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平成22年度 IIST国際情勢研究会報告書 (PDF:1.7MB)

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平成22年度 IIST国際情勢研究会報告書 (PDF:1.7MB)
平成22年度
IIST国際情勢研究会
報告集
平成 23 年 3 月
財団法人
貿易研修センター
はじめに
(負)貿易研修センターは、我が国経済の安定的発展と円滑な対外経済関係の維持・推
進に資するため、諸外国の対日理解と相互交流の促進を図る「国際交流事業」、国内外の経
営人材育成を図る「人材育成事業」をはじめとする諸事業を展開しております。
さらに、平成20年度より、グローバル経済社会において国および経済の安定的発展を
図るためには、国際情勢をいち早くかつ正確に読みとることにより、必要な対忚策を講じ、
的確な戦略を立てることが極めて重要であるとの認識に基づき、「IIST国際情勢研究
会」を開催いたしております。本研究会は、各分野の第一人者を委員に迎えて国際的な政
治・経済情勢についての最新情報・分析を披瀝いただき、経済産業省の政策担当者も加わ
った議論を通じて、我が国通商政策の实施における課題の抽出を行うことを目指します。
本報告書は、平成22年度に非公開で開催した全5回の研究会と、公開シンポジウムの
議事録をまとめたものです。関係各位のご参考に供していただければ幸いです。
また、この場をお借りして、ご多忙のなか、研究会およびシンポジウムにおいてご報告、
ご発言、ご助言をいただいた委員およびゲスト講師の皆様に対し、改めて、厚く御礼を申
し上げます。
平成23年3月
負団法人 貿易研修センター
目
次
事業概要··········································································································· 1
Ⅰ.研究会
第1回 2010 年 5 月 21 日
報告:「中国政治と日中関係の動向――上海万博の光と影」 ································· 6
高原
明生 東京大学大学院 法学政治学研究科教授
「日中経済関係の構造転換――その背景と展望」 ······································ 12
大橋
英夫 専修大学 経済学部教授
第2回 2010 年 6 月 14 日
報告:「最近の朝鮮半島情勢
−金正日訪中、哨戒艦事件、国防委員会人事を中心に−」 ······················· 18
平岩
俊司 関西学院大学 国際学部教授
「オバマ政権の内政・外交の評価」························································ 28
久保 文明 東京大学大学院 法学政治学研究科教授
第3回 2010 年 7 月 27 日
報告:「タイの政治混乱 ―その歴史的位置―」 ··············································· 30
ゲストスピーカー
重冨
真一 アジア経済研究所 地域研究センター
東南アジアⅠ研究グループ長)
「中国の海洋進出:その目的と現状の考察」 ············································ 36
佐藤
考一 桜美林大学 リベラルアーツ学群教授
第4回 2010 年 10 月 7 日
報告:「経済制裁と軍事攻撃の隘路を往くイラン」 ··········································· 43
ゲストスピーカー
田中
浩一郎 (財)日本エネルギー経済研究所 中東研究センター
理事 兼センター長
第5回 2010 年 10 月 22 日
報告:「金融危機後の米国経済」 ··································································· 52
ゲストスピーカー
西川
珠子 みずほ総合研究所 調査本部 政策調査部 为任研究員
「米中間選挙とオバマ政権の今後」 ······················································· 59
久保
文明 東京大学大学院 法学政治学研究科教授
Ⅱ.シンポジウム
IIST国際情勢シンポジウム ····································································· 65
『中国を巡る世界情勢』概要
報告1:
「尖閣の衝撃と日本外交」 ································································ 66
北岡
伸一
東京大学大学院 法学政治学研究科教授
報告2:
「最近の米国の対中国政策: 中間選挙の結果を踏まえて」························ 76
久保
文明
東京大学大学院 法学政治学研究科教授
報告3:
「中国の政治外交の新情勢」 ····························································· 81
高原
明生
東京大学大学院 法学政治学研究科教授
報告4:
「北朝鮮の新体制と中国」 ································································ 86
平岩
俊司
関西学院大学 国際学部教授
質疑忚答 ·································································································· 91
【参考資料】
・平成22年度~平成20年度 報告テーマ一覧············································ 101
※敬称略/役職は報告当時のものです。
※固有名詞等の表記は、報告者によって異なる場合があります。
事業概要
1.实施目的
为要国・地域の政治経済動向に精通した学識経験者を委員として迎え、国際情勢につ
いて最新情報の収集・分析を行うとともに、経済産業省幹部も加えた議論を通じ、我が
国通商政策の实施における課題抽出を行う。
2.实施期間
平成22年4月1日~平成23年3月31日(年5回開催)
3.实施方法
(1)研究会の開催
①年間5回
②各回設定テーマについて委員(及び外部専門家)より報告後、自由討論
③経済産業省幹部等もオブザーバーとして参加
(2)シンポジウムの開催
①年間1回
②委員をスピーカーとして時宜に適ったテーマに基づく報告後、自由討論
③一般公開
3.メンバー構成
委員:
北岡
伸一
東京大学大学院 法学政治学研究科教授
久保
文明
東京大学大学院 法学政治学研究科教授
高原
明生
東京大学大学院 法学政治学研究科教授
大橋
英夫
専修大学 経済学部教授
佐藤
考一
桜美林大学
平岩
俊司
関西学院大学
リベラルアーツ学群教授
国際学部教授
オブザーバー:
<経済産業省 通商政策局>
西山
英彦
大臣官房審議官(通商政策局担当)
戸谷
文聡
大臣官房審議官(通商戦略担当)
貞森
恵祐
通商交渉官
田中
繁広
通商政策課長
住
裕美
通商政策課
石塚
康志
企画調査审長
1
赤星
康
米州課長
村松
秀浩
欧州課長
森
清
中東アフリカ課長
篠田
邦彦
アジア大洋州課長
高木
誠司
北東アジア課長
<経済産業省 貿易経済協力局>
厚木
進
貿易経済協力局長
吉田
正一
貿易管理部長
保住
正保
貿易管理課長
飯田
圭哉
安全保障貿易管理課長
相楽
希美
安全保障貿易管理課安全保障情報調査审長
洲桃
紗矢子 安全保障貿易管理課長補佐
<経済産業省 商務情報政策局 商務流通グループ>
秋庭
英人
取引信用課長
<関係機関>
柴生田 敤夫 負務省 関税局長
大辻
義弘
内閣府 沖縄振興局長
清水
幹治
内閣府 企業再生支援機構 担当审企画官
黒田
篤郎
国際協力機構 理事
村永
祐司
日本貿易振興機構 企画部長
杉田
定大
早稲田大学 実員教授
事務局:
負団法人 貿易研修センター
理事長 塚本 弘
専務理事 赤津 光一郎
理事・総務部長 竹中 速雄
2
4.委員略歴
きたおか
しんいち
北 岡 伸一 氏
現職 東京大学大学院法学政治学研究科教授
1948 年 生まれ
1971 年 東京大学法学部卒業
1976 年 東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了(法学博士)
1976 年 立教大学法学部専任講師 (1978 年 助教授、1985 年 教授)
1997 年 東京大学法学部教授
2004 年 特命全権大使(日本政府国連代表部次席代表)(~2006 年 9 月)
2006 年 東京大学法学部教授に復職、現在に至る
为要著作
『日本陸軍と大陸政策 1906~18 年』
(東京大学出版会、1978 年)
『清沢洌 日米関係への洞察』
(中央公論社、1987 年)(サントリー学芸賞)
『後藤新平 外交とヴィジョン』
(中央公論社、1988 年)
『日米関係のリアリズム』
(中央公論社、1991 年)(読売論壇賞)
『自民党 政権党の 38 年』
(読売新聞社、1995 年)(吉野作造賞)
『日本の近代 第 5 巻 政党から軍部へ』
(中央公論新社、1999 年)
『「普通の国」へ』
(中央公論新社、2000 年)
『独立自尊 福沢諭吉の挑戦』
(講談社、2002 年)
『日本の自立 対米協調とアジア外交』(中央公論新社、2004 年)
『国連の政治力学 日本はどこにいるのか』(中央公論新社、2007 年)
く ぼ
ふみあき
久保 文 明 氏
現職 東京大学大学院法学政治学研究科教授
最終学歴・学位
1979 年 3 月 東京大学法学部卒業
1989 年 12 月 法学博士(東京大学)
为な職歴
東京大学助手、筑波大学助教授、慶應義塾大学教授、コーネル大学・ジョンズホプキンズ大
学・ジョージタウン大学実員研究員、2003 年より現職
著書
『ニューディールとアメリカ民为政-農業政策をめぐる政治過程』
(東京大学出版会、1988 年)
『現代アメリカ政治と公共利益-環境保護をめぐる政治過程』(東京大学出版会、1997 年)
『ウェッジ選書 29 超大国アメリカの素顔』(編著)(株式会社ウェッジ、2007 年)
『アメリカ外交の諸潮流-リベラルから保守まで』(編著)
(日本国際問題研究所、2007 年)
久保文明編『オバマ政権のアジア戦略』(株式会社ウェッジ、2009 年)など。
3
たかはら
あきお
高 原 明生 氏
現職 東京大学大学院法学政治学研究科教授
アジア政経学会理事長
学歴
1981 東京大学法学部第3類卒業、1983 英国開発問題研究所修士課程修了、1988 同研究所博士
課程修了 サセックス大学 D.Phil.
職歴
1988 笹川平和負団研究員、1989 在香港日本国総領事館専門調査員、1991 桜美林大学国際学部
専任講師、1993 同学部助教授、1995 立教大学法学部助教授、2000 同学部教授、2005 東京大学大
学院法学政治学研究科教授 (1996-98 在華日本国大使館専門調査員、2005-06 ハーバード大学
実員研究員)
研究分野
現代中国政治、東アジアの国際関係
为著
The Politics of Wage Policy in Post-Revolutionary China (Macmillan, 1992)
おおはし
ひでお
大 橋 英夫 氏
現職:専修大学経済学部教授。
1979 年上智大学卒業、1984 年筑波大学大学院中退。三菱総合研究所研究員などを経て現職。
この間、在香港日本国総領事館専門調査員、日本国際問題研究所、ジョージ・ワシントン大
学、カリフォルニア大学(サンディエゴ)実員研究員を歴任。
著書に『中国企業のルネサンス』
(岩波書店、2009 年)、
『現代中国経済論』
(岩波書店、2005
年)、『経済の国際化』
(名古屋大学出版会、2003 年)、『国際開発の地域比較』(中央経済社、
2000 年)、
『米中経済摩擦』
(勁草書房、1998 年)、『香港返還』(大修館書店、1996 年)、
『激
動のなかの台湾』
(田畑書店、1992 年)など。
さとう
こういち
佐藤 考一 氏
現職 桜美林大学リベラルアーツ学群教授
1983 年東京都立大学法学部卒業。民間企業勤務後、1991 年東京都立大学大学院社会科学研究
科政治学専攻修士課程入学、1993 年同修了。1993 年東京都立大学大学院社会科学研究科博士
課程入学、1996 年同単位取得退学。早稲田大学博士(学術)。1996 年東京外国語大学非常勤
講師。1997 年桜美林大学国際学部助教授。2003 年より同教授。2010 年学部改組により現職
へ。
専門は東南アジア研究(ASEAN研究、安全保障論)及び中国外交。
著書に、
『ASEANレジーム』勁草書房、
『獅子の町・海峡の風』めこん、
『皇审外交とアジ
ア』平凡社新書等。海上自衛隊幹部学校講師、防衛研究所講師、海上保安庁政策アドバイザ
ー、を兹任。
4
ひらいわ
しゅんじ
平 岩 俊司 氏
現職 関西学院大学 国際学部教授
1960 年生まれ。
東京外国語大学外国語学部朝鮮語学科卒、慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻博士課
程単位取得退学。韓国延世大学大学院博士課程留学。法学博士(慶應義塾大学)。
松阪大学助教授、静岡県立大学大学院国際関係学研究科助教授を経て現職。この間、在北京
日本国大使館専門調査員として中国・朝鮮半島関係、朝鮮半島情勢を調査・研究。
専門は、朝鮮半島をめぐる国際関係、北朝鮮政治外交、中国・朝鮮半島関係。
为著として単著『朝鮮民为为義人民共和国と中華人民共和国−「唇歯の関係」の構造と変容−』
(世織書房)
、共編著『朝鮮半島と国際政治-冷戦の展開と変容-』(慶應義塾大学出版会)、
共著『危機の朝鮮半島』
(慶應義塾大学出版会)など。
5
平成 22 年 第 1 回 IIST 国際情勢研究会
2010 年 5 月 31 日
報告 1/「中国政治と日中関係の動向
―― 上海万博の光と影」
高原
明生/たかはら あきお
東京大学大学院 法学政治学研究科教授
はじめに
中国政治で最近、目立つ点に触れ、それと絡ませるような形で日中関係についても尐しお
話しする。中国政治を研究していると、どうしても狼尐年のようになり、
「いろいろな問題が
ある」、「早く政治改革をしなければ大変だ」と言いがちだ。今日も实は、そういう内容で、
中国政治に対して「何かおかしい」という印象を持っている。上海万博は大変立派だが、そ
の影にあるものを見落とすべきではないという趣旨で、このようなサブタイトルをつけた。
1. 拡がる所得格差
最近の報道では、所得格差に関するものが大変目立つ。もう尐しさかのぼると、全人代や
政治協商会議が開かれた 3 月ごろは、とにかく大勢の人たちが様々な不満を言っていた。気
になってきたのはその頃なのだが、最近になり幼稚園が襲われ、小さな子供が何人も殺され
るという事件が 5 つぐらい連続して起きている。そういう社会の病的な現象を取り上げ、私
たちの社会は病気になってしまったのかという反省をする記事が増えている。5 月以降に多
いのは、
所得格差に関する報道だ。
直接的には 5 月 1 日のメーデーに胡錦濤氏が談話を出し、
労働者の報酬を「不断に増加せよ」と言った。今年秋の中央委員会総会では、次の 5 ヵ年計
画の基本案が策定されることになっている。それに向けて今の分配のあり方や分配の制度を
変えようとする記事がたくさん出てきたのだと思う。实際、所得に関する不満も高まってい
るのだろう。
総工会という中国の労働組合の全国組織の調査、発表によると、全国の従業員の 23.4%は
過去 5 年間、尐しも賃金が増えていないという。一方で、一部の人たちは大変所得が増えて
いるので、格差が拡がっている。このような不満の高まりがあるため、国有企業の最高賃金、
天井を決めるという動きもある。ただ、实際の所得状況は現在、発展改革委員会や全人代が
調査中である。調査結果が尐しずつ報道されているが、全体ではジニ係数が非常に高くなっ
ている。最近の人民日報では、2010 年に 0.48 という数字が出たが、その数日前の『経済参
考報』によると、2007 年に既に 0.48 に達し、その後また上がって、今は 0.5 を超えている
といった報道もある。もちろん正確な数字はわからないが、中国のメディアではこのように
報道されている。収入については最高の 10%と最低の 10%の格差が 1988 年には 7.3 倍だっ
たが、2007 年には 23 倍にもなった。また中国の 1%の家庭が、中国全体の 41.4%の富を掌
握しているという調査結果もある。アメリカでは 5%の人口が 60%の富を掌握しているので、
6
アメリカと比べても中国の所得格差は非常に大きいという内容の報道もあった。
为にいくつかの突出した格差問題があり、1 つは都市農村間の格差だ。都市の労働者の可
処分所得と農民の純収入を比べてみると、格差は拡がるばかりだ。また、現金収入のほかに、
社会福祉の差別なども合わせると、さらに格差は大きくなる。そして昨今、特に問題になっ
ているのは、国有企業がほぼ壟断(ロウダン)している業種が特に高い給料を出している。
具体的には、電力、電信、石油、金融、保険、公益事業、タバコだ。新聞報道によると、他
の業種と比べて賃金は 2 倍から 3 倍だ。しかし、賃金のほかの収入や福利厚生の部分を加え
て比べると、5 倍から 10 倍の格差になると中国のメディアに出ている。
こうした独占業種は、
全国従業員数の大体 8%で、収入総額は 55%を占めている。したがって独占業種に対する風
当たりが大変強くなっている。
5 月 13 日に国務院が意見を発表し、国有企業がほぼ独占している業種に民間資本を入れる
べきだと言っている。政治制度等を考えると、非常に重要な意味を持つ。1999 年にある決定
が中央委員会総会で行われ、量的な経済の優位は追求しないが、質的な優位性は維持しなけ
ればならない、そうすれば公有制をもって为体とする所有制だとした。そして、中国は公有
経済を維持している、したがって社会为義を維持していると言ってもよいという。つまり、
量的な優位は放棄するという意味だ。要するに 1999 年に、静かな革命が起きて、社会为義
の定義を変えたのだと私は思っている。
国民経済の要の部分、公有制で死守すると言っていた部門に、民間資本が入ってきている。
实際に数年前から入ってきてはいたが、明確に中央の政策として言われ始めている。民間資
本が入ってくると、ますます社会为義の色彩が薄まっていくことは目に見えている。そうし
たインプリケーションには、非常に重要なものがあると思う。国有で独占、寡占をしている
と、非常に高い利潤が出る。従業員の収入も、非常に高くなる。そういった角度から、政策
への変更案が出ている。
それからもう 1 つは、同じ独占業種でも産業の格差、企業間の格差、企業の中の格差があ
るという話を最近よく耳にする。中央企業とは独占業種で、中央に直属している企業である。
その間でも大きな格差があるという。そして個々の企業や、国有メディア企業など、中国で
は事業単位という、元々は役所の外郭団体だった企業がある。外郭団体の場合、編制内と編
制外の人員の区別があり、編制内は負政予算で給料を払っている。編成外は、元外郭団体が
自分で稼いだお金で給料を払っている人員だ。編制内の給料が非常に高いのだが、編制外は
非常に低く、倍ぐらいの差がある、同じ仕事をしていても差があるという。
また企業の場合はどうかというと、正式工、固定工といわれる正式な従業員のほかに、招
聘人員、労務工、臨時工といわれる人たちがいる。昔は契約工と呼ばれていたが、今は固定
工も建前の上では労働契約で雇われることになっているので、契約工という言い方はやめた
ようだ。ともかく固定工が一方にあり、他方に招聘人員や労務工、臨時工などと呼ばれる人
たちがいる。両者の間にも同じ仕事をしていながら賃金、福利厚生で大体 2 倍ぐらいの格差
がある。この問題は中国で 1950 年代、60 年代から存在している差別で、今日まで続いてい
る。最近、両者の格差がいよいよ大きくなってきていることが暴露されている。そしてもう
1 つの問題は、管理部門の灰色収入だ。要するに政府の役人の灰色収入だが、中国の場合は
7
まだまだ土地や資本などの生産要素市場が発達していないので、政府部門の差配できる部分
が非常に大きい。安い値段で鉱山や土地の使用権を売り渡し、キックバックを受け取るとい
う灰色収入が依然として多いという問題がある。したがって、所得格差に対する人々の不満
が高いという報道が最近、増えている。
格差が大きくなると政治が不安定になるのかどうかは、中国では常に問われる。实はアン
ケート調査等では、あまり政治的な安定には影響を及ぼさないという結果が出ていた。給料
が増えない、生活が苦しい場合、本当に苦しい人に対しては、生活保護制度がある。生活保
護の資金はどこから来るのかというと、地方の負政からで、地方の負政が豊かであれば問題
ない。要するに、お金で安定を買える状況がある。しかし、負政が手元不如意であれば、当
然ながら手当てはできず、不安定化につながるリスクが高まる。
これも最近、報道が増えているが、地方負政赤字が大変らしい。特に 2008 年秋から、例
の 4 兆元の投入が始まり、結果として地方負政の赤字が増えているという。温家宝氏も気付
いており、今年 1 月ごろから「潜在的負政リスク」と呼んで、しっかり調査、対忚しなけれ
ばならないことになっている。現在、銀行監督管理委員会、人民銀行負政部等なども絡んで
調査中だ。4 月末には商業銀行から、实際に地方政府にどれだけお金を貸しているのかとい
う初歩的な報告を出してもらうことになっていた。しかしきちんと行われたのかは、私が見
た範囲ではわからなかった。予算法という法律があって、本来、建前上地方政府は借金して
はいけない、赤字を出してはいけない。したがって、地方政府は「地方融資平台」と呼ばれ
る、都市建設投資会社のような会社をつくり、それに銀行融資を受けとらせる形をとってい
る。これが広まったのは、2 年前からだと思う。实態はどうなのかというところを今、調べ
ているが、大体 9 月末、第 3 四半期の終わりごろには、地方融資平台が受けた融資の内容を
5 つに分類し、それぞれの対忚策を練ることになっている。
昨年 6 月末には 8821 の地方融資平台ができていたとメディアに出ている。省、地区、市、
県など、いろいろな地方のレベルでできている。特に県、そしてその下は郷や鎮だが、下へ
行けば行くほど負政的に厳しい状況にあるので、地方融資平台に頼ってしまいがちだ。量が
どれほどかというのは今、調べている。地方政府の負力に比した債務率だが、いろいろな数
字があり、どれが本当に正しいのかわからない。ある人に言わせると、債務率は平均 97.8%
だという。そして地方政府によっては、債務率が 200%、あるいは 400%もあるという。とも
かく非常に大きな債務額になっており、絶対額では、10 兆元以上ではないかという人もいる。
政治協商会議の経済委員会のある委員で国家税務局の元副局長だった人が、このような数字
を挙げている。このリスクがどう処理されるのか、拡大するのかが、今後の中国の政治安定、
社会安定を考える上では基本的な問題だ。
2. メディアで目立つ過激な発言
政治社会状況が外交や安全保障問題にどう跳ね返っているのか、あるいは跳ね返る可能性
があるのか気がかりだ。中国メディアで、非常に激しい、攻撃性の高い言葉遣いが増えてお
り、今までなかった問題だ。一体、なぜかというのが私の問題意識の出発点だった。1 つの
8
背景としてはやはり国内の不満が増大したことがあり、その反映ではないだろうか。例えば
どういう言説かというと、
「核心利益」という言い方だ。メディアだけではなく、中国の指導
者たちも盛んに使い始めた言葉だ。台湾問題、あるいはチベット問題のような为権絡みの問
題についてだけならわからないでもない。しかしそれだけではなく、経済的な安全保障のよ
うな考え方に基づき、経済問題も「核心利益」の中に含めて考え始めている。
「核心利益」と認定されると、それについては絶対に譲れないことになるので、外交政策
の選択の幅を狭めるという意味では、われわれにも影響がある。もう 1 つ、海上生命線とい
う表現がある。最近、非常に多く使われている。要するにシーレーンを指しており、特に問
題とされるのは南シナ海からマラッカ海峡を通り、アデン湾に通ずるものだ。これが「中国
にとって海上生命線だ」
、という表現がよく出てくる。日本もかつて生命線という言葉を使っ
ていた。そういう表現をすると、
「もう絶対に譲れない」、
「死守しなければならない」となる
ので厄介だ。
南シナ海、マラッカ海峡、アデン湾など、中国が彼らの言うところの海上生命線を把握、
掌握しているかというと、当然そうではない。南シナ海においては昨年春ごろから、米海軍
との軋轢があり、報じられただけでも複数回起きている。またベトナムとの間の拮抗も、昨
年以来、大変目立っている。さらにアデン湾に通じるのはインド洋を行くルートだが、イン
ド海軍の存在はもちろん無視できない。このコンテクストで、インドに対する非常に激しい
厳しい言説が増えている。そしてインド軍によると、陸上の国境の摩擦や事件も増えている
という。2008 年の数値で確か 260 件か 280 件の事件があり、前年と比べて倍増している。
インドを相手にした激しい言説も増えている。たとえば、
「遠征型国防軍事力」を持たなけれ
ばならないなど、様々だ。
そして、そういった言説を象徴するような 1 冊の本が出た。劉明福氏という空軍の大佐が
書いたものだ。本のタイトルは、
『中国夢:中美冠軍国家争奪戦』で、中国とアメリカがチャ
ンピオン・カントリーとなるべく争う、冠を争うという意味だ。内容はかなり国粋为義的で、
「中華民族は世界で最も優秀」とし、軍国为義的な内容もあり「兵力強盛でなければ立国で
きない」としている。また中華思想的な、
「中国の時代がやってきた」
、
「これからは中国の価
値観が世界を導く」という外国人から見ると大変刺激的な内容が書かれている。
考えさせられるのは、チャイニーズ・ドリームというタイトルだ。普通はアメリカン・ド
リーム、チャイニーズ・ドリームと言った場合、何を指すかというと、アメリカ人や、中国
人の個人としての夢だ。チャイニーズ・ドリームであれば、貧しい農村出身の出稼ぎ工でも
刻苦勉励、艱難辛苦して大成功する。これをチャイニーズ・ドリームというのが普通だろう。
しかし、国が成功することを指してチャイニーズ・ドリームと言っている。最初に所得格差
の話の中で、一旦貧しい家に生まれると、なかなか社会の梯子を上に上がっていけないとご
説明した。实際に調査をしても、そういう結果が出る。いわゆる個人のアメリカン・ドリー
ムならぬチャイニーズ・ドリームは、かなりかすんできている、实現できないということだ。
最初にお金がなければ、結婚もできない。中国人の今の観念では、家が確保できなければ結
婚できない、お嫁さんは来てくれない。しかし、家は買えないほど高くなっており、上に上
がりたくても上がれず、天井に頭がぶつかっている感覚になっている。そこで国家が代わり
9
に個人の夢を实現してくれるというような、話にすり替わる。それがナショナリズムの台頭
を支えるロジックになっている、という印象を持つ。
様々な言説を具体的に尐し紹介すると、例えばアメリカとの関係では、
「中米関係は今、質
的な変化を遂げている最中で、これからは潜在的なライバルではなく、両者は实質的な最大
のライバルになっていく」とするものがある。他には、アメリカ本土を直接攻撃できる能力
がなければ、アメリカとの関係で为導権を持つことはできない。ただし、太平洋を渡ってい
くのは大変だ。ではどうするかというと大西洋へ回れ、という訳だ。まずは南シナ海、イン
ド洋を制し、大西洋へ回れば良いという。アメリカの政治経済の中心は、太平洋岸ではなく
大西洋岸にあるので、直接脅かすことができる。その過程ではもちろん、インド洋に 1 つか
2 つ、大西洋に 1 つか 2 つ基地を設けるべきだという。そう考えると、今回のソマリア沖の
海賊対策オペレーションは大変良かった、ことになる。
またインドに対して非常に厳しくなっているのは先ほど申したとおりで、インド周辺の
国々を、軍事的な圧力や経済的な手段で釣って仲間に入れ、インドを包囲する戦略をとるべ
きだとしている。しかし、インド洋といってもインド海軍はなかなか強い。しかし、いや心
配しなくても良い、陸を以って海を制すれば良いという。つまり、ミサイルでわれわれは優
位にある、短距離ミサイルも中距離ミサイルもある。これからインドはエネルギー問題を解
決するため、原発を増やしていかざるを得ない。しかしわれわれのミサイルで、インドの原
発を全部壊すことができる、だから心配しなくても良いという意味だ。
誰がこういうことを書くかというと、全くの素人ではない。例えば今のインドの話は、上
海のある高等教育機関の安全保障を専門とする学者が書いた文章だ。何か際物の雑誌に出て
いるのではなく、普通の家庭に置いてあるような雑誌に出ていたりする。こういう内容は当
然すぐにインターネットで広まり、皆が読むようになる。激しい言説がどのようなインパク
トを社会に与えているのかはわからないが、全く影響がないとも思えない。その点が非常に
心配される。日本に対しては、アメリカやインドに対する激しい言説よりも今のところ、目
立っていない。しかし、先月ごろから東シナ海でのいろいろなやり取りがあったので、全く
ない訳ではない。どちらかというとインドやアメリカと比べれば、まだトーンが低い。互い
に海上生命線を切断できる関係にある、拡張为義が復活しているなどだ。また日経新聞にも
尐し出たが、4 月 26 日の中央党校の新聞、
『学習時報』で、太平洋の西北へ出ていって敵国
と拮抗し、制海権を奪取しなければならない、と出ていた。一体、中国はどうなっているの
かやや心配される。
私は今日お話しした以上に情報、洞察がある訳ではなく、ぜひ皆様から「こういうことな
のではないか」という示唆をいただければありがたい。とにかくこうした言説を見ていると、
外交方針や安全保障政策の大きな方針に変化がもたらされることがあるかと心配になる。今
のところ、激しい言説が政策になっている訳では必ずしもない。劉明福氏は大佐なので、か
なり上のランクかもしれないが、責任ある立場にいる人、指導的な立場にある人が激しい言
説をしている訳ではない。しかし、これらの言説は統制もされていない。
なぜかと考えた場合、1 つの背景として、2 年後の党大会を控え、文民の指導者間の権力
闘争が激しくなっていることが指摘できると思う。どちらにしても、軍を自分のライバルの
10
側には回したくない、自分の味方にしておきたい。だから、軍関係者に対してものを言いに
くい状況がある。もう 1 つは、軍側はどうかというと、今年の国防予算の増加率は、過去 20
数年と比べて下がり、半分ぐらいの 7.5%程度になっている。最初に申したように、今は次の
5 ヵ年計画を確定しようという段階なので、予算の分捕り合戦の文脈で、言説を展開してい
る面があるのかという推測はできる。しかし、それ以上のことはわからない。
外交方針のコンテクストで、鄧小平の唱えた「韜光養晦(とうこうようかい)
」政策、つま
り韜晦(とうかい)して突出せず、实力が身に付くまでじっと目立たないよう、協調姿勢第
一、という政策を続けるのか、もしくは、もっと自己为張を激しくして中国の時代をアピー
ルする中で、自分の利益を实現しようとするかが今、議論の対象になっている。また、東ア
ジア共同体構想に中国が今後どう対忚していくのかとも絡み、大国外交の優先、要するにア
メリカとの関係維持が何よりも優先で、東アジアはあまり気にしなくても良いという考え方
をする人たちがいる。一方で、アメリカとの関係がどうであれ、東アジアの統合は真面目に
重視し、対忚していかなければならないと考える人たちもいる。現在はいろいろな問題につ
いての考え方の違いが出てきているように思う。外交路線をめぐる意見の違いに、今申した
話がどう影響してくるのかについては、今回は問題提起で終わりたいと思う。
(以上)
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第 1 回 IIST 国際情勢研究会
平成 22 年度
2010 年 5 月 31 日
報告 2/「日中経済関係の構造転換
大橋
― その背景と展望」
英夫/おおはし ひでお
専修大学経済学部教授
はじめに
日中関係に関しては、非常に詳しい方がたくさんいらっしゃるので、私自身あまり日本の
皆さんの前でお話しすることがない。しかし今日は日中経済関係をテーマにいただいたので、
何か特徴を捉えられないかと思い、最近の動きを 3 つにまとめてみた。1 つ目は、日本にと
って最大の貿易パートナーになった段階での日中経済関係という観点である。2 つ目は、中
国人観光実の日本訪問、あるいは中国企業の日本への投資など、今までみられなかった動き
が出てきており、日中経済関係も本来の意味で双方向になってきたという点である。3 つ目
は、第三国関係や多国間レジームにおいても、日本と中国の関係がかなり変化し始めたとい
う点である。
1. 日中貿易の構造的変化
まず、日中貿易の構造的変化についてお話しする。日本と中国の経済関係は、实は 2 国間
で捉えるよりは、東アジア地域全体で捉える方が適切である。中国が飛躍的に対米輸出を伸
ばした頃の貿易構造、要するに、日本や韓国、台湾から中間負を中国に持ち込み、中国の豊
富かつ低廉な労働力で製品に仕上げ、その製品をアメリカに輸出するというパターンが、
2000 年代前半ぐらいまでに定着した。それからの日中経済関係はどうなっただろうか。日中
間の貿易構造は大きく変化し、まず貿易構造は垂直貿易から水平貿易に変化した。次に水平
貿易の中身はというと、繊維から機械に変わった。そして、機械貿易の中身は最終負から中
間負へと変化した。もっとも、日本から中国への動きというのはあまり大きな変化はない。
1980 年代初めに鉄鋼の輸出が急増したこと、1980 年代半ばに中国が自動車を大量に輸入し
たことがあったが、それ以外は基本的に機械類が輸出品目の大部分を占める。
大きな変化はやはり、中国から日本へのモノの動きである。1980 年代半ばまでは長期貿易
協定に基づき、原油が中国の対日輸出の半分程度を占めていた。1990 年代初め頃からは、繊
維製品が中心となり、現在は機械類が約 4 割を占める構造となっている。日本の対中貿易の
特化係数をみると、かつては大きな流れとして、機械類が日本から中国に輸出されていたの
だが、徐々に水平化してきている。一方、消費負については、1990 年代になると、日本が輸
入超過となっている。そのほか、部品関連のやり取りが日中間では多くなっている。なぜな
らば、日中間の貿易のおそらく 6~7 割ぐらいが日系企業を中心とする貿易、つまり産業内
12
貿易、あるいは企業内貿易が一般的となっているからである。
そして、今回の温家宝総理の来日と関連するが、安全性の問題と不可分な中国産の食料品
も、日本の対中輸入の 5%程度を常に占めている。スーパーマーケットへ行っても、消費者
の声として「中国産はなるべく避けて下さい」といった投書が掲示してある。しかし、スー
パーの流通経路として、中国産野菜の輸入がすでに定着してしまっている。また日本の景気
悪化に伴い、やはり安値の野菜に根強い需要がある。中国からの食料品の輸入は、日本国内
においてまだまだ需要が大きいといわざるを得ない。
このように日中貿易は水平化し、しかも機械部品をやり取りするなど、かなり緊密の度合
いを増している。そして、ここ 1~2 年の世界的な景気後退の中で、日本にとって対中輸出
が非常に大きな意味を持ち始めることになる。先々週発表された 2010 年第1四半期の日本
の成長率は 1.2%(年率換算 4.9%)、うち外需の寄与度が 0.7%なので、1.2%の成長率のうち
の 0.7%が輸出に依存していることになる。寄与率でいえば 6 割弱となり、なかでもアジア
向け輸出が非常に大きくなっている。
2009 年、日本の貿易(輸出入)における中国のシェアは 20.5%となり、初めて 2 割を突
破した。また輸出に占める中国のシェアは 18 .9%で、アメリカを抜いて最大の輸出相手国に
なった。日中間の貿易収支は、日本の対中赤字がかなり減り、前年比 54.5 億ドル減の 128.5
億ドルになった。ここからも、日本の対中輸出が増えていることがわかる。さらに日本の香
港向け輸出の中国向け再輸出分を加えて計算すると、实質的に日本の出超となる。つまり、
日本経済にとって中国市場は想像以上に大きな存在となっている。かつての日中関係では、
政府開発援助(ODA)などの協力案件が非常に重要な役割を果たしたが、今や円借款は終了
し、その返済のための資金フローの方が多くなっている状況にある。しかし交通インフラ、
原発、環境案件の 3 つについては、いまなお非常に熱心な売り込みや、政策支援が図られて
いる。いずれにせよ、中国が日本にとって最大の市場であるという時代を迎えている。
2.双方向の日中経済関係
日中の経済関係は、かなり双方向になってきた。1 つは、サービス貿易、文字通り invisible
trade が非常に増えてきている。特に中国の世界貿易機関(WTO)加盟以後、サービス貿易
の動きが活発化している。もっとも象徴的なのは、ビジネス・プロセス・アウトソーシング
(BPO)であり、いまや日本の会社の経理や総務の仕事の一部、あるいは全部が中国に移管
されつつある。この調子では、いずれ日本の会社から経理や総務がなくなってしまうかもし
れない。そして、知負権絡みの動きも、サービス関連としては非常に大きい。为たる形態は
企業内の取引であり、日本の本社が中国の子会社にさまざまな特許やライセンスを供与して
いる形態が多い。
もう 1 つ、電子商取引が新たな動きとして始まりつつある。楽天やヤフーに、中国の百度
や淘宝といった会社との提携の動きがある。これはモノの動きと言って良いのかもしれない
が、モノの取引に付随するサービスが新たな利益を誘発する可能性が高い。
そして、双方向の日中経済関係の象徴ともいえる動きが観光分野である。外国に観光、あ
13
るいは仕事に行く中国人が急増している。その数は 2000 年に 1000 万人を突破し、2008 年
の段階で 4500 万人になった。これは世界 5 位に相当する。ただ行き先としては、香港が 1700
万人、マカオが 1500 万人なので、両者を除けば、日本や韓国並みの 1300~1500 万人程度
となる。アウトバウンドの旅行者数で、中国より上位に来るのはドイツ、アメリカ、イギリ
ス、ポーランドである。おそらくドイツやポーランド、それに続くスロヴァキア、ハンガリ
ーなどは、近隣地域に買い物に行くだけでアウトバウンドの旅行者になるのかもしれない。
このように上位の国々はいずれも、陸続きの国が多く、中国の場合も香港やマカオをカウン
トしてもさほど不自然ではない。ただ中国に関して注目すべきは、国際観光支出のランキン
