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グローバリゼーションの現在形

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グローバリゼーションの現在形
名古屋学院大学論集 社会科学篇 第 45 巻 第 1 号(2008 年 7 月)
グローバリゼーションの現在形
― 21 世紀を展望する―
関 下 稔
までも考慮に入れると,さらに総合的で包括的
はじめに
なものになっていくだろう。そしてこれらをそ
今日では,グローバリゼーションという言葉
れぞれの分野の関心に応じて定義すれば,何通
は地球大に広がる世界の一体化を表す言葉とし
りものグローバリゼーションの定義が生まれて
て,違和感なく誰もが使う日常用語になってい
当然で,そうすると,細かく詮索すること自体
る。しかしその言葉を厳密に定義したり,その
が妥当かいなか,あるいはすべてのものを満足
内容を子細に検討したり,あるいは今日の事態
させられるような定義付けができるかどうかな
を表す端的なものとして,歴史的な文脈の中に
どとついつい考えてしまい,そこには気が遠く
きちんと位置づけて論じたり,その意味するも
なるような複雑な作業と検討が待ち受けている
のを包括的に深く分析,陳述するといった試み
からである。したがってあまり深入りせずに表
はあまり行われていないし,なされていても,
面的な現象の説明に終えておこうということに
ややもすると各自の狭い関心に引きつけてのみ
なってもおかしくはない。
論じていて,偏った見解の押し売りになってい
とはいえ,筆者のように現代世界をその歴史
たり,全体像とその内部でのそれぞれの相互関
的文脈の中に位置づけて,政治,経済,文化の
係が不明だったり,あるいは表面的な記述に
諸領域に跨って越・領域的に,かつ総体的―
終始していて深奥が窺い知れなかったりしてい
といってもせいぜいが社会科学的という範囲内
て,あまり成功しているようにも思われない。
であるが―に論じようとしているものにとっ
いわば非学問的で日常用語的な領域に祭り上げ
ては見過ごしておくわけにはいかない大事な課
られているかのようである。それはそれでこの
題である。そうしたこともあって,これまでに
問題を扱う際の一つの方向を示しているともい
も折に触れて筆者流のグローバリゼーション論
えよう。というのは,グローバリゼーションが
を論じてきた 。しかし現実のグローバル化の
世界の一体化を表すものである以上,そこには
過程(プロセス)はいわば現在進行形の形を
ヒト,モノ,カネ,情報などの諸要素の,国を
とってたえず進行しており,またとりわけ近年
超えた頻繁な移動が日常現象化し,したがって
それを強く推進してきた唯一の覇権国アメリカ
それは政治,経済,文化の諸領域に跨る複合的
流のグローバリズム―それを筆者は「パクス・
なものであるばかりでなく,さらには地球大で
アメリカニズム」と名付けている―の奔流と,
の気候の変動とその伝播,あるいは動物や昆虫
それにたいする反対の動きとしての,諸々のア
やそれらに媒介された植物の移動までをも含
ンチグローバリズムの形をとった抵抗と代替
む,自然界そのものの地球規模での生態の変動
(オールタナティブ)の動き―たとえばグロー
1)
― 73 ―
名古屋学院大学論集
カリズムやリージョナリズムやエスニシズムな
ムとグローカリズムとの対抗を基軸において考
ど―も一段と進んできており,そうした意味で
察し,概括的な展望を与えてまとめとしたい。
は時代の流れに沿ってこの問題はたえず見直し
ていくべきものである。そうした折りにたまた
ま大学内での研究会でグローバリゼーションに
1 .グローバリゼーション・グローバリ
ティ・グローバリズム:簡単な定義と
関して報告して欲しいとの依頼を受けたので,
関連性
現在の時点に立ってこれまでの筆者の考えを改
めて整理し直し,新たに追加すべき諸点なども
世界経済を主に研究対象としている筆者の専
加えて,過日概説的に論じてみた(名古屋学院
門領域に引きつけて考えてみると,グローバリ
大学商学部第39回教員合同研究会「グローバ
ゼーションとは,ヒト,モノ,カネ,情報と
リゼーションの現在形」2008年2月28日)
。そ
いった経済要素が近代を特徴付けてきた「国
こでは有意義な意見交換がなされて研究会は成
民国家」の境界を越えて頻繁に移動しはじめ
功を収めたので,これを論文の形にして残そう
た結果,国家主権の著しい後退や変容が生じ
と思いついた。本稿は当日会場で出された意見
て,
「国民経済」の自立性が著しく喪失されて
も参考にしながら,さらに検討を加えて,グ
いく過程であり,したがってそれをメダルの裏
ローバリゼーションの現在形についてまとめた
側から見れば,地球規模での世界の一体化が急
ものである。
速に形成されていく過程でもあることだとまと
そこで以下での展開の内容をあらかじめ示し
めることができる。ここで大事なことは,当面
ておくと,最初にグローバリゼーション,グ
は「国民国家」という世界経済を考える際のこ
ローバリティ,グローバリズムなど,さまざま
れまでの基礎単位の存立基盤が後退していくこ
に表現されている諸概念の整理と定義づけを
と,あるいはその実体の形骸化が急速に進行し
行い,次いでグローバル化が急速に進み出した
ていくことと,もう一つはこの過程が政治,経
第2次大戦後の資本主義と社会主義との体制間
済,文化の諸領域に跨る複合的な現象として展
の対抗の時代において,一方の西側世界の中心
開されているということである。こうした「国
軸を担った「覇権国」アメリカの役割とその
民経済」の自立性の喪失過程は「相互依存」世
力(パワー)の源泉とその行使の仕方の特徴を
界2)の出現として,1970年代から80年代にか
考察し,さらに他方の軸であったソ連・東欧に
けてしきりと強調された。その背後にはIMF
おける社会主義体制の崩壊と中国などにおける
で制度化された国際通貨ドルが支配的になる領
「社会主義市場経済」への方向転換という「ポ
域が現実の経済過程において格段に進展してい
スト冷戦」時代の到来を受けて,唯一の覇権国
き,各国国民通貨の持つ自主的な活動領域が著
―今や「帝国」という名称を冠されたりして
しく侵害され,通貨自主権が後退―というよ
いるが―として世界を睥睨するに至ったアメ
りも,圧倒的多くの国民通貨にとっては有名無
リカの変貌振りに関して総体的に考察する。最
実化―しだしたこと,そしてこのドルを使っ
後に「9.11」に始まる近年の激震のさまと,そ
たアメリカ企業の海外直接投資(FDI)と海外
れが今後どのように変化していくか,つまりは
生産,海外販売,さらにはアメリカの銀行によ
21世紀世界の将来像をパクス・アメリカニズ
る融資や決済までもが主にカナダ,メキシコな
― 74 ―
グローバリゼーションの現在形
どの近隣諸国から始まり,やがて西欧や日本と
先案内の役割をこの過程は果たしていたからで
いった先進諸国へと1960年代に奔流となって
ある。そしてこの相互依存世界ではFDIも一
3)
流れ出た―これを「アメリカの挑戦」 と呼ん
方的なものではないということから,これを国
だ―後,今度は1970年代から80年代にかけて
際直接投資(IDI)という概念で捉えることの
反転して西欧や日本などの先進諸国からのFDI
ほうが正確だし,また多国籍企業による海外生
を通じた企業の対米進出―ただしドルによる
産もこれを対外生産という一方的なものではな
―が急速に進み出した結果,事態は国民経済の
く,双方向的な国際生産として,そしてやがて
枠を超えた生産や流通や,さらには金融の世界
は一個の世界生産もしくはグローバル生産とし
的な一体化が,しかも双方向的に進行し始めた
て考えた方が妥当であることを含意するように
ことを表している。とはいえ,相互依存世界と
なった。そしてIDIの増大と企業の国際生産・
