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武力不行使原則の妥当基盤の変容 - 横浜国立大学教育人間科学部紀要

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武力不行使原則の妥当基盤の変容 - 横浜国立大学教育人間科学部紀要
武力不行使原則の妥当基盤の変容
──人道目的との関連において──
掛 江 朋 子
れに対してもう一つは,安保理決議がないとい
はじめに う点で手続上違法であるが,法の実体内容とし
現代国際法の通説において,武力行使は,国
て人道目的の武力行使を認める余地があるとい
連憲章第 7 章下の強制措置もしくは集団的自衛
うアプローチである.
権の行使として認められないかぎり武力不行使
このようなアプローチの違いが生じる理由と
原則(国連憲章第 2 条 4 項)違反であると考え
して考えられるものの一つに,武力不行使原則
られている.人道目的の武力行使1)についても,
の妥当基盤の変容に関する理解の違いがあると
安保理決議が憲章第 7 章のもとに許可している
思われる4).以下で説明するように,冷戦期以
かどうかという手続的な根拠によって合法性が
前と冷戦終結後では,人道目的の武力行使に対
判断されており,この点についてはあまり争い
する諸国の評価には明らかな変化がみられる
がない.
が,このような変化と武力不行使原則の妥当と
と こ ろ が,安保理決議 に よ る 授権 の な い
の関連をどのようにみなすかという点が問題と
NATO のコソボ紛争への介入をきっかけとし
なる.すなわち武力不行使原則を現代の国際法
て,人道目的の武力行使が場合によっては「違
秩序のなかでどう位置付けるか,また他分野の
2)
法だが正当である」という評価 が散見される
法の発展とどのような相互作用をしているのか
ようになった.法学者であるにもかかわらず
という検討が求められる.仮に武力不行使原則
「違法である」という結論に留まることなく,
の妥当基盤の変容を認めないとすれば,ある違
「しかし正当である」という主張をするのはな
反行為が法的に正当化されることはないのであ
ぜだろうか.国際法学者は果たして「コソボを
り,よって「違法だが正当」という評価におけ
契機に無味乾燥なプロフェッショナリズムを捨
る正当性は,法外の道徳的・政治的価値判断に
て去り,文明の使命を担う道徳的主体としてみ
基づくこととなる.他方で,同原則の妥当基盤
3)
ずからをとらえるようになった」 のだろうか.
の変容を認めるとすれば,正当性と合法性との
正当性の由来には,大きく分けて二つあると
乖離は,法の変容に内在する問題となる.
考えられる.一つは,道徳的・政治的な価値で
合法性と正当性との乖離について,社会関係
あり,ある行為が違法であっても,道徳的・政
の変化は重要な要因となりうる.奥脇教授によ
治的に正当性をもつ場合があるというように,
れば,社会関係の変化によって既存のルールが
合法性と正当性との関係を法と法外の価値の
社会を安定化する機能をもはや果たしえない段
対立としてみなす場合である.上記の「プロ
階に達したと判断される場合には,ルール自体
フェッショナリズムを捨て去り…」という主
の変更が模索される.国際社会において,この
張は,このような議論に向けられている.こ
ような法の変更は,国家が国際紛争の解決を模
40
(550)
横浜国際社会科学研究 第 14 巻第 5 号(2010 年 1 月)
索する過程で生じるのであり,
「その成熟の過
人道法の発展,主権概念の変容を含めた「条約
程においては,合法性は正当性のもはや唯一の
を含む国際実行と規範意識をもとに構成された
5)
基準でもなければ,優越した基準でもない」
14)
解釈の妥当」
の問題として捉え分析すること
のである.すなわち,ある違法な行為の正当性
をねらいとするものである.
が問題となるとき,行為の合法性を判断する法
以下ではまず,主権概念の変容を概観し15),
規則そのものの正当性が問題となる場合がある
冷戦後 に 顕在化 し た 主権概念 の 変容 が,人権
のである.法規則の正当性6)は,合法性の背後
法・人道法分野の発展を反映するものであるこ
にあってその妥当を支える妥当基盤によって判
とを論じる.続いて,安全保障分野においても,
断されるものである.それ故,法そのものの正
脅威概念の変化を通じて,人道目的の武力行使
当性が問題になるということは,法の妥当基盤
に対する評価が冷戦以前と冷戦終結後では変化
となる基本理念が変化したのではないかと考え
しており,それが先述の主権概念の変容と密接
7)
られる .
「違法だが正当」と評価する場合に
に関連していること,さらに人道目的の武力行
も,人道目的の武力介入を合法とする説と同様
使の正当性の根拠となっていることを明らかに
に「法に実際の変化が生じているかどうか証明
する.
する必要がある」8)のである.
本稿の分析は,以上の問題意識から,武力不
1.人道目的の武力行使を巡る国際関係の変化
行使原則に関して,他分野の法の発展とどのよ
人道危機16)は,国家が十分な統治能力をもっ
うな相互作用をしているのかという外在的要因
て治安を維持し国民の人権を保障していれば,
を検討するものである.それは,フィネモア
本来生じないはずである.したがって,ここで
(Martha Finnemore)が 指摘 す る よ う に,諸
問題となるのは国家の国内統治であり,国際法
規範を「国際関係の社会的空間にばらばらに浮
の観点からは,主権国家の国内統治について国
かぶ 「 もの 」 としての規範ではなく,高度な構
際法がどのように関与してきたかをみていく必
9)
造をもつ社会的文脈の一部として」 みなすこ
要がある.伝統的国際法は,主権概念によって
と,すなわち「特定事項に関する別々の規範で
国家が国民の権利義務を自由に決定することを
はなく,編み込まれ織り交ぜられた諸規範か
認めてきており17),今日においても他国が自国
ら成る一つの織物としてみなすほうが道理に
内の人権および人道問題に干渉することに反
10)
かなう」 という前提に立つ.とりわけ本稿の
対する国家は,それが主権侵害であると非難
ように,
人道目的の武力行使を検討する際には,
す る18).そ の 一方 で,国際法 は 人権法 や 人道
「一連の諸規範が変化することによって,他の
規範や実行にも変化をもたらす可能性があり,
法 に よって 個人 の 権利義務 を 規定 し,国家 の
裁量を制限してきた.
論理的および倫理的に変化が求められる場合も
ある」11)という視点は重要である.人道目的の
武力行使 の 問題 は,主権 と 人権 の 対立12)で あ
る と か,安全保障 の 人道主義化
13)
の 問題 と し
1. 1.主権概念の変容 ⑴ ―文明の基準から消
極的主権へ
今日,人道目的の武力行使の対象となる典型
て評されるように,さまざまな法概念の発展が
的な国は,ソマリアのような破綻国家である.
重なり合うことによって生じる問題である.集
破綻国家とは,国民の最低限の市民的条件すな
団安全保障制度それ自体のみを検討することで
わち,国内的平和,法と秩序,グッドガバナン
は,人道目的の武力行使に対する評価の変化を
スを保護できないまたは保護しない国家である
説明することはできない.したがって本稿は,
と定義される19).つまり,国家としての自律性
人道目的の武力行使の正当性について,人権・
の確保あるいは主権国家としての生存・安全保
武力不行使原則の妥当基盤の変容(掛江)
(551)
41
障を維持するために,民主主義や人権の尊重な
止といった「文明の国際社会」で受容された規
どは二の次とされ,暴力手段の開発が優先され
範と実行に従うことである24).ここにおいて,
た結果,政府が人権の侵害者となるような場合
内政不干渉原理,主権独立原理,相互不可侵原
である20).
理は,文明国たる国家の均質性の擬制の上に
このような破綻国家が生まれた要因として
たってその「合理的」国内統治能力を前提とす
ジャク ソ ン(Robert H. Jackson)ら が 挙 げ る
る,相互に主権平等である国家間での内政事項
のは,脱植民地化した諸国が独立する際に,従
の国際紛争化を回避するための原理であった25).
来国家性の要件と考えられてきた実効的支配
ところが,国際社会が拡大するに伴いその
が要求されなくなったという点であり21),した
基準は緩和されるようになり,1945 年以降は,
がってこのような破綻状態は,冷戦後に生じた
国連加盟の資格として,憲章に掲げる義務を受
というよりは,冷戦という国際環境が隠蔽し存
諾しこの義務を履行する能力および意思がある
22)
続させたものが表面化したと考えられる .
と認められる「平和愛好国」26)かどうかが問わ
歴史的には,19 世紀に国際社会が,ヨーロッ
れるのみとなった.20 世紀後半に植民地から
パからアメリカ大陸まで拡大したとはいえ,ま
独立した新国家については,多くの国が特段の
だ国際法の主体がキリスト教世界に由来する限
条件もなく承認され,国家性を備えるものとし
定的な時代であった.その当時,国家性は「文
て み な さ れ た27).1960 年採択 の 植民地独立付
明の基準」によって判断され,基準を満たさな
与宣言第 3 段落 は,「政治的,経済的,社会的
い場合には国家とみなされず,未開,野蛮であ
または教育的な準備が不充分なことをもって独
り植民地支配の対象であった.文明の基準が形
立を遅延する口実としてはならない」と明記す
成された時代とは,産業革命による近代資本主
る.こ れ は 国連憲章第 12 章国際信託統治制度
義のめざましい発達,交通・通信技術の飛躍的
の基本原則の一つである「信託統治地域の住民
な進歩の時代であり,さらには,フランス革命
の政治的,経済的,社会的及び教育的進歩を促
を転機として次第に市民階級が政治権力に近づ
進すること」かつ「自治または独立に向かって
き,近代市民国家が形成された時代である.こ
の住民の漸進的発展を促進すること」28)という
のような状況を背景に,国家の国際的実践の上
規定とは矛盾する内容である29).つまり,国連
にも市民階級の利害が強く反映され,市民階級
憲章採択時において文明の基準が問われなく
の対外的な活動,ことに,経済活動の自由を保
なったのみならず,さらに 1960 年代脱植民地
障するための合理的な国際体制が強く求めら
化の時代においては,西欧の植民地主義と強い
23)
れるようになった .文明国の基準は,ゴング
一体感をもつ信託統治は否定的に受け止めら
(Gerrit W. Gong)によれば以下 5 つの要請を
れ,上記植民地独立付与宣言 の よ う に 実質的
含むものである.第一に,特に外国人の生命,
支配よりも独立が重視されるようになったの
尊厳,財産といった基本権と,旅行,商業およ
である30).これは,外部の干渉から自由である
び信教の自由を保障すること,第二に,国家機
ことを意味する形式的・法的な状態としての
構を実効的に運営し自衛能力を備えた政治的官
「消極的主権(negative sovereignty)
」31)が 重視
僚制を有すること,第三に,戦争法を含む一般
される一方で,政府の統治能力を前提とする
に受け入れられた国際法の遵守と,自国民と外
実質的な条件としての「積極的主権(positive
国人とを公正に扱う国内裁判システムと公表さ
32)
sovereignty)」
が問われなくなったというこ
れた法を備えること,第四に,継続的な外交交
とを意味している.このような変化の原因とし
流と対話の維持を通じた国際システムの義務を
ては,以下で述べるように,第一に自決権を価
履行すること,第五に,例えば重婚,奴隷の禁
値とする思想背景と,第二に冷戦の国際関係を
42
横浜国際社会科学研究 第 14 巻第 5 号(2010 年 1 月)
(552)
指摘することができる.
