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こちら - 日本記者クラブ
中国大使館で程大使会見
記者研修会 人参加 三陸取材団にも
人
22
日本記者クラブが毎年夏に開く記者研修会を今
年も8月 、 日の2日間行い、全国から若手記
者を中心に 社 人が参加した。さらに、 日か
ら 日まで三陸海岸の津波被災地を歩く取材団も
派遣し、 社 人が7市町・地区を取材した。会
報 月号で参加記者の報告を特集する。
研修会は計9本のプログラムを組んだ。 日は
東京・六本木の中国大使館を訪問し、程永華駐日
大使が会見した。「互いに引っ越しできない隣国
だから、選択肢は仲良くすることしかない」と厳
しい表情で語った。大使館は若手外交官との懇談
会も行った。ほかの日程では、片山善博慶応大学
教 授 ら 3 人 が「 人 口 減 少 」「 消 滅 可 能 性 都 市 」を 取
り上げ、現場で取材する記者の刺激となった。
「 福 島 と 沖 縄 地 元 の 声 を 伝 え 続 け る 」で は 福
島、沖縄の地元紙計4紙の記者が現実をどのよう
に発信するか議論した。取材団の立案には岩手日
報が加わった。記者を派遣し、企画に協力してい
ただいた会員各社に感謝します。 (中井良則)
61
28
﹁日本にいまある中国認識は①脅威②仮想敵③中
国の発展は日 本にもチャンス ︱︱の3つ。相互
信頼が足らないどころか、ほとんどない﹂
22
61
27
40
15
28
27
30
10
片山善博・慶応大学教授
いずれも8月
日、記者研修会で
﹁地方の議会は議案を右から左へ流すだけ。日本
的な根回しで、
見えない所で決める。日本で唯一、
当事者の意見をオープンに聞いて決定するのは
裁判所だ。裁判所を見習おう﹂
程永華・駐日中国大使
今月のことば
27
Ⓒ日本記者クラブ 2014
2014年9月10日第535号
日本記者クラブ会報
公益社団法人 日本記者クラブ 〒100 - 0011 東京都千代田区内幸町2 - 2 - 1 日本プレスセンタービル TEL. 03 - 3503 - 2722 http://www.jnpc.or.jp/
自然の猛威 広島土砂災害
山肌が大きく崩れ、流れ出した土砂が住宅地を襲った=8月20日午前7時55分 広島市安佐南区八木地区
撮影:天畠智則(中国新聞社編集局映像部)
クラブ月 報
日トルコ大使4
山 下 一 仁・キヤノングローバル戦略研究
所研究主幹/馬場公彦・作家/万歳章・
員・政策プロデューサー5
田 中 明 彦・JICA理事長 / 近 藤 駿 介・
JA全中会長6
NUMO理事長7
福島第一原発事故「最悪のシナリ
オ」作成の思い 近藤NUMO理事
長会見の質疑応答から7
記者ゼミ ネット時代のマスメデ
ィア編8
神 保 哲 生・ビデオジャーナリスト/ビ
被災地通信 青森県 八戸市9
原発めぐる「中央」と「地方」
豊かさとは…自問が続く
デーリー東北新聞社 木村和彦
デオニュース・ドットコム代表
45
10
10
ワーキングプレス
台風8号 初の「特別警報」発令
避難所や生活情報
電子版を無料公開して速報
沖縄タイムス社 知念清張
ネット公開にともなう個人情報保
●オプトアウトの対応も
期に保存・公開することで会報の記
事や写真を広く発信したい。定款が
定めるクラブの目的である「国民の
知る権利に資する」ための事業と位
置付けている。
記事を書いたのはクラブ会員や会
員社に属する記者たちだ。会見報告
だけでなく、日本や世界各地の報道
現場の舞台裏や取材事情、報道写真、
先輩記者の回顧など中身は濃い。か
つて会報増刊の形で発行していた重
要会見のテープ起こし全文もあわせ
て公開する。埋もれてしまうのはも
ったいないメディア同時代史の記録
といえる。
年創刊号から会報ネット公開へ
メディア同時代史の記録
間地域研究センター研究統括監3
70
1969年 月に日本記者クラブ
が創立されて今年は 周年にあた
る。今年4月号のクラブ会報で紹介
し た よ う に、 理 事 会( 昨 年 月 )は
5年ごとに行う記念事業計画を決め
た。その一環として、会報をデジタ
ル 化 し ネ ッ ト で 公 開 す る。 す で に、
2009年7月号から紙媒体発行と
同時にPDF版をクラブのウェブサ
イトで公開している。新たに197
0年3月の創刊号から 年6月号ま
で全ページのPDF版を作り、サイ
トで今年中に公開する計画だ。
転写・
複写・編集ができない保護措置をと
っている。
会報発行は、記者会見主催、クラ
ブ賞贈賞とともにクラブの公益目的
事業のひとつだ。今回、サイトで長
11
佐賀発
突然のオスプレイ配備計画
見過ごしていた「内なる沖縄」
総力で多面的報道に努める
佐賀新聞社 林 大介
12
書いた話書かなかった話
知日派指導者
胡耀邦の子息来日で思い出したこと
加藤千洋
14
リレーエッセー
私が会った宮城京一さん
沖縄の戦後見つめた憲法論
琉球新報社 松元 剛
試写会
15
マイBOOKマイPR /寄贈書
16
ローマの教室で/ NO ノー
護や著作権の扱いについて弁護士と
も相談した。その結果、第1に、入
会した会員の紹介欄について、①出
身校や趣味など現時点では個人情報
とみなされうる記述がある②法人賛
助会員の広報担当など企業の役職者
として一時的に会員登録された人も
取り上げた――などを考慮し、紹介
欄をあらかじめ削除して公開するこ
とにした。現在は、プレスOB会員
の自己紹介を掲載するコーナーにな
っている。
第2に、紙媒体の会報に掲載した
記事、写真、会見記録のネット公開
は著作権の侵害にあたるかを検討し
た。紙媒体への掲載は当然、著作権
者の同意の上で行われた。①ネット
公開であっても会報としての利用で
ある②記事が長期に保存され、時代
に応じた情報伝達手段により利用さ
れることが想定されている③紙媒体
でも不特定多数に伝播する――など
から、ネット公開は著作権の侵害に
ならない、と考えている。
そのうえで、第3に、記事を書い
た人や写真を撮った人、写真に写っ
ている人など関係者が万一、ネット
公開を望まない場合には、クラブ事
務局に連絡があれば必要な対応をと
ることにした。ネットの世界でオプ
トアウトと呼ぶ仕組みだ。サイトに
もオプトアウトの説明を掲載した。
周年記念事業はこのほか、①会
報連載の「書いた話 書かなかった
話 」5 年 分 を 収 録 し た『 と っ て お き
の話』第七巻の刊行②2009年以
前の会見音声を録音したテープのデ
ジタル化と重要録音のネット公開③
特 別 海 外 取 材 団 の 派 遣 ―― が あ り、
いずれも準備を進めている。
(専務理事 中井良則)
来年の戦後70年を前に企画委員
会が検討していた新シリーズは
「戦後70年 語る・問う」と題して
9月から始まる。第1弾は11日の
作家、赤坂真理さんと明治学院大
学教授、原武史さんの対談。作家、
保阪正康さん(10月7日)ら、さま
ざまな立場のゲストを次々に予定
している。
小林喜光・三菱ケミカルホールディング
ス社長 /カルダー・米ライシャワー東ア
ジア研究所長/小原凡司・東京財団研究
09
45
「戦後70年 語る・問う」
スタート
阿部彩・国立社会保障・人口問題研究所社
会保障応用分析研究部部長/神庭重信・
日本精神神経学会副理事長/メリチ・駐
11
45 周 年
記念事業
クラブゲスト
小田切徳美・明治大学教授 /片山善
博・慶応大学教授 /藤山浩・島根県中山
No.535 2014.9.10 日本記者クラブ会報 ⃝ 2
お
だ
ぎり
とく
み
かた やま
よし ひろ
ふじ やま
こう
8・ ︵木︶研究会﹁人口減少問題﹂⑤・記者研修会/司会
田泰夫委員/出席
人/動画
島根県中山間地域研究センター研究統括監
藤山 浩
8・ ︵水︶昼食会﹁人口減少問題﹂④・記者研修会/司会
上高志委員/出席 130人/動画
慶応大学教授
片山 善博
明治大学教授
小田切 徳美
田舎は「ないものはない」
定住人口維持の戦略練る
川
自立した地方へ
自治体は「自ら考える」姿勢を
村田泰夫委員/
農村と日 本 社 会 の 岐 路
「田園回帰 」 の 流 れ 広 げ た い
7・ ︵水︶研究会﹁人口減少問題﹂③/司会
出席
人/動画
80
村
間近
高速船でも本州かあらま2ち時
ょう
くかかる島根県の海士町は、隠
岐にある人口2400人の離島
だ。日本創成会議の試算に従え
ば、2040年には ~ 代の
女 性 が 人 に 減 っ て「 消 滅 」し か ね な い 自 治 体 だ
が、「 デ ー タ が 古 い 」と 一 蹴 し た。 最 近 の 田 園 回
帰傾向を反映して計算し直してみると、人口も若
い女性の数も減らないという結果が出たのだ。
中山間地を支えてきた昭和一桁生まれは来年、
全員が 代になる。しかし危機的なのは、むしろ
都市近郊の大型団地で、高齢化率は田舎を超える
という。「エレベーターは狭く、棺桶も入らない」。
言われてみればその通り。一方の海士町は「ない
ものはない」がキャッチフレーズ。たとえ不便で
も、生きるのに必要なものはすべてあるじゃない
かという開き直りの精神だ。
故郷の島根で田舎暮らしを実践しつつ、定住人
口維持の戦略を練る。「どんと入れたら団地の失
敗の繰り返し。一組ずつでいい」「誰でもいいから
来てくれというのはあり得ない。選ばない地域は
選 ば れ な い 」「 人 間 同 士 な ら 取 る か 取 ら れ る か だ
が、自然には皆で働き掛ける」。悲観主義は気分に
属し、楽観主義は意志に属するという言葉を思い
共同通信地域報道部長 高橋 茂
出した。 30
27
日本創成会議の人口減少問題検討分科会が公表
し、多くの自治体に衝撃を与えた「消滅可能性都
市」
。試算自体は「当たらずといえども遠からず」
と評しながら、その役目は、政策を思惑通りに進
めたい各省庁の「露払い」と分析する。
地方を動揺させ、足元を見て政策を誘導する。
今回の手法は、財政破たん危機をちらつかせ、特
例債というニンジンをぶら下げた平成の大合併と
状況が似ている、という。
「 国 は 合 併 が 地 方 を 救 う と 言
ったが、消滅可能性都市には合
併した自治体も多く含まれてい
る。 そ の 検 証 が な い 」と し た 上
で「 詐 欺 に 遭 う 人 は 何 回 で も 遭