いう言葉が意味しようとしている,諸国家間の
グローバル生産の拡大は「国民経済」なるもの
対等,平等な関係の確立が現実に形成されてい
を一個のフィクションにしてしまうほどの強烈
くのではなく,事態はむしろ国際通貨ドルを利
なインパクトをもった。このことは,企業と国
用したアメリカ企業とその資本の優位性や優越
家との関係でいえば,前者の優位や前進を表す
性が厳然として存在していた。したがってそこ
4)
ものとして「危機に瀕する国家主権」
とか「国
に格差構造あるいは不比例的な関係を見いだす
5)
家の後退」
と形容されたりして,話題を呼ん
ことのほうが大事なことであり,この過程は戦
だ。もとより国を超えたヒト,モノ,カネ,情
後の世界の組織化と協調体制の促進を主導した
報の移動は今に始まったことではなく,始原を
アメリカによる,アメリカのためのアメリカ流
たどればギリシャ,ローマはおろか,さらに遠
グローバリズム,つまりはパクス・アメリカニ
くエジプトやメソポタミアなどの古代より存在
ズムの推進というもう一つの側面を合わせ持っ
していた,人類の本来的な志向を表すもので
ていたこと,その結果,世界経済の一体化は世
あったということは間違いではないだろう。そ
界が一つになる過程を意味しているが,それは
こからグローバリゼーションは古代より一路存
他ならぬアメリカによる組織化の下でのそれ
在していた人類の普遍的な傾向だとする論者も
―だからこそパクス・アメリカーナ(=アメリ
いる。しかしそうした,平坦に一路グローバル
カの主導下での世界の平和の達成と維持)なの
化が展開されてきたとするのでは現代における
だが―だという二重性を帯びていた。このこ
独特のグローバリゼーションの特徴を摘出する
とは極めて大事なポイントである。
ことはかえってできなくなる。われわれにとっ
しかしながら,アメリカからの一方的な進出
て大事なのは,現実に進行しているグローバル
ではなしに,欧・日からの対米進出が始まった
化の過程であり,それには資本の役割が極めて
ことは新たな時代の到来を予告するものでも
重要になる。その意味で言えば,
せいぜいが
「地
あった。それはやがてNIESをはじめとする途
理上の発見」といわれる15世紀末から16世紀
上国への先進国企業―特に製造業―の進出と
に始まる,近代に続く過程としてこれを見てい
そこでの企業間の激烈な競争,そして次にはそ
く歴史的限定化が必要になろう。
こからの反転として途上国企業の先進諸国への
一般的には不断に進行するグローバル化の
進出という双方向性をも予想させる,いわば水
過程はグローバリゼーションという言葉で表
― 75 ―
名古屋学院大学論集
現されることが多いが,グローバル化のプロセ
は投機マネーによる各国国民通貨の為替相場の
スはけっして平坦なものではなく,そこに自ず
攪乱や通貨危機の到来,さらには自己の経営方
と段階的な違いがある。そのことを表現するに
針中心の現地進出や撤退の繰り返しなど,例を
はグローバリティという言葉の方が適切であろ
挙げれば枚挙にいとまがないほどである。とは
う。たとえば企業のグローバル化の過程は一律
いえ,国民国家が存在する以上,多国籍企業の
ではなく段階的であり,それはナショナル(国
パワーが完全に国家のパワーを上回ることはな
内的)なものから出発して,対外進出の初期は
く,両者の間には熾烈な力のせめぎ合いが長い
二国間の関係としてのインターナショナル(国
間並存するのが常である。この段階を企業のト
際的)なものへ,そしてそれが次々と拡大して
ランスナショナルな段階と呼び,それは企業の
いくとマルチナショナル(多数の国へ)なもの
独自権力と排他的な意思決定のシステムが多国
へと進んでいき,そしてその結果,トランスナ
籍企業の内部にしっかりと確立されてくる段階
ショナル(国跨的もしくは国家横断的)な関係
だということができよう。その意味ではこれは
が出現して,やがては国籍を完全に離脱する
一つの質的な転換を画する段階である。
スーパーナショナルの段階にまで到達するだ
この様相をもう少し一般的に敷衍して述べ
6)
ろうと予想できる 。こうした過程をたどって
てみると,グローバル化の諸段階―つまりグ
次第に全面的かつ,より高次なものになってい
ローバリティーはその中心になる国境を越えた
くのだといえよう。そしてこの中のトランスナ
経済活動の中心手段の違いによって,以下のよ
ショナルな関係は企業と国家の関係がもっとも
うに細分することができる。①フェイズ1:貿
緊張する段階であり,企業による国家の超克が
易と通貨(外国為替)
,②フェイズ2:国際投
部分的に出現するので,上で述べたような「国
資と国際生産,③フェイズ3:知識・情報サー
家の後退」とか「危機に瀕する国家主権」といっ
ビス7)。まず国家の領域を超えて出て行くもの
た表現がその内容を示すものとして使われてき
はモノであり,それは貿易という形をとる。貿
た。したがってグローバル化が一つの転機にな
易は古くから存在する商品流通の形態だが,国
るのは,企業の活動が単に多数の国に行き渡る
民国家の成立と国民経済の確立はそれを資本主
という表面的で量的なことに留まらず,その結
義的な原理とシステムの中に包摂するようにな
果,国家横断的・国跨的な企業間関係(親会社
る。つまり資本主義的商品の流れとしては価値
―子会社間,子会社相互間,さらには企業間
法則の支配するところだが,諸国民経済の複合
提携を通じた国籍の異なる企業間の関係など)
体としての世界経済においては諸国民的価値と
が形成されて,企業が国家の規制の外側に独自
それらの調整された国際価値との両面を持つこ
の「王国」を築くようになるほどまでのパワー
とになる。たとえば,労賃も物価水準も貨幣価
を持つに至ること,つまりは「国家の権力(パ
値も利子率や利潤率も国ごとに異なる国民価値
ワー)
」を超えた「企業の権力(パワー)
」の出
と水準を持っている以上,為替相場での換算を
現を意味している。たとえば多国籍企業内の企
経ても商品の価値は二国間で同一ではない。こ
業内貿易によるトランスファープライスを使っ
うした国民価値と国際価値の二重性の存在は,
た恣意的な価格操作の横行やタックスヘイブン
現実の世界経済が諸国民経済の複合体として存
経由での税金逃れのための利益の隠蔽,あるい
在すること,したがって国内市場と世界市場と
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グローバリゼーションの現在形
では同じ商品が流通し,取引されていても,自
それと並んで海外直接投資(FDI)を通じて支
ずと一線を画するものが働いており,それを強
配的な株式を所有(持ち分所有)し,直接に経
要しているのが,国家権力とその行使―たと
営を担う方式,つまりは海外子会社を新設する
えば関税や補助金・助成金や行政指導などその
(=グリーンフィールド投資)か既存の現地企
他の非関税障壁―の存在であり,それらは国
業を買収して(=クロスボーダー M&A)自
家主権の自立性と呼ばれてきたものである。し
己の傘下に収め,そこを基軸にして現地での生
かしグローバル化の進展はこの国家主権の自立
産(国際生産)を展開するようになる。こうし
性を浸食していくことになった。多国籍製造企
たFDIは当初は鉱物資源や食糧資源,あるいは
業の出現と発展は企業内貿易を拡大し,これら
貿易・流通部門から始まったが,第二次大戦後
は内部化された市場での恣意的な取引と価格付
は本格的な海外での組み立て加工を行う製造業
けを意味し,国家の規制の外側にあるからであ
多国籍企業の活動が典型的になる。
そうなると,
る。そしてこのモノの移動はマネーによる決済
親会社と海外子会社,あるいは海外子会社相互
を必要事とする。それが為替手形を使った異な
間で原材料や部品(=中間財)や完成品の頻繁
る通貨間の決済である。そしてそれは二国間に
