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25 周年記念 若手放射線治療医大集合

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25 周年記念 若手放射線治療医大集合
特集
25 周年記念
若手放射線治療医大集合
今回の特集テーマには前身があります。それは 5 年前の本誌 85 号に掲載された特集テーマ “ 新進気鋭
のドクターはこう考える” です。
「JASTRO が 発 足して20 年 が 経 過しようとしている今,・・・」ではじまるその 序 文 には、 長 年
Journal Club を担当されている岡嶋馨先生により「放射線治療に関する人も物も進化してまさに隔世の
感があります。・・・若手の話を聞いてさらなる今後の発展を垣間見ようと今回の特集となりました」と企
画の背景が記されています。
設立 25 周年を迎えて、文字通り四半世紀、ほぼ1世代分の歴史を刻んで来た JASTRO には、当然の
ことながら、放射線治療の研究・臨床を志す多くの若手が陸続とその舞台に躍り出ています。JASTRO
の将来を担う若手の声に耳を傾けることは大変に有意義なことであり、また公益社団法人となってはじめ
て新役員会のもとで新たな活動が開始される今こそはそれに相応しい時と考えました。若い世代の物の見
方や最近の研修の実際を知りたいとか、昔の自身と似た思いや悩みをもっておられるかも知れないといっ
た諸先輩方の関心にも共鳴するのではないでしょうか。
そこで卒後数年から15 年目くらいまでの中堅世代も含んだ「若手」会員からの投稿を想定して、いくつ
かの治療施設のウェブサイトを渉猟して10あまりの施設にご推薦を依頼しました。内容は
「研究紹介」、
「放
射線腫瘍学を選んだきっかけ」、「新人リクルートのアイデア」、「上司に一言」、「自身の将来構想」、「夢と
現実」、「改革提案」など自由に選んで頂きました。その結果 12 名の若手会員からのご寄稿を頂き、本特
集の意図は十分に達成されたと思います。ここに集った一篇々々に込められた JASTRO の未来に通じる
たくさんのエッセンスを、読者の皆さんが見出して下さることを確信しています。
静岡がんセンター・陽子線治療科 村山 重行
放射線腫瘍学を選んだきっかけ
●国立がん研究センター中央病院 放射線治療科 村上直也
私は山形大学出身で卒後 9 年目、臨床研修医制度
の 1 期生です。私が学生だった当時のがんの講義は
臓器ごとに外科の先生が手術を中心に話され、術前
術後の補助療法や遠隔転移・再発症例に対する抗が
ん剤の話はあっても外科の先生がたから放射線治療
の話はほとんどなかったように記憶しています。放射
線治療の講義自体は放射線治療が放射線科の中の
一部だったこともあり、レントゲン、CT や MRIなどの
放射線科の講義の合間に放射線治療の講義が行わ
れ、さほどインパクトのある講義ではなく当時はまさか
自分が放射線治療医になろうとは思ってもいませんで
した(尚、現在は東北大学から根本先生が来てくださ
り、放射線治療は診断から独立し、山形大学の放射
線治療は大きく変わりました)。
初期研修医では東京大学の臨床研修医制度に応
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JASTRO NEWSLETTER vol.106
募し、1 年目に市中病院、2 年目に大学病院で研修
を行いました。1 年目の市中病院で経験したがん治
療は IV 期の肺癌に対する抗がん剤治療、肝細胞が
んに対するRFAや TAE、胃がん・大腸がんに対する
手術治療で放射線治療には全く触れず、その必要性
を感じることもありませんでした。もともと画像診断に
少し興味があったため 2 年目の自由選択科を放射線
科にしたところ、たまたま放射線治療部へのローテー
ションがあり、そこで初めてがん治療の中に放射線治
療があり、しかも放射線治療で根治するような固形が
んがあるという事実を知りました。当時 3 年目以降の
進路を決めていなかった自分は、学生時代の部活の
先輩に「メジャー科は競争が大変だからマイナー科に
行って専門性を高める方がいい」
というアドバイスを思
い出し、放射線治療はどマイナーであるうえに面白そ
特集 25 周年記念 若手放射線治療医大集合
うだからやってみようと思い入局を決めました。
その後東大の放射線科の医局の先輩に国立国際
医療センターで研修をした山下先生に勧められ、同
期の大熊先生とともに卒後 3 年目で国立国際医療セ
ンターのレジデントとして赴任し伊丹先生と出会った
ことで更に放射線治療のディープな世界へと引き込ま
れました。伊丹先生には放射線治療だけでなく疾患
の治療全体を理解した上で放射線治療がどのような
立場にあるのか、患者をはじめに診た場合にどのよう
な治療戦略を立てるのか常に考えるように鍛えられた
お陰で、依頼科に言われたとおりに放射線をかけるの
ではなく時にはこちらから能動的にアクションを起こす
ことでより良い治療を患者さんの提供できることも経
験し、日々楽しく仕事をさせていただいています。
自分は放射線治療に出会うのが遅かったために卒
後 2 年目にして初めて放射線治療を志しましたが、学
生のころから放射線治療の講義がしっかりされること
で興味を持つ学生も増え、放射線治療を志す先生も
また増えるのではないかと考えます。時々メディアに
特集されますが、地域のがん拠点病院ですら標準治
療が行われていない例は多々あるようです。日本のが
ん治療の充実には放射線治療医をさらに増やす必要
があり、今後も仲間を増やす努力を続ける必要がある
と感じます。
放射線治療医を目指して
●市立札幌病院放射線治療科 高田 優
医師になりたい、と思い医学部を受験した時には決
して想像もしていなかった世界。放射線治療医という
職業について4 年目がもうすぐ終わる。原稿執筆依頼
をいただき、若手放射線治療医の一人として初心を
記録する目的で記載させていただく。
・過去
きっかけ、札幌医大前教授、晴山先生の講義を受
けたとき。なんとなく放射線という得体の知らない世
界を知りたかったからなのか、放射線で癌が治るとい
うことに興味がわいた。勧誘活動という名の下の教室
のお金で飲み食いし、いつの間にか晴山先生と入局
の握手をした。放射線治療医の誕生のはずだった。
しかし初期研修制度というものが僕を悩ませる。医
師 1 年目、医療とは右も左もわからないときに指導し
てくれた内科医に傾倒してしまう。担当医として病棟
で患者に接し、治療を行い反応が返ってくる喜び、
その反面うまくいかなかったときの悲しみ、患者を失っ
た時の無力感。その時々に叱咤激励してくれ、真剣
に仕事に向き合うことや仕事の楽しさを教えてくれた。
彼が勧めてくれた血液内科を研修し、患者を「治す」
ということの重要性を強く感じた。白血病患者にとっ
ては病気が前よりも良くなるというのはあまり意味のな
いことであり、完治しなければ近い将来の死を意味す
るからだ。反面、治すための治療を行ったことで有
害事象により死もあり得る。極端にいえば腫瘍が死ぬ
か、患者が死ぬかという治療を感じられたのは衝撃
的だった。
一方、大学病院の放射線科で研修し、幸いにも多
くの病棟患者の担当になりたくさんの経験をすること
ができた。放射線を使って癌治療をすることで、目の
前で多くの人が「治る」過程を触れられた。頭頸部癌
や子宮頚癌の根治照射でどんどん病気がよくなり退院
していった。しかし、姑息照射で「治す」ということを
感じられたのも収穫だった。骨転移による疼痛が落ち
着き痛み止めを減らせたり止められてQOL が上がる、
など。病気が完治しなくてもQOL が上がることで「治
す」ということも大事な仕事と学ぶことができた。壁に
ぶつかったときに指導してくださり、いつもかわいがっ
てくれる先輩医師がいて、改めてこの世界を選ぶこと
にした。
・現在
市立札幌病院で研修し、池田先生のもと楽しく働
いている。自分の長所を伸ばしつつ、さらに数をこな
すという大事なことも学ぶことができた。20 人以上の
病棟患者をみて「治す」ということをしながら、外来業
務をこなしつつ年間 400 人の治療計画を立てる。質
を落とさず日々患者と向き合いながら成長していかな
ければならない。苦手だった病状説明も以前より少し
ずつうまくなってきたような気もする。ただの夢であっ
たASTROに参加することで、必ずここで発表したい
と意欲もわいた。
まだまだ足りない一般的な臨床能力をつけること、
放射線治療の専門家として現場で活躍すること、学
会活動なども積極的に行うこと。課題が山積みだが、
楽しみながら一つ一つクリアし、理想の放射線治療医
を目指したい。
JASTRO NEWSLETTER vol.106
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これまでの15年とこれから
●札幌医科大学医学部放射線医学講座 染谷正則
私は大学を卒業して15 年目になります。当時、
「放
射線による癌治療って面白そうだな」と漠然とした気
持ちで卒後すぐに大学の放射線科に入局し、気が付
けば 2 年目の研修で外の病院に勤務した期間を除い
て、14 年間は大学病院の放射線科で働いてきた事に
なります。
私が放射線科に入った頃はコバルト60による外照
射や RALS 装 置があり、 外 照 射では CTシミュレー
ターは導入されつつあったものの、まだ MODULEX
を用いて代表的な CTの1スライスでの治療計画が行
われるのみで、多くはX線シミュレーターで前後対向
