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資料報告集
第4回北ブロック保健所合同
大阪府障がい者地域移行促進強化事業研修会
「地域暮らしっていいもんだ
~みんなで歩もう
退院への道~」
資料報告集
平成23年2月22日(火)
高槻市生涯学習センター
多目的ホール
【主催】北ブロック保健所(大阪府池田保健所、大阪府豊中保健所、大阪府
吹田保健所、大阪府茨木保健所、高槻市保健所)、財団法人精神障害者社会復
帰促進協会
は
じ
め
に
高槻市保健所長
杉田
隆博
精神科病院の社会的入院患者の退院を促進し、地域で自立した生活ができるように支援
する退院促進支援事業は、平成17年の厚生労働省調査報告等において地域の受入条件が
整えば退院できる人が全国でおよそ7万2千人に上るとされたことを踏まえ、平成18年
度に国が事業化し、平成20年度から全都道府県で実施することとなりました。
大阪府では国に先駆けて、平成11年に出された大阪府精神保健福祉審議会の「精神障
がい者の社会的入院は人権侵害であり、行政機関の責任である」との答申を受け、平成1
2年度から退院促進支援事業を実施しています。また平成19年度より、退院促進支援事
業の効果的な推進を図るために退院促進強化事業を開始したところですが、北摂ブロック
の保健所におきましても「北ブロック保健所合同退院促進強化事業研修会」と題して毎年
研修会を開催しております。その中で、専門家による講演、北摂ブロックにある医療機関
の先進的な取り組み報告等により、近年の動向及び貴重な経験やノウハウの共有化を図っ
て参りました。以降、各圏域において様々な取り組みが広まってきておりますことは、関
係機関の皆様の熱意の賜物であると存じ、心から敬意を表します。
今後も退院促進を取り巻く環境は様々に変化していくと思われ、地域の医療及び保健福
祉サービスの更なる充実とともに、退院後の生活を視野に入れた支援と関係機関間の連携
がますます望まれます。
本報告書は、多職種連携をテーマとして平成23年2月に開催いたしました研修会の内
容をまとめたものです。内容は、当事者の体験談、精神科病院の看護師及び精神保健福祉
士による退院促進支援の実践報告、退院促進支援における看護の役割についての講演に加
えて、新たな取組みとして実施した意見交換の4部構成となっております。
当研修会にご協力下さいました講師の方、当事者、報告者の皆様に心から御礼申し上げ
ますとともに、精神保健医療福祉の関係機関の皆様に少しでもご活用していただければ幸
いに存じます。
平成23年3月
目
次
開会あいさつ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1
高槻市保健所 所長 杉田 隆博 氏
第Ⅰ部
「地域暮らしっていいもんだ ~当事者からのメッセージ~」
・・・・・2
報告者:摂津市 清水 実 氏
田中 清 氏(相談支援事業所あしすと)
高槻市 保田 峰子 氏
角尾 美智子 氏(高槻地域生活援護寮)
第Ⅱ部
【病院からの退院促進支援実践報告】
「チーム医療の実践」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9
報告者:新阿武山病院 看護師長
本多 美香 氏
精神保健福祉士 奥村 朋子 氏
「退院困難と思われたが、地域サポートを受けて退院に結びついた事例」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 23
報告者:さわ病院
看護師長
日髙 敏文 氏
第Ⅲ部
【講演会】
「みんなで取り組む退院支援 ~看護から見えるもの~」
・・・・・・37
講師:京都大学医学部附属病院看護部管理室 井上 有美子 氏
第Ⅳ部
【意見交換】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・81
コーディネーター:京都大学医学部附属病院看護部管理室
井上 有美子 氏
パネラー:新阿武山病院 看護師長
本多 美香 氏
精神保健福祉士 奥村 朋子 氏
さわ病院
看護師長
日髙 敏文 氏
閉会あいさつ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 88
財団法人 精神障害者社会復帰促進協会 理事長 麻生 幸二 氏
開会あいさつ
高槻市保健所
所長
杉田
隆博
氏
「開会あいさつ」
い
高槻市保健所
(司会)
杉田
隆博
所長
いて社会的入院者の退院支援に取り組んで
定刻となりましたので、只今より第4
きました。平成18年には障害者自立支援
回北ブロック保健所合同大阪府障がい者地
法に基づきまして府の障害福祉計画を答申
域移行促進強化事業の研修会を始めさせて
し、社会的入院解消の数値目標を決め、努
いただきます。本日はお忙しい中、精神科
力してまいりました。
医療機関職員の方々、行政機関関係者の方、
日本の精神科病院の平均在院日数は非常
また精神保健福祉サービス従事者の方々等、
に長く、徳島県の600日を越えるのをト
たくさんの方においでいただき、誠にあり
ップに、非常に長くなっております。大阪
がとうございます。本日の司会を務めさせ
府の精神科在院日数は300日を切ってお
ていただきます高槻市保健所参事兼保健予
りまして、短い方の府県の4番以内に入っ
防課長の中川でございます。よろしくお願
ております。
いします。
昨年6月に平成21年度の精神科病院在
それでは開催にあたりまして、高槻市保
院患者地域移行調査報告書がまとめられま
健所所長杉田隆博より挨拶をさせていただ
したが、非常に難しい面も多々あります。
きます。
社会的入院者の地域移行を奨めるべく、本
研修会が開催されて4年目になりますが、
(杉田氏)
研修会では例年、退院支援における看護職
こんにちは。高槻市保健所所長の杉田で
の役割を中心に講演をいただき、支援が進
す。今日は入口のところに盆梅が飾ってあ
むように行っています。今年度は、看護職
るのをご覧になったり、匂いをかがれたり
を中心にいろんな職種が互いに得意分野を
されたでしょうか。高槻市では本日の会の
活かし、退院支援に取り組まれている実践
ために梅の花を咲かせて歓迎しております。
報告をいただき、地域移行を一層加速して
本日は忙しい中、ご参加いただき、誠にあ
いただければと思っています。
りがとうございます。
皆様のますますのご活躍とご健勝を祈念
皆様には、日頃より精神障害者社会復帰
いたしまして、開催の挨拶と代えさせてい
促進に熱心に取り組まれ、また温かいご協
ただきます。最後までよろしくお願いいた
力とご尽力を賜り、この場を借りてお礼申
します。
し上げます。
大阪府では、平成11年に精神保健福祉
審議会で「精神障がい者の地域生活支援の
システム作り」を答申し、平成12年度よ
り退院促進支援事業を開始し、各圏域にお
第Ⅰ部
「地域暮らしっていいもんだ
~当事者からのメッセージ~」
報告者:摂津市
高槻市
清水
実
氏
田中
清
氏(相談支援事業所あしすと)
保田
峰子
角尾
美智子
氏
氏(高槻地域生活援護寮)
「地域暮らしっていいもんだ
~当事者からのメッセージ~」
報告者:摂津市
田中
(司会)
清水
清
実
氏、
氏(相談支援事業所あしすと)
<携帯電話を持ったこと>
それでは、第Ⅰ部にうつりたいと思いま
それは昔の30年前とものすごく変わっ
す。まず、第Ⅰ部では「地域暮らしってい
ています。そして、初めて携帯を持った時
いもんだ~当事者からのメッセージ~」と
に復帰協の人と2人でドコモへ行き、初め
いうテーマのもと、お二人の方の体験談を
て0円ケータイを買いました。
お伝えします。発表者は、摂津市からは清
<夜にコンビニに行けること>
水さん、相談支援事業所あしすと田中さん、
コンビニで色々と安いものを買っています。
高槻市からは保田さん、高槻地域生活援護
<近所の人への気配り(洗濯機を回す時間)
寮角尾さんになります。よろしくお願いし
>
ます。
午前6時はまだ早いので、もうちょっと
経ってから洗濯をしています。
○ 「自由な時間が持てること」
(清水氏)
入院中のことを振り返ってみて
<自己紹介>
<不安だったこと>
清水実。58歳、独身です。
よそへ行く時、排便がいつ出るかわから
ないこともあり、不安でした。
退院してよかったこと、経験したこと
<一人暮らし>
一人暮らしの経験は初めてです。
<お金のこと>
今は 1 週間でお金をもらった中から色々
と安いものを見つける。あしすとの田中さ
友人があまりいませんでしたが、あしすと
んに協力してもらっています。
に通いだしてからだんだんと増えてきまし
<住むところのこと>
た。
ワンルームマンションでは、向かいのお
困ったが、復帰協の人とか、あしすとの
田中さんとかに助けてもらっています。住
ばちゃんくらいしか友人はいません。近所
むことを決めたワンルームマンションでは、
の友人がいません。
風呂とトイレと台所、冷蔵庫も付いていま
一人暮らしをするにあたって、兄が手づ
くりの木製ベッドを作ってくれました。
<自炊すること、片付けすること>
す。
<病院での食事について>
病院では、朝、昼、夕と決まった食事を
洗濯をしたり、自炊すると片付けがめん
食べていました。一人になって今はやっぱ
どうなのです。どうしても自分がしないと
り簡単なおかずとかの入った弁当を安いと
いけないのでやっています。
ころで買っています。自炊する時はやっぱ
り簡単なメニューの食材を買っています。
例えば、納豆、豆腐、レタス、タマゴなど。
1本が20円になるんですよ。6本吸えば
<入院中には色々なことがわからなかった
ジュースが飲めます。
こと>
住む家とかやっぱり友人をつくって楽し
僕は友達とか主治医の先生や看護師の人
にタバコをやめましたと言ったんです。
んだりすることです。遊び方については、
平成19年5月26日7時50分からや
あしすとでスカットボールをしたりしてい
めています。それまで2回やめようとして
ます。
やめられなかったのです。今回が3回目の
<退院して少しずつわかってきたこと>
挑戦です。頑張ろう・ザ・禁煙。1本吸う
30年の間にパソコンや家電製品が発達
していたことに驚きました。
と 40本くらい吸ってしまいます。注意注
意です。
そして、光愛病院で話をしたのは、茨木
清水実
病院での入退院を繰り返して長かったので
すが、看護師さんの中には少し気の短い人
もいたりしたのです。あまりそのような人
はいてないほうがいいのです。
さいごに
ニューロンの回路網を増加させること、
人間の大脳半球の表面には約140億の脳
患者としてはちょっとのことで心が
細胞が薄い層を成しています。
(ニューロン
「・・・・」と考えてしまい、すぐに悪い
とかシナプスとか右脳と左脳を合わせて第
ほうに考えてしまいます。退院をして両親
3の脳が天才をつくるものです。)
が亡くなり、住むところはあるのですが、
例えば、息を止めると血中の酸素が減少
こころの病の人と普通の人とを比べ、ここ
し、炭酸ガスが増加します。炭酸ガスの増
ろの病の人は神経質で世の中を渡るのが下
加は呼吸中枢を刺激し、肺の呼吸運動を促
手な人です。馬鹿正直とか間違ったことも
進し、心臓の脈拍を高めます。また、炭酸
嫌いで、ちょっとの事でこころが悪いほう
ガスの増加は脳の毛細血管の緊張を緩め、
に考えてしまうのです。それぞれが、自分
血管の内径を大きくして血液を増加させ、
が自分で苦しんだり幸せだったりですが、
神経細胞への酸素の量を多く送るように働
やっぱりこころがふさがってしまいます。
きます。次に血中の炭酸ガスの圧力が減少
こころの病の人はさみしがりやです。です
し、酸素が増加すると脳の毛細血管は自然
から友人をもつことです。それが一人二人
に収縮して血液を制限し、脳の神経細胞に
と増えていくと人生がばら色になるかもし
入ってくる酸素の量を制限します。
れません。こころの病の人たちも友人を作
賢い人よ凡人になれ。
ろう。ザ・ミラクルオブマインドパワーで
がんばろう。
あしすと「あなたをしあわせにするところ」
あと光愛病院でも同じ事を話したのです
が、タバコは悪いところばっかりですし、
今、摂津市でヘルパーさんに水曜日だけ
出来ればやめたほうがいいですよ。今現在
来てもらっています。1時間くらいです。
タバコは一箱410円ですが、タバコ1本
これで終わりたいと思います。
(田中氏)
しょうということでスタートしました。本
ご紹介いただきました、摂津の相談支援
人さんに後で振り返るとずっと昔のことは
事業所あしすとの田中と申します。よろし
お忘れなのかもしれませんが、病院が思っ
くお願いします。今、ご本人が退院されて
ておられるほど退院に対して危機感、抵抗
「自由な時間が持てること」とタイトルに
感があったということではないと本人さん
あるようにご本人の生活ぶりを端折ってご
はおっしゃっていました。退院はずっとし
紹介をしました。私からは退院に至るまで
たいと思っていたんだけれどもなかなか自
の経過を簡単にご紹介したいと思います。
信が持てなかった。心配なことも不安なこ
24歳の時に、34年前にはじめて入院さ
ともあった。お話の中でもありました一つ
れてから幾度か入退院を繰り返しておられ
は排便のこと、出かけ先で慌ててしまった
ました。
らどうしようということ。あと、退院した
平成5年に直近の入院をされ、退院はち
後の生活のお金の問題。これもご兄弟が全
ょうど1年前、トータル17年間の入院生
面的にバックアップしていただいた。迷惑
活になったわけです。平成5年に入院され
ばかりはかけられないしということで生活
てから4~5年経った時点でグループホー
やっていけるのかなという心配の二つの心
ムへの退院を目指そうかということで病院
配があり、なかなか踏み切れなかったとい
の方の退院促進支援ということでグループ
う中で時間が経過していきました。
ホームでの体験宿泊等も取り組んだのです
支援も本人さんのペースに合わせて止ま
が、
「眠れなかった」ということがあってな
る時は止まる。あまりはっきり「ノー」と
かなか本人の中ではうまくいかなかったと
言われない方なので、言語化された時、本
いう経験が残っておられた。以後に清水さ
人さんから「いやーちょっと」とブレーキ
んがこの事業に推薦される際に、病院から
がかかったときは、じっくりと本人さんの
はグループホームの体験のこともあってな
ペースに合わせて配慮しながらやっていこ
かなか退院を本人に勧めがたい雰囲気があ
うと1年と9ヶ月の支援をして昨年2月に
ったと、退院の話をすると「それはちょっ
退院になった。最終的なきっかけ、ご本人
とやめてください」と言うようなことで、
さんが退院をイメージできたのは生活保護
病状的にも生活力からすれば、彼はいつで
を受けながら生活できるんだとわかったこ
も退院できるのになぁという思いを持ちな
と、同じ患者さんで「退院した後の生活い
がらなかなか本人さんには退院の話をする
いよ」と聞いたことで自分も、という気持
ことができなかったという事情がありなが
になられたようです。そして同じ摂津にお
ら事業にあがってきました。
られた方、身近におられた方が退院して行
あまり例がないのですが、退院先の住所
った事が心強く思われたというきっかけで
地を明確にしないまま結果として摂津にな
昨年2月15日、ちょうど2年目に入られ
りましたが、摂津であるとか茨木であると
たところに退院されて、ご本人さんがお話
かは明確にしないままじっくりと本人さん
されたような生活、自由な時間が持てて、
のペースに合わせて慎重に支援していきま
あしすとをあんな風に言っていただくなん
て非常に光栄なのですが、
「あなたを幸せに
するところ」なんてとても恥ずかしくて…
なのですが、そんなところに来ながら今、
ご本人さんがお話されたような生活ぶりを
ポツポツと穏やかに過ごされています。
(清水氏)
最後に一言。
あまり緊張はしていません。中学時代に
はボンネットバスで相手を見ながら座るん
です。
向かい同士に顔が合うから、中学時代は
赤面症にかかっていました。住友電工に入
ったときにはなくなりました。
どうも長い時間ありがとうございました。
これで終わりたいと思います。
「地域暮らしっていいもんだ
~当事者からのメッセージ~」
報告者:高槻市
角尾
保田
美智子
峰子
氏、
氏(高槻地域生活援護寮)
(保田氏)
入寮してからも、いつ病院からお迎えが来
入院生活から地域へ
てもいいように、病院の生活リズム、
(例え
私は9年間の入院で次第に病院内の売店
に行っても、部屋の中にいても、24時間
ば、薬や食事や風呂など)で生活していま
した。
いじめ、暴力、盗難等があり、整形外科に
他人が「入院するかも」と言っても「私
も大怪我させられて行ったこともありまし
もかなぁ…」と思って引きこもってしまい
た。その全てが9年間の入院生活中に被害
ました。幸い、寮は個室で鍵がかかるし、
を体が覚えていく様になり、加害を思い出
勝手に入ってきたりする人もいませんので
させる言動があると次第に恐怖とパニック
安心でしたし、寮の私の係りのケースワー
を引き起こすようになり、それでベッドに
カーさん(今日、隣席して下さっているこ
カーテンをして引きこもる日々が続きまし
の方なんですが)はもちろん、他のスタッ
た。俗に言う「おこもりさん生活」をして
フの方々もいつも相談に乗ってくれて、し
ゆくようになり、スタッフとマンツーマン
かもその時の内容まで覚えて下さるので、
ですなわち同伴でどこへでも、病院内外で
私も「これは再入院違うな」とか「退寮し
もスタッフのガードとフォローをしてもら
て一人暮らしの準備したほうがええで。」と
いつつ暮らしてゆくようになりました。だ
思いました。こんなに相談に乗ってくれて、
から今、生活している援護寮へも同伴で数
本音で話しあっている間にわかってくる様
回体験を重ねている間に知らないところで
になってゆきました。
退院させられることが決まってしまってい
てそこでパニックになりました。と言うの
も「あんな所へ行ったら一生帰られへん」
地域でできること
