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第2章 人権の基調 9 - 長崎ウエスレヤン大学

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第2章 人権の基調 9 - 長崎ウエスレヤン大学
第 2 章 人権の基調
1. 原爆被爆・鎮西学院 2. グローバリゼーション 戦争と平和
3. 平和学とはなにか 4. 人権思想 [Human Rights] の流れ
5. 聖書における人権思想 「義」
1.原爆被爆・鎮西学院 1945 年 8 月 9 日、アメリカ軍飛行機が長崎に投下した原子爆弾は、投下地点
から 500 メートルにあった鎮西学院の地上 4 階地下 1 階建校舎の 3,4 階を破壊し、
当時学校にいた 118 名中、即死 68 名、後日死 35 名、生存わずかに 15 名であっ
た。生存者もほとんど全部障害を受け、無障害はただ 1 人であった。( 東京大学
医学部調査団報告 )。長崎の町は人口約 24 万人にたいし、死者 73,884 人、負傷
ちば たねお
者 74,909 人と推計される。(1945 年 12 月末 ) 千葉胤雄院長 ( 当時教頭 ) は日
記につぎのように記している。
「1945 年 8 月 9 日 ( 木 ) 晴、午前 11 時頃、職員室で仕事をしていると
突然小型飛行機の急降下らしいものすごい音がきこえてきた。敵機だ
ろうか味方機だろうかと思っている瞬間、ドカンという物音に思わず
机の上に顔を伏せた。身近に起こるものすごい物音!これはてっきり
学院に、しかも職員室に爆弾が命中したものだと思った。立ち上がっ
て歩こうとするが眼が見えない。盲目にでもなったのではないかと思っ
て心配しているうちに室内がだんだん明るくなってきた。部屋には真っ
黒いものがもうもうと立ち込めていたので視力がきかなかったのだと
あびきょうかん
いうことがわかった。・・・
・下に降りると阿鼻叫喚の生き地
獄だ!いたるところから救いを求むる声、苦痛を訴える呻きが聞こえ
てくる。・・・直ちに玄関に引き返して負傷者の救出にかかる。・・・」
60 年を迎えた 2005 年、鎮西学院は「原爆被爆鎮西学院平和教育ハンドブック」
を発行し、上記の記事を掲載し、全学院生、同窓、関係者に配布した。私たちは、
この経験を過去のものとして水に流し、忘れ去るのではなく、平和を実現して
いく将来の課題を示し次の平和宣言を唱えた。
第 2 章 人権の基調
幸福なるかな平和ならしむる者 ( マタイ 5 章 9 節 )
W a r is Hell( 千葉胤雄院長の被爆時の叫び )
悲惨な被爆体験をもつ鎮西学院は、神の前に深い罪を悔い改め、核廃
絶とあらゆる戦争をなくすために祈り、地の上に平和を来たらすこと
を宣言する。
2005 年 8 月 9 日 被爆 60 周年の日に、鎮西学院
平和教育から平和学へ
鎮西学院は毎年平和祈念礼拝を行っている。2005 年は長崎から諫早まで 30 キ
ロを平和行進をして 60 年を記念した。また「平和の鐘」建立、千羽鶴奉献、記
念碑への献花を行い、幼稚園園児、高校生徒、大学学生、全学院の記念をおこなっ
た。この式典に参加したN氏は被爆時の学生であった。勤労動員で被爆した学
生のなかに不明の者がいる。同窓会名簿にある不明学生について出来る限りの
調査をする必要があるという。原爆により学籍等一切が焼失しているので、残
されたクラス写真などである程度わかるのではないか。鎮西学院平和学という
ものが構築されれば、こうした作業が基礎になると思われる。以下、平和学の
可能性を考えながら進めていきたい。
2. グローバリゼーションの中の戦争と平和
戦争
20 世紀は、第一次世界大戦 (1917-1919) と第二次世界大戦 (1941-1945) とい
う世界規模の戦争を行い、戦死者、難民等の犠牲者を数千万人だした。戦争の
グローバリゼーションと言うことができる。特に第二次世界大戦末期に開発さ
れた核兵器は一発で広島、また長崎という大都市を壊滅する威力を発揮した。
戦後の世界は自由主義陣営と社会主義陣営とに分かれる冷戦時代を迎えた。冷
戦時代の特徴は仮想敵国をつくり、敵の攻撃を抑止するためのより効果的な核
兵器を開発する競争にあり、核兵器の総量は地球の全人類を何回殺してもなお
余りあるほどのものをつくってきた。
平和 第一次世界大戦後パリで開かれた軍縮会議 (1928) で不戦条約が議題となっ
た。自衛の目的以外の侵略的戦争行為を禁止することが内容であった。1929 年
国際紛争解決と国際平和を目指す国際連盟がスイスのジュネーヴに本部を置い
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第 2 章 人権の基調
てスタートした。当時のアメリカ大統領ウィルソンが提案したものであったが、
国際連盟からの制約を受けることを嫌ったアメリカ議会は、国際連盟設立を批
准しなかった。国際連盟は国際紛争解決・戦争回避の協議の場であったが、組
織的にも脆弱であった。ドイツや日本の侵略行為を防止できなかったばかりか、
ドイツ・ナチス政権の大量殺人、日本における原爆投下といった、平和への努
せっけん
力のつみあげを一挙に否定するかのように、戦争・暴力が世界を席巻した。
第二次世界大戦の戦勝国は 1945 年、世界の平和維持のための国際機関国際連