な移動が企業内国際取引として展開されるよう
跨る銀行間のコルレス関係の成立を前提にし
になる。そして国際生産は当初は少数の国から
て,形式的には輸出国建て通貨による決済が標
始まるが,やがて多数の国で展開されるように
準だが,戦前のロンドン国際金融市場の出現に
なり,そうすると親会社を軸に海外子会社を結
典型的なように,国際通貨―かつてならポン
ぶ独自の広範なネットワーク―多国籍企業の
ド,現在ならドル―による決済と多角的な決
企業内国際分業体制―が多重的・多層的に形
済網の形成が支配的になっていく。したがって
成・作動するようになる。そうすると,これは
ドルによる決済が普及していくことは,現実に
単なる在外生産を超えた国際生産,もっといえ
はドルの支配圏の拡大となって現れるし,そし
ば世界生産やグローバル生産の域にまで登り詰
てそれを扱う米銀の国際業務活動の拡大とやが
めることになり,それはグローバルな規模での
ては多国籍銀行化を促す大きな要因になる。
モノ,マネー,ヒト,情報のネットワークの構
次に,貿易の結果,貿易黒字国には余剰資金
築に至る。
―主に短期資金の形での―が蓄積されるよう
したがってフェイズ3は知識や情報の国際的
になる。その短期資金を長期資金に組成し直し
な移動と交流に行き着く。本来それらはヒトに
て,主に国際通貨建てでの海外投資にあてよう
よって媒介され,その秘匿が基本であったが,
とする企て―その反面では資本流入国におけ
今日ではインターネットとイントラネットの普
る資本不足―がなされるようになる。そこに
及によって,ヒトが媒介していなくても,広範
は資本輸出国と資本輸入国における利子率の格
に伝播されるようになった。もちろん技術や情
差が存在するからである。こうした国を超えた
報はそれ自体が企業間の競争の重要な要素を構
資本の移動は国内とは違ってさまざまなリスク
成するので,企業外へ漏らさずに企業内に秘匿
が存在するため,まずは単なる海外への資本参
されるのが基本であった。したがって国際間で
加という消極的で控え目な役割しかはたさない
は企業内のルートを通じて伝播される―企業
海外証券投資(FPI)からはじまり,やがては
内国際技術移転―のが基本である。しかし秘
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名古屋学院大学論集
匿のみしていると,相手企業がその技術を密か
らの大量移民が流れ込み,その国全体の状況と
に模倣・習得するか,あるいは新たにそれ以上
は異なる生活実態― 一種の浪費的,享楽的な
の技術の開発に成功すると,たちどころに秘匿
エンクレイブとしての巨大都市―を生んでい
していた自己の技術の陳腐化が生じる。そこで
る。しかし国籍条項は依然として大事で,合法
陳腐化する前に自己の技術を公開して,競争他
移民は制限され,多くは不法な移民の形をとっ
社あるいは後発企業に提供する―ライセンス
ていて,その結果治安や生存条件上の社会問題
契約による技術の貸与―ことが次善の策とし
―人権問題―が発生している。またこの移民の
ての新たな技術戦略として付け加わる。つまり
流れは労働集約的なサービス活動に留まらず,
技術の秘匿(stop)と伝播(go)の二正面戦略
IT技術や医療技術などの高度の技術集約的な
の展開である。そして最重要技術は秘匿し,国
サービス活動分野でも同時に進行している。と
際間で伝播するなら企業内に限定するというこ
はいえ,先進国で高学歴や高技術の習得に成功
とになり,二流の,すでに十分に採算をとった
した技術者,科学者などが常に先進国やその情
既成技術が進んで相手企業に提供される。そし
報中枢としてのグローバルシティに留まってい
てこのことを基軸にした技術上の支配―従属
るとは断定できず,やがては本国に帰国して新
関係の確立を目論むようになる。だから今日で
たに起業を起こしたり,あるいは技術の普及に
は巨大多国籍企業はこうした知的サービスの取
9)
努めるという「知能循環」とか「頭脳還流」
引からの収入が極めて重要な部分を占めるよう
と呼ばれる現象も次第に多くなってきている。
になり,また技術上の連携や一体化が企業間関
それは技術や科学や学問の世界的な普及,ある
係の大事な側面になるという意味で,多国籍製
意味では大衆化と民主化を進めることになり,
造企業というよりは多国籍知識集積体と呼ぶ方
それはグローバルな規模での人類の進歩に貢献
8)
がその内実を正確に表しているといえよう 。
することになる。そうなると,将来的には国籍
以上のことは今日の最新鋭技術の開発には国家
条項を維持し,厳しく制限された合法移民のみ
の技術戦略が絡んでおり,とりわけ軍事技術に
に限定するという政策は維持できなくなるだろ
関してはその性格が濃厚に付着するので,技術
う。このことは宗教的な連帯に基づく信者の国
の秘匿や伝播の選択には国家による許諾判定が
際移動と一体感を考えると,さらに現実味を帯
背後に控えていることが多い。それはとりわけ
びる。つまり信教,安全,生存などの人権の尊
冷戦対抗の時代にあっては対共産圏への武器や
重は国籍を超えた人類の普遍的な価値を構成し
技術の制限を企図したココムリストの存在とし
ていて,人間の移動の自由と安全保障こそが歴
て,西側企業の頭を悩ましたし,またそれを利
史的な必然だということになるからである10)。
用しようとした。
そしてこれらの後には,居ながらにしてグロー
かくして今日ではヒトの移動がもっとも遅れ
バル化の恩恵を味わえるフェイズ4の段階がや
ることになる。それは国民国家はヒトの管理を
がて到来するだろう。
もっとも重視しているからである。グローバル
これまでグローバリゼーションとグローバリ
化の進展は巨大な消費=情報中枢都市としての
ティについて論じてきたが,それを推進する
グローバルシティを生み出し,そこには世界
考えややり方という面で捉えれば,グローバ
中,とりわけ好条件での雇用を求める途上国か
リズムということになる。このグローバリズ
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グローバリゼーションの現在形
ムには大きく分けて二つの潮流がある。一つは
有の展開を必要とすること,このことは両者の
トップダウン的な上からの展開であり,今日で
間の矛盾なしには存続できない。そして資本主
はパクス・アメリカニズムとよばれる画一化や
義はその意味では合理的で合法則的で,一貫性
標準化が基本になるやり方である。もう一つは
をもったものでもない。したがって国民国家も
それとは対照的なボトムアップ型の下からのや
しくは国民経済の力量の判定はグローバル化が
り方で,それをグローカリズムとよび,そこで
進展するにつれて複雑になる。それをいくつか
は多様化や個性化が尊重される。こうした二つ
の指標によって計測しようとした際には,そこ
の潮流はグローバリゼーションの推進方法と考
には性格の違いが自ずと反映されてくる。まず
え方として,今日あらゆるところで角突き合っ
貿易だが,それは現時点での国民国家の力量の
ている。覇権国が主導する上からの画一的なグ
違いを反映しているので,現行指標(CI)と
ローバリゼーションの利点は効率性とスピード
呼ぶことができる。これに対して,技術は将来
にあるが,その有無をいわせぬ強引なやり方と
におけるその国の成長を反映しているので,い
勝者と敗者との間の著しい格差の出現は各地で
わば先行指標(FI)となる。第3に通貨は一度
衝突と摩擦となって現れている。他方,後者の
確立された優位性がその後も長いこと存続する
多様性の重視は民主的で柔軟であることが特徴
という意味で,これを遅行指標(DI)と見な
だが,反面,合意形成に時間がかかり,また複
すことができよう。そして第4にFDIは進出先
雑であるために必ずしも効率的でもないという
での生産活動の活発化によって,本国の空洞化
弱点を持っている。したがって現在ではまだそ
