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巻 五

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巻 五
忍術武芸帖
さてお立ち会い!
時代劇に登場する忍者はトランポリンやワイヤーなどを駆使して、仮面ライ
ダーも真っ青の超絶体技を楽々とこなして御覧に入れるのですが、実際はどう
だったのでしょうか?
ものの本には、忍者は高跳び九尺、聴覚十四倍、視覚八倍、嗅覚味覚三倍と
あります。それが本当ならまさしく超人。オリンピックの選手なんぞは遠く及
ばないことになります。
それはともかく、忍者はどんな訓練をしていたのでしょうか。ここでは資料を
元に、その幾つかを紹介することにしましょう。それによると、忍者の訓練は
赤ん坊の時から始まります。
1、まず、立って歩けるようになった頃から、水で濡らした唐紙の上を歩かせ
る。最初はどうしても唐紙を破ってしまうが、それを叱りつけ、何度も繰り返
させると、破らずに歩けるようになる。これは敵の城や屋敷に潜入した時に、
足音を消すための訓練。
2、麻の実を蒔いて、その上を跳ぶ訓練。
3、無息之術と言って、敵の間近に潜入した時に息を殺す訓練。真綿からとっ
た細い糸を鼻孔の上につけて、糸が揺れないようにゆっくりと呼吸をする。
4、大きな桶に水を満たし、その中に頭を突っ込んで長時間耐える訓練。
これは水遁の術の為の訓練。
5、動物や昆虫の鳴き声を真似る訓練。
6、昇天之術と言って、壁や立木を駆け登る訓練。これは長い厚板をたてかけ
て、その上を駆け登る。上達に応じて次第に傾斜をきつくして、最終的には垂
直の壁を駆け登ることを目標とする。
7、同じく壁を登る訓練。壁の隅を利用して両手両足を壁面に当てて突っ張り、
体を浮かせ、両手と片足で体を支え、一方の足を足掛かりにして壁を登る。
これを三点保持法という。
8、走力をつけるために、笠を胸の前に於いて、これが落ちないように速く走
る。または一反の布を襟に着け、布の先端が地面に着かないように速く走る。
9、五感を鋭敏にする訓練。夜目に馴らしたり、遠くの物音を聞き分ける訓練。
10、胃腸を鍛えるための悪食訓練。
この中では2はよく知られており、極真会館の故大山倍達総裁も山篭り鍛練で、
この方法を試したとのことです。他にもこれを試した人はいるのですが、どう
しても途中で麻の生長に追い越されてしまうのだそうです。ちなみに中国では
同様の鍛練を「軽身功」と言っていますが、中国の場合はこれとは逆の発想で、
浅い穴を掘って、底から跳び出し、上達に従って穴を深くし、ついには背丈ほ
どの深さの穴から跳び出すのだそうです。恥ずかしながら私も若かりし頃、
ものは試しとばかりに似たような鍛練をやったことがありました。
確かに多少は跳躍力はつきましたが、やっぱりそれも限界があります。子供の
頃からずっとやっていれば、あるいはもっと身軽になれたかもしれませんけれ
ども。
では、昔の忍者の跳躍力はどのくらいだったのでしょうか。今となっては、
子供の頃からそんな鍛練をしている人はまずいませんから、確かなことは言え
ませんが、忍術研究家の奥瀬平七郎先生によれば、高くても五尺が限度であろ
うとのことです。五尺といえば、平均的な成人男子の頭の高さにほぼ等しいわ
けですけれども、たとえ助走をつけたとしても、忍び装束に忍刀、忍器をまと
って、自分の頭の高さまで跳べたら大したものだと思います。高跳び九尺とい
う言葉が確かにありますけれど、九尺といえば通常の日本家屋の天井の高さで
す。棒高跳びならいざ知らず、忍具をまとった生身の人間がそこまで跳べるも
のかどうか。これも実際は九は最高の数字とされているから、より高く跳べと
いう教えだという説もあり、それが本当ではないかと思います。
6はおそらく脚力や瞬発力を鍛える方法だったのでしょう。 実際に壁を登