合 ( 以下「国連」と呼ぶ =U.N.United Nations) を設立し、ニューヨークに本部を
置いた。国連総会を最高議決機関とし、その下に常任理事会が設けられ、緊急
を要する国際紛争解決のために安全保障理事会がつくられた。安全保障理事会
は 5 つの常任理事国と 10 の非常任理事国から構成されている。常任理事国はア
メリカ、イギリス、フランス、ロシア ( 当時のソ連 )、中国の五カ国である。安
全保障理事会は 3 分の 2 の多数、9 票で可決される。その中の 5 つの常任理事国
すべての賛成がなければならない。すなわち、常任理事国は実質的な拒否権を
もっており、実際には米ソの対立の中では拒否権を発動するために、国連にお
ける重要な決議は不能になり、冷戦後もイラク戦争開始に見られたように、国
連決議はなされていない。創立以来、国連は国際紛争の解決のために、条約を
結び、また当事者間の斡旋あっせんを行ってきた。1963 年、部分的核実験禁止条約、
1970 年、核兵器の不拡散に関する条約、1996 年、包括的核実験禁止条約が結ば
れた。それに加えて、新たに平和維持活動 (Peace Keeping Operation=PKO) が重
要な任務となり、国際紛争や民族紛争が存在する地域に国連が武装した軍を派
遣して紛争当事者を引き離し、秩序維持をはかる。国連軍には随時加盟国が人
員を派遣して、平和維持活動を行う。日本は、1992 年に“国際連合平和維持活
動等に対する協力に関する法律 ( P K O 協力法 )”を成立させ、自衛官を国連の平
和監視業務に参加させ、イスラエルと、シリア国境のゴラン高原に派遣し、ま
たアフリカのアンゴラやカンボジアに派遣し、イラクのサマワに派遣し、平和
維持活動に従事している。
自衛権
第二次世界大戦後、民族自決、平和、人権が普遍的価値として重んじられる
ようになった。「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃
が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和および安全の維持に必要な
措置をとるまでの間、個別的または集団的自衛の固有の権利を害するものでは
ない 」 ( 国連憲章第 51 条 ) と個別的また集団的自衛権を重んじ、一定の限度で
自衛のための戦争を認めている。また「民主主義防衛のため」「民族浄化をやめ
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第 2 章 人権の基調
させ、人権を守るため 」 とう名目で一定の戦争行為が正当化され「人道目的の
軍事介入」がなされている。
集団的自衛権とは、ある国が攻撃された時、軍事同盟関係にある他国が自国
に対する攻撃、また侵略国に対して反撃を加える権利のことである。国連が認
める集団的自衛権は、北大西洋条約機構 (NATO) やワルシャワ条約機構としてあっ
たが、後者はその中心にあった社会主義政権ソ連の崩壊によって解散した。日
本は 1959 年日米安保条約によりアメリカの軍事力の保護によってソ連の侵略意
図から自国を守る道を選んできた。
平和憲法
こうきゅう
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な
理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に
信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
・・・われらは、
全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免まぬかれ、平和のうちに生存
する権利を有することを確認する 」。( 日本国憲法前文第 2 項 )
日本国憲法の前文は、戦争をなくすという消極的平和だけでなく、正義と人
権の実現という積極的平和を志向していることと、平和的生存権を明確に示し
ている点が特徴的である。さらに、憲法第 9 条は戦争放棄を次のようにうたっ
ている。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国
いかく
権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を
解決する手段としては、永久にこれを放棄する 」「前項の目的を達する
ために、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、
これを認めない 」
完全な戦争放棄を唱えている憲法は、世界に類例のないものであり、絶対平
和主義を説いている。ところが、朝鮮戦争が始まると、日本は警察予備隊を設
置した。それは今の自衛隊へと発展し、世界有数の軍隊保有国になっている。
憲法 9 条の「戦争放棄」は、侵略のための戦争は禁じるが、自衛のための戦争
は禁じていないという内容に解釈され、専守防衛、自衛隊合憲論を形成してきた。
2001 年 9 月 11 日、ニューヨークで起きた旅客機による貿易センターツインビ
ル自爆テロは、経済のグローバリズムの拠点である貿易センターに世界の注目
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第 2 章 人権の基調