と進出国の経済成長が表裏一体となって展開さ
の勝敗の帰趨は明確になっていない。ただし途
れる,いわば逆転指標(RI)である11)。この結
中に紆余曲折があるにせよ,事態は二つの潮流
果,今日ではこれらの指標のいずれで測るかに
の交錯と対抗から,やがてはそれらの融合と接
よって,その国力は違ってくる。したがって国
合へと向かうだろう。そして人類は真の意味で
力を正確に判定することは極めて困難になり,
のグローバル化を実現し,その恩恵に浴するこ
それがグローバリゼーションの進展が「国民経
とになるだろう。それには各自の独自性や個性
済」を一個のフィクションにさせているという
の尊重を基本に据えた双方の歩み寄りやその自
ことの端的な意味合いである。
制心の発揮そして相互尊重の気風の中から,新
これまでグローバリゼーションに関して基本
しい共通の妥協物であり,同時に新造物である
的な特徴を定式化するような形で述べてきた
ものが作られていくことが大事で,それにはグ
が,グローバリゼーションには優位性と同時に
ローバルなレベルでのデモクラシー(多数者の
制約性もまた存在する。その制約性は第1に脆
権力)が最大の支えとなろう。その時には国民
弱性(vulnerability)である。世界が一つに繋
国家は解体し,一つの世界連邦か,あるいはい
がることは便利になると同時に,世界中のどこ
くつかの連邦のゆるやかな連合体が出現するこ
かで生じた小さなことがたちまちのうちに世界
とになろう。
中に伝播,波及することをもたらす。その結
さて資本主義の成長と発展は「国民性」と
果,世界はその影響を免れることができない。
「世界性」という二面を持つこと,あるいは国
たとえば,地震や津波やハリケーンなどの自然
内市場と世界市場の二重の場でのそれぞれの固
災害が世界のどこかで発生すると,そのことに
― 79 ―
名古屋学院大学論集
よって巨大多国籍企業の世界大での生産ライン
いる。したがって両者の間の調整を図ろうとす
を一時的に止めたり,遅滞させたりすることも
れば,相異なる―場合によっては対立し合う
ある。第2は敏感性(sensibility)である。と
―二つの概念・原理の共存を基本に据えた接合
りわけ金融や情報のグローバリゼーションの進
の論理と,そこからの新たな原理の創出が求め
展はちょっとした株価に関する情報やその変化
られるようになろう。
が全世界をたちまちのうちに駆け巡ることにな
グローバリゼーションの進展は他方において
る。とりわけ24時間休みなしに情報やマネー
政治,経済,文化に跨る多層的で多重的な複合
が世界中を駆け巡っている状況下では,地球の
的なものとして展開されるので,そのことはパ
裏側での出来事にも敏感に反応することにな
ワーの所在にも変化を与えることになる。この
る。それは利便性を高めることもあるが,世界
ことはパワーシフト12)として広く知られてい
がそうしたことに過度に敏感に反応することで
るところである。それによれば,軍事力(=
もある。そして第3に浮遊性(volatility)であ
武,F)中心から,資本主義の発展とともに経
る。とりわけ資本は気まぐれにあちこちを飛び
済力(=冨,W)中心へと移動し,さらにサー
回って,少しでも利益のあるところへと気軽に
ビス経済化の進展とともに,今日では文化(=
移動する。それは現実資本と貨幣資本の動きの
知,K)中心へとパワーの所在は変化してきて
乖離を拡大し,生産基盤の定着性を弱め,経済
いる。さてその結果はどうであろうか。文化中
全般を歪めることにもなる。かくしてこれらの
心のパワーの時代にあっては,イメージをめぐ
全体が意味するのは,資本による支配とはリス
る経済,政治との関係が表面に出てくるように
キーなものだということである。こうした特徴
なったと見ることができよう。したがって良好
は実は資本とグローバリゼーションとが合体す
なイメージをいかにして生み出すかが文化に留
ることによって生み出され,かつ強く促進され
まらず,政治でも経済でも大事な勝負所とな
るものであり,一言で言えば,好むと好まざる
る。それはイメージを仲立ちとして文化と経済
とに拘わらず,一蓮托生の世界,あるいは「宇
とが相互に浸透し合う関係,相互規定的な関係
宙船地球号」の乗組員としてわれわれはすべて
になることで,それはまた文化が経済観念と営
等しく乗り合わせることになる。したがってこ
利によって動かされるようになることでもあ
れらの危険(リスク)を回避するためのセーフ
り,あるいは経済活動に文化的価値が投影さ
ティネットをどう被せるかが,この時代におけ
れ,営利以外の人間の嗜好やファッション性や
る人類の新しい共通の課題となる。それは国民
好みや疑似体験や他者の誘導など,つまり一言
国家を至高の存在とみて,国家単位での政策決
で言えば,単なるサービスを超えた知的財産と
定や実施に内政不干渉の枠を嵌めることではな
総称される新たな価値がつけ加わり,それに
く,たとえ内政干渉になってでも人類の普遍的
よって支配される領域が拡大されることでもあ
価値を尊重するという新しいグローバリズムの
る。これは「経済の文化化」と「文化の経済化」
思想が待望されることである。そこでは博愛や
という言葉で表現されよう。同様のことは文化
連帯や互恵や相互主義といった価値が極めて大
と政治との関係でも,あるいは政治と経済との
事になろう。しかし現実にはその反対の敵対や
関係でも成立してくる(第1図)
。だから事態
憎悪や一人勝ちや自己中心主義が幅を利かせて
は単なるパワーシフトだけではない。そこには
― 80 ―
グローバリゼーションの現在形
第1図:A)パワーシフト
B)イメージの相互関係
武
(F)
文化
パワー
富(W)
イメージ
知
(K)
経済
政治
学際的で総合的で越・領域的な混合物が誕生し
13)
章」
であり,アメリカの参戦であり,戦争勝
ており,その総体を解明することが学問の新し
利であり,そしてポツダム宣言に盛られた戦後
い開拓領域とその課題となってわれわれに迫っ
世界の枠組み設定であった。アメリカとソ連は
てきている。
一見して対極―ホブズボームの言葉を借りれ
14)
ば「両極端」
―にあるが,民族主権の容認,
2 .第二次大戦後のグローバリゼーション
の進展:パクス・アメリカーナの第1
階梯から第2階梯へ
したがって植民地主義反対という点では共通点
を持ち,その結果,イギリス,フランス,オラ
ンダ等の植民地列強を置き去りにして戦後世界
の組織化の主導権を握ることができた。そして
第二次大戦後の世界を特徴づけてきた最大の
この両超大国は戦後の旧植民地の独立後,これ
ものは,アメリカを中心とする資本主義陣営と
ら新興独立国を自己の陣営に引き込もうとして
ソ連を中心とする社会主義陣営との体制間の対
猛烈な競い合いと対抗を行った。つまり植民地
抗である。そして資本主義陣営の組織化は,核
主義にかわる「覇権主義」に基づく組織化の原
兵器に代表される最強の軍事力と,世界の金
理が戦後の世界を覆うようになったのである。
準備の3分の2の保有に裏打ちされたドルの力
もっともパクス・ブリタニカも「覇権主義」の
と,そしてそれを支える世界一の生産力やその
一つには違いないが,その基礎は植民地領有に
裏付けとなる高度な先端技術の力と,さらに
あり,世界最大の植民地帝国とそれを基軸にし
はそれらによって享受されるいわゆる「アメリ
たスターリングブロックの存在こそがパクス・
カ的生活様式」の謳歌に象徴されるアメリカの
ブリタニカを支えた最大の要素であった。それ
卓越したパワーの所在にある。これはいうとこ
はまた「ウェストファリア体制」と呼ばれる
ろのパクス・アメリカーナの確立であり,両大
ヨーロッパで形成された主権国家群の横並び体
戦間の混沌とした時代を間に挟んで,イギリス
制の延長上に,植民地領有によって強化された
の世界(=パクス・ブリタニカ)からアメリカ
帝国主義列強として覇を競い合ったという時代