う。自治体は気を付けないといけない」と強烈な
警告を発した。
では、人口減少社会に自治体はどう立ち向かう
べきなのか。「国から政策をもらい受けるのでな
く、自ら考えること」。鳥取県知事当時の経験を
引き合いに、エネルギーの自前調達を含む地産地
消の推進から、地方議会や教育委員会が機能する
ための組織変革まで、処方箋は多岐に及んだ。
揮 ご う は「 常 に 学 ぶ 」。 自 立 し た 地 方 を 担 う 首
長や議会にも通ずる言葉である。
真一郎
28
52
80
30
81
「推計を受け入れてあきらめるのか、田園回帰
の実践に学び未来を変えるのか」
。人口減少問題
にどう対応するのか、日本社会が分岐点にいるこ
とを問いかける会見だった。
2040年に日本の半数近い
市町村が消滅する可能性がある
と予測した日本創成会議の推計
を「乱暴」だとして問題視。「推
計は将来消滅するなら撤退する
べきという『農村たたみ論』につながる」と警鐘を
鳴らした。
人口減少は昨今始まったことではない。
にもかかわらず、推計がセンセーショナルに注目
され、現行政策の急進的見直しにつながりかねな
いと危機感を訴えた。教授は中山間地を歩き、複
数の省庁の過疎関連施策に携わる。農村に寄り添
う視点での指摘には、説得力がある。
「 農 村 た た み 」の 対 極 に あ る 動 き と し て、 若 者
が 農 村 部 に 移 住 す る「 田 園 回 帰 」の 実 態 を 紹 介。
中国地方で顕著に見られるこの流れを全国に広げ
ていく必要性を力説した。
人柄を表す丁寧な語り口。一方で「時代の流れ
や財源を言い訳に農村を消滅させてはいけない」
「 農 村 の 地 域 づ く り の 芽 を 摘 ん で は な ら な い 」と
いう強い覚悟を感じた。
山陽新聞東京支社編集部長 前川
20
人口減少問題
日本農業新聞農政経済部社会グループ 尾原 浩子
3 ⃝日本記者クラブ会報 2014.9.10 No.535
フェイスブック、ツイッターでホームページの更新情報をお知らせしています
ク ラブゲスト
クラブゲス ト
日本記者クラブチャンネルに会見動画
あ
べ
あや
ば
しげ のぶ
日本精神神経学会副理事長
アフメト・ビュレント・メリチ
かん
ボ ア チ・ ウ リ
駐日トルコ大使
脇 祐 三 委 員/通 訳
神庭 重信
8・ 4︵ 月 ︶昼 食 会/司 会
ケル/出席
人/動画
世界の変化の真ん中で
「新しいトルコ」へ
瀬口晴
NHK解説主幹 二村
伸
「戦後の秩序がいまの世界に対応しきれなくな
っている」。メリチ大使は、冷戦終結後の世界に
3つの転換期があったと指摘した上で、現在の世
界の情勢に強い懸念を示した。
ウクライナ、ナゴルノ・カラ
バフなど旧ソビエト連邦やシリ
ア、イラクといった中東の厄介
な問題は、トルコにとってまさ
に周辺事態であり、安全を脅か
す切実な問題である。戦後、西側陣営の東の辺境
だったトルコは、いまやユーラシア大陸の中央、
世界の変化の真ん中にあり、地政学上きわめて重
要な国であるという大使の言葉は決して誇張では
な い。 近 隣 諸 国 と の 平 和 と 安 定 を め ざ す「 ゼ ロ・
プ ロ ブ レ ム 外 交 」に よ っ て 政 治 的 諸 問 題 を 解 決
し、地域での存在感を増してきたトルコだが、い
まその外交が危機にさらされているという。
一 方、 建 国 1 0 0 年 を 迎 え る 2 0 2 3 年 に は
「新しいトルコが誕生する」と大使は胸を張った。
「トルコは日本を必要としており、日本もトルコを
必要としている」。かつてエルドアン首相は「EU
がトルコを必要としている」と述べたが、大使の言
葉からもトルコの勢いと自信が感じられた。日本
もトルコの期待に応えることができるだろうか。
45
精神疾患 差別を生まない病名に改訂
8・1︵金︶研究会﹁精神疾患用語改訂の背景﹂/司会
義委員/出席
人/動画
一雄
米国精神医学会が昨年、DSM︲5(精神疾患
の診断・統計の手引き第5版)を出し、精神疾患
の診断分類を 年ぶりに改訂した。この間の研究
の進歩を踏まえ病名もかなり変わっている。
その訳語が研究者間でまちま
ちでは患者も混乱する。そうな
らないように国内の精神科関連
の学会・委員会が共同でまとめ
た病名・用語翻訳ガイドライン
の作成作業を統括したのが九州大学の神庭教授
だ。訳語は、①患者の理解と納得が得られる②差
別意識や不快感を生まない③国民の認知度を高め
る︱などに留意して決められたという。
精神疾患の病名は、伝統的病名、WHO(世界
保 健 機 関 )作 成 の I C D( 疾 病 及 び 関 連 保 健 問 題
の国際統計)分類、そしてDSM分類の3つの流
れがある。日本の厚労省が採用し、診療報酬にも
使われているのはICD分類なので、今回の改訂
で疾患名が一気に変わるわけではない。だが、臨
床研究で先進的に用いられるDSM分類は、20
1 7 年 に 予 定 さ れ る I C D ︲ ( 版 )に も 大 き
く影響する。
複雑な専門用語が交錯する分野だが、病に苦し
む人たちが暮らしやすい社会になるよう、マスメ
ディアもまた、その成果を報道に反映させたい。
そう感じさせる誠実な会見でもあった。
企画委員 産経新聞特別記者 宮田
11
国立社会保障・人口問題研究所社会保障応用分析研究部部長
朝日新聞出身 梶本 章
11
阿部 彩
軽部謙介委員
10
32
19
経済成長の 恩 恵 説 を 否 定
子どもの貧 困 を 多 面 的 に 浮 き 彫 り
7・ ︵月︶研究会﹁現代日本の貧困﹂②/司会
/出席
人/動画
28
子どもの貧困率が過去最悪を
記録。初めて全体の貧困率を上
回った。先進国クラブといわれ
るOECD
(経済協力開発機構)
の調査でも日本はワースト 位
だ。そんな中で地道な研究者らしく、様々なデー
タを駆使して多面的に問題点を浮き彫りにした。
貧困は子どもに様々な悪影響を及ぼす。健康、
成長、栄養、親子関係、学力、友人関係、自己肯
定感、希望、不登校、非行、児童虐待、若年妊娠。
「貧困の連鎖」によってこうした格差は固定化し、
ひいては民主主義の前提である平等な1票の原則
すら満たせなくなると警告する。
なかでも経済が成長すれば、その恩恵は貧困層
に 及 ぶ と い う「 ト リ ク ル・ ダ ウ ン 説 」を 明 確 に 否
定。
「成長への盲目的信頼はダメ。明示的な貧困
対策が必要」と強調した。その上で各国の資料を
比 較 し、 貧 困 問 題 が 実 は「 構 造 問 題 」で も あ る と
指摘した点はとても印象的だった。
政府は成長戦略の一環として出生率引き上げに
躍起となっている。しかし、その足元で子どもの
貧困が最悪となっていては、いかにも説得力に乏
しい。政府は大綱をまとめたが、穴の開いたバケ
ツにならなければよいが。
52
No.535 2014.9.10 日本記者クラブ会報 ⃝ 4
こ ばやし
よし みつ
米ライシャワー東アジア研究所長
ケント・カルダー
三菱ケミカルホールディングス社長
小 林 喜光
秀敏
お
はら
ぼん
じ
小原 凡司
坂東賢
東京財団研究員・政策プロデューサー
中国の軍事戦略
対日開戦の選択肢はない
8・8︵金︶研究会﹁中国とどうつきあうか﹂⑩/司会
治委員/出席
人/動画/会見詳録
企画委員 毎日新聞専門編集委員 坂東
賢治
中国軍の能力分析や実際の動きに基づいた解説
には説得力があった。
「 空 軍 は 海 外 と の 交 流 も 少 な
く、 国 際 的 な 常 識 を 知 ら な い 」
「 戦 闘 機 の 数 は 増 え て い る が、
訓練は十分でない」。今年5月、
中国軍の戦闘機が自衛隊機に異
常接近した事件について、小原氏の見解は、空軍
やパイロットの資質に遠因があるというものだっ
た。さらに習近平国家主席が空軍重視を打ち出し
たことで、増長も見られるという。
海上自衛隊出身。武官として北京に駐在したこ
ともあり、中国軍関係者との交流の経験も豊富だ。
制服組トップだった徐才厚・前中央軍事委副主席
の「 党 籍 剥 奪 」や 7 月 の 米 中 戦 略 経 済 対 話 な ど 最
新の情報も盛り込みながら、権力掌握を進める習
国家主席の今後の戦略や中国軍の装備近代化の現
状などを詳細に分析してくれた。
▽軍事力で大きな差のある米国との衝突を避け
る こ と が 最 重 要 課 題 で、「 新 型 大 国 関 係 」の 狙 い
も、 こ こ に あ る ▽「 東 進 」で は な く「 西 進 」、 東 シ
ナ海より南シナ海をより重視している▽日本は軍
事的にも経済的にも無視できない国。日米同盟の
存在もあり、対日開戦の選択肢はない。
98
「グローバル政治都市」ワシントンで
存在感薄まる日本
8・ 6︵ 水 ︶著 者 と 語 る﹃ ワ シ ン ト ン の 中 の ア ジ ア︵ Asia in
︶﹄/司会 杉田弘毅委員/出席
人/動画
Washington
毎日新聞客員編集委員 金子
カルダー氏は同席した通訳を使わずに、「時間
の節約になるから」と日本語で話した。日本に言
いたいことが積もっていたのだろう。
「 ワ シ ン ト ン は 静 か に 変 わ っ た 」と 力 説 し た。
言葉の裏に、それに気づかない日本へのいら立ち
がある。ワシントンは、米国の首都を超えて「グ
ロ ー バ ル 政 治 都 市 」と い う「 情 報 複 合 体 」に な っ
た。狭い地域にシンクタンクや
各国NGOがひしめき、アジェ
ンダ設定を競って世界を動かし
ている。特に中国、インド、韓
国などアジアの国々は、この舞
台に人材や資金を投入しているのに、日本だけが
出先事務所を縮小している。
カ ル ダ ー 氏 の 英 文 資 料 の な か に「 Penumbra of
」の 図 が あ っ た。 日 本 語 版 に は「 権 力 の 半
Power
影」と訳されて掲載されている。「ペナンブラ」は
天文学用語で、皆既食になった月の周囲にできる
薄い光の影。ワシントンでは、議会や政府のよう
な権力の実体を取り囲むメディア、シンクタンク、
NGOなどの情報複合体がグローバル政治を動か
している。韓国系団体が米国で起こした「従軍慰
安婦問題」がグローバルなアジェンダになったの
が、その例だ。
81
利益追求だ け で い い の か