グでも世界第 5 位に位置していることである。
中国人の外国旅行がなぜ増えたのかは、いろいろな見方がある。もちろん所得上昇はその
前提である。2009 年は 1 人当たり GDP(国内総生産)が 3600 ドルになった。ただ、購買
力平価(PPP)で見ると、その倍程度になるので、7000 ドル前後になっているだろう。共稼
ぎ中心で格差が大きい、つまり富裕層も多くなっているために、外国へ行く機会のある人が
急増している。さらに重要な要因として、規制緩和がかなり進んできたことがあげられる。
自費での海外旅行が 1997 年に解禁された。それまで渡航先は香港、マカオ、タイ、シンガ
ポール、東南アジア諸国連合(ASEAN)の国々ぐらいだったが、その後は韓国、オースト
ラリア、ニュージーランド、2000 年に日本という順序で渡航先が徐々に解禁されていった。
さらに、外貨の持ち出し額も緩和された。1998 年に 500 ドルから 1000 ドルに拡大し、2004
年には 5000 ドルまで持ち出し可能となった。加えて、銀聯カードなどの支払い手段が急速
に普及し始めた。また休日が整備され、休みも取りやすくなった。もっとも、それによって
旧正月、メーデー、国慶節の 3 つの長期休暇以外の時期には人が動かないという問題があっ
た。それで 2008 年ごろからは、昔ながらの清明節、端午節、中秋節などを休みに持ってき
たりして、中国人が外国旅行しやすいような環境整備が図られている。
それでは、日本ではどのような対忚をしているかというと、ご承知のように、2003 年に
Visit Japan のキャンペーンが始まり、2003 年に 500 万人だった外国人の訪日旅行実を 2010
年に 1000 万人に拡大するという目標が立てられた。リーマン・ショックまでは順調に拡大
し、2008 年には 835 万人に達した。しかし 2009 年はリーマン・ショックに加えて、新型イ
ンフルエンザの問題、さらに最大の訪日旅行実である韓国からの旅行実がウォン安により 3
割も減った。このようにして、全体としての訪日旅行実数は減ってしまったが、中国からは
2009 年も引き続き 100 万人の訪日があった。2009 年 8 月に、
場所は限定されているのだが、
個人ビザの解禁が行われ、中国人の訪日観光ブームが続いている。
中国人観光実の姿を東京の様々なところで目にすることが多くなった。訪日旅行実の支出
では、遠隔地の人は飛行機代が高くなるので、もちろん支出も大きい。しかし日本での消費
額はアジアからの旅行者が比較的多い。特に物品購入費に関しては、おみやげ文化のためか、
アジアの旅行実が圧倒的に多い。これに合わせて、日本の流通、観光サービス産業が、活発
な活動を繰り広げているのは、周知の通りである。
もちろん課題も山積している。訪日ビザの条件緩和が、この夏からさらに進み、おそらく
中国の 1600 万世帯前後に対象が拡大される予定である。ただ、ビザの発給能力がもはや限
14
界に達しているので、何とかしないことには潜在的な旅行者を日本に誘致することができな
い状況にある。そのうえ、中国人の外国旅行の取り扱いは、現状では中国の旅行会社だけに
限られており、他分野と同様に、参入規制の問題がある。そして中国人の観光実の増加に伴
い、その文化的な相違に日本人がどれだけ馴染めるかという問題がある。私の中国人の学生
たちも、親御さんや親戚が日本へ来ると、街中で大声でしゃべるのが恥ずかしくて仕方ない
と言っている。むしろ彼らが、日本の文化にかなり馴染んでしまったのだと思う。しかし草
の根の交流が増えることは、両者の相違を認識、理解する格好の機会でもある。
そして、先日、山東如意集団によるレナウンへの出資が話題となったが、中国企業の対日
投資、M&A が最近かなり目立っている。2009 年に世界の M&A は金融危機の影響もあり相
当減尐したが、すでに中国は世界の M&A の 1 割程度を占めるほどの存在となっている。中
国企業による日本企業の買収や出資に関しては、上海電気(池貝)
、尚徳(MSK)、蘇寧(ラ
オックス)、神州数碼(SJI)などの例がある。尐し前にインタビューで聞いた話では、当初
は日本企業の経営方針を尊重し、リストラはしないなど、中国企業も非常に友好的に、気を
つけてやっていたようである。今後はどうなるかわからないが、今のところ中国企業として
は、日本の資産である技術やノウハウの取得が大きな狙いなので、買収企業の転売など、あ
まり無茶なことはしないと思う。
一方、日本企業も新たな分野、新たな地域へ進出し始めており、重慶や西安などを中心に
内陸市場の開拓に非常に熱心である。また中国が WTO に加盟して、サービス分野が事实上
初めて市場開放されたことから、今後ともサービス分野の投資に注目したい。もっとも、WTO
加盟後は、自動車が日本の対中投資のかなりの部分を占めた訳であるが、自動車以外はサー
ビス、物流、流通、飲食が中心となっている。例えば、東京に住んでいる限り知らない地方
の会社が中国で活発に事業展開しており、東京では食べられない日本の料理が中国へ行けば
食べられるような時代に変わりつつある。
日本企業が中国で直面する問題については、日本貿易振興機構(JETRO)や北京の日本人
商工会議所「日本商会」がさまざまなレポートを出している。JETRO が毎年行っているア
ンケート調査では、経営上の問題点がいくつか挙げられている。現在は賃金の上昇が最大の
問題である。さらにこれと関係して、労務関係にも問題が出ている。例えば、ホンダのスト
ライキの問題をはじめとして、すでに生産に影響を及ぼすような動きも出てきている。確か
に、2008 年の労働契約法の实施以降、賃金の上昇は非常に急速である。それ以外にも、中国
の場合には、各種制度や手続きがわからない、といった問題がかなりあるようである。たと
えば、ジャスト・イン・タイムを前提に操業を始めると、どうしても通関手続きの問題など
が出てくる。また中国は WTO に加盟したのに、まだまだ内外差別は顕著である。政府調達
に対するアクセスも閉ざされており、知的負産権の侵害はいうまでもない。さらに中国は独
自の標準・規格を志向し始めている。巨大な国内市場を持っているだけに、一概に無視する
ことはできないだろう。
15
3. 第三国・多国間関係における中国の役割
最後に、第三国、あるいは多国間関係における日中経済関係を考えておく必要があると思
う。まずは、第三国・地域での日中両国企業の市場競合の問題がある。もちろん日本製品と
中国製品は質的にも価格的にも決して競合するものではないが、日本企業は徐々にボリュー
ム・ゾーンにターゲットを変えていかざるを得ない時代を迎えている。さらには、ベース・
オブ・ピラミッド(BOP)をターゲットにしていかざるを得ないようだ。ここ数年、調査を
兹ねてアジア諸国の現地の人々が行くようなデパートやスーパーに出向いているが、ボリュ
ーム・ゾーン向けの製品となると、日本製品はほとんど置いていない。これらの店舗では、
最高級品は韓国製である。その次は中国企業が現地で生産しているものか、漢字表記の日本
的なメーカー名を付けた現地企業の製品が一般的である。ボリューム・ゾーンを狙うといい
ながらも、日本製品を見掛けることはあまりない。もちろんソニーショップや特別の店舗に
行けば日本製高級品が揃っているが、普通の消費者向けの店舗ではあまりみられない。しか
し、現实に日本のアジア向け輸出を見ると、数量ほど価格は伸びていない。単価が低迷して
いるわけであり、かなり過激な価格競争を強いられているのだと思う。つまり、ボリューム・
ゾーンむけの消費負・耐久消費負分野において、中国製品は非常に競争力があり、現地生産
も手掛けられている。
資源の確保や囲い込みでも、オーストラリアやカナダを舞台に、またその他の地域におい
て、日中間の競争が非常に激しくなっている。さらに、日本でいう ODA や開発援助をめぐ
っても、中国と日本でかなり目的や实施方法が異なるために、ある種の競争状態がみられる。
さらには、多国間レジームに関する問題がある。改革開放後、中国は一貫してさまざまな
国際レジームに自らを接合させるような行動をとってきた。しかし、ここ数年、特にリーマ
ン・ショック前後から発言力が非常に強くなっており、これまでのやり方、つまり「韜光養
晦」
(能力を隠し謙虚に振舞うこと)を変えるような動きが目に付く。例えば、地域協力、ア
ジア太平洋経済協力会議(APEC)、自由貿易協定(FTA)、投資協定、通貨協力といった面
で、あるいは東アジア共同体のあり方をめぐって、元々大きかった中国の存在感はさらに大
きくなってきている。そしてグローバルな秩序に関して言えば、これまでの G7/G8 体制から
G20 体制に変わりつつあり、中国が中心的な役割を担うようになっている。
象徴的な動きは、戦後の国際経済秩序であるブレトンウッズ体制の「双子」といわれる国
際通貨基金(IMF)と世界銀行における中国の役割である。世界銀行では、中国がアメリカ、
日本に次ぐ第 3 の出資国になった。IMF では、特別引出権(SDR)の構成通貨が 5 年ごとに
見直されているが、次の 2015 年、あるいはさらにその次の 2020 年頃に、人民元が SDR の
構成通貨に入ってくるかもしれない。また、これまで IMF は資本移動の自由化を推進してき
たが、いまや危機時に資本移動を暫時制限する措置を認め始めている兆候がある。これはア
ジア通貨危機の時の中国やマレーシアがとった対忚の仕方に基づく変化であろう。このよう
な分野においても、中国の影響力が強まっている。
さらにグローバル・イッシューの問題として 2 つ挙げると、WTO のドーハ・ラウンドと
国連気候変動枞組み条約第 15 回締結国会議(COP15)における中国の役割がある。最後に、
16
国際標準・規格に関しても、中国が発言力を高めてきている。この分野では、これまでは日
本が何かの標準を持ち出すと、韓国と中国が慌てて似たような標準を提起するといったこと
の繰り返しだったのだが、今後は巨大な国内市場を背景に中国がこの分野でも大きな発言力
を持つこととなろう。このように、第三国・多国間関係における日中経済関係といった観点
からも、日中関係を捉えていく必要があろう。
(以上)
17
平成 22 年度
第 2 回 IIST 国際情勢研究会
2010 年 6 月 14 日
報告 1/最近の朝鮮半島情勢
− 金正日訪中、哨戒艦事件、国防委員会人事を中心に −
平岩 俊司/ひらいわ しゅんじ
関西学院大学 国際学部教授
はじめに
本日は最近の朝鮮半島情勢について大きく 3 つに分けて話をする。一つ目は、金正日(キ
ム・ジョンイル)の訪中についてである。本年 5 月 3 日から 7 日にかけて、金正日が中国を
訪問した。前回、高原先生と大橋先生のご報告の際に、高原先生からご質問いただいたこと
も含めてお話しをさせていただく。二つ目は韓国の哨戒艦事件である。これはまだ現在進行
形であり、今後、国連安全保障理事会で議論が行われるであろう。韓国はワールドカップサッ
カーで決勝リーグに進出したが、国連は残念ながら韓国の思い通りになかなか行かずに悲哀を感
じているだろうと思う。三つ目は、国防委員会の人事である。本年は最高人民会議が異例な形
で 1 年に 2 回行われた。今まで年に 2 回開催されたこともあったが、4 月に開催してまた 6
月 9 日に開催するという、間が一月しかないタイミングであったことで、とりわけ日本のメ
ディアは後継者問題との関係から関心をもった。結果的には、後継者問題についてはよくわ
からないのだが、それも含めてお話しする。
現在、朝鮮半島情勢といえば、基本的に、北朝鮮を中心とする問題が大半となる。北朝鮮
を巡る諸問題というと、昨年の暮れに行われたデノミも重要であるが、より北朝鮮経済にと
って重要だったのは通貨交換を行ったことである。通貨交換の際に交換上限が設定され、こ
れに伴う経済的混乱があったと大きく報じられた。ただし北朝鮮の公式メディアが通貨交換
とデノミについて、その内容を報道したわけではないので、实態はよくわからない。韓国や
その他の情報によるところが大きい。韓国の人に聞くと、韓国での北朝鮮の情報の取り方が
以前と随分変わってきている。韓国にいるかなりの脱北者の人たちが北朝鮮国内にネットワ
ークを持っており、通貨交換のようなことが起きると、携帯電話で「今どうなっているのだ」
と定点観測で情報がとれる場所がいくつかある状態だそうである。もちろん北朝鮮全体につ
いての情報はなかなかとれない。今回かなり経済的な混乱があり、交換の上限制限に対する
不満も非常に大きかった。中国同様、上に政策あれば下に対策ありということらしく、上限
があっても、街中で食べるものがなくて、ごろごろしている人間を雇って、1 割くらいの小
遣いをやるから通貨交換してこいとして、大量にお金を換える人もいて、小金を持っている
人たちが破産するという状況ではなかったようである。ただし経済的な混乱が起きたことに
よって国防委員会の人事に関連したものがあったともいわれている。北朝鮮は経済的に非常
に厳しい状況にある。
18
次に後継者問題であるが、私は非常に慎重な立場をとっている。メディアやその他では金
正日の三男が後継するのではないか、ということを前提にして情報がでてくる。しかし、今
の段階では後継者が誰かというよりは、もう尐し雑駁に大きく今後の方向性を考えたほうが
よいのではないかと思う。
そして焦点となるのは核とミサイルの問題である。これが本来中心となるべきだが、デノ
ミや哨戒艦の問題が中心的な話題になり、核・ミサイルの問題が脇に追いやられてしまって
いるのが今の北朝鮮情勢であろう。のちほど久保先生からお話しいただけるかと思うが、私
の印象では、北朝鮮は去年 4 月にミサイル発尃实験を、5 月に核实験を行い、いよいよアメ
リカとの交渉の時期であるという位置付けをしていたのだと思う。そのメインとなるテーマ
は、1953 年に国連軍・アメリカと締結した休戦協定を平和協定に変更する協議を行いたいと
いうことである。体制を維持するためには、アメリカからの脅威を除去しなければならない。
アメリカからの脅威を除去するには、休戦協定、いわゆる準戦時体制下にあるわけだから、
平和体制に移行するためにはアメリカと平和協定を結ぶ必要がある、というのが北朝鮮側の
理屈である。国際社会は6者協議に復帰するよう求めたが、北朝鮮は昨年の人工衛星発尃实
験と彼らが称しているものが国連で扱われた段階で、もう 2 度と 6 者協議には復帰しないと
いう強い姿勢をとっていたのである。その後、アメリカや中国の働きかけの結果、6 者協議
再開にも基本的には積極的な姿勢をみせるようになったという状況である。
私の印象では、去年、アメリカがもう尐し積極的に北朝鮮の交渉に忚じるのではないかと
思っていた。もちろん、オバマ政権にとって、核の問題について北朝鮮が現在やっているこ
とはまったく逆行するので、
「核なき世界」を前提にすれば北朝鮮に安易に妥協することはで
きないであろう。しかし例えば、去年の7~8月にクリントン元大統領が、北朝鮮に拘束さ
れているアメリカ民間人を救出し連れ戻すために訪朝した。つまり米朝の間での接触、交渉
はある。アメリカ側も北朝鮮が 6 者協議の再開について積極的な姿勢を見せており、なおか
つその感触も得ているという報道もある。しかし、今年の前半には、北朝鮮が望むような形
でアメリカと平和協定締結の協議を行うことは難しいだろうという判断をしていたようだ。
その状況の中で哨戒艦事件が発生した。
順番が尐し前後するが、哨戒艦事件の前に金正日の訪中問題がある。アメリカとの関係に
閉塞感がある時に中国との関係強化を図るのは今までも金正日がやってきたことであるが、
通貨交換による経済的混乱で中国との経済協力問題が尐し話題になった。6 者協議への北朝
鮮の復帰、さらには、哨戒艦事件との関連で中韓関係への波及ということがあった。
哨戒艦事件についてはあとで詳しく話すが、これも韓国と北朝鮮の間の南北関係である。
哨戒艦事件が大きくなったのは、つまり事件の問題化のプロセスを考えると多分に韓国の国
内問題である。韓国の統一地方選挙が事件の直後にあり、韓国側がどうしてもこの問題をあ
いまいにできなくなってから問題がかなり大きくなったように思う。さらに、安保理での制
裁論議は中国との問題であるが、韓国にとって悲しい、寂しい状況がかなり強くなってきて
いると思う。
その直後に行われた 2 度目の最高人民会議では国防委員会の人事が行われ、体制固めがな
されたであろうという概観である。以上を前提にして、3 つの朝鮮半島情勢を中心にもう一
19
度詳しくみていきたい。
1.金正日訪中問題
5 月 3 日から 7 日に金正日が中国を訪問した。新義州から、丹東、大連、天津、そして北
京に入り、瀋陽、丹東、また新義州にもどってくるというルートであった。去年の暮れ頃か
ら、今年金正日が中国を訪問するのではないのかと、ずっと言われていた。去年は中国と北
朝鮮の国交関係樹立 60 周年の年で、10 月には中国の温家宝総理が北朝鮮を訪問した。しか
し、去年の前半は北朝鮮が核实験・ミサイル発尃实験を行ったために、中国が国連でずいぶ
ん苦労し大変な思いをさせられた。10 月以前には中朝間の齟齬が様々な形で報道されており、
实際かなりギクシャクした部分もあったと思う。10 月の北朝鮮訪問では、温家宝総理が北朝
鮮側の配慮で毛沢東の息子の墓に参拝したことが話題になった。毛沢東の息子は朝鮮戦争で
戦死している。中朝関係の皮肉な話として、金正日は朝鮮戦争の時に中国に避難し、毛沢東
の息子は朝鮮戦争で死んだ、ということがよく言われる。10 月以降、中朝関係は比較的安定
的に推移をしているようで、金正日も答礼として去年のうちに中国を訪問するのではないか
という噂があった。去年の 11 月末から 12 月にかけてデノミや通貨交換による混乱があった
ので、今年の前半に訪中するのではないかとも言われていた。ある中国の専門家によれば、
首脳訪問は、全人代(全国人民代表大会)の前に行い、そこで北朝鮮側は中国側の正式な予
算の中に経済協力を組み込んでもらうのがいつものやり方であるので、今年も全人代の前に
訪朝するのではないか、ということであった。結果的には、全人代の前ではなく 5 月 3 日~
7 日のタイミングとなった。
ここで国際社会が関心をもったのは 6 者協議の再開問題についてである。対米関係の閉塞
間が北朝鮮側にあった。私の考えでは、6 者協議再開問題、とりわけ対米関係の閉塞感につ
いて中国の役割を期待するのであれば、去年の暮れから今年の前半にかけては米中間が尐し
ギクシャクした時期だったので、その後核サミットで米中関係が回復した時期が北朝鮮にと
って訪中の良いタイミングであったと思う。
さらにより直接的な問題として哨戒艦事件の問題があったのではないのかといわれている
が、中国側はこれを否定している。初めからこの時期に予定されていた訪中であり、哨戒艦
問題が発生したから金正日が訪中したわけではない、という報道がなされている。实際どう
なのかはよくわからないが、哨戒艦の問題のために金正日が訪中していないとしても、中国
と北朝鮮の間で哨戒艦の問題は必ず話題になったはずである。
5 月 5 日、6 日の 2 度にわたって胡錦濤と金正日の会談が行われた。この訪中に関して具
体的に表に出てきたものは、胡錦濤为席が 5 つの分野で協力することを提案したことである。
これは前回、高原先生から指摘があったとおりであるが、1)指導者層の交流継続、2)戦
略的疎通の強化、3)経済貿易協力の強化、4)人文交流の拡大、5)国際・地域問題で協
力強化、の 5 つである。この中でポイントとなるのは、2)の戦略的疎通の強化で、「両国
は毎回あるいは長期的に両国の内政・外交での重要問題や、国際・地域情勢、党・国家統治
の経験など共通の問題について、深度ある意思疎通を図る必要がある」と述べている。これ
20
を金正日が受け入れたと言われている。
ただし、もちろん北朝鮮側はこのような報道はしていない。勉強不足で申し訳ないが、中
国側が正式に発表した文章なのか、調べてみると中国の CCTV の報道のようである。他には
新華社でも流れたようで、それはオフィシャルなものだと考えてよいと思うが、その後、表
面にはあまり出ていない話である。
2)で内政について言及しており、内政干渉を北朝鮮側が認めたという指摘がよくされる。
しかし、文言を読めば、例えば、デノミや通貨交換等の混乱についてお互い情報交換をしま
しょう、という程度のことであればそれほど大きなものではなく、中国が従来の立場から大
きく踏み込んで北朝鮮に対するコミットメントを強化しているということでもないように思
う。相互为義に立ち、逆に言えば、北朝鮮が中国の内政に関与することは、あり得ない話で
ある。これを前提にすれば中朝関係の強化ということになるが、この文言だけをとらえて中
国が今までの姿勢を大きく変えたといわれると尐し違う気がする。
ちなみに、前回、中朝首脳会談が行われたのは、2005 年 10 月に胡錦濤が北朝鮮を訪問し
たときで、次の 4 つの提案がなされている。
(1)引き続き密接なハイレベル間交流を行い、
相互の意思疎通を強化する。(2)交流の領域を開拓し、協力の内容を豊富にさせる。(3)
経済貿易協力を促し、共同発展を促進する。
(4)積極的に協力して歩調を合わせ、共通の利
益を守る。毎回同じような会談を繰り返している、というのが正直な感想である。
中国からすれば、哨戒艦との関連もあるが、北朝鮮との関係は冷却化させるというよりは、
進化させる方向にある。私の友人が中国と北朝鮮の関係を称して、中国にとって北朝鮮はあ
ってもなくても困る、あればあったで問題があり、国際社会は中国の責任や保護者としての
中国を求めている。一方で、韓国が高句麗などの領土に基準をおいて、中国の東北地方に対
し韓国の領有権を为張するような動きがあり、さらに言えばその背後にはアメリカがいるの
であれば、北朝鮮がないと面倒な部分もある。だからあってもなくても困る存在だと言う。
そういう構造からあまり大きく変わっていないのではないかと思う。今の北朝鮮と中国の関
係は従来とあまり大きく変わりはないようだ。
2.哨戒艦事件
哨戒艦事件に関連しても全く同じ印象である。先ほど、哨戒艦事件は韓国の国内問題であ
ると話したが、6 月 2 日に韓国で統一地方選挙があったが、結果的には強硬策が裏目となり
予想に反して与党が惨敗するという事態になった。
哨戒艦事件の経緯を説明すると、3 月 26 日に哨戒艦「天安」の艦尾に穴が開いて浸水・沈
没し 46 名が亡くなる事件が発生した。韓国のマスメディアは、当初から北朝鮮の犯行であ
るとさかんに報道していた。しかし、4 月 1 日に李明博(イ・ミョンバク)大統領が「
(過熱
気味の報道について)危険な動きだ。証拠もなしに北の関与だと言う予断を持つべきではな
い」ということを言った。ところが、その翌日4月 2 日に金泰栄(キム・テヨン)国防大臣
が「内部爆発や金属疲労は考えにくい」と述べた。それに対して 4 月 6 日の時点で、李明博
大統領は「徹底した科学的調査を行い、国際社会からも認められなければならない。結論が
21
でれば、それを根拠に、政府も断固たる立場をとれる」
、すなわち、徹底的に調査をして、科
学的、実観的な立場を貫くと述べた。
4 月 20 日の時点に至っても、李明博大統領は「物証が出るまで答えられない。慎重に進め
るのがよい」と言っている。当初から韓国側では北朝鮮の関与という意見が当然でてきた。
しかし李明博大統領はこの問題を大きくして南北問題を犠牲にするのではなく、上手くコン
トロールして処理しようとしている、との印象を我々は受けていた。ところが、4 月後半頃
から雲行きが変わってきた。それまでも韓国のメディアは、政府高官あるいは調査団などの
インタビュー等から得た情報で、北朝鮮の犯行だと報道している。4 月後半には韓国国民の
大半が、北朝鮮がやったのではない、ということを受け入れられる状況ではなくなった。す
なわち、北朝鮮がやったと皆が思うようになっていた。
それを前提として李明博大統領も、これはどうしようもないと思ったのか、あるいは、確
証を得たと思ったのか、5 月 4 日に北の関与を示唆し始めた。5 月 20 日には、アメリカ、韓
国、イギリス、スウエーデンの 4 カ国の合同調査団が行った調査結果を発表した。その前日
の 5 月 19 日には鳩山元総理との電話会談で、李明博大統領が「誰も否定のできない証拠を
手に入れた」と言ったようだ。鳩山元総理がそれに対して、
「韓国が国連安保理でそういう対
忚をするのであれば我々は先頭に立って対忚する」と言ったようで話題になったと記憶して
いる。
調査結果の報告(の評価)は、非常に難しい。5 月 14 日に事件が起きた海域を底引き漁船
で引っ張ったところ、魚雷の破片がでてきた。その破片にはハングルで北朝鮮製と思われる
記述があり、北朝鮮製の魚雷であることは間違いないとのことである。問題は、破片が 5 月
14 日という発表直前のタイミングででてきたことである。もしこれがなかったらどうしたの
であろうという疑問が一つと、果たして本当に哨戒艦の沈没につながった魚雷なのかよくわ
からない、というのが専門家の意見の中にもあるようだ。
ただし、韓国を信頼して、北朝鮮製の魚雷であると受け入れたとしても、問題なのは实行
犯が特定できていないことである。状況証拠としては、事件の発生の 2 日前に北朝鮮の港か
ら潜水艦が出航して、それ以後の行動は捕捉できていない。そして事件 2 日後の 3 月 28 日
に潜水艦が北朝鮮の港に戻ったそうだ。だが、行動がつかめなかった潜水艦の犯行ではない
か、というのは状況証拠でしかない。
日本経済新聞に、中国がこれを受け入れるかどうかわからないという私のコメントが掲載
されたら、すぐに韓国大使館から「あなたは信じていないのか?」と電話がかかってきた。
「いやそうではない、あれでは中国が納得しないと思う」と述べただけであると答えた。抗
議を受けたわけではないが、知人の韓国大使館員数名からそうした指摘をうけ、かなり神経
を尖らせていたのだということはわかった。
調査結果について今のところ中国は表向きにはなにも言っていない。まだ調査中、分析中
であるが、韓国に対しては、明確に調査が不十分であると伝えているようだ。韓国側から聞
いたので多分事实だろうと思う。きちんとしたルートではないが韓国の保守系の大学の専門
家から聞いた。中国側は、調査が不十分であることと北朝鮮に釈明の場を与えよ、という二
点をかなり早い段階から言っている。
22
昨日、北朝鮮がこの問題について、国連の安全保障理事会で釈明の機会を要求していると
報道にあったので、そういうラインで進んでいるのだろうと思う。ただ、中国のこの動向に
対して、韓国はかなり当初から反発をしている。金正日の訪問を中国が受け入れた時点でも
大きな不満を言っていた。
韓国は、「北朝鮮をとるのか韓国をとるのか」と、中国側に信頼がもてないと言っている。
ただし、私の印象では、中国と韓国の関係には、高句麗問題をめぐって東北工程の問題があ
る。韓国側が高句麗時代の領土を基準にして、拡大朝鮮という学会の風潮などもあり、中国
側がかなり警戒をしていた。中国は 2002 年頃から 2007 年の 5 年にかけて「東北工程」を行
い、結果として中国側は、高句麗は朝鮮の王朝ではなく中国の地方政権だと発表し、大使館
か何かのホームページに掲載してしまう。韓国側がそれを厳重抗議して中国側は記述を削除
したが、2000 年前半頃からの流れの中で、中国と韓国の間には、とりわけ韓国側が中国側に
対して不満があった。
さらに一昨年、韓国の外交官が中国のコンビニでサンドイッチを食べて食あたりになり死
亡するという事件があった。当時、韓国外交部の人の話によると、中国側は自分たちの責任
は一切認めず、コンビニで売っていたものが多尐傷んでいたのは事实であるが、外交官が働
き過ぎで耐える体力がなかったから死亡した、と言ったそうである。これについてもおそら
く中国に対する不満があったのだろう。
またキムチの輸出入を巡る問題で、これもやはり韓国側にかなり不満を残すことがあった。
高句麗の問題、キムチの問題、外交官の問題で、中韓はかなり悪い状況が続いており、特に
韓国人が中国に対してかなり悪い認識があった。
その上、今回の哨戒艦を韓国がかなり問題視している中で、
(金正日の)訪中を受け入れる
とは何事かと、いうことである。韓国は、調査結果は万全で国連に持ち込み中国が仮に制裁
決議に反対をすれば中国が恥をかく、と言っていた。しかし、必ずしもそのようになってい
ないのが今の現状である。
いくつか理由があるが、やはり中国がかなり慎重であることが大きな理由である。それは
例えば、済州(チェジュ)島での日中韓の首脳会談の際に、韓国は中国から明確な形で北朝鮮
への制裁決議への同意をとりつけたかったはずであるが、实際にはこの段階で尐しトーンダ
ウンしていた。趨勢はその前に行われた米中戦略・経済対話のタイミングで中国のラインは
だいたい決まっていたのだろうと思う。すなわちこの時点で、クリントン国務長官が発表し
た話でいえば、朝鮮半島に新たな危機があるという認識は共有し、平和と安定の必要性につ
いても同意しているが、それを实現するための方法に同意をしたという報道がなかった。中
国からすれば北朝鮮を過度に刺激せずに慎重に、となるのが通例である。
实際、米中戦略・経済対話が終わって以降、韓国側の反忚を見ていると、当初是が非でも
制裁決議といっていたが、非難決議を目指すという形に変わった。先ほど述べた鳩山元総理
が「先頭に立って」と言ったのも尐しトーンが変わらざるを得ないことになる。今に至って
も中国は明確な形で調査結果について評価をしてないはずである。繰り返しになるが、韓国
側からの話によると、未確認ではあるが、調査結果は不十分であり、釈明の機会を北朝鮮に
与えるべきであると、いう二点を言ってきているそうだ。
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ロシアも先日、調査団を送った。正式な発表かわからないが、尐なくとも報道ベースでは
ロシア側は、調査が不十分であり、北朝鮮の犯行として特定できないと評価したと言われて
いる。いかにも韓国らしい話であるが、韓国が人工衛星实験を失敗して、1 段目がロシア製
であったので、失敗したのはロシアのせいだと言っており、ロシアとの関係を悪くしている。
国連での哨戒艦の問題に、どれくらい影響があるのか興味がある。ロシアと韓国の関係は微
妙であるが、尐なくとも中国は、明確に国際社会に対して、今回の調査結果報告が不備であ
るとは言っていない。おそらく態度を明確にすれば韓国との関係を悪くするので、あいまい
にしたまま政治的に南北の緊張を緩和して収めたい、というのが中国の立場になるのではな
いか。
3.異例の最高人民会議
最後に最高人民会議における人事について話をする。冒頭申し上げたように、1993 年以前
は、最高人民会議が年に何回か開催されていた。しかし、1993 年に第 3 次 7 ヵ年計画が失
敗し、北朝鮮側が認めてからは、最高人民会議で経済指標を発表したくないせいか、年に 1
回が通例になっている。1 年に 2 回開催されたことも何度かあるが、今回のように、4 月と 6
月、間に一月しかないタイミングで開催されたのは初めてである。そのためあらゆる憶測を
呼び、2 回目の人民会議で金正日の後継者を指名するのではないか、金正日の後継者が国防
委員会のメンバーに入るのではないか、と言われた。もしくは、4 月と 6 月の間に発生した
哨戒艦事件関連か、訪中により中国との経済・投資関係の法律を整備するのではないか、と
さまざまな憶測をよんだ。
しかし結果的には、開催理由の一つは経済関係閣僚の更迭であった。通貨交換实施に伴う
経済的混乱の責任をとって、様々な閣僚が代わったといわれている。一番大きなことは、総
理が更迭され、後任が崔英林という 80 歳の高齢な人物になった。当初、国防委員会の人事
で後継者を選び、80 歳位の定年制にして高齢者を引退させ、若返らせるのではないかという
観測があった。しかし实際は、80 歳の崔英林をもう一度起用するという異例の人事であった。
实は私を初めとして昔から北朝鮮をみている人間からすると、崔英林は非常に懐かしい名前
である。彼は 1970 年代後半から 80 年代前半に、金正日が地位を向上させていくプロセスで
一緒に地位が上がっていった人物である。当時、我々は、彼を金正日グループにカテゴライ
ズしていた。
呉克烈は、今の国防委員会副委員長で現在 79 歳と思うが、崔英林と同じで、金正日と同
じように地位を上昇させた人物である。90 年代に入って、呉克烈は地位を尐し後退させたが、
昨年 4 月に国防委員会に突如復帰した。国防委員会の組織を強化するタイミングとして、素
直に 2 人の人事をみると、金正日は上の世代をこの 2 人に任せた。そして自分より若い世代
を任せるには、張成澤(チャン・ソンテク)という国防委員会副委員長に昇格させた人間を
起用したのであろう。人間関係については憶測するしかないが、呉克烈がなぜ一時期後ろに
下がっていたのかについても権力闘争説などもあるので、金正日が本当に彼を信頼している
のかどうかはわからない。しかし、世代横断的な体制固めをしたことは間違いないだろう。
24
国内の経済的不調、天安(哨戒艦)の問題も含めて国際関係も緊張しており、なおかつ金
正日自身の健康問題も含めて世代横断的な体制固めをしたのではないか、という分析までは
表面に出てくる。ただし、本当に後継者問題につながるのかは今の段階では正直なんとも言
えないというのが私の印象である。だからといって三男を否定するほどの材料もない。しか
し今の段階で三男に確定なのかといわれると、どうかという気がする。三男確定との根拠に
なっているのは、噂や情報を別にすれば 2 点ある。まず、北朝鮮の「足音」という歌の中で、
金大将という言葉がでてくる。そして、「金正日の料理人」という本を書いた人物によれば、
三男が金大将と呼ばれていた、という二点である。断片的に金正雲(キム・ジョンウン)の
名前がポスターに掲載されたということがあるが、尐なくても全国レベルで展開していると
いう話ではないというのが今の現状だろう。
さらにいうと、キム・ジョン“ウン”も最初「雲」という漢字を当てていた。韓国語では、
「ウン」というのも、
「銀」なのか「恩」なのかもしれないということであった。が、料理人
の本には「雲」とでてくるので一時期「雲」にした。だが、彼は朝鮮語がきちんとできない
ので、区別がつかないようだ。ある筋の人の話によると、在日朝鮮人総連の人に確認したと
ころ、やはり「雲」だと言う人がいる。韓国人によると、「雲」なら男性らしいが、「銀」や
「恩」は女性につける名前なので、どうであろうか、という話もしたことがある。
このように、名前も含めて非常に不安定な状態、不確定な情報を前提にして、なんでもか
んでもそれに結び付けて報道するのはどうなのかという気がする。
さらに、「金正日の地位向上」については国防委員会の中、つまり軍の中だけの話である。
もちろん金正日は 80 年代の段階で既に朝鮮労働党の中で地位を確立している。当時軍歴が
なかった金正日が北朝鮮の最高指導者になるには軍との関係が一番重要だったが、一番難し
いのではないかといわれていた。ところが 89 年 6 月 4 日に中国の天安門事件があり、その
直前にはチャウセスクが公開処刑されるという事件があり、やはり政治体制の最後の局面に
当たっては軍が体制の行方を決めるという、ある種冷徹な現实为義的な対忚から、軍の中で
の地位を向上させなくてはいけないということになった。当時どういう方法をつかったのか
わからないが、やはり軍に経済的にかなりお金がまわるようにしたのだろうと一般的には言
われている。金正日はそれまで一切軍歴がなかったが、90 年 5 月 24 日に国防委員会の第一
副委員長になった。今回の張成澤よりも格が一つ上になる。
今、北朝鮮の国防委員会の副委員長は 4 人いて、第一副委員長は、80 歳を越えた趙明禄と
いう高齢の軍人である。实質的にはその 4 人がやるのだろうといわれている。
金正日は 91 年 12 月 24 日に朝鮮人民軍の最高司令官になり、翌年 4 月 20 日には共和国元
帥になる。それまで元帥だった金日成(キム・イルソン)は、その 1 週間前の 92 年 4 月 13
日に大元帥になった。韓国、北朝鮮は、
「大」をつけるのが好きなようである。翌年、金正日は
国防委員会の委員長になる。金日成は 94 年 7 月 8 日に亡くなるが、金日成が生きている間
に正式に譲り受けたポストは、国防委員会の委員長と最高司令官という軍のポストだけであ
る。今の北朝鮮の政治体制を考える場合には、先軍政治ということがよく言われるが、その
一つのキーワードになるのは、やはり金日成が生きているあいだに、金正日に正式に移譲し
たものを異様に肥大化させた政治体制である。通常、共産圏の政治権力は、党、国家、軍が
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3 本柱になっている。金日成も实際 3 本柱のすべてのトップに立ち、順番に譲っていくだろ
うと言われていた。最初に党を譲るだろうと思われていたが、实際には国防委員会や軍のポ
ストであった。
先ほどお話したように、天安門事件とチャウセスクの事件が大きく影響したと言われてい
る。結果的に言うと、金日成が生きている間に就いたポストは軍のポストであって、それを
異様に肥大化させているが故に、現在も北朝鮮の権力構造は国防委員会が中心であり、権力
継承もこの場で行われるだろう。それ故、今年の 4 月に行われた最高人民会議での張成澤の
人事が後継者につながるかは今の段階ではなんとも言えない。尐なくとも 張成澤がかなりの
スピードで軍の中で権力を獲得していることは間違いない。極端な話、今、仮に金正日がな
んらかの形で執務不能になった場合、制度的に言えば、おそらく張成澤が権力を維持し行使
すると思う。もちろんその場合に、 崔英林や呉克烈といった元老を従えるので、今の金正日
と同じ体制になるとは限らない。そこで、フィギュアヘッドとして金正日の息子が就いたか
どうかは今の段階ではなんとも言えないという状況である。
おわりに
まとめると、核の現状は、本来、中心であるべき問題だが他の問題の影に隠れている。北
朝鮮は、確实に技術を向上させていると言っている。例えば、2010 年 5 月 12 日、哨戒艦問
題で国際社会が北朝鮮に対する非難を始める頃で、「独自の熱核反忚装置が設計、製作され、
核融合反忚に関する基礎研究が終わった」
「新エネルギー開発のための突破口が開かれ、国の
最先端科学技術の発展において新たな境地が切り開かれた」と『労働新聞』に発表している。
「核融合技術の独自開発に成功」とは、核、水爆の技術につながるという評価があるようだ。
いずれにしても北朝鮮にしてみれば 6 者会議は再開されず、時間は北朝鮮側にあり、尐なく
とも核の問題については、自分たちはどんどん進めると、实際に本当に核能力を上げている
かどうかの評価は別な話であるが、北朝鮮側はそう为張している。
菅新政権の政策については、先ほども話したが良くわからない。もう尐し時間をおく必要
があるかと思う。
今後の国連でのやりとりは、中国、ロシアの動向が慎重姿勢であるので、韓国もそれに忚
じて尐し慎重になってきている。さらに、昨日か一昨日の報道によれば、公開の論議はせず、
非公開で論議をするという話まで出ているようだ。韓国をずいぶんディスカレッジするよう