2門照射、といった治療計画がまだ一般的に行われ
ていました。前教授の晴山先生の指導の元に、セシ
ウム137による腔内照射や組織内照射を多く経験しま
した。回顧するほど古い時代の話でもないのですが、
私が育った環境はアナログ時代の最後の世代という
気がしています。
それからの放射線治療の進歩は私が言うまでもな
い事ですが、CTでの3次元治療計画、定位放射線
治療、強度変調放射線治療、イメージガイド下での
小線源治療など、多くの放射線治療の進歩を体感し
ながら診療に携わってきました。同時に画像診断の
進歩や化学療法の同時併用の普及などの恩恵もあり
ました。15 年前にはほとんどが進行して治らない患者
さんばかり引き受けていた「緩和ケア病棟」のようにも
思われた放射線科の病棟でしたが、次第に根治的放
射線治療を受ける患者さんの割合が増え、癌が消え
てCRとなり、歩いて退院される患者さんが多くなりま
した。また、1つの施設で長く仕事を続けて来た事で、
自分で治療をした患者さんが無再発で5年生存を迎
え、外来で一緒に喜びを分かち合えるような経験もで
きるようになりました。
最近は各診療科におけるEBMの実践が進み、根
拠のない実験的な治療が減ってきた事はうれしい事
です。これまでの先輩方が築きあげてきたエビデンス
のおかげで、標準治療としての根治的放射線治療を
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JASTRO NEWSLETTER vol.106
依頼される事が多くなりました。癌治療における放射
線治療の役割が重要視されるようになってきており、
各診療科からの依頼は年々増加しています。特にサ
ブスペシャリティーを持たずにほぼ全ての癌腫をカ
バーして診療してきているので、最新の知見をキャッ
チアップして診療をやっていくのは大変な所もあります
が、全身の癌を横断的に診る事ができるという強みが
あります。
このところ、大学病院で仕事をする意味について考
える事が多いです。診療をしっかりとこなしたいと思
う気持ちがありながらも、雑用・書類書きが多くとき
どき自分の本業が何なのか分からなくなる事もたまに
あります。しかしメリットとして医学生や若い研修医な
どの教育に関わる事ができ、放射線治療の素晴らし
さを各学生に教育(アピール)する時間が与えられて
いる事、また臨床の合間に時間をやりくりして放射線
生物学に関わる研究をできる事などが挙げられます。
学生時代の頃から「放射線によって癌が発生する
事があるのに、生じた癌は放射線治療によって治療
できるのは何故だろう?」という一見矛盾したような疑
問をずっと抱いてきました。ここに臨床家としての側
面だけではなく、学問として研究したい学者的な側面
があり、これが放射線生物学に関わり続けようと思う
原動力になっています。これまではギメラシル、オラ
パリブなどといった薬物の放射線増感剤としてメカニ
ズムの研究、ヒトリンパ球を用いた放射線による癌罹
患リスク、発生する癌の悪性度や予後との相関を見
る研究を行ってきました。次のテーマは放射線感受
性の遺伝子またはエピジェネティックなレベルでの予
測研究です。
これらの研究はまだ道半ばという所であり、これか
らの5年はこのテーマに没頭したい気持ちです。これ
らの研究を臨床にフィードバックさせ、よりよい放射
線治療を目指す事を使命と思って、これからも大学で
の診療は続いて行くかもしれません。
特集 25 周年記念 若手放射線治療医大集合
とある若手治療医の自己分析と将来
●大阪大学大学院 放射線腫瘍学 鈴木 修
今回原稿に取り掛かるにあたり、「大変なことを引
き受けてしまったなぁ」と改めて実感している。つい一
週間前には 25 周年記念の JASTRO が東京で開催さ
れ、参加者に実に若手が多いことを実感した。そん
な若手の代表(?)として原稿を書くことになろうとは。
私は卒後 12 年になるが、20 周年記念特集の折に寄
稿された先生方が当時卒後 5-6 年であり、ほとんど同
世代になってしまうので、時代の変化を感じるために
は今回も5-6 年あたりの先生方を対象にした方がよい
のではないかとも思ったのだが、これも貴重な経験と
考えて書き始めていきたい。
とはいえ、これまでクラブの OB 誌の原稿ですら避
けてきた身にとって、本稿はかなりのプレッシャーで
ある。研究紹介、放射線腫瘍学を選んだきっかけ、
新人リクルートのアイデア、上司に一言、将来設計
etc、といったテーマを挙げられたが、本稿では中堅
世代になりつつあるこれからの将来を見据えて、大げ
さであるが自らの自己研鑽の話題を中心に進めていこ
うかと思う。自己中心的な駄文・長文をお許しいただ
き、ご一読いただければ幸いである。
「さあ、 才 能に目覚めよう(Now, Discover Your
Strength)」という書籍をご存知だろうか。ウェブサイ
トでの質問に答えて、自分の性質の特徴を把握し、
長所をのばしていこうという主旨である。適材適所、
誰もが教授にふさわしい訳でもなく、また目指している
とも限らない。果たして自分は医師・研究者としてど
のようなスタンスがしっくりくるのか、に何となく触れ
られることができるのでないかと思う。興味を持たれ
た方はぜひトライしてみてほしい。
さて、その Strength・資質には 34 種類が挙げられ
ていて、達成欲、活発性、適応性、分析思考、アレ
ンジ、信念、指令性、コミュニケーション、競争性、
運命思考、原点思考、慎重さ、成長促進、規律性、
共感性、公平性、目標志向、未来志向、調和性、
着想、包含、個別化、収集心、内省、学習欲、最
上志向、ポジティブ、親密性、責任感、回復志向、
自己確信、自我、戦略性、社交性となっている。
このリストを見ても、カリスマと呼ばれる先生や教
授はきっと、戦略性や自己確信、最上志向、未来志
向、指令性なんかを備えているのではないかと想像し
てしまう。
一 方、 私ごとで 恐 縮 ではあるが、my strength
top5は、分析思考、慎重さ、共感性、収集心、公
平性であった。自分としては合っている感じがするし、
将来的にもまぁ、おとなしくしてるのがいいかなと思っ
ている次第である(笑)。
さらに、私の 5 要素についてこれまでの研究などと
絡めて紹介させていただきたい。
「分析思考」
「収集心」…「分析思考という資質を持つ
あなたは、他の人に「証明しなさい。あなたの主張が
なぜ正しいのか示しなさい」と要求します。あなたは
データを好みます。あなたはデータを見ると、パター
ンと関連性を捜し出します。一定のパターンが互い
にどのように影響するのか、どのように結びつくのか、
結果はどのようなものかを理解しようとします。」
「あな
たは物を収集します。あらゆる利用の可能性を考え
ているあなたは、モノを捨てることに不安を感じます。
ですから、あなたは物や情報を手に入れ、集め、整
理して保管し続けます。それが面白いのです。」
これは研究向きな資質だろうか?!確かにデータ収
集は始めると面白いし、第三者が理解しにくい解析を
することもしばしば…。うまく結果が得られれば論文
報告もできる。おそらく私の問題は、研究の動機づけ
が乏しいことであろう。これまでの数少ない研究テー
マ・clinical questionは上司から与えてもらったもの
であった。医学部卒業後、研修先の大阪労災病院で
は、茶谷正史先生が高線量率 RALSの遅発性障害
における線量率効果につき関心をお持ちで、神の声
とばかりに大学の RALS 症例のデータを集めてBED
と線量率の関連について報告した。また、大学院修
了後の大阪府立成人病センターでは、4DCTによる
肺定位照射や、PETCTの最適 SUV 閾値の同定といっ
た解析を行った。SBRT 後の補助化学療法の study
は症例が集積できなかったのが残念であった。一方
で収集心という資質(あくまで長所)の一面として、自
宅や、研究室のデスクはすぐに物であふれていって
しまう。定期的に断捨離が必要だなと感じるのだが、
実行できないのはこの資質のせいに違いない(笑)。
今後の課題としては、これまで論文化に総じて時間
を要している点が挙がる。「目標志向」という資質が
低いせいかもしれないと勝手に言い訳にしてしまって
おり、「責任感」を持って取り組んでいきたいと思って
いる(反省)。
「慎重さ」…「あなたは用心深く、決して油断しませ
ん。あなたは自分のことをあまり話しません。あなた
は世の中が予測できない場所であることを知っていま
す。いうなれば、あなたは毎日の生活を注意深く送る、
かなりまじめな人です。人になかなか打ち解けないと
JASTRO NEWSLETTER vol.106
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いう理由で、あなたを嫌う人がいても気にしません。
あなたは危険を明確にし、その危険が及ぼす影響を
推し量り、それから慎重に一歩ずつ踏み出します。」
プライベートな面も含めてかなり合っている気がす
る。本稿はかなりの冒険である。振り返れば、今の
制度でいうところの後期研修先の選択で、大阪大学
大学院か国立がんセンターのレジデントかで悩んだ折
も結局大阪を選んだし、同じ点でこれまで留学できな
いのもしかり。といいつつ実は、今回小川教授、小
泉教授の取り計らいでオランダに短期間ではあるが留
学させていただく事になった。現地での生活が甚だ不
安ではあるが、あとあとの糧になるだろうとのことで思
い切って飛び込んで、生活を満喫して来ようと思って
いる。しかし一方で、放射線治療に関しては学生時
代のポリクリの講義を聞いた時から熱い思い入れを抱
いており、放射線科へも「治療をやりたいです」と公