る場合は何かの登器を併用しつつ、7の三点保持法が使われたようです。
8に関しては否定説もあるようですが、とりあえず書きました。忍者の走り
方は腰を少し落とした体勢で小刻みに走るのであり、通常の駆け足よりも心臓
に負担がかかりにくいのです。忍者の早足は超人的だったらしく、明治維新後
に失業した忍者の中には早飛脚屋を開業する者もいたそうです。
9に関しては多分に真言密教の影響が強いと思われます。精神統一によって
五感を強くし、ハエの羽音や針の落ちる音も聞こえるようにするということで
すが、これは前述した察気術とも共通するようです。かつて武神館の初見良昭
先生が高松先生に師事された時、正座黙想中にいきなり真剣で斬りつけられ、
咄嗟にこれをかわすことができたことにより、免許を授かったとのことです。
このうち、夜目に目を鳴らすことを暗闇透視術と言い、伝書には薬物を使っ
て鍛える方法が記載されていますが、その効果はかなり眉唾です。おそらくは
暗い部屋に閉じこもるか、夜陰にて目を慣らすことをやったのでしょう。
10 は甲賀流和田派の藤田西湖師範が行ったと言う鍛練ですが、口に入るもの
なら何でも入れて胃を鍛えるのであり、それも食べ物とは限らず、木炭や石、
昆虫まで食べるというのだから凄いものです。かつては藤田師範はガラスのコ
ップや屋根瓦まで食べてみせたそうで、藤田師範によれば、忍者は酒を五升ま
で飲むことを「酒をなめる」と言い、一斗まで飲んで「いくらか飲む」と言う
のだそうですが、これもそのような悪食鍛練の為せる技なのでしょう。藤田師
範は松本道別師範から霊学も学んでおり、その影響も強かったと思われます。
(ちなみに、この中で私が多少なりとも試したことがあるのは2と9だけです。
念の為)
この他にも剣や手裏剣などの武芸、毒薬や火薬の製法、などが加わるわけで
すから、なかなかどうして大変です。更に陽忍になるためには、各地の方言を
学んだり、身分になりきるための教養や職業技術が加わるわけです。たとえば
雲水になるためには勤行や座禅、禅問答などを学んだであろうし、猿楽や旅芸
人ならその技術を体得する必要が生じます。それを考えると、とてもじゃない
が普通人には困難この上もありません。
忍者は閉鎖社会である伊賀甲賀で生まれ、その性質上、極端な秘密主義を以
て育成されたと思われます。忍者が最も活躍したのは戦国時代ですが、現存す
る忍術の伝書は、全て江戸時代に入ってから書かれたもので、戦国時代に書か
れた伝書は今のところありません。おそらくは戦国時代は専ら口伝によって伝
えられたのでしょう。陰忍の技術は体技もさることながら、知恵の結晶のよう
な忍具によるところが大きいと思います。
ところがどっこい、その忍具も優れたものも少なくない中で、実際には使用
困難と思われるものもあるのです。おそらくは試作の段階で留まり、実用化に
到らなかったのではないかとも言われていますが、どんなものでしょうか。
その一つが「水蜘蛛」という水器。これは直径二尺一寸八分、厚さ二分五厘
の板を蝶番と掛金で円形につなぎ、中心に敷革があり、全体を馬皮で包み、松
脂を引いた物です。
ところがその使用法は今に到るまで不明であり、下駄のように二つ履いて水上
を歩行するとも、跨って浮き袋のように使うとも言われていますが、どちらに
しても人間を乗せて浮くだけの浮力はなく、実験が成功した例は今のところな
いようです。
この他にも使用困難と思えるものに「忍び熊手」なる登器があります。これ
は十本の竹筒に縄を通し、先端の縄に熊手状の鉄鉤を取り付けたもので、縄を
引っ張ると、竹筒がピンと伸びて一本の竹竿になり、高所に引っ掛けて登る時
に使う、とのことですが、これも実際に製作した人によれば、縄を引っ張って
もなかなか一本の竿になってくれないのだとか。これらの謎が解けるのには、
もう少し時間がかかりそうです。
(まだまだ続く)
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