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津島岡大遺跡 18 - 岡山大学学術成果リポジトリ

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津島岡大遺跡 18 - 岡山大学学術成果リポジトリ
第24冊
岡山大学構 内遺跡発掘調査報告
津島岡大遺跡 18‐
― 第 28次 調査 二
■
自然科学系総合研究棟新営〕
〔
「 20108奪 1
1t
岡山大学 埋 蔵文化財調査研 究 セ ン ター
■
岡山大学構内遺跡発掘調査 報告
第24冊
津島岡大遺跡
18
一 第28次 調査 ―
自然科学系総合研究棟新営〕
〔
2008年
岡山大学埋 蔵文化財調査研究 セ ンター
序
本報告書 は、岡 山大学津 島地 区 にお い て 自然科学系総合研 究棟校舎新営 工 事 に ともない(
2002(平 成 14)年 度 に実施 した津 島岡大遺跡第28次 発掘調査 の成果 をまとめた もので あ る。
本調査 区 にお い て は、東西 に蛇 行 す る流路 の南側 で弥 生 時代前期 にさか のぼる水 田遺構
が発 見 された。同時期 の水 田遺構 はす で に津 島地 区北東部 の 第 3次 ・ 第 15次 発掘調 査 地 な
どで知 られ、 また第23次 発掘調査 地 (文 化科学系 総合研 究棟 )で は 同 じく弥生 時代前期 の
潅漑水路 と水 口祭祀 の あ とが 明 らか にされた ところで あ る。本学津 島地 区 の発掘調 査 に よ
り、水稲農耕 開始期 にお け る水 田遺構 と水利 システムの あ り方 が い っそ うくわ しく解 明 さ
れる ことを期待 したい。
また、本調査 区南側 の共同溝調査 区にお いて、 明治期陸軍関係 の道路遺構が検出 された
こと も注 目され る。石組 み の側溝 を備 えた幅7.lmの 南北道路 で あ った。本 セ ンターでは地
表 にの こる明治期 の 門、土塁、庭 園遺構等 を随時測 量 し記録 を作成 してい るが、造成 土 中
に埋 もれ た遺構 ・遺物 の保存状態 は良好 で、 明治期 以降におけ る津 島地区の歴史 をた どる
うえで地下遺構 の重要性があ らためて示 された。
発掘調査 の実施 と報告書刊行 にあたっては本 学内外 の 関係部局 か ら多大 な ご協力 をい た
だ き、 また 自然科学分析 に関 し、専 門分野 の方 々か ら玉稿 を賜 った。最後 になったが、関
係各位 に厚 く御礼 申 しあげ る次第 であ る。
次 司
憲孝
副 セ ンター長 (大 学院社会文化科学研究科教授)
原 田
セ ン ター長 (理 事 ・事務局長 )
梶稲
岡山大学埋 蔵文化財調査研究 セ ンター
目
第 1節
次
近 隣 の遺跡
津 島岡大遺跡 …… … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … …
1.構 内座標 の設定 … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … …
第 2節
2.遺 跡 の概 要
第 2章
…… … … … … … … … … … … … … … … … … …
調査の経過 と概 要
(岩 崎 )
7
第 1節
調査 にい たる経過
7
第 2節
調査体制
7
第 3節
調査 の経過
8
第 4節
調査 の概 要
9
調査 の 記録
(岩 崎 ) 11
第 3章
第 1節
調査 地点 の位置 と区割 り
11
11
2.調 査 地点 の 区割 り
第 2節
層序 と地 形
11
11
11
2.地 形 の推移
第 3節
第 4節
1.
15
縄 文時代 の遺構 。遺物
15
a.土 坑 ・ ピ ッ ト
b.杭
16
弥 生 ∼古墳 時代 の遺構 。遺物
18
弥生 時代 早期 。前期
19
a.焼 土遺構
b.水 田畦畔
19
17
19
20
a.溝
3.古 墳 時代前期
a.溝
20
24
24
第 5節 古代 。中世 の遺構 ・ 遺物 …… … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … 25
1.古 代 … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … …・ 25
a。
溝
25
28
溝
28
b.耕 作痕
28
近世 ∼現代 の遺構
29
a◆
第 6節
29
29
31
31
a。
・… … … … … … …
道路状遺構 … … … ∴
31
第 7節 包含層 の遺物
第
4章
33
自然科学的分析 ………………………
1.放 射性炭素年代測定
(い 古環境研 究所 ) 40
2. 植物珪酸体分析 … … … … … … … … … … … … …・
(い 古環境研 究所 ) 41
3. 花粉分析 …… … …
(ω 古環境研 究所 ) 47
40
4. 津 島岡大遺跡 第28次 調査 の土壌 分析 につ い て …
第 5章
(白 石
ま とめ
純 )52
(岩 崎 )53
挿 図 目次
1
周辺遺跡分布図…・………・………………・………………… 2
図2
津島岡大遺跡構内座標 と各調査地点 ……………………… 4
図3
調査風景 …………………………………………………… ……………………… 8
…………… …… …… ………・
溝 5∼
7・
図23
溝 8・
出土遺物・……………・………………
図24
・
・……
溝 9∼ 14・ ・
28
図4
検出遺構全体図…… ……… ………… … … … … ……… … 9
図25
近世∼現代検 出遺構全体図……………………………………………
29
図5
発掘調査地′
点………………………………………………………………………
11
D]26
土坑 2… ……………………………… … ……………………………………… 30
図6
調査区の 区割 りと土層断面位置 ……・……………………・…
図
図22
26
27
11
D]27
土坑 3… ……………………………… …………………………………………… 30
図7
土層断面図 1・
……………………・………………・…………… 12
図28
土坑 4・ 出土遺物 …………・……………………………………… 31
図8
土層断面図 2… ……………………………………・………… 13
巨
]29
道路状遺構 ………………………………………………………………………… 32
図9
縄文時代検出遺構全体図………………………………………………… 16
図 10
土坑 1-・ …………………………・……………………………・ 17
']30
図31
包含層 の遺物 2:土 器 2… …………・……………………・ 34
図11
杭 1∼ 5… … …… …… … … … … … …… … … …
17
E]32
包含層の遺物 3:石 器 l… ……………………………………・… 35
図12
弥生∼古墳時代検出遺構全体図……・……………………… 18
D]33
包含層の遺物 4:石 器 2… ……………………………………… 36
図 13
焼土遺構 ……………………………………………………………………………… 19
図34
包含層 の遺物 5:石 器 3… ・………………・……………… 37
図14
水田畦畔 ………………・………………………………………… 19
D]35
包含層 の遺物 6:石 器 4… …………・……………………… 38
21
D]36
包含層の遺物 7:土 製品 。鉄製品………………・…・……… 39
溝 2・ … …… … … …… …… … …… … … …
包含層 の遺物 1:土 器 1… ………………………………・…・ 33
図15
溝 1・
図 16
溝 1出 土遺物 1
22
優]37
サ ンプル採取地点 ……………………・……・……………… 40
図17
溝 1出 土遺物 2
23
D]38
植物珪酸体分析結果 ………… … ……………………………………… 45
図18
溝 2… …… …
24
巨
]39
植物珪酸体顕微鏡写真 ……・………………・……………… 46
図 19
溝 3… ……… … … …… … … …… …… … …… … … …
25
D]40
花粉分析結果 …………………………… ……………………………………… 50
図20
溝 4… …… … …… … … … … …… … … … … … ……
25
図41
津島岡大遺跡第28次 調査 の花粉 ・胞子・………………… 51
図21
古代 。中世検 出遺構全体 図 ……………………… …………………… 26
図42
蛍光X線 分析結果 …………… ………………………………… ……… 52
目 次
表
表1
津島岡大遺跡文献一覧 ……………・…………・……・…………
表2
検出遺構 一覧 ……・…・……………………・……………………
6
10
表4
花粉分析結果 ………………………………………・…・……・ 49
表5
蛍光X線 分漱 結果 ……………・……………………・…・…… 52
表 3 植物珪酸体分析結果 …………・…………………………… 44
図 版 目次
図版一
土器
(溝 1・
包含層)
図版二 石器
(溝 1・
包含層)
図版 三 石器 ・勾玉
例
1
(包 含層)
言
本書は岡山大学埋蔵文化財調査研究 センターが実施 した、総合研究棟校舎新営工事 に伴 う調査の報告書である。
調査期間 :2002年 4月 15日 ∼ 9月 20日 、11月 28日 ∼2003年 1月 15日 調査面積 :1,798ぷ
2
調査地点は岡山市津 島中 3丁 目 1番 1号 に所在す る。
発掘調査か ら報告書作成 までの諸作業 は、 岡山大学埋蔵文化財調査研究セ ンター運営委員会の指導 の もとに行われた。
3
委員 ・幹事 の諸氏 に御礼 申し上 げる。
本調査 については、その概要 を『岡山大学埋蔵文化財調査研究セ ンター紀要2002』 に報告 しているが、細部にわたる事
4
5
実関係 は本書 をもって正式 の もの とす る。
本書掲載の図面 。写真 の うち、調査時の遺構 。遺物実測 。写真撮影の担当は以下 の通 りである。
忽那敬三・野崎貴博 ・岩崎志保 ・高田浩司・山本悦世 。本堂春生
報告書作成 にあたっての主な担当は以下の通 りである。
<遺 物 >土 器の実浪1・ 浄写・観察表 :岩 崎、石器 の実測 ・浄写・観察表 :野 崎、写真 :岩 崎 。山口雄治
<遺 構 >浄 写 :岩 崎
<整 理作業 >井 口三智子・片山純子 ・黒藪美代子
6
7
本書 の執筆分担 は目次に示 した通 りである。
編集は梶原憲次 (セ ンター長)。 稲 田孝司 (副 セ ンター長)・ 山本悦世
(調 査研究室長)の 指導 の もと、岩峙志保が担当
した。
8
本書作成にあたって、木材樹種 同定 を能城修一氏 (農 林水産省森林総合研究所)に 依頼 し、有益 な教示 を得た。石器石
(岡 山大学理学部)に よる。 また土壌分析 を自石純氏 (岡 山理科大学)に 依頼 して実施 した。
記 して感謝する。またガイシについては日本 ガイシ株式会社 ・碍子博物館 よ り御教示 を得た。
材 の同定 は鈴木茂之氏
9
本書 に掲載 した調査 の記録 ・出土遺物等はすべ て当セ ンターで保管 している。
1
本書 で用 いる高度地は海抜標高であ り、方位は国土座標第 V座 標系 (世 界測地系)の 座標北である。
土器の遺物番号は、原則 として遺構別 に付 し、その他石器等 は通 し番号 を付 した。石器 には S、 木製品にはW、 土製品
凡
2
3
例
にはTを 付 けて区別する。
遺物 の計測値 と観察所見 は観察表 を作成 し、実測図 と組み合 わせて掲載 した。観察表の表記基準 は以下の通 りである。
①観察表中の土器胎土の表記基準 は次の通 りである。
微砂 :径 0 51nlll未 満、細砂 :径 0.5∼ l mm未 満、粗砂 :径 1∼ 2 11ull未 満、細礫 :径 2 11ull以 上
②遺物法量 は、残存部分が全周の1/2以 上の個体 については実測値 を、1/2に 満 たない個体 については推定復元値 をカッ
コをつ けて表示 したし
③色調 は欄 中に表記 している場合 は「内面 。外面」の順で表示 してい る。
4
5
写真図版 の遺物番号 は本文中の遺物番号 に一致す る。
「岡山南部」 (平 成 6年 発行)を 合成
本書 で使用 した地形図は、建設省国土地理院発行 の1/25,000地 形図「岡山北部」・
6
したものである。
図中では鉄分 をFe、 マ ンガンをMnと 表記 している。
近隣の遺跡
第 1章
地理 的・ 歴 史 的環境
第 1節
近隣の遺跡
津 島岡大遺跡 は 岡山市津 島中所在 の 岡山大学津 島地 区構 内 に位置す る遺跡 の総称 で あ る。 本遺跡 の所在 す る 岡
山市津 島一 帯 は、 中国地方 で も最大 の平野 で あ る岡山平野 の北半 を占め、主要 河川 の一 つ で あ る旭 川 の西岸 にあ
たる。北側 には半 田山・ ダイ ミ山・烏 山 とい った標 高 150m前 後 の 山塊 が連 な って い る。
岡 山平野 は、旭 川 ・吉井川 ・高梁川 の三 大河川 の沖積作用 に よ り形成 された もので、縄 文時代 の前期 頃 に海進
の ピー クを迎 える と、 海岸線 は次第 に後退 し始 め る。 そ して河川 の堆積作用 と氾濫等 の繰 り返 しに よ り自然堤 防
と後背湿地 とが形成 され る。 本遺跡周辺 で も旭川 旧河道や大小 様 々 な規模 の支流 と、それ らの 間 に形成 された 自
然堤 防上 の微 高地 とが複雑 に展 開す る地 形 をな して い た。 この よ うな平 野 の 中に形成 された微 高地 上 に集落が進
出 し始 め るが、 岡山平野 で人類 の痕跡が認 め られ るの は、 今 の ところ縄 文時代 前期以 降 の こ とで あ る。 前期 に さ
かの ぼ る遺跡 は、 半 田山丘 陵 の 下端 に立地 す る朝寝 鼻貝塚 ① であ る。以 後 この平 野 を舞 台 に、人 々 の歴 史 が現
代 まで連綿 と展 開 して い く。 ここで は、 本報告 に関連 す る時期 を中心 に周辺遺跡 の概要 を述 べ るこ ととす る。
周 辺 で は縄 文時代 中期 の遺物 が百 間川沢 田遺跡 ② で 認 め られ て い るが、全 体 として は希 薄 な状 況 で あ る。 後
期 になる と遺跡数が増加 し、前 出 の朝寝 鼻貝塚 のほか 、津 島岡大遺跡 で、貯蔵穴 ・竪穴 住居 ・炉痕等 の遺構 や、
土 器 。石器等 の遺物が ま とまって検 出 されて い る。 晩期 ∼ 弥 生 時代早期 にか け ては津 島岡大遺跡 第 3・ 15次 調査
地点 で貯蔵穴が認 め られ るが、 居住域 は認 め られない。 この 時期 の遺物 は津 島岡大遺跡 をは じめ、旭川 東岸 の百
間川遺跡群 で も認 め られ る。
縄 文時代 の終 わ りに北 部 九州 に稲作農耕 が 導入 され、各地 へ と伝播 して い く過程 で、 瀬戸 内地域 へ はか な り早
い段 階 に情報が もた らされた とみ られ る。 しか し現在 、確 実 な遺構 として縄 文時代 晩期 にまで遡 る例 はない 。本
遺跡周辺 にお い て出現期 の水 田遺構 は、 弥 生 時代前期 の水 田畦畔であ る。 それ らは弥生 時代早期 ∼前期 にか け て
堆積 した と見 られ る黒 褐色粘質土層 上 面 で検 出 されてお り、津 島江道遺跡 ③、北方 中溝遺跡 ・北方地蔵遺跡 ω等
で確 認 されて い る。また 国指定史跡 で あ る津 島遺跡 ⑤では、弥生前期前 半 に微 高地 上 で竪 穴住居 ・掘 立柱建物 が、
そ の周辺 では水 田遺構 が検 出 されて い る。 弥生時代前期 か ら集落 の縁辺 にお い て水 田経営 が行 われていた状 況が
窺 え よ う。
以 降 も平野部 の拡大 は続 き、農耕技術 や水利技術 の進歩 も相侯 って生 産基 盤が安定 した こ とか ら、微 高地上 に
集落が次 々 に出現、発展 して い く。前 出 の津 島遺跡 ⑥ をは じめ、前 期後 半 か ら出現す る南方遺跡 0、 中期 か らは
ω、後期 には天 瀬遺跡 m)と ぃ よ に、
絵 図遺跡 ③ 。上伊福 遺跡 ⑨・鹿 田遺跡 。
ぅ う
集落遺跡 の増加 が 認 め られ る。
一 方、 岡山平野 の北側 の半 田山山塊 には、 弥 生 時代 中期 ∼古墳 時代後期 にか け て、 有力 な首長系 譜 をた どれ る
弥生墳 丘墓、前方後 円墳 、前方後方墳 等が相次 い で築 かれ る。す なわち都 月坂 2号 墳 丘墓 ⑫ 。1号 前方後方墳 ⑬ 。
り、 ダイ ミ山古墳 、 一 本松 古墳 群
のが 所在 して い る。 またやや
七 つ坑古墳 群 。
さ らに麓部 にはお 塚 (様 )古 墳 。
つが築 かれて い る。 これ らの 墓 の
東 に離 れた平 野 の 中 に神 宮寺 山古墳 。
墳
造営 に関わ った 人 々 と、 本遺跡周 辺 で
lFDl、
検 出 されて い る遺構群 とは密接 な関わ りを想 定 で きる。津 島遺跡 では弥生 時代 中期 ∼古墳 時代初頭 にか け て も集
落域 として利用 されて い た状況が わか ってお り、津 島岡大遺跡 では主 に耕作域 としての利用 が窺 える水 田遺構等
が検 出 されて い る。
次 い で古墳 時代後期 には、周辺 での造墓活動 は見 られ な くな るが、津 島遺跡 では、 遺跡 の推定範 囲 の西端 で 6
世紀初頭 の製鉄 関連 の遺構 ・遺物が検 出 されてお り、注 目され る。 また本遺 跡 で は第 6・ 7次 調査 地点 で水 田遺
構、 第 10次 調査地点 で竪 穴住居址 が検 出 されてお り、概期 の集落構 造 を知 る手が か りが少 しず つ で はあ るが 増加
- 1 -
地理 的 ・歴 史的環境
`
Vイ
0
1.津 島岡大遺跡
15。
(縄 文 中期 ∼ 近世 )
2.田 益 田 中
(国
立 岡山病 院 )
遺跡 (縄 文 ∼ 近世 )
3.白 壁奥 遺 跡
(古 墳 後期 )
製鉄 〉
〈
半 田 山城 (戦 国)
16.津 島福 居 遺跡 (古 墳 ∼ 室 町 )
17.お 塚 (様 )古 墳 (古 墳 中期 )
18.津 島東遺 跡 (縄 文 ∼ 室 町 )
19.朝 寝 鼻 貝塚 (縄 文前 ∼ 後期 )
20。
一 本松 占墳 (古 墳 中期 )
4.津 高住 宅 団地 内遺跡群
21.不 動 堂古墳
(古 墳 他 )(製 鉄 遺 跡群 を含 む〉 22.妙 見 山城跡 (戦 国 )
23.鎌 田遺跡 (弥 生他 )
5.佐 良池古 墳 群 (古 墳 後期 )
24.津 島新 野 遺跡 (弥 生 )
6.揺 鉢 池古墳 群 (古 墳 後期 )
25.津 島江 道遺跡 (縄 文 ∼ 近世 )
7.奥 池古墳 群 (古 墳 後期 )
26.北 方長 田遺跡 (弥 生 ∼ 近世 )
8.ダ イ ミ山古 墳 (古 墳 中期 ?)