をあつめた。アメリカは「テロに対する戦争」という名目でもテロの首謀者さ
がしをアフガニスタン、イラクでおこなったが有力な成果をあげているとはい
えない。アメリカから軍事的協力をもとめられた日本は、テロ対策特別措置法
を成立させ、自衛隊をアメリカ軍の後方支援のためにインド洋に派遣した。ま
たイラクのサマワに派遣している。このようにして日本国憲法の絶対恒久平和
の原則は骨抜きにされ、改憲論が高揚しつつある。
3. 平和学とはなにか
平和学は、戦争の回避、防止を課題とし、時代と共に形態を変える戦争を追
い、また戦争が発生する因果を突き止め次の時代に生かすことを目的としてい
る。ノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥングが「構造的暴力」を提起してから、
平和学の対象領域は広がり、貧困や開発、ジェンダーといった日常生活に関わ
るテーマも含むようになった。(「ウィキペディア 」)。
ガルトゥングによると「平和学とは、“平和的手段による平和”についての学
問である 」。その場合「暴力の絶対的な否定を意味するわけではない」。平和学は、
健康学が予防医学を重視するように、暴力の予防を重視する。また、暴力が害
悪だという共通認識が前提となるが、聖戦論または正義の戦争といった「正当
化される戦争」においては「奴隷制」
「植民地」
「家父長制」は存在した。ガルトゥ
ングの平和学の特徴は、こうした制度そのものを「構造的暴力」としてとらえ、
とりわけ現代における「南北問題 」 を、取り組む課題としているところに特徴
がある。(「平和学入門 」)。
ガルトゥングは何度か来日し、1997 年には立命館大学の客員教授として多く
の講演やワークショップを試み、平和学に方向性を示した。京都 Y W C A も講座を
開きその成果を「平和を創る発想術」( 岩波ブックレット ) に発表している。私
たちはガルトゥングの平和学と対論しつつ、わたしたちの平和学の可能性を論
じてみようと思う。
平和とは何か?平和の定義を上にのべた。その場合、紛争がなくものごとを
解決するために暴力を使わない状態を消極的平和と呼び、それに対して、紛争
のもとになっている利権を共同管理し、互いに繁栄していく和解の方向で解決
するような取り組みを積極的平和と呼ぼう。
このような観点から、特に第 4 章「民族の生存 」 で、平和を実現するために
一命をささげた人をとりあげている。ドイツの施設ベーテルで、ボーデルシュ
ヴィンク牧師は、利用者を「生きるに値しないいのち」として殺害するヒトラー
の安楽死作戦に渡さなかった。消極的平和といえる。しかし、ボンヘッファー
牧師は絶対非暴力に学びつつ、陸軍省のヒトラー暗殺計画に参加し、捕らえられ、
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第 2 章 人権の基調
処刑された。積極的平和ということが出来る。ボンヘッファーは絶対的善とい
うものはこの世にない。究極一歩手前の最善を尽くすことあるのみだ、と考え
ていた。それは例えて言えば、満員バスの運転手が途中でおかしくなり、バス
がまるごと危機に瀕しているとき、あなたは運転手を引きずりおろして、運転
を替わり、乗客を救おうとしないだろうか。こういう論理である。ボンヘッファー
の生き方に触れると、消極的平和とか積極的平和という区別にどんな意味があ
るのか疑問を覚えてしまう。アイヌの人たち、在日韓国・朝鮮の人たち、また
沖縄の人たち、南北アメリカに移民した日系マイノリティのがんばりをすこし
でも覚えて声援を送ることも平和学の基本となるだろう。特にカナダでよい存
在となったジョイ・コガワの文学活動、日系の民族差別にたいする復権と保障
運動・リドレスも平和学の中で評価されるべきであろう。
構造的暴力
ガルトゥングがいう「構造的暴力」とは、たとえばその一つは、世界の経済
構造が貧富の差を生み出し、北の人たちの裕福が南の人たちの生存をおびやか
す暴力となっているという「南北問題」のことである。本章の裏表紙に、一本
の線を引いて、南北問題を明示した、国連のウィリィ・ブラント調査委員会作
成の世界地図をすこし改変して掲載させていただいている。裏表紙をごらんい
ただきたい。「人間の大地」( 犬養道子著 19 頁 ) に所収されている。1985 年に
出版され、もう 20 年前の資料であるが、南北の状況は改善されてはいないばか
りか、悪化していると思われる。そのまま引用させていただく。線を引いた北
の陣営には、全世界の人口の 4 分の 1 がいて、全世界の収入の 5 分の 4 を得て
いる。平均寿命は 70 歳である。それに対して線を引いた南の陣営には世界の人
口の 4 分の 3 が住んでいて、全世界の収入の 5 分の 1 を分け合わねばならない。
平均寿命は 50 歳である。北側は権益を守りながら、かつ、なお増大しようとし
ている。
「この地球の隅々までアメリカ式民主主義に塗り替える」というブッシュ大統
領の戦略が、南の人たちの生存をかけた自爆テロという最後の手段を自分に向
けさせていることは、隠しようのない事実となっている。ニューヨーク貿易セ
ンターツィンビルに対する自爆テロによって、アフガニスタン、イラクへの攻
撃が始まった。その当時、サミュエル・ハンチントンは「文明の衝突」のなか
で、冷戦時代にかわって、民族の自己主張による文明の衝突がはじまると述べた。