には,独立後の多くのアフリカ諸国において,
第一に,自決権と脱植民地化,主権平等とい
統治能力を備えるための資源が権力争いによっ
う主張において,
主権は,
国家アイデンティティ
て消耗された.これら新独立国のなかで,国家
を形成し,後進性の要因であった従属の鎖を断
を統治するための国内的競争が発生し,競争に
ち,社会的経済的発展を推し進めるための強力
敗れた者は,反政府的な裏切り者とみなされ,
な道具であるのみならず,旧宗主国からのさら
訴追を逃れるために隣国へと亡命した42).多く
なる支配や介入に対して,新国家に法的な盾を
の民族グループが 19 世紀アフリカ分割の際に
提供し,伝統的に国民国家が有する国際関係上
描かれた政治的国境を跨いで存在していること
のすべての特権や免除を主張することを可能に
から,隣国の政治的支援団体と協力して,亡命
33)
した .また,脱植民地化と人権の拡大は,非
政治家出身国の政府に対し圧力をかけるなど,
白人,非ヨーロッパ人に対するヨーロッパの白
各国のあいだで反対派政治家の「輸出─輸入」
34)
人の理解を変容させた .19 世紀にはヨーロッ
取引がなされた43).そしてそのことによって,
パの白人にとって非白人,非ヨーロッパ人はか
広汎な政治的不安定が生じ,政府が外部で企図
ろうじて人間として認められるという状態で
された転覆に対し脆弱であるという環境がつく
あったが,新しい社会構造によって,一世紀前
られてきた44).
にはなかった方法でそれらの人々に対し発言権
以上のような背景から,新独立国のなかには,
と地位とが与えられ,西洋の人々が彼らを自己
外部の干渉を受けないという意味での消極的主
35)
同一化し,共感するような基礎を作った .こ
権は有するものの,政府の統治能力を前提とす
のようにして,脱植民地化と,包括的国際制度
る積極的主権の条件は満たさないような破綻国
や法構造によってもたらされた人権拡大は,植
家が存在することとなった.アフリカにおいて
36)
民地主義をタブーにしたのである .
は特に,非民主的で抑圧的な体制が,競合する
第二に,脱植民地化の時代とは,冷戦の国際
超大国によりその大局的目標の名のもと支援さ
関係のなかで東西両陣営が新興国を奪い合う時
れ維持されていたが,冷戦の終結とともに突然
代でもあった37).西側諸国は,反植民地主義が
見放されることとなった45).このような国家の
共産主義擁護に変わるのを恐れたため,植民地
存在が,冷戦終結によって国際安全保障の問題
がまだ自己統治にはそぐわないと議論すること
として露呈してきたのである.
38)
は政治的に不適当であると判断した .東西両
陣営は,第三世界諸国が自分の側につくことを
重視し,アメリカは「自由主義的な」体制より
1. 2.人権・人道法の発展-消極的主権の主張
から積極的主権の要請へ
も共産主義が浸透しにくい権限のある「硬い」
上記ジャクソンによる破綻国家の定義をみる
体制であることのほうを重視したため39),
「こ
と,そこで統治能力を欠くという場合に挙げら
の憲章に掲げる義務を受諾し,且つ,この機構
れた各要素は,ゴングの文明国基準で求められ
によってこの義務を履行する能力及び意思があ
ている要素とかなり対応している46).文明国基
40)
ると認められる他のすべての平和愛好国」
と
準の多くは,まさに積極的主権の条件といえる.
いう国連加盟の資格基準さえも,東西冷戦によ
この点,統一的文明に代わる複数の文明を国際
り戦略的かつ日和見的に利用され,実質的な内
法の基礎においている現代においても,「文明
容や意義はないものとなった41).
が一貫して世界の統一的価値基準として果たし
このように,ある国家が国際社会の構成員と
た役割は,その役割の内容に則した批判や,そ
して認められるための条件として,国内統治能
れをそのまま当てはめる場合の現代的諸理念の
力を問われることはなくなった.しかし,実際
積極的な反発を慮外視すれば,役割自身として
武力不行使原則の妥当基盤の変容(掛江)
(553)
43
47)
の意味を失ったものではな」
いという指摘は
世界大戦では,ドイツ,イタリア,日本という
的確であり,後述の人権法・人道法の発展を通
国内において人権を抑圧してきた全体主義国家
じて,むしろその価値基準の実質的内容は,人
が,国際社会においてもルールを尊重せず,侵
道・人権にかたちを変えて強まっているように
略や破壊行動に出たことから,国際社会の安定
思われる.すなわち,現代国際法において,主
を保ち平和を維持するためには,国内における
権は権利の根拠であるのみならず責任の根拠で
人々の人権が十分に守られる体制を確保するこ
もあり,国際法はますます国家の国際的責任と
とが必要であると認識されるようになり54),こ
同様に,国内的な責任の実質をも規定している
れを受けて連合国は戦争目的に民主主義の擁護
と考えられる48).実際,今日では「保護する責
と人権の尊重を掲げている55).ナチスによるホ
任(responsibility to protect)
」概念 が 提唱 さ
ロコーストに対する憤激56)も加わり,その結
れており,2005 年世界サミット成果文書にお
果として,国連憲章は目的の一つとして,人権
いては,
「それぞれの国家は自国民を,ジェノ
および基本的自由を尊重するように助長奨励す
サイド,戦争犯罪,民族浄化,人道に対する罪
るための国際協力の達成を挙げている57).
49)
から保護する責任がある」
という文言が組み
その後国際人権法が発展する出発点は,一般
込まれるに至った.このことからも,人権,人
に 1948 年採択 の 世界人権宣言(総会決議 217
道を保護するようなかたちで,積極的主権の重
(Ⅲ))であるとされる58).宣言採択を棄権した
要性が強調されるようになってきたことは明ら
ソヴィエトは,人権の国際的保障そのものに反
かである.以下では,人権法と人道法の発展を
対したわけではなかったが 59),宣言の抽象性,
通じて,このような主権の消極的主権の主張か
形式性を批判し,とくに憲章第 2 条 7 項との関
ら積極的主権の要請へと力点の移動が生じてい
係において国家の機能をもっと明確に規定する
ることを説明する.
必要があると主張しており60),人権保障と国内
1. 2. 1.人権法の発展
問題不干渉原則との衝突可能性が意識されてい
人権は,国家と国民との関係において保障さ
たことがうかがえる.その後,「経済的,社会
れるものとして,国内法でまず認められたもの
的及び文化的権利に関する国際規約」と,「市
であり,第二次世界大戦以前には,人権問題は
民的及び政治的権利に関する国際規約」(1966
国内問題であるとみなされていた.それ以前の
年)が 採択 さ れ た ほ か,難民条約(1951 年),
19 世紀 に お い て も,市民的,社会的権利 に 重
人種差別撤廃条約(1965 年),女子差別撤廃条
点をおいた形式の条約が次第に出てきたが,そ
約(1979 年),拷問禁止条約(1984 年),児童
うした条約の多くは,西欧諸国に比べて近代化
の権利に関する条約(1989 年)等が採択され
が著しく遅れ,封建的な社会構造がそのまま残
ていくなかで,これら人権条約の多くは,政府
り,宗教による差別がなおきびしく行われてい
による自国民の取り扱いが正当な国際関心事項
た国に対して,西欧諸国が進出するうえで,そ
であるという見解を強化し,一連の人権問題に
の活動の自由を保障するために西欧の近代的な
取り組むようなメカニズムを提供するように
法原則の適用を求めるという内容であったた
なってきた61).
め,保障の趣旨は現代の人権法とは本質的に異
さらに,各種の人権条約は,個人の権利保護
50)
51)
なる .一部例外はあるものの ,かつてはそ
を国家に義務付けるのみならず,個人の申し立
のような限定的な保障しかなされず,連盟規約
てを認めるように変化してきた62).例えば,人
でも人権に言及されていない52).国際法による
種差別撤廃条約第 14 条 は,人種差別撤廃委員
人権の保障が実定法化されるに至ったのは,第
会への個人と集団の申し立てを規定している.
53)
二次世界大戦後になってからである .第二次
ま た,拷問禁止条約第 22 条 は「被害者 の た め
44
横浜国際社会科学研究 第 14 巻第 5 号(2010 年 1 月)
(554)
に通報する者」という規定をもっており,人権
権利義務を定めるものから,個人を保護または
NGO を想定して挿入された規定が増えつつあ
訴追するものへと変容してきた.
63)
る .
人道法は,大きく分けてハーグ法とジュネー
地域的条約 も 締結されており,例えば欧州
ブ法に分けられる.ハーグ法とは,1868 年の
人権条約(1950 年)
,米州人権条約(1969 年)
,
ペテルスブルグ宣言に始まり,1899 年と 1907
人権と人民の権利に関するアフリカ憲章(バン
年の第一回・第二回ハーグ平和会議で法典化さ
ジュール 憲章,1981 年)が そ の 代表的 な も の
れた「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」や「国際
である.前者は,欧州人権裁判所への人権侵害
紛争平和処理条約」の総称である.第二回ハー
の申し立て主体として,非政府団体または個人
グ会議では,債権回収のための紛争に関して,
64)
を認めている .それによって,従来は,国際
武力介入が禁止され,仲裁裁判に付託すること
法の客体として国家の権利義務の反射的効果を
を決定している.これは,ちょうどヨーロッパ
受けるのみであった個人が,直接国際法主体性
から新大陸へと国際法の主体が拡大した時期で
をもつようになった.