9.津 島東 3丁 日 1地 点 (弥 生 ・ 27.神 宮寺 山古墳 (古 墳 前期 )
28.青 陵古 墳 (古 墳 前期 )
古墳)
29.石 井廃 寺 (奈 良 ?∼ 室 町 )
10.宿 古墳 群 (古 墳 前期 ・ 後期 )
30.津 倉 古墳 (古 墳 前期 )
11.片 山古墳 (古 墳 前期 )
31.妙 林 寺 遺 跡 (弥 生 )
12.鳥 山城 跡 (戦 国 )
∼
つ
32.上 伊福 西 遺跡 尾針神社 南
13.七 執 墳 墓 古墳 群 (弥 生
古墳 )
14.都 月坂墳 墓 古 墳 群
古墳)
(弥 生 ∼
遺跡 (弥 生 ∼ 平 安 )
(弥 生 ∼ 近世 )
33.津 島遺跡
34.北 方下 沼遺跡
(弥 生 ∼ 室 町 )
図
1
35.北 方横 田遺跡 (弥 生 ∼ 室 町 )
36.北 方 中溝 遺跡 (弥 生 ∼ 室 町 )
37.北 方地蔵遺 跡 (弥 生 ∼ 近世 )
38.北 方薮 ノ内遺跡 (弥 生 ∼ 近世 )
39.北 方上沼遺跡他 (弥 生 ∼ 近世 )
40.上 伊福 遺跡 伊福 定 国前遺 跡
(弥 生 ∼ 室 町 )
54.竜 ノロ山頂古墳群 (古 墳後期 )
55.湯 迫古墳 群 (古 墳 前期 )
56.備 前 車塚古墳 (古 墳 前期 )
57.唐 人塚 古墳 (古 墳 後期 )
58.賞 田廃 寺 (飛 鳥 ∼ 室 町)
59.備 前 国府 関連遺跡
60.備 前 国庁跡 (奈 良 ∼ 平安 )
61.備 前 国府推 定 地 (南 国長 )
41.上 伊福 遺跡 (弥 生 ・ 古 墳 )
42.絵 図遺跡 (弥 生 ∼ 平 安 )
遺跡 (弥 生 ∼鎌 倉 )
43.南 方遺跡他 (弥 生 ∼ 近 世 )
62.南 古 市場 遺跡 (奈 良 ∼ 平安 )
44.広 瀬遺跡 (弥 生 )
63.北 │1遺 跡
45,上 伊福 (立 花 )遺 跡 (弥 生 ∼ 室 64.ハ ガ (高 島小 )遺 跡 (奈 良 ∼ 室
陶)
町)
46.47.散 布 地
48.鹿 田
(県 立 岡山病 院 )遺 跡
(平 安 ∼鎌倉 )
49.鹿 田遺跡 (弥 生 ∼ 近世 )
50.fl山 城 跡 (室 町 ∼ 近世 )
51.天 瀬 遺跡 (弥 生 ∼ 近 世 )
52.新 道遺跡 (奈 良 ∼ 近 世 )
53.二 日市遺跡 (弥 生 ∼ 近世 )
周辺遺跡分布 図 6=1/50,000。
65.中 井 南 三 反 田遺 跡 古墳 群
(弥 生 ∼ 室 町 )
66.原 尾 島遺跡 (弥 生 ∼ 室 町 )
67.赤 田西 遺跡 (弥 生 ∼ 室 町 )
68.幡 多廃 寺 (飛 鳥 ∼ 平 安 )
69.70.雄 町遺跡
(縄 文晩期 ∼
平安 )
71.乙 多見 遺跡
1/2,500,000)
(弥 生 )
50 km
72.赤 田東 遺跡
関遺 跡 (弥 生 ∼
室 町)
73.関 遺跡 (弥 生 )
74.百 間川 遺跡 群 (縄 文 ∼ 近世 )
75.百 間川 原尾 島遺跡 (縄 文 中期
末∼近 世)
76.百 間川 沢 田遺跡
(縄 文 中期 ∼
近世 )
77.百 間川 兼基 遺跡
78.百 間川 今谷 遺 跡
79.83.操
(弥 生 ∼ 室 町 )
(弥 生 ∼古墳 )
山古墳 群 (古 墳 後期 )
80.妙 禅 寺 城跡 (戦 国 )
81.操 山219号 遺跡 (旧 石器 )
82.金 蔵 山古墳 (古 墳 中期 )
84.網 浜廃 寺 (飛 鳥 ∼ 平 安 )
85.操 山 109号 古 墳 (古 墳 前期 )
86.網 浜茶 臼 山古墳 (古 墳 前期 )
87.操 山 103号 (古 墳 前期 )
88.湊 茶 臼 山古墳 (古 墳 前期 )
近隣の遺跡
して い る。 この 時期 、 岡山平 野 で遺跡 の活発 な動 向 をた どれ るの は旭 川 の 東岸 地域 で、 百 間川遺跡群 18.原 尾
0・
湯迫古墳群 ・操 山古墳群等が知 られて い る。
島遺跡 は
①・
古代 にお い て は、岡山平野 で も条里制が施行 され るが、発掘 された遺構例 は多 くはない。周辺 で は中溝 遺跡。
南方釜 田遺跡 い)で 条里 関連 の遺構 の検 出が認 め られ る。 また津 島江 道遺跡 ② で は、 古代 の建物 が発 見 され、御
野郡衛 に関連す る施設 との想 定が な されて い る。 本遺跡 で は第 3・ 6・ 7・ 9。
12・
22次 調査 地点 にお い て、 東
西南北 の方位 に合致 す る水 田畦畔や東西方 向 の大溝 が検 出 されて い る。 一 方、古代 か ら中世 にか け て い くつ かの
荘 園 の存在 が 知 られ、鹿 田遺跡 ② 。新 道遺跡 ② で は建物群 ・井戸等 の遺構 の検 出か ら、摂 関家殿 下渡領「鹿 田荘 」
比定地 とされ る。 この 時期 には 岡山平野 の南半 で も開墾 が 一 層進 んだ こ とが窺 える。
中世 には耕 地造成 に よ り、 岡山平野北半 で はそれ まで僅 か なが ら残 って い た微 地形 が消 え、平野 一 面 に水 田が
5、
広が った もの と推定 され る。本遺跡 で も水 田関連遺構 が検 出されてお り、 また旭川西岸 の鹿 田遺跡 ・二 日市遺跡 。
①等 が 該期 の 集 落遺跡 と して知 られて い る。近 世、特 に16世 紀 以 降 は、 児 島湾 の 干拓 が進
東岸 の 百 間川遺跡群 。
んで急速 に陸化 した。 岡山平野 の水 田化 は さ らに進み、 そ の なかで本遺跡周辺 で は御 野郡 一帯 が 岡山藩 の穀倉地
帯 となって い た こ とが知 られて い る。
1907∼ 1908年 に御野郡御野村 。伊 島村 に旧陸 軍屯 営用地が造成 され、 旧陸軍 に よる造成 と、用 地利用 の痕跡 は
岡山大学津 島地 区構 内 に も随所 に認 め られ る。さ らに近 年 の急速 な市街化 に よって、か つ ての田 園風 景 は一 変 し、
現在 に至 ってい る。
第 2節
1.構
津 島岡大遺跡
内座 標 の設 定
現在 、 岡山大学津 島地 区構 内 では、 世界測地系 に よる国土座標 第 V座 標系 に基 づ い て、構 内座標 を独 自に設定
して い る。 これは、 国土座 標系 の座標北 に軸 をあわせ た もので 、本地 区 の地割 りが ほぼ東西 ・ 南北方 向 に合 致 し
て い る こ と、 また岡山市街地 に残 って い る条里 の地割 りが正方位 となって い る状 況 に対応 した もので あ る。
この原点 か ら、 一 辺 50mの 間隔 で、 東西 。南北方 向 に方形 の 区割 りを行 った。座 標軸 の名称 は原 点 を基 準 に、
東西線 に関 しては北 か ら南 へ AA∼
BGラ イ ン、南北線 に関 して は東 か ら西 へ 00∼ 48ラ イ ン とす る。50m四 方 の
それぞれ の グ リッ ド名 につ い て は、 東西 。南北方 向 の軸線 の名称 を組 み合 わせ た北東 隅 の交点 の名称 を用 い る。
従 って、原点 は AA00と な り、そ の他 の交点 につ い て もAW03、
AZ 05、
… 。と呼称 す る。
本 セ ン ター で は従 来 日本測 地 系 座標 に合 わせ て い たが、2002年 4月 1日 に改正 され た測量 法 の 施行 に伴 い、
2003年 度以 降 に作 成 す る報告書 ・概 報 に使用 す る 国土座標 を世 界測 地系 へ と変 更 した。 変 更 に際 して、構 内座
標 の 原 点 につ い て は、従 来 の構 内 区割 り との整 合 性 を可 能 な限 り保 つ た め に、 そ の座 標 値 の み を世 界 測 地系
に よる数値 へ 変換 す る こ とと した。原 点 は これ まで 日本測 地系 に よる座 標 値 (X=-144,500.0000m、
Y=一
37,000.0000m)で あ った もの を、新 た に世 界測地系 に よる座 標 (X=-144,156.4617m、 Y=-32,246.7496m)
とした。
2.遺 跡 の 概 要
津島岡大遺跡 は、 岡山市津島中に所在す る岡山大学津島地区にひろがる遺跡 の総称である。2006年 度 までに発
掘調査 として第29次 調査 までを終了 してい る。遺跡 の範囲は、大学敷地 の西北部にあたる一部を除 き、構内のほ
ぼ全域 にわたると推定 される。
旭川に近接する位置かつ半田山丘 陵の裾部 とい う立地条件 か ら、縄 文時代 には数条 の流路が入 り込 んでお り、
低地部 と微高地 で構成 される起伏 のあ る地形が復元 される②。 また、周辺 の植 生などの環境 に関 しても分析が進
- 3 -
地理 的 。歴 史的環境
│
―寸
三L上 _
│
二
1
‐│
150点
咀
(S=1/10,000)
―
―
●
lVI
※番号 は各調査次 と―致する。
図2
津島岡大遺跡構 内座標 と各調査地点
み つつ あ るい。
津 島岡大遺跡 にお い て最 も古 い遺構 ・遺物 は、 第21次 調査 で確 認 された縄 文時代 中期前半 頃 に属す る土 坑 と土
器 で あ る。 それ に続 く中期後半 では、 各 地点 にお い て遺物 の 出土が確 認 されてお り (第 3・ 15次 ・ 17次 。19次 ・
27次 な ど)、 第 17次 調査 では 中期末 に比 定 され る土 坑 2基 が検 出 されて い るが大半 の地点で は希 薄 な状 態 で ある。
次 い で、 後期前葉 か ら中葉 にか け て、遺構 。遺物 の 出土量 は大 幅 に増加 し、 集落構 造 を解 明す る資料 の 蓄積 が
進 んで い る。 本遺跡 の北東部 にあ た る第 3・ 15次 調査地点 か ら第 17・ 22次 調査 地点 を経 て 第 6・ 9次 調査地点 に
至 る東西約 300m程 度 の範 囲 で は、微 高地部 に竪 穴住居 。大形土坑 ・ ピ ッ ト群 ・炉 ・焼 土遺構 ・溝、河道部 には
貯蔵穴群 が集 中す る。 出土遺物 も質量 とも他 の地点 とは際 だ った状 態 を示 してお り、本遺跡 にお け る居住域 の実
態 を示 して い る。一 方、居住域周辺部 には焼土遺構 を形成す る地 点が点在 し(第 7・ 11∼ 13・ 27・ 8a次 調査 な ど)、
河道部 では杭列群 の存在 (第 23次 調査 )も 、そ の機 能が注 目され る。
弥生時代早期 ∼前期 には、「黒色土」 と呼称 す る黒褐色 の土が津 島地 区 に形成 されて い る。「黒色土」 の上 面 に
は、小 区画が なされた弥生時代前期 の水 田畦畔が残 され る場合 が多 く、弥生時代 開始期 の農耕 の実態 を解 明す る
上 で も津 島岡大遺跡 一帯 は重 要 な地域 とい える。
弥 生 時代前期末 ∼ 中期初頭 の 時期 には、それ まで遺跡 内 で流路 を構 成 して い た河道や谷部 の多 くが洪水 によっ
て埋 没 しの、微 高地部 の拡大 が進行 す る (第 3・ 15・ 5。 19次 調査 な ど)。 続 く中期 の 資料 は、 第 8。 12次 調査
地点 な どで溝 が報告 されて い る。
後期初頭 に入 る と、新 たな集落形成 が確 認 され る。居住域 としては、 後期初頭 には遺 物 を多量 に包 含す る土坑
群が集 中 し、古墳 時代初頭 には井戸 が形成 され る第 10次 調査地点周辺 に想定 され る。耕作 関連 では後期 ∼古墳 時
代初頭 にかけて用 水路 が遺跡全域 に検 出 され る (第 3・ 6・
- 4 -
15・ 12・ 19・
27次 他 )ほ か、第12次調査 で は、整 備
津島岡大遺跡
された後期初頭 の大溝 か ら土器 ・木器 の多数 出土 して い る。水 田畦畔 は、 第 3・ 5。 15次 調査 で確 認 され る。 こ
う した成果 は、 弥 生 時代 にお い て 中核 的集落 で あ る津 島遺跡 の周縁 部 の様相 を解 明す る上 で も貴重 とい える。
古墳 時代 では、引 き続 き水 田経営が な され るが、 集落 内 では、後期 の鍛冶 の存在 が明 らか となって い る。 第 10
次調査 地点 にお い て、竪 穴住居 の周 囲 に鍛 冶 関連遺構 が検 出 され、鉄 滓 ・炉壁 な ども出土 して い るほか、 第 19次
O、
集落 内 での手 工 業 生 産 の一 端 を窺 う こ とがで きる。
調査地点 で も鉄滓が確 認 されてお り。
古代 には、条里 関連 の遺構 として、 坪境 と推定 され る東西方 向 の大溝 が検 出 されて い る (第 1・ 3・ 6・ 7・
12・
22次 調査 )。 そ の他 に水 田畦畔が、第 3・ 6・ 7・ 9。
12・
15次 調査 地点 にお い て確 認 された。集落 に 関 し
ては、 第 8010次 調査 地点 にその可能性 が考 え られ る。
中世後半 では、大規模 な土地造成が な され る。 一 定 の規模 を有 す る土地 造成 は、 少 な くとも古代段 階 には既 に
行 われて い た こ とは土 層堆積状況か ら想定 され るが、 中世層か らは、少量 なが ら円筒埴輪片 が い くつ か の調査 地
点か ら出土 して い るこ とか ら、 同時期 の造成 が、古墳 を破壊 す るほ どの従 来 にない大規模 な もので あ った こ とが
推定 され る。その結果、広域 にお よぶ地 形 の平 坦 化 が大 き く進行 した様子 を窺 う こ とがで きる。 また、それ に際
して、 条 里 関連 の溝 の形状変化 や位置 のず れ (第 12次 調査 )あ るい は集落 の移動 (第 10次 調査 )な どが 認 め られ
るほか、耕作 関連遺構 に関 して も、比較 的小 規模 な区画 を残す古代 の畦畔が消失 し、面積 が拡大 した田面 に多数
の鋤痕 を残す耕作形態 へ と、 大 きな変化 を示 す (第 6・ 9次 調査 ほか)。
近世 にお い て も、耕作地 として利用 された状況 を随所 でみ るこ とがで きる。規格 的 な用 水 路 が、 東西方 向 で は
古代 の大溝 を踏 襲す る形 で認 め られ る。南北 方 向 の もの も第26次 調査 地点 で検 出 されて い る。 これ らの用 水路 に
は要所要所 に水門が設けられてお り、水利調整構造を窺い知 ることができる。またこういった用水路の縁 には土
坑が作 られていることが多 く、その分布 は耕作地の区割 りを復元する一助 となる。
こうした状況は近代以降にも踏襲され、1907∼ 1908年 に日本陸軍が駐屯地の設営のために大規模な造成 を行う
まで、基本的な構造は継続されてい く。
(1)富 岡直人 1998『 朝寝鼻貝塚発掘調査概報』加計学園埋蔵文化財調査室発掘調査報告書 2
この発掘調査 において、縄文時代前期 のプラン トオパールが確認 されている。
二宮治夫 1985『 百間川沢田遺跡 2 百間川長谷遺跡 2』 岡山県埋 蔵文化財発掘調査報告59
日本考古学協会静岡大会実行委員会編 1988「 津島江道遺跡」『 日本 における稲作農耕の起源 と展 開―資料集 ―』
岡田 博 1998 岡山県古代吉備文化財 セ ンター『北方下沼遺跡 北方横 田遺跡 北方中溝遺跡 北方地蔵遺跡』岡山県埋蔵文化財発掘
調査報告126
(5)津 島遺跡調査団 1969『 昭和44年 度岡山県津島遺跡調査概報』
岡山県教育委員会 1970『 岡山県津島遺跡調査概報』
島崎 東 ほか 1999『 津島遺跡 I』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告137
平井 勝 2000『 津島遺跡 2』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告151
島崎 東ほか 2003『 津島遺跡 4』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告173
岡本泰典 2004『 津島遺跡 5』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告181
島崎 東 ほか 2005『 津島遺跡 6』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告190
註 5及 び杉 山一雄 1999『 津島遺跡』岡山県埋蔵文化財発掘調査報告145
a 岡山市遺跡調査団 1971『 南方遺跡発掘調査概報』
b 岡山市遺跡調査団 1981『 南方 (国 立病院)遺 跡発掘調査報告』
c 岡山県教育委員会 1981『 南方遺跡』岡山県埋蔵文化財発掘調査報告40
d 内藤善史 1996『 絵図・南方遺跡』岡山県埋蔵文化財発掘調査報告110
e 岡山市教育委員会 1996「 上伊福 。南方 (済 生会)遺 跡 (南 方蓮田調査区)I・ Ⅱ」
「上伊福 ・南方 (済 生会)遺 跡 (上 伊福 立花調査 区)
Ⅱ」『岡山市埋蔵文化財調査 の概要』1994年 度
f 岡山市教育委員会 1997「 上伊福 ・南方 (済 生会)遺 跡 (南 方蓮田調査区 Ⅱ)」 「南方 (中 電)遺 跡」『岡山市埋蔵文化財調査の概要』
g
h
1995年 度
澤山孝之 。平井泰男 2006『 南方遺跡』岡山県埋蔵文化財発掘調査報告196
下澤公明ほか 2006『 南方遺跡』岡山県埋蔵文化財発掘調査報告200
註 7d
a 岡山県教育委員会 1984「 上伊福 (ノ ー トルダム清心女子大学構内)遺 跡」『岡山県埋蔵文化財報告』14
b 中野雅美・根木 修 1986「 上伊福九坪遺跡」『岡山県史 考古資料』
c 杉 山一雄 1998『 伊福定国前遺跡』岡山県埋蔵文化財発掘調査報告 125
吉留秀敏 ・山本悦世 1988 岡山大学埋蔵文化財調査研究 センター『鹿田遺跡 I』 岡山大学構 内遺跡発掘調査報告第 3冊
- 5 -
地 理 的 ・ 歴 史 的環 境
小林青樹 2000「 鹿田遺跡第 9次 調査」『岡山大学構 内遺跡調査研究年報』16 1998年 度
喜田 敏 ・岩崎志保 2000「 鹿田遺跡第 9次 調査追加分」『岡山大学構 内遺跡調査研究年報 17』 1999年 度
(11)出 宮徳尚 1986「 天瀬遺跡」『岡山県史 考古資料』
(12)近 藤義郎 1986「 都月坂二号弥生墳丘墓」『岡山県史 考古資料』
(13)近 藤義郎 1986「 都月坂一号墳」同上
(14)七 つ執古墳群発掘調査団 1987『 七つ執古墳群』
(15)近 藤義郎 1986「 一本松古墳」『岡山県史 考古資料』
(16)近 藤義郎 1988「 岡山市津島の俗称 『おつか』 と称す る前方後円墳 についての調査の概要報告」『古代吉備』10集
(17)鎌 木義昌 1986「 神宮寺山古墳」『岡山県史 考古資料』
(18)宇 垣匡雅 1994『 百間川原尾島遺跡 3』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告 88
平井 勝 1995『 百間川原尾島遺跡 4』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告 97
(19)宇 垣匡雅 1999 岡山県古代吉備文化財 センター『原尾島遺跡 (藤 原光町 3丁 目地区)』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告 139
(20)日 本考古学協会静岡大会実行委員会 1988「 中溝遺跡」『 日本における稲作農耕の起源 と展開 ―資料集 ―』
(21)日 本考古学協会静岡大会実行委員会 1988「 南方釜田遺跡」『日本 にお ける稲作農耕 の起源 と展 開―資料集 ―』
(22)高 畑知功 1988「 津 島江道遺跡」『岡山県埋蔵文化財報告 18』
(23)註 11及 び山本悦世 1990『 鹿田遺跡 Ⅱ』岡山大学構内遺跡発掘調査報告第 4冊
松本武彦 1993『 鹿田遺跡 3』 岡山大学構内遺跡発掘調査報告第 6冊
(24)草 原孝典 2002『 新道遺跡』
(25)出 宮徳尚 1985「 岡山県二 日市遺跡」『 日本考古学年報』35
(26)註 19及 び岡山県教育委員会 1981『 百問川長谷遺跡 当麻遺跡 I』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告 46
同 1982『 百間川当麻遺跡 2』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告 52
同 1984『 百間川原尾島遺跡 2』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告 56
岡山県古代吉備文化財 センター 1989『 百間川米田遺跡 3』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告 74
柳瀬昭彦 1996『 百間川原尾島遺跡 5』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告 106
(27)山 本悦世 2004「 縄文時代後期 の集落構造 とその推移」『岡山大学埋蔵文化財調査研究 セ ンター紀要 2003』
(28)山 本悦世 2006「 構内遺跡 における発掘調査資料の 自然科学的分析 」『岡山大学埋蔵文化財調査研究 セ ンター紀要 2004』
(29)野 崎貴博 2003「 岡山平野における弥生時代前期∼ 中期 の洪水 と集落の動態」『津島岡大遺跡 12』
(30)川 鉄テクノリサーチ 2004「 津 島岡大遺跡 (第 10次 ・第 19次 調査)出 土鉄滓類の分析」『岡山大学埋蔵文化財調査研究セ ンター紀要 2004』
表
:
記号
津 島岡大遺跡文献 一 覧
調 査 次
文
献
発 行 年
岡山大学津 島北地区小橋法 目黒遺跡 (AW14区 )の 発掘調査 (岡 山大学構 内遺跡発掘調
査報告第 1集 )
1
岡山大学津島地区遺跡群 の調査 Ⅱ(農 学部構内BH13区 他)
津島岡大遺跡 3(岡 山大学構内遺跡発掘調査報告第 5冊 )
岡山大学構 内遺跡調査研究年報 4
津島岡大遺跡 4(岡 山大学構 内遺跡発掘調査報告第 7冊 )
f
6・
津島岡大遺跡 6(岡 山大学構 内遺跡発掘調査報告第 9冊 )
7
津島岡大遺跡 5(岡 山大学構内遺跡発掘調査報告第 8冊 )
1995
津島岡大遺跡10(岡 山大学構内遺跡発掘調査報告第14冊 )
10。
12
津 島岡大遺跡 11(岡 山大学構 内遺跡発掘調査 報告 第 16冊 )
2003
津 島岡大遺跡 7(岡 山大学構内遺跡発掘調査報告第10冊 )
1995
津島岡大遺跡 8(岡 山大学構内遺跡発掘調査報告第12冊 )
津島岡大遺跡 9(岡 山大学構内遺跡発掘調査報告第13冊 )
I
津島岡大遺跡14(岡 山大学構内遺跡発掘調査報告第19冊 )
岡山大学構 内遺跡調査研究年報14
17・
22
津 島岡大遺跡 16(岡 山大学構 内遺跡発掘調査 報告 第21冊 )
2005
岡山大学構 内遺跡調査研究年報16
19・
津島岡大遺跡12(岡 山大学構内遺跡発掘調査報告第17冊 )
21
岡山大学構内遺跡調査研究年報16
23。 24。
t
25
津島岡大遺跡17(岡 山大学構内遺跡発掘調査報告第22冊 )
津島岡大遺跡15(岡 山大学構内遺跡発掘調査報告第20冊 )
津島岡大遺跡13(岡 山大学構内遺跡発掘調査報告第18冊 )
本書
紀要2002
- 6 -
2000
調査 に い た る経過
踏 船
第 2章
の経過 と概要
第 1節
に い た る経過
