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第11回(2012.4.9) 「十字架の一週間」

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第11回(2012.4.9) 「十字架の一週間」
四月の賛美・・・「十字架から復活へ・・・そして今」
①丘に
立てる
荒削りの
十字架に
かかりて
救いぬしは
人のために
捨てませり
命を
十字架に
イエス君
我を
あがない
たもう
十字架の
悩みは
我が罪の
ためなり
十字架にイエス君 我をあがないたもう
十字架の悩みは 我が罪のためなり
③明けに
染みし
荒削りの
十字架は
美(うるわ)し
赦(ゆる)し
与え
きよくするは
ただ主の血
あるのみ
十字架に
イエス君
我を
あがない
たもう
十字架の
悩みは
我が罪の
ためなり
君こそ
勝利の
主なれ
君こそ
真の主なれ
ほめよ
イエスを
我らの神を
①墓の
中に
いと低く
葬られたり
ああ
我が主
②番し
続けし
兵の努力
空しかりき
ああ
我が主
君こそ
勝利の
主なれ
君こそ
真の主なれ
ほめよ
イエスを
我らの神を
③封印 かたき 門(かど)
かど) やぶり
出(い)でたまえり ああ わが主
②世人(よびと)笑い あざけるとも
十字架は 慕(した)わし 小羊イエス
神の御子が つけられし 木なれば
十字架にイエス君 我をあがな
いたもう
我をあがないたもう
十字架の悩みは 我が罪のためなり
よみより かえり
死と あくまに かちし
よみより
かえり
死と あくまに かちし
黄泉
(よみ)
より
帰り
死と
悪魔に
勝ちし
君こそ
主は今
勝利の
生きておられる
主なれ
我が内におられる
君こそ真の
主なれーー
ほめよ
イエスを
われらーの
かーみーを
君こそ
勝利の
主なれ
君こそ
真の主なれ
ほめよ
イエスを
我らの神を
全ては 主の 御手にあり
明日も 生きよう 主がおられる
主は今
生きて
おられる
我が内に
おられる
全ては 主の御手にあり
明日も生きよう 主がおられる
主は今
生きて
おられる
全ては 主の 御手にあり
明日も 生きよう 主がおられる
我が内に
おられる
全ては
主の
御手にあり
明日も
生きよう
主が
おられる
★ 丘に立てる(アイリッシュハープ) http://www.youtube.com/watch?v=Q15K3gUvqWc&feature=related
★ 丘に立てる(賛美歌MD集 303 番) http://homepage2.nifty.com/suesue/midi/sanbika.html
★ 墓の中にいと低く(MD) http://www1.odn.ne.jp/math_tsukuba/Song_243.html
★ 主は今生きておられる(合唱) http://www.youtube.com/watch?v=en7assyIQhM
今月のメッセージ・・・「十字架の一週間」
「再臨前リバイバルへの近道Ⅳ」
リバイバルへの近道Ⅳ
「最後の一週間(マルコ)」
(1) 復活の姿(六日目)
(2) 神と人の関係(★権威・★復活)
(3) 最後の一週間で最強調点
★ 100%の献身と献金
★ 仕える僕の姿
(4) 終末の教え
(5) イスラエルの平和(ぶどう園)
「再臨前リバイバルへの近道」の第四回目です。今回はマルコが聖霊の感動によって記した、イエス様の「最後の一
週間」を追って、今の時代を生きる私達に語られている非常に重要なメッセージを見出して行きたいと思います。
永遠から永遠まで「最重要事項」
教
会
時
代
≪・・・・・旧約時代・・・・・≫
再
臨
前
リ
バ
イ
バ
ル
栄
光
・
新
再臨 天
新
千年王国 地
マルコ福音書の記事による「イエス様の十字架の一週間」
日曜日
月曜日
火曜日
(水曜日)
エルサレムへ 朝:いちじくの木 朝:いちじくの木 (安息の日)
木曜日
金曜日 土曜日 日曜日
十字架
墓の中
復活
ナルドの
香油
300デナリ
宮清めの日
ベタニヤ泊
ーーーー
論争と教えの日
★権威 ★税金
★ぶどう園農夫
★サドカイ人復活
★最重要の戒め
★律法学者の様
★やもめの献金
★神殿 ★終末
(葬りの準備)
ーーーー
ー(シモンの家)ー
埋葬
顕現
最初から最後までの永遠の中に於いて、最も重要な出来事は、十字架と復活です。イエス様の十字架上の七つの
言葉に最もスポットライトが当てられ、これを遺言として尊んでいますが、十字架の一週間(日曜日から日曜日の八日
間)で、イエス様は、再臨の時期の兆候について多くを語っておられます。それと共に、「神の真の僕」の姿を、実際の
行動で示して、再臨直前を生きる私たちが至っているべき「真の僕の姿」を明白に語っておられます。イエス様が十字
架の前日に弟子達の足を洗った謙遜な姿こそ、「再臨前リバイバル」への鍵となる無言の遺言であると言えます。
そしてマルコが、前週の土曜日と思われるラザロ家での一日を水曜日とした意味をも考えて行きたいと思います。
リバイバルへの近道Ⅳ
「最後の一週間(マルコ) 」
(1) 復活の姿(六日目)
(2) 神と人の関係(★権威・★復活)
(3) 最後の一週間で最強調点
★ 100%の献身と献金
★ 仕える僕の姿
(4) 終末の教え
(5) イスラエルの平和(ぶどう園)
イエス様のヴィジョン
あらゆる部族・国語・民族・国民・・
「イエス・キリストは私たちを愛して、①その血によって
私達を罪から解き放ち、また、①私たちを王国とし、ご
自分の父である神のために②祭司としてくださった方」
黙示録の一章と五章の二箇所にだけ、イエス様が十字架で血を流して私たちを贖って下さった理由が書いてありま
す。それは御父があまりに人を愛すので、その父の願いをかなえてあげたくて、彼らを神の子、神の王国の民とする
為に、霊・魂・肉に壮絶な痛みを伴う十字架を決断したのです。
そして。単に民を生み出すためだけではなく、その為に祈る祭司をも十字架の血で生み出しました。なぜなら御父
は、御使いと人間を含む全ての被造物に自由意志を与えたが為に、強制的、自動的に神を礼拝するのではなく、自
主的に、そして真心からの礼拝をする民が起こるようにと、祈り求める祭司の存在が必要でした。祈った事に対して、
初めて神様は、人間の心と霊に働きかけをはじめる事ができるからです。
★黙示録1:5-6 「・・・イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、私たちを①
王国とし、ご自分の父である神のため②祭司としてくださった方である。キリストに栄光と力とが、とこしえにあるように。
アーメン。」
イエス様の十字架の贖いだけではなく、被造物である人間側の祈りが神様父子のヴィジョンの実現の為に不可欠
でした。ですから、祭司の存在はとても重要で、それゆえに来るべき永遠の世界では祭司は王とされるのです。それ
程までに、天のお父様の御心を知り、その為にとりなしの祈りを捧げる事は、神様を喜ばせる価値の高い生き方です。
★黙示録5:9-10「・・・あなたは、ほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、神のために人々を贖い、
私たちの神のために、この①人々を王国とし、②祭司とされました。彼らは②地上を治めるのです。」
使徒ペテロも、この真理を裏書しています。
★Ⅰペテロ2:9 「あなたがたは、選ばれた種族、②王である②祭司、①聖なる国民、神の所有とされた①民です。そ
れは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたが
たが宣べ伝えるためなのです。」
私たちの信仰の父アブラハムは、神様から子孫繁栄の約束をいただいた時、「王たち」が出る事を告げられました。
★創世記17:6 「あなたから、②王たちが出て来よう。」
この、来るべき永遠の神の王国で、王の王として君臨なさるイエス様と共に諸国を治めるようになる「祭司(レムナン
ト)」とは、「勝利を得る者」です。ですから、真の祭司としての役割を果たせる程までに勝利を得た者は、来るべき永
遠の王国に於いて、王の王イエス様と共に、厳しく諸国の民を支配すると、下記にあります。
★黙示録2:26-27 「②勝利を得る者、また最後までわたしのわざを守る者には、②諸国の民を支配する権威を与え
よう。彼は、鉄の杖をもって土の器を打ち砕くようにして彼らを治める。わたし自身が父から支配の権威を受けている
のと同じである。」
イエス様は、下図右の表に於いて二段目の「イエス様の生涯」では、十字架で勝利をし、復活され、天の御国に入
って神の右の座に着かれ、全ての名に優る名が与えられました。イエス様は現在、天に於いて、王の王、大祭司です。
★ピリピ2:8-9 「キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも
従われたのです。それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。」
二種類の信仰者の存在
「神の子・神の民」と「王である祭司
」
「神の子・神の民」と「王である祭司」
世
2
祭壇
洗盤
新生
私たちの神のために、この人々を①
私たちの神のために、この人々を①王国とし、
②祭司とされました。彼らは
地上を治めるのです。
のです。
祭司とされました。彼らは地上を治める
天地創造と幕屋の器具の順序 ★目標 ★目的
3
4
5
6
7
1
パンの机
燭台 香壇(祈)
契約の箱 贖いの蓋
イエス様の生涯
★目標 ★目的
クリスチャンの一生
聖化
★目標 ★目的
(心の)栄化
主の日・その日・主の大いなる日
私たちクリスチャンは、①神の子・神の民となった救いを受けた段階に留まったまま幼子として天国に行くのか、②
一生の歩みの中で神様の願いを知り、それをとりなして神様の御業に参加して行く祭司に代表されるレムナント(神の
真の僕・真実の弟子・聖い花嫁・・・)までせいちょうして、天国で栄誉と報いを受けるのかの、二種類があります。
★1コリント3:12-15 「もし、だれかがこの土台(キリスト)の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、各人の
働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現われ、この火がその