言して入局した。「慎重さ」をもってして惹きこむ魅力
が放射線治療にはある。
「共感性」
「公平性」…「あなたは周囲の人の感情を
察することができます。あなたは必ずしもそれぞれの
人の物の見方に賛成するわけではありませんが、理解
します。」
「あなたにとって、バランスはとても大切です。
あなたは、地位とは関係なく人々を平等に扱う必要性
を強く信じています。ですから、あなたは誰か一人が
特別扱いされることを望みません。」
治療に際して患者さんの気持ちに共感を示すことが
できれば医師としては役立つ資質で、大変ありがたい
と思う。一方では依頼を断れないというのも関係する
かもしれない。またバランスについては天秤座でもあ
るので、仕事、プライベートとバランスよく出来れば
一番ではあるが、日常業務までなら成立可能なのだ
が、研究についてはどうしても時間外に及ばざるを得
ない。時間内に集中しつつ、時間外もうまくアレンジ
できればと思う。いかに自分を追い込むか、締め切り
を設定して臨むようにはするのだが長続きしない。最
近スマホを手に入れたので、ToDo 機能などで管理し
ていこうと思う。
自作した自宅の和庭
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JASTRO NEWSLETTER vol.106
以上が私の 5 大資質であった。書き出しの内容を
見なおすと、その片鱗が窺えるかもしれない。教授と
いうよりは普通の治療医を目指して成長しているよう
である(笑)。もちろん資質といっても生まれ持ったも
のだけではなく、多くの先輩・同輩に影響を受けてこ
こまで成長してきているので、ここからは印象に残っ
ている言葉をいくつか紹介させていただきたい。
大学院終了後赴任した大阪府立成人病センターの
5 年間では、西山謹司部長に大変貴重な多くの訓示
を頂いた。赴任直後、ぼちぼちと臨床経験でも積も
うかなぁと考えていた矢先に「博士号を授与されたと
いうことは一人前の研究者として認められたということ
だ。終わりではなく、これからが始まりです。で、先
生は何をやりますか」と言われ甚だ返答に苦慮した。
日本屈指の症例数を誇るセンターの五年間で、自ら
の clinical questionを得ることがなかなかできな
かったが、「明日は今日とは違う自分になる」
「常に本
手となる一手を探している」など大きな影響をいただ
き、 前 立 腺 癌 術 後 PSA 再 発 へ の salvage RTでの
IMRT 導入や再発 High risk 群への治療戦略、前立
腺癌高線量率組織内照射、320 列 CTの有効利用、
cyberknifeによる体幹部治療などを大学での課題に
しようと考えている。
また「今は放射線治療が追い風だからどんな治療
医でももてはやされるが、将来もし追い風がなくなっ
たときに選ばれる治療医たるように日々努力が必要だ」
という言葉もあった。Evidence basedでありながら、
tailor madeの部分も大きいのが放射線治療だと感
じている。着々と増えていく放射線治療医の仲間とと
もに切磋琢磨し、人の波にも飲み込まれないように他
科との連携も深めつつ、患者さんへよりよい治療を実
現していこうと思う。
本年 4月から大阪府立成人病センターより大阪大
学に移った。教室は小川和彦新教授のもと、非常に
活気づいてきている。過去の在籍時の大学院生から、
特任ながらも一応の教員という立場になり、指導およ
び研究という仕事に苦悩する日々である。故井上武宏
教授の口癖「なんでやねん、ほんまかいな」はまさに
clinical questionを意識する言葉であった。後輩と
共に自分も一人前の疑問を呈することができるように
さらに研鑽を積んでいきたい。
10 年後の放射線治療の発展はもとより、自分の成
長も目指しつつ本稿を閉じたいと思う。このような散
文にお付き合い頂きありがとうございました。また寄
稿の機会を与えて頂いたJASTRO 広報委員長 唐澤
克之先生、ニュースレター編集長村山重行先生、当
教室の小川和彦教授に深謝いたします。
特集 25 周年記念 若手放射線治療医大集合
毎日若手大集合
●山形大学医学部放射線腫瘍科 黒田勇気
山形大学放射線腫瘍学講座の黒田勇気です。 若
手放射線治療医大集合と銘打った企画ですが「若手
の定義は?」と時々思う事は置いといて、「卒後 9 年目
ならまだまだいけるはず」という事で筆を執らせて頂き
ます。
実は山形大学では若手放射線治療医が毎日大集
合しております。というのも当科の放射線治療医7名
の年齢中央値(範囲)は 33 歳(29-55)で、根本教授
を除けばまさに若手しかいない状況です。
過去を振り返ってみると平成 17 年度には日本放射
線腫瘍学会認定医が山形県で 2 名しかいなかったそ
うです。そこで諸先輩方が人材育成に御尽力された
ところ(有り難うございます)、平成 17 年 0 人、平成
18 年 1 人、 平 成 19 年 0 人、 平 成 20 年 1 人、 平 成
21 年 2 人、 平 成 22 年 2 人、 平 成 23 年 2 人、 平 成
24 年 1 人、 平 成 25 年 1 人 予 定、 平 成 26 年 1 人 予
定、平成 27 年 1 人予定と放射線治療医を志す若手
が急増中となっております。この平成 17 年以降の放
射線腫瘍学講座の新規入局者のうち現時点での大学
所属の 6 名にアンケート調査(複数回答可)をしたとこ
ろ、放射線治療医を志した志望理由の第 1 位は「癌
を切らずに治す」や「画像診断医とは異なり患者さん
を診れる」
など放射線治療そのものに魅力を感じたから
(6/6 票)でした。ちなみに第 2 位は飲み会などのレク
リエーションが充実しており楽しそうな雰囲気だった
から(4/6 票)、第 3 位はコンピューターや IT 系が得
意・興味がある(2/6 票)と医者の QOLも高そう(2/6
票)でした。このような毎日若手大集合で臨床・研究・
教育・レクリエーション(餃子・焼肉・ゴルフ・山菜・
タケノコ・キノコ・ワカサギ)に日々邁進しております。
外勤先の放射線治療支援 Web 会議システムを用いた症例検討のために
若手大集合
さて山形県は新潟県と秋田県の間にある日本海側
の東北地方の 1 県で、県庁所在地の山形市は仙台市
の西 60kmに位置し通勤圏にあります。山形県の人
口は約 130 万人ですが面積は全国第 12 位と広く、村
山地域・置賜地域・最上地域・庄内地域と分かれそ
れぞれ 2 次医療圏を形成しています。山形市内の放
射線治療施設 3 施設は放射線治療医が常勤している
のに対し、その他の地域の放射線治療施設 4 施設は
全て非常勤となっております。各地域は公共交通機
関が不便なため自家用車で約 2 時間かかります。この
ような地理的状況や各自の経験不足も相まって非常
勤の放射線治療施設の応援を若手で行うのはとても
大変です。そこで当科では放射線治療の質を落とさぬ
よう「Web 会議システム」を用いた放射線治療支援シ
ステムを構築いたしました。せっかくの機会なので本
稿のスペースをお借りして御紹介したいと思います。
Web 会議システムはインターネットIP 通信を用いた
対面型のテレビ電話[写真 1]で、非常勤放射線治療
施設に出張中の放射線治療医が大学病院の放射線
治療医に(逆も可)いつでも相談できるといったシステ
ムです。さらにディスプレイ切り替え機を用いて電子
カルテ(関連病院全ては電子カルテ導入済み)や治療
計画装置のモニター表示を相手方のモニターに表示
させる事ができる機能もあります。症例検討や外部放
射線治療計画のダブルチェックなどに有用であり導入
直後から大好評となっています。従来よりインターネッ
ト回線を経由した遠隔治療計画装置がありましたが
最近はWeb 会議システムに取って代わられてきている
ようです。その他にもIGRTのチェック・医局行事の
連絡・臨床研究の予後調査・遠隔対面診察(ごく稀)
・
さらには雑談(?)など色々な用途に応用可能です。
今後は非常勤施設に常勤放射線治療医が派遣された
場合においても有用性の高いシステムともいえます。
がん治療において放射線治療の併用率が山形県で
は低かったという事情や当科がマンパワーに恵まれつ
つあることを勘案すると、山形大学ではさらなる症例
数増加を達成しなければいけないと思っており、自分
自身の向上や様々な環境整備の必要性を痛感してい
ます。平成 22 年には放射線治療棟が建屋ごと新しく
なり、Novaris Tx・Elekta Synergyも稼働 2 年を越
えました。前立腺 IMRT や頭部・体幹部 SRTの症例
数は順調に増加しつつあり、今後は頭頸部・骨盤部
VMATや頭頸部 SRTを積極的に展開し、高精度放
射線治療をアピールしていく予定です。また平成 24
JASTRO NEWSLETTER vol.106
31
年には RALS 装置更新によりCT 画像誘導腔内 / 組織
内照射も婦人科癌を中心に開始しました。不慣れな
病棟管理ではありますが無難なスタートを切る事がで
き、国立がん研究センター中央病院で 2 年間学んだ
(伊丹先生はじめ諸先生方有難うございました。)経
験を母校でも生かすことができ大変嬉しかったです。
今後は重粒子線治療施設の導入が計画されており、
粒子線先行導入施設への県外研修も盛んになってお
り、山形の放射線治療はますます発展していくと期待
しております。つらつらと駄文を書き列ねてしまいまし
たが、最後に根本教授はじめ諸先輩方が現在の環境
整備に御尽力なされたことに対し感謝しつつ、筆をお
きたいと思います。
放射線治療医のあるべき姿とは?
