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女性医師コーナー - 一般社団法人広島県医師会

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女性医師コーナー - 一般社団法人広島県医師会
(161)2008年(平成20年)1月25日
1
広島県医師会速報(第2000号)
昭和26年8月27日 第3種郵便物認可
1
女性医師コーナー
「人生のライセンス」
5
10
15
20
25
30
35
40
45
50
55
医療法人あすか 高橋内科小児科 高 橋 真 弓
2006年のGWに、30年来のアメリカ人の友人
とふたりで、初めてのラスベガス旅行をした。
80歳になるラ・ボーンは、その前年9
7歳の夫を
見送り、フロリダで一人暮らしをしていた。な
んとか時間が作れそうだったので、一人になり
さびしくなったに違いない彼女をフロリダに訪
ねようと思いたち電話をした。ところが、彼女
はフェニックスに住む長男の家に私と一緒に行
きたいからラスベガスで会わないかと提案して
きた。いつか本場のエンターテイメントを見て
みたいと思っていた私は、喜んで賛成した。
ラスベガス空港でピンクのTシャツとパープ
ル色の花柄のパンツのラ・ボーンは満面の笑顔
で迎えてくれた。数年ぶりに会う彼女はすっか
り小さくなっていた。関節リウマチで右膝関節
を手術したと言っていたが、杖をつき歩行もお
ぼつかない。乳がんの手術をしたとも聞いてい
た。それでも一人でフロリダから、飛行機を乗
り継ぎスーツ・ケースを引っ張ってラスベガス
までやってきた。ホテルに到着して服用中の薬
を見せてくれた。リウマチ薬のメソトレキセー
トはともかく、なんとアリセプト10まで飲ん
でいるではないか!私は、初めてのラスベガス
旅行でルンルン気分だったのに、急に不安に
なってきた。ホテルの部屋番号を覚えているか、
それとなく聞いてみた。1
820号室、バッチリ
だった。まずは、一安心。アリセプトの効果は
抜群のようだ。
それからはラスベガスのエンターテイメント
を存分に楽しんだ。チケットが手に入りにくい
と聞いていた「セリーヌ・ディオン・ショー」
は事前に手配をしていたが、ブロードウエイ・
ミュージカル「マンマ・ミー・ア」、シルク・
ド・ソレイユの一番人気の「O」
、ラスベガス名
物 の マ ジ ッ ク シ ョ ー「ラ ン ス・バ ー ト ン・
ショー」のチケットはホテルのボックス・オ
フィスでなんとか手に入れることができた。
グランドキャニオンへの日帰り旅行は、朝5
時45分集合のヘリコプターの遊覧とボートでの
川下りが入っているコースを選んだ。以前、グ
ランドキャニオンで日本人の新婚旅行のカップ
ルが乗ったヘリコプターが墜落した事故があっ
たので、私はヘリには乗りたくなかったが、
ラ・ボーンの「ジェット機より安全!」の一言
で乗ることになった。ボート乗り場までは岩場
を下りたり、登ったりしなくてはならなかっ
た。私一人ではどうしようもなかったが、同じ
ボートに乗るフロリダから来た二人連れの女性
が助けてくれた。彼女たちは看護師で、ラ・
ボーンは「ドクター(私のこと)とナースにヘ
ルプしてもらってラッキーだ」と喜んでいた。
5
それから長男の住むアリゾナ州フェニックス
にも行った。飛行機で1時間くらい飛んだ。
フェニックスでは高齢者タウンの草分けの地、 10
サンシティに行った。高級リタイアメントハウ
スを見たいという私のためにラ・ボーンと長男
のデールは入居を希望している親子を装って見
学を申し込んだ。施設のスタッフは親切に施設
をくまなく見せてくれた。こうしてラ・ボーン 15
と私の1週間のハードでエキサイティングなラ
スベガス旅行が終わった。
ラ・ボーンは若いころ、4人の子どもをかか
えて離婚した。アメリカといえども、当時離婚
は珍しく恥ずかしいことだったそうだ。働いて 20
いる女性も多くなかったという。彼女は小学校
の教師として働き始めた。教員免許というライ
センスを持っていたことが、どれだけ彼女に
とって助けになったかをよく私に話してくれた。
小学校の先生は夏休みや冬休みがあるので、子 25
育ての時期にはとても助かったとも言っていた。
美術の教師であった彼女は夏休みになると、子
どもたちをキャンピングカーに乗せ、アメリカ
各地で開かれる美術のワークショップに参加し
た。いつも会場の近くのキャンプ場に車を止め、 30
子どもたちは山や川で遊んだ。子どもたちが成
長するにつれキャリアアップし、大学の教員に
なり日本の絣をテーマに研究を続けた。何度も
来日し、日本全国の絣の産地を歩いた。そして、
60代後半ですてきな恋をし、素晴らしい伴侶を 35
得た。仕事を抜きに彼女の人生は考えられない。
そう い
満身創痍になっても、好奇心いっぱいでたくま
しく人生を生きぬいている彼女にとって教員免
許というライセンスはまさに「人生のライセン
40
ス」となった。
日本で女性医師の就業率が下がっていると聞
く。私の若いころに比べると、最近の女性医師
か こく
の労働環境は苛酷だ。女性医師の数が少ない時
代は当直免除の職場も結構あったが、これほど 45
女性医師が増えてくるとそんなわけにはいかな
い。それに医学は猛烈なスピードで進歩してい
るし患者側の要求もずっと高くなっている。こ
んな環境の中で出産、子育ての女性医師が戦線
から離脱していくのだ。もったいないと思う。 50
仕事は人を鍛えてくれる。多くの出会いや生き
がいを与えてくれる。これからの女性医師たち
が仕事を生きがいにして、いきいきとした人生
を送れる環境作りが急務である。医師免許証と
いうライセンスが「人生のライセンス」となる 55
よう今、広島県医師会女性医師部会は大谷美奈
子部会長を先頭に必死で働いている。
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