次第に恐る恐る市バスや JR、アルプラザ、
の噂があったからです。そんな中8月4日
ダイエー、マンダイ、関西スーパー、市役
に退院させられる事になり、突然荷造りを
所…へと一人で行けたときも生じてきて、
したのでした。
歩くときも座っている時も床や道ばかり見
入院中よく行っていたダイエー、援護寮、
て移動していた私が、景色や他の人を見れ
マンダイにも同伴してもらっていました。
る時が生まれ、今は「一人暮らしを援護寮
入寮して1年くらいは今よりパニックにな
のある近所に家を借りて…」とかの話もあ
ったり「ソー、ハー」となったりしては頓
ります。
服を常に携帯して1日6包までの処方で足
りない日もありました。
「地域の中でできる事を今からしとこ
…」と毎日いろいろと(私にとっては大仕
事なんですが)計画を立てたりして、外食、
援護寮入寮して
買い食い、毎日シャワー、自炊…などなど
様々に頑張っています。
良い年輪をいっぱい重ねてこれからの人生
すなわち今日このホールでスピーチする
にかけてみようかなと前向きに…でも大丈
のもひとつのチャレンジで、今までに関わ
夫かな?と、思いつつ皆様の見守りや支援
ってくださった、または今も関わって下さ
の中、今、私が私にしてあげられる事から
っている病院、寮、センター地域の方々へ
チャレンジしてゆければいいなぁと、ドキ
の私のできる恩返しにと「これからもよろ
ドキしながら思っています。最後に「こわ
しく」の思いをこめて…です。
かった」でも「ありがとうみなさん」
「これ
今一つ、引越し荷造り用のダンボールと
か細かい事をいろいろとまた一人で考えて
からも頼みます」。
ご清聴ありがとうございました。
は不安になって(担当のPSWや寮の方々、
病院のスタッフに言ったりしていますが)、
でもまた「頑張らねば…」と思い直したり
していろいろある日々です。
(角尾氏)
今、援護寮で保田さんを担当しています、
角尾です。保田さんは新阿武山病院には9
退寮しても相談に乗ってくれそうだし、
年の入院なのですが、その他の病院を合わ
少しホッとしています。本当に親身になっ
せると大体30年くらい入院していた方な
て相談に乗って下さるので感謝でいっぱい
んですね。援護寮に入ってきてからは、1
です。また時には、SSTを開いて下さっ
年半になるんですけれどもその間の7ヶ月
たりして教えて下さるので、少しは不安が
くらいはいつ病院からお迎えが来るんじゃ
中位になったかなぁという今です。
ないかとか、入院しなさいと言われるんじ
ゃないかと思って地域にせっかく戻って来
自分らしさを出していく
今まで他人に悩みを相談したことのない
られたのに、地域に慣れない様に努力をさ
れてこられた方なんですね。
私。すべて「一人でやらねば…」と仕込ま
なので、入寮して1年ぐらいの間にどん
れてきた中で、甘えることも相談すること
どん地域に慣れてこられたんですけれども、
も下手な私。変な所で遠慮したり喜ばれる
今こうして体験談を話せるところまですご
と思ってしたことが怒りに触れた事もあり、
く力をつけてきたということに、私はずっ
まだまだ突っ張り人生の後遺症が今ぐさっ
とそばで1年半見てきたのですごく保田さ
ときています。
んの力というものをものすごく今日は感じ
もっと自分らしく。本音の自分を探しつ
つ寮とセンターと病院と地域の方々の支援
ています。
もともと力のあった方なんですけれども、
の中で一つずつベールをはぐように脱皮し
こんな風に力を発揮できるようになったの
て成長していければいいな、いや絶対本当
は地域というものの大きな力なのではない
の自分になりたい。見守り続けてほしい(引
のかなと思っています。援護寮は2年しか
越し、家探し等々心配はあるけれど)と芽
いられないのでこれからは退寮に向けての
が膨らみかけています。
支援になっていくのですが、保田さんは不
私ももう55歳。バウムクーヘンの様に
安を拾い集めるのがとても得意な方ですが、
そうではなくて日々の暮らし、生きている
ことをもっと楽しんでほしいと思っていま
すし、幸せになってほしいと心から思って
います。保田さんは自分の体験を話すこと
で、誰かの何かの役に立ったらいいなと
常々思っている方なので今日こういう機会
を与えられたことを保田さんだけでなく私
も本当に感謝しています。今日は本当にあ
りがとうございました。
第Ⅱ部
【病院からの退院促進支援実践報告】
「チーム医療の実践」
報告者:新阿武山病院
看護師長
本多
美香
氏
精神保健福祉士
奥村
朋子
氏
「退院困難と思われたが、地域サポートを受けて退院に結
びついた事例」
報告者:さわ病院
看護師長
日髙
敏文
氏
「チーム医療の実践」
報告者:新阿武山病院
(司会)
看護師長
本多
美香
氏
精神保健福祉士
奥村
朋子
氏
なども3か所もっております。病院の位置
続いて第Ⅱ部に移らせていただきます。
ですけれども、今高槻にいらっしゃいます
退院促進支援の実践報告をしていただきま
けれども、ここから山の方まで向かってい
す。
ただいたら20分くらいかかるかな、とい
まず、新阿武山病院看護師長の本多さん
うところにあります。とても環境のいいと
と医療福祉相談室の奥村さんから「チーム
ころにあります。高台にありますのですご
医療の実践」というテーマでご報告いただ
い夜景がきれいです。
きます。次に、さわ病院の看護師長の日高
さんから「退院困難と思われたが、地域サ
患者の回復について
ポートを受けて退院に結びついた事例」と
そうしましたら本題に移ります。回復の
いうテーマでご報告いただきます。よろし
とらえ方として、今回はテーマを上げさせ
くお願いします。
ていただきました。まず、12年前の患者
さんの姿ということですけれども、なぜ1
(本多氏)
2年前かといいますと、私が入職したのが
みなさんこんにちは。今日はお忙しい中
ちょうど12年前なんですね。その時に感
お集まりいただきありがとうございます。
じたことなんです。それが、とても患者さ
新阿武山病院の療養病棟で看護長をして
おります本多と申します。
んは静かである。そしてとても従順である。
そして無為自閉、
(というのは昔よく聞かれ
これから「チーム医療の実践」というこ
たと思うのですが、)お部屋からほとんど出
とで話をさせていただきたいと思いますの
てこない。そういう患者さんの姿を目の当
で、よろしくお願いします。
たりにしました。
それから12年経ちまして、現在です。
新阿武山病院の概要
まず、新阿武山病院の概要を簡単に説明
現在の患者さんの姿ですが、静かだったの
が、ほんとに言いたいことが言えるような
させていただきます。
患者さんがいっぱい増えました。従順だっ
精神科の急性期病棟、精神科一般病棟、精
たのが、こちらが患者さんが納得するまで
神療養病棟あわせまして精神科だけで17
話をしないと聞いてくれない、そこまでき
0床、それ以外に認知症の治療病棟とアル
っちりとした答えを求めてくる患者さんが
コール病棟の方もあり、合計で290床あ
増えてきました。無為だったのが活発にな
ります。
り、自閉だったのが、
(今は)ほとんどの方
大規模デイケア50人、小規模デイケア2
が部屋にいません。私は今、開放病棟にい
0人という形で、その他にグループホーム
るのですが、10時を過ぎるとほとんどの
患者さんがお部屋にいらっしゃいません。
ら思われるようになりました。そういうこ
外に出てとても日差しを楽しんでおられま
とで、集団精神療法が充実してきたと思い
す。という感じでやっていっています。
ます。その中には、SST(ソーシャルス
キルズトレーニング)、疾病教育、またはO
入院患者を取り巻く現状について
Tの方での作業療法の充実ということをし
じゃあ、
「この10年間で何が起こったの
てきました。その中ですべての職種がかか
か」
「何があったのか」ということです。ま
わってチーム医療の確立ができてきたと思
ずは一番大きいこととしましては新薬の開
っています。
発です。新しい薬がどんどん出てきました。
この10年間で新薬というものが現在6~
回復のとらえ方
7種類まで増えてきています。当院ではも
患者における回復とはどのようなことま
ともとが、抗精神病薬という昔の薬の量が
でをいうのだろう、ということをこの時に
少なかったということもあり、スイッチン
感じました。ここで感じたことは、やはり
グしやすかったんですね。で、新薬が出た
症状を持ちながらでも、幻覚、妄想、幻聴
時にどんどん先生たちも我先にと、患者さ
が聞こえる、でも幻聴を幻聴として自分で
んが良くなるのであれば、元気になるので
とらえている、自分から幻聴が聞こえたら
あれば、どんどん変えていこうじゃないか
お薬を飲むことができる、そういう症状を
という風に変わってきました。主治医から
持ちながらでも病院から退院していくこと
まず看護師に説明があるんですね。
「この人
ができる、様々な場所で、生活できること。
をこういう薬に変えたいから、症状を見て
全てが回復するのではないんですね。すべ
おいてほしい。どういう風な症状が出るか
ての症状がなくなるわけではない。症状を
は現段階ではわからないから、まずは症状
持ちながらでも地域で生活ができるという
の変化を見ておいてほしい。それをまず、
こと。
最低3か月はみてほしい。」ということを言
時には人の手を借りながら、また仲間た
われました。そういうことでスタッフの方
ちとともに生活が営めること。これはグル
は、やはり患者さんが元気になるのはとて
ープホームの方でも、みんなで「仲間たち
も嬉しいことですので、そこをきっちりと
がいれば安心するよ。」とか、訪問看護の人
見ていきました。それは症状が再燃化して
たちが行った時に「お薬が飲めていますか」
いるのか、それとも患者さんが元気になっ
「体調どうですか」
「今何か困ったことあり
て、先ほど言ったように、言いたいことを
ませんか」そういうことを人の手を借りな
言えるようになってきているのかという、
がら自分たちが地域で生活できる。
その見極めということでスタッフの方も勉
そして最後に「自主的に健康管理ができ
強していかないとついていけないような状
ること。」ですね。後ででてきますが、スポ
況した。
ーツ精神医療ということを当院は推奨して
それに伴いまして患者さんたちが、やは
います。その中で、自主的に健康管理がで
り病気のことをもっと知りたいとご自分か
きることは“コンプライアンス”から“ア
ドヒアランス”へ、という風に言われてい
えました。そのためには安心して信頼でき
ますが、医者から「飲んでください」と言
る関係づくりがないと、それは患者さんと
われたお薬ではなく、自分たちから健康に
スタッフが一緒になって考えていかなけれ
スポーツができるようになるために、自分
ばいけないことなんですね。こちらからの
たちの健康管理は自分でしなければならな
一方的な働きかけでは無理だと思います。
いという風にちゃんと考えられるようにな
先ほど当事者発表でお話しされた保田さ
ったんですね。それが、患者さんにおける
んもそうなんですが、本当に安心して信頼
回復であると考えています。
できる関係(があったんです)。保田さんは
「退院させられました」と言われていまし
看護師ができること
そして、それに対して私たち看護師にで
きることを考えさせてもらいました。
たが、確かにそうなんですね。それはこち
らの愛情なんですね。
「愛情を持って退院を
していただきました。」ということです。そ
まずは、入院によりしなくてすむことや
れも、その時にいたスタッフがとてもパワ
忘れてしまっていることにスタッフが気づ
ーのある方で、その中でパワーを持ちなが
くことがまず一つの問題だと思っています。
ら「あんたもうそんな全部できるやんか、
入院したら3食昼寝つきになるんですね。
なんでここにいるねん。
」という話をしたん
これは一人で生活してこられた患者さんに
ですね。その時に、やはりその人が信頼し
とっては楽なことになるんですね。お食事
ているからこそ保田さん自身も看護師もそ
は3度3度、こちらから提供します。寝る
こで安心して信頼関係づくりができたと思
ときには寝てもいいです。この時間は作業
います。それで退院の方もうまくいきまし
療法があるので作業療法に参加してもらっ
た。
てもいいですし、ご自分で散歩してもらっ
失敗も何回もあります。その時にうまく
てもいいです。そんな風に、自分の好きな
いかなくて外出ができなかったりとか、体
ように、自分の好きなことだけができると
調が悪くなって外出ができなくなったり、
いうことですね。だから食事の用意を自分
妄想がきつくなって外出先から急きょ帰っ
でしなくなってしまうんですね。あと、布
てきたりという失敗もあるんですが、それ
団の上げ下げもしなくてもいいし、掃除も
は成功につながるというチャンスというこ
ヘルパーさんがやってくれるし、というよ
とで、私たちは失敗として捉えないことに
うな感じで、そういうことが、患者さんと
しました。
いうのは入院したら、特に長期の患者さん
そして、何事もあきらめない。1回失敗
達はどんどん忘れていってしまうんです。
したからといってあきらめたらそこで終わ
自分で生活してきたのに、最初は覚えてい
りなんですよね。ですから、いつまでもそ
ても、長期になるにつれて楽な方に流れて
こを持続していくという、持続力を持つこ
しまうということがありました。
と、そしてあきらめないということを付け
そこで、できなくなったところを一緒に
取り組んでいこうということを私たちは考
加えておきます。
チーム医療について
まず「チームの一員であることを自覚す
ること」です。看護師だけでは偏った考え
(奥村氏)
ソーシャルワーカーの奥村と申します。
よろしくお願いします。
方を持ってしまうことがあるので、医療は
チームで成り立っているという風に思って
チーム医療って・・・
います。チームで成り立っているとは何か
この図は、テキストや参考資料のどこで
といいますと、単体ではわからない、看護
でもでてくるようなものですが、患者さん
師からだけだと一方的にどうしても物事を
が真ん中におられ、それぞれの職種、それ
見てしまって、
「ここができない。あれがで
ぞれの部署がそのバックにいると。今看護
きない。この患者さんはこれができない。」
長の方からもお話がありましたが、当初は
という風に考えてしまいますが、他の職種
私も「チーム医療の実践」って今日も書き
からみると「でもこの人、これができるじ
ましたが、「チーム医療って何」とか、「連
ゃない。ここもできるじゃない。」、とでき
携って何」とか、本当にやってみないとわ
るところを評価していく。で、そういうこ
からないけれども、言葉だけ考えてどうし
とを、他の職種の方ですね、OTさんやケ
ていったらいいか全然わからなかったんで
ースワーカーさん、薬剤師さんも含め全部
すね。そこで今、自分が働き始めて、年数
のチームが関わりました。そして、その中
を重ねていって気づいていったことを少し
から全体的にいろんな側面から見ていただ
お話しさせてもらおうと思います。
いたらやはり見えてくることがたくさんあ
る。
「餅は餅屋に任せた方がいいだろう」と
いうことですね。もちろん看護師も中に入
ってということをしてきました。
これは1998年に始めたことですが、
回復のとらえ方
回復へのとらえ方ということで6番目な
んですけれども、私の中でも当初、自分は
ソーシャルワーカーという形で入ってきて、
まずはデイケアが運動プログラムを立ち上
自分の仕事の役割というか、
「うちの病院の
げたんですね。その後、多職種で疾病教育
中でこういうことをしていくのがソーシャ
プログラムを立ち上げて、最初はバラバラ
ルワーカーなんだ」というような線引きを
で全部が動いていたんですが、その中で最
していたんですね。でも、線を引いて仕事
終的に看護部というのが一番、病院の中で
ができるわけでもなくて、線を引いていた
人数が多いので、そこが核になるとすべて
ら患者さんに対する見方がすごく狭まって
がまとまってきました。全てがまとまって
いくということを、たくさんの人から教え
きて、最終的に先ほど言ったような自主的
てもらいました。自分の中で患者さんに対
な健康管理へとつながってきたと思います。
しても「もう無理だ」
「できない」というよ
これが患者さんの回復、リカバリーにつな
うなマイナス点でしか見られなかったこと
がってきたという風に考えています。
が多かったんです。本当に限界を決めてい
では、私から奥村の方に変わります。
たんです。
「家族が退院をするのを嫌がって
いる。拒否している。」
、
「じゃあこの人は退
院できないだろう」、とか「どんなに本人さ
う形になっているんですね。
「やりたいこと、
んが色んなことが出来るようになっても退
やろうと思うことをやっていいよ」と。や
院はできないだろう」、というような形で限
って失敗したことや駄目だった時には相談
界を決めていたな、と思います。
してくださいということで、本当になんで
その中で、限界を決めるにあたって看護
もいいといったら大げさなんですが、自由
師さんが看護プランを立てているように、
にやらせてくれる風土があったんですね。
自分の中でも計画があるんですけれども、
その中で患者さんと一緒にご飯を食べに
計画通りにいかないことが多いんです。当
行ったことがあります。長期入院の患者さ
たり前のことではあるんですが計画という
んが、もう20代から入退院を繰りしてい
のは作って立てて、実行してそれをうまく
て、ずっと入院されている患者さんが「昔
積み重ねていくものが計画だと思っていた
家族とハンバーグを食べに行ってとてもお
中で、「なんでできないんだろう」「患者さ
いしかったんだ。だからハンバーグが食べ
んはなんて思い通りにいかないんだろう」
たいわ」ということで「じゃあ行こうか」
と、当初の私はそういう風な考えを持って
といったら「連れて行ってくれるの?」と
いたんですね。でも、それができなくて当
話がすすんで一緒に行くことになったんで
たり前で、その中で、じゃあどんなことを
すね。行く時に「ハンバーグ食べれるの?