アメリカの放射線治療医をみて感じたこと
●徳島大学 放射線科 古谷俊介
私は今年卒後 14 年目になります。今回の原稿依頼
は15 年目位までの治療医ということですが、この位の
年齢になってくるともはや若手だからと言って甘えるこ
ともできませんが、かといってベテランのような経験を
持ち合わせているわけでもありません(少なくとも私個
人は)。しばらく前までは仕事が忙しくなると先輩上司
に愚痴の1 つでも言って気晴らしをする様なお気楽な
立場にいましたが、今は自分より若い先生の方が多く
なり、そのうち自分が後輩の愚痴を聞く立場になりそう
です。しかしもう少しで不惑の年にもなろうというのに
自分が放射線治療医としてこうあるべきだという確固た
るスタンスを未だに持っておらず、最近になってようや
く自分が放射線治療医としてどうあるべきなのか真面
目に考えるようになりました。そして現在、私はアメリ
カテキサス州にあるMDアンダーソン癌センターの放
射線腫瘍学部門に留学をしており、放射線治療の進
んでいるアメリカにおいて放射線治療医がどのように
活躍をしているのか見て学ぶ機会を頂いておりますの
で、自分なりに感じたことをここに述べたいと思います。
MDアンダーソン癌センターは全米で常に1,2 位を
争う癌センターで、放射線治療部門は年間 7000 人
を超える患者さんを治療し、1日にすると500 人程度
の治療を行う巨大センターです。患者さんは全米の
みならず世界中からやって来て、中には治療を受けた
大富豪が巨大なビルを1つ建ててしまうぐらいの巨額
の寄付をされることもあり、いろいろな意味でスケー
ルの大きさに驚かされます。放射線治療部門は領域
別に専門の医師が配属されており、1つの領域だけで
も日本の各施設の放射治療医の人数よりも多く、部
門全体で 60 人程度の治療医がいます。これだけの放
射線治療医が在籍しているのは全米の中でも際立っ
た存在と言えます。こちらに来てまだ数カ月ですが、
これまで見てきた中で特に印象に残った点をいくつか
挙げてみます。
32
JASTRO NEWSLETTER vol.106
①放射線治療医というポジションが確立している。
こんなことを書くとJASTROの皆様からは何を当た
り前のことをと叱られそうですが、こちらでは放射線
治療医は確固たるポジションを築いています。皆様
の施設では各科の集まるキャンサーボードや腫瘍カン
ファレンスなどで放射線治療医のいないカンファレン
スが行われていないでしょうか?こちらでは外科医が
いないと治療方針が決まらないのと同様に、放射線
治療医がいなければカンファレンスになりません。そ
してカンファレンスにおいて放射線治療医の発言が非
常に目立ちます。領域別に専門化された放射線治療
医が数多くの経験とエビデンスに基づいた発言をし、
また現在進行中の臨床試験など最新の知見も交えて
治療法の提案をし、非常に説得力を感じさせます。
② ”Making Cancer History”
この病院の標語ですが、既存の治療法に満足せず、
自分達が放射線治療をさらに前に押し進め、治療成
績をさらに向上させるために様々な臨床試験を計画
し、圧倒的な症例数のもと、複数の臨床試験を同時
に進行させています。この標語の通り、5 年 10 年後
にはこれらの中から世界の新たな標準治療が生まれて
くるものと思われます。
③放射線治療医はとても人気がある。
学生やレジデントの話ですが、アメリカでは放射線
科(治療・診断ともに)は非常に人気があり、放射線
科医になりたくても各施設定員数が決まっており非常
に狭き門で、選ばれた人しか放射線科医にはなれま
せん。人気の理由としては放射線科医の仕事のスタ
イルが好まれていることが多いようでが、ある医学生
に話を聞いてみても、「放射線治療医になりたいが、
とても人気があり、なるのはとてもハードだ。」とのこと
で、日本の現状からはちょっと信じられない話です。
特集 25 周年記念 若手放射線治療医大集合
④学生やレジデントに対する教育が充実している。
カンファレンスをみていると学生やレジデントが非常
に優秀であることに驚かされます。指導医の様々な質
問に対し、各種癌の疫学から始まり、病理、ステー
ジング、治療方針、治療計画や照射法に至るまで、
皆すらすらと答えます。レジデントがなぜこんな専門
的な内容まで知っているのかと驚かされますが、これ
も各領域の専門家から充実した教育が行われている
賜物だと思います。
こちらの放射線治療医をみていると、学生やレジデ
ントからとても人気があり、癌診療の中で確固たるポ
ジションを築き、実際に癌治療に大きな貢献をしてい
ます。そして豊富な人材の中で、充実した教育が行
われ、優秀な放射線治療医が育っていくというとても
よい循環です。また患者側からみても各領域の専門
家による極めて高度な医療が提供されるのは望ましい
ことであると思われます。放射線治療医として1つの
理想的な姿がここにあります。
日本の施設とはスタッフ数、患者数、医療制度など
さまざまな違いがあり、こちらのスタイルをそのまま日
本の施設に持ち込めるわけではありませんが、こちら
の治療医を見ていて、自分達ももっと外へ向かってア
ピールをしていかなくてはと感じています。キャンサー
ボートで発言力を高めるには他科の専門家と対等に
議論ができるだけの知識や経験が必要で、人数の少
ない上に全ての領域をカバーしなくてはならない日本
の放射線治療医にとっては相当な努力が必要になりま
すが、キャンサーボードは放射線治療医の存在価値
を各科および学生や研修医にもアピールできる格好の
場であり、ここは何としてもアピールし続ける必要があ
ります。そして若手の育成や治療医の専門性を高め
るためにも必要なのはやはりマンパワーです。日本で
も新人のリクルートから人材育成、各医師の専門性
の向上までよい循環で回っていけば、放射線治療医
が癌診療の中で確固たるポジションを築き、癌診療の
主体となって活躍できる日はそう遠くないと思います。
女性放射線腫瘍医の立場から思うこと
●山形大学放射線腫瘍学講座 市川真由美
初めにこのような貴重な機会を与えて下さいました
JASTROニュースレター広報委員の村山重行先生は
じめ諸先生方にこの場にてお礼申し上げます。
今回は若手放射線治療医の特集とのことでしたの
で、女性医師の立場から自分の経験と若手リクルー
トの提言をさせて頂きたいと思います。
1)放射線治療医になるまでの経緯
学生の頃は循環器内科に興味があり、初期研修も
漠然と内科全般や麻酔科を長く研修し、放射線科の
「ほ」の字もない研修医生活でした。研修医時代に
お世話になった先生にも放射線科医になるとは思わな
かったと言われます。
そんな私が放射線科に入局することになったきっか
けは子供でした。初期研修後すぐに第1子を出産した
ため、入局せずに1年間育児をしながら入局先を考
えていました。内科に進みたい気持ちはありましたが、
内科医の夫の協力はあまり期待出来ず、また子育て
を支援してもらえる知り合いもおらず、時間外勤務が
必須の内科に進むのは難しいと考え悩んでいました。
そんな折に大学同期の友人(放射線診断医)から
放射線科には子育てをしながら仕事をされている女
性医師が何人かいると聞き、急遽、放射線科の門を
たたきました。この時点では私の頭の中は放射線科
=放射線診断科のイメージで入局しました。私の在
学中には放射線治療部門は放射線科の1部門にすぎ
ず、授業も1コマか2コマ程度しかなく、あまり印象
に残っていなかったというのが正直なところです。
入局当時の後期研修プログラムは CT・MRI・IVR
&核医学・治療を各3ヶ月でローテーションするもの
でした。そのため、大部分が診断分野の研修でした。
(もちろん、認定医受験に関しては診断領域が多く、
治療医になるためにも画像が読めないとですが‥。)
診断主体のローテーションの中で、自分の持つ医師
像とは違っていましたが、育児をしながら仕事を続け
て行けることを善しとしていました。しかし、ローテー
ション最後に治療科で研修した時に私のやりたいこと
はここにある!と思ったのです。元々、患者さんとのや
り取りをすることが好きでしたし、実際に照射患者さ
んが痛みとれたよ!と喜んで話してくださったり、根治
照射の患者さんの follow CTで腫瘍が著明に縮小し
ていたりを目の当たりにするたびにとても魅力を感じて
いきました。
当時、治療科は教授を含め、3名の専門医の先生
JASTRO NEWSLETTER vol.106
33
方がおられましたが、全員男性で、専攻医で1人だ
け女医さんがいるのみでした。少なからず病棟業務も
あり、子持ち女医では無理かとも考えましたが、諸先
生方に非常にご配慮いただき、治療科専攻の道を歩
み始めることができました。治療専攻後は、夕方は早
めに上がらせていただいたり、子供の急病や行事で
早退や急なお休みを取らせて頂くことも多く、周りの
先生方には大変なご負担をおかけしていたと思います。
(今もですが‥)スタッフの皆さんに支えられながら2
年の研修を経て、無事に専門医を取得することがで
きました。
2)女性放射線治療医として
放射線治療は乳腺や婦人科領域など対象患者さん
の半数に女性患者さんが含まれており、女性としてあ
まり他人に見せたくない部分の診察が含まれるため、
担当が女性であることで喜ばれることも多く、自分の
存在意義があるかと思っています。
私は幸運にも根本教授をはじめ上級医の先生方の
ご理解があったため、山形大学として初めて子育て
女医が治療科に進むことができました。仕事に対する
多少の批判もありましたが、専門医を取得するまで続
けられてきたのは周囲の方々が支えてくれたお陰だと
感謝しています。
もっと自分に使える時間があればと思うこと、もっと
キャリアを積みたいと思うことはありますし、仕事と育
児・家事の両立は辛いなと思うことも多いですが、そ
れ以上に女性放射線治療医としてのやりがいが勝る
からこそ続けられているのだと思います。
この経験をこれから専門医となっていく専攻医の先生