2002年 2月 に、津 島 キ ャ ンパ スの工 学部 2号 館 東倶1駐 車場 を中心 とした地 点 に、 自然科学系 総合研 究棟 の建 設
計画 が 具体化 した。周辺 で は北 に津 島岡大遺跡 第 7次 調査 (旧 工 学部情報 工 学科棟 :現 工 学部 4号 館 )、 南 に同
第 5次 調査 (大 学 院 自然科学研 究科棟 )が 実施 されて い る。第 7次 調査 では、縄文 時代後期 の炉や多数 の ビ ッ ト、
弥生時代前期 ・古墳 時代後期 の水 田畦畔等が検 出 されて い る。 また第 5次 調査 で は、縄 文時代後期 の河道 の脇 に
つ くられた貯蔵穴 や多 くの遺物 がみ つ か って い る。 また本地点 で は、1988年 度 に工 学部情報 工 学科棟 ・生 物応用
工 学科棟 の新営 が 予定 された際 に試掘 ・確 認調査 を実施 して い る①。 そ の調査 の結果、縄 文時代 の微 高地状 の地
形や 「黒色 土」層 の存在 が確 認 され、 また北 に向 か って谷状 に下が ってい くこ とが 予想 された。
以上 の ように既調査 の結果か らは縄文時代後期 の遺構 。遺物 が特徴的であ り、本地点においても、同時期の遺
構 。遺物 の存在が予想 された。
調査員 4名 が担当 し、まず校舎部分 の発掘調査 を実施す ることとなっ
そ こで2002年 4月 よ り約 7ヶ 月の予定 で、
た。本調査 地点は、校舎新営予定地 (以 下本体調査区 と記す)と 共同溝新営地点
(同 共同溝調査区)と
か らなる。
調査地点周辺 の交通事情 を勘案 し、本体調査 区の調査終了後 に、11月 よ り共同溝調査区について調査員 2名 が担
当 して発掘調査 を実施す ることとなった。調査面積 は合計 で1798ボ である。
第 2節
山
大
調査体制
長
学
学
河野伊 一 郎
調査 主体
岡
調査 担 当
岡山大学埋蔵文化財調査研 究 セ ンター
セ ン ター長
稲田
孝司
調査研 究員
調査 主任
助
手
忽那
敬 三 (4月 ∼ 9月 、11月 ∼ 1月
岩崎
志保 (4月 ∼ 9月 )
野崎
貴博 (4月 ∼ 6月 )
高田
浩司 (7月 ∼ 9月 、12月 ∼ 1月
横田
美香 (4月
山本
悦世 (7月 ∼ 9月 )
助
教
授
)
運営委 員会
委員 (発 掘調査年度 :2002年 度 )
千葉喬 三
セ ンター長 (文 学部教授)
稲 田孝 司
文学部教授
新納
文学部教授
久野修義
大 学 院 自然 科 学研 究科 教 授
柴 田次夫
大学 院医歯学総合研 究科教授
村 上宅 郎
埋 蔵文化財調査研 究 セ ンター助教授
山本悦世
環境理 工 学部教授
名合 宏之
(調 査研究室長)
大 学 院 自然 科 学研 究科 教 授
(調 査研究専門委員)
泉
施設部長
森 内壽 一
大 学 院社 会 文化 科 学研 究 科 教 授
新納
委員 (報 告書刊行年度 :2007年 度 )
セ ンター長 (事 務局長)
梶原憲次
- 7 -
泉
)
)
調査の経過 と概要
副 セ ン ター長 伏学院社会文化科学研究科教授)稲 田孝 司
大学 院社 会文化科学研 究科教授
久野修義
大学 院医歯薬学総合研 究科教授
大塚愛 二
埋 蔵文化財調査研究 セ ン ター准教授
山本悦世
大学 院 自然科学研 究科教授
柴 田次夫
(調 査研究室長)
大学院環境学研究科教授鯛査研究専Fl委 員),中
陽子
施設企画部長
第 3節
入江 良弘
調査 の経過
本体調査 区
2002年 4月 15日 よ り重機 に よる表 土 掘 削 を 開始 した。 周 辺 の既 調査 地 点 に よ り状 況 が 判 明 して い る近代 層 ま
で を重 機 で 除去 し、近 世層 よ り下位 につ い て入力 に よ り精査 しなが ら調査 を進 めて い くこ ととした。表土掘削が
進行 す るに従 って、比 較 的大 きな攪乱 部分 の存在 が わか って きた。調査 区北西部 には以 前 浄化槽 が設 置 されて い
た地 点 に あた り、東西約 8m、 南北約 10mの 範 囲 で 弥 生 時代 の包含 層 まで攪 乱 が 及 んで い た。 また調査 区北東
角 に も 5m×
5mの 範 囲 で、深 さ約 3m程 度 まで攪舌Lが 及 んで い た。 さ らに前述 の試掘坑 の位置が、調査 区の ほ
ぼ 中央付 近 にあた ってお り、これ らの攪乱坑 の壁面 を精査 して堆積状況 を確認 しつつ 、調査 を進 め る ことと した。
発掘調査 開始 は 4月 24日 で あ る。近世層 で あ る 3層 上 面 の精査 か ら入 り、耕作 痕 ・ 土 坑 ・溝 を確 認 した。 3
層 は鉄 分 。マ ンガ ンの沈着面 な どを手がか りに 3a・ 3b層 に細分 され る。 これ らを順 次 除去 し、5月 下旬 か ら
中世層 で あ る 4・ 5層 上 面 での調査 へ と進 んだ。 ここで は耕作痕 ・溝 と、土 坑 2基 を検 出 した。
6月 半 ばにか けて 中世層 で ある 5層 の 除去 に と りかか り、古代 の遺構 として 6層 上 面 で溝 2条 、次 い で 7層 上
面 で溝 2条 を検 出 した。 7月 には弥生時代 の調査 に進
んだ。 7層 下面 の状 況 は調査 区 の南北 で異 な り、北側
で は通常通 り 8層 以下 の土層が順 に堆積 す る一 方、微
高地 を呈 す る南 側 で は 7層 直 下 に10層 あ る い は 11層
が堆積 して い る状況が わか って きた。
調査 区北部 で は 8層 上 面 で弥生時代 中期 ∼後期 の遺
物 を含 む大溝 の調査 を行 った。続 い て 7月 下旬 か ら11
層上面、 す なわち「黒色土」上 面 にお い て水 田畦 畔 の
検 出 を進 めた。 8月 9日 には本体調査 区 の南半 にお い
て弥生時代前 期 の水 田畦 畔 の全 景撮影 を行 った。
8月 中旬 か らは11層 の 除去 に入 り、微 高地 にあた る
調査 区南半 で は13層 上 面 での多 数 の ビ ッ トの検 出 を進
めた。 120基 程度検 出 した ビ ッ トの うち、配列 を認め ら
れ る もの は なか った。 また炉址 、焼土 遺構 な どの遺構
は全 く認 め られ ず、全体 として遺構 密度 は希 薄 な地点
で あ る こ とがわ か った。調査 区北半 で は、 北 に向 か っ
て緩 やか に傾斜 して い く斜 面 の調査 を進 めた。斜 面部
分 で は遺構 は全 く認 め られ なか った が、縄 文後期 土 器
片 お よび石器 を多 く検 出 した。 最終 的 に微 高地 と斜面
部分 の土 層堆積状 況 を確 認 し、 9月 20日 に本体調査 区
上 :溝 1(弥 生中期
)、
の調査 を終 えた。
図
―-
8
-―
3
下 :水 田畦畔
調査風 景
(弥 生前期)
調査の経過
調査 期 間中、 8月 7日 に御津 町教 育委 員会 の依 頼 に よる小 学 生 の発 掘調 査体 験 を受 け入 れ た ほか、 8月 1・
5。
8日 の 3日 間 にわた り岡山大学文学部博 物館 実習 の学 生 の受 け入 れ を行 った。
調査 中 の 5月 23日 に、植 物珪 酸体 分析 ・花粉 分析 のため、土壌 サ ンプ ル採取 を実施 した。 また 13層 上 面 で検
出 した 5基 の杭 につ いて、 うち一本 の サ ンプ ル を採取 して放射性炭素年代測定 を行 う こ ととした。
共 同溝 調査 区
2002年 11月 28日 よ り重機 に よる表 土掘 削 を 開始 した。 12月 2日 よ り調 査 員 2名 の体 制 で 発 掘 調査 を 開始 し
た 。表土掘 削 中 に検 出 され た現代 の 道路状 遺構 の調査 のの ち、近世 。中世 面 にお い て は耕作 痕 を調査 した。 12
月下旬 か らは弥 生 時代 の遺構 面 の調査 に入 り、 11層 上 面 で、 本体 調査 区 と同様 に弥 生 時代 前期 の水 田畦畔 を検
出 した。1月 9日 よ り縄 文時代後期 の遺構 面 の調査 を進めた。 ビ ッ ト数基 の調査 を終 え、最終 的土層堆積状況 を
確 認 して、2003年 1月 15日 にす べ ての調査 を終 了 した。
1月 15日 には 岡山理科大 学 の 白石純氏 に よ り、土壌 分析 のための サ ンプ ル採取 を行 った。 11層 (黒 色 土 )の
成 因 につ い ての情報 を得 る とが 目的 で あ る。
第 4節
調査 の概要
①縄文時代後期
本体調査区の北半は北に向かって緩やかに傾斜す る緩斜面をなし、南半から共同溝調査区の北半にかけては微
高地が形成 され、共 同溝調査 区南半
は、南 に 向 か って傾 斜 を認 め る こ と
107-20
107-00
が で きる。南 北 の 長 さ30mほ どの
微 高地 上 で は ビ ッ ト多数 と土 坑 1基
を検 出 した。微 高地 上 での活動痕跡
_
は希 薄 で あ り、集落 の縁辺部 にあた
る もの とみ られ る。 遺構 が希 薄 であ
る一 方 、縄 文後期 の遺物 としては石 ―
器 。土器 の 出土があ り、特 に石器 の
多 さが注 目され る。
②弥生時代早期・ 前期
一
調査 区北半の傾斜面 と微高地 との
比高差は減少 してい くものの、基本
的な地形 は踏襲 されてい る。早期 の
遺構 は共 同溝調査 区 の焼土遺構 1基 で あ る。 11層 上 面 では微 高地部分
0
10m
で弥 生 時代前期 の水 田畦畔 を検 出 した。畦畔 は 3∼ 10ぷ 程 度 の不 定型
(S=1/400)
一 一 ∧X-6□
―
囲
な小規模 区画 となって い る。
③弥生時代中期∼古墳時代
8層 上面 では本体調査区の北側 に東西方向に蛇行する大溝
(溝 1)
縄文
弥生
回
古墳
陶
古代
□
中世
一― AX-8圃
近世
□
現代
が掘削 される。溝 1で は弥生時代中期 の土器 を多 く出土す る。調査区
.
北東隅では溝 1を 切 る溝 2を 検出 した。微高地上では、北東か ら南西
方向 の ビ ッ ト列 を伴 う溝 (溝
3)と 同 じ方向 の小規模 な溝
(溝
4)
を検 出 した。 いず れ も古墳時代前期 と考 え られる。古墳時代前期 ま
- 9 -
図4
検 出遺構全体 図
調査 の経過 と概要
で の 遺構 は、 畦 畔 ・ 溝 と も地 形 の 傾 斜 に沿 った 方 向 を とって い る と言 え る。
④古代 ∼中世
古代 に比定 される 7層 の堆積段階までに、微高地 と傾斜面 との比高差 はほぼ解消 されてい る。微高地部分では
11層 上 に 7層 の堆積 が認 め られ、耕作等 による削平 を くり返 し受 けなが ら、次第 に平坦 な地形へ と進んでい っ
た ことが窺 える。古代 の遺構 としては南北方向の溝 4条 を検出 した。全体 として遺物 の出土は少ない。耕作地 と
して利用 されていた もの と考 えられる。
中世段階では鋤溝 と考 えられる細長 い溝 を多数検出 したほか、やや幅広 の南北方向の溝 6条 を検出 した。 これ
らの溝 には畝 に伴 う もの も含 まれる。古代 ∼ 中世 の溝 はいず れも南北方向であ り、少な くとも古代には、それま
での 自然地形に沿 った方向か ら、正方位 に乗 っ取 った区画に変わったことが窺える。
⑤近世∼現代
近世 では土坑 3基 を検出 した。近世層 は鉄分 とマ ンガ ンの沈着 によ り細分 できる土層 の堆積 か らなっている。
全体 に平坦 な地形 をな してお り、耕作地 としての利用 されていたのであろ う。
その他共同溝調査区では造成土内で近代 の道路状遺構 を検出した。両脇 に石敷 きの側溝 を伴 うもので、陸軍駐
屯地 の造営後、昭和20年 頃まで使用 されていた道路 と考え られる。
表2
検出遺構一覧
a.土 坑
番号
1
2
地区
平面形
断面形
AW06-19
楕 円
皿形
隅丸長方形
U字 形
時期
AX06AX06-31
AX07-12
折 冊
折 世
4
近世
隅丸長方形
皿形
楕 円
U字 形
規 模 (mリ
長辺
短辺
底 面標 高 (m)
深 さ
l
b.溝
番号
規 模 (m)
断面形
時期
幅
弥 生 中期
皿形
弥生後期
底 面標 高 (m)
深 さ
04-10
28-48
U字 形
01-06
1
7-1
165-17
8
185-2.05
皿形
U字 形
皿形
7
9
11
古代
皿形
古代
皿形
古代
皿形
古代
皿形
中世
皿形
中世
皿形
中世
皿形
中世
皿形
中世
皿形
中世
皿形
07-11
0.2-11
-015
01-015
0
0
07
0
0
25
2
2
2
3
95
95
95
05
c.焼 土遺構
番号
地区
平面形
AX06-44
楕 円
時期
(1)絹 川一徳 1989「 工学部校舎
断面形
規模
長辺
(m)
短辺
深 さ
『岡山大学校内遺跡調査研究年報』 6
(情 報工学科棟 ・生物応用工学科棟)新 営予定地」
―-
10 -―
底 面標 高 (m)
1988年 度
調査地点 の位置 と区割 り
第 3章
第 1節
調 査 の記録
調査地点 の位置 と区割 り
1.調 査 地 点 の 位 置
本 調 査 地 点 は津 島 岡大 遺跡 の 北
=7-次
」
」
讐
(第
9次 調査
:―
東 部、 工 学 部 の 敷 地 内 に位 置 し、
工 学 部 2号 館 の東 隣 に位置す る (図
5)。
津 島地 区構 内 に設定 した構 内
6号 館
座標 で はAW∼ AY06∼ 08区 にあた
る。調査 以前 は駐 車場 と して利 用
(生 物機 能工学科 )
lll国
され て いた地点 であ る。
国
北 側 に第 7次 調 査 地 点 (情 報 工
学科棟 )。 第 6・ 9次 調査 地点 (生
物応用 工 学科棟 )、 そ して南 に少 し
離 れ て 第 5次 調査 地 点 (大 学 院 白
然科 学研 究科棟 )が 位 置す る。
2。
レ2]本 調査地点
EE]既 調査地点
(S=1/1500)
図5
調 査 地 点 の 区割 り
○
試掘
確 認調 査 地 点
発掘調査地点
調査にあたっては50m区 画の構内座標内をさら
07T20
に 5m区 画の細分 した区割 りを使用 している。
07T00
06T80
06T60
06T40
06T20
その 区割 りに従 う と、本体調査 区 は東側 が
AW06-26∼ AX06-22区 、西側 AW07-26∼
AX07-22区 の 間 に拡 が り、共 同溝 調 査 区 は
AX06-43・
56・
53、
AX06-44・
54、
AIA/-8
AX06-55。
57に 位 置す る (図 6)。
調査 にあたって は、上述 のグ リッドを基準 と
してAX-0ラ イ ンで 南 Jヒ に、 また 06-70ラ
イ ンで 東 西 に分 割 した 1∼ 4区 毎 に、遺 物 の
取 り上 げ等 を行 った。そ の 区割 りは図 6に 示 し
た通 りで あ る。
第 2節
1。
層序 と地形
層序
図6
本体調査区では調査区の中央付近 に東西南北
調査区 の 区害Jり と土層断面位置
方向 の土層観察用 の土 手 を設定 した。東西方
向 はAX-0ラ イ ンにほぼ沿 った位置 に、 また南北方向には06-70ラ イ ンに沿 った位置 にあたる (図 6)。 ここ
では地形の全容が把握 しやす い と考 えられる南北方向の土層断面 を示 した (図 7)。 東西方向 については柱状図
―-
11
-―
EON
卜
幽聟
幽圏
幽 o〓
興 ρ〓
幽〓
幽 “目
興 OoH
幽8
幽 ”oH
幽0
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一
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︵
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一
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51
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TΣ .
し ︿
引せ紫刹颯﹀引凱合J璽楓
︿
引母蒸ゼ颯﹀引楓OJК肛IJК
引昼剌
調査 の記録
51
層序 と地形
(A・
B)を 示 して い る
(図 7)。
また共 同溝調査 区 にお い て も南北方 向 を示す 土 層 を提示 し、 あわせ て本調査 地
点 の基本 的 な堆積 土層 の説 明 を記す こ ととす る。
<1層 >
造成土 で あ る。1907∼ 1908年 に実施 された旧 日本 陸軍駐屯 地造営 に伴 う造成 土 お よび、 岡山大学設置
以 降 の 造成 土 で あ る。 現 地 表面 の標 高 4.35∼ 4.83mで あ る。 共 同溝 調査 区 で 道路状 遺構 を確 認 した こ とか ら標
高3.5m前 後 までが陸軍 に よる造成土 で あ り、 それ よ り上 位 は1945年 以 降 の造成土 と分 け られ る。
<2層 >
近代 の耕作 土 層 で あ る。 灰色 ∼ 青灰色砂 質 土 で、 鉄 分 ・ マ ンガ ンを多 く含 む。 上 面 の標 高 は3.45m前
後 で あ る。 本調査地点 で は、 周辺 の既調査地点 の成果 を参考 として造成土 お よび 2層 まで を重 機 に よって 除去 し
た。
<3層 >
近世 の耕作 土 層 で あ る。黄褐色砂 質 土 を基調 とし、鉄分 ・ マ ンガ ンの沈着面が数次 に観察 され る。沈着
面 と色 調 に よ り 3a∼
3c層 に細分 で きる ところ もあ る。
細分 で きる箇 所 で は 3a層 は淡黄 白色砂 質 土 層、 3b層 は明黄褐色砂 質 土、 3c層 は明黄灰褐色砂 質 土 で、 い
ず れ も鉄分 ・マ ンガ ンを多 く含 む。 3層 上 面 の標 高 は3.15∼ 3.25mで あ る。 い ず れ の層 か らも ご くわ ず か に近
世 陶器 の小 片 が 出土 した。
<4層 >
中世耕作 土層 で あ る。 4層 上 面 の標 高 は3.1∼ 3.25mで 、調査 区全体 を通 して ほぼ水平 に堆積 が 認 め ら
れ る。灰褐色弱粘 質土 を基 調 とし、4a∼
4c層 の三枚 に細 分 され る。 4a層 は暗灰褐色弱粘 質土、下 方 に鉄分
が沈 着す る。 中世 の須恵器甕片や土 師質土器椀 の小 片が 出土す る。 4b層 は明灰褐色弱粘 質土 で、 鉄分 を多 く合
む。 出土遺物 には土 師質 の椀小 片や鍋がみ られ る。 4c層 は明灰 白色砂 質土層 で鉄分 の沈着が認 め られ、 マ ンガ
ンは少 な い。土師質土器小 片、須 恵器小 片が 出土 して い る。 また本体調査 区か ら土 師質 の埴輪片 一 点 の 出土が認
め られた。
<5層 >
中世耕作 層 と考 え られ る。 暗灰色粘 質 土 を基調 とす る。 5層 上 面 の標 高 は3.Om前 後 で あ り、調査 区全
調査区北壁 (06-60ラ イン付近)
図8
土 層断面図 2
- 13 -
調査区東壁 (AX-0ラ イン付近)
調査の記録
5b層 の二枚 に細 分 され る。 5a層 は灰 褐色 を呈 す る粘 質
土 で、 粘 性 は さほ ど強 くない。下方 に鉄分が沈着す る。 須恵器杯 片、 土 師器甕 の小片が 出土 して い る。 5b層 は
体 でほぼ水平堆積 が認 め られ る。色 調等 に よ り 5a・
暗灰褐色弱粘質 土 で、や は り下方 に鉄分 の沈着 が認 め られ る。 5層 出土遺物 には古墳 時代 ∼ 中世 の ものが 認 め ら
れ、 そ の 中 には勾 玉 1点 (共 同溝調査 区)も 含 まれ る。
<6層 >
古代 の包含層 で あ る。本体調査 区 の全 体 に堆積 が認 め られ るが、 共 同溝調査 区 では上 層 に削平 され、堆
6b層 の二枚 に細分 さ
れ る。 6a層 は灰 白色粘質 土 で、 粘性 は弱 い。須恵器杯 の小 片、土 師器杯 片が 出土 して い る。 6b層 は暗灰色粘
積 が認 め られな い。灰色 を基調 とす る粘 質 土 で、 層厚 の あ る本 体調 査 区 の北半 で は 6a。
質 土 で あ る。 い ず れ の層 も鉄分 ・ マ ンガ ンを多 く含 む。 6層 上 面 の標 高 は本体 調査 区北端 で2,7m、 本体調査 区
南端付 近
(AX-1ラ イ ン付 近 )で 2.9mを 測 る。 高低 差 が大 きい ところで20cm前 後 とやや起 伏 の あ る地形 をな
して い る。
<7層 >
古墳 時代前期 の包含層 で あ る。黄灰色 ∼淡灰色 を基調 とす る砂 質 土層 で あ る。調査 区の全体 で堆積 が認
め られ るが、上面 の標 高 は本体調査 区北端 で2.6m、
AX-1ラ
イ ン付 近 で2.9m、 共 同溝調査 区南端 で2.8mを 測
り、高低 差 が もっ とも大 きい ところで は30cmと な り、起伏 の あ る地 形 を呈 して い る。 出土遺物 は弥 生 時代 中期
∼古墳 時代前期 の ものが含 まれ る。
<8層 >
弥 生 時代 中期 の包含 層 で あ る。 暗灰 色 ∼ 灰色 を基 調 とす る粘 質土 で、 本体 調査 区 の 北 半、AX-0ラ
イ ン付 近以北 と、 共 同溝調査 区 で堆積 が 認 め られ る層 で あ る。 AX-0∼ 2ラ イ ン付 近 で は基 盤 となる地 形 が高
い こ とか ら、 8層 が堆積 して い た として も古墳 時代 以 降 の削平 に よって消 失 して い る。 8層 上 面 の標 高 は本体調
査 区北端 で2.5m、
AX-0ラ
イ ン付 近 で2.6m、 共 同溝調査 区南端 で2.6mを 測 る。 出土遺物 には弥生 中期 の 甕小
片が見 られ る。 調査 区北端 を東西方 向 に流 れ る溝 1は 8層 上面 で検 出 した遺構 で あ る。
<9層 >
時期 の確 定 はで きな い が弥生 時代 前期 ∼ 中期 と考 え られ る。 淡灰色 ∼ 暗灰 白色 の粘 質 土 で あ る。 本体
調査 区 の北半、 AW-9ラ イ ン以北 と、 共 同溝 調査 区 の南端、 AX-7ラ イ ン以南 の み に堆積 が 認 め られ る。 9
層 上面 の標 高 は調査 区北端 で2.4m、 共 同溝調査 区南端 で2.6mで あ る。 出土遺物 には弥 生土 器 の小 片が わず か に
見 られ る。
<10層
>
時期 の確 定 はで きな い が弥生 時代 前期 ∼ 中期 と考 え られ る。 本体 調査 区北 半、 AX-0ラ イ ン以北 と
共 同溝 調査 区に堆積 が認 め られ る。灰色 粘質 土 で、色 調 の違 い に よ り調査 区北半 で は灰色 を呈す る10a層 と、 暗
灰色 を呈す る10b層 とに細分 で きる。 出土遺物 には弥 生土器小 片 の ほか、 突帯文 土器 の回縁小片 もご くわず か に
み られ る。上 面 の標 高 は調査 区北端 で2.2m、
<11層
>
AX-0ラ
イ ン付近 で2.55m、 共 同溝調査 区南端 で2.5mを 測 る。
津 島岡大遺跡 で鍵層 となる「黒色 土」 にあた る。 暗褐色 ∼ 黒褐色 を呈 す る粘質 土 で、津 島地 区一 帯 に
そ の拡 が りが確認 されて い る。本調査地点 で も調査 区 の全体 で堆積 が認 め られ るが、地形 の傾斜 に よって層厚 は