一緒に考えていったらいいのかなと思った
好きなの?」という話を当たり前にして当
時に、患者さんとたくさん話をしないと見
日楽しみに一緒にいったときに、ファミレ
えてこないということがわかり、病室に行
スに行ってハンバーグが目の前に出てきて、
ったり面談室を利用したり、中庭で他愛も
「さあ食べようか。」となった時「食べれな
ない日常会話をしたり、聞くことから始め
いわ。」と言われたんです。「どうして?」
たんですね。患者さんってどんなことを考
と聞くと、
「病院ではこんな形で出てこない。
え思っているんだろう、というところから
キザミの形で出てくるのでこんな形で食べ
「一緒にこれがしたい、あれがしたい、こ
たことがない。」と言われたときに、私は「あ
んなことがやりたい。退院はしたくないけ
っ。そんなことまで、考えてなかった。患
ど外にはいきたい。お寿司やラーメンが食
者さんや看護師さんに聞いてもいなかっ
べたい。」
「じゃあそれを食べに行こうよ。」
、
た。」と思ったんですね。その時は、ハンバ
みたいな形で、小さなことからやっていこ
ーグをフォークとナイフで切り刻んで細か
うというような形に変わったんです。
く柔らかくしてミンチのようにして「これ
で食べれる?」という形にしたんですが、
患者のやりたいことを一緒に考える
のど詰めでもされたらこわいなと思いなが
「失敗も成功もない偶然はチャンス」と
ら、その時は食べてもらって、自分の中で
書いているんですけれども、私がやってき
すごく申し訳ないな、と思いながら病院に
たなかで、幸いにも私が勤めている新阿武
帰ったんです。そのことを、看護師さんに
山病院の中で、私の職種というのは本当に
伝えたところ笑ってくれたんですね。
「そう
上司の方からも自由にやってくださいとい
かそうか、知らないもんね。食事のことな
んて。」って言われたんです。私はその時に
な?」と話した時に「う~ん。そうかもし
自分は失敗したと思い「やってしまったな、
れないね。」と言ってくれたり、「自分が食
患者さんにすごく申し訳なかったな。」と思
べれるように頑張るわ。
」と言ってくれたり、
っていたのですが、看護師さんが笑ってか
「次は私の負担にならないものを食べに行
えしてくれたりだとか、あと、
「そこから知
こう。」と言ってくれて、「お好み焼き食べ
らないといけない、こういうことを知っと
たいな。」というようなことを言ってくれる
かないといけないんだ」と学ぶことができ
んですね。患者さんから考えや提案をして
たんです。看護師さんも「そうか、ケース
くれる、それは私の学びにもつながる貴重
ワーカーさんは知らないんだね。夜勤のこ
な機会として受け止めています。
とは知らないと思っていたけれど、お昼間
はいるからお昼間のことは知っていると思
それぞれの視点を大切に
っていた。」と言われたんですけど、私は昼
先ほど言ったように、
(他の)スタッフと
食時の様子を見ていないので食事の雰囲気
一緒に外出するところで、看護師さんとお
がよくわかっていなかったんですね。入職
話しする機会があると、看護師さんの患者
して間もない頃だったのでそのようなこと
さんに対する思いとか、退院に対する思い
まで頭がまわっておらず、情報不足ではあ
が本当に深いな、ということがわかります。
ったんですが、そこから私も外出をすると
わかると同時に見ているところが違うんで
きや患者さんとどこかに行くときには折角
すね。私は福祉的な視点で見ているんです
一緒に出るということもあるので、市役所
けれども、看護師さんってやっぱり違うと
であるとか買い物であるとか、近くのダイ
いうことがわかりました。こういう時にい
エーでもフードコートに行ったりとか、ア
ろんな話をすることが大事だなと知りまし
ルプラザでも食べたいものを食べたりとか、
た。よく看護師さんと患者さんと一緒に私
患者さんがしたいな、と思うことがあると
は外出をさせてもらっています。それもお
きには看護師さんと一緒に出かけるように
頼みする時には人員の少ないスタッフにお
しているんです。それは正直自分の安心で
願いするので、看護長の方に「一緒に出て
もあるんですね。何かあっても看護師さん
ほしい。」と言うと、看護長も「いいよ。い
がいてくれるのといないのでは違うという
いよ。」と日程調整してくださり一緒に出る
思いがあるんです。患者さんも安心してい
ことがあります。
るスタッフと一緒に行くことが一番居心地
だいぶ前に、患者さんが内科疾患のため
がいいというのかな、本当に安心できるん
の治療で転院をするときの衣類、パジャマ
だなということがわかったんですね。やっ
を買いに行くということで、その時看護師
ぱり失敗したなと思ったハンバーグのこと
さんと一緒に行ったんですね。私は、
「患者
があったんですけど、その後、患者さんの
さんがどんな風なパジャマを選ぶんやろ
方からも私の方に「ごめんね。ごめんね。」
う。」と思っていたんですけれども、その人
と何度も言ってきてくれて、私が「看護婦
はある部分の手術をしなければいけなかっ
さんも一緒やったらちょっと違ったか
た人で、看護師さんは手術の時にも着脱可
能であって着やすい、汗をかいてもこのよ
ら退院、退院してその生活をより豊かに生
うな素材だったらいいよ、というようなパ
きることにつながっていくのかなと思いま
ジャマ選びを患者さんと一緒にしていて、
す。
「私はこういうことに気づいていなかった。
私一人だったらこういうパジャマを選ぶの
チーム医療の実践に向けて
は難しかったな。」、と思いました。私がみ
チーム医療についてまとめと書きました
ていたのは患者さんが洗濯表示を気にかけ
が、先ほどの表もそうなんですけれども、
ていたところでした。
「これだったら洗って
あるケースについて一昨年、病院の中で振
もらう時に手を煩わせない、手を煩わす。」
、
り返りをしたんですね。研究発表会という
ということで綿100%のパジャマを買う
のが1年に 1 回あるんですけれどもその方
という風に言っておられて。私、この人が
のケースについて他職種が集まって振り返
「あぁ、この人は昔こういうことを気にし
りをして、それが退院について良かったの
て洗濯していたんだな。買い物していたん
か、良かった点や悪かった点やこれから先
だな。」っていうふうな生活の部分を見てい
にチーム医療について病院がどういうふう
て、見る視点が違うのですが、その話を看
に考えていくのかを振り返った時に、連携
護師さんとしたときにお互いに分かり合え、
により効果的な退院支援ができるね、また
患者さんに対する支援の仕方やこれから先
連携をとることでスタッフのモチベーショ
の目標設定が新たにできたなと思うことが
ンの向上につながるね、という話になりま
ありました。
した。
「連携」とか「チーム医療」というけ
私は精神保健福祉士ということで福祉を
れども、何が大事かというと、日々の何気
学んできたんですが、やっぱり豊かに生き
ない会話であったりとか、私たちケースワ
るということは、その方が幸せになりたい
ーカーもよく病棟に足を運ばせてもらうん
と思っていることを応援する支援する仕事
ですけれども、そこで看護師さんと話す
なんだ、と私はとらえているんですね。
「ど
日々の様子や変化とか、何気ない会話から
ういうことが幸せ」
「その人にとって何が幸
生まれるものなのかなと思います。コミュ
せか」ということを感じて、考えた時に、
ニケーションをとるのがいかに大切かいう
やはり「病気を持っていても町で生きる。
ことと、自分の支援のしかた、自分がケー
地域で生きること。」であったり、「一生入
スワーカーとして何ができるのかというこ
院はいやだけど、やっぱり病院での生活は
とを、やった時にそれがよかったかどうか
楽やし。」という人でも、その人が「何をし
という評価はなかなか自分ではできない。
たいのか、どう生きたいのか」を聞いてそ
良かったなと思うこともあれば悪かったな
れを支援するということ。よく言えば、本
と思うこともあります。その時に他のスタ
当に幸せ探しのお手伝いをする人なのかな
ッフの人と話をすることで評価してもらえ
と思うのですが、その人の願う幸せという
ることがあったり、ここはもっとこういう
のが些細なことであってもそれを一つ一つ
風にした方がいいんじゃないかな、と意見
やっていくことが、その人の回復、入院か
をもらうことがあります。それが自分のモ
チベーションにもなっていきます。最近で
タッフが変更した時にその方々の関わりで
は看護師さんが「この人退院させたいんだ
あるとか、それが男性のスタッフであるか
けど。」って言ってきてくれることが本当に
女性のスタッフであるかによって、患者さ
多いんです。
「退院させたいけど何か手立て
んは影響されるということがあるんですね。
はないの?」、とか「施設探しはできない
担当が変わった時に自分の見方を大切にし
の?」とか。そんな看護師さんたちが「自
て、
「私はこんなところをみてみよう、とか
分たちで施設を見に行きたいから、その調
前任のケースワーカーはこんなことを見て
整をしてほしい。」というように自分たちの
いたんだな。
」と考えることが変化のきっか
目で見て確認してどういう患者さんが行け
けにつながるんですね。この例については、
るのかを知りたいというふうに言ってきて
スタッフが全員女性が担当した時に退院で
くださる、アプローチしてきてくださるん
きたんですね。これは「まさに女性のスタ
ですね。それについて言ってもらえると「自
ッフだからよかったんだな。」と思うケース
分も動かなきゃ」という気持ちも出てくる
だったんですね。偶然が生み出した関わり
んですが、
「動きたい」という自分のモチベ
だったんですが、このようなことを大切に
ーションもあがるんですね。そういうこと
しながら、全体でのカンファレンスを行い、
がチーム医療につながるんじゃないかなと
変化のきっかけや退院支援について考えて
思っています。
いきたいなと思っています。ちょっとまと
まりきれていませんが私からの報告は終わ
「それぞれの視点を大切に情報の共有
を」と書いているんですけれども、先ほど
看護長がお話しされました「餅は餅屋」と
いうふうに、やっぱり自分たちが持ってい
る役割や視点を大切にしないと、どこかで
ぶれていくことがあったり、分からなくな
ってしまうことがあるんですね。専門職と
して入ってきているので、それを最大限活
かすという意味では日々その視点を大切に、
コミュニケーションをとることが大切だと
思っています。
「担当スタッフの変更や全体でのカンフ
ァレンスは変化のきっかけになる」という
ことを書いたんですけれども、ある方のケ
ースを例としてみると、何年か入院されて
いると主治医の変更というのがあったり、
担当の看護師や担当のケースワーカーも変
更になっていくこともあるんです。そのス
りにさせていただきます。
「退院困難と思われたが、地域サポート受けて退院に結びついた事例」
さわ病院
(日髙氏)
さわ病院の日髙と申します。よろしくお
願いいたします。
看護師長
日髙
敏文
氏
767件です。平均在院日数は88.4日
です。慢性期の平均在院日数は男子病棟で
313日、女性で290日です。
今回ですけれども、退院困難と思われた
患者さんですけれども、地域サポートを受
けて退院に結びついた事例について報告さ
せていただきます。
今回の発表は患者さんの家族に研修会の
事例紹介
次に今回退院することが出来た患者さん
について具体的に紹介していきたいと思い
ます。
趣旨を説明し同意を得ることが出来ました
この患者さんは、30代前半の方で覚醒剤
ので報告させていただきます。
使用による痙攣重積状態となり、低酸素脳
私は一看護師として2008年7月より
症による脳器質性精神病となった患者様で
豊中市自立支援協議会に参加しています。
す。入院形態は医療保護入院です。家族は
今回、3年がかりで退院させることが出来
母親のみです。父親は数年前に他界してい
た事例について具体的な取り組みと、その
ます。
中で感じたこと、その患者さんから得られ
たものを中心に報告したいと思います。
はじめにスライドの4つの項目について
順番に説明していきたいと思います。
入院歴ですが、初回入院は、2004年
5月27日~2004年8月23日でした。
2回目の入院は2004年12月21日~
2005年1月6日で、約4ヶ月後再入院
されています。
さわ病院の概要
まず、病院の概要を説明したいと思いま