マスコミで取り上げられ紹介された彼の主張は、多くの人の関心を引いたので
ある。しかし、「文明の衝突」のうらに隠蔽された南北問題、すなわち構造的暴
力こそ、世界人類がみんなで、とりわけ北の人たちがどうしても解決しなけれ
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第 2 章 人権の基調
ばならない課題である。(「アレテイア」) こうした積極的平和の実例は、ヨー
ロッパ共同体である。ヨーロッパは、第二次世界大戦後 60 年をかけて、鉄道、
関税、通貨を共同管理する努力を実現させている。そこではかつてのような民族
主義的紛争はもう起こらないという状況を創り出しているのである。経済のグ
ローバリゼーションはもはや利権の奪い合いをして国益を守るか、損じるといっ
たレベルの問題ではない。共同管理の道を探ることである。積極的平和への道で
ある。日本の国の周辺を見渡すと、魚釣島は地下資源の天然ガスの宝庫である。
この利権をめぐって中国、台湾、日本が主権を主張している。韓国と日本の間に
は 200 カイリ漁業権をめぐって竹島問題がある。また北方領土の返還問題がある。
「はじめに」の章でのべたように、宇宙船地球号の世界市民であるという意識に
よって、国とか国境という概念、またその意味を変えていくほどの地域の自然に
根ざした共同体づくりが求められる。
暴力 さきに述べたようにガルトゥングは「健康学が予防医学を重視するように、平
和学は暴力の予防を重視する」という、この場合予防というのは、病因がわかる
と薬を処方し、あるいは手術によって病巣を取り除くが、その場合薬にともなう
副作用、手術という暴力性を避けることはできない。この意味で、暴力の予防と
しての平和は限定的な暴力を含むという考えが広く容認されている。歴史的な英
雄はみな暴力的であったとトゥルニェは言う。ジャンヌダルク、フランス革命の
英雄たち、レーニン、毛沢東がそうである。暴力には非難と評価が混在していて、
どちらがよくてどちらが悪いという判断を下すのは至難のことである。問題は何
が必要な暴力で、何が有害な犯罪的暴力なのというところにあるともいう。ハッ
カーは、よい暴力を「攻撃」と呼び、悪い暴力を単に「暴力」と呼んで二つの
言葉を区別した。「攻撃は必ずしも暴力ではないが、すべての暴力は攻撃である」
と言っている。(「現代における攻撃と暴力」)
攻撃
動物の世界では、生きるために日常的に他の生き物を殺して食べる。食べるた
めに殺すのである。生きるために殺すのである。動物は、愛も憎しみもなく、平
穏のうちに殺す。しかし、自分の仲間は殺さない。これは一つの決まりであって、
そこに秩序の乱れはない。仲間は殺さない、必要以上に殺さない。この抑止する
力が仲間の抹殺を防ぎ、種の保存を保障する。動物の攻撃は破壊的力としてでは
なく建設的プロセスとしてあらわれ、集団を率いていくボスを選んで共同体を形
成するのに役立つ。動物社会にはこうした攻撃性を備えた権威がなくなると、た
ちまち混乱に陥る。同じように人間社会にも限定的な攻撃が容認される。「攻撃
性は生命そのものの表れであり、生命本来のあふれる力、生命に不可欠の力、生
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第 2 章 人権の基調
命を特徴づける力、益にもなり害にもなるあらゆる可能性を秘めた力なのであっ
て、それなくしては、生命が存続しえないところのものである 」。しかし、動物
の世界の中で、人間だけが攻撃性に抑止力を失い、人間を殺し、暴力を拡大する。
必要以上に。(「暴力と人間 」)
いま私達は構造的暴力、暴力、攻撃の本質を分析し理解を深めてきた。暴力に
立ち向かう時、その本質と怖さと弱点を理解する必要があると考えるからであ
る。
ある調査によると、アメリカは 1945 年以来、56 回の軍事介入をしてきた。第
二次世界大戦後の介入のほとんどは空爆で、死者の数は 600 万人と数えられてい
る。
ガルトゥングは、特にイラクにおけるアメリカの暴力介入について、いわゆる
「 文明の衝突」にあるイスラム教とキリスト教・ユダヤ教の衝突という見方に対
して、そういう理由でアメリカがモスクを攻撃したことは一度もないという。あ
くまでアメリカの特定の利益を守るために行っているのだ。また、南北問題と
なって現れている構造的暴力を指摘している。
そして、こうした暴力を平和へと転換する7つの道を示している。すなわち、
1. パレスチナを主権国家として認めること、2. イラクへの経済制裁を解除する
こと、また「イラクの子どもが 50 万人死んでも ( 制裁は ) やむをえない」といっ
た前オルブライト国務長官は発言について謝るべきである。3. イスラム教の聖
地サウジアラビアからの米軍の撤退、
・・・6. 非グローバル化の経済地域の設定。
第二次世界大戦後アメリカの経済援助計画「マーシャルプラン 」 によって、復興
が進められたように、イスラム圏に経済援助をし、自力更生ができるようにする。
7. 歴史教科書の共同制作。戦後ドイツがユダヤとロマに対して友好関係を回復
したのは教科書の書き換えが寄与している。(「平和を創る発想術」) 積極的平
和プロセスこそ、暴力に立ち向かう有効な立場と考えられる。
聖書の平和思想
ニューヨークの国連本部のロビーには、人類の平和への願いと国連の使命を、
預言者ミカのことばによって次のように記している。