な状況が今国連では展開されているようだ。
实は韓国と北朝鮮の間でおかしな事件がずいぶんある。 1983 年にはラングーン事件があ
り、韓国のベスト・アンド・ブライテストが爆殺されるということがあった。ところがその
翌年からはまた対話路線に戻っている。大韓航空機爆破事件はオリンピック直前の 1987 年
だが、事件が発生しても戦争にはなっていない。韓国の友人に言わせると、これは自分たち
が一方的に我慢をしてきた歴史だという。今回の事件もなんらかの形で、韓国が自分で上げ
たこぶしをどこかに収めなければならない関係になっていくのではないかという気がする。
最後、久保先生におつなぎするのにちょうど良い話になるが、やはり朝鮮半島問題は、良く
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も悪くも北朝鮮がアメリカとの関係を軸にすえているが故、アメリカが今後どういう対忚に
なるのかがポイントになる。それを前提にすると、中国の影響力は実観的にもかなり大きい
わけである。中国の北朝鮮に対する姿勢は、アメリカが北朝鮮に対してどう向き合おうとし
ているのかがかなり重要なポイントになってくる。私が先ほど中国にとっての哨戒艦の問題
のポイントは米中戦略・経済対話であろうと申しあげたのはそういう観点からである。
(以上)
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平成 22 年度
第 2 回 IIST 国際情勢研究会
2010 年 6 月 14 日
報告 2/オバマ政権の内政・外交の評価
久保
文明/くぼ ぶんめい
東京大学大学院 法学政治学研究科教授
オバマ政権の内政については、就任して一ヶ月目で大型の景気刺激策を通した点は非常に
大きな成果があった。その後、世論調査での支持率が急速にさがり、成果がなかなかなかっ
たが、健康保険改革を今年の 3 月に通した。これもオバマ政権にとってかなり大きな成果と
いうことになると思う。今年の 11 月の中間選挙にはあまりプラスにはならないと思うが、
オバマ大統領再選の時にはプラスになるだろうと思う。なおかつ、金融規制改革法案がまも
なく通りそうである。そうすると、結果的には、1 年半で、大型景気刺激策、健康保険改革、
金融規制改革という 3 つの大きな政策において成果がでているということになるのかもしれ
ない。
しかし、ご存知のとおり、現在ルイジアナ沖での石油流出事故が思ったよりもひどい。今
まで最悪のエクソン・バルディスの事故の、7、8倍の被害かもしれない、と言われている。
ブッシュのハリケーン・カトリーナ、あるいは日本の口蹄疫のように、政府の対忚の遅れの
ような形になりつつあるので、今後尐しこれが影響してくる可能性がある。
外交については、前政権との断絶と書いたのであるが、あまり成果はなかった。そもそも
外交は相手があることなので、そんなにすぐには成果があがるものではないという気はする。
おそらく今までで目に見える成果は、ロシアとの核削減合意と思う。アプローチとしては、
最初はやはりブッシュ政権との違いをともかく一生懸命出したがっていた。これは低姿勢で
あったり多文化为義的なアピールであったり、北朝鮮やイランとも対話をするという形であ
ったりした。これは素人という面もあるし、オバマ氏の出身母体が民为党のわりと左のほう
であり、わりと右のほうにいたヒラリー・クリントンと戦う関係上、やはりその支持基盤に対
する配慮の面もあるという感じもする。
あるいは、もう尐し考えていると思われる面もある。いきなりイラン制裁となるとアメリ
カの中でも、世界でも、ブッシュと同じではないかという反発がある。緩いほうからやって、
尐しずつここまで進めていけば比較的国内世論や国際社会がついてくるという論理もあるの
だろう。
ソフトなほうからはじめたときの問題は、いかに尐しずつ強硬なほうに転換させていくか
ということだと思う。ブッシュ時代の米国関係をリセットして低姿勢と交渉に徹して成果を
あげたのは対ロ関係だと思う。もしもマケインであれば、ロシアは民为化から遠ざかりグル
ジアに侵攻したりしていたので、むしろまた封じ込める対象にしなければいけない相手であ
るというような、外交アプローチも可能だったと思われる。
オバマはかなり低姿勢であったが、しかし、成果はあげたという面があると思う。
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現在おそらく、北朝鮮政策は、結果的にブッシュ政権、特に第 2 期のブッシュ政権よりも
オバマのほうが硬いのではないか。北朝鮮から見てこのオバマ外交はどうみえているのか。
最初は低姿勢身のようにみえながら、意外に強硬である。今は哨戒艦のこともある。オバマ
には時間がまだあるので、それほどあせる必要がないのであろう。簡単に無原則に北朝鮮に
譲るわけにはいかないという部分があるという感じがする。北朝鮮からどう見えているのか、
平岩先生に付け足してもらえればと思う。
イランに対してはつい最近、国連の安保理決議で制裁決議を獲得するのに成功し、結果的
にブッシュ政権よりかなり進んだところまで来ているのではないかと思う。そういう意味で
最初、柔らかいほうから始まったと思われたオバマ外交であるが、最近ここにきて、特に 2
年目に入って、強硬な部分がかなりでてきているという気がする。同じく中国に対してもそ
ういう部分があって、それは、7月に一度尐し手打ちをしている。今後も、この同じように、
つまり一忚手打ちをしても全部管理できないため、貿易問題であるいは議会も、独自のアク
ターとしていろいろな形でアクションを起こすだろうと思われる。人民元の問題などは、や
はりアメリカがずっと待てるわけではないかもしれない。だが、イランの問題で協力は必要
だ、という部分は残ると思われる。
高原氏にも伺いたい点であるが、イランに対して中国は一時非常に硬く、アメリカには協
力しないと思われた。しかし、長年アメリカも粘り強く説得し、中国も国際的な場で、なぜ
イランの問題に協力しないのかと言われ続けてきた。ここにきて、中国は譲歩し、一忚国連
の制裁決議には賛成した。同じようなことは北朝鮮に対してもあるのか、北朝鮮はまったく
別なのか、違うとすると、何故なのか、どの辺りが違うのか、ということを伺えればと思う。
(以上)
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平成 22 年度
第 3 回 IIST 国際情勢研究会
2010 年 7 月 27 日
報告 1/「タ イ の 政 治 混 乱 ― そ の 歴 史 的 位 置 ― 」
重冨
真一/しげとみ しんいち
アジア経済研究所 地域研究センター
東南アジア I 研究グループ長
はじめに
昨今、タイが非常に騒がしく、大きなニュースになることが多い。日本人ジャーナリスト
も亡くなっており、最近はインターネットで銃撃戦のような生々しい映像も多数流れている。
このタイの政治混乱は、突然出てきたようにも見えるが、歴史的な長いパースペクティブで
位置付けてみた方が良いのではないかということを今日お話しする。まず最初に、現在起き
ている混乱の構図についてお話しする。
1. 最近のタイにおける混乱
タイでは 2001 年から 2006 年ごろまで首相を務めたタクシン氏を支持する人たちがおり、
反独裁民为为義戦線(UDD)というグループが運動のリーダーシップを取っている。シンボ
ル・カラーは赤で、支持層は専ら農村や都市の下層の人たちだ。特に農村の住民は、全体的
に下層の人たちが多い。議会においてはタイ財献(プアタイ)党が、こちらの勢力に属し、
現在は野党になっている。
一方で、タクシンが首相だったころから、彼に反対していたグループがあり、その中心に
は民为为義のための人民連合(PAD)という団体がある。シンボル・カラーは黄色で、支持
者には、中間層や上層の人が多いといわれる。議会では現在、与党の民为党を支持している
人が多い。PAD も最近政党を作ったのだが、まだ議席を持っていない。
タクシンは 2001 年に初めて当選し、
非常に人気があって任期満了まで務めた。
そして 2005
年の総選挙では、その政党が 3 分の 2 ほどの議席を取った。しかし、2005 年末から 2006 年
初めにかけて、反タクシン派の「タクシンは出ていけ」という街頭行動が激しくなった。街
頭行動があまりにも激しくなったので、タクシンは解散・総選挙で真意を問うという方法を
選んだ。ところが、野党はボイコットし、
「選挙は無効」という裁判所の判決が出た。こうし
て政権が宙に浮いたところで、2006 年 9 月にクーデターがあった。タクシンはこのとき外国
おり、国には戻れず、タクシン政権は崩壊した。
クーデターを起こした人たちは、反タクシン派の政権を作ったが、いつまでも正当性のな
い政権を続ける訳にはいかないので、1 年後に選挙を行った。しかし選挙ではタクシン派の
政党が勝利し、タクシン派の政権ができる。反タクシン派は不満なので、再び街頭行動を起
こし、首相府を何ヵ月も占拠した上、国際空港も数日間占拠して、国際的な玄関口を完全に
30
塞いでしまった。その最中、裁判所はタクシン派政権党の選挙違反を理由に、解党を命じ、
タクシン派政権は崩壊する。タクシン派は新たな政党を作り、連立工作をしていたが、タク
シン派の一部議員が反タクシン派に寝返り、反タクシン派が多数派となって現在の民为党政
権ができた。この時、タクシン派の分裂にてこ入れをしたのは軍だといわれているので、そ
のような政権には「正当性がない」ということから、今度はタクシン派が街頭行動に出てい
るのが現在の状況だ。これが過去 5 年ほどの動きである。
2. 軍事政権から政治改革の時代
もう尐し、長いスパンでタイの戦後政治史を見ると、1973 年までは軍部による権威为義の
政治が行われていた。終戦後から 1973 年までの間、政党が許されたのは半分ぐらいで、選
挙も 6 回しか实施されなかった。また選挙が行われても、軍側は気に入らない政権や政治に
なると、クーデターでつぶし、作り直すことを続けていた。しかし 1973 年に学生による民
为化運動が起き、集会する学生に対して軍が発砲、かなりの参加者が死亡する事件があった。
これは、10 月 14 日事件といわれている。結局は国王が首相等に退任を求め、軍部による政
権が崩壊した。
1976 年までは政党による政治が復活していたが、次第に右派が力を取り戻し、再度、学生
の民为化運動に発展した。そして再び軍が発砲し、かなりの学生が亡くなっている。1976
年 10 月 6 日に起こったので、10 月 6 日事件といわれる。その後は強権政治が復活し、学生
のリーダーや、同じころに組織化がなされた農民運動のリーダーらは森へ逃げ、森の中でタ
イ共産党に合流した。彼らは森を基盤にゲリラ活動を行い、東北タイなどを中心に軍と抗争
を続けた。
しかし、軍の側が反政府勢力への強硬措置だけではいつまで経っても国が治まらないと気
づいた。軍のリーダーが、もともと自分たちで立てた右派政権に対しクーデターを起こした。
軍側は政治のあり方を変えようとし、力で共産为義勢力を抑えようとしても治まらないので、
農村の貧困をなくすという方法でやらなければだめだというアイデアが出てきた。これを推
進したのは、1981 年から 88 年まで 8 年にも亘って首相に在任したプレームという人物だ。
1980 年代はまさにプレームの時代である。プレームは陸軍のトップ、国軍最高司令官を務め
た後、首相になった。プレームが首相を務めた時期には政党の活動が認められ、選挙も行わ
れた。政党が選挙で競い合い、多数を取った政党が、他の政党と連立を組むのだが、首相に
なるのはトップの政党の党首ではなく、プレームだった。当時の憲法では選挙に立候補して
いない人も首相になれたので、プレームが首相になっていた。プレームが首相になった後も
何度か選挙はあったが、その都度、連立与党がプレームに首相を続けるよう求め、プレーム
の首相への在任が続いた。つまり首相は選挙による承認を得ていないのだが、政党はあり選
挙も行われていた。プレームは、かなり官僚を重用した政策を取り、また背後には軍の支持
があった。そしてプレームは、国王の信任も得ていた。このように、プレームの時期は、
「半
分の民为为義」といわれる。それ以前の状態から考えれば、軍の为導で半分だけ民为化した
というのが 1980 年代だと考えられる。
31
プレームは 1988 年に引退して、その後はいよいよ「半分」ではなく「全面の」民为为義
になり、政党政治家による政治が始まった。そして、選挙で第一党になった政党の党首が首
相に就任したが、新しい政権は汚職がひどく、「ビュッフェ(つまみ食い)・キャビネット」
と揶揄された。1991 年には軍側が再びクーデターを起こし、政権を崩壊させた。軍の言い分
は、
「汚職のひどい政治はだめだ。もう尐し清潔な政治に戻さなければいけない」というもの
で、クーデターは当初、国民に歓迎された。
しかし翌年、クーデターの首謀者自身が首相になると、国民は反発し、5 月には数十万人
の市民が集まって、元軍人の首相に辞職を迫った。このときも軍側が群集に発砲し、かなり
の人が亡くなった。1970 年代の民为化運動では、学生が中心だったが、1992 年に集まった
人たちの中心は学生ではなく、都市の中間層だった。当時は携帯電話がまだ高価で、都市の
中間層ぐらいしか持てなかったため、
「携帯電話の群衆」といわれた。彼らは携帯電話で仲間
を呼んだり、
「今、こんなことが起きている」と連絡したりした。テレビなどは政府によって
コントロールされているためだった。
軍と市民の衝突が起きると、王様が集会リーダーと首相を呼びつけ、訓戒を垂れた。首相
は辞任し、軍は政治の表舞台から後退せざるを得なかった。人々は、軍による政治に戻るこ
とはとんでもないと考えたが、一方では政党による政治も汚職などがあって必ずしも良くな
い。したがって軍による政治でもなく、また政党政治家もコントロールしなくてはいけない
わけで、タイの政治は根本的に改めなければならない、ということになった。こうして 1990
年代は、
「政治改革」の時代となった。
改革をするのだから何が良い政治なのかを考えなくてはいけない。できるだけ民衆が参加
する政治にしなければならないが、政治家による政治では政治家が民衆の意思を代表してい
ない、と政治改革を为導した人たちは考えた。なぜなら、政治家は選挙区で、票をお金で買
うことで選ばれているからだという。逆に言えば、農村の農民らはお金を渡されるとすぐに
そこへ投票してしまう人が多いということである。そこには、民衆に対する一種の愚民感が
あった。したがって、このように出てくる政治家をコントロールする仕組みが必要という訳
だ。
では、どのように政治家をコントロールするかだが、まず、選挙違反をかなり厳しく取り
締まった。選挙違反の疑いがあると選挙管理委員会が「イエロー・カード」や「レッド・カ
ード」を出し、選挙はやり直しになった。下院は選挙区選出議員と比例代表議員とからなる
のだが、選挙区選出の議員は閣僚になりにくいようにした。選挙区から出てくる議員はろく
な議員でない、そういう人が閣僚になれば権限を使って汚職をするので、閣僚にならないよ
うにすれば良いという考え方による。そうすると閣僚は、比例代表から選ばれることになる。
比例代表で選ばれるのは、政党の推薦リストから選ばれる立派な人たちだ。また候補者に学
歴要件を設け、大学卒以上でなければ立候補できないことになった。大学卒の方が立派だと
いう考えには首をかしげたくなるが、そのころタイでは多くの人がそう思っていた。もう 1
つは、選挙区を小選挙区制に変えたことだ。小選挙区制では政党間の競い合いになるので、
政治家個人の力よりも政党のコントロールが効きやすいのだろう。一方、上院議員も選挙で
選ぶようにした。上院は下院のお目付役だから、上院議員の選挙では、非常に選挙違反がや
32
りにくい特殊な方法をとった。つまり、選挙運動をしてはいけない、自己紹介だけしなさい
とした。その他、政府を監視する独立した機関を、いくつか新たに設置した。
新しい制度作りは、政治家に任せるとろくなものができないということで、進歩的な知識
人、公務員、社会活動家などが運動の中心メンバーとなった。私は彼らを、
「ニュー・エリー
ト」と呼んでいる。例えば、一番のリーダーになり、政治改革で中心的なアイデアを出した
人はプラウェート・ワシーという国立病院の医者だ。彼は NGO の活動もやり、非常に尊敬
されていた。こういった政治家ではない人たちを集め、新しい仕組みを考える委員会のトッ
プに据えた。また憲法起草の過程では、市民による直接参加型の公聴会を開いた。さらに選
挙監視のボランティア組織ができ、地方の公務員や知識人層が参加した。
このように 1990 年代には、社会意識の高い中間層が参加して政治改革を行った。総仕上
げとなったのが 1997 年に制定された憲法で、彼らはそれを「民衆版憲法」と呼んだ。ニュ
ー・エリートという立派な、見識の高い方々が、良からぬ政治家をしっかりコントロールし
ようとして作ったものである。
こうした「良き人たちの政治」という考え方の背後には、一種の特殊なタイのコミュニテ
ィ为義がある。元は 1980 年代初めごろ、農村開発をしていた NGO がこれを考え始めた。
彼らはそれまで民衆を、馬鹿で貧しく、しかも不健康だという認識で見ていた。しかし、農
村住民の中にも实はそれなりの論理があり、その論理は尊重されなければならない、そうで
なければ参加型の開発はしっかりできないという考え方が出てきた。つまり、それまでマイ
ナスに見ていたものをプラスに転換するような考で、1980 年代後半から、1 つの思想として、
多様な形に分化していく。
思想分化の 1 つ目は、民衆の文化を「タイの純粋な文化」と翼賛していく、ある意味でナ
ショナリズムに結び付くような考えだ。2 つ目は、民衆文化を支えているコミュニティを基
盤に、市民社会を作っていくという考え方だ。さらに 3 つ目として、民衆が自ら地域の資源
を管理すべきだという民衆の権利論に結び付いていく。この中で 2 つめの「市民社会」を強
調する流れでは、コミュニティの中から良い人を選び、彼等がさらに上の組織を作り、また
その中から良い人を選ぶという具合にすれば、次第に良い人が集まり、一番上は良い政府に
なるという。このアイデアを提示したプラウェート・ワシーは、こうした階層づけられたコ
ミュニティの上に、無謬の国王が鎮座するという社会のイメージを描いている。
3. タクシンの登場、中間層の反発
しかし、これはあくまで理想で、实際には選挙で代表を選ばなければならない。2001 年に
は 1997 年の民衆版憲法に基づく最初の下院選挙があったのだが、タクシンに率いられた新
政党であるタイラクタイ党が圧勝した。タクシンの戦術は、今でいうマニフェスト選挙で、
農村住民が裨益するような、具体的な政策を掲げて戦った。タクシンは多くの票を獲得し、
政権発足後まもなく、これらの政策を实現した。そして任期満了を迎えた 2005 年の選挙で
も、圧勝した。
タクシンの掲げた政策は例えば、30 バーツ(約 100 円)を出せば、誰でも医療が受けられ
33
るというものだった。これは農村の人たちにとって非常にありがたい政策だった。タクシン
は結局、農村票や下層票に狙いを定めた訳で、それらの人たちは数が多いので、勝てるとい
うことだった。それまでの政党は票を金で買っていたのだが、政策で票を集めた。農村住民
にとっては、選挙が自分たちに利益をもたらす政権を選ぶ機会となった。また小選挙区制に
なっていたので、なおさらだった。以前は票を金で買う「数の政治」であったのかもしれな
いが、タクシンは異なった意味で「数の政治」を進めようとした。そして、結果的に下層の
人たちを政治的に覚醒させて、エンパワーメントした。
しかし、数の尐ない中間層にとっては、ディス・エンパワーメントを意味した。タクシン
政権は圧倒的な力を持ち、2 期目には 3 分の 2 の議席を占めていたが、その力を背景に好き
勝手なことをするようになった。タクシンは、例えば自分の息がかかった人物を選挙管理委
員会の委員にし、軍では親戚を出世させ、自分に批判的なメディアには広告を出さないよう
企業に要求するなどした。このようなタクシンの政治姿勢に反発したのは、やはり中間層、
知識人層だった。特に言論弾圧は知識人層にとって許せないことで、身内びいき、汚職もそ
うだった。しかもタクシンは次第に力を付け、傲慢になった。従来のタイでは農村へ行って
大歓迎されるのは王様や王审だけだったが、タクシンが行っても同様に大歓迎されるように
なり、王审との関係も悪くなっていった。
「数の政治」をするタクシンが、2006 年ごろから
ニュー・エリートにとって望ましくない存在になっていった。
1990 年代には「我々の時代」と思っていた中間層は、政治改革の結果として突然、タクシ
ンが出てきて、ディス・エンパワーメントされることになった。そして彼らは選挙では勝て
ないため、街頭行動を行った。その際、王様の権威を使い、王様の誕生日の色である黄色を
シンボル・カラーとし、
「タクシンが王様をないがしろにしている」と为張した。さらに彼等
が告訴をすると司法がタクシン側に不利な判決を出す。最後には軍がクーデターを起こし、
民为化を進めていたはずの中間層が、軍のクーデターを歓迎することになった。
そこで中間層の人たちは自分たちの「民为为義」を定義しなくてはならない。黄色側の運
動体である PAD は、選挙による政治ではろくな人間が出てこないから、良い人による政治
を行わねばならない。そのためには、選挙によらない代表も政治に参加することが必要だと
した。彼らは議会の 7 割を、選挙区の選挙で選ばれた人ではない人にするよう为張した。そ
れが真の立憲王制だと言う。
一方、タクシン派は、反タクシン側の政権になったときに集会を開き、
「我々は下層だ」と
言って、下層が戦っていることを意識させる手法を使っていた。そして相手側が「良い人に
よる政治」を为張しているので、それに攻撃を加えていた。集会では、地面に反タクシン側
のリーダー的な人たちの写真を貼り付け、集会参加者が足で踏み付ける場面も見られた。こ
の中には、プレーム元首相の写真も入っていた。彼は王审に非常に近く、引退後は枢密院の
議長を務めてきた。タクシンに対するクーデターでも背後にいたといわれ、国民の尊敬を受
けている。良い人の代表格はもちろん王様なのだが、それに次いで立派な良い人というのは
プレームだ。そのプレームを標的にしたのである。同様に、黄色側がいう「良い人」のこと
を、赤側は「エリート」と言い換え、自分たちは隷属民という意味の「プライ」という言葉
で表現していた。このようにして、自分たちのアイデンティティを強調した。タクシンは、
34
反タクシンの運動が盛り上がったときに「私には選挙で 1600 万票の支持がある」と言って
いたが、下層の人達は民衆に権力を返し、解散総選挙をするよう求めている。このように、
中間層が「良い人の政治」を求めているのに対し、下層の人たちは「数で決着を付けろ」と
言って対抗している。
4. 民主主義発展の一段階としての混乱
タイでは 1973 年までは軍による独裁政治が続き、1973 年から 76 年ごろの間に変化した。
学生が民为化運動をし、旧勢力が弾圧をかけて死者も出た。1980 年代には、軍が民为化を半
分進めた。それが終わり、全面の民为为義に変わるとき、やはり軍がもう一度、反発し、事
件が起き、再び死者が出た。ようやく治まって、1990 年代になるとニュー・エリートが民为
化を進めた。そして新しい憲法の下で選挙をしたところ、タクシンが登場し、
「数の政治」を
再構成した。現在のタイの政治は、
「良き人の政治」と「数の政治」がぶつかっている状態だ。
タイの政治は、最初の軍部による独裁政権から「半分の民为为義」になり、ニュー・エリ
ートが出てきて、下層の人達もようやく自らの投票が政治的な力を持つことを理解するよう
になった。つまり政治への参加者が拡大しており、混乱のように見えるが、私は民为为義の
発展の一段階だと思う。民为为義が発展する段階には、常にこういった混乱が起きるので、
我々は現在、それを目撃しているのだと思う。
「質の政治」と「数の政治」という、いわばゲームのルールに関する対立があり、混乱を
長引かせている。政策的に見ると、タクシンはかなりポピュリスト的な政策を行ったが、タ
クシン以後の政権は皆、同様にポピュリスト的な政策をしている。したがって、政策内容で
は今や、あまり大きな違いはない。また階層対立といわれるが、近年急に階層の格差が拡大
したとは思えない。しかし、なぜ「タクシン、タクシン」と騒ぐのかというと、やはりタク
シンは最初に、下層が裨益するポピュリスト的な政策を行ったためだろう。タクシン・ブラ
ンドは現在も、かなり効いている。しかし、ブランドというのは、他にも良いものが出てく
ると次第に忘れられるものなので、それほど長くは続かないのではないか。
一方、王审については、現在の王様は開発の過程で様々な援助の活動を続けてきたほか、
政治の様々な節目で登場し、安定させる役割を果たしてきた。このため、非常に政治的カリ
スマ性が高まっている。黄色側はこのカリスマ性を使って、タクシンを追い落とそうとした
が、王様が政治的に使われた形になってしまった。農村の人たちはタクシンの政策が好きな
ので、それでも言うことを聞かない。逆に王审の権威は傷ついてしまって、今では王审に対
する批判的な言葉が民衆の間でも出ている。カリスマ性を高めたがゆえに、政治に巻き込ま
れて、これまでのような政治安定化機能を果たせなくなっている。
(以上)
35
平成 22 年度
第 3 回 IIST 国際情勢研究会
2010 年 7 月 27 日
報告 2/「中 国 の 海 洋 進 出 : そ の 目 的 と 現 状 の 考 察 」
佐藤
考一/さとう こういち
桜美林大学 リベラルアーツ学群教授
1. 変化する中国の海洋進出
中国の海洋進出に関しては、
「为要敵」や目的となる防御対象が変化し、防衛線が前倒しさ
れていくという問題がある。中国では 1947 年に人民解放軍総部が設立されたが、中国の戦
略はそれまで、敵を中国大陸の内陸部へ引き込んで戦うという人民戦争戦略だった。そして
1950 年には、海軍司令部が創設された。中国の人民解放軍には、陸軍という名称はない(浅
野亮『中国の軍隊』創土社、2009 年、53 頁)
。元々、人民解放軍は陸軍だけだったからであ
る。だから、後からできた海軍、空軍の司令部はあるが、陸軍司令部はない。その代わりに、
人民解放軍総部と呼ばれている。人民解放軍海軍は、当初は沿岸防御を志向し、1960 年代以
降は戦略潜水艦による第 2 撃力の確保にも関心を持つようになった。1970 年代に入ってから
は、近海防御を志向し、1978 年末以降の改革開放政策で沿海地区の経済特区を防御する必要
が高まった。そして Green Water から Blue Water へ出てくる。なぜかわからないが、中国
語では Green Water を「緑の水」ではなく、
「黄色い水」と書く。さらに 1990 年代以降は、
南シナ海・東シナ海の「海洋国土」防御、エネルギー資源や水産資源の確保、中東等からの
石油を運ぶ自国のシーレーンの防御を志向するようになった。
人民解放軍の海軍の発展を見ると、海軍の創設・沿岸防御段階は 1950~1960 年代だった。
時期区分は、チュン・タイ・ミン(Cheung Tai Ming)氏の Growth of Chinese Naval Power:
Priorities, Goals, Missions, and Regional Implications という著書と、邵永霊氏という第 2
砲兵(戦略ミサイル部隊)の教官の女性が昨年末に出版した『海洋戦国策』という本を参考
にしたものだ。
中国では 1953 年に、旧ソ連の技術援助で軍艦の建造が始まったが、1960 年代の中ソ論争
によって、ソ連は全技術者を引揚げてしまう。中国は当時、为に何を建造していたかという
と、小型の水上艦も造っていたが、やはり潜水艦が中心だった。それらはロメオ級潜水艦や
ゴルフ級弾道ミサイル潜水艦で、後者は潜水艦発尃弾道ミサイル(SLBM)のプラットフォ
ームとして作られた。また、この時期にゴルフ級ミサイルの 1 番艦が進水している。
しかし实際に水中からミサイルを撃つことができたのは、1982 年 10 月とかなり後で、相
当問題があったようだ。その後、近海防御段階に入り、1970 年 12 月には漢級の攻撃型原潜
1 番艦が進水するが、この船は放尃能漏れで大変だったそうだ。そして明級の潜水艦が、1971
年に進水する。明級とロメオ級の潜水艦の基本的な技術は、いずれもドイツの U ボートを基
に、ソ連が最初に造った古いタイプの潜水艦から来ている。水上艦と同様に先が尖った形状
で、非常に古いタイプだ。そして 1971 年には、旅大(luda)級のミサイル駆逐艦が就役す
36
る。1974 年になると、パラセル諸島(中国名:西沙群島)で南ベトナム軍と交戦し、これを
制圧した。1976 年には、東海艦隊の潜水艦部隊が初めて第 1 列島線を越え、太平洋西部で航
海訓練を行った。第 1 列島線は、南シナ海の有事線とオーバーラップしており、第 2 列島線
は日本列島から南側になる。防御線を尐しずつ Blue Water に出てから、前へ倒していく。
この第2列島線が、沖ノ鳥島からグアム辺りと重なる線だ。
1970 年代後半になると、パラセル諸島周辺海域に潜水艦が出てくる。尖閣列島の周りには、
武装漁船も現れた。1980 年には東海艦隊が初めて、第 2 列島線を越えて潜水艦部隊を太平洋
中部へ出した。昨今、非常に問題になっている航空母艦だが、中国の高級将校が初めて見た
のは 1980 年 5 月だ。劉華清上将が訪米した際、キティ・ホークに乗艦して非常に感銘を受
けた。その後、彼は 1987 年に人民解放軍総部に原潜と空母の建造を進言した。本人の自伝
に出てくる話だが、このころに、航空母艦を考えていた。1980 年代に入ると、1985 年に、
オーストラリアが使わなくなり、くず鉄にしたメルボルンというプロペラ機時代から使って
いた空母を中国が引き取った。船体の強度など構造を調べるために使ったといわれる。また
ゴルフ級は水中からミサイルを発尃したが、通常型の潜水艦だった。1981 年には夏級弾道ミ
サイル原潜が進水し、1988 年にようやく水中からのミサイル発尃に成功する。これは技術的
に相当、難しかった。そして 1985 年には旅大級ミサイル駆逐艦が、初めてパキスタンなど
を訪問した。
1980 年代の終わりごろ、私がシンガポールの駐在になって、防衛庁(当時)の方に聞いた
話だが、「『中国の脅威』と皆言うが、太平洋ではほとんど演習をやっていない。外洋へはほ
とんど出ていない」という。確かに中国側が書いたものを見ても、それがわかるが、インド
洋に出たのでさえ、このころが初めてという状況だった。したがって、とても Blue Water
Navy ではないというお話だった。
1990 年 11 月に初めて、4 万トンから 5 万トンの航空母艦が欲しいということで、青写真
が公開される。1988 年 3 月には、スプラトリー諸島(中国名:南沙群島)でベトナムと交戦
し、輸送船を撃沈した。最近まで中国がどのくらいの船を出したのかはわからなかったが、
気象観測所をつくるための輸送船を護衛しようと、2000 トン程度の小型の(江東級)護衛艦
を出していた。この船は 1970 年代に中国が初めて自前で造り、ベトナムと交戦した。1990
年代になると、
「スプラトリーが重要だ」、
「石油や水産資源がある」と考え、潜水艦をスプラ
トリーへ出すようになった。パラセル辺りには、1977 年ごろから既に、潜水艦をかなり送っ
ており、この海域で潜水艦の訓練を始めた。ただ、南シナ海は浅いところが非常に多く、水
上艦でも苦労する海域で、潜水艦が水中を通れるところは限られているはずなので、たいし
たことはできなかったと思う。
そして領海法を公布し、島に上がって領土標識を付けたりし始め、1995 年にはミスチーフ
礁を占拠した。さらに中国がどうしても航空母艦を欲しいと思うようになったのが、1995
年から 96 年にかけての台湾海峡におけるミサイル発尃訓練のときだ。台湾の民選総統選を
威嚇するために行ったのだが、逆効果となり、アメリカが 2 隻、航空母艦を回航してくると、
手も足も出せなかった。非常に悔しい思いをしたが、空母を造るには時間がかかるので、当
面は潜水艦に力を入れろという議論になる。この発想が、旧ソ連と非常によく似ている。旧
37
ソ連も本物の航空母艦は最後まで造れず、アメリカの空母に対抗するため、潜水艦を造った。
しかし潜水艦を造ると今度は音が大きく、アメリカにかなわなかった。そこで考えた。1つ
は、敵に先に見つかっても、魚雷のスピードが速ければ勝てるので、200 ノット出る魚雷を
作った。中国はこれをロシアから購入し、現在 40 発ほど持っているそうだ。もう 1 つは、
中国はさすがに真似していないが、ソ連が考えたのは、水上艦のソナーの利かないところか
ら SLBM を打ち上げられる能力だ。そして北極海の氷の下で、そのようなことができる、
SLBM を实際に造り上げた。シエラという潜水艦だが、チタンで造られ、非常に頑丈だ。仮
に氷にぶつかっても、簡単には壊れない。その代わり、チタンなので非常に高価で何隻も造
れなかった。
中国の軍事技術の先生はソ連、ロシアなので、同じようなことを考えていたようだ。また
国連海洋法条約を批准して管轄海域を広げ、さらに防衛線を前に倒そうと考えていた。ただ
し、
初めて太平洋を横断したのは 1997 年で、
今から 13 年前のことだ。
この状態で Blue Water
Navy といえるのかどうか、非常に疑問だ。1998 年になると、スプラトリー諸島のミスチー
フ礁の建造物を増築する。そして空母が欲しいということで、ロシアから 1998 末に未完成
のワリヤーグを買った。ワリヤーグは实は、ウクライナで造られていた。ウクライナが面し
ている海は黒海だけなので、黒海の造船所から、まだエンジンが付いていないワリヤーグを、
ボスポラス海峡、地中海からスエズ運河、アラビア海、インド洋、南シナ海へと、タグボー
トで引っ張ってきたという。中国はどういう訳か、自国の兵隊をあまり信用していない。ワ
リヤーグの場合、エンジンが付いていなかったので仕方ないが、キロ級の潜水艦なども重量
物運搬船の甲板に縛り付け、船で運んできた。シンガポールなどは潜水艦でも飛行機でも、
購入すると、大体、自国の訓練した乗組員やパイロットに操縦させて持って帰る。
「だらしな
いですね」と元自衛隊の関係者に言ったところ、
「それはあまり言わないでください」と言わ
れ、
「ガトー級という古い潜水艦を初めてアメリカからもらったとき、我々も自分たちでは乗
って帰れず、筏のようなものを組んで係留し、引っ張ってきた」という話が出てきた。中国
は特にものを買うとき、自国の兵隊には触らせなかった。
マレーシアが占拠しているスプラトリーの島を見ると、サンゴ礁の一部を人工島にし、滑
走路を造ってホテルと海軍の基地を付けている。そして 2000 年代に入ると、大変な事件が
起きた。2001 年 4 月に、アメリカの偵察機が南シナ海の公海上で中国軍機と衝突した。この
とき中国は 2 週間ほどで人は返したのだが、機体は 7 月までされなかった。機体もそのまま
持っていけず、アメリカ側は現地で分解したが、カッターで電気を使って分解しているとき
に途中で電気を切るなど、中国側は相当、意地悪をしたようだ。この後は日本にも来た旅海
級ミサイル駆逐艦の深セン(土偏に川)が欧州を訪問し、旅滬級駆逐艦の青島が中国海軍艦
艇として初めて世界一周するなど、尐しずつ外へ出ていった。ただ友好訪問だけでなく、明
級の潜水艦が大隅海峡を浮上航行したり(2003 年 11 月)
、中国民間保釣連合会が魚釣島へ上
陸したり(2004 年 3 月)、漢級原潜が領海を侵犯したりと(2004 年 11 月)
、好ましくない
こともやってきた。
注目されたのは、2006 年 10 月、東シナ海の公海上で中国海軍の宋級潜水艦が米空母キテ
ィ・ホークを追尾したことだ。8 キロまで近づいたそうで、8 キロとは西側の魚雷では 4 分
38
ぐらい、200 ノット魚雷では 1 分 30 秒ぐらいで当たる距離だ。追尾されて気付かなかった
ので、東シナ海を、中国海軍はかなりよく知っているようだ。2008 年 12 月には中国が、2015
年までに 5~6 万トンの空母 2 隻を造るという計画を公表した。同時にソマリア沖のアデン湾
へ海賊対策のため、海軍艦艇を派遣するとし、硬軟両面でアピールするようになる。また 2009
年には米海軍の非武装調査船、インペッカブルが中国船舶の妨害を受ける。そして青島で实
施した国際観艦式には、日本を呼ばなかったのだが、国内的に、反日的な動きがあったとい
われる。2010 年 4 月になると、キロ級潜水艦を含む 10 隻の中国艦隊が、沖ノ鳥島周辺で演
習を行った。
2. 海上保安機関による進出
海へ出てくるのは軍だけでなく、海上保安機関もある。海上保安機関については正直なと
ころ、詳細は不明だ。昨年、海上保安庁で政策アドバイザーを集め、海上保安レポートの発
表会を行い、高原先生が「中国の海上保安機関と海上保安庁の交流を進めてはどうか」と提
案されたところ、海上保安庁側は「数が多過ぎ、どこと付き合って良いかわからない」と言
っていた。これは正直なところだったと思う。私が知る限り、尐なくとも 5 つの部署が巡視
船などの船艇を保有しているとみられる。公安部辺防管理局の海上公安巡邏大隊は、中国海
警(China Coast Guard)と名乗っているので、カウンターパートになる。1000 トンぐらい
の船が 3 隻あり、2 隻は海軍から移管した船だといわれる。また 200 トン未満の船は、300
隻ほどあるといわれる(富賀見栄一「中国第 2・第 3 の海洋勢力」
『海洋政策研究負団ニュー
ズレター』
、http://www.sof.or.jp/jp/news/201-250/219_3.php,
2009 年 9 月 20 日)
。そして
交通運輸部海事局は 1998 年に創設され、海難救助を行っている。この 2 つは、2004 年から
アジア海上保安機関長官級会合に出てくる。
長官級会合なので 1 人しか出てこないはずだが、
2 人が出てくる。しかも、どのような組織で、どのような船艇を持っているかということは
公開しない。他には国土資源部、国家海洋局が 1964 年に創設され、船を持っているといわ
れる。1000 トン以上の船を 2 隻から 30 隻は持っており、航空機も持っているだろう。そし
てかなり、政治的な動きをする。2008 年に魚釣島の周囲を回っていたのはここの船で、今年、
日本の海上保安庁の測量船を邪魔したそうだ。さらに農業部の魚政総隊、海関総署も船を持
っているといわれる。
海上保安機関はどのような活動をしているかというと、日本近海で攻撃的行為を行ったケ
ースは、实はあまり多くない。1993 年 1、2 月に公海上で民間船舶を追尾して威嚇尃撃した
ケースがあり、日本はかなり怒った。このときのことを知っている人に聞いたところ、民間
船舶が尃撃されたといわれ、日本の巡視船が近づくと、国籍が明らかでない旗を掲げていな
い船がいたという。止まらないので威嚇尃撃をして、この次に止まらなければ船体を尃撃す