それに対して,
バンジュー
あるとともに,文明国基準によって国家性を判
ル憲章は,不干渉原則を強調するアフリカ統
断するようになった時期と重なる69).また,軍
一機構(OAU)憲章を再確認する内容であり,
事力の帰属が君主個人から国家へと移り,一般
人権保障を規定しているものの,政府の裁量は
徴兵制システムが確立されたことで70),国家が
制限されておらず,依然として消極的主権の主
相手国との関係において自国兵士の権利義務を
65)
張にとどまっているとされる .しかし,後述
定めることにメリットをもつようになった時期
するように,2000 年には OAU 憲章がアフリ
である.ハーグ法のなかには 「文明国」 への言
カ連合(AU)憲章へと移行し,
アフリカ諸国は,
及もあるが71),その特徴は,均衡性,軍事的必
不干渉原則を超えて積極的主権の重要性と相互
要性,締約国の違反に対する損害賠償義務を定
協力を明確に認めるようになったのである.
めるなど,国家の権利義務が強調された相互主
このように広範囲に及ぶ国際人権法の発展
義的な規定であった.
について,ドネリー(Jack Donnelly)は,
「国
こ れ に 対 し て,ジュネーブ 法 は,第二次世
際社会の正規構成員となる資格要件としての,
界大戦後 の 1949 年 に 採択 さ れ た ジュネーブ
共有された正義の基準の遵守という思考の復
四条約を中心に構成され,主に戦闘能力のな
66)
活」 であり,古典的な文明の基準との対比に
い兵隊を保護の対象とするものである.第一
おいて「人権は,すべての人が共有し享受する
条約は,戦地にある軍隊の傷病者および病者
67)
ことを強調する新たな包括的基準を提供する」
に関して,第二条約は,海上にある同様の者
と述べている.つまり,人権法の発展によって,
について,第三条約は,捕虜の待遇に関して,
少なくとも各種人権条約の締約国においては,
第四条約は,戦時における文民の保護に関し
その条約が課す義務の範囲において,消極的あ
て規定する.さらに 1977 年に採択された追加
るいは 「対外的な」 主権の適用範囲が変化68)し,
議定書は,国際的武力紛争の犠牲者の保護(第
国家の国内統治のあり方が問われており,また,
一議定書)と 非国際的武力紛争 の 犠牲者 の 保
国際法によって積極的主権の要請がなされるよ
護(第二追加議定書)を 規定 し て お り,ハー
うになっているといえよう.
グ 法 に 比 し て,ジュネーブ 法 は,相互主義 で
1. 2. 2.人道法の発展
はなく普遍的な人道原則に基づいている72).
国際人道法 も,19 世紀後半 か ら 現在 に 至 る
ジュネーブ法において従来の人道法からの大
までに,国際法が国内統治に積極的に関与する
きな発展といわれるのは,1949 年ジュネーブ
ようになってきており,国家間の相互主義的な
四条約と第一追加議定書に定められた,戦争犯
武力不行使原則の妥当基盤の変容(掛江)
(555)
45
罪に関する普遍的管轄権と呼ばれる共通規定73)
道に対する罪の適用により,保護と訴追の対象
である.これは,個人の戦争犯罪について,条
者を拡大している.ジュネーブ諸条約は,保護
約の重大な違反行為を行った個人に関する国内
対象者を限っており,例えば,被害者が,無国
法上の刑罰の立法,捜査義務,国籍を問わず訴
籍だったり,犯人と同じ国籍だったりすれば,
追する義務および関係締約国への引渡しを規
保護の枠外におかれてしまうという限界があっ
定するものである.ただし,この普遍的管轄
た.人道に対する罪は,この難点に対応するた
権 に も,全面的 に 個別国家 の 立法措置 と 国内
めにニュルンベルグ条例において創設されたも
裁判所の処罰に依存していたという点で限界
のであるが81),同罪が常設国際刑事裁判所の適
が あった74).国際法委員会(ILC)は 1951 年,
用犯罪となった意義は大きい.人道に反する
国際的な刑事裁判所設置のための具体的な提案
罪のうちとくに極悪な罪であるジェノサイド
をし,1953 年にはその改正案も提出されたが,
罪82)は,1948 年ジェノサイド条約に規定され
冷戦構造のなかにおいては,国際的な司法機関
たものである.同条約は,第 1 条で平時か戦時
を設けることが国家主権の侵害だという考え方
かを問わず,集団殺害が国際法上の犯罪である
75)
が強く,実現には至らなかった .また,非国
ことを確認しその処罰義務を規定しており,こ
際的武力紛争については,合法的敵対行為のな
こからジェノサイドは発生地によらず安全に対
い状況であることから,戦争犯罪は存在せず,
する脅威であり許容されるべきではないと理解
相手方紛争当事者に属さない者に対する行為で
され,不干渉原則による抗弁はできないと考え
ある以上,戦争犯罪ではありえないという従来
られる83).人道に対する罪とジェノサイド罪は,
76)
の戦争犯罪概念の前提も維持されていた .
ICTY 規程,ICTR 規程によって管轄の対象犯
これに対して冷戦後は,その克服が実現され
罪とされ,実際 ICTR では,アカイエス事件に
る.第一に,それぞれ 1993 年と 1994 年に設置
おいて,ツチ族の市民殺害や女性へのレイプ
さ れ た 旧 ユーゴ ス ラ ビ ア 国際裁判所(ICTY)
等に関して,ジェノサイド罪が認定されてい
とル ワ ン ダ 国際裁判所(ICTR)は,民族浄化
る84). これら犯罪は,ICC 規程に引き継がれた
という緊急事態に対応する最後の手段として設
こ と に よって は じ め て,一般的 に 訴追可能 と
77)
置されたもので ,特別の事態に対する国際裁
なった.
判所による処罰確保の要請があったといえ,普
また,国内裁判所において他国の国家機関で
遍的管轄権に基づく個別国家による処罰の不十
ある国家元首等を訴追することは,主権免除に
分さを補うものであった78).さらに,1998 年
よって阻止されていたが,ICC 規程第 27 条は,
採択の国際刑事裁判所(ICC)は,補完性の原
1 項において「この規程は,公的地位に基づく
則により,国内裁判所の管轄を尊重しつつ,そ
いかなる区別もなく,すべての者に平等に適用
の管轄権の限界を克服しようとしている.
する」とし,同 2 項は,「人の公的地位に付随
第二に,ICTY 規程は,戦争犯罪について第
しうる免除または特別の手続規則は,国内法上
2 条および第 3 条で重大な違反行為と戦争の法
のものであるか国際法上のものであるかを問わ
規慣例違反を並列的に置いた.
前者については,
ず,裁判所がその者に対して管轄権を行使する
Tadic 事件上訴裁判部管轄権判決で非国際的武
ことを妨げない」と規定している.この限りに
79)
力紛争に適用されることが明らかにされ ,後
おいて主権免除原則は変更されたと考えられよ
者 に つ い て も,Celebici 事件第一審裁判部 は,
う85).
慎重ながらその処罰が非国際的武力紛争でも今
後なされうることを示唆したと評価される80).
1. 3.小 括
第三に,ICTY,ICTR および ICC による人
以上みてきたように,主権概念は時代ととも
46
(556)
横浜国際社会科学研究 第 14 巻第 5 号(2010 年 1 月)
に変容している.その時代は,1945 年国連憲
ディア ン の 事実上 の 殲滅(1960─70 年代),イ
章採択以前,それ以降の冷戦期まで,そして冷
ンドネシア侵攻による東ティモール人 65 万人
戦終結後と,大きく 3 つに分けられる.国連憲
中 20 万人の殺害(1975─1990 年代),ポルポト
章以前においては,国家が国際法主体となるた
政権 に よ る カ ン ボ ジ ア 人 600 万人中 100 万人
めには,文明国基準をみたすこと,すなわち積
の殺害が挙げられ86),1946 年から 89 年の間に
極的主権が要請された.しかし,国連憲章にお
100 以上の紛争で 2000 万人が救助されること
いては,国家性の要件が事実上失われ,脱植民
なく殺され,安保理における拒否権の行使は実
地化を通じて消極的主権が前面に押し出される
に 279 回を数えたとされる87).これらのうち,
ようになった.そして現在,冷戦終結後,再び
武力介入の結果として人道的役割を果たしたも
積極的主権の要請が高まっている.その背後に
のの例として挙げられる事例が,1971 年イン
は,国連憲章成立以来の人権法の発展を指摘す
ドによる東パキスタン介入,1978 年タンザニ
ることができる.また人道法も,とりわけ冷戦
アによるウガンダ介入,1979 年ベトナムによ
後に飛躍的な発展を遂げており,例えば主権免
るカンボジア介入である.
除が制限されるなど,国内統治においても人権
第一に,インドによる東パキスタン介入(1971
侵害は許されないということが,これら法規範
年)であるが,その発端は,1971 年 3 月 25 日
の発展によって具体化されている.このような
パキスタン軍事政権が東パキスタンのダッカに
変遷は,以下で示すように,人道目的の武力介
軍隊を派遣,9 ヶ月間で少なくとも 100 万人が
入に対する各国の評価にもみられる.
死亡,1000 万人がインドへ逃亡するという事
2.人道目的の武力行使に対する評価の変遷
態を受けて,インドとパキスタンの関係が悪化
し,国境での衝突が増加したことに始まる.同
人道目的 の 武力行使に対する評価の変遷に
年 12 月 3 日,パキスタンがインドに対する先
は,主権概念の変容が大きく影響していると考
制的空爆を実施し,インド首相インディラ・ガ
えられる.以下では,冷戦期における実行と評
ンジーは,これをインドに対する全面戦争であ
価,冷戦後における安保理の授権のもとでの人
ると宣言,インドはパキスタン軍を制圧し,3
道目的の武力行使とそのような授権のない実行
日後に東パキスタンがバングラデシュとして独
とを検討し,冷戦期と冷戦終結後での評価の変
立することを承認した88).
遷を辿る.そして,この変遷と,消極的主権の
主張から積極的主権の要請への移り変わりとの
関係をみていく.
当初,イ ン ド は こ の 介入 の 目的 に つ い て,
「我々は,東ベンガルの人々を苦しみから救う
という純粋な動機と目的以外何もない」と主張
したが89),後に,パキスタンからの大量難民に
2. 1.冷戦期における実行と評価
よ り 自国 の 社会生活 が 危機的状況 に 陥った こ
冷戦期に国家が行った他国への武力介入のう
と,パキスタン軍の侵略へのやむをえない対応
ち,
人道目的を主張したものは非常に少ないが,
であることを理由に挙げ,より伝統的な自衛と
人道危機がなかったわけではない.例えば,推
して正当化しようとした.