力で各人の働きの真価をためすからです。②もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。もしだれ
かの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、①自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。」
ですから、上図右の下段にあるクリスチャンの一生で、この世にあって肉の思いが火のような試練の中で十字架に
釘付けて死なせてしまうのなら、イエス様ご自身が私たちの心の内で生きて下り、それが最後の火を通り抜けても燃
やされる事のない「報い」となります。この世にあって、ガラテヤ 2;20 のラインに至るのです。
★ガラテヤ 2:20 「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうち
に生きておられるのです。」
♪「主は今、生きておられる。我が内におられる。全ては主の御手にあり、明日も生きよう、主がおられる。」
結局は、私たちのどんな生まれつきの美点も長所も、天の父の御前では肉に過ぎず、私たちの内に現れたキリストの
霊性(性質)だけが、天のお父様の御心にかなうのです。近年になって、ウオッチマン・ニーなどの多くの預言的メッセ
ージで語られているのは、「神様が、私たちの生まれつきの長所や短所を、ひとたび十字架の火を通過させて聖めな
くては、本当の意味で用いる事はできない」と言う事で、それは天国での永遠の報いにも繋がる事です。
この十字架上で肉を死なせてサタンに勝利し、復活されて栄光を受けられたイエス様が私たちの心の中で生きる
(ガラテヤ2;20)事ができるように、私たち人間は、天地層像の六日目に「復活されたイエス様」に似せて、創造されま
した。上図右の表の上段、中断、下段を比較して下さると、私たち信仰者は肉体が死ぬと復活されたイエス様のよう
に霊の体となって天国に入り・・・、地上で心が殉教してサタンに勝利すると、そのたびごとにイエス様の復活の命が自
分の心の中で生き、肉体が死ぬのを待たずに、この地にあって、心の中で天国を味わう事ができるのです。
★ルカ 17:21「神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」
そしてイエス様こそは、この地上に於いて、三年半と言われる公生涯に於いて、聖さを全うし、徹底的に神の僕とし
て生き抜きました。全ての言動は御父に全てお聞きしてから行い、壮絶な十字架の死にまで従順に従いました。天地
創造の六日目にあたるイエス様の復活の所はまさしく、地上に於ける僕としての行き方が完了した場面です。私たち
が、ガラテヤ2;20に至るように創造された御言葉は、私たちもまた「神の僕」として生きる事が出来ると言う証拠です。
★エペソ1:4 「神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で②聖く、②傷のない者にしようと
されました。」
イエス様が洗礼を受けられた時にと、変貌山の頂上(至聖所)で、天のお父様がはっきりと語られています。
★マタイ 3:16-17 イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように
下って、自分の上に来られるのをご覧になった。また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わ
たしはこれを喜ぶ。」
★マタイ 17:1・・・5 それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて
行かれた。そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。しかも、モ
ーセとエリヤが現われてイエスと話し合っているではないか。・・・彼(ペテロ)がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲が
その人々を包み、そして、雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさ
い。」という声がした。
十字架で神様からの使命を全うされ、復活されたこのイエス様の姿こそが、私たちに見倣ってほしいと天の父が願
われている信仰者の姿です。今現在、イエス様は天で御父の右の座に座り、大祭司として私達をとりなしておられま
す。私たちが真の「聖なる祭司」として生きて、天の父に喜ばれる為にも、私たちは天地創造の六日目の、人間創造
の目的に従って、日毎に心の殉教(十字架)をし、イエス様の身丈に迫らなければなりません。
なぜなら、私たちの心にイエス様が生きなければ、私たちの内に、天の父への愛は湧き上がってこないからです。
リバイバルへの近道Ⅳ
「最後の一週間(マルコ) 」
(1) 復活の姿(天地創造の六日目)
(2) 神と人の関係(★権威・★復活)
(3) 最後の一週間で最強調点
★ 100%の献身と献金
★ 仕える僕の姿
(4) 終末の教え
(5) イスラエルの平和(ぶどう園)
日曜日
月曜日
火曜日
(水曜日)
エルサレムへ 朝:いちじくの木 朝:いちじくの木 (安息の日)
ナルドの
香油
300デナリ
宮清めの日
ベタニヤ泊
ーーーー
論争と教えの日
★権威 ★税金
★ぶどう園農夫
★サドカイ人復活
★最重要の戒め
★律法学者の様
★やもめの献金
★神殿 ★終末
(葬りの準備)
ーーーー
ー(シモンの家)ー
この地に於いて勝利をした者が永遠の世界で与えられる「権威」とは、イエス様の謙遜さに至った真の僕が持つ「鉄
の杖」です。十字架の火の患難に耐えた人々がそれを行使しますから、決して残虐で無慈悲な支配ではありません。
自ら試練の苦しみを知り、また信仰ゆえに通りぬけた後に心に湧き上がる「人知では計り知る事の出来ない破格の喜
び」を体験した信仰者(聖なる祭司)がふるう権威は、愛と義と歓喜に満ちた素晴らしい成長を私たちにもたらせます。
★黙示録5:9-10「・・・あなたは、ほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、神のために人々を贖い、
私たちの神のために、この①人々を王国とし、②祭司とされました。彼らは②地上を治めるのです。」
★黙示録2:26-27 「②勝利を得る者、また最後までわたしのわざを守る者には、諸国の民を支配する権威を与えよう。
②彼は、鉄の杖をもって土の器を打ち砕くようにして①彼らを②治める。わたし自身が父から支配の権威を受けている
のと同じである。」
「聖なる祭司」として、心の殉教も体の殉教も果たして天国に凱旋し、来るべき世で確実にキリストの内側で栄光を
受け、そして、王の王であるイエス様と共に、確実に「王」として民を鉄の杖で治めるであろう「パウロ」は、この世にあ
って信徒を導く時に下記のように語っています。これが支配の権威の目的ですから、安心して天国に行きましょう。
★アペソ3:14-19 「こういうわけで、私はひざをかがめて、天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である
父の前に祈ります。どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くして
くださいますように。こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますよ
うに。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがど
れほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうし
て、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。」
・・・十字架前の火曜日、宮清めの翌日に宮に入ると、真っ先に祭司長、律法学者、長老たちがイエス様の元に来
て、「何の権威によってこれらの事をするのですか。だれが、そうする権威を授けたのですか?」と質問しました。
論争と教えの「火曜日」
リバイバルへの祈りの変化
※朝、いちじくの木が枯れていた
①興して下さい
②相応しく変えて下さい
・・・エルサレムで・・・
①「権威」祭司長、律法学者、長老たち
②「税金」パリサイ人とヘロデ党の者数人
③「ぶどう園の農夫」のたとえ話
④「復活」サドカイ派・・「神の言葉も力も知らない」
⑤「最も大切な戒め」律法学者の一人
⑥ 群集に教える
⑦「献金」貧しいやもめ・金持ち
⑧「宮の建物と石」弟子達
・・・オリーブ山で・・・
⑨「終末の兆候」と「再臨」弟子達
リバイバルへの祈りの変化
サドカイ人の質問
①興して下さい ②相応しく変えて下さい
「そんな思い違いをしているのは、聖書も
「そんな思い違いをしているのは、聖書も
神の力も知らないからではありませんか
。」
神の力も知らないからではありませんか。」
昨日にイエス様のふるった権威に怒って、イエス様を殺す為の証拠を掴もうと、様々なグループが次々と論争を仕
掛けて来ました。イエス様は再臨の時、火を持って世を裁く為に大きな権威を持って天に現れますが、十字架前の月
曜日には、パゲの実を付けていなかったいちじくの木(当時のエルサレムの宗教界を象徴)と、宮で商売する者たちに、
最小限の裁きをして、その権威をお示しになりました。
最初のグループにはイエス様は答えを語らなかったので、四番目に質問をした「サドカイ派」の「復活」に関する質
問から、この「権威」に対する答えを探って行きましょう。サドカイ派グループからは、未亡人となった女が、夫の兄弟の
妻となる律法を取り上げて、次々と七人の兄弟と結婚をした場合の、天国での夫婦関係についての質問です。
★マルコ12:23-25 「復活の際、彼らがよみがえるとき、その女はだれの妻なのでしょうか。七人ともその女を妻にした
のですが。」イエスは彼らに言われた。「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからではありません
か。人が死人の中からよみがえるときには、めとることも、とつぐこともなく、天の御使いたちのようです。」
イエス様は、このような愚問をするのは「聖書(神の言葉)も神の力も知らないからだ」と言いました。実は、この日に