異 な ってお り、本体 調査 区北 半 で最 も厚 く、厚 さ50cmほ どで あ る。地 形 的 に高 い ところに あ た るAW-9ラ イ
ン付 近 で は約 20cmの 厚 さで堆 積 が見 られ る。 さ らに南 の 共 同溝 調査 区 で は 11層 全体 の厚 さは30∼ 40cmを 測
AZ-0ラ イ ンで は2.5m、 共 同溝 調査 区南端 で2.5mで あ る。 本 層
上 面 の 比 高差 は最大 で0.45mで あ る。 AZ-0ラ イ ン付 近 で は 11層 の 直 上 に 7層 が 堆積 してお り、 上 面 は削 平
る。上 面 の標 高 は本体 調査 区北 端 で2.05m、
を受 け て い る。 11層 は全 体 に鉄 分 ・ マ ンガ ン を多 く含 んでお り、色 調 の濃 淡 や鉄分 ・ マ ンガ ン等 の含 みか た に
よ り、部分 的 に 2∼ 4枚 に細分 で きる。 1l a層 は黒色 粘質 土 で、 鉄分 ・マ ンガ ンを多 く含 んで い る。 出土遺物 に
は弥生前期土器 の小 片、突帯文 土器小 片 を ご くわず か に含 む。 本層 の上 面 で水 田畦畔 を検 出 して い る。1l b層 は
淡黒色 ∼ 黒褐 色 粘 質 土 で、1l a層 に比 して しま りが よい。 1l c層 は暗灰 色 ∼ 暗黒褐色 粘 質 土 で、 下方 に い くに
つ れ、青灰色 粘 土 ブ ロ ックが 目立 って くる。1l a∼ 1l c層 の 変化 は漸 移 的 な もので あ り、 明確 に分 け る こ とは
で きな い 。時期 として は弥 生 時代早期 ∼前期 と考 え られ る。
<12層
>
微 高地部分 で縄 文 時代 後期 の基 盤 をな して い る層 で あ る。 AW-8か らAX-7ラ イ ン間 に堆積 が認
―-
14 -―
層序 と地形
め られ る。 淡黄褐色 ∼ 黄褐色 を呈 す る砂 質 土 層 であ る。上面 の標 高 は2.0∼ 2.2mを 測 る。上面 で ピ ッ ト多 数 ・
土坑 を検 出 して い るほか、上 面 で縄 文後期 土器片等 の 出土が見 られ る。本層 の 時期 は縄 文時代後期 と考 え られ る。
AW-9ラ イ ン付 近 で は13層 へ の漸移 的 な層 と して12a層 (暗 褐色粘質土 )の 堆積 が認 め られ る。
<i3層 > 淡青灰 ∼ 暗青灰 色 を呈 す る粘 質 土層 で、 本 調査 区 で は本体 調査 区北 半 ・共 同溝 調査 区 のAX-7ラ
イ
ン以南 で堆積 が認 め られ る無遺物層 で あ る。上面 の標 高 は本体調 査 区北端 で 1.6m、 最 も地形 的 に低 くな る本体
調査 区 の北 西 角 で 1.5m、 共 同溝調査 区 で2.lmを 測 る。上面 で は縄 文後期 土器 片少 量 が 出土 して い る。 12層 と
同様、縄 文時代後期 の基盤層 をな して い る土層 にあた る。
2.地 形 の 推 移
以上 に概述 した層序関係 か ら、本調査地点の時期 ごとの地形 の推移 についてまとめてみよう。
①縄文時代後期
縄文時代後期 までに形成 された土層 は13層 と12層 である。縄文時代後期 の段階 では本体調査区南半 が微高地
をなす。最 も高 い地点 で標高2.6mの 等高線 が巡 る。ここか ら北、少 し北西方向に向けて緩やかに下がってい く
地形 を呈 し、最 も低 い地点 にあたる調査 区北西角 では標高 1.3mの 等高線 が巡 っている。高低差 は最大 で1.3m
を測 る。北側の既調査地点である第 6次 。第 9次 調査 で認 め られた縄文時代後期 の河道へ と続 く湿地状 の地形を
呈 していた もの と考え られる。微高地 よ りも南 に向かっては、北か ら南へ 向かってわずかに傾斜 してい ることが
わかる。共同溝調査 区の南端 の標高 は1.85mと 、微高地 との高低差 は0.6m程 であ る。 この緩やかな傾斜面 が、
第 5次 調査地点 で検 出されてい る縄文時代後期河道へ と至るもの と考え られる。
②弥生時代 ∼古代
弥生 時代前期 までに本調査 地点一帯 には11層
(「
黒色土」層)が 形成 される。調査区北端 と微高地部 との比 高
差 は0.45cmと な り、傾斜面 は緩やかになるが基本的な地形 は踏襲 されてい る。微高地部分 には11層 上面、つ ま
り弥生 時代前期 の畦畔が作 られてい る。
古墳 時代前期段 階 (7層 上 面 )に は微 高 地 部 と調査 区北端 との比 高差 0.3mと なるまで、 8∼ 10層 の堆積 に
伴 って傾斜面が埋没す る。微高地 では11層 の直上に 7層 の堆積 が認め られる ことか ら、耕作等 に伴 い削平が繰
り返 されなが ら次第 に平坦化 に向か うことが窺 える。古代 には 6層 上面段 階での比 高差0.2mと ほぼ平坦 な地形
の拡が りが認め られる。
③中世 ∼近世
4・
5層 は灰褐色 ∼暗灰色 を主体 とす る粘質土層 で、ほぼ水平 に堆積す る。出土遺物 に勾 玉 ・埴輪 を含む古墳
時代 ∼ 中世 の遺物 を含む土層で、中世段階 に大 きく削平が行われてい ることを示唆する。中世以降、 ほぼ平坦な
地形が拡が り、耕作 地 として利用が続 け られてい くこととなる。近世 の地形 もほぼ同様 であ るが、 中世 の土層 が
灰色 で粘性 の高い粘質土であるのに対 し、近世土層は黄褐色 の砂質土である点が大 きく異なる。 いず れの層 も鉄
分・マ ンガンを多 く含 む耕作土 と考 えられ るが、土質の違 いが大 きいことか ら耕作方法 の違 いが予想 される。
第 3節
縄文時代 の遺構 ・遺物
縄文時代 の遺構 は12・ 13層 上面 で検 出 した土坑 ・ ピ ッ トで あ る。縄 文時代 の本調査 地点 は、全体 に北 に向 か っ
て緩 や か に傾 斜 して い く地形 をな してお り、 AX-1ラ イ ン付 近 に標 高 2.5∼ 2.6mの コ ン ター が巡 る東西 に長 い
微 高地 を呈 して い る。 本体調 査 区 での 南北 の 高低 差 は約 1.2∼ 1.3mで あ る。共 同溝 調査 区 にお い て は、 微 高 地
か ら南 へ 向 か って、徐 々 に傾斜 して い く地点 にあた り、 同調査 区 での南北 の高低差 は約 20cmを 測 る。
―-
15 -―
調査 の記録
:据
(ネ
0
l◎
f◎
滸 。
。嚇占
■%ミ 。
1・
Q珊
◎
弔
ざ
10m
(S=1/400)
ピット
左上 :a類
左下 :b類
右上 :c類
図9
a.土
(上 図①)
(上 図②)
(上 図③)
縄文時代検 出遺構全 体 図
坑・ ピッ ト
土 坑 ・ ビ ッ トは計 136基 を検 出 した (図 9∼ 11)。 これ らは標 高2.0∼ 2.6mの 地点 で 出 されて い
検
る。 出土遺 物
はほ とん どな く、埋 土 に炭化物 ・焼土 を含 む もの もなか った。平面形 は丸形 ∼
深
:(図 10)
AW06-19区 に位 置 す る。 13層 上 面 で検 出 され た。 検 出面 の標 高 は2.3m、
底 面 の 標 高 1.9mを 測 る。 北 半
楕 円形 を呈 し、 径 7∼ 120cm、
さ 4∼ 36cmで あ る。 これ らの うち、土坑 1基 と、代 表 的 な ビ ッ トを以 下 に例示 して、
概要 を記す。
土坑
を調査 区 の側溝 に よって削平 されて い るが 、東西 に長 い楕 円形状 をなす もの と
考 え られ る。長径 1.18m、 深 さ0.4m
で ある。埋 土 は 4枚 を確 認 し、 淡黒色 ∼ 淡青灰色 を基 調 とす る
で
粘 質土 あ る。
出土遺 物 は な く、炭化 物 ・焼土 は認 め られ なか った。 そのため本土坑 の用途 につ い
て は不 明 で あ る。
―-
16
-―
縄 文 時代 の 遺構 ・遺物
06-20ラ イン
m
P
N
I
十
︲
︲
И
川
、
月
北
2 4m ar
ピ ッ ト (図 9)
埋土によって大 きく4類 に分けた。 a類 〈
33基 〉は
灰色系 の粘質土で、径 7∼ 120cm、 深さ 5∼ 22cmで あ
1.
る。 b類 〈
65基 〉は暗灰色粘質土を埋土 とし、径 18∼
淡黒色粘質土
2. 暗黄色粘質土
3. 暗黄灰色粘質土
129cm、
4. 暗灰色粘質土
黒色粘質土を埋土とし、径16∼ 87cm、 深さ 4∼ 28cmで
(S=1/30)
図 10 土坑
深 さ 9∼ 34cmで ある。 c類 〈
27基 〉は暗褐色∼
ある。 d類 (11基 〉は黄灰色粘質土を埋土 とする。径22
∼86cm、 深さ 7∼ 35cmで ある。規模 については各類 と
i
もば らつ きがある。 この うち a類 については、断面形状等か ら自然 の落ち込みの可能性 も考えられる。その他 の
b∼ d類 に関 しては、 しっか りとした形状 の もの も含 まれてお り、柱穴 の可能性 を残すが、配列 に規則性は め
認
られず、 また出土遺物 もきわめて少ないこ とか ら、用途・機能の断定はで きない。
b.杭
杭 1∼ 5は
AX06-61区 、13層 上面 で検出 した
(図 11)。 検出面 の標高 は 2.5mを 測 る。検出面か ら杭先端
までの深 さは 10∼ 32cmで ある。杭 は本質がわずかに遺存する部分 と、すでに朽 ちて粘土 した
化
部分 とが あ り、
取 り上 げ ることは困難 であ った。 これ らの杭 はほぼ垂直に打ち込 まれた ものが 1点 (杭 1)、 南→北に傾
くもの
が 1点 (杭 2)、 北→ 南 に傾 くものが 1点 (杭 3)、 南西→ 北東向 きが 1点 (杭 5)、 西→
東向 きが 1点 (杭 4)
であ り、 向 きや配置 には規則性 は認 め られなかった。
この うち杭 2に ついてサ ンプ リングを行 い、年代測定分析 を実施 した
(第
4章 参照)。 調査時には縄 文時代後
期 の遺構 面 に伴 うもの として記録
をお こなったが、 年代測定 の結果
で は 1310± 50B.P。 との値 が 出て
い る。 この こ とか ら古代 以 降 の も
ので あ る可能性 が 高 い と考 え られ
るが 、古 代 以 降 の遺構 と も関連 す
る位置 には な い。検 出面か ら古代
層 で あ る 6層 上 面 まで の 層 厚 は
40cmで あ る。
図 l:杭 1∼ 5
―-
17
-―
調査 の記録
第 4節
弥 生 ∼古墳 時代 の遺構 ・遺物
弥 生 時代 の遺構 と して、 早期 に比 定 され る焼 土遺構 1基 を11層 中で、前期 の水 田畦畔一面 を11層 上面で検出
した。 また 8層 上面 で弥生時代 中期 に比定 され る溝
1、
溝 2を 検出 した。古墳時代 の遺構 としては溝 3・ 4を 10
∼ 11層 上面 で検 出 して い る。
AW-8
│
※コンターは 11層 上面のものである。
11層 直上の土層は以下の通 り
5層
7層
弥生時代の遺構 IR璽 園
古墳時代の遺構
?
1♀ m
(S=1/400)
│
図 12 弥生 ∼古墳時代検出遺構全体図
―-
18
-―
│三三コ
弥生 ∼古墳時代 の遺構 。遺物
1.弥 生 時 代 早 期 ・ 前 期
弥生時代早期 の遺構 は、共同溝調査区の焼土遺構 1基 であ る。前期の遺構 は、微高地 に形成 される水田畦畔で
ある。縄文時代後期 には最大1。 3mあ った比高差が、11層 の堆積 が進んでい く段階で次第に減 じてい き、前期段階
には比 高差0.45mと なる。微高地 とその北佃1の 緩斜面 とい う基本的な地形は、前段階を踏襲す る ものであ る。11
層上面の地形 は標高2.85mを 測 る微高地 と、北へ緩やかに下る斜面部 とか らな り、調査区北端 の標高 は2.2mを 測
る。11層 上面 の水田畦畔 は標高2.6∼ 2.8mで 検出されてい る。標高2.8mよ りも高 い地点では11層 直上に古墳時代
層 である 7層 、あるい 中世層 であ る 5層 が堆積 し、微高地頂部が削平 を受けてい る こ とは明 らかである。一方北
側 の傾斜面では標 高2.4mの 等高線以北 で傾斜が大 きくな り、谷状地形へ とつ ながってい く状況が窺える。
06-50ラ イン
の分布範囲が拡が り、本来は径60cmほ どの楕円形状 になる ものと思わ
焼土集中
れる。掘 り込み は見 られず、平地 で焼 けた ものであろ う。燃焼面 もそ
Eコ
れほど顕著 ではないことか ら、燃焼場所は別 にあることも考えられる。
匡ヨ 焼土分布
出土遺物 はな く、検出層位か ら本遺構 の時期 は早期 と考えてい る。
b.水 田畦畔
0
1m
(図 12・ 14)
AW-9∼ AX-2ラ イ ン間 と、AX-5∼ 7ラ イ ン間で検出 した。
検 出面 の標高 は2.6∼ 2.8mを 測 る。AX-2∼ 5ラ イ ン間では11層 上
面に古墳時代以降の削平が及んでい ることか ら水 田畦畔 も削平 されて
しまってい るもの と考えられる。
水 田は地形 の傾斜 にあわせ て 区画 されてお り、一筆 の規模 は最大
で3.5× 4.Om、 最小 で1.5× 1.8mで ある。不完全 なもの も含めて34
筆 を確認す ることがで きた。傾斜 にあわせた東西方向の畦畔が優勢 と
み られる。畦畔の高 さは 2∼ 5cm程 度が確認 される。
これ らの畦畔の時期は、11層 上面に形成 されていること、 また11層 か
らはわずかではあるが、突帯文土器、弥生前期土器の小片が出土す るこ
とから、弥生時代前期のものと考えられる。
図 i3 焼土遺構
図14 水田畦畔
-
19
-
調査 の 記録
2.中
a口
期
溝 (図 15∼ 17)
本体 調査 区 の北辺 を東西 方 向 を主 と しなが ら蛇行 す る溝 で あ る。 AX-9ラ イ ンの北側 に位 置す る。06-10∼
70ラ イ ンまで は北東 か ら南西方 向 に、06-70∼ 80ラ イ ンで南東 ∼北西方 向へ と蛇行 し、06-80ラ イ ン以西 で は再
び北東 ∼南西方 向 を とる。標 高2.45∼ 2.55mで 検 出 した。幅2.8∼ 4.8m、 検 出面 か らの深 さ0.88∼ 1.28mを 測 る。
溝 lb〉 とに分 け られ、以下記述 を分 け る こ ととす る。
溝 la〉 ・ 上 層溝 〈
形状 と埋 上 の状 況 か ら下層溝 〈
溝
ia(図 15)
溝 lbと ほぼ重 複す る流路 と考 え られ る。 そ のため、本溝 は底 の 1∼ 2層 (a断 面 10層 ・ b断 面 7∼ 8層 )を
確 認す るのみであ る。埋 土 は暗灰色 ∼ 暗青灰色粘 質 土 である。溝 の規模 は幅0.4∼ 1.Om、 深 さ0.1∼ 0.6mが 残 る。
底 面 の レベ ル は a断 面 で 1.65m、
b断 面 で 1.7mを 測 り、 わず か に東 が低 い傾 向 にあ る。 c断 面 は最 下層 で あ る
9層 が 粘質 土 で あ る点 は a・ b断 面 と共通す る。 しか し断面形状 は、緩 やか な皿形 で あ り、 U字 形
とは大 き く異 なる。そ の境 は06-80ラ イ ン付近 と見 られ、少 な くともこれ よ り以東 に溝
(a・
b断 面
)
laが 走行 して い た可能
性 が高 い と考 え られ る。 周辺 で は、 本調査 地点 の北東 に位置す る津 島岡大遺跡 第 6次 調査 地点 に類似 す る溝 が検
出 され て い る。 SD 2は 第 6次 調査 点 の南端 で 長 さ約 20mが 検 出 されて い る。埋 土 ・形状 が近似 してお り、蛇行
す る流路 も同様 で あ る。SD 2は 底面 の レベ ルが1.55∼ 1.75mと 西 か ら東 へ の流 れ と考 え られて い る溝 であ る。
laか らは時期 の判別 で きる もの は出土 してお らず 、 ご くわず か に弥生土器 とわか る程 度 の小
片があ るのみであ る。溝 lbの 掘削面 は調査 で は明 らか にで きず 、水 田面 との 関係 は不 明 で あ る。 本溝 の時期 と
出土遺物 で は溝
しては、既調査 の成果 も併 せ て前期末 ∼ 中期 と考 え られ る。
溝
lb(図 15)
断面形 が緩 や か に 開 く皿形 をなす溝 で、 検 出面 の標 高2.45∼ 2.55m、 底 面 の標 高 1.85∼ 2.05mを 測 る。 前述
した c断 面 の 9層 まで を本溝 に含 めた場合 は最西端 での底 面 の標 高 は1.7mと なる。傾斜 を考 える と溝
lbは 東
か ら西 へ の流 れ を想 定 で きる。幅 は最小 で2.8m、 最大 で4.8mを 測 り、深 さは0.7∼ 0.8mで あ る。 調査 区東端
で は幅 が狭 くやや深 い、 断面 U字 形 をなす溝 が、西 へ 行 くにつ れ幅 が広 く浅 め に な り、 断面 形状 も緩 やか な皿
形 をなす よ うに変 わ る。埋 土 は淡灰色 ∼ 暗灰色系 の砂 質土 を主体 として い る。溝
lbの 最下層 には暗灰色粘 質土
(a断 面 8層 、 b断 面 6層 、c断 面 7層 )が 堆積 し、そ の後暗灰 ∼灰色系 の砂 質 土が堆積 す る。 こ うい った堆積
状況が幾度 か繰 り返 されて い る こ とか ら、少 な くと も二 回 の掘 り換 えを窺 え、最終 的 な流路 としては灰色粘質 土
(a断 面 3層 、 b断 面 3層
)、
暗灰色粘 質 土 (c断 面 2層 )が 底 にな る もの と考 え られ る。 c断 面 につ いて は溝
laの ところで も触 れたが、全体 が溝 lbの 埋 土 で あ る可能性 も比定 で きない。溝 lbの 時期 は後述す る遺物 の
内容 も併 せ て弥 生 時代 中期後半 と考 え られ る。
溝
laの 埋 没後、弥生 時代 中期 中葉 以 降 に機 能 した溝 lbは 第 13次 調査 地点SD15、
第 12次 調査 点SD 2に つ な
が る可能性 を有す る。
溝 l出 土遺物
lbか らは コンテナ (約 28イ κ)で 3箱 の遺物 が出土 した。そ の 内訳 は土器 2箱 ・石器 6点 ・木器 1点
で あ る。 調査 時 には溝 laと lbを 三 分 せ ず 、大 まか に上層 。中層 ・下層 の三 つ に分 け た。 遺物 の 出土 が 多 く
見 られた のは 中層 で あ り溝 lbの 底 にあた る もの と考 え られ る。
溝 la。
土器 (図 16)
1・
2は 壺 で あ る。 4の 甕 は外 面 に煤 が顕著 に付着す る。 1・
2・
4は 中期 中葉 に比 定 され る。 5の 甕 はそれ
らよ りもやや古 い様相 を示す が 中期 中葉 の範疇 に入 る。 3の 甕 は 中期後葉 に比 定 され る。 6・ 7は やや上 げ底気
味 の平底 を呈 し、8は 平底 で あ る。 発 の底 部 と考 え られ る。 6∼ 8は 中期 の もの と考 え られ る。 9。 10の 高杯
は中期 中葉 に、 11の 台付鉢 の脚 は 中期後葉 と考 え られ る。 10・ 11に は円盤充填 の痕跡 が見 られ る。
―-
20
-―
弥 生 ∼ 古 墳 時 代 の 遺構 。遺 物
06-20
∧W-8
a断 面
溝 la
l.淡 青灰色粘質土 (Fe)
2.淡 灰黄色砂質土 (Fe)
3.灰 色弱粘質土 (Fe)
4.灰 色粘質土
25m
灰黄色粘質土
暗灰色粘質土
7。
暗灰色砂質土
8.暗 灰色粘質土
9.灰 色砂質土
溝 lb
10。
暗灰色粘質土
5。
6。
PL 5m
b断 面
溝 la
l.灰 白色砂質土 (Fe)
2.灰 色粘質土 (Fe)
3.暗 灰色粘質土 (Fe)
4.灰 色弱砂質土
5。
6。
灰色砂質土
灰色粘質土
溝 lb
7.暗 灰色粘質土
8.暗 青灰色粘質土
25m
溝 12345 溝
灰色砂質土 (Fe)
暗灰色砂質土 (Fe)
灰色弱粘質土 (Fe)
灰色粘質土
暗灰色粘質土
6。
淡黄褐色砂質土
Oフ ーOO
溝 1:a断 面
(東 よ り)
溝 1:b断 面
(西 よ り)
溝 1:c断 面
(西 より
)
図 i5 溝 l・ 溝 2
―- 21
-―
暗灰色砂質土
7.暗 灰色粘質土
8.暗 灰色砂質土
9.暗 灰色粘質土
調査の記録
石器 (図 17)
Sl・ S2は 打製石包丁 で あ る。 Slは 完形 で、 幅 12.8cm、 高 さ5.6cmの 横 長 の 長方形 に整 え られ て い る。 背
部 には刃 潰 し加工が認 め られ、刃部 の左側 に擦痕 が認 め られ る。 また背部側 に も擦痕 が 認 め られ る。 S2は 背部
の刃 潰 し加 工 は認 め られ るが、小片 のため刃 部側 の使用痕等 はわか らな い。 S3は 凹基式 の石鏃 で あ る。基 部 の
一 部 を欠失す る。小振 りなつ くりで ある。 S4は 大型蛤刃石斧 の刃 部片 で あ る。丁寧 な整形 が されてい る。 S5
は磨製石斧 である。 図 の上 部 を欠失 す る。側 縁 の剥離 は荒 く、表裏面 と もに 自然面 を残 す。刃 部 の使用痕 は よ く
残 る。 S6は ほぼ完形 の打製石斧 で、 荒 い剥離 に よ り平面 バ チ形 に整 える。刃部 の加 工 も粗 めであ る。
木器 (図 17)
溝
lbの 底 面近 くで出土 した。断面 三角形状 に加 工 が施 され るが、上下端 とも欠失 し全 形 ・用 途 は不 明 で ある。
1
0
11
1 0 cm
(S=1/4)
番号
法量
器種
口径
(cm)
底径
(内
(内 )口 縁 ナデ、胴 部横 磨
甕
(内 )口 縁 ナデ、胴 部横 ハ ケ、 一 部縦 ハ ケ (外 )口 縁横 ナデ、胴 部縦 方 向ハ ケ
淡褐 ∼灰 褐
微砂、精良
淡 橙 ∼灰 黒
(内 )押 圧 、 ナ デ 、 (外 )縦 方 向 磨 き、 底 部 ナ デ
微砂 、精 良
淡燈 /黒
高杯
摩滅 (内 )横 ∼ 斜 め 磨 き、 ナ デ 、 しぼ り 日、 円 盤 充 填 痕 跡 (外 )口 縁 ナ デ 、 縦 磨 き後 横 磨 き
微砂、精良
墜減 (内 )脚 端 部横 ナ デ、縦 方 向磨 き (外 )脚 端 部横 ナデ、縦 方 向箆削 り
微砂 、精旦
内 )不 定 方 向 ナ デ 、 (外 )丁 寧 な ナ デ 、 底 部 押 圧 後 ナ デ 、 黒 斑 あ り
器種
最大 長
最大 幅
最 大厚
(mm)
(mm)
(mm)
128 5
菫0
(内 )杯 部 ナ デ 、 台 内 部 押 圧 、 ナ デ 、 (外 )ナ デ 、 焼 成 前 年 fL7カ 所 、 径 07∼ 0 8cm、
台付 鉢
打製石庖 丁
サヌカイ ト
124.1
(42.20)
/淡 補
刃 部 は細 か い 連 続 剥 離 に よる片 面 調 整、背 側 は細 か い 剥 離 に よ り刃潰 し
加 工 施 され る、コー ング ロス に よる (と 思 われ る)光 沢 面 が広 範 囲 に広 が る
端 部 の み の こ る 、 背 側 は 刃 潰 し加 工 、 光 沢 面 が 広 く観 察 され る
凹基 式
両 刃 、 側 縁 は ほ ぼ 平 行 、 断 面 は楕 円 形
細 粒 閃緑 岩
磨製石斧
(58 45)
粘板 岩 (ホ ル
ン フェルス化 )
(949)
黄 褐 /淡 褐
淡 黄 褐 /淡 灰 黄 褐
サ ヌ カイ ト
26 5
(39 55)
加 工材
精 艮
サヌカイト
石鏃
1147
円盤充填
特徴
石材
太型蛤 刃石斧
打 製石斧 (石 鍬 )
ヽ
Vl
微砂 、精 艮
甕 ?