定 170 万人が犠牲となったビアフラ紛争(ナミ
しかし,インドの介入は,国際法上自衛権行
ビア,1967─1970 年)
,1,000 万人の難民流出を
使の要件を充たさず,人道目的という正当化も
引き起こした東パキスタン軍によるベンガル人
国際社会から受け入れられなかった.インドの
の虐殺(1971 年)
,10─30 万人の犠牲者を出し
行為 は,安保理,総会 に お い て,か な り の 数
たブルンジのツチ族によるフツ族の組織的虐殺
の国から非難を浴び90),安保理はインド軍の迅
(1972 年)
,パラグアイにおけるアチェ・イン
速な撤退を求める決議のために召集されたが,
武力不行使原則の妥当基盤の変容(掛江)
ソヴィエトとポーランドの反対により否決さ
91)
(557)
47
的支援であると説明した98).
れた .他方,総会においては,本質的に同内
これに対し安保理では,中国が非難決議を提
容の非難決議案が提出され,こちらは 104 対 1,
案したが,ソヴィエトの拒否権行使により否決
棄権 10 で採択された92).
されている99).フランスは,政府が憎悪すべき
第二に,
タンザニアによるウガンダ介入
(1978
ものであるから外国の介入が正当化され,武力
年)は,ウガンダの攻撃に対するタンザニア
による打倒が妥当であるという考えは極めて危
の自衛として,またアミン政権の転覆を求める
険であり,ベトナムの介入は正当化できないと
ウガンダの反体制派の戦いの援助として正当化
主張した100).
された.当時ウガンダのイディ・アミン独裁政
冷戦期の人道目的の武力介入として一般に紹
権は,ウガンダのアジア人コミュニティ追放や
介される事例は,以上の 3 件である.冷戦期に
ウガンダ人反対勢力の残忍な処罰等で 30 万人
は,1990 年代に比べ人道目的の武力介入と考
93)
の死者を出したとされている .このイディ・
えられる事例は少なく,また国際社会からの反
アミン政権がタンザニアに侵攻したため,タン
応は極めて否定的であった.いずれも比較的強
ザニアは同政権を倒すためにタンザニアに介入
い途上国が他の途上国に介入した事例であり,
し,政権打倒の後は民選政府を要請し 2 日で撤
人道目的も主張されてはいるものの介入の主要
94)
退した .
な正当化根拠ではない.
ウガンダは,タンザニアの介入について国連
各国が人道目的の武力介入に批判的であった
事務総長に訴え,安保理に行動を要請したが,
理由の一つとして,冷戦期における不干渉原則
安保理では議題にものぼらなかった.広く尊敬
の重要性が考えられる.まず,冷戦において,
されるタンザニアのニエレレ大統領による悪名
米ソはそれぞれの勢力圏内の国家に対しては介
高いイディ・アミン独裁政権への介入として,
入したが,勢力圏の外では不干渉原則は守られ
西欧諸国は黙示的に受け入れたものと評価され
ていた.さらに,脱植民地化により多くの弱い
95)
る .他方で,当時のアフリカ諸国は,理由い
国が登場したために,法的な盾としての消極的
かんに拘わらずアフリカの独立国への軍事介入
主権のあらわれとして,不干渉原則の規範が非
に激烈に反対であり,タンザニアも,アフリカ
常に強調されたことが挙げられる101).不干渉
96)
諸国と OAU から広く批判された .その背景
原則と合意原則は,防衛力をもつ大国と違って
には,アフリカ諸国が安保理に要請したポルト
独立を守るものが国際法と世論しかないという
ガル植民地,ローデシア(ジンバブエ)
,ナミ
弱 い 国 に よって 支持 さ れ た.弱小国 の 指導者
ビア,南アでの白人少数者統治の打倒のための
は,合意のない介入に反対であったし,な に
武力介入が,西側大国の拒否権行使により実行
よりも彼らを犠牲に遂行される冷戦を嫌がっ
されなかったという事実から生じた不信感があ
た102).こ の 否定的姿勢 は,1965 年国連総会決
97)
るといわれる .しかし,この態度には,後述
議 2131(A/RES/2131(XX))の「国内問題へ
するように明らかな変化がみられる.
の介入の不容認と独立と主権の保護に関する宣
第三に,
ベトナムによるカンボジア介入
(1978
言」における「いかなる国家も,直接的か間接
─9 年)は,少なくとも 100 万人の死をもたら
的かを問わず,どのような理由によっても,他
したとされるカンボジアのクメールルージュ政
国の国内的又は国際的事項に介入する権利をも
権のジェノサイドに対して,ベトナムが武力介
たない.結果として,武力介入とその他のすべ
入したものである.ベトナムは当初国境侵犯に
ての形態の干渉または国家の公人若しくは政治
対する自衛を主張したが,
後にカンボジアを
「生
的,経済的又は社会的制度に対する計画的脅迫
き地獄」にした政権に対する民衆蜂起への人道
は 非難 さ れ る」と い う 記述,また,1970 年友
48
横浜国際社会科学研究 第 14 巻第 5 号(2010 年 1 月)
(558)
好関係原則宣言(A/RES/2625(XXV)
)におけ
するものだったが,そのいくつかは人道主義と
る「いかなる形態の干渉も,憲章の精神および
人権に関する国際的政策決定機関としての安保
文言に違反する」という記述にみられる.
理の発展を示していた108).ソマリアの事例で
冷戦期には人道目的の武力介入が少なく,ま
は「平和に対する脅威」と認定されつつも,脅
た国連の権威のもとの介入がなかったが,これ
威は必ずしも国際性を帯びておらず,決議の目
は国際社会,とくに国連安保理に武力人道主義
的も人道主義の傾向にある.以下では,イラク
行動計画を検討し実行するような政治的機会が
におけるクルド人保護,ソマリアの事例を中心
103)
なかったからである
.途上国や第三世界の
に検討していく.
国々を含む国際社会の多くの国にとっては,い
2. 2. 1.安保理決議による授権の事例
かに人道的であっても介入は許容しえないもの
第一に,イラクにおけるクルド人保護の事例
であり,人道的要素よりも武力不行使義務や他
がある.イラクに向けられた主要な安保理決議
国に対する不干渉義務の遵守の方を重視してい
(決議 660,決議 678,決議 687,決議 688)は,
たと考えられる104).
国連決議とその権威の下で武力行使を認めたも
のであるが,そのなかで特殊なのは決議 688 で
2. 2.冷戦後の実行と評価
ある.安保理は「越境的な難民の大規模流出を
冷戦終結によって,人道目的の武力行使は政
もたらすイラク政府によるクルド人を含むイラ
治的に実行可能になった.冷戦期には,アメリ
ク市民への抑圧」に対する懸念を表明し,イラ
カとロシアの政治的・軍事的対立によって絶え
クに抑圧を「速やかにやめること」を要求し,
ず行動が阻まれていたが,一般的関係を協力的
「イラク各地で救助を必要とする人々への人道
なもの,少なくとも多くの事項で非対立的な関
機関のアクセスを速やかに許可すること」,さ
係に変えた.中国も協力的または少なくとも非
らにイラクが最後まで国連事務総長と協力す
障害的になった.特定の重要な問題について,
ることを断固主張した109).決議の後,北イラ
大国間の統一的な国際的意思を生み出すことが
クに何十万人ものクルド人をイラクに帰還さ
可能となり,そのことは安保理常任理事国の協
せ,帰還した住人を国際的保護のもとに置く安
105)
力と共同行動で明らかとなった
.冷戦期と
全地帯が設立されたとともに,安全地帯確保の
比較すると,1946 年から 1989 年までの 43 年
ためにアメリカ,イギリスとフランスが,イラ
間 に 安保理 は 2903 回会合 を 開 き,646 の 決議
ク機に対する飛行禁止地域をイラク国内に設
を採択,内 24 回憲章第 7 章を引用したのに対
置 し た「快適提供」作戦(Operation Provide
して,1990 年から 1999 年までの 9 年間で,安
Comfort)がなされた.
保理は 1183 回会合を開き,638 の決議を採択,
ここで注意すべきことは,安全地帯および
憲章第 7 章は 1993 年までに毎年約 24 回ずつ引
飛行禁止地域 の 設置 は,確 か に 人道目的 を 掲
用している
106)
げる決議 688 に基づき正当化がなされたが110),
.
安保理 の 機能回復 が 認識 さ れ た の は,1990
決議による明確な許可はなく,また,武力紛
年 8 月 2 日,安保理がイラクのクウェート侵攻
争の間も停戦後も基本的に湾岸戦争というイ
を非難し,イラクに迅速かつ無条件の全軍撤退
ラクのクウェートに対する侵略行為,そして
107)
を要求した決議 660 が採択された時である
.
国際の平和と安全に対する脅威への対応とい
これは,のちの国際紛争における数々の決議の
う従来型の強制措置に付随して行われたもの
きっかけとなり,安保理をかつてない積極主義
であったということである.このことを理由
へと向かわせた.決議の多くは安保理の国際の
に,ジャクソンは,クルド人保護のためのイ
平和と安全の促進という従来の役割を明らかに
ラクの介入を国際関係における根本的な規範
武力不行使原則の妥当基盤の変容(掛江)
(559)
49
の変化とみることは誤りであるという111).
士 500 名,住民 1,000 名 が 少 な く と も 死亡 し,
これに対して,ソマリアの事例では,
「紛争
1994 年 3 月にはアメリカ撤退,1995 年 3 月最
によって生じた人間の悲劇」と 「平和に対する
後のパキスタン兵が撤退した.
脅威」 との結びつきが表明された112).1991 年 1
ソマリアの介入は,従来の「平和に対する脅
月,21 年間ソマリアのリーダーだったモハメ
威」の枠に合致しているとは言いがたい.どの
ド・シアドバレが退いてから氏族争いをもとと
国も自国が外的な脅威の下にあるとはみなして
する内戦が発生し,同年 11 月首都モガディシ
いないし,介入の要請をする政府は存在せず,
オで戦闘が開始された.国連は,1992 年 1 月
実際,危機はソマリアの実効的な国家権威が存
23 日安保理決議 733 に よ り 第 7 章下 に 武器禁
在しないことに根付いていた115).ガリ国連事
輸措置,1992 年 3 月 17 日安保理決議 746 に よ
務総長と安保理は,介入を地域全体の安全に影
り人道支援の供給に対する戦争の影響懸念を表
響を与える「平和に対する脅威」と認定して国
明,1992 年 4 月安保理決議 751 に よ り 被災民
際的対応として正当化した.しかし,ソマリア
救援のため PKO 国連ソマリア活動(UNISOM)
の中からであれ地域の他国からであれ国際的な
派 遣,1992 年 12 月 3 日 安 保 理 決 議 794 に よ
脅威を特定することは難しく,この危機は国内
り,第 7 章に基づきアメリカ主導の多国籍軍
的であって国際的ではなかった.つまり,ソマ
で あ る 統一 タ ス ク フォース(UNITAF)を 派
リアに対する介入は,憲章第 7 章の国際の平和
遣することを全会一致で決定し,ソマリアの
と安全についての文言に依拠しつつ,国際安全
人道救助活動のためにできるだけ安全な環境
保障の従来の規範を拡張するものとして評価で
を確立するようすべての必要な措置を容認し
きる.