温暖化防止 、 健 康 ・ 医 療 へ の 貢 献 を
8・5︵火︶昼食会・研究会﹁成長戦略には何が必要か 現場か
らの視点﹂⑨/司会 水野裕司委員/出席
人/動画
57
小林氏は原子力発電所の事故
を「 劇 症 肝 炎 」に た と え た。 一
度に地域に大打撃を与えるため
だ。 こ れ に 対 し て 二 酸 化 炭 素
(CO2)
排出の増大による地球
温 暖 化 は「 慢 性 の 糖 尿 病 」と い う。 じ わ じ わ と 地
球をむしばむ様子を表している。どちらも影響が
深刻な点は同じだ。
温暖化防止の視点に健康・医療への貢献や顧客・
従業員の満足度向上などを加えて、小林氏は「K
A I T E K I( 快 適 )経 営 」を 標 榜 す る。
「ROE
(株主資本利益率)
向上など利益の追求だけでは企
業価値は高まらない」
。企業経営の流れを先取り
している自負がうかがえた。
「 欧 米 の 経 営 者 は 年 前 な ら『 グ ロ ー バ リ ゼ ー
シ ョ ン 』を 唱 え て い た が、 い ま は ど の 経 営 者 も、
まず『テクノロジー』と言っている」
。画期的な技
術を生み出せば劣勢を一気に挽回して競争優位に
立てる。世界の潮流に遅れないよう技術開発が一
段と重要だと、自戒を込めているようにみえた。
( 全く 新しいものを 創 造 する)イノベーシ
ただ「
ョンは、簡単ではない」と言う。
「ほかとの少しの
違いをいかにして出すか。その積み上げが現実的」
。
収益力強化はなお途上にあり、苦渋もにじんだ。
10
企画委員 日本経済新聞論説副委員長 水野 裕司
5 ⃝日本記者クラブ会報 2014.9.10 No.535
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ク ラブゲスト
やま した
キヤノングローバル戦略研究所研究主幹
かず ひと
山下 一仁
村田泰夫委員/出席
ば
ば
きみ ひこ
馬場 公彦 作家
日中和解
民間交流の重要さを説く
8・ ︵水︶著者と語る﹃現代日本人の中国像﹄/司会
治委員/出席
人/動画
坂東賢
ばん ざい
会長
全国農業協同組合中央会︵JA全中︶
あきら
万歳 章
村 田 泰 夫 委 員/出
農協「激動の時代」
自己改革案のとりまとめに固い決意
8・ ︵ 水 ︶記 者 会 見・ 記 者 研 修 会/司 会
席 133人/動画
「農は国の基 一歩前進」︱。会見前、ゲストブ
ックに野太く、力強いタッチで書いた。荒波に立
ち向かう意欲の表れだろう。
安倍政権は規制改革の目玉として農協改革を打
ち出し、JA全中の権限の廃止・縮小案がくすぶ
り続けている。農業分野の市場開放が焦点の環太
平 洋 経 済 連 携 協 定( T P P )交 渉 も 大 詰 め に 入 っ
てきた。
会 長 就 任 か ら の 3 年 間 を「 激
動 の 時 代 」と 分 析 し た。 8 月 に
再選されて2期目に入った注目
の農協のドンである。
政府の規制改革会議が仕掛け
た 農 協 改 革 論 議 は「 唐 突 だ っ た 」と 不 満 を 示 し な
が ら も、「 環 境 変 化 に 基 づ く 対 応 が 必 要 だ 」と 述
べ、「自己改革案をスピード感を持ってまとめる」
と強調した。質疑応答では、JA全中内に設けた
有識者会議などの議論を踏まえて、「 月半ばま
でに方向付けしたい」という方針を繰り返した。
農業の生産性をいかに高め、農業者所得を拡大
するか。国際競争にどう立ち向かうのか。自己改
革案が甘ければ、政治などからの圧力が強まるだ
ろう。「厳しさも当然あるが、評価いただけるよ
うに一生懸命にやる」。有言実行に期待したい。
27
「農協解体」 が 農 業 改 革 の 本 丸
8・ ︵火︶研究会﹁農協解体﹂/司会
人/動画
美勝
『 現 代 日 本 人 の 中 国 像 』は、
『戦後日本人の中国像』の続編。
前 作 は「 戦 後 敗 戦 か ら 文 化 大 革
命・日中復交まで」を対象とし、
今 作 は 日 中 復 交 の 翌 年( 1 9 7
3)から天皇訪中( )までを対象としている。
馬場氏によると、日中復交までの時代は、学者、
作家、ジャーナリストや戦前・戦中の中国体験を
有する多様な人々が中国論の担い手だった。特に
革命中国に憧憬の念を持つ知識人は国民世論をリ
ードしたが、復交後、日中関係は「好転から暗転」
へと展開。中国研究者、北京特派員らチャイナ・
ウオッチャーが論壇誌の書き手の中心となった。
現地取材・調査、一部公表資料を基にその実像
に鋭く切り込んだ中国論が論壇に流れ込み、「虚
像」と「実像」2つの中国が白日の下にさらけ出さ
れた。 年、天皇陛下の訪中によって「新しい未
来を見据えた関係へという機運が盛り上がった」
が、その後、日中関係は不信や対立という「逆ス
パイラル」を描き、今日に至っている。
馬 場 氏 は 最 後 に「 民 間 交 流 の 重 要 さ 」を 説 き、
真の日中和解に期待を込めた。「日中民間交流は
まだ若くて不十分だが、民間交流が増えていけば
量が質に転化し、その中から新しい模索が見えて
くるのではないか」︱。
66
時事通信解説委員兼「外交」編集長 鈴木
92
91
安倍政権が改革に力を入れる農業分野は、今年
に入り農協に焦点があたった。農協に限らず、山
下 氏 が「 廃 止 は 骨 抜 き 」と 評 す る 減 反 な ど、 日 本
農業が抱えるのはどれも古い問題だ。問題がわか
っていながら手を付けられず、あるいは手を付け
ても押し戻される「猫の目農政」を繰り返した。
どうして欧米のように改革で
き な か っ た の か、 そ の 答 え は
「 農 協 に あ る 」と い う 持 論 は 明
快 だ。 農 協 組 織 を 支 え る の は、
収入の大部分を農外所得と年金
収 入 が 占 め る「 豊 か な コ メ 兼 業 農 家 」と、 正 組 合
員( 農 家 )を 数 で 上 回 る 准 組 合 員( 非 農 家 )
。こう
した現状を崩されたくないから農業の構造改革を
妨害し、兼業農家を滞留させる。
組織の頂点に立つJA全中を解散、あるいは収
益源であるJAバンクと共済を分離して政治力を
排除することが農業改革の本丸と考える。そうす
れば農産物の高い国内価格も是正される、と。
「規制改革会議の改革
元農水官僚の洞察力で、
案は農協を知り尽くした、改革派官僚の作品」と
みる。6月の最終案は「農協の主張に乗っかって
骨抜きになった」と話すが、その読みには改革が
前に進む期待も残る。
20
92
19
日本経済新聞編集委員兼論説委員 志田 富雄
読売新聞調査研究本部総務 野坂
雅一
11
クラブゲス ト
日本記者クラブチャンネルに会見動画
No.535 2014.9.10 日本記者クラブ会報 ⃝ 6
た
なか
あき ひこ
こん どう
しゅん すけ
8・7︵木︶記者会見/司会 服部尚委員/出席
人/動画
理事長
原子力発電環境整備機構(NUMO)
近藤 駿 介
理事長
国際協力機構(JICA)
田中 明彦
核のごみ処分
新理事長として方向性示す
川 上 高 志 委 員/出
企画委員 朝日新聞編集委員 服部
尚
「最悪のシナリオ」作成の思い
東京電力福島第一原発の民間事故調報告によると、
当時、原子力委員会委員長だった近藤理事長は事故直
後の2011年3月 日に、菅直人首相から「最悪の
シナリオ」の作成作業を求められ引き受けた。事故が
拡大すれば東京を含む半径250㌔の住民が避難対象
になるという深刻な想定だった。近藤理事長はスピー
チ後の質疑応答で、この点についての当時の思いや現
状の防災体制についての見解を問われ、答えた。要旨
は次の通り。
で行われたことですが、幾つかのアクションに応じた
い う 人 に「 だ め 」と は 言 わ な い 範 囲 と い う の が あ る だ
ろうと思いました。
これは、チェルノブイリ原発事故の際にウクライナ
け ど、 こ こ に 一 生 住 ん で も ら っ て は 困 る 」と か「 こ こ
はしばらく住んではいけませんよ」という指示を出し
た り、「 こ こ は 普 段 と 違 う か ら 自 分 は 移 転 し た い 」と
解いただいて、実際にやっていただいたと思います。
当時は避難区域の線量基準とか、事故が起こった瞬
間の行動に関する線量基準というものがあったのです
が、すでに実際に被曝がある中で、人々に「急がない
いただけるかどうか。そういうことを調べるためにス
タディーしたわけです。あそこで書いたようなシナリ
オ、
放射性物質の放出が大きくて、
アクセス不能になっ
て、しかも東京まで行く――それを防ぐためには何と
何を用意すべきだ、ということを導いて、それはご理
受けました。
「ここまでひどくなるかもしれないから、
十分用心するために皆さん頑張りましょう」というこ
とを、細野豪志さん(首相補佐官)
なり菅首相に決めて
■私は原子力技術者ですから、それ(最悪のシナリオ)
を考えて、それを起こさないようにするにはどうした
らいいのか。スタディーする価値があると思い、引き
22
「還暦」のO D A め ぐ る 「 理 論 と 実 践 」
8・ ︵ 木 ︶昼 食 会・ 記 者 研 修 会/司 会
席
人/動画
72
高レベル放射性廃棄物処分場の候補地は自治体
の公募待ち、事業の完了は 年後。そんな組織で
職員にどんなミッションを抱かせて、やる気を起
こ さ せ る の か。「 固 有 の 難 し さ が あ る 」と 悩 み を
明かしたが、近藤氏自身の方向性ははっきりして
いるように見えた。
かつて、朝日新聞のインタビューで福島原発事
故への原子力関係者の意識の乏しさを問うたとき
「感受性が鈍いのかなと思わないわけではない」
と素直に認めた。原発の安全対策に長く携わって
きた自身への反省も漂わせた。核のごみの始末に
真っ向から取り組む組織のトップ就任を受けたの
には、ある種の責任感もあったのだろう。
日本学術会議は地層処分をい
ったん白紙に戻し暫定保管にし
て 議 論 す べ き だ とい う こ と や、
高レベル放射性廃棄物の総量規
制を検討すべきだという提言を
出している。この点も含めて「議論を続けるべきだ」
という姿勢を示した。立地自治体も、どこまで線
引きすべきか組織内で検討を始めたことも明かし
た。前面に立つという国にプレッシャーをかける