や今後入局する女性医師に伝え、今度は私がサポー
トしていけたらと思っています。
3)若手リクルートのための提言
①高度な専門性を売りに
放射線治療は他の専門分野と比較しても専門性が
非常に高く、これは魅力であると考えます。また、日
進月歩に技術が発展してきており、その技術の習得
が必要でありますし、横断的に癌を取り扱うために癌
腫ごとの最新知識なくして担当科医師と議論もできま
せん。求められる知識量は膨大であり、非常にやりが
いのある分野だと常々思っています。そんな高い専門
性とやりがいを全面に打ち出すことでやる気のある若
手が入局してくれると考えます。
②放射線腫瘍学の授業・実習数、
セミナーなどの拡大を
現在の授業数、実習数ではなかなか放射線治療
の魅力を伝えきれないと思います。学生は国家試験
34
JASTRO NEWSLETTER vol.106
にでる領域を効率よく勉強したがるため、是非とも
JASTROのお力で医学生教育カリキュラムそして国家
試験にもっと放射線治療を盛り込んでもらえるように
働きかけて頂きたいです。
また、学生に対して放射線治療の魅力を個別に伝
えていく必要性もあると思います。
JASTROでもリクルート強化のために学生・研修医
向けのセミナーの開催をして頂いておりますが、東北
地区では秋に秋季セミナーと銘打って学生・研修医
が参加できる1泊2日のセミナーを開催しております。
今後もこのような取り組みが増えて行くことが望まれま
す。
当院では癌患者さんの治療方針を多職種間で協議
する場としてキャンサートリートメントボードを週に2
回程度開催しており、全12領域に分けて協議してい
ます。臨床実習の学生も参加しており、会では腫瘍
内科とともに中心的役割をなしています。すべての協
議に参加するため、非常に時間は取られますが、学
生や研修医にその存在を示すことにも一役かっている
と思います。
③女性医師のリクルートを
今や医学生の半数が女性である以上、女性医師の
確保をなくして科の存続はないのではとも考えており、
今後も女性医師のリクルートを積極的にしていきたい
と思っています。
そのためには先輩女性医師としてのいろいろなモ
デル(仕事重視型、子育て重視型、どちらも両立型
etc.)があるべきだと考えます。目標とする医師像が
実際にあることで入局しやすい環境を作れるのではな
いかと思います。
また違った勤務形態としてワークシェアリングがあ
るかと思います。
私が研修医時代にお世話になった横浜市立大学関
連の麻酔科ではワークシェアリングを導入していまし
た。2人の常勤ポストの1名分を子育て中の女性医師
2〜3名でシェアし、時間外対応などはもう1名の男
性医師がされておりました。もちろん、男性医師の後
立てがなければできない勤務形態ですが、放射線治
療の分野でも導入は可能ではないかと考えます。
最後に、放射線治療はまだまだ若手にとってのびし
ろの大きい分野だと確信しております。女性の立場か
ら拙い文章ではございますが、自由に述べさせて頂き、
ありがとうございました。今後とも皆様のご指導の程、
よろしくお願い致します。
特集 25 周年記念 若手放射線治療医大集合
放射線治療医として歩み始めて
●県立広島病院放射線治療科 西淵いくの
私は平成 19 年に広島大学を卒業し、初期臨床研
修を経て広島大学放射線治療科に入局し現在 4 年目
になります。この 4 年間、目の前の仕事と課題をこな
すことに精いっぱいで、あっという間に時間が過ぎて
行ったような気がします。今回このような貴重な機会
を頂いたので、反省の意味も込めてこの 4 年間を私な
りに振り返ってみました。
私は広島大学放射線治療科としては 4 年ぶりの入
局者で、当時大学で働いていたのは全員40 歳以上
の大ベテランの先生方ばかりでした。入局し大学病
院で働き始めた頃を思い返すと、同期もおらず年の離
れた先生達ばかりで、ただただ心細かったというのが
正直なところです。けれども、先生方の熱心な指導を
サンドバックのように受けながら、数カ月もするうちに
いつの間にかすっかり違和感なくなじんでいたように
思います。
大学院へ進学し生物学の研究をすることとなったの
はその翌年です。といいながら、恥ずかしい話ですが、
当時の私は DNAと遺伝子の違いもよく知らないという
くらい知識がなく、自分が何をやっているのかさっぱ
り分からないという時期がしばらく続きました。試行
錯誤で実験をし、失敗を繰り返し、少しずつ自分が
やっていることを理解し始めた頃、おぼろげながら生
物学って何なんだろう?と考えるようになりました。そ
れには、放射線治療医となって1 年以上が過ぎ、臨
床においては自分が担当した患者さんが少なからず再
発し、そして亡くなっていくという現実に直面するよう
になったことも大きく関係しています。治る人と治らな
い人の違いは一体どこにあるのか?日々臨床をする上
で、今までとはまた違った視点で、癌という疾患や放
射線治療というものを捉えるようになっていきました。
医学生物学を含め生物学には数多くの分野があ
りますが、現在、あらゆる生物学の分野において分
子レベルでの解明が求められています。放射線生物
学においてもそれは同様で、かつての現象論の記述
であった“radiobiology” から放 射 線の生 物 影 響を
分子レベルで解明するという“molecular radiation
biology” へと移り変わってきています。最近、私は、
放射線生物学とは大きな大きなパズルのようなものだ
なと感じています。放射線を照射すると細胞の中で
様々な反応が生じ(=無数の膨大な数のピースが組
み合わさり)、その結果を治療効果や有害事象とし
て(=一つの絵として)私たちは目の当たりにします。
最近は、ともすると分子生物学的内容にばかり注目が
集まりがちですが、分子レベルでの反応の結果が私
たちの体にどのような現象として現れるのか、無数の
ピースが組み合わさった結果一体どんな絵ができあが
るのか、といった視点も決して忘れてはいけないよう
な気がします。完成図のわからないパズルのピースを
1つ 1つ手探りで見つけていく臨床経験のない基礎研
究者と異なり、臨床医は細胞の中で生じた様々な反
応の結果、最終的に癌がどうなるのか、人の体にど
のような影響が生じるのかといった答えを身を持って
体験しています。そういった意味では、臨床医はパズ
ルの完成図をもとに最適なピースを選んでいくことが
できる可能性を秘めているのではないでしょうか。確
かに、分子生物学の発展は目覚ましく、研究手法の
複雑化や内容の専門化、細分化などにより、多忙な
臨床医が基礎研究をすることや基礎の分野にまで精
通することは極めて大変になってきています。けれど
も、数多くの答えを見てきた臨床医と基礎研究者が
ディスカッションすることにより生まれるもの、もっと言
えば両者が協力することでしか生まれないものもきっ
とあるはずです。「これからは、生物学の時代だよ。」
といろいろな先生方が声をかけてくださいますが、学
会で生物学の発表をするようになり感じたことは、今
の放射線治療界において生物学の研究は、放射線治
療の新たなブレークスルーを目指してというよりは、ま
だまだ若手が学位をとるための研究といった意味合い
の方が大きいのかなということです。残念ながら、生
物学のセッションは学会の初日の一番初めや最終日
の最後などにひっそりと行われていることが多いのが
現状です。食道癌の細胞株を使った研究は食道癌の
セッションで、肺癌の細胞株を使った研究は肺癌の
セッションでというのは極論ですが、もっともっと生物
学と臨床との垣根が低くなり、基礎研究が臨床医の
目に触れるようになり、そして両者の間で熱いディス
カッションが交わされるようになる、そんな時代がそう
遠くはない将来に訪れるといいなと思っています。「生
物学は難しいし、よく分からない。」と敬遠されてしま
うことも多いのですが、生物学のハードルってそんな
に高くはないはずだと私は信じています。3 年前には
DNAと遺伝子の違いも分からなかった私ですら、な
んとか生物学の研究をしているのですから。大切なこ
とは、耳を塞がず、目を閉ざさず、ただそれだけなの
ではないかなと感じています。
4 年目に入り県立広島病院へと異動になり、臨床に
研究にとバタバタしながらも、勉強になることが本当
JASTRO NEWSLETTER vol.106
35
に多く非常に充実した毎日です。ちなみに、私はヒス
トンというタンパク質の研究をしているのですが、日々
患者さんを診察し、腫瘍が小さくなっていく様子や有
害事象の程度をみていると、「この人のヒストンはもし
かすると…」などということが頭をよぎることもしばしば
あります。
“ いくの ”という少し変わった私の名前の由来は “自
分の選んだ道を信じて歩んでいくの ”ということらしく、
良くも悪くもこの名前通りに育った私は、我ながら頑
固で気が強く、時に(しょっちゅう??)生意気なこと
を言い…。そんな私に愛想を尽かすことなく暖かく見
守り、指導してくださる先生方、そして実験でなかな
か臨床に時間を割けなかった私をフォローしてくれた
若手の先生方、本当に感謝しています。
イギリス初の女性首相 マーガレット・サッチャーの
言葉に“ 幸運だったのではありません。私はそれだけ
の努力をしてきました。”というものがあります。振り返っ
てみると、この 4 年間、人との出会いも含め、私は本
当に数多くの幸運に恵まれてきたと思います。何かと
自分に甘い私は、その幸運に見合うだけの努力を果た
して自分がしてきたか、そして4 年という時間に見合う
だけの成長を遂げているかといわれると、正直自信が
ありません。けれども、いつか “ 幸運だったのではあり
ません。私はそれだけの努力をしてきました。”と胸を
はって言えるように、数々の幸運を無駄にすることがな
いように、自分の選んだ “ 放射線治療医という道 ”を
信じて、また明日から頑張っていきたいと思います。
県立広島病院放射線治療科のスタッフ
みんなで、毎日元気に働いています !!