た.ア メ リ カ は「希望回復作戦」
(Operation
例えば,ジョージ・ブッシュ元アメリカ大統
Restore Hope)としてソマリアに 28,000 名を
領は希望回復作戦を,人々への食料輸送のため
派兵した.安保理決議 794 は,
「ソマリアでの
の兵隊による安全提供という人道機関からの要
紛争に起因し,人道的支援供給に対する障害に
請に対する,アメリカとその他の国による積極
よってさらに悪化した人間の悲劇の規模は,国
的な反応であると特徴づけ,ソマリアの人々に
際の平和と安全に対する脅威を構成する」と述
対して,「我らはあなたがたの主権と独立を尊
べている.
「人間の悲劇の規模」が国際の平和
重する」と述べている116).またアメリカ国防
に対する脅威とされた初めての事例である113)
長官(当時)ディック ・ チェイ ニーは,介入 を
と と も に,人道支援目的 で 国内紛争 に 武力行
「人道的任務」と描写した117).安保理,ブッシュ
使が許可された初めての事例である.さらに,
大統領その他によって引き合いに出された人道
1993 年 3 月安保理決議 814 により,ブトロス・
的正当化は説得的で,少なくとも西欧と北米に
ブト ロ ス = ガ リ 事務総長「平和への課題」に
おいては好意的に受け止められた118).
基づく拡大 PKO である第二次国連ソマリア活
その後,安保理は 1994 年にルワンダの事態
動(UNISOM Ⅱ)を設置し,UNITAF の任務
について「ルワンダにおける人道危機の規模が
は UNISOM Ⅱ へ 移行 さ れ た.そ の 後 1993 年
地域の平和と安全の脅威を構成すること」を認
6 月 UNISOM Ⅱ参加のパキスタン兵が殺害さ
定 し た 決議 929119),1996 年東 ザ イール の 事態
れ,アイディード派民兵に対する戦線布告に近
について「東ザイールにおける現在の人道危機
いものとチェスターマン114)が評価する安保理
が地域の平和と安全の脅威を構成すること」を
決議 837 により,憲章第 7 章に基づきすべての
認定した決議 1078120),1997 年ねずみ講投資被
措置が授権され,UNISOM Ⅱは紛争の当事者
害に抗議する反政府活動が暴徒化しイタリア
と化した.
「オリンピックホテルの戦い」で兵
への難民が急増したアルバニアの事態に対し
50
横浜国際社会科学研究 第 14 巻第 5 号(2010 年 1 月)
(560)
て「アルバニアにおける危機の現在の事態が地
に紹介するリベリアの事例のように,そもそも
域の平和と安全に対する脅威を構成する」と決
国連による適切な関与が期待できない場合もあ
121)
定した決議 1101
を採択しており,人道危機
る.
は,安保理授権の強制行動の対象として確立さ
2. 2. 2.安保理決議による授権のない事例
れてきたといえる.さらに,旧ユーゴの事態に
安保理決議 に よ る 授権 の な い 代表的 な 事例
対して ICTY の設置を決定した決議 827(1993
と し て は,ECOMOG に よ る リ ベ リ ア 介入 と
年)においては,人道法違反と「平和に対する
NATO によるコソボ介入がある.
脅威」
との結びつきがはっきり表明されており,
リベリアでは,1989 年に内戦が勃発し,リ
従来は国家間紛争を前提とした「平和に対する
ベ リ ア 国軍(AFL),リ ベ リ ア 国民愛国戦線
脅威」概念と人道主義とが相互に重なり合うよ
(NPFL),リベリア独立国民愛国戦線(INPEL)
うになったのである122).
他 の 間 で 内戦 が 続 い て い た.こ れ に 対 し
ところが実際には,人道危機に対する強制行
て,1990 年 5 月西 ア フ リ カ 諸国経済共同体
動には,安保理の授権によって行われる場合
(ECOWAS)首脳会議は,リベリア調停常任委
(ソマリア,ルワンダ)と,安保理の拒否権行
員会設置決議 を 採択 し,同年 8 月 ECOWAS 監
使等政治的な理由によって合法的には介入を行
視グループ(ECOMOG)を派遣した.ECOMOG
えない場合(コソボ)が混在する.前述のよう
は,INPEL と AFL と 合同 で NPFL 撃退作戦開
に,コソボの事例では,安保理からの許可は得
始 11 月には ECOMOG が首都を制圧した.
られずとも武力介入が必要であるという認識の
安保理は,リベリア内戦について 1991 年 1
も と,数々の 国家 や 国際法学者 は,NATO に
月になって初めて討議し,ECOWAS 支持の議
よる介入を「違法だが正当」と評価した.すな
長声明を発表,1992 年 11 月に安保理は対リベ
わち,憲章第 7 章の下に国連による人道目的の
リア武器禁輸決議 788 を採択し,憲章第 7 章に
武力行使がなされるようになったものの,この
基 づ き 武器禁輸措置 を 決定,第 8 章 に 基 づ き
ような強制行動には,常任理事国による拒否権
ECOWAS の努力を歓迎した.1993 年 3 月ガリ
の行使と発議の任意性という限界があるのであ
国連事務総長は,「リベリア内戦は近隣諸国の
る.これらの問題は,国連憲章の起草時におい
間で解決されるべきだ」と発言している.国連
て,すべての国が参加可能で,かつ国際紛争の
が ECOMOG に よ る 安保理授権 な し の 介入 を
すべての事態に平等に対応するような,理想的
事後的に承認した事例である.
な集団的安全保障システムを創造しようという
他方で,コソボ紛争は,ユーゴスラビア連邦
意図はなかったことと関連している
123)
.つま
共和国のコソボ自治州における自治権をミロ
り,大国の特別の利益に気を配らなければ,そ
シェビッチ・セルビア大統領が縮小したために,
れら大国はシステムに参加せず,したがってシ
1998 年 2 月独立を求めるコソボアルバニア人
ステムの成功の本質的要素が削除されるという
の KLA(コソボ解放軍)とセルビア警察軍と
ことが明らかであったため,国連の中で拘束的
の間に武力衝突が起きたことに始まる.安保理
決定権を持つ機関は安保理に限定され,安保理
は同年 3 月,決議 1160 によりセルビア警察軍
の決定は常任理事国の一国でも反対すれば否決
による市民への過度の武力行使を非難し武器禁
されるように設計されたのである
124)
.
輸措置を決定したが,状況は改善されなかった.
しかし,このような事情を前提とすると,介
安保理はさらに,同年 9 月の決議 1199 におい
入が必要であり物理的に可能であるにも拘わら
て,コソボでの武力行使の結果としての難民の
ず法的には不可能であるという事情が生じる.
流出,国内避難民の増加を深く懸念し,紛争当
それがコソボにおける事態であり,また,以下
事者によるすべての破壊行為,テロ行為を非難
武力不行使原則の妥当基盤の変容(掛江)
(561)
51
し,コソボにおける人道的状況の急速な悪化を
違法性が NATO の行動を正当化すると述べて
深く懸念し,差し迫った人道的惨事を警告し,
いる.さらに,国際法上の判断を回避し,介入
コソボの事態の悪化が地域の平和と安全の脅威
すべき「倫理的義務」が存在する(ソラナ事務
を構成することを確認し,
憲章第 7 章のもとに,
総長),「合法的でなくとも正当」な武力による
紛争当事者の敵対行為終了,差し迫った人道的
威嚇である(ドイツ)といった主張も存在する.
惨事を改善する措置をとること,難民や国内避
難民の帰還の促進を要求し,これらの措置が実
2. 3.小 括
行されない場合には安保理はさらなる措置を考
主権概念の移り変わりは,「国際の平和と安
慮することを決定した125).また同年 10 月決議
全の維持」においてもみられる.まず,冷戦が
1203 では,その前文で安保理の国際の平和と
終結したことにより,安保理の授権のもとに合
安全の維持への主要な責任が確認され,コソボ
法的な人道目的の武力行使がなされるように
での重大な人道的事態の継続に対して深い懸念
なってきた.かつて,サンフランシスコ平和会
が表明された.1999 年 2 月アメリカ,
イギリス,
議においては,「基本的自由と人権の明らかな
フランス,ドイツ,イタリア,ロシアからなる
侵害が,それ自体平和を危うくするような脅威
調整グループは,フランスのランブイエで紛争
である場合」,もはや国内管轄事項と主張する
当事者に交渉するよう促し,コソボアルバニア
ことはできないというフランスの提案は支持さ
側はこの提案を受け入れたがベオグラード当局
れ な かった132).す な わ ち,従来 の 平和 が,国
は拒否,
さらなる市民への攻撃を続けたために,
家間に戦争がない状態のみを関心の対象とした
NATO は同年 3 月 23 日に安保理決議による授
のに対して,今日では,たとえ一国内の内戦で
権なしに空爆を開始した.
あっても無辜の人々を犠牲にする大規模な残虐
各国はこの武力介入をどう評価しただろう
行為は許されず,「平和に対する脅威」 を構成
か.NATO 同盟国 と,ロ シ ア,中国,ナ ミ ビ
するという認識,さらには場合によっては事態
アを除く安保理理事国は,NATO によるコソ
への対応として武力行使が必要であるという認
ボ介入が必要であったという点で一致してい
識 が 存在 す る133).実際,安保理 は,武力紛争
る.もっと も そ の 根拠 と し て は,従前の安保
において文民その他保護下にある人々を恣意的
理決議の義務にユーゴスラビア連邦共和国が従
に攻撃目標とすること,国際人権法および人道
126)
わなかったこと(フランス
,ソラナ事務総長
127)
)
,ユーゴスラビア連邦共和国の国際法違反
128)
(アメリカ
)
,国内紛争の犠牲を食い止める必
129)
要性(イギリス
)
,生存権や身体の保全とい
法の組織的ではなはだしい大規模侵害行為は,
国際の平和と安全の脅威を構成するのであっ
て,安保理は事態を考慮し,必要な場合にはさ
らなる措置をとる用意があることに言及する安
う強行規範価値を守るため(ベルギー130))
,極
保理決議 1296 を全会一致で採択した134).