今回が3回目の入院で、2005年3月
31日からとなっています。
す。定床は455床で、救急入院料病棟2
今回の入院は3回目の入院で、それぞれ
病棟、急性期治療病棟1病棟、認知症治療
在宅で過ごす期間が少なくなっている状況
病棟 1 病棟、慢性期病棟4病棟から構成さ
でした。
れています。
院内の社会復帰施設はDC・DNC・G
H・ケアつきアパート・通所授産施設・就
労支援事業等を設置しています。
入院時の状態
入院時の状態ですが、言語的なコミュニ
ケーションはほとんど不可能な状態です。
救急と退院促進の両方に力を入れている
食事・排泄・入浴など介護なしでは、出来
病院です。社会的入院の患者さんは他院に
ない状態で時に徘徊し、希望が満たされな
比べると比較的少ない現状です。
いと興奮状態を呈し、大声で了解不能な言
さわ病院の2010年度の年間入院数は1,
葉を怒鳴り暴力を振るう状態でした。常時、
保護室を使用し、ほとんど四肢拘束を行な
の家族は協力的であり、症状を落ち着かせ
っていました。
ることができれば退院可能かと判断しまし
た。一番のきっかけは、母親の思いに応え
病棟での経過
当病棟の経過ですが、2006年1月1
3日、急性期病棟から転入されました。保
ることが、当病棟の使命と考えると、同時
にスタッフのやりがいにつながればと考え
ました。
護室内で、四肢拘束状態で経過し、おむつ
交換・入浴・食事の際には大声を発し興奮
病棟での取り組み
状態となることが多くありました。患者さ
母親の要望に応える形で主治医に薬物調
ん本人は学生時代に、少林寺を習っていた
整を行なってもらい、ある程度薬物のコン
関係で、入浴は男性看護師が5人がかりで、
トロールができた段階で拘束解除を行なっ
おむつ交換は最低でも3人いなければ対応
ていきました。
できない状態でした。このような状態のた
め、拘束をはずせない状態が続きました。
拘束をはずした際には職員に暴力が絶えな
い状態でした。興奮が著しいため、主治医
へ報告し、薬物の調整を行なってもらい
徐々に鎮静化につながっていきました。
2007年11月から、拘束を解除し不
穏時のみ拘束することとしました。
2008年3月より、完全に拘束なしで
隔離のみで対応しました。
行動拡大に約半年を要しました。一番大
変だったのは、看護者の意識を変えること
私がこの患者さんの病棟に異動となった
でした。どうしても、看護者の安全が先行
のは、2007年3月から関わるようにな
してしまい、拘束をしてしまう傾向があり
りました。
ました。
母親からの要望
取り組み後の本人の反応
この患者さんの家族は母親のみで、要望
も強く、細かな要求を面会のたびに訴えら
れていました。
2008年の5月の外出時の反応が私自
身忘れられません。
その時の写真をお見せできないのが残念
その中で拘束をはずして欲しい、興奮を
ですが、病棟ではみられない反応が印象的
どうにかして欲しい、早く退院させたい等
で、笑顔が頻繁にあり、愛犬に関わろうと
の要望がありました。
する姿がありました。その姿を見て、帰る
私自身は半ば諦めていたところ、母親の
前向きな姿勢にどうにかして応えたいとい
う気持ちになり積極的に関わるようになっ
ていきました。慢性期病棟に勤務している
と、家族の協力が得られずなかなか退院で
きない患者様が多いのが現状です。
しかし、そのような中で、この患者さん
場所はここだ、と私は考えました。
何があろうとも、この笑顔や愛犬に関わ
る姿を忘れずにいたいと思いました。
また、そこに居た看護師と感動を共有し
ました。
この場面は、二人だけで共有するもので
はないと考え、感動できる場面を他の職員
にも外出に同伴してもらい、その姿を見る
ことで、退院させたい思いに協力してもら
えるものと考えました。
もっと、この感動を共有できる職員を増
自立支援協議会との関わり
退院できる状態となりましたが、当院の
社会復帰システムだけでは退院は難しいた
め、豊中市の自立支援協議会へ事例紹介し、
やしたいと純粋に思いました。特にこの患
個別支援事例として継続的に検討すること
者さんは退院できそうもないと断言してい
となりました。
る職員を同伴させようと思いました。
外出が出来るようになれば、外泊をして
みようということになりました。一泊二日
そこで、自立支援協議会で事例検討会を
行い、カンファレンスによって方向性を決
めていきました。
の外泊を企画しました。送迎に職員3人で
どのようなサポート体制を整備すること
対応し、スライド通り本人が入眠するまで
が必要かを個別支援チームを作り検討して
付き添い、母親に何も言わず、緊急時には
いきました。
携帯に連絡して欲しいということだけを伝
個別支援チームのメンバーは市の職員が
え、自宅近くの駐車場で緊急時に対応でき
中心となり、地域活動支援センター職員・
るように待機しました。
病棟職員・生活介護事業所職員・ヘルパー・
また、夜間以外では朝・昼・夕のオムツ
保健所職員等で構成していました。母親の
交換の時間に病棟職員2名が訪問して行な
精神的なサポートを行なう意味で、カンフ
いました。夜間の連絡はなく興奮もなく、
ァレンスには参加してもらい不安への対応
穏やかに過ごしたことから、1 回目の外泊
を行なっていきました。
は大成功で終了しました。
2回の外泊を行いその後、定期的に毎週
末外泊を繰り返していましたが、母親の疲
また、サポート体制についても、母親に
選択してもらうようにしながらプランニン
グしていきました。
弊により外泊を一時中止することにしまし
十分な歩行も出来ず、コミュニケーショ
た。外泊中や壁にぶち当たった時、これで
ンも図れないため、身体障害者手帳が申請
いいのかと考えたことがありました。本人
できるのではないかとカンファレンスで出
の意思決定は出来ない状態であるため、本
てきたため、サービスの幅を広げる意味で
当に退院して良いのであろうかと思うこと
申請することとなり、1 級を取得すること
もありました。同時に母親の負担や、精神
が出来ました。
的な圧迫等を考えると、これで良かったの
かと考えてしまうこともありました。その
際には母親との話し合いを持ったり、カン
ファレンスを行なってきました。
2008年10月から2009年3月ま
で、今後の方向性を確定させるために、母
親の休養時間としました。
週間予定
週間予定の一例はごらんの通りです。月
曜と木曜に訪問看護をプランニングし、ヘ
ルパーと同時に排便コントロールと同時に
入浴サービスを計画しました。
このプランは、母親の負担をどれだけ減
らせるかということに着目して立てられた
ものです。このサービスを受ける際には、
地域でのサポートとともに
病棟看護師が必ず付き添うようにし、この
この患者さんを通して得られたものです
患者さんへの対応の仕方等を説明し、この
が、この患者さんが退院することで、周囲
患者さんへ慣れていただくようにしました。
の支えがあれば本当に退院することが出来
サービスの担当者が慣れてくるようになっ
るということで、職員の自信につながりま
てから、病棟の職員が手を引いていきまし
した。また、隔離・拘束の患者さんについ
た。
て開放化の意識が根付いて、最小限にしよ
生活介護施設については、人員の確保が
うとする姿が見られるようになりました。
出来ない状況でしたので、病棟職員が付き
この患者さんが退院できたことで、他の
添う形になりました。病棟職員が常に入れ
患者さんに諦めずに関わろうとする姿が見
るとは限らないので、大学生のボランティ
られるようになり、退院を意識した関わり
アを募集し、週一回でも入ってもらうよう
が出来るようになっていきました。
にしました。
また、病棟から外へ関心を持ってもらう
ためにレクリエーション活動など、いろん
退院へ向けて
な面での関わりが深まっていき、退院促進
本格的な退院をしてもらうために、サポ
の意識が出来ました。病院の職員は院内の
ート体制が機能するのか確認するために、
システムのみで退院をさせようとする傾向
試験的な退院をしてもらうことにしました。
があり、地域資源を全くと言っていいほど
期間は一週間行い、サポートのプログラム
知りません。このような機会を持つことで
は前のスライドの通りです。朝夕のおむつ
地域資源を知る機会となりました。
交換のためのヘルパーの訪問、週3日のみ、
患者さんによって、地域資源を使って退
生活介護施設への通所、週一回の訪問診療、
院できるのではないかというような意識の
週2回の訪問看護、毎日就寝前に母親に対
変化が見られました。同時に地域との連携
するサポートのため、電話連絡することと
なしでは進まないことが、この患者さんを
しました。一時退院をした後、必ずケア会
通して再認識させられました。
議を行って次回の退院に向けて検討する機
会を持ちました。
この試みを4回行い、5月に本格的な退
院に結びつけることが出来ました。
今後は、ひとりでも多くの患者さんが退
院できるように、この経験を生かして行き
たいと思います。
最後にこの患者さんのマネジメントをし
しかし、残念ながら、昨年9月末に薬の減
ていただいた、豊中市の障害福祉課の職員
量によって、再入院になってしまいました。
の皆さんを始め、関わってくださった方々
現在、薬物調整を行ないながら、外泊をし
に深く感謝いたします。
ている状況です。
色々なことがありますが、在宅にむけて、
常に前向きに取り組んでいる状況です。
ご清聴ありがとうございました。
第Ⅲ部
【講演会】
「みんなで取り組む退院支援
~看護から見えるもの~」
講師:京都大学医学部附属病院看護部管理室
井上
有美子
氏
(講演会)
「みんなで取り組む退院支援~看護から見えるもの」
講師:京都大学医学部附属病院看護部管理室
(司会)
井上
有美子
氏
今でこそ、退院支援することは当たり前
それでは、第Ⅲ部の講演をはじめたいと
のようになってきていますが、そもそもは
思います。テーマは「みんなで取り組む退
2004年に厚生労働省によるグランドデ
院支援~看護から見えるもの~」です。講
ザインが発表されて、それから退院支援が
師は京都大学医学部附属病院看護部管理
根付いてきています。それまでは、精神科
室の井上有美子先生です。先生は岡山大学
の患者さんは一度入院したら骨になるまで
医学部歯学部病院や、大阪大学医学部附属
入院しているものと社会的に思われてきた。
病院での勤務を経られ、平成18年より京
これはこれまでの厚生労働省の施策による
都大学医学部附属病院で看護師長として
ものでしたが、
「それでいいのか」ともう一
勤務されておられます。そのうち精神科病
度考え直すっていうところが2004年か
棟での勤務は15年におよびます。精神科
ら始まっています。それを国でやる施策で
病棟での退院支援とはどのようなものか、
すので、どういう風にやるか10年間の計
また看護の役割はどのようなものかを本
画が立てられています。その中で、国民の
日ご講演いただきます。先生には、講演の
理解の深化、精神医療の改革、地域生活支
後も第Ⅳ部の意見交換に参加していただ
援の強化の三本柱が立ちました。今日こう
きますので、質問などはそちらの方でお受
いう研修があるのは、地域生活支援の強化
けいただくことになっています。それでは、 というところと精神医療の改革というとこ
井上先生よろしくお願いいたします。
ろの、この部分ですね、一緒に手を携えて
やっていかないと退院支援は進まないとい
(井上氏)
うところがある。それと大きく言えるのは、
こんにちは、京都大学医学部附属病院の
地域に出たときになにが必要かというと国
井上です。よろしくお願いします。座らせ
民の理解がないと地域での生活は成り立た
ていただきます。
ない、そこは地域からも働きかけていって
いるし病院からも働きかけていっているこ
第Ⅱ部で、二つの病院の活動の仕方が紹
介されました。わたしが今からお話しさせ
となのだというところで、いまこの改革が
進んでいる状態があります。
ていいただくのも、かぶるところがあると
なぜ、それが必要なのかというと良質な
思いますが、一緒に退院支援とはどのよう
精神医療の効率的な提供をしないといけな
なものか、看護ができることが何なのかを
い。昨今いわれている医療費の削減ですね。
考えていけたらと思いますのでよろしくお
限られた財源をうまく使っていくためにど
願いします。
うするかと言うと、やっぱり社会的入院を
されている方が、地域に帰って本来の生活
なぜ、退院支援が必要になったのか?
