳だが、実態としては、集団公司といっても、傘をかぶせただけの会社がかな
りある。そのような企業と日本を代表するような企業が 1 対 1 で交渉するという形にはなりにくく、
集団企業の中の構成要素の 1 つである企業との付き合いになっていくであろう。このような特大型国
有企業を今後もつくっていくのかというと、これは恐らく政権の存続とも関係してこよう。しかし、
経済合理性から言えば、これは必ずしも得策ではない。ただ国有企業、それも特大企業重視という動
きが現実問題として中国にあるので、日本としても対応せざるをえない。場合によっては、日本の 1
民間企業では対応できないかもしれない。やはり、業界・政府部門との協調という形で付き合ってい
くしかないという気がする。
高原 明生 東京大学大学院法学政治学研究科教授
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国有企業の寡占状態があり、それが実は格差を生む 1 つの原因にもなっている。従業員の平均給与
の 12 倍までという給料の上限が 2002 年に出されているにもかかわらず、実際は 30 倍、50 倍といっ
た高給を得ているのがこういった国有企業の幹部らだ。中国のこのような発展のあり方を、
「北京コン
センサス」などと呼び、ワシントン・コンセンサスに取って代わる世界の、特に発展途上国の 1 つの
発展モデルとして称揚するような声も一部にあった。ところが本当に中国の経済社会、政治社会のあ
り方を尊敬し、
「こういう風になりたい」と思う国民はあまりいないのが実態ではないか。一部の国の
為政者は、
「これはなかなか良い」と思うかもしれず、実際ロシアの今の政権与党であるロシア統一党
は、中国共産党のあり方に大変興味を持っているという。このため党の間でいろいろな交流を持ち、
中国のやり方を学ぼうとしているところがある。しかし世界的な標準からして、これは尊敬されるよ
うなシステムではない。だから仰ぎ見られるような大国になる気配も、今のところない。ただ規模の
問題として大国という言葉があり、なおかつ規模が世界に対する影響力にもなるので、そういう意味
では中国は現に大国だ。しかし中国の自己規定は、
「発展途上大国」というもので、発展途上国であり
大国でもあるとしている。では先進工業国といわれる日が来るのかどうかだが、普通は 1 人当たり
GDP である程度の規定がなされ、中国の場合は 3000 ドル台から 4000 ドル台に到達するかもしれな
いという段階なので、発展途上国段階は既に脱出して良いはずだ。しかし先進工業国になる気配があ
るのかというと、先進工業国で、あれだけ環境破壊がひどい国はない。また先進工業国で、あれだけ
法律が遵守されない国もない。あるいは教育水準、絶対的な貧困の程度など、いろいろな基準を取っ
てみると、中国はやはり当分の間、先進工業国とは呼ばれないという気がしてならない。それは中国
の一般国民にとっては、非常に不幸だ。今言ったようないろいろな指標が変わらなければ、中国が発
展途上国と呼ばれる状態は続くだろう。もちろんこれは、政治の問題も含めてだ。結局は政治に問題
が収斂し、今の一党支配体制が変わらなければ、いろいろな指標は変わらないという気がしている。
久保 文明 東京大学大学院法学政治学研究科教授:
最後に、先ほどの米中関係についてだが、2008 年の大統領選挙は、最近の政権交代がかかった 1992
年と 2000 年の選挙とは少し様子が違った。
これは米中関係に関して違ったということであるが、
2008
年の選挙では、中国問題はそれほどホットな争点にならなかった。1992 年はクリントンが野党候補だ
ったが、ブッシュ政権は「人権に甘い」という形で相当強く攻撃した。しかし政権を取ってからは、
かなり軟化した面がある。2000 年にもブッシュ政権は、
「クリントン政権は中国に甘かった」という
形で相当激しく批判していた。米同時多発テロ(9.11)までは中国に対してはかなり強硬立ったが、
その後は協力関係に変わり、政権末期はかなり穏健な外交に落ち着いたと思う。オバマ政権はそうい
う面ではかなり逆で、2008 年にはあまり争点にせず、また政権発足から経済危機があったので、経済
的な協力面を相当重視した。さらに最初のアプローチとして、ともかく相手の言うことを聞く、そし
て交渉まで呼びかけるという側面があったので、それに沿ったのだと思う。ただ軍については基本的
に、ブッシュ政権であれオバマ政権であれ、中国の 21 年連続の2桁軍事力増強などを警戒して見て
いることに変わりはないだろう。オバマ政権は最初、非常に遠慮しており、ダライ・ラマがワシント
ンに来ても会わないなど、それはいろいろなところで過剰なほどだったかもしれない。ただ、それだ
けでは対応できない面もある。例えばオバマ大統領は上海でかなり軽くあしらわれたのではないかと
いうことで、国内の批判としても跳ね返っていた。また軍事力の問題なので、台湾のことを考えると
遠慮ばかりしてはいられない。したがって他の外交分野でもそうだが、全面的にアプローチを変えて
いるような気がする。ただそれがネオコンのようになるかというと、そこは別の問題だ。やはり優し
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い、下手でお辞儀だけの外交では対応できないという考え方が浸透している、というかかなり支配的
になっているのではないか。そしてグーグルの問題が浮上しているが、国務長官がこういった問題で
まとまった演説をするのも異例のことかもしれない。これについては「21 世紀における自由のインフ
ラストラクチャーである」という位置づけがあると思う。グーグルの問題については、詳細はわから
ないが、例えば人権問題で活動家のメールが盗み見られているという問題もあれば、会社に対するハ
ッカー攻撃で知的所有権が奪われているという面もある。さらに安全保障施設に対するハッカー攻撃
も行われており、かなり波及効果が大きい問題だ。クリントン国務長官の演説では、ベルリンの壁に
代わってヴァーチュアルな世界の壁ができつつある、あるいは鉄のカーテンに代わってバーチャルな
インフォメーションのカーテンが降りつつある、などかなり厳しい警告をしている。そこでグーグル
の問題と中国の問題も直接、名指しして批判している。特にアメリカではインターネットにおける自
由があり、自由は基盤だが悪用もできる。そういう目から見ると、どうも中国はハッカー技術の開発
に異様に優れていて、やたらと執念を持っている。リソースもそこにつぎ込み、かなり体系的にそれ
をやろうとしているように見える。悪く言うと、軍事施設に対してこれをやるのは戦争行為に等しい
面もある。ということで、だまっている訳にはいかない面がある。これは中国の政治体質の問題にも
直接かかわる問題だ。そういった問題が浮上した中で、おそらく米中関係は必ずしもこれから、オバ
マ政権の下でも、静かなままでは行かないのではないかという気がしている。
(以上、質疑応答)
※敬称略/役職等は発表当時のものです。
※固有名詞等の表記は、報告者によって異なる場合があります。
国際情勢シンポジウム講師陣と
会場風景
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