打 製石庖 丁
4
淡褐
微砂 、精 良、 淡褐 ∼ 淡灰 褐 /黒
カクセ ン石 褐 ∼ 灰褐
(内 )ナ デ 、 一 部 押 圧 、 底 面 押 圧 、 (外 )縦 磨 き、 底 面 押 圧 後 、 ナ デ
発
番号
微砂 、精 良
き後 、下方縦磨 き (外 )口 縁 ナデ、胴 部縦 方 向 ハ ケ ロ、 口縁 と胴 部下方 に煤
甕
甕 ?
11
色調 (内 /外 )
微砂 、精 良
内 )ナ デ 、 (外 )ナ デ 、 日縁 端 部 、 凹 線 二 条 後 斜 沈 線 の 頚 部 貼 付 突 帯 上 に ヘ ラ状 工 具 刻 み
発
7
)横 方 向 ナデ、 (外 )縦 方 向ハ ケ ロ、貼付 突帯 、指頭圧
(内 )上 半縦 ∼斜 めハ ケ、下半縦方向工具ナデ、底部押圧、 (外)上 部斜 め磨 き、刻 日、屈 曲部横磨 き、下半縦方向磨 き 傲 砂 、 精 艮
壷
5
胎土
特徴
器高
1
1397
閃緑 岩
直刃 ・片刃 、刃 部研 磨
刃 部 ・ 基 部 ・ 側 縁 の 加 工 は粗 い 剥 離 に よ る 、 表 裏 と も原 礫 面 の こす
断面三角形になるようにカットされている。図の裏面は平滑に近い。全
容は不明
(75)
図 16 溝
--
1
22
出土 遺 物
-―
1
弥生∼古墳時代 の遺構 。遺物
∩ ー ヽ
サ
心
S4
M
曲洲同闘V
Ⅲ
I
I
I
I
I
I
︲
I
H
肥
︲
︲
︲
︲
Ⅳ
゛
\
︲
︱
︱
ノ
ー
ー
S6
0
(S=1/2)
-
100
図 :7 溝
―-
i
23
出土 遺 物
-―
Δ
調査の記録
2(図 12・
溝
18)
8層 上 面 で検 出 した。 調査 区 の北西 隅 を北 東 か ら南西 へ と流 れ る。06-80ラ イ ンか ら調査 区西壁 との 間 で検 出
した。溝 2の 北側 は調査 区外 にかか り、南側 で は溝 1を 切 ってい る。最大幅4.8m、 深 さ0.3m、 検 出面 の標 高 は2.4
m、
底 面 の標 高 2.15mを 測 る。埋 土 は多 い ところで 3層 に分 け られ、上 層 に黄褐色系 の砂 質 土 、下 層 に灰 白色
粘 質 土 が 堆積 して い る。 検 出 された範 囲 で は溝 の 断面形 は浅 い 皿 形 を呈 し、 底 面 が 平 坦 に近 い 。北側 の上 が り
が確 認 で きて い な い こ とや、 水 平堆積 に近 い状 況 で あ る こ とか ら、 溝 で はな く、 自然 の 落 ち を拾 って い る可 能
性 もあ る。 本調査 点 の地形 が北西 方 向へ と傾斜 して い る こ とも理 由 の ひ とつ で あ るが、 断定 は難 しい 。
出土遺物 はほ とん どな く、溝 1と の 関係、お よび検 出層位 を考 え併せ て弥 生 時代後期 以 降 の 時期 と考 え られ る。
C'25m
1.黄 褐色砂質土
2.灰 褐色砂質土
3.灰 自色粘質土
d断 面
1.淡 黄褐色砂質土
0
1m
(S=1/40)
図
18溝 2
右上 :溝
2(西 よ り)下 :c断 面
3.古 墳 時代 前 期
a.溝
溝 3(図 12・
19)
11層 上面で検出 した本体調査 区の南西角 を北東 か ら南西方向へ と走行する
溝 である。AX-2ラ イ ンの南か ら
06-30ラ イ ンにか けて、長 さ3.2mを 検 出 した。溝 3の 周辺は11層 の直上 まで古墳時代以 降の削平が及んでい
る
微高地部分 にあたる。
検 出面の レベ ル は標高 1.8m、 底面 の レベ ル は標高 1.65mで 、幅0.65m、 深 さ0.15mで ある。
断面形が浅 い
皿状 を呈 す る溝 の底面 に、径 15cm× 25cm程 度 の ビ ッ ト6基 を検出 した。 ビ ッ トはlo∼ 20cm間
隔で作 られてい
る。溝 の埋土 は灰色 ∼暗灰色 の粘質土 を主体 としてい る。 ビ ッ ト内には暗黄灰色
砂質土が渦巻 くように堆積 し
て い た。 こ うい った溝 の底 に並 ぶ ピ ッ ト列 は、津島岡大遺跡第 14次 。 16次 。
第
第 19次 調査 で類例がみ られ、
その機能 としては柵列 の可能性が考 えられている。本溝 のビッ ト列 も同様 に
柵列 と考えている。
出土遺物 はみ られなかった。前述 したように本溝 の直上には 7層 が堆積 してい る
。本溝 の時期 としては溝 の埋
土が 7層 に類似 してい ることか ら、古墳時代前半 と考えられる。
―-
24
-―
弥生 ∼古墳時代 の遺構 ・遺物
0
2m
(S=1/60)
1.灰 色粘質土
2.黄 灰色粘質土
3.暗 灰色粘質土
4.暗 黄灰色砂質土
撃
0
1m
図 19溝 3
4(図 21・
溝
22)
(S=1/30)
一-29m
10層 上 面 で検 出 した。 AX-1∼ 2ラ イ ン間、06-40∼ 70ラ
東 ∼ 南 西 方 の溝 の上 部 が 削 平 され、底 だ けが残存 して い る も1:si首
'20m
1.灰 色砂質土
│
れ る。 検 出面 の レベ ル は標 高 2.85m、 底 面 の レベ ル は標 高 2.8mで あ る。
検 出 で きた長 さは約 16m、 残存 幅0.3m、 深 さ0.lmで あ る。 断面形 は浅 い
皿形 を呈 し、埋 土 は灰色砂 質土 で あ る。
図20 溝 4(南 より
出土遺物 は見 られ なか った。
)
本溝 は前出の溝 3と 並行す る方向を とっている。検出地点では10層 上面
に 7層 が堆積 してお り、溝 3と 同様 の検出状況 である。本溝の時期 としては古墳時代前半 の範疇 と考え られる。
第 5節
古代 の遺構 は、 7層 で検出 した溝 2条
古代 0中 世 の遺構 ・遺物
6層 上面 で検出 した溝 2条 (溝 7・ 8)で ある
。
いずれ も南北方向に走行する溝である。古代 の遺構 遺物 は溝 のみで、遺物 も希薄である。
(溝 5・ 6)、
(図 21)。
一方中世 の遺構 は 4層 上面 で検出 した溝 5条 と耕作痕である。 いず れ も南北方 向である。古代 。中世 をつ う じ
て本調査地点一帯 は耕作地 であった ことが窺 える。
1.古 代
a口
溝
溝 5(図 21・ 22)
7層 で検 出 した。検 出面 の標高2.7m、 底面 の レベ ル、標高2.65mで 、06-90ラ イ ンに沿 うよ うにAX-0ラ イ
ンか ら南へ、長 さ約 8mを 検出 した。溝 の幅 は0.4m、 深 さは 3∼ 5cmで 、上面を削平 されてい る の
も と考えら
れる。 AY-0ラ イ ン以北では検出する ことができなかった。埋土は灰色粘質土で、 断面形状は浅 い皿形 を呈
す
る。 出土遺物 はみ られ なかった。
本溝 は 7層 検出であるが上面 を削平 されてい る ものと考え、 また後述 す る溝 と類似する形状である ことか ら
古
代 の時期に考えられる。
―-
25
-―
調査 の記録
07-20
│
″〃悧
鮒珈 =
、
溝
︲吻鰤靡褥
噺
│
10m
0
(S=1/400)
囲□
古代の遺構
中世の遺構
A×
-8
図21
古代 ・ 中世検 出遺構全体 図
溝
5
at 28m
L灰
溝
6
③
駄
b' 28m
1.灰 色粘質土
」
・
-27m
灰 白色砂質土
図22溝 5∼ 7
--
26
-―
古代 。中世 の遺構 ・遺物
6(図 21・
溝
22)
7層 で検 出 した。検 出面 の標 高2.6∼ 2.7
底面 の レベ ル2.65mを 測 る。07-10ラ
m、
イ ンに沿 う よ うにほぼ南北方 向 に走 行す
る。長 さ20m、 幅0。 7∼ 1。 lm、 深 さ0.05m
である。断面 の形状 は浅 い皿形 を呈 し、埋
土 は灰色系 の砂質土である。出土遺物 はみ
られなかった。
本溝の時期は溝 5と 同様古代 と考えられる。
溝 7(図 21・ 22)
6層 で検出 した。AX-1ラ イ ン以北で検
出 した溝 で、07-10ラ イ ンに沿 って、前述
の溝 6に 沿 うよ うに走行す る。検出面 の レ
ベル は標高2.6m、 底面の レベ ルは標高2.5
mで あ る。検出 した長 さ 6m、 幅0。 2∼ 1.1
m、
深 さ0。 lmを 測 る。
溝 5・ 6と 同様ミ本体調査区南側では削平
されてお り検出す ることはで きなか った。
溝 の断面 の形状 は浅 い皿形 で、埋土 は灰 白
色砂質土である。出土遺物はみられなかった。
a 28m
本溝 の時期 は、古代 と考え られる。
ヾ
溝 8(図 21・ 23)
6層 で検 出 した。本体調査 区のほぼ中央
を06-70ラ イ ンに沿 うように、南北方向に
0
1m
走行する溝である。土層断面記録 のための
(S=1/30)
1.灰 色粘質土
2.灰 白色砂質土
中央側溝 によ り、溝 の中央部分 を欠失 して
肝
=
いる。溝 の底面西側 よ りに ビ ッ トが穿たれ
=
=
てい る。
劇
I
︱
溝 の検 出面 の標高2.7m、 底面 の レベ ル
Π
I
I
I
I
断面 の形状 は浅 い皿形 をな してい
I
0.15m、
I
は標高2.6mで あ る。溝 の幅0.7m、 深 さは
0
I
I
1 0 cn
ヒ=========」 L=========J(S=1/3)
止
る。埋土は灰色粘質土である。 ビ ッ トは径
0.3∼ 0.4m、 溝 の底面か らの深 さ0.05∼ 0.1
mで ある。ほぼ等間隔に30基 を検出 した。
ビ ッ トの埋土 は灰 白色砂質土である。 ビ ッ
番号
器種
1
須 恵器 ・ 杯
口径
底径
9.2
トが埋没 した後、溝 として機能 した可能性
特徴
胎土
色調
身部 1/3残 存 。 (内 )回 転 ナデ、
(外 )回 転 ナ デ、底 部 は切 り離 し後 未調整 微 砂
灰白
器高
口縁
1/6、
もあるが、 断定は困難である。前述 した溝
3と 同様、溝 の底面に ビ ッ ト列 を有す る例
はい くつか知 られ、柵列 としての機能が想
定 されてい る。本溝 について も柵列 であ っ
図23 溝 8・ 出土遺物
―-
27
-―
調査の記録
た可 能性 が 考 え られ る。
出土遺物 は須 恵器杯 身片 1点 で あ る。 平安 時代後半 に比 定 され る。 本溝 の時期 は古代 と考えられる。
2.中 世
中世の遺構は 4層 で検出 した溝 6条 と耕作痕である(図 21)。
d' 31m
a.溝
溝 9∼ ‖
1.
(図 21・ 24)
本体調査 区の西端、AW-9∼
灰色砂質土
AX-1ラ イ ンの間 に位置
す る。幅0。 6∼ 0。 7m、 深 さ0。 lmの 南北方向の溝 3条 が並列
1.灰 白色砂質土
してい る。検 出 レベ ルは標高3.05m、 底面 の標高2.95mで あ
る。溝 の形状 は・埋土は溝 9∼ Hと も同様で、断面皿形 を呈
蝙
し、灰色砂質土 を埋土 としている。 これ らは畝 に伴 うものと
?
考 えられ、畝 の幅 は1.6∼ 1.7mを 測 る。
出土遺物 はみ られず、検 出層位 か ら中世 に比定 される。
32m
豊
.
1.
Oi m
(S■ 1/30)
溝 !2(図 21)
本体調査 区の中央、06-60ラ イ ンに沿 った南北方向の溝 で
ある。幅0。 7∼ 1,lm、 深 さ0。 lmを 測 る。
検 出 レベ ルは標高3.15
m、
底面 の標高3.05mで あ る。埋土は灰色砂質土 である。
溝 12に は並 列す る溝 は確 認 で きなか ったが、AW-9∼
AX-1ラ イ ンの間に位置する点は溝 9∼ 11と 同様 であ る。
出土遺物 はな く、層位か ら中世 に比定 される。
溝 13014(図 21・ 24)
06-40ラ イ ンに沿 ってい る溝 13と 東 に1.2m離 れて並列す
る溝 14の 2条 の南北方 向の溝 である。 いずれ も幅0.35m、 深
さ0.03mで 幅狭 く浅 い。検 出 レベ ル は標高3.2m、 底面 の レ
ベル は標高3.15mで ある。上述 の溝9∼ 12よ りも浅 く、上面
の削平 を深 く受 けてい る ものと考え られる。埋土は溝 13・ 14
とも灰 白色砂質土である。断面形 は浅 い皿状 を呈 す る。
出土遺物 はな く、層位か ら中世 と考 えている。
b.耕 作痕
耕作痕 は幅 5∼ 10cm、 深 さ 1∼ 3cmの 浅 い溝状 を呈 し、
長 さは0.2∼
5m程 と様 々で ある。鋤 痕 と考 えてい る。大 半
が南北方 向で、 AX-2ラ イ ン付近 で東西方向のものがご く
わずかではあるが認め られる。
鋤痕の分布 には粗密が認め られ、06-40ラ イ ン以東、0670∼ 07-00ラ イ ン間の北半部 ・南半部 には密に認め られる。
こうい った状況か ら耕作地の区割 りを窺 える可能性が ある。
一方06-40∼ 06-60ラ イ ンの間では東西幅10mに わたって
耕
作痕 は希薄であ り、通路 など、耕作地ではない部分 を示 して
い ることも考えられる。
図24 溝 9∼ i4
―-
28
-―
灰 自色砂質土
近世 ∼現代 の遺構 。遺物
第 6節
近世∼現代 の遺構 ・遺物
近世 の遺構 は、土 坑 3基 と耕作痕 で あ る。土坑 2・ 3は 4層 上 面 で、 土坑 4と 耕作痕 は 3層 上 面 で検 出 した。
また共 同溝調査 区 で造成土 の 除去 中に道路状遺構 を検 出 した。
1.近
a日
土坑
世
土坑
2(図 25・
26)
07-20
07-00
1
1
80
06T60
06「
AW-8
A×
1罐
-2
‐
鐵轟鵞
お
9,mた
⑩
隧
刷
撃1型
硼│
ど
瞥早
││
‖
│
A×
図25 近世 ∼現代検出遺構全体図
―-
29
-―
-8
□
〓 [i
調査の記録
AX06-31区
に位 置 す る。 東 西
Z
に長 い 隅 丸 長 方 形 を呈 す るが、
北東部分 を攪乱 に よ り欠失 して い
る。 4層 上 面 で検 出 した。 検 出面
の 標 高3.25m、 底 面 の 標 高 2.9m
で あ る。 東西 1.4m、 南北 0.8m、
検 出面 か らの深 さ0.4mを 測 る。
断面形状 は U字 形 で あ る。埋 土
は 4枚 に分 け られ、上 層 に黄灰褐
色 ∼灰褐色 の砂 質 土、下 層 に暗灰
色 ∼ 暗灰褐色 を呈 す る粘 質 土が堆
積 す る。
出土遺物 はない。 中世面 で検 出
したが、 周辺 での調査成果 か ら近
世 に属す る もの と考 え られ る。
1.黄 灰褐色砂質土
2.灰 褐色砂質土
3.暗 灰色粘質土
4.暗 灰褐色粘質土
3(図 28)
AX06-31区 、土 坑 2の 東 に位
土坑
置す る。 4層 で検 出 した。 検 出 レ
0
ベ ル は標 高 3.lm、 底 面 の レベ ル
LrT―
は標 高2.95mで あ る。
1m
T―
_一
_r―
十
一
一
―
一
―
―
―
―
―
―
J(S=1
図26 土坑 2
平面形 は南北 に長 い 隅丸長方形
を呈 し、 北東側 を攪乱 に よ り欠失
して い る。 残 存 部分 の 南 北 長 1.5
m、
東 西 幅 1.25m、 深 さ0.2mを
測 る。
断面 の形状 は浅 い皿 形 を呈 して
い る。埋 土 は 3枚 に分 け られ、 最
上 層 に黄灰褐色砂 質土、2∼ 3層
に淡黄灰色粘 質土 ・黄灰色粘 質 土
が堆積 して い る。
出土遺物 はな い。 中世面 で検 出
したが 本土坑 の 時期 は近 世 と考 え
られ る。用途 ・機 能 につ い て は判
断す る材料 が乏 し く、不 明であ る。
土坑
4(図 25。
黄灰褐色砂質土
淡黄灰色粘質土
黄灰色粘質土
28)
3層 で 検 出 した。 AX07-12区
に位置す る。検 出面の標高3.15m、 底面 の標高2.65mで ある。
0
平面形は東西 に長 い楕円形 を呈 し、西側 は調査区西壁 にかかって
い る。断面形はU字 形 を呈する。南北1.55m、 東西1.9m、
深 さ0.7
mを 測 る。埋土は 6枚 に分け られる。 1∼ 5層 は灰褐色 ∼暗灰褐色
―-
30
-―
1m
(S=1/30)
図27 土坑 3
近世 ∼現代 の遺構 。遺物
07-20ラ イン
N
――-32m
1.灰 褐色砂質土
2.淡 灰褐色砂質土
3.暗 灰褐色砂質土
4.淡 灰褐色砂質土
0
1m
5。
灰褐色砂質土
6.灰 色粘質土
(S=1/30)
0
1 o cm
(S=1/3)
図28 土坑 4・ 出土遺物
を呈 す る砂 質土 で、 6層 は使 用 時 の堆積 とみ られ る灰 色 粘 質 土 層 で あ る。 出土遺物 は肥 前磁 器碗 1点 で、 18世
紀後半 に比 定 され る。 本土坑 の 時期 は近 世 と考 え られ る。
b.耕 作痕
(図 25)
3層 上 面 で南北 方 向 の耕作痕 を多 数検 出 した。 共 同溝調査 区 に図示 して い る よ うに、幅 3∼ 5cm、 深 さ 1∼
2cmの 細 長 く浅 い溝状 を呈 す る。 長 さは30∼ 60cmで あ る。鋤痕 と考 え られ る。
2。
近 ∼現代
a口
道路状遺構
(図 30)
共同溝調査区で造成土中に東西 に並行する南北 方向の溝 2条 (溝 15・ 16)を 検出 し、その状況か ら両脇 に側溝
をもつ道路状遺構 と判断 した。 また本体調査区では造成土 除去 とともに消失 していた。東倶1の 溝 (溝 15)は
標高
3.4mで 検 出 した。溝 の幅0.6m、 深 さ0。 15mで 、長 さ約 5mを 確認 した。 a断 面 に示 したよ うに溝 の掘 り方 は
幅 1.6m、 深 さ0.3mを 測 る。 3層 (黄 褐色土)を 敷 き詰めた上 に石 を組み、石組みの 間 に 2層 (細 礫 )と 1層
(モ ル タル)を 敷 く。西側の溝 (溝 16)の 検出面は標高3.3mで 長 さ約 10mを 確認 した。溝 の 0.6m、
幅
深 さ0.1
mは 溝 15と ほぼ同規模であるが、断面構造 は異なっている。b断 面 では溝 の堀 り方内に 2∼ 4層
(淡 灰色粘 質土)
が堆積 した後 に石 を組むためのカ ッ トが認 め られる。溝 16で はモル タルは確認 されていない。石組み
自体 は東側
と同様 である。
―-
31
-―
調査 の記録
NИ川qP上︱︱
モル タル
細礫
黄褐色砂質土
溝 16
1.暗 褐色砂質土
2.淡 灰色粘質土
9
(S=1/150)
90m
(S=1/60)
図29 道路状遺構
(溝
15016)
以上の 2条 の溝 に挟 まれた部分が道路 と考 え られ、溝 の南北端 をあわせ 、長 さ16.5m分 を確認 した。 その
規
模 は側溝 の芯心 間の距離7.lm、 側溝 外領1の 石敷 きまでを含めると幅8.6mで ある。側溝 は上述 した よ に
う 構造
が異 なる こ とか ら改修 されてお り、東西 でその改修時期が異 なってい るもの と考 えられる。 また
東西 で高低差
が20cmあ ることも注意 されよう。
出土遺物 にはガイシー点がある。溝 16か ら出土 した。ガィシは鉄塔 と電線 との間をつ な ぐ絶縁体 の
役 目を果 た
す もので、磁 器製 である。形状か ら低圧 (300v以 下)用 の茶台碍子 と呼 ばれる種類 にあた り、明 20(1887)年
治
頃
か ら現在 も使用 されてい る ものである。出土 品はその規格が 日本 ガイシ1930年 カタログ
掲載 の5P-602型 に最 も
近似 してい るが、刻印はな く製造元は断定 で きない。
本調査地点一帯 には1906年 以 降1945年 まで、 陸軍第十七 師団をはじめとする陸軍関連 の施設が置かれていた
。
今回確認 された道路状遺構 は当時の建物配置図に記 されてい る南北方向の道路 と合致する。
は
本遺構 、陸軍 によ
る造成後、少な くとも1930∼ 1945年 には機能 していた もの と考えられる。
また本遺構 の検 出 レベ ル は標高3.3∼ 3.4mで あるが、石 の上 面 レベ ルか ら
考え ると道路面 は少な くとも標高
3.6∼ 3.7mに はあ ったと考 えられ、 陸軍による造成 はこの レベ ル を目 とで
安
きる。本調査地点 では現地表面は標
4.4∼
4.5mで
高
あ り、約 lm程 は岡山大学設置後 の造成による土層 と考えられる。
-
32
-―
包含層の遺物
第 7節
包含層 の遺物
4層
/2
一
(中 世層)∼ 13層 (縄 文時代後期層)か ら出土 した遺構 に伴 わない遺物 の うち、土器21点 、石器35点
。
土製品 鉄器各 1点 を図30∼ 36に 掲載 した。以下に概要を記述する。
フ
現
0
1 0 cm
(S=1/3)
番号
層位
器種
l
13層
縄 文土器 ・ 深鉢
2
13層
縄 文土器・深鉢
3
13,膏
縄 文土器 ・ 深鉢
5
6
縄 文 土 器 ・深 鉢
縄 文 土 器 ・深 鉢
1lc層 縄 文 土 器 ・ 深 鉢
7
13層
4
13層
13層
縄 文土器 ・深 鉢
法量
口径
底径
特徴
器高
胎
内 )横 方 向 磨 き、 (外 )磨 消 縄 文 (RL)
(内 )(外 )と もナデ、 口縁 部 に縄 文 (LR)後 、横 方 向の沈線
波状 口縁、 (内 )押 圧 ・ナデ (外 )横 方向の ナデ、外面か ら穿孔 (径 0.7mm)あ り。
(内 )(外 )と も押圧 ・ ナ デ、外 面 の一 部 に縦 方 向 の ナ デ痕。
波 状 口縁 、 (内 )(外 )横 方 向 の 条 痕 、 波 頂 部 に押 圧
(内 )て いねいなナデ、突帯の内側には押圧痕、 (外)磨 消縄文、肥厚部の上位に沈線
(内 )上 半斜 め方向ナデ、下半横 ∼斜 め 方向ナデ、 (外)上 半横 方向ナデ後、
波頂部 に沈線、下 半横 ∼斜 め方 向ナデ、縦方 向 の沈線文、 1/3弱 残存
図30 包含層 の 遺物
―-
33
1:土 器
-―
!