をしてもらうことが大事な事なんじゃない
かというところがそもそもの成り立ちです。
なので、ひとつには社会的入院、長期入院
っしゃっていましたけど、もうでなくって
群の対応、ここですね、これを解消しまし
いい、三食昼寝付のこの生活を考えたら悪
ょうということで当初2004年は7万2
くはないんじゃないかと思ってしまいがち
千人の退院促進と言われました。それと同
になる。それが、退院しようとする意思の
時に、新しい長期入院者を作らないという
形成ができない状態になる。あと、失われ
施策がいるんだ、この両方をすすめないと
た生活観、スキルの再獲得をしないと、時
退院促進は成り立たないと言われています。
代が変わる、電化製品が変わって困ったと
それで退院支援が開始になったわけです。
いう事例はお二人だけでなく沢山の方が経
験することですが、そういうスキル事態が
「入院」の考え方
なくなってしまう。やらなくていいことが
入院し退院していただくというのは、精
増えていることでできなくなることが多く
神科以外のところではごくごく当たり前で、
なってしまったというところで、再獲得し
治療が終われば病院から出ていかれるもの
ないといけない大変なことが起こっている。
なのだ、というところがなぜ精神科ではで
退院後の生活の場と環境が、長期入院して
きないのか、というところも考えなければ
いる間に変わっている。家族の反対がある
ならない。新規入院者の退院支援を考えて
とか、住む場所がなくなってしまっている
いくと適切な治療とその期間をあらかじめ
ことなど往々にしてあることでした。そう
決めていかないといけないだろうというこ
いうところから考えていくと治療の部分に
とと、退院後の生活に治療を取り入れる試
しても生活の部分にしても、看護師が退院
みをしていかないといけないだろうという
調整をすることは大きな役割になるんじゃ
ことで、この2004年以降病床の細分化
ないかということで、退院支援を考えてい
が行なわれて、その中でも医療、第Ⅱ世代
く研修がなされるようになっています。
の抗精神病薬が出たということも相まって
様々な試みがなされるようになった、先ほ
退院支援とは
どもありましたけどもSSTがあったり集
では、退院支援とはどういうことなのか、
団療法が行なわれたりというところがこの
ただ単に患者が病院から出ていくことなの
ころから進んできている。それは、第Ⅱ世
か、というところで考えないといけない。
代の抗精神病薬によって患者さんが活動で
ただ、病院からいなくなれば退院支援では
きる状態になったということ、それと患者
ないんですね。退院を支援するということ
さんに自分の病気を知ってもらおうという
は、患者の生活を支援することなんだと考
動きが出たところで起こってきたものでし
えて支援を始めることが必要になってきま
た。
した。では、どうみるのか。病院にいると、
じゃあ、長期入院者はどうなのだろうと
患者さんを医学モデルで見ます。病状が良
いうと、入院して何十年。数ヶ月以上も経
くなったのか悪くなったのか、どれくらい
ってくると、自分はもうここから出られな
できるようになったのか、くらいのところ
いんじゃないか、先ほどお二人のかたもお
です。でも、それを患者さんが生活してい
こうとするところでみると、生活モデルに
の手術をした後、なかなか生活がままなら
置き換えて考えていかないといけない、患
ないという環境のままで退院してこられて、
者さんを見る目を変えていかないと患者さ
お母さんの面倒をみてあげないといけない
んの生活は見られません。これは大きなキ
ということがありました。3年後くらいに
ーポイントですので覚えておいてもらえた
疲労が蓄積されて、極度の下痢を起こされ
らと思います。
て、一般の病院に入院されたのですが、そ
の一泊の間で精神錯乱状態になったという
事例報告について
ことで、精神科のほうに任意入院されまし
私の退院支援、ここから実践報告をして
た。でも、錯乱はなかなか治まらないとい
いきます。2つの事例をあげました。実際
うことで、医療保護に切り替えて長く隔離
に行なった実践の中で自分が得たもの、考
をしたということがあります。入院後、こ
えてきたことを今日ご報告したいと思いま
の母の介護の3年の間に生活しているこの
す。
疲労、というかストレスの発散として一千
万円を超える浪費がありました。この方、
Aさんの場合
この25年の間に自分の老後のために、自
お一人目、Aさんです。看護師から始め
分の働いたお金は貯金しなさいと両親から
た退院調整という副題をつけましたが、A
いわれていて2千万円を超える貯金があっ
さんは50歳代の女性で統合失調症です。
たようなのですが、その半分を貴金属とチ
ご両親と弟さんの4人家族でしたが、退院
ャイナドレスで1千万円を使ってしまって
後は独居の予定とわかっていました。なぜ
いました。
かというとお父さんが亡くなられて、お母
さんに食道がんがみつかった。その3、4
年ほどの闘病生活の中で、今までは自分が
Aさんの退院支援
この方の、退院支援まで経過なのですが、
病気なのでご両親にずっと頼って生活して
まあ、そういう状況で入院してこられたの
きた。25歳のころに発病して、急性期は
ですが、あの精神状態もお薬を調整をして、
最長1年の入院歴があるのですが、25年
あとADLを自立させていく方向でやって
は外来治療でずっとこられた方、その間は
いくと、3、4ヶ月で誰かの保護があれば
ご両親の保護の下でこられた方でした。お
退院できるだろうというところまできまし
父さんが亡くなって、お父さんも後々退院
た。ご両親と密な関係で生活されてきまし
支援している間でわかったんですが、急性
たけど、この方が入院されてからお母さん
の心筋梗塞で気がついたらなくなっていた、
がグループホームに入られたので、帰る家
ご飯を食べに行かれていて、お父さんが倒
に誰もいない、独居になるということで、
れたということで駆けつけたらそのまま亡
支援できる人は弟さんだったわけです。し
くなってしまったという亡くなり方だった
かし、弟さんは統合失調症という病気すら
ようです。それで、大きなショックを受け
知らない、この方がどんな生活をしてきて
られてという状況で、お母さんも食道がん
どんな病状だったのか自体を知らないとい
う状態でした。ですので、弟さんとの同居
しまして、ご本人にも説得して、ある単科
を進めたのですが、それはちょっと無理だ
の精神科の病院にもうずっといるという覚
と断られています。本人が、
「自分は退院で
悟で入院しましょうと説明して了承をもら
きる、とにかく独居で退院するんだ」とい
いました。でも、この方は25年外来でや
いはりまして、外泊練習をはじめました。
ってこられたという経過があったんですね。
一泊二日、二泊三日はいけたのです。じゃ
それを、外来主治医が重要視していまして
あ今度は1週間やってみよう、それが上手
「なんとかできないものかな」と。あと一
くいったら退院できるかもしれないという
旦納得した本人が「やっぱりずっと病院で
ことで、私自身の支援するものとしての不
暮らすのは嫌だ」ということ、それと弟さ
安はあったのですが、外泊練習をはじめま
んが事業をしていまして「単科の精神科の
した。で、1週間の外泊にでた3日目、夜
病院に姉が入院しているのは外聞が悪くて
中の2時にタクシーで泣きながら帰ってき
どうもやっぱり嫌なんだ」ということを言
ました。こんな寂しい一人の生活は私には
ってこられて、転院予定の前日にキャンセ
できません、というのが最初の言葉でそれ
ルされたんですね。じゃあどうするんだと
からこの人はものすごく退行しました。そ
いうことで、そのまま入院継続になったと
れまでも、そんなに褒められた生活ではな
きに、やっぱり患者さんは自分で生まれ育
いんですね。食事なんかも、給食が来るの
ったところに帰りたい。じゃあ帰れるよう
を、配膳車がくるのを戸口で待っていて、
になれるのかどうか、
「とりあえずここで入
自分のお膳を持っていって自分の好きなも
院継続になったのだからやってみましょ
のだけをピックアップして食べたら、人が
う」ということだけを決めました。で、こ
配膳をとろうとしているところに下膳して
の状態で患者さんが生まれ育った地域で生
しまうような状態だったので、一泊二日、
活したい、弟には負担をかけたくないとい
二泊三日の外泊中もたこ焼きしか食べてな
う希望はかなり強くありましたけど、私が
かった。
「なんで朝昼晩たこ焼きなの?」と
患者の退院できない理由として考えたのは、
聞いてみると、
「たこ焼き屋の兄ちゃんがか
ものすごく不安定な精神状態であること、
っこよかったから。」というような生活の仕
生活自体が出来ないのですね。洗濯機も自
方だったので、どうかな?と思っていたの
分でかけてもらうようにしてたんのですが、
ですが、失敗して帰ってきてこられたとき
洗濯機をかけることを促さないとできない。
は、自分のことはなにもできません。飲水
でも、なんとか衣類を洗濯機にいれました、
量が多飲水になってしまって、便尿をたれ
全自動で洗濯機が回り始めました、でも洗
ながし状態で歩くという状況が起こってし
濯が終わるのが待てない。洗剤がついたま
まいました。こういう状態ではとても退院
まの水浸しの衣服をそのまま乾燥機に入れ
することはできないし、一人で寂しいとい
ることを毎回繰り返す。で、乾燥機が壊れ
って帰ってきた人に、もう一度そこに帰り
るという状況があるのと、あと、洗面所が
なさいということはできないだろうという
水浸しになる。こんなの困るっていうこと
ことで主治医と話しまして、弟さんとも話
で、かなり生活自身ができない、みんなに
迷惑をかけるというようなことがありまし
うことをすれば患者の希望の強い、生まれ
た。
育ったところで生活したいという希望をか
なえてあげられるんじゃないかという思い
あと、もうひとつは危険な経済観念。一人
が私のなかにありました。
でいると、またストレス発散のために今残
でも、まあ今のままで自分の期待する展開
っているお金も全部使ってしまうところが
ができない理由としては、このときは大学
ある。その一千万円の浪費なのですが、よ
病院なので担当医が3人いるんですね。さ
くよく話しを聞いてみると妄想が絡んでい
っきいった外来主治医と、他院へ転院しま
たことがわかったんです。チャイナドレス
しょうと決めた入院中の主治医、研修医と
のデザイナーに恋愛妄想を持っていて、そ
いうところで、その3人が全然患者の退院
の人の発表会であったりとか、招待状がき
についてディスカッションできない状況に
ますよね、そういうところにいったときに
あって、この人の行き先を決められない。
一着何十万もするチャイナドレスを作って
それぞれが、それぞれに患者のことを思っ
いた。で、それに会う宝石を買っていたと
ているのですが、三者三様であるとわかっ
いうことがわかりました。それが、また今
た。外来主治医は地域へ戻して、元の生活
後も続く可能性があるだろうということが
に戻れないかっていう思い、あと担当医は、
ある。あと、キーパーソンの弟さんもそう
今まで保護されてやっと生活できた人が保
いう状況なので、なかなかそんなに支援を
護のない一人きりの生活は、それは過酷だ
してくれる、一緒に住んでくれるというわ
ろうと、そんな過酷なところに帰すのは忍
けでないし、生活をみてくれるような様子
びないという思い、研修医は、患者の思い
ではないことがわかっていました。ですの
通りに今すぐにでも退院させてあげたいと
で、退院はこのままではできないだろうと
いう思いだったんですね。
思っていたんです。でも、患者が望む住み
あと、退院について具体的な話、患者の
慣れた環境で独居生活ができるってことは
生活ということを考えるだけの患者さんに
素晴らしいことだろうな、あと、地域生活
精神的な余裕がないということも展開がで
支援事業所と連携した施策を導入して患者
きない理由でした。あと、独居生活を想定
さんに支援を入れたらこの人はどうなんだ
した外泊による生活スキルの情報収集が、
ろう、一人でも住めないものだろうか。あ
お一人での外泊ではできないだろうという
と、弟さんにキーパーソンとして後見する
ことがあったのと、あとその病院にはPS
とかの何らかの役割をしてもらって有効な
Wがいません。この人の退院支援をできる
介入をしてもらうことは頼めないものだろ
のは、看護師と医師だけで他の他職種は一
うか。あと、独居生活に困難が生じたとき
切ありませんでした。なので地域支援事業
に受入先の検討をしていれば、駄目だった
と連携したらどうだろうと思ったが、その
ら帰ってこれるんじゃないかとか、行くと
窓口が私にはわからなかった。あと、弟さ
ころがあれば治療が継続できるんじゃない
んも自分の事業があるということとお母さ
か、ということが期待できました。そうい
んの介護があるということと、この人の面
倒があるということで、弟さんの意見が忙
回診となると外来主治医に見せたいという
しくて聞けなかったことがありました。も
ので、着るんですね。スリットの入ったチ
っとも、お母さんは、この退院支援を始め
ャイナドレスを着て、この人ヨガをするの
るか始めないかというときにお亡くなりに
で、その服装でヨガをする。みんなの他の
なったんですね。だから、余計に聞くこと
患者の前でヨガをすると、大股開き状態で
が出来ない、弟さん自身も忙しい環境にあ
普通にやってしまうということがありまし
りました。
た。食事についてもさっき言ったとおり野
そういう患者さんを、退院できるかどう
菜が嫌いで、同じものばっかり摂取する。
かを考えてみましょうということになりま
調理は苦手であって、助けがあればなんと
して、この4つの視点で考えてみることに
かできるかなと考えたのですが、傍にお母
しました。私はこの退院支援をするに当た
さんにいてもらって次に何を入れるの、次
って先ほど言いました退院促進のための研
にどうしていくかを聞きながら調理して3
修に行っていたんですね。そのときの学び
年過ごしたということがありました。住に
でもあります。
ついては、帰るべき自宅があるのですが独
居するのは始めて。お掃除については、院
病状について
内はお掃除を業者がしてくれるので査定が
病状が落ち着いているかどうかなんです
できない。ただ、ロッカーの周りは脱いだ
が、さっきも言ったとおり睡眠状態も頓服
ものは脱ぎっぱなしという状況がありまし
薬を、三回頓服を飲めるようになっていた
た。保清については、入浴できるが洗浄は
のですが、3つめの乳糖を飲まないと眠れ
不十分。カラスの行水。前胸部に白癬があ
ないという状況があった。気分変化もお母
って塗り薬を塗らないといけないような状
さんを看取ったあとということと、病棟の
況だった。あと、対人関係は、すごく自分
人や環境やシステムに慣れきってしまって
勝手な行動を、微妙に場に合わない行動を
いるということで全て任せていればなんと
してしまうんですけど、かなり礼節が保て
か誰かがしてくれるという状況にあった。
る。必ず、会った人に挨拶ができるとか、
身体状況も多飲水に伴う便尿失禁をきたす
その人のために私は何か役立つことが出来
状態にあった。このままでは、落ち着いて
ませんかといったような言葉かけができる
いるとは言えない。でも、お薬が聞いてく
両方相反するような状況がありました。経
るということと、お母さんをなくした喪失
済観念については高級志向で「私は高級な
感が癒えたら、この後はどうなるかな病状
ものしか使わないわ」みたいなこと言った
は落ち着いていかないかなとは思っていま
り過去に高価な買いものをしたということ
した。
がありました。ただその反面、自分の稼い
生活の課題については、TPOにあった
服装ができない。洗濯ができない。TPO
だお金で、年金受給まで賄いたいという希
望ももっていました。
にあった服装ができないというのは、さっ
生活の課題をみるときに、
「医・衣・食・
き言ったチャイナドレスを持ってきていて
職・住・什・友・遊・場」という風に考え
ていくのですが、こういうところで生活自
考えていました。
身も落ち着いているとは言えない。ただ、
入院中は患者の本当の姿はわからない。外
Aさんの強みとは
泊してみて、本当にできるかどうか練習し
もう一つは、患者の強みを考えました。
ていかないとわからないだろうなというこ
退院の意思をしっかりもっている、帰るべ
とがありました。
き家がある、これは家賃がかからない、ご
退院の意思についてはすごく強固なもの
両親が遺してくれた自宅ですのでかかると
で、独居を簡単に考えていることはあるの
したら税金だけです。あと、経済力がある
ですが、自分の生まれ育ったところで暮ら
んですね。さっき言った貯金がまだ一千万
したい、近くに商店街があるので必要なも
ちょっと残っているのと、厚生年金受給資
のは全て揃うということを言われていまし
格があります。この人、50代ですのであ
た。
と十何年かで厚生年金が受給できる。ずっ
そのときの看護計画はどうだろうと振り
と正社員で働いていたという経歴でしたの
返ったときに、患者に対してはスタッフ全
で、額としてもそれなりのものになるだろ
員で日常生活行動の取得援助、きちんとし
うということと、障害年金はまだ受給して
た生活ができるということで退院に対して
いませんでしたから、障害年金を取ること
チェック表をもとに指導したり、洗濯が完
ができる。ということで経済力がある。こ
了するように指導したり、間食制限をして
れは大きなことだなということがあります。
多飲水にならないようにしましょうという
そして、後見を依頼できる家族が存在する。
ことをしたりしました。プライマリーナー
見放されているわけではない。関係悪くな
スは個別に、具体的な生活習慣の観察と指
いんです。電話をしたらきちんと対応して
導をするということで、金銭管理であった
くれる弟さんでした。
り対人関係樹立への援助、こういうときは
どんなふうにするのかっていうような個別
退院へ向けて
SST のようなことをしていました。それか
じゃあ、患者は退院できる状態かと考え
ら、看護計画をきちんと立てて、スタッフ
ていくと、この場合利用者本位で考えてい
へ説明する。こういう目標にしてこういう
きます。患者の意思を支持することが優先