めて深刻な人権侵害の終結に貢献すべき重大
安保理の授権を得た行動は,憲章に定める手
な必要性(アルゼンチン131))などが主張され
続に基づいており,一般に合法とみなされてい
て お り,多様 で あ る.国際法上 の 合法性 に 関
る.すなわち,安保理決議の授権があれば合法
し て は,ベ ル ギーは「完全 に 合法 で あ る」と
性が確保され,実体的な法の妥当基盤はあまり
主張したのに対し,国連総会 107 カ国,安保理
問題にならない.その例として,イラクのクル
の場におけるロシア連邦,中国,ナミビアが,
ド人保護の事例は,安保理決議の授権という手
NATO の介入を違法であるとみなしている.
続的要件をみたしているので合法ではあるが,
アメリカは,NATO の行動そのもの合法性に
人道目的での武力介入それ自体として認められ
は触れず,ユーゴスラビア連邦共和国の行動の
たわけではなく,湾岸戦争という文脈に依存し
52
(562)
横浜国際社会科学研究 第 14 巻第 5 号(2010 年 1 月)
たものにすぎなかった.しかし,
ソマリア以降,
盟 運 動( NAM)は,2000 年 4 月,「人 道 的 行
人道目的での介入が重ねられるなかで,人道目
動と国連平和維持と平和強制活動との区別」を
的で武力を行使するということについて徐々
再確認する声明書を出し,「国連憲章または国
に実体的な正当性が形成されていった,すなわ
際法の一般原則上の法的根拠をもたないいわ
ち,安保理の授権を得た行動が,人道目的の武
ゆる人道的介入の『権利』」を否定した.他方
力行使の正当性を高める結果をもたらしたと評
で,ソマリアの完全な破綻のように,例外的対
価することができる.そして,一旦そのような
応を必要とする危機があるということを認めて
実体が形成されれば,今度は反対に,人道目的
おり,ソマリア作戦の失敗後,1993 年に OAU
を実現できないような手続上の合法性判断のあ
自身 が 紛争予防,管理,解決 の た め の メ カ ニ
り方が問題となる.ECOMOG によるリベリア
ズ ム( a mechanism for conflict prevention,
介入や NATO のコソボ介入といった人道目的
138)
management and resolution)
を 設立 し て い
の武力行使が実行されたのは,このような認識
る.さ ら に,そ の 後 の 2000 年 6 月 に OAU 憲
の変化のなかでである.いつ政府が自国民を虐
章の後を継いだ AU 憲章は,OAU 憲章に 2 つ
殺し,
または国家が無秩序へと破綻しようとも,
の原則を追加した139).すなわち,第 4 条 h は,
国際法は武力介入をまったく禁止しているとい
深刻な危機,つまり戦争犯罪,ジェノサイド,
135)
う主張は,もはや維持できない
というふう
人道に対する罪に関して AU に介入を許すと
に,国連と個別国家の法認識が変化してきたと
同時に,同条 j は,「平和と安全の回復のため
思 わ れ る.実際,2005 年国連総会 で 採択 さ れ
に AU による介入を要請する権利」を与えて
た 成果文書 に は,
「国家権威 が ジェノ サ イ ド,
いる.
戦争犯罪,民族浄化,人道に対する罪から自国
民を保護することに明白に失敗した場合,私た
おわりに
ちは,個々の状況に応じて,安保理を通じ,第
以上みてきたように,主権概念は,人権法と
7 章を含む国連憲章に則り,また必要に応じて
人道法の発展を通じ,冷戦期には消極的側面が
妥当な地域的機関との協力のもと,時宜に応じ
強調されたのに対し,冷戦終結後では積極的側
136)
断固とした集団的措置を行う用意がある」 と
面の要請が強くなっている.そのような要請は,
いう文言が組み込まれている.少なくともソマ
安全保障分野においても表れており,人道目的
リア,コソボの事例が示すのは,このような規
の武力行使に対する評価の変化は,この傾向を
範的変化が冷戦終結後に生じてきており,授権
顕著に示すものと考えられる.
のない人道目的の武力行使が正当性をもつ場合
冒頭において,法の正当性を合法性の背後に
があるという可能性である. あってその妥当を支えるものとして捉えるなら
脱植民地化を果たした新独立国の態度変化を
ば,ある行為が違法でありかつ正当であるとい
みてみると,冷戦期において不干渉原則を強く
うことは,既存の法規則による合法性判断その
主張した国々が,冷戦後には介入の必要性を認
ものが問題になっているのではないか,すなわ
めるようになってきた.1963 年発足した OAU
ち合法性判断の妥当を支えてきた基本理念が変
は,その憲章において不干渉原則を規定し,ア
化したのではないかという仮説を立てた.これ
フリカの人々の権利尊重よりも対外的権威を重
に対して,本稿では,法を「特定事項に関する
視していたが,1990 年代にはアフリカ各国は,
別々の規範ではなく,編み込まれ織り交ぜられ
不干渉原則と介入の必要性とのあいだで板挟み
た諸規範から成る一つの織物としてみなす」こ
になっている137).一方で,NATO のコソボ介
とを通じて,その変容を有機的に説明しようと
入に続いて,OAU の全加盟国が参加する非同
試みてきた.人道目的の武力行使はとりわけ,
武力不行使原則の妥当基盤の変容(掛江)
(563)
53
主権概念と人権法,人道法という分野での発展
し遂行する社会的権威の所在が問題となる141).
に影響を受ける.それら法が政府に対して自国
社会的権威の所在,すなわち誰が事実を認定し,
民を保護するような統治を求めることで,国家
措置を決定・実行するのかという問題は,冒頭
に積極的主権を要請し,国家が自国民を大量虐
に挙げた 2 つの視点に関するもの,すなわち武
殺等から守ることができない場合には武力介入
力行使を規制する法に内在的な問題として議論
が必要であるという認識を高めてきた.そして
すべきものである.これらの点に関しては,今
実際に,安保理常任理事国が政治的に合意でき
後更なる考察をおこなっていきたい.
る場合には,人道目的のために武力介入が国連
の下になされるようになった.そのような文脈
の中で,安保理の授権のない人道目的の武力行
使が,「違法だが正当」 という評価を受けるよ
うになったのである.このことは,人道法,人
権法分野において糸としての個々の規範が変容
することで,織物としての規範構造は紋様を変
えていき,それによって武力不行使原則の妥当
基盤を変容させた結果であると考えられる.人
道・人権規範は,いまや国際安全保障に関する
規範のなかに埋め込まれているといえよう.そ
のように考えるならば,人道目的の武力行使が
もつ正当性は,法外在的な道徳的および政治的
価値に基づくものとしてではなく,むしろ武力
不行使原則の妥当基盤の変容という法内在的な
根拠をもつものとして捉えられる.
ただし,いかに人権法,人道法が武力不行使
原則の妥当基盤を変容させたといえども,それ
がただちに人道目的の武力行使を合法なものへ
と変化させるわけではない.法の妥当基盤に変
容があり,違法な行為が正当と評価されるよう
になるということと,ある行為が合法化される
ということは異なるのである.例えばジャクソ
ンは,本稿でこれまで引用してきたように破綻
国家を生むに至った国際関係上の問題を明確に
指摘 し つ つ も,人道目的 の 武力行使 を 否定 す
る.なぜなら,そのような武力介入を,主体を
問わず認めることで,カオスが生じると考える
からである140).この指摘が端的に示すように,
正当性が合法性を意味するように法に変更が生
じるには,これまで論じてきた冷戦終結という
新しい状況と,人権・人道規範という時代特性
的な秩序理念の出現に加えて,法規範化を決定
注
1)ここでは,人道目的の武力行使を「一国又は
国家グループによる国境を越えた武力による
威嚇又 は 武力 の 行使 で あって,自国民以外 の
個人の基本的人権の広汎で重大な侵害を防ぐ
もしくはやめさせる目的で,領域国の許可な
しになされるもの」として扱うものとする.J.
L. Holzgrefe, “The humanitarian intervention
debate,” in J. L. Holzgrefe and Robert O.
Keohane eds., Humanitarian Intervention: Ethical,
Legal, and Political Dilemmas(Cambridge UP,
2003)p. 18.定義が示すように本論文の検討対
象とする人道目的の武力行使は,自国民救出活
動と非軍事的介入を含まない.
2)その代表的なものとして,コソボ独立国際委
員会による NATO の武力活動が「違法だが正
当 illegal but legitimate 」であるという評価が
あ る.Independent International Commission
on Kosovo, The Kosovo Report: Conflict,
International Response, Lessons Learned(Oxford
UP, 2000)
.ま た,Simma は,
「コ ソ ボ に 対 す
る NATO の行動は,違法であるが,国際的合
法性から紙一重のところにある」と評してい
る.Bruno Simma, “ NATO, the UN and the
Use of Force: Legal Aspects”, European Journal
of International Law, vol. 10, no. 1(1999)p. 22.
3)Martti Koskenniemi, “‘The Lady Doth
Protest Too Much’ Kosovo, and the Turn to
Ethics in International Law,” The Modern Law
Review vol. 65, no. 2(2002)p. 162.
4)その他の理由として考えられるのは,第一に,
そもそもの武力不行使原則の妥当範囲に関する
見解の違い,第二に,同原則と集団安全保障制
度との関係性に関する見解の違いであり,本文
に挙げた同原則の妥当範囲の変容に関する理解
の違いを含め,これらの組み合わせに基づいた
判断によって諸説が渾然と存在しているように
思われる.
第一の武力不行使原則の妥当範囲とは,そも
そもどの範囲で武力行使が禁止されているかと
54
(564)
横浜国際社会科学研究 第 14 巻第 5 号(2010 年 1 月)
いう問題である.国連憲章第 2 条 4 項の例外と
して許される武力行使は,明文規定のある第 7
章強制措置と自衛権行使で網羅されているのか
(例 え ば Christian Gray, International Law and
the Use of Force 3rd edition(Oxford UP, 2008)
pp. 7─8.),あるいは,これら以外の武力行使が
認められる余地があるのかに関して見解に対
立がある.前者の立場によれば,「違法だが正
当」という際の正当性は法的な意味をもちえず,
よって法の外にある道徳的・政治的な価値判断
である(例えば,Ian Brownlie, “Humanitarian
Intervention,” in John Norton Moore ed., Law
and Civil War in the Modern World(the Johns
Hopkins UP, 1974)pp. 223─225).こ れ に 対 し
て,後者における正当性は,手続規則上の合法
性判断とは区別された,法的意味を探るものと
いえよう.