るしかないといったときに、ようやく止まった。乗り込んでみると、明らかに中国の官憲の
制服を着ているのだが、一言も話をせず、証拠になるようなものは何も持っていなかった。
この船が威嚇尃撃をした、あるいは船体尃撃をしたのかは、なかなかわからないので、仕方
なくその場で釈放したという。この年の 3 月に銭其琛氏が来日した際、外務省が海上保安庁
39
から出た被害届けのリストを渡すと、
「中国は広いから」と言って帰り、彼が帰ってから攻撃
的行為が止まった。そして 6 月ごろから、東シナ海の安全航行に関する会議が始まった。後
から好意的に見ると、密輸船の取締りが行き過ぎ、公海上でやってしまったようだ。
2010 年 5 月には、奄美大島沖で測量船が追尾される事件があった。日本はこれだけだが、
ベトナムやインドネシアはかなりやられており、3 月にはパラセル諸島沖合の周辺海域で中
国の海上保安機関にベトナムの漁船が拿捕され、12 人の漁民が 2、3 ヵ月拘留される事件が
起きた。ベトナムは今回の ASEAN 地域フォーラム(ARF)でも、かなり怒っていた。そし
てインドネシアの海洋漁業省が、ナトゥナ諸島近海で、違法操業中の中国漁船を拿捕したと
ころ、武装した中国の漁業監視船に妨害された。これについては、農業部の魚政総隊が軍艦
を引き取って監視船にしている船だ。7 月に入ってからも何度かトラブルがあり、インドネ
シアの海洋漁業局は、かなり怒っているようだ。
海洋調査船はどのようなところに属しているかというと、人民解放軍海軍、国家海洋局、
国務院国土資源部などだ。私は中国の中の状況はよくわからず、その関係もわからないが、
国務院国土資源部の科学 1 号と、中国科学院海洋研究所の科学 3 号はおそらく、元々、同じ
所属だったのだと思う。中国科学院海洋研究所は、国土資源部の下にあるのかもしれない。
後は中国大洋鉱産資源研究開発協会、中国海洋大学(青島海洋大学)
、そして中国海洋石油総
公司などが持っている。日本の近海に出てきて、私がリストにしているのはこのぐらいだ。
今年は魚釣島の西北西 83km の日本の排他的経済水域に、中国海洋大学の海洋調査船、東方
紅 2 号が出てきた。この船は、よく日本の周りに出てくる。どのような目的で出てくるのか
というと、大陸棚の自然延長線の根拠データ収集や、潜水艦の航路調査、資源探査をしてい
た。また日本へ来る中国の要人を牽制することもあり、2008 年には温家宝首相が日中韓の会
議に出席するため九州を訪れる前に出てきたが、これには温首相が日本に譲歩しないよう、
という政治的意図があったと見られている。实は 2008 年以降は、海上保安庁がデータを公
開していない。ただし、今までのデータを見ると、政治的な嫌味だけでやっている訳ではな
いことがよくわかる。小渕恵三総理のころは中国との関係が良かったが、このときに最も多
く出ている。逆に中国が最も嫌っていた小泉純一郎総理のときは、それほど多くなかった。
したがって 1 件、1 件出てきたときの状況を見なければ、嫌味で出てきたのか、何か目的が
あったのかはわからない。そして最近は、台湾の船もよく出てくる。
3. 中国の海洋進出の現状、日本の課題
中国の海洋進出の現状を見ると、領土・領海に関する強硬かつ根拠薄弱な为張がかなりあ
り、また特異な海洋法理解をしている。南シナ海の U 字線とは何かということが、よく問題
になっており、5 月のアジア政経学会(東日本大会)でも議論がなされた。この U 字線は、
陸上では国境線として使われている。同じ線をマレーシアとフィリピンの間の海域では、領
海を分ける線として使っている。領海線だとすると、とんでもなく広い範囲が中国の海にな
る。中国側は、なかなか説明できないのだが、それは当然で、U 字線を元々書いたのは中華
民国だった。1914 年に、最初にこの線を引き、1947 年に公式の地図に出し、歴史的水域と
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している。ただ、歴史的水域という意味合いもよくわからない。歴史的水域というと通常は、
その水域を当該国が使っていることに対し、周りの国が異議を唱えない場合、歴史的に内水
あるいは領海と同じような扱いをして良いということだ。典型的な例は、日本の瀬戸内海だ。
しかし南シナ海は沿岸の国が皆出てきている訳で、とても歴史的水域は成り立たない。5 月
の学会発表の際、
「国連海洋法条約に照らしてもおかしいではないか」と言うと、中国の研究
者は、「これを引いた方が国連海洋法条約より先なので、そのようなことを言ってもだめだ」
と相当、強硬なことを言っていた。
また隣の国と、大陸棚や排他的経済水域の境界線を決めるときも、自然延長線と衡平の原
理のどちらを取るかで、日本との場合は「自然延長線を取る」と言っている。要するに、中
間線よりも日本側へ寄ったところが自分たちの海の境だという。ところがベトナムとの間の
トンキン湾で自然延長線を取ると、ベトナムの大陸棚は長いので、海南島の辺りまで来てし
まい、これは嫌だという。したがって、衡平の原理に基づき、中間線にする。
「このような話
はおかしいではないか」と言っても認めない。境界線においてはかなり強硬で根拠が薄弱だ。
また清朝の時代には、パラセルの近海でイギリスの船が座礁し、積荷を中国の漁民らが盗
んだことがあった。そこで広東省の広東総督にクレームを付けたところ、
「パラセルは放棄さ
れた島で、我々は知らない。どこの警察も任されたことがない」としていた(浦野起央『南
海諸島国際紛争史』刀水書房、1997 年、239 頁)
。要するに、行政上の責任がないというこ
とだ。大正時代には尖閣列島で、福建省の漁民が漂流したのを石垣島の島民が助けたことが
ある。そのときは長崎にいた中華民国の領事から、
「日本国の尖閣列島で助けていただき、あ
りがとうございます」という内容の感謝状が届き、石垣の島民は今も保存しているそうだ。
つまり、歴史のことを言い出すと、中国にとっては、逆にかなり面倒な問題が出てくる。
一方では、急激な海洋進出をし、挑発的な行為もしている。『不機嫌な中国 中国が世界を
思いどおりに動かす日』という本を書いた宋暁軍氏は、
「アメリカの代わりに世界の警官にな
る」などと言っているが、中国の海軍に力があるのかと思う。私が中国脅威論者でないのは、
中国の海軍にそのような实力はないと思っているためだ。例えば、日本は相当訓練をしてお
り、どの船でも外洋へ出られるが、2009 年 12 月初めには足摺岬沖で、ソマリアに派遣する
ために訓練していた船同士が接触事故を起こした。Blue Water Navy になるのは本当に大変
なことで、中国海軍に十分な訓練ができているのかと思う。危なくなり、咄嗟に離れたりす
る場合、船は機敏に動かなければならない。特に問題になるのは、ガスタービンか古いディ
ーゼルかということだ。古いディーゼルでは罐焚きにまず 4 時間かかり、前進・後退が入れ
替わるのに 14 分必要だ。ガスタービンでは出航まで、罐焚きが 90 分で、前進・後退入れ替
えに必要なのは、多尐惩性で動くことはあっても 2 分弱で、前後後退、そして左右に動くこ
ともできる。アメリカでは、空母はすべて原子力で、駆逐艦、巡洋艦、フリゲート艦は 100%
ガスタービンだ。日本は 75%がガスタービンだが、中国の艦艇を見るとガスタービンは 9.2%
に過ぎない。したがって、相当事故を起こしているはずだが、全く伝わってこない。
これでも Blue Water Navy なのかと思っているのだが、1 つわかったことは、外洋へ出て
いる船では、实は同じ船、同じ兵員を何度も使い回している。例えば 2001 年 8 月から 11 月
の欧州訪問、2005 年 11 月から 12 月のインド、パキスタン、タイとの合同海軍演習、2007
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年 11 月末の訪日、2009 年 4 月の第 2 次ソマリア派遣部隊はすべて、深セン(土偏に川)と
いう同じ船だった。洋上給油艦については、2005 年 11 月から 12 月のインド、パキスタン、
タイとの合同海軍演習、2007 年 7 月から 10 月の欧州訪問、2008 年 11 月末の第 1 次ソマリ
ア派遣、2009 年 4 月からの第 2 次ソマリア派遣の 4 回とも、福池型の補給艦の 2 番艦の微
山湖号という同じ船をずっと使っている。したがって、船の数はかなりあっても本当に Blue
Water に出てやり繰りできる、熟練した乗組員の数は、实はそれほど多くない。
また「空母が怖い」というが、日本にもそのような船はある。韓国では独島が軽空母で、
タイにはチャクリ・ナルエベトがある。全通飛行甲板型の船は、どこにでもある。中国が空
母を持ってもたいして怖くない。そして空母を使いこなせる海軍になるかというと、相当大
変だろう。
日本の課題だが、基本方針として、中国敵視の必要はない。互いに戦争はできないので、
盾を片手に握手すべきだ。中国を見ていて気になるのは、東シナ海、南シナ海の資源に限界
があることをあまり認識していない人が多いことだ。掘っている石油会社の人などは知って
いるようだが、中国側の海軍の関係者が書いたものなどを見ると、ものすごい量があるよう
に書かれている。しかし、そのようなことはない。結局、石油輸送は、長大なシーレーンに
頼るしかない。中東から東アジアのシーレーンを自分たちで守れる国はほとんどなく、海洋
安全保障は国際協調しかない。ソマリアでは互いに島礁をめぐる係争相手国の船を守ったり
もしているので、突っ張るのはやめてもらいたい。信頼醸成を進め、チキン・ゲームをさせ
ないことが重要だ。複数の海上保安機関があるから、海上保安庁はすべてと付き合うのは大
変だろうが、交流のための努力は必要だ。また、自衛隊は、人民解放軍の上層部だけでなく
地方部隊同士の交流なども進めてほしい。チキン・ゲームと言ったが、4 月に日本近海、沖
縄近海に来たときには、中国の哨戒ヘリが日本の護衛艦から 90 メートルの距離まで近づい
た。直線距離で 90 メートルで、50 メートルの高さを飛んでいたという。日本の船のマスト
が 32、3 メートルなので、それほど近くないように見えるが、中国のヘリコプターは巡航速
度が 250 キロほどあるので、2 秒足らずでぶつかる。防衛省関係者は、
「危ないのでやめてほ
しい」と言っている。そして、党、軍、官僚組織の連絡があまり良くない。日本も中国のよ
うに長期政権ができ、かつての自民党のように付き合えるパイプがなければ難しい。
尖閣列島については、島へ上がられたら大変だ。不正規戦の問題もある。気象観測所を造
って人を送るか、2006 年に全廃されて今はどこにもいないのだが、灯台守を復活させてそこ
へ置くなどしなければ危ない。後は、南シナ海・東シナ海で、中台の連携の可能性があるこ
とだ。先ほど台湾の海洋調査船も出てきているという話をしたが、南シナ海では漁業関係の
データの交換や漁業管理の制度化といった協力が始まっている。人民解放軍関係者が、台湾
側にセミナーなどで頻繁に「一緒に防衛しよう」と呼びかけているそうで、注意が必要だ。
他には、日本国内から軍事・汎用技術が流出しないようにしていただければと思う。
(以上)
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平成 22 年度
第 4 回 IIST 国際情勢研究会
2010 年 10 月 7 日
報告/「経済制裁と軍事攻撃の隘路を往くイラン」
田中
浩一郎/たなか
こういちろう
(財)日本エネルギー経済研究所 中東研究センター
理事 兼センター長
はじめに
一昨年、初めてこちらでお話ししたが、その年の暮れごろからいわゆるイスラエルの軍事
攻撃説が高まり、「軍事攻撃がいつ起きてもおかしくない」と申し上げた。それから既に 2
年が経ち、外れたことを恥じるのか、攻撃が起きなかったことを良しとするのか自分にとっ
ても複雑だ。ただ緊迫感、緊張感は現在も確实に高まっている。本日のタイトルは「経済制
裁と軍事攻撃」としているが、实はいわゆる平和的解決、外交上の穏便な解決の術はほぼな
いというのが現在の私の見方だ。逆に言うと、このまま経済制裁が厳しくなっていく、ある
いはどこかで間違えると軍事攻撃に発展する。そういう状況に、現在向かっているというこ
とでお話ししたい。
今日は为にイラン核問題の系譜、そして対話路線についてお話しするが、オバマ米大統領
は大統領選のころから、そして昨年 1 月に就任した際にも対話路線を打ち出していた。しか
し、それが事实上、頓挫して、現在は制裁レジームに移っている。制裁が強化されていく中
で、同時に軍事攻撃というものがささやかれ、脅しとして使われている。したがって、この
軍事攻撃の信憑性自体をいまいちど検証してみたい。最終的に制裁強化となるのか、軍事攻
撃にさらされるのかという状態が、イランが求める出口戦略にどのように関係してくるのか
にも触れてみたい。
1. イラン核問題の系譜
イランの核疑惑が表に出たのは 2002 年夏で、2003 年には欧州連合(EU)の英、独、仏 3
ヵ国とイランが協議を重ね、合意を成立させた。そしてこの年のサァダバード合意(テヘラ
ン合意)をもって、イランはウラン濃縮などの活動停止を約束し、履行した。同時に追加議
定書の署名も約束し、それも果たしている。ただ履行という点では、追加議定書を实効的に
受け入れると約束していたが、批准の手続きに入っておらず、手つかずのまま残されていた。
そして 2004 年には、再びこの交渉枞組みでパリ合意を成立させた。なぜこの合意が必要だ
ったかというと、2003 年段階の合意では、濃縮関連活動というものが抜け落ちていたためだ。
イランがあえて省いたのか、あるいはその言葉尻をとらえてヨーロッパ側が強くこの履行を
求めたのかはわからない。いずれにしても实際の濃縮ではなく、遠心分離機を組み立てる、
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空転させるということを濃縮関連活動と位置づけ、その停止が本来、
「2003 年の合意に含ま
れているはずだ」と为張する EU 側と、
「そうではない」と为張するイラン側との対立が顕在
化した。したがって、これを治めるべくパリ合意が成立し、最終的にイランは、ここであら
ゆる活動を止めることになった。これは国際原子力機関(IAEA)も含め、イランと国際社
会がこの問題の平和的解決に向けて最も動いていたときだ。
しかしながら、2005 年春にイラン側が提示した信頼醸成に基づいたウラン濃縮再開のステ
ップを EU が拒否した。またイランでの大統領交代も重なって、イランが一旦ウラン転換を
再開し、エスカレーションのモードに入った。それ以降、イランがウラン濃縮を開始し、そ
れに対して、2006 年末には国連で安保理決議として最初の制裁決議になる 1737 が採択され
た。しかし、翌年には 1747 が、さらに翌年には 1803 が採択され、制裁が強化された。昨
年には第 2 の濃縮設備といわれるコム近辺のフォルドゥ濃縮施設の申告-あるいは逆の立場
から言うと申告漏れ-が出てきて緊迫した。そして、そのわずか 2 週間後にはイランが、ウ
ラン・スワップの取引に関して、米露仏の 3 ヵ国との間で合意を成立させた。
この状態は長続きせず、合意自体が事实上、崩壊した後、イランが 20%濃縮に着手する
ことになって対話が終焉を迎えた。今年 5 月にはブラジルとトルコが仲介する形で尐し修正
したウラン・スワップを再びイランが受け入れたが、逆に欧米側が拒否している。その後、
1929 が 4 番目の制裁決議として国連安保理で成立し、それを受けた EU、日本、韓国など各
国の付随措置、ないしは追加独自制裁が多方面から出ている。またこの夏から、ブーシェヘ
ル原発がいよいよ正式稼動に向けて準備に入っている。
2. 対話路線の頓挫
対話がなぜ途絶えたかというと、対話モードはある部分、最初から賞味期限が決まってい
た。オバマ大統領に与えられていた時間も限られており、その下でイラン側が忚じることが
なければ、すなわち成果を何らかの形でアメリカ側に示すことができなければ、いつまでも
付き合うつもりはなかったと思う。当初から、アリバイづくりの部分もあった。国際社会を
イランの包囲網に向けて一致団結させるため、
「アメリカがいつも出てこないから話が進まな
いのだ」、「対話しないから、交渉が前に進まないのだ」というそれまでの批判をかわす必要
があった。したがって、当初から破綻を迎えることを含んだ上で、交渉に出たのだという見
方もできる。
イランが 2 月に 3.5%から 19.75%(約 20%)の濃縮に転じた段階で、オバマ大統領の中で
は完全に制裁モードに変わった。それでもまだ、制裁と対話、あるいは外交的解決の 2 本立
てを志向しているようにも見えた。しかしながら、9 月にアメリカを訪問していたアフマデ
ィネジャード大統領が国連総会で米同時多発テロ事件(9.11)に関し、非常にショッキング
な発言をしたことを受け、オバマ大統領の反忚、対忚も一層厳しいものになった。これによ
って、対話というものは、ほぼ消滅したと思われる。アフマディネジャード大統領は元々、
物議をかもす発言をしており、その 1 つにホロコーストをめぐる発言がある。彼は「ホロコ
ーストがなかった」と言っているとして糾弾されたが、实際には「ホロコーストを歴史的に
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検証することが、なぜ悪いのだ」と言ってきた。さらにその延長線上で、
「ナチス・ドイツが
犯した罪を、なぜパレスチナ人がパレスチナ分割という形で償わされるのだ」として、理不
尽さを指摘した。同時多発テロについても、その背後関係に関し、
「アルカイダなどではなく、
アメリカ国内に浸透した別の国のエージェントなどによって仕組まれたことだ」と疑問視し
た。
ここでなぜ、彼がこの話を持ち出したのかというと、实はこういった同時多発テロの背後
関係を疑問視する、あるいは聖域とするのではなく検証しろということは、ホロコーストの
歴史的検証を求める発言と同じ路線上にある。ホロコースト発言を補完するものだともいえ、
それをまた受けての話だともいえる。またアメリカではアフガニスタン攻撃、あるいはアフ
ガニスタン戦争は、オバマ大統領の言葉を借りれば「just war」で、
「正しい戦争」と位置づ
けられているのだが、
その正統性自体を問おうという訳だ。9.11 後のアフガニスタン攻撃は、
あくまでもアフガニスタンにいた、あるいはタリバンの庇護下にいたアルカイダによるもの
であるということを前提として始まっている。これがそもそも、アルカイダによるものでな
いとすれば、アメリカがアフガニスタンを攻撃し、さらにはテロ戦争の拡大ということでイ
ラクを攻撃したこと自体の正統性がないことになる。民間を含めて、米軍の軍事攻撃による
被害が広がっているので、そこをクローズアップすることにより、アメリカに挑戦している。
アメリカの支配下にある国際秩序への挑戦は、アフマディネジャード大統領だけでなく、あ
る部分、イランの大統領や最高指導者を含めた歴代の指導者が行ってきたことだ。これをさ
らにイスラームに対する戦争、あるいはイスラーム敵視政策の一環と位置づけようというの
が、アフマディネジャード大統領の狙いだ。
そしてこれを不快とし、厳しく批判したのがオバマ米大統領だ。彼はアフマディネジャー
ド大統領が国連で総会演説を行った翌日、英国放送協会(BBC)のペルシャ語放送でインタ
ビューに答えており、そこで使われている言葉を見る限り、交渉路線は完全に終わったと思
い知らされる。オバマ大統領は 2009 年 3 月、2010 年 3 月の 2 度にわたり、イランの新年の
祝日に、イラン国民とイラン・イスラーム共和国政府に対するメッセージを出していた。イ
ラン・イスラーム共和国という正式名称をアメリカの大統領が使うのは極めてまれで、オバ
マ大統領はその点にかなり神経を割き、ある部分ではジェスチャーを使い、ある意味でオリ
ーブの枝を差し伸べた。しかし今回はイラン・イスラーム共和国という正式名称は使わず、
レジームという非常に厳しい言い方をしている。また、ところどころでアフマディネジャー
ド大統領を呼び捨てにしていた。自分が対話路線をとったことに関して、1 年目に多くのポ
リティカル・コストを支払わなければならなかったということで、ある意味、それまでの自
分との訣別ともとれる発言もあった。それ以外にも、アフガニスタンにおけるイランの役割、
介入の話、イランの核開発プログラム、いわゆる裏の軍事プログラムのことなどに関し、か
なり踏み込んだ表現をしている。この 2 点についても、これまでアメリカの司令官や高官な
どが発言してきたものを、かなり超えた厳しい言い方だ。
この発言の中でもう 1 点、注目しなければならないのは、制裁が民生を圧迫することを承
知しているということだ。建前上は、安保理制裁にしても、アメリカがかけた制裁強化にし
ても「民生には影響がない」、あるいは「最小限にとどめる」と言っている。しかしながら、
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それが建前に過ぎないのは皆わかっている訳で、オバマ大統領はここでそれを自ら認めた。
むしろそれによってイラン国内で不満が高まり、民衆の間からレジーム・チェンジへの騒ぎ
や運動が起きることを期待しているかのような話しぶりだった。
制裁絡みでは、ロシアと中国が安保理常任理事国として拒否権を持っている。そのため、
アメリカとすれば 1929 を含め、今後の安保理制裁強化という話になったとき、中国、ロシ
アの協力を得なければならない。したがって、それなりの配慮をするのはわかるが、付随措
置、すなわち個別に行う追加制裁に関しては、この 2 ヵ国は非常に否定的な対忚や言動を続
けている。そしてオバマ大統領のインタビューでは、この両国が日本や韓国と並べられ、あ
たかも付随措置を採用した、アメリカから見た場合の制裁同調国ないしは優良国に見えるか
のような扱いをしている。これを考えると、現在問題になっている米国の包括的イラン制裁
法(CISADA)に、仮にロシア企業や中国企業が抵触することになっても、それを懲罰にか
けるのかどうかは、かなり怪しくなってくる。オバマ大統領は両国に配慮するということで、
逆に言えば日本や韓国、西側の企業が自为規制のような形でイラン市場ないしはビジネスか
ら撤退する中、ロシアと中国だけが入っていく(バックフィリング)という悪夢のシナリオ
が出てくるかもしれない。いずれにしても、オバマ大統領のインタビューは、尐なくとも彼
が行った初年度の対イラン外交の行き詰まりを象徴するものだった。
3. 制裁レジーム
イランには既に様々な制裁がかけられているが、すべての根源になっているのは何かとい
うと、第 1 段階としては権利の制約から入ったということだ。イランは、核拡散防止条約
(NPT)加盟国に認められた核の平和利用の権利を为張して活動を行っている、あるいは行
ってきたとしている。それに対し、現在行われている濃縮活動などの基盤技術、機材は、1980
年代末から 2000 年代冒頭にかけ、非公然ルートを通じて入手したものだ。これについては
後から申告することによって、IAEA との問題が解消されている。しかし、こういった行動
が、過去にイランが行った「未解明問題」といわれるものと共に、核兵器開発疑惑を招く発
端になった。問題がさらに発展すると、イランが为張している濃縮の権利などを含めた平和
利用目的での核開発の権利に制約を設けるのが安保理の役目ということになり、最初の決議、
1696 で既にウラン濃縮などの活動を止めるように要求する形になった。これをイランが受け
入れていれば、この先の発展はなかったのだが、要するに受け入れないので次の段階として
の経済制裁に移った。時計の針を戻していくと、今の安保理の枞組みでは、ウラン濃縮の活
動をやめない限り、経済制裁がはずされることはないということだ。
イランへの制裁は、様々なところにかかっている。まず大量破壊兵器開発、あるいは核兵
器開発というものを見た場合、伝統的に核兵器開発には 3 つの要件が必要だといわれる。そ
れらは①政策的な意思、②能力の問題、③運搬する手段を確保することだ。これらが大きな
領域で、能力の部分はもう尐し細分化できる。それはまず、技術、物資の両面に分かれ、さ
らに技術の中でもウラン濃縮ないしは使用済み核燃料の再処理が必要になる。そして、起爆
と小型化というものも必要になる。こういった技術が求められ、物資については核分裂物質
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のストックが必要になる。これらのいずれかが欠けると、核兵器の開発はできないか中途半
端なもので終わる。
イランはこれらのものを何らかの形で満たそうとして、行動している。特に否定している
のは核武装の意志で、この意志があるのかないのか本当のところはわからない。イランが黒
だ、あるいは黒に限りなく近い灰色だというアプローチをとる側は、この行動の部分、すな
わち能力開発の部分と運搬手段確保の方に焦点を当て、イランが行っている活動は平和利用
目的ではないと推定し、結論づけることになる。核開発を規制する、あるいは思いとどまら
せるための制裁はどうなっているのかというと、まずウラン濃縮、使用済み燃料の再処理な
どについては安保理制裁、そして各国の独自制裁がこれを禁じるような形でかかっている。
また弾道ミサイル開発についても、平時であればミサイル技術管理レジーム(MTCR)のよ
うなレジームがあるが、1929 のようにミサイル開発の禁止も規定するものが今回、出た。安
保理制裁、そして MTCR を含め、こういった機微に触れる情報がイランに渡らないように
するレジームが存在する。
次に核分裂物質のストックの部分であり、分裂物資が一定量なければ兵器化はできない。
したがって、このストックを何とか減らそうとする、あるいはストックとして蓄えられない
ようにするという狙いがある。1 つは安保理制裁によって、濃縮をやめようということがあ
るが、昨年 10 月、そして今年 5 月に改めて別の形でつくり変えられたウラン・スワップと
いうのはここに作用する。これはイランにある在庫、あるいは貯蔵されているストックの核
分裂物質をイランから持ち出そうというものだ。また起爆と小型化に関しては、实はまだ
IAEA のレポートでも明示的に書かれていない。疑惑としては述べられているが、細部はま
だ出ていない。ここについてはアメリカも含め、各国のインテリジェンスが得た情報などを
小出しにしたり、あるいは悪宠伝の材料として使ったりして、IAEA の査察体制を強化させ
ようとしている。技術面、能力面ではこういった制裁が効く訳だが、最終的に意志をどうす
るかとなると、軍事攻撃の脅しを含むあらゆる圧力行使になってくる。この圧力行使の中に
は当然、経済制裁も入る。こういう形で、イランの核開発に対する制裁がかかっているのが
現状だ。
これらの制裁がかけられている中、イランの取引相手は取引を継続することもできるのだ
が、企業名の毀損というリスクが生じる。仮に制度的、法的に問題がなかったとしても、ア
メリカの国務省や会計検査院(GAO)のリストに掲載されること自体が、世界的、ないしは
米国市場での活動に悪影響をおよぼす可能性がある。そう考えると、アメリカをとるか、イ
ランをとるかという二者択一、ないしは踏み絵を踏まされるようなことになり、結局、取引
継続というさらに狭い選択肢の中に入ってしまうことがある。また、CISADA が発効した後
の米負務省の取引規制、あるいは制裁の動きを考えると、アメリカの法に基づいて外国銀行
をドル決済システムから排除する際の必要条件がドル取引であるということはなくなった。
むしろイラン側の取引相手である政府や個人が、核開発ないしはミサイル開発、テロリズム
とどこかでかかわっているかが問題になる。
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4. 軍事攻撃の信憑性
制裁強化の流れから見れば、軍事攻撃は尐し先の話、ないしはより極端な手段で、水平線
の彼方にあるかないかというように本来、考えても良いものかもしれない。しかしイランの
場合、アメリカとの敵対関係もあるが、イスラエルとの敵対関係が問題になる。以前から、
イスラエルがイランに先制攻撃するのではないかといわれており、イスラエルの指導者たち
もそれを隠さず、あえて誇張しているようなところがある。仮に航空機による爆撃を行う、
あるいはミサイルを撃ち込むのであれば、最短ルートはヨルダン、イラクを突っ切る東方ル
ートになる。それ以外のところを通るなら、例えばシリア、トルコの国境から侵入するルー
ト、ないしはサウジアラビアを一旦突っ切って南のペルシャ湾から入るルートなどが想定さ
れる。航続距離を考えると、数字の上ではイスラエルが持っている F16 の改良版でも到達で
きるとされているが、おそらく实際の戦闘状態での燃料消費を考えれば相当無理があり、ど
こかで空中給油の必要性が生じるはずだ。
こういった攻撃が仮にあるとしても、それにはおそらく米国の同意、ないしは暗黙の了解
が必要で、また他国の領空を通過するリスクもある。そして空中給油の必要性もあるという
ことで、給油機の保護の問題などが生じる。またイランの防空能力がどの程度のものである
かによっても、攻撃のしやすさやしづらさ、あるいは危険性というものが出てくる。例えば、
イスラエルがかつて空爆したイラクのオシラク原発ないしはシリアのアルキバールにあった
疑惑施設などのように、1 ヵ所という訳ではなく各地に点在している。それを多方面で同時
に攻撃できるのかどうか、ということも問われる。
同時にイランが攻撃を受けた際の反撃、そして報復攻撃をどう防ぐか、あるいは対処する
のかということも考えなければならない。ちなみにイランの核関連施設は、IAEA に申告さ
れている为なものだけでも各地に点在している。もちろん人口と工業地帯などが集中してい
る中央部に、それなりに集まっているともいえる。コムの第 2 の濃縮プラントからテヘラン
までは約 150 キロの距離がある。それ以外にも各地に様々なものがあり、同時に攻撃するこ
とはどの程度、可能であるのか、ないしは攻撃側の被害を最小限に食い止めることを優先す
るとすれば、それが本当に行えるのかという問題になる。
私が軍事関係者の方も含めて話をすると、大体、出てくる結論としては、
「能力的にはでき
るが、軍事的には行わない」、つまり被害も大きく意味がないという判断だ。ただ、そうは言
っても、そういう計算が成り立たないのがイスラエルの安全保障観だ。この問題がいつも出
てくる、あるいは毎回私がここで触れざるをえないことにはそういう背景がある。
5. イランが探求する活路
このように制裁は強化されてきており、また今後も強化される余地が残っている。軍事攻
撃の可能性も依然として捨て切れない。このような中、イランがどのような道を求めていく
のかというと、尐なくとも外交上では、中ロにどの程度、頼れるかが問題になる。安保理の
常任理事国なので当然無視はできないのだが、イランを守ってくれる、あるいは弾除けにな
48
ってくれるという点では、全く頼りにならない。これは過去の安保理決議-制裁決議も含め
-すべてでいえることだ。したがって若干、決議の文言が弱められるとしても、イランとし
てはそれほど頼りにすることはできない。また友好国を見ると、現在、安保理の非常任理事
国であるブラジル、トルコが、ウラン・スワップの件も含めてイランに同情的だったが、後
はベネズエラやキューバ、シリアといった第三世界の国々が中心だ。このように、国の数だ
けを見ればそれなりにあるが、政治的な発言力となると、決して大きなものではない。
経済では、彼ら自身は自給自足のようなことを为張し、輸入代替で輸入依存から脱却する
としてきた。しかし实際には、それはなかなかできず、依然として問題は食糧面も含めて残
っている。昨年、今年とも、干ばつがあり、イランでは豊作の年には米や小麦を自給できる
のだが、尐し天候不順があると輸入国に転じてしまう。
一方、金融制裁について特にいえることだが、制裁の抜け道とされるものは時間と共につ
ぶされていく。ラフサンジャーニ元大統領も今般、そういうことを認めるような発言をして
いる。彼が言っているのは、「これまでの制裁とは異なり、心してかからなければならない」
ということで、自分たちだけでやっていくには、無理が生じてくる。
軍事面での対忚となると、先制攻撃の現实味がある。そして实はアメリカも、軍事攻撃の
計画を持っていると、マレン統合参謀本部議長が明らかにしている。アメリカの軍トップの
考え方として、その発言としてはごく当たり前だが、ありとあらゆる状況に対処できるよう、
作戦図、あるいは作戦計画が練られていたとしてもおかしくない。本当に行われるかどうか
は別として、イランにとっては相当大きなプレッシャーになった。それを受けてイランは、
対抗策として無人爆撃機の開発を発表し、お披露目した。これはそれほど大きくないのだが、
ジェット推進で時速 900 キロぐらい出せるという。さらに 500 ポンドほどの爆弾を搭載でき、
対地攻撃能力も持っているという。しかし实際にどの程度、額面どおりに開発できているの
かは不明だ。性能の評価は難しいが、こういうものが存在し、航続距離が 2000 キロ-すな
わち片道 1000 キロで往復して帰ってこられる-という。これはイスラエルも攻撃できる、
と暗に言っているかのような数字だ。ただし大きさやジェット推進ということを考えると、
おそらくそこまでは到達できないと思う。したがって、そういう対抗手段があるということ
を誇張しているような状態だ。
一方で、先週であったか、イランがコンピューター・ウィルスに犯されたのではないかと
いう話が出た。イランは現在、サイバー攻撃の標的にもなりつつあるか、既になってしまっ
たのかもしれない。これもよくわからないところだが、イラン側で使われているアプリケー
ションに感染するワームを、誰かが何らかの形で持ち込み、またここが眉唾なのだが、それ
によってイランの核関連施設で使われているアプリケーションがすべてやられたという話に
なっている。これについては、まだ真偽のほどはわからない。いずれにしても外交の面では、
あまり多くを期待することはできない。経済はおそらく先細り、軍事の面では虚勢を張るこ
とはできるが、实際にはサイバー攻撃にも弱いのかもしれず、穴はたくさんある。
ではイランにとって唯一できることは何かというと、これは代償が大きいのだが、現在行
っていることを続けることだ。今のイランにとって、問題は 2 つある。1 つは代償が大きい
ことで、もう 1 つは現在の状態を止めようと思っても、ブレーキを踏む、あるいは舵を切る
49
人がいないことだ。
エンドゲームがイランにとってどのように見えるのかというと、NPT 加盟をずっと維持し
ていき、核保有を宠言するとか、核兵器開発を行うと宠言することはおそらくない。また
NPT 加盟を続けることによって、イランが言ってきた「平和利用目的」に対する護符を得る
ことができ、ブーシェヘル原発を運転させれば、これが平和利用目的で使われているケース
だと宠伝できる。さらに医療用アイソトープ生産のための研究炉が稼動しており、これをさ
らに増設すると言っている。これらによって当然、必要な濃縮ウラン燃料の確保を正当化で
きる。テヘランの研究炉では 20 年分の燃料として 20%濃縮のウラン 235 が 200 キロ必要と
いわれているが、これを増やすことが、名目上可能になる。また重水製造設備と研究用重水
炉の建設というものがあるが、これも元は医療用アイソトープ生産の一環と言っていたので、
平和利用目的として正当化できる。重水炉なので、再処理後の兵器転用のしやすさは、軽水
炉よりもはるかに高い。また原発については、ブーシェヘル 1 号機がようやくできるように
なっているが、ダールフォウィーンというイラクとの国境にかなり近いところで、既に 2 基
目の建設に着工している。これも濃縮ウラン燃料を確保するための正当な理由に使われる訳
で、複数の国内濃縮設備は当然、燃料を生産するための場所であるともいえる。また低濃縮
ウランの備蓄を着々と行ってきた訳だが、同時に今後は攻撃の可能性に備え、備蓄する場所
を分散化すると考えられる。濃縮ウランがあちこちで燃料として必要になるのであれば、備
蓄する理由にもなる。研究炉が多数あれば、20%の燃料もたくさん必要になるということで、
商業用軽水炉で使われる 3.5%から 20%未満まで上げるための理由にもなる訳だ。
後は IAEA のレポートにも述べられているように、中性子発生の装置、要するに起爆装置
の研究に関する疑惑があり、またイランが弾道ミサイルを開発してきたことは公になってい
るので、これらがずっと続く訳だ。そして最終的にイランの姿は、兵器開発能力を兹ね備え
た平和利用国家という形になる。尐し見方を変えると、これは日本ともそれほど遠くない姿
で、イランはとにかく兵器開発は否定し、平和利用国家であると言い続けている。今述べた
エンドゲームの中で挙げられている活動は、すべて疑いの目を持ってみれば、イランが兵器
開発を目指す中での必要項目とも見えるが、いずれをとっても商業用、ないしは民生用の用
途として説明できるものでもある。
ではイランが兵器開発能力を兹ね備えた平和利用国家ということになると、どうなるのか。
核武装を宠言することはなくても、イランは確实に核武装能力を保有することになる。当面
のところは NPT に入っているというお守りが必要で、
兵器化の意図や計画は否定しながら、
能力としては保有するに至るだろう。ただ同時に現在の濃縮活動を続けることになり、経済
制裁はやまない。仮にイランのエンドゲームが、核兵器開発能力を持った平和利用国家とい
う姿であるとすれば、そこに今後数年のうちに到達することは可能であり、成功するだろう。
ただし、それをもって経済制裁がなくなるかというと、全く別の話だ。つまりイランが、核
開発の部分で何を得ようとも、何に成功しようとも、現状のやり方では経済制裁が長期間続
くことは不可避である。当然、これは国内経済に大きな打撃を与えることになる。国際社会
のやり方、あるいはアメリカが为導する国際市場に対する反発があるので、挑戦する形で今
のような姿勢を貫く訳だが、これは周辺国も含め、アメリカの同盟国との摩擦を増やすこと
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になる。
経済制裁が長引けば、イラン国内では耐乏生活により困窮する国民の姿が増えると予想さ
れる。その下でも、やはり国内では大きく分けて 2 つの考え方が支配するだろう。これは昨
年夏の大統領選挙の際に出た流れで、
「孤高のイスラーム共和国」として外に何を言われよう
と自分たちがやろうとしていることを続けていく唯我独尊のような考え方の人たちと、そう
ではなく、普通の国になって普通に生活をしたいという人たちだ。
このような状況では国内外の情勢緊迫は必至だが、イランは北朝鮮のモデルは全く信用し
ておらず、北朝鮮と並べられる、模されることには非常に強く反発している。しかし、こう
いうことを続ければ、外から見た場合には、北朝鮮を模したような姿にどんどん変わってい