協力をしてほしい、そのための計画なのだ
される。退院への障害は排除できる可能性
ということを、カンファレンスをして、協
がある、看護計画も動いているしというと
力要請をしていました。退院できるという
ころで考えていくと、退院支援を開始して
ことを目標にしたいということもここで明
みてはどうだろうかということになりまし
らかにしています。現状の困りごとだけを
た。
解決するだけでなく、長期目標をもってプ
退院を阻む要素としては、担当医の意見
ライマリナースがすることとスタッフにし
が違うということと、家族支援が不足であ
てもらうことの関わりの違いをもつことで、
ることと、退院支援を行なう人材の不足。
看護計画が活発になされるんじゃないかと
さっきも言ったとおり当てにならない担当
医と、あと自分しかいない。私一人でする
うことがありました。資源に対しては、患
のかというところでした。それも病院とし
者のその地域の地域支援事業の窓口や依頼
ては訪問看護のシステムを持っていないの
法を検索します。あと弟さんの介入要請を
で、病院で働く看護師が施設外にでるとい
します。それだけができれば、なんとかな
うことが認められていませんでしたので、
らないかと考えていきました。で、考えた
患者と一緒に同伴して外に行くということ
らすぐもう実践ですね。
ができないという環境の中で、どうやって
取り組みのひとつとしては、看護計画は
退院支援をしようかというところがありま
とにかく実施するということで、退院に向
した。
けてのスキル獲得をしていってもらいまし
た。同時に、3人の医師に働きかけました。
具体的な取り組み
外来主治医は「退院させてくれよ、ありが
この無い無い尽くしで考えるとなにもで
とね」というところですぐOKですね。病
きないので、もう一度なんとか解決できる
棟の主治医については、
「先生、これだけ患
方法はないかということで課題を整理し直
者さんが言うのだから一泊でもいいじゃな
して、患者には具体的な独居生活の方法を
い、その日に帰ってきてもいいじゃない、
明確にするということ、夢や希望を考えた
一回退院ということをトライしてみません
生活を考えていくということですね。この
か」ということで働きかけました。
「やって
ことをしていました。そのためには、ホス
みることに不足はないからじゃあやってみ
ピタリズムというか、施設の中で患者さん
ようか、どうせここにいるんだし」という
ができなくなっていることを改善しないと
ことで了承をもらいました。あと、研修医
いけないということを、患者さんと一緒に
には「一緒に頑張ってやってくださいね」
考えていかないといけない、やっていかな
というところで役割を徹底して、病棟の主
いといけないということがありました。あ
治医は治療の主体ですね、薬の変更である
と、もう一つは外泊による生活スキルの確
とかというところと、あと研修医には書類
認と、不足部分の習得練習をしていかない
類ですね。患者さんへの外泊の手続きであ
といけない。患者と「退院するためには、
ったりとか、というところをきちんと出し
もう一度練習していかないと退院してから
てもらうようにやってもらいました。院内
また同じ失敗を繰り返すね」ということで
のMSWへの働きかけ、PSWはないので
課題にしました。スタッフについては、医
すが院内には地域との連携室っていうのが
師についてはとにかく意向を統一する必要
できたところでした。そこにいた MSW に「実
性がある。プライマリナースとしては、地
はこういう患者さんがいて、こういうこと
域支援事業への連携の手配を検討しないと
を考えているんだけどなんとかできません
いけない、探らないといけない。そして、
か」とお願いをして、助けてもらうことに
患者の生活状況の確認と教育的指導を続け
しました。あと、訪問機能のない病院で地
ないといけない。自宅訪問を含む、活動域
域とつながる唯一の部署なので、ここから
の拡大について交渉しないといけないとい
なんとかできないか訪問できるようになら
ないかを考えていきました。
とで、2,000円で生活するためにはど
うすればいいかを考えていきました。あと、
患者への働きかけ
生活資源を活用する必要性、
「自分たちが関
患者さんへの取り組みについては、看護
れるのは病院の中だけなんだ、退院したら
計画の実施。ホスピタリズムの改善なので
誰かの手助けがないとあなたの生活はやっ
すけれど、これは「退院に向けて考えてい
ぱりしんどいだろう」ということで、退院
こうよ」「退院したらどんな生活がしたい
した後の社会資源というのがあるんだと説
か」ということを一緒に考えていく中で、
明して、受け入れてくれないと安心して私
「こんな状態では退院できないよね、これ
たちは送り出せないんだということを説明
が解決できないと退院できないよね」とい
していきました。
う話をしていくと、それを改善しようとい
ちょうど同時に、MSWが退院促進事業
う患者さんの意欲へつながっていきました。
を持ってきてくれました。なんとかそれに
それが、生活スキルの再獲得につながって
乗っかることができたので、支援員が来て
いって、患者さんが自分で洗濯機を確実に
くれて、というところで外泊練習から始め
できるまで待つようになっていったという
られるようになった。
「地域に出たら社会資
ところがあります。食事についてなんです
源としてどんなことがあるのか」
「地域生活
が、好きなものだけをピックアップしてい
支援事業所に通うことが出来る、そこで施
た人が、
「これはどうやって作るの?こんな
策に乗っかることが出来るのですよ」とい
にちゃんと作ってくれたものを残したら悪
うことで施設外活動の方を進めていくこと
いね」といって全量食べるようになった。
になりました。そこで、訪問が出来ないか
食べながら、調理の仕方をスタッフに聞く
という働きかけをしていたところなのです
ようになったというところで、ずいぶん改
が、このとき私は看護師長ではなかったの
善しました。食事をきちんととることで、
で、看護師長に「どうしてもこれは一緒に
多飲水がなくなったんですね。で、身体的
行かないと出来ないことなんだ。自分の勤
な状況も改善することができました。退院
務外の時間での活動について認めて欲し
後の具体的な生活についてのディスカッシ
い」ということをお願いして、太っ腹な看
ョン、経済観念について、当初は一日30
護師長でしたので、
「事故がないようにして
0円のお小遣い管理がなかなか出来ないと
くれるなら私は大丈夫。上へも掛け合いま
いう状態でしたが、一日どういう風に過ご
すよ」と言ってくれて、私は大体深夜明け
し、どういう風に食事を作って、いくらか
の時間を使って患者さんと一緒に外出をす
かるだろうと話しながら、生活をみていき
るということをしました。深夜明けで看護
ました。外泊をしたときには、日めくり式
師長に、
「こうこうこうで何時から何時に関
の外泊連絡用紙をつくって外泊の振り返り
わってきます」ということを報告して出か
をしようと計画していたので、それを使っ
ける、帰ってきてから再度報告しました。
て一日2,000円、これは生活保護を受
その時間を使って施設見学をしました。患
けている方の大体の目安の金額っていうこ
者さんと一緒に地域生活支援事業所に行っ
て、そこで計画したボーリング大会に一緒
日はこの人が来る日だよ。何をする日だ
に参加するというようなことをして、その
よ。」というようなことを書いておくんです
後、患者さんひとりでバーベキュー大会に
ね。それを外泊の前に話をして出て行って
参加してもらうということを支援していき
もらう。そしたらこれを一生懸命書こうと
ました。
してくれていて、徐々にこの内容が増えて
いって、ここの感じたことに、
「今日こんな
外泊連絡票について
これは外泊連絡票なのですが、日めくり
ことをしたらこんな人に会いました。そし
てこんな話をしたらこんな風になりました。
式にしていたのですけれど、何月何日分と
楽しかった。」とか、「夜中が寂しくて眠れ
いうところでしてきました、Aさんは食事
ませんでした。」とかいったような内容を書
がばらばらでしたので、食事の内容を書い
かれるようになりました。で、これを毎日
てもらうということと、どこで食べたか、
書いて持って帰ってきてくれて、私はカル
ということを書いてもらう。食事と一緒に
テに綴じていたんです。そうしたら、スタ
大事なのが、食後にお薬を飲んでもらうと
ッフが段々見るようになった。医者も見る
いうことです。お薬が飲めないと退院でき
し、他のスタッフも見る。そうしたら、
「こ
ません。病状が不安定になってしまうので。
の人はどんどん生活が変化してきている」、
お薬がのめたら○というところで確認をし
「外泊中の生活がどんどん良い方にいって
ていきました。もともとこの人は薬をきち
いるんですね」と評価され、食事も調理が
んと飲む人だったので、これぐらいの確認
出来ていることが内容でわかってくる。一
で済んだわけです。あと睡眠状況、そのほ
日のスケジュールを裏にまでびっしり書い
かの活動としてIADLがどれだけできた
て渡してくれるようになってきていくと、
のか、ということを、○印を付けるだけで
生活自体がよく見えるようになってきて、
できるチェック表を作っていきました。そ
「これがこの人の改善なのだ」ということ
して、精神的なところはどうだったのか、
が分かった。それがそもそも何故分かった
というところで、一日で感じたことを書い
かと言うと、入院中に整理整頓ができるよ
てくださいと欄を作って、これを毎日書い
うになったし、食事を全部食べられるよう
てもらう。また、何月何日に今日はこんな
になったし、挨拶もできるようになった。
ことがありますよということを外泊の前に
これだったら退院してもいいなとスタッフ
私が用紙に書いて渡して、書いてきてもら
が思えるようになった。この患者自身の変
うということをしていきました。それが支
化があったから、スタッフも楽しんで支援
援員同伴での外泊援助をトライして、実際
をしてくれました。
の外泊の中で活かされていったわけです。
その地域の支援員の人の同伴での外泊、
一泊二日から外泊を始めて、二泊三日、最
その同伴での外泊が一週間二週間と増えた
長二週間の外泊を三回繰り返しました。こ
ところで、今日この人が来ますよ、という
の外泊連絡用紙は最初はほとんど空白で返
支援員さんの訪問をしてもらっていった。
ってきていました。それが、外泊前に「今
で、支援員さんが退院してから関わってく
れるヘルパーさんをここへ連れてきてくれ
自宅でいる姿を実際に見て欲しかったので、
るようになっていた。ということで、ピア
外泊中の経済面の協力要請を自宅にしても
ヘルパーさんが一緒に入ってきてくれるよ
らうということにしました。で、患者さん
うになりました。で、そういうところで、
の生活状況の頑張りを伝えて理解を得る。
この人の外泊というのを、病院だけじゃな
実際を見てもらいながら、病院での生活、
くて支援員と一緒にするというところで拡
外泊での生活というのを伝えていくという
大していくことができました。
ことをしていきました。
家族への働きかけ
看護師の役割について
もうひとつは家族への働きかけです。ご
この働きかけを相関図にしてみたところ、
家族も「単科の病院へ入院するくらいなら
こういう相談図になったんですね。この退
自宅へ帰ってきてくれたほうがそれは有難
院支援がどうしてできたのか、ということ
いです」という答えでした。
「ただ、自分の
を考えたときに、プライマリナースが中心
できることは限られています。」ということ
で医師に対してもコーディネートしていた。
で、「後見はじゃあしましょう」。経済的な
もちろん患者さんについてもコーディネー
問題もあるので、この人は生活保護もらえ
トしていた。地域支援事業所にもコーディ
ないですよね、たくさんお金を持っている
ネートしていた。弟に対してもコーディネ
ということで。そのお金も管理してあげな
ートしていた。そのコーディネートしたこ
いとできないなということがあって、
「それ
とが、ずっと外側の関係性を作り出してい
は自分たちが管理してあげましょう」とい
くということができた。これは、
「私一人で
うことになりました。患者の退院後の生活
しか退院支援できないのだ」と思っていた
についても聞いてみたら、生まれ育った自
ことが、
「私がいろんな人をつなぐことによ
宅で過ごしてくれることには全然異論がな
って、たくさんの支援者ができて、その人
いということが分かったこと。あと、退院
たちが患者さんの退院支援をしてくれた」
支援についても、退院促進事業を入れるこ
ということだったと分かったんです。これ
とについても、
「そんなことをしてくれるの
は看護師ができるマネジメントという大き
であれば、入れてもらってください」とい
な役割のひとつだということが分かりまし
うことと、支援員との引き合わせをして、
た。
退院後も関わってもらえる土台作りをしま
した。一番関わってもらったのが、外泊時
Aさんのその後の経過
の経済面への協力要請ですが、外泊の最初
患者さんなんですが、入院して1年9ヵ
の日に、外泊中に必要な生活費をご自宅の
月後に退院になりました。支援開始から8
方へ持ってきてもらう、ということをして
ヶ月かかりました。この間患者さんが「退
いきました。何故ご自宅へもってきてもら
院したい退院したい」というのをなだめて、
うか。患者さんに直接お金を渡して欲しか
安心できるまで、私が安心できるまで、私
ったというのもあるのですが、患者さんが
を安心させてくれるまで練習しようという
ことで8ヶ月かけました。生まれ育った地
くれました。そして弟さんも「どうもあり
域の生まれ育った自宅で独居ができました。
がとう」と。こうしてこの人のこと亡くな
月に一回弟さんがちゃんと訪問してくれて、
った後でお話ができるのは、弟さんから「姉
生活費、最初は一週間分というところから
のことをみんなに伝えることで姉のような
始めましたけれど、最終的には月9万円と
幸せな人がひとりでも多く増えるのであれ
いうお金を渡してもらって、自分で経済的
ば、どこにでも出してください」とおっし
なやりくりができるようになりました。自
ゃっていただいているおかげなんです。
炊に慣れて娯楽も楽しんで、旧友と会うと
退院後、私との関係というのはずっとつ
いうだけじゃなくて、動物園に行ってきた
ながっていました。4年でなくなられたの
とか、自分ひとりで楽しむことをしていま
ですが、最初のうちは頻繁に電話があって、
した。ヨガもずっと続けていて、私が行っ
気分変動がすごく分かりました。受診時に
たときにいなかった日があったんですね。
は必ず立ち寄って近況報告がある。電話が
私はピンときたので、お風呂屋さんへいき
あるのに葉書も来る、という状況でした。
ました。自宅の近くにそのお風呂屋さんが
そこから気分変動のバロメーターが分かっ
あったんですけど、
「お風呂でよく温まって
たので、支援員や弟さんと情報共有をして
ヨガをするとすごくよく効くんだ」という
気分変動の状況を見ていきました。幸い再
ことで、お風呂屋さんへ聞くと「2時間く
入院するような状況には陥らなかったとい
らい居てはりますよ、いつも」というんで
うことがありました。退院支援事業を入れ
すが、そこでヨガをしていました。で、大
ていましたので、退院支援事業が終結する
体の生活は成り立っていくということが分
までカンファレンスに参加するということ
かりました。一週間に一回の外来受診も続
を続けました。
けていて、週三回の支援員またはピアサポ
ーターが訪問してくれていました。その他
Bさんの場合
に週に2回福祉ヘルパーの生活援助を退院
もう一例がBさんです。
後に入れてくれました。
これは看護師からチームへ広がった退院
ということで、この人は地域に戻って、
支援です。
隣近所の方に支援をたくさんしてもらって
50歳代の女性、統合失調症です。20
生活を続けていました。すごく普通の大阪
歳頃に不眠・徘徊・空笑で精神科を初診さ
のおばちゃんになられたというように聞い
れて複数の病院に入退院を繰り返した方で
ていました。退院されて丸4年、明日から
した。ご両親はその間に他界されており同
5年目という日に、入浴中にお亡くなりに
胞はなく、同室の長期入院者が一番の理解
なりました。その後、支援してくれた人た
者だと話されていました。成年後見制度を
ちは「この人が最後に大阪のおばちゃんに
利用して保佐人が決定したところです。障
なって亡くなられたのは、退院支援したお
害年金受給以外の社会保険制度は利用され
かげだったよね。家に帰してあげられてよ
ていませんでした。この人は、
「どうしてこ
かったね。」ということを皆が口々に言って
の患者さんは退院しないのだろう、病院で
暮らすことが本当に幸せなのか」と疑問を
力の脆弱性があって、気になることがある
持った一人の看護師の思いから退院支援が
と不安定になって決められたことも守れな
始まった方です。
くなる頑固さがあります。強固な人見知り
ちょっと時間がおしてしまいましたので、
で主治医以外の言うことは信用しません。
ちょっと端折っていきます。
病状はどうなのかというと、生活自身は施
Bさんが退院するというのは、Bさんは、
設内寛解状態でした。ただ、この人は無趣
私に最初に会ったときから、
「前の主治医か
味なのですが、曲をテープに吹き込んで聴
ら『あと10年したらいいグループホーム
くという娯楽をもっている方でした。これ
ができる。退院したらそこへ行くといい』
が後々OTをすすめていくと、編み物がで
と言われたので、あと何年何ヶ月何日した
きたり…というところへ拡大していきまし
ら退院するわ」ということを必ず言いに来
た。退院の意志は、言ったように、いつか
る人でした。この人は、退院後に生まれて
退院しなければいけないと思っていますが、
初めての単身生活をするという現実が待っ
追い出される感をもっている、単身生活に
ている人です。患者の希望としては、
「夢や
対する不安もかなり強いということがある
希望は特にない」といいます。
「グループホ
ので、普通の人であっても初めての単身生
ームの見学は、受け持ち看護師と一緒に行
活は不安なものなので、しっかり援助して