の世界(=パクス・アメリカーナ)への一大旋
背景に照応したものでもある。その意味では植
回,つまり覇権の交代を果たすことになった。
民地主義に基づく覇権体制だったといえよう。
その重要な契機になったのは,第二次大戦中の
それに対して,パクス・アメリカーナは体制間
1941年に米英間で取り交わされた「大西洋憲
対抗下での「独立の諸国家の体系」を基礎にし
― 81 ―
名古屋学院大学論集
た覇権体制,そしてソ連・東欧の解体と中国の
な選択ばかりでなく,それを推進するために一
「社会主義市場経済」化以後のポスト冷戦体制
党独裁―さらには個人独裁―と権威主義的な
下でグローバリゼーションが一段と進んでアメ
政治システムに依拠するか,それとも多党制と
リカが唯一の覇権国となると,さらにアメリカ
議会制民主主義を採用するかという政治システ
の独断専行が横行するその第2階梯へと進むよ
ム上の違いも未定で,それらは新興独立国の政
うになる。
治的独立を維持し,経済的自立を確立するため
ところでこの第二次大戦後の世界の組織化の
に厳しく突きつけられた選択課題であった。そ
基本的な原理はその後の分離・独立(インフラ
れは本来これらの新興独立国の国民が選択すべ
ナショナリズム)とその反対の統合(スープラ
き主権に属するものであるはずだったが,二大
ナショナリズム)という二方向への旧来の国民
超大国の対抗と包摂化という体制間対抗の枠組
国家の改編と解体の過程を領導する大きな要因
みの中では自由な選択肢は与えられておらず,
になり,現在に続く世界の流れの基礎を作った
事実上の強制以外の何者でもなかったので,自
ともいえよう。そのことはグローバリゼーショ
由主義陣営に入るか,社会主義陣営に属するか
ンを一段と進めることになった。もっとも今日
が鋭く問われた。
したがって独立がそのまま
「国
ではアメリカは唯一の覇権国として依然として
民国家」を生み出すことにはならなかった。そ
君臨しているが,ソ連は惨めにも解体してし
ればかりはなく,独立の主体である「民族」の
まって,かつての面影は今はない。むしろ中
形成そのものも大いに疑わしかった。とりわけ
国の方が「世界の工場」としてアメリカに対抗
アフリカでは列強の植民地がそのままの単位に
しうる力を示しているが,その力の基礎も推進
なって独立―そうした人為的・形式的な独立
動機もまだ旧来の国民国家のパワーと民族国家
をむしろ旧宗主国は意図的に誘導したきらいが
の枠組みに依拠していて,覇権の行使にまでは
ある―を遂げたところが多く,そこでは民族
至っていない。そのことは,この国の将来がグ
形成それ自体が未成熟なままに―部族間,種
ローバリゼーションの進展の中で覇権国の道を
族間,あるいは民族体間の調整が十分になされ
歩むのか,それともグローカリズムを基礎にし
ないままに―形式的に即製の独立に至ったも
た連帯と共生への道をたどるのか,未だ未定で
のが大多数で,国境線も直線で分断された,極
あることを示している。とはいえ,13億もの
めて異例で人為的な要素が濃厚に窺われるもの
人口を抱える国民国家なるものは歴史上初めて
が多い。したがってその後冷戦体制解体後のグ
のことであり,果たしてこれが単独の国民国家
ローバル化の進展に伴って,多数派部族・種
―実際には5つの民族自治区を抱えるソ連型の
族・民族体と少数のそれらとの間の,長い間潜
連邦国家なのだが―として存続しうるのかど
伏していた対立が表面化して,激烈な抗争が生
うかは疑問である。
まれたばかりでなく,悲惨な結末をもたらし
植民地体制の崩壊は独立の諸国家の体系を生
たところもでている15)。その意味ではこれは生
みだし,
「民族国家」を成立させた。しかしこ
まれたばかりの国家体制を表現する概念で,そ
の民族国家はまだ生まれたばかりのもので,そ
の将来はその国自身の国民の選択と国際状況
れが社会主義的な方向をとるか,それとも資本
に委ねられていたが,国民や民族そのものが未
主義と市場経済の方向に行くのかという体制的
成熟な段階ではその将来の自立性は危うい。し
― 82 ―
グローバリゼーションの現在形
かも今日では宗教上の理由もそれに加味されて
す武力闘争も米ソ間の代理戦争のような形をと
くる。そして米ソという二大核保有超大国の存
り,その他の地域紛争にも超大国間の核管理の
在はしばしばこれらの国の独立を形式的なもの
下で,通常兵器を使った闘争という枠組みが嵌
にし,実質的には事実上の従属国としてしまう
められた。なかでもベトナム戦争は最終的には
―あるいはそれを対途上国に限定して「新植
米軍の撤退という画期的な終焉を迎えた出来事
民地主義」ともいうが―ほどの強い影響力と
として,歴史に深く刻まれることとなった。と
16)
指導力を持った。その意味では「従属国」 と
はいえ,全体としては次第に「緊張緩和」
(デ
いう規定は植民地なき戦後世界における覇権国
タント)へ向かうことになるが,その過程でソ
の国民国家や民族国家支配に独特のものとして
連を中心とした社会主義体制内部での各国間の
注視する必要があるだろう。そのため個々の国
足並みの乱れが生じ,それは路線をめぐる問題
は単独ではその圧力に対抗できないので,積極
として,とりわけソ連と中国との間で激しくな
的な国々は国連の場などを使って非同盟諸国会
り,やがて「一枚岩」にひびが入るようになっ
議を立ち上げ,米ソいずれにも属さない「第三
た。その意味を社会主義の路線をめぐるイデオ
世界」を形成して,集団的な自立化を目指そう
ロギー的な争いだと見る向きもあったが,本質
としたり,先進国に対する交渉力を向上させた
的には民族国家間,国民国家間のナショナルな
り,あるいは先進国本意の国際システムへの果
利害対立が深部にあり,それがイデオロギー対
敢な挑戦をおこなったりした。その代表的なも
立の様相をとって現れたという方が正確だろ
のは国連の場でのUNCTAD(国連貿易開発会
う。その意味ではその基本規定を「社会主義国
議)の設立やそれに続くNIEO(新国際経済秩
民国家」ないしは「社会主義民族国家」のナ
序)宣言や「資源の恒久主権」宣言の承認であ
ショナルインタレスト(国益)と,
「社会主義
る。
覇権国」の覇権主義との間の利害対立・内紛と
戦後の米ソの核軍事力を中心とした対抗の
見る方がより適切である。その結果,その紐帯
様相は「熱戦」ではなく「冷戦」にその主要
は次第に弛むようになり,やがては解体へと進
な力点を置いている。その背後には核兵器そ
んでいく。
れ自体が持つ大量破壊兵器としての並外れた威
一方,資本主義陣営内でも,覇権国アメリカ
力とともに,世界の多くの人々が過去の苦い経
の主導下で,ガット,IMF,世界銀行などの国
験から二度と再び戦火に見舞われたくないとい
際機関を媒介にして,先進国間の協調体制が確
う厭戦,非戦,あるいはもっと積極的に反戦=
立されたが,その後,肝心のアメリカの経済力
平和の決意を固めたことにある。したがってそ
の後退によって,次第に再編を必要とするよう
こでは核兵器の管理と核軍縮が基本となる。核
になった。それはまずIMFで制度化された国
保有国で作る「核クラブ」は米,ソ,英,仏で
際通貨ドルの信用力の後退として現れ,アメリ
始まり,やがて中国へと拡大され,さらにイン
カの国際収支の赤字が続く中で,金とドルの交
ドが事実上それに付け加わったが,この核クラ
換比率に関わって,金騰貴とドル価値の下落問
ブの下での核兵器保有国の現状凍結ならびに核
題として,いわゆる「ドル危機」を生みだし,
軍縮と,とりわけ米ソ間の常時の相互査察と確
それは先進国を中心とする国際通貨危機に発展
認に基づく管理を基本にした。民族解放を目指
していった。しかし先進国の懸命な協力体制の
― 83 ―
名古屋学院大学論集
構築と対処方策の実施にもかかわらず,ドル危
アメリカの国民経済の力が衰えてくるにしたが
機は一向に収まらず,最終的には1973年につ
い,次第に経済力を増した先進国への負担の増