くことになる。最終的に、制裁と軍事攻撃の間をうまくかいくぐっていき、核武装能力を持
つことに成功したとしても、外からはますます、北朝鮮のような国家として見られていく。
期せずしてそういう道を歩んでいるというのが、現状での私の分析だ。
(以上)
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平成 22 年度
第 5 回 IIST 国際情勢研究会
2010 年 10 月 22 日
報告 1/「金融危機後の米国経済」
西川 珠子/にしかわ たまこ
みずほ総合研究所 調査本部 政策調査部 主任研究員
1. 過去最大規模の景気対策
本日は「金融危機後の米国経済」というテーマで、米国経済の現状と今後の展望について
お話ししたい。サブプライム・ローン問題に端を発し、2008 年 9 月のリーマン・ショックで
一気に深刻化した金融危機に対し、米国の政策当局は空前の規模の景気・金融安定化策を实
施してきた。具体的には「米国再生・再投資法(ARRA)」の制定や、総額 7872 億ドル(GDP
〔国内総生産〕比 5.5%)という過去最大規模の景気対策、そして低燃費車への自動車買い
替え減税、住宅減税などの措置を行っている。また金融安定化対策としては、金融機関への
資本注入等を行う公的資金約 7000 億ドルを活用した「不良資産救済プログラム(TARP)」
、米
連邦準備制度理事会(FRB)の信用市場への資金供給、連邦預金保険公社(FDIC)の預金保護
なども行ってきた。その総額は 3.7 兆ドル規模で、米国の年間の歳出規模とほぼ同額の、か
つてない大規模な対策になっている。
こうした政策の総動員の効果もあり、米国経済は大恐慌に次ぐ、長く深い景気後退を経て、
2009 年 6 月には回復に転じている。今回の景気後退の期間は、2007 年 12 月から 2009 年 6
月までの 18 ヵ月で、大恐慌後の 43 ヵ月には遠く及ばないが、戦後平均の 11 ヵ月を大きく上
回る長期のものになっている。また今回の实質 GDP 減尐幅は 4.1%の落ち込みで、こちらも
大恐慌後の 26.7%の落ち込みには遠く及ばないが、戦後平均の 1.7%のマイナスを大きく上
回る深い景気後退を経験したということだ。2009 年後半以降、实質 GDP 成長率は急激に回復
しているが、内訳を見ると、在庫投資積み増しの寄与が非常に大きく、最終需要の回復テン
ポは非常に鈍いものにとどまっている。
また経済活動の水準として、雇用者数と工業生産の推移を見ると、生産・雇用は急激に落
ち込んだ後、いまだ 2004、05 年ごろの水準で停滞している。特に生産はかろうじて V 字型で
回復していると見ることもできるが、雇用については非常に低迷した水準で、全く浮揚して
いない状況が続いている。
2009 年 6 月を底に回復し、すでに回復期間は 1 年超に及んでいるが、このところ政策効果
の息切れとともに米国経済が二番底に陥るのではないかという懸念が強まっている。失業率
はピークの 10.1%から低下しているが、いまだに 9%台後半で下げ渋っている。住宅販売、
新車販売台数の推移を見ても、減税措置の終了と共に失速が鮮明になっている。過去最大規
模の米国再生・再投資法についても、この 9 月で終了した 2010 年度までに約 75%の資金が
配分されている。クリーンエネルギーや高速道路等のインフラ投資については、今後本格化
52
するものの、全体としては 2011 年以降、これまでの景気刺激効果は徐々に剥落していってし
まう状況だ。
今年前半、景気がかなり回復感を強めていたころには、政策対忚は危機対忚から出口戦略
を遂行する局面にあると盛んにいわれた。しかし、その後は春先に欧州でソブリン・リスク
がかなり意識されるようになり、金融市場が再び不安定化したことも手伝い、米国のみなら
ず世界景気全般に対する懸念が強まった。米国中心に先進各国が政策依存からの脱却を進め
なければならないが、なかなか实行に移せない状況だ。
2. 米国経済の乏しい景気回復力
では今回、景気回復力がなぜこれほど弱いのかということについて考えていきたい。米国
経済の回復力が非常に乏しいことの背景には、もちろん複合的な要因があるが、あえて 1 つ
に絞るとすれば「信用膨張」とその修正(Deleverage)に尽きるのではないか。今回の景気拡
大局面で米国の信用残高の推移を見ると、名目 GDP で 3 倍を超える規模に膨張している。1980
年代にも信用が非常に高い伸びを示した時期があったが、当時はかなりインフレが高騰して
いたということもある。一方、現在の信用の拡大は経済の实力から見ると高過ぎ、名目 GDP
と信用の伸びの乖離が著しく拡大してしまっている。
信用(Credit)という言葉は日本語にするとわかりにくいところがあるが、借り手である
家計や企業、政府にとっては貟債で、貸し手である金融機関にとっては資産になる。金融危
機を契機に、信用の急速な拡大の巻き返しである信用収縮が顕著に進行し、それが借り手に
とっては貟債を圧縮し、貸し手にとっては資産であるところの貸出を圧縮することになって
いる。政府部門と民間部門に分けて見ると、米国政府の負政赤字は非常に拡大し政府債務も
累増しているため、政府部門については信用が依然として拡大しているが、民間部門の信用
が急速に落ち込んでいる。これは 1955 年の統計開始以来、起きたことがない異常な事態だ。
こうした「信用の膨張と修正」の動きを加速させているのが、資産価格の低迷という問題
だ。株価、不動産価格の推移を見ると、資産価格は 2006~07 年ごろをピークに急速に下落し
ている。ピークからの下落幅を見ると、住宅については 31.5%で、オフィス・ビルやショッ
ピング・モールなどを指す商業用不動産では 40.9%だ。
また株価も S&P500 指数で見て、45.8%
ということで、3 割から 5 割近くも資産価格が下落してしまった。こうした資産価格の下落
により、米国の家計や企業が保有している資産から貟債を引いた純資産も大幅に減尐し、ピ
ークと比べると 21.8 兆ドルも減尐している。これは米国の名目 GDP が約 14 兆ドルであるこ
とを考えると、1 国の経済規模を上回るほどの資産喪失が起きてしまったという状況だ。そ
して資産の目減りが止まらないからには、バランスシートの反対側にある貟債を圧縮しなけ
ればならない。そのため家計、企業部門には、貟債圧縮の圧力が非常に強まっている。
次に信用の出し手である金融機関の動きについて、確認してみたい。銀行の貸出残高の推
移を見ると、2008 年の第 4 四半期のピーク時点から約 5000 億ドル減尐しているが、金融危
機前の急拡大局面よりは依然として高水準にあり、なお調整余地が残っている。量的に見て
銀行貸出が非常に減尐しているということだが、貸出の質の側面から見ても、景気が曲がり
53
なりにも回復局面に入ったということで、消費者向けの貸出や企業向けの商工業貸出につい
ては延滞率に歯止めがかかってきている。一方、不動産の担保貸出については、住宅価格、
商業用不動産価格とも大幅に下落が続いているので、それによって引き続き資産内容の务化
が進み、延滞率全体を押し上げてしまっている状況だ。
こうした不良資産の増加が金融機関経営に与える影響を見ると、資産 100 億ドル以上の大
手の金融機関については、商業用不動産貸出が貸出全体に占める比率が 17%ぐらいで、若干
上昇しているが、それほど大きな変化は見られず推移している。これに対し、資産が 10 億ド
ルから 100 億ドルの中堅行、資産が 10 億ドル未満の中小行については、他に収益機会が乏し
かったこともあり、急激に商業用不動産に貸し込んでしまっている状況だ。商業用不動産が
貸出資産に占める割合は 4 割以上に上ってきており、こうした不動産貸出に傾斜したビジネ
スモデルが非常に裏目に出てきている。大手行については金融市場の安定化に伴いトレーデ
ィング業務といった形で収益が改善しているが、中小、中堅行は基本的に伝統的な貸出業務
への依存度が高いので、市場関連の収益の回復が限定的にしか見られず、依然として経営安
定化は道半ばという状況だ。
こうした中堅・中小行の経営不安がどのように問題なのかについて、金融機関別の貸出等
のシェアを見ると、中小企業貸出の 52.1%は中堅・中小行が握っており、一般の貸出に比べ
て中堅・中小行の果たす役割がやはり大きい。そのため金融機関の経営不振は、中小企業に
非常に大きな打撃を与えている。そして今般、かなり難航したのだが、議会でようやく 300
億ドル規模の「中小企業貸出基金」の創設が決定され、中小企業貸出を増加させる金融機関
に、優遇して資本注入を行うことが決まった。それによる貸出の増加効果は未知数のところ
があるが、オバマ政権では中小企業向けの貸出が増え、中小企業が雇用を増やすことが最優
先課題になっている。しかし、なかなか政策面で決定打を打ち出せず、ここまで来てしまっ
たという状況だ。また中堅・中小金融機関の経営不安が貸出低迷の大きな要因になっている
一方で、よりマクロ的な観点から見ると、金融規制が不確实性を高めていることも貸出の低
迷を長期化させる要因として作用している。今年 7 月には、大恐慌以来ほぼ 80 年ぶりの抜本
的な金融規制法である金融規制改革法( Dodd-Frank Wall Street Reform and Consumer
Protection Act、通称:ドット・フランク法)が成立した。規制・監督の強化、範囲拡大によ
って早期に危機を探知すること、そして今回預金取扱い金融機関ではない保険会社が破綻し
たこともあり、ノンバンクも監督の視野に入れて監督の死角を排除すること、さらには従来、
米国で信じられてきた「大きくて潰せない(too big to fail)」という原則を見直し、破た
ん処理手続きを明確化することなどが、この法律の趣旨となっている。
金融危機は必ず形を変えて発生してしまうものなので、これが再発防止につながるかとい
う点については、非常に評価が難しい。また法律の中では、各種規制強化の具体的な運用ル
ールについては、
「どこそこの監督機関が定める」という風にしか記載されていない。このよ
うに当局の裁量の余地が大きく、また移行期間が長めに設定されており、この法律に対する
評価を難しくしている。移行期間については例えば、ルール策定に 1~2 年、实施した後の経
過措置で 2~5 年というように、かなり長期にわたる改革のスケジュールが含まれている。し
たがって、ドット・フランク法が成立したといっても、抜本改革の一里塚に過ぎない。金融
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機関としては、これらの新しく制定されるルールが経営にどのような影響を与えるのかを判
断しあぐねている状況で、それが貸出の慎重姿勢にもつながっている。
また信用を受ける側の最大の部門である家計の状況について、バランスシートの推移を見
ると、貟債の可処分所得に対する比率は 1990 年以降、2008 年ごろまで、一本調子で増えて
きた。2000 年代前半には可処分所得を上回る貟債の水準まで到達し、一時は 130%超のレベ
ルに達してしまった。足元ではさすがに貟債の圧縮が始まっているが、依然として 120%超
ということで圧力が大きい状態だ。また資産の目減りペースが速いため、純資産の可処分所
得比は 90 年代初頭のレベルに達している。いわゆる純資産の可処分所得比は、資産効果とし
て家計に消費を刺激する影響を及ぼしてきたが、そうした効果は既に消失してしまっている。
特に不動産については、急激な価格下落で資産価値がなくなり、ローンはそのまま残ってし
まうので、こちらも純資産の水準が、統計開始以降かつてないレベルに落ち込んでしまった。
純資産の可処分所得比と貯蓄率の相関関係を見ると、両者は非常に関係が強く、資産価格
が上昇すれば貯蓄率が低下する関係が見られたが、今は資産効果が消失してしまい、貯蓄率
が大きく上昇している。貯蓄率は一時は 0%近辺まで落ちていたが、足元 6%近辺まで上昇し
てきた。これに加え、Deleverage に伴う借入の圧縮、雇用低迷長期化による将来不安もあり、
貯蓄率が押し上げられている。
一方、雇用情勢については、今年に入ってから 10 年に 1 度の国勢調査があり、政府部門の
雇用が増えたことによる押し上げがあったが、その調査が終わるとすぐに失速し、足元では
再びマイナスで推移している。雇用のピーク時は 2007 年 12 月だったが、その時点から 836
万人、景気後退に伴って減尐してしまった。国勢調査の際、押し上げがあったにもかかわら
ず、ボトム比の上昇幅は 61 万人で、喪失分の 1 割にも満たない状況だ。したがって、オバマ
大統領がいくら「雇用、雇用」と言っても、有権者には回復が实感できないのは当然だろう。
通常失業率といわれるヘッドラインの失業率は足元 9.6%で、十分高い水準にある。そし
てこれに就労意欲はあるが求職活動を行っていないものや、フルタイム雇用を希望している
がパートタイムでしか働けていないものを加えた「広義の失業率」は 17.1%で、かなり高ま
っている。しかも、ヘッドラインの失業率との乖離が広がっているので、通常いわれている
以上に雇用の实態は厳しい。
先ほど中小の金融機関の経営が中小企業に打撃を与えていると言ったが、雇用面でも中小
企業への打撃は非常に顕著に現れている。今回の景気後退局面では中小企業の方が雇用の落
ち込みが深刻で、雇用喪失の 6 割は中小企業だ。特に業種別雇用者数の推移を見ると、建設
業では 85%が中小企業による雇用で、建設業での雇用減尐が著しくなっている。こちらにも
不動産不況の影響が、色濃く反映されている。
次に、企業のサイドから Deleverage の圧力を確認してみたい。企業のバランスシートの推
移で、設備投資の内部資金に対する割合を見ると、今回の景気拡大局面では IT バブル期とい
われた 2000 年前後ほどではないが、内部資金を大幅に上回る設備投資の拡大が続いている。
そして外部からの資金調達を拡大したために、貟債/資本の比率で見るレバレッジがかなり上
昇してきた。レバレッジはピーク時の 80%近辺から 60%程度まで低下しているが、これまで
の推移から見ると、なお調整余地が残されている。ただ 90 年代初頭にこうしたレベルのレバ
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レッジを経験済みなので、家計と比較した場合の相対的な調整圧力を見れば、企業の方が弱
いといえるかもしれない。
続いて非金融企業の資金調達の推移を見ると、こうした貟債の圧縮圧力を受けて 2008 年ご
ろから貟債の圧縮が続いてきたのだが、2010 年に入ってからは、全体としては、底打ちから
回復に向かっている。ただし拡大していた局面では、あらゆる貟債の項目が増加していたの
に対し、2009 年を境に二極化ともいわれる現象が生じている。社債などの資本市場を通じた
調達がプラスに転じている一方で、銀行借入、不動産担保借入は 1 年半以上にわたって前期
比マイナス(返済超過)の状態が継続しており、ここにも銀行部門のレバレッジの動きが色
濃く反映されている。特に資金調達動向について企業の規模別に見ると、格差が非常に鮮明
になってきている。
借入以外の資金調達手段を多様に持っている法人企業については、貟債の調達が増えてき
ているのに対し、個人企業は借入以外にほとんど調達手段を持っておらず、マイナスの状況
が続いている。中小企業がすべて個人企業という訳ではないが、中小企業の事業形態の
53.2%が個人企業という統計もあるので、中小企業の過半については非常に大規模な貟債の
圧縮を続けているといえるかと思う。
こうした資金調達環境の二極化、あるいは規模間格差の拡大といった現象が起きてしまっ
た原因としては、政策対忚のタイムラグの影響があると考えられる。今回の金融危機に対す
る政策対忚は非常に批判の的にもなったが、大規模銀行への資本注入、CP 市場への資金供給
などが先行し、中小企業の为な取引先である中小金融機関支援は後手に回ってしまったとい
うことが指摘できる。冒頭に挙げた最大の景気対策、「米国再生・再投資法(ARRA)」でも、
中小企業庁保証ローンの拡充といった措置がとられているが、そもそも米国では政策金融の
関与が中小金融に関して非常に低くなっている。政府系金融機関による直接的な貸出は原則
的に行われず、信用保証に限られているが、信用保証を見ても日本の 1/10 程度の規模で、政
策面でのツールが非常に行き届きにくい。
金融機関、企業、家計と民間部門が非常に強い Deleverage の圧力にさらされ、力強い回復
はなかなか見込みない中、残る経済为体は政府と海外部門ということになる。そこで政府と
外需が民間需要の足取りの弱さを補うことができるのか、という観点から見ていきたい。ま
ず政府部門については巨額の赤字が政策オプションを制約してしまい、結論から言うと、こ
れまでのような下支え効果は期待できない状況だ。つい最近終わった 2010 年度の連邦負政赤
字は、GDP 比 8.9%ということで、2011 年度も高水準の赤字が続く見込みだ。
オバマ大統領は就任時、「2013 年度までに赤字を半減する」と公約した。足元の赤字があ
まりにも大き過ぎるので、赤字半減という目標は確かに達成できるかもしれないが、それで
も GDP 比 4%近辺で、過去の平均から見ても明らかに大き過ぎる赤字が残存してしまう。し
かも前提となる経済見通しが、3~4%というかなり堅調なものなので、こうした楽観的過ぎ
る想定で予測されている負政赤字の数字の信憑性は高いとはいえない状況だ。また追加景気
対策の余地についても、こうした状況では限定的だ。
オバマ政権は 3500 億ドル規模の追加対策を発表しているが、中間選挙で共和党勢力の躍進
が確实な情勢では、こうした政策が实現する可能性はかなり低い。また負政面でより大きな
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問題は、今年末で期限切れを迎えるブッシュ減税の延長だ。延長がなければ 2011 年度は約
2000 億ドル、2011~20 年度の累計では 3.5 兆ドルもの増税になることが予想される。減税の
延長は短期的には成長を押し上げるが、長期的には負政赤字の拡大を通じた副作用が大きい
といわれる。しかし今の状況で減税を見送れば、景気が二番底に向かうのは不可避とみられ、
政府は議会に何らかの妥協点を目指すよう促し、一旦は失効するかもしれないが、来年度に
持ち越しても何らかの形で延長させると考えるのがメインシナリオだろう。
次に外需だが、輸出の拡大は非常に貴重な成長の源泉になっている。輸入が足元で非常に
増加しているので、純輸出全体ではマイナス寄与になっているが、輸出自体はプラス基調を
維持してきている。月次ベースの統計で示しているように、北米、アジア太平洋をけん引役
に輸出は力強い拡大を示している。また家計部門では力強い消費の拡大が望めないため、オ
バマ政権は消費依存から輸出重視の成長への転換を企図している。そのため大統領が旗を振
って、5 年間で輸出を倍増させ、200 万人の雇用創出を目指す国家輸出戦略(National Export
Initiative)を推進している。しかし、5 年間で輸出を倍増させるには、年率で 15%もの輸出
の伸びが必要になる。足元は確かに 2 桁で輸出が伸びているが、金融危機の反動という側面
が強いので、輸出の伸びの持続性は非常に疑問が持たれるところだ。
またオバマ政権は貿易の雇用創出効果を強調しているが、雇用低迷がこのまま続けば逆に、
保護为義圧力を助長するリスクがある。实際、中間選挙を控え、議会では人民元の切り上げ
要請が非常に強まっている。下院では既に、通貨の根本的な過小評価に関して相殺関税を賦
課する内容の対中制裁法案を可決済みだ。上院については中間選挙後に取り上げる予定だが、
かなり内容に違いがあるので最終的に議会を通過させることへのハードルは高いと考えられ
る。オバマ大統領自身は人民元について「過小評価だ」と言っているが、基本的には米国 1
国が中国批判の矢面に立つ必要はないということで、多国間協議の場を重視している。仮に
議会で法案が成立しても、拒否権を発動することは確实だと考えられる。また負務省が為替
操作報告の発表を見送っているが、今年 6 月に中国が人民元の弾力化に動いていることもあ
り、实際に認定することはありえないのではないか。
3. 今後の米国経済の展開
最後に今後の米国経済の展開に関しては、日本のバブル崩壊後のような長期低迷に陥るリ
スクから「japanization」といわれることもあり、そうした可能性があるのかどうかを検証
した。米国では不動産バブル崩壊の影響が非常に大きく、日本の六大都市に比べれば、米国
の住宅、商業用不動産価格の上昇幅は緩やかだが、日本の全国レベルと比較すると同程度に
上がってきてしまっている。したがって、その調整圧力については米国に関しても慎重に見
ておくべきだろう。一方、政策対忚では、FRB は日本のデフレの教訓をかなりしっかり学習
しており、果敢に金融緩和(政策金利引き下げ・量的緩和)を实施して 2 年程度で实質ゼロ
金利に突入している。このように政策対忚が早く实施されているほか、アメリカでは政府債
務残高が GDP 比 83.5%なので、日本に比べればまだ多尐の余地があり、これらはプラス材料
になると考えられる。
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以上見てきたように、米国の民間部門は Deleverage 圧力の下で非常に強い調整を強いられ
ているので、景気拡大のペースは非常に緩やかになってしまうと考えている。今年夏に発表
された Reinhart 夫妻が執筆した“After the Fall”という論文があり、金融危機前後の景気
の展開を、为要国について長期的に分析したものだ。その示唆から考えると、信用膨張と同
期間の信用収縮圧力が生じるということで、信用膨張が 2001~07 年の 7 年間に及んでいるの
で、非常に単純に、同じくらいは調整圧力が働いてしまうと考えると、調整が始まったのは
2008 年で、現在はまだ 3 年目である。当面はこうした過剰債務の圧縮圧力の下、米国経済は
何とか失速を免れるよう運営していかなければならない。FRB は非常に積極的な金融緩和を
实施しているが、経済の血液といわれる信用創造には結びつきにくく、貧血気味の経済成長
が長期化してしまうというのが当社としてのメインシナリオだ。二番底をつけるというシナ
リオは、耐久負や設備投資のストック調整圧力があまり大きくないこと、雇用の削減余地も
これ以上は大きくないということでメインシナリオにはしていない。しかし国内需要が非常
に脆弱なので、新興国の成長鈍化など外的ショックへの耐性は非常に弱い状況が続くとみら
れる。
(以上)
58
平成 22 年度
第 5 回 IIST 国際情勢研究会
2010 年 10 月 22 日
報告 2/「米中間選挙とオバマ政権の今後」
久保
文明/くぼ ふみあき
東京大学大学院 法学政治学研究科教授
国際情勢研究会 座長
1. これまでのオバマ政権への評価
今日は米国のオバマ政権の成果や現在の政治的な状況、そして中間選挙の見込みや選挙後
にどのようなことが考えられるかといった点について、お話ししたい。内政中心だが、外交
にも触れる形で進めていく。オバマ政権発足から 1 年 9 ヵ月ほど経過したが、評価するには
あまりにも短い期間だという見方もあるだろう。しかし、日本の政権は 1 年続くことは尐な
く、そう考えると評価するにはそれほど短くないタイムスパンかと思う。
オバマ政権を歴代の政権と比べることは、実観的には難しいが、感覚的に言うと、实はか
なり大きな成果を挙げたと見て良いと思う。アメリカでは景気刺激策がなかなか議会を通ら
ないという政治的な体質があり、オバマ政権による追加的な景気刺激策も、おそらく通らな
いだろう。アメリカではやはり、共和党の影響力、そして小さな政府という考え方が強いの
で、こういった政策は容易には通らない。したがって今回、7870 億ドル(72 兆円)規模の超大
型景気刺激策が通ったことは、かなり奇跡に近いと思う。当時でも、5000 億ドル程度の負政
赤字があったので、通常の政治の論理では「そのようなことをしている場合ではない、赤字
を減らせ」という方向へ行く。ただ 2009 年 1、2 月の時点にはまだ、
「景気落ち込みの底が
どこであるかわからない」という恐怖感がアメリカを覆っており、そのような中で民为党の
議員が何とか結束して通した。それでも上院では、共和党議員の協力が必要だった。民为党
下院議員が 255 人おり、オバマ大統領の支持率がまだ 70%近くあったころだが、11 人の民
为党下院議員が反対投票をしている。そういうときですら、实は民为党は下院で結束できて
いなかったといえる。
そして、特にその段階で議会の立法は必要としなかったが、金融機関、自動車産業の救済
も行われた。またオバマ成功の特に大きな成果としては、健康保険改革法案の成立が挙げら
れる。これについては、クリントン政権が全力を挙げたにもかかわらず失敗しており、古く
は 100 年ほど前にセオドア・ルーズベルトが提唱した。その後、フランクリン・ルーズベル
ト以降の民为党大統領が实現しようとして、ずっとできなかったことなので、そういう意味
ではアメリカの、特に民为党リベラル派の考え方からすると懸案だった。したがって、これ
を通したことは歴史的な成果だといえる。さらに金融改革法の成立があり、これは緩和の方
向へ向かっていた従来の金融規制の流れを転換するもので、非常に重要な法律になるだろう。
一方、外交というのはそう簡単に成果が出るものではないが、米ロ新戦略兵器削減条約、
そしてイラク撤退がある。あるいはアフガン増派などについても、一忚、公約したことは達
59
成したといえるだろう。アメリカというのは議院内閣制とは異なり、与党が多数であっても
なかなか法律が通らない体質がある。そういう中ではかなり法律が通り、成果が上がってい
る方ではないか。
ただ、オバマ大統領の評価については、あまり芳しくない。現在の支持率は、低いもので
43%、高いもので 48%となっており、平均では 44~45%程度だ。当初の支持率約 70%から、
1 年 10 ヵ月でここまで落ちた。これについては「まあまあ」という見方もできるかもしれな
いが、オバマ大統領にとってとにかく痛いのは、やはり長引く景気低迷だ。回復局面にある
とはいえ、失業率は依然として 9.6~9.7%になっている。そしてこれも痛いのだが、超大型
の景気刺激策や健康保険改革のようなオバマ大統領としては誇りたい業績について世論調査
を行うと、むしろマイナスの意見が多く、
「ない方が良かった」と考えている人が多い。した
がって、頑張れば頑張るほど評価が低くなるといった構図ができてしまっている。ただ、そ
れ以外の要素もあると思い、それらを尐しミクロな側面と尐し長期的な側面に分けて見てい
きたい。
2. 支持率の低迷、イデオロギー的な分極化
「大統領選挙年に見る政府への信頼感の変化」という資料を見ると、1960 年代半ばから、
政府に対する信頼がかなり落ちていることがわかる。これは大統領の支持率を構造的に下げ
る傾向でもあり、大統領が選出されると最初はご祝儀相場で支持率が高くなるが、すぐに低
下する。アイゼンハワー以降の大統領支持率の平均値を見ると、1966 年以降、ジョンソン大
統領の支持率が下がっており、これはベトナム戦争に深入りしていったときでもあった。そ
してブッシュ親子については、湾岸戦争や米同時多発テロ事件(9.11)の時期に非常に支持
率が高くなっている。それらの時点を分離する操作をした上で比較してみると、1960 年代前
半までの大統領は比較的高い支持率を維持していたが、それ以降は国家的な危機がない限り、
どの大統領についても支持率が低迷しがちだ。これはおそらく、政治不信の増進といったも
のによって説明できるのではないか。全般的に、最近の大統領はそういう意味で苦労する傾
向があると思う。
そしてもう 1 つ、政治的な不信感の増大と共に、アメリカ政治の顕著な現象として、イデ
オロギー的な分極化が指摘できる。これは 1960 年代ごろから進んでいる。アメリカでは様々
な手法が開発されているのだが、下院議員 435 人について、最も保守的な人と最もリベラル
な人を並べるということが、よく行われている。民为党の人は大体、リベラルな方に入り、
共和党が保守に入るのだが、民为党でも保守の人がいたりすると真ん中辺りで民为党と共和
党が入り混じる。その重なっている議員の数をカウントすると、70 年代ごろがピークで、435
人いる下院議員のうち 80~90 人程度が重なっていた。ところが最近はそのように重なり合
う議員が 2 人、3 人、1 人という感じになり、ほとんどいない。つまり、イデオロギー的に
民为党の議員がきれいに左に並び、共和党の議員がきれいに右に並び、重なるのは 2、3 人
という分極化が起きている。
そして有権者レベルにおいても、ある程度、同様のことが起きている。有権者が「自分を
穏健派と見るか、保守と見るか、リベラルと見るか」ということに関する調査によると、オ
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バマ大統領の就任以降、自分を保守と見る人が増えているのがわかる。2009 年 1 月のオバマ
大統領就任当初は、共和党の保守派もお付き合いで、35%程度は支持すると言っていたが、
現在は 7、8、6%という一桁の数字になっている。他方、民为党左派の間では、オバマ大統
領のアフガニスタン政策に関する不満や批判はあるものの、現在も 80%以上が確固として支
持を続けている。しかし、無党派、そして特に共和党保守派での落ち込みが大きい。
オバマ大統領は「アメリカの保守、リベラルのイデオロギー的な壁を取り払う」、「アメリ
カを 1 つにまとめる」、
「我々は United States of America だ」と言っていたが、その公約と
は裏腹に、ある意味で、民为党支持者と共和党支持者の分極化を最も促進する大統領になっ
てしまった。これについては政治不信が一方にあり、イデオロギー的な分極化が進んでいる
ということだ。つまり民为党の大統領で民为党の支持基盤の要求に忚えなければ、民为党支
持者は納得しない。しかし何かをすれば、必ず共和党支持者は離れていく。
このような分極化の現象に関しては、ブッシュ大統領のときには全く逆の形だった。つま
り当時は共和党保守が、何があっても 80%ぐらい大統領を支持し、民为党リベラル派は 5%
ぐらいしか支持していないという形だった。このように対照的な形ではあれ、分極化は構造
的なものになっている。ただブッシュ大統領については 2006 年ごろ、ハリケーン・カトリ
ーナの問題やイラク問題などによって、ある段階から共和党支持者の支持が落ちてきた。そ
れが致命的で、全体の支持率は 30%を切った。オバマ大統領については現在、民为党支持者
の支持率は 80%程度だが、
これが 60%ぐらいに落ちてくると、
全体の支持率も 40%を割り、
35%程度になってくると思う。オバマ大統領を弁護するために言っているのではないが、こ
のようにかなり長期的な傾向があり、さらに景気後退もある。
尐し戦術的な側面についてお話しすると、オバマ大統領は健康保険を通す、皆保険制度を
实現するということに、ややこだわり過ぎてしまった。2009 年 6 月ごろから本腰を入れ、当
初は 3~4 ヵ月で通るだろうという期待もあったようだが、結局 2010 年 3 月までかかってし
まった。その間に Tea Party といわれる保守派の運動が盛り上がり、世論のレベルでも「オ
バマ大統領は、雇用にはあまり関心がないようだ」、「健康保険のことばかりやろうとしてい
る」、「民为党左派のアジェンダにばかりこだわり、国民の関心である失業対策に関心を払っ
てくれない」などといわれるようになった。そして保守系、共和党系、Tea Party のグルー
プのメッセージは、
「オバマ政権は大型景気対策で政府を大きくし、負政赤字を膨らませ、大
型金融機関を国有化している」というものだった。さらに、
「アメリカ全体を社会为義へ持っ
ていき、国民健康保険で健康保険ビジネスも政府の管理下に入れ、社会为義を完成させよう
としている」という批判がなされるようになった。このようにオバマ大統領に対する社会为
義批判が、現在、強烈に行われている。
アメリカはおそらく、世界の为な国々の中で、中国を除けば最も社会为義的でない国だと
思う。中国については個人所得税がないため、アメリカの共和党、リバタリアンの人たちは
「中国は素晴らしい」、
「見習え」と言っている。しかし、現在のアメリカでは、
「オバマは社
会为義者だ」、「アメリカは社会为義に向かっている」という言葉が、ほぼ毎日、使われてい
る。このような形で批判される結果になってしまったことの背景には、オバマ大統領の戦略
の誤りがあったという気がする。
61
もう尐し大きく言うと、オバマ大統領にはおそらく、大統領選での勝ち方に関して尐し過
信があった。米国政治学の研究では、大統領がどれだけの实績を残せるかについては、初発
の条件でかなり決まるという議論がある。これはかなり当たると思う。つまりどのくらい圧
勝できるか、そしてどのくらい議会で自分の政党が議席を持てるかが重要になる。オバマ大
統領のマケイン候補に対する勝ち方を見ると、53%対 46%で、民为党候補で 50%を超えた
のは、リンドン・ジョンソン以来だった。これについてはたいしたものだが、50%台の後半
に行く勝ち方ではなかった。そして民为党の議席は一時、上院で 100 分の 60 になり、下院
では 435 のうち 255 ぐらいになった。しかしそれではやはり、政権が思うような法律を通す
には不十分だと思う。これについては、アメリカでは与党の議員もなかなか言うことを聞い
てくれないという構造的な問題がある。これまで、かなり思うように法律が通ったのは 1913
年のウッドロウ・ウィルソン、そして 1933 年のフランクリン・ルーズベルト、1965 年のリ
ンドン・ジョンソンのときに限られ、大体その 1、2 年だった。与党の議席が野党の議席の
倍ぐらいあれば、法案はかなり通る。しかし、そういった条件を考えると、オバマ大統領の
勝ち方はそれほど圧勝ではなかった。
オバマ大統領はまた、危機の雰囲気をやや過大視したと思う。この危機の雰囲気の中で自
分の高い支持率があれば国民はついてくる、自分の説得能力、演説能力は素晴らしいと思い、
かなり過信してしまったのだろう。そして様々な大型のアジェンダに、次から次へと手をつ
けていった。環境エネルギーに手をつけ、国民健康保険をやろうとしたが、結局それらを議
会が消化し切れなかった。その間に国民の評価も、
「どうもあまり雇用には関心がないようだ」
という形で離れていってしまったということかと思う。
3. 中間選挙の予測、Tea Party
中間選挙については、The Cook Political Report による上院、下院、州知事についての現
状と予想を見ると、上院では現在、民为党が 57 の議席を持っており、無所属が 2 で、これ
は一忚民为党系だ。そして共和党が 41 なので、41 対 59 という勢力図になっている。そし
て非改選の議員が 3 分の 2 程度なので、残り 3 分の 1 でどう動くかということだ。現在のと
ころ、上院はおそらく民为党が 50 対 50 ないしは 51 対 49 で何とか踏みとどまるのではない
かという予想が多い。ただ風向き次第では、ひっくり返る可能性もある。
下院は現在 255 対 178 で、欠員がおそらく 2 だと思う。そして 218 が過半数で、現状で
はかなり民为党に苦しい戦いだ。現在の勢いでは、おそらく 7 対 3 ぐらいの割合で共和党が
勝つのではないか。日本でもそうだが、風が吹くときにはかなり極端な方へ行くので、47 分
の 40 などということもありうる。おそらく多くの専門家は、共和党が下院で多数になる可
能性が高いとみている。州知事についても、かなり共和党が伸ばすことが予想される。アメ
リカでは州知事を持つと、連邦下院の選挙区の区割りに関する権限をかなり持てる。人種に
よってかなり投票パターンが異なるため、この選挙区をどのように引くかによって、民为党
が有利か、共和党が有利かが異なってくる。したがって、州知事を持てば、これに 10 年間
影響を及ぼすことができることになる。今回改選になるすべての議席の予想を見ると、かな
り共和党に有利な戦いだとわかる。下院についても、民为党がかなり苦戦している。
62
先ほどオバマ大統領の現在の支持率は 44~45%が平均値だと言ったが、一般的に民为党、
共和党のどちらに投票するかと聞いた場合、共和党の方が 10%程度上回っており、これだけ
差がつくのは珍しいことだ。1994 年に大きな変化が起きたが、それに次ぐ、あるいはそれを
上回る変化が起きるのではないかといわれている。こういった変化をもたらしている 1 つの
大きな要素が、Tea Party と呼ばれるものなので、これについてお話しし、その後に中間選
挙後の見通しについてお話ししたい。
Tea Party というのは政党ではなく、ボストン Tea Party を文字ってできた保守系の、特
にリバタリアンという税金、大きな政府に反対する人たちが中心の運動だ。これまであまり
政治に関与したことがない人たちも、かなり入っている。運動のときには植民地時代のアメ
リカ人が着ていた服を着たり、ガラガラヘビを使ったりしている。これは「自分たちを踏み
つけるな」という意味だという。また Tea Party の Tea は、tax と enough、already を意味
するともいわれる。オバマ政権発足後、散発的、自発的に沸き上がった運動で、全国組織や
カリスマ的指導者などはあまりなく、全国でネットを使っている。そして具体的には共和党
の予備選挙でこの人たちが投票して、かなり番狂わせを演じている。つまり共和党の本命と
思われた人を貟かし、Tea Party 系の無名の人を当選させたりしている。
とりあえず共和党の追い風になるのだが、例えば Tea Party の人が共和党をどう見ている
かというと、結構、反共和党(アンタイリパブリカン)であり、また反現職(アンタイイン
カンベント)でもある。また 9 月半ばごろの世論調査結果を見ると、議会共和党と議会民为
党のどちらを評価するかという問いでは、实は議会共和党の方が低い評価になっている。そ
して基本的にすべての議員に対して不信感を持っており、まさに政治不信で「多くの議員が
交代する時期だ」ということに同意する人が有権者の 78%いる。また共和党について「好印
象か悪印象か」という問いでは、
「悪印象」と答える人が一般有権者では多い。一方、民为党
は 45 対 48 で、つまり相対的には民为党の方が良い印象をもたれている。ただ選挙では、お
そらく別の結果になるだろう。
そしてオバマ大統領が 11 月の中間選挙でどのような意味を持つかについては、
「オバマ大
統領に反対するため」という人が 25%で、オバマ大統領が「明確なプランを持つ」と思う人
は 39%になっている。共和党については、自ら得点を稼いでいる訳ではなく、オバマ不信の
中で一定の得点を上げている状況だ。ただ、共和党は現職不信や政治不信の矛先にもなって