きたい」ということを言っていました。患
自信をもってもらうことがまず大事なんじ
者が退院できない理由は、
「できれば退院し
ゃないか、焦らせないように、自分たちも
たくない」と思っていることが大きな理由
焦らないようにすることが肝心かなという
です。で、生活スキルの不足がある。でき
風に考えていました。受け持ち看護師、さ
ること、できないことがやっぱりありまし
っきの「どうしてこの人は退院しないんだ
た。順応性が乏しく、すごく激しい人見知
ろう」と思った人を受け持ち看護師にしま
りをする人で、キーパーソンがいないとい
した。そこで「安定した生活を送れる」と
うことと、帰るべき家がないということが
いうこれまでの看護計画を「退院後の生活
ありました。不安定な経済感覚がこの人に
に関心をもつ、退院後の社会生活に向けて
もありました。
準備できる」という風に変えていきました。
看護計画も「患者を刺激しないで患者の意
Bさんの退院支援
この人をもう一度再検討していったので
思を引き出す方策にすること、生活技能の
習得と他者との交流拡大をすること」とし、
すが、病気に対する認識は、統合失調症で
生活準備グループへの参加を繰り返すとい
あること、服薬が欠かせないことは十分理
うことをしてもらいました。生活準備グル
解していて、服薬自己管理は「退院する前
ープは、ここに挙げていますが、病気の症
にするもの、服薬自己管理したらもう退院
状と退院後の生活の準備を始めるための学
しないといけないんだ」という思いがあり
習会をいいます。セッション毎に担当講師
ました。睡眠は不慣れな環境では不眠にな
を置いて、SST方式でやっていく8セッ
るという状況です。気分変動は、自己決定
ション1クールのものです。これをこの方
は5回ほど繰り返してもらいました。徐々
獲得と行動範囲の拡大のためのもの、自由
に自分がどうしたらよいかということをこ
の喜びを感じる機会へ変更するということ
の中で学んでくれたということと、退院と
をしていきました。
いうことを意識するということができるよ
うになりました。この人の強みは、病状は
退院後の生活を想定して
比較的安定しているということと、患者の
そして、退院後の生活に関心をもつ関わ
退院支援へのチームでの関わりが出来ると
りとして、具体化していこうということを
いうことで、主治医・看護師・PSW・作
していきました。まず住居が決まったらど
業療法士・保佐人という決まった人が支援
うするか、この人は、結局どこにするか大
できるという強みがありました。各職種の
分悩みましたけれども、誰かがいる生活で
強みを発揮できる環境でもありました。チ
ないと安定できないだろうということで、
ームはカンファレンスだけではなくて、情
グループホームを選びました。男性がいる
報交換を密に行って、方向性を同じく関わ
とちょっと怖いというのがありましたので、
ることができるチームでした。なので、無
女性だけのグループホームを選ばれました。
理にカンファレンスを開かなくてもよかっ
その選んだところで、どこで寝るか、どこ
た。カルテを通じて情報共有をするという
でご飯を食べるか、お薬はどこに置くか、
こともできていました。そしてこの人も経
お風呂はどこにあるのかということで、間
済的な問題というのはあまりない人で、障
取り図に具体的に書き込むということをし
害年金は受けているけれども生活保護を受
ていきます。その中で生活しやすさを患者
けることも可能であったということがあり
と一緒に考えていくことが大事というとこ
ました。その経済的なところを保佐人がカ
ろでやっていきました。退院前訪問で実際
バーしてくれるということがありました。
的に準備をしていきます。
状況を整えるために退院支援を開始して
もうひとつは、生活リズムが崩れないた
みてはどうかということで始めました。
めにどうするかということを考えました。
もう一度医療上の検討をしていって、統合
一日の過ごし方をタイムスケジュールにし
失調症についてはどう関わるかというとこ
てみるということで、無理のない生活を考
ろを医師、受け持ち看護師で役割分担をし
えること、完璧な計画は息切れがするので、
てやっていくということと、精神科医師、
完璧でなくてよいということを念頭におい
看護師でやる生活準備グループへ、必ず参
てタイムスケジュール作りをしていきまし
加を促していくということをしていきまし
た。一週間はどうするか、月にしたら何日
た。IADLの自立については、調理のレ
と何日が外来の受診の日なんだというとこ
パートリーが増える、単独で買い物へ行き、
ろで、スケジュールを拡大していきました。
目的の物を予算内で購入できるというとこ
もうひとつは、地域で生活するには地域
ろを目標にして、作業療法士と受け持ち看
のことを知ることも大事なので、退院前訪
護師、PSWがそれぞれに関わりをもちま
問を通じて、どこで生活雑貨を買うのか、
した。余暇の利用の作業療法から、スキル
八百屋さんや肉屋さんはどこにあるのか、
歯医者さんはどこにあるのか、病院へ行く
は、「早くグループホームに帰りたい。(作
のはどんな手段で来るのか、ということを
業所付きのグループホームなんですが)作
考えていきました。生活マップを作るとい
業にこんな風に参加したい」ということを
う風にして地域をマップにしていきました。
言えるようになっています。現在も週に1
「ここには誰がいるよ」みたいなことを書
回外来通院をしています。
いていっています。生活を支えてくれる人
や場所を地図にしてしまうということをす
退院支援とチーム医療
ると、割とそれを共有することで、このと
患者さんが思いがはっきりしないという
きにはこの人に頼むんだなということを、
ときでも、生活を具体化するということで、
生活を、退院支援を支援するみんなが共有
患者さんの退院を具体化していって、夢や
することが出来ました。
希望をそこへ入れることで、退院後の生活
間取り図、タイムスケジュール、生活マ
ップから抽出された問題点を、カンファレ
というのは成り立っていく、その自信がで
きれば患者さんは退院ができます。
ンスにかけて解決していくと、安心した生
退院支援開始というのは、看護計画立案
活にしていくということができます。担当
になります。その人はどうなのかというの
を各職種が担うということで、先ほどもあ
を計画にしていくこと。誰がしていくのか
りましたけれども、餅は餅屋で、上手く解
ということを明確にしていくことは大事な
決していくことができます。具体的な生活
ことです。看護師がマネジメントする意味
支援がスムーズに導入されて、患者に「で
というのは、ナースは患者のおかれる環境
きる」自信につながっていきました。退院
に敏感になることができる。患者が環境の
への不安があってもやっていける自信もで
変化に適応しづらいことを知っている。逆
きてきて、可能性がひろがりました。この
に、患者の強みも知っている。そういうと
方は入院から20数年ぶりにグループホー
ころで、看護師がマネジメントする意味が
ムに退院されました。退院支援開始から4
ある。チーム医療につなげることができる
年で退院となりました。退院支援開始時は
し、患者の生活を考えることができるとい
「追い出される」でしたけど、徐々に変わ
うことになります。
っていきました。退院後初回の通院時に、
ケアアセスメントをするときには、先ほ
駅の階段でこけてしまったんですね。両足
ど言いました「医衣食住什友遊場」という
首の骨折をして、入院しないといけない状
ところを考えていく。それは何かというと、
況になりました。でもうちにちょっと空き
生活しやすい環境を確認することなんだ、
がなかったので、他院で治療してもらいま
安心できる場と支えてくれる人がいる環境
した。その後、数ヶ月でグループホームに
が退院してもやっていける患者の自信につ
退院することができています。退院の1年
ながるんだということを、いろんな支援し
後、グループホームの職員不在の年末年始
ていく人に広げることができます。看護師
だけ、誰もいないところでは生活できない
が院内外へ支援者をつないでいくというこ
人なので、入院されました。その退院時に
とは、チーム医療の要であるというだけで
はなくて、患者と看護師の信頼関係を地域
で支えてくれる人へ移行できるチャンスに
なります。信頼関係の輪が広がれば、患者
は安心して生活ができるということがあり
ます。
その時の課題としては何があるかという
と、どうしても病院にいると患者を見る目
は施設寛解となってしまいがちです。
「患者
の生活が、本当に自分と同じ暮らしが、こ
の人が地域に出たときにできるかどうか」
ということを考えながら支援する必要があ
ります。退院支援は、精神科の患者は必ず
退院すると看護師が認識を変えることから
始まって、患者の目標は、地域でその人ら
しく生活することにある。看護師はそのた
めの生活支援を行うことが役割である。患
者の生活のマネジメントは、患者の生活を
知っている看護師が最適と自分で思うこと
が大事なことなんだということがあります。
退院支援は特別なことではなくて、いつ
も通りの支援の中に退院支援があるんだと
いうことを覚えていて欲しいかなと思いま
すし、精神障がい者が地域で暮らす人にな
るということは、そこに暮らしやすい環境
があるということなんだということで、地
域と一緒に考えていくことが大事なことな
んだと思っています。
以上で終わります。
第Ⅳ部
【意見交換】
コーディネーター:京都大学医学部附属病院看護部管理室
井上
パネラー:新阿武山病院
さわ病院
有美子
氏
看護師長
本多
美香
氏
精神保健福祉士
奥村
朋子
氏
看護師長
日髙
敏文
氏
「意見交換」
コーディネーター:京都大学医学部附属病院看護部管理室
井上
パネラー:新阿武山病院
有美子
氏
看護師長
本多
美香
氏
精神保健福祉士
奥村
朋子
氏
日髙
敏文
氏
さわ病院
看護師長
―
(司会)
場なので、みなさんが今日の話しを聞いて
井上先生、ご講演ありがとうございまし
どういう風に思われたかを言っていただい
た。続きまして第Ⅳ部の意見交換を始めさ
て、そこからもう少し退院支援がどうなの
せていただきます。会場の準備をしますの
か、地域で患者さんが暮らすことがどうな
でしばらくお待ちください。
のか?ということに発展できればいいかな
ここからは司会をバトンタッチさせてい
ぁって思います。
ただきます。
担当させていただきますのは、池田保健
(司会)
所の方で相談員をしております中川と、吹
では、事前にある程度質問を受け付けて
田保健所の山崎です。どうぞよろしくお願
おりまして、そこからお尋ねします。まず
いします。
は、そもそも退院支援に取り組もうとした
第Ⅳ部のコーディネーターには引き続き
きっかけは何か、ということです。病院の
ご講演をいただいた京都大学医学部附属病
発表の方には中に多少お話しを組み入れて
院の井上有美子先生にお願いしたいと思っ
いただいていたかとは思いますが、再度、
ております。また、第Ⅱ部の方でご発表い
重点的に取り組もうとしたきっかけをお聞
ただいた新阿武山病院の本多さんと奥村さ
かせいただければと思います。
ん、さわ病院の日髙さん、準備ができまし
たらご登壇よろしくお願いいたします。
(奥村氏)
まず最後は駆け足になってしまいました
新阿武山病院ではどこの病棟もそうなの
が、各病院からの発表や先生のご講演で話
ですが、
「患者さんは退院していく」という
し足りなかったなぁというところがあれば、
ようなことを当たり前にとらえ退院支援を
それぞれお願いできればと思います。最初
していくといった風土がある病院なので、
に発表された新阿武山病院から、何かあれ
私が就職した時から退院支援は積極的にや
ば・・・。ないようなので日髙さんは?・・・
っていたと思います。その中で、先ほども
ないようですので、井上先生お願いいたし
言ったのですが、自分があきらめていた方
ます。
とか、退院を家族が頑なに拒否している方
とかたくさんいらっしゃるのですけれども、
(井上氏)
特にはないのですが・・・。せっかくの
それでも患者さんと向き合った時に何か希
望を見出したいとか、変化を起こしたいと
か、
「ここで一生いるのはちょっとな…」と
けれども、そっちの方に少しずつ参加する
いうような話があった時に、
「やはりこの人
ことによって、
「あっ、退院とはこんなもの
はできるな」と感じ私は取り組もうと思っ
なんだ。」とか、その中で実際に退院された
ています。
方のお話しとかを聞くことによって、やは
あとは、本当に最近の看護師さんに勢い
りそこで「自分もそういうことができるか
と元気があって、看護師さんが「退院させ
もしれないというふうに思った。」っていう
てよ」とか、
「退院させていこうよ」と言っ
ことが患者さんにとっては大きいかなぁと
てくださるので、取り組もうというモチベ
思いました。そういうことが、病院として
ーションがどんどん上がります。
も、退院支援にドンドン取り組もうという
ことで、いろいろなことを、外部からの刺
(本多氏)
同じような意見になりますけども。
激を入れようというようなことを考えてい
たと思います。
やはりきっかけとしては、いろいろな支
援事業が入って、外部から情報が入ってき
たというのもきっかけの一つだと思います。
病院の中だけだとどうしても同じようにグ
(日髙氏)
私の方は先ほど発表の中で大体お伝えし
たんですけれども。
ルグル回ってしまうというところもありま
実は私、慢性期病棟で勤務年数が長くて
すけれども、復帰協(大阪精神障害者社会
ですね、急性期病棟はほとんど、まぁ、経
復帰促進協会)の方とか自立支援員の方と
験あっても4、5年しかなくて。20数年
かに入っていただいて、そこでまた新しい
の中で。慢性期病棟しか勤務したことがな
意見をいただいて、その中で今まで退院っ
いことの方が多かったんですね。
ていう二文字が頭になかった方たち、長期
それで急性期病棟からこの患者さんが転
入院の方たちで、また、なかなか退院を自
入された後に、私が2007年3月からで
分たちから言ってこられない方たちの中に
すね、そこに配属になったんですけども、
も、やはり頭の片隅には「一回は外に出た
正直言って大変な患者さんを見て、この人
い。」っていう方も中にはいらっしゃったと
が退院できるわけはないと最初は思ったん
思うんですよ。でも、それをなかなか看護
ですけどね。急性期病棟ができないことを
師とか、病院の関係者がこう、うまいこと
慢性期病棟がやってみようというところが
引き出せなかったりしたというところを、
あって、ちょっと僕自身の目標であり、そ
外部から入ってこられた自立支援員の方た
れを支えてくれたスタッフが一生懸命やっ
ちが上手に今、退院促進事業としていろい
てくれた結果がこういう風に結びついたん
ろな会を立ち上げているんですね。その中
だと思うんですが。
で自分から「じゃあ、そっちの方に行って
あと一つは、お母さんの思いに何か応え
みたいなぁ。
」と、最初はちょっとしり込み
たいなっていう思いが強くなりまして、こ
をされている患者さんたちも、長期入院の
こまでつながったんですけども。そういっ
方たちも結構いっぱいいらっしゃるんです
た部分とかやっぱり看護者っていうのはそ
ういう患者さんの可能性を存分に伸ばして
ですね。患者さんは退院したい。じゃあ、
あげることが僕らの仕事かなぁと、そう
この人を退院させるだけじゃなくて、地域
常々思ってまして、そういったところでち
に戻してあげるにはどうしたらいいんだろ
ょっととんでもないことをやってみようと
う。地域のほうにちゃんとしたものを作ら
いうことで始まったのがこのケースでした。
ないと、この人をちゃんとしてあげないと
このことがですね、結構他にといいます
いう思いと、あと、強い患者さんの思いに
か、他の患者さんにもいい影響を及ぼして
私も同調することができる。そういうとこ
いる部分があって、本当にやってよかった
ろでもっとちゃんと考えていかないといけ
なぁと。実は私そこでもう病棟を替わって
ないんだろうなぁっていうところから、生
しまって、直接介入はできていないんです
活の見直し、地域へ、地域を知るというこ
けれども、スタッフの意識としてですね、
とを考えたんですね。
そういった退院促進に向けて意識づけがで
同時に、医療が改革されるということは、
きたっていうことが、日々の関わりにも表
今ある病院の姿が変わっていくんだ。病院
現されているような部分があって、すごく
の姿が変わった先に、ここにいる患者さん
楽しく感じているような状況です。以上で
が皆さんどういうふうな退院後の転帰を迎
す。
えることになるんだろうなぁって思ったん
ですね。
(司会)
ありがとうございます。
それと、病院にはそれぞれの役割がある
ので、私がずっといた病院は国立の大学病
院というところで、急性期化を求められる。
(井上氏)
私は最初に平成5年に精神科病棟に初め
て配属になったんですね。
その急性期化を求められる中で(入院期間
が)何十日、何百日という患者さんを抱え
るということができない。その人たちの行
その時からどうして精神科の患者さんは
く先がなくなるんじゃないかっていう危機
リターンしてくるんだろう?何で一旦よく
感がかなりありました。その人たちをちゃ
なって帰るのにまた帰ってくるんだろうっ
んと地域に、生活できる状態にして帰して
ていう思いがありました。それはやっぱり
あげるということが、一番私たちがやらな
「生活のしづらさ」があるんだっていうこ
いといけない役割なんじゃないかっていう
とが勤務をする中でわかってきて、その「生
ところで退院支援を始めようというふうに
活のしづらさ」が地域の中でどうしてある
思いました。
んだろうか?お薬がどうして飲めなくなる
んだろうか?というようなところをずっと
疑問に思っていたんです。
(司会)
ありがとうございます。せっかくの機会
これが先ほどのAさんに会った時に、地
ですので、会場の方からもご意見や、今日
域で何かをしないといけないと思っていた
のお話の質問などがあればあげていただけ
私のところにすごく響くところがあったん
ればと思うんですけれども。手を挙げてい
ただければマイク係が行きますので。どう
期病棟というのはもう、平均年齢が60歳
ですか?