土
色調 (内 /外 )
細 砂 ∼粗 粒
暗 茶 /淡 茶 褐
微 ∼細砂
暗茶褐色
測 砂 、祖 砂 多
淡褐 色
細砂
綱 砂 、粗 砂
淡 褐 色 /暗 茶 褐 色
微砂
沐褐 灰角
細砂
暗茶褐 色
茶褐色
調査 の記録
37図 版 一
1∼ 507は 13層 、6は 1l
土 器 (図 31・
)
c層 か ら出土 した もので、縄文後期前葉 に位置づ け られる。 いず れ も深鉢 の口縁
部片 であ る。 1は 磨消縄文 を施す。 7は 波状 口縁 を呈 し、頚部 がわずかにしまって張 り出 した胴部へ とつ ながる。
聯
波頂部 には縦方向の沈線 を数条施す。胴部 には長 い沈線 を縦 ∼斜 め方向に0.4∼ 1.8cm間 隔で施 してお り、その
0
7鰊餞 Ю
8
莉
ご瞥
1 0 Cm
=======ョ =ヨ L=========J(S=1/3)
ヒ
番号
層位
器種
10層
10層
突 帯 文 ・深 鉢
9‐
11層
11層
縄 文 土 器 ・浅 S
1la‐ b層
1lc層
縄 文 土 器 ・深 鉢
10_10b層
12層
特徴
器高
8層
4層
4c層
土 師 質 ・椀
胎
土
色 調 (内 /外 )
内 )ナ デ 、 (外 )ナ デ 、 貼 付 突 帯 上 に D字 形 刻 み
細砂
暗黒褐
内 ナデ、 (外 )ナ デ、貼付 突帯 上 に D形 刻 み、突帯 の仕 上 げ は粗 し
内 ナ デ 、 (外 )口 縁 ナ デ 、 貼 付 突 帯 上 に刻 み 、 突 帯 下 に縦 方 向 沈 線 文
細砂
細砂
暗 褐 /暗 茶 褐
暗 茶 褐 /茶 褐
暗 褐 /淡 橙 褐
細砂
淡 褐 /暗 茶 褐
(内 )て
い ね い なナデ、 (外 )ナ デ
内
ていねいなナデ、(外 )ナ デ、口唇部に亥Uみ
内
押 圧 ・ ナ デ 、 (外 )ナ デ
内
縄 文 土 器 ・深 ζ
4層
(cm)
底径
ナ デ 、 底 部 は押 圧 +ナ デ 、 (外 )ナ デ 、 1/2残 存
(外 )と も に摩 滅 著 し く調 整 不 明 、 突 帯 上 部 は押 圧
図3:
包含層 の遺 物
―-
34
暗 灰褐
/暗 本
淡橙褐
細砂
淡 褐 /淡 橙
糸
田砂 、 粗 砂 ま じる 淡 褐 /淡 橙 ∼ 淡 褐
微砂 、精 艮
淡 褐 /橙
細砂
内 ナデ、器 面荒 れ、 (外 )ナ デ、底 部 は押圧 、 1/3残 存
内 口縁 ナ デ 、 胴 部 上 半 、 一 部 押 圧 後 ナ デ 、 (外 )横 方 向 ナ デ 、 1/6残 存
内 丁 寧 な ナ デ 、 (外 )ナ デ 、 か な り摩 滅 、 外 底 部 ナ デ 、 高 台 は貼 付 け 。 1/4残
内 ナ デ 、 (外 )ナ デ 、 全 体 に摩 滅 著 し い 、 1/5残
内 (外 )と も横 方 向 の ナ デ 、 貼 付 に よ る庇 の 下 ∼ タト器 面 は煤 著 し く付 着
内
細砂
細 砂 、 ウ ンモ
内 ナ デ 、 (外 )ナ デ 、 口縁 下 位 に押 圧
11層
45層
法量
口径
2:土 器 2
-―
微砂
微砂 、精 艮
細砂、粗砂まじる
微 砂
乳 白
淡橙
淡 褐 /淡 褐 ∼ 黒 褐
︹
絣︵
︲︱
︱
賣
h
︲Ⅲ︱
I
Aへ川船︲
︱
︲ⅢⅢⅢⅢツ
│
S9
ハ船ⅢΨ
金
s
芍√ Υ
覺 ◇
◇
︵柵鶉椰一
金
5m
7I s
︲に s
︲
AS
爪Ⅲ 関V
Λ
襄 ◇洸 6■ ・鼈
汎 IA
包含層 の遺物
S16
◇
1
月日 日 Ⅵ ﹁
鱚 5饉
、
\
1
(S=2/3)
区
遺構 ・層位
器種
S7
2区
3区
1区
11層
石鏃
11層
石鏃
8層
石
共 2
側溝 10‐ 1lb層
石
S
S
4区
8層
石鏃
2区
2区
11層
石鏃
4a-5層
10層
石鏃
10層
石鏃
7層 対 応
7層
石鏃
共
1
3区
S
S
共
1
共
1
1区
1区
4区
11層
13層
all溝
10層
11層
8・
S22
石鏃
石錐
最大長
最大幅
最大厚
(mm)
(mm)
(mm)
14 10
20.3
(1390)
(22.00)
(1710)
重ω
番号
1.1
サ ヌ カイ ト 岡 側 隊 回 回 両 坐 、 策 部 lET回 は 変 形
(20 45)
スクレイパー
44 0
剥片石 器
445
石匙
46.5
楔形石器
剥 片石 器 ?
55.9
52 7
61 2
22 1
43 2
77
特徴
2
117
21 8
(3775)
石材
サヌカイ ト 凹基 式
サヌカイ ト 凹 基 式
サヌカイ ト 凹 基 式
サヌカイ ト 凹基 式
サヌカイ ト 凹 基 式
サヌカイ ト
式、五角形鏃
サヌカイ ト 平基 式
サヌカイ ト 平基 式 ?
サヌカイ ト 凹 基 式
サヌカイ ト 平 基 式
0
22 9
サヌカイ ト 刃 部 状 の 加 工 は 2辺 に み られ る 、 と も に両 面 調 整
サヌカイ ト 両 lal加 工 、 細 か い 連 続 烈1離
サヌカイ ト 刃 部 は細 か い 剥 離 に よ り作 出 、 片 面 調 整 、 ツ マ ミ状 の 小 突 起 が 片 寄 っ て付
サヌカイト 両極 打 法 、 下 端 部 は 両 面 と も剥 離 、 明 瞭 な剪 断 面 は み られ な υ
サ ヌ カイ ト
図32 包含層 の 遺物
―-
35
3:石 器
-―
1
く
調査 の記録
て
■
D
t♭│■
S2
午 、
月口 = V
す
0
5 cm
L==■■百百■薔■■■面■■■■■■■■冒」 (S=2/3iS24^‐ 26)
L===百 百
=====百 =====L=====ョ ======日 =百
番号
S25
S26
区
遺構 ・層位
器種
2区
側溝
盤状 剥 片 ?
1lc層
ス ク レイパ ー ?
11層
1層
c層
スクレイパー
4区
最大長
最大 幅
最大厚
(mm)
(mm)
(mm)
?石 斧
サヌカイ ト
粘板 岩 (ホ ル ン フ ェ ル ス 化 )
サヌカイ
サヌカイ ト
7_1
(75)
19
(ホ
(s=1/2:S23 27)
特徴
石材
(2)
57 0
剥 片石 器
磨裂
重量
」
原 礫 面 の こす
円礫 ?を 打 割 した 剥 片 を加 工 ?、 背 佃1に は 刃 潰 し状 の 剥 離 み られ る
刃 部 は細 か な連 続 剥 離 に よ る、 両 面 調 整
細 か い 剥 離 で 刃 部 状 に加 工 、 両 面 調 整
ル ンフ ェルス
図33 包含層の遺物 4:石 器 2
施文 は不揃 いであ る。 内面 には口縁部 に横方向の沈線 を一条巡 らせてい る。時期 としては後期中葉に位置づ け ら
tよ う。
オ
8∼ 10は 9∼ 10層 か ら出土 した突帯文土器 の深鉢 口縁 であ る。 いず れも小片 であ り、刻み 目突帯は小 さめで、
口縁 か ら下位 に貼 り付 け られ る。 11∼ 13は 無文 の縄文土器 で、 11は 浅鉢、 12・ 13は 深鉢 口縁部 で ある。 12は
口縁 に刻みを施 してい る。14は 弥生前期 の甕 口縁 である。17は 弥生土器 の甕 口縁 ∼胴部片 で、 8層 上面で出土 し
た。 中期前半 に比 定 で きる。 18∼ 21は 中世層 であ る 4∼ 5層 か ら出土 した。18・ 19は 土 師質土器椀 の胴部 ∼高
―-
36
-―
包含層 の遺物
台片である。13世 紀代 に位置づけられる。20は 土師質の竃片で、庇の下位に煤が顕著に認められる。21は 土師
質の円筒埴輪片である。全体に磨耗が著 しいが、埴輪片や後述する勾玉 (S28)の ように中世層から古墳時代遺
物が出土す る例 は少なくなく、中世の大規模な耕地改変を推測させる。
石器 (図 33∼ 36)
石鏃 (S7∼
S16)サ ヌ カイ ト製 の石鏃 が 10点 出土 した。 4層 ∼ 11層 の 出土 で あ る。 S7∼ S12は 一 部欠損 す る
もの もあ るが い ず れ も凹基 式 を呈 す る。小 型 で軽量 の もの (S7・ S ll)と や や大 ぶ りな もの (S8∼ S10・ S
12)に 分 け られ る。 S12は 両側縁 に決 りが入 り、平面 五 角形 に近 い形状 を呈 す る。 平基式 の もの (S13∼ S16)
は S13・ S14の よ うに平面 二 等辺 三 角形 に近 い もの と S15。 S16の よ うに小 ぶ りで平面 正三 角形 に近 い もの とに
│││││1辮
≦
1(〔
/∠
::::::::::::::〕
ゝ
〕
)
S31
S32
0
1 0 cm
(S=1/2)
番号
区
遺構 ・ 層位
器種
最大 長
(mmヽ
4区
4区
3区
4区
13層
大型 蛤 刃 石 斧
92 3
13層
打 製 石 斧 (石 鍬 )
8b層
1lc層
磨 製石 斧
l区
S33
S35
41X
1区
1区
11層
磨石
?敲 石
石錘
1lb層
石錘
側溝
11層
石鉾 ?
1lc′
曽
(mm)
石皿
敲石
13層
石皿
13層
石皿
rmm)
重量 (g)
石材
77.3
37 2
石 英安 山岩
(65 65)
(2310)
泥 質片岩
流紋岩
?
流 紋 岩 質 結 品 質凝 灰 岩
石 英 安 山岩 質凝 灰 角 礫 岩
粘板 岩
流 紋 岩 質 凝 灰 角礫 岩
5.2
129 8
特徴
粘板 岩 (ホ ル ンフェルス化 ) 基 部 断 面 は楕 円 形 、 側 縁 は ほ ぼ 平 行 、 両 刃
石錘
13層
最大厚
流紋岩
(89.05)
石棒
1lc層
最大 幅
113 1
136 65
刃 部 に は使 用 に よ る磨 耗 痕
刃部 ・ 片 向 は破 損 、 惧1縁 は加 工 に よ り面 取 り
下 端 に敲 打 痕 、 全 体 的 に磨 れ て い る 印 象 あ り
四周破 損 、片 面破 損 、残存 す る面 は丁 寧 に弧状 に加 工
両 端 を両 面 か ら打 ち 欠 き縄 掛 け 部 作 出
両 端 を両 面 か ら打 ち 欠 き縄 掛 け 部 作 出
上 下 端 と一 側 縁 に縄 掛 け 部 の 候 補 と な る溝 状 の 部 位 が 存 在
溝 状 の 縄 掛 け 部 、 裏 面 ・ 下 半 部 は破 損
1008 8
花 向岩
上面 はやや 内湾 し、 内側 に凹む
235 5
閃緑 岩
流紋岩
下 端 に敲 打 痕
外 周 付 近 に細 か く、 浅 い 擦 痕 、 ほ と ん どが 同 一 方 向
2672 1
安 山岩
擦痕 の 方 向 は 一 定 しな い 、 中心 部 の 磨 れ は強 く、磨 り面 が
凹 むが 、周縁 部 の磨 れ は弱 い
図 34 包含層 の遺物
―-
37
5:石 器 3
-―
調査 の 記録
︲U
∩︱
5
3
S
使用痕
圃
弱 い使用 痕
圃
図35 包含層 の 遺物
--
38
6:石 器 4
-―
包含層 の遺物
分 け られ る。 いず れ も周縁 に両面 か らの細 か い調整 を施 し、 扁平 に仕 上 げ て い るが、 S10。 S13の よ うに、下端
に厚 み を有す る もの もあ る。
石錐
(S17)サ ヌ カイ ト製 であ る。 7層 か ら出土 した。両側縁 に両面 か ら細 か い調整 を行 って整 形 して い る。
錐部先端 は断面 菱形 に整 え られて い る。握 り部分 は一 部欠損 す るが、 扁平 に仕 上 げ られ る。
石匙 (S20)サ ヌ カイ ト製 で あ る。台形 を呈 す る剥片 の下端 に片面調整 を施 して い る。刃 部 は細 か い剥離 に よっ
て作 り出 されて い る。 つ まみ部 は片側 に寄 ってつ くられ、両側 の決 りは両面 か ら数 回 の剥離 が施 され る。
ス ク レイパ ー (S18・ S24・
S25)S18は 長方形 の剥片 を素材 とす る。側 縁 か ら下縁 に両面か らの剥離 を重 ね
て刃 部 をつ くり出す。 S25は 五 角形状 の剥片 を素材 として、下縁 には両面 か らの細 か い剥離調整 に よ り刃部 をつ
くり出 して い る。 S24は 打割 した剥片 を加工 した もので、 図 の下縁 が刃 部 となった可 能性 があ る。上縁 に両面 か
らの剥離が施 され、刃潰 し加 工 と考 えて い る。
剥片石器 (S19。 S22・
S26)い ず れ もサ ヌ カ イ ト製 で あ る。 S19は 三 角形 を呈す る剥片 を素材 として側縁 に
両面か ら剥離調整 を施す。 S22は 長方形状 の剥片 の下縁 と側縁 の一 部 に刃 部状 の剥離調整が認 め られ る。 S26は
菱形 を呈 す る剥片 を素材 とす る。下縁 ∼側縁 にか け て両面 か ら細 か い剥離 を加 えて刃部 をつ くり出 して い る。
楔形石器
磨製石斧
(S21)下 端部 に両極打法 に よる もの と思 われ る剥離 を施 して い る。
(S27・ S30)S27は 石斧 の刃 部片 とみ られ る。石材 の節理 に よる剥落 が著 し く、加 工 痕 が不 明瞭 で
あ る。 S30は 磨製石斧 の基 部 で あ る。刃 部 と図 の裏面 を欠失 す る。残存 部分 の整形 は非常 に丁 寧 で、基 部 は矩形
に整 え られ、側縁 は面 取 り加 工が 施 されて い る。
太型蛤刃石斧
(S28)下 縁 に大 きめ の剥離 に よって両刃 の刃 部 をつ くり出 して い る。基 部 の 断面 は楕 円形状 を
呈 す る。全 体 として丁寧 なつ くりで あ る。
打製石斧
(S29)両 面加 工 によ り全体 を整形 し、刃部 には細 か い剥離 を施 して い る。刃 部 には使用 による もの と
み られ る摩耗痕 が 認 め られ る。石鍬 の可能性 も残 す。
磨石 ・敲石 (S31・
S38)S31は 平面楕 円形状 の細 長 い素材 の下面 に敲打痕 が認 め られ る。磨 れて い る部分 も
あ るが、磨石 としての機能 につ い て は断定 で きな い。 S38は 敲石 であ る。 平面楕 円形状 を呈す る扁平 な石材 の下
端 に明瞭 な敲打痕 が見 られ る。
石棒
(S32)上 下端 と図 の裏面 を大 き く欠失す る。石棒 の ご く一 部 が残存 す る。残存 部分 の加 工 は丁寧 であ る。
石錘 (S33∼ 36)レ ヽ
ず れ も円礫 の上 下端 に縄 掛 け部 を作 り出す 。 S33・ S34の 剥 離 は両面 か ら施 され、 明瞭
で あ る。 S35。 S36は 溝状 の決 りを施 し縄掛 け部 を作 り出す もので、 S35は 狽1縁 の片側 に も溝状 の決 りが あ る。
石 皿 (S37・ S39・
S40)S37は 断面形状 で上面 が内湾 して凹んで い る こ とが見 て取 れ る。 この 凹み内 の磨耗
痕 が顕著 で あ る。 S39は 図 の下半 を大 き く欠失す る。 S40は 完形 で あ る。
いず れ も扁平 な石材 を用 い てお り、使用痕 が顕著 で あ る。
勾 玉 (S41)瑶 増製 の小型 の勾 玉である。薄 い赤褐色 を呈 す る。下端 を
―
―
欠失す るが、残存部分 の加 工 は丁寧 で ある。穿孔 は片側 か ら施 されて い る。
:
‖
土 製品 (図 36)
Tlは 4a層 か ら出土 した管状土錘 で あ る。図 の下端 を欠失 してい る。
◎
0
5釧
全体 の調整 は滑 らか に仕上 げ られてお り、径 0.5cmの 穿孔 も丁寧 で あ る。
Mlは
番号
区
遺構 ・ 層位
器種
4層
勾玉
4層 か ら出土 した鉄 製
品 で あ る。下 端 を欠 失 す るが、
角釘 と考 え られ る。
番号
出土層位
器種
Tl
4a層
4層
管 状 土錘
Ⅳ11
最大 長
最大 幅
最大厚
(mm)
(2030)
(mm)
(mm)
法 量 (cm
り
長 さ
享さ
厚 さ
(S=1/3)
特徴
石材
鶏璃
片 回 芽 すし、 小 型 、 刀口上 は
特徴
胎土
管 状 土 錘 、 全 体 ナ デ 、 重 量 3.82 微 砂 、 精 良
角 釘 、 断 lEl長 万 形 に jlEし
鉄釘
図36 包含層 の 遺物 7・ 土 製品・ 鉄製 品
一- 39 -―
Ml
5 cln
(S=2/3)
菫ω
鉄器 (図 36)
Tl
0
J芋
色 調 (内 /外 )
淡橙 褐
自然科学 的分析
第 4章
自然科学 的分析
本調査地点では、13層 上面 で検出 した杭 5点 の う
07-00
ち、1点 について放射性炭素年代測定 を、 また本体
│
調査 区か ら採取 した21点 の土壌サ ンプル に対す る植
物珪酸体分析 ・花粉分析 を (株 )古 環境研究所 に依 _
土壌 サ ンプルの採取 は2002年 5
頼 して実施 した
*。
月23日 に行 った
(図 37A・
C∼
E)。
また、共同溝調査 区の土壌 に対 して蛍光 X線 分析
を岡山理科大学 の 自石純氏 に依頼 して実施 した。11
層
(「
黒色土」層)の 形成 に関 わる情報 を得 る こと
が 目的である。土壌サ ンプルは2003年 1月 15日 に共
同溝調査 区北壁 ・盗癖 の 2カ 所 か ら採取 した
(図 37
①② )。 各 サ ンプルの採取地点 は右 図の通 りである。
以下に報告 を掲載す る。
*注 平成14∼ 15年 度科学研究費補助金 (基 盤研究 (C)(2))「 縄
文時代か ら弥生 時代 にお け る景観比較 と植物遺体 の標本化」
(研 究代表者 :山 本悦世)に
よる。
図37 サンプル採取地点
1。
放射性炭素年代測定
い古環境研究所
a。
試料 と方法
試料名
地点 ・層準
種類
前処理 ・調整
No 2
杭②
樹 木片
酸 一 ア ル カ リー酸洗浄、 ベ ンゼ ン合 成
測定法
AMS法
※AMS法 :加 速器質量分析法
b.測 定 結 果
試料名
14c年
代
(年 BP)
No 2
1400±
50
δ“C
(%。
)
-30.2
HC年 代
(年 BP)
補正
1310± 50
暦年代 (西 暦 )
測 定ヽ
(Beta― )
交 点 :cal AD 690
174662
l σ ical AD 660-770
2 σ :calノ ヘE)650-790
(1)MC年 代測定値
試料 の14c′ 2c比 か ら、単純 に現在 (1950年
AD)か
ら何年前かを計算 した値。HCの 半減期 は、 国際的慣例 によ りLibbyの 5,568年 を
用 いた。
―-
40
-―
放射性炭 素年代測定
(2)δ
13c測
定値
14c/12c比
を補正するための炭素安定同位体比
試料 の測定
(郎
C/2C)。 この値 は標準物質 (PDB)の 同位体比 か らの千分偏差
(%。 )
で表す。
(3)補 正HC年 代値
MC/2Cの 測定値 に補正値 を加 えた上で算出 した年代。
δЮC測 定値 か ら試料の炭素の同位体分別 を知 り、
(4)暦 年代
14c濃 度 の変動 を較正する ことによ り算出 した年代
過去 の宇宙線強度 の変動 による大気 中
の14cの
(西 暦 )。
較正 には、年代既知 の樹木年輪
HC年 代 の比較 によ り作成 された較正曲線 を使用 した。最新 のデー タベースでは、
詳細 な測定値、お よびサ ンゴのU― Th年 代 と
約 19,000年 BPま での換算が可能 となってい る。
14c年 代値 と暦年代較正 曲線 との交点 の暦年代値 を意味する。 1「 (68%確 率)と 2σ (95%確 率)は 、補
暦年代 の交点 とは、補正
。
正14c年 代値 の偏差 の幅 を較正曲線に投影 した暦年代 の幅 を示す。 したがって、複数 の交点が表記 される場合や、複数 のlσ 2σ 値 が
表記され る場合 もある。
文献
Stuiver,X/1,et al.,(1998),INTCAL98 Radiocarbon Age Calibration,Radiocarbon,40,p.1041-1083
中村俊夫 (1999)放 射性炭素法.考 古学のための年代測定学入門.古 今書院,p.1-36.