佐賀の若手放射線治療医
●佐賀大学放射線科 戸山真吾
皆様初めまして。佐賀大学医学部重粒子線がん治
療学講座の戸山と申します。この度当院の治療部門
の若手代表として、寄稿させて頂くこととなりました。
私は現在 8 年目の医師で治療専門医ではありますが、
初期臨床研修での 2 年間、画像診断医での 3 年間の
経歴があるので、治療医としてはまだ 3 年目、後述の
通り1 年間は前立腺癌の重粒子線治療に携わってい
たので光子線治療は 2 年弱程の経験しかありません。
今日は放射線腫瘍医になった経緯と、その後の 3 年
間弱のことについてまとめてみました。拙筆ではありま
すが最後までお付き合い頂ければ幸いです。
そもそも放射線科に入局したのは学生・研修医の
間に画像診断に興味を持ち、画像診断医を志望した
ことでした。入局 1 年目の秋頃に大学の読影室で「治
療も機会があったら少しは勉強してみたいですね」と
何かの話の流れで軽い気持ちで言ったのが巡り巡っ
て治療の先生の耳に入り、その冬に福岡で行われた
JASTROに誘われて参加することになりました。当時
の放射線治療の知識は間違いなく学生レベル以下で
あり、「GTVって何ですか?」
「IMRTって何ですか?」
など今なら偉そうに学生に質問しているようなことを一
36
JASTRO NEWSLETTER vol.106
緒にいた先生に真面目に質問していたのを今でも覚え
ています。講演の内容は、未熟過ぎて正直わからな
いことばかりだったのですが、「機器や技術の進歩に
よりIMRT・SRT・粒子線治療などの高精度治療の
進歩が著しいこと」、「適応が拡がりつつある分野であ
り、高齢化社会の背景もあり患者が急増する分野で
あること」など、当時の自分には新鮮なことばかりでと
ても印象的でした。ここが診断医から治療医への転
機となったわけです。
その後、入局 2 年目に診断医として関連施設に異
動になったのですが、研修日に大学で放射線治療を
時折見学させてもらったり、その病院に非常勤で勤務
されていた他大学の放射線治療の先生とも色々と放
射線治療についてお話する機会もあったり、当時の教
授(診断)からも「治療に興味があるなら治療はどうな
の?」と背中を押してもらえたりと、次第に治療医にな
ろうという気持ちが大きくなっていきました。人生の選
択において「巡り合わせ」や「タイミング」は大きなもの
だなと実感しています。
そういうわけで放射線腫瘍医としての第 1 歩を踏み
出したわけなのですが、最初の 3-6 か月は本当に右も
特集 25 周年記念 若手放射線治療医大集合
左もわからない状態で、周囲に迷惑ばかりかけていま
したし、仕事が遅くて日が変わるまで病院にいること
も多々ありました。うまくいかない、思うようにいかな
い自分に自己嫌悪するときもあり、まるで医師になった
ばかりの研修医のような気分でした。医師 6 年目であ
れば他の同期はそれぞれの分野ではもう中堅でしょう
か、何で今さらでこんな気分を味合わないといけない
のだろうと、自分で選んだ道とはいえくじけそうになっ
たこともありました。ただ今思うと、夜遅くまで計画が
できるまで気長に待ってもらい、それから計画の修正
や指導して下さったこと、足でまといにしかなっていな
かった自分を温かく見守って下さったことは本当に感
謝しないといけないことだと思っています。これらの御
恩は上司に直接報いることはできないので、今後より
良い放射線治療をすることや後輩を指導すること(そ
のためにはまずは勧誘を頑張らないといけませんね)
で報いたいと思っています。そのような厳しくも温かい
ご指導により、無事専門医になることができました。
その後、また1つ大きな出来事がありました。佐賀
県鳥栖市には 2013 年の春に重粒子線治療施設(九
州国際重粒子線がん治療センター SAGA HIMAT)
が開院される予定になっていることは、皆さんもご存
じのことと思います。その関連で、放射線医学総合
研究所(放医研)で重粒子線治療を研修させてもらう
ことになりました。自分にとって重粒子線治療は当然
のことながら全く未知の治療であり、佐賀代表・九州
代表みたいな形で自分が行くのは力不足ではないだろ
うかと不安に思うことありましたが、「1 年間行って来
い」と言われたら行くしかありませんし、九州に戻って
きた時に少しでも還元できるように頑張るしかないと
思ってやってみました。放医研では前立腺を中心に
担当していたのですが、佐賀ではほぼ全領域を浅く広
く診療していた自分にとって限られた臓器だけの診療
というのは戸惑いもありましたし、またなにより前立線
だけで 1 年間の新規症例が 200 件以上と患者の数に
圧倒されました。色々とご迷惑をお掛けしたとは思う
のですが、放医研の先生方のお陰で無事 1 年間の研
修を終えることができました。放医研に来られていた
他施設の先生方と知り合いになることができたのも収
穫の一つです。現時点ではどのような立場で重粒子
線のプロジェクトに関わることになるかは未定なのです
が、今後重粒子線のプロジェクト及び九州の放射線
治療に何かしら貢献できればと思っています。
最近、当医局では新たに教授(診断)が就任され、
以前と変わってくることもあるかもしれませんが、放射
線治療はこれからより必要とされる分野、注目されて
いる分野であることには間違いなく、患者さんから信
頼され、他科の医師からも認められるような放射線腫
瘍医になれるように頑張りますので、これからもよろし
くお願いします。
最後になりましたが、今までお世話になった多くの
先生方、いつも応援してくれる家族、貴重な機会を
与えて下さったNewsletter 編集担当の方々にこの場
を借りて御礼を申し上げる次第です。
神戸大学の取り組み
-兵庫県の 10 年後のがん治療をより良くするために-
●神戸大学大学院医学研究科 内科系講座 放射線医学分野 放射線腫瘍学部門 宮脇大輔
■はじめに
2012 年 11月1日付で神戸大学放射線腫瘍学部門
に待望の初代教授(佐々木良平教授)が誕生しました。
この数年、佐々木先生を中心に大学の診療・教育を
進めてまいりましたので、本当にうれしく思っておりま
す。今後も、『兵庫県の 10 年後のがん治療をより良
くする』ことを目標に全力で取り組んでまいります。
■チーム医療の推進
がん診療におけるチーム医療の役割の重要性は近
年広く認識されるようになってきました。平成 24 年6
月に改定されたがん対策推進基本計画では、『チーム
医療の推進』という文言が重点的に取り組む課題の中
に明記され、『3年以内に全ての拠点病院にチーム医
療の体制を整備する 』ことが個別目標とされました。
放射線治療は殆ど全ての診療科と連携して治療に
当たるため、安心かつ安全で質の高いがん医療を提
供するためには、放射線治療部門の小さなチームだ
けではなく、他の診療科の医師やメディカルスタッフ
を含めた大きなチームで診療にあたることが必要と思
います。より良いがん治療を行うためにはこのような
チーム医療を如何に成熟させていくかが、我々の教
室の重要なテーマの一つと考えています。
神戸大学医学部附属病院ではTumor Board が叫
ばれる以前から頭頸部がんの多職種カンファレンスを
行っており、私が大学に戻った2009 年にはすでに、
放射線腫瘍医、頭頸部外科医、腫瘍内科医、口腔
外科医、看護師、薬剤師、言語聴覚士、歯科衛生
JASTRO NEWSLETTER vol.106
37
図1
士など複 数 診 療 科の
多 職 種が 参 加し、か
なり成 熟したものと
なっていました(現在
は医 学 物 理 士も参 加
しています)。この頭
頸部がんカンファレン
スで得た知 識・ 経 験
を 形 に 残 るものした
い、日本中に発信にし
たいという発 想 から、
約2年の準 備 期 間を
経 て2011 年 に『 目で
見て学ぶ放射線治療の有害反応』というメディカルス
タッフ向けの教材を出版することが出来ました。
(図1)
頭頸部がん領域においては神戸大学医学部附属
病院のチーム医療のクオリティは高いものと自負して
おりますが、頭頸部以外の領域については、チーム
医療という点ではまだまだ未熟と感じています。その
ため、頭頸部領域での経験を生かして、放射線治
療を担う我々が中心となり、放射線治療を受ける患
者に関わる様々な病棟・外来、多職種を巻き込んで