つるぎ
すき
やり
かま
彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする
( ミカ 4:1-3) 戦争、暴力をいかにして積極的平和プロセスに転換できるだろうか。その場合
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第 2 章 人権の基調
預言者が語った言葉やイメージは今も有効性を持っている。上の預言者ミカは
殺人の武器を農機具に作り変え、作物によって繁栄する時代をイメージして示
している。
また、ゼカリヤは次のように言っている。
エルサレムの広場には再び、老爺、老婆が座すようになる。( ゼカリヤ 8:3)
平和の時代の老人が幼な子たちが遊び戯れる広場でくつろいでいる。美しい
光景を描いて見せている。
聖戦と非暴力絶対平和
旧約聖書のはじめに、「主はあなたがたのために戦われる。あなたたちは静か
にしていなさい」( 出エジプト 14:14) という聖戦思想の元になったことばがある。
他に 26 回みられる。それは殆どモーセ 5 書に限られている。出エジプトの民は
荒野に出て 40 年間を過ごした。いよいよ約束の地を目前にして、前進を躊躇す
るイスラエルを励ます言葉として繰り返されている。イスラエルはエジプトで
400 年間奴隷であった。もとより戦闘能力も武力もなく、「主なる神 」 に対する
信仰のみが力だということを強調している。「主が戦う」は、後に十字軍に聖戦
思想として改変され、受け継がれたもである。
新約聖書に目を転じると、イエスは山上の教えで次のように絶対平和を説い
ている。
平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。
( マタイ 5:9)
その後、イエスは十戒に新たな解釈を加えている。あなた方は「殺すな」と
聞いている。この十戒 ( 第 5 戒 ) を徹底し、
「和解しなさい」と説く。さらに、
「自
分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか」そ
ういうことは悪人だってしているところである。そうではなく 「 敵を愛しなさい」
( マタイ 5:44)。
「だれかが右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい 」( 同 5:46)。
イエスに始まるキリスト教の絶対平和主義の基調をここに見る。これにより、
イエスはユダヤ教の民族主義的性格を克服し、世界宗教を志向した。
トゥルニエは、「聖なるものの本質は暴力だ」といい次のように言う。しかし
それは破壊的暴力ではなく建設的暴力としてある。祭りの時にささげられる犠
牲は、争って対立するものを一つに結ぶ力であった。ローマの円形劇場での剣
士たちの暴力的死闘は観衆を結びつけた。猛獣に食べられたキリスト教徒の殉
教に加えられた暴力はキリスト教徒の結束を強めた。「宗教」[ religion] は、「ふ
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第 2 章 人権の基調
たたび - 結びつける」という意味を持っている。そのように、宗教の聖なる本質は、
暴力によって死に至らしめた犠牲をもって、対立するものを結びつけるところ
にある。預言者イザヤは、来るべきメシア・キリストについて次のように預言
をした。
こ
彼への懲らしめがわたしたちに平安をもたらし、彼の打たれた傷によっ
て、私たちに癒しがもたらされた。
( イザヤ 53:3-9)。
イザヤが預言したメシアは自ら苦しみを受け、受けた苦しみによって、人を
癒し、和解の使命を果たす。対立を和解へと結びつける、そのところでイエス
を犠牲として殺す暴力を、聖なるものの本質として示している。この暴力は破
壊的な暴力ではなく,建設的暴力と、トゥルニエは説明している。イザヤの預
言はイエスにおいて成就した。「イエスは人類の暴力を一身に負い、イエスが身
替りに負った罪によって,人は赦された罪を深く認識し、再発を防止する。こ
のようにして彼自身が暴力を正しく用いることを知る唯一の人間であったにも
ふくしゅう
関わらず、あえて復讐することをしなかった。こうして、彼は文字通り人類の
暴力の悪循環を断ち切ったのである。だから彼は本当の意味で救い主といえる。」
(「人間と暴力」)
罪責
第二次世界大戦の終結を扱った N H K 特集は戦争責任について次のように語っ
ていた。第二次世界大戦末期にフィリピンが陥落した時に、終戦の決断をして
いれば、沖縄戦の 20 万人の死者を出さずにすんだ。沖縄戦が終わった時、ポツ
ダム宣言を受諾していれば、大都市圏のじゅうたん攻撃による被害を防ぐこと
が出来た。さらに、広島の原爆投下を避けることができた。広島の原爆投下の
直後に降伏すれば長崎の原爆被爆による 20 数万人の被害者を出さずに済んだ。
こうした被害回避の機会はあわせて、少なくとも 4 回はあったのである。ポツ
ダム宣言を受諾するタイミングを 4 回も逸した、このために数百万人の死者を
出したことについて、国の指導者の責任は大きいものと認識しなければならな
い。
癒し ガルトゥングは癒しの手法に異なる文化がもつ固有の潜在意識を重視してい
る。たとえば日本人は面と向かって議論せず「根回し」をしようとする。日本
人の深層文化の特徴であろう。中国は陰陽を二元的にとらえないで、陰は陽の