2。
植物珪酸体分析
閉古環境研究所
a。
は じめ に
植物珪酸体 は、植物 の細胞内 に珪酸 (Si0 2)が 蓄積 したものであ り、植物が枯 れたあともガラス質 の微化石 (プ
ラン ト │オ パール)と なって土壌中に半永久的 に残 ってい る。植物珪酸体分析 は、 この微化石 を遺跡土壌 などか
ら検出 して同定 ・定量する方法 であ り、イネをはじめ とす るイネ科栽培植物 の同定お よび古植 生 ・古環境 の推定
などに応用 されてい る (杉 山、2000)。 また、イネの消長を検討す る ことで埋 蔵水 田跡 の検証 や探査 も可能 であ
る (藤 原 。杉 山、1984)。
b.試 料
分析試料 は、 A地 点か ら採取 された 8点 、 C地 点か ら採取 された 5点 、 D地 点か ら採取 された 3点 、 E地 点か
ら採取 された 5′点の計21′ 点である
(図 37)。
試料採取箇所 を分析結果 の柱状図 に示す
(図 38)。
c.分 析 法
植物珪酸体 の抽出 と定量 は、ガラスビーズ法 (藤 原、1976)を 用 いて、次の手順 で行 った。
1)試 料を105℃ で24時 間乾燥
(絶 乾)
2)試 料約 lgに 対 し直径約40μ
3)電 気炉灰化法
(550℃
4)超 音波水中照射
5)沈 底法による20μ
6)封 入剤
(オ
mの ガラスビーズを約0.02g添 加
(電 子分析天秤 により0.lmgの 精度で秤量)
。6時 間)に よる脱有機物処理
(300W・ 42KHz。 10分 間)に よる分散
m以 下の微粒子除去
イキット)中 に分散 してプレパ ラー ト作成
7)検 鏡 。計数
同定 は、 400倍 の 偏 光 顕 微 鏡 下 で、 お もに イ ネ科 植 物 の 機 動 細 胞 に 由来 す る植 物 珪 酸 体 を対 象 と して行 っ た。
計 数 は、 ガ ラ ス ビ ー ズ 個 数 が 400以 上 に な る まで行 っ た。 こ れ は ほ ぼ プ レパ ラ ー ト 1枚 分 の 精 査 に相 当す る。 試
料 lgあ た りの ガ ラ ス ビー ズ 個 数 に、 計 数 され た 植 物 珪 酸 体 とガ ラ ス ビ ー ズ 個 数 の 比 率 をか け て、 試 料 lg中 の
植 物 珪 酸 体 個 数 を求 め た。
また、お もな分類群 については この値 に試料 の仮比重 と各植物 の換算係数 (機 動細胞珪酸体 1個 あた りの植物
体乾重 、単位
:105g)を か けて、単位面積 で層厚 lcmあ た りの植物体 生 産量 を算 出 した。イネ
―-
41
-―
(赤 米)の 換
自然科学的分析
算係 数 は2.94(種 実重 は1.03)、
ヒエ属
(ヒ
エ )は 8.40、
ヨシ属
(ヨ
シ)は 6.31、 スス キ属
クマ ザサ属 (チ シマ ザサ節 ・ チ マ キザサ節 )は 0175、
メ ダケ節 は1.16、 ネザサ節 は0.48、
(ス
ス キ)は 1.24、
ミヤ コザサ節 は0.30で
あ る。 タケ亜 科 につ い ては、植物体 生 産量 の推定値 か ら各分類群 の比 率 を求 めた。
d.分 析 結 果
分析試料から検出された植物珪酸体の分類群は以下のとお りである。 これらの分類群について定量 を行い、そ
の結果を表 3お よび図38に 示 した。主要な分類群について顕微鏡写真を示す。
イネ科〕イネ、 ヒエ属型、キビ族型、 ヨシ属、ススキ属型
〔
イネ科 ―タケ亜科〕メダケ節型
〔
(メ
メダケ属ネザサ節)、 クマザサ属型
(お
もにススキ属)、 ウシクサ族 A(チ ガヤ属など)
ダケ属 メダケ節・ リュウキュウチク節、ヤダケ属)、 ネザサ節型
(チ
シマザサ節やチマキザサ節など)、 ミヤコザサ節型
(お
(お
もに
もにクマザサ属 ミ
ヤコザサ節)、 未分類等
イネ科 ―その他〕表皮毛起源、棒状珪酸体
〔
(お
もに結合組織細胞由来)、 茎部起源、未分類等
e.考 察
(1)稲 作跡 の検討
水 田跡 (稲 作跡)の 検証や探査 を行 う場合、一般にイネの植物珪酸体
(プ
ラ ン ト・ォパール)が 試料 lgあ た
り5,000個 以上 と高 い密度 で検出された場合 に、そこで稲作が行われていた可能性が高い と判断 してい る (杉 山、
2000)。
ただ し、密度が3,000個 /g程 度 で も水 田遺構が検出 される事例があ ることか ら、 ここでは判断 の基準 を
3,000個 /gと して検討 を行 った。
1)A地 点
4c層
(図 38① )
(試 料
1)か ら 9層
(試 料 11)ま
での層準について分析 を行った。その結果、4c層 (試 料
1)か ら 9
層上部 (試 料 10)ま で各層 か らイネが検出された。 この うち、古代 とされる 5層 (試 料 6)で は、密度が10,100
個/gと かな り高い値 であ り、古墳時代 とされる 6層 で も5,200個 /gと 高 い値 である。また、中世 とされる 4c層 (試
料
1)や
4 cl層
弥生 時代 中期 とされる 7層 (試 料 8)、 弥生時代前期 とされる 8層 (試 料 9)の 各層
(試 料 2)、
で も3,300∼ 4,400イ 固/gと 比較的高 い値 で ある。 したがって、 これ らの各層 では稲作が行 われてい た可能性が高
い と考 えられる。
縄文時代 ∼弥生時代 とされる 9層 上部 (試 料 10)で は、密度が700個 /gと 低 い値 である。イネの密度が低 い原
因 としては、稲作が行われていた期 間が短か ったこと、土層の堆積速度が速か ったこと、採取地点が畦畔な ど耕
作面以外 であったこと、および上層や他所か らの混入な どが考え られる。
2)C地 点
8層
(図 38② )
1)か ら11層
(試 料
(試 料 8)ま
での層準 について分析 を行 った。その結果、弥生時代前期 とされる 8層 (試
料 1)お よび縄文時代 ∼弥生時代 とされる 9層 (試 料 3、 5)か らイネが検出された。密度 は、いず れ も700∼ 1,500
個/gと 比較的低 い値 であ る。イネの密度が低 い原因 としては、前述のようなことが考えられる。
3)D地 点
8層
(図 38③ )
(試 料
1)と 9層
(試 料 2、
3)に ついて分析を行 った。その結果、 これ らの各層か らイネが検出された。
この うち、弥生 時代前期 とされる 8層 (試 料
時代 とされる 9層 (試 料 2、
1)で は密度が2,100個 /gと 比較的低 い値 であ り、縄文時代 ∼弥生
3)で も700個 /gと 低 い値 である。イネの密度が低 い原因としては、前述のような
ことが考 えられる。
4)E地 点
8層
料 2、
(図 38④ )
(試 料
1)か ら12層
(試 料 7)ま
での層準 について分析 を行った。その結果、 8層 (試 料 1)と 9層 (試
3)か らイネが検 出された。 この うち、弥生時代前期 とされる 8層
(試 料
1)で は密度が3,900個 /gと 比
較的高い値 であ る。 したがって、 同層 では稲作が行われてい た可能性が高い と考えられる。縄文時代 ∼弥生時代
―-
42
-―
植物珪酸体分析
と され る 9層 (試 料
2、
3)で は、 密 度 が 700個 /gと 低 い 値 で あ る。 イ ネ の 密 度 が 低 い 原 因 と して は、 前 述 の
ような ことが考 えられる。
(2)イ ネ科栽培植物 の検討
植物珪酸体分析 で同定 される分類群 の うち栽培植物 が含 まれるものには、イネ以外 にもムギ類、 ヒエ属型
エが含 まれる)、 エ ノ コログサ属型
が含 まれる)、 オ ヒシバ属型
(シ
(ア
ワが含 まれる)、 キ ビ属型
(キ
ビが含 まれる)、 ジュズ ダマ属
(ハ
(ヒ
トムギ
コク ビエが含 まれる)、 モロコシ属型な どがあ る。 この うち、本遺跡 の試料 か ら
は ヒエ属型 が検 出された。
ヒエ属型は、古代 とされるA地 点 の 5層 (試 料 6)か ら検出された。 ヒエ属型には栽培種 のヒエの他 にイヌ ビ
エ などの野生種 が含 まれるが、現時点では植物珪酸体 の形態か らこれ らを識別す ることは困難 であ る (杉 山ほか、
1988)。
また、密度 も700イ 固/gと 低 い値 で あ ることか ら、 ここで ヒエ が栽培 されてい た可能性 は低 い と考 え ら
れる。
イネ科栽培植物 の中には未検討 の もの もあるため、その他 の分類群 の中にも栽培種 に由来す るものが含 まれて
い る可能性が考 えられる。 また、キ ビ族型 には ヒエ属やエ ノ コログサ属 に近似 したもの も含 まれてい る。 これ ら
の分類群 の給源植物 の究明 については今後 の課題 としたい。
(3)植 物珪酸体分析 から推定 される植生 と環境
上記以外 の分類群 の検出状況 と、そこか ら推定 される植生 ・環境 について検討を行 った。
縄文時代後期 とされる12層 と11層 では、ネザサ節型が比較的多 く検 出され、メダケ節型や ミヤ コザサ節型 な
ども検 出された。縄文時代 ∼弥生時代 とされる10層 ∼ 9層 では、メダケ節型やネザサ節型が大幅 に増加 してお
り、 9層 では前述 の ようにイネが出現 してい る。弥生時代前期 とされる 8層 よ り上位 では、イネが大幅に増加 し
てお り、その他 の分類群 は減少 してい る。お もな分類群 の推定生産量 によると、9層 よ り下位 ではメダケ節型 や
ネザサ節型、 8層 よ り上位 ではイネが優勢 となってい ることが分かる8
以上 の結果か ら、縄文時代後期 とされる12層 ∼11層 の堆積 当時 は、メダケ属
ザサ属
(お
(メ
ダケ節 やネザサ節)や クマ
もに ミヤ コザサ節)な どのタケ亜科 を主体 としたイネ科植生であ ったと考え られ、比較的乾燥 した環
境 であ った と推定 される。
縄文時代 ∼弥生時代 とされる10層 ∼ 9層 の堆積 当時 は、メダケ属
(メ
ダケ節やネザサ節 )を 主体 としてスス
キ属やチ ガヤ属 なども見 られるイネ科植 生であったと考 えられ、 9層 の時期 には ヨシ属な どが生育す る湿地的な
ところ も見 られた と推定 される。 また、9層 の時期 には調査地点 もしくはその近辺 で稲作が開始 されていた と考
えられる。
弥生 時代前期 とされる 8層 の時期 には集約的な稲作 が行 われるようにな り、イネ科 の野雑草はあまり見 られな
くなったと考 えられる。 また、弥生時代 中期 とされる 7層 か ら中世 とされる 4c層 にか けても、おおむね継続 し
て稲作が行 われていた と推定 される。
植物珪酸体分析 の結果では、花粉分析 で多産 した コナラ属 アカガシ亜属や シイ属などの照葉樹が認 め られない
が、 これは植物珪酸体 は花粉 よ りも現地性が高いこ とか ら、周辺地域 の植 生が反映されてい ないためと考え られ
る。
f。
まとめ
縄 文 時代 ∼ 弥 生 時代 とされ る10層 ∼ 9層 の堆積 当時 は、 メ ダケ属
(メ
ダケ節 や ネザサ節 )を 主体 と して スス
キ属や チ ガヤ属、 ヨシ属 な ども見 られ るイネ科植 生 であった と考 え られ、 9層 の 時期 には調査 地点 もし くはその
近辺 で稲作 が 開始 されて い た と推 定 され る。弥 生 時代 前期 とされ る 8層 の 時期 には稲作 が本格化 した と考 え られ、
弥生時代 中期 とされ る 7層 か ら中世 とされ る 4c層 にか け て も、継続 的 に稲作 が行 われて い た と推定 され る。
一-
43
-―
自然科学的分析
表
3
植物珪酸体分析結果
イネ
ヒエ属型
ヨシ属
ススキ属型
メダケ節型
ネザサ節型
クマザサ属型
ヤコザサ節型
Oryzα 磁油
"(dOmestic rice)
&力
あ盪あa type
滋 s crCedl
物
腕
″ル stype
“ιrasル s sect.Mcね ル
Pル あ
P麟 あ Jasル s scct.NettM
助囮 (ex∝ pt―
w)
0.61
0.45
0。
94
0.49
0.09
0.15
0.33
1.39
0。 22
1.19
1.51
0.15
0.27
0.56
0.06
0.06
0.16
0.42
0.15
0.25
0.38
0.20
0,08
Saw sed.
0.28
0.27
0.04
タケ亜科の比率 (%)
メダケ
P″ わι
ttsrys sed.Meaoル
Pル あbル ″
s sed.Nemsa
ネザサ節型
クマザサ属型
助‐ (eXCept Mレ α
λ
″α
Sの
ミヤコザサ節
0.08
0.08
0。 23
0.17
0.31
0.16
0.05
0.11
0.14
0.09
0.41
0。 48
0.11
0.02
16
33
s″
31
21
単位 :×
D地 点
地点 ・ 試料
E地 点
7
クマ ザ サ 属 型
ヤ コザサ節型
メダケ節型
ネザサ節型
クマザサ属型
ミヤ コ ザ サ節 型
14
7
29
w′ Jッ
13
7
Pル
Pル
8
98
23
15
7
587
586
505
189
:餃 /ポ・cm)
″(dOmcstic Hcc)1 0.62
│
脇 段stype
7島
腕
7
26
371
zα
20
7
8
9
メダケ節型
ネザサ節型
0り
7
7
9
4
ス ス キ属 型
7
7
4
︲
旨
3蜃
型
7
Totd
お もな 分 類 群 の推 定 生 産 量 (単 位
イネ
7
7
7
植 物 珪 酸 体 総数
7
4
︲
イネ科
Galnheac(GaSSes)
イネ
0り "w物 (domcStiC五 ∝)
ヒエ属型
″あαtypc
&″
キ ビ族型
Paniceae“type
ヨシ属
動 rag4滋 s← eco
ススキ属型
腕
″滋 s type
“ “ A typc
Andropogoncac
ウシクサ族 A
タケ亜科
Bmbusoideac oambO。 )
メダケ節型
P麟 あルstts sect Mcあ ル
ネザサ節型
Pル あらルs″ ssed N¨ w
助 磁 (cxCept均 山 凛 )
クマザサ属型
助 w sect.Mレ a極av “
ミヤ コザサ節型
αhcrs
未分類等
その他 のイネ科
Others
表皮毛起源
Husk httr origin
棒状珪酸体
Rod shaped
茎部起源
Stem origin
未分類等
Others
r海 綿唇斜 、
snn.σ e
1 0.09
″Й″
“ら
あ
滋s″ s scct.M`あ た 1 0.89
1 0.13
あら肱s″ ssect Nem磁
ル 磁 (cxCCPt Mレ α腸
"Sa)1
勁 w sed.腕 ν
ab“磁
0.21
0.211 1.15
0.20
0.22
450.461
∝
48
∝
0。
181
0.17
1.16 0.751 0.15 0.55 0.68 0。 16 0.09
25
0.56 0.56 0.37 0.47
0.82 0.871 0。
0・
1 0.04
0.
16
0.H1
0・
10
0・ 11
.04 0.09
Pル
Pた
あらルstts sed崚 あル
jο
らルstts scct.N`れ sα
勁w(cxCeptル リα
basa)
助 m sed.
34
57
-
44
44
8
9
8
44
-
0.H
0.15
47
39
8
6
21
47
13
19
1
0.07
14
75
0.84
0。 44
0。 92
0,17
0.23
0.82
0.67
1。 28
0.05
0.14
0.26
0.17
1.86
1.16
0.44
0.04
0。
68
0.37
0.04
0.14
0。 25
0.24
0.21
0.30
植物珪酸体分析
日
II │_
§
││││1甚
■
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目
ロ
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図
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ミ
ヽ
ミ
ミ
ミ
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ミ
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ミ
ミ
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意
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島
―-
45
-―
│ミ
│ミ
:ミ
│ミ
占
(∫
選当 選
芸
自然科学的分析
イネ
イネ
A地 点
A地 点 6
ヒエ 属型
キ ビ族 型
D地 点 3
ス ス キ属型
A地 点 9
A地 点 10
ネザサ節型
A地 点 7
λ竜員ザ孔節型
海綿骨針
A地 点 11
A地 点 4
イネ
6
A地 点 6
ヨシ 属
A地 点 10
メダケ節型
型
属3
サ
ザ点
マ地
クC
-―
―― -50μ m
図39 植物珪酸体顕微鏡写真
文献
杉 山真二・松 田隆二・藤原宏志 (1988)機 動細胞珪酸体 の形態 によるキビ族植物の
同定 とその応用 ―古代農耕追究のための基礎 資料 として一。考古学 と
自以ψ伴学, 20, p.81-92.
杉 山真二 (2000)植 物珪酸体 (プ ラン ト・ォパール 考古学 と植物学。同成
社,p.189‐ 213.
藤原宏志 (1976)プ ラ ン ト・ォパール分析法の基礎的研 究 (1)一 数種 イネ科栽培植物の珪
酸体標本 と定量分析 法 ―.考 古学 と自然科学,9,p.15‐ 29.
藤原宏志・杉 山真 二 (1984)プ ラ ン ト
・オパール分析法の基礎 的研究 (5)― プラン ト
・オパール分析 による水田址 の探査 ―.考 古学
と自然科学,17,p.73・ 85.