姿勢も垣間見えた。核のごみ対策をどこまで変え
られるのか、注視したい。
40
91 28
理事長に就任してから2年4
カ月で3度目の登壇だ。会見を
聞くたび、国際政治学者の田中
氏が援助機関トップとして、ど
の よ う な「 理 論 と 実 践 」に 挑 ん
でいるのか、関心が深まってくる。
田中氏の政治学用語に「ワード・ポリティクス」
という概念がある。抽象的であれ、
目標を提示し、
その実現のための説得工作を行うことだ。グロー
バル化の中で政府開発援助(ODA)を方向付け、
組織を引っ張っていくため、明確な言葉で開発理
念と情報の発信を心がけているようだ。
民主党政権時代の2012年の初会見では「援
助を通じて世界も、日本も元気にできるはず」と
語っていた。昨秋は、太平洋とインド洋の成長地
域の周辺に広がる紛争国・脆弱国の支援を説いた。
今回は日本のODAが 周年を迎えたのを機
に、戦後の賠償援助からの歴史をひも解き、現在、
JICAが進めている自治体や大学、中小企業な
ど各分野との連携の課題を解説した。
一方、ODAを急増させる中国にJICAは研
究交流を持ち掛けているが、まだ成果は出ていな
い。学界での国際交流の経験も生かし、政府官僚
とは異なる手法で日中対話の実践を期待したい。
60
朝日新聞出身 竹内 幸史
7 ⃝日本記者クラブ会報 2014.9.10 No.535
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ク ラブゲスト
径 2 5 0 ㌔」と い う 数 字 な の で す。 計 算 に よ っ て は、
福島市などは範囲に入っていたと言えないこともない
ということで移転先をお考えいただく範囲があるだろ
うと思いました。ウクライナの数字を使って―生涯線
量で150㍉シーベルトぐらいだったと思いますが―
範囲を引き、その内側で移転希望者は希望をかなえる
べく領域を考えたわけです。それでつくったのが「半
ぐらいの所は住まない方がいい、そこは非居住区域に
した方がいい、と。
ですから、すぐにとは言わなくても、一生住まない
線量目標があって、ベクレル数という汚染レベルで示
したわけです。生涯線量が、そこにずっと暮らし続け
る と 1 0 0 年 で 1 レ ム( ㍉ シ ー ベ ル ト )以 上 に な る
後の原子炉では、事故発生確率はたぶん違う。サイコ
ロが違うということです。それを同じ統計で入れてし
いです。こういう計算は統計学で言えばサイコロを振
るのと同じことで、サイコロは毎回同じシチュエーシ
ョンで振るわけですね。だから確率はN分の1と回数
の比でいい。けれども、米スリーマイル島原発事故時
の原子炉と、それを踏まえて様々な対策が講じられた
リスクを計算するときに、世界全体の原子炉のうち
何基が炉心溶融を起こしたから炉心溶融の発生確率は
幾らだと計算するのですが、これはある意味では間違
分 か っ て い た だ く こ と が 一 番 で し た。「 2 5 0 ㌔」と
いうのは、汚染状況に応じた対策を考えなければなら
なくなるという、(政府への)
メッセージを伝えたかった。
防災の強化もやるという格好で、全部一度にやった。
仕方ないのですが、本当に丁寧にやろうとしたら、個
米国は結局、(防災上の重点区域の)数字をいじって
いないですよね。むしろ中身を充実するということで、
数字をいじる必要はないという結論を米原子力規制委
員会は出しています。日本はそこをいじって、同時並
行にやりましたからね。原子炉の安全強化もやるし、
たので、また同じことでみんな考えてしまう。そうせ
ざるを得なかったから仕方ないけれども、ちょっと急
ぎ過ぎているというか…。
で、次に何が起こるかをよくスタディーすることだと
思います。
日本の原子力規制委員会が防災重点区域を ㌔とし
てつ お
じん ぼう
7・ ( 水 )「 ネ ッ ト と ジ ャ ー ナ リ ズ ム、
今 と 将 来 」/ 司 会: 津 山 昭 英 特 別 企 画 委
員/出席: 人+ネット視聴 人
東京新聞読者応答室長 鈴木賀津彦
ば済む状況では、もはやない。ネッ
トメディアと既存マスメディアを対
立させて捉えるのではなく、垣根を
越 え て「 協 働 」し、 ジ ャ ー ナ リ ズ ム
の在り方を考えねばならない。
誰もが発信者になる「市民メディ
ア」の時代に、マスメディアの立ち
位 置 は あ ら ゆ る メ デ ィ ア と「 協 働 」
し、柔軟で力強い「公共的なジャー
ナリズム」を先導していく役割を担
っていると確信した。
別に自分のところの原子炉は最悪の場合にどうなるか
を評価して、それに基づいて防災対策を設計する作業
■
をしなければならないと思います。 そうなのだ。既存マスメディアが
自分の会社のことだけを考えていれ
15
基本的ノウハウは、既存のマスメデ
ィアにしか蓄積されていない。それ
をネット時代という新しいメディア
環境に適用していくために、新聞社
などは責任を果たさなければならな
い」と訴える。
ジャーナリズムの行動規範をネッ
トの世界でゼロからつくっていくの
がどれだけ大変か、その苦労がわか
っ て い る 実 践 者 だ け に、「 公 共 的 な
ジャーナリズムをどうやって生き残
ら せ る の か、『 み ん な で 』真 剣 に 考
えなければならない」と強調する。
まうのは、乱暴な作業なのです。ですから、統計デー
タを使うときは注意しなければならない。大事なこと
は、何が起きるかを設計して安全対策を追加したうえ
30
と思います。
何がポイントかというと、政府が、そういう概念で
整理をして対応することがいずれ必要になる、それを
10
が こ れ ま で の「 伝 送 路 を 少
公共財としての
数事業者が独占してきた特
マスメディア
ネットと「協働」し 殊 な 産 業 」か ら 変 わ れ ず、
インターネットという誰も
先導役を
が使える伝送路ができた今
の時代も、その感覚から抜け出せて
いない状況を厳しく指摘する。
一方で、取材のイロハを現場で学
び記者がトレーニングを積んでいけ
る場は、いまも既存のマスメディア
にしかなく、新人が地方の支局で学
ばされる記者の育成プログラムな
ど、それ自体が公共財だと位置付け
る。「 わ れ わ れ の 社 会 が 蓄 積 し て き
た公共財としてのジャーナリズムの
21
ゼミ
ジャーナリズムの現状に
対する神保氏の強烈な危機
感を、新聞やテレビなど既
存のマスメディアにいる者
が、どれだけ真剣に共有で
きているだろうか。
ビデオジャーナリズムを
掲げ、ネット放送という新
たなメディアを切り開いて
きた神保氏。既存メディア
16
22
記者
ビデオジャーナリスト/ビデオ
神保 哲生 ニュース・ドットコム代表
クラブゲス ト
ネット時代のマスメディア編⑤
No.535 2014.9.10 日本記者クラブ会報 ⃝ 8
るのはおかしな話」「依存体質を改め
るべきだ」と、原発維持を訴える自
治体は痛烈な批判を浴びた。
本州最北の下北半島。核燃料サイ
クルの主要施設や原発、使用済み核
燃料の中間貯蔵施設が建つ。手つか
ずの自然がまだ多く残るため、半島
に は「 二 つ の げ ん し( 原 始、 原 子 )」
が存在する、とも言われる。
■3・ が突き付けたものから
自立への一歩を
ひがし どおり
11
東通村について少し触れてみた
い。 下 北 半 島 の 太 平 洋 側 に 位 置 し、
人口は約7千人。原発は2005年
に稼働した東北電力東通1号機のほ
か、3機の建設計画がある。
村制施行は1889年。南北に長
い地形や道路事情から、役場庁舎は
隣 接 自 治 体( 現 む つ 市 )に 置 い た。
村内に庁舎を移転したのが1988
年。"普通の自治体の姿"になるまで
100年の歳月を要した。
それを可能にしたのが原子力マネ
ーだった。村にはようやく庁舎を核
とした中心市街地が形成された。さ
ら に「 地 域 発 展 の 原 点 は 人 づ く り 」
と、村を挙げて小中学生の教育環境
改革に力を注いでいる。
戦後の高度経済成長とは無縁だっ
た辺地の住民が、生まれ故郷で普通
の生活を送るには、他にどんな選択
が あ っ た の だ ろ う。「 中 央 」発 の 巨
大 開 発 が な け れ ば、 東 通 村 は い ま、
どんな姿になっていただろう。
原発を否定する人たちは「電力よ
り命が大事」「お金より命が大事」と
繰り返す。福島事故を受けた発言と
はいえ、この言葉が立地地域の住民
に向けられているとしたら、あまり
に悲しい。そもそも命は、他の何か
と比べられるのだろうか。
下北半島の立地市町村は、原子力
を導線にした地域づくりの方針を変
え て い な い。 過 去 の 歴 史 を み れ ば、
私は簡単にそれを否定できない。
しかし…である。3・ が右肩上
がりの開発型社会構造に終わりを突
き付けたとするならば、「『中央』と
『地方』の従属的関係」を見直すきっ
かけになるのではないか。
立 派 な 施 設、 道 路 を 持 つ こ と が、
本 当 に 豊 か に な る こ と な の か。「 中
央」に縛られず、「地方」が実感でき
る豊かさとは何なのか。
答えは容易に出せないだろう。だ
が、「 地 方 」は 自 立 へ の 一 歩 を 踏 み
出さなくてはならない。次代の豊か
さを自問する日々が続く。
きむら・かずひこ▼1991年入社 本
社 報 道 部 次 長 整理 部 長 東 京 支 社 編
集部長などを経て 今年4月から現職
11
当時、経済産業相の諮問委員会は
脱 原 発 派 の 論 客 が 顔 を そ ろ え、「 原
発ゼロ」の流れを主導。再稼働に異
を唱える毎週金曜日の首相官邸前デ
モは、みるみるうちに参加者が膨れ
上がり、政権に決断を迫った。
「 中 央 」は ま さ に 原 発 反 対 一 色。
論客たちは、福島の現実や青森県六
ケ所村にある再処理工場の技術的課
題、最終処分場が決まらない核のご
みの行方、高コスト体質といった負
の側面を鋭く突いた。
一 方、「 地 方 」へ の 影 響 に つ い て
多く語られることはなかった。逆に
「いつまでも過去の国策にとらわれ
東通村の役場庁舎。村制施行100年後に隣のむつ市から移転
された(デーリー東北新聞社提供)
青森県八戸市
被災地通信
原発めぐる