いに変動相場制へと移行することになった。こ
加要請と依存=寄生,そして自己の国益の露骨
のアメリカの国民国家としての力の後退は,ア
な押しつけへと変質するようになる。これは相
メリカ企業の多国籍化による国内生産基盤の停
手国との交渉にあたってはマルチラテラリズム
滞,つまりは「空洞化」と,軍事主導的な技術
からバイラテラリズムへとその主要なスタンス
開発の結果としてのアメリカの民生用技術の優
をシフトさせることにもなった。たとえば貿易
位性の後退,その反面としての日,欧の技術水
摩擦への対処として,ガットを活用するよりは
準の向上,そしてそのことに反映される諸国に
二国間の交渉によって相手国の譲歩を引き出す
おける生産水準の急成長―つまりは米と欧日
という手法を連発するようになる。それは日米
間の不均等な発展―を意味していたが,それが
貿易摩擦に典型的に現れている。そしてこれが
複雑なのは,そうした国民国家としてのアメリ
さらにユニラテラリズムへとエスカレートする
カの経済力の後退にも拘わらず,覇権国として
のが,冷戦体制崩壊後のアメリカ「単極」世界
のアメリカの世界的な影響力と支配力はかえっ
の出現後である。さてこれまでも述べてきた
て強大かつ深部に達するようになっていったこ
が,第二次大戦後に出現したパクス・アメリ
とである。さらに戦後の世界の高度成長を下支
カーナの世界はその主要なパワーの源泉を国際
えしてきた低廉かつ安定的な原油供給のメカ
通貨ドルと核兵器体系とアメリカ的生活様式の
ニズムが第4次中東戦争とそれに続く原油高騰
謳歌,そしてアメリカンデモクラシーの鼓吹に
によって崩壊し,その後は「スタグフレーショ
あるが,それを現実化すべく推進したものは,
ン」と呼ばれる物価高騰と不況に世界が悩まさ
経済的には対外援助,多国籍企業,多国籍銀行
れることになった。かくして先進資本主義諸国
の三段階の布陣とその活発な行動に象徴され
内の国民国家としての相対的な力関係の変化
る。つまりは世界をアメリカに似せて作り替え
と,従来型の国益に代わるグローバルな利害の
ること,
「世界のアメリカ化」とでも呼ぶべき
台頭は先進諸国内の絶え間ない調整を必然事に
ものがその核心であった。そして国際機関がそ
し,ここにサミットの開催(1975年)が始ま
の補完と制度保障の役割を果たし,アメリカの
るようになった。それは同時に経済的には米,
主導権の発揮(ヘゲモニー)の下で主要先進国
欧,日の三極体制と呼ばれるものの浮上をもた
による事実上の共同運営に委ねられ,合意形成
らすことにもなった。
がなされていった。それがパクス・アメリカー
以上を主要な内容にする第二次大戦後の体制
ナの原基形態であり,後に続くその変化から区
間対抗下でのアメリカの「覇権」体制は,その
別するために,ここではパクス・アメリカーナ
確立から展開にあたっては,その圧倒的な経済
の第1階梯と呼ぶことにする。この過程は一面
力,軍事力にも拘わらず,政治的には自制し
では開発を梃子にした途上国への影響力の行
て,先進国間の協調を基にしたアメリカのヘ
使,つまりは支配―従属関係を深めたばかり
ゲモニーをよく発揮することに主眼が置かれて
ではなく,たとえ先進国であっても「体制的従
いた。それはアメリカンデモクラシーの発揮と
属」の罠に嵌めることが可能になる。そのこと
して世界に広まっていったものである。その後
は日本においてよく該当するところである。そ
― 84 ―
グローバリゼーションの現在形
して石油のサウジアラビア,金の南アフリカ,
よる防御と保障,そして世界の調和のとれた発
中東におけるイスラエルなどが日本と並んでパ
展と貧困からの脱却と人類の共存・共生という
クス・アメリカーナ推進のための特別の役割を
夢は,残念ながら実現されていないばかりでな
果たしてきた。
く,事態は一層悪化すらしている。むしろそれ
この体制は 1991 年のソ連・東欧の崩壊と
は社会主義陣営という資本主義にとっての対抗
1979年に始まる中国の市場経済化への方向転
軸がなくなったことによって,資本はその本性
換とその深化,そしてそれらを契機に生み出さ
むき出しに傍若無人に,かつ気まぐれに闊歩
れた唯一の覇権国アメリカ「単極」体制の出現
し,世界の至る所であらゆる手段を講じて価値
によって,パクス・アメリカーナは第2階梯へ
増殖を重ね,肥大化し,その結果,勝者と敗者
と変貌を遂げるようになる。社会主義体制の崩
を際だたせて,著しい格差をグローバルな規模
壊と市場経済化への転換は,これらの国を今
で生み出している。したがって巨大企業間・資
や「移行経済国」という範疇で捉えることに
本間の熾烈な競争とその無慈悲な結末や,その
なったが,それは自由主義陣営にとって第2次
ことが背景になった資本主義国間の競争や対抗
大戦に続く偉大なる勝利であり,その結果,つ
を前面に押し出すことになり,それは「大競争
いに世界は一つに結ばれることになり,言葉の
17)
時代」
の到来と呼ばれるようになった。ここ
本来の意味でのグローバリゼーションが遠から
では自由や平等をめぐる資本主義と社会主義の
ず実現するようになるだろうと声高に喧伝され
優劣を問うこと以上の,われわれにとってもっ
た。しかし果たしてそうであろうか。現実の社
とも重要な生存や安全や人権の保障といった根
会主義体制が事実上の一党独裁とそれを支える
源的なものが問われていることで,市場と競争
強大な官僚システムの支配下で,人民の監視や
と企業と経営とを共通のベースにしたにして
消費―ファッションや趣味や娯楽も含めて―
も,どのシステムがそれらの課題に答える最良
の制限などの人間的自由の抑圧,悪名高き「社
のものかが問われてくる。その意味では,冷戦
会主義計画経済」の継続や体制維持のための軍
体制崩壊後の世界で問われているのは,体制的
事費の絶え間ない高負担,そして最新技術の開
な選択ではない。むしろもっと根源的なことで
発の遅れなど,倒れるべくして倒れた根拠を多
ある。それが21世紀を規定することになろう。
く持っていた。しかし資本主義側は諸手を挙げ
ところで冷戦体制の崩壊後,圧倒的な軍事力
た手放しの勝利に酔っていてよいのだろうか。
を確保し,折からのITブームによって連続し
それはこの勝利を資本の勝利と錯覚し,その結
て120 ヶ月もの長きにわたって,基礎的な経済
果資本の傍若無人な闊歩と営業の自由の絶対
指標の持続的な上昇に恵まれたアメリカは,唯
視をもたらし,
「資本の権力」の下でのグロー
一の覇権国として,また最大の経済力を誇示
バリゼーションをより一層進めることになっ
し,その繁栄を謳歌する国として,極めて突出
た。だがそれは大いなる歪みをもたらさざるを
した地位を占めるようになった。それはやがて
得ない。われわれがグローバリゼーションとい
18)
アメリカの「帝国」
化とでもいうべき事態を
うときに想定する,ヒト,モノ,マネー,情報
進めることになる。その主要な手段はドル,核
の世界大での移動自由と,そこからもたらされ
兵器,アメリカ的生活様式の中の,とりわけ最
るマイナスの要素に対するセーフティネットに
後のアメリカ的生活様式の謳歌と個人や企業の
― 85 ―
名古屋学院大学論集
自由の限度のない拡大化の要求―実は所得の
ズムなどの大量生産システムとなって現れたこ
稼得機会とその格差の存在の容認に他ならない
と,また機械の補修と部品調達を自国内で調達
のだが―を前面に押し出すことに主眼が置か
しなければならないため,部品の互換性を高め
れていた。それはポスト冷戦時代の新自由主義
るための標準化が当初から重視され,進んでい
の礼賛に端的に現れている。1980年代にアメ
たことなどによる。そしてインターネットに代
リカ国内経済が空洞化し,製造業の生産基盤を
表される「IT革命」の波に乗って,知的財産
失って競争力の弱体化に見舞われ,競争力強化
権を中心にした知識資本主義ともいうべき性格