)。
―-
46
-―
花粉分析
3。
花粉 分析
帥古環境研究所
a。
は じめ に
花粉分析 は、一般 に低湿地 の堆積物 を対象 として比較的広域 な植生
。環境 の復原 に応用 されてお り、遺跡調査
においては遺構 内の堆積物 などを対象 とした局地的 な植生 の推定 も試み られてい る。花粉 などの植物遺体 は、水
成堆積物 では保存状況が良好であるが、乾燥的な環境下 の堆積物 では分解 されて残存 していない場合 もある。
b.試 料
試料 は、 A地 点 か ら採取 された 6点 、 C地 点か ら採取 された 2点 、 D地 点か ら採取 された 2点 の計 10点 である
(図 37)。
試料採取箇所 を分析結果 の柱状図 に示 す。
c.方 法
花粉粒 の分離抽出は、 中村 (1973)の 方法 をもとに、以下 の手順 で行 った。
1)5%水 酸化 カリウム溶液 を加 えて15分 間湯煎
2)水 洗処理 の後、0.5mmの 飾で礫 などの大 きな粒子 を取 り除 き、沈澱法 で砂粒 を除去
3)25%フ
ッ化水素酸溶液 を加 えて30分 放置
4)水 洗処理 の後、氷酢酸 によって脱水 してアセ トリシス処理 を施す
5)再 び氷酢酸 を加 えて水洗処理
6)沈 澄 に石炭酸 フクシンを加 えて染色 し、グリセ リンゼ リーで封入 してプレパ ラー ト作成
7)検 鏡・計数
検鏡 は、生 物顕微鏡 に よって300∼ 1000倍 で行 った。花粉 の 同定 は、 島倉 (1973)お よび中村 (1980)を ア ト
ラス として、 所有 の現 生 標本 との対比 で行 った。結果 は 同定 レベ ル に よって、 科 、亜科 、属、亜属 、節 お よび種
の 階級 で分類 し、複数 の分類群 に またが る もの はハ イ フ ン (― )で 結 んで示 した。イネ属 につ い て は、中村 (1974、
1977)を 参考 に して、現生標本 の表面模様 。大 きさ 。孔 。表層 断面 の特徴 と対比 して同定 して い るが、個体変化
や類似種 が あ るこ とか らイネ属型 とした。
d。
結果
(1)分 類群
出現 した分類群 は、樹 木花粉 31、 樹 木花粉 と草本花粉 を含 む もの 3、 草本花粉 20、 シダ植物胞子 2形 態 の計 56
で あ る。 分析 結 果 を表 1に 示 し、花粉 数 が 100個 以上計数 された試料 につ い て は花粉 総 数 を基 数 とす る花粉 ダイ
アグラム を示 した。主要 な分類群 につ い て顕微鏡写真 を示す (図 39)。
樹木花粉〕 マ キ属、モ ミ属、 ツガ属、 マ ツ属複維管束亜属、 スギ、 コウヤマ キ、イチイ科 ―イヌ ガヤ科 ―ヒノキ科、ヤマモモ属、 ク
〔
ル ミ属、サ ワグル ミ、ノグル ミ、ハ ンノキ属、カバ ノキ属、 クマシデ属 ―アサダ、クリ、 シイ属、 ブナ属、 コナラ属 コナラ亜属、 コナ
ラ属ア カガシ亜属、 ニ レ属 ―ケヤキ、エ ノキ属 ―ム クノキ、ア カメガシワ、サ ンシ ョウ属、キハ ダ属、モチノキ属、 カエデ属、 トチノ
キ、ブ ドウ属、 ツタ、 ニ ワ トコ属 ―ガマズ ミ属、 イスノキ属
樹木花粉 と草本花粉 を含むもの〕 クワ科 ―イラクサ科、 マメ科、 ウ コギ科
〔
草本花粉〕 ガマ属 ―ミクリ属、オモ ダカ属、イネ科、イネ属型、 カヤツリグサ科、イボクサ、 ミズアオイ属 、 タデ属サナエ タデ節、
〔
ソバ属、ア カザ科 ―ヒユ科、ナデ シ コ科、アブラナ科、アリノ トウグサ属 ― フサモ属、チ ドメグサ亜科、セ リ亜科、 シソ科 、 ゴキヅル、
タ ンポポ亜科、キク亜科、 ヨモ ギ属
〔シダ植物胞子〕単条溝胞子 、三条溝胞子
―-
47
-―
自然科学的分析
(2)花 粉群集 の特徴
:)A地 点
(図 40① )
9層 では、草本花粉 よ りも樹木花粉 の 占める割合 が高い。樹木花粉では、 コナラ属 アカガシ亜属 が優 占し、 コ
ナラ属 コナラ亜属、 シイ属、スギなどが伴 われる。草本花粉 では、イネ科
(イ
ネ属型 を含む)が優 占し、 ヨモギ
属、 カヤツ リグサ科、 ガマ属 一 ミク リ属、オモ ダカ属な どが伴 われる。 8層 では、イネ科
(イ
ネ属型 を含む)の
占める割合が増加 し、 ヨモギ属 は減少 してい る。 6層 では、花粉密度がやや低 く、草本花粉 ではイネ科
(イ
ネ属
型を含 む)の 割合が増加 してお り、樹木花粉では コナラ属 コナラ亜属が増加 している。 5層 ではイネ科 の うちイ
ネ属型の 占める割合が増加 してお り、 4c層 ではソバ属 が出現 している。 4a層 では草本花粉 の 占める割合が増
加 し、樹木花粉 と草本花粉 の割合 は、ほぼ同程度 となってい る。草本花粉ではイネ科 や ヨモギ属 の割合が増加 し、
樹木花粉では コナラ属 アカガシ亜属やスギが減少 してい る。
2)C地 点
11層 では、花粉が ほとん ど検 出されなかった。10層 では、イネ科、 アブラナ科、オモ ダカ属 などが検出された
が、 いずれ も少量である。
3)D地 点
(図 40② )
9層 では、花粉密度が比較的低 く、樹木花粉 よ りも草本花粉 の 占める割合 が高 い。草本花粉 では、 イネ科や ヨ
モギ属 が優 占し、キク亜科、カヤツリグサ科、アブラナ科 などが伴われる。樹木花粉では、 コナラ属アカガシ亜
属、コナラ属 コナラ亜属、シイ属、クリが出現する。 8層 で も同様 の分類群が出現するが、いず れ も少量である。
e.花 粉 分 析 か ら推 定 され る植 生 と環 境
縄文時代 とされる11層 お よび縄文時代 ∼弥生時代 とされる10層 については、花粉が ほとんど検出されないこと
か ら、植生や環境 の推定は困難である。花粉が検 出されない原因としては、乾燥 もしくは乾湿 を繰 り返す堆積環
境下 で花粉 などの有機質遺体が分解 された ことなどが考えられる。
縄文時代 ∼弥生 時代 とされる 9層 か ら弥生時代前期 とされる 8層 にかけては、 ヨモギ属、イネ科、 カヤツ リグ
サ科 などの草本が生育す る比較的乾燥 した環境 であ ったと考え られ、周辺 ではオモダカ属 が生育す るような水湿
地 も見 られたと推定 される。 また、同層準 ではイネ属型の花粉が認め られることから、調査地点 もしくはその周
辺 で稲作が行われていたことが考 えられる。 これは、植物珪酸体分析
(前 掲 )に
ていることと符合 してい る。森林植生 としては、周辺地域 にカシ林
ナラ属 アカガシ亜属)を 主に、シイ林
イ属)、 ナラ林
(コ
(コ
よ り、同層準か らイネが出現 し
(シ
ナラ属 コナラ亜属)、 スギ林 などで構成 される多様 な森林が分布 していたと推定 される。
古墳時代 とされる 6層 か ら古代 とされる 5層 にか けては、稲作が本格化 したと考え られ、 中世 とされる 4c層
か ら 4a層 にか けて も継続的に稲作 が行 われていたと推定 される。 また、 4c層 の時期 には、ソバ などを栽培す
る畑作 も行 われていた と考え られる。周辺地域 の森林植生は、大 きく変遷することはなかったと考えられるが、
中世 とされる 4a層 にか けてはマ ツ林やクリ林がやや増加 し、カシ林 は減少 したと推定 される。
なお、花粉分析 では植物珪酸体分析で多産 したタケ亜科 が把握 されていないが、 これは竹笹類が数十年に一度
しか開花 しないこ とや、花粉ではイネ科 の細分が困難なことに起 因している。
文献
金原 正明 (1993)花 粉分析法による古環境復原.新 版古代の 日本第 10巻 古代資料研究の方法,角 川書店,p.248-262.
島倉 巳三郎 (1973)日 本植物 の花粉形態。大阪市立 自然科学博物館収蔵 目録第 5集 ,60p.
中村
純 (1973)花 粉分析 .古 今書院,p.82-110.
中村
純 (1974)イ ネ科花粉 について、 とくにイネ (Oryza sativa)を 中心 として。第四紀研究,13,p.187-193.
中村
中村
純 (1977)稲 作 とイネ花粉.考 古学 と自然科学,第 10号 ,p21-30.
純 (1980)日 本産花粉 の標徴。大阪 自然史博物館収蔵 目録第 13集 ,91p
―-
48
-―
花粉 分析
表
4
花粉分析 結果
分類群
学名
和名
_____―
__
A地
一
樹木花粉
マキ属
渤 ο 7‐
“
Cψ
j“
ο
″
″′ノ
ζ
′
"″
qガ リ
sッ ´
″Jα rra′ α
S鷹 ′
″
スギ
7
3
コウヤマキ
1
Taxaceae― Cephalotaxaxeae― Cupressaceac
イチイ科 ―イ ヌガヤ科 ―ヒノキ科
1
ルタガ
“
I撼 い
ヤマモモ属
ク
¨″
ック所ο
“
jレ σ
′
′
Praν ッas′ ″ら
“
サワグル ミ
6な
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10
4
b`レ ″
Cy`′ ο
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“
‐
a″
Zθ rbνa s″ ′
訥 ″ i“
施 ″ο
“
Z4z″ り 勧
サ ンシ ョウ属
コα
モチ ノキ属
5
10
5
2
1
1
5
1
1
1
1
18
3
0
6
3
34 24
1
1
33 31
11
104
1
11
28 66 6〕
26 100 03
コナ ラ属 アカガ シ亜属
ニ レ属 ―ケヤ キ
エ ノキ属 ―ムク ノキ
10
1
1
2
5
3
8 11
6 10
5
23 50 42
1
1
3
コナラ属 コナラ亜属
“
′α
Cdis‐APλ
a′ ″ 訪′ 賀′´
5
10
2
2
クリ
S“ bgtt
点
1
3
1
1
1
クマシデ属―アサダ
ガCa
′
ηο
ックノ
D地
1
ノグル ミ
ハンノキ属
α
l“
′
bgω ■
″ ●
″jあ ら
“
“
"ぉ
8
26
1
シイ属
ブナ属
0“ 鮮¨
13
23
クル ミ属
j″
1
1
カバノキ属
ψ
点
3
1
1
●4
Pi""s“ らg“ .Dノ οッ′
Prer●
C地
1
モ ミ属
ツガ属
マ ツ属複維管束亜属
C′
___
点
2
5
11
2
1
3
アカ メガ シ ワ
4
130
1
1
4
4
1
キハ ダ属
1
1
カ エデ属
Aω
ルs″ /bj″ ′ra
“
トチノキ
ブ ドウ属
ツタ
ニ ワ トコ属―ガマズ ミ属
イスノキ属
樹木・草本花粉
クワ科―イラクサ科
L諄dnosae
マメ科
ウコギ科
草本花粉
ツ Йα
'arg′
Sagi″ ari′
ガマ 属 ―ミク リ属
″
“
Cramineae
θ7yz′ 炒
3 10
00 10 70 31
2 10 34
2
10 ,3 21
8
オ モダカ 属
イネ科
イネ属型
`
カヤ ツ リグサ科
1
2
91
72
1
0
24
31
1
イボ クサ
1
3
ミズアオイ属
わ ″g・ Z"Saル
バicaガ ´
3
タデ属サ ナ エ タデ節
アカザ科 ―ヒユ 科
CaryoPhyllaCeae
ナデ シコ科
1
1
Cruc」 睦
rae
ア プラナ 科
ア リノ トウグサ属 ―フサ モ 属
Hydrocotyloideae
チ ドメグサ 亜科
セ リ亜 科
Lbiatae
シ ソ科
1
1
″″あ″ゴS‐Myだ 叩り Jra“
Apioideae
3
1
1
2
3
1
2
2
1
1
ゴ キ ヅル
キク亜科
Arruis,′
ヨモギ属
■m"ore
シダ植物胞子
Arboreal o Nonarbored P。
1len
10
'3
1
1
1
,
21 11
HeL血 ■ c鰤
3
1
2
1
3
4
1
2
1
3
10
1
3
21
44
11
3
樹木花粉
樹木・ 草本花粉
花粉 総数
0
102
303
3
4
98
131
171
208
438
455
草本花粉
Total,ollen
1
1
7
1
単条溝胞子
三条溝胞子
Arboreal pollen
3
1
タ ンポ ポ亜科
Asteroideae
2
3
ソバ 属
Chenopodiaceae‐ Amarallthaceae
10
未同定花粉
4
シダ植物胞子
14
,73
6
寄生 虫卵
←
)
{→
ヒ残漆
明 らかな消イ
←
(→
)
―-
49
-―
51
0
224
3
50
114
110
212
1
170
301
7
10
26
0
1
2
12
428
19
3
│
5
25
25
,0
←
)
(→
11 5'
22 87
自然科学 的分析
花粉分帯
│
粉
韓花
キク
オ
ガ
ガ
ラ
タ ンポ ボ 亜 科
チド メグ サ 亜 科
カ ヤ ツリグ サ
イネ 科
ク フ科 ︱ イ ラ ク サ 科
ニ レ属 ︱ ケ ヤ キ
赫花
粉
¬1
コナ ラ 属 ア カ ガ シ 亜 属
-
50
―-
シイ属
図40 花粉分析 結果
花 粉 計 数 が 100イ 固以 上 200イ 固未 満
□
1%未 満
i l i l : │ : 1 153%卜
♀
粉総数 が基 数)
100%(花
コナ ラ 属 コナ ラ 亜 属
マツ属 複 維 管 束 亜 属
■ 樹 木 花 粉
日 草 本 花 粉
ロ シ ダ 植 物 胞 子
「
模式柱状図 蒻
Ҭ
D地 点における花粉ダイアグラム
②
A地 点における花粉ダイアグラム
①
│
1
草本花粉
中世
古代
古墳 時代
弥生 ∼ 縄 文時代
花粉分析
1
2
スギ
一
一
一一
6
,I議 証 ■
1攀 │1111111
:
1血
│││● 1■
シ イ属
クマ シデ 属 一アサ ダ
3
││││││1111:││││││││││││││││││││││:││││││││││││││
鰺
茫︺
1辮
││││││‐
ハ ンノ キ属
コナ ラ属 コ ナラ亜属
‐
■織 ■ ‐
│‐
│11111111
││1響 │││li
ラ属 ア カ ガ シ亜 属 9
││││││││││││││││││││││││││1賦
エ ノ キ属 一ム ク ノ キ
│
10
トチ ノ キ
■‐
移 ││││││11111111
1躙
●F
11
13
イネ科
倅
カヤ ツ リグサ科
一
■●●瀑
経一一一
一
一
一
一
一
一
一一
儡││■
14
アカザ科―
ヒユ科
15
ソバ 属
■■■ ■■■ ■奪
│・
│‐
棘
17
セ リ亜科
18
キ ク亜 科
19 ヨモギ属
図41 津島岡大遺 跡第28次 調査の花 粉 ・ 胞 子
―-
51
-―
20
シダ植物単条溝胞子
…… ‐ 10μ m
自然科学的分析
4。
津島岡大遺跡第28次 調査 の土壌分析 につ いて
白石
岡山理科大学
共同溝調査 区北壁 。東壁 の各 土層か ら合計 5点 の土壌 をサ ンプリ ングし
(図 37① ② )、
純
その平均値 を表 に掲載
した。なお東壁 もほぼ同 じ分析結果 となった。表 5で は省略 してい る。
1.各 土層で比較す ると10元 素 の うちFe元 素 のみ差がみ られた。
2。
Fe量 は 6層 で もっとも多 く含 まれ、ついで1l a層 に多 く含 まれていた。 このことか ら、Feの 量が土層 の色
調に反映 してい る ことは十分 に推測 される。 またその他 の元素には、顕著な差がみ られず、分析値 か らこれ以上
の検討 はで きない。
3.土 壌 のPH値 を調べ た。す ると 5層 までの上層 では微 アルカ リであ ったが、 6・
11・
12層 では中性 で、13層
では微 アルカ リとなった。
表
層位
色調
PH値
時期
黄褐 色 砂 質
近世
黄褐色砂 質
中世
黄褐 色砂 質
淡黄灰色砂 質
淡黄灰色砂 質
明黄褐色砂 質
黒褐色 粘 質
淡黄褐 色砂 質
淡青灰色粘 質
75
5
蛍光 X線 分析結果
Al
Ti
Mn
中世
0
中世
0
中世
0
0
59 69
7
K
ⅣIg
22
95
弥生前期
縄 文後期
縄 文後 期
1957
7 96
0 23
0 11
層位
0 22
21
14
層位
Eヨ
42
-
蛍光 X線 分析結果
52
-―
まとめ
第 5章
ま とめ
津 島岡大遺跡 第28次 調査 で は、縄 文時代後期 か ら近世 に至 るまでの土地利用 の変遷 を検討す る こ とがで きた。
また岡 山大学設置直前 の道路遺構 につい て も新 たな知見 を得 た。
縄文時代後期
本調査 地点 で は、 縄文時代後期 の微 高地 と、 谷部へ と続 くとみ られ る斜面地形 を確 認 した。微 高
地上で は土 坑 ・ ピ ッ ト多 数 を検 出 したが、 明 らか な配列 をみせ る柱 穴や火処 は確 認 で きなか った。微 高地 か ら北
へ 向か って下が って い く斜 面部分 で は遺構 は認 め られず 、縄 文後期土器片や石器 を分 散 的 に検 出 した。石器 は石
鏃 ・ス ク レイパ ー ・石錘 。石 皿 な ど多様 な器種 が見 られ、人 の活動 を推測 させ るが、火 処 やチ ップの散在 な どは
な く、石器加 工 の痕跡 も本地点 で は認 め られ ない。本調査 地点 よ りも北倶1に 流 れ る とみ られ る河道 は、 第 3・ 15
次調査 地点及 び第 6・ 9次 調査 点 か らつ なが って くる河道 と考 え られ る。それ らの調査 地点 では川 岸 を貯蔵 地 と
して利用 されてい ることが判明 してい る。本調査地点 はそ うい った利用 は希 薄な地点である。本調査地点か ら東
に150mの 第17次 調査地点や、東 に300mの 第 3・ 15次 調査地点 に見 られるような密度 の高い活動域 とは異な り、
居住域 の縁辺 であることが窺 える。居住域周辺 の土地利用 の分布 を考 える上で一つの有益 な材料 となる。
弥生時代 ∼古墳時代 早期 の遺構 。遺物 は11層 (「 黒色土」層 )中 に認 め られる。 11層 の成因に迫 るべ く蛍光
X線 分析 を試みた。その結果、黒色土上面 に鉄 分 の沈着 が顕著である ことがわか り、その要因 としては水稲耕
作 を含 む継続的 な耕作が考 え られる。土壌分析 か らも弥生時代前期以降、耕作地 として利用 されていたことを
裏付 け る成 果 を得 る ことがで きた。 11層 上 面 で検 出 した水 田畦畔は地形 に沿 った 区画 をと りなが ら微高地上に
展開 をみせ、一定 の拡が りをもった水 田経営が行われていたことがわかった。植物珪酸体分析 の結果か らは量 と
しては700イ 固/gと 多 くはない ものの、イネのプラ ン トオパールが検出 されてお り、稲作が開始 されてい る こと
が裏付 け られてい る。以上の ことはこれまでの津島岡大遺跡 の前期水田に関する成果を補強する。水田畦畔の検
出は弥生時代前期 の一面 のみであったが、古墳時代前期 についてはそれまで と同様 の地形に沿 った溝 が確認 され
てお り、区画 の意識が継続 してい ることが窺 える。
また 8層 で検出 した弥生時代 中期 の溝 1は 中期中葉 ∼後葉 の遺物を多 く出土 し、貴重な資料 を得 ることがで き
た。周辺 の調査成果 も併せてみると、 断面 U字 形 の下層溝 は谷地形 の底近 くをたどるように走行 し、東 の第 6次
調査地点へ と至るとみ られる。一方 ほぼ同様 の流路 をとるものの幅広 い皿状 の断面形状 をもつ上層溝 は第12・ 13
次調査地点へ とつ ながる可能性 をもつ。中期中葉 に用水路 としての整備が行 われた可能性 を示す ものとして注 目
される。
古代・ 中世 古代 。中世 の遺構 は、耕作 に伴 うと考え られる溝 であ る。古代 の溝か ら方向が南北方向 とな り、少
な くともこの段階で正方位 に従 った区割 りが出現 してい ることが確認 で きる。 また古代層 であ る 6層 の堆積段階
には、それまでの微高地部 と傾斜面 とい う高低差が ほぼ解消 され、耕作 に適 した平坦な土地が拡がるようになる。
また耕作地 としての利用が続 いてい る ことがわかる。植物珪酸体分析結果 では古代 のイネプラン トオパール検出
量が飛躍的に多 いことが注 目され耕地 の広が りと収穫量 の関連性 を うかがえる。
中世遺構 も同様 に耕作地 としての利用 が続 いた ことがわかる。中世では畝に伴 う溝 を数条確認 し、畑作利用 を
想定す ることがで きた。耕作 の内容 についての検討 は今後土壌の分析成果、あるいは文献 との照合 もあわせて進
めてい く必要があろ う。
近∼現代
岡山大学設置直前 につ くられた とみ られる道路 を確認 した。 これまで陸軍造成による造成土 と一括 し
ていた 1層 が、陸軍造成時 とその後 の岡山大学 の造成 とに分 け られることを確認 できた。
本調査地点では縄文時代後期以降の土地利用 のあ り方 について、有益 な資料 を得る ことがで きた。検出 した遺
構 ・遺物 は決 して多 くはないが、ないこ との意味 も有益である。津 島岡大遺跡 の調査 も今 回で28次 とな り、遺
跡全体 を通 じた内容 の検討 をさらにすすめてい きたい。
―-
53
-―
図 版 一 土器 ︵
溝 1 ・包含層︶
1∼ 10:溝 1個
16)
―-
55
-―
図版 二 石器 ︵
溝 1 ・包含層︶
〔
石鏃〕
Slへ´6:溝
〔
石斧〕
1(図 17)(S■ 約1/2)
〔
敲石〕
〔
石皿〕
S37∼ 40:包 含層 (図 3D
(S3フ ・38は S=1/2,s39・
-
56
-―
40は S=1/3)
笏 翡 餡兌 鰤 覺 鋏
覺
S9
S8
Sフ
S10
Sll
S12
S14
S13
S15
S16
〔
石鏃〕 (S=1/a
謳薇囃涸儡F
7
︲
S剛¨
S25
S18
〔
楔形石器〕
(S=1/2)
〔
剥片石器〕(S=1/a
〔
石匙〕(S=1/a
S32
〔
石棒〕 (S=1/a
S21
S27
S31
〔
磨石 ?〕
S30
(S=1/2)
〔
石斧〕(S=1/2)
S33
S36
〔
石錘〕(S‐ 1/a
―-
57
-―
S41
〔
勾玉〕G=1/1)
包 含層 ︶
図版 三 石器 ・勾玉 ︵
謳
報告書抄録
ふ り が な
圭日
副
書
巻
つ しまおかだ いいせ き
名
津 島岡大遺跡 18
-第 28次 調査 一
名
自然科 学系 総合研 究棟新 営
次
シ リー ズ名
岡山大学構 内遺跡発掘調査報告
編 著 者 名
岩崎
編 集 機 関
岡山大学埋 蔵文化財調査研 究 セ ンター
所
在
地
発行年月 日
ふ
りが な
所 収 遺 跡
志保、 自石
純
TEL 086-251-7290
〒700-8530 岡山県 岡山市津 島中 3丁 目 1番 1号
2008年 3月 21日
ふ りが な
コー ド
所在 地
市 町村
Jヒ 糸
章
遺跡番号
東経
(世 界測地系 )
調査期 間
調査 面積
調査 原 因
1798rd
自然科学
系 総合研
究棟新営
(世 界測地系 )
20020415
し市 目
戦山 丁
わ岡 3
﹄県 か中
電山 け島
渤岡 つ
津
津 島岡大遺跡
34度41分 133度55分
20秒
22秒
33201
1番 1号
S
S
34度41分
22秒
133層 モ
55夕 )
24矛 少
S
0920
(本 体 )、
20021128
S
20030115
(共 同溝 )
所収遺跡名
津島岡大遺跡
次
第 28
調 査 地 点
主
な
主 な遺物
別
主 な時代
そ の他 の
生 産遺跡
縄文時代
土坑
田畑
弥生 時代
焼 ± 1基 、溝 2条 、水 田畦畔
弥 生土 器 ・石 器 。木
製品
田畑
古墳 時代
2条
須恵器 ・土師器
田畑
古代
4条
須 恵器
田畑
中世 ∼ 近世
溝 ・ 土坑 3基
須恵器 ・ 土器 ・ 陶磁
器 ・鉄製 品
そ の他
近 ∼ 現代
道路状遺構
ガイシ
種
1、
遺
構
ビ ッ ト多数
縄 文 土 器、石器
2008年 3月 21日 発行
岡山大学構 内遺跡発掘調査報告
第24冊
津 島岡大遺跡 18
編集 。発行
岡山大学埋 蔵文化財調査研究 セ ンター
岡山市津島中 3丁 目 1番 1号
(086)251-7290
印
刷
西尾総合印刷株式会社
岡山市津高651
(086)254-9001
特記事項
漏増 製勾
玉 1点
Fly UP