「中央」
と
「地方」
豊かさとは…自問が続く
木村 和彦(デーリー東北新聞報道部長)
原子力施設の立地自治体をエリア
に 持 つ 新 聞 社( 本 社・ 八 戸 市 )と し
て、
何をどう伝えていけばいいのか。
東京電力福島第一原発事故から3年
半たつが、
いまだに悩み続けている。
理由は分かっている。原子力によ
る地域づくりと、
「
『中央』と『地方』
の 従 属 的 関 係 」に 対 す る 抵 抗 感 を、
自分の中で消化できずにいる―。こ
れに尽きる。
私は民主党政権の下で原子力政策
の見直し議論が本格化した2012
年4月、東京支社に赴任した。
9 ⃝日本記者クラブ会報 2014.9.10 No.535
東日本大震災から 3 年半
被 災地はいま
75
知念 清張(沖縄タイムス社)
10
位のうち、 項目のニュースは台風
関連で占められた。
緊 急 時 の 生 活 情 報 へ の ニ ー ズ に、
迅速に応えることの大切さを感じた。
「 全 部 の 避 難 所 を、 ウ ェ ブ に ア ッ
プしたらどうですか」 デスクをしていた7日、そう提案
してきたのは豪雨の中、取材に駆け
ず り 回 っ て い た 支 局 の 中 堅 記 者 だ。
速報性ではテレビやラジオに劣るが、
ウェブは時間と紙幅に制約はない。
ウェブでは 市町村145カ所の
避難所、すべてを掲載した。最もウ
ェブの閲覧数が多かったのは「各市
町村の避難所一覧」だった。
19
警戒と避難誘導の在り方に課題
35
市 町 村 か ら 出 さ れ た「 避 難 勧 告 」
の対象住民は、県人口の約半分に当
たる 万4千人にのぼった。しかし
本紙が検証したところ、避難所に足
を 運 ん だ の は わ ず か 9 4 7 人( 0・
%)だ っ た。 本 来 は 避 難 が 必 要 な
地 域 に 絞 っ て 出 す べ き 避 難 勧 告 を、
市町村が全域に出しており「勧告
の軽視につながる」と指摘され、形
式的な注意喚起には、疑問が残った。
沖縄本島地方が暴風圏内から抜け
た7月9日未明、気象台は大雨特別
警報をいったん大雨注意報に切り替
え、4時間半後の午前7時半に再び
特別警報を出した。県教育庁は学校
の休校を決めるのが遅れ、多くの児
童生徒が冠水と強い風雨の中、登校
を余儀なくされ、強い批判を浴びた。
その後、気象台は自治体と有効な
避難を呼びかけるタイミングを話し
合う勉強会を開き、課題の洗い出し
を迫られた。
沖縄本島への直撃は免れ、速度も
速まったことで床上・床下浸水17
9件、重軽傷者 人と勢力の割に甚
大な被害には至らなかった。しかし、
「 特 別 警 報 時 」の 警 戒 と 避 難 誘 導 の
在り方に大きな課題が残った。
14
68
36
ちねん・きよはる▼1998年入社 北
部支社編集部長 県政キャップなどを経
て 今年3月から社会部デスク
17
約100人を数えた。
39
台風8号 初の「特別警報」発令
55
14
70
配達の遅れは必至 ウェブ発信の重要性を実感
20
人口142万人の沖縄県は、人口
の1割が沖縄本島以外の の離島に
住む。波が高くなれば、生活の足で
ある船便が欠航する離島も多い。
横殴りの猛烈な風は樹木をなぎ倒
し、車両を押しつぶした。大量の雨
水が流れ込んだ川は氾濫、住宅への
浸水も相次ぎ国道も寸断された。
本紙は台風8号が接近した8日か
ら 日まで配達の遅れを考慮し、有
料会員限定で朝5時に定時配信され
る電子新聞を無料で公開した。 台風速報はもとより、飛行機や公
共 交 通 機 関 の 運 航 情 報、 停 電 情 報、
地域の催しなどの中止・延期情報な
ど県民の生命・財産、そして生活に
直結する情報の速報に努めた。
その結果、通常1日当たり1万件
の閲覧が、7万件にまで跳ね上がっ
た。1週間のアクセスランキング
強風で崩壊した屋根や柱を懸命に支える消防隊員
(7月8日/沖縄県浦添市内/沖縄タイムス社提供)
避 難 所や生活情報
電子版を無料公開して速報
台風には慣れっこになっている私
たちにとっても、接近が予測された
台風8号の勢力には耳を疑った。
中 心 気 圧 9 1 0 ヘ ク ト パ ス カ ル、
最大風速 ㍍、最大瞬間風速は ㍍
にもなると予測されていた。気象庁
は 7 月 7 日 の 夕 方 か ら 夜 に か け て、
宮古島地方に暴風特別警報、沖縄本
島地方にも波浪特別警報を発表。「数
十 年 に 1 度 」の 災 害 が 見 込 ま れ る
「 特 別 警 報 」は、 台 風 で は 全 国 で 初
の発令となった。
「 何 が 起 き て も お か し く な い 」―。
編集局の共通した認識だった。
頭をよぎったのは2003年9月
の台風 号だ。宮古島で最大瞬間風
速 ・1㍍を観測。コンクリート製
の電柱が、
2千本近くなぎ倒された。
「 ㍍までは大丈夫」(沖縄電力)
とさ
れたが、 ㍍超の暴風には、ひとた
まりもなく、幹線道路の電柱は鉄筋
をむきだしに倒れ、
トラックも横転。
通行止めが続き、復旧までに数カ月
を要した。1人が死亡、重軽傷者は
74
50
ワーキングプレ ス
一線記者の取材リポート
No.535 2014.9.10 日本記者クラブ会報 ⃝ 10
地元メディアの視点から
佐 賀発
に 臨 ん だ。 武 田 良 太 防 衛 副 大 臣 は、
佐賀市の佐賀空港に、陸上自衛隊が
導入する新型輸送機オスプレイ 機
を配備し、在沖米軍の海兵隊の一部
を、米軍普天間飛行場の辺野古移設
が実現するまでの暫定措置として移
転させる方針を佐賀県側に伝えた。
訓練にとどまらず、米海兵隊の暫
定移転までも盛り込まれていたこと
は、想定を超えていた。佐賀だけで
は 読 み 解 き が 難 し い 問 題 で も あ り、
沖縄、長崎の地元紙と記事を交換し、
多面的な報道に努めた。
■沖縄︑長崎に記者派遣
地元紙とも連携
をどう読者に提供していくのか、試
行錯誤が続いている。
政府は今回の計画について「沖縄
の 負 担 軽 減 」と 強 調 す る が、「 訓 練
は沖縄で行われる」「最終的に部隊が
辺野古に戻るなら意味がない」とい
う懐疑的な見方もあり、政府の説明
を う の み に は で き な い。 そ も そ も、
説 明 は 尽 く さ れ て お ら ず、 計 画 の
「正体」を見極める必要がある。
沖縄では辺野古移設に向け、海底
ボーリング調査が始まった。米軍オ
スプレイは全国に飛来し、訓練地域
を拡大している。佐賀を含めた一連
の動きは、特定の地域の問題として
矮小化してはならない。戦後の安全
保障政策を塗り替えようとしている
この国のありようを、全国に問い掛
ける起点でしかない。
はやし・だいすけ▼1996年入社 唐 津 支 社 司 法 担 当 な ど を 経 て 今 年
4月から特報担当
11 ⃝日本記者クラブ会報 2014.9.10 No.535
本紙では2年前から、沖縄の地元
紙2紙と連携し、基地問題に関する
記事を転載してきた。中央発の政局
報道にとどまらず、住民目線で基地
問題と向き合い続けている地元紙と
視座を共有することで、沖縄と地続
き感を持って問題を考える試みだ。
政府方針を受け、あらためて沖縄
2紙の協力を得て、記者2人を派遣
し、米軍普天間飛行場や辺野古地区
の実情を肌で感じながらルポを仕立
てた。沖縄の実相に触れることと並
行 し、 自 衛 隊 と 民 間 の「 共 用 空 港 」
がある秋田県を取材したり、米海軍
や海上自衛隊の軍港がある長崎県佐
世保市に足を運んだりして、一から
知見を積み上げている。
政府は、佐賀県吉野个里町にある
め た ばる
陸上自衛隊目達原駐屯地のヘリ約
機を、佐賀空港に移駐させる方針も
示した。あらためて現地を歩くと、ヘ
リ離着陸時の騒音は、米軍普天間飛
行場のオスプレイと同じレベルだっ
た。軍用機の騒音に悩まされながら
「 置 き 去 り 」に さ れ て き た 住 民 が、
佐賀にもいた。足元を見つめ直す中
で、これまで見過ごしていた「内な
る沖縄」とも言える現実に気づいた。
概算要求前の8月 日には小野寺
五 典 防 衛 大 臣( 当 時 )が 佐 賀 県 を 訪
れたが、米海兵隊の暫定移転につい
ては「自衛隊を受け入れていただい
た後の話」と明言を避けた。具体像
が見えない中で、考える材料や視点
政府が佐賀空港に配備を目指
すオスプレイは、長崎県佐世
保市の陸上自衛隊相浦駐屯地
に新設する離島防衛専門部隊
「水陸機動団」の輸送を担う。
空港西側の民有地に₂₀~₃₀㌶
の 駐 機 場 を 設 け、 格 納 庫 や、
滑走路と駐機場をつなぐ誘導
路を整備し、₂₀₁₉ 年度の配備
を目指す。佐賀空港の部隊は
₇₀₀~₈₀₀人規模になる見通し。
見過ごしていた「内なる沖縄」
総力で多面的報道に努める
林 大介
22
呼 び 出 し の 電 話 で 本 社 に 戻 る と、
蜂の巣をつついたような騒ぎになっ
て い た。
「佐賀空港にオスプレイが
配備される」
。 7 月 日 夕、 テ レ ビ
が一報を伝えた。ただ、自力では情
報の裏が取れなかった。
本 社 に は 安 全 保 障 の 担 当 記 者 も、
オスプレイに精通する記者もいない。
ま さ に ゼ ロ か ら の ス タ ー ト だ っ た。
県政担当記者は県庁幹部への確認に
走ったが、佐賀だけでは記事を書け
るほどの内容が取れそうになかった。
東京にも記者はいるが、防衛省の記
者クラブには入っていない。情報の
確認は事実上、
通信社頼みとなった。
政府からの正式提案は同 日。担
当枠を超え、いわば総掛かりで取材
一口メモ
17
政府が新型輸送機オスプレイ配備の方針を示
している佐賀空港(佐賀新聞社提供)
(佐賀新聞編集局報道部)
18
突然のオスプレイ配備計画
25
50
書いた話 書かなかった 話
15
11
25
る。というより学生に理解のある指
導者の死が、政治の民主化を求める
学生たちを天安門広場に結集させ
る、重要なきっかけとなったのだ。
胡錦濤氏の4月 日の生家訪問
は、「 師 」と 仰 ぐ 元 総 書 記 の 回 目
の命日の直前というタイミングだっ
た。この記事を目にし、私自身が記
事にしなかったものの、いまも忘れ
難い、2人の胡氏の人間関係に関す
るエピソードを想起したのである。
◇
江西省に中国最大の淡
中国南は部よの
う