中にあり、陽は陰の中にあるというように互いが互いを含んでいると考える。
ポリネシア語の「ホーホノポノ」は「曲がったものをまっすぐに直す」という
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第 2 章 人権の基調
意味で、その手法は、A が B に害を加えたら、両方の家族、友人、近所の人があ
つまり、長老が立ち会って話し合いをする。さまざまな解決法を考えることで
ある。本書においては、後半 8 章から 12 章までの 4 章を「癒しの力」という課
題で、ことば、音楽、絵画、思想、文学が持っている癒しの力を学ぼうとして
いる。
兵役拒否の思想
民主主義がある程度成熟した国では兵役拒否の権利を認めている国がある。
兵役を拒否したものは、民間奉仕として福祉施設や病院である期間勤労奉仕を
義務付けられている。国を問わいなので、日本で働く兵役拒否者に遭遇するこ
ともある。また、イエスの絶対平和主義は、現在メノナイト派、クウェーカー派、
フッターライト派において継承されている。
M . L . キング牧師はガンジーの非暴力の不服従の抵抗運動に学び、黒人解放運
動を指導した。彼はこの運動を次のように意味づけている。1. 臆病者ではなく
強者の道である。2. 敵の友情と理解を勝ち取ることを求めている。3. 攻撃の目
標が悪を行う人間ではなく、悪そのものであること。4. は報復しないで苦痛を
甘受し、反撃しないで反対者の攻撃を喜んで受け入れる。5. は非暴力は外部的
な肉体による暴力を避けるばかりでなく、内面的な精神による暴力をも避ける。
非暴力の中心には愛の原理がある。キング牧師は 1968 年暗殺という暴力によっ
ていのちを奪われた。アメリカはキング牧師の栄誉をたたえ彼の誕生日に近い 1
月第 3 月曜日を祝日「マルチン・ルーサー・キングの日」として記念している。
人権思想 [Human Rights] の流れ これまで、平和を、暴力の予防として考察してきたが,もう一つの側面であ
る「人権」思想の流れにそって考察を重ねようと思う。
国連のメンバーとしてながいあいだ難民問題に取り組んできた犬養道子は、
聖書の主要な人物が「難民」であったことを指摘し、人権問題への理解を訴え
ている。(「人間の大地」) 犬養がいうように聖書の人物を「難民 」 として見るな
らば、確かにアブラハムは、約束の地を目指して故郷カルデヤのウルを旅立っ
た、今で言えば、国籍をもたない難民であったといえる。「難民」とは、近代的
用語で、近代国家成立以前はなかった概念である。難民を定義してパスポート
を持たない旅人と言おう。「パスポート」(旅券)は、政府ないしそれに相当す
る公的機関が交付し、国外に渡航する者に国籍およびその他身分に関する事項
に証明を与え、基本的に外国官憲に保護を依頼する公文書である。(「ウィキペ
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第 2 章 人権の基調
ディア」) 他国を旅する時、旅の安全をまもるのがパスポートである。パスポー
トを持たない人は、国外退去を命じられ、その人は身の安全を失うことになる。
この意味で身の安全の保証をもたない人を難民とよぼう。
アブラハムの孫にあたるヤコブは兄弟のトラブルを避けて、異国に身を寄せ
た。ヤコブも広い意味で難民体験者といえる。ヨセフは奴隷の経験をした。奴
隷は安全を保証するものを持たない、難民と言える。モーセに率いられた民は
400 年間エジプトで奴隷であった。さらに、40 年の間荒野を放浪した時、彼ら
は難民生活を余儀なくしたのである。こうした体験が聖書に「人権思想」を定
着させた。また人権は絶えず脅かされ、絶えず意識されたのである。イスラエ
のが
ルは、約束の地カナンに新しい理想社会を建設するにあたり、まず最初に「逃
れの町」をつくった。逃れの町について細かな規定を定めている民数記 35 章を
見ると「あなたたちは、人を殺した者が逃れるための逃れの町を6つレビ人に
与え、それに加えて 42 の町を与えなさい。レビ人に与える町は、合計 48 の町
と放牧地である」(35:6,7)とある。人が一日歩いていける距離に逃れの町をつ
くることにした。この規定がどの程度実行されていたかは不明である。その精
神は聖書に人権思想をたずねるとき、一つの源泉と考えられる。小説「ああ無情」
にでてくる主人公ジャンバルジャンが教会に泊めてもらい銀の燭台を盗んだと
して警官に逮捕されたとき、ミリエル神父はその燭台はジャンバルジャンにあ
げたものだとして見逃す話がある。この場合、教会は逃れの町の精神を発揮し
ている。また性的虐待を逃れてくる外国人女性を受けとめる「ヘルプ」( HELP:
House in Emagency of Love and Peace) の働きにも逃れの町の精神は息づいている。
新約の時代になると、イエスは生まれてすぐヘロデ王の追求を逃れて、エジ
プトに身を寄せた。イエスのエジプト逃避と言われる。キリストの死後 300 年
に及ぶキリスト教迫害の歴史は、キリスト教徒を難民の境遇へと追いやった。
キリストは次のように問う。あなたは「わたしが飢えていたときに食べさせ、
のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、