第二に,同原則と集団安全保障制度との関係
性に関して,一つには,武力行使を禁止するた
めの絶対条件として「組成員間の紛争を社会の
手によって解決する制度」すなわち紛争の平和
的解決制度,集団安全保障制度が必要であると
い う 立場 が あ る(田岡良一『法律学全集 57 国際法 III[新版]』(有斐閣,1973 年)134 頁).
このような考えに基づけば,安保理の機能麻痺
と い う 集団安全保障制度 の 実効性欠如 に よっ
て,武力不行使原則の妥当範囲は影響を受ける
ため,一定の武力行使が,手続的には合法とは
いえないものの正当化されるという主張が導か
れる.他方で,武力不行使原則は,集団安全保
障制度に条件づけられていない(松井芳郎「現
代国際法 に お け る 人道的干渉」藤田久一他編
『人権法と人道法の新世紀』(東信堂,2001 年)
23 頁)という考えに基づけば,同原則は無条
件に妥当するのであって,正当性が実体法上の
意味をもつことはない.したがって正当性があ
るとするならば,これも道徳的・政治的判断に
基づくことになる.以上 2 点の対立は,武力行
使の規制に関する実体法と手続規則との関係に
内在する問題の議論といえよう.第三は,本文
を参照されたい.
5)奥脇直也「過程としての国際法」
『世界法年報』
第 22 号(2002 年)69 頁.
6)正当性はさまざまな意味で用いられる.例え
ば,浅田教授は,「正当性という概念は法的に
は定義し難く,きわめて曖昧である.それゆ
え,ここでそれを定義づけることはしない」と
しつつ,その実質的判断基準として,「公正さ
(fairness)」,「機関 の 構成 と 手続」の 適正 さ,
コンセンサスによる決定という手続等を挙げて
いる.浅田正彦「国連安保理の司法的・立法的
機能 と そ の 正当性」『国際問題』570 号(2008
年)5─33 頁;フランクによれば,正当性とは,
「ある規則もしくはある規則生成組織の一つの
質的要素であり,その規範の名宛人による遵守
を誘引する力」と定義する.Thomas Franck,
Power of Legitimacy Among Nations(Oxford UP,
1990)p. 24. フ ラ ン ク は,公正 fairness を 配分
的正義 distributive justice と 正当性 legitimacy
とに区分する.前者が,法システムが作用する
コミュニティの道義的価値に根差す配分的正義
であるのに対し,後者は手続的な正当性を意味
するとされるが,本稿で論じる正当性は,実体
的なものであるという意味において,やや前者
の 配分的正義 に 近 く,後者 の 手続的正当性 と
は 別 の 概念 で あ る.Thomas Franck, Fairness
in International Law and Institutions(Oxford UP,
1995)chapter 1.
7)ここでの「妥当基盤」あるいは「基本理念の
変化」という概念は,小森教授による一般国際
法としての慣習法規の妥当に関する議論を参考
にした.小森光夫「現代における中立法規の妥
当基盤」村瀬信也・真山全編『武力紛争の国際
法』
(東信堂,2004 年)85─88 頁参照.
8)Gray, supra note 4, pp. 48─49.
9)Martha Finnemore, The Purpose of Intervention:
Changing Beliefs about the Use of Force(Cornell
UP, 2003)pp. 2─3.
10)Ibid., p. 57.
11)Ibid., p. 57.
12)Nigel S. Rodley and Basak Cali, “Kosovo
Revisited: Humanitarian Intervention on the
Fault Lines of International Law” Human
Rights Law Review vol. 7, no. 2(2007)p. 283; 大
沼保昭『人権,国家,文明』
(筑摩書房,1998 年)
77 頁 .
13)George J. Andreopoulos, “The Challenges
and Perils of Normative Overstretch, ” in
Bruce Cronin and Ian Hurd eds., The UN
Security Council and the Politics of International
Authority(Routledge, 2008)p. 106.
14)小森「前掲論文」
(注 7)88 頁.
15)人道目的の武力行使は,武力不行使原則のみ
ならず不干渉原則によっても禁止されていると
考えられるが,不干渉原則は,一般に主権のコ
ロラリーあるいは当然の帰結であるといわれて
い る.Cynthia Weber, Simulating Sovereignty:
Intervention, the State, and Symbolic Exchange
(Cambridge UP, 1995)p. 11; 広部和也 「内
戦不干渉義務の成立と変容」『国際問題』318 号
(1986 年)5 頁;金東勲「国内問題・国内事項
不干渉の原則」寺沢一,内田久司編『国際法の
基本問題(別冊法学教室)
』
(有斐閣,1986 年)
75 頁;松田竹男「現代国際法 と 内政不干渉 の
原則(上)
」
『季刊 科学と思想』第 54 号(1984
年)22 頁.そうであるならば,不干渉原則は
武力不行使原則の妥当基盤の変容(掛江)
主権の従属変数であって,固有の規範的な正当
化理由をもつものではなく,不干渉原則の輪郭
は主権概念の輪郭に依存して決定されるといえ
る.主権のコロラリーに関して,小森「前掲論
文」
(注 7)96 頁参照.
16)ここでの人道危機とは,主に集団殺害(ジェ
ノサイド条約第 2 条)および人道に対する罪(国
際刑事裁判所規程第 7 条)が発生している事態
を想定している.事態の説明であることから,
裁判適用の際に問題となる犯行の意図は問題と
しない.
17)芹田健太郎『地球社会 の 人権論』(信山社,
2003 年)75 頁.
18)例えば,「保護する責任」概念に対して,マ
レーシアは主権と国家不可侵に関する基本的原
則を断固として支持する旨を主張,エジプト
は,国家主権原則への脅威と主張している.拙
稿「 2005 年国連総会首脳会合(世界サミット)
における「保護する責任」の意義」『横浜国際
経済法学』第 16 巻第 3 号(2008 年)51─81 頁.
19)Robert H. Jackson, The Global Covenant:
Human Conduct in a World of States(Oxford UP,
2000)p. 296
20)廣瀬和子「国内避難民問題 の 法社会学的分析
の試み─国家主権(内政不干渉原則)と人道/人
権の対抗関係のなかで─」
『国際法外交雑誌』第
103 巻第 4 号(2005 年)13 頁.
21)Jackson, supra note 19, p. 296.
22)廣瀬「前掲論文」
(注 20)14 頁.
23)田 畑 茂 二 郎『国 際 法 I 新 版(法 律 学 全 集
55)』(有斐閣,1973 年)36 頁.
24)Gerrit W. Gong, The Standard of ‘Civilization’
in International Society(Oxford UP, 1984)pp.
14─15.
25)奥脇直也「国連システムと国際法」,山之内­
=二宮=塩沢=姜=村上=佐々木=杉山=須
藤編『岩波講座 社会科学 の 方法 VI 社会変動
のなかの法』(岩波書店,1993 年)65 頁;K. J.
Holsti, Taming the Sovereigns: Institutional Change
in International Politics(Cambridge UP, 2004)p.
49.なお,田畑は,ヴァッテルが主張した国家
の自由・独立が意味するのは,人民主権を基調
とする国民国家を形成する途上において,市民
の共同の福祉のために作られたという国家目的
を実現するために必要とされたものと説明す
る.田畑茂二郎『国家主権 と 国際法』(日本評
論社,1950 年)30─31 頁.これは換言すれば,
対外的主権が対内的主権確立の手段として主張
されたことを意味すると考えられよう.
26)国連憲章第 4 条 1 項 .
27)Holsti, supra note 25, p. 49.
28)国連憲章第 76 条 b.
29)Jackson, supra note 19, p. 303.
(565)
55
30)Ibid.
31)Robert H. Jackson, Quasi-States: Sovereignty,
International Relations and the Third World
(Cambridge UP, 1990)p. 27.
32)Ibid., p. 29.
33)Luzius Wildhaber, “Sovereignty and
International Law,” in R. St. J. Macdonald
and Douglas M. Johnson eds., The Structure
and Process of International Law’ Essays in Legal
Philosophy, Doctrine and Theory (Martinus
Nijhoff, 1986)p. 439.
34)Finnemore, supra note 9, p. 144.
35)Ibid.
36)Ibid.
37)廣瀬「前掲論文」
(注 20)14 頁.
38)Jackson, supra note 19, p. 305.
39)Balakrishnan Rajagopal, International Law
from Below: Development, Social Movements, and
Third World Resistance(Cambridge UP, 2003)p.
102.
40)国連憲章第 4 条.
41)Wilhelm G. Grewe, The Epochs of International
Law(Walter de Gruyter, 2000)pp. 659─660.
42)James Mayall, “ Humanitarian Intervention
and International Society: Lessons from
Africa”, in M.Welsh ed., Humanitarian Intervention and International Relations(Oxford UP,
2004)pp. 121─126.
43)Ibid.
44)Ibid.
45)Report of the Secretary-General, The causes
of conflict and the promotion of durable peace
and sustainable development in Africa, UN Doc.
A/52/871–S/1998/318(13 April 1998)para.
10.
46)文明の基準を現代の文脈で捉えるものとし
て,竹内雅俊「国際法学 に お け る『文明 の 基
準』論 の 再考 」『中央大学政策文化総合研究
所 年 報』
(2008 年)57─72 頁;David P. Fidler,
“ The Return of the Standard of Civilization,”
Chicago Journal of International Law, vol. 2, no.
1(2001)pp. 137─57,竹内雅俊訳「
『文明 の 基
準 論』の 再 興」
『比 較 法 雑 誌』第 42 巻 第 2 号
(2008 年)173─204 頁;Jack Donnelly, “ Human
Rights: A New Standard of Civilization? ”
International Affairs, vol. 74, no. 1(1998)p. 22.
47)筒井若水「現代国際法 に お け る 文明 の 地位」
『国 際 法 外 交 雑 誌』 第 66 巻 5 号(1968 年)66
頁.
48)Nico Schrijver, “The Changing Nature of
State Sovereignty, ” The British Year Book of
International Law 1999 pp. 65─98.