水湖、鄱陽湖がある。その西側湖畔
きゅうせい じょう
に共青城という風変わりな地名の町
が あ る。「 共 青 」と い う の は 中 国 共
産 党 の 青 年 組 織、 共 産 主 義 青 年 団
(共青団)のことだ。胡耀邦、胡錦濤
両氏とも、そのトップ経験者だ。前
総書記は元総書記によって共青団第
加藤 千洋
知日派指導者
胡耀邦の子息来日で思い出したこと
りゅう
あり、日中関係打開の何らかの瀬踏
みの意味があったのだろう。私も外
務省関係者から「黙っていたら向こ
うから誰も来ない。こちらから仕掛
け な い と 」と の 解 説 を 聞 い た か ら、
日本側が模索する出口戦略の1こま
だといえようか。
ところで、
その胡 徳 平 氏が帰 国して
間 もなく 目にしたA紙のベタ記 事に、
私は別の意味で注目した。
2012年の党大会で習近平氏に
バトンタッチして以降、中国メディ
アにも登場がまれな胡錦濤前総書記
に関する動静報道だった。湖南省瀏
よう
陽市にある胡耀邦元総書記の生家と
記念館を夫人とともに訪れ、銅像に
献花したのだという。
元総書記が心臓発作で死去したの
は1989年4月 日のこと。あの
6月4日の天安門事件の直前であ
一書記に抜擢された、というのは中
国ではよく知られた話だ。
私が共青城を訪れたのは 年春の
ことだったが、現地で耳にした地名
の由来は、だいたいこんな話だった。
新中国建国から間もない1955
年のある日、上海の若者100人近
くが無人の荒地に入植した。中国民
衆が共産党の指示によって国造りに
打ち込んでいた、よき時代のことで
ある。鄱陽湖周辺は湿地が多く、農
業には不向きな土地だったが、毛沢
東の呼びかけに応え、都会生活を捨
てた若者たちがテントに泊まり込ん
で開墾事業に挑んだのだ。
間もなく北京から共青団中央の責
任者が慰問に訪れた。小柄ながら言
動に独特の力を感じさせる若手幹部
だったという。それが当時、共青団
第一書記だった胡耀邦である。
かとう・ちひろ
1947年生まれ 72年朝日新聞入
社 論説委員 外報部長 編集
委員などを歴任 この間に北京
に2回 バンコク ワシントン
に駐在 2004年以降「報道ステ
ーション」
(テレビ朝日系)コメン
テーター BS朝日「にほん風景
遺産」風景案内人を務める 中
国報道で1999年度ボーン上田記
念国際記者賞を受賞 2010年4
月から同志社大学大学院グロー
バル・スタディーズ研究科教授
03
日中関係は依然として冷え込んだ
ままだが、この春くらいからか、双
方 に「 出 口 」を 求 め る 動 き も 出 て き
た。 月に北京で開催されるAPE
C( ア ジ ア 太 平 洋 経 済 協 力 会 議 )を
ターゲットに、特使派遣など水面下
の動きも伝えられる。
そんな中で、おやっと思ったのは
今 年 4 月 の 胡 徳 平 氏 の 来 日 だ っ た。
知日派として知られた故・胡耀邦元
総書記の長男だ。共産党や政府の要
職にはないが、互いに党中枢だった
父親を持つつながりで習近平総書記
と「直接対話ができる関係の数少な
い知日派」という。官房長官や外相、
野党要人らと会見していったが、安
倍晋三首相との面会が実現したこと
は公表されなかった。
外務省の招待だったそうだが、共
産党指導部の了解があっての来日で
11
No.535 2014.9.10 日本記者クラブ会報 ⃝ 12
書 いた話 書かなかった話
十数個あったなかで、まず目に入
ったのは中央の2つである。右手の
つい れん
花輪にかけられた白い布の対聯に
は、 右 に「 敬 愛 的 父 親 」と あ り、 左
に は「 長 子 徳 平 」、 そ の 下 に、 謹
ん で 哀 悼 す る と い う 意 味 の「 敬 挽 」
という文字が書かれていた。
その喪主が贈った物の左隣にあっ
た花輪の対聯には「胡耀邦同志 永
垂 不 朽 」「 胡 錦 濤 敬 挽 」と あ っ た。
永垂不朽とは死者を弔う決まり文句
だが、その功績は永遠に朽ちること
がない、という意味である。
花輪はいずれも納骨式が執り行わ
れ た 年 月 の 物 と の 説 明 だ っ た。
ほかに当時の有力者たちが贈ったと
見られる花輪の類は、目につかなか
った。
胡耀邦氏は 年末から 年初めに
かけて起きた学生運動に際し、学生
に同情して対応が手ぬるいと長老ら
から批判され、総書記辞任に追い込
まれた。事実上の解任だった。 年
秋に日本の青年3000人を独断で
招いたことなど、対日関係で元総書
記 が 積 極 的 に 動 い た こ と も「 罪 状 」
となった。
その後、亡くなるまで政治局員の
地位は保ったものの、政治的には処
分を受けた身で、納骨式も中央の指
導者が顔をそろえるといった、にぎ
にぎしい格式にはならなかった。政
治的に慎重に配慮し、あえて弔意を
示 さ な か っ た 幹 部 が 多 い 中、 当 時、
チベット自治区党書記だった胡錦濤
氏は花輪を贈り、哀悼の意を表した
のである。
案内人がわざわざ倉庫の中まで見
せてくれたのは、胡錦濤氏が総書記
となって半年後のこと。どういう配
慮 だ っ た の か 真 意 は わ か ら な い が、
薄暗い倉庫に並んで保存された花輪
を見せられ、私は2人の胡氏を結ぶ
確かな絆を感じ取ったものである。
◇
そうそう、そこで案内人がもう2
つ、興味深いエピソードを語ってく
れた。そのことも書いておこう。
納骨から3年目の夏、日本から初
老の婦人がやってきて、墓前にひざ
まずき、ぽろぽろと涙をこぼしてい
ったという。去年秋亡くなった作家
の山崎豊子さんだった。
年に出版した代表作の1つ『大
地の子』は、胡耀邦総書記の全面的
な支持があって完成したともいえる
作品である。綿密な取材をベースに
創作するのが山崎さんの一貫したス
タイルだった。胡耀邦氏は山崎さん
の語る構想に賛意を示し、直ちに関
係方面に指示を出し、当時は外国人
には非公開だった刑務所や、舞台と
なる中国東北部の辺境地帯の取材に
も特別の許可を出したのである。
もう1つは、胡耀邦氏の命日に日
本の政治家からの依頼で、墓前に花
が手向けられるというのだ。案内人
が口にした名は、いまも 歳を超え
て健在の総理経験者だった。そうい
えば現職時代、胡耀邦氏との盟友関
係をしきりに誇示していた。
◇
こ う し た「 昔 話 」を ふ と 思 い 出 し
たのは、元総書記から前総書記へと
受け継がれたであろう「対日関係重
視」の考え方が、いまの習近平指導
部ではどうなったのか。それが大変
気になるのと、現在の日中間の政治
家同士の交わりに、血の通った、人
間味を感じさせるやり取りが、あま
り に も 少 な い と 感 じ る か ら で あ る。
交わりすらできないというのは、論
外である。
13 ⃝日本記者クラブ会報 2014.9.10 No.535
テントに泊まり、焼酎を飲み交わ
し、若者たちの悩みを聞き、励まし
ていった。この体験は若者だけでな
く、第一書記自身にとっても忘れ難
き思い出になったのだろう。なぜな
ら胡耀邦氏の遺言に基づいて、墓所
は鄱陽湖を見下ろす共青城の丘の上
。
に定められたからである(写真左)
その墓参を済ませると、案内人は
私が記者であることにいささかのサ
ー ビ ス 精 神 を 発 揮 し て く れ た の か、
一般には公開していない施設にと導
いてくれた。清掃具など作業用の器
具などもしまわれた、何の変哲もな
い倉庫である。そこにほこりをかぶ
ったままの花輪が置かれていた。中
国のそれは紙やプラスチックの造花で
。
できており、保存がきくのだ(写真下)
胡耀邦元総書記の墓所(江西省共青城)
90
12
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リレーエッセ -
日の丸事件を裁いた宮城京一さん
松元 剛 (琉球新報社)
きょう
廷で問い掛けた事件の一審判決を下
みや ぎ
いち
したのが、宮城京一さんである。宜
野湾市に生まれ、琉球政府職員から
転身し、裁判官を目指した。米軍統
治下の沖縄からパスポートで本土に
渡り、苦学して司法試験を突破した
異色の経歴を持つ。
年5月の一審判決で、宮城裁判
長は「起訴状記載の『国旗』は、日の
丸 旗 を 指 す と 理 解 で き る 」と 言 及
し、「日の丸を国旗として用いるか、
いかなる場合に掲揚するかは個人の
自由意思に委ねられている」との判
断を示した。
琉 球 新 報 を 含 め、 報 道 の 大 勢 は
「 日 の 丸 は 国 旗 初 の 司 法 判 断 」だ
ったが、多くの法学者から「焼かれ
た旗を日の丸と特定しただけで、国
旗認定ではない」との批判が噴き出
した。
その年の仕事納めの日。裁判所内
を巡っていた私を宮城さんが書記官
93
沖縄の戦後見つめた憲法論
かい ほう
1 9 8 7 年 月 の 海 邦 国 体 で、
沖縄戦後史に刻まれる「日の丸焼
き捨て事件」は起きた。読谷村で
あったソフトボール競技の開始式
で、掲揚台の日の丸が引きずり下
ろされ、燃やされた事件だ。
裁判で、弁護側は「掲揚強制は、
反戦平和の感情が強い読谷村民の
思想・信条の自由を侵す。焼き捨
ては正当な抵抗手段」として無罪
を主張した。那覇地検が器物損壊
罪 な ど の 起 訴 状 に「 国 旗 」と 記 し
た た め、 弁 護 側 は「 国 旗 の 法 的 根
拠はない」と反論し、
「国旗論争」
が重要な争点に浮上した。
本土に対する複雑な県民感情が
くすぶる中、公判が開かれるたび
に、那覇地裁周辺で被告の支援者
と右翼団体が激しくぶつかり合っ
た。駆け出しの司法担当記者時代
の忘れ難い取材である。
日の丸が国旗か否かを初めて法
10
室に招き入れてくれた。泡盛を酌み
交わしながら、ひょうひょうとした
語 り 口 で 品 の あ る 冗 談 を 繰 り 出 す。
法廷での険しい表情とは打って変わ
った座談の名手で、私は何度も腹を
抱えて笑った。
頃 合 い を み て、「 あ れ は 国 旗 認 定
だったのか」と聞いてみたが、笑み
をたたえた宮城さんに「その話はグ
ソ ー( 後 生 )で し ま し ょ う や 」と 優
しくいなされた。
年に退官した宮城さんが判決の
真意を語ったのは 年になってから
だ。「 国 旗・ 国 家 法 」に 関 す る 取 材
に応じてくれた時である。