病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた」かと。(マタイ 25:35,36)
いかに助け合うことの大切であるかを思わせる。このように見ると聖書は旧
約と新約をあわせて主要人物は殆ど難民体験者であり、そこから独特の人権、
平和思想が生まれていることが判る。
人権問題の所在
「人権」は、近代的意味ではフランス革命における人権宣言によって広まった。
ところが、20 世紀に入って、人類は二つの世界大戦を経験した。そこで、ナチ
ズムによるユダヤ人の大量殺戮、ロマ ( トルコ人 ) の絶滅、障害者および弱者、
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第 2 章 人権の基調
またエホバの証人と政治犯の一掃という、人権を踏みにじる残虐非道を目のあ
たりにした。長崎・広島に投下された原爆は、人間の尊厳を一瞬にして否定し、
「人権」の弱点はあますところなくさらけ出された。さらに、近年、明るみにさ
れてきた、わが国の戦時下における従軍慰安婦問題は、人権を改めて問いなお
し、事実の解明と謝罪・賠償による共存の道を模索している。この経験は人権
確立の要求を高めた。それは、一国内の取り組みでは不可能であり、国家を超
えた国際連合(以下「国連」と記す)の課題と認識されることになった。以来、
国連において諸人権宣言が可決され、そこから国連の加盟国に批准を求め、加
盟国の律法、行政に強制力を生じる「国際条約」として扱われるようになった。
この意義は画期的であり、「子ども」(1989)「女性」(1979)「民族」(1963)「障
害者」(1975) に関する諸人権条約として宣言された。国連加盟国である日本も、
これらの諸条約の批准を求められ、それに従って、国内法の整備をしなければ
ならない。日本も国際関係の中で、人権問題に対する積極的な取り組みを求め
られているのである。 聖書における人権思想 「人権」は、一般に、生きる権利または生存権と考えられ、抑圧された者の権
利回復または権利拡大の運動と結びついてきた。聖書を見ると、貧しい者、女性、
寡婦、孤児など、弱者保護の思想はあるが、権利拡大の意味での人権思想はない。
そこで、私たちは人権を [Human Rights] の意味、即ち、人の「義」[righteousness]
として見る。すると、ここから「正義」「公義」また「公平」を求める、くめど
もつきない、人権の源泉にたどりつくのである。では人権思想の流れを聖書に
遡って概観しようと思う。旧約聖書において、1, イザヤ、2, エレミヤ、3, エゼ
キエル、 4, ホセア、5, ミカ、6, バクク、7, ゼカリヤ、8, モーセ、新約聖書に
おいて、1, イエス 2, パウロという順番で進めよう。 旧約聖書に「義」という言葉は 105 回でてくる。義を説く人権思想には二つ
の流れがある。 一つは預言者運動である。 もう一つはモーセによる出エジプ
トの経験からくる「十戒」の精神である。この流れに沿って見ていこうと思う。
預言者イザヤは 28 回「正義」を求めて言及している。
わたしは正義を測り縄とし、恵みの業を分銅とする。 イザヤ書 28:17
正義が造り出すものは平和であり、正義が生み出すものは、とこしえに安
らかな信頼である。 イザヤ書 32:17
預言者エレミヤ 14 回「正義」について言及している。
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第 2 章 人権の基調
エルサレムの通りを巡り、よく見て、悟るがよい。広場で尋ねてみよ、
ひとりでもいるか、正義を行い、真実を求める者が。いれば、わたし
はエルサレムを赦そう。 エレミヤ書 5:1
主はこう言われる。正義と恵みの業を行い、搾取されている者を虐げ
る者の手から救え。寄留の外国人、孤児、寡婦を苦しめ、虐げてはな
らない。 エレミヤ書 22:3
預言者エゼキエル 11 回「正義」について言及している。
悪人であっても、もし犯したすべての過ちから離れて、わたしの掟を
ことごとく守り、正義と恵みの業を行うなら、必ず生きる。死ぬこと
はない。
エゼキエル書 18:21
預言者ホセア、アモス
正義を洪水のように、恵みの業を大河のように、尽きることなく流れ
させよ。
アモス書 5:24
預言者ミカ、ハバクク、ゼカリヤ
人よ、何が善であり、主が何をお前に求めておられるかは、お前に告
げられている。正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩
むこと、これである。
ミカ書 6:8
律法は無力となり、正義はいつまでも示されない。神に逆らう者が正
しい人を取り囲む。たとえ、正義が示されても曲げられてしまう。
ハバクク書 1:4
万軍の主はこう言われる。正義と真理に基づいて裁き、互いにいたわ
り合い、憐れみ深くあり、
ゼカリヤ書 7:9
十戒
神はこれらすべての言葉を告げられた。「わたしは主、あなたの神、
あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。
1 戒 あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
2 戒 あなたはいかなる像も造ってはならない。 3 戒 あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。 4 戒 安息日に心を留め、これを聖別せよ。 5 戒 あなたの父母を敬え。