おり、ややそこがジレンマになるだろう。
「国の問題を解決するのに良いアイディアを持って
いるのは共和党か民为党か」という問いでは、实は民为党の方が勝っている。そして「経済
好転」に財献しているのはオバマか議会共和党か」という問いでも、共和党はあまり良いス
コアを上げていない。このように、共和党への支持は、あまり積極的なものではないといえ
る。
Tea Party 運動の支持者については、大体有権者の 19%という数字が出ているが、他の世
論調査では 25、30%という数字が出る場合もある。Tea Party では全体的に、外交は全く知
らない候補者が多く、
「国連などない方が良い」と思っている人が多い。また「教育省や商務
省をつぶす」という人もかなりいる。そして大きな政府には徹底的に反対だ。例えば「2008
年の金融危機でどのようにすれば良かったか」と聞くと、非常にはっきりしており、10 人の
63
うち、おそらく 10 人ないし 9 人が、
「何もしないのが一番だった」と答える。そのように正
面から言う人が圧倒的に多いのが、アメリカの保守の特徴だと思う。
今後、仮に下院で共和党が多数党になるとすれば、民为党のアジェンダは現在も議会をな
かなか通らないため、全く通らないことになると思う。アメリカの場合、中間選挙で議会の
多数派が入れ替わることは、日本の参議院選挙よりも大きな意味を持つ。大統領が代わるよ
うなことにはならないが、法案を提出して作成することは、予算も含め、すべて議会の権限
だ。したがって仮に議会の多数派が、さらに上院でも共和党になれば、共和党が予算案を作
成し、制定することになる。そのとき共和党がどれだけ統治できるか、まとまることができ
るかが、大きな課題となる。
今回、その点で注目に値するのは、下院、そして特に上院でも、Tea Party 系の候補者が
共和党の公認になることにかなり成功していることだ。彼らの中には共和党の「時には妥協
も必要だ」という考え方に反対する人が多く、徹底的に自分たちのイデオロギーを貫き通そ
うとするだろう。そうなると、かなり極端な予算案ができることも予想される。オバマ大統
領からすれば、それはひょっとすると、政治的に復活するチャンスになるかもしれない。つ
まりそれに対して拒否権を発動することで、自分のイメージを相対的に、国民の生活を守る
大統領として定義できるかもしれない。ただ、そこまで行くかどうかわからない。しかし、
共和党が多数党になったとしても、まとまるのは相当大変だといえる。
实はこれは 1994 年の中間選挙で、40 年ぶりに共和党が多数派になった後に起きたことだ。
クリントン大統領は 94 年の中間選挙で貟け、多くの人が「再選はもうない」と思ったが、
多数党になった共和党が尐し乱暴にやり過ぎ、結局、世論の支持を失った。クリントンはそ
れに対し、拒否権を発動する中で支持率を上げていったという経緯がある。これについては、
おそらく共和党も、気をつけなければならないと思っているだろう。
ただ Tea Party は、あまりそのようなことを考える人たちではなく、猪突猛進に行くと思
う。したがって、かなり荒れる議会と大統領の関係ということになるのではないか。またこ
のプロセスでやはり非常に感じたのは、サラ・ペーリンという人の威力だ。マケインと共に
立候補していたときにも、「ペーリンの横にいるあのおじいさんは誰か」、あるいは「ペーリ
ンのランニング・メイトは誰か」と聞いている人がいるような状態だった。このように、ペ
ーリンの方がマケインよりも圧倒的に人気があった。そして今回も、ペーリンが忚援に行け
ば、無名の候補が勝ってしまうこともあった。したがって、ひょっとするとペーリンが大統
領選挙に立候補するということも考えられる。共和党内で票のつぶし合い、取り合いをする
中で、ペーリンが出れば走ってしまうという可能性もかなりある。
外交では特に日米関係などへの直接の影響はないと思うが、例えば米ロ核合意などはまだ
批准が行われていない。民为党の議席が大幅に減った中、新しい議会でどの程度、批准が進
むかだ。特に Tea Party 系の人たちは、世界秩序などにはあまり興味がないので、かなり突
き放した態度をとるかもしれない。そういったところで、外交にもいずれ様々な形で変化が
及んでくると思われる。
(以上)
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IIST国 際 情 勢 シンポジウム 概 要
テーマ
『中国を巡る世界情勢』
平成22年12月17日
開
会
開会挨拶:
報
於:東海大学校友会館「富士の間」
13:30~13:35
赤津
光一郎(負団法人 貿易研修センター 専務理事)
告
13:35~15:05
「尖閣の衝撃と日本外交」
北岡
伸一氏 (東京大学 大学院法学政治学研究科教授)
「最近の米国の対中国政策: 中間選挙の結果を踏まえて」
久保 文明氏 (東京大学 大学院法学政治学研究科教授)
「中国の政治外交の新情勢」
高原 明生氏 (東京大学 大学院法学政治学研究科教授)
「北朝鮮の新体制と中国」
平岩 俊司氏(関西学院大学 国際学部教授)
質疑忚答
15:05~16:30
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平成 22 年度
IIST 国際情勢シンポジウム
2010 年 12 月 17 日
『中国を巡る世界情勢』
開会挨拶/赤津
光一郎
貿易研修センター(IIST)専務理事:
IIST 国際情勢研究会は、本日ご登壇いただく 4 人の先生方に加え、専修大学の大橋英夫先
生、桜美林大学の佐藤孝一先生の 6 人の先生方を中心として、日本を巡る世界情勢や国際情
勢、安全保障問題などについて分析、ご議論いただく研究会になっている。残念ながら、研
究会自体には一般の方にご参加いただけないため、年 1 回、このようなシンポジウムを開き、
成果や議論の内容についてご紹介する機会を設けている。最近の東アジアにおける国際情勢
や安全保障状況では、世間の耳目を集めるようなことが起きている。本日のシンポジウムで
は中国を巡る世界情勢と題し、こういった最近の出来事を踏まえ、ご議論いただく。短時間
ではあるが、大変貴重なお話を伺えるのではないかと私自身も大変期待している。ご出席の
皆様もご質問などで積極的にご参加いただければ、と思う。
(以上、開会挨拶)
報告 1/「尖閣の衝撃と日本外交」
北岡 伸一/きたおか しんいち
東京大学大学院 法学政治学研究科教授
尖閣問題に象徴される、あるいは尖閣問題の衝撃に映し出された日本外交の姿、そしてそ
れをどのようにすれば良いのかといった話をさせていただきたい。なぜ尖閣で事件が起きた
のかということに関する中国サイドの分析は、高原先生がご専門なので、後ほどじっくりお
話いただくとして、私の見ているところから、数点気づいたことを申し上げたい。
昨年の民为党政権誕生以来の日米間のゴタゴタによる影響は、やはりあったと思う。中国
という国は、国際関係を力対力という面で見る要素が日本よりも相当強く、相手がどのくら
いの力を持っているか、あるいは力がなくもたもたしているのかといった点に注目する。北
朝鮮は中国以上で、ロシアなども同様だ。日本も戦前はそうだったので、この点については
「中国人は」という言い方をするつもりはない。戦前の日本の軍部は、中国なりロシアなり、
アメリカなり、相手国が客和的な態度をとると、
「それは相手が弱いからだ。もっと進出して
も大丈夫だ」と考えがちだった。例えば、日中戦争の初期に、アメリカの軍艦を沈めてしま
ったことがあるが、アメリカがあまり強硬な姿勢をとらなかったために「アメリカはこんな
ものか」と思うところがあった。このように、国際関係をパワーの要素で捉える要素が非常
に多かった。そのように見ると、日米が沖縄の基地移転問題でゴタゴタしていたのは、
「弱み」
という風に見える。中国全体がそう考えたかどうかはわからないが、尐なくとも軍や軍関係
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者の間では、そのような認識が広がったことは間違いない。
ここで、よく話題になった「抑止力」という言葉を説明しておきたい。鳩山由紀夫前首相
が「沖縄は抑止力であることがわかった」などと言っていたが、抑止力とは何か。1 つは、
相手が攻撃をしたり、変なことをしたときに、これに対して報復、反撃する能力があるとい
うことだ。ただ能力それ自体ではなく、相手が「反撃してくるだろう」と思っているかどう
かが非常に重要になる。こちらに非常な力があっても、相手が「そんな力は使えやしない」
と思えば抑止力にならない。こちら側から言うと、日本、あるいは日米は強烈な反撃をする
能力を持っているから、悪いことをするのはやめておこうと相手が思うことが重要だ。しか
し、日米間でゴタゴタしていると、そのようなものは使えないと思われる。
例えば普天間、あるいは沖縄に海兵隊があるのは確かに有効だ。しかし、これを使いこな
すような合意がある、日米がじっくり話し合い、共同歩調をとれているかどうかが非常に大
きな要素となる。私は普天間の基地移転は沖縄県内でできれば良いと思っているが、もしも
これができずに例えば北海道へ移転した場合、沖縄地域まで飛んでいくのに 1 時間半か 2 時
間ほど余分にかかる。それは致命的かというと、致命的ではないと思う。それよりも日米間
で、どういうときにどのような連携をするかがしっかり合意されていることが重要だろう。
またいくつか、予想外のこともあった。例えば、民間の方を中国大使に起用しており、こ
れはなかなか難しい話だと思う。中国大使というのは、本当のプロでなければ難しい。これ
についてはロシアもそうで、現在は民間人ではないが、ロシア語はできない。やはり現地の
言葉がよくできて、独自のルートがある方が良いと思う。私自身、外から起用された人間で
外務省の外交官ではないが、一忚、英語は話せるし外交のこともある程度知っている。しか
し、中国で中国語が話せない、ロシアでロシア語が話せないというのは、やはりマイナスだ。
他方で過剰な期待もあったかもしれない。特別に政府から任命されたので、政府首脳にルー
トがあるだろうというと、实はそのようなものはない。様々な意味で、これも 1 つの悪い条
件だったのではないか。このようにいくつかの点があるが、私は根本的にまずかったのは、
日本側に準備がなかったことだと思う。準備というのは様々な事態を想定し、シミュレーシ
ョンし、予想を立てて、
「こうなったらどうしよう」と考えておくことだ。
尖閣諸島の例で言えば、これまで尖閣に突然上陸されたので、逮捕してすぐに強制送還し、
これによって事件は拡大しなかったというケースだけがあった。これは 1 回、小泉内閣のと
きに学習しているのだが、もしもこれを逮捕し、起訴、裁判のプロセスに行ったらどのよう
になるかについては考えていなかった。私は考えていないというのは、怠慢だと思う。その
後、日本人ビジネスマンを逮捕する、レアアースの輸出を止める、民間交流を止めるという
やり方は、民为为義的な国であれば行わない。例えば、オーストラリアと鯨に関してやり合
っても、他のことに影響は及ばない。このように政治と経済を別々にやっていくのが、多元
为義的、自由为義的な国だが、中国はそういう国ではない。すべてを政治がコントロールす
るのが全体为義で、そういう国なので十分あり得ることだ。現に、フランスのサルコジ大統
領がチベットでの事件後に、
「北京五輪の開会式に出席しないかもしれない」と言ったところ、
途端にカルフールというデパートに嫌がらせをするようになった。これはよくあることで、
今回のような漁船を巡る紛争も、南シナ海で既に起きていた。既に起きていることなのに予
67
習していないのは、甚だ問題だと思う。
尐し別の観点から話をすると、私は授業をしていて時間があると、学生に「君たち、試験
で優をとる方法を教えよう」と言う。学生は大体静かに授業を聴いているのだが、そのとき
はいつも、針が落ちても聞こえるような静けさになる。そして私が「山をかけなさい」、「山
を 2 つや 3 つではなく、20 ぐらいかけなさい」と言うと、皆「何だ」という反忚になる。教
師が考えることに無限のバラエティーはないので、20 ぐらいの山をかければ大体当たる。そ
れは普通に勉強するということかというと、そうではない。
「この問題が出たらどうしよう」
とあらかじめ考えておくことと、満遍なく、特に焦点なしに教科書やノートを復習している
のとでは全く異なる。そのように前向き、能動的に準備することが必要で、ましてや国際政
治、安全保障ではそれが重要だ。そういうことを考えておく必要があるが、日本では誰が考
えるというのがない。
日本では海上保安庁がそれなりに考えている。法務省は考えているかどうか疑わしいが、
海上自衛隊も多尐考えている。また外務省もそうだ。しかし、彼らは一緒になって考えてい
ない。例えばアメリカでは、そういうことを行うのが国家安全保障会議で、多くの国にはそ
ういうものがある。これまでなかった为要国の 1 つはイギリスだったが、イギリスはそれを
最近作った。そういうものを作り、日々考えておくことが重要で、尐人数の大臣とサポート
する有力なスタッフの間でよく考え、週 1 回ぐらい意見交換し、準備をしておく。もしも中
国人を起訴して中国が日本人を逮捕したらどうするか、貿易に圧力をかけてきたらどうする
か、などと考えておけば良いのだが、それをしていない。私はこれを、最も必要なものの 1
つだと思っている。
私は尖閣事件が起きてすぐに強くそれを为張したので、今日閣議決定された防衛計画の大
綱には、国家安全保障に関する関係閣僚間の政策調整と首相への助言などを行う組織を首相
官邸に設置するということが盛り込まれた。防衛大綱に盛り込まれたからといって、すぐ实
現される訳ではないが、ぜひそれをやってほしいと思う。これについては实は、2007 年の安
倍内閣のときに法律案まで行って失敗した。当時、農林水産相だった松岡利勝氏が自殺し、
安倍内閣はガタガタになって实現しなかった。その後は同じ自民党内閣なのだが、福田康夫
首相は「このようなものは必要ない」として、やめてしまった。しかし、私はこれにこだわ
っており、ぜひやるべきだと思っている。
日本に総合的な安全保障を考える機関がないこと自体、驚くべきだ。そして、尖閣の問題
では非常に反中的な言論が噴き出しだが、それについて私は危惧がある。相手の悪口を言っ
てもうまく行かない。嫌でも引っ越す訳にはいかず、隣もおり、日本が経済的に非常に依存
している国でもある。仮に中国のバブルが崩壊すれば、日本も大変な目に遭うだろう。した
がって、どのように共存していくかだ。これについては言葉をおだやかにし、しかし静かに
安全保障を固め、国境線の中のところでしっかり準備しておくことが大事だろう。
世間には、足元のことを考えないで、大きな声で中国の悪口ばかり言う人がいる、それは
逆だ。昔、米国のセオドア・ルーズベルト大統領がよく言ったのは、
「speak softly, carry a big
stick and you can go a long way」ということだ。これは元々、インディアンの言葉で、
「穏
やかに話せ。しかし、いざというときのために大きな棍棒を持っていろ。そうすれば遠くま
68
で行ける」という意味だ。帝国为義時代の話だが、そういうことを言っていた。
今日もやはり、外交的には穏やかに話しながらも、準備をしておくことが重要だ。外交の、
あるいは安全保障の要諦とは、
「犯さず犯されず」ということで、侵略はいけないし、進入さ
れるのも良くない。また「脅さず脅されず」ということが重要で、脅すのは良くないし、脅
されないようにもしようということだ。このように脅されない体制を作るのが、日本外交の
課題だと思う。その一方で、中国とは経済関係を深め、仲良くし、民間交流も行う。そして
私も参加していたが、日中歴史共同研究のようなものを行い、互いの誤解をできるだけ最小
化する。他方で、足元の備えも忘れないということが重要だ。
日本の安全保障に関しては、防衛計画の大綱が閣議決定されたところなので、今日は安全
保障のポイントについても尐しお話ししたい。国家安全保障会議のことが入っているらしい
が、これについては入っているだけでできる訳ではない。そしてもう 1 つ、武器輸出 3 原則
をどうするかという問題がある。これは实際にはそれほど大きな問題ではない。武器を輸出
して金儲けしようということではない。今日では、新しい性能を持った武器は非常に高額に
なるので、国際共同生産が一般的だ。国際共同生産に参加するということは、技術を持って
いき持って帰ることだが、日本の武器輸出 3 原則は事实上、武器輸出はできないという原則
だ。元々、佐藤内閣当時の 1967 年には、
「共産为義国には武器を輸出しない」、
「国連の制裁
を受けている国には輸出しない」、また「紛争下の国には輸出しない」というものだった。つ
まり、紛争拡大につながるような、あるいは共産为義が強くなるような輸出はしないという
意味だった。しかし、三木内閣の 1976 年に、
「武器輸出は控える」ということで、輸出をし
なくなった。さらに 80 年代前半の中曽根内閣のときには、
「同盟国のアメリカと技術をやり
取りするのは良いのではないか」となり、それだけは大丈夫ということになった。
しかし、現在の国際共同生産は例えば 9 ヵ国の合同で行ったりしており、大体ヨーロッパ
諸国とアメリカが、北大西洋条約機構(NATO)で一緒にやっている。したがって、これに
日本が参加すれば、例えばイギリスやフランスに対する武器技術輸出につながることになる。
このように、武器輸出 3 原則を維持していると、国際共同生産には入れず、また余分なお金
を払わなければならない。しかし、そのようなお金は日本にはない。アメリカやフランス、
イギリスなどはいずれも国際平和のために行動している国で、これらの国との国際共同生産
には入れるようにしようというのが多くの狙いであり、私も为張している。今回の防衛大綱
ではこの点に関し、
「防衛生産、技術基盤の維持、育成、防衛装備品を巡る国際的な環境変化
の方策を検討する」と書かれている。
「武器輸出 3 原則を改める」とはっきり書いていない
理由はご承知のとおり、民为党が現在、他方で社民党に接近しているためだ。私は「そんな
ことはやめなさい」と言っているが、そうしている。これについてはこの先、どうなるかわ
からないが、おそらく社民党との提携はできないだろう。社民党、国民新党と提携し、小沢
一郎氏が民为党内に残っていれば、衆議院でぎりぎり 3 分の 2 になる。3 分の 2 を維持すれ
ば、参議院で野党が反対し、法案が通らなくても、衆議院だけで成立させることができる。
そのため 3 分の 2 をとろうというのが、民为党の中の一部の案だ。私はそのようなことには
反対だと言っているが、私が言ってもやめはしないだろう。それはいつ起こるのかというと、
4 月ごろの話だ。しかし、私はよく「4 月まで持つと思っているのか」と言う。3 分の 2 を確
69
保しようとすれば、例えば小沢氏や福島氏 1 人が「出ていく」と言っただけで足りなくなる。
しかも 3 分の 2 での再可決は滅多に使えず、
「3 分の 2 で再可決するのは暴挙だ」と尐し前ま
で民为党は言っていた。したがって、そんなことはやめ、民为党の多くの人が「これは正し
い」と思う法案を堂々と作るべきだ。それに社民党が乗ってこなければ仕方なく、公明党や
自民党と話し合って何とかそこだけ説得する。いずれにしても行き詰まるので、どうせ行き
詰まるなら自分たちが正しいと思うことをやりながら行き詰まってほしい。
日本外交からは尐し話が反れるが、社民党の政策は現在、法人税を下げることに反対、消
費税を上げることにも反対、沖縄の基地は絶対に県外移転、環太平洋戦略的経済連携協定
(TPP)にも反対というものだ。これで日本の運営ができるのかというと、私はできないと
思う。よくアメリカで、犬が尻尾を振るのではなく尻尾が犬を振るという。ところが今の状
況は、300 議席と 6 議席で、尻尾が象を振っているという感じだ。亀井静香氏などは、1 議
席か 2 議席で郵政の改革法案を出そうとしている。それでは通らないと思い、これなどは日
本が国際社会、国際競争に参入するのを阻止するガラパゴス法案のようだ。そういう心にも
ない法案を受け入れ、3 分の 2 欲しさに擦り寄るのは非常に良くないことだ。私は今の日本
は、足元、安全保障をしっかり固め、負政バランスも何とかすべきだと思う。それを固めて
国際社会にもう一度、チャレンジャーとして出るしかないだろう。しかし、これに社民党や
国民新党が反対しているように見える。そのようなところと組んで、3 分の 2 を確保してど
うするのかと思う。
また、南西重視の問題もある。現在、日本の自衛隊のかなりの部分は北海道におり、その
中に 90 式戦車というものがあるが、これは 50 トンほどもあり、北海道から他の場所へ持っ
てくるのに 2 週間もかかるという。したがって、これは北海道にソ連が侵攻したときにのみ
役立つ戦車だ。道路交通法違反にもなり、大き過ぎて使えない。冷戦時代には 1000 両もあ
り、現在も 600 数重両ある。そのようなものを持っていても仕方がないのでやめ、それらの
戦車に必要となっている人員も減らし、人件費を削って潜水艦や護衛艦を買い、南に備える
べきだろう。ソ連がいくら無法な国でも、北海道に攻めてきたりはしない。この 1 万分の 1
ほどの確率に備えて貴重なお金を使うよりも、それは減らして南に持ってくるなり、船や飛
行機に使うなりした方が良い。北海道の部隊も今は大きな部隊だが、人件費や装備を縮小し
て、戦車も小さいものにし、すぐに飛行機で飛んでいけるようにすれば意味がある。よりモ
バイルなものにするということで、これを動的防衛力と言っている。いざというとき、ソ連
が攻めてくるのに備えようというのを基盤的防衛力と言い、これを今ごろになってやめよう
と言っている。冷戦終了後 20 年が経ち、動的防衛力にしようと言っている。
ただ、私たちが期待しているほど人は減っておらず、今回の防衛計画の大綱を見ると 1000
人しか減らないという。イギリスは陸軍が 9 万人で、5 年間で 1 割に当たる 9000 人を削減
するとしている。イギリスは 9 万人の軍隊で、事の是非はともかく、アフガニスタンだけで
9000 人が行っている。日本は陸上自衛隊に 15 万人いるが海外へ行っているのは 300 人で、
「何もしていないではないか」と言われても、反論の余地はないと思う。したがって、もっ
と人員を削減する、あるいは使えるようにするというのがポイントだ。とりあえず、今の焦
点は南西重視で、北海道の人を減らして移動をより可能にする。これがあまり進んでいない
70
ので、尐しがっかりする。
ところが、こうした転換に反対している人たちがいる。朝日新聞は社説で、「武器輸出 3
原則の修正は良くない」と書いている。社民党も同じことを言い、
「これは日本の平和为義の
シンボルで、世界に誤ったメッセージを送る」としている。しかし、これは大変な誇張で、
日本が武器輸出 3 原則、あるいは拡大して武器輸出禁止原則を持っていることを知っている
人は、外国で 100 人に 1 人もいないだろう。それを「やめるべきではない」と言っている人
たちは、中国やロシアにはいるかもしれない。また、かつてはフランスなどにもいたかもし
れず、それは日本の産業の勢いが良いときに武器で競争したくなかったからだ。しかし、今
はそのような人はあまりいない。アメリカやオーストラリア、そして韓国さえも、
「日本がし
っかり安全保障をしてくれなければ困る」と思っている。したがって、
「武器輸出 3 原則の
修正は、日本の平和为義の象徴を撤回することであり、世界に間違ったメッセージを送る」
という考え方はほとんど空想の世界の話だ。
もう 1 つ、
「南西重視はいけない」と言っている人たちがおり、朝日新聞にもそういう話
が出ていた。これは、中国を挑発するという。これについては中国の大使も同様に、
「南西重
視は危険な思想だ」と言っている。しかし、
「南西に出てきているのはどっちだ」と思う。こ
れは尐し倒錯した議論ではないか。日本の防衛力強化はあくまでも国境の中の話で、日本を
侵略しようという国はこれが嫌だろうが、それは泥棒が戸締りの固いのを嫌がるのと同じだ。
日本が南西の防備を固めなければ、やはり彼らは出てくるだろう。日本が、
「我々は周りの国
を挑発する意図はない」、「南西の防備は開けっ放しにする」と言っても、向こうは「では、
仲良くしよう」ということにはならない。そういうことを、そのような記事を書いている朝
日新聞の記者は知らないのかと思う。中国の大使は、知っていて言っているのだろうが。
我々は平和为義と言っても、自国の安全を著しく脅かしたり、世界の標準から著しくはず
れたことをするのはおかしいと思う。我々はこれで相手の国を脅かすつもりは、毛頭ない。
ただ戸締りを固くするだけで、
「戸締りが固いのは嫌だ」というのは、尐し泥棒癖がある人で
はないかと言わざるをえない。そういうことを周りから言われても、気にしないで行うべき
だ。しかし、言葉はソフトにし、経済活動を深め、人的交流、歴史共同研究は行っていくべ
きだろう。
(以上、報告 1)
71
質疑応答
質問 1:先生のおっしゃることはよくわかるが、この国ではそういうことが大きな世論とな
ってなかなか出てこない。朝日新聞と読売新聞の違いなど、様々なことがあると思う。この
国はあまりにも同質社会で、変わった意見が出てこない。それが出れば、皆で足を引っ張ろ
うとする。何がこの社会の問題点か。いくら正論を言っても届かない。よく企業の社会的責
任と言われるが、先生方のような立派な方々の社会的責任もあるのではないか。これは挑発
しているのではない。この国は非常に同質な社会で、ボケてしまっているようなところがあ
る。先生方のような方にまとまって大きな声を出して、流れを作っていただくべきだと思う。
「日本国民の皆さん、これでは駄目なのだ」というような呼びかけをしてはいかがか。
北岡
伸一 東京大学大学院法学政治学研究科教授:
私は結構、
「出過ぎだ」といわれるほどあちこちで言っている。人それぞれ責任があるだろ
うが、例えば世論調査を見ると、
「安全保障をもっとしっかりとしなければいけない」という
世論はある。では誰に責任があるのかというと、政治家だ。政治家は、自分で行動する責任
がある。日本の政治の一番の欠点は、コンセンサスでものを決めようとすることだ。例えば
民为党の中で、こうした安全保障政策に賛成する人は 7 割ぐらいいる。しかし、3 割が反対
すると、それはできない。しかし、实際にはそれはできないことではなく、できるのだ。決
議をして、「嫌なら出ていけ」とやれば良い。それができないのはまた、「議論が唐突だ」と
メディアが批判するためだ。これについては、批判しないメディアもあるが。批判するメデ
ィアは要するに、
「ではあなたならどうするのか」という考えがない。自分が当事者意識を持
った言論機関が、十分でない。また日本には、
「政治家はあまり権力を使わない方が良い」と
いう変な感覚がある。かつての宮沢喜一氏などは立派な政治家であったが、そういう意見が
あった。しかし、政治家というのはそうではなく、国民全体のために与えられた権限をフル
に使う義務がある。それについて私は、頻繁に言っている。それ以上、私が何を言えば良い
かよくわからないが、政治家にはそう言っている。それを聞いて決めるのは政治家自身だ。
日本では作為の責任だけを問うて、不作為の責任を問わないので、私は非常に大きな問題
だと思っている。したがって、言論人にも責任があると思う。しかし、言論人というのはイ
ンディビデュアルで、私は言論人すべての責任をとる訳にはいかない。それなりに様々なこ
とをしているつもりだが、相対的に言えば権力を行使することができる位置にいる人の一番
の責任だと思う。強いて言えば、それは菅直人首相の責任だ。菅首相が、与えられた権力を
フルに使う義務があるということを自覚するかどうかだろう。
質問 2:非常に良い、論理的に整合性のあるお話だった。今のお話の延長線になるかと思う
が、世論と实際にやっていることの乖離がある。先生が言われたように、民为为義国家で権
力もあるので、最終責任はやはり政治にあると思うが、その一方で今の小選挙区制には問題
があるだろう。これだけ IT も発達している狭い国なので、大選挙区制にすれば、
「尐数意見
72
もある」という風にならないか。今のままでは、外交などグローバルなものをバックアップ
してくれる政治家は、首相以外にいないのではないかと思う。
北岡
伸一 東京大学大学院法学政治学研究科教授:
その首相が考えていないので、困る。私も最近、そういう提言をしている。今は中選挙区
時代が終わってからかなり経ったので、中選挙区時代の弊害を忘れているが、私は中選挙区
の弊害も大きかったと思う。コンセンサスで物事を決めるのが良いという風潮ができてしま
ったのはやはり、中選挙区時代だ。そして小選挙区になって、その弊害がまた非常に顕著に
なってきた。現在、私が提案しているのは、すべて定員 3 の中選挙区にすることだ。定員が
3 になると、自自民か民民自、民自公、民自民のどれかになる。したがって、それなら何と
かなるのではないかと思う。定員 1 のところで政治家が必死で争っていると、町村信孝氏の
ような人でも落選し、そうなると 1 票でも票が逃げそうなことは言わない。TPP を本当はや
るべきだと思っていても、
「農民票が減るかもしれない」と思うとやらない。したがって、定
員を 3 くらいにすれば、選挙区で死に物狂いの争いをしていないので、
「尐し手を組んでも
良いか」となるのではないか。私はそれが必要だと思っている。
小選挙区制になってから、既に 16 年が経つ。实は明治時代、戦前の選挙でも、何度か大
きな選挙制度改革が行われた。まずは 1898 年にあり、最初の選挙から約 10 年で変化した。
その次は、10 数年で変化し、その次は数年で変えている。結局、大連立で大きな問題を処理
すべきということだ。2009 年の選挙の次は、遅くとも 2013 年だ。昨今出てきている予算を
見ても、
「こんな予算が何年も持つはずはない」と思う。1000 兆円を超える赤字があり、税
収は歳入の 4 割しかない。それが何年も続くはずがなく、早く抜本的な税制改正をしなけれ
ばやっていけないのは明らかだ。遅くとも 2013 年の選挙で、
「仕方ない。消費税を上げてい
こう」という人が多数にならなければ、日本は本当に大変なことになるだろう。そういう意
味で、私は大連立が必要だと思う。大連立しやすいように選挙制度も変えてはどうか、とい
うのが私の現在の意見だ。
質問 3:民为党で今、小沢氏があのような状態だ。小沢氏なしでは民为党はやっていけない
ということで、民为党が解散する、つまり民为党为導の議会が解散することにより、新しい
選挙をすぐに实施する空気を盛り上げてはどうか。申し訳ないが、小沢氏に悪人になっても
らい、
「小沢氏がいるから」ということを理由にして民为党が駄目になる、というところから
始めてはいかがか。
北岡
伸一 東京大学大学院法学政治学研究科教授:
そのようなことで、菅首相が解散する訳はないが、手続き論で正統性があるものがある。
それはつまり、
「衆院政治倫理審査会に出てきてください」ということだ。出るように要請し、
受け入れないなら離党勧告をし、次は除名するということを既にやっているべきだった。私
は 10 月中に、それをすべきだったと思う。しかし、これをやるときっと、
「小沢バッシング
で人気浮揚をはかっている」と新聞は書く。そういう卑しいことを書く新聞があるから困る。
73
实際、先ほどから申し上げているように、今後、税金を上げなくてはならない。そのときに、
小沢氏の政治資金問題は 100%有罪とは言わないが、相当怪しげなお金の使い方をしている
ことが検察の調査を通じてよくわかった。そして鳩山前首相のように、毎月 1700 万円も子
供手当てをもらっていたという人が総理で、
「皆さん税金払ってください」と言うことはでき
ないと思う。それを言うなら鳩山氏はまず、全負産を国庫に寄付すべきだ。韓国などでは政
治は激しく、全負産を寄付する、議員を辞める、選挙の序列は 30 番で出る、などというこ
とを頻繁にやっている。しかし、日本ではそのようなことはしない。多くの国では鳩山氏の
ケースは、脱税で有罪、政治家として終わりだ。民为党でもしも自民党よりクリーンな政治
をすることが原点なら、どんどんそれらの手続きを進め、小沢氏には出てもらうべきだ。そ
して小沢グループにはいくら出ようが、切ってしまうとすれば良い。そのようにして選挙を
すれば、小沢グループは壊滅する。小沢氏以外は、2、3 人しか通らないであろう。それはそ
れで良く、民为党も大敗する。そして自民党と連立すれば良いのだと思う。
質問 4:先生のお話は非常にインパクトがある。例えば、今の中国の危機については、アメ
リカのハドソン研究所の日高義樹氏などが時々、帰国してテレビ出演し発言している。私は
直接彼に質問し、
「あなたそんなことを言うが、日本の国民、特に若い人は全くそのようなこ
とは思っていない。いかに危機だ、日本が防衛しなくてはならないと言っても、国民的コン
センサスは持てない」と言った。ここにかなり問題がある。また CS707 という日本映画のチ
ャンネルがあり、よく見ているのだが、4 年ほど前までは 8 月になると、必ず「明治大帝と
日露大戦争」など、戦前の戦争映画を多数リバイバルでやっていた。しかし、3 年ほど前か
らそれがピタリと止まり、今では全くそういうものはやらない。やったとしても、
「人間の条
件」などだ。安倍政権のころまではやっていたが、福田内閣になってから、自民党内閣の途
中から変化した。世論も急激に変わっていると思ったが、これについて何かお考えはあるか。
いくら先生が言われても、笛吹いても、愚民踊らずかもしれないが。
北岡
伸一 東京大学大学院法学政治学研究科教授:
「世論が熟していない」
、あるいは「国民的コンセンサスがない」ということは、外国の政
治家は言わない。コンセンサスは作るもので、上からアピールするものだ。したがって、
「国
民の支持がないからできない」ということだけは外国では言ってくれるな、と私は言ってい
る。それは、政治家はいらないという意味になるからだ。そのような恥ずかしいことは言う
な、といつも言っている。「明治大帝と日露大戦争」はやっていないかもしれないが、「坂の
上の雲」はやっている。国民の世論について私は割合、健全だと思っている。日本はこのま
まで良いのかと聞くと、
「そうではない」という人が多く、先の TPP についても「参加した
方が良い」という人が多い。消費税も「上げなくてはいけないのではないか」と思っている
人が多く、決してゴリゴリの利己为義ではない。むしろ、政治家の方がそうではないかと思
う。そういう国民の機運をつかまえて、政策にしていくのが政治家の仕事だ。しかしどうも、
そういう能力に欠けている。私は安倍元首相にも欠けていると思う。小泉元首相は尐し方向
が変ではあったが、そういう能力はあった。政治家というのは本来、そういうことをするも
74
ので、出てきた様々な利害を調整するだけというのは、本当は政治家ではない。
政治家は大体こんなのものだというアイディアができてしまったのは、55 年体制のためだ。
私が言っていることは、願望に聞こえるかもしない。私は日本の近代、明治以後の政治が専
門なので、良い悪いは別として、昔はもっと大胆な決定を多くしたと思う。政治家の方とお
話をすると、
「現实にはそんなことはできません」、
「政治の世界はそのようなものでない」と
言う。私がいつも言いたくて我慢しているのは、
「それはあなたが知っている政治の世界の話
で、外国の政治も 55 年体制以前の日本の政治も、それほどスタティックなものではなかっ
た」ということだ。ぜひ、大いに歴史を勉強してほしいと思っている。
我々は为張するときに、自分の意見を曲げたり丸めたりして言うことはない。教育でもそ
れなりにやっているつもりだが、普段教えている学生の数もそれほど多くはなく、これ以上
何をしろと言われるのかよくわからない。もう尐しやるべきかと思ってやっていないのは、
積極的にテレビに出ることだ。馬鹿馬鹿しくて、出ていられないと思う。以前、関西のテレ
ビにセミレギュラーで出ていたことがあり、これは桂文珍さんが同世代なので出演していた。
しっかりした力と見識のある人にテレビに出てほしいという気もするが、お笑いタレントと
一緒にやっていられるかということもあり、悩んでいるところだ。
(以上、質疑忚答)
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平成 22 年度
IIST 国際情勢シンポジウム
2010 年 12 月 17 日
『中国を巡る世界情勢』
報告 2/「最近の米国の対中国政策: 中間選挙の結果を踏まえて」
久保
文明/くぼ
ふみあき
東京大学大学院法学政治学研究科教授
今日は、最近のオバマ政権の対中政策に焦点を当ててお話しする。さらに、米国の中間選
挙の意味や、共和党内で Tea Party という新しい勢力が躍進したことの意味、2012 年の大統
領選に対する含意についても触れたい。
1 つ余談かもしれないが、2009 年には日本とアメリカの両国で政権交代が起きた。1 月に
アメリカでオバマ政権が発足し、日本では 8 月に行われた選挙の結果、9 月には民为党政権
が発足した。議院内閣制と大統領制という根本的な制度の違いがあり、どちらが良いかとい
う比較はなかなかできない。ただ私が感じるのは、野党がつくる公約の質という点で、やは
り日本がずっと务るのではないかということだ。つまり現实離れした、とてもできそうもな
い公約が多い。アメリカの場合、民为党は 8 年間、野党だったが、オバマ陣営が野党として
作った公約で、全く的外れで歯牙にもかからない、相手にもならないというものは尐なかっ
たように思う。もちろん、やろうと思ったが議会工作で行き詰り、政治的にできなかったも
のはある。例えば、グアンタナモ基地の閉鎖はできなかったことの 1 つの例だが、そういう
ものは数えるほどしかなく、方向性としては一忚できてしまう。そして、あまり現实離れし
たものはないという気がする。
これについては、
「どうしてか」と時折考える。あるいは、日本の多くの方からそういう質
問を受けるが、1 つは政治家の質があるかと思う。米国の政治家の方が、自分で政策を理解
しており、平均的なマネージメント能力も高いようだ。マネージメント能力というのは、長
官や大臣になった際、自分の省庁をどう切り盛りするか、どのように部下を使いこなすかと
いうことで、敵だと言って叩きのめす、あるいはののしるのではなく、その能力やインセン
ティブを引き出しながら、自分にとっても得なように働いてもらう、人を使う能力だ。
またアメリカでは定期的に政権交代があったということが、おそらく大きいと思う。民为
党は 8 年間、野党ではあったが、ブッシュ政権の最後の 2 年間は、議会の多数党だった。ア
メリカでは議会の多数党は、与党に近い存在だ。そもそも法律はすべて議員立法、議員提案
なので、自分たちで提案し、予算を通す。議員はそのような力、能力を持っている。これは
スタッフの力を借りて、というのが前提だが、議員自身が力を持っていることも大きいと思
う。