宮城さんは「掲揚する、しないは
国民の自由。立法化すると個人の意
思が束縛される。法律は独り歩きす
る 」と 危 惧 し た 上 で、 あ の 判 決 を
淡々と振り返った。
95
99
2007年7月、憲法改正の是非につ
いて語る宮城京一さん。当意即妙な
座談の名手だった(琉球新報社提供)
「 焼 か れ た 旗 が 何 か を 特 定 し た
だけで、国旗は日の丸と認定して
はいない。それが伝わらず残念だ
ったが、日本語の難しさですね」
「 宮 城 判 決 」を 読 み 違 え た 自 分
のふがいなさを痛感する一方、胸
のつかえが取れた気がした。
憲法論を聞くと、宮城さんの言
葉 に 力 が 増 し た。「 憲 法 9 条 を 変
える必要はない。戦争で多大な犠
牲を払った沖縄の非戦の誓いが反
映された良い憲法だ」が持論だっ
た。戦後の基地の島・沖縄の歩み
を見つめてきた法曹人としての使
命感が表れていたように思う。
宮城さんが懸念した通り、学校
での日の丸掲揚、君が代斉唱時に
起立を拒んだ教職員の処分が続い
ていた2008年夏、訃報が届い
た。享年 。法廷を見渡すかのよう
な鋭い眼光の遺影が忘れられない。
特定秘密保護法が成立し、集団
的自衛権の行使容認が閣議決定さ
れた。平和憲法が試練を迎えたい
ま、「法律は独り歩きするものだ」
と警鐘を鳴らした宮城さんは何を
思うのか。かなうなら、あの座談
とともに話を聞いてみたい。
(まつもと・つよし 編集局次長)
76
No.535 2014.9.10 日本記者クラブ会報 ⃝ 14
試 写会
10
61
毎日新聞社会部 明珍 美紀
だ。暗記による知識の詰め込みより
も、みずみずしい一編の詩がすっと
心に入り込む。
貧 困 や 格 差 な ど 社 会 の ひ ず み は、
生徒たちの家庭にからまるが、教師
にできることには限界がある。けれ
ども、教師と生徒の関係は「学校の
中 」だ け な の か。「 子 ど も た ち の 人
生までは救えない」と言っていた女
性校長自らが、映画の中でその答え
を見いだしている。
原案はイタリアの作家、マルコ・
ロドリのエッセー『赤と青』
(晶文社
か ら 今 夏、 邦 訳 本 が 刊 行 )。 高 校 の
教師として教え子たちと向き合った
年余の体験がつづられ、ジュゼッ
ペ・ ピ ッ チ ョ ー ニ 監 督( )の 創 作
意欲をかき立てたという。
卒業すれば、不条理と矛盾に満ち
た 社 会 が 待 ち 受 け て い る。「 学 校 と
いう塹壕の一線にいる状況から出発
する映画を」とピッチョーニ監督は
撮影に臨んだ。
人生というかけがえのない時間の
中で、それぞれが心の支えとし、大
切に思うものを確認する。その機会
をつくることが、教育の一つの役割
ではないかと感じた。
30
©COPYRIGHT 2011 BiancaFilm
岩波ホールほか全国順次公開
れた彼は、常套的な政治表現を排除
し、平和や民主主義をわかりやすく
映 像 化 し た 作 品 を 仕 上 げ る。 ま た、
「 N O 」の 文 字 に 6 つ の 党 派 の シ ン
ボルカラーで作った虹をあしらった
エンブレムも考案した。
当 然、「 軽 率 」「 不 真 面 目 」と 厳 し
い批判を受けるがひるまない。彼に
は忌まわしい過去の糾弾や弾劾の主
張はテレビでは醜く見え、若い世代
の 心 に は 届 か な い と 思 え る の だ。
人々は未来への希望と喜びを求めて
いるのだと確信する。 日間のキャ
ンペーンが始まるとレネの番組が
人々に強いインパクトを与え、与党
は次第に劣勢に立たされていく。
投票日。敗北を受け入れられない
ピノチェト将軍はクーデターを画策
していたといわれるが、空軍司令官
らの反発に遭って断念。首都サンテ
ィアゴには、勝利の大合唱がこだま
する。
あれから四半世紀。発展とともに
格差の拡大を生んだ社会を見据えな
がら、監督は、ひたすら利益を追求
す る 経 済 に 翻 弄 さ れ る「 い ま 」に つ
い て、深 く 思 慮 を め ぐ ら す よ う に 問
いかけているように思える。
チリの転換点
若き視点で捉え描く
©2012 Participant Media No Holdings,LLC.
東京ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開
NHKグローバルメディアサービス 元NHK
リオデジャネイロ支局長 江口 義孝
27
チリの独裁者ピノチェト将軍の姿
を間近に見たのは、軍の創立記念日
の取材の際であった。式典終了後に
私のすぐ近くを歩いて車に乗り込ん
だが、グレーの軍服姿で随分と恰幅
のいい体格が印象的だった。
チリ現代史での決定的な転換点
は、 年のアジェンデ社会主義政権
の誕生と、 年の国民投票でのピノ
88
チェト独裁政権の終焉である。
パブロ・ラライン監督は、与党の
圧倒的優勢とされていた国民投票に
向けて野党連合が展開したさまざま
な運動の中で、最も象徴的で影響力
の大きかったわずか 分間の深夜テ
レビキャンペーン番組に「光を当て
た 」。 主 人 公 レ ネ は、 売 れ っ 子 の コ
マーシャルディレクター。番組制作
に加わることを野党幹部から依頼さ
15
70
NO ノー(8.7)
「 ク ラ ス メ ー ト や 教 師 に は、 メ ー
ルで用件を伝える。学校に行っても
誰とも会話しない日がある」
。取材
で訪れた大学で聞いた話だ。電車の
中でスマートフォンや携帯メールの
画面に見入っているのは、大人だけ
ではない。個人情報保護法の名のも
と、
「 プ ラ イ バ シ ー」を 理 由 に 情 報
がブロックされる時代。中学や高校
「学校という塹壕」から出発
の学校現場でも教師と生徒の有機的
なつながりを築くのは難しくなって
いるかもしれない。スクリーンに映
し出された学園生活は、そんな日本
の現状とは異なり、人間的なにおい
を放っていた。
熱血漢の補助教員、年配の美術教
師、女性校長という3人の登場人物
と、思春期の生徒たちの群像劇。
代の感性はやはり豊かであり繊細
15 ⃝日本記者クラブ会報 2014.9.10 No.535
ローマの教室で
~我らの佳き日々~(7.30)
会員掲示 板
賛助会員の会
「中東を構造的に理解する」
企画委員の脇祐三会員(日本経済新聞コラム
ニスト)が、宗教や歴史からではなく、人口構
成や産業・経済の歪み、教育問題など社会の構
造的問題を切り口に、現在の中東を解説した。
出生率は下がっているが、それでも人口の増
加が続いている。そのため労働人口の増加に雇
用が追いつかない。
「エジプトでは大学を出て
も職がないため、大学に居続ける学生が増え、
カイロ大学の在学生は25万人。そのような社会
に居場所のない若者層が、テロ組織への人的供
給源になっている」
最後に中東理解へのヒント。
「中東の若者は
スターバックスでユーチューブを見ている。イ
スラムの特殊性を強調するより、日本人と同じ
カルチャーを共有しているという認識からスタ
ートすべき」
(河野聡)
【7.31⎝木)
宴会場/出席 29人】
マイBOOK
新しい OB 会員
おか だ
鉄道にみる大震災からの復旧と教
訓 東北新幹線や三陸鉄道が素早く
復旧した背景には、鉄道事業者の強
い意志とライバル会社を含めた鉄道
マンの献身、国民の熱い支持があっ
た。一方、気仙沼線や常磐線など津
波被災・原発事故線区は復旧の見通 東京新聞出版局
しが立っていない。大震災からの復 1600円(税別)
旧はまだ道半ばであり、多くの教訓を踏まえて、迫る
南海トラフ巨大地震と首都直下地震に備えよと訴え
ている。会員各位のご批評を乞う。
寄贈書
■真実の「わだつみ」
学徒兵 木村久夫の二通の遺書
(加古陽治編著)
いまだからこそ伝えたい戦争の真
実 戦没学徒の遺稿を集め、長く読
み継がれる『きけ わだつみのこえ』
。
その中でも特別な遺書として巻末に
掲載されている京大生・木村久夫の 東京新聞出版局
900円(税別)
遺書は、実はもう一通存在した。そ
れだけではない。
『わだつみ』の遺書は、2つの遺書
を合体させ、大幅に改変したものだった。本書は、
昭和史の常識を覆す東京新聞のスクープで明らかに
なった父親宛ての遺書と、田辺元『哲学通論』の余白
に書かれた遺書の全文を収録。記者による90枚の書
き下ろし原稿を加え、学問の道に生きようとした木村
の生涯と、木村が戦犯として処刑される原因となった
「カーニコバル島事件」
、遺書改変の真相に迫った。
政府が、戦後長く続いた平和主義を転換させよう
としているいまだからこそ、加工されていない木村の
生の声や背景にある事実を通じて、戦争の真実を知
ってほしい。
加古 陽治 東京新聞文化部長
1973年北海道新聞入社。東京駐在
論説委員、本社経済部長、専務取締
役総括などを経て6月退社。
東京駐在の論説委員時代から12年ぶり
の会員復帰です。この10年は取材執筆活
動から離れていたので、もう一勝負と思
っています。
小野 直路 1971年NHK入 局。 編 成 担 当 部 長、
お
の
なお じ
理事、
副会長などを務め、
現在、NHK
エンタープライズ特別経営主幹。
原点に立ち返り、科学分野を中心に最
新情報に触れつつ、今後の活動を模索し
たい。本クラブ所属がその基盤となるこ
とを期待している。
ご とう
ふみ お
1957年読売新聞入社。社会部長、
後藤 文生 編集局次長兼文化部長、常務取締
役事業局長など。広島テレビ放送
社長、会長を務め、現在、顧問。
新聞とテレビ、合計半世紀を超えるメ
ディア暮らしは少々疲れましたが、さび
かけた好奇心にもっと磨きをかけたいと
思っています。
マイPR
■甦る被災鉄道―東日本大震災を乗り越えて
大澤 賢(東京新聞出身)
みのる
岡田 実
みや たけ
ひさ よし
宮武 久佳 1984年共同通信入社。国際局、メ
ディア局勤務を経て2009年退社。
現在、東京理科大学教授。
大学教員(知的財産権)
です。共同通信
社に25年勤めました。
「ニュース現場」に
触れたいと思いました。よろしくお願い
します。
情報発信
■日本ジャーナリスト会議・JCJ賞贈賞式
優れたジャーナリズム活動や作品に対して贈って
いるJCJ賞の2014年度贈賞式が行われた。作家・ジ
ャーナリストの小中陽太郎氏による「通ったものは
仕方がないか? 憲法の危機とジャーナリストの責