K-GRAPEの会というものを立ち上げました (K: Kobe
university hospital, G: Group, RA: Radiotherapy,
P: Patient, E: Empowerment)
(図2)。ネーミング
については賛否両論ありますが・・・、会の趣旨は、
放射線治療を受ける患者により良い医療を提供するた
めに、多職種の連携を強化し、放射線診療や放射線
図2
看護のありかたを考えることを目的としたメディカルス
タッフ全体のスキルアップのための勉強会です。2011
年4月に第1回目を開催し、参加者は 20 数名でした
が、回を重ねる度に徐々に参加者は増え、先日行っ
た第6回 K-GRAPEの会は院内から約 60 名の多職種
が参加する勉強会となり、院内での認知度も上がっ
てきたと感じています。病院内での位置づけも今年度
からは「地域がん診療連携拠点病院事業」と「がんプ
ロフェッショナル養成基盤推進プラン」の一環となり、
2013 年2月の K-GRAPEの会では、地域の病院向け
に講演会を企画しており、放射線治療の認知度を上
げ、チーム医療の重要性や神戸大学での取り組みを
近隣の病院に広げていけたら良いと思っています。
■放射線腫瘍医を増やしたい
放射線治療の需要に対して放射線腫瘍医が極端に
不足していることは皆感じていることと思います。大学
病院は高度な医療を提供することも重要ですが、人
材確保や人材育成も重大な責務と考えています。
神戸大学は診断部門と治療部門は病院の診療科
としては別々ですが、大学の医局としては一つです。
放射線診断も人気がありますので毎年少なくとも5-
6人の入局者がいます。まず診断部門を中心にトレー
ニングを進めることとなりますが、治療部門のローテー
ションもありますので、専門医取得までの数年間に治
療部門に勧誘する方法を取っております。私が大学
に戻った2009 年以降は、大学で3年目の後期研修
を行った新入局員の中からだけで毎年2人ずつ放射
線治療部門に獲得できています。ただ残念なことにそ
の中でもともと放射線腫瘍医になりたくて放射線科に
入局してきた人材は一人だけです。この現状を踏ま
えると、学生の時点での放射線治療の教育がいかに
不十分であるか、あるいは放射線治療の魅力を十分
に伝えられていないかを痛感します。今後は日々の臨
床で若手医師に放射線治療の魅力を伝えるとともに、
学生教育でも放射線治療の魅力や必要性を伝え、が
ん治療に対して熱意を持った放射線腫瘍医を1 人で
も多く育成していきたいと思っています。
放射線腫瘍学と私
●兵庫医科大学放射線医学講座 土井啓至
この度は、JASTRO 設立 25 周年誠におめでとうご
ざいます。これまで JASTROを運営、支えられてこ
られた先輩の諸先生方および関係者の皆さまに心よ
38
JASTRO NEWSLETTER vol.106
りお祝い申し上げます。また、このような記念すべき
JASTRO NEWSLETTERに寄稿させて頂く機会を頂
戴致しましたことに深く御礼申し上げます。
特集 25 周年記念 若手放射線治療医大集合
私は平成 17 年卒で現在の初期臨床研修制度の 2
年目に当たります。学生時代より放射線治療には興
味があったのですが、初期研修後は市中病院にて内
科を選択しました。一般診療の経験をより積みたいと
考えたからです。しかしながら、放射線治療を諦めき
れず、4 年目から放射線科に転向致しました。放射
線治療の魅力は JASTRO や大学、病院のホームペー
ジなどでも語りつくされておりますので割愛させて頂
きますが、様々な放射線治療の魅力の中で、私が特
に日常的に感じるのはチーム医療を実感できることで
す。他科の医師とは勿論ですが、物理士、技師、看
護師など他業種に亘り、日々コミュニケーションを取
ることでより良い治療を行なうことができます。これは
当たり前のことではあるのですが、日々チーム医療を
実感できる診療科は意外に少ないのではないかと思い
ます(当科の写真を一枚掲載致します)。
私は放射線治療を専攻して同時に大学院に入学し
ましたので、何も分からないまま基礎研究をさせて頂
く機会を得ました。与えて頂いた課題は、亜鉛製剤
の放射線直腸炎に対する有効性と安全性を、動物実
験モデルを用いて検討するというものでした。最初は
臨床も一からなのに基礎研究を始めることに葛藤もあ
りましたし、同世代の先生方の臨床面での活躍をみ
て、内心焦る気持ちもありました。また、実験が思う
ように進まなかったことや、臨床との両立に苦しんだ
こともありました。しかしながら、指導して下さった先
生方の緻密な実験計画と先輩の先生方・スタッフの
ご協力により何とか結果が出たときの喜びは格別でし
た。初めて論文が掲載された時の感動は忘れられな
い思い出です。
基礎研究を行って実感したことは、基礎研究を通
して臨床が存在していることです。これは当然のこと
でありますが、基礎実験に実際に携わるまでは、私に
とって実感することは困難でした。しかしながら、実
験結果を踏まえて臨床に応用していく過程は医学の
基本とも言え、大変勉強になりました。また、仮説を
立証していく仕事は日常臨床とは異なった面白さがあ
りました。この経験を今後、更なる基礎研究や臨床
研究に活かしていくことができれば、と思っています。
2012 年 5月末より米国スタンフォード大学に留学
する機会を頂き、放射線生物学に関する基礎研究を
行っておりますので、いくつか印象に残っていること
を書かせて頂きます。先ず驚いたのは放射線腫瘍科
が診療科内の分野として放射線物理学と放射線生物
学に分かれていたことです。私は生物学の研究室に
所属していますので日常的には物理士の先生との接
点は少ないです(実はこれからは物理学の研究室が同
じ建物に引っ越してこられるそうなので少し接点が増
えるかもしれません)。また、近年 JASTROで女性医
師の会が発足し、女性医師の雇用や勤務などについ
て議論する機会も増えてきていますが、スタンフォー
ド大学では放斜線治療科のレジデントや放射線生物
学研究室のポスドク、Facultyの先生方にも女性が
非常に多く、活躍されています。また、現在の Chair
も女性の先生です。渡米して放射線治療は女性が活
躍する世界だという認識を改めて強く持ちました。ま
た、臨床診療科のラボにPh.D. 学生や Ph.D.のポス
ドク(つまり医師ではない)が沢山いて、研究の実務
を担っていることも印象的です。日本でも生物部会な
どでお会いし、議論する機会もあるものの、医学部
や物理工学出身以外の先生方が在籍する研究室は
放射線治療科では未だ少数ではないでしょうか。スタ
ンフォード大学は総合大学で、シリコンバレーに近い
こともあり、日本人の留学生や赴任者も非常に多く、
交流も盛んに行なわれております。日本では接点が少
ない他科の先生方や医療以外の業種の方とお話しす
るのも良い刺激になります。大学院で経験したとはい
え、基礎実験の経験も未熟であり、また英語での十
分なコミュニケーションもままならない状況ではありま
すが、指導医や先輩の先生方に恵まれ何とか楽しく
勉強させて頂いております。
放射線治療は、日進月歩であり非常に変化が速
く、 臨 床も基 礎 研 究も大 変 に刺 激 的 であります。
JASTROはまだまだ他分野や欧米の学会と比べれば
規模は大きくありませんが、その分発展の可能性も大
きいと思っています。今、自分がこのようにやりがい
のある将来性豊かな分野にかかわることができている
ことに感謝しておりますし、勉強していかねばならな
いことばかりで身が引き締まります。
最後になりましたが、益々の JASTROと日本の放射
線治療分野の発展を祈願します。
謝辞:このような貴重な機会を与えて下さった廣田
省三教授、上紺屋憲彦教授をはじめとする兵庫医科
大学放射線科の先生方、放射線治療センターのスタッ
フの方々、いつも支えてくれている妻と二人の子ども
たちに心よりの謝意を表します。
兵庫医科大学放射線治療センターにて平成 23 年 5 月撮影 前列左より 2 番目が筆者、中央が上紺屋教授
JASTRO NEWSLETTER vol.106
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ある医師の遍歴:なぜ心臓悪性腫瘍?