49)2005 World Summit Outcome, General
56
(566)
横浜国際社会科学研究 第 14 巻第 5 号(2010 年 1 月)
Assembly Resolution 24 October 2005, UN
Doc. A/RES/60/1, para. 138.
50)田畑茂二郎『国際化時代 の 人権問題』(岩波
書店,1988 年)13─16 頁.
51)例えば第一次大戦後の少数民族保護条約など
が挙げられる.同上,16─18 頁.
52)国際連盟規約で人権への言及が回避された経
緯については,同上,9─12 頁に詳しい.
53)祖川武雄論文集『国際法 と 戦争違法化』(信
山社,2004 年)35 頁.
54)田畑『前掲書』(注 50)23 頁.
55)1942 年 1 月 1 日 の 連合国宣言 で は,「生命・
自由・独立及び宗教の自由を防衛し,自国およ
び他の国々において人権と正義を保持するため
に完全な勝利が不可欠である」と宣言された.
芹田『前掲書』(注 17)78 頁.
56)Jack Donnelly, “State Sovereignty and
International Intervention: The Case of
Human Rights,” in Lyons and Mastanduno
eds., Beyond Westphalia?: State Sovereignty and
International Intervention(The Johns Hopkins
UP, 1995)pp. 122─123.
57)国連憲章第 1 条 3 項.
58)Hélène Ruiz Fabri, “Human Rights and
State Sovereignty: Have the Boundaries been
Significantly Redrawn?” in Philip Alston
and Euan MacDonald eds., Human Rights,
Intervention, and the Use of Force(Oxford UP,
2008)p. 44.
59)田畑『前掲書』(注 50)41 頁.
60)芹田『前掲書』
(注 17)185 頁.ソヴィエトが,
主権侵害を理由に反対していたと述べるもの
と し て,Adam Roberts, “The United Nations
and Humanitarian Intervention” in Jennifer
M. Welsh ed., Humanitarian Intervention and
International Relations(Oxford UP, 2004)p. 75.
61)Ibid., p. 76.
62)小寺彰,岩沢雄司,森田章夫編『講義国際法』
(有斐閣,2004 年)339 頁.
63)同上.
64)同上.
65)Jackson, supra note 31, pp. 154─159.
66)Donnelly, supra note 46, p. 14.
67)Ibid.
68)Ruiz Fabri, supra note 58, p. 39.
69)Finnemore, supra note 9, chapter 2.
70)Grewe, supra note 41, pp. 485─486.
71)陸戦の法規慣例に関する条約,前文.
72)Roberts, supra note 60, p. 76.
73)第一条約においては第 49 条,第二条約では
第 50 条,第三条約 で は 第 129 条,第四条約 で
は第 146 条に規定されている.
74)真山全「ジュネーブ諸条約と追加議定書」日
本国際法学会編『日本 と 国際法 の 100 年第 10
巻』
(三省堂,2001 年)195─196 頁.
75) 多 谷 千 香 子『戦 争 犯 罪 と 法』
(岩 波 書 店,
2006 年)43 頁.
76)真山「前掲論文」
(注 74)196 頁.
77)多谷『前掲書』
(注 75)
.
78)同上.
7 9 ) P ro s e c u t o r v, Ta d i c , D e c i s i o n o n t h e
Defence Motion for Interlocutory Appeal on
Jurisdiction, Case No.IT-94-1-AR72, Appeals
Chamber(2 Oct. 1995)paras. 128─137.
80)真山「前掲論文」
(注 74)196 頁.
81)多谷『前掲書』
(注 75)80 頁.
82)同上,62 頁.
83)Report of the High-level Panel on Threats,
Challenges and Change, A More Secure World:
Our Shared Responsibility (United Nations,
2004)p. 65.
84)The prosecutor versus Jean-Paul Akayesu,
Judgment, Case No. ICTR-96-4-T, Chamber(2
September, 1998)para. 734.
85)Holsti, supra note 25, pp. 160─161.
86)Oliver Ramsbotham and Tom Woodhouse,
Humanitarian Intervention in Contemporary
Conflict: A Reconceptualization(Polity Press,
1996)p. 21.
87)Simon Chesterman, Just War or Just Peace? :
Humanitarian Intervention and International Law
(Oxford UP, 2001)p. 120.
88)Ibid., p. 71.
89)P/SV1606(1971)para. 186.
90)大沼保昭『前掲書』
(注 13)106 頁.
91)UN Doc.S/10416.UNSCOR(XXVI)para.
371.
92)UN Doc.GA/RES.2793(XXVI).
93)Mayall, supra note 42, p. 124.
94)Thomas M. Franck, “Interpretation and
Change in the Law of Humanitarian Intervention”
in J. L. Holzgrefe and Robert O. Keohane eds.,
Humanitarian Intervention –Ethical, Legal, and
Political Dilemmas(Cambridge UP, 2003)p. 219.
95)Ibid.
96)Mayall, supra note 42, pp. 121─126.
97)Ibid.
98)Ibid.
99)Franck, supra note 94, p. 218.
100)Chesterman, supra note 87, p. 80.
101)Ramsbotham and Woodhouse, supra note
86, p. 254.
102)Ibid., p. 258.
103)Ibid., p. 259.
104)植木俊哉「
『人道的介入』概念と国際法─事
例報告 1:カ ン ボ ジ ア の ケース」
『外務省調査
武力不行使原則の妥当基盤の変容(掛江)
報告書 いわゆる人道的介入に関する最近の動
向』
(財団法人日本国際フォーラム 2002 年 3 月)
23 頁.
105)Ramsbotham and Woodhouse, supra note
86, p. 259.
106)Chesterman, supra note 87, p. 121.
107)Jackson, supra note 19, p. 261.
108)Ibid.
109)UN Doc.SC/RES/688.
110)Nico Krisch, “Unilateral Enforcement of the
Collective Will: Kosovo, Iraq, and the Security
Council ” Max Planck Yearbook of United Nations
Law, vol. 3(1999)pp. 73─79.
111)Jackson, supra note 19, p. 263.
112)UN Doc. Sc/RES 794(1992)前文 para. 3.
113)Ibid.
114)Chesterman, supra note 87, p. 143.
115)Jackson, supra note 19, p. 265.
116)Ibid., p. 266.
117)Ibid.
118)Ibid.
119)UN Doc.SC/RES/929(1994).
120)UN Doc.SC/RES/1078(1996).
121)UN Doc.SC/RES/1101(1997).
122)藤田久一 「国際人道法 の 機能展開─国連法
との相互浸透─ 」 藤田久一他編『人権法と人道
法 の 新世紀』(東信堂,2001 年)70─71 頁;篠
田英明「『新介入主義』の正統性:NATO のユー
ゴスラビア空爆を中心に」広島私立大学広島平
和研究所編『人道危機と国際介入─平和回復の
処方箋』(有信堂,2003 年)27─28 頁.
123)Sean D. Murphy, Humanitarian Intervention:
The United Nations in an Evolving World Order
(University of Pennsylvania Press, 1996)p. 298.
124)Ibid.
125)UN Doc.SC/RES/1199(1998).
126)UN Doc. S/PV. 3988(24 March 1999)pp.
8─9.
127)NATO Press Release(1999)040-23 March
1999,http://www.nato.int/docu/pr/1999/p99040e.htm.
128)James P. Rubin, Department of State
Daily Press Briefing Tuesday, March 16, 1999,
http://usembassy-australia.state.gov/hyper/
WF990316/epf202.htm.
129)Jeffrey L. Dunoff, Steven R. Ratner, David
Wippman, International Law Norms, Actors,
Process: A Problem-Oriented Approach(Aspen
Law & Buisiness, 2002)pp. 905─906.
130)CR/99/15(translation)Oral Pleadings, 10
May 1999, Legality of the Use of Force(Serbia
and Montenegro v. Belgium)http://www.icjcij.org/icjwww/idocket/iybe/iybeframe.htm.
(567)
57
131)Statement by Fernando Petrella, Permanent
Representative of Slovenia, in UN Doc.S/
PV.3989, 24 March 1999, at 6.
132)Jean-Pierre Cot, Alain Pellet et Mathias
Forteau, La Charte des Nations Unies:
Commentaire article par article 3e éd(Economica,
2005)p. 488.
133)以下のアナン事務総長の報告書においても,
そのような認識がみてとれる.
「住民全体を恐
怖に陥れ,追放し,殺害しようとする計画的か
つ組織的な行為に対しては断固として,あらゆ
る手段を駆使して対抗し,その政策を最後ま
で貫き通す政治意思を持たねばならない.
(中
略)バルカン地域ではこの 10 年で,この教訓
を思い知らされる機会が一度ならず二度もあっ
た.ボスニアのときもコソボのときも,国際社
会は話し合いによる解決をめざして,悪辣で残
忍な政権と交渉を重ねた.そしてどちらの場合
も,一般市民に対する計画的かつ組織的な殺人
と追放をやめさせるには力の行使が必要だっ
た.」Report of the Secretary-General pursuant
to General Assembly resolution 53/35 :#the fall of
Srebrenica,UN Doc.A/54/549.para 502; 国 連
難民高等弁務官事務所『世界難民白書 2000 』
(時
事通信社,2002 年)243 頁 .
134)UN Doc. SC/RES/1296(2000)para. 5
135)Christopher Greenwood, “ Is There a Right
of Humanitarian Intervention?, ” The World
Today, no. 492, Feb. 1993.
136)2005 World Summit Outcome, General
Assembly Resolution 24 October 2005, UN
Doc. A/RES/60/1, para. 139.
137)Mayall, supra note 42, pp. 126─132.
138)Declaration of the Assembly of Heads of
State and Government on the Establishment
within the OAU of a Mechanism for Conflict
Prevention, Management and Resolution AHG/
DECL.3(XXIX)
, http://www.africanreview.
org/docs/conflict/cairodec93.pdf.
139)The Constitutive Act(AU 憲 章)
, http://
www.africa-union.org/home/Welcome.htm.
140)Jackson, supra note 31, p. 160.
141)エ ル ラーは,カ ル テ ル 規制,社会保障法,
借家保護法,外国為替管理法という文脈で,新
たな規範領域が生成するための条件として新し
い社会状況の集積,時代特性的な秩序理念およ
び社会的権威という 3 つを挙げている.G. エ
ルラー(佐藤和夫訳)
『国際経済法の基本問題』
(嵯峨野書院,1994 年)51─53 頁.
[か け え と も こ 横浜国立大学大学院国際社会
科学研究科博士課程後期]
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