とか59歳とかっていうふうな感じで結構、
慢性・高齢化してますので、そちらの方で
(質問者)
施設に退院されたりとかって方もおられま
はじめまして。私、今専門学校で精神保
すし、あとはそうですね、もうグループホ
健福祉士を目指している学生です。新阿武
ームに空きがあればそちらにちょうど当て
山病院さんとさわ病院さんの方に聞きたい
はまる方がいらっしゃったらそちらのほう
んですが、退院先は様々あると思うんです
にという感じです。
けど、ご自宅、まぁ地域ですね、に戻られ
割合的にはちょっとはっきり数字として
る方、もしくは例えば病院所属のグループ
は出していないのではっきりいえません。
ホームであったりとかそういった施設に戻
られる方、様々だと思うんですけど、おお
(日髙氏)
よそでいいんですが、どれくらいの方たち
さわ病院も同じような状態なんですが、
がどのくらいの割合で、実際どのような形
急性期病棟については自宅に戻られるケー
で復帰されているのかというのを知りたい
スの方が断然多いと思います。慢性期病棟
んです。よろしくお願いいたします。
についてはですね、先ほどの話もあったと
おりですね。入院が長期になればなるほど
(本多氏)
割合の方、はっきりとはわかりませんが、
帰る先、受け入れ先がちょっと少なくなっ
ていくというのが現状なので、施設とかグ
やはり急性期病棟、慢性期病棟、私がいる
ループホームですね、そういったところに
精神療養病棟では割合としては違ってきま
退院されるケースが圧倒的に多いと思いま
す。急性期病棟でしたらやはり3か月以内
す。まぁ、自宅に戻られるケースもゼロで
にご自宅の方に帰られる患者さんが多いで
はありませんけれども、再入院を繰り返す
すね。ご家族が疾病教育とかもすべて受け
ような方については結構自宅に帰られるケ
て、疾患を理解して帰っていただくご自宅
ースの方が多いですね。以上です。
退院の方も多いですし、グループホームで
悪くなった方はもちろんそのままグループ
(司会)
ホームに帰られる方もいらっしゃいます。
井上先生、おそらく全国的にも二極化と
あと、慢性期病棟とか精神療養病棟です
いいますか、同じような状況だと思われま
けれども、そちらの方ではやはり入院年数
すが。
が長くなっていますので、ご家族さんの受
け入れが悪いっていうのは確かにあります。
(井上氏)
その分、いろいろケースワーカーと相談し
そうですねぇ。
まして、年齢のいっている方は、ケアホー
わりと社会的入院をされていた方という
ムとか行っていただいたり。まぁ、高齢化
のも、帰りやすい人、ご自宅があるような
しているんですよね。やはり精神科の慢性
人だったり、支援ができるような人がいる
場合は、すでに早期に退院なさっているん
れておられたら、また、実際に困っている
ですね。2004年から事業が始まってい
のはどのあたりかをもしお答えいただける
て、もう半期の6年の間にほとんどの人が
ようでしたら教えていただけますでしょう
出て行かれているんですけれども、帰る先
か。
がない、受け入れ先がないっていうような
方の退院支援っていうのが今、これからの
課題となっていると言われています。
そこで、高齢化というのが大きな問題で、
(奥村氏)
そうですね、実際うちの方の病院でも難
しいなと感じているのが様々な病気や障が
高齢化しているということは、ただでさえ
い、知的の障がいも高齢化もそうですけれ
介護が必要な上に、精神的なところってい
ども、今長期で入院されている方って、他
うプラスαが入っていくので、受け入れ先
のワーカーと話をしていました時にね、そ
がどうしても見つからないということがあ
れこそふるいにかけても落ちなかった人た
ります。
ちが長期入院している現状があるという話
もう一つは、地域の理解ですね。国民の
しをきいていて、それは本当に新阿武山病
理解の深化というのが、大分進んでは来た
院の中でも歴史があるんだなと私も感じて
んですけども、住宅を貸す大家さんの中に
いるんですね。
はやはり「そういう精神障がいをもった方
それで、その中でどう関わっていけばよ
はお断りしたい」という人はやはりまだい
いのか、障がいの特性であるとかというの
るので、住宅探しっていうのがかなり大き
も、本当にまず私たちから勉強していかな
な問題となってきているというのがあると
いといけないなと思っているところで、中
思います。
には関わる中でね、先生と一緒に勉強した
パーセントとしてはどこの病院もパーセ
と言ったらあれですけど、その人とどう関
ントとして出しているところはないかなと
わっていくのかということをみんなで話し
思います。
合って、その人に関わり始めてだんだんこ
ちらのスタッフ側も関わる上で楽になって
(司会)
きた人や、どうしてこの人はこうだったん
ありがとうございました。
だ?といつも疑問があったんですけれども、
どうでしょうか、他に?よろしいですか。
それが障がいだとか特性だとかの中で、関
では、事前の質問から、また一つ投げかけ
わるうちにだんだん楽になってきた人もい
てみたいのですが、今、井上先生の方から
るんです。ではその人が具体に退院してい
高齢化が一つの課題だという話が出ました。
く支援というのは、ちょっとまだできてい
もう一つ課題となっていますのが重複障
るケースはないのが現状です。
がいへの支援、特に先ほどのさわ病院の日
高さんのケース、かなり重厚にかかわられ
(井上氏)
ていたかと思うんですが、この課題につき
重複障がいの中で高齢者については、か
まして病院として、もし何か取り組みをさ
なり高齢の枠の中でいろんな施策があるの
でまずそれを使う。介護保険優位というの
うところでお話ししたんですが、看護だけ
があるので、介護保険優位で考えていって
が退院支援をしているわけじゃない。たく
そこに精神障がいがあっても大丈夫かとい
さんのチーム医療の中で果たす役割ってい
うところで考えていくことができるので、
うところで、それぞれの役割を発揮するこ
わりとうまくいくケースがあるのです。
とが退院支援を活性化することだと思うん
統合失調症の患者だっていうことで長期
です。なので、お互いがお互いをよく知る
入院している人をずっと見ていくと、本当
ことがチーム医療の一番大事なところかな
に統合失調症だったのか、この人は本当は
と思うので、ディスカッションすることが
知的障がい、発達障がいだったんじゃない
大事だと思うんです。お互いが意見をぶつ
かっていうところが見えてくる患者さんに
け合うこと、対立することもあると思うん
ついては、受け入れ先が本当にない状態が
ですけれども、意見をぶつけ合って、この
多く見られます。今、結構知的障がいの方
人のために何が一番大事なんだろうか。そ
のほうが病院に残っていて、今までの障が
れで自分がなぜこういうふうに意見を主張
いが区分されて受け入れられてきたところ
しようとしているのかっていうところにも
の弊害が全部精神科にはあったんだってい
う一度立ち返って、本来あるべき姿ってい
うことが見えてきているところにあります。
うのを考えていくっていうのが退院支援の
じゃあ、知的障がいの人をどうするのか
中で大事なのかなぁって思っています。
っていうのがあって、知的障がいの枠、施
それで、看護ができることっていうのは
策っていうのはかなり限られたものがある
コーディネートと生活を見るっていうこと。
ので、全員がそこへスイッチすればいいの
それをコーディネートする時に生活の視点
かっていうとそうじゃない。だから「自立
をそれぞれの職種に伝えていくことが、コ
支援法」なわけなので、お互いに支えあっ
ーディネートの中で一番大事なことだと思
ていくっていう中で、どこに、どういうふ
いますので、看護の方はそういうことをや
うにするのがこの人にとって幸せなのかっ
っていただけたらいいかなぁって思います。
ていう、個々のケースで考えていくってい
そしてもう一つが、医者に負けないこ
うことがやっぱり必要になってきているの
が、今の現状なのかなっていうように捉え
ています。
と・・・ですね。
どうしても主導は医師にありますけど、
でも患者を守ることができるのは看護師だ
と思っているんです、私は。だからその患
(司会)
者さんの幸せを考えて一緒にやっていく時
ありがとうございました。そろそろ時間
に、医師が阻む要因になると。例えば、た
ですので、最後に井上先生に一言いただけ
くさん退院されたら経営が立ち行かなくな
ればと思います。
ると考えている経営者がまだたくさんいま
す。社会的入院であっても入院患者の数が
(井上氏)
今日は退院支援を看護の視点で見るとい
大事なんだと。稼働率の方が在院日数より
大事なんだという経営者もたくさんいます
から、その経営者の理念に負けて退院支援
がおろそかになってしまったら、患者さん
の自由である幸せっていうものがなくなっ
てしまうんだっていうことを考えて、医者
に負けないでほしい。経営を考えれば入院
者を増やせばいいんですよね。だから、ど
こに入院者がいるかっていうところに経営
者の頭をスイッチできるように話し合いが
できる看護スタッフが増えればいいなぁと
私は思っています。以上です。
(司会)
ありがとうございました。
地域にも味方は一杯いますので、ぜひ一
緒に頑張れればと思います。
それでは本当に長時間の研修になりまし
たけれども、井上先生、パネラーの3名の
みなさん、本当にありがとうございました。
大きな拍手をよろしくお願いします。
閉会あいさつ
財団法人
精神障害者社会復帰促進協会
理事長
麻生
幸二
氏
「閉会あいさつ」
(財)精神障害者社会復帰促進協会
<司会>
本研修会のプログラムは全て終了いたし
ました。
最後に精神障害者社会復帰促進協会の麻
生幸二理事長より閉会のご挨拶をさせてい
ただきます。
麻生
幸二理事長
ある病院の院長さんが、当事者の方が、
なにかトラブルを起こすと、社会の批判の
矛先がすぐに病院に向くと、言われておら
れました。事実、そういうこともあったろ
うと思います。
しかし、今日の発表でもそうですが、今
日では、病院の中で医療と生活というもの
<麻生氏>
皆様お疲れ様でした。
の分離についての点検が始まっているよう
に思います。
今日の表題が「地域暮らしっていいもん
医療はもちろん病院でやっていただかな
だ」という大きなテーマでしたが、雰囲気
ければならないのですが、生活について、
伝わりましたでしょうか。
病院で支える部分と、その期間がある程度
入院生活をされた経験のあるお二人の当
経過したら、今度は社会に戻り社会のみん
事者の方からの体験談に始まり、新阿武山
なが考えていく、そういう領域もあるので
病院の実践報告、さわ病院の事例報告、最
はないかと感じます。そのほうがより質の
後に京都大学医学部附属病院の総まとめを
高い生活が考えられるのではないかと思い
兼ねた事例報告がありました。
ます。
それぞれキーパーソンがおられ、象徴的
たまたま25~6年前に、カナダ・バン
な表現すれば、
「つながり」ということが共
クーバーのUBCという大学を中心に、精
通するような要素ではないかと思います。
神医療の実態を見学する機会がありました。
入院生活が長い方・短い方様々ではありま
そこでは、患者・障がい者をサポートする
すが、今まで病院が医療と生活療法を丸抱
チームがありましたが、そのチームの中心
えしていた状況が、日本の社会では長いこ
は、看護スタッフやワーカーでした。
と続いていました。
今日の井上先生の事例に出てきた、相関
その背景には様々な事情がありますが、
図の中心にかかれていたのが、コーディネ
退院促進支援事業がようやく始まり、大阪
ーター役のプライマリーナース(PNS)
では11年目に入っています。
でした。この方を中心に、医師、薬剤師、
さらに地域移行支援や地域定着支援とい
その他もろもろの関係スタッフを、つない
った広がりを持ちながら、
「運動」といって
でつないで、その一人の患者さんを支える、
もいいこの事業は続いていくものと思って
という図が示されており、私はふっとその
います。
25年前の記憶を呼び起こして、日本もや
っとこういう時代になったんだなぁと、感
慨深くお話しを聞いていました。
最後まで話をお聞きして、今日のキーワ
ードは、「つながり」であると思いました。
今日、技術的な面でたくさんの収穫があっ
たのではないでしょうか。
退院という話しがでると、私たちは社会
復帰施設に代表される社会資源をまず思い
浮かべますが、一番の受け手になるのは、
それを取り巻く社会を構成する我々一人ひ
とりであり、実は、我々一人ひとりが社会
資源なのだと思います。
今日の研修内容を是非、周囲の方々に少
しでも伝えていただき、仲間とつながって
いだきたいと強く思いました。
今回も、大阪府の北ブロックの研修会と
いうことで、池田保健所、豊中保健所、吹
田保健所、茨木保健所、それから高槻市保
健所という5つの保健所からずいぶんサポ
ートを頂きました。ありがとうございまし
た。
これをもちまして閉会とさせていただき
たいと思います。
今日はどうも一日お疲れ様でした。ありが
とうございました。
<司会>
これをもちまして、第4回北ブロック保健
所合同大阪府障がい者地域移行促進強化事
業研修会を終わらさせていただききます。
長時間のご清聴ありがとうございました。
◆
研修会実行委員
◆
大阪府池田保健所
中川
大阪府都夜中保健所
岡
大阪府吹田保健所
山崎
舞
大阪府茨木保健所
杉原
亜由子
大阪府こころの健康総合センター
夛良
昌子
(財)精神障害者社会復帰促進協会
田渕
誠
福島
晶子
中川
直子
田嶋
智子
三浦
茜
的場
輝世
木村
直也
松本
裕之
高槻市保健所(事務局)
尚代
信浩
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