のための的確な処方箋を歴代大統領は懸命に
をその中核に帯びるようになる。その優位性が
模索したが,結局は成功しなかったので―と
ブランド,グルメ,エンターテイメントなどを
いうのは,アメリカの競争力の弱体化は構造
享受できる一大消費ブームと結びついて,消費
的なものなので―,そうした製造業の自力で
の大衆化を生み出し,その成果を獲得すること
の復活を事実上断念して,1980年代後半から
が可能となった。しかもグローバル化の進展は
はサービス経済―それも知的財産権に代表さ
アメリカで生産しなくても,海外での低労働コ
れる「ニューサービス」中心―への道を模索
ストに依拠した生産システム―企業内国際分
するというもう一つの戦略を密かに取り始め
業にせよ,企業間提携にせよ―を採用し,ス
19)
た 。ガットを解消してWTOに改組するなか
タンダードと情報ネットワークを握ることに
に,GATS(サービス貿易に関する一般協定)
よって,指令をすることができる。そして世界
やTRIPs(知的所有権の貿易関連の側面に関す
中のヒトとマネーと生産と消費をネットワーク
る協定)などのサービス貿易に関する新しい国
で結びつけ,世界市場での販売を可能にした。
際的な基準を挿入する試みを成功させるととも
その結果,その頂点にアメリカとアメリカ企業
に,貿易政策においてはスーパー 301条という
が君臨することとなった。この新しい生産方
強硬な保護主義的報復手段を導入したが,それ
式はモジュラ―型生産システムとかオープン
と同時にサービス取引においても同様の手段を
アーキテクチャ型ビジネスモデルとか呼ばれ,
行使できるスペシャル301条を合わせて採用し
1990年代に,一大旋風を巻き起こした20)。そ
た。そしてサービス取引の拡大に努めた。それ
して今日では,巨大企業はグローバル化にうま
が花咲くのは1990年代に入ってからで,貿易
く乗るため,世界的に標準化された財の大量生
収支は引き続き大幅入超のままだったが,サー
産とともに,現地化や客層に合わせた個性豊か
ビス取引は逆に大幅の黒字を記録していき,
な財の提供とを組み合わせたマーケティング戦
1990年代後半には前者の赤字の4割近くを埋
略― STP中心の戦略的マーケティングーとい
め合わせる程にまでなった。したがって経済の
う二正面作戦をとるようになっている。
サービス化はアメリカの場合,企業にとってマ
このパクス・アメリカーナの第2階梯はアメ
イナス要因にはならず,むしろ代替効果を果た
リカの欲望を極限にまで進めることになり,ア
したというべきで,それはアメリカ経済のもと
メリカが正義の具現者として世界の不正を取り
もとの特質である,労働力不足のために移民を
締まるという驕慢な錯覚に陥ることにもなっ
積極的に受け入れるとともに,労働節約的な機
た。その結果,9.11に象徴されるように世界中
械の採用を進んで取り入れ,それがフォーディ
のテロリストたちの標的になり,今では世界で
― 86 ―
グローバリゼーションの現在形
もっとも危険な国の一つになっている。そのこ
周辺の単純労働的なものに細分され,この後者
とを説明するのに,文化を文明と読み替え,そ
に低所得層が集まり,さらに移民労働などがそ
の違いに基づく争いがいわば宿命のように覆い
こに集中していて,事態を一層複雑にしてい
21)
被さるというハンチントン流の文明史観
が
る22)。
横行するところとなった。新自由主義の後にネ
第2に資本移動面では,国際収支―とりわけ
オコンサーバティブがくるというのは一見する
貿易収支―赤字国が最大の海外投資国になっ
と辻褄が合わないように見えるが,個人と企業
ているという特異な様相が窺われる。その秘密
による無制限な自由の獲得という極端な主張
はなにか。それはドルが国際通貨であること,
は,その反面として,それに従わない,秩序を
ニューヨークが世界最大の国際金融センターで
乱すものには容赦ない制裁を加えるという反対
あること,そしてアメリカの金利が日本などよ
の極に容易に移動することになる。したがって
り高めに誘導されるという,政策金利のおかげ
アメリカはポスト冷戦期にこの両極端を揺れ動
などである。その結果,日本は貿易収支の黒字
いたことになる。違いは経済,とりわけマネー
で得た余剰資金をドルで対米投資し,今度はそ
の力に依拠するか,銃,したがって軍事に依拠
のドルを使ったアメリカの投資会社の対外投資
するかにあるに過ぎない。両者はともにアメリ
が増えている。このことはオイルマネーが膨大
カの強大な力を見せつける点においては変わり
に膨らんだ1970年代末より80年代にかけて同
がなく,したがって世界中の人々の耳目を聳た
様の現象があった。とりわけ,投資ファンドや
せ,眉を顰めさせ,そして猛烈な反発がやって
投資顧問会社の台頭は,アメリカを発信基地に
くることになった。
して,世界中の金融商品や物件を漁りまくると
それらの結果,パクス・アメリカーナの第2
いう一大金融ブームとその加熱がバブルを呼ぶ
階梯を彩る5つのパラドクスともいうべき様相
という事態を起こしている。
が現れるようになっている。まず第1は生産力
第3に「知財大国」アメリカと「世界の工
でいうと,国内経済の「空洞化」を犠牲にして
場」中国の併走というパラドクシカルな動きで
海外進出が進んだ結果,世界的には経済成長が
ある。アメリカのサービス経済化の進展は国内
達成され,世界の平準化作用が働くことになる
生産基盤を奪い,海外への生産の移転を促した
が,皮肉なことにそれはアメリカ国内の競争力
が,とりわけ,低賃金基盤を利用した中国での
を弱めることになる。このパラドクスはアメリ
モノ作りが1990年代以降,急速に進展した。
カの対外依存と寄生を深めることになり,アメ
しかもこの中国は自らの路線を「社会主義市場
リカはモノ作りをしない知的サービス大国に変
経済」と呼んでいて,共産党の事実上の一党独
貌する。それは雇用面にも反映され,知的サー
裁もやめていない。その結果,アメリカは知的
ビス労働に従事できない人々の失業と貧困化を
財産権の確保に重点を置き,モノ作りをやめて
生み出すばかりでなく,フリーエージェント社
も,莫大な利益を知財収入として得られる道を
会の到来と呼ばれる労働組合の解体と外注によ
見つけた。だが中国をはじめ,モノ作りの拠点
る一時的な雇用契約の蔓延は,さらに状況を悪
となっている国々もいつまでもその地位に甘ん
化させている。しかもこの知的サービスの内
じているわけではない。やがては経済の高度化
部にも中核となる高度な科学・技術労働とその
やサービス経済化への道を歩み始めたとき,世
― 87 ―
名古屋学院大学論集
界のモノ作りを担うのはどこで,またアメリカ
と,貨幣用金の大半を南アフリカに依存してい
はどこに脱出路を見つけ出すことができるだろ
ること,これらは戦後のアメリカの基本的な特
うか。
徴だった。さらにアメリカ国内経済がサービス
さらに世界中の資本と企業の草刈り場であり
経済化するにともなって,世界のモノ作りの拠
金城湯地となった中国の政治的安定性はどうで
点は「世界の工場」中国にシフトされるように
あろうか。共産党支配の下での「社会主義市場
なった。さらに軍事や金融において先進国への
経済化」
自体がひとつの矛盾である上に、
グロー
負担の増加を促したが,とりわけ日本への依存
バリゼーションの進展下で旧来のナショナリズ
は大きい。これらのことはアメリカの「対外依
ムを墨守しているかのようなマヌーバをとるこ
存」を深めているが,それはこれらの国―中
とに国民はいつまでついていくのか。地域間の
国を除いて―の「対米従属」を伴いながら進
格差は国家的統一性を維持できるだろうか。
んでいる。このパラドクスを解くことが最大の
第4に国内における民主主義の「後退」と世
課題である。
界的(特に途上国での)民主主義の「高揚」と
いうパラドクスの出現23)である。グローバリ
ゼーションが世界の民主主義を高揚させたこと
3.