●名古屋大学放射線科 岡田 徹
変なタイトルで皆さんに全く興味を持っていただけ
ないことを恐れておりますが、読んで頂いている方々
に感謝申し上げます。わたくしは、現在名古屋大学
放射線科の助教を務めさせていただいており、表題
の疾患が興味のある対象であります。わたくしは、放
射線科の生え抜きではありませんので、日陰でひっそ
りと暮らしていきたいと思っております。このたび、名
大放射線科の長縄慎二教授のご尽力により、名大に
も放射線治療学講座が新設され、伊藤善之先生が
特任教授に就任なされました。その伊藤先生から、
「先
生の経歴はおもしろい(変わっている)し、今やってい
る研究もおもしろい(変わっている)から、その道のり
を書いて。」と命を受け、不承不承、このような日のあ
たる場所に出て参りました。
わたくしは、平成 10 年に金沢大学医学部を卒業
し、名大旧第一内科に入局しました。7 年前までは呼
吸器内科医であります。呼吸器内科を選んだ理由は、
固形癌を扱い、全身管理ができる科で、画像に興味
があったからです。肺癌の化学療法が本当の専門で
したが、皆さんも御存じの通り、化学療法では治癒
の喜びを味わえないので、ICUの全身管理、救急外
来をsub-specialtyにしておりました。
研修及び初期赴任先は、800 床規模の野戦病院
で、法律の外にいる紳士達と、現代社会を放棄した
屋外の自由人達御用達の病院でした。臨床能力は飛
躍的に身に付きますが非常に忙しく、給料は絶対的
に安いという、今時の若者に圧倒的に嫌われる性質
を未だに有している病院です。さらに救急部門には、
循環器内科医で、泣く子も黙って土下座する鬼軍曹
殿が未だにいらっしゃいます。この鬼軍曹殿との楽し
い日々が今のわたくしの医師としての基礎を築いたと
いっても過言ではございません。1つのエピソードを
御紹介いたします。私が医師になったばかりで、5月
から救急外来を行っており、1ヶ月間頑張った6月の
こと。患者は、呼吸苦を主訴に、起坐呼吸で救急車
にて運ばれたお年寄りです。意識は清明。モニター
心電図で虚血なし、血圧はやや高めで、洞性頻脈。
SpO2は room airで 87 %。理学所見上、頚動脈怒
張、両下腿浮腫、両肺野にcourse crackle が著明で、
III 音聴取。当然心不全を疑い、血液ガスの後、経
鼻酸素を流し、静脈採血し、ルート確保、5%ブドウ
糖液 40ml/hrを流しながら、胸部レントゲン撮像へ。
ここまで約6-7分経過し、胸部レントゲンができあ
がったのが約 5 分後でした。レントゲン写真は、予想
40
JASTRO NEWSLETTER vol.106
通り、肺鬱血と、両側胸水、心拡大を認め、心不全
の診断。尿道カテーテル留置の指示を出し、ラシック
スを20mg 静注しました。
すると横で見ていた鬼軍曹殿は、恐ろしい三白眼
で私をジロッと睨み、一言「違う。」
「今から血管拡張剤を、血圧を診ながら..」 →「違う。」
「low doseドーパミンを末梢からでも?........」
→「違う。」
「 心 不 全の病 因の探 索ですか?」 →「違う。」
「 輸 液 の 選 択 ですか?」 →「違う。」
このような脂汗を流しながらの問答中、わたくしが
失禁する前に、患者の利尿がつき、呼吸苦も徐々に
改善し、血管拡張剤投与とともに救急病棟に入院と
なりました。臥位の 12 誘導で虚血がなく、心エコー
も問題ないことを確認したところ、鬼軍曹殿からやっ
と解答がでました。
「平均点 60 点の治療だ。レントゲンができるまでの
間、患者の呼吸苦への対処は酸素だけか。きみは、
患者がきた瞬間に心不全と判ったはずだ。理学所見
をとった段階で、それが確信に変わったはずだ。そう
であれば、レントゲンができる前に、ラシックスを打て。
ルートを接続しすぐにラシックスを打てば 100 点だ。
留置針をさした直後、(ルートを接続する前に)ラシッ
クスを打てば 120 点だ。」
御説ごもっとも。自分では循環器系薬剤を自信もっ
て使用できたと思っていたのですが、ピシャリと頭を
叩かれました。(しかし医師 2 か月目にしては厳しすぎ
る...。)最初の 5 年間、鬼軍曹殿は万事がこの調子で、
ずいぶんとしごかれました。頭は悪いが、体を張るこ
とだけは得意なわたくしは、この恐ろしい環境の中で、
頭と尻を同時に叩かれながら、臨床に邁進することに
なり、「○○日赤の核弾頭」という名誉か不名誉かわ
からない渾名を付けられていくのでありました。
肺癌抗癌剤治療及び終末期治療を行う傍ら、重
症患者大歓迎であったわたくしは、日ごろの行いが悪
かったせいか、帰局後数か月にて整形疾患に罹患し、
左大腿の手術をうけ、全身管理の激務には左脚が耐
えることができなくなりました。内科より強い慰留はご
ざいましたが、先の研修病院の放射線治療医であっ
た村元秀行先生の薦めで、2004 年 10月に名大放射
線科に円満転科いたしました。放射線科は、全身管
特集 25 周年記念 若手放射線治療医大集合
理がメインではなく、画像及び固形癌を扱うため入局
を希望したのであります。しかし「核弾頭」と呼ばれて
いた頃から、わたくしとは正反対である村元先生の物
静かな聡明さに引かれていたことは事実であります。
放射線科にとって画像の読影とは、内科医にとっ
ての理学所見と同じであります。画像が読めなければ
話になりません。転科後、もう一度研修医に戻った
つもりで、夜中まで読影にも励みました。初めのころ
は、巨大卵巣腫瘍のMRIフィルムを、シャウカステ
ンに天地逆に差し、「全くわからん」と唸っていたこと
もありました。その頃、講師であった伊藤善之先生に
出会い、X線による放射線治療を丁寧に教えていた
だき、肺癌だけではなく、臓器横断的にがんを治療
する面白さを教えていただきました。体の出入り口に
生じた扁平上皮癌は、化学放射線治療で頑張れば
根治に導く可能性があることはよくわかりました。しか
し十分に照射されているにも関わらず、ど真ん中から
再発してくる躯幹の腺癌等、内科外科から「でもしか
放射線」と言われてしまう問題は俄然存在しています。
ある時、伊藤先生から「そんな下品なことを言っては
ダメです。森田皓三先生は、X線の
『治癒の不確実性』
と言っています。この『治癒の不確実性』を克服した
新しい放射線治療が学べる研究所があるが、行って
みる?」と言われ、わたくしは迷わず手を挙げました。
放射線医学総合研究所(以下、放医研)は、まさ
に最先端の放射線研究施設でありました。居並ぶ先
生方も、全国区の凄さを持つ方々でありました。わた
くしは「3 度目の研修医になります!」と鎌田正先生に
宣言し、放医研に突入いたしました。大貫禄の辻比
呂志先生から、豪傑のような体躯とは懸け離れた繊
細な御指導をしていただき、3 年間で約 600 人の炭
素線治療に従事いたしました。肉腫や膵癌の治療成
績も素晴らしく、炭素線は X 線とは全く別の放射線で
あり、局所を叩き潰すだけのパワーを持っていること
を実感いたしました。わたくしの言葉で言えば、炭素
線治療は「内科外科が納得する放射線治療」であると
思っております。
放医研で楽しくも忙しい生活を送っていたある朝、
心臓原発悪性腫瘍の患者が受診しました。鎌田先生
は、飄々と「適応があると思うから、診といてね。」と
声をかけられました。鎌田先生はわたくしの経歴を御
存じの上でおっしゃられたと思います。しかしこの物
騒な話に、社会に感謝の気持ちを込めて迎える朝の
情緒もぶっ飛びました。炭素線治療計画は、学姉で
ある今井礼子先生に泣き付くとしても、強力な炭素線
を心臓にまともに当てていいのかという不安が髪をザ
ワッと逆立てました。しかしわたくしの、「やれ」と言
われれば嫌とは言えない性格(寛容というわけではな
く、開き直りが早い性格)から、何か問題が起これば
鬼軍曹殿に仕込まれた訓練で対処し、それでもダメ
な場合は自分が腹を切るまでと覚悟を決め、入院管
理を引き受けました。炭素線の肉腫に対する抗腫瘍
効果から予想される通り腫瘍は縮小しましたが、予想
に反してというか、せっかく迎撃準備していた急変は
一切起こらず、いささか拍子抜けをしたとともに、炭
素線の生物学的効果と線量集中性の高さを実感した
のであります。これが心臓原発悪性腫瘍とわたくしの
邂逅であります。
心臓原発悪性腫瘍という疾患は、頻度が非常に少
なく、Mayo clinicでさえ年間 1 例です。予後も極め
て悪く、手術不能症例では 1 か月未満、手術をして
も1 年の生存とも報告されています。この腫瘍は、循
環器内科や心臓外科から見ても、全摘に限界があり
再発が多く
「お手上げ」の疾患であり、腫瘍専門医
から見ても、組織型が肉腫で、抗癌剤や通常 X 線で
は太刀打ちができず、さらに心機能という普段あまり
気にしていない重要な機能が問題になり、できれば
避けて通りたい疾患です。つまり、心臓原発悪性腫
瘍は、心臓病学と腫瘍学の間に生まれた、忌み嫌わ
れる鬼子であります。この疾患の状況を端的に表し
た名 文がありました。Unfortunately the outcome
for malignant primary cardiac tumors remains
dismal, but fortunately these tumors are rare
(Heart, 2011) . 名文は名文ですが、
「お手上げ」に
も程があります。このような状況の心臓原発悪性腫瘍
の治療 strategyを模索していきたいと分不相応にも考
えております。また治療法の抗腫瘍効果や副作用の
評価だけではなく、「なぜ心臓にがんが少ないのか」
という命題にも挑んでいきたいと思っています。
こう振り返って見ますと、内科時代の急変と全身管
理に明け暮れた血みどろの毎日もかけがえがなく、そ
して放射線科にて重粒子線を学ばせて頂いたからこ
そ、この超難治性がんである腫瘍に立ち向かえるのだ
と思います。今までの予期せぬ偶然の出会いもまた、
宿縁の不思議を感じさせるものであります。また、こ
のような研究を許していただける放医研の先生方と長
縄・伊藤両教授の懐の深さに、ただただ頭が下がる
思いです。改めて、臨床の基本を教えていただいた
内科の先生方、病気で気が弱くなっていたわたくしを
暖かく迎えて下さった名大放射線科の諸先輩方、ど
この馬の骨ともわからないわたくしに重粒子線治療を
教えていただいた放医研の皆々様に、心から感謝を
申し上げます。今後も、放射線治療という鴻の翼の
庇護の元、努めて参る所存です。引き続き、放射線
治療に携わる皆様の御指導御鞭撻をよろしくお願い申
し上げます。
放射線治療医になって、良かった!
(この物語はノンフィクションであり、登場する団体・
人物などの名称は全て実在のものです。)
JASTRO NEWSLETTER vol.106
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