論争を仕掛けてきた祭司長、律法学者、長老達、パリサイ人、ヘロデ党、サドカイ派、律法学者・・・も、「聖書(神の言
葉)」も「神の力」も知らなかったのです。彼らは、信仰の達人と民に思われ、またそれを自負していたのですが・・・。
「神の言葉」とは、神学的、学問的に知る事ではなく、私たちが、この世での生涯を通して、必死で神様と御言葉を
見つめる時に、体験的に知る事です。「証し」として、御言葉が確信に至る事です。
最初の人間アダムとエバは聖かったけれど、「神の言葉と神の力」に無知であった為に「一戒;知識の木を食べて
はいけないと言う神の言葉」を守れず、試練と訓練の荒野に降ろされました。それは、全ての人間の関係(夫婦関係、
恋人関係、親子関係、友人関係、社会での権威の関係・・・・)を体験する中で、神様の言葉と力の意味を、そして神と
人との関係を悟って欲しいと願いました。人間は体験を通してでないと悟れない事を、神様はご存知だったからです。
その人間関係を黙想して、神との関係を知るまでに至った一人の若者、それも祭司長、律法学者、長老たち・・・も
理解し得なかった「権威」についてイエス様が感心するほどに的確に悟っていた異邦人の「百卒長」の話を見ましょう。
「主よ。私
の僕が中
風やみで、
家に寝て
いて、ひ
どく苦し
んでおり
ます。」
イエスは
彼に言わ
れた。
「行って、
直してあ
げよう。」
それはまだ、イエス様が宣教を始められて二年目に入った頃、異邦人で組織されている軍隊の駐屯地カペナウム
を訪れた時の事でした。地域の長老達に親ユダヤ派として推薦された人物「百卒長」が、イエス様の前に現れます。
★マタイ 8:5-10 イエスがカペナウムにはいられると、ひとりの百人隊長がみもとに来て、懇願して、言った。「主よ。私
のしもべが中風やみで、家に寝ていて、ひどく苦しんでおります。」イエスは彼に言われた。「行って、直してあげよう。」
しかし、百人隊長は答えて言った。「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、お
ことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは直りますから。と申しますのは、私も権威の下にある者です
が、私自身の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け。』と言えば行きますし、別の者に『来い。』と言えば来ま
す。また、しもべに『これをせよ。』と言えば、そのとおりにいたします。」イエスは、これを聞いて驚かれ、ついて来た人
たちにこう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見た
ことがありません。・・・」
この異邦人は、日頃からの自分の軍隊での「権威」の体験を通して、「神様の権威」が何たるかを知っていました
「ただ、おことばをいただかせてください。
そうすれば、私のしもべは直りますから。」
神様(イエス様)と人間の関係
リバイバルへの祈りの変化
★夫婦 ★恋人
①興して下さい ②相応しく変えて下さい
★親子 ★友人
★羊飼いと羊
★羊飼いとその妻
★主人と僕
★師弟 ★将と兵士
★大祭司と祭司
★権威(支配者・王)
※百卒長
イエス様は、この信仰を見て驚かれて、賞賛なさいました。これこそが、天のお父様が地にご自分の権威を分け与
えた理由です。それは人間社会での権威を通して、神様の権威を知る事です。神の言葉と力を悟り得る事です。
★ローマ 13:1 「神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。」
たとえ人間による理不尽な権威でも、「神の権威」を悟る為の「権威」であるのですから、親子関係を通しても、それ
が不完全な愛であっても、「神の愛」に思いが及びます。私たちの人生での全ての関係や体験は、神を知る為です。
★ 十一献金で神様を試してみて祝福があれば・・・、そしてしない時に祝福がなければ、それを通して私たちは、神
様の御言葉の正しさを、結果である神の力の現れを体験し、献金の教えも、他の御言葉も守るべきだと悟ります。
★ 夫婦関係に於いて、愛し合い助け合っている時、イエス様と教会の愛の関係の麗しさを学びます。反対に、不適
切で不愉快な「裏切り行為」があったとしたら、神様が、神の民の偶像礼拝を不倫と感じた「辛さ」を知ります。
★ 人間を始め、動物が死と隣り合わせの危険と痛みの中で子供を出産する時、・・・一粒の麦が死んで多くの実がみ
のる事を知った時、私たちの輝く永遠の命が、イエス様の壮絶な死を通して生み出された事に感謝が及びます。
私たちクリスチャンは、下記左側の四種類のどれかの段階にいます。教団や教派によって、たとえば福音派だったら
「神の言葉」が優れているとか、ペンテコステ派だったら「神の力」に傾いているとかの単純な問題ではなく、私たちが、
いかに真摯に神様ご自身を見つめ、どれほど御言葉をまともに捉え、従っているか、体験しているかの問題です。
四種類(段階)のクリスチャン
キリストの身丈・・・全人格(霊性)
★マルコ12:24 「聖書も神の力も知らないからではありませんか。」
①神の言葉と神の力
②神の言葉と神の力
★救いのかぶと
★正義の
胸当て
★真理の
帯
★信仰の
大盾
③神の言葉と神の力 ④神の言葉と神の力
★御霊の
与える剣
神の言葉
★平和の福音の備え
たとえ、神様の力を一時的に委ねられたとしても、神様の言葉を体験的に知らなかったら、神様に喜ばれません。
下記のイエス様の教えは、先に②の神の力を知った人々に対しての忠告です。下記は、イエス様の再臨を迎えようと
している今こそ、私たちがイエス様の「謙遜」に、御言葉への「従順」に先に至っているべき、決定的な理由です。
★マタイ7:22-24 その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言を
し、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』しかし、その
時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行
け。』だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べるこ
とができます。
なぜならキリストの御名の栄光は、神様父子の完全な謙(へりくだ)りと壮絶な痛みの中で与えられたものだからです。
★ピリピ 2:6-9 「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自
分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分
を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべて
の名にまさる名をお与えになりました。」
それ故、これからの終末リバイバルに於いては、神の言葉と神の力の両方を知って神と人とに仕える、「神の聖なる
僕」に至っている信仰者の出現が急務です。上右図の左側の十字架上のイエス様の謙遜の身丈に至って、神の御言
葉に従順し、神の力を知り、何よりも神と人を愛すのなら、福音の武具を身に付けてサタンに勝利できるのです。
リバイバルへの近道Ⅳ
「最後の一週間(マルコ) 」
(1) 復活の姿(天地創造六日目)
(2) 神と人の関係(★権威・★復活)
(3) 最後の一週間で最強調点
★ 100%の献身と献金
★ 仕える僕の姿
(4) 終末の教え
(5) イスラエルの平和(ぶどう園)
日曜日
月曜日
火曜日
(水曜日)
エルサレムへ 朝:いちじくの木 朝:いちじくの木 (安息の日)
ナルドの
香油
300デナリ
宮清めの日
ベタニヤ泊
ーーーー
論争と教えの日
★権威 ★税金
★ぶどう園農夫
★サドカイ人復活
★最重要の戒め
★律法学者の様
★やもめの献金
★神殿 ★終末
(葬りの準備)
ーーーー
ー(シモンの家)ー
十字架の最後の一週間は、マルコによる福音書で三分の一を占める重要なメッセージです。その中で、イエス様は
「神様と人への愛」と「神様と人に謙遜に仕える事」を行動と言葉を持って強調して教えました。
火曜日、サドカイ派に続いて、一人の律法学者が質問をしました。この日の他の質問グループとは違い、本心から
の「最も大切な戒め(命令・おきて)は何か?」と言う個人の質問に、イエス様はモーセが民に取り次いだ申命記六章の
教えの言葉で答えました。第一は「全てを尽くして神を愛す事」、第二は「隣人を自分のように愛す事」であると。
律法学者の質問「最も大切な教えは何ですか?」
★マルコ12:29-31
イエスは答えられた。「一
番たいせつなのはこれで
す。『イスラエルよ。聞け。
われらの神である主は、唯
一の主である。心を尽くし、
思いを尽くし、知性を尽くし、
力を尽くして、あなたの神
である主を愛せよ。』
次にはこれです。『あなた
の隣人をあなた自身のよう
に愛せよ。』この二つより
大事な命令は、ほかにあり
ません。」
以前「善きサマリヤ人」たとえ話で「第二の戒」を話ました。↑の祭司やレビ人には、隣人への愛はなかったのです。
これが、マタイ 10 章で悪意から同じ質問をした律法学者に対してイエス
様が語られた、善きサマリヤ人とは正反対の、最も神の律法に精通してい
て、隣人を自分のように愛すべきであった律法の専門家達の姿です。
この十字架週の火曜日に、イエス様の失言を導き出して証拠を得て殺
そうと企み、取り囲んでいた彼ら(祭司長、律法学者、長老たち、パリサイ人、
サドカイ人等⇒)の実態です。彼らの本心をイエス様は見抜いていました。
イエス様は、彼らにだけでなく、今を生きる私たちにも、この第二の戒め
「隣人を自分のように愛しているか」を問いかけています。
第二の戒め「隣人を自分の事のように愛」したサマリヤ人が、まるで第一の戒め「心を尽くし、思いを尽くし、知性を
尽くし、あなたの神である主を愛」したかのごとくに、見ず知らずの他人をどのように愛したのかを見てみましょう。
「①心を尽くし、①思いを尽くし、②知性を尽くし、③力を尽くし」て隣人を愛した「サマリヤ人」
①心①思い・・・・かわいそうに思い、
②知性・・・近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、