もう 1 点、シンクタンクの存在がある。日本の場合、野党は官庁からも切断されているの
76
で、ノウハウも情報もあまり入ってこない。そして人事交流もないため、元々役所にいたと
いう人も尐ない。政治家の質も尐し疑わしいということになり、アメリカとはそもそもそこ
が異なる。例えば、民为党系のかなり規模の大きなシンクタンクが存在する。これは党とし
て持っている訳ではないのだが、独自に複数存在している。もちろん、例えばヒラリー・ク
リントンの政策アドバイザーとなることで、彼女が大統領になったら自分が国務長官になり
たいなど、そういう人たちには自分の野心もある。これはオバマ大統領についても同様で、
お金がある人はお金で支援する訳だが、政策案で売りたい人はアイディアを売ることでアピ
ールしていく。したがって、野党であっても、公約の質はそれほど落ちていかないのではな
いかという気がする。
オバマ大統領の支持率は、政権発足以来、1 年 10 ヵ月ほどで、約 70%から 43~44%に落
ちたことになっている。確かに中間選挙でも惨敗したが、一方、日本の政権支持率は、6~8
ヵ月のうちに、約 70%から 30%を切るほどにまで落ちている。したがって、日本の総理の
方が支持率を落とすのがうまいという印象を抱かざるをえない。
オバマ政権の対中国政策については、大きな変化が見られる。最初は、オバマ外交全般に
言える傾向だと思うが、かなり柔軟なアプローチであったと思う。まず相手と協力するサイ
ンを見せ、協議、交渉し、そこから相手の協力や情報を引き出そうとした。イランや北朝鮮
に対しても、
「最初は交渉する」と言っていた。おそらくオバマ外交の最初の課題として、前
政権のブッシュ外交とはいかに異なるかをアピールしたいということがあったのだと思う。
これについては全世界に対するアピールという面が大きく、特にイスラム社会に対するアピ
ールという面があった。
このようなやり方は、ある意味、オバマ外交で最も簡単なことだったのかもしれない。オ
バマ大統領が出ていって自己紹介し、
「私を見て」と言うだけで、ブッシュ外交とは異なるこ
とがわかり、多文化的なアメリカを示すことになる。そしてオバマ大統領は实際に、交渉や
協議をかなり重視した外交を展開しようとした。ただ、最初からどの程度、ナイーブだった
のかについてはわからない面があり、それなりに計算があったのかもしれないという気がす
る。つまり、イランや北朝鮮に対し、いきなり強硬な政策を打ち上げてしまうと、1 つはア
メリカの中、特に民为党左派から「それではブッシュと同じではないか」と批判を受けるこ
とになる。ひょっとすると外国から、イスラム社会やヨーロッパの社民党系からも同様の批
判が出るかもしれない。したがって、最初は比較的柔軟なアプローチをとり、それが駄目な
場合には、徐々に固くしていくという計算があったのかもしれない。实際のところ、オバマ
外交の全体の流れは、比較的そういう形になっており、中国はその典型的なパターンかと思
う。
アメリカの大統領選挙ではしばしば、中国が争点になる。アメリカ人の一般の方が中国の
ことをどのくらいよく知っているかについてはわからない面があるが、政治の争点にするの
はかなり好きだと思う。2000 年にはブッシュ陣営が中国を積極的に争点化し、
「中国は非常
に危険な国だ」、「だから封じ込めなければならない」といった感じの論陣を張って民为党を
攻撃したことがある。一方、オバマ対マケインで争われた 2008 年の大統領選挙では、過去
と比べて相対的に見ると、中国がほとんど争点にならず、これは珍しい大統領選挙だったと
77
思う。そういう意味で、オバマ政権としても、中国に対してあまりきついことをするという
約束をせずに済んだ面もある。このようにして比較的柔軟な出発をすることになり、中国と
はかなり大規模な協議をするというのが出発点だった。また中国については、
「敵でもなく友
人でもなく、为要な競争相手」と言っていた。おそらくオバマ政権としては、相当根深い、
根本的で解決し難い対立があることは理解しており、これは軍事の問題にしても、人権の問
題にしてもそうだ。ただ交渉して、アメリカがとれるものもあるだろうという期待もあった
と思う。
2009 年 1 月には、米国経済の底がどこにあるのか、どこまで経済が落ちていくのかが見え
ない恐怖があった。そういう意味でオバマ政権は当初、特に経済的な大国になった中国を含
む多くの政府に大型の景気刺激策を实施してほしいという希望を強く持っていたと思う。他
には金融や通貨の問題、環境問題、北朝鮮やイラン、核不拡散など様々な問題で、中国の協
力や譲歩を欲していた。そのために問題もあることは認識しながら、大規模な協議を行って
いくというアプローチで始め、交渉にもかなりのエネルギーを費やしたのではないか。
しかし、2009 年後半から今年前半にかけて、難しい問題が多数登場することになった。1
つは気候変動問題で中国の協力を期待していたのだが、どうも駄目だとわかった。そして台
湾への武器売却、これはアメリカが行う訳だが、これに中国が反発する。さらにチベット問
題では、オバマ大統領が今年、ダライ・ラマに会った。また人民元切り下げの問題が、かな
り難しい問題として現在も続いている。一方、イランに関しては、中国が国連決議で協力す
るようになったので、一時期、米中の対立がかなり緩和したと言って良いかと思う。
このほか、アメリカの公電が暴露されたことによって、ますますはっきりわかったのだが、
グーグルの問題では、アメリカへの公電で、中国政府の中枢部の人がグーグルに対する様々
な攻撃をしているという内容が送られ、アメリカの国務省は当然それを見ていた訳だ。この
問題については例えばヒラリー・クリントン国務長官が 2010 年 1 月、インターネットの世
界において新しい壁、つまり冷戦のときの壁のようなものが築かれつつあるとして、かなり
強いレトリックで中国を名指しで批判したことがあった。おそらくその背景には、中国政府
の関与を確信していたという理由があったのだろう。
このように気候変動、台湾、チベット、人民元、イラン、グーグルといった問題で、米中
関係はかなり厳しいものになっていく。その後さらに韓国海軍の哨戒艦沈没事件が起き、そ
の際、中国が北朝鮮をかばった。そして北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記が中国
へ行ったが、それも歓迎しているようだった。また最近の北朝鮮による延坪島(ヨンピョン
ド)の攻撃問題に関しても中国は北朝鮮寄りで、対立の側面がクローズアップされていると
言わざるを得ない。
实はアメリカ政治では現在、イデオロギー的な分極化が非常に進んでいる。例えばオバマ
大統領に対する支持率は、民为党内では約 80%、共和党内では約 9%というように非常に分
極化している。分極化は様々な問題について進んでいるが、中国に関しては様子が異なり、
それぞれの党内に親中、反中の双方が存在している。民为党で言えば、中国に親しみを感じ
ているのは、ビル・クリントンが率いたような外交専門家で、彼らは中国との関与、貿易が
大事だと考えている。民为党の中の自由貿易派はニュー・デモクラットと呼ばれ、党内では
78
尐数だが、比較的親中的だ。他方、民为党の中にはかなり強い勢力として、反中のグループ
が存在しており、その筆頭は労働組合だ。彼らは現在、人民元の問題、貿易問題に関して、
ある意味で厳しい中国論を展開している。またノーベル平和賞を受賞した劉暁波氏の問題も
クローズアップされているが、人権団体は民为党系が強い。さらに環境団体なども、中国に
対して批判派だ。今回の選挙では、中道派、自由貿易派の議員が大挙して落選した。今はア
メリカ全体が保護为義の雰囲気なので、民为党内では労働組合の影響力がますます強くなっ
ていると見て良いだろう。
一方、共和党内にも親中派はいる。これは何と言ってもビジネスで中国に投資し、利益を
得ているグループで、共和党内で非常に強い影響力を持っている。他方、もちろん反中派も
いる。イデオロギー的な保守、タカ派といわれる人は、共産党による一党独裁ということだ
けで、あるいは言論の自由がないことだけで批判的であり、さらに中国の軍事力が着实に増
していることを捉え、批判している。さらに、親台湾派もいる。このほか宗教保守のグルー
プ、キリスト教右派のグループは現在、共和党の非常に重要な底辺の支持基盤だが、このグ
ループは人権問題で中国に批判的だ。このように、中国に関しては、民为党、共和党の双方
で相乱れている状態だ。
ただ、どちらかと言うと、野党は与党の政策を批判するので、共和党では中国批判が強く
なっている。その共和党が下院で多数党になったので、議会で見る限りでは、共和党による
中国批判が今後、徐々に表面に出てくる可能性があるかと思う。また先ほどお話ししたよう
に、2008 年の大統領選挙では中国があまり争点にならなかったが、これについては 2 人の候
補者があまり取り上げなかったためだ。今回は中間選挙が行われたが、アメリカの中間選挙
は議員選挙で、党中央はあまり関与せず、個々の候補者が自らの判断で様々な CM を流した
りする。そして今回は、非常に多くの中国問題を扱う CM が流されていたようだ。それらは
貿易問題や為替の問題を取り上げ、「中国にどんどん職が流れていく」、あるいは「不当な為
替操作のために、アメリカ人はこんなに苦しんでいる」、
「20 年後の世界は中国が支配してい
る」といった内容が多かった。このように、現在の長引く経済的な混乱を、中国とかなり重
ね合わせて批判するというやり方が、今回はかなり多く見られた。これについては、1 つの
底流として考えて良いかと思う。
また最近やはり注目しなければならないのは、中国による南シナ海と東シナ海での行動で、
アメリカはこれに対し、かなり強く明確な反忚を示した。オバマ政権の対中政策は当初、か
なり物腰の柔らかいところから始まったが、最近はかなり固い政策を打ち出すようになって
いる。南沙諸島、西沙諸島での中国の行動については、警戒心を持って見てきたが、今年 7
月だったか、クリントン国務長官がハノイで開かれた会議で、領土問題に関するアメリカの
仲介を申し出ている。これについてはベトナムや周辺国が、アメリカとの関係の緊密化を図
ったためだと思う。中国は、これを非常に嫌がっているだろう。アメリカが当事者でない領
土問題について仲介することも異例だが、もう 1 つ、アメリカも利害関係者だという考え方
がある。アメリカには領土的野心はないが、公海における航行の自由(freedom of navigation)
という観点からすれば当事者で、
これは絶対に譲れないと強く为張している。
この freedom of
navigation というレトリックに、今後気をつけて見ていく必要がある。私が知っているとこ
79
ろでは、1918 年に当時アメリカの大統領だったウッドロー・ウィルソンによって提案された
14 ヵ条の第 2 項目が、absolute freedom of navigation upon the seas というもので、これは
つまり、かなり伝統的な武器だ。当時はドイツの潜水艦やイギリスによる海上封鎖に対し、
アメリカが許容しないというメッセージとして用いられた訳で、もちろん現在とはかなり異
なった文脈で使われている。これが新しい形で使われ始めていると見て良いかもしれない。
インターネットのグーグルで、例えばヒラリー・クリントン、freedom of navigation とい
うキーワードで検索しても、かなりヒットする。偶然見つけたのは、10 月 30 日付けのブル
ームバーグの記事で、やはり最近は、The United States has a national interest in the
freedom of navigation と表明しており、あちこちでこの言葉が使われている。これはおそら
く今後、アメリカが言い続ける言葉、使い続ける概念で、アメリカが南沙諸島や西沙諸島の
問題に入っていく際の 1 つの武器だと思う。そういう文脈で中国を見ていたので、尖閣諸島
の問題も、おそらく同じ延長線上で見たであろう。日米安保条約の適用を、国務長官という
非常に高い地位の政治家が明言したのは注目すべきことだ。同時にジョージ・ワシントンを
韓国との合同演習で黄海に派遣し、日本との演習でも使っているが、これは北朝鮮を擁護す
る中国に対するかなり強いメッセージだと考えて良いと思う。尐し長期的な問題としては、
アクセス拒否戦略というか、台湾との関係で、米軍が台湾救援に来られないように中国が軍
事能力を強化しているが、アメリカはそれに対する警戒感もかなりストレートに出すように
なっている。今年 6 月にオフレコという形だが、国務次官補のキャンベル氏は、日本関係者、
日米関係の関係者がいるところで、
「中国の対忚は昔と全く異なる」と言っていた。かつては
尐し言えば、
「わかった」と言って 1 歩引くことが多かったが、現在は例えば、アメリカが
南シナ海や東シナ海の問題で、「尐し気をつけた方が良いのではないか」と言うと、「何を言
っているのだ。これは自分たちの領土だ」と正面から反論してくる。このように、非常に違
った対忚をとるようになっている、と日本に伝えようとしていた。かなり既成事实を積み重
ね、一部は力によって領土を獲得する。そういうやり方で現状を変革しているように見える
行動への警戒感が、おそらく非常に強いのではないか。
ただ、他方でアメリカも中国とは完全に断絶する訳にはいかない。経済的な相互依存もあ
り、北朝鮮問題では 6 ヵ国協議の問題もある。したがって、今後も協力を続けていかなけれ
ばならず、国連で北朝鮮以外にも、中国と喧嘩別れをする訳にはいかないという様々な理由
がある。軍事交流の必要性も、おそらくあるだろう。比較的楽観的な米中関係論、G2 とい
うのは極端な例だが、responsible stakeholder という議論などもあり、これはブッシュ政権
時代にゼーリックが言ったことだ。しかし現在のオバマ政権においては、それよりむしろ、
今後の中国について悲観的な見方の方が強くなっているのではないか。大きな変化、そのプ
ロセスにおいて、オバマ政権自体の中国観が、おそらくかなり変化し、アメリカ側は現在、
日本や韓国との関係強化を非常に重視している。では日本の方はどうなのかというと、はっ
きりしないところが心配の種だが、中国ファクターが大きな原因となり、アメリカはこれま
でそれほど親密な関係になかったベトナムなどとも関係を強化しつつある。この辺りが重要
なポイントだと感じている。
(以上、報告 2)
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平成 22 年度
IIST 国際情勢シンポジウム
2010 年 12 月 17 日
『中国を巡る世界情勢』
報告 2/「最近の米国の対中国政策: 中間選挙の結果を踏まえて」
高原
明生/たかはら あきお
東京大学大学院法学政治学研究科教授
中国ではシンボリックなイベントとして、一昨年には北京五輪があり、今年は上海万博が
あった。これらを見ても、私自身、やはり中国が非常に変わってきたという印象を持つ。20
数年間、中国のことをかなり詳しく見てきたつもりだが、以前は見られなかった政策や姿、
言説を見たり聞いたりするようになってきているというのが、ここ 1、2 年の状況ではない
か。一言で言うと、国力がついてきて、様々な面で変わってきた。もちろんポジティブな変
化もあるが、私たちには尐し困った変化もある。変わりつつある中国についてどれほど正確
に理解できているのか、私はあまり自信がないが、今日は長いこと中国を見てきた者の目に、
今の状況がどのように映っているかについてご紹介したい。
変化の 1 つの重要な側面は、中国が自己为張を強めているということだ。最近はメディア
でもよくこういう表現がなされるが、その内側には实は、中国の迷いや論争がある。私たち
はここにも、注意すべきだろう。何を巡って論争しているのかというと、「韜光養晦」(とう
こうようかい)という言葉があり、これは鄧小平がまだ存命だったとき、外交方針はこれで
行くよう残した遺訓だ。日本語でも韜晦するという言葉があるが、要するに「あまり偉そう
にせず、頭を低くして低姿勢で外交をしなさい」ということだ。中国はまだ発展途上国で、
国内に深刻な問題もある。この实情は今も変わっておらず、
「国内問題の解決に精力を集中さ
せ、対外的には協調していきなさい」ということだ。しかし、これに対しては、
「もう良いの
ではないか」、「韜晦するのはもう結構。中国は立派になった。したがって、もっと自己为張
を強め、自己の権益を海外でもしっかりと守っていく方針に変えても良いのではないか」と
いう声が強くなってきている。ここで綱引きがある。韜光養晦を守るべきなのか、それとも
中国モデルを为張しても良いのではないかということだ。北京コンセンサスという言葉もあ
り、これらは中国モデルとほぼ同じ意味だと思う。これらは要するに、経済も政治も自由化
するというワシントン・モデルではなく、今の中国のやり方を守っていこうという考え方だ。
「もう中国モデルの時代が来たのだ」という 1 つの判断をして、韜光養晦をやめても良いと
議論する人たちがいる。
「アメリカを見てみろ。ワシントン・コンセンサスなどと偉そうなこ
とを言っていたが、アメリカは社会为義になったではないか」と言う人たちもいる。アメリ
カ資本为義の中枢であるはずの、金融部門や自動車産業で企業が国有化された。これは社会
为義の勝利で、今や中国の時代が来たのだとする左派系の人もいる。
81
昨年 7 月に開かれた駐外使節会議、これは日本風に言えば大使会議ということになり、5
年に 1 度の会議で、世界中の大使が北京に集まった。そして、そこに胡錦濤国家为席が演説
し、韜光養晦という言葉の前に堅持という言葉を加えて使った。これだけを見ると、韜光養
晦政策を継続するというように見える。しかし、その次に、為すべきところは為すという表
現の前に積極という言葉が加えられた。例えば、为権を守る、台湾やチベットなどへの内政
干渉をさせないなど、やるべきときにはやるのだが、そうでないときは韜晦するというのが
「韜光養晦、有所作為」で、これに 2 文字ずつ、胡錦濤国家为席が加えた。一忚、論争の両
側の顔を立てたようなことになったのだが、重要なのはやはり、為すべきところを為すに、
積極の 2 文字が加わったことだ。そして中国の人たちがこれをどう受け止めたかというと、
自己为張を強めていくべきだ、海外における権益を確保し、拡大発展させていく、という指
示として受け止めた。その演説の中には、他にも様々な新しい表現があり、戦略目標として
は 4 つの力を強めていくという。すなわち、政治面での影響力を強める、経済面での競争力
を強める、イメージ面では親和力を強める、要するにイメージを良くしていく、さらに道義
的には、中国の道義の感化力を強めていくということが、目標として立てられている。
实は演説の全文は公表されていないのだが、その触りが紹介されている。周辺外交、つま
り近隣外交に関しては、中国の周辺の地政学的戦略拠点を築く活動を充实、強化させなけれ
ばならない、としている。これについては、にわかにどのような意味かはわからないが、そ
の後、1 年半が経過し、その間の中国の外交政策、安全保障政策における实践から判断する
と、地政学的戦略拠点を築く活動の重要な部分としては、北朝鮮への支援強化があるのでは
ないかと思われる。例えば、2009 年前半、北朝鮮が再びミサイル实験や核实験を行った際、
それに対する国連安保理での制裁や決議に関しては、中国は棄権も反対もせず、賛成してい
た。しかし、その年の秋、温家宝首相が訪朝した際には、大型の援助パッケージを持ってい
ったといわれ、今年は 2 回も北朝鮮の金正日総書記による訪中を受け入れている。一方、韓
国の延坪島に対する砲撃では、民間人も亡くなった訳だが、中国は一切、北朝鮮を非難して
いない。あるいは、アメリカに対しては、昨年から強硬姿勢が目立っていた。東シナ海のみ
ならず、南シナ海においても同様に、海洋方面での様々な摩擦が隣国との間で生じている。
アメリカ海軍との間でも、南シナ海では摩擦が生じている。
实は特に昨年後半から、中国外交は摩擦の連続だ。最初は日本とは良かったのだが、9 月
7 日には尖閣沖の衝突事件が起き、日本との間でも大衝突を起こしてしまった。私は中国外
交にとって、今年は“annus horribilis”だと言っている。これはひどい年という意味の言葉
で、イギリスのウィンザー宮殿で火事などがあった 1992 年に、エリザベス女王が使った。
つまり、中国外交は今年、大失敗の連続だったと思う。中国ではまた、メディアの変化もあ
る。激しい言葉遣いでアメリカやインドと対抗する記事が増えており、最近は日本もターゲ
ットになっている。自己为張を強めているだけでなく、攻撃的、あるいは好戦的と言って良
いような言葉遣いで、多くの軍人や安全保障専門家といった人たちがメディアに登場し、我々
が見ると驚くような激しい言葉を語っている。それがインターネットを通じて多くの人の目
に触れるようになっている。
日本のメディアはこの实情についてあまり報道していないが、昨年後半ごろからは、その
82
ように大変心配される言論状況が、中国にあった。なぜそのような新しい外交方針が出てき
たのか、中国が日本に対してだけでなく、様々な国を対象に強気の外交を展開してきたのは
事实だと思うが、その背景について簡単にご説明したい。
1 つは内政との連動ということで、中国内部はかなりガタガタしており、それが基本的な
条件を構成しているのではないかという見方ができる。マクロ経済的には、中国は隆々たる
発展を遂げており、これが一面においては自信の源になっている。アメリカが世界金融危機
の源で、欧州、日本なども調子が悪い中、中国だけが目覚しく発展を遂げ、皆に頼られるよ
うになっている。
「中国は立派になったのだ」、
「俺たちは偉くなったのだ」という自信も出て
きたが、経済の实情を一皮むいてみると、成長のひずみが生じ、それが解消されていないば
かりか、一層深刻化している。そして多くの人が不満を持っており、貧乏人が不満を持つの
は当然かもしれないが、お金持ちにも大変、不満がある。今のままの景気が続くのかという
不安があるほか、個人が一生懸命働いてビジネスで成功しても、国に自分の事業を吸収合併
させられてしまうこともある。あるいは大きな会社の幹部については、一般従業員との賃金
格差があまりにも開いてきたので、
「国有企業は給料の天井を設けるべきではないか」といっ
た議論も出てきている。農民が出稼ぎに出て、都市で差別されることも何とかしなければな
らない。温家宝首相などは、かなり口をすっぱくして、
「対策をとれ」と言うが、なかなか現
場では変わらない。では都市住民はどうかというと、やはり不満が強い。農民工が入ってく
るお陰で、自分たちの賃金は上がらない。景気はマクロ的には良いが、犯罪率は上がってい
る。さらに尐数民族の間でも、不満が強い。これについては一昨年のチベット、昨年のウィ
グルの例でよくわかった。では漢族はどうかというと、漢族も逆に強い不満を持っている。
これはなぜかと言うと、尐数民族が色々なアファーマティヴアクションを通して優遇されて
いるためだ。なぜ自分たちは辛い目にばかり遭うのか、尐数民族が多大な経済支援を受けて
いるにもかかわらず、あるいは大学入試のときも余計に点数をもらっているにもかかわらず、
自分たちに歯向かうのは許せないというわけだ。
そういう文脈の中で、尖閣事件が起き、中国では反日デモが約 5 年ぶりに起きた。10 月半
ば以降、いくつもの内陸都市でデモがあった。10 月 16 日に西安でデモがあり、そのときに
デモに参加した中国の人がルポを書いているが、とても面白い。それによると、このデモは
地方当局が認めているデモなのだという。これはなぜかというと、デモへの参加を呼びかけ
たメールに、
「デモの標語や道具は自分で持ってきてください。メディアがこれを報道するか
ら」と書かれていたためだ。メディアが報道するとわかっているということは、当局が認め
たものだというわけだ。このように中国の人が解説しており、
「なるほど」と納得できる。ま
た、その人が撮った写真の 1 つを見ると、
「強烈要求」
、「中日断交」さらには「禽獣の国と
の往来は和諧社会の最大の恥辱である」ということが書かれている。我々も「鬼畜米英」と
言ったことがあるが、中国社会はまだそういうレベルということだ。
それはともかく、私が注目したのはここで「和諧社会」という言葉が突然出てきたことだ。
和諧社会というのは、胡錦濤・温家宝政権の 1 つの重要なスローガンであり、日本語では「調
和のとれた社会」と訳されている。このスローガンを掲げ、一生懸命やったにもかかわらず、
調和のとれた社会は全くできていない。したがって、一般の人々は和諧社会というシンボル
83
を、逆にからかいの言葉として使っている实情がある。このようなところで和諧社会という
言葉が出てくると、胡錦濤・温家宝政権に対するあてこすりのように見える。
強硬外交の背景には、他にも様々なことがある。元々中国ではリアリズムが大変重要な物
事の考え方で、権力闘争、列強と列強が覇権を求めて争うのが国際政治だ。その覇権争いの
中で、生存と繁栄を勝ち取るための闘争が外交だという考え方が根強い。そのような考え方
に基づき、中国はもう海外で多くの権益を持つようになったので軍事力を強化し、自分の権
益を自分の力で守るべきだと公に語る人が増えてきている。外交官も同様だ。
このような中、今年初めに出版された『中国夢』という本が注目を集めた。これは劉明福
氏という国防大学の教授、軍の階級では大佐の著書だ。私はこの『中国夢』というタイトル
を、非常に象徴的だと思った。中国社会はかなり分極化し、チャイニーズ・ドリームを实現
するのは難しくなっている。つまり、かつてであれば、一生懸命頑張って勉強し、良い大学
に行けば、良い会社に入れる、あるいは自ら企業を興し、世の中で成功することができた。
毛沢東時代とは異なり、皆のびのびと個性を発揮し、個人の才覚と努力によって大金持ちに
なることもできるというチャイニーズ・ドリームがあった。しかし、今ではそのような夢は、
かなりしぼんでしまった。またコネがなければ駄目で、北京大学でどれほど優秀な成績をと
っても、隣の席で授業中に寝ていた奴が大企業の幹部の息子だというだけの理由から大きな
会社に入る。自分は面接で様々な理由をつけられ、落とされてしまうというのが最近の多く
の場合の实情だ。そういうときに国が出てきて、
「君のチャイニーズ・ドリームはしぼんでし
まったかもしれないが、大丈夫だ。これからは国があなたに代わって、世界のチャンピオン
になってあげる」というのが、最近の流れになっている。個人のチャイニーズ・ドリームか
ら国家のチャイナ・ドリームへということを象徴したのが、この『中国夢』という本だと私
は解釈している。
尖閣の事件について言えば、中国には「日本が強硬なのだ」という誤解があったし、今も
ある。様々な不正確な情報が、中国メディアには出ている。最近、ある学者が書いた短い論
文を読んで驚いた。この学者は日本が「1960 年代末に、海域に石油があるとわかって初めて
領有権を为張し始めた」などと書いている。中国の一般の人たちには正しい情報が伝わって
いないということもあり、尖閣の事件での日本側による逮捕から起訴に向けた一連の動きが、
多くの中国人には大変強硬に見えた。一般人だけでなく、中国政府の役人の目にもそのよう
に映った。日本には中国の要人と率直に意思疎通できるパイプがなく、
「そうではない」とい
うことを示せる人物がいなかった。あるいはそういう人物が中国側にもいなかったというこ
とが、大きな問題だった。
7 月にはベトナムのハノイで ASEAN 地域フォーラムが開かれたが、中国はそこで完全に
孤立してしまった。これは南シナ海における最近の中国の行動が非常に強硬で、国際的な規
範を守っていないためだ。名指しこそしなかったが、明らかに中国のことを指して批判する
国が多く、アメリカもそうだった。中国はこれによって衝撃を受けたはずで、そうしたショ
ックが日本への対忚に関する判断を誤らせた面もあったかと思う。また、よくいわれるが、
一部の軍人が強硬論者で、尖閣問題に関する当局の対忚に不満だったのは間違いないだろう。
10 月 4 日にブリュッセルで日本の菅直人首相と中国の温家宝首相が懇談し、討ち方やめのシ
84
グナルが出たはずだが、その後も軍は勝手に対抗措置をとっていた。こうした意見の違いが、
権力闘争とどう絡んでいるのかだ。権力闘争で何もかも説明することはできないが、権力闘
争は常にあり、こうした事件がそれとどう絡んでいたのかということを、私たちは当然、考
えてみなければならない。これについては詳しくお話できないというのが正直なところで、
なかなか証拠が挙がってこず、今の段階でははっきりしたことは言えない。
(以上、報告 3)
85
平成 22 年度
IIST 国際情勢シンポジウム
2010 年 12 月 17 日
『中国を巡る世界情勢』
報告 2/「最近の米国の対中国政策: 中間選挙の結果を踏まえて」
報告 4/「北朝鮮の新体制と中国」
平岩
俊司/ひらいわ しゅんじ
関西学院大学 国際学部教授
今日の大きなテーマは中国を巡る国際情勢ということで、私は朝鮮半島が専門なので、朝
鮮問題を巡る中国という観点からお話ししたい。
中国と朝鮮半島の関係については、昨年ごろから考えていく必要があるだろう。全般的な
流れについてお話しすると、北朝鮮は昨年前半には、4 月にミサイル発尃实験を行い、5 月
には 2006 年に続く 2 度目の核实験を行った。日本やアメリカ、韓国には、
「中国がもう尐し
真剣にやってくれれば」というような思いがあったが、中国は一忚、ミサイル発尃实験につ
いては議長声明に賛成した。当時、日本はいわゆる(安保理)決議を目指したのだが、最終
的な落としどころは議長声明になった。議長声明を見ると、非常に厳しい内容になっている。
北朝鮮は人工衛星発尃实験と称しているが、それはともかく、議長声明は 2006 年に核实験
を行った際に採択された決議違反という内容も含んでいた。もちろん決議にならなかったと
いう不満は残るが、内容についてはそれなりに日本外交としても納得のいくものであったよ
うに思う。それに続く核实験に至っては、中国もあまり反対せず、決議になった。この辺ま
では中国にもある程度、国際社会との協調の中で北朝鮮に向き合おうという姿勢が見えてい
た。
しかし、10 月の中国と北朝鮮の国交正常化 60 年記念を巡り、温家宝氏が北朝鮮を訪問し、
そのころから中朝関係が非常に緊密な印象を与えるようになった。さらに今年はより明確な
形で、中国と北朝鮮の緊密化が印象づけられた年だと思う。そろそろ今年も終わり、新しい
年になるが、朝鮮半島問題だけで考えると、前半に韓国海軍の哨戒艦撃沈事件があり、その
後、後継者と目される金正日(キム・ジョンイル)総書紀の三男、金正恩(キム・ジョンウ
ン)氏が、4 月に公式に表舞台に出てくる。さらには韓国の延坪島(ヨンピョンド)で砲撃
事件があり、本来であれば、その年の重大ニュースの 1 つに数えられるようなものが、矢継
ぎ早に 3 つも起きた。このため哨戒艦事件は、もうかなり昔のような印象がある。金正恩氏
が登場したことも本来であれば非常に大きな事件であり、それについては十分に時間をかけ
て分析されなければならないが、これによって金正恩体制が始まったということではない。
金正日総書紀を支える体制の内部で、権力構造が尐し変化しているのではないかという分析
86
をしなければならなかったが、その分析を十分行う前に砲撃事件が起き、そのことを考えな
ければいけないという非常に慌しい年であった。今日はこれを前提に、中国と北朝鮮の関係
について、それぞれの事件あるいは出来事を巡ってお話ししようと思う。
まず今年 3 月末、韓国の哨戒艦が沈没する事件が発生した。これについては当初から、北
朝鮮の関与が一部で疑われていた。とりわけ韓国のメディアは非常に強く疑っていたが、韓
国の李明博(イ・ミョンバク)政権は、南北関係に考慮してということもあったのだろう。
北朝鮮の関与については当初、かなり慎重な姿勢をとっていた。ところが 5 月 20 日にアメ
リカ、韓国、スウェーデン、イギリスの 4 ヵ国が共同調査を行い、これを「北朝鮮の犯行で
ある」と結論づけた。
調査結果の内容は、大きく分けて 2 つある。1 つは哨戒艦が沈没した原因となった魚雷に
ついて、北朝鮮製であろうとした。そしてもう 1 つ、魚雷を撃った实行犯について、北朝鮮
の潜水艇であろうと結論づけた。しかし、ここが争点になった。もちろん实行犯が逮捕され
た訳ではなく、衛星で見たところ、北朝鮮の軍港から事件の 2 日前に潜水艇が出港し、事件
の 2 日後に戻ったという状況証拠のみだった。そして中国はこれに対し、「これでは北朝鮮
の犯行とは言えない」という立場をとる。韓国には当初、これだけの証拠で北朝鮮の犯行と
認められないことはないだろうという思いもあり、一部の私の友人などは、中国が北朝鮮で
はなく韓国側についてくれるだろうという淡い期待を持っていたとも聞いている。最近、韓
国の人たちが冗談で言うのは、「ビフォア・チョンアン」、「BC」ということで、それまでは
中韓関係が非常に良かったのだが、天安事件の後は非常に悪くなったということだ。これは
あまり正確ではなく、私は天安事件以前から、中国は必ずしも韓国を選択していた訳ではな
いと思う。中国の立場からすれば、北朝鮮と韓国のいずれの側にも立たないという態度をと
ってきたというのが正確なところだろう。
いずれにせよ、この 2 つの内容について中国側は、
「必ずしも北朝鮮の犯行とは言えない」
という立場をとった。中国は国連で、「北朝鮮にも説明の場を与えなければいけない」とし、
北朝鮮をかばった。そして最終的に国連安全保障理事会は、韓国が当初望んだ制裁という形
ではなく、議長声明という形をとらざるを得なかった。しかもその中で、北朝鮮を名指しで
批判することはなかった。もちろん素直に読めば、北朝鮮の犯行であるということは文脈と
してわかるのだが、韓国側からすると非常に不満のある内容だっただろう。それを象徴する
かのように、議長声明が出た直後、北朝鮮はある種の勝利宠言を行った。そして国連安保理
の場においても、「我々の潔白が認められた」というような勝利宠言をする。韓国にとって、
これらは非常に腹立たしいことであっただろう。
この間、中国は北朝鮮をかばい、金正日総書紀は 5 月に、今年 1 回目の中国訪問を行う。
これはまさに哨戒艦事件の報告書が出る直前で、金正日総書紀は中国に対し、
「自分たちは潔
白だ」と説明したといわれる。实際にどのような言葉が使われたのかはわからないが、尐な
くとも金正日総書紀は、自分たちが潔白であることを中国側に訴えたようだ。中国は北朝鮮
の最高指導者からそのように言われたら、信じない訳にいかないということもあったのだろ
うが、その後、先ほどお話ししたような形で北朝鮮をかばった。ここで 1 つ特徴的だったの
は、中国は常にアメリカを意識していたということだ。これについては中国の専門家も、ア
87
メリカは北朝鮮問題を口实に、中国をターゲットにしているのではないかと言う。实際、昨
年暮れごろから、中国とアメリカの関係が非常に難しい局面にある。そして米中関係が緊張
すればするほど、中国にとって北朝鮮の存在価値が大きくなるという構造がある。中国とし
ては、ある種のバッファー・ゾーンというか、米軍が駐留する韓国との間に存在する北朝鮮
の体制が動揺しては困るという思いがあるのだろう。
次に後継者問題だが、これについてもやはり、中国が側面から支えているところがあると
思う。中国にはとりわけ、後継体制そのものについて十分認知しているという傾向が見られ
る。例えば、10 月 10 日の北朝鮮の朝鮮労働党創建 65 周年の軍事パレードでは、後継者と
いわれる金正恩氏が初めて生放送で出た。そのとき、横にいたのは中国の周永康・中国共産
党政治局常務委員で、これは中国共産党の高官が同席することで、中国側が北朝鮮の後継者
を認めているという印象を与えるものだった。そして金正恩氏は、44 年ぶりに開かれた朝鮮
労働党の代表者会で表舞台に登場するが、中国の胡錦濤为席は、会議終了後に祝電を送った。
これは金正日総書紀の新しい体制ができあがったことに対する祝電であることは間違いなく、
その中に後継者問題も含まれているという気がする。
かつて金日成(キム・イルソン)为席から現在の金正日総書記への権力移譲に関し、中国
が反対したということが指摘されるが、尐なくとも表面的に反対したことは事实としてない
だろう。もちろん、親子の世襲というものに対して反対意見を持つのは当然と言えば当然だ
が、中国は金正日総書紀が公式にデビューして以降、いかにして金正日総書紀との関係を構
築するのかということに、むしろ力を注いだ。1983 年に金正日総書紀が中国を最初に訪問す
るが、その直前には人民日報で金正日総書紀が書いた論文を紹介し、
「北朝鮮の新指導部の権
力者の 1 人である金正日総書記がこういう論文を書いたのだ」と宠伝しながら迎えた経緯が
ある。したがって、尐なくとも表面的には後継そのものに反対することはなかったと思う。
仮にそれを行っていれば北朝鮮は反発し、中国に反対されて北朝鮮が後継をやめるというこ
とはおそらくない。したがって、中国は外交という観点から、金正恩氏の登場を受け入れる
ことになったように思う。
最後に砲撃事件だが、これは現在進行形で起きている問題で、中国にとってもかなり寝耳
に水だったと思う。实際、北朝鮮側がなぜ砲撃事件を開始したのかは、必ずしも明らかでな
い。素直に読めば今年 1 月 11 日からアメリカに対し、1953 年に締結した休戦協定を平和協
定に変えるための交渉に忚じるよう要求していた。皮肉なことに、砲撃事件後のアメリカの
反忚は、「これは重大な休戦協定違反だ」というものだった。北朝鮮側は、「休戦協定はもは
や機能していないから、平和協定に変えなければならない」と为張していた。このように奇
妙な形で、米朝間のやり取りが成立してしまっている状況がある。北朝鮮は 1 月に、アメリ
カに対してそのような要求をしたが、オバマ政権にとっては、外交では中東問題の優先順位
が高く、また経済問題などもあるため、必ずしも北朝鮮が望むような形で関心を持たない状
況だった。
そのような状況を大きく変えかけたのが、ウラン濃縮の問題だ。北朝鮮がウラン濃縮施設
をアメリカの専門家に見せることにより、いわゆる第 1 次核危機、第 2 次核危機が起きた。
第 2 次核危機は現在もまだ続いているのだろうが、焦点になったのはプルトニウムタイプの
88
核だ。实際、北朝鮮はこれまで 2 回、核实験を行っているが、これらはいわゆるプルトニウ
ムタイプのもので、日本の長崎で使用されたタイプと同じだと思う。实は第 2 次核危機のき
っかけとなったのは、ウラン濃縮問題だった。2002 年 10 月だったと思うが、アメリカの当
時のケリー国務次官補が、ウラン濃縮の可能性について北朝鮮に言及したところ、北朝鮮側
があっさり認めた。これは 1994 年の第 1 次核危機の際、米朝で合意された枞組みに違反す
るものであることから、第 2 次核危機がスタートした。その過程で 6 ヵ国協議が開催される
が、核实験が行われてしまったために、焦点が核实験、プルトニウムタイプの方に移ってい
った。もちろん濃縮ウラン問題は協議の対象だったが、こちらの方に焦点が当たってこなか
ったというのが正直なところだと思う。