「唯一の覇権国」アメリカの躓きとそ
の将来―結びに代えて―
は事実で,そのことが皮肉なことに,民主主義
のお膝元,アメリカにおいて民主主義がかえっ
紙数も尽きたので,最後に今後を展望した際
て後退してきている。それは2000年と2004年
のアメリカの躓きの石と課題について列記して
の大統領選挙の際の混乱と操作と政治的妥協
結びとしよう。第1にグローバル化における二
の中に端的に表れている。イメージ化され,マ
正面戦略として,これまでも述べたように,画
スメディアに先導され,選挙に群がる一大選挙
一化・標準化(世界化)と個性化・多様化(現
キャンペーンビジネスが跋扈する中で,かつま
地化)という両面での展開が求められているの
た政府・各州機関の強権的な事実上の干渉と相
に,アメリカの覇権体制はそれを上からの一方
まって,大統領選挙がショー化し,アメリカ国
的な画一的なやり方があたかも唯一な方法であ
民の民主主義的な選択と意見陳述の機会を弱め
るかのように振る舞ってきた。このことは,政
ている。
治的にいえば,アメリカの世界戦略と現地での
これらの結果,第5にアメリカの対外「依
ローカルな実施との整合性であり,現実には前
存」
(dependence)の増大と外国の対米「従属」
者に重きがおかれすぎて,後者での混乱とおお
(dependency)の深まりという二律背反的な動
いなる躓きとなっている。これは世界帝国アメ
向が一体となって進むようになった。グローバ
リカの宿痾ともいうべき病である。
リゼーションの進展は唯一の覇権国を誇示して
第2にドル離れである。1990年代にニュー
いるにも拘わらず,アメリカは経済的にも軍事
エコノミーの下,繁栄を謳歌したアメリカは
的にも自国内での完結性を維持できず,対外依
21世紀になるとともに,世界中での干渉戦争
存を深めていくことになるが,そのことはその
に追われ,折角取り戻した財政赤字の解消も瞬
相手国への影響力の行使を通じなければ実現で
く間に消えてなくなり,経済的な停滞に見舞わ
きない。原油供給の大本をサウジに依存するこ
れたばかりでなく,ユーロの堅調や中国の経常
― 88 ―
グローバリゼーションの現在形
収支の黒字拡大などによって,ドルの信用低下
展とアンチグローバリズムの試み」
『世界経済評
が進んでいる。こうしたドル離れに追い打ちを
論』2002 年 8 月号,
同『現代多国籍企業のグロー
かけるように,昨年来,サブプライムローンの
焦げ付きが表面化してきた。ドルの信用低下は
世界経済を揺すぶる大きな躓きの石である。そ
バル構造―国際直接投資・企業内貿易・子会社
利益の再投資―』文眞堂,2002 年,同『多国籍
企業の海外子会社と企業間提携』文眞堂,2006
年,関下稔,小林誠編『統合と分離の国際政治
れに加えて,中国が最大の金産国に登り詰めた
経済学』ナカニシヤ出版,2004 年,関下稔「
「越
こと,ロシアが世界最大の産油国になろうとし
境化」する国際経済学」
『山口経済学雑誌』55
ていることなど,パクス・アメリカーナの国際
巻 6 号,2007 年 3 月などにおいて,グローバリ
的枠組みは大いに動揺してきている。
ゼーションについて多少突っ込んだ検討と自分
第3に肝心のアメリカ国内での富裕層と貧困
層の二極分解が大いに進んだことである。アメ
なりの定義づけをおこなっている。
2 )ニクソン大統領から任命されて,来るべき 1970
年代のアメリカの新しい国際貿易投資政策を検
リカはこれまで性格の異なるさまざまな傾向を
討して,1971 年に報告書をまとめた国際貿易投
1つに統合するという離れ業をこなしてきた。
資政策委員会報告はそのものずばり『相互依存
しかしグローバル化の進展の中での今日の状
の世界における米国の国際経済政策』と題され
況,とりわけ貧富の極端な格差の定在はこれが
ている。竹内書店出版部監訳,竹内書店,1972
アメリカの混乱や崩壊や,あるいは変革の導火
年。
線にならないという確かな保障はない。同時に
アメリカにおける民主主義の後退は9.11以後,
監視制度の強化を生み出している。これが官僚
制の強化と言論の封殺にまでいたると,その将
3 )セルバン・シュレベールはこれをややセンセー
ショナルに「アメリカの挑戦」と呼び,それが
一般に流布して広がった。J. J. セルバン―シュ
レベール『アメリカの挑戦』林信太郎,吉崎英
男訳,ラフタイム社,1968 年。
4 )レイモンド・バーノン『多国籍企業の新展開』
来は暗い。
第4に核管理体制のひび割れや先進国の協調
体制の揺らぎである。イランやパキスタンや北
朝鮮など核クラブの外側にある国々の核保有や
核開発を完全には止められない。これはアメリ
カがヘゲモニーを発揮して国際協調を進めるの
ではなく,力に任せた強圧的な態度や問答無用
霍見芳浩訳,ダイヤモンド社,1973 年。
5 )スーザン・ストレンジ『国家の退場』桜井公人
訳,岩波書店,1998 年。なお,retreat に訳者
は「退場」という訳語をあてているが,筆者は
それに「後退」という言葉をあてたい。
6 )詳しくは関下稔『現代多国籍企業のグローバル
構造』前掲,第 2 章参照。
の行動をとることから生まれてきている側面が
7 )詳しくは関下稔『グローバリゼーションの今
強い。それは世界の平和の前進からほど遠い。
日』
,関下,小林編『統合と分離の国際政治経済
その時,アメリカ単極の世界に生きるか,それ
とも国連を中心にした合意形成に重きを置く
か,決断を下す必要があろう。
学』前掲,序章,参照。
8 )詳しくは関下稔『現代多国籍企業のグローバル
構造』前掲,参照。
9 )たとえば,アナリー・サクセニアンの『最新・
経済地理学』本山康之,星野岳穂監訳,日経 BP
社,2008 年などはその最新の成果である。
注
10)詳しくは関下稔「
「越境化」する国際経済学」
1 )たとえば,関下稔「グローバリゼーションの進
― 89 ―
前掲,参照。
名古屋学院大学論集
11)詳しくは関下稔
「グローバリゼーションの今日」
前掲,参照。
らの「帝国」概念は特定国に固着しない不定形
のネットワーク型のものだが―を批判的に検討
12)アルビン・トフラー『パワーシフト』上・下,
徳山二郎訳,中公文庫,1993 年。
した(注)16 の文献と,それに続く同「
「マル
チチュード」とは誰か,そして彼らはどこにい
13)この過程を両国間の交渉過程として描いたリ
るか― 21 世紀のグランドデザインを考える
(2)
チャード・N・ガードナー『国際通貨体制成立
―」
『 立命館国際研究 』20 巻 2 号,2007 年 12
史』村野孝,加瀬正一訳,東洋経済新報社,
月,を参照のこと。
1973 年がある。なおこれに関しては関下稔「国
19)詳細は関下稔『競争力強化と対日通商戦略―世
際経済システムとナショナル・インタレスト」
,
紀末アメリカの苦悩と再生―』青木書店,1996
日本国際経済学会編『IT 時代と国際経済システ
年,参照。
ム』第 10 章,有斐閣,2002 年で少し言及した。
20)IT 革命やそれが生産システムにおいて導いた変
14)ホブズボームは 20 世紀を 1917 年のロシア革
化に関しては関下稔,中川涼司編『IT の国際政
命から 1991 年のソ連の崩壊までと捉え,それ
治経済学』晃洋書房,2002 年,の第 1 章や,関
を「短い 20 世紀」 ― 反対に 1789 年のフラン
下稔,坂井昭夫編『アメリカ経済の変貌』
,同文
ス革命から 1917 年までを「長い 19 世紀」とし
舘,2000 年,第 1 章,において詳細に論じた。
た―と規定し,それを「極端な時代」
(Age of
Extremes)と名付けた。エリック・ホブズボー
ム『20 世紀の歴史―極端な時代―』
(上・下)
河合秀和訳,三省堂,1994 年。
21)サミュエル・ハンチントン『文明の衝突』鈴木
主税訳,集英社,1998 年。
22)この点ではアラン・バートン=ジョーンズ『知
識資本主義』野中郁次郎監訳,
日本経済新聞社,
15)この点ではマイケル・B・ブラウン『アフリカ
2001 年,は状況をうまく把握している。またグ
の選択』塩出美和子,佐倉洋訳,つげ書房新社,
ローバルシティでの移民労働に関してはサスキ
1999 年,に大いに啓発された。
ア・サッセン『グローバル空間の政治経済学―
16)第二次大戦後の世界における従属国という規定
の重要さに関しては,関下稔「21 世紀のグラン
都市・移民・情報化―』田淵太一,
原田太津男訳,
岩波書店,2004 年が出色である。
ドデザインを考える―「帝国」と「マルチチュー
23)エマニュエル・トッドは世界のアメリカへの依
ド」から見えるもの―(1)
」
『立命館国際研究』
存よりもアメリカの外国への依存のほうが増大
19 巻 2 号,2006 年 10 月,において少し立ち入っ
すること,ならびにアメリカが他国への干渉を
て論じた。
強めた結果,アメリカでの民主義の後退と世界
17)ミシェル・アルベール『資本主義対資本主義』
での民主主義の高揚という対照的なことが生じ
小池はるひ訳,久水宏之監修,竹内書店新社,
たとして,これを二重の逆転と呼んだ。
『帝国以
1992 年はそうした時代の変化を感受性豊かに描
後』石崎晴巳訳,藤原書店,2003 年参照。
(2008年4月30日脱稿)
いている。
18)
「帝国」に関してはネグリとハートの考え―彼
― 90 ―
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