③力・・・・・自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、 ・・・介抱し
③財力・・・次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して
①心①思い②知性③財力・・・言った。 「介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。」
※「力を尽くして」の「力」とは、体力だけでなく、経済力も含みます。
「放蕩息子」の中の兄↓は、一見、心と思いと知性と力を尽くして第一の戒めである「神(父)」を愛しているように
見えています。しかし、死んだと思われていた弟が帰って来た時、父があまりに喜んで祝う様を見て嫉妬し、怒りが爆
発しました。兄の心には第一の戒め「神(父)を愛す」心も、第二の戒め「隣人(弟)を愛す」心もありませんでした。
これまでの兄の全ての言動は、祭司・パリサイ人・律法学者・・・たちのように自己愛から出ている偽善でした。イエ
ス様は、神様への純粋な愛と尊敬と感謝からの礼拝ではなく、形だけの、見せ掛けの「宗教的礼拝」を憎みました。
これこそが、最初の人間アダムとエバの長男カインが陥った「心を尽くさない、表面的なおざなりの礼拝」であって、
神様が最も悲しませ、サタンを最も喜ばせる礼拝です。今を生きる、そしてイエス様の再臨を迎えようとしている私た
ちと教会にとって、この「義務的礼拝」、「神様よりも、先ずは人間に評価される事で満足する宗教的礼拝」をもたらそう
とする「宗教の霊」に打ち勝って、勝利しなければなりません。
十字架週前半で、第一の「全てを尽くして神を愛す」戒めの実態を、二人の女性↓を通して見る事ができます。
★父 ★放蕩息子
★兄
「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力
を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」
ヨハネ伝
では土曜
論争と教えの火曜日が暮れようとする頃でしょうか。宮から出る前、献金の様子を見ていたイエス様は、そこに「心を
尽くし、思いを尽くし、力(財力)を尽くして」神様を愛す麗しい心の婦人↑を見ました。
★マルコ12:41-14-14 それから、イエスは献金箱に向かってすわり、人々が献金箱へ金を投げ入れる様子を見てお
られた。多くの金持ちが大金を投げ入れていた。そこへひとりの貧しいやもめが来て、レプタ銅貨を二つ投げ入れた。
それは一コドラントに当たる。すると、イエスは弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げま
す。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。みなは、あり余る中から投げ
入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。」
そして、水曜日(マルコ福音書の記事では)には、ベタニヤのシモンの家で、自分の全財産と思われる、純粋で非常
に高価な香油を、イエス様に対する愛ゆえに、心を尽くし、思いを尽くし、力(財力)を尽くして、イエス様の足に塗り、タ
オルではなく自分の長い髪で、拭き上げたマリヤの姿がありました。
最も重要な第一の戒めを、マリヤは・・・、強いられてではなく、義務からではなく、聖霊に導かれて、これがイエス様
の埋葬の準備だともたぶん知らずに、イエス様への愛が心に湧き上がってくるので、・・・精一杯の表現をしました。や
もめの献金にも、マリヤの献身にも見られる「神様への愛の表現・・礼拝;奉仕:献金」は、人の努力や見栄や計画や考
えから来るのではなく、心に聖霊の泉が湧き上がって来て捧げられるので、天の神様を喜ばせる事ができるのです。
イエス様が、十字架上で、ご自分の全てである「霊と心(本当は十字架の苦しみを受けたくない)と体」の全て
(100%)を、御父と人々の為に捧げて下さいました。この二人の女性も、本来は生活の為に 90%は残しておいても、神
様からも、人からも、何のとがめも受けないのですが、イエス様の心である聖霊が臨む時、その、神様を愛するあまり
に大きな感動によって、全ての財産(力)を 100%捧げたい思いが現されました。
(人間の肉の思いからではなく、霊からの思いによって全てを捧げる時、その後の生活は十分に守られるのです。)
まさにこの事を教える為に、マルコが聖霊の導きを受けて、ヨハネ福音書ではエルサレム入城のシュロの聖日の前
日ではないかと推測される「シモンの家での油注ぎの日」が、水曜日に差し込まれた理由であると思います。
この水曜日は、どの福音書にもイエス様の教えや働きが記されていません。イエス様は地上に於いては、人として
肉体を持たれたので、翌日の夜からの激務に備えて、ベタニアで愛する人々に囲まれて静かに体を休ませた「安息
の日」を過ごされ、夜もゆっくり眠られたのではないかと推測されます。(※シモンの家で記事はその点でも相応しいです。)
翌日はゲッセマネで徹夜の祈りをし、明け方には裁判で引き回され、それだけで死に至るような鞭を打たれ、ドロロ
ーサの道を十字架を背負ってカルバリ山を登り、十字架に付けられて壮絶な痛みと苦しみを受けられたのですから。
リバイバルへの近道Ⅳ
「最後の一週間(マルコ) 」
(1) 復活の姿(天地創造六日目)
(2) 神と人の関係(★権威・★復活)
(3) 最後の一週間で最強調点
★ 100%の献身と献金
★ 仕える僕の姿
(4) 終末の教え
(5) イスラエルの平和(ぶどう園)
木曜日
最後の晩餐
金曜日 土曜日 日曜日
十字架
墓の中
復活
洗足
ゲッセマネの祈り・逮捕・裁判
埋葬
顕現
一人の律法学者の「最も大切な戒めは?」の質問に、「①全てを尽くして神を愛す」事と、「②隣人を自分自身のよ
うに愛す」事と答えられた後、週の前半では、二人の女性の「①全てを尽くして神を愛す」姿の実際がありました。しか
し、一週間の後半では、神様(御父と御子)が私たちを全てを尽くして愛して下さった壮絶なる愛を全人類は見ました。
★ヨハネ 3:16 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりと
して滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
十字架の一週間の後半の木曜日、日没と共にユダヤ暦での日付が変り、過越しの祭りの食事が始まりました。・・・
※この食事が正確な意味で過越しの食事であったかは、太陽暦と太陰暦が入り混じって記録されている四福音書の
それぞれの記事では分かりにくいのですが、過越しの祭りの週の食事であって、それが木曜日である事には間違い
ありません。イエス様の十字架の死は、「過越しの羊」に前もって象徴されていた「真の過越しの羊」でした。
http://ha3.seikyou.ne.jp/home/tenryo/John13.htm 過越しの祭りの食事と、この最後の晩餐が同一かの考察
http://www.jesus-web.org/i/box/2009/090408.htm イエス様の公生涯は何年か、何回過越しを過ごされたかの考察
※また、この最後の晩餐の間に、「最初の聖餐式」と「洗足」が行われましたが、それぞれの福音書に於いて、どちらか
一つの記事しかありませんので、どちらが先か正確にはわかりません。
・・・この日の約1250年前、サタンを象徴するエジプトのパロ王の奴隷となっていたイスラエルの民が、イエス様を象
徴する小羊の血によって開放され、天国を象徴するカナンの地を目指し、モーセに率いられてエジプトを出ました。
その日の以前、九つの災害をエジプトに降しましたが、神様がパロ王の心をかたくなにしたので、王は神の民を開
放しませんでした。それは、最後の災難をエジプトに降して、私たち人間をサタンの縄目から解き放つのは、傷のない
イエス様の、尊い十字架の贖いの血にしかないと言う真理を、神の民に、そして全人類に理解させる為でした。
神様はモーセを通して、「エジプトの全ての人と家畜の初子を打つので、神の民は家の入り口に小羊の血が塗れば、
その家は、その血を見て主の使いは過越し(通り過ぎ)、その家の長子は守られる」と告げました。
★出エジプト12:2 「この月をあなたがたの月の始まりとし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ。
12:3 イスラエルの全会衆に告げて言え。この月の十日に、おのおのその父祖の家ごとに、羊一頭を、すなわち、家
族ごとに羊一頭を用意しなさい。
12:4 もし家族が羊一頭の分より少ないなら、その人はその家のすぐ隣の人と、人数に応じて一頭を取り、めいめい
が食べる分量に応じて、その羊を分けなければならない。
12:5 あなたがたの羊は傷のない一歳の雄でなければならない。それを子羊かやぎの内から取らなければならない。
12:6 あなたがたはこの月の十四日までそれをよく見守る。そしてイスラエルの民の全集会は集まって、夕暮れにそ
れをほふり、 12:7 その血を取り、羊を食べる家々の二本の門柱と、かもいに、それをつける。
12:8 その夜、その肉を食べる。すなわち、それを火に焼いて、種を入れないパンと苦菜を添えて食べなければなら
ない。
12:9 それを、生のままで、または、水で煮て食べてはならない。その頭も足も内臓も火で焼かなければならない。
12:10 それを朝まで残してはならない。朝まで残ったものは、火で焼かなければならない。
12:11 あなたがたは、このようにしてそれを食べなければならない。腰の帯を引き締め、足に、くつをはき、手に杖を
持ち、急いで食べなさい。これは主への過越のいけにえである。
12:12 その夜、わたしはエジプトの地を巡り、人をはじめ、家畜に至るまで、エジプトの地のすべての初子を打ち、ま
た、エジプトのすべての神々にさばきを下そう。わたしは主である。
12:13 あなたがたのいる家々の血は、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたの所を
通り越そう。わたしがエジプトの地を打つとき、あなたがたには滅びのわざわいは起こらない。
12:14 この日は、あなたがたにとって記念すべき日となる。あなたがたはこれを主への祭りとして祝い、代々守るべき