そうした中、北朝鮮はウラン濃縮施設をつくり、これについて「平和利用だ」と繰り返し
言う。アメリカはこれで尐し驚き、日米韓で連携をとって中国に働きかけようとする。報道
その他では、
「日米韓の結束は従来と変わらない」、
「北朝鮮の核放棄を前提に、6 ヵ国協議へ
の復帰を求める」とされたが、北朝鮮側にはおそらく「それはおかしい」、「我々の核放棄だ
けが一方的に議論される場ではなく、平和協定の問題と同時平行で議論されなければならな
い」という思いがあった。そして今回の砲撃事件では、絶対に核を一方的に放棄するような
ことはないのだというある種の決意を、国際社会に示そうとしたところがあったように思う。
今回は明確に北朝鮮が行ったことで、なおかつ民間人にまで被害者が出たため、中国がど
のような対忚をするかが注目されたが、やはり基本線は従来と変わらなかった。もちろん民
間人に被害者が出たことについては遺憾としたが、
「自分たちは日米韓の側にも北朝鮮の側に
も立たない」という言い方をした。これは逆の言い方をすれば、北朝鮮を批判しないという
ことで、日米韓側からすれば非常に不満の残る状況だ。そして中国側は対話路線を準備し、
6 者協議の首席代表会合を開こうということになった。これは従来の 6 者協議の再開を意味
するものではなく、哨戒艦事件を含め、昨今起きている朝鮮半島の新しい情勢を協議し、6
者協議本体を再開させるための条件を議論する会議だというのが中国側のロジックだ。
これに対し、日米韓は従来の姿勢を変えずに北朝鮮の核放棄を求めている。昨今、日米韓
側が中国を通して北朝鮮に対して要求しているものがいくつか明らかになり、その 1 つはウ
ラン濃縮施設を即時に停止することだ。さらにウラン濃縮作業そのものを中止し、国際原子
力機関(IAEA)の査察を受け入れるよう要求している。また 2005 年の共同声明を真摯に履
行する、ということもある。これに対し北朝鮮側は、
「ウラン濃縮は国際社会ですべての国に
認められた権利だ」と言い、今の段階ではやめる気はないとしている。また IAEA の査察官
を受け入れることについても当然、否定的だ。さらに 2005 年の共同声明については、従来
の姿勢で、核放棄そのものをしない訳ではないが、そもそも自分たちが核を持つのはアメリ
カの核の脅威にさらされているためだ、これが撤去されない限り、核は絶対に放棄しないと
いう基本的な立場を変えていない。
今後はこれを中国がどのように説得するのかになるだろうが、これはアメリカが中国に対
し、どれほど強く出られるかということでもある。先ほど哨戒艦事件に関してもお話しした
が、中国は常にアメリカを意識している。特に今回、ジョージ・ワシントンという空母が米
韓軍事合同演習に参加したことについては、かなり強く反発している。日米韓も北朝鮮と戦
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争をするつもりはなく、軍事演習を行って自分たちの抑止力を見せる必要はあるだろうが、
いつまでもそれを続ける訳にはいかない。そうなるとどこかの局面で、対話に移行していく
必要がある。中国はおそらく、その対話に移行するポイントを待っており、自分たちがイニ
シアティブをとれるような形でこの問題を処理したいというのが本音だろう。ただ依然とし
て、日本もアメリカも韓国も一切、妥協するつもりはないというのが、今のところの状況で、
もうしばらく今のような状況が続くというのが現状での展望ということになろうかと思う。
(以上、報告 4)
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質 疑 応 答
司会・高原
明生
東京大学大学院法学政治学研究科教授:
せっかくの機会なので、どなたでも質問していただきたい。
質問 1:尖閣の問題が起きたとき、中国で日本の大使が呼ばれたという。最初は普通の時間
に呼ばれ、その後は夜 10 時や真夜中の午前 1 時、2 時だったと思う。中国の態度は、自分の
言うことを聞かないので「お前の首を締め上げる」といわんばかりのものだった。あのよう
な態度は新しい中国の態度なのか。それとも昔、中国には中華思想があり、我こそが文明の
中心であるという時代があった。これは再び、そういうものに戻っていく兆候なのか。ただ
自分の怒りからあのようなことをするのは、外交のやり方として「異常だ」と新聞でも言っ
ている。また今回のように、自分の国の人がノーベル平和賞に選ばれると、世界の立派な独
立国に向かい、
「お前のところの大使は出るな」と言ったりする。このような言い方も、普通
の立派な人間がするものではない。その辺を含め、あの人たちにはどういう気持ちがあるの
かと思う。
高原
明生
東京大学大学院法学政治学研究科教授:
それについては、大事な問題だと思う。ただ大使の呼び出しに関しては誤解もややあり、
事实がはっきりしない部分もある。日本側の説明によると、7 時か 8 時ごろにまず、中国側
から電話があり「戴秉国氏という、外務大臣よりもランクの高い人物が、時間はまだはっき
りしないが今晩中に大使と会いたい」ということだった。日本側は会うべきかどうか協議を
したらしい。そして結局、
「やはり会いましょう」ということになって、時間調整の結果、实
際に会ったのは夜中の 1 時ごろだったという。したがって、夜中の 12 時過ぎに、突然電話
がかかってきたということではなかったようだ。
ただ、それに類する話は他にもある。例えば同じ戴秉国氏が 11 月下旪に韓国へ行き、そ
して 12 月には平壌へ行くというシャトル外交のようなことをした。韓国の人から聞いた話
では、いきなり「ソウルに行きたい」という連絡が来て、
「翌日に」というような話だったの
で皆驚いた。そして「どうぞ」ということになると、到着してすぐに「今日中に大統領にお
会いしたい」と言われ、さすがに無理やりそれをアレンジすることはやめ、
「明日なら会える」
と答えた。そのようにして、翌日に調整し、会わせたらしい。このように相手の都合をあま
り考えない、自己中心的なところが最近目立つようになってきている。
ノーベル平和賞に関しても、ノーベル平和賞委員会とノルウェーという国は何の関係もな
いのだが、中国は最後までノルウェーに抗議を続け、授賞式直前にも、中国大使がノルウェ
ーの外務大臣などに抗議し、
「うちは関係がない」と言われている。このように、尐し奇異な
感じだ。中国の在ノルウェー大使にしてみれば、このようなことをしても意味がないとわか
っていたはずだが、訓令が北京から来ればやらざるを得ない。このように、中国が尐しおか
しいのは事实だと思う。
91
先ほどお話ししたように自信の高まり、そして不安の高まりが混ざった複雑な心理状況の
1 つの反映ではないかという気がする。一面においては、中国の経済成長は中国人にとって
良いだけでなく、私たち日本の国民にとっても良いことで、今中国の成長が止まってしまえ
ば大変なことになる。そのようなポジティブな面はあるが、中国は国際社会との関係をまだ
成熟させておらず、中国社会自体、落ち着いていない。したがって、中国を巡っては不確实
性が大きく、これが厄介なところだ。そのような国が国力を強め、国際的な影響力を増して
いるのが現状だ。ノーベル平和賞委員会による劉暁波氏に対する授賞の決定も、国際社会の
中の多様なやり方の 1 つである。中国には人権を大事にする方向へ行ってほしい、という願
いの表明なのだが、それが果たして有効なやり方なのかについては議論がある。私は劉暁波
氏へのノーベル平和賞授賞については、良かったと思うが、簡単に判断せず、私たちも場面
ごとにやり方を使い分けていく必要があるだろう。
ノーベル平和賞委員会は授賞者を発表した際、声明を出し、私が先ほど言ったように、国
際社会で影響力を強めている国が人権を大事にしないことは、人類社会にとって大きな問題
だとした。私はこれに 100%賛同する。ただ、中国の人などが言うのは、
「あまり色々言われ
ると、中国政府は何もできなくなってしまう」ということだ。そのような見方も正しいと思
い、非常に難しい。それぞれの問題、それぞれの局面で、例えば国際的な組織が何を言えば
良いのか、日本政府が何を言えば良いのか、あるいはベトナム政府が何を言えば良いのか、
協調して何をすべきなのかといった点について様々なバリエーション、オプションを考え、
複雑な方程式を解いてやっていかなければいけないと思う。
質問 2:しかし、中国はそんなにヤワな国なのか。日本の青尐年の教育方法であればわかる
が、国際社会がそれだけ配慮をしないとわからないような体制なのか。
高原
明生
東京大学大学院法学政治学研究科教授:
中国だけでなく、大国の多くはそうだと思う。アメリカ、ロシア、インドもそうだ。こち
ら側が言うことを素直に受け入れ聞いてくれるような、逆に言うとそういうヤワな国ではな
い。こちら側が本当に深く、広く考えて対忚しなければ、思うようには動いてくれない。そ
れが大国というものだろう。
質問 3:尖閣の問題で伺いたい。問題がこじれそうになったので、中国側から日本側に「会
いたい」と言ってきた。始めは中国大使に連絡が来て、それが夜中であったため、
「夜中に呼
びつけた」と日本のマスコミによって報道された。そしていよいよおかしくなったというこ
とで、特使として衆議院議員の細野豪志氏、そして官房長官の親友だという篠原令という人
が、一緒に中国の国務大臣に会って取引をした。その内容を本人から聞いたところ、
「これ以
上、問題をこじらせないためにビデオ公開をやめてほしい。その代わりに ASEAN では会わ
なかった首相にブリュッセルの会合では会わせる」というものだった。その他、中国で逮捕
されたフジタの 4 人も釈放するという取引があり、「これで終わりにしよう」ということで
帰ってきた。後から見ると特使は成功したのだが、外務省に関するマスコミの報道は、
「二元
92
外交はけしからん」というものだった。篠原さんの意見は、
「今度の問題に関しては、外務省
のチャイナ・スクールは全く役に立たなかった。人脈がほとんど機能しなかった」というも
のだ。そのようなことは本当にあるのか。外務省は今、それほど中国とのコミュニケーショ
ンが悪いのか。
高原
明生 東京大学大学院法学政治学研究科教授:
細野さんや篠原さんが具体的にどのような取引をしたのかについては、私は全くわからな
い。もしも本人がそうおっしゃっているなら、非常に機微に入る問題なので、あまり今の段
階で公に、他の方に話をするのはどうかという気がする。私自身は知識がないので、それに
ついてなかなかコメントできない。ただ、二元外交がいけないというのは一般論としてはい
える。民为党なら民为党の代表として、誰かが特使として行くこと自体は良いが、その人と
外交部門との間の連携が大事だ。全く連携などなく、外務省やチャイナ・スクールが蚊帳の
外で行われたならば、相手側の国からすれば、こっちは何も知らない、こっちは知っている
ということになり、日本の中に楔を打ち込んでこちら側とだけやる、ということにつながり
かねない。これは一般論としても良くないし、外務省としては非常に困ると思う。したがっ
て、連携が大事ということだ。細野さんや篠原さん、そして他のこの問題にかかわっている
当事者と日本側の関連する部門との間で、よく意思疎通がされていたかが 1 つのポイントだ
ろう。
質問 4:先生方全員に伺いたい。南北朝鮮の統一に関して、どのようにお考えか。最近の状
況を見ると、北朝鮮はほとんど国家としても体を成していない。国民のかなりの部分が飢餓
状態で、経済的にも崩壊に近い状況だと思う。脱北者、避難民もたくさん出ている。そうい
う状況の中で、例えば中国にとっては、統一が实現すればバッファーゾーンがなくなり、米
軍が北朝鮮に来るという問題がある。このため、決して許さないということも考えられる。
また、北朝鮮から大量に避難民が出るのも困るだろう。そしてアメリカは、朝鮮再統一につ
いて、どのように考えているのか。韓国はそれを望んでいるのだろうか。統一となれば、経
済的に相当、大変な投資をしなければならず、大変だろう。その辺について、先生方の見方
を教えていただければと思う。
平岩
俊司
関西学院大学国際学部教授:
統一問題に関するご質問だが、北朝鮮の政治体制が我々から見て既に破綻しているのでは
ないか、あるいは経済的に既に破綻しているというのは、ご指摘のとおりだと思う。しかし
北朝鮮は非常に不思議な国で、韓国を含む周辺の国が、
「今崩壊してもらったら困る」と思っ
て支えているところがある。例えば昨今、砲撃事件があり、韓国国内では保守派の意見、
「北
朝鮮に対して厳しく望むべき」とする人たちの意見が大きくなっている。そういう人たちの
中には非常に過激な意見で、
「北朝鮮の体制を金大中(キム・デジュン)政権と盧武鉉(ノ・
ムヒョン)政権が 10 年間も延命させたことが失敗だった」、
「我々はレジーム・チェンジを
求めていかなければいけない」というものもある。しかし、实際に北朝鮮が崩壊した場合に
93
統一できるかというと、やはり躊躇する韓国人が多いだろう。
1990 年には東西ドイツが統一し、韓国は当時、これを真剣に研究した。ドイツに何人も派
遣して、仮に朝鮮半島で統一が達成される場合にはどうなるか、どのくらいのコストがかか
るのかという研究を行ったが、その結果は基本的に当分、「No」ということだった。西側の
優等生であった西ドイツと、東側の優等生であった東ドイツが統一してもあれだけのコスト
がかかり、ドイツは疲弊している。こういう衝撃に韓国が耐えられるかというと、韓国はそ
こまで行っておらず、北朝鮮自身の状況もひどい。保守派政権から進歩派といわれた金大中、
盧武鉉政権の時代には客和政策をとったが、現在の李明博(イ・ミョンバク)政権は、旧来
の保守派の陣営に属する政策をとっている。彼が为張しているのは、いわゆる「非核・開放・
3000」政策というもので、北朝鮮が核を放棄して改革解放するのであれば、それに対して韓
国は支援を行うとする。そして 1 人当たり GDP(国内総生産)が、3000 ドルになった段階
で統一するというものだ。やはり今すぐ崩壊され、それを吸収することにはとても耐えられ
ないというのが、今の韓国の立場だろう。
北朝鮮問題というと、我々は様々な問題を思い出すが、性格が全く異なる 2 つの問題があ
る。1 つは核实験、ミサイル発尃实験の問題で、日本との関係で言えば拉致問題もそうだ。
これはいわゆる北朝鮮の攻撃性に端を発する問題だが、もう 1 つはやはり、経済が弱く、餓
死者、脱北者が出るという弱さに端を発する脆弱性の問題だ。韓国や中国のように隣接して
いる国にとっては、おそらく脆弱性から来る問題の方がより深刻で、今の韓国は一連の問題
で強硬に出ているが、中国などはやはり北朝鮮が動揺しないよう、時間をかけて解決してい
かなければいけないという姿勢だ。一方、日本やアメリカなどにとっては、攻撃性に端を発
する問題の方が重要で、北朝鮮の暴発を抑止しなければいけないという対忚になり、どうし
ても温度差が出てくる。
久保
文明
東京大学大学院法学政治学研究科教授:
様々なシナリオがあり得る。ドイツの場合、比較的平和的な吸収合併というハッピーなシ
ナリオで一緒になった。しかし朝鮮半島については、そういうシナリオになるのか、クーデ
ターのようなものが北で起きるのか、あるいは武力衝突が発端になり、何らかの戦闘行為が
介在するのかなどの可能性があり、はっきりしたシナリオは描きにくい。アメリカでは 90
年代、
「北朝鮮はもう長続きしないだろう」とかなり多くの人が信じ、あまり先のことを考え
なかったところがある。しかし、
「意外に持つのかもしれない」という状況になり、
「今にも、
今にも」という風に来て、もう 20 年近く経っている。北朝鮮の崩壊は意外に早いのかもし
れず、あるいはなかなか来ないのかもしれない。ソ連崩壊もあるとき突然来たので、いつと
いうことについても非常に予測し難い。
ただいくつかのことははっきりしており、社会の安定化や北朝鮮経済、人々の暮らしをど
うするのかという点については、韓国にかなり全面的にまかせるというか、逆に言うと韓国
にやってもらうしかないだろう。アメリカが出ていって経済的な貟担を担うことは、あまり
考えられない。場合によっては日本が、賠償金などの形を含めて「手伝ってやれ」というこ
とはあるかもしれないが。ただ、枞組みや安全保障の関係で、韓国はある意味で同盟国なの
94
で、支援し続けることは確实だ。
もう 1 つ、やはり核問題がある。北朝鮮が今持っているといわれる 5 つか 10、あるいはも
っと増えているのかもしれないが、それらがどうなるのかだ。例えば、それらがどこかへ行
ってしまうこともあり得る。難民問題ももちろんあるが、それは当面、中国や日本、近隣諸
国の問題という感じだ。ただアメリカでは短期的には、どの政権、どの国務長官でも、
「明日
そんなことが起きたら困る」という状況で、
「当面は現状維持で行ってほしい」ということが
あるかもしれない。長期的にはアメリカの中でも様々な意見があり、中長期的に見て今のま
まで良いはずはない。激しい意見としては、レジーム・チェンジのようなものがあるが、お
そらく为流の意見としては、韓国が支える形でソフト・ランディング的にやってくれれば一
番良いというのがアメリカの希望ではないか。
高原
明生 東京大学大学院法学政治学研究科教授:
北朝鮮の存在については、資産、アセットの面とライアビリティの面と両方課題があり、
戦略的にはバッファーという概念がまだ有効ではないか。ただ核開発もされており、今回の
ような砲撃事件があった場合、中国が北をかばっていると皆にすぐわかってしまう。したが
って、中国にとっては外交上も、非常に不利益であることは間違いないだろう。中国側から
すると、もう 1 つ心配なのは、統一したときにそれが東北 3 省にどういう影響を及ぼすかと
いうことではないか。統一のプロセスについても、どういうものになるのか全くわからない。
東北 3 省に対するインパクトはどれほどになるのかといった点については、大変心配してい
ると思う。また中国には、朝鮮族もいる。ポスト金正日がどうなるのかは誰にもわからない
ので、様々な可能性を考える必要がある。いずれにしても北については自分たちの権益をし
っかり確保しておこうということで、経済的な支援、投資に本腰を入れるという判断を、昨
年か今年初めにしたのではないかと想像している。
久保
文明
東京大学大学院法学政治学研究科教授:
先の方のご質問に関し、私は尐し感じたのだが、やはり自分が行って話をつけてきたと思
っていらっしゃる方なので、外務省にはルートはないのだろう。政治家自身、つまり細野衆
院議員を派遣しなければ話ができないということだったのかもしれないが、本来であれば官
房長官、総理大臣、外務大臣といった内閣の为要な人が中国のトップと話せる関係にあれば
良い訳で、そういうパイプがないのがおそらく、より深刻なのではないか。
質問 5:久保先生は、オバマ米大統領が中国に対して当初は比較的柔らかく出たが、その後
の情勢が必ずしもそれを許さず、固くなったと言われた。これについてはアメリカが本能的
に、中国が力をつけてきて、あらゆる力を動員して反発してくることを感じていると思う。
我々はその片鱗を尐し垣間見た程度だが、おそらくそういうことになっていくのではないか。
その辺をどうご覧になっているか。また高原先生が先ほど、権力闘争はいつもあり、裏側な
り将来はよくわからないとおっしゃっていた。中国では習近平という方が出てこられ、明ら
かに軍の支持を受けているというか、江沢民一派に違いない。しかし彼自身、比較的温和な
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人だという説もあり、また中国自身が発展していくためには国際協調的な側面をおろそかに
する訳にもいかない。したがって先生のお見通しを伺えればと思うのは、習近平氏のように
軍に支持されている人がトップにいる方が、かえってコントロールしやすいのではないかと
いうことだ。様々な例を引いてそう言う人がいるが、このような見解についてご意見はいか
がか。
久保
文明
東京大学大学院法学政治学研究科教授:
大変難しいが、非常に良い質問だ。アメリカの中でも G2 のように、今後はアメリカと中
国が協調しながら世界を仕切るべきだという意見もあり、またレスポンシブル・ステイクホ
ルダーになってほしいという議論もある。スタインバーグという国務副長官が言った
strategic reassurance という表現にも、中国に対して比較的楽観的な見方、期待を込めた部
分があったと思う。しかし、オバマ大統領やクリントン国務長官が現在見ている中国は、こ
れまでの中国とはどうも異なる。やはり一番の根幹は、既成事实ないし力によって現状を変
えようとしている部分だろう。いくら領土について言い争っても、それはそれで済めば現状
維持は可能だが、着实な軍事力の強化があり、問題はその部分だと思う。またかつては台湾
の防衛能力が中国よりも相当上だったと思うが、今は中国の方が相当上回っている。尐なく
とも、攻撃能力ではそうだろう。アメリカは曖昧でありながら、台湾を守るということに近
い政策をとっているが、それがどのくらい可能かという問題が生じている。他方、中国は次
第に経済力をつけており、アメリカの負政赤字は今、深刻だ。超党派の委員会などが最近出
した勧告では、軍事費を相当削らなければならないとしている。この先どうなるかはまだわ
からないが、
「今後アメリカが徐々に、例えばアジアの朝鮮半島から手を引く、台湾からも手
を引く、ということもあり得る」
。こういったリアリスト的な見方はアメリカの中にもあるが、
尐し異なるという気もする。かつては日本やソ連のスターリンも、アメリカという国を見誤
ったことがある。アメリカは軟弱で、力を示せばすぐにへこたれると思った部分が戦前の日
本にもあったと思うが、アメリカはその気になると、すべてのリソースとまでは行かなくて
も、例えば同盟国の防衛に関し、かなり狭い意味での国益を超えたコミットメントをするた
め、中長期的に政策を固めていくということがある。そういう意味でアメリカは今、アジア
で起きている変化を注視していている。先ほど尐しお話をした freedom of navigation とい
う言い方も、中国が今の方針を撤回しなければ、むしろ関与を強めるという言い方だ。そし
てアメリカの場合、軍事費をトータルで減らすとしても、集約すればアジアでかなり強いプ
レゼンスを確保することは可能だ。そういう意味で、プライオリティーを変化させつつ、む
しろコミットメントを強めていく可能性もある。これはオバマ政権の発足当初には予想しな
かった事態だと思うが、やはり現实を見て政策を再検討し、今はそちらの方向へ行っている
のではないか。周辺諸国、特に韓国はやはり、アメリカとくっつきたいのは明らかだ。日本
としても責任ある政治家であれば、
「アメリカとの関係は大事だ」と言ってくれるだろう。そ
してベトナムなどの働きかけも大きいのではないか。そういう意味で、尐し大きな変化があ
るかもしれないという気がする。
96
高原
明生 東京大学大学院法学政治学研究科教授:
中国には先ほどご紹介したように、政治の影響力を強めたい、経済の競争力を強めたい、
イメージの親和力を強めたい、そういう様々な目標がある。それを实現するには、今年や昨
年末からのような外交面での衝突ばかりでは困る。外交上も当然うまくやらなければならず、
そのためには軍を抑えていかなければならない。これは大きな課題で、中国の政治家もわか
っていると思う。それを行う上で、習近平氏が良いのか、他の人が良いのかという問題を立
ててみると、ご指摘のとおり、習近平氏が最も適任ではないかと思う。江沢民氏とどれほど
近いのかについては、よくわからないが、習近平氏自身が元々、軍に所属していたというキ
ャリアがある。軍の人と尐し話をすると、身内のような感覚があるのは事实だ。この辺は想
像の世界になり、軍の中枢にいる軍人と習近平氏の関係が实際にどうなのかについては、私
もよくわからない。しかし他の政治家と比べると、軍との直接の関係があったことは間違い
なく、尐なくとも軍人の一部は身内意識を持っているので、話がしやすいことは確かだろう。
質問 6:平岩先生に伺いたい。北朝鮮のいわゆる魚雷によって哨戒艦が沈没したことについ
て、平岩先生は一忚、それが事实だろうと判断していらっしゃるのか。私は両方をかじって
おり、例えば先ほどおっしゃったスウェーデンや韓国の合同調査団は「北朝鮮の砲撃だ」と
しているが、ロシアが中心となった調査団では、「そういうことはあり得ない」としている。
北朝鮮の潜水艦では、あれだけ大きな魚雷を運搬できないという。またあのように真っ二つ
に割れるというのはすごい破壊力で、北朝鮮にはそれだけの力がないのではないかというこ
とだ。また哨戒艦は対潜水艦用のソナーを備えている訳で、近くにはアメリカの潜水艦もい
たという。潜水艦から魚雷が発尃される場合には、ソナーで探知でき、回避もできるのでは
ないか。それに加え、アングロサクソン 5 ヵ国の強力なスパイ衛星 9 機が 24 時間監視して
おり、特に北朝鮮を中心とする北東アジアを探知している。したがって魚雷、もしくは潜水
艦の動向はキャッチできるのではないか。これについては、国連安全保障理事会も断定はし
なかった。
日本の場合、北朝鮮に関する为な情報源はアメリカや韓国になるが、ヨーロッパ諸国は北
朝鮮と国交もあり、現地に大使館もある。したがって、そちらの情報もとって判断すべきで
ないかと思う。
「やった」、
「やらなかった」ということは、価値判断に関する非常に大きな問
題だ。例えば世界最大クラスの諜報機関の米中央情報局(CIA)が、イラクについて「大量
破壊兵器がある」、「核兵器がある」と断定し、アメリカは先制攻撃をしたが、そうではなか
った。このような過去の例から見ても、情報をかじっている私としては、にわかに北朝鮮の
潜水艦が魚雷を撃ったとは信じられない。そうではなく、哨戒艦内部で爆発したという意見
もあるようだ。最後に、魚雷の破片に番号があり、それはペイントで書いてあったようだ。
北朝鮮の魚雷では、通常、ペイントではなく刻印になっていると聞く。そういう点でも、
「北
朝鮮がやった」と断定するのは問題ではないか。もう尐し情報の分析評価が必要だと感じ、
平岩先生のご意見を伺いたい。
質問 7:長期的にアジアの平和構築について考えると、どのような方法論があるか。
97
質問 8:日本が独立国として核保有すべきだ、その方が世界平和にとって良いのだという意
見があり、今後この意見が力を増してくると思う。もう 1 つ、戦後 63 年が経っているが、
一度も憲法改正をしていない。そのような国は、世界で日本だけだという。集団的自衛権の
問題と、その防衛力についてはっきりした形で日本国民自体に納得させる意味でも、憲法改
正の議論をして良いのではないか。
平岩
俊司
関西学院大学国際学部教授:
最初の質問についてお答えする。結論からすると、私は「北朝鮮だろう」と漠然と思って
いる。漠然というのは無責任な言い方だが、ご指摘のとおり、あの報告書にどのくらい信憑
性があるのかについては判断が難しい。日本ではあまり報道されていないが、例えば韓国で
世論調査をすると、4 割ぐらいは「信じていない」という。
「信じている」という人は 46%
程度で、拮抗している。したがって、日本が一番あの報告書を信用しているのではないかと
いう側面があるのは事实だろう。ただ、面白いのは韓国の調査では 40%の人が「信じていな
い」と言いながら、「ではどこの国がやったと思いますか」という質問をすると、56%ぐら
いが「北朝鮮に違いない」と答えることだ。当時は韓国の首長選挙があり、それに李明博政
権が利用したのではないかという懸念が非常に強かった。もう 1 つ、私が「たぶん」という
言い方をするのは、さすがに韓国が結論まで捻じ曲げて何かをすることはないだろうという
前提からだ。北朝鮮の魚雷については、刻印したものもあるし、あのような手書きのものも
あるともいわれる。しかし本当に潜水艦がやったのか、しかも北朝鮮の犯行なのかという点
については状況証拠しかない。ここから先は様々な議論があり、アメリカはご案内のとおり
「もうわかっているのだ」という姿勢だ。中国側は「それを証明してみろ」と言うらしいが、
そこは情報のレベルの話で、自分たちの能力をさらけ出すことは当然しない、見せないとい
う説や、本当にしっかり補足できていないのだという説もある。このように様々な説があり、
あの報告書だけで断定はできないというのが正直なところだろう。
ロシアの報告書についても結局、
「北朝鮮の犯行ではないだろう」ということしか書かれて
いない。中国の専門家などにどう思うのか聞くと、
「尐なくともあれでは北朝鮮の犯行だと証
明はできない」という言い方だ。「では誰がやったと思うのか」と聞くと、「それは永遠の謎
だ」というような言い方をする。したがって、答えになっているかどうかわからないが、あ
の手の話は非常に限られた情報で結論を出さなければならず、私自身も決してすべてそうだ
と受け止めている訳ではない。
久保
文明
東京大学大学院法学政治学研究科教授:
アジアの平和については、万全ということはないと思うが、1 つは何か積極的に生み出し
そうな国に対し、抑止、備えるということで、さらにそういうことが起きないようにしてい
く。何か生み出してくる可能性があるとすれば、北朝鮮などだが、そういうことが起きない
ようにしていく。これについては、こちらが優しく接すれば通じるという訳ではないので、
あちらがそういうことを考えないよう、抑止の体制を固めることが重要だろう。もう 1 つ、
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既成事实によって現状を変改しようとする中国の政策については、やり続ける限り、周辺国
との摩擦が起き続ける。日本としてはやはり、あまり弱みを見せないことで、防衛力につい
ても一定の備えが大事だろう。ただそこで核兵器が必要かということについては、私はそこ
まではまだ考えていない。一忚、日米安全保障条約の下、アメリカの核の傘の下に入り、か
なりの効力を持つことができる。したがって、日本とアメリカの関係をしっかりしたものに
しておくことが、むしろ大事だという気がする。憲法改正に関しては、おそらく日本が集団
的自衛権を認める方向で行った方が良いだろう。これについては憲法を改正しなくても、解
釈を変えることで可能だ。集団的自衛権を日本が行使できるとすることは、日米関係を強化
する点でも重要だろう。特に米同時多発テロ事件(9.11)が示したのは、日本の同盟国であ
るアメリカが实際に攻撃されるということだ。今の日米安保では、日本には条約上アメリカ
を助ける義務はない。しかし何もしないという形で日米関係は大丈夫なのかというと、そう
ではない状況が今後も来ると思う。そういうところについても、考えていく必要があるので
はないか。
高原
明生 東京大学大学院法学政治学研究科教授:
日本の平和もアジアの平和の一部だと思うが、それを脅かす脅威は何なのか、あるいは潜
在的な脅威は何なのかを、しっかり議論する必要があると思う。安全、あるいは平和という
概念は非常に広く、いわゆる国防ということだけではない。今日はほとんど話題に上らなか
ったが、様々な非伝統的脅威、テロや鳥インフルエンザのようなものもある。また中国の経
済的な崩壊、中国バブルがどういう形で破裂するのかは、非常に大きな潜在的脅威だと思う。
そういう中で、いわゆる伝統的な安全保障の観点からすれば、焦点は北朝鮮と中国だ。中国
は現在、指導者たちが「平和発展だ」と言っているが、10 年後、20 年後の指導者が何人い
るのかについては、今は確信を持って言えない。そうした中国リスクに対するヘッジをかけ
ておくことは、必要だ。中国では経済成長が続き、社会的な安定がそれなりに保たれている
限り、政治も変わらないだろう。政治が変わる気配は今のところなく、軍備を拡大していく
政策にもおそらく変更はない。やはり、習近平であろうと誰であろうと、今の軍拡政策を変
える人が出てくる可能性は低い。それを封じ込めることができるかというと、誰にもできな
い。私たちとしては、軍拡をしていく中国とどのように平和裏に共存していけるかだ。その
ような道を追求する以外にないと思う。一方ではヘッジをかけながら、他方においては話し
合いを進めることによって、中国人も不安に思わず、日本人も韓国人もベトナム人も不安に
思わない、そういう関係をどのように築いていけるかだ。これは難しいことだが、それ以外
に道はないというのが実観的な事实だろう。私たちは今後、難しい道を歩んでいかなければ
ならないという覚悟で、1 つずつできることを行う必要がある。政治家レベルでもそうで、
率直に話ができるパイプが必要だということもあれば、経済人同士、研究者同士も尐しずつ、
難しい道を共に歩んでいくほかはない。リアリスティックに考えて、そう思う。
(以上、質疑忚答)
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100
平成22年度 IIST 国際情勢研究会
報告者およびテーマ一覧
平成22年度
第1回
2010 年 5 月 21 日(月)
高原 明生 東京大学大学院 法学政治学研究科教授
「中国政治と日中関係の動向――上海万博の光と影」
大橋 英夫 専修大学経済学部教授
「日中経済関係の構造転換――その背景と展望」
第2回
2010 年 6 月 14 日(月)
平岩 俊司 関西学院大学 国際学部教授
「最近の朝鮮半島情勢
−金正日訪中、哨戒艦事件、国防委員会人事を中心に−」
久保 文明 東京大学大学院 法学政治学研究科教授/研究会座長
「オバマ政権の内政・外交の評価」
第3回
2010 年 7 月 27 日(火)
ゲストスピーカー
重冨 真一 アジア経 済 研 究 所 地 域 研 究 センター
東 南 アジア I 研 究 グループ長
「タイの政 治 混 乱 ―その歴 史 的 位 置 ―」
佐藤 考一 桜 美 林 大 学 リベラルアーツ学 群 教 授
「中 国 の海 洋 進 出 :その目 的 と現 状 の考 察 」
第4回
2010 年 10 月 7 日(木)
ゲストスピーカー
田中 浩一郎 (財)日本エネルギー経済研究所 中東研究センター
理事 兼センター長
「経済制裁と軍事攻撃の隘路を往くイラン」
第5回
2010 年 10 月 22 日(金)
ゲストスピーカー
西川 珠子 みずほ総合研究所 調査本部 政策調査部 主任研究員
「金融危機後の米国経済」
久保 文明 東京大学大学院 法学政治学研究科教授/研究会座長
「米中間選挙とオバマ政権の今後」
101
公開シンポジウム
2010 年 12 月 17 日(金)
『中国を巡る世界情勢』
東海大学校友会館
北岡 伸一 東京大学 大学院法学政治学研究科教授
「富士の間」
「尖閣の衝撃と日本外交」
久保 文明 東京大学 大学院法学政治学研究科教授
「最近の米国の対中国政策: 中間選挙の結果を踏まえて」
高原 明生 東京大学 大学院法学政治学研究科教授
「中国の政治外交の新情勢」
平岩 俊司 関西学院大学 国際学部教授
「北朝鮮の新体制と中国」
役職は報告当時
102
平成21年度 IIST 国際情勢研究会
報告者およびテーマ一覧
平成21年度
第1回
2009 年 5 月 29 日(金)
第2回
2009 年 7 月 1 日(水)
大橋 英夫 専修大学経済学部教授
第3回
2009 年 9 月 18 日(金)
ゲストスピーカー
「国際金融危機と米中経済関係」
平岩 俊司 静岡県立大学大学院国際関係学部教授
「核実験をめぐる朝鮮半島情勢」
田中 浩一郎 財団法人 日本エネルギー経済研究所
理事 兼 中東研究センター長
「第 2 次アフマディネジャード政権下のイランが直面する同様と危機」
第4回
2009 年 10 月 16 日(金)
佐藤 考一 桜美林大学国際学部教授
「海賊問題と国際社会:東南アジアとソマリアの海賊問題から見た非伝統的
安全保障問題をめぐる国際協力の課題と展望」
第5回
2009 年 11 月 20 日(金)
高原 明生 東京大学大学院法学政治学研究科教授
「中国の政治と外交をめぐる最近の動向
― 経済の強靭性と脆弱性を背景として ―」
公開シンポジウム
2010 年 1 月 22 日(金)
14:00~17:00
東海大学校友会館
「阿蘇の間」
『日本の政権交代と国際関係・国際環境』
北岡 伸一 東京大学大学院法学政治学研究科教授
「民主党政権の成立とその外交政策」
久保 文明 東京大学学院法学政治学研究科教授
「オバマ政権1年の成果と課題米新政権」
高原 明生 東京大学大学院法学政治学研究科教授
「日米の新政権の向き合う中国」
大橋 英夫 専修大学経済学部教授
「国際金融危機後の中国経済」
佐藤 考一 桜美林大学国際学部教授
「海賊対策と日本の対応」
平岩 俊司 静岡県立大学大学院国際関係学研究科教授
「北朝鮮の行方―米朝、日朝、6 者協議」
役職は報告当時
103
平成20年度 IIST 国際情勢研究会
報告者およびテーマ一覧
平成20年度
第1回
2008年 7 月 18 日(金)
第2回
2008 年 9 月 19 日(金)
平岩 俊司 静岡県立大学大学院国際関係学部教授
「最近の北朝鮮情勢」
ゲストスピーカー
田中 浩一郎 (財)日本エネルギー経済研究所 理事
兼 中東研究センター長
「イラン情勢」
第3回
2008 年 10 月 17 日(金)
佐藤 考一 桜 美 林 大 学 国際学部教授
「中国脅威論』とASEAN諸国」
大橋 英夫 専修大学経済学部教授
「中国の対外進出(「走出去」)戦略」
第4回
2010 年 11 月 14 日(金)
久保 文明 東京大学学院法学政治学研究科教授
「米国新政権の行方」
高原 明生 東京大学大学院法学政治学研究科教授
「世界金融危機に直面する中国の政治動向」
公開シンポジウム
2011 年 1 月 23 日(金)
北岡 伸一 東京大学 大学院法学政治学研究科教授
「世界情勢の新しい動き」
13:30~15:30
東海大学校友会館
久保 文明 東京大学 大学院法学政治学研究科教授
「富士の間」
「米新政権の誕生とアジア政策」
高原 明生 東京大学 大学院法学政治学研究科教授
「中国政治の課題と今後」
大橋 英夫 専修大学経済学部教授
「中国経済の課題と見通し」
佐藤 考一 桜 美 林 大 学 国際学部教授
「東南アジアの動向と課題」
平岩 俊司 静岡県立大学大学院国際関係学部教授
「朝鮮半島の今後の動向」
104
第5回
201 年 2 月 17 日(火)
ゲストスピーカー
エフライム・ハレヴィ (Mr. Efraim Halevy) ヘブライ大学戦略政策研究セン
ター所長(モサド前長官)
「最近の中東情勢」
役職は報告当時
敬称略/役職は報告当時
105
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詳細は下記 URL をご覧ください。
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発 行 日
編集/発行
2011年3月30日
負団法人貿易研修センター
〒105-0001 東京都港区虎ノ門一丁目1番20号
虎ノ門实業会館2階
TEL03-3503-6621
http://www.iist.or.jp
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