6 戒 殺してはならない。
7 戒 姦淫してはならない。
8 戒 盗んではならない。
9 戒 隣人に関して偽証してはならない。
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第 2 章 人権の基調
10 戒 隣人の家を欲してはならない。 出エジプト記 20:1-17
「義」という言葉は、新約聖書に 161 個所でてくる。 イエスは山上の教えの中で次のように言っている。
義に飢え渇く人々は、幸いである。その人達は満たされる。
( マタイ 5:6)
また
義のために迫害される人々は、幸いである。天の国はその人たちのもので
ある。 ( マタイ 5:10)。
聖書における「義」は、第一に、神に対する人の真実を意味する。神が人に
求める「義」でもある。それは神と人との縦の関係概念である。それが実現す
るとき、人に対する義が成就すると考えられる。横の関係が正しく成り立つと
言う。そこには、権利の拡大という思考はなく、絶対者である神の前における
人権であり、人はみな平等である。人権の基礎を神に置いていると言える。
イエスは、律法の専門家の問いに答えて、次のように言う。
おきて
「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか」。イエスは言わ主を愛しな
さい』。これが最も重要な第一の掟である。第二もこれと同じように重要である。
『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づ
いている。」(マタイ 22:36-39) イエスによると「義」は、神に対する人の誠実
である、と同時に、人に対する愛である。二つは別でなく、一人の人格を統合
する基本的要素である。
パウロ
パウロは「義」を内面化し人権の根拠を人間性の根源に求めた。
人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰による。( ロマ 3:28)
それから 1500 年を経た中世のドイツで、宗教改革の指導者となるマルチン・
ルターはパウロが書いたロマ書のなかに、「人が義とされる」、即ち人が救われ
るのは、人の行為や業績によるのでなく、「信仰による」というテーゼを見いだ
した。即ち、人権の根拠を自己の中に見いだした。自己の内なる絶対神との関
わりの中に、人権の基礎を見いだした。他者から侵害されない、人間の尊厳で
ある。この人間性の再発見は、時あたかも近代の幕開けを告げるルネッサンス
運動と呼応して、宗教改革の源泉となった。人権とは個人の尊厳の問題である。
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第 2 章 人権の基調
その根拠を、絶対神と自己との真実なる関わりを成す「信仰」に見いだしたとき、
ルターはかけがえのない人間存在の根拠を得たのである。「神は堅き砦」という
賛歌が鳴り響いた。人権思想の強調、また人権運動の高まりは何をあらわして
いるだろうか。人権抑圧の現実があり、極度な貧富の差に苦しむ人々の現実を
あらわしている。即ち、不義、不公平、抑圧、差別の現実を意味している。そ
して、義と公平と自由とは棚からぼた餅のように与えられるものではなく、自
らの手で勝ちとるものである。「わたしはあなたたちが足の裏で踏むところをす
べてあなたたちに与える」と主は言われたように(ヨシュア記 1;3)。また、ア
メリカ公民権運動の指導者マルチン・ルーサー・キング牧師が、バーミンガム
の獄中から訴えているように自らの手で得るものである。「われわれは断固とし
た合法的で非暴力による圧力行使の手段を用いることなしには公民権における
ただの一歩の前進もできなかった。・・・・われわれが痛ましい体験から学んだ
ことは、自由がけっして抑圧者から自発的に恵まれるものではないこと、自由
はつねに抑圧される者の側から要求されねばならないことであった」(「黒人は
なぜ待てないか」1966)
インマヌエル(神共にいます人)
このように聖書にみる人権の基調は、「義」という言葉に集約される。それは
まず第一に神と人との関係性をあらわしている。マタイはイエスを「インマヌ
エル」と呼び、神が共にいます人という意味であると説明をしている。イエス
にあらわれた神と人との関係を「義」と呼んだ。(マタイ 1;23)。神がうしろ盾
となって守られている人とも言える。ところで「福祉」の語源は「神がとどま
ると書いて幸せ」という意味を表している。出典は中国の「易林」の書からと
られている。聖書も易林も福祉に関して共鳴するものがあると思われる。
「義」は歴史の中で、特に民族的危機のなかで、人権問題に遭遇するとき、絶
えず。とりわけ預言者を通して問われてきた。また「義」は宗教改革の契機を
なしたように、内面からとらえるときに、時代を動かす力となってあらわれた。
マルチン・ルターは人が救われて義とされるのは律法の行いによるのではなく、
信仰によるというパウロの言葉に開眼した。義の内面化であり、今の言葉で言
えば人権の基礎を得たと言える。ここに時代を動かす原動力を見ることができ
る。 24
第 2 章 人権の基調
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