永遠のおきてとしてこれを祝わなければならない。
12:15 あなたがたは七日間種を入れないパンを食べなければならない。その第一日目に、あなたがたの家から確
かにパン種を取り除かなければならない。第一日から第七日までの間に種を入れたパンを食べる者は、だれでもイス
ラエルから断ち切られるからである。
12:16 また第一日に聖なる会合を開き、第七日にも聖なる会合を開かなければならない。この期間中、どんな仕事
もしてはならない。ただし、みなが食べなければならないものだけは作ることができる。
12:17 あなたがたは種を入れないパンの祭りを守りなさい。それは、ちょうどこの日に、わたしがあなたがたの集団を
エジプトの地から連れ出すからである。あなたがたは永遠のおきてとして代々にわたって、この日を守りなさい。
エジプト人の家の全ての長子が打たれので、エジプト人は泣き叫び、神の力を恐れて民を解放しました。
★出エジプト12:29 真夜中になって、主はエジプトの地のすべての初子を、王座に着くパロの初子から、地下牢にい
る捕虜の初子に至るまで、また、すべての家畜の初子をも打たれた。
12:30 それで、その夜、パロやその家臣および全エジプトが起き上がった。そして、エジプトには激しい泣き叫びが
起こった。それは死人のない家がなかったからである。
12:31 パロはその夜、モーセとアロンを呼び寄せて言った。「おまえたちもイスラエル人も立ち上がって、私の民の中
から出て行け。おまえたちが言うとおりに、行って、主に仕えよ。
12:32 おまえたちの言うとおりに、羊の群れも牛の群れも連れて出て行け。そして私のためにも祝福を祈れ。」
12:33 エジプトは、民をせきたてて、強制的にその国から追い出した。人々が、「われわれもみな死んでしまう。」と言
ったからである。
↓五日間家族と親しく過ごす↓その羊を屠って血を入口に塗る ↓血を見た主の使いは過ぎ越し ↓血のない全ての家は王の長子も死んだ
こうして、神の民は、神様を礼拝「行って、主に仕え」る為に、エジプトを脱出し、雲(御霊)に導かれて荒野へと旅立
ったのでした。430年に及んだと言われる奴隷状態から開放して下さった感謝を子孫達が決して忘れないように、ユ
ダヤ人の家庭では「過越の出来事」を子供達に伝えつつ、最初の過ぎ越しと同じ食事をしました。世々代々、子々
孫々、この素晴らしい神様の御業が延べ伝えられ、感謝の礼拝が途切れる事なく行われる為です。
★出エジプト12:25 また、主が約束どおりに与えてくださる地にはいるとき、あなたがたはこの儀式を守りなさい。
12:26 あなたがたの子どもたちが『この儀式はどういう意味ですか。』と言ったとき、
12:27 あなたがたはこう答えなさい。『それは主への過越のいけにえだ。主がエジプトを打ったとき、主はエジプトに
いたイスラエル人の家を過ぎ越され、私たちの家々を救ってくださったのだ。』」すると民はひざまずいて、礼拝した。
12:28 こうしてイスラエル人は行って、行なった。主がモーセとアロンに命じられたとおりに行なった。
イエス様もこの過越しの祭り(礼拝)を尊び、この地での最後の日も、弟子たちを伴ってエルサレムを訪れて、出エ
ジプト当時↓の過ぎ越しの食事を記念して、ユダヤ人が守ってきた↓伝統的な過ぎ越しの食事をしました。神様
の大きなご計画の中で、ちょうどその過越しりの時期にイエス様は十字架上で贖いの小羊となられて↓肉を裂かれ
て血を流し、その死をもって、私達をサタンの奴隷状態(縄目)から解放し、天国への道を開いて下さったのです。
過越しの食卓で、イエス様は翌日に受けようとしている十字架に於いて、年に一度の動物の不完全な贖い(旧契
約)ではなく、永遠の中で一度の完全な贖い(新契約)の時代に入った記念として、これからは聖餐式↑(ぶどう酒;
イエス様の流された血・種のないパン;イエス様の裂かれた肉)を、過越しの食事(出エジプト時の小羊の贖いの記念)
に代わって、世々代々に渡って、記念に行うように命令しました。
★マルコ 14:22-24 みなが食事を↓している時、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、彼らに与えて言わ
れた。「取りなさい。これはわたしのからだです。」また、杯を取り、感謝をささげて後、彼らに与えられた。彼らはみなそ
の杯から飲んだ。イエスは彼らに言われた。「これはわたしの契約の血です。多くの人のために流されるものです。」
「出エジプトと過越しの祭りの食事会」との延長線上に、続きとしての「十字架と、その記念の聖餐式」があるのでは
なく、「十字架と聖餐式」の意味と意義を人類が理解しやすくする為に、「出エジプトと過越しの祭り」があったのです。
「謙遜で従順な
神の僕として」
最後の晩餐の席↑で語られた聖餐式を守るようにとの命令を、この日から二千年近く経った今現在も教会ではし
っかり守っていますし、これからも守って行く事でしょう。イエス様は天から降ってきたパンとしてご自分の全てを裂き、
今も私たちに、その血と小さな肉片をもって「神の僕・人の僕」として謙遜に仕えて↑下さっておられるのです。
この過ぎ越しの食事会に於いて、聖餐式とどちらが先かはわかりませんが、イエス様は弟子達に自らの「弟子の足
を洗う」行動↓で、第二の戒めである「隣人を愛す」姿を示しました。そしてそれは、一般の神の民に対する愛の目
標「自分自身のように隣人を愛す」には留まらなかったのです。
イエス様の真の弟子(星の数程の多くのクリスチャンの中で、一握りの神を喜ばす存在;神の僕;レムナント;聖なる
祭司;聖なる花嫁・・・)に対して、イエス様は「へりくだって仕える僕」を、理想的な姿とされました。マルコは、人間マリ
ヤがイエス(神)様に仕える姿を週の前半の水曜日に描き、イエス様がご自分の神としての感情(面子)を無として、人
に仕える姿を、十字架の一週間の後半、木曜日に示されました。
そして翌日の金曜日、「自分自身のように隣人を愛す」どころか、「へりくだって仕え合い、愛し合う」どころか、「自分
の命」までを捧げて人を愛す「神の愛」のどれ程のものかを十字架上で示されたのです。
★初なりパゲとして十字架で死に、多くの実を結び、初穂
として復活され、全てに勝る名を与えられて「王の王」。
ヨハネ17章「大祭司の祈り」
「イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たち
を罪から解き放ち、また、私たちを①王国とし、ご自分の父
①自分の為 ②弟子の為 ③未信徒の為
である神のために②祭司としてくださった方」
「バーグ」
「テエナ」
(パゲ)
ヨハネは唯一最後の晩餐の中での、イエス様がどれほどに弟子を愛しているのかを表わす「洗足」を記しました。
★ヨハネ 13:1 過越の祭の前に、イエスは、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時がきたことを知り、世にいる
自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された。
ヨハネは、この日の多くのメッセージを記しましたが、17 章には、イエス様の「大祭司としての祈り↑」があります。
「大祭司としての祈り」でイエス様は、①ご自分の為に祈られ、次に②弟子達のために祈られ、③これから救われて
くる人々の為に祈りました。弟子達が日々、自分の十字架を背負い、イエス様の後だけに従って、イエス様のように神
様と人々を愛して、仕える事ができるように、未信者よりも先に祈りました。
イエス様は公生涯の日々を「パゲ;一粒の麦の死」として自分を捧げたからこそ、「テエナ;大収穫」を得ました。
※ http://riverside.main.jp/priest/files/praise&worship_10th.pdf の(4)いちじくの実をご覧下さい。
はじめの永遠(アルファ)から、終わりの永遠(オメガ)の中での最重要出来事である十字架の一週間、イエス様は、
私たち弟子に「神と人とを愛し、神と人との僕となって仕える」事を、教えられました。
永遠から永遠まで「最重要事項」
教
会
時
代
再
臨
前
リ
バ
イ
バ
ル
栄
光
・
新
再臨 天
新
千年王国 地
マルコ福音書の記事による「イエス様の十字架の一週間」
日曜日
月曜日
火曜日
(水曜日)
木曜日
エルサレムへ 朝:いちじくの木 朝:いちじくの木 (安息の日)
金曜日 土曜日 日曜日
十字架
墓の中
復活
ナルドの
香油
300デナリ
宮清めの日
ベタニヤ泊
ーーーー
論争と教えの日
★権威 ★税金
★ぶどう園農夫
★サドカイ人復活
★最重要の戒め
★律法学者の様
★やもめの献金
★神殿 ★終末
(葬りの準備)
ーーーー
ー(シモンの家)ー
埋葬
顕現
聖書には、永遠の両端についての情報は極端に少なく、天地創造から再臨までの期間への教えが殆どです。
初臨
再臨
(First Coming)
(Second Coming)
使徒行伝1:11
黙示録19:11
黙示録20:11
初臨の時↑のイエス様は、弱々しく赤ちゃんとして地に下り、飼葉桶に寝かされ、柔和で謙遜な姿でロバに乗り、
人に裁かれて侮辱の限りを受け、屠り場に引かれて行く小羊のように黙々と十字架を背負い、強盗と一緒に貼り付け
にされました。
一方、再臨の時のイエス様は天の軍勢を従えて、恐ろしいほどの偉大な姿で大空に現れ↑、ピラトに裁かれたイ
エス様は、裁き主として万民の前に立ちます。
十字架上でサタンに勝利し、王の王として全ての名に優る名誉を与えられたイエス様は、最後のサタンとの戦いの
時には万軍の将として、ロバではなく、白馬に乗って天空を駆け巡ります。
★黙示録19:11-16 また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、「忠実また真実。」と呼ば
れる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。その目は燃える炎であり、その頭には多くの王冠があって、ご自
身のほかだれも知らない名が書かれていた。その方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。
天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。この方の口からは諸国の民を打つた