任」の記念講演の後、以下の各氏・団体が表彰され
た。(8.9 10階ホール)
▷JCJ大賞 『論点明示報道』
( 東京新聞編集局)▷
JCJ賞 『避難弱者─あの日、福島原発間近の老人ホ
ームで何が起きたのか?』
(東洋経済新報・相川祐里
奈氏)、
「チェルノブイリから福島へ 未来への答案」
(日本テレビ同番組取材班)、特定秘密保護法・集団
的自衛権などの一連の報道活動(TBS報道特集)、
「
『ブラック企業』を社会問題化させた一連の追及キ
ャンペーン報道」
( しんぶん赤旗日曜版編集部)▷
JCJ賞特別賞 むのたけじ氏
■日本医師会定例記者懇話会
一般紙、業界紙誌の記者を対象として、日本医師会
の役員が講師となり隔月で勉強会を行っている。今回
は「社会保険診療における消費税問題」をテーマに開
催した。参加者は約25人。
(8.20 宴会場)
■放送人政治懇話会
テレビ・ラジオ局の現役・OBらが政治家を招き、
定期的に勉強会を行っている。8月は小野次郎結い
の党幹事長(8.20)
、加藤勝信内閣官房副長官(8.27)
をゲストに迎えた。
No.535 2014.9.10 日本記者クラブ会報 ⃝ 16
事 務局から
バー/レストラン
予約電話 和食
3503 2723 洋食 3503 2766
和食 長月懐石(10/3まで)
先付:鰯香梅煮ほか お椀:松茸土瓶蒸し お
造り:3点盛り 焼物:鮭西京焼き 煮物:蕪菊
花あんかけ 揚物:きのこ天ぷら 食事:松茸ご
飯 水菓子:季節の果物 グラス冷酒付き(税込
(板長:大井由光)
5,400円)
洋食 牛フィレ肉の和風焼きしゃぶコース(11/1まで)
カンパチのカルパッチョ サラダ仕立て、柿の冷
製クリームスープ、牛フィレ肉の薄切りソテー・
ポン酢ソース、栗入りカプチーノプリン、パン、
コーヒー付き(税込3,780円)。ランチ、
ディナー(土
曜日はランチのみ9階レストラン)
ともにご利用い
(シェフ:黒須修一)
ただけます。
福島のお酒 第4弾はこちら
和食レストランで2カ月ごとに福島県の日本酒を
提供しています。9月からは下記の3銘柄です。利
き酒セット(1,080円)
もどうぞ。
①廣戸川 純米吟醸(3,240円、松崎酒造)
②真実 吟醸
(3,240円、豊国酒造)③ならぬことはならぬもので
す 純米原酒(2,808円、ほまれ酒造)
(いずれも税込)
会員社ホール │イ│ベ│ン│ト│情│報│
浜離宮朝日ホール▶浜離宮ピアノ・セレクション チョ・ソンジン ピアノ・リサイタル パリを拠点
に世界的指揮者との共演が続く注目の若手ピアニス
ト、チョ・ソンジン。モーツァルトのソナタ、シュ
ーベルトの即興曲、バルトーク『野外にて』
、ショパ
ンのバラード第4番などを演奏します。
10/27(月)19時開演(5,000円)●問い合わせ:033267-9990●http://www.asahi-hall.jp
日経ホール▶セルゲイ・マーロフ(バイオリン)
&セ
ルゲイ・アントノフ(チェロ)
ソロ&デュオ・リサ
イタル 国籍も年齢も同じ2人の“セルゲイ”が互い
の超絶技巧を存分に響かせます。国際コンクール制
覇のソリストが織り成す競演をお聴き逃しなく。
10/8(水)18時半開演(3,500円)●問い合わせ:033943-7066●http://www.nikkei-hall.com
サントリーホール▶オペラ・アカデミー公演 ドニ
ゼッティ:愛の妙薬 ブルーローズ(小ホール)
なら
ではの歌手と聴衆との距離の近さが魅力の公演で
す。本シリーズおなじみの朝岡聡によるナビゲート
とともに、イタリアのベルカント・オペラの人気作
品をお楽しみください。
11/13( 木 )18時 半 開 演(5,000円 )● 問 い 合 わ せ:
0570-55-0017●http://suntory.jp/HALL/
王子ホール▶ジャン=ギアン・ケラス 常に多大な
期待に応えて数々のプロジェクトに挑んでくれるチ
ェリスト、ケラスのリサイタル。今回は7年ぶりに愛
器と共に無伴奏でバロックから現代までの道をたど
ります。近年熟成の時を迎えているケラスの真骨頂
をお聴きください。
9/30( 火 )19時 開 演(6,500円 )● 問 い 合 わ せ:033567-9990●http://www.ojihall.jp/
ロッカー内の荷物や傘を忘れていませんか
クラブのロッカーに荷物を置き忘れていませんか。
傘立てにも放置された傘があります。お心当たりの
方は早めにお持ち帰りください。事務局では9月末
に使用中のロッカーを開けさせていただき、荷物を
お預かりします。所有者不明の傘は処分します。
限られたスペースを会員の皆さまで有効にご利用
いただくためです。ご理解いただきますようお願い
いたします。
HP「私の取材余話」に投稿を
クラブのホームページに「会員エッセー」というペ
ージがあります。いくつかのシリーズに分かれてい
ますが、
「私の取材余話」はウェブ版「書いた話・書
かなかった話」です。先月は下記のように、村上吉
男(朝日新聞OB)
、吉村信亮(中日・東京新聞OB)両
会員から投稿いただきました。OB会員の取材の思い
出や、ベテラン記者のいまだから書ける“取材秘話”
が掲載されています。投稿をお待ちしています。
詳細は下記へお問い合わせください。
長谷川 電話 03-3503-2752
メール [email protected]
<法人会員代表変更>
札幌テレビ放送 小林裕孝代表取締役社長(旧・島
田洋一)
▷CBCテレビ 林尚樹代表取締役社長(旧・
大石幼一)
▷名古屋テレビ放送 横井正彦代表取締
役社長(旧・荒木高伸)
HP ➡ http://www.jnpc.or.jp/
9月の行事予定(9/4現在)
13:00 ~ 14:00 10階ホール
18㊍ 記者会見 エディー・ジョーンズ・ラクビー日本代表
ヘッドコーチ
14:00 ~ 15:15 10階ホール
26㊎ 研究会「成長戦略には何が必要か 現場からの視点」
⑪ 吉野直行・アジア開発銀行研究所所長
ホームページの「会見カレンダー」で、日時の変更なども含め、最新のクラ
ブ行事をお知らせしています。参加申し込みもカレンダーからできます。
クラブの電話 ダイヤルイン
☎3503
⃝洋食レストラン(10階)
☎3503
⃝貸室予約、宴会打ち合わせ ☎3503
⃝受 付
☎3503
⃝和食レストラン(9階)
会員現況
2723
2766
2724
2721
☎3503 2727
⃝経 理
☎3503 2728
⃝クラブ行事への申し込み
☎3503 2722
⃝会見申し込みアドレス [email protected]
⃝会員事務
⃝法人会員:136社 ⃝基本会員:751人 ⃝個人会員:1,397 人 ⃝法人・個人賛助会員:62社・141人 ⃝特別賛助会員:98 人 ⃝名誉・功労会員:12人 ⃝学生会員:44人
計:198 社・2,443 人
17 ⃝日本記者クラブ会報 2014.9.10 No.535
NEW!
■会見詳録 8 月のアップロード
●研究会「人口減少問題」② 鬼頭宏・上智大学教授
「人口安定へ『国の形』転換を」
(7.3)
●総会記念講演 五百旗頭真・前防衛大学校校長「歴
史の教訓と日本外交」
(5.28)
●研究会「日本発の研究は信頼回復できるか」① 山
崎茂明・愛知淑徳大学教授「STAP細胞論文のゆく
え Ethical filterとしてのAuthorship」
(5.23)
■会員エッセー 私の取材余話
●村上吉男会員(朝日新聞OB)情報戦 うら・おもて
(パート3)
「太平洋戦の末期 ソ連が日本に極秘情
報、なぜ?」
●吉村信亮会員(中日・東京新聞OB)
「天上の栄光と
地上の混迷と アポロ11号・月面初着陸の頃」
会報委員会
委員長=石川 一郎
委 員=荒田 茂夫 五十嵐 裕 大寺 廣幸
風間 晋 神田 由紀 北村 節子
佐塚 正樹 高橋 茂 長澤 孝昭
吉野 理佳
(事務局:長谷川和子 村田 茜)
☎03 3503 2752 FAX 03 3503 7271
写 真 回 廊
撮影:畦地 巧輝(中日新聞社写真部)
生きる知恵
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民学校の児童が亡くなった。空母から飛来したB
戦争、原爆、原発。戦後 年を前に、二度とあっ
てはならない過ちが胸をよぎる。疎開、防空壕、緊
日記』『入江相政日記』にも、帝都空襲の記述がある。
爆撃機が爆弾型焼夷弾を投下したのだ。『木戸幸一
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撃を受けた。早稲田中学の4年生と、葛飾・水元国
1分もしないうちに、突然、ドカーン! 生きた心
地がしなかった。開戦から4カ月で、東京は初の爆
国民学校1年生の1942(昭和 )年4月 日、
深川に空襲警報が発令され、机の下に身を伏せた。
17
年、英国ウェールズのトロースフィニッド原子
力発電所を取材した。原子力発電所のまわりには、
を学んでおくことが緊要であろう。
た人が多く助かっている。常日頃から、生きる知恵
急避難。どれも、国や自治体の指示と違う判断をし
70
27
(神田 秀一)
続け、最後は住民の力で廃炉に追い込んだ。
筆者は川崎市にあった研究用原子炉の近くに 年
間住んでいた。放射性物質が冷却水と共に川に流れ
壊防止」の研究にも、力を入れていた。
あ る 資 源 の 有 効 な 利 用 」と 原 発 な ど に よ る「 環 境 破
を実験していた。ローマ・クラブが提言した「限り
ウ ェ ー ル ズ で は「 代 替 エ ネ ル ギ ー 実 験 セ ン タ ー」
にも出かけた。太陽、水、風、地熱、海の波の利用
質の流入を調べていたのである。
魚を毎朝、チェックしている」と言った。放射性物
いくつかの池があった。発電所長は「池にいる淡水
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き
こう
ち
あぜ
福島第一原発事故から4回目の夏。一時帰宅すると、自分で切り開いた田んぼは背丈ほどもある草花に覆われていた
7月29日、福島県 尾村
No.535 2014.9.10 日本記者クラブ会報 ⃝ 18
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