めに、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい
怒りの酒ぶねを踏まれる。その着物にも、ももにも、「王の王、主の主。」という名が書かれていた。
王の王であるイエス様が、天地創造から再臨までの「この世」にあっては、「へりくだった僕として生きよ!」と、その生
涯と通して、聖書全巻を通して、私たち弟子に語っているのです。「この地」にあって、「サタンに打ち勝つ道」、「神様
を愛する道」、「人に愛を伝える道」とは、「イエス様の通られた身幅だけの狭い十字架の道」しかなく、「リバイバルへ
の道」も、私たちが「十字架の一週間」で示された「僕(弟子)」の姿になる他にありません。マルコの福音書は、それを
今を生きる私たちに語っているのです。
リバイバルへの近道Ⅳ
「最後の一週間(マルコ) 」
(1) 復活の姿(天地創造六日目)
(2) 神と人の関係(★権威・★復活)
(3) 最後の一週間で最強調点
★ 100%の献身と献金
★ 仕える僕の姿
(4) 終末の教え
(5) イスラエルの平和(ぶどう園)
終末の前兆★マルコ
13:3--4 イエスがオ
終末の前兆★マルコ13:3
リーブ山で宮に向かって
座っておられる
おられる
リーブ山で宮に向かって座って
と、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、
ひそかにイエスに質問した。「お話しくだ
さい。いつ、そういう
事が起こるのでしょ
さい。いつ、そういう事
う。また、それがみな実現するようなとき
には、どんな前兆があるのでしょう。」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~elisha/guidemiddleeast-4.htm#bethany
十字架の一週間で、もう一つ重要な教えがありました。それは「終末」に関する事です。
論争と教えの火曜日の事です。エルサレムの宮から、マルタとマリヤの家のあるベタニヤへの帰り道↑、イエス様
と弟子の一行がオリーブ山にいた時の事です。
※上右側の地図をご覧になると、ベテファゲ西(左)の茶の部分がオリーブ山↑です。山と言っても低くて丘のよう
であり、オリーブの木で覆われています。西のふもとがゲッセマネの谷で、オリーブ山からは、エルサレムの町も神殿も
見渡せます。エルサレム入城の聖日に、イエス様が都を見て泣かれたのも、オリーブ山の下り道の途中の事でした。
座ってエルサレムを見下ろしてイエス様に、弟子達は質問をしました。直接的には、AD70 年のローマ軍によるエル
サレム陥落を弟子達に語っていますが、実際的には、世の終末、再臨前の兆候を、今の私たちに語っておられます。
★マルコ 13:5-8 そこで、イエスは彼らに話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名
のる者が大ぜい現われ、『私こそそれだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。また、戦争のことや戦争のうわさを聞
いても、あわててはいけません。それは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。民族は民族に、
国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、ききんも起こるはずだからです。これらのことは、産みの苦しみの
初めです。」
多くの預言者、牧師たちは、東日本大震災と巨大津波の恐ろしい天変地異をもって、この上記のイエス様の御言葉
の時が来たと捉えていますし、実際に、この時よりかつてない大規模な地震が頻発するようになりました。イエス様は
今、先ず、日本の国に天変地異で目覚めさせ、リバイバルをもって訪れようとしています。
大地震が予想される日本の首都圏を見下ろして、今の時、イエス様は「都」の中に、「都の将来」をとりなす主の真
の祭司がいるかどうかを、心配されているのではないでしょうか。
★ルカ19:41-42.44 エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、言われた。「おまえ
も、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。・・・そ
れはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」
2011.3.11「東日本大震災・巨大津波」
都の
行く末を
見て
泣かれた
イエス様
神様は、地に大きな御力を現す為に訪れる時、必ず、主の僕に相談します。※アモスは大地震を体験した預言者
★アモス3:7 「まことに、神である主は、そのはかりごとを、ご自分の僕、預言者たちに示さないでは、何事もなさらな
い。」
これから起こる、主の裁きの日を象徴する出来事が、創世記に二件あります。ノアの日と、ソドムとゴモラの日↑
です。その出来事の前、主は地上の主の僕に、御心を語りました。
★創世記6:13-14 神はノアに仰せられた。「すべての肉なるものの終わりが、わたしの前に来ている。地は、彼らのゆ
えに、暴虐で満ちているからだ。それで今わたしは、彼らを地とともに滅ぼそうとしている。あなたは自分のために、ゴ
フェルの木の箱舟を造りなさい。・・・」
★創世記18:17.20-21 主はこう考えられた。「わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろう
か。・・・そこで主は仰せられた。「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、また彼らの罪はきわめて重い。わたしは下っ
て行って、わたしに届いた叫びどおりに、彼らが実際に行なっているかどうかを見よう。わたしは知りたいのだ。」
黙示録一章と五章での十字架が「神の民」と「神の祭司」を生み出した理由がここにあります。
★黙示録 1:5-6 「・・・・・イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、私たちを
①王国とし、ご自分の父である神のため②祭司としてくださった方である。・・・・・」
何故、日本にリバイバルが起こらないのかと、今までずっと、不思議とされて来ました。熱心に祈ってリバイバルが起
こった韓国からは、日本人の牧師の祈りが少ないからだとの声が、よく聞かれます。しかし、日本に今まで大きなリバイ
バルが起こらなかったのは、日本のクリスチャンたちの信仰が弱かったためでも、祈りが少なかったためでも、日本人
が社交的でないので伝道が下手であったわけでもありません。神様は再臨前のリバイバルを、日本から起こそうとなさ
っておられるのです。今、神様は先ず、マスコミに御心を語らせておられます。
「波が押し寄せてこの国の一部は内部まで水で覆わ
れるようにわたしはする。これによって『私はもっと高
いところをみつけねばならない。』という叫びが起こる
であろう。」 チャック・ピアス2005年5月7日北海道で
NHKスペシャル
「巨大津波 “いのち”をどう守るのか」
★小学校の生徒と父兄
2011年5月7日(土)10月9日(日)
★車で逃げた母子
★自宅の屋上に逃げた女性と老母
「さあ、みんなで
主の山にのぼろう」
イザヤ・ミカ
2005 年に北海道にてチャック・ピアスが、大津波によって日本人の心に「よ
り高いところに上らなければ」と言う思いを与ると、預言しています。それは、
「主の山に上ろう」と言う意味です。
一般の未信者には、主の山、礼拝の山の頂上とは、恵みの高き峰、主の御
臨在のある「至聖所」とは分かりません。でも、マスコミは伝えているのです。
東日本大震災での大津波の記録をまとめて、NHKスペシャルでは、より高い
所を目指してどんどん移動し、津波から逃れた三組の人々の映像と証言を通
して「少しでも早く、より高い所に上らなければ!」と、全国に呼びかけました。
また報道各社は、テレビ等での津波警報の呼びかけについて反省し、これからのアナウンスの仕方を改めました。
・・・NHKの新災害報道方針・・・
「津波です。震災を思い出して」「東日本大震災を思い出してください!」――。今後、大津波警報が出た際、NH
Kのアナウンサーはこう呼びかけて避難を促すことになった。
NHKによると、「命を守るために一刻も早く逃げてください」などの文言を新設したほか、これまでの見ている人を
落ち着かせようとする口調はやめる。従来の呼びかける文言は、命令調や断定調に変えた。例えば、「高いところへ逃
げて下さい」→「高いところへ逃げること」、「津波は急に高くなることがあります」→「津波は急に高くなります」とする。1
年前の震災報道の教訓から、昨年11月に新たな方針を定めた。
NHKの松本正之会長は1日の定例会見で「もっと切迫感を持って伝えられなかったかと議論した」と明かした。担
当者は「テレビ見てる暇があったらすぐに逃げて、と伝えたい」と新方針の狙いを説明する。
早速、今年の 3 月に東北地方沖で地震が発生し↓、太平洋沿岸に津波の恐れがあった時、NHKのアナウンサ
ーは、以前のように↓事務的には伝えず、緊迫感を持って「なるべく早く、なるべく高い所に登って下さい!」と、何
回も繰り返して、切迫感に満ちて叫んでいました。
「もしこの人達
「もしこの人達が
黙れば、
石が叫びます。」
★ルカ19:
40
★ルカ19:40
これは、私たちクリスチャンこそが、世の人に情熱を持って語るべき言葉ではないかと感じた時、下記の「エルサレム
入城」の場面を思い出しました。
★ルカ19:37-40 いよいよオリーブ山の下り道あたりに近づかれると、大ぜいの弟子たちはみな喜んで、彼らが見たす
べての力あるみわざについて、声高らかに神をさんびして言いはじめた、「主の御名によってきたる王に、祝福あれ。
天には平和、いと高きところには栄光あれ」。ところが、群衆の中にいたあるパリサイ人たちがイエスに言った、「先生、
あなたの弟子たちをおしかり下さい」。答えて言われた、「あなたがたに言うが、もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶで
あろう」。
神様は何故、東日本大震災を、これから起こるであろう天変地異を、私たちにも相談されていないのでしょうか?
もう一つ、私たちの代わりにNHKが語っている警告があります。それは、私たちの日本には、そして首都圏には、こ
れから巨大地震が発生するリスクが高くなっている事、そしてそれが、世界的な傾向であると伝えています。下記にそ
の内容をまとめたものを転載します。
http://hashigozakura.wordpress.com/2012/04/01/%EF%BC%9C%E5%B7%A8%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E9%9C%87%EF%BC%9Enhk%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%B
7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%80%8Cmegaquake-ii%E3%80%8D%E4%BB%8A%E5%A4%9C%EF%BC%99%E6%99%82%E3%80%82%E7%AC%AC%E4%B8%80/
NHKスペシャル
「巨大地震」
第1回
「今、日本の地下で何が起こっているのか」
第2回「津波はどこまで巨大化するのか」
2012年4月8日(日) 午後9:00~9:49 放送
2012年4月1日(日) 午後9:00~9:49放送
あの日から、全ては未知のステージに
★第 1 回「いま日本の地下で何が起きているのか」
放送地震研究先進国・日本を襲ったマグニチュード9.0。最先端の地震学者たちが築き上げてきた自信は、完全に
うち砕かれた。しかし今、彼らは深い悔恨を抱きながらも、次の巨大地震に備える新たな挑戦を始めている。その手
がかりは、世界でも類を見ない観測網が捉えていた膨大なデータにある。解析が進むにつれ、巨大地震の知られざる
発生メカニズムが浮かび上がりつつあるのだ。巨大地震発生の一ヶ月前から本震の震源に向かいながら起きていた
無数の微小地震。そして3月11日、宮城沖で始まった地震は、まもなく予想外のプレート境界の破壊によって際限なく
巨大化していった。番組では、東北沖のプレート境界で発生した地震が、次々と連動し広がっていった地中のドラマを
詳細なデータに基づいてCGで完全再現する。さらに世界で進むGPSデータによる“次の巨大地震”の予測研究の最
前線に密着。アメリカ、チリ、そして日本など、世界のプレート境界に潜む巨大地震のリスクに迫っていく。
★第二回「津波はどこまで巨大化するか」
どこまで津波は巨大化するのか、そして次のリスクはどこに潜んでいるのか。東日本大震災から1年、世界の津波研究
者たちは、今回得られた津波のデータや過去の巨大津波の痕跡=“地球の記憶”を手がかりに新たな闘いを始めて
いる。東北を襲った津波の詳細な分析から明らかになってきたのは、地震が複雑に・時間差で連動していくことで、津
波が増幅していく巨大化のメカニズムだ。また、過去の津波の堆積物や巨大津波石の調査からは、世界各地で今回
と同じような超巨大津波が数百年の周期で発生していることもわかってきた。この地球の記憶が警告しているのは、
「世界は巨大地震が連鎖する“活動期”に突入したのではないか」という可能性だ。次々と明らかになる巨大津波の新
たなリスクにどう備えるのか。世界の第一線の津波研究者たちに密着し、その最新の研究成果を紹介。数十万通りの
シミュレーションから巨大津波の「最悪のシナリオ」をあぶり出し、特撮CGによって想定外の被害を詳細に描き出す。
※第三回 「日本列島”大変動期” 最悪のシナリオに備えろ」は、2012 年 6 月 9 日(土)に放送予定です。
NHKに留まらず、民放も次々と首都東京に起こる地震の震度をこれまでよりも高く予想する研究発表を告げていま
すし、富士山爆発の可能性も頻繁に報道されるようになりました。私たちは終末の祭司として、それも聖霊派の祭司と
して、御前にひれ伏して、神様の御声を熱心にお聞きして行かねばならないと、切に感じます。
下記↓は先月のいちじくの木の実の「パゲとテエナ」の素晴らしい解き明かしが載っている「聖書の世界が見える
(植物編)」です。
★リュ・モーセ著
(宇佐神実・監修)
4月から10月迄5回実る「いちじくの実」
http://ameblo.jp/1tubunomugi100tubu/entry-11062211839.html
最初の実「パゲ」
旅人・貧者の食物
もぎ取らないと
次の実がならない
※ベテパゲ(バーグ)
2~5回目の実
「テエナ」
甘く 大きく 美味しい
商品価値がある
※ベタニア
聖書に出てくる植物から聖
書を理解しようとする試み
は、新鮮なアプローチです。
韓国で漢方医学を専攻し、
イスラエルで現代医学の博
士課程を修了した私にとっ
て、聖地イスラエルで育つ
植物は単純な「木や草」以
上の意味がありました。時
間を見つけては資料を集め、
整理しながら、聖書を正しく
理解するには聖書の植物を
体系的に学ばなければとい
う確信を得たのです
「再臨」
聖霊の導きに従い「再臨のメッセージ」を
熱心に伝えられるように祈り始めましょう
★DURANNO・JAPAN(オンヌリ)
★「イスラエルの祭りと神殿」
http://japan.cgntv.net/newsub.asp?pid=2622
著者のリュ・モーセ師が、この本の中で「現在の教会は、再臨の事を語らなくなっている」と心配をしています。
今まで、この事で異端と判定された教団・教派があったからではないかと、理解を示しつつですが・・・。
今こそ日本のクリスチャンは、そして聖霊派の祭司は、聖霊の導きを求めて、主の御心を知る事を熱心に求めまし
ょう。私たち教会は今、世間に向けて何を、どのタイミングで語れば良いのか、どうしたら少ない人数のクリスチャンが
全員祭司となれるのか、どうしたら、教団教派を超えて一致できるのか・・・を祈り求めて行きたいと思います。
四月は赤羽にて、この思いをもって、次の祈りを捧げました。
関東一都六県の安全と救いのため
・・・東北地方・・・
救い
心の癒し
体の癒し
生活と
地の回復
行政が
全ての必要に
届きますように
★日本の民が偶像礼拝
を悔い改め、真の神様を
信じますように。
★日本の民が自分たち
の富と能力で安全に生き
てゆけると言う傲慢を捨
て、救い主を呼び求め始
めますように。
★日本がイスラエル側に
つき、神様からの厚意を
得、あらゆる災害から守
られ、救いを得ますように。
インターネットで、ご覧の皆様も、ご一緒に祈っていただきますようにお願いします。最後に、重要な祈りがあります。
リバイバルへの近道Ⅳ
「最後の一週間(マルコ) 」
(1) 復活の姿(天地創造六日目)
(2) 神と人の関係(★権威・★復活)
(3) 最後の一週間で最強調点
★ 100%の献身と献金
★ 仕える僕の姿
(4) 終末の教え
(5) イスラエルの平和(ぶどう園)
イスラエルの平和の為に
それは、イスラエルの平和の為に祈る事です。
この十字架の一週間に於いて、二つのイスラエルの将来を示す記事がありました。一つは呪われて枯れたいちじく
の木の話で、先月「パゲとテエナ」の話で出てきた、終末に起こる「シオニズム」の預言で、もうこれは既に、神様の憐
みにより成就していて、根まで枯れて放浪の民となったイスラエルの民は、見事にエルサレムに帰還し、国は独立し、
根を生やし、↓青々と葉を付けました。
もう一つは、イエス様が語られた「イスラエルの平和」に関する「ぶどう園の主人」↓のたとえ話です。
「憐れみにより」
ぶどう園の主人
ぶどう園の「主人の怒り」
怒ってる「主人」との和解の必要
★マルコ12:9 ところで、ぶ
どう園の主人は、どうする
でしょう。彼は戻って来て、
農夫どもを打ち滅ぼし、ぶ
どう園をほかの人たちに与
えてしまいます。
★12:10 「礎の石」
教えと論争の火曜日、エルサレムの宮で、パリサイ人や祭司らの宗教指導者に囲まれて論争をした時の事です。
★マルコ12章 イエスは、たとえを用いて彼ら(パリサイ人や祭司らの宗教指導者たち)に話し始められた。
「ある人がぶどう園を造って、垣を巡らし、酒ぶねを掘り、やぐらを建て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。
季節になると、ぶどう園の収穫の分けまえを受け取りに、僕を農夫たちのところへ遣わしたところが、彼らは、その僕を
つかまえて袋だたきにし、何も持たせないで送り帰した。
そこで、もう一度別の僕を遣わしたが、彼らは、頭をなぐり、はずかしめた。また別の僕を遣わしたところが、彼らは、
これも殺してしまった。続いて、多くの僕をやったけれども、彼らは袋だたきにしたり、殺したりした。
その人には、なおもう一人の者がいた。それは愛する息子であった。彼は、『私の息子なら、敬ってくれるだろう。』と
言って、最後にその息子を遣わした。すると、その農夫たちはこう話し合った。『あれはあと取りだ。さあ、あれを殺そう
ではないか。そうすれば、財産はこちらのものだ。』そして、彼をつかまえて殺してしまい、ぶどう園の外に投げ捨てた。
ところで、ぶどう園の主人は、どうするでしょう。彼は戻って来て、農夫どもを打ち滅ぼし、ぶどう園をほかの人たちに
与えてしまいます。あなたがたは、次の聖書のことばを読んだことがないのですか。『家を建てる者たちの見捨てた石、
それが礎の石になった。これは主のなさったことだ。私たちの目には、不思議なことである。』」
彼らは、このたとえ話が、自分たちをさして語られたことに気づいたので、イエスを捕えようとしたが、やはり群衆を
恐れた。それで、イエスを残して、立ち去った。
このぶどう園とはイスラエルの事で、その主人とは天の父の事であり、多くの僕とは、旧約時代に信仰を説いても神
の民に憎まれた預言者たちの事で、殉教したバプテスマのヨハネも含まれているでしょう。
一人息子とはイエス様です。農夫たちとは、このたとえ話を聞いて怒った、イエス様を殺そうと企んでいたパリサイ
人や祭司らの宗教指導者たちです。驚く事に、彼らは、このたとえ話を、「自分たちの事だ」と、完全に理解しました。
天の父は、全人類の罪が贖われる為に御子を死なせる事を覚悟しておられましたが、創造主を信じている神の民
の教会指導者がそれを行った事に怒り、イスラエルを厳しく裁きました。
ぶどう園の主人である天の父は、今現在まだ怒っています。イスラエルは先ず、神様と和解しなければなりません。
彼らは先ず、彼らが殺したイエス様が神の一人子である事を認め、十字架につけた事を悔い改めて謝罪し、彼ら
が、イエス様の十字架の血によって罪を赦され、そして天の父と和解(平和な関係)をしなければなりません。
★コロサイ 1:19-22「神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子の内に宿らせ、その十字架の血によって平和
をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させて下さったからです。・・・あなたがたも、かつては神を離れ、心にお
いて敵となって、悪い行ないの中にあったのですが、今は神は、御子の肉の体において、しかもその死によって、あな
たがたをご自分と和解させてくださいました。それはあなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前
に立たせてくださるためでした。」
十字架の血の功績は、①罪の赦しを得る事と、②神と和解する面の両面があります。私たち人間は、生まれながら
に怒りの子であって、十字架の血潮によって贖われていても、試練の時や、祈りが聞かれない時に神様を逆恨みし、
神様に対して不満を持って憤っている場合があるのです。放蕩息子の兄が父に怒りを持っていたように。
★エペソ 2:14-16 キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉にお
いて、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二
つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、また、両者を一つのからだと
して、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。
天の父は、神の子が父に向かって敵対している時、しばらく黙って見守っています。それは彼らが父と和解した時に、
真から父を愛するようになるからです。使徒パウロも、最初はキリスト教徒を激しく迫害する者でしたが、イエス様に出
会った時から、その分までも神を多く愛し、殉教の覚悟を持って神の僕として生きました。
★ルカ 7:47 「この女の多くの罪は赦されています。というのは、彼女はよけい愛したからです。しかし少ししか赦され
ない者は、少ししか愛しません。」
イスラエルも、これまでおかして来た、数々の大きな罪が赦されて神と和解した時、殉教を覚悟でイエス様だけに従
います。最後の、再臨真近のリバイバルの時の彼らは、異邦人の私たちにはとても出来ない大きな働きをします。
★黙示録7:4 「イスラエルの子孫のあらゆる部族の者が印を押されていて、十四万四千人であった。」
★黙示録14:3-4 「彼らは、御座の前と、四つの生き物および長老たちの前とで、新しい歌を歌った。しかし地上から
贖われた十四万四千人のほかには、だれもこの歌を学ぶことができなかった。彼らは女によって汚されたことのない
人々である。彼らは童貞なのである。彼らは、小羊が行く所には、どこにでもついて行く。彼らは、神および小羊にささ
げられる初穂として、人々の中から贖われたのである。」
この二つめの十四万四千人は、イスラエル12部族ではないとする預言者もいますが、いずれにしても、イスラエルが
神様と和解した時に、彼らはかつてなかった最強の主の弟子となって、父なる神を喜ばせる存在となるのです。
私たち野生種であった異邦人の信仰が完成される時が、神様の御前に貴重な栽培種であるイスラエルが救われる
時です。その為にも、私たちは、必死で「イエス様の身丈(異邦人の完成)」に至る事を↓求めてゆきましょう。
★ローマ11:24-29 「もしあなたが、野生種であるオリーブの木から切り取られ、もとの性質に反して、栽培されたオリー
ブの木につがれたのであれば、これらの栽培種のものは、もっとたやすく自分の台木につがれるはずです。兄弟たち。
私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことが
ないようにするためです。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであ
り、こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。「救う者がシオンから出て、ヤ
コブから不敬虔を取り払う。これこそ、彼らに与えたわたしの契約である。それは、わたしが彼らの罪を取り除く時であ
る。」彼らは、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば、先祖たちのゆえに、愛
されている者なのです。神の賜物と召命とは変わることがありません。」
天のお父様は、何と言っても、正真正銘の神の長男長女であるイスラエルの民を、最も愛しておられるのです。里子
である私たちを先に召して下さったのは、実子であるイスラエルの救いの為に祈らせるためです。私たちは今こそ、父
の心を知ってとりなす真の祭司として、イスラエルの平和を祈ってゆかなければなりません。
イスラエルの為の祈り①
「ぶどう園の主人(神)に謝罪する」
イスラエルの為の祈り②
「十字架の元で御父と和解する」
イスラエルの為の祈り③
「安全の為に」
イスラエルの平和の為に祈る時、そして献金を捧げる時、御父を喜ばせるので大きな祝福を受ける事になります。
★詩篇122:6 「エルサレムの平和のために祈れ。」
★民数記6:27 「彼らがわたしの名でイスラエル人のために祈るなら、わたしは彼らを祝福しよう。」
反対にイスラエルを打つ国の民はのろいを受けて重い負担となり、滅ぼされます。しかしイスラエルに付く国は神様
からの厚意を受けるので、日本はもちろん、全ての国がイスラエルに付いて、その民が救われるようにと祈りましょう。
★ゼカリヤ12: 3 「その日、わたしはエルサレムを、すべての国々の民にとっ
世界の全ての国がイスラエルに
て重い石とする。すべてそれをかつぐ者は、ひどく傷を受ける。」
つき、神様からの厚意を得、その
国民が救いを得ますように。
★創世記12:1-3主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故
郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わた
しはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるもの
としよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、
あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって
祝福される。」
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